前回の創竜伝考察からずいぶんと時間が経ってしまいましたが(^^;;)、「仙界の矛盾・後編」は、「仙界のストーリー設定上の矛盾」を論じてみたいと思います。
しかし創竜伝をいくら読んでみても、「仙界」の実態というものはなかなか分かりづらいものがありますね(笑)。意図的かどうかは知りませんが、小説中の支離滅裂な描写とキャラクターが語る社会評論のために、小説における「仙界」の設定はかなり破綻してしまっていますからね~(>_<)。田中芳樹自身にさえ、「仙界」については正確な実態を把握できてはいないのではないでしょうか(笑)。
まあ創竜伝自体がかなりいいかげんな世界設定で構成されているのですから、その破綻した世界設定の一構成要素である「仙界の設定」が矛盾に満ち溢れていても全然不思議ではないのですが(笑)、「仙界の矛盾」の特徴は、「仙界及び仙界の連中の思想や評論」と「仙界を含む創竜伝の世界設定」とに大きなずれがあるということでしょう。全く、よせばいいのに余計な社会評論をキャラクターに語らせるものだから小説中の設定が崩壊してしまうのですけどね~(>_<)。
さて、一口に「仙界のストーリー設定上の矛盾」と言ってもいろいろとあるのですが、私が見た所では、おおまかに分けて次の5つほどに分類されます。
1.「仙界」の「牛種と人間論」
2.批判対象が不明瞭な人界批判
3.人界に対する「仙界」の基本方針
4.超文明を誇る「仙界」の「神秘主義批判」
5.タイムトラベルに見られる「仙界の行動原理」
他にもあるのかもしれませんが、明らかにストーリー設定を破壊している矛盾はこの5つですね。どれもこれも「余計な評論やお説教を展開している事によるストーリー崩壊」ですが、「仙界」の評論の特徴として「人間に対する無限の蔑視」というものがあり、これがストーリーに悪影響を与える事はなはだしいのですがね。そもそも人間を蔑視している点においては「仙界」も牛種も同じレベルでしかないというのに、こんな連中に竜堂兄弟が「人界に対する干渉」を求めているというのが何とも言えませんな(>_<)。
なお、今回はかなりストーリー内容に立ち入って評論しますので、相当マニアックな評論になると思いますが(^^;;)、そこはご了承いただきたく思います。できるだけ分かりやすくするつもりですが。
それでは、そろそろ始めましょうか。
1.「仙界」の「牛種と人間論」
創竜伝8では「なぜ牛種の人界支配が続くのか」という命題で、西王母親子や竜堂兄弟たちが論争を繰り広げていますが、その中に「人間と牛種との思想的共通項」というシロモノがあります。その部分を引用してみましょう。
創竜伝8 P107下段~P109上段
<西王母は小さく息をつき、表情をあらためた。そして、あいかわらずおだやかな口調で重大なことを告げた。
「牛種が三〇〇〇年もの支配に成功した理由の大きなもの。それは人間本来の性情に、牛種の支配法がよく合致していたからです。けっして恐怖や詐術だけで支配したわけではありません」
(中略)
「人間の望みは、選ばれることです」
「選ばれること……ですか」
「そうです。選ばれること。選挙で当選することではありませんよ。絶対的な権威に選ばれること、偉大な存在に選ばれることによって、他人より高い位置に立つことです。選んでくれるのは、神であったり天使であったり宇宙人であったりします」
母の足もとにひざをくずしてすわっていた瑤姫が声をあげて笑った。
「そう、選民思想よ。ごく他愛もないものもあるわよね。オカルト雑誌の投書欄に良くある文章。自分たちは選ばれた戦士だ、特別な存在で、他の人たちとはちがうんだ、って。そして待ってるの。誰かが、戦う相手を教えてくれることを。何のために戦うのかを教えてくださることをね」
すこし怒ったような上気した表情で、瑤姫は掌を床に軽く打ちつけた。
「そうなのよ。教えてもらいたがってる。指示してもらいたがっているのよ。すぐれた人間とやらは、おえらい人から指示をもらわないと、自分が何をしていいのかもわからないのかしらね!」
「それはマニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間だと思っているからよ。彼らにとっては、マニュアルを与えてくれる人が神様なの。彼らはロボットのほうが人間より進化した存在だと思いこんでいるのよ」
そう姉に答えたのが玉扈で、口調はおだやかだが内容はなかなか手きびしい。さすがに瑤姫の妹で茉理の姉だけのことはある。>
今までの創竜伝の愚劣な社会評論から、創竜伝にまともな評論を期待するのは無理だとは思っていましたが、案の定この「人間論」でも現実離れした論調を展開していますな(笑)。この「人間論」、小説の設定としても評論としても愚劣なものでしかありません。
まず西王母親子は「人間本来の性情には選民思想がある」とのたまい、さらに「人間は偉大な存在(神や天使や宇宙人)に選ばれることを望んでいる」などと主張していますが、連中はこのような評論を述べる前に、自分達自身が「偉大な存在」であり、「人界」の科学力をはるかに凌ぐ「超テクノロジー」を持ち、しかもいいかげんかつ無用な社会評論を展開して「人界」の人間を見下しているという事実を、もうすこし直視してもらいたいものなのですがね。「特別な世界の住人であるという選民思想」を全く自覚していない「仙界の連中」が、「人界」の「選民思想」を批判するというのですから、何か悪い冗談を聞いているようにしか思えないのですが。
それに瑤姫と玉扈が、その「選民思想」の批判手段として「マニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間だと思っているからよ」などと言うに至っては、「あんたらも世間知らずでシアワセなものですな」とでも言ってやりたくなってしまいますな。彼女らは人間の組織の基本も知らないのでしょうか。あ、彼女らは「仙界」という狭い世界に閉じこもって「人間蔑視」の空想にふけっているだけだから、そうなるのも当たり前か(笑)。
人間というものは「仙界の連中」や竜堂兄弟と異なり、一人で生きられるものではありません。一人で独立して生計を立てられるごく少数な人々を除いて、人間は何らかの組織に従事しているものです。この場合の「組織」というのは国家でも会社でも学校でも何でも良いのですが、自らの生計を立てるためにに組織に従事している以上、その組織の「マニュアル」に従うのはごく当然の事ではないですか。「マニュアル」に逆らうような行動をとれば「組織の秩序を乱した」ということになりますし、「マニュアル」にないからといって自由に行動できるわけではなく、上司ないしは指導者から何らかの的確な指示が下るのを待たなければならないのが普通の組織人というものです。したがって、「あの」瑤姫の妹である玉扈とやらが侮蔑まじりに主張している「マニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間である」という考え方自体は何ら間違ったものではなく、その「マニュアル」の中でどう行動するか、ということこそが重要なのです。人間とは、他人と協調していこうとするならば、多かれ少なかれ「マニュアル」の中でしか動けないものなのですよ。
そもそも「マニュアル通りに正確に動かず、自分の考えのままに行動する」という考えがどれほどの災いを引き起こしてきたかは、戦前の5・15事件や2・26事件などの軍部の独走を見ても明白ですし、銀英伝でも「シビリアン・コントロールを無視した軍人達」がクーデターを起こしているではありませんか。さらに私が以前「軍事関連特集」で論じた「有事法制の不備」というのは、「いざという時にどう行動するかについてのマニュアルがない」ということでもあるのですけど、「仙界の連中」の考え方では、こういうのが正しいという事になるのですな(笑)。
もちろん、「マニュアル」なるものが絶対的に正しいというわけではありませんが、「マニュアル」が不当だというのならば改善すればよいのです。西王母親子の「人間論」は、「マニュアル」が永久不変のものであり、しかも愚劣きわまるものであるという架空の前提にもとづいた主張でしかなく、人間批判として正鵠を射たものとはとても言えません。まあそんなものをあの連中に求める方が無理というものなのでしょうが(笑)。
このように、人間に対する認識と考察が最初から間違っているものですから、これで下の文章のように牛種支配と関連づけようということ自体が無理な話なんですよ。
創竜伝8 P109上段~下段
<ふたたび西王母が口をひらく。
「支配者が独占したがるのは、権力や富ばかりではありません。情報や知識もそうなのです。非民主的な国家ほど、報道の自由がなく、国家機密の量が多いことは、青竜王もご存じでしょう」
西王母のいうとおりである。それにしても、人間や歴史についてこれほど問われたのは、祖父の死以来はじめてのことであった。
(中略)
「牛種の人界支配がどれほど巧妙であったか、これもひとつの証明になりますね。一般の市民は知らないことを自分が知っている。自分は秘密を知っている選ばれた人間である。その優越感が、結局のところ、牛種への忠誠をもたらすことになります。少数の特権者が、自分の優越感のために他の人々を支配するという図式です」>
西王母サマ、言っていることは分からないでもないのですが、創竜伝でこの主張が「正論」と認定されるには、創竜伝のストーリー設定が杜撰すぎますし、上記の主張を牛種支配のみに限定して当てはめるのは無理がありすぎますぞ(笑)。そもそも「民主的な国家」なるものはたかだか200年弱の歴史しか持っていないのですから、西王母の主張に従うと、3000年間の牛種支配は「西洋世界」だけではなく全世界に浸透していたという事になるのですけど。
