創竜伝に限った事ではありませんが、田中芳樹が現代日本を語るとき、なぜアレほどまでに非現実的な主張を繰り返すのでしょうか? 銀英伝やアルスラーン戦記などにおける、比較的現実に立脚した主張との乖離があまりにも凄まじいため、「本当に同じ作者が書いたのか?」という疑念すらわいてきますね。本当にそうであったならどれだけ嬉しい事である事か(-_-;)。
それでは、創竜伝9巻の批評の続きです。
P135上段~下段
<始が続に話しかける口調は怒りに満ちている。
「南京大虐殺などなかった、と主張する日本人の本は何冊もあるが、その中で現地におもむいて被害者である南京市民に取材した本は一冊もない。理由はただひとつ、取材したら自分たちにつごうが悪いからだ」
「南京大虐殺の真相はいまだにわからない、と主張する新聞社や出版社もありますね」
「そういう新聞社や出版社は、現地に調査団を派遣し、現地の人に取材して真相を明らかにすればいい。現地取材がジャーナリズムの最低条件じゃないか。真相がわからない、が聞いてあきれる。いままで五〇年以上も何をしていたんだ」
「自分たちにつごうの悪い真相を隠しつづけてきたんですよ。何しろ被害者に取材せずに、事件はなかった、と強弁しているんですからね。恥を知っていればとうていできないことです」>
「いままで五〇年以上も何をしていたんだ」って、「南京大虐殺」について最も否定的な見解を示している産経新聞などは、つい最近まで中国への入国自体が全く許可されていなかったのですから「中国での現地取材」なんてできるわけがないでしょう。それに1960年代に日本のマスコミが中国から次々と国外追放処分を受け、唯一「現地取材」が可能であったはずの朝日新聞があの異常なまでの中国礼賛報道を行っていたという事実から見ても、「現地取材」が事実を正確に伝えるとは限らない事は明白ではありませんか。第一、中国に言論と報道の自由がないという事は、彼ら自身が言明していた事でしょうに。彼らはかつて自分達が主張していた事さえも忘れてしまったのでしょうか(笑)。
そもそも「現地取材による情報提供」に信憑性を与えるためには、言論の自由と現地における報道の自由が完全に保障されていることが絶対条件として必要であり、それがない国でいくら「現地取材」を行ったところで、その国にとって都合の良い情報だけしか提供されないであろう事は目に見えています。そして中国や北朝鮮などは最もその手の情報統制を行っている国です。相手側の国が指定した場所でしか報道活動が許されず、インタビューされた相手に言論の自由が一切保障されていないのでは「事実を正しく伝える報道」など不可能です。また、報道する側も国外追放処分などを受ければマスメディア間の情報競争に乗り遅れる事になってしまいますから、自ら報道を自主規制するようになってしまうのです。この環境でどうやって「現地取材」から事実の探求が行えるというのでしょうか。
それに日本側が「日中共同で南京大虐殺についての調査を行おう」と中国側に申し出ても、中国政府がそれを拒否するために全く「現地取材」ができないという事情もあります。「現地取材」を拒絶しているのは常に中国側の方なのです。これから言っても「自分たちにつごうの悪い真相を隠しつづけてきた」というのは、むしろ中国側のほうに当てはまりますな(笑)。自分たちの主張に理があるのであれば、積極的に取材を行わせるはずですからね~。
このような弊害がある以上、当時の南京の実状については、当時の日本軍や外国の資料、それに今現在公開されている中国側の資料などを使って把握するしか手がありません。そしてそれらからでもかなりの事実をつかむ事ができます。たとえば当時の南京の人口が軍人と民間人を合わせても最大25万人しかおらず、しかも占領後却って人口が増えた事、当時の日本軍の弾薬・補給事情の貧弱であるために物理的に30万大虐殺とそれに伴う死体処理が不可能である事、当時の新聞や国際社会で「南京大虐殺」が全く話題になっていなかった事、そして「シンガポールの華僑虐殺」の場合と同じく便衣隊が跳梁跋扈していた事情などが書かれている資料に基づいて、「南京大虐殺」を否定する人達は「虐殺説」を否定しているわけです。彼らの主張を否定したいのであれば、それを覆す資料を提示すれば良いだけの話ではありませんか。言論の自由と報道の自由のない中国で、相手の指示されるがままに「現地取材」を行うよりも、その方がはるかに確実ですし信憑性もあります。
それにしても、自分達が社会評論を論じる際に、その現象が起こった理由や原因や歴史的背景を何ら検証せず、表層的な結果だけを見て「悪」と断定するような連中が、よくもまあ中国の実情も把握せずに「現地取材がジャーナリズムの最低条件」などと論じる事ができますね。恥を知っていれば到底できないことです(笑)。
P135下段~P136下段
<一九九四年、日本の首相がマレーシアを訪問し、第二次大戦中の日本軍の侵略行為について謝罪した。するとマレーシア首相は「なぜ日本が五○年も昔のことを謝罪するのか理解できない」といった。日本のマスコミは騒ぎ、 一部の新聞や雑誌は「それ見ろ、謝罪などする必要はないのだ」と放言した。
だが、このマレーシア首相は、「国家に害を与える」という理由で、平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける非民主的な権力者である。為政者がテロを禁止するのは当然だが、平和的なデモまで禁じるというのは、民意を代表していない証拠であろう。そして、マレーシアの野党や新聞、台湾やフイリビンや香港などの、マレーシア首相発言を批判する声は、日本ではほとんど報道されなかった。そもそも、その発言の直後、マレーシア副首相が日本を訪れ、「首相の発言の真意は、日本の罪を赦すものでも認めるものでもない。日本の指導者と国民が、侵略を受けたアジア人民に心から謝罪し、過ちを認めれば、日本の首相は外遊のたびに謝罪しなくてもすむはずだ」という発言をした。副首相の発言は、アジア各国では広く報道されたが、日本の新聞はこれをまったく無視して、 一行の報道もしなかった。そのことをシンガボールの学者が指摘している。日本の新聞の体質がよくあらわれた話だ。まともで常識的な意見は無視し、特異な意見だけ取りあげて大さわぎするのだ。>
私は創竜伝や銀英伝を批判する際にいつも「政治の場に感情を持ち込むな」と主張しているものですが、この謝罪外交の事例などはまさに「政治に感情を持ち込んだ最悪の事例」であるといえるでしょう。外交の場というものは本来、どれほどまでの屁理屈をつけてでも自国の国益を主張するための場なのであって、そこで近隣諸国の顔色をうかがってばかりいるのは日本ぐらいなものなのですけどね~。
そもそも国家間の公式の外交の場で首相が「過去の戦争責任」について謝罪するという事が一体どういう事を意味するのか、田中芳樹は少しは考えた事があるのでしょうか? 謝罪して罪が清算されるというのは日本人以外には全く通用しない発想で、外国では謝罪などしたらそこから責任が発生するという考え方が常識なのです。「謝罪したら終わり」ではなく、そこから「責任追及が始まる」のです。そして国家間の外交における「責任の取り方」というのは大抵「賠償金の支払い」であると相場は決まっています。政治の場で本気で「心からの謝罪」とやらを実行しようとするのならば、そのように具体的に形にする以外に誠意の示しようがありません。すくなくとも、いくら口だけで「心からの謝罪」とやらを主張したところで相手国は全く信用してはくれない事でしょうね。
しかも仮にそうやって賠償金を支払ったところで、どのくらいの賠償金を支払えば「心からの謝罪」であると認めてもらえるかという明確な基準がない限り、日本は相手側が認めるまで永遠に賠償金を支払いつづけなければならないのです。こんな事態を招きかねない、世界外交史上最悪と言ってもよいほどの愚行を行った当時の社会党政権は一体何を考えているのかと私は言いたいぐらいなのですけど。
そもそも第二次世界大戦における戦後処理・戦後賠償の問題は、すでにサンフランシスコ平和条約、日韓基本条約、日中平和友好条約などですでに決着がついており、今更謝罪を要求されるような筋合いのものではありません。過去に結ばれた条約を無視してまで、すでに決着のついた問題を蒸し返して謝罪する事は明白な国際法違反です。人サマに法治主義についてアレほどまでに説教する人が国際法違反を推奨してはイケマセン(笑)。
