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- board3 - No.646
やっぱり出てきたか
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年02月18日(日) 07時52分
いつか出てくるんじゃないかな、と思っていましたが、ついに出てきましたか。
>P121上段~下段
><「伯卿さま、趙普という人物を、どうごらんになりました?」
> ひかえめに太真王夫人が問うと、青竜王は何度めかの溜息をついた。
>「好きにはなれぬ。だが、あの冷徹、あの剛毅、あの自尊、とうていおれのおよぶところではないな。まさしく五百年にひとりの大宰相。天下を統一し、世界一の文化と経済をきずいただけのことはある」
> 五十歩ほど、三人は無言で歩みつづけた。
>「趙普のいったことは正しい、と、大可はそう思うのか?」
> 白竜王の問いに、やはり溜息まじりの返答がかえってきた。
>「人倫として正しいとは思わぬ。廷美にしろ徳昭にしろ、政治の犠牲となるほうは、たまったものではあるまい。趙普のいうことはあくまでも権力者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」
> 夜空の星々に、青竜王は視線を送った。
>「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする。闘って身を守る覚悟がなければ、権力者の思いのままに処分されるだけだ。いまさらのように思い知った」
> 白竜王と太真王夫人が、左右からそっと青竜王の横顔を見あげた。天界での青竜王は、玉帝と天宮からの圧迫をかわし、平和と一族を守るために腐心している。趙普と語りあって、自分の立場に苦いものを感じたようであった。>
私は趙普が出てきたとき、創竜伝には珍しいキャラクターであることに着目すると共に、とある人物のことを思い出しました。
その、とある人物とは、彼です。
>9巻P201上段~下段
><バルーフ・ゴールドシュタインというユダヤ人がいた。ニューヨークに生まれ、イスラエルに移住した。彼は医師だったが、イスラム教徒の治療を拒否していた。一九九四年二月、彼は多額の生命保険に加入した上で、イスラム教の礼拝堂にはいっていった。そこでは多くのイスラム教徒たちが頭を床につけて神に祈っていた。むろん丸腰である。ゴールドシュタインは自動小銃を取り出し、祈っている人々の背中に銃弾をあびせた。四〇人以上の人々が殺された。「ヘブロンの虐殺」である。
> 銃弾がつきたところで、ゴールドシュタインは激怒したイスラム教徒に包囲され、乱打をあびて死んだ。彼は「死を恐れず、生命がけで」、神に祈っている人々を一方的に虐殺したのである。これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。やることの意味を考えずに生命を軽んじるような者は、異なる価値観を持つ者に利用されるのが落ちである。>
>
多分…いや、絶対、ゴールドシュタインに自白剤…じゃなかった(笑)「昏神香」を使って尋問しても、『それでもなお冷静で剛毅な態度はくずれ』なかったでしょう。
『ゴールドシュタインのいうことはあくまでも信仰者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされ』ているのですから。
もちろん、趙普とゴールドシュタインでは、為したことに天と地の差があります。結果から見れば、趙普のほうは正しいと言える。しかし、為し遂げた結果ではなく「その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」なんて理由で趙普を否定できないのであれば、始君にゴールドシュタインを否定することは不可能でしょう。
…「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする」のですから。
>これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。
自分自身で証明していますね(笑)。
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- board3 - No.647
Re^2: 蛇足
- 投稿者:双頭の虎
- 2001年02月18日(日) 14時25分
> > そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。
>
> ビデオメッセージや艦どうしの連絡はありましたけど、テレビは……
> そもそも帝国でテレビ画面が登場したこともないような。
アニメではアスターテ会戦直前に、テレビニュースで流されている様子が
映されていたような気がします。
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- board3 - No.648
Re: まあそれは
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年02月18日(日) 16時28分
> そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。
> 帝国はどうやって臣民に政府の意思を伝えていたんでしょうか?
