今回より、創竜伝8の批評に入ります。
創竜伝8は社会評論がほとんどありませんが、代わりに仙界の連中と西王母による西洋・日本弾劾と中国礼賛講座(笑)が、ページの4分の1ほどを占めています。ストーリーを徹底破壊してまで展開する常識はずれな中国礼賛も、あそこまでいけば一種の天才的才能とさえいえるかもしれません(笑)。
その常識はずれな中国礼賛に基づく「仙界の矛盾」についてはまた次の機会に述べることにして、今回は社会評論を中心にスポットを当てて見る事にしましょう。
創竜伝8「仙境のドラゴン」
1992年4月10日 初版発行
P68上段~P69下段
<「全人類を救う」などとインチキ宗教の教祖のようなことを、始は考えているわけではない。崑崙の神仙たちが外界に対する干渉を避けようとする、そのありようを否定するわけでもない。第一、始自身、弟たちや茉理と平和に暮らしていければいいと思っているのだから、竜泉郷やひいては崑崙のありようを羨望こそすれ、けしからぬなどとは思わないのである。何百万冊もの古書にかこまれ、歴史や考古学や人類学などを研究して日を送れれば、いうことはない。
だが、理想の生活にそのまま没入してしまえるような始の現実ではなかった。世の中には信じられないほどおせっかいな連中がいて、呼ばれもしないのに他人の家にはいりこみ、寝ている人をたたき起こしてナイフをつきつけ、「お前の性根をたたきなおしてやる」というのだ。
この種の狂人は、権力の内にも外にもいる。権力を持たないときは、自分とちがう考えを持つ人に脅迫状を送ったり、いやがらせ電話をかけたりする。権力を持つと、言論を弾圧し、本を焼き、反対派を無実の罪で処刑し、新聞や雑誌を廃刊させる。
「そういったやりくちが牛種の文明の毒だとすると、それに染まった人間はいくらでもいるな……」
考えると、いやな気分である。
地球上には六〇億の人間がいる。その全員が同じ顔をしているというありさまを想像すると、誰でも気味悪くなるだろう。また、「全員を同じ顔にしてやれ」とたくらむ者はいないだろう。ところが、こと思想や信仰や価値観ということになると、「全員を同じにしてやれ」と考える者が、けっこういるのだ。自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである。
このような「牛種の尻尾」たちが、一冊の本を読んだとする。内容が気にいらなければ、読むのをやめればいいのだが、彼らはそうしない。彼らは著者に、書くのをやめさせようとする。あるいは出版社に、本を刊行するのをやめさせようとする。自分の「読まない自由」を守るのではなく、他人の「書く自由」を侵害する。そして当人は、それを正義だと信じこんでいる。「正義病」の患者であり、狂信的・反社会的な宗教団体の信者にしばしば見出される。むろん、盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない。>
「盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない」
っておいおい田中芳樹よ、他人サマに偉そうな説教を垂れる前に、すこしはご自分の所業を見つめ直す必要があるのではないのですか? 中国ものを書くときに中国の文物を片っ端から「盗作」しているのはどこのどいつでしょうか(笑)。私は「パクリ=模倣」と定義していますから、パクリ元もパクリネタもそれなりに評価するようにしていますけど、田中芳樹が書いている「三宝太監西洋記→鄭和伝」や「説岳全伝→岳飛伝」などは「パクリ」ではなく立派な「盗作」であり、一種の著作権侵害ではありませんか。また、「隋唐演義」や「中国帝王図」などは、元ネタになった参考文献や著者名を全く挙げておらず、まるで自分のオリジナル作品であるかのように書いていますので、これも「盗作」と言われても仕方がないようなシロモノです(以下、宣和堂さんのHP「田中芳樹・7つの大罪」より)。これでは押し入り強盗が「人の物を盗んではイケナイ」と説教しているみたいではないですか。
だいたい田中芳樹は、上記の社会評論がことごとく自分自身にあてはまるのではないかと、すこしでも考えた事はあるのでしょうか。「反権力」という名の「権力」の後ろ盾を頼りにして、フィクション小説内で愚劣で一方的な社会評論を展開したり、「日本人はみんな愚劣」とか「中国人はみんな優秀」とか言ったセリフをキャラクターに言わせたりと、これらはアンタが評する「牛種の尻尾の所業」なのではないのですか? 他人に偉そうに説教するそのすぐ足元で、自分自身が「牛種の尻尾」になっているのでは、せっかくの正論も説得力ゼロですね。しかも「自覚症状」もないというのでは救いようがありません。
「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである」
確かに許せないのでしょうねえ(笑)。他ならぬ田中芳樹自身が、「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在すること」に我慢ならない事を、創竜伝の社会評論やストーリーで自白しているのですから。身をもって反面教師になっている田中芳樹は自己犠牲の精神に富んでいる、とでも褒め称えるべきなのでしょうか(笑)。
P69下段~P70上段
<フォードもライト兄弟も、人の世を進歩させるという高い目標を持ち、努力をかさね、工夫をこらし、血と汗と涙の末に、自動車を走らせ、飛行機を完成させた。偉大な仕事をなしとげたのだ。
そしてその結果はどうだろう。自動車による事故で、日本だけでも一年間に一万人以上の人が死亡している。飛行機は軍事に転用され、「戦略爆撃」という名で非武装市民を爆殺することが正当化された。多くの科学者が無限エネルギーの夢を追った原子力は、まず兵器として使用され、多くの人命を奪った。平和利用されるようになってからも、事故によって大気と大地を汚染し、放射能のゴミを生みだし、完全処理する方法は発見されていない。
機械技術文明には最初から罠が仕掛けられていたのではないか、始はこのごろ思うのだ。努力、創意工夫、向上心、勤勉さ、知識欲、それら美点のすべてが、いま人類自身の生存をおびやかしつつあるようだ。それと気づいても、やめることができない。自動車も電気もない生活にもどることはできないのだ。ではどうすればよいか……。>
このような問題提起を「どうすればよいか……」などという結論で終わらせるくらいなら、いっそ何も語らない方がはるかにマシなのではないかと思うのですけどね。「機械技術文明」とやらに懐疑的なのは結構な事ですが、こんな評論を展開するのならば、それに代わる代案ないし「将来性のあるビジョン」というものを挙げなければ「単なる不平不満」で終わってしまうではありませんか。第一、創竜伝8巻で「タイムマシン」だの「極低周波ミサイル」だのといった超兵器をいろいろと出して「仙界」の文明の優越性を誇示している田中芳樹が何を笑止なことを言っているのでしょうか。
ロクなビジョンも展開できない田中芳樹に代わって私が先を続けましょう。
確かに田中芳樹曰く「機械技術文明」とやらは、様々な環境問題や戦争の大規模化をもたらしましたが、それと同時に人類に様々な恩恵をもたらしてきた事も確かです。そして田中芳樹自身が明言しているように、今更過去に戻るわけにもいかず、「滅ぶ」という選択肢が論外である以上、このまま「機械技術文明」を発展させるしかありません。その認識に立ち、暴走しそうな原子力技術などに対する管理を徹底した上で、環境問題対策の技術や原子力に代わる代替エネルギーを開発すれば良いのです。ハイブリッドカーなどは「環境対策技術」の典型例ですし、日本は公害対策の先進国です。
軍事技術の方はといえば、これは使う人間の問題でしょう。技術が発展してようがしていまいが、戦争は必ず起こるのですし、当事者次第で大規模殺戮は発生するものです。田中芳樹が礼賛している中国の歴代王朝滅亡期に、数百万~数千万単位の人口が消滅しているのは別に「機械技術文明」のせいではありませんし、西欧の植民地支配の大虐殺や、毛沢東の「文化大革命」だって「機械技術文明」の弊害ではありません。これらはイデオロギーや民族対立などといった、人間の問題ではないですか。技術の発展とともに軍事技術が発展するのは止めようがないし、止めるべきものでもありません。「技術の発展」自体は「悪」ではありませんし、軍事問題では「技術」も一種の抑止力たりえるのですから。第一、田中芳樹自身、銀英伝で「人類が宇宙に進出できるほどの高度な機械技術文明」を描いているでしょうに。あれは一体何なのですか? まさか「魔法文明」というのではないでしょうね(笑)。
「機械技術文明」なるものに全く問題がないとは言いませんが、「全否定して代案も出さない」というのでは事態は全く変わらないことぐらいはきちんと認識していて欲しいものなのですけどね。
P135上段
<鷹揚に首相は笑ってみせた。彼はこのごろTVのニュースショーを見ることが多い。街頭レポートで、「政治なんかに関心はないね」と答えるおじさんや、「政治のことはわかりませーん」と身をくねらせる女子高生が登場すると、首相はTV画面にむかって手をあわせ、思わずおがんでしまう。日本に議会制度が導入されてからもう一〇〇年以上もたつのに、まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである。恩人にむかって手をあわせるのは当然のことだ、と、首相は思っている。>
田中芳樹よ、日本に議会制度が導入されてからもう100年以上もたつのに、まだこんな単眼な視点で有権者を見下す事しかできないのですか(>_<)。これで民主主義を崇拝していると言うのですから、何かブラックジョークを聞かされているような気がするのですけど。
上記の社会評論のように、「首相の権力をささえて」いるのが「まだそんな反応しか示さない人たち」だけで構成されているというのは、よほど有権者と読者の双方を見下していないと言えることではありません。田中芳樹は「首相の権力をささえて」いる「自分と違う考えを持つ」人達を「愚か者」と断定しているのです。最初の社会評論で偉そうに「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである」と「牛種の尻尾」を批判した、その舌の根も乾かぬうちに、自分自身が「牛種の尻尾の所業」を展開するとは、田中芳樹は自分の社会評論さえもまともに読んでいないのでしょうか(笑)。
そもそも田中芳樹は、自民党政権がなぜあそこまで長期政権を維持できているのかという理由を、すこしは真剣に考えてみた事があるのでしょうか。上記の「機械技術文明」とやらについての問題提起と似たり寄ったりな理由ですが、日本の野党が、与党の政策に代わる現実的な代案を提言できない事こそが、日本の野党が政権を奪えない最大の理由だという事に気づいていないのでしょうか。ようやく政権を奪取した細川政権も村山政権も結局のところ、自民党にとってかわれるだけの現実的な代案というものを提言できなかったし、自民党以上の政策実行力もなかったではありませんか。ましてや、往年の旧社会党のように「反対のための反対」などをやっていては話になりませんし、挙句の果てには旧ソ連や中国・北朝鮮のエージェントのように行動していたのでは、「こんな連中に政権を任せても良いのか?」という一般国民の不信を買うのは当たり前です。彼らは「現実の日本政治」というものを真剣に考えてはいないということなのですから。