それにマレーシアのマハティール首相を「非民主的な権力者」などと弾劾するのもいかがなものか。「平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける」って言っても、東南アジアの国情から考えると「弾圧対象」が華僑中心であるというのは容易に想像がつきますし、彼らが経済的に相当な力を持ち、東南アジアの国々と対立しているというのは以前の評論で説明した通りです。すくなくとも、弾圧される側が一方的な弱者などではなく、本当に「国家に害を与える」危険性があるという事情くらいは考慮されて然るべきでしょう。そして現地の国家と対立している彼ら華僑が現地のマスメディアを握って反日報道を積極的に行っているという事実もまた、考慮されて然るべきものでしょうね。つまり彼ら華僑の反日報道は、現地の国民感情を忠実に表現したものなどではないということです。
マハティール首相は、欧米ではなく日本を模範にした「ルックイースト政策」を提言し、また大分県の平松知事から「一村一品運動」について学ぶなど、日本に対して最も好意的な政治家ともいえる人物です。日本の謝罪外交に対する発言も、日本の事を心から考えた上での忠告だったのですし、さらにその後「日本に対して今更戦後賠償を求めるような事は、わがマレーシア国民にはさせない」という主旨のことまで言ってくれたのですけど、日本にとって大変貴重であるそのような親日的な外国の政治家を「非民主的な政治家」というただ一言で斬り捨てるような発言は、それこそ竜堂兄弟や「仙界の連中」が主張していた「友達をなくす行為」(By瑤姫)だと思うのですけど(笑)。
この社会評論は田中芳樹の評論を語る際の体質がよくあらわれた話ですね。まともで常識的な意見を何ら検証せず、しかも主張と何ら関係ない事を持ち出してまで「絶対悪」のレッテルを貼り、夢想的で特異な意見だけをあたかも「絶対善」であるかのように取りあげて大さわぎするのですから(笑)。
P142上段~P143上段
<「私どもが考えだした消費税は魔法の杖です。振ればいくらでも金銭が沸いて出る。いずれ二〇パーセントまで上げるべきですな」
「そう簡単にいわんでほしいなあ。君たち官僚とちがって、私らには選挙というものがあるんだ。あんまり国民感情にさからうわけにもいかんよ」
官僚の特徴は、極端なエリート主義である。自分たちだけが優秀で公正で国家を憂えている、と信じこんでいるのだ。彼らにとって国民とは衆愚にすぎないし、衆愚に選ばれた政治家も無能だと思っている。彼らは行政改革もせず、税金の浪費もやめず、大企業や財団への天下りもやめない。そんな必要はないのだ。御用文化人やマスコミを動員して国民を洗脳した結果、「消費税が上がるのは福祉のためにしかたがない」とみんな思うようになった。だが消費税がほんとうに福祉のために費われているという証拠はどこにもない。資料の提出を国民が求めても、「守秘義務」と称して拒絶する。官僚は自分たちを「公僕」だなどとは思っていない。愚かな国民を支配し指導するエリートだと思いこんでいる。いまや消費税という無限の財源を、彼らは手にいれた。三パーセントが五パーセントになり、七パーセントから十パーセントへ、今後は上がる一方である。「西ヨーロッパ諸国のほうがもっと税率は高い」という声もあるが、もともと西ヨーロッパ諸国は日本に較べて物価が安いのだ。>
田中芳樹よ、消費税と官僚を無理矢理にくくって偉そうに批判するより先に、もう少し税制と経済の基礎ぐらいは学んでおいた方が良いんじゃないですかね。毎年半分近くの税収が自営業者に脱税されてしまう消費税を「無限の財源」などと言っているようでは、税制に対する無知を自白しているようなものですな(笑)。あの消費税には構造的な欠陥があって、自営業者が脱税しやすくなっているという事実を田中芳樹は全く知らないのでしょうね。
それに消費税が上がることがまるで絶対悪であるかのように言っていますけど、消費税率が上がる分、特別減税措置がなされたり所得税や法人税の最高税率が下がっているという事実は全く無視されていますね。所得税をはじめとする直接税は「収益」に課税されるために税収が不安定であるという特徴があり、経済の高度成長時には多くの税収が見込めますが、安定成長時ないし不景気では税収が下がってしまいます。しかも今後の高齢化社会による労働人口の減少により、ますます直接税による税収は下がると見られているのです。それに対して消費税のような間接税には「消費活動」に課税されるために安定した税収が見込めるという利点があり、長期的な国家の財政運営の観点から見れば間接税の重視こそが望ましく、そのために消費税が導入されたのです。したがって「直間税率の見直し」という観点から見れば、消費税率が上がっていくことはむしろ望ましい事なのです。
もっとも、橋本政権の消費税5%政策の場合は、日本の不況をさらに拡大してしまうという破滅的な効果をもたらしてしまいましたが、これは税率を上げた時期が悪かったからであって「景気対策」「経済政策」などと一緒に論じられるべき問題でしょう。不景気の真っ只中で増税などをすれば、そりゃ景気は一気に冷え込みますわな。消費税の税率引き上げは、その時期を見計らう事こそが重要であるというわけです。
これだけでも消費税引き上げに対する反論としては充分であると思いますが、さらに笑ってしまうのが「西ヨーロッパ諸国は日本に較べて物価が安い」から消費税率の引き上げは不当であるという論法ですね。こんなのは反論にもなっていません。「物価が高い」という事は「消費税の収入額が多い」と同時に「国家財政の支出の額も高くなる」という事になるわけで、完全にバランスが取れてしまうのですけど(笑)。税率の問題で西ヨーロッパ諸国との物価比較など何の意味もありません。まさか日本で収集された税金を西ヨーロッパ諸国で使用するわけではあるまいに(笑)。これは田中芳樹が経済における収入と支出の関係がまるで分かっていない証拠ですね。これで消費税を批判されてもな~。
で、ひとつ思うのですけど、私が取り上げたような消費税問題と、官僚のエリート意識や天下りといった問題とに、一体何の相関関係があるというのでしょうか? 私には全く無関係な事を無理矢理つなぎ合わせているようにしか見えないのですが。
P147下段~P148上段
<靖一郎がいま苦労しているのは、文部省とのさまざまな折衝だった。富士山が大噴火して多くの死者が出ても、日本の社会システムにたいした変化はない。文部省がつぶれたわけでもなく、翌年にもきちんと大学入試はあるのだ。文部省は財界などにつつかれて、このところ「学生の理科系離れを防がねば、日本はテクノロジーで諸外国に立ちおくれてしまう」と騒ぎたて、補助金を理科系優先にする、などといいだしているのだった。靖一郎としては共和学院をもっと大規模な学校にして補助金もより多くもらいたいところなのである。
だが近代日本の歴史を見ると、つねに理科系は優遇され、文科系は冷遇されてきた。筑波研究学園都市は政府が巨額の資金を投入して建設されたものだが、そこにあるのは理科系の施設ばかりで、文科系の施設などはほとんどない。大企業も、理科系の学部や大学院には資金援助をするが、文科系に対して寄付などめったにしない。>
上記の文章は、まず社会評論を語るための前提が破綻していますね。「富士山が大噴火して多くの死者が出」、さらに東京の首都機能がマヒ状態になっているというのに、なぜ鳥羽靖一郎に「文部省と折衝」するような余裕があるのでしょうか。その前に学校と生徒と今後の学校運営の事を心配しなさいよ(笑)。文部省の側も、たかだか「私立の共和学院」などにかまっている余裕があるのならば、首都機能がマヒしている東京の学校指導対策でも行えば良いものを。第一、被害を受けていない他県の大学はともかく、東京近辺に存在する大学は富士山の大噴火でほぼ壊滅状態になっている上、受験する側も大部分が被災しているのですから、翌年にきちんと大学入試ができるかどうかもはなはだ疑問なのですけど。
とまあストーリー設定におけるツッコミはこのくらいにしておいて、本編の社会評論批判にいくとしますか(笑)。