第一「情報の独占による優越感」というのは別に牛種支配に限ったことではないでしょう。「仙界」の支配領域である中国の歴代王朝だって同じ事をやってますよ。ついでに言えば「国家機密が多いこと」と民主主義云々も全く関係ないものですね。民主・非民主を問わず、どの国家だって国家機密は持っていますし、民主主義国家であるアメリカなどは膨大な国家機密を持っていますよ。国家の情報戦略や対スパイ対策のために情報を機密化する事は、国家の維持のためには当然の事です。まあだからといって何でもかんでも「国家機密」にすればよいというわけではありませんがね。
それに自らの存在自体を隠蔽し、「人界」の科学力をはるかに超越した「超テクノロジー」を人類に一切隠している「仙界」が、国家機密を論じる事ができるとは驚きですな。自分達が何ゆえに自己の存在と「超テクノロジー」を隠蔽しているかという理由を直視して考えてみれば、国家がなぜ国家機密を持つのかがすぐに分かるでしょうに。その「超テクノロジー」を人類に公開すれば、深刻な地球の環境問題と人類の文明発展にどれほど貢献することかと、私は思うのですが(笑)。
ここまで見当ハズレな評論に竜堂兄弟が落ち込んだ事でさすがに気が引けたのか(笑)、西王母サマは「愚かなる人間ども(笑)」に対してフォローのお言葉を賜ります。
創竜伝8 P109下段~P110上段
<始は息ぐるしさをおぼえた。吐息まじりに西王母に問いかける。
「牛種は竜王一族などより、人間の本質をよく知っていたのでしょうか」
「彼らは人間の一面をよく知っていましたよ。それはたしかです」
西王母はやさしく答えた。始の息ぐるしさをさとり、彼の心に通風口をあけるように。
「でも人間には他の一面があります。他人を支配し、虐待して喜ぶ者もいれば、他人の不幸を軽減することに生命をかける人もいます。青竜王は、人間は全て愚かだと思いますか」
「いえ、そうは思いません」
始は頭を振った。
「言論が自由な国で滅びた例はまだありません。二〇世紀にはいって滅びたのは、ナチス・ドイツ、軍国日本、ソビエト連邦、東ドイツ……いずれも言論を弾圧し、ただひとつの思想を宗教化して国民に押しつけ、野党の存在を認めず、密告を奨励した国です。それらを思うと、歴史の流れ、人間の賢さを信じたいという気がします」>
おいおい竜堂始くん、せっかく「偉大なる存在である西王母サマ(笑)」が、自らの間違った評論を恥じて「愚かなる人間ども」をフォローしてくださっているというのに、それにまた見当ハズレな評論で返してどうする(笑)。
上記で竜堂始が挙げた国々は、別に「歴史の流れ」や「人間の賢さ」で滅んだのではありません。言うまでもなくこれは政治力学の問題でしょうが。あれらの国は、自己の政権の内部矛盾と外圧によって滅んだのですよ。ナチス・ドイツはソ連とのスターリングラードの戦いで敗れ、軍事的に劣勢になったこと、戦前の日本は官僚制度の腐朽による思考硬直化、ソ連はアメリカのスターウォーズ計画にまんまとのせられて大規模な軍拡競争に熱中し、経済が疲弊してしまった事、東ドイツはソ連の影響が弱くなった事によって統一意識が高まった事、などが原因で滅んだのですがね。他にも理由はありますが、すくなくとも「歴史の流れ」や「人間の賢さ」でこれらの国が滅んだわけではない事は確かでしょう。政治を少しでも知っていれば、こんな事は言えるはずがないんですがね。
それに竜堂始の主張に従うと、昔から「言論を弾圧し、ただひとつの思想を宗教化して国民に押しつけ、野党の存在を認めず、密告を奨励した国」の筆頭であると言える中国は、当然滅びて然るべき国ということになりますし、毛沢東は「愚劣な牛種的権力者(笑)」という事になるのですけど、そうなると創竜伝7巻の中国礼賛と矛盾しないのでしょうかね?
2.批判対象が不明瞭な人界批判
さて「1」で論じた「牛種と人間論」は、「仙界の連中」が余計な社会評論を展開しなければ、あるいは「ストーリーを支える一道徳論」として通用したかもしれません。
それを「破綻した評論」にまで仕立て上げてしまっているのが、「人間論」にもとづいて展開されている「仙界の連中による人界批判」です。まあ別に「人界」を批判すること自体が悪いとはいいませんけど、創竜伝のストーリー設定を見直すと、一体彼らが何を批判しているのかが理解不能です。その一例を挙げてみましょう。
創竜伝8 P160上段~下段
<「のう、竜王がた、これは恩を着せるつもりでいうんだが」
ぬけぬけと漢鐘離が黒い髯をしごいた。
「仙界が人界に干渉して、五〇億の人間を破滅から救ったとする、それで人類は感謝して、われわれにお供えのひとつもくれるのかな」
「お供えがほしいんですか」
「小児病みたいな反問をするものではないぞ。わしがいうとるのは、人類に感謝の気持ちがあるかどうかということじゃ」
「感謝ぐらいすると思いますが」
「わざわざ教えるつもりもないが、仙界が干渉して、人類の反感を買うことはないかな」
「それはないでしょう。悪い干渉ならともかく」
始の返答を、漢鐘離は聞きとがめてみせた。
「悪い干渉はされたくないけど、善い干渉はしてほしいと思ってるわけじゃの」
「そういうことになりますか」
「勝手な話ではないか。なぜ仙界がそこまで人界に奉仕してやらなきゃならないのかな。そこまでつけあがって一方的に要求する権利がある、と思いこんでいる人間とは一体何なのかな?」
「…………」
「だいたい自分たちがこれまで何百種類の動物を絶滅させてきたと思っとるのかな。それで自分たちは絶滅するのがいやというわけじゃ、ふん!、リョコウバトやニホンオオカミが絶滅したがっていたとでもいうのかね」
始は反論のしようがなかった。>
ここまで発言内容が矛盾だらけの主張に対してまともに反論もできないようでは、到底竜堂兄弟に「仙界の連中」を説得する事は無理ですね。それにこんなストーリーに無為無用な人間批判ばかり続けていても、反論側の竜堂兄弟の知能程度の低さが明らかになるだけで、ストーリーが不必要に迷走してしまうだけだと思うんですがね。
さて漢鐘離よ、アンタは一体何を批判しているのですか? 創竜伝のストーリー設定によると、「仙界の連中」は「染血の夢」の50億人抹殺計画で人界に干渉するかしないかで竜堂兄弟ともめているはずです。この「50億人」というのは全て発展途上国の人口過剰な人間であり、漢鐘離が批判しているのは「動物を絶滅させた先進国(具体的には欧米と日本)の人間」です。したがって漢鐘離は、「先進国の人間の罪業」をもって「先進国の被害者である発展途上国の人間」を断罪しているのであり、これは批判対象を取り違えているということになります。一口に「人間」といっても様々な人間がおり、しかも「牛種支配」が及んでいるのは「西洋世界」が中心なのですから、ストーリー設定からしても「牛種に支配されている人間」と「そうでない人間」とは本来区別されて論じられるべきものでしょう。
さらに創竜伝のストーリー設定に踏みこんでみれば、そもそも「染血の夢」を計画したのも、西洋世界の侵略行為や植民地支配も、様々な動物を絶滅に追いやってきたのも、全ては「牛種の陰謀」であって人間が自発的に起こした事ではなく、したがって人間は全く責任はないか、せいぜい「牛種の従犯」でしかない、という事になるのではないのですかね? にもかかわらず、漢鐘離の主張は「人界の災厄は人間が全ての元凶である」と言わんばかりです。これは明らかに「現実世界」に向けられた人間批判なのでしょうが、漢鐘離のいる世界は言うまでもなく「創竜伝世界」ですよ。「創竜伝世界」という「現実」から遊離した人間批判などを展開してどうするのでしょうか。
他にも「私の創竜伝考察24」における竜堂続や瑤姫のように、不必要な「政治家批判」を展開したあげく、責任を異常拡大して人間を罵るような描写が多く、しかも「一体何が本当に悪いのか」という批判の本旨が説明できていません。人間性が悪いのか、牛種の陰謀が悪いのか、もしくは双方が悪いのかでストーリーが大きく変わってしまうのですが、批判対象がその時の気分でコロコロ変わってしまうため、勧善懲悪小説であるにもかかわらず「本当の敵が見えない」という矛盾が発生してしまっているのです。
こんな矛盾ができてしまうのも、そもそも創竜伝世界において「人間」と「牛種」とは本来全く別の存在であるにもかかわらず、それを意図的に混同して「現実世界の評論」などを展開し、しかもそれが小説中のストーリー設定と大きくズレてしまう事に原因があるのです。素直に「人界の災厄は全て牛種の陰謀論」で止めておけば、ここまでストーリーが破綻する事もなかっただろうに(T_T)。
それから漢鐘離よ、牛種の「染血の夢」の目的は「50億人抹殺による人界の支配体制の再構築」であって「人類を絶滅させること」ではありません。間違えてはいけませんね(笑)。
3.人界に対する「仙界」の基本方針
仙界の基本方針といえば「人界に対する絶対中立・不干渉主義」というのがありますが、「1」や「2」のような「破綻した人間批判」を展開し、しかも「人間は愚か者である」と言わんばかりの人間蔑視思想をひけらかすぐらいならば、いっそ連中が「人界」に干渉して人間を変えてしまえば良いのではないか、そう考えてしまうのは私だけですかね? どうも「仙界の基本方針」というのは、「仙界の連中」の破綻言動の免罪符にしか見えないのですけど。
しかもこの「絶対中立・不干渉主義」という方針自体、「仙界」の無責任ぶりを露呈したようなシロモノで、創竜伝のストーリー破綻にこれまた大きく貢献しています(笑)。それが最も端的に表れているのが、下の漢鐘離の発言です。
創竜伝8 P117下段~P118上段
<ようやく、神仙のひとりが発言を求めた。
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
古くは秦の始皇帝から、最近では毛沢東まで、どれほど強大な独裁者でも、次元の壁をこえて崑崙へ侵攻してくることはなかった。人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか。>
「神仙のひとり」というのは漢鐘離のことですが、全く創竜伝のキャラクターというのは、自分の世界の世界情勢もロクに把握できていないのですかね。この御仁の発言、意図的に「人間」と「牛種」を混同しています。何ですか、下の文章は?