> ラジオかな(笑)。
>
> ところで、サビーネ嬢のお姿はアニメで拝見できます。
> OVA銀英伝外伝「決闘者」
> 台詞も一言ですがありますよ。
> なかなかかわいいお嬢さんです(笑)。
ないのは知ってますけど、ここは「大逆転!リップシュタット戦役」のストー
リーとしては、出さにゃしょうがないので、ということですね。「新皇帝の即
位と新体制の成立」を宣伝しなきゃならんので。しかし、確かに「テレビメデ
ィア」がないというのはおかしいんですけどね。アニメの銀英伝では、ヴェス
ターラントの虐殺の模様は全帝国に流されてましたよね。シャンタウ星系放棄
後の、貴族連合をコケにしきったラインハルトの演説は、どうだったのでしょ
うか。これも帝国中に放映されたのかな?
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- board3 - No.649
年号に関する傍論です
- 投稿者:モトラ
- 2001年02月18日(日) 17時35分
どうも、冒険風ライダーさんの考察にはいつも唸らされております。
レスではなく、タイトルどおり傍論で申し訳ありません。
> 「それにさ、趙匡義は即位した年のうちに改元してる。十二月だというのにさ。開宝九年から太平興国元年にかえちまった」
> 皇帝が死んだら、その年のうちには改元しない。年が明けて正月一日になってから、あたらしい年号をもちいるのが伝統である。それが先帝に対する礼節というもので、君主が死んだ年のうちにさっさと改元するなど、無知無学な野蛮人か、簒奪者か謀反人のやることだ。あえて趙匡義はそれをやってのけた。
中国を誉めるためには、日本を無知無学な野蛮人呼ばわりすることも厭わず、か(深読み…じゃないとおも)。「改元に死後間を置くのが礼儀」なら、昭和天皇崩御の時、田中芳樹はきっと日本政府の無教養に腹を立てたことでしょう。「偉大なる中国に由来する元号の伝統を踏みにじるとは、無教養役人どもが!」と。でもまあ、崩御されたその日のうちに新元号を発表し、翌日から使用するという、無知無学な野蛮人なれど、肝心の中国で既に存在しない伝統を今に伝えるだけでも、賞賛に値する事だと思います。今後その点さえ見直されれば「元号、全然オッケー☆」ですよね? それから、こともあろうに「偉大なる中国より賜った由緒正しい元号」の、即刻廃止を訴える政治勢力に対して、当然、田中芳樹は憤りを覚えているに違いありません。
元号について検索してみたら、ここがちょっと勉強になりました(というか、とっかかりですね^^;)
ttp://www.meijijingu.or.jp/intro/qa/13.htm
-
- board3 - No.650
もう僕、日本人じゃない。
- 投稿者:太郎
- 2001年02月19日(月) 03時05分
管理人さん、皆さんはじめまして。
このホームページを見つけてから2~3ヶ月ずっとROMさせていただきましたが、
ちょっとネタを思いついてしまいどうしても書き込みしたくなってしまったので、
申し訳ないと思いつつ書き込みさせて頂こうと思います。
(最初の書き込みがネタだなんて (^^;))
で本題。
皆さん新庄選手(元阪神タイガース、現NYメッツ)が出てるLOWSONのCMご存知でしょうか?
ご存じない方のためにご説明いたしますと
1.受話器を抱えてアメリカ国歌を口ずさむ新庄選手。
2.「もう僕、日本人じゃない。」のスーパー。
3.「新常識」のスーパー。(しかも「新常」の字の上に「新庄」のルビ(?)付き。)
4.これ以降の内容は記憶になし。(笑)
と言うものです。
新庄選手がメジャーで活躍するかどうかはわかりませんが(もしかしたらそれなりな活躍はするかもしれないとは多少思いますが。)
このCM個人的には失笑ものです。
(特に「もう僕、日本人じゃない」のところ。)
新庄選手のファンの方がいらっしゃったら申し訳ございません。
でこれを新庄選手の代わりに、田中芳樹氏でやってしまったらどうだろうと思ってしまったのです。
1.「創竜伝」を書き(なぐり)ながら、中国の国歌を口ずさむ田中芳樹氏。
2.「もう僕、日本人じゃない」のスーパー。
3.「新常識」のスーパー。(しかもスポーツ新聞風に「常」と「識」の間に別フォントで「たなかよ」を差込み!)
4.「創竜伝」の中国語版!(あるのかな?)
