- 親記事No.19スレッドの返信投稿
- board3 - No.974
Re^2: まあ確かに
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年04月05日(木) 16時07分
> てんてんdwpです。
> 脱線してすまんけど言わせてください。
>
> 今回のフレームの発生は倉本さんが悪いのですが、一方的に倉本さんに非があるとも思えません。
>
> > (読み間違いだとは思ったが、一応説明した)
> で、読み違いだとわかっていながら、倉本さんの思想を勝手に想像して
> >それが読みとれないとは思えないのですが・・・・・ひょっとし
> >て倉本さんは、「自分はヤン提督の思想信条が気に入っている。そ
> >れを否定されたような気がして、ムカついた」のでしょうか?
> という煽りを入れたわけですか?こういう煽りを入れられれば(ただの読み違いなのは明らかなのだから)倉本さんが反論せざるを得ないことがわかっていながら。
>
> んで、倉本さんも倉本さんで、素直に読み違えたと言って謝ればいいのに煽られてかっとなって暴言を吐きます。
>
> 不沈戦艦さんはさらに煽りを入れましたね。初めに読み違いだとわかっていると書いておきながら
> >ほとんど言いがかりにしか思えませんが。何をいきり立っていらっしゃる
> >のか、さっぱり理解できませんな。
> という言葉を入れて攻撃体制に入ります。攻撃された倉本さんもこの時点でもいいからすみませんでしたと言えばいいのにもともと自分の読み違えから発生したフレームなので後ろめたさがあったのか(^^;なんとか逃げようとします。
>
> それに今回とどめをさします。最初から私はお前のやろうとすることはすべて予想済みだ、と。
>
> いや、実際、不沈戦艦さんの論客としての能力はたぶんここの常連でも一、二を争うほど優秀だと思います。対して、言っちゃ悪いですが倉本さんの論客としての能力は残念ながら不沈戦艦さんと比較すると明らかに劣ります。外から見ていると釈迦の手のひらの上で遊ぶ孫悟空のようでしたよ。
>
> だからといって
> 「倉本が悪いことをやっているぞ」という印象を何とか植え付けようと論戦をふっかけることもないと思いますが。
>
> ふっかけた証拠を示せと言われるかも知れないので、同じ場所の引用になりますが証拠を示します。
> 最初の反論の
> >それが読みとれないとは思えないのですが・・・・・ひょっとし
> >て倉本さんは、「自分はヤン提督の思想信条が気に入っている。そ
> >れを否定されたような気がして、ムカついた」のでしょうか?
> の部分は明らかに蛇足です。なくても文章として問題がありませんし、これを書かなければ「読み違いでしたすみません」で終わっていたかもしれません。
>
> 次。
> >ほとんど言いがかりにしか思えませんが。何をいきり立っていらっしゃる
> >のか、さっぱり理解できませんな。
> これも蛇足です。いきり立っていると相手に言う必要はありません。まさしく”「むきになっている」と「冷静な自分」と対比させ、高みから見下ろして「自分の方が優位なんだぞ」とアピール”しています。これも書かなければそこでフレームが終了していた可能性が高いでしょう。
>
> 以上。
>
> てんてん dance with penguin
煽りを入れていたことは認めますよ。そもそも、何で倉本氏が問題視したの
か、さっぱり理解できませんでしたので。私としても、少しはムッときたのも
事実ですし。該当個所も、「ここでヤン提督の思想に触れておかないと、タン
ネンベルク麾下の将兵たちの『単純さ』が強調できないだろう」と思って書い
たところでしたしね。同盟の方の内戦の、ドーリア星域会戦における、ルグラ
ンジュ中将の「軍国主義的鼓舞」と類似させたつもりでしたが、こっちにはヤ
ン提督はいないので、ヤン提督自身のセリフ(「かかっているのはたかだか国
家の存亡だ、個人の自由と権利に比べれば、大して価値のあることじゃない」
という例のアレです)で対比させることはできませんし。そういう訳で、私と
しては「どうしても引き合いに出さないといけないだろうな」とそれなりに思
い入れて書いたところだったんですわ。それに、「ヤン提督が悪い」というつ
もりも全くありませんでしたし。それを何だか理解に苦しむ論拠で「ない方が
いい」でしたもので。
で、「最初は読み違いだと思った」のは確かにそうなのですが、その後論点
をずらして逃げ回っているのを見ては、「難癖を付けるのが目的なのか?」と
思わずにはいられなかったものでして。特に、最後の「むきにならないで」に
至っては、さすがにねぇ・・・・・それなりに説得力のある論で「これこれこ
ういう理由でない方がよい」とでも言ってくるのならともかく、言っているこ
とがコロコロ変わった上に最後は「私がそう思っただけ」で結局論理的な説明
はなし。さすがに愉快ではなかったですよ。