「人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか」
漢鐘離よ、そもそもアンタは竜堂兄弟が何の目的で「仙界」に来たのかも忘れてしまったのですか? 「牛種の陰謀である」50億人抹殺計画を止めさせるためでしょうが。そもそも「2」で主張したように「西洋の侵略・植民地行為」なども、創竜伝の設定に従えば「牛種の陰謀」なのですから、「人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るもの」という理論を、すくなくとも牛種の支配領域の人間に適用するのは完全な間違いです。この理論が適用できるのは、皮肉な事に「仙界」が統治している東洋世界(特に中国)だけです(笑)。もちろん牛種の陰謀である「染血の夢」には全く適用できません。
それに3000年前の殷周革命の際に「天界」の方針で牛種を西洋世界に追いやり、好き勝手な支配を牛種が行うに至ったのは、「仙界」にもその責任の一端があります。「牛種が勝ったら人界完全支配、負けたら西洋のみの支配」という「天界」の方針を、実行したらどうなるのかを承知していながら黙認していたのですから。そしてそのために牛種は「仙界と竜種への復讐」のために西洋文明を発展させ、東洋侵略に乗り出したのではないですか。その「ストーリー設定上の事実」を無視して「全ては人類自身の責任だ」はないでしょう。それとも都合の悪い事実は忘れてしまったのですか(笑)。
そもそも創竜伝では、ここまで「人間の愚かしさ」を説いているにもかかわらず、「それに変わる新たな人間像」という、建設的批判に必要不可欠であるはずの代案を全く提示しようともせず、ただひたすらキャラクターが、天上界から見下したかのような視点から「現実世界(創竜伝世界ではない!)の人間」を罵っている論調だけが並んでいるだけです。そのくせ自分達自身のことについては、「絶対中立・不干渉主義」の影に隠れて無責任もはなはだしい事を並べ立てているというのですから、連中には「牛種」や「人間」を批判する資格などありません。これなら「牛種」や「人間」の方がまだ責任感がありますよ。
正直言って、こんな連中に救われなければならないほどに人間が荒廃しているというのならば、いっそ人間は「仙界」を道連れにして滅んでしまった方が良いのかもしれませんな(笑)。
4.超文明を誇る「仙界」の「神秘主義批判」
下のような引用文章を読んでみると、「仙界の連中」にとどまらず、創竜伝のキャラクターというのは、人様を批判する際に自分達を顧みるということを全くやっていないとしか思えません。こういう事がよく言えたものですね。
創竜伝8 P181下段~P182上段
<「タイムマシンが実在し、しかもそれが超古代からの歴史を持っていると知ったら、超古代の失われた文明にあこがれる神秘主義者たちがさぞ喜ぶだろうな」
始の感想は、瑤姫をやや不機嫌にしたようである。むろんそれは始に対する不快感ではなく、神秘主義者に対するものだ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの叡智とやらを受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
瑤姫の声には容赦がなかった。始は苦笑して続の顔を見た。続が相手になった。
「一代でのしあがった成金より、代々のお金持ちのほうを、人間は尊敬する傾向があるようですよ。文化が古いほど価値がある、というのは、そうまちがったことではないでしょう」
「それにしても、自分たちの手で文明を破壊して、歴史すら残せなかった超古代人たちのどこが偉大なのかしらね。そんなことを証明もなくいいたてる連中は、まったくいかがわしいわよ」
瑤姫の意見は正しい、と始は思う。口調や表現は激しいが、それは性格の反映であり、内容がまちがっているわけではない。仮に超古代文明とやらが技術的に現代文明よりすぐれているとしても、道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない。人類の歴史を見てもわかる。「進んだ国」が「おくれた国」を侵略し、植民地にしてきたのである。>
確かにその通りですな。竜堂兄弟がどれほど「超人的な力」を持って悪党を叩き潰したり、愚劣な社会評論を展開しても、「彼らが道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない」し、「仙界の連中」がどれほど超テクノロジーをひけらかし、的外れな人界批判をしたところで、「彼らが道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない」のですからね(笑)。
それにしても瑤姫よ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの叡智とやらを受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
これって、「超古代からの叡智とやらを受けつぐだけ」で権力者を徹底的になぎ倒したあげくに被害者ヅラする竜堂兄弟や、「極低周波砲」だの「タイムマシン」だのをひけらかしているくせに「人界」の文明を偉そうに批判する「仙界」にそっくり当てはまるのではないですかね(笑)。何度も言いますけど、そもそも何かを批判する際に、まず自分を顧みる姿勢というものは絶対に必要不可欠なものなのですけどね。それともこれで自己批判しているつもりなのでしょうか?
「それにしても、自分たちの手で文明を破壊して、歴史すら残せなかった超古代人たちのどこが偉大なのかしらね。そんなことを証明もなくいいたてる連中は、まったくいかがわしいわよ」
中国では、王朝が交代するたびに「自らの王朝に正統性を持たせるため」と称して、前王朝の文化・文物をことごとく破壊し、歴史まで自分達の都合に合わせて記述してきましたが、瑤姫の言う通り、全くこういう国のどこが偉大なのでしょうな(笑)。そして中国は「仙界」の領域である東洋世界にある国ですが、「仙界」は「絶対中立・不干渉主義」という基本方針のもと、こういった行動を黙認してきたのですから、「神秘主義者」のことをよくここまで偉そうに批判できますね。この厚顔無恥ぶりは、私には到底信じられませんな。
なお、彼らが「道徳的にすぐれているわけではない」ということは、次の「タイムマシンの事例」で証明します。
5.タイムトラベルに見られる「仙界の行動原理」
創竜伝8のP177辺りから、竜堂兄弟たちは「辰コウ」という名のタイムマシンを使って過去の歴史の情景を見る事になります。何でも「天界」や「仙界」で過去に何が起こったかを竜堂兄弟に見せるためなのだそうですけど。
その歴史の経緯は、
13世紀のモンゴル軍のボルガ川渡河
↓
紀元前323年6月のアレクサンドロス大王の死
↓
5000年前の殷周革命
というものですが、その中のアレクサンドロス大王の死に直面した竜堂兄弟と漢鐘離が、次のような会話を交わしています。
創竜伝8 P193下段~P194下段
<「つまり、アレクサンドロスがあと三〇年長生きし、彼の王朝がインド、ペルシア、ギリシア、エジプトにまたがる大帝国を統一支配しつづけておれば、古代ギリシア哲学と仏教とが正面から出会ったかもしれん」
「歴史上の大きな可能性ですね」
「実現しておれば、けっこうおもしろいことになったろうな」
「干渉しないんですか? 抗生物質の注射一本で、アレクサンドロスは死をまぬがれるかもしれませんよ」
皮肉っぽく指摘したのは続である。だが、あっさりと漢鐘離は頭をふった。
「自分で責任のとれんことは、せんほうがよいのさ」
漢鐘離がそういったのは臆病からではなく畏敬からであることを、始は理解した。もともと仙界は人界に対して不干渉主義であるが、そこにあるのは突きはなす姿勢だけではないように思える。たぶん仙界の人々は不遜そうに見えて、じつは大いなる時空間を律する法則を畏れることを知っているのだろう。>
「仙界の不干渉主義」については「3」で徹底的に叩き潰しておきましたが、
「たぶん仙界の人々は不遜そうに見えて、じつは大いなる時空間を律する法則を畏れることを知っているのだろう」
という始くんの見解も、残念ながら全くの的外れであると言わざるをえませんね(笑)。この描写の後、5000年前の殷周革命の時代へタイムトラベルし、黄帝と牛種との戦いに遭遇するのですが…………
創竜伝8 P197下段~P198上段
<始も続も声が出ないし、終や余も夢中で、漢鐘離が余の背中に手を伸ばしたのに気づかなかった。
「それよ」
あまりにもさりげない動作であったので、何ごとが生じたのか、一瞬、誰にもわからなかった。余は、自分の身が辰?の床を離れて宙に浮いていることに気づいた。漢鐘離にひょいと押されて、そうなったのである。
余の身が落下していくのを、兄たちは一瞬、凝然と見守った。はっとして我に返り、「あなたは!」と叫んで続が漢鐘離の襟元をつかむ。始はというと、漢鐘離に目もくれず、辰?の縁を乗りこえ、宙にダイビングしていた。それにつづこうとする終を、無言で瑤姫が制止する。>
