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私の創竜伝考察36-4
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年03月01日(木) 08時04分
創竜伝座談会 P233~P234
<余 それで今回はすごい展開があったんだよね。
始 すごい展開?
終 何だよ、それ。
余 えーと、ほら、劇的な展開ってやつ。
続 そんなのありましたっけ。
余 だって、ほら、首相がかわったんだよ。
終 あっ、そうか!
続 そういえばそうですね。
始 そうか、第一巻からずっとこの作品では首相はかわっていなかったもんな。
余 ね、そうでしょ。
始 うん、よく気づいた。
終 おれだって気づいてないわけでもなかったりするんだけどな。
始 「あっ、そうか」と叫んだのは誰だ。
終 いや、まあ、それはそれとして、ひどいかわりかただよな。そんなのありか、
って感じだけどさ。
余 あんなぐあいにかわっちゃっていいのかしらね。
続 そりゃ君たち、日本は神の国ですからね。首相と暴力団の組長とは、
ボスたちが密室で談合して決めることになってるんです。アメリカや
フランスみたいに、国民が堂々と選挙で国家の指導者を選出するのは、
悪魔の国なんですよ。>
この連中の、現実世界・創竜伝世界のどちらを対象にしているのかがまるで理解できない阿呆な会話についてはもはや笑い飛ばすしかありませんが、創竜伝12巻における首相交代が「ひどいかわりかた」であるという意見には私も全面的に賛同しますね。何しろ今までの創竜伝には「新首相」に関する記述も伏線もまるでなかったというのに、何の脈絡もなしにイキナリ重要人物として登場しているわけなのですから(笑)。どうせこのあたりのストーリー設定の整合性なんて「とうちゃん」は全く考えてなどいないのでしょうが、小説としての基本構成もロクに考えないで何が「劇的な展開」でしょうかね。
どうせこの連中は自らが抱え込んでいる被害妄想と誇大妄想のために日本の政治家を信用することなどできなくなってしまっているのでしょうが、一応森総理は民主主義的な手続きに基づいた選挙によって選出された国会議員によって首相に指名されているのですし、森総理自身もまた民主的な選挙によって選出された国会議員です。しかも故・小渕元総理の昏倒に伴う政権交代劇に多少の問題があったとはいえ、その後首相となった森総理は一旦衆議院を解散・総選挙を行い、そこ後改めて首相として選出されています。私にはどう見ても民主的手続きに基づいた首相選出が行われたようにしか見えないのですが、やはり森総理の「神の国」発言から、森総理が言ったことすらもない「悪魔の国」などという言葉を捻り出すような連中は一味違いますな(笑)。
そもそもこの連中は、森総理の「神の国」発言が、どんな状況で、どんな文脈から出てきたのかも全く知らないのでしょうな。あの森総理の「神の国」発言は、2000年5月15日の「神道政治連盟国会議員懇談会」の結成三十周年祝賀会で森総理が行った挨拶の中にあったものです。その全文を読んでさえいれば、森総理が何を意図して「神の国」を持ち出していたのかがすぐに分かるはずなのですけど。
かなり長いですが、その挨拶文を全部引用してみることにしましょう。
神道政治連盟国会議員懇談会・結成三十周年祝賀会 森総理の挨拶
<神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけてございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。
村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。
とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。
私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを作ったわけてすが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。
しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。
ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞上人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。
