3代目掲示板過去ログ

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投稿ログ39 (No.836 - No.850)

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board3 - No.836

Re: 更新しました

投稿者:倉本
2001年03月13日(火) 01時52分

前は画面をスクロールしなくてもすぐ掲示板にいけたのにそれができなくなったからちょっと使いづらくなりましたね。
できれば直してくれるとありがたいんですが。
まあ、今のままでも特に困るわけじゃないんで無理ならそれでいいです。

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board3 - No.837

Re^7: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策

投稿者:TAKA
2001年03月13日(火) 13時16分

どうも始めまして 流れにまかせてここの掲示板にたどりつき
ちょっと面白そうなんで投稿します。

 ビームレーザーの件は将来的にどういう風に発展するか
よくわからないんで話のとおりとして・・戦いにおいて相手
より高い位置を取れば有利に戦えるという教訓があるのですが
宇宙戦においては惑星(恒星)より離れた場所ということに
なると思うのです。(重力圏より離れる)
 それだけ重力による干渉が少ないので加速、減速しやすいので
有利に戦を展開できると思うのですが・・・
 確か5巻でヤンがブラックホールを背に戦っていますが、これは
シュタインメッツの方が位置エネルギーの観点からかなり有利な
位置に在ると思うのです。しかもそれを迅速に中央突破なんて
できるのか?????不思議ですなぁ・・
 あと1巻のアムリッツァでも同盟軍は恒星付近で陣を張ってい
ますが恒星の重力圏の中で自由に動けるかといえば・・圏外の
帝国軍のほうが有利だと思うのです。このときの帝国軍の戦法は
位置エネルギー的に考えれば重力ターンによって同盟軍の戦力
を殺いでいくというのが妥当だと思われます・・・。
 でもまぁSFだし・そこまで気にすることはないかもしれません・・
話自体は結構好きですし・・では

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board3 - No.838

Re: 残念なお知らせとお願い

投稿者:NERO
2001年03月13日(火) 14時18分

ttp://www.neocity.to/treebbs/
ここも結構使いやすいです。

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board3 - No.839

Re^8: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策

投稿者:てんてんdwp
2001年03月13日(火) 23時28分

>  ビームレーザーの件は将来的にどういう風に発展するか
> よくわからないんで話のとおりとして・・戦いにおいて相手
> より高い位置を取れば有利に戦えるという教訓があるのですが
> 宇宙戦においては惑星(恒星)より離れた場所ということに
> なると思うのです。(重力圏より離れる)
>  それだけ重力による干渉が少ないので加速、減速しやすいので
> 有利に戦を展開できると思うのですが・・・
>  確か5巻でヤンがブラックホールを背に戦っていますが、これは
> シュタインメッツの方が位置エネルギーの観点からかなり有利な
> 位置に在ると思うのです。しかもそれを迅速に中央突破なんて
> できるのか?????不思議ですなぁ・・
>  あと1巻のアムリッツァでも同盟軍は恒星付近で陣を張ってい
> ますが恒星の重力圏の中で自由に動けるかといえば・・圏外の
> 帝国軍のほうが有利だと思うのです。このときの帝国軍の戦法は
> 位置エネルギー的に考えれば重力ターンによって同盟軍の戦力
> を殺いでいくというのが妥当だと思われます・・・。
これは、非常に面白い観点ですね。言われてみればなるほど、と思います。
でも、それでうんうん、と納得してしまえば返事も書けませんから(笑)、
敢えて反論を試みてみます。簡単に論破できるへ理屈ですが(^^;
行動力の面では一見有利に見えますが、攻撃面ではどうでしょう。
レーザーが偏向するするほど強力な重力下にいたら艦隊なんぞあっという
間に吸い込まれてジエンドでしょうが、質量兵器の場合、重力の影響は無
視できません。例えば目標に向かってミサイルを撃ったとしても、重力に
よって進路を曲げられてしまう可能性があります。つまり重力圏内にいる
側に対して攻撃する場合、命中率が下がる可能性があります。特に加速度
兵器の場合、敵に当たる直前がもっとも速いわけですからこのときの少し
のずれは修正が効かなくなります。
一方、重力圏内から重力圏外に対して攻撃を行う場合も同じように重力の
影響は受けますが、撃つときはともかく、相手に当たる直前では重力の影
響は微少なため、容易にコントロールが効き、命中率の低下を招きません。
速度面は・・・禁断の反重力推進システムがあれば逆に重力の影響の高い
ほうが加速度が速い、というのでは駄目ですか?(^^;;