まあ、氏の最後のレスを見たところでは、そうではないということは解りま
したが。少々煽りがきつすぎて、お目汚しだったことはお詫びします。
- 親記事No.19スレッドの返信投稿
- board3 - No.975
Re^2: 諒解しました
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年04月05日(木) 16時11分
>
> すいません。私の書き方が悪かったです。
> 私の言いたいことは、
> 「これはちょっと余計なんじゃないですかね。
> なくてもいいというか、ないほうがいいと思います。」
> この部分だけでしてほかの書き込みは蛇足でした。
> そのため誤解を招いてしまってどうもすいません。
> つまり最初に論点がずれていたんですね。
> それを戻そうとただの感想でしたと書いたんですがさらにずれてしまったというわけです。
> 本当にご迷惑をおかけしました。
> 私としてはただの感想として、
> 「そういう意見もあるんですね」
> 程度に流してくれればよかったんです。
> 本当にどうもすいません。
てんてん氏に指摘されていますが、私も少々きつすぎる煽りで対処していた
のも事実でした。それに関してはお詫びします。ただ、「せっかくなら、もう
ちょっとよく読んでから意見して貰いたかったな」とは思いました。私に言わ
せりゃ「ヤン提督を罪悪視している」だなんて、誤解もいいところですから。
そういうつもりは全くありませんので。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.976
Re^2: 中華思想
- 投稿者:オズマ
- 2001年04月05日(木) 16時57分
> 陳舜臣氏との対談本でちょっとですが触れてましたよ。
小村損三郎さんありがとうございます。
私は現物を持っていないので迂闊なことはいえませんが、この氏のコメントについていくつか。
> 「北と西は荒涼とした土地、南は亜熱帯、東は海なんだから、ここが世界の中心だ」という心理になるのはある程度当然」
田中芳樹は中華思想の根拠を地理的な部分に求めましたか。
荒涼とした土地にも人は住んでいるし、亜熱帯にも人は住んでいるし、そういった人達を、そこに住んでいるが故に蛮族だ、と決め付けること自体が中華思想のおごりの部分じゃないんでしょうかね。住んでいる場所によって人間の精神構造には、多少の違いは生じるとはいえ(それが文化というものですね)、片方がもう片方を蔑視するほどの違いが生じる因果関係は無いと思いますが。それは人種差別じゃないんでしょうかね(文化が違うからといって他方を蔑視するのは自分とは違った価値観を受け入れることのできない独善人間ということになります)。それを「ある程度当然」ですか。もう言う言葉がありませんね。
まあ、漢民族が常に北の諸民族の攻撃を受けてきたことから、「そいつらは野蛮だ。暴力にばかり訴える野蛮なやつらに比べれば、文化的に我らが優れている。」という流れで中華思想を持つに至ったという説明だったらわからないことも無いですが、単に地理的要因だけじゃあねえ。
> 「中華思想が悪いというが、ではその中華思想によって具体的な被害をこうむった国が一体どこにあるというのか。
> 中華思想によって害を受けた国があるとすればそれは中国自身だ。
> 現在の中国が核実験をするのは単なる幼稚な軍事力信仰からであって中華思想とは関係ない」
確かに直接的な被害は無かったかもしれません。中国が中華思想を大義名分として他国へ侵略したことはなかったかもしれません。しかし、上でも述べましたが、そういう差別的な思想自体が問題視されてしかるべきだと私は思います。
ま、人間自分の信じるものはどこまでも正当化しようと思えばできるものですから。所詮、田中芳樹に(他のことはともかく、右批判と中国について)冷静かつ公平な視点を求めること自体が間違っているんでしょうか。
- 親記事No.19スレッドの返信投稿
- board3 - No.977
Re^3: 諒解しました
- 投稿者:倉本
- 2001年04月06日(金) 01時07分
> 私に言わせりゃ「ヤン提督を罪悪視している」だなんて、誤解もいいところですから。
> そういうつもりは全くありませんので。
すいません。
これは私の誤解というか勇み足でした。
田中芳樹がああいう記述をしてる時はたいてい相手を敵視しているんですが。
記述が同じだからって同じ事を考えてるわけじゃないんですよね。
どうも本当にすいませんでした。
-
- board3 - No.978
田中芳樹の作品をある程度は好きな者として
- 投稿者:見学者
- 2001年04月06日(金) 02時00分
こんにちは。なかなか、ここに書く踏ん切りがつかなかったのですが、自分なりに言いたいこともまとまってきたので少し書いてみます。