このような事実を無視して、「首相ないしは与党を支持している連中はみんな愚か者だ」などと言ってみたところで、それは「負け犬の遠吠え」というやつですし、第一、与党支持者に対する不当なレッテル貼りであると断言せざるをえません。与党支持者だっていろいろな事情や思想・利害関係などによって与党を支持しているという認識を持つ事は、政治を論じる以前の基本ではありませんか。田中芳樹の思想に合わないからといって、何故にそこまで与党支持者が貶められなければならないのでしょうか。それこそ、御自分の評された「牛種の尻尾」ではありませんか。
民主主義を崇拝しているくせに、物事を考える時には上記のような画一的発想と一方的断罪論しか浮かばないというのでは、結局のところ、田中芳樹にとって民主主義とは「日本断罪」のための道具でしかない、と断定されても仕方がないでしょうな。民主主義に不可欠な「多様な価値観との共有」という視点がまったくないのですから。これで他人サマに民主主義について説教を垂れることこそ、民主主義に対する冒涜ではないかと私は思うのですけど。
さて、残り3つの社会評論については、主にそれを語っているキャラクターの知識程度について論評してみたいと思います。といっても、今までの社会評論の論調からして、まともな評価は最初から絶望的なのですが(笑)。
田中芳樹作品の特徴として、ひとつの作品に必ずと言っていいほど「聡明な毒舌家」が最低ひとりはいるんですよね。むろんそれは田中芳樹作品の欠点ではなく、作品を面白くするための重要な要素なのですし、私もあの毒舌の論調が結構好きな方なのですが、こと創竜伝や薬師寺シリーズに関する限り、毒舌を支える知識があまりにも低レベルなものですから、せっかくの毒舌も発言者の低レベルぶりを際立たせるものにしかなっていません。「社会評論によるストーリー破綻」というのは、この辺りにもはっきりと表れているんですね。
それが最もはっきり表れているのが、下の竜堂続と仙界の漢鐘離の問答です↓
P161下段~P162上段
<「このごろは政治家まで環境保護を守ろうなんていいだしましたからね。利権の種でも見つけたんでしょうよ」
漢鐘離が口を挟む。
「政治家を信用しとらんようだが、なかには国民のためにつくす政治家もおるじゃろう」
「なかには!?」
続が冷笑をひびかせた。
「政治家は国民のためにつくすのが当たり前です。公僕なんですからね」
続の口調は辛辣をきわめた。
「小説を書く作家もいる、とか、試合に出るプロ野球選手もいる、とかいう表現をしますか。しやしませんよ。当然の職業上の義務ですからね。政治家だけがその義務を果たさなくていいわけがありません」
「野党もだめかね」
「日本の野党は与党のおこぼれにあずかりながら、永遠に野党の地位に安住して、政策上の責任をとろうとしないんです。同罪ですね」
「ちときつすぎるのではないかな」
「とんでもない。ぼくは政治家を賞したくてしかたがないんですよ」
続の毒舌はさらに辛辣さを加えた。
「だからすこしは賞められるようなことをしてほしいと思いますよ。裏金の受け渡しだけはどんどん巧妙になっているようだけど、そんなこと諸外国に自慢できるものでもないでしょう」
反論があるならいってみろ。そう続は態度にあらわした。漢鐘離はすぐには反応しなかった。仙茶の碗を両手でつつみながら、髯のみごとな神仙は答えた。
「とすると、そういう連中を助けるために、仙界が動く理由などないような気がするな」
爆発寸前の表情が、続の両目にひらめいた。
「要するに、あなたがたは何をやる気もないし、これまで三〇〇〇年間、なにもしてこなかったことに対して、責任をとる意思もないということですね」
「おい、続」
「失礼はわかっています、兄さん。でも何だってこんな老人のいやみをありがたく拝聴していなきゃならないんですか。ぼくたちが三〇〇〇年間、人類を支配して、まちがったやりかたで彼らを苦しめてしまったとしたら、そりゃあ頭をさげて、悪かった、助けてくれといいますよ。でもそうじゃない。第一、好きこのんでこんな風に生まれてきたわけじゃないんです。もうごめんですよ!」>
この文章ほど竜堂続の低能ぶりが露骨に滲み出ているところは、ちょっと記憶にありませんね。創竜伝1巻の「短気で粗暴な」の古田義国とどこが違うというのでしょうか。
まずストーリー上、竜堂兄弟は「仙界」に対して「染血の夢で混乱している人界に対する介入・援助」を乞うている立場にあります。それに対して、創竜伝における「仙界」は「人界」に対して「絶対中立・不干渉主義」を貫いているという設定になっています。そうであるならば、その「仙界」に対して説得する竜堂兄弟の論調は、当然「人界を救う事は仙界にとっても利益になる」か「人界を救う事には意義がある」というものでなくてはなりません。
ところが竜堂続は何を血迷ったのか、日本の与党も野党も「どうしようもないダメ組織とダメ政治家」と罵り、さらには「そういう連中を助けるために、仙界が動く理由などないような気がするな」と言ってのけた漢鐘離に対して「無責任」と罵るありさまです。ほとんど言いがかりな上に「誰彼かまわず罵っている」わけで、ここだけを見れば竜堂続は「短気で粗暴で低能」と古田義国と同様の評価を下されても当然ではありませんか。
「絶対中立・不干渉主義」を貫く「仙界」を動かす事は、よほどの理由がないとできません。「仙界」にして見れば、人界がどうなろうと知った事ではないのですから。このストーリー展開から考えられる説得は、
「人間は確かに悪い一面もあるが、その文化と歴史は必ずしも無駄なものではないし、その長い歴史の間に人間は少しずつ進歩してもきた。だから牛種という種族などのために人間が滅ぼされてはたまらない。本来ならば人間自らが牛種を討つべきなのだろうが、残念ながらまだ今の人間では力不足であるから、仙界の力を貸してほしい」
という論調にでもならないと「仙界」は説得できないと思うのですが、竜堂続が行った主張は上記のとおりです。いかに無思慮で低能で、しかも他人の思想や考え方に対する配慮が全くなっていないかが御分かりいただけるでしょう。「仙界」の方針から言えば、竜堂続の言に対する漢鐘離の受け応えは全く当然至極のものであると言わなければなりません。私が漢鐘離の立場にいたとしても同じことか、あるいはそれ以上の反論で返した事でしょう。
このような「低レベルな怒り罵り屋」でしかない竜堂続が、創竜伝では「聡明な毒舌家」であるというのですから、創竜伝全体の低レベルぶりも推測できようというものです。登場キャラクターに余計な政治批判などさせるから、こんな低能ぶりをさらけ出す事になるのです。結局このような描写が災いしたのか、創竜伝8でもっとも重要なテーマであったと思われる「仙界の協力」についてはほとんど曖昧なままに終わってしまっており、ストーリー的におかしくなっています。これなどは「フィクションだからこそ許されない」ストーリー描写であると言えましょう。ストーリーを破壊することはなはだしいのですから。
あと余談ですが、
「小説を書く作家もいる」
という文言は、そっくりそのまま「とうちゃん」に返すべき言葉でしょうね(笑)。
さらにもうひとり、「鳥羽茉理の姉」と自称している瑤姫なる人物もまた、創竜伝の低レベルぶりを象徴している毒舌家です。まあ所詮は「あの」鳥羽茉理の姉でしかないのですから当然といえば当然なのですが(笑)。
この御仁がまた、下の方で愚劣な社会評論を展開しております↓
P174下段~P175上段
<人界では日本で地震がおこり、死者・行方不明が二万人以上に達したようだという。
「東京は無事だったけどね。あなたがたの知人にも被害はないみたい」
「よかった、というわけにはいかないな。これからどうなるんだろう」
「各国に援助を求めるんでしょうね」
続の言葉に、始は小首をかしげた。
「援助してくれるかな。どこの国もそんな余裕はないはずだぞ」
「そうね。だいたい日本は評判よくないものね」
手きびしいことを瑤姫がいう。
「いつだったか、援助を求める国を物乞い呼ばわりしたわよね、日本の政治家が」
「そういうこともあったな」
「日本だって明治維新以来ずっとお金持ちだったわけじゃないでしょ。関東大震災の後とか、第二次大戦で敗れた後とか、ずいぶん他国から援助をもらったんでしょ。それが景気がよくなって援助するがわにまわったら、相手の国を物乞いよばわりだものね」
いいつのるうち、瑤姫は腹がたってきたようだ。
「すごいわよね。日本人ってそんなにえらいの。いま現在お金持ちなら、そこまで他国をばかにしていいの。日本人の辞書に、恩とか借りとか礼儀とか、そういう言葉はないの? 信じられないわよ、まったく」 >
瑤姫と竜堂兄弟の皆さん、あんたらの社会評論の辞書には、一貫した論理とか実証的検証とか相手に対する礼儀とか、そういう言葉はないんでしょうかね。信じられませんよ、全く(笑)。何が何でも日本を罵倒しようという意気込みだけは伝わってきますが、評論者の知性がひとかけらも感じられない論評ですね。
なるほど、瑤姫のいう「日本の政治家」は、確かに「援助を求める国を物乞い呼ばわりした」かもしれません。しかしそれ一事だけをもって「日本人全体が」そのように考えていると持っていく論理のスリカエは大したものですね。しかもいつものごとく「なぜそのような言動を行ったのか」という検証を全くやっていませんから、これだけを見ると、いかにもその政治家が悪党のように見えてきますね。
私には、その政治家の発言はそれほどの暴言にも思えませんけどね。そもそも日本のODA拠出額は世界1位であるというのに、どこからも御礼のひとつもこないどころか、むしろ当然のような顔でODAをふんたくっていく光景を見ていると、ウップン晴らしに「物乞い」呼ばわりもしたくなろうというものでしょう。特に中国なんて、1978年~1998年までの20年間に日本から三兆円ものODAが拠出されているにもかかわらず、中国は一言半句も礼を述べないばかりか、1998年の江沢民来日の際には「評価する」と、まるで「援助されて当然だ」と言わんばかりの言動をのたまっていましたからね。だから「ODAを廃止しろ」という主張さえあるぐらいです。だいたい、あのODAなるものは決して強制ではないのに、それを承知で日本が発展途上国に援助しているという事実くらい認めてやったらどうなのですかね。
さらには「日本の政治家の発言」の一事をもって「日本人全体が」そのように考えていると一気に論理を飛躍させるのですから、その論理の破綻ぶりは明らかでしょう。言うまでもなく「日本の政治家」と「日本人」とでは対象も日本語の意味も全く違います。上記の社会評論が「論理のスリカエ」でないのであれば、瑤姫の日本語能力には重大な欠陥があると言わざるをえませんが、まあいくら低能であるとはいえ、そこまで酷評するのも無慈悲に思えますから、とりあえず「悪意に満ちた論理のスリカエ」というラインで評価してあげましょうか(^^)。