以上。お目汚しで申し訳ございません。 (^^;)
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- board3 - No.651
Re: 私の創竜伝考察35-3
- 投稿者:てんてんdwp
- 2001年02月19日(月) 05時49分
てんてんdwpです。
えーと、私の記憶ではクイと呼ばれる中国版吸血鬼伝説があったような。
前に水木しげる先生の挿し絵で見ただけなので詳しいことは知りませんが。
てんてん dance with penguin
-
- board3 - No.652
Tの悲劇
- 投稿者:てんてんdwp
- 2001年02月19日(月) 08時08分
以下、私の創作です。フィクションであり事実とは関係ありませんが、案外真相だったりしたらやだなぁ。
その作家は苦悩していた。
彼は決して遅筆ではない。普通の作家並の執筆速度は持ち合わせていた。だが、彼はただ単に運が悪かったのだ。せっかく書
いた原稿がことごとく廃棄せざるを得なくなってしまったのだから。
まず、彼はいつものごとく社会批判をしようと日本の選挙について徹底的にこきおろした。彼自身としては満足のいく出来に
仕上がったと思ったのだが、彼の小説の主役達の関係する国家がその大統領選で失態をさらしてしまい、この話は廃棄した。
次に、また事件が起こった。なんと国民の船が潜水艦と衝突するという大事故が起こっているにも関わらず、一国の総理がそ
の報告を受けておきながらゴルフに興じていたというのだ。しかもぶつけたほうの国の大統領は即、その対策のために馳せ参
じたというのに。
彼は狂喜乱舞して、この総理をモデルに一気に話を書き上げようとした。なに、ぶつけたほうは自分の主役達の関係する国だ
が、その後の対応の良さでどうとでもなる。彼はそう思った。そして遅れている原稿を一気に書き上げるため集中すべく、全
ての情報を遮断して執筆作業に没頭した。
一週間経って、おおよそ満足のいく出来に仕上がったところで彼がテレビのスイッチを入れてみると、なんと、とんでもない
ことが出ているではないか。ぶつけた国の潜水艦には民間人が載っており、彼に操縦させていた、証拠は取っていなかった、
しかも本来行わなければならなかったアクティブソナーすら使っていなかった(彼にはそれが何を意味しているのか完璧には
理解していなかったがまずいことだとは思った)という。またもやこの原稿を破棄しなければならなくなったのだ。
自分は遅筆ではない。ただ単に世の中が悪いのだ。彼はそう思いながら、今日もまた書いては廃棄し、書いては廃棄し、を繰
り返しているのであった。
(完)
- 親記事No.641スレッドの返信投稿
- board3 - No.655
Re646/649: 権力者の私心と覚悟、および元号について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年02月19日(月) 08時43分
>管理人さん
> 多分…いや、絶対、ゴールドシュタインに自白剤…じゃなかった(笑)「昏神香」を使って尋問しても、『それでもなお冷静で剛毅な態度はくずれ』なかったでしょう。
>『ゴールドシュタインのいうことはあくまでも信仰者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされ』ているのですから。
> もちろん、趙普とゴールドシュタインでは、為したことに天と地の差があります。結果から見れば、趙普のほうは正しいと言える。しかし、為し遂げた結果ではなく「その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」なんて理由で趙普を否定できないのであれば、始君にゴールドシュタインを否定することは不可能でしょう。
>…「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする」のですから。
そもそもあそこで言われていた「私心のなさ」の「私心」というのは一体何のことを指しているのでしょうか?