田中芳樹が、いわゆる左翼系の知識人に分類されえることができ、国家より個人の利益を優先し、思想を組み立てており、それが作品に反映されていることは事実です。創竜伝の社会考察は間違いが多いので、そのれいとしては、ヤン・ウェンリー(楊文立をこう読むらしい)の、民主主義の思想と、民主主義国家としての同盟の存在が分断し得る思想が好例でしょう。
これは、一面の真理でもあるわけです。民主主義を補償するのが国家であるという考えも、国家はあくまで民主主義の実現のための一形態に過ぎないという思想もベクトルが違うだけである程度の説得力を有します。
私は、それなりに田中芳樹が好きです。このホームページを見ている人も、ちょっと斜めに見たファンサイトとしてここをとらえている人も多いはずです。
田中芳樹を創竜伝で撃つのは、簡単です。が、それ以外たとえば、最近出たアルスラーン戦記などにたいする批評が無いのが残念なのですが。私はけっこう楽しめたのですが。まとまりませんでしたね。
- 親記事No.978スレッドの返信投稿
- board3 - No.979
Re: 田中芳樹の作品をある程度は好きな者として
- 投稿者:優馬
- 2001年04月06日(金) 05時26分
見学者さん、いらっしゃい。優馬と言います。
アルスラーンについてですが、こういう「架空歴史譚」を語らせると田中芳樹はやっぱり一流だと思いますよ。なにより、登場人物に「カッコイイ台詞」を言わせるために適当にエピソードでっち上げても、誰も文句を言いませんから。いやぁ安心して読める読める。
前にも書いたんですけれども、田中芳樹の架空歴史譚というのは、歴史物語の「美味しいとこ取り」なんですよね。登場人物がみんな格好良くて、バンバン気の利いたことを言ってくれ、ガンガンカッコイイこと(ワルでも印象深ければよし!)してくれますからね。
ただそれと同じ手法で「現代」を描いたら、そりゃ苦情が来ますって。
「創竜伝」というのは、特に社会評論の部分が、多少社会経験のある大人にはイタくてイタくてとても読むに耐えないものです。(ついでに言うと物語構成も相当に破綻していることは、当サイトで繰り返し指摘されていることです。)
それでも何とか読者を獲得しているのは、キャラクターづくりとその絡ませ方(竜堂家漫才)が面白いから。結局、ユーモア感覚だけでベストセラーにしちゃってるわけですから、これはある意味すごいかも。
> 私は、それなりに田中芳樹が好きです。このホームページを見ている人も、ちょっと斜めに見たファンサイトとしてここをとらえている人も多いはずです。
私の場合は、まあ当たっていますな。田中芳樹さん、個人的にはいい人だって知ってますし。だから、「愛のある批評」(<げろげろ)というのが私のスタンスです(笑)。
ところで、「同盟の民主主義」云々の部分、いささか理解しにくかったのですが。よろしかったらもう少し説明してください。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.980
Re^3: 中華思想
- 投稿者:優馬
- 2001年04月06日(金) 05時33分
優馬です。
関係ないんですが、このあいだ「つくる会」の歴史教科書の問題で、社民党の土井たか子が「(こういう教科書を防ぐためなら)検定制度に反対するのを止める」と言っていたのをニュースで聞いてのけぞりましたね。
思想信条の自由を守るために検定制度に反対していたのではなかったのですな。単に、「中国にとって都合が良いかどうか」がこの人たちの判断基準なのだと理解できて、いっそ哀れになりました。
これって、現代版「中華思想」の犠牲者なのでは?と思った次第です。
失礼をばいたしました。
- 親記事No.978スレッドの返信投稿
- board3 - No.981
Re: 田中芳樹の作品をある程度は好きな者として
- 投稿者:恵
- 2001年04月06日(金) 08時46分
> こんにちは。なかなか、ここに書く踏ん切りがつかなかったのですが、自分なりに言いたいこともまとまってきたので少し書いてみます。
こんにちは、そしていらっしゃいませ、見学者さん。わたしは恵と申します(^-^)。
> 私は、それなりに田中芳樹が好きです。このホームページを見ている人も、ちょっと斜めに見たファンサイトとしてここをとらえている人も多いはずです。
そうですね。ここに来られる方は、田中作品の元ファンか、現役のファンが多いのは事実です。(わたしは一応、現役のファンのつもりなんですけど(^-^;)ここは、そういった人々が「こうしたらもっと田中氏の作品が良くなるのに」を遊びを交えつつ、論理的な議論を目指して意見交換している場だと、わたしは思っています。
> 田中芳樹を創竜伝で撃つのは、簡単です。が、それ以外たとえば、最近出たアルスラーン戦記などにたいする批評が無いのが残念なのですが。私はけっこう楽しめたのですが。まとまりませんでしたね。