さらに下の方でも、またまたトンデモな社会評論を展開しております↓
P175下段
<瑤姫は呼吸をととのえた。
「それにしたって、食糧も石油も自給できるわけじゃないし、保護貿易をやられても日本はこまるわけでしょ。他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいうのはどういうわけかしらね」
「友だちなんてもともといませんよ」
そう続はいったが、これはいささか身も蓋もなさすぎる意見だった。
「仙界の住人だって、そうえらそうにお説教できる柄じゃないけどね。日本人って、秀才自慢の割には外交と戦略のセンスがなさすぎるんじゃないかしら」
「いいかえれば向上の余地が大いにあるってことだ。有権者としてはそれに期待するよ。先は長いんだ」
「長ければいいんですけどね」>
これは一体いつの時代の考え方なのでしょうか。自らの時代認識が60年ばかり遅れていることも自覚せずにこんなタワゴトをいうのですから、低能はいけませんね(笑)。
「保護貿易をやられても」って、この人は現在の自由貿易体制が成立する歴史的経緯も知らないのでしょうか。1929年の世界恐慌と、その不況対策としてのブロック経済政策(つまり保護貿易政策)こそが第二次世界大戦の遠因であり、戦後その反省から世界的な自由貿易体制が作られたという「歴史的経緯」を知っていれば、その体制下で勝手に「保護貿易をやる」ということがその国にとっていかに命取りになるか、すこし考えてみればすぐに分かるでしょうに。
仮にそういう事情を抜きにして考えたとしても(そんなことはありえないが)、日本に石油や食糧を輸出している国だって、日本と貿易できなくなったら困ってしまうという事実も知らないのではないのでしょうか。日本という顧客がいなくなってしまったら、彼らの国の収入も重大な打撃を受けること間違いありません。それに日本の技術力で造られた製品は安価で高性能ですから、輸入できなくなったら向こうの国も大いに困るでしょうなあ(^-^)。この2つの事情から、現段階で日本に対して保護貿易を行う国が出てくる可能性は限りなくゼロです。ましてや「ただ嫌っているから」という理由だけで、日本に対して保護貿易を行う国が存在するわけがありません。日本だって、自由貿易体制の重要な一員として組込まれているのですから。
さらに「他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいう」って、政治や外交を個人的道徳観で語るとはどういう神経をしているのでしょうか。「仲良くしないといけない」とか「友だち」って、軍事同盟や貿易関係にそんなものがあろうがなかろうが関係ないでしょうに。かつての彼らの「とうちゃん」が他の作品で打算的同盟関係というものを見事に描写しているというのに、その「どら息子ども」(By銀英伝)は政治オンチまるだしな発言ばかり展開しているのですから困ったものです(笑)。
それに戦前の日本はいざ知らず、一体いつ現代の日本が外国に対して高圧的な態度にでたというのでしょうか。「周辺諸国」にいつもペコペコしている姿からは、とてもそんなものは見えてこないのですが。それに「友だちなんてもともといませんよ」と平気で言ってのける彼らは、インドや東南アジア・トルコなどの「親日国家」についてはどう考えているのでしょうね。田中芳樹が9巻で罵倒しているマハティール首相も、3巻で引用しているスハルト前大統領も、それから田中芳樹曰く「中国に帰属する予定の(笑)」台湾の李登輝総統も、それぞれ日本に対しては好意的な人なのですが、彼らの言動はどう説明すると言うのでしょうか。日本がそこまで嫌われていると言うのならば、彼らのような存在はありえないはずなのですが。「彼らは日本に対しておべんちゃらを使っている」とでも強弁するつもりなのですかね(笑)?
このように創竜伝の「聡明な毒舌家」とやらは、その毒舌を支えている知識がロクでもないものであるために、すこしも「聡明」ではないんですね。まあ創竜伝の悪役に比べれば「聡明に見えるかもしれない」のですけど(笑)。
創竜伝7の黄老といい、竜堂兄弟や瑤姫といい、こうも創竜伝の毒舌家のレベルが低いのは、無為無用な社会評論を語らせている「とうちゃん」に責任があるのですが、ストーリーを破綻させている要素としてはかなり重要なもののひとつなので、あえてキャラクターを論評してみました。「とうちゃん」ももう少しキャラクターを大事にしてくれたなら、ここまで酷評されずにすんだものを(T_T)。その意味では、低レベルな思考しかできない創竜伝のキャラクター達も、ある意味では社会評論の被害者であるかもしれませんね。
ま、たかがフィクション小説の、それも阿呆なキャラクター達に対してこんな哀れみをかけるなど、現実と虚構の混同ですし、感傷もいいところですが(笑)。
創竜伝8の社会評論はこれだけです。数的にはホントに少ないですわ。評論自体は物凄く長いのですけど、創竜伝の社会評論自体はたった6つしか取り上げていないのですから。
さて次は「仙界の矛盾」を前後編の2回にわけて論じてみたいと思います
>世の中には信じられないほどおせっかいな連中がいて、呼ばれもしないのに他人の家にはいりこみ、寝ている人をたたき起こしてナイフをつきつけ、「お前の性根をたたきなおしてやる」というのだ。
> この種の狂人は、権力の内にも外にもいる。権力を持たないときは、自分とちがう考えを持つ人に脅迫状を送ったり、いやがらせ電話をかけたりする。権力を持つと、言論を弾圧し、本を焼き、反対派を無実の罪で処刑し、新聞や雑誌を廃刊させる。
> 「そういったやりくちが牛種の文明の毒だとすると、それに染まった人間はいくらでもいるな……」
> 考えると、いやな気分である。
> 地球上には六〇億の人間がいる。その全員が同じ顔をしているというありさまを想像すると、誰でも気味悪くなるだろう。また、「全員を同じ顔にしてやれ」とたくらむ者はいないだろう。ところが、こと思想や信仰や価値観ということになると、「全員を同じにしてやれ」と考える者が、けっこういるのだ。自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである。
> このような「牛種の尻尾」たちが、一冊の本を読んだとする。内容が気にいらなければ、読むのをやめればいいのだが、彼らはそうしない。彼らは著者に、書くのをやめさせようとする。あるいは出版社に、本を刊行するのをやめさせようとする。自分の「読まない自由」を守るのではなく、他人の「書く自由」を侵害する。そして当人は、それを正義だと信じこんでいる。「正義病」の患者であり、狂信的・反社会的な宗教団体の信者にしばしば見出される。むろん、盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない。>
あらゆる思想は認められ、思想の違いによる弾圧は絶対やめさせるべき! その言や良し!
それでは他国の教科書に口を挟んでくるような某国を、まずセンセは批判するべきですな。「アウシュビッツは無かった」でマルコポーロを廃刊に追い込んだユダヤ人団体も批判。差別摘発運動の人権団体も批判。「我が闘争」を発禁にするドイツはけしからん。ネオナチを非合法化するなど思想の自由に対する重大な侵害である…etcetc…
大体「むろん、盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない」だって一つの正義じゃないですか。これが正義を定義する真理だとするなら、それは何を根拠に!?(私は著作権がイカンといっているわけではないですよ。念為)
人間は正義に対して完全に相対的ではいられない、という自覚がない人がもっとも重症な「正義病」の患者になるんです。これはいい症例ですね。
> 中国ものを書くときに中国の文物を片っ端から「盗作」しているのはどこのどいつでしょうか(笑)。私は「パクリ=模倣」と定義していますから、パクリ元もパクリネタもそれなりに評価するようにしていますけど、田中芳樹が書いている「三宝太監西洋記→鄭和伝」や「説岳全伝→岳飛伝」などは「パクリ」ではなく立派な「盗作」であり、一種の著作権侵害ではありませんか。また、「隋唐演義」や「中国帝王図」などは、元ネタになった参考文献や著者名を全く挙げておらず、まるで自分のオリジナル作品であるかのように書いていますので、これも「盗作」と言われても仕方がないようなシロモノです(以下、宣和堂さんのHP「田中芳樹・7つの大罪」より)。
古典に関しては著作権が消滅していますので、法的には問題無いですけど(「中国帝王図」はヤバげかも)、道義的な問題は別ですからね。むしろ、えらそうに説教している立場上、道義的な問題の方が重要かも知れません。
> P69下段~P70上段
> <フォードもライト兄弟も、人の世を進歩させるという高い目標を持ち、努力をかさね、工夫をこらし、血と汗と涙の末に、自動車を走らせ、飛行機を完成させた。偉大な仕事をなしとげたのだ。
> そしてその結果はどうだろう。自動車による事故で、日本だけでも一年間に一万人以上の人が死亡している。飛行機は軍事に転用され、「戦略爆撃」という名で非武装市民を爆殺することが正当化された。多くの科学者が無限エネルギーの夢を追った原子力は、まず兵器として使用され、多くの人命を奪った。平和利用されるようになってからも、事故によって大気と大地を汚染し、放射能のゴミを生みだし、完全処理する方法は発見されていない。
> 機械技術文明には最初から罠が仕掛けられていたのではないか、始はこのごろ思うのだ。努力、創意工夫、向上心、勤勉さ、知識欲、それら美点のすべてが、いま人類自身の生存をおびやかしつつあるようだ。それと気づいても、やめることができない。自動車も電気もない生活にもどることはできないのだ。ではどうすればよいか……。>
70年代くらいまでは「原発は社会主義国では利潤追求の必要がないから公害が出ず有用だ」という意見が左で結構ありましたから、そういう「代案」や「将来性のあるビジョン」に比べたらマシだと思いますね。もっともその手の幻想が徹底的に破壊された故にこう書かざるを得なかったのでしょうが。
ところで、中国古典をテーマにしている創竜伝ですが、黄帝の知恵袋である蒼ケツ(ケツは「吉頁」という字)の寓話は知っているのかな? ここにこの問題のすべての始まりが提示されているのですが(鬼哭啾啾-きこくしゅうしゅう-という故事です)
> 日本に議会制度が導入されてからもう一〇〇年以上もたつのに、まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである。
このような批判をする前提として、
1.このような民衆に依拠する民主主義という制度は原理的欠陥を抱えている
2.このような思想を持って保守党を支える民衆は愚民である
のいずれかの認識が必要ですよね。で、一体何をどうしたいのでしょうか?