私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタッと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。
これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりてすね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。
たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。
ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました。>
これのどこに「神の国」と森総理の首相選出を絡め、「悪魔の国」なる用語が使用された個所があるのか、是非とも教えていただきたいものですね。こんな「無から有を生み出す」ような引用を平気で行っている竜堂続はどうしようもない阿呆であるとしか評価のしようがありません。森総理の「神の国」発言を発狂的に責めたてていた朝日新聞ですら、こんな愚劣なことはやっていませんって(笑)。
上記の引用における「神の国」発言で考慮に入れなければならないことがいくつかあります。ひとつはこの発言が出てきた舞台背景が「神道政治連盟国会議員懇談会」であり、この団体に対するリップサービスの意が含まれていたこと、そしてもうひとつは、昨今の少年犯罪の増加や教育問題の文脈から、神に対する素朴な信仰心や親に対する孝行心を大事にしなければならないという意味で「神の国」発言が出てきていた事です。それらの事情から考えると、上記の森総理の挨拶文には、特に責められるべき要素などどこにも見当たらないのですけど。
それに、もし竜堂兄弟が上記に引用している森総理の発言全てを否定するというのであれば、同時に竜堂兄弟(特に始)はかつて自分達が持っていた生命観・道徳観をも全て否定することになってしまいます。何しろ竜堂始はかつてこんなことを主張していたのですからね↓
創竜伝7巻 P122下段
<「正体が竜だろうと蛇だろうと、それはかまわないのです。はっきりいって、何に生まれようと、それはぼくたちの責任ではない。何をするかについて責任を問われるのは当然ですが、何者であるかについて責められる筋合はないはずです」
竜堂兄弟に自虐の趣味はない。自分たちが普通の人間でないことを気にしてどうなるというのだろう。自己嫌悪とか自己憐憫とが交互につらなる不毛の鎖で自分を縛るだけのことだ。弟たちがそうなってはかわいそうだから、始は、弟たちの心理的負担を減らすために心を配ってきた。ごく幼いころから両親のお墓まいりをさせたりしたのは、何も旧時代の親孝行を押しつけるためではない。自分たちの生命を両親から授かったこと。自分たちの生命や人生をたいせつにすることが、自分たちに生命をくれた親の想いに応えることだ、とわかってほしかったのだ。弟たちが、自分の生命や人生に価値がないなどと思ってほしくなかったのだ。>
森総理の発言・一部抜粋
<要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。>
どうも私には、生命観や道徳観およびそれ対する教育方針については両者共に同じようなことを言っているようにしか見えないのですが、なるほど、竜堂兄弟はいつのまにかこの考え方をも全否定するようになってしまったわけなのですか(笑)。 あの部分は連中にしては珍しく正論を言っているのではないかと私は思っていただけに残念ですな(笑)。
まあ、よく考えてみれば連中が森総理の考え方を否定するのも当然のことかもしれませんね。創竜伝における連中の支離滅裂な思考と行動原理は、上記の考え方を忠実に実践しているとは到底言えるものではないのですから(笑)。「両親の想い」や「生命の大事さ」について充分に理解できるだけの知能が連中にあるのであれば、感情的かつ刹那的な理由だけで四人姉妹や牛種と対立し、ロクなアンチテーゼも責任意識も確立しないままに「染血の夢」計画を阻止しようなどという愚かな行動など取れるはずがないのですしね。
第一、たかだか首相が自分個人の思想スタンスを公の場で発言しただけで、アレほどまでにマスコミから責められることの方がはるかに異常な話ではありませんか。いつから日本は言論・思想の自由が統制されるような国になったのですか? もちろん言論にはそれなりの責任が伴うものではありますが、森総理は「神の国」発言の意図の説明やマスコミに対する反論を行うことで、きちんと自らの発言に対する責任を取っているではないですか。むしろ、ちょっとマスコミに責められた程度で、すぐさま自らの発言を撤回するような政治家の方がよほど有権者をバカにしているとすら言えます。自らの発言に責任が持てないわけなのですからね。