最新刊が出たときには、ちゃんと何人かの方々が批評されていましたよ?そして、トップページから行ける「ザ・ベスト」でもアルスラーン戦記に関するログが残っています。まだご覧になってないのなら、どうぞ読んでみてくださいまし♪
アルスラーン戦記は、わたしが一番最初に田中作品に触れた作品でした。わたし自身は、ここで話題にしたことはありませんが、もしかすると田中作品の中で一番好きな作品かもしれません。文体も純粋に「物語」であることに徹していますし(創竜伝とは大違い)、個々のキャラクターたちの魅力、会戦シーンの臨場感、そして天野喜孝氏のヴィジュアルと一緒に織りなす独特の中世の世界観など、わたしはかな~り大好きです♪(個人的には、ちょっとナルサス頭良すぎ、という気もしますけどね(^-^;)
で、なぜこの掲示板では、アルスラーンやタイタニア等の良質の作品があまり話題にならないかというと答えは簡単で、ここが「批判サイト」だからです。誤解していただきたくないのですが、ここに書き込む人々は単純に田中氏の悪口を言いたいわけではありません。論理的・建設的に批判することで「田中作品がより良くなってほしい」という想いの人が圧倒的に多いはずです。つまり、批判の対象になるのは自然と創竜伝をはじめとする思想や社会評論等の「それはちょっと…」という部分が多い作品になるのです。
わたしはむしろ、この掲示板の人々が手当たり次第に批判しているわけではないことを知ったとき、その健全さに感銘を覚えたくらいでした。
最後に。優馬さんもおっしゃっていましたが、創竜伝を批判する例として銀英伝の民主主義を挙げておられる部分、わたしもちょっと意味と話のつながりがわかりにくかったです。よろしければ、またわかりやすく教えていただけると幸いです。
ではでは☆
- 親記事No.978スレッドの返信投稿
- board3 - No.982
ちょっと間違えてました(^-^;;)
- 投稿者:恵
- 2001年04月06日(金) 10時52分
> そして、トップページから行ける「ザ・ベスト」でもアルスラーン戦記に関するログが残っています。
よくよく調べてみたら、アルスラーン戦記に関するわかりやすいログは、「ザ・ベスト」ではなくて冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」の中の「田中作品擁護論」内にありました。
わたしの単純な勘違いですが、訂正とお詫びを申し上げます。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.983
そんなことはないでしょう
- 投稿者:北村 賢志
- 2001年04月06日(金) 12時02分
> 思想信条の自由を守るために検定制度に反対していたのではなかったので
>すな。単に、「中国にとって都合が良いかどうか」がこの人たちの判断基準な
>のだと理解できて、いっそ哀れになりました。
20年あまり前、中国は「日本はもっと自衛隊を増強できるはずだ」と主張して
いましたが、連中は無視してましたよ。
彼らの判断基準は中国ではなくもっと単純に「自分にとって都合がよいかどうか」です。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.984
Re: そんなことはないでしょう
- 投稿者:2ちゃんねらー
- 2001年04月06日(金) 13時24分
> > 思想信条の自由を守るために検定制度に反対していたのではなかったので
> >すな。単に、「中国にとって都合が良いかどうか」がこの人たちの判断基準な
> >のだと理解できて、いっそ哀れになりました。
>
> 20年あまり前、中国は「日本はもっと自衛隊を増強できるはずだ」と主張して
> いましたが、連中は無視してましたよ。
> 彼らの判断基準は中国ではなくもっと単純に「自分にとって都合がよいかどうか」です。
大体、今、教科書問題で韓国から良心的といわれている人々は、かつて韓国を軍部独裁のどうしようもない腐敗国家として告発し、北朝鮮を徹底的に賛美していた連中ですし。
ちなみにこういう親中国的スタンスを取る人は、環境保護派も多いんですが、当然中国の環境問題は不問にふします。チベット問題も同様。
- 親記事No.898スレッドの返信投稿
- board3 - No.985
まずは確認
- 投稿者:風狂
- 2001年04月06日(金) 16時25分
どうも、恵さん。
あきれずにお付き合いありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
> あの~、いい加減に自分でもしつこいとは思うんですが、「どうとでもとれるような書き方はやめて欲しい」という言い方は、わたしはしていませんけど。具体例も挙げずに「~だと思う」はここでの「批判」にはなりませんよ、と忠告したんです。それを「どうとでもとれるような書き方はやめて欲しい」と受け取るのはさすがに曲解だと思いますけど、どうでしょうか?