> 「小説を書く作家もいる、とか、試合に出るプロ野球選手もいる、とかいう表現をしますか。しやしませんよ。当然の職業上の義務ですからね。政治家だけがその義務を果たさなくていいわけがありません」
> あと余談ですが、
> 「小説を書く作家もいる」
> という文言は、そっくりそのまま「とうちゃん」に返すべき言葉でしょうね(笑)。
わはははは! そういえばこんなのもありましたねぇ。
>それに「友だちなんてもともといませんよ」と平気で言ってのける彼らは、インドや東南アジア・トルコなどの「親日国家」についてはどう考えているのでしょうね
余談ですが、私は以前トルコを旅行したとき、日本人だということでレストランでデザートをおごってもらったことがあります(笑)。
本ページ管理人さんは書きました
> >それに「友だちなんてもともといません
>よ」と平気で言ってのける彼らは、インド
>や東南アジア・トルコなどの「親日国家」
>についてはどう考えているのでしょうね
>
> 余談ですが、私は以前トルコを旅行した
>とき、日本人だということでレストランで
>デザートをおごってもらったことがありま
>す(笑)。
是非ここの部分を、自称「愛国的」自虐漫画家、エセグルメ・ブームの火付け役の雁屋哲に読ませてやりたいもんですね。
自虐謝罪を徹底しないから、国際社会に友人がなく、捕鯨問題一つとっても味方してくれる国が現れないとほざく輩に。
雁屋哲に限っては、「愛国心はごろつきの最後の隠れ蓑」(アビス)という田中芳樹の好きな台詞は当てはまりそうです。
<余談ですが、私は以前トルコを旅行したとき、日本人だということでレストランでデザートをおごってもらったことがあります(笑)。>
フィンランドでは、日露戦争の日本海海戦を完全勝利に導いた東郷平八郎を記念した「アドミラル・ビール」が現在でも販売されているとか。
また、アルゼンチンの駐日大使は、日本に赴任する際に、日本海海戦当時の連合艦隊旗艦「三笠」を表敬訪問するそうです。
これらの事跡を見て、どうやって日本を「どこからも嫌われている国」と定義できるのでしょうね。もちろん「全員に好かれる」というわけにはいきませんから、日本を嫌っている国もあるでしょうが(特にお隣の中国)、そもそも「悪口をいわれないだけの人生」がいかに無意味であるかを、田中芳樹自身がアルスラーン戦記で論じているのに、なぜ日本に対しては「誰からも好かれなければならない」などと非現実的な事を言っているのでしょうか。すこしは自分が主張した正論ぐらいきちんと守れと言いたいところなのですが。
<是非ここの部分を、自称「愛国的」自虐漫画家、エセグルメ・ブームの火付け役の雁屋哲に読ませてやりたいもんですね。
自虐謝罪を徹底しないから、国際社会に友人がなく、捕鯨問題一つとっても味方してくれる国が現れないとほざく輩に。
雁屋哲に限っては、「愛国心はごろつきの最後の隠れ蓑」(アビス)という田中芳樹の好きな台詞は当てはまりそうです。>
雁屋哲って、あの「美味しんぼ」の作者でしたっけ?
あのテのグルメマンガは私にはあまりにも高尚すぎて訳分からなかったですね(爆)。一般人がめったに(というよりも全く)口にできない高級料理のマニアックなウンチクをあれこれ言われてもねえ……。
しかもあのテのマンガの料理勝負は「味見の後攻を取った方が絶対に勝つ」という法則があったために、料理評論家が味見する段階で勝負が見えてしまうという弊害がありましたからね(笑)。
そういえば田中芳樹も「夢幻都市」で料理評論家をこき下ろしていましたが、雁屋哲はどう評価しているのかな?
ところで雁屋哲は田中芳樹に思想が近いそうですが、彼は作品中でどんな主張をしていたのでしょうか?
このサイトでは数少ない(らしい)ファンとしては、何点かについて、擁護させて頂きます
> 上記の社会評論のように、「首相の権力をささえて」いるのが「まだそんな反応しか示さない人たち」だけで構成されているというのは、よほど有権者と読者の双方を見下していないと言えることではありません。
野党に関する評価はその通りでしょうが、有権者に関するこういった田中芳樹の主張は、一面では真実です。それは、「投票率が上がると自民党が負ける」という現実と、投票率の上昇を忌諱するような発言をする議員の存在を上げれば十分では無いかと思います。実際、自民等の主な支持基盤は地縁血縁で結果の決まる農村部ですし。
>続の態度
これは、前提を「仙界は既に下界に対する干渉を決定している」とすれば、無能とも言いきれません。では、何故そういった前提が成り立つか?これは、以下のように考えれば、全く不自然ではないと思います
1、仙界は中立志向だが牛種はそうでは無い(牛種による仙界侵攻の可能性)
2、前世の因縁(こうして書くと酷い設定。面白くする因子になれば文句は無いのだが…)による竜種への親近感と協力。
3、天界の政治を正道に復させる事への希望(君側の奸を撃つ)
4、以上から、牛種の勢力拡大を決定的にし、竜種復興の機を奪う地上支配の計画は阻止せねばならない
と言う前提に立てば、漢鐘離の言は竜堂兄弟を試す言葉に他成らず、ここで「悪い所もあるけど良い所も一杯…」等といえば、「悪い所の方が決定的に多い」という設定の地上を「正しく捉え」て居ない事となり、竜種は「頼むに足らない」物として協力・支援のレベルを落とさざるを得ない、と判断されたのでは無いでしょうか?私はここを読んだとき、別に疑問は感じませんでしたが。
> さらに「他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいう」って、政治や外交を個人的道徳観で語るとはどういう神経をしているのでしょうか。「仲良くしないといけない」とか「友だち」って、軍事同盟や貿易関係にそんなものがあろうがなかろうが関係ないでしょうに。
「友達を無くす」は明らかに比喩だと思いますけど。それは置いておくとしても、例えば政治家が事実であれ何であれ、失言・放言によって相手国の国民の精神を逆なですれば、それは当然外交関係に悪影響を与え、打算的同盟関係すら危うくするでしょう。インドとの対決を目指すパキスタン軍部の軍事クーデターが、市民からはかなり受け入れられて居る事を忘れてはなりません。ですから、「友達を無くすような」発言は十分に非難に値します。相手国が民主主義国家だったりすれば、さらに決定的でしょう。
「日系人に補償金(国連への拠出金、日本に展開する米軍の費用(ほとんど自分じゃ払ってないくせに)etc)を払うくらいなら、国内の福祉に回せ」とかなり感情的なことを言った(ている)、アメリカの少なくない議員達の後ろには、そう考える国民が居た(る)のですから。
<野党に関する評価はその通りでしょうが、有権者に関するこういった田中芳樹の主張は、一面では真実です。それは、「投票率が上がると自民党が負ける」という現実と、投票率の上昇を忌諱するような発言をする議員の存在を上げれば十分では無いかと思います。実際、自民等の主な支持基盤は地縁血縁で結果の決まる農村部ですし。>
申しわけありませんが、それはたとえが違うのではないでしょうか。
「投票率が上がると自民党が負ける」と言っても、それによって自民党が野党に転落した例は1993年の1回しかありません。しかもようやく与野党逆転が実現したにもかかわらず、細川内閣の失政や旧社会党の離反などで「野党は頼りにならない」ということをさらけ出してしまいました。これでは現実問題からして自民党を支持せざるをえないわけで、これを無視して国民を弾劾しても仕方がないと思いますが。自民党に「反対のための反対」ではなく「現実的な政策で対抗できる」野党がいれば、もうすこし話は変わってくるのでしょうけど。
第一、立派に民主主義的な手続きで行われている選挙で自民党を与党に選んでいる国民を指して「まだそんな反応しか示さない人たち」と貶めるというのは、田中芳樹の民主主義思想からいっても矛盾しているではありませんか。自分の思想が絶対に正しく、そうでない考えは愚かであるという思想は、民主主義というよりはファシズムの発想でしょう。そりゃ自民党だって全知全能ではない以上、現実問題としていくらかの失政はあるでしょうが、すくなくとも国民がそこまで罵倒されなければならないほどの暴政や圧政を侵しているわけではないし、現に経済的な高度成長を支えてきたという実績もあるではないですか。「政治は結果で評価される」という観点から見ても、国民が愚かな選択をしたとは思えませんが。
それに「投票率の上昇を忌諱するような発言をする議員が存在する」ということが、なぜ与党支持者が「まだそんな反応しか示さない人たち」で構成されているという結論に達するのでしょうか? 議員が投票率に関心をもつのは、それが自分の選挙当落に関係するからであって、国民の知識程度とは何の関係もありません。議員にとって、新たな支持基盤を作るのはかなり難しいことですから(政治家個人の主張と万人受けする論調というのは違うものであるため)、それで投票率が上がるのを忌避するのです。国会議員は選挙のたびに総数の3分の1ほどが「討ち死に」するそうですから、そりゃ大いに関心を持つでしょうな(^-^)。