この描写は漢鐘離が「5000年前の殷周革命」という「人界の歴史上の世界」に竜堂兄弟に干渉させた瞬間ですが、引用ページに注目してください。ほんの5ページ前で歴史に干渉する事を戒めていた発言をしていた漢鐘離が、あっという間に前言をひるがしているではありませんか。創竜伝世界においても、5ページの間の時間的経過は10分も経ってはいないでしょう。創竜伝において、社会評論にせよキャラクターにせよ、これほど速く前言をひるがえした行動にでている例は、私の知っている限りここにしかありません。
しかもこれは突発的な行動ではなく、漢鐘離が最初から仕組んでいたという事を、彼自身がこの先のページで明らかにしています。
創竜伝8 P209上段~P210上段
<漢鐘離の顔に浮かんだ笑いは、会心のものといってよかった。
「九天玄女が使者に立って、西王母の必勝の法を黄帝に授けた。さまざまな神話伝説に共通して記されていることじゃ」
「思いだしたわ。だから母上は天界から特別な待遇を受けるようになったんだっけ」
(中略)
続は冷たく漢鐘離を見やって決めつけた。
「ようやくわかりましたよ。最初から仕組んでいたんですね。黄帝が九天玄女に会うまで、ぼくらに蚩无の軍を牽制させる。でないと黄帝が惨敗して、歴史が変わってしまう……」
「最初? ふむ」
漢鐘離はうそぶいた。
「永遠に循環する時間のなかで、どの時点が最初といえるのかな。わしにはようわからん」
「またそういう詭弁を」
続は舌打ちした。>
さて、このタイムトラベルの事例から、「仙界の連中」の恐るべき行動原理が分かります。彼らは、自分達の利益が絡む事であるならば、自らの掟を破って自分勝手な行動に出ても良いし、タイムマシンを使って歴史に干渉してもかまわないと考えているわけです。
そもそも漢鐘離の歴史干渉行動は、「仙界」の基本方針である「絶対中立・不干渉主義」に明らかに違反しています。しかも漢鐘離は「仙界」の人界干渉について、
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
とまで主張した人物ですが、かつての自分の自己主張はどこに行ってしまったのでしょうかね(笑)。しかもその干渉理由は
<歴史干渉しないと「仙界」が「天界」から特別待遇を受けられなくなってしまうから>
だそうです。つまり彼は「目的は手段を正当化する」と考えているわけですね。まるで牛種のような考え方ですな(笑)。これがいかに恐ろしい考え方であるかは、それこそナチス・ドイツや旧ソ連などの歴史を見ていれば分かるでしょうに。
百歩譲って、この「歴史干渉」が正当であるとしましょうか。それならばなぜ彼らは、タイムトラベルで牛種の存在そのものを消去するという方法を使用しないのでしょうか? 牛種の行動を止めるという「仙界の利益にかなった目的」を達成するのならば、これが一番確実な「手段」なのですから、上記の歴史干渉が「正当」であるというのならば、これだってOKなはずなのですがね。
さらに奇怪なのが、このような誰が見ても明々白々な「仙界の基本方針に対する違反行為」をやらかした漢鐘離に対し、誰一人として「違反行為だ!」という批判の声を上げていないという事です。つまり漢鐘離の独断行動は「仙界」にとっても竜堂兄弟にとっても問題ではないのだ、ということになりますが、しかしそうなると彼らの社会批判の一要素である「近代の人間は法を守らなければならない」というのとどう整合性をつけるのでしょうか? 「仙界の連中」は偉そうに「人間」や「法匪」などを批判しているくらいなのですから、その批判を自分達自身に適用しても良いのではないのかと思うのですがね。まあ彼らが「自分達は元々法治主義という概念がない前近代的な中国人なのだから、法を守る必要はないのだ」とでも考えているのならば、主義主張は一貫していますけど(笑)。
何の事はない、「人間の道徳性のなさ」を批判しているはずの「仙界の連中」の方がよほど、道徳的に醜悪ではありませんか。
この「仙界」の最大の間違いは、そもそも人間を救う立場にあるはずの「仙界の連中」に、ストーリー設定と矛盾する3流以下の「人間蔑視論」を展開させ、しかもそれに竜堂兄弟が何ら反論していないどころか、むしろ迎合しているとしか思えない姿勢を保っている所にあるといえるでしょう。特に後者が致命傷ですな。「仙界」を説得して人界に干渉させるという目的が全く果たせていないのですから。竜堂兄弟が「仙界の人間蔑視論」に対してまともに対抗できる、説得力のある理論的な反論を展開し、人界干渉を渋る「仙界」を説得するという描写があれば、この「仙界」の描写もそれなりのものになるどころか、むしろ秀逸なものにすらなったのかもしれないと思うのですがね~。
それに妙な超テクノロジーをひけらかしているのも、「仙界」の優越性を誇示しながら、現実世界に対する余計な「文明批判」などを展開しているために、はっきり言って「人間蔑視論」の補強にしかなっていません。まあ中国神話が大好きなのは分かるのですけどね(笑)。
結局のところ、「仙界描写」の目的は、中国を礼賛し、西洋を貶め、人間を蔑視する事にあったとしか言いようがないですね。これでは読者の共感が得られるわけがないのは当たり前です。田中芳樹は、もう少しストーリーを真剣に考えられなかったのでしょうか。
さて、次はすこし銀英伝について触れてみる事にしますか。
> この描写は漢鐘離が「5000年前の殷周革命」という「人界の歴史上の世界」に竜堂兄弟に干渉させた瞬間ですが、引用ページに注目してください。ほんの5ページ前で歴史に干渉する事を戒めていた発言をしていた漢鐘離が、あっという間に前言をひるがしているではありませんか。創竜伝世界においても、5ページの間の時間的経過は10分も経ってはいないでしょう。創竜伝において、社会評論にせよキャラクターにせよ、これほど速く前言をひるがえした行動にでている例は、私の知っている限りここにしかありません。
> しかもこれは突発的な行動ではなく、漢鐘離が最初から仕組んでいたという事を、彼自身がこの先のページで明らかにしています。
>
> 創竜伝8 P209上段~P210上段
> <漢鐘離の顔に浮かんだ笑いは、会心のものといってよかった。
> 「九天玄女が使者に立って、西王母の必勝の法を黄帝に授けた。さまざまな神話伝説に共通して記されていることじゃ」
> 「思いだしたわ。だから母上は天界から特別な待遇を受けるようになったんだっけ」
> (中略)
> 続は冷たく漢鐘離を見やって決めつけた。
> 「ようやくわかりましたよ。最初から仕組んでいたんですね。黄帝が九天玄女に会うまで、ぼくらに蚩无の軍を牽制させる。でないと黄帝が惨敗して、歴史が変わってしまう……」
> 「最初? ふむ」
> 漢鐘離はうそぶいた。
> 「永遠に循環する時間のなかで、どの時点が最初といえるのかな。わしにはようわからん」
> 「またそういう詭弁を」
> 続は舌打ちした。>
>
> さて、このタイムトラベルの事例から、「仙界の連中」の恐るべき行動原理が分かります。彼らは、自分達の利益が絡む事であるならば、自らの掟を破って自分勝手な行動に出ても良いし、タイムマシンを使って歴史に干渉してもかまわないと考えているわけです。
ここは全く矛盾していません。歴史円環設定でSFを書いた場合の必然です。だれもアレクサンダーを助けません(助けられないし、助けると言う選択をする事はありえない)。何故なら彼が「助けられた」と言う事実は存在しないからです。逆に、過去の大戦には干渉します(干渉しないことは出来ないし、干渉しないという決断をする事はありえない)。何故なら干渉されたという事実があり、それに基づいて現在が決定されている以上、そこから続く「現在」が「過去」へ干渉を行うのは必然だからです。
なお、こういった円環設定の場合、漢鐘離の歴史干渉への恐れ云々は矛盾しません。彼は歴史を守ろうとして行動しているだけですから。「果てしなき流れの果てに」における時間の守護者(すいません、正式名称は記憶の彼方です)の地位を無意識に演じているだけでしょう。彼が「手を出さない(出す)」のは決定事項ですが、どう言う風に(どんな行動原理で)かは歴史の決める所では無いからです。
簡単な例・タイムパラドックス基本「自分の父親を殺せるか」
1、殺せる。しかし、その瞬間自分が消える
あまり理論面にこだわらないSFのパターン。(バック・トゥ…とか)矛盾しているのは言うまでも無い。
2、殺せる。単に別の未来が派生するだけ
たしか、ドラゴンボールってこのパターンでしたよね
3、殺せない。歴史は変わらない
どう言う事かというと
(1)殺す気にならない(殺そうとしない)
(2)殺せない(殺そうとして失敗した)
のいずれかだったから、今の自分があると言う事。
創竜伝はこのパターンです。
この辺はSF設定の問題で、特に破綻も見られません。評論部分と同様の非難をするのは当たらないと思います