もしそれがただ単に「カネに対する執着心」とか「個人としての自己一身の利益を得る」と言ったことを指しているだけであるのならば、創竜伝における牛種や四人姉妹にもそんなものは一切存在していませんから、竜堂兄弟が牛種や四人姉妹を否定することもまた不可能であるということになります。彼らが目的としているのは趙普と同じ「自分達の体制の維持」であり、「染血の夢」も「竜王一派の排除」もそれに基づいて行っていることです。そしてそれらの推進に際して、彼らが相当な「覚悟」を持っている事もまた疑問の余地がないでしょう。
また、この論理を使えば、銀英伝の救国軍事会議クーデターのお歴々や、5・15事件、2・26事件を起こした旧日本陸軍の青年将校を否定することすらもできなくなってしまいます。すくなくとも彼らは自分達の主観的には「私心」など全くなかったばかりか、「自らの私利私欲によって政治を壟断している汚職政治家を抹殺する」という断固たる「覚悟」まで持っていたわけですから。そして彼らの行った所業がどんな結果をもたらしたかについては今更言うまでもないことですね。
あの考え方をあくまでも堅持したいと考えるのであれば、竜堂兄弟やその前世であるところの竜王一派のお歴々は上記に挙げた事例も全て肯定しなければなりません。何しろ彼らの行動は全て「私心のなさ」と「覚悟の違い」に裏付けられているわけなのですから。
まああの連中にそのような「主義主張の一貫性」を求めるのが無理なのは最初から分かっている事なのですけど(笑)。
>モトラさん
>中国を誉めるためには、日本を無知無学な野蛮人呼ばわりすることも厭わず、か(深読み…じゃないとおも)。「改元に死後間を置くのが礼儀」なら、昭和天皇崩御の時、田中芳樹はきっと日本政府の無教養に腹を立てたことでしょう。「偉大なる中国に由来する元号の伝統を踏みにじるとは、無教養役人どもが!」と。でもまあ、崩御されたその日のうちに新元号を発表し、翌日から使用するという、無知無学な野蛮人なれど、肝心の中国で既に存在しない伝統を今に伝えるだけでも、賞賛に値する事だと思います。今後その点さえ見直されれば「元号、全然オッケー☆」ですよね? それから、こともあろうに「偉大なる中国より賜った由緒正しい元号」の、即刻廃止を訴える政治勢力に対して、当然、田中芳樹は憤りを覚えているに違いありません。
日本でも平安時代以降の元号は、天皇崩御直後からしばらく間を置いて改元していたようなのですが(まあ明治以前の改元は崩御以外の時でも頻繁に行われていましたが)、明治以降の改元は「一世一元」の行政官布告に基づいて行われ、明治→大正・大正→昭和の改元時には天皇崩御「当日」から新しい年号が用いられています。大正は1912年7月30日、昭和は1926年12月25日(共に天皇崩御の日)から始まっています。
昭和→平成の改元は、1979年に定められた元号法に基づいて行われたもので、これには「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と規定されています。当時の政府内部では、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から改元しようかという動きもあったようなのですが、結局「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」ということになって翌日改元となったわけです。
まあ中国の元号についてはともかく、田中芳樹が日本の元号について実際にどう考えているのかは分かりませんけどね。元号云々よりも、田中芳樹は「民主主義真理教」に基づいて「天皇制」それ自体に反対しそうな気がしてなりませんし。
- 親記事No.641スレッドの返信投稿
- board3 - No.656
Re: Re646/649: 権力者の私心と覚悟、および元号について
- 投稿者:モトラ
- 2001年02月19日(月) 10時00分
> 日本でも平安時代以降の元号は、天皇崩御直後からしばらく間を置いて改元していたようなのですが(まあ明治以前の改元は崩御以外の時でも頻繁に行われていましたが)、明治以降の改元は「一世一元」の行政官布告に基づいて行われ、明治→大正・大正→昭和の改元時には天皇崩御「当日」から新しい年号が用いられています。大正は1912年7月30日、昭和は1926年12月25日(共に天皇崩御の日)から始まっています。
> 昭和→平成の改元は、1979年に定められた元号法に基づいて行われたもので、これには「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と規定されています。当時の政府内部では、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から改元しようかという動きもあったようなのですが、結局「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」ということになって翌日改元となったわけです。
明治神宮のページにたどり着く過程で、法令のページで元号法についてもチェックし、翌日からとあるのを確認しましたが、昭和→平成以前は当日に改元されていたのですか。そもそも、いつの時点から新元号を使用するかについては、あくまでも運用上の都合に過ぎず、どちらが正しいだの間違っているだのという問題ではないと思います。「一定の期間を置かずに改元するのは不敬にあたる」というのであれば、当の昔、明治憲法時代に問題となっていたことでしょう。もしかして、なったことがあるとか?