この社会評論から滲み出ているのは、学校の教育問題全般に対する田中芳樹の無知ですね。まあ創竜伝の社会評論における田中芳樹の無知は今に始まった事ではありませんが(笑)、例によって例のごとく、批判対象である理科系の存在意義や大企業との関係などについて全く考えた形跡がありません。文部省の「学生の理科系離れを防がねば、日本はテクノロジーで諸外国に立ちおくれてしまう」という危機感は完全なる事実です。戦後の日本の奇跡的な経済発展や最先端テクノロジー技術などは、まさに理科系の充実によって支えられてきたのであり、しかも今後コンピュータ関連技術やバイオテクノロジーの開発などでますます理科系が重要になると予想されるため、学生の理科系離れは企業にとっても文部省にとっても深刻な問題として受け止められているのです。これについては下の批評で後述します。
それに「補助金」ってねえ……。この「補助金」こそが、学校の自由な運営を阻害している最大の要素で、学校間の自由競争を妨げ、学校全体の教育水準を著しく低下させている元凶であるという事も田中芳樹は知らないのでしょうね。国から補助金を受けている限り、余程バカな学校経営者でもない限り学校が潰れることがまずないために惰性的な経営に安住してしまうことが、学校教育を画一化させてつまらないものにしてしまい、ひいては学生の教育水準を引き下げてしまっている大きな原因なのです。学生の理系離れの問題も、補助金制度による「教育の画一化」こそが大きな原因のひとつであるといえるでしょう。教育問題を問うのであれば、むしろ文部省の補助金制度自体のあり方について考えなければならないはずなのに、「補助金が理系偏重」などと見当違いなことを主張してどうするのでしょうか。
第一、田中芳樹の常日頃からの主張から言っても、「国家権力」であり「右翼の巣窟」でもある文部省の補助金なんぞは無用の長物であると断言する事こそが、この部分における本来の田中芳樹の社会評論の論調であるはずでしょうに(笑)。現実問題として見ても、実際に文部省の補助金制度は文部省の学校統制という一面もありますし、それに孔子サマのことわざで「渇しても盗泉の水を飲まず」と言いますからな(爆)。
あと余談ですけど、日本国憲法には国公立学校以外の学校に対する私学助成金を禁止する条項(日本国憲法第89条)があり、これからいくと私立学校の共和学院が文部省からの補助金をもらう事は憲法違反に問われることになるのですけど、社会評論を語る時にあれほどまでに法治主義にうるさい田中芳樹がなぜこの事実に対して怒らないのか、私にはホントに不思議でなりませんね。
P148上段~下段
<第二次世界大戦のころ日本では「学徒動員」がおこなわれた。「大学生も銃をとって戦場にいき、お国のために死ね」というわけである。ところがこのとき戦場へ駆りたてられたのは文科系の学生で、理科系の学生は動員を免除されたのだ。「文学部や法学部の学生など死んでかまわん。だが医学部、理学部、工学部の学生は役に立つから生かしておこう」というのが日本軍の考えだった。そういう傾向は戦後になっても変わらなかった。高校には理数科というものがつくられて、そこで学ぶ生徒は学校側によってエリートあつかいされ、別に医者になりたくないのに大学の医学部に合格するのが成功とされた。理科系科目を、教科でも学問でもなく、生徒をエリートと非エリートとに差別する手段として使っていたのだから、生徒たちが嫌気がさすのは当然である。
「生徒たちの国語力が低下している、自分たちの国の歴史を知らない」と指摘されても、国も大企業も平然としていた。「自分でものを考える社員などいらない」と放言した財界人もいる。それが「理科系離れが進んでいる」といわれると、大さわぎで対策を練り、資金を出す。学問を自分たちに都合のいい道具としてしか見ていないからだ。>
このような社会評論を見ていると、いかに田中芳樹が近代戦や近代科学における理系の重要性について無知であるかが理解できますね。まさか田中芳樹は「竹槍で航空機が落とせる」などという時代錯誤的な考えの持ち主なのではないでしょうね(笑)。まああれほどまでにひどい現代兵器に関する無知もこの辺りに由来しているのでしょうけど。人サマに偉そうな説教ができるほどに歴史を学んでいるというのならば、もう少し近代における理系の重要性を理解したらいかがです?
旧日本軍の「文学部や法学部の学生など死んでかまわん。だが医学部、理学部、工学部の学生は役に立つから生かしておこう」という考え方は、前半部分はともかく後半部分は何ら間違った考え方ではありません。医学は戦場における負傷者の救護活動のために、理学・工学は近代兵器を開発・生産するためにそれぞれ必要不可欠なものです。ことに20世紀の戦争では近代兵器の開発が飛躍的に進み、近代兵器の研究・開発・生産なしには到底戦争に勝てないとまで言われているほどです。戦争を抜きにしても、日本のような資源を全く産出しない国家が国際社会で生き残るためには、工業力を発展させるしか方法がなく、そのためにも理系分野を充実させる事が求められたのです。現に戦後日本の奇跡的な高度経済成長と工業技術力の発展は、この理系学生の充実によってもたらされたのですから、戦況不利によってなし崩し的に行われた「学徒動員」の方はともかく、旧日本軍の理系重視政策自体は、政治的結果から見ても妥当な政策であったと言えます。かくのごとく成功した政策を戦後日本が受け継いだのはむしろ当然の事です。ましてや、現代では理系の重要性は昔とは比較にならないほどに高くなっている上、学校運営費用も研究費用などのために文系とは比較にならないほどに高いのですから、国や大企業が人材確保の観点から先行投資をするのは当たり前です。それとも理系学科はどこからも援助を受けてはイケナイとでも言うのでしょうか。
それから「理数科」についてですけど、これは「成績優秀な生徒に対してさらに高度な学問を教え、高度な専門知識を身につけさせよう」という思想のもとに生まれた学科であって、別に「生徒をエリートと非エリートとに差別する手段として」設立されたわけではありません。成績優秀な生徒と成績劣悪な生徒とが一緒に勉強するとなると、教える側の授業方針としてはどうしても成績劣悪な方に合わせて講義せざるをえず、それでは成績優秀な生徒の学習が足止めされてしまうからこそ、成績優秀な生徒のための授業ができる「理数科」が設立されたのです。その事情が成績劣悪な生徒の視点から見れば「エリート」に見えるのは仕方がないのかもしれませんが、仮にも評論を展開する者がこんな偏見に満ちた目で「理数科」を見てどうするのでしょうか。
そして「理数科」というのが基本的に理系学科である以上「大学の医学部に合格するのが成功とされ」るのは「理数科設立の目的」からすれば当然の事でしょう。社会通念として「医者になれば成功」というのがあるのですし(最近は違うようですが)、実際医学部に入学するというのは難しいそうですからね。「別に医者になりたくないのに」というのは個人の将来志望の問題であって「理数科という学科の問題」などではありません。将来医者になることに価値を見出す人もいればそうでない人もいるから価値観の押しつけは良くない、ただそれだけの事です。そしてこれは何も「理数科」に限った問題ではないでしょうに。生徒と教師との間で解決すべき問題を、あたかも「理数科特有の問題」にしてしまう3流イカサマトリックは大したものですね。このような偏見に満ちた3流社会評論を堂々と展開するなど、恥を知っていれば到底できないことですから(笑)。
さらに「生徒たちの国語力が低下している、自分たちの国の歴史を知らない」というのも、何度も言うように自虐史観のような教育方針を積極的に推し進めていった日教組をはじめとする教育組合の方に問題があるのであって、しかも思想にこだわらない大企業はともかく、国の方は平然としているわけではありません。国の教育を担当している文部省の学習指導要領で、いつも歴史教育や国語教育の重要性を説いているではありませんか。にもかかわらずそれを教育組合の側が全く守っていないのです。学生の「国語力の低下」と「歴史の無知」を批判したいのならば、むしろ日教組にこそ批判の矛先を向けるべきでしょう。何でいつもそうなっていないのか、非常に不思議でならないのですが。
はじめまして。普段ROMってる者ですが、気になる記述があったので
書き込みしたいと思います。
冒険風ライダーさんは書きました
>毎年半分近くの税収が自営業者に脱税されてしまう消費税を
ここですが、脱税というのは、法を犯して納税を免れる犯罪行為のこと
です。世の中、そういうことがまかり通っているというのでしょうか?
また、本来の税収の半分が脱税されているということですが、それは
何を根拠にしたものなのでしょう?