私は、恵さんの№951の書き込みにおける“上記のあなたの発言は、あなた自身が心の中でどう思っていようとも、かなり漠然としたイメージだけで発言されたように見えてしまいます”という言葉からそのように解釈してました。
曲解ではないと思ってますが、あなたが何に重きをおいて発言したかを理解していなかったと言う事で、お詫びします。
> わたしの場合、田中作品で描かれる「父親像」に違和感や疑問を持ったことはあまりないです。風狂さんは、創竜伝の竜堂兄弟の「父親不在」設定から最初に疑問を持たれたということですが、わたしにはそんなに違和感のある設定とは思えないんですけど…。
> なぜなら、この設定こそ「現在の竜堂兄弟の個々の自我の確立」に最も深く関わっていると思われる部分だからです。始はみんなの親代わりを自認しているからこそ苦労性な性格なわけで、弟たちも兄であり「家長」という名の「父親」である始を慕っているからこそ、4兄弟の絶大な信頼関係があると思うんです。もしも本当の父親が健在で、彼らの祖父並みに影響力がある人物だったなら、それぞれの関係や性格も必然的に変わってくるでしょう。「父親不在」だからこそ、今の竜堂兄弟の性格があるんだと思います(ここでは、あえて彼らの性格の善し悪しを言うつもりはないですけどf(^-^;)。
>
> 風狂さん、上記の理由で今回のあなたの疑問、わたしは動機の部分からいま一つ理解しにくいというのが本音です。(疑問を持たれること自体は問題ないんですけど)竜堂兄弟の「父親不在」に疑問を持たれるなら、あなたはどういう設定にしたら適当だと思われますか?
> 仮にですね、風狂さんの「田中作品における子供が父親にいい思いを抱いていない疑惑」が事実だったとしても、それが原因で作品が面白くない、とはわたしは思いません。むしろ、田中氏は「自立した個性が活躍する物語」を魅力的に描く作家だと思っています。作品のテーマから単に「親離れ」や「父親越え」を描く必然性がなかっただけだとわたしは解釈していましたし、それを突き詰めていくと、最後はわたしたち「読み手側の好き嫌い」の問題に行き当たるだけなんじゃないでしょうか。
>
>
> > 言いたい事は、明確に伝わり得たと思うのですが、どうでしょうか?
>
> 上でも言っていますが、わたしにはちょっとあなたの動機がわかりにくかったです。竜堂兄弟が父親を意図的に無視していたとしても、それは彼らの価値観の問題ですし、本編でも「とにかく印象の薄い人だった」というような記述があったと記憶しています(もしくは、母親の方?)。風狂さんが「父親不在」が変だと思われる根拠はなんでしょうか?まさか、純粋に「父親をないがしろにするなんてけしからん!」と思っておられるわけではないでしょう?
私としては、恵さんの問いたい事は「創竜伝において、何故あなたはそのような疑問をもったのか、私にはそのことについては設定上、全く問題ないよう見えるのに」ということだと解釈しましたが、動機という言葉が引っかかってます。
私のどの行動に対してのものでしょうか?