> まあ中国の元号についてはともかく、田中芳樹が日本の元号について実際にどう考えているのかは分かりませんけどね。元号云々よりも、田中芳樹は「民主主義真理教」に基づいて「天皇制」それ自体に反対しそうな気がしてなりませんし。
言うまでも無く、649番は田中芳樹が元号、天皇制ともに快く思っていないであろうことを見越した皮肉です。このあたり田中本人に突っ込んでいけば、あっさりダブルスタンダードの袋小路へと追い込めるように思えます。
- 親記事No.652スレッドの返信投稿
- board3 - No.657
Re: Tの喜劇(?)
- 投稿者:恵
- 2001年02月19日(月) 12時16分
> 以下、私の創作です。フィクションであり事実とは関係ありませんが、案外真相だったりしたらやだなぁ。
>
> その作家は苦悩していた。
> 彼は決して遅筆ではない。普通の作家並の執筆速度は持ち合わせていた。だが、彼はただ単に運が悪かったのだ。せっかく書
> いた原稿がことごとく廃棄せざるを得なくなってしまったのだから。
> まず、彼はいつものごとく社会批判をしようと日本の選挙について徹底的にこきおろした。彼自身としては満足のいく出来に
> 仕上がったと思ったのだが、彼の小説の主役達の関係する国家がその大統領選で失態をさらしてしまい、この話は廃棄した。
> 次に、また事件が起こった。なんと国民の船が潜水艦と衝突するという大事故が起こっているにも関わらず、一国の総理がそ
> の報告を受けておきながらゴルフに興じていたというのだ。しかもぶつけたほうの国の大統領は即、その対策のために馳せ参
> じたというのに。
> 彼は狂喜乱舞して、この総理をモデルに一気に話を書き上げようとした。なに、ぶつけたほうは自分の主役達の関係する国だ
> が、その後の対応の良さでどうとでもなる。彼はそう思った。そして遅れている原稿を一気に書き上げるため集中すべく、全
> ての情報を遮断して執筆作業に没頭した。
> 一週間経って、おおよそ満足のいく出来に仕上がったところで彼がテレビのスイッチを入れてみると、なんと、とんでもない
> ことが出ているではないか。ぶつけた国の潜水艦には民間人が載っており、彼に操縦させていた、証拠は取っていなかった、
> しかも本来行わなければならなかったアクティブソナーすら使っていなかった(彼にはそれが何を意味しているのか完璧には
> 理解していなかったがまずいことだとは思った)という。またもやこの原稿を破棄しなければならなくなったのだ。
>
> 自分は遅筆ではない。ただ単に世の中が悪いのだ。彼はそう思いながら、今日もまた書いては廃棄し、書いては廃棄し、を繰
> り返しているのであった。
>
> (完)
これ、もし真相だったら、田中氏が写真週刊誌か芸能新聞の編集者と同程度のメンタリティしか持ってないということになっちゃいますね(笑)。
私の心情としては、まさかいくら何でも実状がこんなにひどいとは思いたくないのですけど…。
p.s.創竜伝の13巻って、さぞセンセにとっては書き応えがあるんでしょうね~(笑)!
- 親記事No.19スレッドの返信投稿
- board3 - No.658
Re: 蛇足
- 投稿者:平松重之
- 2001年02月19日(月) 17時32分
> そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。
> 帝国はどうやって臣民に政府の意思を伝えていたんでしょうか?
> ラジオかな(笑)。
第四巻(徳間ノベルズ)のP107下段では、銀河帝国正統政府の樹立宣言に対しての「宣戦布告」をラインハルトが全帝国・全同盟に対して演説を行なっています。またP141ではその演説によって『ラインハルトは、ゴールデンバウム王朝の門閥貴族専制に対する平民階級の蓄積された憎悪と、自由惑星同盟に対するあらたな敵愾心とを結合させるのに成功した』みたいですので、臣民に政府の意思を伝える手段として、テレビ演説は有効に利用されていたのではないでしょうか。
- 親記事No.641スレッドの返信投稿
- board3 - No.659
Re656: 昔と今の元号の違い
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年02月19日(月) 17時44分
> 明治神宮のページにたどり着く過程で、法令のページで元号法についてもチェックし、翌日からとあるのを確認しましたが、昭和→平成以前は当日に改元されていたのですか。そもそも、いつの時点から新元号を使用するかについては、あくまでも運用上の都合に過ぎず、どちらが正しいだの間違っているだのという問題ではないと思います。「一定の期間を置かずに改元するのは不敬にあたる」というのであれば、当の昔、明治憲法時代に問題となっていたことでしょう。もしかして、なったことがあるとか?