最近は、田中氏の作品自体は本当にどうでもよいと思うようになったものの、このサイトだけは未だに拝見しています。
皆さんの書き込みの方が、ずっと自己の発言に対する姿勢が真摯で読み応えがありますから。
さて、冒険風ライダーさんの創竜伝批評についてはそのボリュームにいつも圧倒されるのですが、ところどころ思いつくままに書いてみました。
> それに日本側が「日中共同で南京大虐殺についての調査を行おう」と中国側に申し出ても、中国政府がそれを拒否するために全く「現地取材」ができないという事情もあり
>ます。「現地取材」を拒絶しているのは常に中国側の方なのです。これから言っても「自分たちにつごうの悪い真相を隠しつづけてきた」というのは、むしろ中国側のほうに当て
>はまりますな(笑)。自分たちの主張に理があるのであれば、積極的に取材を行わせるはずですからね~。
マスコミによく取材されコキおろされることの多い職場に身を置く者の率直な感想としては、自分で真実と結論を予め用意して、それを立証する(自分を納得させる)、
あるいは補強するような「事実」しか聞きたがらない(解釈しない)マスコミが結構多いなあと思います。
そういう連中にとっては、こちらがどんなに資料を用意し、理を尽くして説明しても、「詭弁」や「言い訳」の一言で片づいてしまうのでしょう。
いや、確かに言い訳が多いのは認めますが(苦笑)、全部そうだと決めてかかられるのも困るんですよね。
意図的にではなくても、先入観から無意識のうちに結論を想定してしまうこともあるでしょうし。
時に、ペンは剣よりもよっぽど野蛮だということを、もっと自覚して欲しいものです。田中氏ともども。
> 官僚の特徴は、極端なエリート主義である。自分たちだけが優秀で公正で国家を憂えている、と信じこんでいるのだ。彼らにとって国民とは衆愚にすぎないし、衆愚に選ば
>れた政治家も無能だと思っている。彼らは行政改革もせず、税金の浪費もやめず、大企業や財団への天下りもやめない。そんな必要はないのだ。御用文化人やマスコミを動
>員して国民を洗脳した結果、「消費税が上がるのは福祉のためにしかたがない」とみんな思うようになった。だが消費税がほんとうに福祉のために費われているという証拠は
>どこにもない。資料の提出を国民が求めても、「守秘義務」と称して拒絶する。官僚は自分たちを「公僕」だなどとは思っていない。愚かな国民を支配し指導するエリートだと思
>いこんでいる。いまや消費税という無限の財源を、彼らは手にいれた。三パーセントが五パーセントになり、七パーセントから十パーセントへ、今後は上がる一方である。「西ヨ
>ーロッパ諸国のほうがもっと税率は高い」という声もあるが、もともと西ヨーロッパ諸国は日本に較べて物価が安いのだ。>
うーん、私の印象は、官僚は自意識過剰なエリートというより、世間知らずの坊ちゃんというイメージですね。
ここ最近キャリアの人事制度について報道される機会も増え、既にご存じの方も多いと思いますが、世俗(という言い方が適切かどうかはわかりませんが)とは隔離されたまま
閉鎖的な空間で日々を過ごすことが多いです。
若いうちは毎日朝から深夜まで職場に詰めっぱなしか、帝王(官僚)教育の一環で地方部局のお偉いさんとしてちやほやされているか(あるいは海外に留学・赴任しているか)
しかありません。
係長や補佐時代に主力として働いている間も、ほとんどオフィスから出ることなく、仕事の相手と言えば他省庁かさもなくば下に抱える特殊法人等。
で、最後にご褒美として、若かりし頃に安月給でコキ使われた分を取り戻しなさいといわんばかりに当てがってくれた天下り先で、高級をはみ悠々自適の遅い春を謳歌する、
というのが一般的なパターンではないでしょうか。もちろん、途中で政治家や研究者に転身したりする方もいますが。
でも確かに、現役官僚は私生活のほとんどを犠牲にして長時間の公務に携わっているということは事実であり、その点についてはプライドを持っているだろうし、
奉公はともかく、滅私という視点からなら、立派な「公僕」と呼んで差し支えないと思います。
そんな姿を見ていると、そりゃ天下りでもなきゃ採算合わないだろうなあと思います。いいことじゃありませんけど。
私はそもそも高級官僚になんて逆立ちしてもなれませんけど、もし「高級官僚にしてあげるよ」と言われても絶対に断ります。
若い頃の逸失利益と天下り後に得るであろう想定利益を天秤にかけると、私の価値観では圧倒的にゲインよりペインの方が大きいので。
毎日遅くまで拘束され、人並みの生活もさせてもらえないので、私は自分の所属組織も、その上層部である官僚も嫌いです。
そんな私でも、官僚の働きぶりについては一目置いています。呆れ混じりですが。誰にも感謝されないのに、よくもまあ私人としての娯楽や幸せを放棄してまで、
議員への根回しやら想定問答(言い訳とも言う)の作成やら、くだらない仕事に精励できるもんだと。
> だが近代日本の歴史を見ると、つねに理科系は優遇され、文科系は冷遇されてきた。筑波研究学園都市は政府が巨額の資金を投入して建設されたものだが、そこにある
>のは理科系の施設ばかりで、文科系の施設などはほとんどない。大企業も、理科系の学部や大学院には資金援助をするが、文科系に対して寄付などめったにしない。>
この部分については、田中氏の理系に対するやっかみというか妬みがにじみ出ているようで、みっともないという気さえしますね。
そういえば、彼の作品中、理系のキャラといえば、企業家や政治家と並んでイカレた敵役ばかりだったような気が。
創竜伝のタモザワ医師とか、「晴れた空から突然に」の針生とか。
国家はともかく、利潤追求団体である企業が虚学(実学の対義語という意味で)である文科系に対して援助に消極的なことが、まるで悪であるかのようなこの書き振りは・・・
彼にとっては、「利益を搾取しているのだから、大企業はお金にならないことに対しても資金援助するのが当然の義務」なんでしょうか?
国家予算が理系に偏るのも、理系の学問・技術が戦後日本の成長を支えてきたという事実がある以上、自然の成り行きでしょう。
また、組織は一度獲得した予算というのは絶対に手放そうとしませんから、硬直した官僚組織の弊害という一面もあるかもしれません。
なお、私の官僚観というのは、あくまで身内とはいえ所詮は他人の目から見たもの(私自身はただの公務員)にすぎず、
田中作品やマスコミ報道イメージの官僚像との対比くらいには有用かな、という程度のものでしょう。
興味のある方は、「NHK狂育」というサイトをご覧になることをおすすめします。(無断リンクとなるのでリンクは貼りません。Infoseek等で検索してみてください。)
某庁に勤務する現役官僚の方のサイトで、いろいろと興味深い書き込みがあります。下手すりゃただの愚痴&自虐サイトに堕すところを、シニカルながらも独特のユーモアセンスに
満ちた文章で、読んでいて飽きません。ああいうところは、さすがインテリ(皮肉ではなく)と唸らされます。
では、とくに主旨も定めないままだらだらと書き連ねた私の拙文におつき合いいただいた方、ありがとうございました。
冒険風ライダーさんは書きました
> > P135下段~P136下段
> <一九九四年、日本の首相がマレーシアを訪問し、第二次大戦中の日本軍の侵略行為について謝罪した。するとマレーシア首相は「なぜ日本が五○年も昔のことを謝罪するのか理解できない」といった。日本のマスコミは騒ぎ、 一部の新聞や雑誌は「それ見ろ、謝罪などする必要はないのだ」と放言した。
> だが、このマレーシア首相は、「国家に害を与える」という理由で、平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける非民主的な権力者である。為政者がテロを禁止するのは当然だが、平和的なデモまで禁じるというのは、民意を代表していない証拠であろう。
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一応マハティール与党は前回の選挙で、第一党の座を保ったわな。選挙が公正ではない、御用マスコミの偏向、野党の制限、買収……などなどがあったことは勿論だが、それでも「全く民意を反映していない!」と言えるのか。言いきったら凄いけど。
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そして、マレーシアの野党や新聞、台湾やフイリビンや香港などの、マレーシア首相発言を批判する声は、日本ではほとんど報道されなかった。
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されたよねえ。
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そもそも、その発言の直後、マレーシア副首相が日本を訪れ、「首相の発言の真意は、日本の罪を赦すものでも認めるものでも……まともで常識的な意見は無視し、特異な意見だけ取りあげて大さわぎするのだ。>
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単純な疑問だけど、この人も、その強権的政府の一員でしょ?後に政敵になったとはいえ。こっちは「まとも」なの?
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と言いつつも、冒険風氏にも異論有り。
> それにマレーシアのマハティール首相を「非民主的な権力者」などと弾劾するのもいかがなものか。「平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける」って言っても、東南アジアの国情から考えると「弾圧対象」が華僑中心であるというのは容易に想像がつきます
マハティール体制の歴史を見ると、確かにマレー人優先の政策を取ったことで一時的に華僑とは対決してきたが、むしろ今はマハティールの同盟者という感が強い。
これは彼の政敵アンワルが(西洋にも受けはいいものの)、イスラム運動を支持基盤としているため、非宗教的政策を推進するマハティールが相対的に支持されたかららしい。
実際、マハティール時代は、反華人暴動・民族対立は他の東南アジア諸国と比べて各段に少なかった。つうわけで華僑云々は違うのでは?