すくなくとも森総理は、竜堂兄弟や「とうちゃん」のように、フィクションの名に隠れて責任逃れをしているような「卑怯者」ではないのです。他人を批判する際に名指しも引用すらもロクに行わないまま、匿名で相手を罵ることしかできない醜悪な「卑怯者」に過ぎない竜堂兄弟や「とうちゃん」ごときに、森総理を批判する資格などありません。そんなことをしている暇があるのならば、少しは自分達の今までの言動と行動を総括してみてはどうなのでしょうか? まあアレらはちょっとやそっとでは総括のしようがないほどに質も量も最悪なのですけど(笑)。
とりあえず、これで創竜伝12巻の論評は全て終了ですね。
しかし、創竜伝は一体いつになったら完結してくれるのでしょうか? すでに小説が始まってから10年以上も経過しているというのに、未だに完結のメドが立っていないようにしか見えないのですけど(T_T)。
どうしても完結できないと言うのであれば、一刻も早く創竜伝を自ら廃刊にすることをオススメしますよ。どうあがいても発禁になどなりようがありませんから(爆)。私としても、論評はともかく、いつ続編が出るのかも分からない創竜伝をいつまでも待ち続けるのは疲れますし、読者を舐めきった態度で執筆を続けられても迷惑でしかありませんしね。
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- board3 - No.752
Re: 私なりの創竜伝(12巻)の魅力推論(私見)
- 投稿者:Merkatz
- 2001年03月01日(木) 12時34分
創竜伝がなぜ売れるかは、田中芳樹七つの謎の一つ(笑)でして、
ここでもいままで色々推測されてきたのですが、決定的な解明までには至っていません。
恵さんの挙げられた3つの魅力は有力な理由と思います。
皆さんの意見を総合して(美味しいとこ取りともいう)、まず読者層として
1.中・高校生
2.女性ファン
3.田中芳樹ファン
に分類されると思います。もちろん、重なる部分もあるでしょうが。
そしてそれぞれの読者層に対して、購読理由が違うのでしょう。
1.中・高校生・・・青臭い理想主義的主張が、若いときの大人への反抗心にピッタリくる。
2.女性ファン・・・イラスト・キャラ萌え
3.田中芳樹ファン・・・とりあえず集める
そして3者共通として、
・ストーリー矛盾・社会批評なんてどうでもよい。好きなキャラが活躍すれば面白く感じる。
・自分が面白く感じた部分しか印象に残っていない。
があると思います。
つまり、幅広い読者層のニーズにそれぞれ対応する商品訴求力が備わっていることが創竜伝の強みではないかなと。
どれか特定読者層しか受け入れないようなものであるなら、とっくに部数を落としていただろうと思います。
とすると、最近女性ファン向けに文体が変わったというのは、田中芳樹がそういう嗅覚に鋭い作家であることの証明なのでしょうか?
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- board3 - No.753
Re: 私の創竜伝考察36-3
- 投稿者:日傘
- 2001年03月01日(木) 17時05分
中国で木版印刷が実用化されたのは、唐代初期じゃありませんでしたっけ? 私の資料が古すぎるのかも知れません。
それはともかく、聖書を普及させて欧州の庶民にキリスト教を浸透させた活版印刷の方が、文化上の貢献度としてはよっぽど優れていますね。中国や朝鮮でも活版はグーテンベルク以前にもあったようですが、近代活版術への直接の系譜は(多々の異説はあるにせよ)、冒険風ライダーさんが仰るとおりグーテンベルクだと思います。
仮に中国人が印刷術の元祖だとしても、8巻で西王母が言っていた、
「コロンブスのアメリカ大陸発見を阻止したところで、固有名詞が変わるだけ」
という理屈に沿えば中国人が木版印刷を発明しなくたって、いつかは発明されるものなんだから、ことさら中国人の功績を唱えなくても良さそうなもの。だいたい、元祖が一番だと言うなら、古代フェニキア人が一番偉いに決まってます。なにせ世界共通語の元祖ですから。
少し思ったのですが、田中氏の中国の持ち上げ方は、以前流行ったほめ殺しそのものです。実は田中氏は中国が嫌いなんじゃないでしょうか?(笑)
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- board3 - No.754
Re: 私の創竜伝考察36-1
- 投稿者:とっしー
- 2001年03月02日(金) 04時15分