探してみた限りでは特に混乱はなかったようです。今と昔では元号の使い方が違うということでしょう。
そもそも元号の本質というのは、専制君主が直接・間接に支配している領域内の民衆に対する時間支配です。その歴史的背景から、元来「元号」というのは、君主の時間支配に基づいて「年の呼び方」を定めるものであり、「何月何日から始まる」という概念自体がそもそもなかったのです。昔は西暦と元号の並立などなかったわけですから、元号こそが唯一の「年の呼び方」であり、またそれが君主による時間支配の象徴でもあったのです。これは中国における一世一元制でも基本的には全く同じです。
つまり元来、元号が時間支配として重視していたのは「年」なのです。皇帝が即位する「年」から新元号による「君主の時間支配」が始まり、死去ないしは退位した「年」をもって旧元号の役割は終わる。これが中国や日本の明治時代以前における元号の使い方だったわけです。だからこそ、君主が死去した「年」の内に改元を行うのは、前君主に対して非礼であるという考え方が出てきたのでしょう。
日本の明治時代以降における元号の特徴は「年」ではなく「日」が重視され、さらに天皇崩御の瞬間をもって「君主の時間支配」が終わると定義したことです。つまり、今上天皇が即位なされた「日」から新元号による「君主の時間支配」が始まり、崩御なされた「日」をもって旧元号の役割は終わり、すぐさま次の天皇即位による元号が定められることになっているわけで、だからこそ大正・昭和・平成と、天皇が崩御なされてからほとんどすぐに改元するようになっているのです。平成に移行する際には昔の慣習でやろうという動きもあったらしいのですけどね。
これが崩御なされた前天皇に対する非礼になっているのかどうかは微妙なところですね。明治以前の慣習と伝統に従うのであれば間違いなく非礼なのでしょうが、明治以降、元号の概念それ自体が全く変わってしまいましたからね。新しい概念では非礼にならないということも当然ありえるわけです。
だから昔の改元の規則や礼儀をもって、今の日本の改元における礼儀を云々するのはちょっと難しいように思いますね。旧い概念が新しい概念に取って変わるというのであれば話は別ですけど。
ただ、問題となっているあの社会評論の場合、あくまでも「宋王朝の初代皇帝・趙匡胤に対する非礼云々」の問題を指しているだけであるのならば、言っている事は充分に正しいと言えるわけですよ。あの当時には確かにそのような常識が存在したわけですから。これが暗に現代日本の改元を揶揄していると言うのであれば論外というしかありませんが。
>言うまでも無く、649番は田中芳樹が元号、天皇制ともに快く思っていないであろうことを見越した皮肉です。このあたり田中本人に突っ込んでいけば、あっさりダブルスタンダードの袋小路へと追い込めるように思えます。
しかし田中芳樹って、天皇制関連に関してはほとんどと言って良いほど言及したことがないんですよね。かろうじて天皇と関連がありそうな記述がひとつあるだけです。
創竜伝4巻 P159上段
<一九八八年末に、皇居の門前で記帳がおこなわれたとき、その列に並んだ女子高校生が明言した。「こういう風潮には、進んで乗らなきゃ」と。風潮に疑問をいだいたりしてはいけない。バスに乗りこんで、乗りこもうとしない人々を罵倒するのが、日本人としての正しいありかただ、ということである。乗りこんだバスの行方など考えもしないのである。>
例の「流行大好き日本人」を揶揄している個所で、当時の昭和天皇の御容態を心配する人々が記帳するのを罵倒しているところから、かろうじて「天皇もしくは天皇制に対して何か不満に思うところがあるのか」と推測できるだけです。
天皇制について書くと後々面倒なことになるから、あえて避けて通ったというところでしょうか。あの作家の「民主主義真理教」から考えると、多分天皇制に対して否定的に見ているだろうなとは容易に推測することができるわけですが。
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- board3 - No.660
気になったことだけ
- 投稿者:宣和堂
- 2001年02月20日(火) 12時27分
ども、凄く久しぶりです。
冒険風ライダー様曰く…