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board3 - No.840

Re: ごみレスなんですが…

投稿者:てんてんdwp
2001年03月13日(火) 23時47分

> あの世界は当たり前のように人工重力が存在するんで、空間をゆがませて
> 重力レンズを作っているのかも知れませんね。
> 真空をゆがませれば、ばっちり透明度100です(笑)
たしかにそのとおりです。しかし重力レンズは思いつかなかったなぁ。
本格的な科学考証になってきてますねぇ。にわかに実現可能になったような気がしてきます。

> …奴ら、だいたい60万キロくらいの距離で撃ち合っていますぜ。
> 発射から2秒で着弾。
> これは、いくらなんでも避けられないかなあ…
1000Mを2秒でずらす・・・必要はないのか、相手がど真ん中を狙ったとして半分ずれればいいので500M。
秒250Mで加減速すれば避けられそうですね。1Gが9.8M/s2なので、25Gに耐えられる人なら・・・(笑)。

> 核兵器でもかなり近接していないと効果がないかもしれません。
> 50メガトンの核爆弾に対し、大気圏内でも20キロも離れれば
> 安全圏(一時的な爆発に対して)になるわけで、
> まして真空の宇宙空間ですから…
やばいのは放射能でしょう。効力を疑う中性子レーザまであるくらいですから、放射能は有効かと。おまけにレーザ水爆ですからねぇ。核分裂じゃなくて核融合っすよ、核融合。あ、核融合だと放射能の危険ないか(^^;;
#カミオカンデ見ればわかりますが中性子の透過力って高すぎるし、トリスタン見ればわかるように容易には加速できない

> あと、弾頭の寿命を考える必要がないという点については、同感です。
> まあ、恒星系外であれば、何の処置もしなくてもさほど危険はなさそうな
> 気もしますが。
結局、当たるのは運が悪い、ということで。

ゴミです。ごめんなさい。

親記事No.829スレッドの返信投稿
board3 - No.841

ありがとうございます

投稿者:ウシマル
2001年03月14日(水) 03時34分

 丁寧なお返事頂き、ありがとうございます
 早速リンクした内容を読ませていただきます。
 1.の質問は優馬さんの言う通り確かに「絶対的な基準」なんてものはないと思います。しかし、公然と他人と批判している以上第三者にも分かりやすい線引きをしているのかと思い、その有無を尋ねたかったわけです。
 優馬さんのいう自己の評価と他者の評価の差異に関しても、A氏が「おれは中国に詳しいぜ」と言うのを、B氏が「いや、そんなことないだろう」と言う時、B氏は自分の判断基準を持っていると考えられます(つまりB氏がA氏を否定するに足るなにかをB氏が持っている)。勿論A氏が語る内容を聞いてC氏が「おかしいな。ホントかな。なんか違うんじゃないかな」と疑問を持つことで評価に差ができることもあるわけだから、必ずしも明確な基準が必要であるとは思いません。(なんかうまく説明できないな)
 ただ記述者がそういう基準を持っているのであれば、読み手が記述内容を読み、判断するときに役立つと思った次第。質問の仕方が悪かったですね。

 「田中芳樹は儒教について知っているとは思えません。」これは管理人さんが推測されていることで、本論の中でもそれを立証する証拠があまりにも少なく、断定してしまうにはちょっと弱い。「知らないのではないか?」という疑問に留めた方が無難なのでは、と思います。

2.のお返事については確認したいこともあるので、後日また質問したいと思います。

3.は了解しました。この方がわかりやすいです。儒教に詳しくない人も多いかと思いますので、この際本論も変更してはいかがでしょうか。

4.もありがとうございます。

 また疑問が出ましたら質問させて頂きます。よろしくお願いします。

親記事No.829スレッドの返信投稿
board3 - No.842

「孔子の名言」については

投稿者:新Q太郎
2001年03月14日(水) 04時25分

例えば
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として
 二度目は喜劇として」という名言がありますが、
これは”ナポレオン三世”の(帝政復活という)「行動」を評して
”マルクス”が言った名言とするべきですよね。