<ここは全く矛盾していません。歴史円環設定でSFを書いた場合の必然です。だれもアレクサンダーを助けません(助けられないし、助けると言う選択をする事はありえない)。何故なら彼が「助けられた」と言う事実は存在しないからです。逆に、過去の大戦には干渉します(干渉しないことは出来ないし、干渉しないという決断をする事はありえない)。何故なら干渉されたという事実があり、それに基づいて現在が決定されている以上、そこから続く「現在」が「過去」へ干渉を行うのは必然だからです。>
しかしそうなると、新たな疑問が発生しませんかね? この論理でいくと、当然「牛種」の方にも「歴史に干渉する権利」があるはずですよ。そうでなければ、彼らは当然「なぜ連中だけが未来から余計な干渉ができるのだ」という不満を持つことでしょう。「牛種」の方にも「仙界」と同じレベルか、もしくはそれ以上の「超テクノロジー」があるのですから、当然タイムマシンも持っているでしょうし、それこそ「仙界」以上に歴史干渉しても不思議ではないのですがね。
これでいくと、それこそSFまがいの「タイムトラベル戦争」が発生していてもおかしくはないのですが(笑)。
しかしながら、そもそも私は別にこの問題「タイムトラベルのSF設定の問題」など論じた覚えはありませんね。私が言いたいのはそういう問題ではないのですよ。
ここでの問題提起は、歴史干渉が必然であろうがそうでなかろうが、漢鐘離の行動が「仙界の基本方針である絶対中立・不干渉主義」に対する明白な違反であり(ついでに言えば、漢鐘離は人界干渉反対派だったはずです)、しかも竜堂兄弟も瑤姫も、その行動を結局は追認しているということです。つまりこの時点で、「仙界の基本方針」および「仙界における法治主義」は完全に崩壊したことになります。その後、西王母が漢鐘離に「仙界の基本方針に対する違反行為」という罪状で重罰を与えたという設定でもない限りね(もちろん、そんなものはありません)。
漢鐘離の行動は、政治的・法律的に見ればこれほど重大な事件なのですよ。これを正当化しようとするならば、当然別の法規範が必要になるのですが(一般法に優越する特別法とか)、そんなものは創竜伝のどこをみてもないものですから(笑)、やはり漢鐘離の行動は軽率なものであったし、それを追認している竜堂兄弟や瑤姫もまた、政治に対する配慮が足りないといわなければなりません。これを放置していたらストーリー的にもおかしくなりますし、第一「法匪」を批判する側がこれではまずいでしょう。
したがって、ここでの「歴史干渉」が必然であるかそうでないかという「SF設定」など、私は全く問題にしてませんし、語ったつもりもありませんがね。
日本で有事法制問題が議論になるのも、「非常の際の行動」を裏付ける法的根拠がないからでして、まさに件の漢鐘離と全く同じ問題をはらんでいます。だからこそ、これはあくまでも「ストーリー設定に重大な影響を与える法的問題」として私は見たのですがね。彼らも偉そうに3流以下の法律問題を語る前に、もう少しこの行動について考えてほしかったのですけど。
まあもっとも私が前に主張したように、彼らが「自分達は元々法治主義という概念がない前近代的な中国人なのだから、法を守る必要はないのだ」とでも考えているのならば、特に問題はないのですがね(笑)。
冒険風ライダーさんは書きました
> しかしながら、そもそも私は別にこの問題「タイムトラベルのSF設定の問題」など論じた覚えはありませんね。私が言いたいのはそういう問題ではないのですよ。
> ここでの問題提起は、歴史干渉が必然であろうがそうでなかろうが、漢鐘離の行動が「仙界の基本方針である絶対中立・不干渉主義」に対する明白な違反であり(ついでに言えば、漢鐘離は人界干渉反対派だったはずです)、しかも竜堂兄弟も瑤姫も、その行動を結局は追認しているということです。つまりこの時点で、「仙界の基本方針」および「仙界における法治主義」は完全に崩壊したことになります。その後、西王母が漢鐘離に「仙界の基本方針に対する違反行為」という罪状で重罰を与えたという設定でもない限りね(もちろん、そんなものはありません)。
ですから、彼の行動は「歴史に対する不干渉行動」なんですってば。竜堂兄弟を「過去に突き落とした」と言う目先の行動で判断しないで下さい。あそこで漢鐘離が竜堂兄弟を突き落とさない事があれば、それこそ「過去への干渉」になるんです。だから、彼の行動は仙界の方針と矛盾しません。全くの無罪です。ついでに言いますと、絶対中立は現在の方針です。大戦時に過去の仙界は竜種を助け、その過程で未来のドラゴンの援助を受けた、これは言うならば負債です。現在の方針がどうあれ、返さないわけには行きません。よって、仙界の方針はこの点に関しては矛盾しません。だから、SF設定上の話をしたのですが。
>「ようやくわかりましたよ。最初から仕組んでいたんですね。黄帝が九天玄女に会うまで、ぼくらに蚩无の軍を牽制させる。でないと黄帝が惨敗して、歴史が変わってしまう……」
「最初? ふむ」
漢鐘離はうそぶいた。
「永遠に循環する時間のなかで、どの時点が最初といえるのかな。わしにはようわからん」
「またそういう詭弁を」
続は舌打ちした。
この点を見て下さい。漢鐘離は続の言葉を否定しません。彼が「歴史が変わる」事を防ぐ=歴史を維持した事は明白です。そして、下で円環時間について述べています。これはタイムマシンを持ち、円環時間世界に住む者としては一般的認識でしょう。つまり、仙界の一般的認識として漢鐘離の行動は「不干渉」行動その物であると考えられます
<ですから、彼の行動は「歴史に対する不干渉行動」なんですってば。竜堂兄弟を「過去に突き落とした」と言う目先の行動で判断しないで下さい。あそこで漢鐘離が竜堂兄弟を突き落とさない事があれば、それこそ「過去への干渉」になるんです。だから、彼の行動は仙界の方針と矛盾しません。全くの無罪です。>
それは詭弁というものでしょう。そもそも「タイムトラベル」という要素がなければ、ここで牛種が黄帝を打倒した、という歴史になるはずですが、実はそれこそが「本来の歴史」であるはずでしょう。それを彼らは自分達の都合で勝手に歴史を変えてしまったわけです。
それにですね、彼ら自身が次のように明言しているのですよ。
創竜伝8 P184上段
<漢鐘離が、からからと笑った。
「青竜王、あまり先回りして悲観的にならんことじゃな。辰コウはどこまでも観察の道具であって、人間の思考力を減退させるものではない。顕微鏡や天体望遠鏡が、人間の思考力にとってマイナスだったかな」
反論できず、始が沈黙していると、瑤姫が言葉をそえた。
「どのみち濫用は禁じられているし、人界で使用される事はありえないわ」>
この2つの言葉に注目してください。
「辰コウはどこまでも観察の道具であって」
「人界で使用される事はありえないわ」
つまり、これからしてもタイムマシン(辰コウ)を「歴史干渉」に使う事は「ご法度」であるわけです。漢鐘離のタイムマシンの使い方は明らかに違反行為でしょうが。
それから何度も言いますけど、「歴史干渉」が必然かそうでないかなど、私は全く眼中にありません。それは次で述べます。
<ついでに言いますと、絶対中立は現在の方針です。大戦時に過去の仙界は竜種を助け、その過程で未来のドラゴンの援助を受けた、これは言うならば負債です。現在の方針がどうあれ、返さないわけには行きません。よって、仙界の方針はこの点に関しては矛盾しません。だから、SF設定上の話をしたのですが。>
いくら創竜伝を弁護したいからと言って、勝手に話を作ってはいけません。「仙界の基本方針」である「絶対中立・不干渉主義」は昔から一貫しているものです。それを証明する記述を引用してみましょうか。
創竜伝8 P96下段~P97上段
<崑崙は西王母一族の統治する女仙の本拠地であり、その武力は竜王一族に遠くおよばぬ。一戦して蹴散らすことは容易であろう。だが崑崙と戦い、西王母に対して戟をむけるなど、話の外である。竜王一族を孤立させるという策略が水泡に帰してしまう。それだけでなく、これまで不干渉主義で事態を傍観していた天界の諸勢力が、竜王と西王母との連合勢力に与するかもしれぬ。西王母を竜王の陣営に追いやるのは愚かというものだった。>
創竜伝8 P118上段~下段
<「三〇〇〇年前、私は誤りを犯しました。公正と中立の区別をつけることができなかったのです。あのとき、中立とは責任回避と同じ意味を持っていたのに」
西王母は神仙たちのひとりひとりに語りかけるようすである。
「ただ、それはあくまでもわたしひとりの考えで、神仙がたに押しつけるつもりはありません。竜王たちをここへ招いたのは、神仙がたに圧力をかけるためではなく、彼らに自分たちの立場を納得してもらうためなのです」>
↑これらは何ですか? 「仙界」は当時もまた「絶対中立・不干渉主義」であったと明白に語っているではありませんか。
「仙界」が竜種に味方していたというのは、創竜伝8・P94~99の太真王夫人の行動を指したものなのでしょうが、彼女は竜種と牛種の双方に対して「西王母の代理」として停戦を求めているだけであって、別にどちらかに与しているわけではありませんし、太真王夫人が竜種よりな姿勢を示しているのは、彼女の個人的感情の発露にすぎません。これでどうやって「大戦時に過去の仙界は竜種を助け」などという解釈ができるのですか?