> 問題はここからです。創竜伝8巻および9巻において、これほどまでに「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」が「伏線」として強調されている以上、当然創竜伝12巻には上記で挙げたエピソードが挿入されていなければなりません。ところがいくら創竜伝12巻を読み返してみても、このエピソードが挿入されている個所がどこにも存在しないのです。いや、それどころか、当時北宋出身の人間であった曹国舅を除く七仙の誰ひとりとして、創竜伝12巻の主要舞台である中国・北宋時代には全く登場しておりません。
この辺全くその通りですね。自分はあたりがついていたので、10巻あたりで、“あそこら辺”を翻案するんだろうなぁ…と思ってました。
と云うのも、呂洞賓・漢鍾離と宋遼戦と来れば、『楊家将』と『東遊記』になるわけで、コレを下敷きにしたスケールのデカイモノを書いてくれるのかなぁ…と思っていたのですが…アレですからねぇ…。ナエナエですわ…。本当は仙人同士のたわいもない喧嘩が、スケールのデカイ代理戦争になるハズなんですけどねぇ…。
まあ、コレも、元がたわいもない喧嘩ですから「千年前に地上に介入した…」と云うぐらいに重い話ではないんですけどねぇ…。八仙別に仲間割れしないし(呂洞賓と漢鍾離の術比べだけ…)、牛もでてこないし…。
多分、思いつきで、こう云うのが面白かろうと云うプロットを思い浮かべたのに、詳しく調べてみたら意外につまらなかった…のかも知れませんねぇ…。もしくは本当に力尽きたのかも知れませんねぇ…。それか調べて書いても貶されるだけだと気がついたとか…。どう考えてもプラス要因の方向変換ではないことは確かですね…。
曹國舅…9巻ではさわりだけでてくるのにねぇ…。
> 創竜伝12巻座談会 P233
> <余 今回はチャイニーズ・ファンタジーだったね。
> 続 内容的には9巻のラストからのつづきということになりますね。
> 終 もっと八仙が出てくるのかと思ったけど、そうでもなかったな。
> 始 ここで八仙を出すと、一〇〇〇枚書いても足りなくなるからな。割愛したそうだ。>
正直、自分もコレには呆れました。しかも、別段歴史よりに書いてるわけでもないですしねぇ…。読んでくうちに、出てくる出てくる妙な間違い…(主に勘違い…)。取りあえず、「コレは作中世界で中国と呼ばれている国の、宋という時代の話で、自分の研究した宋代とは違う世界だ!」と云うことにしておきました。だってほら、中国史モノと違ってこの小説、フィクションですから。よく似てるけど違うんですよ…多分。
>青海東竜王陛下。
中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
あと元号の改元のタイミングが日本と中国と違う点ですけど、宋・太宗の時は年を改めずに改元しているのは、中国ではやはり異常です(靖難の役の際には永樂帝ですらやってない…建文と云う年号は“無かったこと”にしてしまったけど…)。
でも、日本での場合は慣例の違いですから、コレについて田中芳樹が日本批判をすることはないです。また、春秋戦国あたりの国の中では日本と同じ改元方法を採るところもあった!と云う学説もあります。実際、『史記』の中でもこの辺は年号の矛盾が多いのだそうです(読んでないから知りませんが…)。でも、何で日本がそう言う改元方法を採ったのか…というのは説を読んだこと無かったデスなぁ…(不勉強)。
まあ、色々書きましたが、要するに小説としてつまんなかったですねぇ…。何で吸血ゾンビ出すのかも分からなかったしなぁ…。
でも、もしかしたら、創竜伝で宋代のリターンマッチはあるかも…(と云うのが、呂洞賓と漢鍾離が喧嘩する説話の時代設定は眞宗の代の話なので…)。
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- board3 - No.661
陛下と殿下
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年02月20日(火) 13時09分
> 中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