このようなスレを立てた動機なら、「自分の疑問が全くの的外れで大恥かいても、疑問は疑問だから晴らしておきたい」という思いからです。疑問そのものは、動機ではありません。
言葉のすれ違いが結構多く、誤解云々の言い合いが多いので、まずはこの点を明らかにしてから反論に入りたいと思っております。全く見当違いなことに
反論するのは回避したいんで。
よろしくお願いします。
> いえいえ、ご苦労様でした。またご意見が返ってくるのは承知していますので(笑)、今後ともよろしくお願いします。
「律儀な奴」と思われたんでしょうか(笑)、それとも「話し相手のいない寂しい奴」と思われてしまったんでしょうか(大笑)
-
- board3 - No.986
新参者です。
- 投稿者:オジオン
- 2001年04月06日(金) 16時27分
ゲストブックのように新参者が感想を書き込んでも宜しいのでしょうか?
と言いつつも、書き込む新参者オジオンです。
ここに行き着いたのはほんの偶然だったのですが、非常に読み応えがあり
久々に「アタリ」のサイトが見つかったと喜んでおります。
参加者の皆さんが凄く理論展開じょうずですし。
で、私は田中芳樹作品の消費者ですが、氏の信奉者ではないです。
氏の考えや論理が時に大きな矛盾を孕んでいることを承知していますが、
それでも、非常に有意義だと思います。
実は勤務先が教育現場なのですが、田中芳樹作品をきっかけに中国史に
興味を持つようになる生徒の例が非常に多く、
「歴史に興味を持つきっかけ」を中高生に提供してくれる存在としては
非常に有意義なのではないでしょうか?
例えば田中『運命』を読んで、明代に興味を持って講談社メチエの
『永楽帝』を読破した例もありましたから・・・
(極端な例ですが)
ただ、氏の作品に限ったことではないですが無批判に著作物を読むことは
危険な行為ですからね。
氏の作品を偏読(?)したり、氏の考え方を全面的に受け入れてしまって いるファンも
「こういう見方だって出来るんだ」 と新しい視点にたつために
ここの文章を一読する価値があると思います。
まとまらない文章で申し訳ないです。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.987
Re^4: 中華思想 いつの間にか教科書問題?
- 投稿者:オジオン
- 2001年04月06日(金) 16時38分
> 教科書問題ですか。
私は常々疑問に思っていたのですが、「正しい歴史観」って何なの
でしょうかね?
「たった100年ほど前」に起こったことに対して性急に
「正しい歴史観」を設けようとするのには違和感を覚えます。
(「つくる会」の方々もも、それに反対する方々も含めてです。)
それに、日本は一応思想信条の不可侵が憲法によって保障された
民主主義国です。中国のように「正しい歴史観」を一方的に国民に
強制できるほど都合の良い国家じゃないですからねぇ(笑)。
- 親記事No.898スレッドの返信投稿
- board3 - No.988
Re^2: 勝手ながら、やり直し希望(爆)
- 投稿者:風狂
- 2001年04月06日(金) 17時07分
てんてんdwpさん、ありがとうございます。
これ以降もよろしくお願いします。
> 竜はどうだか知りませんが(笑)、ちょっと心理学をかじると、人間は基本的に男なら父親が女なら母親が敵となることがわかります。
> それは男なら母親、女なら父親を基準とした三角関係になるからです。
> よって、別に不自然ではなく、むしろ自然と考えたほうがいいでしょう。
心理学については全くの無知なものですので(泣)、外れているかも知れませんが、てんてんdwpさんが言われる事を自分なりに解釈してみると、現実として子供(男の場合)が母親を敵としてみたとしたら、それは母親という存在を敵として見たのではなく、その母親の中にある父親的なもの、つまり子供の精神上において母親が父親と化してしまった場合のみの現象である、ということでしょうか?
だとしたら、田中氏がそのような母親を書かない理由が、自分にはちょっと解りません。そのような母親なら、田中氏にとってむしろ書きやすい対象なのではないかなと思うのですが(男性的な女性という点で)。
やはり敵という存在なら、そのような母親より父親のほうが解りやすいということで、③の推論が正解となるのでしょうか。
> > ①については、「敵であると同時に越えるべき対象でもある」といった意味合いもあるのに、超克の対象として描かれた父親というものは皆無なので、まずありえないと自分では考えてます。
> に関しても解答があります。
> この状態から大人になるにつれて二種類の方向に別れます。
> 一つ目は親を超えてしまった場合。
> この場合はもはや親を相手にしなくなります。つまり気にもかけない。
> 二つ目は親に越えられない場合。
> この場合は更に何種類かのパターンになりますが、基本的には親とは別の道を進むことで比較されないようにすることが多いです。いわゆる逃避です。
> この場合、自我の崩壊を防ぐため親を馬鹿にするか逆に尊敬するかの両極端に別れることが多いようです。
> 田中作品における父親というのはちょうどこの二つ目に当てはまります。
> なぜこの「親を越えられない場合」のパターンになるのかに関しては別途検討が必要でしょうが、男(いや竜まではわからんけど)の父親に対する態度としては、まったく問題がないと思います。
非常に、興味深かったです。①の推論はありえないと思ってたんですが、どうやらそうでもないようですね。
我ながら勝手なんですが、別途検討の件については、ぜひともお願いしたいところです(笑)。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.989
Re^5: 正しい歴史観?