以下資料。
http://www.sfc.keio.ac.jp/~s97752sh/sougouseisaku/minzokumondai.html
(マハティールの改革・民族問題への取り組み)
「彼は伝統的特権層の代表である国王をはじめとするスルタンの権限縮小を求めた。これまで、伝統的特権層に批判的な声が聞かれなかったのはこれまでの首相が全員、マハティールと違って伝統的特権層の出身であったからだ。権限の縮小は結局、妥協が図られる結果となったが、これによってマレー社会でもスルタン制の在り方を考え直そうという動きが出始め、それまで完全なマレー・ナショナリストだと思われていたマハティールは非マレー系社会でも、認識を改めようとする空気が広がった。」
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しかしマレーシアという国を大雑把に、民主主義か非民主主義かといえば、やっぱ非民主主義、と言っていい。台湾や韓国と同じようには扱えない。
しかし、自由が全くないかといえばそれも違う。アジアでいえばまあまあ、少なくとも属しているSEATO内部で見れば、上から数えられる程度には市民的自由が存在してるぞ。中国はいうに及ばず、シンガポールや(スハルト時代の)インドネシアと比べても。
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これは、「半分自由な国」の持つジレンマみたいなとこがあって、そういう所で曲がりなりにも野党が活動してると、与党は必死になって野党を抑えこみ、選挙で第一党になる。マスコミを発禁にする、デモを抑えこむ。そうすると完全な民主国家からは批判される。
…が、確かに非難されるべきとはいえ、一方には
それ以前に野党がない、新聞は1紙しかない、デモは始まる前に逮捕される(笑)という国々もある。そんな国は目立たず余り非難を浴びないというジレンマ(70年代の南北朝鮮報道を見よ!)
そういう国よりは、イゼルローン政府ではないが民主主義という木が後に育つ「種」が保存されやすい、といえよう。
マハティールはそういう点で、
”まあ、彼の評価には今後50年かかるだろうな”(爆笑)
と思うんだが。これは権威主義体制、開発独裁をどう評価するかという話だけど。
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以下資料
http://www01.netweb.ne.jp/~kimura/meikyu/a028.html
(これはちょっと一面的)
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http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/maha/000215.html
[どくとるマハティールの世界診断](彼自身の文章)
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http://www.niji.or.jp/home/yasunao/time/9810/blackest.html
「TIME」記事の翻訳
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<脱税というのは、法を犯して納税を免れる犯罪行為のこと
です。世の中、そういうことがまかり通っているというのでしょうか?
また、本来の税収の半分が脱税されているということですが、それは
何を根拠にしたものなのでしょう?>
これについては消費税の税収方法から説明することにしましょう。
まず、消費税を納めるのは事業者ですが、その際事業者は、売上高に課された税額から仕入に負担した税額を控除され、その残りを税額として算出します。これを「前段階税額控除方式」といいます。
この「前段階税額控除方式」の控除額の算出方法には、仕入先の発行するインボイス(税抜きの売上金額と税額を明記した税額票)の税額から計算する「インボイス方式」と、事業者の帳簿に記載された税額から計算する「帳簿方式」の2種類があり、西ヨーロッパ諸国は前者、日本は後者を採用しています。実はこの違いこそが、日本の消費税に脱税が発生しやすい最大の原因になっているのです。
「インボイス方式」は、最終小売価格により税額全体が一定化するため、一方の当事者間の税額負担軽減が他方の負担増額になることから、取引当事者同士の相互牽制によるインボイスによって正確な税額が把握でき、また複数の税率(たとえば生活必需品を非課税にしたり、ある商品の税率を低減するなど)を設定しても対応しやすいという特徴があります。反対に事業者の納税負担が大きいという欠陥がありますが。
これに対して「帳簿方式」は「インボイス方式」と比べて制度が簡略であり、事業者の行政の納税負担が少ないという利点があるのですが、同時に片方の取引当事者のみの視点から帳簿が書かれる事になるために事業者の恣意が入りこみやすく、構造的に脱税がしやすいという欠陥があるのです。
このため、消費税の税収には不透明な部分が多く、税金の4割~5割ほどが事業者によって脱税されていると言われているのです。何しろ制度の構造的な欠陥のために脱税がバレにくいものですから、多かれ少なかれ「帳簿のごまかし」による脱税が行われているという訳です。
消費税のさらに詳しい内容については、小室直樹氏の著書「消費税の呪い」「悪魔の消費税」を参照する事をお勧めします。
<マハティール体制の歴史を見ると、確かにマレー人優先の政策を取ったことで一時的に華僑とは対決してきたが、むしろ今はマハティールの同盟者という感が強い。
これは彼の政敵アンワルが(西洋にも受けはいいものの)、イスラム運動を支持基盤としているため、非宗教的政策を推進するマハティールが相対的に支持されたかららしい。
実際、マハティール時代は、反華人暴動・民族対立は他の東南アジア諸国と比べて各段に少なかった。つうわけで華僑云々は違うのでは?>
う~ん、これは私の検証不足でしたね。あの評論ではマハティール首相の擁護と謝罪外交の愚行ぶりの強調に重点をおいていたために、マレーシアの内政状況にまで手が回りませんでした。それにマレーシアの反華僑感情はインドネシアと同レベルだと考えていたもので。
引用された部分については新Q太郎さんの反論を受けいれておく事にしましょう。御指摘ありがとうございます。
<マハティールはそういう点で、
"まあ、彼の評価には今後50年かかるだろうな"(爆笑)
と思うんだが。これは権威主義体制、開発独裁をどう評価するかという話だけど。>
たとえ開発独裁によるものであっても、それがもたらした経済発展とある程度の政治的自由を獲得した事については、「政治は結果が全て」という観点から見ても充分に評価されて然るべきであると思いますけど。
すくなくとも、どこぞの某作家が礼賛している文革時代の毛沢東などよりもはるかに賞賛に値する事は間違いないでしょうね(笑)。
紹介されてた本は、ざっと本屋を見て回ったんですが、みあたらなかったので
そこにはどうのように説明されているのかは分かりませんが、やはりまだ納得は
出来ません。
確かに、帳簿をごまかして納税を免れるようなことがあれば、脱税になる
でしょうね。しかし、帳簿方式は不明瞭な部分があって脱税を誘発する危険性が
高いというのならともかく、だからこそ、脱税のやり放題というのはどうかと
思います。
少なくとも、現状においては、一部の例外をのぞいて税率が一律なこと、非課税
取引が限定的なことから、帳簿からでも控除対象仕入税額を割り出すのはそれ程難
しい事ではないと思います。また、今では、帳簿を保存すると同時に、請求書等の
保存も義務付けられていますので、帳簿の正確性については、より要求が強化されて
います。それ程大がかりな脱税が見逃されるとは思えませんが。
<少なくとも、現状においては、一部の例外をのぞいて税率が一律なこと、非課税
取引が限定的なことから、帳簿からでも控除対象仕入税額を割り出すのはそれ程難
しい事ではないと思います。また、今では、帳簿を保存すると同時に、請求書等の
保存も義務付けられていますので、帳簿の正確性については、より要求が強化されて
います。それ程大がかりな脱税が見逃されるとは思えませんが。>
前回の投稿では「消費税制の欠陥を誰にでも分かりやすく説明する」ことに重点をおいて簡略に述べただけでしたので、今度はもう少し税制システムの内容に踏みこんでみる事にしましょう。
これは前回の投稿でも言っていたのですけど、現行の「帳簿方式」の最大の欠陥は「取引当事者間の相互牽制作用が全く働かない」という事にあるのです。
「インボイス方式」の場合、仕入にかかる控除税額が正確に把握されるというだけでなく、最終小売価格によって税額全体が一定化され、取引当事者間の一方が税額をごまかそうとすると、他方がその分税額の負担増になるというシステムになっています。このため取引当事者間で常にインボイスを送付する事によって相手側の税額のチェックを行い、仕入にかかる証拠書類なども綿密に作成しなければなりません。これが「取引当事者間の相互牽制作用」であり、そのために事業者や行政の税額負担が増大もするのですが、それが構造的な脱税を事前に防いでいるのです。
しかし「帳簿方式」にはそのようなチェック機能がありません。また取引に関する書類も充分に作成されないために、書類をたどることによる調査も確実なものにはなりえません。このように控除税額が計算される過程が非常に不透明なものとなってしまうために、構造的に事業者による「帳簿によるごまかし」がやりやすく、しかもバレにくいというわけです。
この肝心の欠陥を放置した状態で帳簿や請求書などをいくら保存したところで、事業者が帳簿作成の際に税額控除に有利なように取引内容の数字を操作したり、架空の請求書などを作成したりすれば簡単に脱税ができます。何しろ「取引当事者間の相互牽制作用」が全然働かないために取引内容の改竄が容易にできるのですから、帳簿作成は事業者の思うがままです。これでは事業者が余程の善人でもない限り、帳簿には何らかの手が加えられることになるでしょう。
消費税徴収の際に「事業者の善意」などに頼らざるをえないような現行の「帳簿方式」は、一刻も早く「インボイス方式」に変更されるべきであると思うのですが。
また、遅くなりましたが。
税額の計算過程が不透明とのことですが、そうでしょうか?