それから「負債」云々もおかしな話ですね。「負債」を返すためなら「現在の方針」など無視してもよい、というのはどういう考え方なのでしょうか? これは法治主義の明白な否定です。「目的は手段を正当化する」というのですから。これは全く逆で、「負債」があろうがなかろうが「現在の方針」の方を守らなければならないのですよ。それが不満であるというのならば「現在の方針」を変えるしかありません。そこまで厳格に法が守られる事こそが本当の法治主義というものです。
さらには、「仙界」の統治システムからしても、漢鐘離のスタンドプレーには問題があるのですよ。
創竜伝8 P59下段~P60上段
<今回、瑤姫が西王母の意を受けて竜堂兄弟を迎えにきたのは、非公式のことである。公然と、また総力をあげて崑崙が竜王一族をを支援するには、西王母といえども一存で決するというわけにはいかない。公式の会議によって議決されなければならないのだ。>
これを漢鐘離の行動は満たしていません。彼は一体何の権限があって「人界の歴史に干渉する」という大それた事を、たった一人で決断したというのでしょうか? それでは牛種と同じではありませんか(笑)。何度も言いますが、例え滑稽なものであっても、法は厳格に守られなければなりません。ましてや、現実世界であれほど「法匪」を批判するような連中はなおさらです。
いいですか。この件で「歴史の干渉が必要であった」ということなど全く問題ではありません。「円環時間」などという概念を振りまわしたところで、あらゆる観点から彼らの行動が自らの掟や基本方針や統治システムを無視しているという事実に変わりはないし、しかも彼らの目的は「天界から特別待遇を受けるため」という自らの保身なのであり、さらにこれだけの違反にもかかわらず彼らが違反行為を全く自覚していない事こそが私の問題提起なのです。
日本国憲法9条じゃあるまいし、基本方針の勝手な拡大解釈はやめていただきたいですね。
冒険風ライダーさんは書きました
> <ですから、彼の行動は「歴史に対する不干渉行動」なんですってば。竜堂兄弟を「過去に突き落とした」と言う目先の行動で判断しないで下さい。あそこで漢鐘離が竜堂兄弟を突き落とさない事があれば、それこそ「過去への干渉」になるんです。だから、彼の行動は仙界の方針と矛盾しません。全くの無罪です。>
>
> それは詭弁というものでしょう。そもそも「タイムトラベル」という要素がなければ、ここで牛種が黄帝を打倒した、という歴史になるはずですが、実はそれこそが「本来の歴史」であるはずでしょう。それを彼らは自分達の都合で勝手に歴史を変えてしまったわけです。
これに関しては同じ事を繰り返すのが面倒なので省きます
> <ついでに言いますと、絶対中立は現在の方針です。大戦時に過去の仙界は竜種を助け、その過程で未来のドラゴンの援助を受けた、これは言うならば負債です。現在の方針がどうあれ、返さないわけには行きません。よって、仙界の方針はこの点に関しては矛盾しません。だから、SF設定上の話をしたのですが。>
>
> いくら創竜伝を弁護したいからと言って、勝手に話を作ってはいけません。「仙界の基本方針」である「絶対中立・不干渉主義」は昔から一貫しているものです。
創竜伝8 P209上段~P210上段
<漢鐘離の顔に浮かんだ笑いは、会心のものといってよかった。
「九天玄女が使者に立って、西王母の必勝の法を黄帝に授けた。さまざまな神話伝説に共通して記されていることじゃ」
これが竜種への協力でなくてなんですか?
> 創竜伝8 P118上段~下段
> <「三〇〇〇年前、私は誤りを犯しました。公正と中立の区別をつけることができなかったのです。あのとき、中立とは責任回避と同じ意味を持っていたのに」
> 西王母は神仙たちのひとりひとりに語りかけるようすである。
> 「ただ、それはあくまでもわたしひとりの考えで、神仙がたに押しつけるつもりはありません。竜王たちをここへ招いたのは、神仙がたに圧力をかけるためではなく、彼らに自分たちの立場を納得してもらうためなのです」>
ここでいう3000年前の中立とは、竜種が形式上合法的に排除されたときに、傍観してしまったことでしょう?
> それから「負債」云々もおかしな話ですね。「負債」を返すためなら「現在の方針」など無視してもよい、というのはどういう考え方なのでしょうか? これは法治主義の明白な否定です。「目的は手段を正当化する」というのですから。これは全く逆で、「負債」があろうがなかろうが「現在の方針」の方を守らなければならないのですよ。それが不満であるというのならば「現在の方針」を変えるしかありません。そこまで厳格に法が守られる事こそが本当の法治主義というものです。
後になって政策が変更されたからといって、前の政策を実行する上でした借金を返さないとしたら、それこそ法治主義の否定です
> さらには、「仙界」の統治システムからしても、漢鐘離のスタンドプレーには問題があるのですよ。
> いいですか。この件で「歴史の干渉が必要であった」ということなど全く問題ではありません。「円環時間」などという概念を振りまわしたところで、あらゆる観点から彼らの行動が自らの掟や基本方針や統治システムを無視しているという事実に変わりはないし、しかも彼らの目的は「天界から特別待遇を受けるため」という自らの保身なのであり、さらにこれだけの違反にもかかわらず彼らが違反行為を全く自覚していない事こそが私の問題提起なのです。
> 日本国憲法9条じゃあるまいし、基本方針の勝手な拡大解釈はやめていただきたいですね。
どうも、歴史への干渉と言う極めてSF的な命題に対するスタンスがまったく違うようなので、不毛な論争はもう結構です。ただ一つ、作品世界の設定状況如何で言葉の持つ意味も、常識も変化するということを言いたかったのですが、貴方には単に創竜伝を弁護したいだけとしか映らないようですし。
どうもお付き合いいただきありがとうございました
<どうも、歴史への干渉と言う極めてSF的な命題に対するスタンスがまったく違うようなので>
というよりもですね、何度も言うようにそもそも私はSF的命題など語った覚えはないのですよ。私がここで言いたかったのは「仙界の法に対する認識」という問題なのですから、この問題を「SF的命題」と解釈したドロ改さんと意見が合わないのは当然なのですよ。
私が言いたかったのは「タイムトラベルのSF的整合性」ではなく、批判の本論やNo.441で語ったように、漢鐘離の行動は「SF的整合性の是非」を問わず「仙界の基本方針や掟や統治システム(以下、仙界の現行法)」を大きく逸脱しており、しかもその行動を竜堂兄弟や瑤姫、ひいては「仙界」がそのことを追認しているということなのです。
しかもドロ改さんは「SF的命題が正しいから『法的にも』正しい」と言っていますが、そんなことはありえません。「命題が正しいにもかかわらず法的には間違っている」という事例などいくらでもあります。日本の有事法制なき法制度などその典型例ですし、時代遅れの法律が行動を制約している例も数えきれません。しかしそういう法律でも「法は法」です。廃止されるか改正されるか、あるいは優越する特別法が制定されるまで、法律は頑迷なまでに死守すべきものなのであり、だからこそ「法に対する検証」や「現状に見合った法改正」は常に行われるべきものなのです。
確かにドロ改さんの「円環時間」の概念で、漢鐘離の「行動内容」は正当化されるでしょう。しかしだからと言って「法的問題」をクリアしないで良いはずがありません。漢鐘離の「行動」によって「仙界の現行法」が踏みにじられたのですから、「現行法に対する違反行為」として漢鐘離を罰しないでどうするのです? もちろんそういう状況になれば漢鐘離はこう言うことでしょう。
「自分のやった事は人界の歴史を調和し、仙界の利益を守った事だ。なぜ罰せられる必要があるのか」と。
しかしながら漢鐘離の行動を「仙界の現行法」は全く認めていません。「仙界の現行法」は、
1. 天界の諸勢力に対して絶対中立を保ち、人界に一切干渉してはならない
2. 辰コウ(タイムマシン)で歴史を変えてはならない
3. 重要な事項は公式の会議によって議決されなければならない
と決められており、しかも上記3つに優越する特別法がないので例外は一切認められません。つまりここにおいて「漢鐘離の正しい行動」を「仙界の間違った現行法」が制約しているという図式が成立します。しかしそれでも、「間違った現行法」を改正するか廃止するかでもしない限り、法治主義にてらせば、漢鐘離の行動は「行動内容」を問わず「違反行為」になるのです。
私の批判の主旨は、これほどまでに重大な事実を漢鐘離が全く自覚せずに「軽率な行為」をやらかした事と、それに対する竜堂兄弟と「仙界」の無批判な態度です。人間をあれほどまでに罵り、「近代の人間は法を死守しなければならない」などと言ってのける側が、ここまで「自分達の法問題」に無頓着で良いのでしょうか? さらに彼らは「仙界の武器や道具を人間が持つと必ず悪用する」とまで主張していますが、では彼らのタイムマシンを「現行法を無視してまで」使った行為は「悪用」ではないのでしょうか? 私が言いたいのはこれなのですよ。何度も言うようで申し訳ありませんが。
したがって、私の命題に「タイムトラベルのSF的設定の問題」など最初から入っていなかったのです。これでは論争がかみ合わないのは当たり前ですね。
あと、ドロ改さんとの論争で私が使用した「SFの世界観」は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と「クロノ・トリガー」ですから、これも議論がかみ合わなかった原因のひとつでしょう。私はあまりSFについては詳しくないので。「円環時間の概念」など初めて聞きましたよ。
SF話の専門家であるドロ改さんに合わせて、付け焼き刃のSF話を始めて議論が混乱してしまったのはこちらの不注意でしたね。これについては謝罪しておきますm(__)m。
あとひとつだけ。
<後になって政策が変更されたからといって、前の政策を実行する上でした借金を返さないとしたら、それこそ法治主義の否定です>
「借金を返すのはかまわないが、その前に現行法を守れ。そして現行法のために借金を返せないのならば、現状に合うように現行法を改正しろ」
これが私なりの法治主義の考え方です。「借金を返すな」と私は一言も言った覚えはありませんがね。
最後に、
私の方も論争過程でかなり失礼な表現を使い、気分を害されたことと思います。そのことをお詫びしておきます。
冒険風ライダーさんは書きました
>だいたい自分たちがこれまで何百種類の動物を
>絶滅させてきたと思っとるのかな。それで自分
>たちは絶滅するのがいやというわけじゃ、ふ
>ん!、リョコウバトやニホンオオカミが絶滅し
>たがっていたとでもいうのかね
アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。