それに田中芳樹は「与党支持者全部」を「何の留保条件も付加せずに無条件に」斬り捨て、しかも「不当なレッテル貼り」をしているのであって、「まだそんな反応しか示さない人たち」を特定して批判しているのではありません。だからこそ「与党支持者に対する貶め」であると断定せざるをえないのです。
>続の態度
創竜伝8の仙界に関する記述を見ていけば、「仙界は既に下界に対する干渉を決定している」という設定は成り立たないというのがはっきり見えてきます。それらを引用して見ましょう。
創竜伝8 P48上段~下段
<「すると崑崙にいる人たちは、全員が同じ意見ではないんですね」
「崑崙は昔の社会主義国じゃないのよ。反対の意見を持つのも、それを公然と表明するのも自由なの」
まじめくさって始はうなずいた。
「それはりっぱなことだ。で、その人たちはどうしてわれわれの訪問に反対なんだ?」
「むしろ反対論のほうが当然というべきね。地上の治乱興亡に干渉しない。それが本来、崑崙の方針だし、天界のさだめたところでもあるの。ずっとそうしてきたわ」
「地上がどんなにひどい状態になっても? ヒットラーやスターリンのような独裁者があらわれても?」
「どんなにひどい状態になっても」>
創竜伝8 P117下段~P118上段
<ようやく、神仙のひとりが発言を求めた。
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
古くは秦の始皇帝から、最近では毛沢東まで、どれほど強大な独裁者でも、次元の壁をこえて崑崙へ侵攻してくることはなかった。それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか。>
創竜伝8 P118下段
<西王母は独裁者ではない。神仙たちに頭ごなしに命令することはできないのだ。仮にそのようなことをすれば、一人一党ともいうべき神仙たちは反発し、仙界は統一を失うにちがいない。>
これらの記述を見てみれば、個々の神仙はともかく、すくなくとも「仙界全体の方針としては、人界に対して不干渉を決めこんでいる」と解釈するのが自然でしょう。したがって、「仙界全体」を「人界」に干渉させるためにも「干渉反対派」の神仙を竜堂続は説得する立場にあったわけですし、漢鐘離も「干渉反対派」として対処したわけです(あの記述から「竜堂続を試していた」という解釈にはかなりの無理があります)。それであの問答だったわけですから、いかに竜堂続が「短気で粗暴で低能」だったかが御分かりいただけるでしょう。
第一、「人界」が<「悪い所の方が決定的に多い」という設定>自体間違っていると言わざるをえませんし(それはストーリー上不必要な社会評論が主張していることです)、仮にそうだったとしたらなおさら「仙界」が「人界」に干渉する理由がないではありませんか。竜堂続に対する漢鐘離の発言は当然のものであると言わなければなりません。牛種が「仙界」に実際に攻めてこない限り、彼らは平和を享受できますし、超兵器をひけらかして牛種の妖怪を撃退していたところから言っても、「自己防衛」は十分に可能なのですから。
>議員の発言
確かに議員に限らず、自分の発言には責任を持たなければならないでしょう。ですがこの場合、その発言内容を何ら検証もせず、ただ「このような発言を行う事はけしからん」と言わんばかりの「悪のレッテル貼り」になってしまっています。日本では言論は自由なのですから、発言する事自体は自由でなくてはなりません。その場合、当然発言には責任も伴いますし、発言が不当なものであれば非難されても当然ですが、「これは事実で、自分の意見の方が正しい」と思うのならば、誤解を解くために自分の論調を展開して相手を説得する事こそ、「真の友好関係」といえるものなのではないでしょうか。
それが理解できず、お隣の某国のように、他国の神経を逆撫でするようなことを言ったら議員をやめさせろと内政干渉してくる事の方がよほど「友達をなくす」行為であると思うのですが。
それに、日本人の意見だっていろいろなものがあるというのに、その議員の発言がまるで「日本人の総意」であるという「レッテルを貼る」ことこそ、田中芳樹曰く「牛種の尻尾」だと断定されても仕方がないかと思いますが。そうでないというのならば、本当に瑤姫の日本語能力には致命的な問題があると言わざるを得ないのですけど。
P117下段~P118上段の引用文に抜けている所がありましたので、下に訂正文ともうひとつの追加文章を。
創竜伝8 P117下段~P118上段
<ようやく、神仙のひとりが発言を求めた。
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
古くは秦の始皇帝から、最近では毛沢東まで、どれほど強大な独裁者でも、次元の壁をこえて崑崙へ侵攻してくることはなかった。人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか。>
創竜伝8 P118上段~下段
<「三〇〇〇年前前、私は誤りを犯しました。公正と中立の区別をつけることができなかったのです。あのとき、中立とは責任回避と同じ意味を持っていたのに」
西王母は神仙たちのひとりひとりに語りかけるようすである。
「ただ、それはあくまでもわたしひとりの考えで、神仙がたに押しつけるつもりはありません。竜王たちをここへ招いたのは、神仙がたに圧力をかけるためではなく、彼らに自分たちの立場を納得してもらうためなのです」>
あとそれから、
<「友達を無くす」は明らかに比喩だと思いますけど>
という事に関しては、アルスラーン戦記のパルスとシンドゥラ、マヴァール年代記のザイツェル会盟の7カ国、それから銀英伝のキャラクター達が、「打算的同盟関係」を結ぶ際に決して「仲良くしよう」とか「友達」とか言わなかった事を考えてみれば、いかにマヌケな事を言っているかがお分かりいただけるでしょう。
創竜伝のキャラクターが政治を語るのならば、せめて架空歴史小説のキャラクターぐらいの認識に立ってもらわないと。
メアドの入れ忘れで、45分の成果が吹っ飛び、やる気が根こそぎにされたので、簡単に。
指摘個所は日本人の総体や、与党支持者全体に対する批判では無いと思います。権力基盤を支えている、と言うのは要するに投票率が伸びなければ、後援組織票によって選挙結果が決まる、と言う事実への批判でしょう。
また、地上界の滅亡は緩衝地域の消滅と「残すは仙界のみ」と言う状況の出現を意味します。牛種の戦力(含、篭絡した協力者の物)は竜種を正面から撃砕したほどですから、仙界は復活した竜種に協力せざるを得ません。
瑤姫の日本人論は感情の発露であり、また地上界より賢明と言う設定下においては、(そう思ってしまう事は)理解できるものだと思います。
>フォードもライト兄弟も、人の世を進歩させるという高い目標を持ち、努力をかさね、工夫をこらし、血と汗と涙の末に、自動車を走らせ、飛行機を完成させた。偉大な仕事をなしとげたのだ。
そしてその結果はどうだろう。自動車による事故で、日本だけでも一年間に一万人以上の人が死亡している。飛行機は軍事に転用され、「戦略爆撃」という名で非武装市民を爆殺することが正当化された。
ライト兄弟についての指摘は、すでに誰かがしていたとは思いますが、一応蛇足。
宮崎駿「空のいけにえ」(サン=テグジュペリ「人間の土地」あとがき)より
<空を飛びたいという人類の夢は、必ずしも平和なものではなく、当初から軍事目的と結びついていた。19世紀に、既に飛行機械は無敵の新兵器として空想科学小説に定着されていたし、実際にライト兄弟は陸軍への売込みに熱心し、硬式飛行船の発明家ツェッペリン伯爵が夢見たのは、敵の心臓部に爆弾の雨を降らす空中艦隊の建設だった。>
ついでに、同じ本から別の文を引用。
<自分の職業はアニメーションの映画作りだが、冒険活劇を作るために四苦八苦して悪人を作り、そいつを倒してカタルシスを得なければならないとしたら、最低の職業と言わざるを得ない。それなのに、困ったことに、自分は冒険活劇が好きだときている・・・>
この自覚の差。
<指摘個所は日本人の総体や、与党支持者全体に対する批判では無いと思います。権力基盤を支えている、と言うのは要するに投票率が伸びなければ、後援組織票によって選挙結果が決まる、と言う事実への批判でしょう。>
あの社会評論では、田中芳樹は投票率に関して何も言及していませんが? それに「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」という文章からしても、彼らが何の考えもなしに与党に投票しているという意味にしか取れません。第一、創竜伝のあの「利権に貪欲な日本国首相」が、自分に何ら寄与しない「選挙に投票する事がない人達」に対して感謝しますかね?