「ぼくは孔子ってあんまり好きじゃないけど、たったひとつ
感心している『エピソード』があるんです……」にしておけば
よかったのにと思うんですが。

親記事No.517スレッドの返信投稿
board3 - No.843

Re^9: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策

投稿者:TAKA
2001年03月14日(水) 13時39分

> これは、非常に面白い観点ですね。言われてみればなるほど、と思います。・・・・・・
> ・・・・・・逆に重力の影響の高い
> ほうが加速度が速い、というのでは駄目ですか?(^^;;

 風上から銃を撃つのと風下から銃を撃つのではどちらが有利か
単純に考えてみてください。
 地上から人工衛星を打ち落とすのと外軌道上から落とすのとどちら
が楽かと考えてもいいかもしれません。

重力圏の外側の方が位置を有利に動けるとして常に敵に対して
重力の風上に位置するように陣を張れば、目をつぶっていても
あたる・・。逆に重力圏側の敵はどちらに弾道がどう曲がるか予測
不可能なため、あたりにくいと思います。
 敵側が反重力推進であれば、惑星の重力圏から離れると
極めて機動力がなくなるためにあえて無視することによって
敵を惑星から引き離し反転迎撃をすると簡単に撃破できると思います。
あと重力圏があるということは障害物(空気)も多いということで
射撃をする側もされる側も同じ条件ですが、爆発の影響といえば
障害物の多いほうが不利だとおもうのですがいかがでしょうか?

 あとレーザーはご存知の通り宇宙空間では見えなかったり、
スパルタニアンがドックファイトのような機動する必要はなかったり
レーザーエネルギーは高温なので真空中とはいえ希薄な水素原子
がある宇宙空間では一瞬で減殺されてしまったり(粒子加速砲もしかり)
色々SFの矛盾てのはあるのですが、いちいちあげつらっても
面白くない。(笑)レールガンも射出する瞬間は亜光速になって
いるわけでその瞬間逆方向に同じくらいのベクトルが
相対的に発生するので船は撃った瞬間亜光速で後ろに吹っ飛んだり
するはずですがどんな機械で制御しているのでしょ???
 重力を操作できるのであれば、簡易的なブラックホールの機雷原
を作って撃破するほうが楽だと思うのですが、そんなことを
忠実に再現してもなんも面白しろくない。(笑)
 まぁ矛盾点をあげても解消はできないと思います・・。
でも宇宙空間で昔の会戦を再現するという発想はなかなか楽しいと
思うので大好きな作品なんですよ・(笑)

board3 - No.844

はじめまして、そして最初の意見を

投稿者:オズマ
2001年03月14日(水) 15時57分

始めまして、オズマというものです。
私も以前から田中芳樹の思想
について矛盾を感じることが多くありました。
これからよろしくお
願いします。

早速ですが、田中芳樹の思想についてもの申した
いことがあるので、投稿させて頂きます。
少々古い作品で、あるい
は同じような議題がこれまでにもあったかもしれませんが、そのときは
ご容赦願います。

以下に引用するのは田中芳樹の作品である、
『アップフェルラント物語』に収録されている「『ルリタニア・テーマ
』について」という彼の文章の中の一節です。

「ルリタニアに
限らず、架空の国や地名に興味のある人は、講談社刊の『世界文学にみ
る架空地名大事典』がおすすめ。欧米の作品しか出てこないのと、やや
読みづらいのが欠点だが、架空の国の地図なども多く入っており、読ん
で損はない。やたらと厚くて高価な本だが、図書館に行けば置いてある
はずだ。まともな図書館ならね。」

さて、皆さんはこの文章に
ついてどういう感想を持ったでしょう。どこがおかしいのかわからない
という人も多いと思います。しかし、図書館学を多少なりとも学んだこ
とがある人なら、この文章がいかに無知からの発想なのか、いかに図書
館を理解していないのかがよくわかると思います。この文はどうも既存
の図書館を侮蔑するような意図があるように感じられます。まあこれが
田中芳樹の表現のパターンといってしまえばそれまでですが、私は図書
館学を学んだものですし、その立場からもこの発言は見過ごすわけには
いかないものです。そこで、今回は図書館学的見地からこの文章の矛盾
についてお話していきたいと思います。