しかし個人的にこれについては疑問があります。何故なら人類が人類である以上「原罪」を無くすことはできないため、多くの場合で話が破綻するか、ご都合主義を採らねばならなくなるからです。
一応、作品で示されるラストとしては
1.人類を滅亡させる
実例 「デビルマン(原作)」、「マーズ」、「メギドの火」等
「原罪」をストーリーの根幹に据えれば必然的な結果です。ストーリー自体は破綻しませんが、一般受けするものではありません。
ちなみに実例としてあげた三作品はどれも連載を始めた時点で、作者(永井豪、横山光輝、つのだじろう)はラストまで考えておらず、「原罪」を描いている内に達した結論が「人類滅亡」になったそうです。
巨匠ならではということでしょうか。
2.主人公に全てを背負わせ犠牲にする
実例 「宇宙の騎士テッカマン」「無敵超人ザンボット3」等
「原罪」そのものは全く解決しませんが、安直な救いがないので個人的には好きな結果です。特にテッカマンの
「環境破壊で滅亡寸前の地球から、仲間達が第二の地球に向けて旅立つ時間を稼ぐため、敵の総攻撃に対し、テックセットが解けた瞬間に確実な死が待っていることを承知で突撃する」
というラストシーンは名作です。
ただこのタイプは最近、滅多に見かけません。
3.何はともあれめでたしめでたし
実例 「高速戦隊ターボレンジャー」、「ビーファイターカブト」等
「環境破壊」等のテーマに対する具体的な解決策は何ら示されず、敵を倒して話がハッピーエンドで終わるというやり方です。
子供向け番組では致し方ないかとも思いますが、安直な感は否めません。
4.全く無意味
実例 「幽々白書 仙水編」、「仮面ライダーBLACK RX」等
「原罪」を出した、ただそれだけ。解決策はおろか、何の救いも示さない。
まあ要するに「作り手は何も考えてなかった」ということです。
特にRXはひどかったのを覚えてます。
最終回「輝ける明日」にて、いきなりクライシス皇帝の口から「怪魔界が滅びつつあるのは地球の環境破壊のため。つまり真の被害者は怪魔界の方である」という事実が示されつつ、それに対しRXは問答無用で皇帝を倒し(!)、怪魔界を50億の民(反クライシス帝国派も大勢おり、RXも何度か助けられたことがありました)もろとも消滅させ(!!)、それで地球に帰って大団円(!!!)というとんでもないものでした。
これでは一体、何のために「環境破壊」など出してきたんでしょう?
5.実は人類は悪くなかった
実例 「モスラ対ゴジラ(平成版)」、「ウルトラマンガイア」
環境破壊などを採り上げつつ、最後に「真相は違った」として人類を免責するやり方。
非常にご都合主義で「原罪を描きつつ人類を免罪する」ための「苦肉の策」という気がします。
6.環境破壊を行うのは一部の「悪い人間(大企業や悪徳政治家が一般的)」であって、大部分の人間は被害者である
実例 「宇宙猿人ゴリ」、市民団体の主張は大概これです
昔の作品では仕方ないでしょうが、東京湾の汚染の最大原因が民間の生活排水だという現実からすれば、最近の作品で取り上げられると正直いやな気がします。
7.自然に帰れ
実例 「ヴァンパイア(手塚治虫)」、「機動武闘伝Gガンダム」におけるマスターアジア等
これをやるには世界人口を激減させばなりませんから、アニメなどで取り上げられるのは、基本的に悪役側の主張です。
8.「原罪」があるからこそ生きる価値がある
実例 「勇者警察Jデッカー」、「戦国魔人ゴーショーグン小説版『はるか海原の源へ』、『狂気の檻』」、「大と大」等
私利私欲や環境破壊も全て「人間が生きる」ことの一環である。
そう言ったモノを全て無くしてしまえば、それはもはや「人間」ではない。従ってそれらを背負いながら人間は生き続けねばならない、というものです。
前向きな結論なので個人的には好きです。
9.主人公を決定的に挫折させる
実例 「太陽の牙ダグラム」
理想社会を目指した主人公達を現実が情け容赦なく踏みつぶし、結局「理想は現実に砕け散る無力な存在」に過ぎないというもの。
人間ドラマのリアルさを追求するとそうならざるを得ない、とも言えます。
まるきり前向きではないのですが、これも好きです。
結局の処、「人類の罪」というものは所詮「人類の価値観」に過ぎません。
つまり「原罪をもって人類を否定する」のは「人類の価値観で人類を否定する」わけであり、自家撞着は避けられません。
作り手がそこを理解していないと話が破綻してしまいかねないにも関わらず、最近はエコロジーブームに乗ってか安直な話を量産するので、かなり以前に取り上げた「ファンタジー世界で民主主義」同様、うんざりすることが少なくありません。
毎度、仕立て屋です。
お二人の議論に横は入りしますが、お許しを。
まず最初に、タイムトラベルの設定に関するわたくしの考えを述べておきます。わたくし的には次元トラベルと言いたいところですが。
歴史円環ということで、例えば、正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとします。
それ以降、タイムマシンによるタイムトラベルは一般市民のごくありふれた娯楽となります。
ある一般市民のタイムトラベラーCがいつものように過去へのタイムトラベルを楽しんでいたところ、タイムマシンが故障してしまい、ある次元の地球に不時着してしまいます。
そこでCは、偶然、タイムマシン原理を考案する20年前の科学者Aに出会います。
一計を案じたCは壊れたタイムマシンをその時代の科学者Aに診てもらい、修理してもらうことにしました。
こうしてタイムマシンの実用は20年早まることになりました。
上記例を問題の創竜伝の場合に当てはめてみると、タイムトラベラーCが竜堂兄弟、科学者Aが黄帝、タイムマシンを故障させてタイムトラベラーCと科学者Aを出会うように仕向けたのが漢鐘離ということになるでしょうか。
タイムマシン発明の時期は、タイムトラベラーCが科学者Aと遭遇した結果20年早まり、それがタイムトラベラーCの一般的な歴史世界においてはタイムマシンの正式な発明時期であるならば、当然、原因となったタイムマシンの故障が発生しなければ歴史が変わってしまうのですから、偶然にせよ誰かの意図にせよタイムマシンの故障は必然事項となります。
従って、創竜伝の場合、漢鐘離の行為は正当と言えるかもしれません。
しかし、以上の論理には問題があります。
最初に上でわたくしは「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとします」と述べました。
つまり、タイムマシンによってタイムトラベラーCと科学者Aは過去において接触を持たなかったと最初に仮定しているのです。
この場合、当然本来ならば、タイムマシンの発明は史実よりも20年後でなければなりませんが、これは、
「タイムマシン発明の時期は、タイムトラベラーCが科学者Aと遭遇した結果20年早まり、それがタイムトラベラーCの一般的な歴史世界においてはタイムマシンの正式な発明時期である」
という事項と矛盾することになります。
よって辻褄をあわせるには「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとします」という最初の仮定を変更する必要があります。
タイムマシンの発明は正常な科学の進歩をもとにしたものではない、というように変更しなければなりません。
しかし、論理的に「タイムマシンの発明は正常な科学の進歩をもとにしたものではない」というのがおかしいのは言うまでもありません。
原因が結果であり、結果が原因であるというのは論理的にありえないからです。
通常の感覚では、時間的に原因があってその後に結果が生じるというのが普通の順番でしょうが、時間遡求という概念によってこの常識を覆し、結果、一見して歴史円環というパラドックスができあがったかに見えます。
しかし、純粋に結果は原因から生じるものであると考えれば、いくら時間を遡求してみせても、結果を生じさせるには必ず原因という”起点”が必要であり、上の場合では「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとします」という基準がなければ、結果、タイムマシンの発明が20年早まる、という事象も生じ得ないはずです。
従って、そもそも歴史の円環なるパラドックス自体成立しえないというのがわたくしの考えです。
わたくしの考えでは、「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとします」の世界のトラベラーCと、「タイムマシン発明の時期は、タイムトラベラーCが科学者Aと遭遇した結果20年早まり、それがタイムトラベラーCの一般的な歴史世界においてはタイムマシンの正式な発明時期である」の世界のトラベラーCは別人(パラレルワールドにおける同一人物)であり、前者が後者の世界の円環(実は円環になっていないのだが)に入り込むことは不可能です。
逆に後者が予定調和的に歴史を全うしようと、勇んで過去にタイムトラベルする必要はなく、それは前者のCがやってくれることなので、後者のCは泰然とかまえておればよいのです。
また、この際前者のCは、過去への干渉によって自らが立つ世界の歴史が変わってしまうのを恐れる必要はなく、ただ後者のCの存在する世界が新しく生まれるだけの話です。
話がだいぶ逸れましたが、創竜伝の場合、わざわざ作中世界の竜堂兄弟が予定調和を完成させるべく時を遡る必要はなく、別次元の竜堂兄弟が作中世界の竜堂兄弟に替わってやってくれるはずです。
仙界が人界と別次元でその干渉を受けない世界だとすると、作中の人界(作中の竜堂兄弟が存在する世界)を生み出すために、漢鐘離はどこか別次元の人界に存在する竜堂兄弟を使ってその人界の過去に干渉したはずです。
つまり、この行為は作中の人界に対しては必然ではあるけれども、結果を生み出した基準となる別次元の人界に対しては、立派な”干渉”と言えるでしょう。
これはある世界(次元)が存在するか否かの問題であり、歴史が変わるか否かの問題ではありませんが、仙界による人界への”干渉”であることは間違いないでしょう。
以上はわたくしの考えを踏まえて述べましたが、歴史円環の考え方の是非を別としても、田中センセによる歴史円環パラドクスの採用の仕方には問題あり、と考えます。だって”干渉”は干渉ですもん。
そういう意味で冒険風ライダーさんの仰ることにも一理ありと思います。
仕立て屋さん・ドロ改さんの時間SFパラドックスの説明は素晴らしいのだが、それでもビギナー中のビギナーは「理解出来ない」という人がいるかもしれない。
そういう場合は本屋で「ドラえもん」3巻と5巻を買い、「あやうし!ライオン仮面」「ドラえもんだらけ」の回を読むか、或いは「キテレツ大百科」の2巻、航時機のエピソードをお読みになっていただきたい。
ドラえもん生誕30周年にちなみ、無理に絡めました(笑)。
でも、マジに分かりやすいタイムパラドックス説明になってるよ!