仮に「選挙に投票する事がない人達」を指していたとしても、今度は彼らに対する誹謗中傷になっていますね。「選挙に投票する事がない人達」と言っても、その事情はやはり様々なのですから(例えば特に支持する政党がないなど)、それを全部一律に並べて罵倒するなどあってはならない事なのではないでしょうか。
それに「投票しない人=政治に無関心」という単純な図式も私はどうかと思いますよ。今の政治状況では、「与党を支持してもダメ、かといって野党を支持したらもっと事情が悪くなる」と考え、無投票に走る人は結構いるのですから。無投票もまた一種の政治参加であると見るべきなのではないでしょうか。「消極的現状肯定派」という意味で。
<地上界の滅亡は緩衝地域の消滅と「残すは仙界のみ」と言う状況の出現を意味します。牛種の戦力(含、篭絡した協力者の物)は竜種を正面から撃砕したほどですから、仙界は復活した竜種に協力せざるを得ません。>
上記の説明と創竜伝のストーリー設定が大きく違っていますね。
まず牛種の目的は「人界を滅ぼすこと」ではなく「人界に新たな支配体制を構築すること」ですし、「人界」は「仙界」との緩衝地域ではなく、牛種の支配地域です。当初は世界の西半分の支配だったのが、19世紀以降の植民地侵略で全世界に拡大したという設定になっています。
それから「牛種の戦力(含、篭絡した協力者の物)は竜種を正面から撃砕した」というのは創竜伝9巻の月の戦いを指しているのでしょうが、そのとき九天玄女が現れて怪物を撃退していましたよね? しかも超テクノロジーを思いっきりひけらかして(笑)。
その記述から見てみれば、たかがあの程度の怪物にてこずっていた竜堂兄弟に対して「仙界」が協力しなければならない理由は全くありません。彼らだけで牛種を撃退することができるということなのですから。
仮にドロ改さんの設定が正しかったとしても、「仙界」の「干渉反対派」の神仙たちが牛種に対する危険認識を全く持っていませんから(No.143・146の引用記述を参照)、ドロ改さんの仰る通りに「仙界」が動くかどうかは疑問です。
これらから導き出される結論を言えば、どうしても竜堂続は「仙界の連中」を説得しなければならない立場に立たざるを得ないのですよ。だからこそ、あんな問答しかできないのでは「低能」と断定せざるをえません。全然相手を説得できていないのですから。
<瑤姫の日本人論は感情の発露であり、また地上界より賢明と言う設定下においては、(そう思ってしまう事は)理解できるものだと思います。>
ストーリー設定上「地上より賢明と言う設定」でありさえすれば愚劣な社会評論を主張しても良い、という事にはならないでしょう。むしろ「賢明」であるのならば、そう読者を納得させられるだけの理論を主張しなければなりません。そうなっていないからこそ、私は「瑤姫=低能」であると断定したのです。
第一、「聡明な毒舌家」ともあろうものが「感情の発露」のままにほとんど言いがかりな社会評論を展開するというのもねえ……。
> まずストーリー上、竜堂兄弟は「仙界」に対して「染血の夢で混乱している人界に対する介入・援助」を乞うている立場にあります。それに対して、創竜伝における「仙界」は「人界」に対して「絶対中立・不干渉主義」を貫いているという設定になっています。そうであるならば、その「仙界」に対して説得する竜堂兄弟の論調は、当然「人界を救う事は仙界にとっても利益になる」か「人界を救う事には意義がある」というものでなくてはなりません。
> ところが竜堂続は何を血迷ったのか、日本の与党も野党も「どうしようもないダメ組織とダメ政治家」と罵り、さらには「そういう連中を助けるために、仙界が動く理由などないような気がするな」と言ってのけた漢鐘離に対して「無責任」と罵るありさまです。ほとんど言いがかりな上に「誰彼かまわず罵っている」わけで……
ここを巡る冒険風ライダーさんとドロ改さんの議論を読んで、「鉄鍋のジャン」を連想してしまったのは私だけでしょうか?(^^;)
> 是非ここの部分を、自称「愛国的」自虐漫画家、エセグルメ・ブームの火付け役の雁屋哲に読ませてやりたいもんですね。
> 自虐謝罪を徹底しないから、国際社会に友人がなく、捕鯨問題一つとっても味方してくれる国が現れないとほざく輩に。
> 雁屋哲に限っては、「愛国心はごろつきの最後の隠れ蓑」(アビス)という田中芳樹の好きな台詞は当てはまりそうです
「美味しんぼ」に関して私は、料理モノとしては結構高く評価しています。物語やマンガとしての評価は、はっきり言ってどうでもいいと言うくらいのものですけれど(特に最近)。まあ、物語の類型化はこの手のマンガでは望まれていることでしょうから、批判するとすればどうしようもないくらいの人間観察眼のアマさ(これは退化していると言えるかも。少なくとも初期の雄山は捕鯨問題に関してこんなバカな事は言わない)と、強引な(創竜伝同様論敵を低能化する悪癖などがある)批評部分でしょうね。
しかしながら、美味しんぼの批評部分は雁屋哲の評論のなかでは相当まともなものなんですよね。捕鯨問題でも「自虐謝罪を徹底しないから、国際社会に友人がなく」という部分を除けばおおむね正論ですし。この人の文章(エッセイとか)は美味しんぼの比ではないです。創竜伝もかくやと思える嫌みったらしい文章は、はじめて読んだとき腰が抜けそうになりました。ですから、美味しんぼしか知らない人は雁屋哲が週刊金曜日のマンガの原作をやったと知ると驚きますが、彼の文章を知っていればすんなり受け入れられますね(逆に言えば彼の文章しか知らずに雁屋哲を批判している人は、美味しんぼを読んでから批判するべきだと思う)。
> 雁屋哲って、あの「美味しんぼ」の作者でしたっけ?
> あのテのグルメマンガは私にはあまりにも高尚すぎて訳分からなかったですね(爆)。一般人がめったに(というよりも全く)口にできない高級料理のマニアックなウンチクをあれこれ言われてもねえ……。
> しかもあのテのマンガの料理勝負は「味見の後攻を取った方が絶対に勝つ」という法則があったために、料理評論家が味見する段階で勝負が見えてしまうという弊害がありましたからね(笑)。
> そういえば田中芳樹も「夢幻都市」で料理評論家をこき下ろしていましたが、雁屋哲はどう評価しているのかな?
いや、別に美味しんぼは一般人が口に出来ない高級料理がどうこうって言うマンガではないですよ(そういうものを扱ったりもしますが)。「味見の後攻を取った方が絶対に勝つ」ってことも無いですね。
ちなみに、田中芳樹と雁屋哲を同じカテゴリということで強引にひとまとめに論じるのは、私としては相当に無理がある分類だと思います。
> フィンランドでは、日露戦争の日本海海戦を完全勝利に導いた東郷平八郎を記念した「アドミラル・ビール」が現在でも販売されているとか。
> また、アルゼンチンの駐日大使は、日本に赴任する際に、日本海海戦当時の連合艦隊旗艦「三笠」を表敬訪問するそうです。
> これらの事跡を見て、どうやって日本を「どこからも嫌われている国」と定義できるのでしょうね。
大東亜戦争時の連合艦隊にタイの軍艦が参加していることなども知らないんでしょうね。ああいう人たちは。
冒険風ライダーさんは書きました
> <指摘個所は日本人の総体や、与党支持者全体に対する批判では無いと思います。権力基盤を支えている、と言うのは要するに投票率が伸びなければ、後援組織票によって選挙結果が決まる、と言う事実への批判でしょう。>
>
> あの社会評論では、田中芳樹は投票率に関して何も言及していませんが? それに「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」という文章からしても、彼らが何の考えもなしに与党に投票しているという意味にしか取れません。第一、創竜伝のあの「利権に貪欲な日本国首相」が、自分に何ら寄与しない「選挙に投票する事がない人達」に対して感謝しますかね?
> 仮に「選挙に投票する事がない人達」を指していたとしても、今度は彼らに対する誹謗中傷になっていますね。「選挙に投票する事がない人達」と言っても、その事情はやはり様々なのですから(例えば特に支持する政党がないなど)、それを全部一律に並べて罵倒するなどあってはならない事なのではないでしょうか。
話がおかしくなっていませんか?「政治になんか興味が無い」おじさんは選挙に行かないでしょう。時間の無駄です。「政治の事はわかりませーん」と言う女子高生は、そもそも選挙権がありません。明らかに、田中芳樹が言及しているのは、「政治に関心を持たず」、「選挙に行かない」人間です。
ちなみに、田中芳樹はレッド・ホット・ドラグーンの6年前に出た「最新刊」後書きで、細川政権の発足を、「新政権の功罪を言う段階では無いが、政権交代自体は良い事に決まっている」、「今まで38年間政権交代が無かった事は異常」と言っています。恐らく、こう言った長期政権の硬直性への批判的スタンスがバックボーンでしょう。
> それに「投票しない人=政治に無関心」という単純な図式も私はどうかと思いますよ。今の政治状況では、「与党を支持してもダメ、かといって野党を支持したらもっと事情が悪くなる」と考え、無投票に走る人は結構いるのですから。無投票もまた一種の政治参加であると見るべきなのではないでしょうか。「消極的現状肯定派」という意味で。
上で書いたように、私は、田中芳樹が批判している対象を「政治的無関心」で「投票に行かない」人間だと解釈しています。その点で誤解を招く表現があったようですね。
> <地上界の滅亡は緩衝地域の消滅と「残すは仙界のみ」と言う状況の出現を意味します。牛種の戦力(含、篭絡した協力者の物)は竜種を正面から撃砕したほどですから、仙界は復活した竜種に協力せざるを得ません。>
>
> 上記の説明と創竜伝のストーリー設定が大きく違っていますね。
> まず牛種の目的は「人界を滅ぼすこと」ではなく「人界に新たな支配体制を構築すること」ですし、「人界」は「仙界」との緩衝地域ではなく、牛種の支配地域です。当初は世界の西半分の支配だったのが、19世紀以降の植民地侵略で全世界に拡大したという設定になっています。
支配地域ですが、例えば中国(苦笑)のような牛種の支配をある程度受け入れない国もありますし、関節統治とはいえ手間もかかるでしょう。(何せ、やっていることは多岐に渡っている様ですから)それを、彼等にとっての不安定要因である50億人を抹殺してしまえば、完全な安定領土と化すわけで、やはり座視できないのでは無いでしょうか?