念のために、申告においての消費税の税額の算出方法を簡単に示しましょう。
(税込課税売上高)×4/105=(売上に対する消費税額)
(税込課税仕入高)×4/105=(控除対象仕入税額)
(売上に対する消費税額)-(控除対象仕入税額)=(納付すべき消費税額)
(納付すべき消費税額)×25%=(納付すべき地方消費税額)
(事業者が納付する消費税等の額)=(納付すべき消費税)+(納付すべき地方消費税)
と、上のようになるわけですが、これから言えることは、売上高と消費税が課税された
支出の総額を集計すれば消費税額は自動的に決まるのだということです。
つまり、業者間の取引で消費税という名目のものがどのように扱われようと、申告上は
まるっきり影響しないわけです。ですから、相互牽制作用を期待するまでもなく、税額
が算出されるわけで、そうそう事業者の思惑が入り込めるとも思えません。調査の際も
お互いの計上額を付け合わせれば良いのですから難しい事ではないはずです。
というわけで、必ずしも消費税の算出が不明瞭とは言えないのではないでしょうか。
帳簿の改ざん云々は、消費税のみならず、法人税や所得税にも影響してくることで
制度の欠陥とかいう以前の問題だと思いますけどねぇ。
<税額の計算過程が不透明とのことですが、そうでしょうか?
念のために、申告においての消費税の税額の算出方法を簡単に示しましょう。
(税込課税売上高)×4/105=(売上に対する消費税額)
(税込課税仕入高)×4/105=(控除対象仕入税額)
(売上に対する消費税額)-(控除対象仕入税額)=(納付すべき消費税額)
(納付すべき消費税額)×25%=(納付すべき地方消費税額)
(事業者が納付する消費税等の額)=(納付すべき消費税)+(納付すべき地方消費税)
と、上のようになるわけですが、これから言えることは、売上高と消費税が課税された
支出の総額を集計すれば消費税額は自動的に決まるのだということです。
つまり、業者間の取引で消費税という名目のものがどのように扱われようと、申告上は
まるっきり影響しないわけです。ですから、相互牽制作用を期待するまでもなく、税額
が算出されるわけで、そうそう事業者の思惑が入り込めるとも思えません。調査の際も
お互いの計上額を付け合わせれば良いのですから難しい事ではないはずです。
というわけで、必ずしも消費税の算出が不明瞭とは言えないのではないでしょうか。>
それではその帳簿に記載されている「売上高」や「仕入値」が完全に正しいという証明は一体どうやって行うのですか? 「取引当事者間の相互牽制作用」が働かないために事業者間の商取引の内容が把握できず、事業者の所得水準も把握できないのに、帳簿に記載されている売上高や仕入値の数値が正確なものであると証明する事はできないでしょう。「インボイス方式」のような外部からのチェック機能が全くなく、ホントかどうかも分からない帳簿上の数字にのみ頼らなければならない税収システムはとても信頼のおけるものではありません。チェック機能がなければ脱税は確実に発生します。
上記の計算式だと、計算式の大元である「税込課税売上高」と「税込課税仕入高」が非常に不透明になってしまっていて、しかもその内容が正しいかどうかをチェックする機能がないからこそ、現行の「帳簿方式」では脱税がやりやすいシステムになっているのです。計算式に代入する数値に問題があれば解答にも間違いがでるでしょう。これが「税額の計算過程が不透明である」という意味だったのですけどね。
あと「帳簿方式」には「販売品の値上げ」と「転嫁された消費税額」の区別が不明確で、便乗値上げが起こりやすいという欠陥もあります(益税の問題)。
ちなみに「インボイス方式」による事業者の商取引内容や所得水準の把握は、消費税だけでなく所得税の徴収にも影響してくる非常に重要なものです。現行の所得税はクロヨン(所得に対する捕捉率が職種によって違うために、捕捉されない所得にかかる税が脱税できる現象)と呼ばれる脱税が横行していて、サラリーマンの所得が企業の源泉徴収によってほぼ10割把握されるのに対して、自営業者は実際の所得の5~6割、農家に至っては3~4割ほどしか把握されていないといわれており、当然捕捉されていない分の所得にかかかるであろう所得税を納めていません。このクロヨンを「インボイス方式」の事業者間の商取引内容と所得水準を把握する機能によってある程度防止する事もできるのです。
消費税の構造的欠陥による脱税を食い止めるためだけでなく、所得税の脱税を防止するためにも、消費税の税収システムを現行の「帳簿方式」から「インボイス方式」に変更すべきなのです。
横から突然すみません。
ちょっと気になる話題に触れられていたもので。
消費税は、確かに構造的に欠陥があるように思います。
私の実家が店を出しているのですが、毎年確定申告の時期になると、知り合いの税理士さんにうまくつじつまを合わせてもらってますもん。
あまり赤字になりすぎると今度資金を調達する時にやりにくくなるし、かといって大幅な黒字にすると払う税金の金額が大きくなるし・・・。決算を誤魔化せるんですから、かなりいい加減です。確かに帳簿はつけてますが、表と裏があるのが現状。
それに、確か年商3000万円未満の個人事業主は、消費税をお客さんから取っていても納税しなくてもいいことになってたんじゃなかったかな? よく「益税」って言われてますよね。(この辺あやふや(笑))こういうのは、どこでもやっていることでしょう。例えば、近所の八百屋さんが消費税取っていたとしても、果たしてそれがちゃんと国に納められているのかは、単なるお客にはわからないですよね? それなのに、「消費税」としてその分のお金を支払っている・・・。
大企業なら、毎年決算を公開したりしてますし、あまり大きな脱税やったりすると企業イメージにもひびきますから曖昧なことはしないでしょうが、個人となると公開するわけでもないし、ほんとに、やろうと思えば脱税やり放題だと思いますよ。
スレッドが消えないうちに書き込みしましょう。(^_^;)
>それではその帳簿に記載されている「売上高」や「仕入値」が完全に正しいという証明は
>一体どうやって行うのですか?
通常の取引であれば、商品を納入すれば納品書を発行し、代金を請求する際は請求書を
発行し、代金を領収すれば領収証を発行する。これは当たり前のことだと思います。
そして、こういった証憑書類を保存することが税額控除を受けるための条件となっている
わけで、これが全く証明にならないとは思えませんが。
>「インボイス方式」のような外部からのチェック機能が全くなく、
では、インボイスによって何がチェック出来るのでしょう?
万が一、税務署が事業者の取引内容を1から100まで把握するとしたら、日本中でやり取りされる
インボイスをすべて回収して、それをひとつずつ付け合わせていかなくちゃならないと思いますが
現在の経済規模からいって、それが可能かどうかは疑問です。
結局のところ、申告制を基とするかぎり、インボイス方式によって劇的な効果が現れるとは考え
にくいですが。
>ちなみに「インボイス方式」による事業者の商取引内容や所得水準の把握は、
>消費税だけでなく所得税の徴収にも影響してくる非常に重要なものです。
消費税と所得税は全く別のものですから、インボイスですべてが解決すると考えるのは安直
過ぎはしませんかねぇ。
例えば、専ら自家用に使っている車を事業用の資産として、その減価償却費を計上するとか、
日用品を買ったにもかかわらず、消耗品費などに計上してしまったり、ということは、インボイス
方式だからといって、どうにもなるものではないでしょう。
>現行の所得税はクロヨン(所得に対する捕捉率が職種によって違うために、
>捕捉されない所得にかかる税が脱税できる現象)と呼ばれる脱税が横行していて、
まぁ、これも別に誰かが測定したわけではないでしょう。
給与所得者はそのかわり、領収証をかき集めなくても給与所得控除が受けられるし、
確定申告する手間も要らないわけです。
>あまり赤字になりすぎると今度資金を調達する時にやりにくくなるし、
>かといって大幅な黒字にすると払う税金の金額が大きくなるし・・・。
>決算を誤魔化せるんですから、かなりいい加減です。
>確かに帳簿はつけてますが、表と裏があるのが現状。
これは、消費税の構造的欠陥とはあまり関係がないように思いますけど。(^_^;)
確定"申告"というとおり、自己申告制である以上まるっきりでたらめな数字で
あっても受理はされます。ただし、税務署も黙って受け付けるわけではありません
から、前年の数字や同業他社の申告内容と比べて、変なところがあれば、調査に
やってきます。そこで不正が発覚すれば、ペナルティが課せられることになります。
>それに、確か年商3000万円未満の個人事業主は、消費税をお客さんから
>取っていても納税しなくてもいいことになってたんじゃなかったかな?