> ま、そんな下らないことはさておき、青竜王がやたらと絶賛している超普の軍隊統制政策ときたら、私がかつて「銀英伝考察2」で否定したはずの「中央統制型文民支配体制」そのものではありませんか(笑)。アレがいかに軍事運営に関して有害無益なシロモノであるか、私は散々強調しておいたはずなのですけど。
と言ってもこの論考は田中芳樹の眼に触れていないと思いますので、それは言い過ぎかと。
> 大日本帝国憲法が発布されたのは明治22年(1889年)で、その後日本は日清・日露戦争を戦い、さらに第一次世界大戦時にも日本は参戦していますが、この当時には「統帥干犯問題」など全く存在していません。当時の日本は他の西洋諸国と同じく、内閣の責任において宣戦・講和し、軍事予算は議会の承認を得て組まれており、それに対して軍部が統帥権を振りまわすということなどなかったのです。
正確を期せばワシントン軍縮条約のとき加藤全権が軍縮に応じたことをもって「訓令を無視し、統帥権干犯ではないか?」と問題になりました。
このときは常識が勝利して陸海軍のことといえど予算がからむ問題では政府に権限があるという憲法解釈で通りました。思えばこのときに憲法改正を行い、政府が主導権を確立すべきだったと思いますが、今も昔も法学関係者は護憲一筋「憲法は不磨の大典」ですから、当然そういう意見は少数派です。
現行憲法は護持すべき。実情に合わないところは解釈でどうにでもなる。ええ、もちろんこれは戦前のお話しです(笑)
法なんて人間社会を快適にするための道具なんですから神聖視しなくてもいいじゃないのとは、私の独り言です。
> この「統帥権干犯問題」が浮上するようになってきたのは、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約がきっかけです。当時この条約に反発した陸軍が軍縮を恐れ、自分達に都合の良い憲法学者の説を利用して、大日本帝国憲法の解釈を捻じ曲げた珍説を作り出し、それに当時の帝国議会の二大政党のひとつであった政友会が「政争の具として」これを積極的に利用することを決め、その結果、1930年4月25日の衆議院本会議で、当時の政友会総務であった鳩山一郎が「統帥権の独立」を振りかざして政府を攻撃したのです。これが「統帥権干犯問題」の始まりで、以後、この「統帥権干犯問題」は戦前の日本における政党政治を死滅させていくことになります。
「陸軍」ではなく「海軍」ですね。そもそもロンドン条約は海軍軍縮条約であって陸軍は埒外です。むしろ膨大な予算を分捕りつづける海軍の勢力が弱体化すること自体は陸軍の省益に叶っていますし(笑)
陸軍がこの問題で絡んでくるのは宇垣軍縮や山梨軍縮以後ですね。
最終的には陸軍省、海軍省すらも「統帥権独立」の旗印の下、それぞれの参謀本部、軍令部がどういう作戦をやっているのか、どれだけの損害を出しているのかを把握できないという戦争指導上最悪の状態になります。
> ……で、歴史にお詳しいはずの東海青竜王陛下に是非お聞きしたいのですけど、この大日本帝国憲法の本来の制定プロセスが、宋王朝の軍隊統制政策にどこがどう劣るというのでしょうかね? 終始弱体化して周辺諸国に押されっぱなしだった宋王朝の軍隊と異なり、大日本帝国憲法下における日本政府は、この体制下において陸海軍を統制し、日清・日露戦争を勝利に導き、列強の仲間入りを果たしているのです。この一事をもってしても、大日本帝国憲法およびその制定者達は、すくなくとも宋王朝の軍隊統制政策よりはずっとマシな成果を上げているように思うのですけど。
これは両者に求められる性格の違いに起因すると思います。
日本軍は明治初期の鎮台時代を除けば、基本的に外征軍としての性格を強調して整備されています。対外戦争での勝利を第一義として建設されているわけです。
これに対し、宋軍は基本的に内乱鎮圧用軍隊です。中国史上、宋代に至るまで統一王朝が対外勢力の侵攻により滅びたことは無く、王朝滅亡は農民反乱や重臣や地方軍の反乱という形をとっていましたから、これを未然に防ぐ宋のシステムは非常に優れたものだったと思えます。
実際に宋代は対外戦争は不振だったものの、その政治的安定性は歴代最高といえ、その安定性を背景に経済超大国として発展したわけですから、いちがいに悪いシステムではありません。
問題はやはり、中央官僚が実情を無視した無茶苦茶な外交政策や軍事作戦を実行したことにあり、どんなシステムでも運用する側に問題があればどうしようもないでしょう。
宋滅亡の原因も軍隊の弱さというよりは金国との幾度にもわたる違約など拙劣な外交政策にあるわけですから。
軍隊が強ければ滅びなかったというのはこの場合、木造住宅だから全焼したというもので、むしろ寝煙草など火事の原因となったものを指摘すべきではないでしょうか?