田中芳樹は、『世界文
学にみる架空地名大事典』が、まともな図書館にはあると言います。そ
れは裏返せば、『世界文学にみる架空地名大事典』がおいてない図書館
はまともではないということになります。まともではない図書館はあり
ますが(その類型は後で述べます)、少なくともこのような理由で図書
館をまともかまともでないかを判断するのことは正当性を持たないと私
は思います。

ここでまず最初に、なぜ田中芳樹がまともな図書
館には『世界文学にみる架空地名大事典』があると言ったのか、その考
えうる、(付け加えれば、)できるだけ説得力をもった理由を推測して
みようと思います。
①田中芳樹自身が、この本こそは図書館に置く
べき本だと思っているから。
②田中芳樹が、図書館はより多くの、
より多様な種類の本をそろえるもの だ、と認識しており、その意味か
らこの本も置くべきだと思っているから。
③田中芳樹の思想はとも
かくとして、この本が作家や文学の研究者の間で必携とも言うべき本で
あり、なおかつ学術的価値が高い。その意味で図書館に置くべき価値が
あるから。

一応この三つの理由を想定し、それに沿って話を進
めていきたいと思います。もちろん他の理由も推測できるでしょうし、
より説得力のある理由を思いついた人は、是非意見してください。


まず①についての考察です。
これは考えるまでもなく誤った理
由だと言うことができると思います。人間誰しもが自分の好きな本をも
っているでしょうし、これこそ図書館に置くべきだという本も多いと思
います。極端な話、日本だけでも一億三千万種類のそういう本があると
思います。まあ、人々の好きな本はだぶっていることもありますから、
それほどまでは多くはありませんが、それでもかなりの数の種類の本が
あります。それらすべてをそろえる図書館など、納本制度をとっている
国会図書館しかありません。それを一般の図書館に求めるのは狂気の沙
汰としか思えません。
以上のような理由から、この①の理由によっ
て田中芳樹が上記のような思想を持つならば、それには正当性がありま
せん。

次に②についての考察です。
これについては納得す
る人も多いかもしれませんが、やはり図書館学的には間違った認識なの
です。現在の図書選択論は、いかによく利用される蔵書を作り上げるか
ということがその根本テーマです(ここで現在の図書選択論といいまし
たが、引用の文は1989年に発表されたもので、このころには既にこの思
想が図書選択論の主流だったはずです)。それは図書館はあくまでも市
民の為のものであることを考えれば、そのニーズに合ったものをそろえ
るのは当然です。もちろん図書館の役割のひとつに資料収集というもの
がありますが、これは国会図書館や県立レベルの大図書館が担うもので
あり、一般の図書館はその役割を追求する立場にはありません。従って
一般の図書館は、先に述べた様に、いかによく利用される蔵書を作り上
げるかということを目的に図書選択をしているわけです。
そこでそ
の『世界文学にみる架空地名大事典』というものを考えてみましょう。
統計を取ったわけではありませんから迂闊なことは言えませんが、その
本が一体どれだけの人が望むものだと言えるでしょう。少なくとも普通
の人が、先を争って利用するようなものではありません。その本が幾ら
なのかは知りませんが、事典というからには相当値が張るでしょう。単
純にその本一冊の値段で、多くの人が読みたい売れ筋の本(例えば今話
題の芸能人の自叙伝など、図書館に置くにふさわしいものではないと思
われがちなものでもよい)が5冊ほど買えるとしましょう。その場合、
現在の図書選択論から言えば、その売れ筋の本を5冊同じ物を購入して
利用者に提供すべきなのです。なぜなら、今読みたい本が1カ月の予約
待ちというような図書館では利用者が信頼しないからです。
その点
から、資料収集もその役割とする大図書館がその本を収集するのは当然
として、もしその本を収集していない中小規模の図書館があったとして
、その中小規模の図書館が、あまり利用が見込めないからというような
理由から、あるいは限りある費用の中でより利用されやすい本をそろえ
る為にという理由から収集しないからといって、即、この図書館をもと
まともでないとするのは真に短絡といわざるを得ません。
では、そ
の本がよく利用されるはずなのに無いとしたらどうなのだ、あるいはあ
まり利用されないからという理由ではない別の理由で収集していないな
らばそれはどうなのだ、という意見は皆さん持つと思いますが、これは
③の考察の後で考えたいと思います。
以上のような理由から、この
②の理由によって田中芳樹が上記のような思想を持つならば、それには
正当性がありません。