>北村さん
<アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。>
ゲームの方にも結構そういったものはありますよ。FF7では「神羅」という大企業が「ミッドガル」という大都市を維持するための環境破壊に対して、主人公達がレジスタンス的な抵抗をするという描写がありますし(北村さんの定義では「6」にあたります)、最近発売されたPSソフト「グローランサー」では、フェザリアンという種族が「仙界」と全く同じような人間批判を行い(さすがにアレほどひどくはありませんが)、それに対して主人公達が反論していくという描写があります(「8」ですね)。
創竜伝の場合、ストーリー設定に従うと「5」ないしは「6」が一番妥当な結論になるはずなのですが、全くそうなっていないし、「仙界」の人間蔑視論に対する対応ないし説得は、当然「8」になって然るべきなのが、これまたそういう流れになっていないんですね。そのくせ、あんな人間批判を展開する「仙界の連中」は、人界に対する「仙界」の文明(超テクノロジー)の優越を誇示しているし、「自分たちの制定した基本方針を無視してまで」タイムマシンを悪用していますしね(笑)。
結局のところ、創竜伝の人間批判は「4」に分類されざるをえませんね(それも無責任さという点では北村さんが出したRXの例に近いような気がしますが)。「仙界の人界干渉」の件も結局うやむやのまま終わっていますし、一体アレは何のために出してきたのでしょうか? ストーリー破綻に貢献しているだけだと思うのですが。
<しかし個人的にこれについては疑問があります。何故なら人類が人類である以上「原罪」を無くすことはできないため、多くの場合で話が破綻するか、ご都合主義を採らねばならなくなるからです。>
<結局の処、「人類の罪」というものは所詮「人類の価値観」に過ぎません。
つまり「原罪をもって人類を否定する」のは「人類の価値観で人類を否定する」わけであり、自家撞着は避けられません。
作り手がそこを理解していないと話が破綻してしまいかねないにも関わらず、最近はエコロジーブームに乗ってか安直な話を量産するので、かなり以前に取り上げた「ファンタジー世界で民主主義」同様、うんざりすることが少なくありません。>
そうですね。実は私が創竜伝のストーリーで一番腹を立てた思想のひとつが、この「人間の原罪思想」なんですよ。この思想を突きつめると、結局のところ「1」の人類滅亡のような結論しか導き出せないのですから。
だから私も、この手の問題提起では「8」のような思想が一番好きですね。創竜伝にもこういう描写があったら、もうすこし何とかなったのではないかと思うのですけどね~(-_-;;)。
>仕立て屋さん
<創竜伝の場合、わざわざ作中世界の竜堂兄弟が予定調和を完成させるべく時を遡る必要はなく、別次元の竜堂兄弟が作中世界の竜堂兄弟に替わってやってくれるはずです。>
この部分を読んでふと思ったのですが、そもそもタイムマシンを使った目的が「竜堂兄弟に過去を見せる」というものであったのですから、素直に「当時の竜種に黄帝の手助けをさせ、それを竜堂兄弟がタイムマシンから見ている」という描写にでもしておけば、タイムマシンを使った描写も何ら問題なかったと思うのですけどね~。当時の竜種は一体何をしていたのでしょうか(笑)。
それにしても、つくづく竜堂兄弟って寛大だと思いますよ。かつて創竜伝2巻で、レディLに操られた鳥羽靖一郎に騙された時には、「操り人形にすぎない鳥羽靖一郎」に対してアレほど侮蔑混じりの評価を叩きつけたくせに、タイムマシンの「騙された件」では「騙した張本人である漢鐘離」の行動を全く問題にしていないというのですから。
おそらく彼らの判断基準では「主犯」よりも「従犯」の方が罪が重いのでしょうね(笑)。創竜伝全体でも、下っ端悪役が一番ひどい目にあっていますし(笑)。
>新Q太郎さん
<ドラえもん生誕30周年にちなみ、無理に絡めました(笑)。
でも、マジに分かりやすいタイムパラドックス説明になってるよ!>
「ドラえもん」でいうのならば、映画版「ドラえもん・のび太と竜の騎士」の方が良くはありませんかね? 絶滅寸前の恐竜を地下に避難させる描写が、ドロ改さんと仕立て屋さんのいう「円環時間の概念」に結構近かったような気がするのですが。こちらはレンタルビデオ屋で簡単に借りられますし(笑)。
しかし「ドラえもん」のタイムパラドックスの設定は分かりやすいというのには賛成ですね。
> アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。
「♪ウヒヒッ、ウヒヒッ、ウヒヒのヒ
そんなに 嫌うな 俺たちは
欲に狂った 人間どもの
心が生んだ ろくでなし……」
てな歌を歌いながら怪人たちが踊りまくる「コンドールマン」の悪役も、人間の現在を鋭くえぐっていたのかもしれません。
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「私は毎週毎週、コイツらの中継だけで30分終わってくれないかなって思ってましたよ。もう、コンドールマンが出てくるのがすごくイヤで。」
「モンスタ―一族にはゴミゴンもスモッグトンもいるし、ヘドロンガ―もいる。ああ、なにもかもがあの時代の俺の青春だった。って、そこまでいうか、俺は(笑)」
以上、唐沢なをき「怪獣王」より。
しかしわれながら、最近意味ないレスが多いのう。原罪のはなしはどこ行った。
冒険風ライダーさんは書きました
>「仙界の人界干渉」の件も結局うやむやのまま
>終わっていますし、一体アレは何のために出し
>てきたのでしょうか? ストーリー破綻に貢献
>しているだけだと思うのですが。
件の部分では結局のところ
「竜堂兄弟は『人間』として仙界をソデにせねばならなかった」
と思います。
実は最初に読んだとき、てっきり仙界の連中に対し
「あんたらも人間と同じだ!偉そうに説教されるいわれはない!」
とでも最後に言うのだとばかり思ってたので、首をひねってしまいました。
確かこの巻のラスト近くで「世界は天才よりも凡人が造ったほうがいい」と主張していたはずですし、また銀英伝でも「凡人が天才を待ち望む心理」を何度も述べてたはずなんですが、結局その「凡人が造った世界」をあんなにあっさりと否定してしまうから、話のつじつまがあわなくなるのでしょう。
<件の部分では結局のところ
「竜堂兄弟は『人間』として仙界をソデにせねばならなかった」
と思います。
実は最初に読んだとき、てっきり仙界の連中に対し
「あんたらも人間と同じだ!偉そうに説教されるいわれはない!」
とでも最後に言うのだとばかり思ってたので、首をひねってしまいました。>
実のところ、「仙界の連中」と人間って、考え方がそれほど違わないんですよね。人間を「争いを好む種族」と蔑んでいる彼らだって、殷周革命の際には牛種を止められずに「愚かな争い」に荷担していますし、「天界」の特権階級である「仙界」が、よくまあ「選民思想」など批判できるなと感心したものですよ。人間に道徳を説教する割には、彼ら自身が全く道徳的ではないというところが何とも……。第一「超テクノロジー」をひけらかしながら「環境問題」だの「文明批判」だのをやられても全く説得力がないのですが(笑)。
まあ私はストーリーの道筋から言えば、「仙界」が人界に干渉しても良かったと思うのですよ。ただし私の場合、竜堂兄弟が「仙界の人間蔑視論」に対して明確な反論ないしはアンチテーゼを提示し、さらに「仙界の無責任」を批判した上で「仙界」を説得するという描写があることが最低必要条件ですけどね。
しかしいずれにせよ、竜堂兄弟はなぜここで「仙界の人間蔑視論」に対する明確なアンチテーゼを提示しなかったのか、理解に苦しむところですね。それどころか、彼らは「仙界の連中」の尻馬に乗って人間批判を展開するありさまですし。銀英伝で言えば、ヤンがラインハルトに追従して「専制政治万歳!」を叫ぶようなものですよ、これは。
こんな支離滅裂な描写、小説としては論外だと思うのですけどね~。