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- board3 - No.755
Re^2: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策
- 投稿者:yasusi
- 2001年03月02日(金) 05時16分
> > よく、古代の戦いをモチーフにした艦隊戦がありますが、高速で動いている一万を超す部隊が陣形を保持して艦隊戦をするなんてできるのでしょうか。昔とは速度が違う。すれ違っておわりじゃないかなと。昔の馬上試合みたいに、何度もすれ違うんじゃないかと思うんですよ。側面、後背攻撃は体制を変えられないから効果があるので、高速で動きあうもの同士では意味がないのではないかと思うのですが。
>
> たとえば速度が10倍になったとして、このときに射程や感覚などの距離が10倍になれば感覚的な速度というのは変わらないはずです(時速4kmの戦いで相手との距離が400mなら3分後に遭遇します。同様に時速40kmの戦いで相手との距離が4kmなら同じく3分後に遭遇するわけです)。
> この感覚で考えれば、単純に速度の倍率分だけ戦場が広い、とか、速度の倍率分だけ敵との距離が広いとか、速度の倍率分だけ船も大きい、速度の倍率分だけ車(船)間距離が取られているのであれば、それは通常の戦いと同じ感覚で戦えます。ただし、銀英伝の世界がきちんと倍率どおりになっているかどうかまでは保証の限りではありません(笑)
レスありがとうございます。戦場は宇宙です。例え、艦隊が10万も20万もあれども、戦場となる宇宙空間に占める割合は、多分ゴミみたいなものでしよう。戦闘速度がいかにはやくなろうと、空間に占める割合が小さい限り激突が継続することはありえないわけです。
しかし、全ての武器は射程があります。真空で空気抵抗による減速を考慮しなかったら、ひとたび加速を与えられると、どこまででもいくことになるわけですが。これは、首飾りへの質量物攻撃と同じに、射程無視の無敵兵器になってしますので、これは帝国と同盟の間の秘密協定で使用できないようになっているという理解が最近頭に浮かびました。これは、ガイエスブルグ特攻作戦や、ワープ兵器(質量のあるところにワープさせて核爆発)と同様の理解ができるのではないかと思うわけです。
はいね戦の首飾りは、内戦だったからいいのですよ。もしくは、ヤンは、源義経みたいに当時の戦いのルールを破って大戦果をあげるタイプの武将だったのです。イゼルローンの人質作戦や空調機ガス流しも同様なのかもしれませんしかし、これでは、ヤンは英雄になれない。汚れた英雄になってしまう。こまった、こまった。
- 親記事No.715スレッドの返信投稿
- board3 - No.756
Re: 私なりの創竜伝(12巻)の魅力推論(私見)
- 投稿者:yasusi
- 2001年03月02日(金) 05時34分
どうもお初にお手紙します。
私も、創竜伝12巻を読みました。といっても立ち読みですが。冒険風ライダーさんも指摘されている通り、よんでいて、「あんた、その比喩強引すぎ」とか「あの、論理的におかしいですけど」とか突っ込みたい部分が嫌というほどありました。しかし、結構おもしろかったと思います。
恵さんも言われる独特の文体のテンポのよさ、(それにごまかされないように読むのが大変でしたが)は昔から好きでした。
皆さんの言うところの勧善懲悪、(でもあくまで主人公の主観的な)は、ひごろいろいろ苦労の多い妥協しなければならない私らcにとっては、他人からどう見えてもそれを貫く強さを竜堂兄弟にあるのが、無意識にしても、自分と重ねて、快感を感じるのではないでしょうか。
その前には、少々?のストーリーや論理の破綻なんて気にしないのではないでしょうか。言われて信じ込む歳でもないし。(ちなみに、23才)