最後に③についての考察です。
確か
に『世界文学にみる架空地名大事典』は、そう多くの利用が望めるのよ
うなものではないかも知れない。しかし、流行に流されることなく、真
に良書といわれるものをそろえるのも図書館の役割ではないのか。この
本にはその価値がある。そういう意見を持つ人もいるかもしれません。
しかしそれは大きな間違いです。いくら良書と言われるようなものを多
く集めようと、利用されなければ意味がないのです。これは大前提です
。後は②の考察がそのまま当てはまります。
以上のような理由から
、この③の理由によって田中芳樹が上記のような思想を持つならば、そ
れには正当性がありません。

ここで一つ補足をしておきますが
、今まで述べてきたのは普通の本についてであって、ここで話題として
いる『世界文学にみる架空地名大事典』は厳密にはレファレンスツール
というもので、普通の本とは違います。この点から、この本を全く普通
の本と同じに扱うわけには行きませんが、それでも、選択については、
用途や利用頻度などの面からの制約はある程度当てはまります。


ここで②の考察の最後に述べた問題、「その本がよく利用されるはず
なのに無いとしたらどうなのだ、あるいはあまり利用されないからとい
う理由ではない別の理由で収集していないならばそれはどうなのだ」と
いうことについて考えてみましょう。
そもそも図書館は限られた費
用のもとで活動を行っているわけですから、その収集力にも限りがあり
ます。さらには図書館といえどもどの本がよく利用されて、どの本があ
まり利用されないのか、すべてを見通すことはできません。例えば想像
してみてください。あなたの専門分野が経済だとします。そこであなた
がよく利用される哲学書を選択してみろといわれたとき、あなたは正し
く選択する自信がありますか。そこで図書館はそれぞれの館で一般的な
図書選択の基準を設け、それに沿った選択をするのです。その際には当
然、よく利用されるはずの本が選択からもれる場合があります。

のときはどうするのでしょうか。図書館には必ず(といっていいほど)
、収集してほしい本のリクエスト用紙が用意されています。図書館はそ
のリクエストに答えることで、よく利用される蔵書を作り上げていくの
です。
しかし、図書館としてもそのすべてに応えられるわけではあ
りません。費用の問題。内容があまりに高度である為、一般の図書館向
けではない場合、などなど。そういうときにも図書館は応えてくれます
。図書館には近隣の図書館とのネットワークが整備されていることが多
くあります。自館にない本も他館ならあるかもしれません、そういう時
は取り寄せてくれます。もし近隣の図書館にもない場合でも、より上位
である県立図書館などに要請して取り寄せてもらうこともできます。究
極的には国会図書館に依頼することも可能なのです。その際、図書館と
しては必ず相談に乗ってくれます。それこそまともな図書館ならね。

ここまで読んでいただいた方にはもうお分かりでしょう。まともでは
ない図書館というのは、ある特定の本を所蔵していない図書館ではなく
て、リクエスト用紙がない図書館、利用者の求める本がないときに、そ
の要求をつっぱねる図書館のことです。つまりは利用者の要求に応えら
れない図書館のことなのです。
田中芳樹はある本がない時点で、そ
の図書館をまともではないとしていますが、それは大きな間違いです。
しかし、私はその間違いを犯したことで彼を批判はしません。彼に図書
館学の知識がないことは彼の罪ではないのですから。だが、知識がない
にもかかわらず、その間違いを独断という形で正当化してしまうことは
彼の立場上、非難されてしかるべきです。彼はベストセラー作家です。
その影響は大きいでしょう。彼の文章を読んで、図書館に『世界文学に
みる架空地名大事典』を探しに行った人もいるでしょう。そのときにそ
の本が書架になくて、その結果その人が彼の言葉を信じてその図書館を
まともでないと判断して、図書館を信頼しなくなったら、彼にはその責
任が取れるのでしょうか。この場合は、リクエストやリファレンスにつ
いても言及すべきだったと私には思えます。図書館について言及する以
上、あるいは図書館を利用したことがあるならば、リクエストやリファ
レンスというサービスの存在は常識なのですから。リクエストやリファ
レンスというサービスの事を知りながらそのことについて触れなかった
ならばそこには明らかな図書館への侮蔑、悪意が見てとれますし、その
ことまで頭が回らなかったのなら、それは無知ではなく無能です。