> それから「牛種の戦力(含、篭絡した協力者の物)は竜種を正面から撃砕した」というのは創竜伝9巻の月の戦いを指しているのでしょうが、そのとき九天玄女が現れて怪物を撃退していましたよね? しかも超テクノロジーを思いっきりひけらかして(笑)。
> その記述から見てみれば、たかがあの程度の怪物にてこずっていた竜堂兄弟に対して「仙界」が協力しなければならない理由は全くありません。彼らだけで牛種を撃退することができるということなのですから。
失礼しました。8巻冒頭の記述がもとだったのですが、見なおしてみると敵艦隊の攻撃を、イゼルローン張りに跳ね返してました。
従って、以下のように予想できます。
1、その後、竜種撃砕される
2、何らかの陰謀等によって強制転生に放り込まれた
で、どちらにせよ牛種の戦力、又は謀略能力は竜種を凌いだわけでしょう。2であったとしても、竜種を滅ぼして1強皆弱状態になっていますから、やはり仙界にとっては脅威のはずです。何せ牛種は天界の戦闘民族ですから。
そして、さらに言うと、竜種と言うのは「錦の御旗」でしょう。牛種はその態度(平気で天主に誓った約束を破ったりしてますし、って「悪役」だから、でいいですね)等から、いかにも内部の敵が多そうですし、それに対抗して「義に殉じた」(予想ですが、それ以外に考えられないでしょう。実力を持って先制攻撃で牛種を叩いていれば、敗北はありえないんですから)竜種は天界の勢力を塗り替えるジョーカーになりうるはずです。
けれど、言われてみると確かに続の態度は……。読者の要求でしょうかね?例えば、批判の矛先が牛種支配を黙認していた仙界に向かうのなら、まだ理解できますし、ストーリー・キャライメージとも傷つかずに済むかもしれませんが…。深く考えては行けないのか、それとも思いっきり深読みするか。この辺りマトリックスに通ずる所もありますが、何か良い解釈を思いついたら書かせていただきます。はい、シャーロキアンの如く(誉め言葉です。念の為)
<瑤姫の日本人論は感情の発露であり、また地上界より賢明と言う設定下においては、(そう思ってしまう事は)理解できるものだと思います。>
> ストーリー設定上「地上より賢明と言う設定」でありさえすれば愚劣な社会評論を主張しても良い、という事にはならないでしょう。むしろ「賢明」であるのならば、そう読者を納得させられるだけの理論を主張しなければなりません。そうなっていないからこそ、私は「瑤姫=低能」であると断定したのです。
恐らくその辺りは、社会評論で地上のどうしようも無さを喧伝しておいて、瑤姫に喝破させると言う形になっているのでしょう。あの社会評論を純粋に「世界設定」として見た場合、瑤姫の発言中の過ちは、「根拠の無い責任の全体化=言い掛かり」のみになります。確かに、この考え方は、突き詰めるとボリシェビキまで行ってしまう危険性を持っていますが、そもそも田中芳樹が犯している過ちに薄皮一枚上塗りしただけでしょう。何が言いたい可と言うと、取りたててこのキャラクターを論う意味は見出せないのですが。創竜伝中の一スポ―クスマンに過ぎないと思います
<話がおかしくなっていませんか?「政治になんか興味が無い」おじさんは選挙に行かないでしょう。時間の無駄です。「政治の事はわかりませーん」と言う女子高生は、そもそも選挙権がありません。明らかに、田中芳樹が言及しているのは、「政治に関心を持たず」、「選挙に行かない」人間です。>
それはあまりにも無茶な論理の飛躍ではないでしょうか。「政治には興味がないけど選挙日になったら投票しに行く」人だっていますし、そもそも選挙について言及するのならば、選挙権のない女子高生を例に取り上げるのは明らかに不適切なたとえではありませんか。選挙で投票したくても投票できない人間の考え方をあげつらって選挙問題を批判するのはお門違いというものです。
あの社会評論の文章構成を言えば、前半の方で「政治に無関心」な人間をことさら仰々しく取り上げ、後半の部分「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」で、彼らのような「まだそんな反応しか示さない」人間が積極・消極を問わず「首相の権力をささえてくれる」連中であり、けしからん奴らだとレッテルを貼っている、というのが普通に文章解釈をしたらはじき出せる結論でしょう。特に「首相の権力をささえてくれるのである」という文言が、積極・消極を問わず彼らが与党ないしは首相支持者であることをきちんと指しています。あの評論で最も重要なところは前半部分ではなく後半部分です。
第一、あの社会評論で田中芳樹は「選挙」ないしは「投票率」については一言半句も言及していないのですから、選挙論を論じているという解釈にはかなりの無理がありますよ。
それに田中芳樹は、選挙と有権者の関係については別の所でこう語っています↓
創竜伝5 P223下段~P224上段
<「東ヨーロッパでは、一党独裁の全体主義体制がつぎつぎと崩壊しています。腐敗した権力者たちもどんどん追放されていますが、日本の政治は、今度のことですこしは変わるのでしょうかね」
「さあ、そいつはどうかな。東ヨーロッパの諸国民は、これまで政治の腐敗を追及する権利を持っていなかった。日本人はずっと前からその権利を持っていたはずなんだがな」
始の片手には、丸めた朝刊が握られている。その朝刊の社会面には、OLの代表という女性の発言が掲載されていた。
「わたしたちは選挙で投票するとき、内容より顔で選ぶ。候補者はもっとファッションや美容に気を使ってほしい」
日本は自由の国だ。政治家を顔で選ぶのも、腐敗した貪欲な政治業者に権力を与えつづけるのも、日本人の自由である。ただ、自由に何ごとかをおこなえば、その結果には責任が生じるというだけのことだ。世界一、知能指数が高いと自慢する日本人は、そのことを充分にわきまえているだろう……たぶん。>
これはドロ改さんが仰っている「田中芳樹は、政治に関心がなく投票に行かない人達を批判対象にしている」と大きく矛盾しますが、どうでしょう。ここでも、投票率については言及しておりません。
2つの文章を照らし合わせると、田中芳樹は「選挙に行かないこと」を批判しているのではなく、自分の大好きな「万年野党」が政権を取る事を邪魔している与党支持者を否定し、しかも「日本の政治は圧政と暴政」という架空の前提の元に、与党を選んでいる彼らの思考水準が低レベルなものであるとレッテルを貼っているとしか解釈できません。人には十人十色でいろいろな考え方があるというのに、これほど模範的な「牛種の尻尾」の事例はありませんね。創竜伝8の最初の社会評論で語った↓
<地球上には六〇億の人間がいる。その全員が同じ顔をしているというありさまを想像すると、誰でも気味悪くなるだろう。また、「全員を同じ顔にしてやれ」とたくらむ者はいないだろう。ところが、こと思想や信仰や価値観ということになると、「全員を同じにしてやれ」と考える者が、けっこういるのだ。自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである。>
とのたまってみせた自分自身の主張は、一体どこに言ってしまったのでしょうか(笑)。
<ちなみに、田中芳樹はレッド・ホット・ドラグーンの6年前に出た「最新刊」後書きで、細川政権の発足を、「新政権の功罪を言う段階では無いが、政権交代自体は良い事に決まっている」、「今まで38年間政権交代が無かった事は異常」と言っています。恐らく、こう言った長期政権の硬直性への批判的スタンスがバックボーンでしょう。>
それならば有権者を批判するよりも先に「なぜ自民党の長期政権が38年間も続いたのか」という命題を、もう少し真剣に検証する労ぐらい払ってもよさそうなものなのですけど。あの社会評論を語っている姿勢を見るに、とてもそんな労を払ったようには思えません。何の検証もなしに「全部有権者が悪い」と決めつけるのは、さぞかし楽な行為なのでしょうね。そのような断定こそ、田中芳樹の嫌う「陰謀史観」と全く同じものであるというのに。
ちなみに「なぜ」というのは「私の創竜伝考察24」で論証している通りです。あの事情を無視して有権者の姿勢を問うても仕方がないと思うのですが。
>牛種の脅威と「仙界」の対応
実際に「仙界」にとって牛種が「脅威」であるのかどうかも疑問ですが、仮にドロ改さんの仰る通り脅威であるとしましょう。
しかしそれに対する「仙界」の反応を見てください。どう考えても牛種に対して脅威を覚えているようには見えませんよ。漢鐘離に至っては「人界で何が起ころうが、仙界には関係のないこと」とまで言いきっています。こんな状態でドロ改さんが仰る通りに「仙界」が動くものでしょうか?
目の前に脅威があることと、その脅威を「脅威と認識すること」は全く違います。この場合、「仙界」が牛種を「脅威」と認識しなければ、「仙界」は牛種に対して何の対策を練ることもありません。冷戦時代の社会党が「ソ連や中国・北朝鮮は絶対に攻めてこないのだから自衛隊を全廃しろ」と、目の前の脅威を「脅威」と認識していなかったという例もあるではありませんか(まあ彼らは確信犯的にウソを言ってもいたのでしょうが、昨今の軍事問題でも似たような論調があります)。だからこそ竜堂続は「仙界」の「干渉反対派」を説得しなければならないのです。
しかし、目の前に「脅威」があるのならば、「仙界の連中」が牛種を「脅威」と認識していないというのもかなりおかしいんですよね。いくら何でも「仙界の連中」がそこまで無能・低能であるとも……考えられるところが怖いのですが(笑)、実際、創竜伝をいくら読んでも牛種が「仙界」に対する脅威であるとはどうしても読めないんですよね~。瑤姫や神仙たちも「暇つぶしで人助けをする」みたいな事を言っていますし(創竜伝8 P163)。
まあ本題である「続の態度」が低能なものであるという主張は納得していただけたようですし、「仙界の矛盾」についてはこの先の「私の創竜伝考察シリーズ」で論じていきますので、それまで「仙界」についての議論は保留していただいてもよろしいでしょうか?
<恐らくその辺りは、社会評論で地上のどうしようも無さを喧伝しておいて、瑤姫に喝破させると言う形になっているのでしょう。あの社会評論を純粋に「世界設定」として見た場合、瑤姫の発言中の過ちは、「根拠の無い責任の全体化=言い掛かり」のみになります。確かに、この考え方は、突き詰めるとボリシェビキまで行ってしまう危険性を持っていますが、そもそも田中芳樹が犯している過ちに薄皮一枚上塗りしただけでしょう。何が言いたい可と言うと、取りたててこのキャラクターを論う意味は見出せないのですが。創竜伝中の一スポ―クスマンに過ぎないと思います>
そういう反論がこないようにと、キャラクター評論を始める前と後に「注意書き」を書いておいたはずなのですけど。
確かに創竜伝のキャラクターが愚劣な社会評論を語りまくっている責任は「とうちゃん」にあるでしょう。しかしそれとは別に「キャラクターが愚劣な社会評論を語る事によるストーリー破綻」というものは言及しておく必要があるのです。そうでないと「確かに社会評論はひどいかもしれないが、ストーリーとは何の関係もないじゃないか。ストーリーは非常に良くできている」などと言いだす人が出てくるのですから。その反論を封じるためにも「社会評論がストーリーを破綻させている」事例を挙げておかなければなりません。
今回論じたストーリー破綻とは、「聡明な毒舌家であるはずのキャラクターがマヌケな主張を展開している」ことによる「ストーリーとキャラクター性の破壊」なのですから、その結果として竜堂続や瑤姫を「低能」と断定してみせたのです。彼らに限らず、創竜伝の「聡明な毒舌家」なるものの実態はどいつもこいつも似たり寄ったりです。だから論評対象は別に瑤姫でなくとも「創竜伝における聡明な毒舌家」ならば誰でも良かったのですが、瑤姫の社会評論が今回のストーリー破綻を証明するのにとても理解しやすいものであったので、あえて取り上げたのですよ。「聡明な毒舌家」という設定にもなっていましたしね(^-^)。
だから別に私は瑤姫ひとりを「低能」と断定して快哉を叫んでいたのではなく、上記のストーリー破綻の一構成要素として、竜堂続とともに「あえて」論じたのです。そこは御理解いただきたいですね。
PS.