消費税の納税義務の判定はちょっと特殊です。
簡単に説明すると、平成12年1年分の申告をする場合、その2年前、平成10年の
課税売上高を見ます。これが3000万円以下だった場合、平成12年の売上がいくら
あろうと免税となります。
これでいくと、新規に事業を始めた場合どうなるか。当然2年前の売上はあり
ませんから、納税の必要は無い事になります。なんだか変ですねぇ。
>よく「益税」って言われてますよね。(この辺あやふや(笑))こういうのは、
>どこでもやっていることでしょう。
ちなみに、"益税"は"脱税"ではありませんから。(^_^;)
>例えば、近所の八百屋さんが消費税取っていたとしても、果たしてそれが
>ちゃんと国に納められているのかは、単なるお客にはわからないですよね?
仮にその八百屋さんが免税事業者だったとしても、野菜を仕入れたり、店の
電気代を払ったりしたときは、消費税を払っているはずです。そして、そういった
消費税は消費者に転嫁されることになりますから、八百屋さんが徴収した消費税は
八百屋さんが直接納めなくても、問屋や東京電力などが代わりに納めていると考え
られるわけですね。最も5%すべてとはならないでしょうけど。
まぁ、「消費税」によって必要以上に収益を得た場合、それには所得税なり法人税が
課せられるわけで、まるっきり払い損でもないとでも考えるしかないでしょうねぇ。
<通常の取引であれば、商品を納入すれば納品書を発行し、代金を請求する際は請求書を
発行し、代金を領収すれば領収証を発行する。これは当たり前のことだと思います。
そして、こういった証憑書類を保存することが税額控除を受けるための条件となっている
わけで、これが全く証明にならないとは思えませんが。>
全く効果がないとは言いませんけど、それでも「完全な証明」としては不充分です。
「帳簿方式」では、以前にも言ったように「消費税を納税する事業者自身によって計算された税額が書かれる帳簿」に基づいて税金の額が決定され、しかも外部からのチェック機能がないため、帳簿内容に事業者の恣意が入りこみやすいというところに問題があるのです。この欠陥が放置されている限り、いくら請求書や納品書などが保存されていても、構造的に脱税がやりやすいという状況が変わる事はありません。
それに、請求書や納品書などには消費税額が書かれていませんから、帳簿上で税額を計算する過程で数字を操作する事は容易な事です。これまた以前にも言ったように「帳簿方式」では「販売品の値上げ」と「転嫁された消費税額」の区別が不明確ですから、請求書や納品書などを保存しているだけでは、帳簿上に書かれている消費税額の数字が完全に正しいと証明することはかなり難しいと言わなければなりません。
それとも帳簿を書いている納税者の良心ってそんなに信用のおけるものなのですか? 外部からのチェック機能がなく、自分のやりたい放題にできるところに不正が起こるという例はいくらでもありますけど。
<では、インボイスによって何がチェック出来るのでしょう?
万が一、税務署が事業者の取引内容を1から100まで把握するとしたら、日本中でやり取りされる
インボイスをすべて回収して、それをひとつずつ付け合わせていかなくちゃならないと思いますが
現在の経済規模からいって、それが可能かどうかは疑問です。
結局のところ、申告制を基とするかぎり、インボイス方式によって劇的な効果が現れるとは考え
にくいですが。>
それを言うなら、現行の「帳簿方式」において請求書などを大量に保存する行為こそが膨大な労力を費やすと思いますけど。
何しろ請求書などに書かれている内容を全部帳簿に転記しなければならないのですから、その作業における納税事業者の負担は相当なものがあります。下手をすると「インボイス方式」による大量のペーパーワークよりも、こちらの方が負担が大きいかもしれません。しかも、それでいて脱税ができる余地が大いにあるというのですから、結局のところ現行の「帳簿方式」には実は何ら利点がないとすら言えるのです。
それに「インボイス方式」には前にも言ったように「取引当事者間の相互牽制作用」(外部による税収チェック機能)がありますから、これによって脱税の大部分を事前に防止することができます。これから言っても「インボイス方式」の方が消費税の税収システムとしては最適であると思うのですけどね~。
<消費税と所得税は全く別のものですから、インボイスですべてが解決すると考えるのは安直
過ぎはしませんかねぇ。
例えば、専ら自家用に使っている車を事業用の資産として、その減価償却費を計上するとか、
日用品を買ったにもかかわらず、消耗品費などに計上してしまったり、ということは、インボイス
方式だからといって、どうにもなるものではないでしょう。>
すいませんが、私の投稿をきちんと読んでいただけたのでしょうか?
私は「インボイス方式を採用すれば、所得税の脱税は『全て』解決する」などとは一言も言っていませんよ。「クロヨンによる脱税を『ある程度』防止する事ができる」とは言いましたけど。これから一体どうやってそこまで論理が飛躍するのです?
所得税は消費税以上に深刻な構造的欠陥(超累進課税率とクロヨン・源泉徴収の問題など)をかかえていますから、こちらはもっと抜本的な改革が必要です。ただここでは、所得税のクロヨン防止には「インボイス方式」が一定の効果をもたらすという意味で所得税について触れただけなのですけどね。
<まぁ、これも別に誰かが測定したわけではないでしょう。
給与所得者はそのかわり、領収証をかき集めなくても給与所得控除が受けられるし、
確定申告する手間も要らないわけです>
実はこれこそが所得税の構造的欠陥なんですね。
給与所得者は源泉徴収によって税金が自動的に支払われてしまうために節税の機会すら全く与えられないのに対して、事業者はクロヨンによって大量の脱税が可能なのです。これが所得税制に対する不公平感を高めています。
しかも日本の所得税は世界一高いとさえ言われている超高率な累進課税をかけているために金持ちが育ちにくく、しかもそれが所得税の税収システムを複雑なものにしているため、税収を一層困難なものにしているのです。事業者が所得税を納めるために大量の領収書を必要とするのも、全てこの超高率累進課税システムの弊害でしょう。
アメリカやイギリスでは、所得税の累進課税が2段階に簡素化され(日本は5段階)、税率も著しく下げられたため、それが両国の経済に好景気をもたらしたのです。この事例を日本も見習うべきだと思うのですけどね。
<ちなみに、"益税"は"脱税"ではありませんから。(^_^;)>
「益税」というのは一種の「合法的脱税」とでも言うべきものでして、これは「帳簿方式」と同じくらいの消費税制の構造的欠陥でしょう。確かに非合法ではありませんが、工夫次第で無税にできてしまうという点では立派な「脱税」です。
ちなみに「帳簿方式」もまた、この「益税」の増大に荷担しています。
<仮にその八百屋さんが免税事業者だったとしても、野菜を仕入れたり、店の
電気代を払ったりしたときは、消費税を払っているはずです。そして、そういった
消費税は消費者に転嫁されることになりますから、八百屋さんが徴収した消費税は
八百屋さんが直接納めなくても、問屋や東京電力などが代わりに納めていると考え
られるわけですね。最も5%すべてとはならないでしょうけど。
まぁ、「消費税」によって必要以上に収益を得た場合、それには所得税なり法人税が
課せられるわけで、まるっきり払い損でもないとでも考えるしかないでしょうねぇ。>
↑この主張、少しおかしくありませんか?