以上、私が感じた田中芳樹の矛盾について述べてみました。些
細なことかもしれませんが、独断で間違いを述べる彼の姿勢について苦
言を呈してみました。そういう私のこの意見も独断といわれればそうな
んですけどね(笑)。
この文について何か思うところがある人がいれ
ば、是非意見を聞かせてください。
では、これからもよろしくお願
いします。

なお、この文を読んで図書選択論について興味を持
ったかたは、是非図書館で関連の本を探してみてください。図書館関係
の本はNDCで0××(ゼロ何とか何とか)の番号が与えられています
。選択論については、時代の新しいものと古いものでその内容が大幅に
違っているので、その変遷について調べるのも面白いですよ。
もし
希望する本が無いならレファレンスへ行ってくださいね(笑)。

board3 - No.845

アニメにおける最悪の民主主義

投稿者:朝霧
2001年03月14日(水) 16時47分

はじめまして。田中作品で検索してここに来ました。

僕はアニメで銀英伝に入ったのですが原作を読んでやや違った印象を持ちました。アニメのほうが同盟の最悪の民主主義が露骨に表現されている気
がします。
アニメではヤンが官舎で憂国騎士団の襲撃を受けた時周辺住民は傍観していて、ヤンが散水器で撃退すると火災として消防者が来るしまつです。
また襲撃された直接の原因は彼らのリンチにあいかけたジェシカを救ったからで、「救国の英雄」への襲撃は彼らの独断のようです。
アスターテ会戦の結果を同盟政府に大勝利と発表させたのはいくら何でも不自然に感じました。同盟政府のいいかげんさをあらわすためでしょうけどね。

ところが原作では、他の官舎の住民が治安警察に通報して見て見ぬふりはしませんでした。警官が襲撃を受けた当の「救国の英雄」に向かって憂国騎士団は熱烈な愛国者の団体だと理解を求める発言をしたのには、この警
官は相手次第で発言内容を変えないのだなと感心させられました。
襲撃された原因は慰霊祭でのヤンの不遜な態度です。式典の途中でジェシ
カを連れて抜け出しましたが、これはあまり関係無いでしょう。
彼らが「救国の英雄」襲撃したのはトリュ-ニヒトの意向であって独断ではないようです。
そしてさすがに同盟政府もアスターテ会戦を大勝利などとばかなことはいわなかったようですね。

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board3 - No.846

ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:新Q太郎
2001年03月15日(木) 04時37分

というのは、最近リンボウこと林望や
「だれが本を殺すのか」を書いた佐野眞一が、はっきり後者の
立場に立って「『五体不満足』やら『脳内革命』なんかどこでも
買えるんだから(何冊も)置くな!」と主張してましたね。

田中氏も、大学では古典研究者であり、書誌学的なことも
しているのでリンボウ氏に近いのですかね。

図書館は今後、ビデオ・CDの扱い、電子図書館化、スペースと蔵書、
「差別」文書、「非健全」文書をどうする…といったいろんな問題が
でてくるでしょうね。週1回は使用しているヘビーユーザーとしては
感謝とともにいろいろ要望もありますが。

…ところで、まだ「創竜伝」が貸し出しや閲覧禁止された図書館は
ないようですね(笑)。

親記事No.844スレッドの返信投稿
board3 - No.847

Re: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:オズマ
2001年03月15日(木) 19時21分

こんにちは、オズマです。
ご意見ありがとうございました。
このご意
見は回答を求められているようなものではないと思いますが、せっかくですか
らいくつかコメントしてみます。


> というのは、最近リンボウこと林望や
> 「だれが本を殺すのか」を書いた佐野眞一が、はっきり後者の
> 立場に立って「『五体不満足』やら『脳内革命』なんかどこでも
> 買えるんだから(何冊も)置くな!」と主張してましたね。
> 田中氏も、大学では古典研究者であり、書誌学的なことも
> しているのでリンボウ氏に近いのですかね。