毎度好例になったような気もしますが、管理人さん、70000ヒットおめでとうございます。
ところで「鉄鍋のジャン」について教えていただけないでしょうか? ちょっと気になりますもので(^^;;)。
取り敢えず、下二つに付いては解りました。
ですが、これに関しては、どうも議論が噛み合っていないようなので
> <話がおかしくなっていませんか?「政治になんか興味が無い」おじさんは選挙に行かないでしょう。時間の無駄です。「政治の事はわかりませーん」と言う女子高生は、そもそも選挙権がありません。明らかに、田中芳樹が言及しているのは、「政治に関心を持たず」、「選挙に行かない」人間です。>
>
> それはあまりにも無茶な論理の飛躍ではないでしょうか。「政治には興味がないけど選挙日になったら投票しに行く」人だっていますし、そもそも選挙について言及するのならば、選挙権のない女子高生を例に取り上げるのは明らかに不適切なたとえではありませんか。選挙で投票したくても投票できない人間の考え方をあげつらって選挙問題を批判するのはお門違いというものです。
> あの社会評論の文章構成を言えば、前半の方で「政治に無関心」な人間をことさら仰々しく取り上げ、後半の部分「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」で、彼らのような「まだそんな反応しか示さない」人間が積極・消極を問わず「首相の権力をささえてくれる」連中であり、けしからん奴らだとレッテルを貼っている、というのが普通に文章解釈をしたらはじき出せる結論でしょう。特に「首相の権力をささえてくれるのである」という文言が、積極・消極を問わず彼らが与党ないしは首相支持者であることをきちんと指しています。あの評論で最も重要なところは前半部分ではなく後半部分です。
> 第一、あの社会評論で田中芳樹は「選挙」ないしは「投票率」については一言半句も言及していないのですから、選挙論を論じているという解釈にはかなりの無理がありますよ。
ええと、私の書き方が悪かったのかもしれませんが、私は田中芳樹が選挙論をぶっているとは言っていません。構造として、
1、作品中の前提
政治に関心を持たない人間が愚かな首相の権力を支えている
2、WHY?(あくまで作品中での設定、すなわち田中芳樹の考え(?))
(1)冒険風ライダーさんの解釈
政治に関心を持たない人間が、何も考えずに投票しているから
(2)私の考え
政治に関心を持たない人間が多数を占めているので、いくら首相がアホでもそれを引き摺り下ろそうとしない。結果、首相の(政党の)政権は長期安定。
と言う事では無いでしょうか?そして、私が選挙での投票率云々を言い続けたのは、これをミクロな視点で見た時に発生する現象面を論証しようとしていたからです。
ですから、最初に
>野党に関する評価はその通りでしょうが、有権者に関するこういった田中芳樹の主張は、一面では真実です。それは、「投票率が上がると自民党が負ける」という現実と、投票率の上昇を忌諱するような発言をする議員の存在を上げれば十分では無いかと思います。実際、自民等の主な支持基盤は地縁血縁で結果の決まる農村部ですし。
と書いたのです。解っていただけたでしょうか?
> それに田中芳樹は、選挙と有権者の関係については別の所でこう語っています↓
私は、あの場面における論点を見ているつもりなので、他の場面での田中芳樹の主張は置いておきます
> 毎度好例になったような気もしますが、管理人さん、70000ヒットおめでとうございます。
ありがとうございます。もうすぐ一周年ですが、一年間続けられたのも皆さんのおかげであると思います。本当にありがとうございます。
ただ、複雑なのは、本来このようなサイトは短命であったほうが望ましいのですよね。撃つことが無くなることが本旨なんですから。
しかし、最近の田中芳樹の態度を見る限り、このサイトの必要性はまだまだ無くならないようです。
…なんだか、誰かが大好きな万年野党みたいだよなぁ、このサイト。
> ところで「鉄鍋のジャン」について教えていただけないでしょうか? ちょっと気になりますもので(^^;;)。
週刊少年チャンピオンに連載されている異色料理マンガです。本来、こういう料理マンガは審査員のことを考えて料理をするものですが、このマンガの主人公の秋山醤(ジャン)は、審査員に散々悪態をつきまくり、勝つためにマジックマッシュルーム料理を食わせて審査員をラリらせたり、勝たなければいけないのにミミズを食わせたりするような態度が、件の続くんに似ているなぁ、と感じたのです(^^;)
う~ん、やはりあの評論が残ってしまいましたか(^^;;)。たぶんあれはもう一回反論がくると思っていましたので、以下に本当のまとめを。
<政治に関心を持たない人間が多数を占めているので、いくら首相がアホでもそれを引き摺り下ろそうとしない。結果、首相の(政党の)政権は長期安定。>
仮にあの社会評論の上記解釈が正しかったとしても、現実世界の評論としてはどう考えても大間違いでしょう。実際、毎日のように政治批判が展開されていますし、それによって辞任に追いやられる政治家も多いのですから。首相の辞任としては、故・田中角栄元首相が文藝春秋の記事と世論の盛り上がりによって辞任に追いやられた例があります。田中芳樹が思うほど国民はバカじゃありませんし、自民党に盲従しているわけでもありませんよ。
それに「政治に関心がない人たち」について論じるのならば、やはり「野党が頼りにならない」という「根本の原因」を論じなければ意味がありません。これこそが「国民を政治的無関心に走らせている」そして「有権者が自民党を支持せざるをえない」原因のひとつなのですから。
<私が選挙での投票率云々を言い続けたのは、これをミクロな視点で見た時に発生する現象面を論証しようとしていたからです。>
「現象面だけを見れば確かに正しいかもしれない」という類の評論は、確かに創竜伝の社会評論にもいくつかあるのですけどね~。投票率が低いというのも確かに事実ではあるのですが。
しかしあの評論に限ったことではないのですが、評論を語る際に「現象面だけを見て批判」し、しかも「悪のレッテルを貼る」というのはいかがなものでしょうか。軍事関連特集で検証した「日本の戦車は道路を走れない」や「日本の軍事費は世界第三位」なども、確かに「現象面だけを見れば」正しいものだったでしょうが、それであの社会評論の日本批判は「正論」と言えるものだったでしょうか?
批判を行うために評論を書くというのならば、当然そこにはルールというものがあるのではないでしょうか。あの社会評論で言うならば、「なぜここまで政治に無関心な人間が多いのか」あるいは「なぜ自民党はここまで長期政権を維持できるのか」という事を徹底的に検証し、その上で「本当の問題点」を炙り出さなければ、何ら「建設的批判」にはなりえませんし、ましてや「現象面だけを見て批判する」に至っては大マヌケもいいところです。あの社会評論は何ら「本当の問題点」を指摘していないし、まともな検証を行った形跡すらもありません。ただ「自分の考えに合わない有権者」を罵倒しているだけです。
「小説なんだからそこまで徹底検証をやらなくとも」と言うかもしれませんが、本気で日本批判の社会評論をやりたいのならば、小説部分を完全に潰してでもそこまでやるべきですし、できないのであれば社会評論を語るべきではないですね。評論には「検証」と「原因究明」が絶対的に必要なのですから。そもそも日本の有権者の政治意識を語る事が、創竜伝のストーリーの本筋と何の関係があるというのでしょうか。それを無視し、ストーリーを破壊してまで評論を語ると言うのですから、当然その評論にはもっと力をいれてもらっても良いと思うのですが、現実にはあの出来でしかありませんからな~(>_<)。
ついでに言えば、あの社会評論の「政治の無関心はけしからん」という論調は、明らかに他人の「思想の自由」に干渉しているわけで、田中芳樹が創竜伝8の最初の社会評論で論じた「牛種の尻尾」の論理そのものだと思うのですが。
創竜伝の社会評論は、社会評論同士の相互矛盾まで引き起こしているのですから、これを理論的に弁護するのは至難の技です。だから私も、とっくの昔に弁護については投げ出してしまったんですけどね(笑)。
「創竜伝のシャーロキアン」というのは恐ろしく難易度の高いものです。何しろ、あのデタラメなストーリーや社会評論をうまくつじつま合わせなければならないのですから。しかし創竜伝を本気で擁護するのならばこのレベルにまで行かなければなりませんからね。
前途多難だとは思いますが、シャーロキアン的な創竜伝擁護、期待しております。
>「鉄鍋のジャン」
週刊少年チャンピオンですか。それは守備範囲外でしたね。「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」は読んでいるのですが、「チャンピオン」だけがなぜか読んでいないんですよね。どうもとっつきにくいと言うか。
それにしてもその主人公、よくまあ竜堂続のような態度で料理勝負をやっていけますね。「審査員に散々悪態をつきまくり」とか「勝たなければいけないのにミミズを食わせた」とかやっているのに、それで料理勝負に勝っていっているとしたらある意味ギャグマンガですね(^^;;)。
興味を覚えましたので、今度立ち読みしてみますわ。
おおむね理解しました。
創竜伝のこの部分の社会評論は、銀英伝の
「『政治なんて俺達には関係無いよ』と言う一言は、それを発した者に対する権利剥奪の宣告である。政治は、それを蔑視した物に対して、必ず復讐するのだ。ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに」(銀英伝10巻P234下段)
と言う評論(?)と言っていること自体は変わらないんですよね。ただ、場面設定が間違っているだけで。これが例えば対象を七都市物語の一都市にでもしていれば、突っ込みどころも無かったでしょうに。ひょっとして、田中芳樹は自分が罵倒している相手が、「同盟の愚かな市民」や「帝国の無能な貴族」でなくなっている事を忘れてしまったのでしょうか……?
でも、そうだとしたら、現代を舞台に物を書かなければ希望があるって事になったりして^^;
あ、それとこれは余談
日本の野党は、実は完璧に目的を果たしてますよ。だって、政権についた後のビジョンは無いので、政権を取る必要は無く、一番強く主張している護憲・平和路線の堅持を、常に1/3以上、1/2未満(笑)の議席確保によって達成しているんですから^/^
勿論冗談ですが。