日本で「国王陛下」「女王陛下」という敬称を使用するようになったのは、明治開国期に圧倒的に強国であるイギリスや西欧諸国の元首(国王)が、天皇より下位扱いされるのはマズいという外交上の配慮から、だったと思います。
ともあれ、古代の支那の王に対して「陛下」というのは、それこそ諸葛亮孔明並にヤバイんじゃないでしょうか。
このへんを曖昧にすると、日本が植民地化した朝鮮の皇族を王族にしたヤバさなんかはわからないんじゃないでしょうかねぇ(もちろん、日本としては最大限の厚遇だったのですが)
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- board3 - No.662
Re660: 竜王の呼称「陛下」について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年02月20日(火) 15時10分
> 中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
そうだったのですか。それは知りませんでしたね。私は創竜伝の記述が連中の呼称でやたらと「陛下」を強調していたので、それに従って「陛下」という呼称を使っていたのですが(^^;;)。
竜堂続に至っては、自分達が「陛下」と呼ばれる身分であることを堂々と誇示するようなことを、よりによって四人姉妹の幹部相手に行っていましたからね。
創竜伝2巻 P172下段~P173下段
<「あなたは、わたしの愛にふさわしい若者だわ。わたしのパートナーになって、わたしとともに極東の支配者におなりなさい。あなたには、それができるわ」
「四人姉妹の下で?」
「こだわっているの? 四人姉妹は、いったん権限をゆだねた相手に、無用の干渉はしないわ。極東一帯で、どんなことでもできるし、世界全体を動かす事業にも参画できるのよ。それどころか、いつかはそれ以上の……」
「すいませんが、マダム……」
首にまわされた女の両手を、続はひややかにもぎ離した。
「ぼくは面食いなんです。ですから、マダム、あなたのお誘いを受けるのは、ぼくにとって耐えられないことなのです」
美貌を誇る女性に対して、これほど痛烈な拒絶の返答は、他にないであろう。続の美しい両眼には霜がおりていた。
対照的に、レディLの両眼には、熱湯がわきたっていた。やがて肉感的な唇から押し出された声は、平静さをよそおおうとして失敗し、ひびわれていた。
「そう、わたしを拒絶するのね」
「ご理解いただけて光栄です。マダム」
「再考の余地はないの?」
「あなたを抱くのも、四人姉妹に抱きこまれるのも、ごめんこうむります。あなたはぼくを南海紅竜王陛下と呼んだ。陛下と呼ばれる者が、誰かにひざを屈し、飼われてこころよしとするはずがないではありませんか」
言いすてると、立ちつくすレディLにはもはや一瞥もくれず、続は緋色の絨毯を踏んでドアにむかった。>
↑コレコレ。
「王を『陛下』と呼んではならない」となると、このやり取りの前提もまた完全に崩壊することになってしまいますね。まあココのやり取りはすでに内容からして崩壊してしまっているのですけど(笑)。
まあ連中自身、せっかく「陛下」と呼称したがっているのですし、今までそれで押し通してきているので、私は創竜伝に関する限り、これからも連中を「陛下」と呼んでいくことにします。今更「殿下」に変えても違和感ありすぎますし。
> でも、もしかしたら、創竜伝で宋代のリターンマッチはあるかも…(と云うのが、呂洞賓と漢鍾離が喧嘩する説話の時代設定は眞宗の代の話なので…)。
もう今更出てくる余地もなさそうに思えるのですけどね。第一、このエピソードを書いたらそれこそ執筆量が1000枚を超えてしまうでしょうし(笑)。
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- board3 - No.663
相変わらず細かいツッコミでどうも。
- 投稿者:双頭の虎
- 2001年02月20日(火) 15時20分
36代皇帝はフリードリヒ四世です。
確かに1巻79頁では彼が「第34代」となってますが、
他の部分の記述を見る限り、36代でないと話が合いません。
と、言うことは、サビーネ嬢は38代目ですね。