- 親記事No.517スレッドの返信投稿
- board3 - No.757
Re^3: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策
- 投稿者:てんてんdwp
- 2001年03月02日(金) 06時29分
> しかし、全ての武器は射程があります。真空で空気抵抗による減速を考慮しなかったら、ひとたび加速を与えられると、どこまででもいくことになるわけですが。これは、首飾りへの質量物攻撃と同じに、射程無視の無敵兵器になってしますので、これは帝国と同盟の間の秘密協定で使用できないようになっているという理解が最近頭に浮かびました。これは、ガイエスブルグ特攻作戦や、ワープ兵器(質量のあるところにワープさせて核爆発)と同様の理解ができるのではないかと思うわけです。
秘密協定ってのは、前に書いたとおり、本来ありえないんですよ。自分の国が滅ぼうとしているその瞬間に核のボタンを押すのを躊躇うことはありません。核が全面戦争の抑止力になっているのはその意味もあると思います。どちらかが一方的に勝てば負けそうなほうが押すでしょ?
でも銀英伝の世界では全面戦争があり、しかも相手を滅ぼそうとしている。つまり秘密協定とか抑止力とかが働かない世界なんです。
ちなみに協定というのは守らなかったときの罰則が適用できるだけの軍事力を保有していないと不可です。国際連盟の失敗を考えてみてください。
> はいね戦の首飾りは、内戦だったからいいのですよ。もしくは、ヤンは、源義経みたいに当時の戦いのルールを破って大戦果をあげるタイプの武将だったのです。イゼルローンの人質作戦や空調機ガス流しも同様なのかもしれませんしかし、これでは、ヤンは英雄になれない。汚れた英雄になってしまう。こまった、こまった。
もし、秘密条約があったとするならアスターテ会戦で帝国の戦法である「一点集中で突破を狙う」のが異常だったのは、実は戦闘エリアに入ったら宇宙速度制限というのがあるのかも(笑)。その速度を越えた速度で戦ったり移動したりしちゃいけない、みたいな。それを無視した速度で移動したから同盟側は驚いたんだ、きっと。
で、ヤンは相手が条約を破ることを前提で戦術を考えていたわけで、つまり本人もはなっから条約なんか守る気がなかったということになるんでしょうか(笑)。
てんてん dance with penguin
- 親記事No.517スレッドの返信投稿
- board3 - No.758
Re^4: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策
- 投稿者:てんてんdwp
- 2001年03月02日(金) 07時00分
自爆レス。
> > しかし、全ての武器は射程があります。真空で空気抵抗による減速を考慮しなかったら、ひとたび加速を与えられると、どこまででもいくことになるわけですが。これは、首飾りへの質量物攻撃と同じに、射程無視の無敵兵器になってしますので、これは帝国と同盟の間の秘密協定で使用できないようになっているという理解が最近頭に浮かびました。これは、ガイエスブルグ特攻作戦や、ワープ兵器(質量のあるところにワープさせて核爆発)と同様の理解ができるのではないかと思うわけです。
この、宇宙では無限射程というのにはちょっと反論があります。
無限射程だと、いつか味方に当たったりしてえらい損害が発生するでしょう。ですから、協定ではなく射程があるというのは有り得ると思います。特にレーザー兵器は射程というかピンポイントでしかダメージが入らない兵器なのではないかと思います。じゃないと発射した側がダメージを食らいます。