リンボウや佐野
眞一の言っていることは間違いではありません。選択論のひとつとしてこのよ
うな考え方はあります。

ここで、資料選択論の歴史について簡単に説
明しておきます。
資料選択論の歴史は大まかに二つに分けることができま
す。1960年代以前と1970年代以降です。
1960年代以前の選択
論をまとめると次のようになります。
一応市民の支持を受ける図書館作り
を目指してはいるが(あるいは格好だけだったかもしれませんが)、それを徹底
することができませんでした。ちなみにそのときの市民の求める図書とは、「
簡単なもので、写真が多いもの」というものだと考えられていました。そして
それとは別に、選択の基準としては厳格なものが用意されていました。テーマ
の独創性、文体の簡潔・明瞭性、さらには文字の大きさや出版社の社風といっ
たものです。そしてそれらを踏まえた上で、図書選択の際には、人々が求めて
いるものは必ずしも文学的には優れているとは限らないから(さらには人々が
求めるものは文学的に価値の低いものが多いとまで述べられている)、ある図
書を選択するときにそれがベストセラーかどうかは二義的要件として考えれば
よい、という結論が出されていました。

1970年代以降に関しては
先の投稿を読んでいただければわかると思います。

1970年代以降
、利用者のニーズを第一に考える図書選択の考え方が発達してきたわけですが
、1980年代に一時期別の考え方が台頭してきたこともありました。その主
張はいくつかあるのですが、このテーマに関係のありそうなものを挙げてみま
す。
「ポピュラーな本は住民に買わせればいい。そうすれば今の図書館費
で十分まかなえる」
「図書館は住民の買えないようなものだけ買えばいい

「複本は買うな」
まさに、リンボウや佐野眞一、さらには田中芳樹
(もそうだと考えられるでしょう)の考え方です。特筆すべきは、この考え方
が地方財政悪化に伴う行政当局からの意見だったということです。
ちなみ
にこの考え方は、ある先生方に言わせれば「どういう図書館サービスを受ける
のかを決定する主体が本来、住民の側にあるという認識を欠いている」として
、一刀のもと切り捨てられています。
田中芳樹もこの考え方を持っている
とするならば、皮肉なことに、彼の非難する(彼の作品の端々で同類項が見ら
れる)お役所仕事と同じ事を彼自身が主張しているということになります。


> 図書館は今後、ビデオ・CDの扱い、電子図書館化、スペースと蔵書、
> 「差別」文書、「非健全」文書をどうする…といったいろんな問題が
> でてくるでしょうね。週1回は使用しているヘビーユーザーとしては
> 感謝とともにいろいろ要望もありますが。

図書
館学の世界ではそのいずれもよく議論されています。
利用者としては、バ
ンバン図書館に希望を出せばいいんです。時間はかかるかもしれませんが、そ
れが利用者の求めることであればそれを実現する方向に進んでいくのが、「市
民の図書館」として、まともな図書館ですから。


> …ところで、まだ「創竜伝」が貸し出しや閲覧禁止された図書館は
> ないようですね(笑)。

蛇足ですが、先に述べた1980年代に台頭した選択
論の一つにこのようなものがあります。
「図書館に政党色のあるものを置
くのはおかしい。図書館は中立でなければならない」
これは、逆説的には
ある特定の政党を批判しているものも中立性を欠くということになり、当然「
創竜伝」(一応実在の政党名は出てきませんが、内実は自明ですね)もそれに
当てはまるべきです(笑)。もしこの考え方が主流になっていれば田中芳樹はど
んな顔をしたことでしょう。