別の所で消費税を支払ったからと言って、自分が侵した脱税が免罪されるわけがないでしょう。どこにカネを使おうが、消費者から不必要にカネをとったという事実に変わりはないのですから。
そもそも消費税を支払う事は全ての消費者が行っている事です。つまり「払って当たり前」なのであって、それと消費税の不正徴収とを足し合わせて「プラスマイナスゼロ」になるという論理は理解に苦しみます。
ちなみに所得税にもクロヨンという問題点があることをお忘れなく。
> 「益税」というのは一種の「合法的脱税」とでも言うべきものでして、これは「帳簿方式」と同じくらいの消費税制の構造的欠陥でしょう。確かに非合法ではありませんが、工夫次第で無税にできてしまうという点では立派な「脱税」です。
そう、それが言いたかったんです(笑)
> 別の所で消費税を支払ったからと言って、自分が侵した脱税が免罪されるわけがないでしょう。どこにカネを使おうが、消費者から不必要にカネをとったという事実に変わりはないのですから。
> そもそも消費税を支払う事は全ての消費者が行っている事です。つまり「払って当たり前」なのであって、それと消費税の不正徴収とを足し合わせて「プラスマイナスゼロ」になるという論理は理解に苦しみます。
私も同感です。
私たち消費者は「消費税」としてその分のお金を払っているのだから、ちゃんと納税しないでそのままその事業所の利益にされてしまったんじゃぁ気持ちがおさまらないですよ。お客さんからとった消費税を利益にしてしまうことも可能な税制は、やっぱり構造的欠陥があると言われても仕方がないと思います。
横から口出ししたにも関わらず、きちんとレスを下さってありがとうございました。
始めまして、このHPの内容を途中までですが興味深く拝見させていただきました。
私は創竜伝は高専の図書館で10巻までは読んだのですが、馬鹿馬鹿しくて投げ出しかけたものです。
その前に読んだ銀英伝でも少々疑問にかられた場所はありましたが、スペオペに突っ込むのも野暮だと考えていましたが、創竜伝はとても同じ作者だとは思えないほどのストーリーに馬鹿馬鹿しくなったものです。
それはさておき、件名の通り創竜伝考察28を読んで少しばかり書きたいことが出てきたのです。
冒険風ライダーさんの文からのコピペになりますが、
>大企業も、理科系の学部や大学院には資金援助をするが、文科系に対して寄付などめったにしない。
という所に高専出身で今も工学系の大学に在学する立場から説明したいことがあります。
すでに突っ込まれてもおかしくないと思いますが、企業は営利目的で動いています。ですからこの「資金援助」というのは大学で行われる研究の成果に対して行われているものなのです。
正確に言えば、研究者(大学の教授や研究室のメンバー)が学会などで発表した研究が自社にとって使える内容ならこれに資金援助や共同開発などを行うのです。
これも結構シビアであり、当然ながら研究発表が行われない研究室には予算が付かなくなります。もちろん大学からの予算は有りますけれどね。
うちの大学では研究室(もしくは研究室の指導者)に対しての資金は一度大学に入ってある程度差っ引かれてそれぞれの研究室の予算になります。さらにその予算は国からの支援とか、どこの企業からの支援とかさまざまな名前の予算源になります。研究室では例えば実験で使うレーザはこの企業からの予算で、ウエスは国からの予算でといった風にお買い物をするわけです。
他の大学ではどうなっているかまでは分かりませんが、大筋においては変わらないはずです。
何を言いたいのかというと、企業からの資金が理系に多いのは営利目的なのだから当然のことで、それも研究者によるたゆまぬ努力の賜物なのであります。
文系の大学が企業からのお金が欲しいのであれば、学会(?)なり何なりで自分のところの研究はどれだけ役に立つのかを発表しなければならないはずです。決して企業からの資金援助は「寄付」などというものではないのです。
これから先は別の突っ込み
兵器描写編において
>ヒューイコブラには竜堂始のいう「対戦車ロケット」など通常は装備されていません。
とありますが、AH-1はロケット砲弾普通に積みますよ?
もちろん「対戦車ロケット」と呼称されているのが70mmロケット砲弾と考えるのであればですが・・・少なくとも私が見た限りではATMランチャーとロケット弾ポッドを二基ずつ搭載する方が多いようです。
http://www.jda.go.jp/jgsdf/ftp/ah1s-03m.jpgを参照までに
>四〇機のF18E戦闘機
あんまり関係無い話ですが、F/A-18Eは実在します。というか実在することになりました。
最近ニュースにもなったと思いますが、日本にも配備され始めたホーネット系の最新型です。名前も変えたのだったかな?
もちろん22mmなどという中途半端な機関砲を三門は積みません(笑)
さらに関係無い話
>、「対空機関砲」と「対空ミサイル」を両方搭載している兵器
ですが、ドイツ国防軍のゲパルトは従来の35mm機関砲に加えてスティンガー対空ミサイルを積むようになりました。ツングースカあたりを参考にした模様です。
ところでここの記述は戦車と対空ミサイルと対空機関砲の三つが何故か一緒に戦っているとは考えられませんか?(笑)
こんにちわ。私も工学を勉強している理系の者です。
少しばかり先任伍長さんの意見に対して思うところがるので述べさせていただきます。
> すでに突っ込まれてもおかしくないと思いますが、企業は営利目的で動いています。ですからこの「資金援助」というのは大学で行われる研究の成果に対して行われているものなのです。
> 正確に言えば、研究者(大学の教授や研究室のメンバー)が学会などで発表した研究が自社にとって使える内容ならこれに資金援助や共同開発などを行うのです。
> これも結構シビアであり、当然ながら研究発表が行われない研究室には予算が付かなくなります。もちろん大学からの予算は有りますけれどね。
> うちの大学では研究室(もしくは研究室の指導者)に対しての資金は一度大学に入ってある程度差っ引かれてそれぞれの研究室の予算になります。さらにその予算は国からの支援とか、どこの企業からの支援とかさまざまな名前の予算源になります。研究室では例えば実験で使うレーザはこの企業からの予算で、ウエスは国からの予算でといった風にお買い物をするわけです。
> 他の大学ではどうなっているかまでは分かりませんが、大筋においては変わらないはずです。
> 何を言いたいのかというと、企業からの資金が理系に多いのは営利目的なのだから当然のことで、それも研究者によるたゆまぬ努力の賜物なのであります。
> 文系の大学が企業からのお金が欲しいのであれば、学会(?)なり何なりで自分のところの研究はどれだけ役に立つのかを発表しなければならないはずです。決して企業からの資金援助は「寄付」などというものではないのです。
まず、「企業からの援助金は営利を目的としたものである」という主旨には賛同します。
事実、私の研究室においても、企業からの援助は我々の研究成果に対してのみ行われています。
援助するしないの判断は非常にヌルイと感じてますが(この感じ方は人それぞれでしょう)
しかし、文系の方々にまで同じことを要求するのはいかがなものでしょうか?
理系、特に工学系は利益に直結する研究を行っているため、企業からの評価を受けやすいです。
一方、理系の基礎研究や文系の研究といったものは、なかなか利益につながらず、よって企業からは無視される傾向にあります。
だからといって、文系の研究が工学研究に劣っているかといえば、そうではありません。
利益に直結するしないは、研究の優劣によるものでなく、研究の性質によるところが大きいのです。
つまり、工学系を代表する一部の理系研究者が文系研究者より援助を得やすいのは、理系研究者がより多くの努力をしているからでなく、「理系研究が評価されやすい」という一点に尽きるのです。
文系研究者に理系研究者と同じことをして援助金を得ろというのは、非常に酷な話であると思います。
そんなわけで、考察28で悪役として書かれている(笑)「補助金」ですが、現在では残念ながら必要なものになっています。
なぜなら、発表やプロジェクト参加という形で研究費を調達できない文系研究者にとっては、貴重な財源ですから。
ちなみに、私の大学では、工学の応用研究室と文系の研究室では、年間予算が100倍以上違います。
この現実を見ると、田中氏が書いてた「つねに理科系は優遇され、文科系は冷遇されてきた」というのも、それほど的外れな意見ではなかったのではないかと思うぐらいです。
> しかし、文系の方々にまで同じことを要求するのはいかがなものでしょうか?
> 理系、特に工学系は利益に直結する研究を行っているため、企業からの評価を受けやすいです。
> 一方、理系の基礎研究や文系の研究といったものは、なかなか利益につながらず、よって企業からは無視される傾向にあります。
> だからといって、文系の研究が工学研究に劣っているかといえば、そうではありません。
> 利益に直結するしないは、研究の優劣によるものでなく、研究の性質によるところが大きいのです。
> つまり、工学系を代表する一部の理系研究者が文系研究者より援助を得やすいのは、理系研究者がより多くの努力をしているからでなく、「理系研究が評価されやすい」という一点に尽きるのです。
> 文系研究者に理系研究者と同じことをして援助金を得ろというのは、非常に酷な話であると思います。
最初にまず反省、確かに文系と理系で同じことを要求するのは酷でしたね、申し訳ありません
でも理系の研究室ってそもそもその100倍違う予算が無いと何もできなく有りませんか?もともと文系よりも理系は金を使わざるを得ないという側面もあるのではないかと思うのですが・・・
うちの研究室は金が無い頃(私が入る3,4年前)は余所の研究室のごみ箱からまだ使えそうなものをこっそりと持ってきていたりとかしていたそうです(苦笑)当時も研究室にいた先輩いわく「お前らは恵まれているなぁ」だそうです。こういう涙ぐましい努力(?)があってこその予算獲得があるということをいいたかった訳でして