これはあくまで私の空想ですが、レーザー兵器として有り得る形状はエポキシパテ式(笑)です。これは複数の弱レーザーを目標点でクロスさせてダメージを与えるというもので、単純に虫眼鏡で光を集めるのを想像してもらえばいいかと思います。これだと、ある一定点以下ではダメージが入りません。拡散してしまいます。宇宙に優しい。
てんてん dance with penguin
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- board3 - No.759
Re^5: 無題 改め、銀英伝に見る矛盾らしきものへの対応策
- 投稿者:KUR
- 2001年03月02日(金) 08時09分
ども、銀英伝の話題になるとでてくるKURです。
> これはあくまで私の空想ですが、レーザー兵器として有り得る形状はエポキシパテ式(笑)です。これは複数の弱レーザーを目標点でクロスさせてダメージを与えるというもので、単純に虫眼鏡で光を集めるのを想像してもらえばいいかと思います。これだと、ある一定点以下ではダメージが入りません。拡散してしまいます。宇宙に優しい。
これにちょっと反論。
この方法でレーザーの焦点距離を制御できるなら、ヤンの一点集中攻撃が
全然すごい技では無くなってしまいます。
が、劇中ではヤン以外に一点集中攻撃をマスターしていた提督は少ないので、
#たしか、フィッシャーくらいだったはず。
やはり非常に難しい技術なのでしょう。
となると、やはり射程距離というものは別のところから生まれてくるはずです。
まあ、レーザーは減衰はしませんが、レンズの光学設計が完璧でない限り
拡散はしますし、粒子砲などのビームはふつうに減衰するはずです。
難しいことを考えなくとも射程距離は存在しそうな気がしますよ(^^;
…問題は質量兵器ですね。
宇宙空間で砲弾を撃てば、無限に初速を維持して飛んでいきそうです。
ただ、超光速通信のある世界ですから、あんまり遠くから撃っても
よけられてしまうのかもしれませんが(笑)
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- board3 - No.760
Re^2: 私なりの創竜伝(12巻)の魅力推論(私見)
- 投稿者:恵
- 2001年03月02日(金) 08時11分
> どうもお初にお手紙します。
レスありがとうございます、yasusiさん♪
> 恵さんも言われる独特の文体のテンポのよさ、(それにごまかされないように読むのが大変でしたが)は昔から好きでした。
田中節って、一度はまっちゃうと何度でも読みたくなる、麻薬のような魅力があるんですよねえ(笑)。
> 皆さんの言うところの勧善懲悪、(でもあくまで主人公の主観的な)は、ひごろいろいろ苦労の多い妥協しなければならない私らcにとっては、他人からどう見えてもそれを貫く強さを竜堂兄弟にあるのが、無意識にしても、自分と重ねて、快感を感じるのではないでしょうか。
受け取り方は千差万別ですから、そういうカタルシスもあるでしょうね。今回のわたしの推論は、最初から、できるだけの多くの方々と考えてみたいと思っていました。人によって面白いとかつまらないの定義は違いますから、誰か一人が「創竜伝の魅力はこうだぞ!」といっても、それも「one of them」(by 田中芳樹(笑))、一つの意見でしかないと思ったんです(^-^)。
> その前には、少々?のストーリーや論理の破綻なんて気にしないのではないでしょうか。言われて信じ込む歳でもないし。(ちなみに、23才)
そうそう、同感です。ただ、創竜伝の罪は、偉そうに歪んだ社会評論でいろんな人々を不当に貶めている点にもあると、わたしは思います。多かれ少なかれ、どんなフィクション小説にもストーリー破綻や矛盾は存在しますけど、あれだけストーリーと関係ない社会評論がてんこ盛りの伝奇小説も珍しいと思いますけど(^-^;;)。