なおこの投稿をする際に、
伊藤昭治・山本昭和編著『本をどう選ぶか』日本図書館研究会、1998年

参考にしました。

親記事No.829スレッドの返信投稿
board3 - No.848

Re: 「孔子の名言」については

投稿者:ウシマル
2001年03月16日(金) 03時21分

 はじめまして。新Q太郎さん。いろいろ確認してから発言しようと思いましたが急遽書いてみました。
 なるほど、そういう考えもありますね。
 ただ、孔子が「盗泉」に寄らなかった故事をもとに「誰か」(例えば陸機)がこと言葉を作った、ということがはっきり分かっているのですか?そうでなければ、弟子の誰かに聞かれて、寄らない理由を孔子がこう言ったかもしれないですよね。つまりそのように話が伝わっていると。
 また「孔子の名言」を「孔子の言った名言」としています。名言とはそういう意味だから当然ですが、あえて弁護すれば周一郎は「孔子は好きじゃないけど、ひとつ感心している名言がある」と言っているのだから、これを「孔子は好きじゃないけど、ひとつ感心している(孔子の思想を表した)名言がある」とすればあながち間違いでもないのではないでしょうか。実際にそういうエピソードがあるのだから。
 結局、周一郎はシグマ社と言う不正行為をしている会社の禄を食む気がないからそういう気持ちをこの言葉に込めているわけで、孔子の清廉さを引き合いに出して断っているのでは?ことさら孔子の名を出したのは一般の人(作中でのシグマ社の使者、あと読者も含む)の孔子と陸機との知名度の差を考えたのではないでしょうか。

親記事No.829スレッドの返信投稿
board3 - No.849

Re^2: 「孔子の名言」については

投稿者:てんてんdwp
2001年03月16日(金) 05時44分

てんてんDWPです。

>  ただ、孔子が「盗泉」に寄らなかった故事をもとに「誰か」(例えば陸機)がこと言葉を作った、ということがはっきり分かっているのですか?
そのとおり。孔子の行動の故事を元に陸機が作った言葉です。

>  また「孔子の名言」を「孔子の言った名言」としています。名言とはそういう意味だから当然ですが、あえて弁護すれば周一郎は「孔子は好きじゃないけど、ひとつ感心している名言がある」と言っているのだから、これを「孔子は好きじゃないけど、ひとつ感心している(孔子の思想を表した)名言がある」とすればあながち間違いでもないのではないでしょうか。実際にそういうエピソードがあるのだから。
たしかにそう読むことは不可能ではないですが、であれば文章作成能力を疑わなければなりませんね。
日本語のルールとしてAは嫌いだが一つ感心しているBがある、とある場合、BはAの一部である必要があります。
Aが人物「孔子」か著作物「孔子」である以上、Bは人物「孔子」か著作物「孔子」に含まれなければなりません。
この場合、名言は人物「孔子」の名言か、著作物「孔子」の中の名言でなければ日本語とは言えません。
それを避けるならまさしく()内の言葉を補う必要があります。

>  結局、周一郎はシグマ社と言う不正行為をしている会社の禄を食む気がないからそういう気持ちをこの言葉に込めているわけで、孔子の清廉さを引き合いに出して断っているのでは?ことさら孔子の名を出したのは一般の人(作中でのシグマ社の使者、あと読者も含む)の孔子と陸機との知名度の差を考えたのではないでしょうか。
中国武将列伝で「三国志だけが中国の歴史じゃない」という台詞を出すなら、ここだけ読者に対する知名度を考えずに敢えて無名の陸機を使うべきだと思います。

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board3 - No.850

Re^2: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:てんてんdwp
2001年03月16日(金) 06時08分

てんてんDWPです。

以下、私は図書館学を知りませんから勝手な想像ですが・・・

もともと図書館が「文化施設」、もっと言っちゃうと「教育施設」として設けられたんじゃないでしょうか。
「非営利組織である以上、万人に受ける本を置くのではなく、文化的教育的な図書を置くべきである」みたいなのが根底にあったのが1960年代以前。
しかし、1970年代になると「誰も利用しない文化施設」に対する存在意義が問われるようになり、大衆のニーズに沿った図書「も」置くべきだ、という具合に変わってきたんだと思います。
この転換の背景には「大衆ニーズに沿った本を読んでもらえば、そのついでに他の本も読むようになるかも知れない」というのがあると思います。
もちろん「本離れ」を防ぐ防波堤としての図書館も求められたのでしょう。
パソコンでもなんでもそうですが、「とりあえず簡単なものでもいいから使ってもらえ」ば、「そのうち複雑なのも使ってくれるかも知れない」ですから。
1980年代の思想というのはそういう状況を外から見て「文化教育施設である図書館が大衆に迎合するとは何事だ」とか、「利用者数を増やすという商業主義に汚染されている」みたいな(笑)発想から生まれたんじゃないですかね。

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