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年04月06日(金) 17時44分
> > 教科書問題ですか。
>
> 私は常々疑問に思っていたのですが、「正しい歴史観」って何なの
> でしょうかね?
> 「たった100年ほど前」に起こったことに対して性急に
> 「正しい歴史観」を設けようとするのには違和感を覚えます。
> (「つくる会」の方々もも、それに反対する方々も含めてです。)
>
> それに、日本は一応思想信条の不可侵が憲法によって保障された
> 民主主義国です。中国のように「正しい歴史観」を一方的に国民に
> 強制できるほど都合の良い国家じゃないですからねぇ(笑)。
>
「つくる会」は、どちらかというと「何でも日本が一番悪い史観」に対する反
発から出来たものではないか、と思いますが。「作る会」の「正しい歴史観」
というのは、「何でも日本が一番悪い史観」に対するアンチテーゼではないで
すかね。「違和感」というには、ちょっと酷なのでは。「正しい歴史観を子供
たちに刷り込むのだ。それ以外は認めない」という了見の狭さは、ないと思い
ますよ。どっちかというと、その逆の立場をとる人たちの方が、そういう傾向
が強いのでは。ヒステリックに「つくる会叩き」に邁進しているマスコミ(早
い話が朝日ですけど)など、「見苦しい」に近いやりようです。
そもそも、「正しい歴史観」など、国によって違って当然というものですし、
自国については贔屓目に見るのがどこでも普通ですよ。間違ったってアメリカ
が「原爆投下による非戦闘員大量虐殺を謝罪」することなどありえませんし。
「歴史観の統一を」なんて、オッそろしい思想統制のファシズムもどきを言っ
ている人たちいますけど、そちらの方がよっぽど「トンデモ」ってものでしょ
う。具体例をいくつか出してみればすぐ解るんですよ。よく言われる話ですが、
ジョージ・ワシントンはアメリカの教科書では独立の英雄、イギリスの教科書
では反逆者。だからと言って、英米がそれで険悪な関係になっている訳でもな
し。また、ナポレオンはフランスでは英雄でしょうが、回りの国全てにとって
は侵略者でしかありません。あるいは、中韓の間でも「統一できない歴史観」
はありますよね。朝鮮戦争は韓国にとっては共産勢力による侵略で、中国にと
ってはせっかく成立した共産国家を潰そうとしたアメリカ帝国主義を、義勇兵
を出して撃退した戦いでしょう。
最初から不可能としか言いようがない、別の国同士での「歴史観の統一」を、
天から与えられた前提条件の如く信じて疑わない人たちってのは一体何なのだ
ろうな、と「歴史観の統一を」という主張を見る度に思う今日この頃です。
- 親記事No.978スレッドの返信投稿
- board3 - No.990
Re: 田中芳樹の作品をある程度は好きな者として
- 投稿者:太郎
- 2001年04月06日(金) 22時50分
どうもはじめまして、太郎と申します。
まあ「アルスラーン戦記」に対して、「創竜伝」に対するのと同様な「批判」をしろと言われても難しいのではと思います。ちょっと展開が「ご都合主義」に過ぎる感じはありますが、それも好き嫌いの範疇に入るものであるかと思います。
ある意味「創竜伝」、恐るべし。
でもまあ、「アルスラーン戦記」には、以前からちょっと気になっていることがあるので、それについて述べさせていただきたいと思います。
それは何についてかと言いますと、「蛇王ザッハーク」の存在についてです。
基本的に田中芳樹氏の作品の世界観は「近代合理主義」が根底にあります。(はたして「近代合理主義」というタームがふさわしいのか、あまり詳しくないのでちょっと自信がありませんが。)
それは、例えば、宗教への軽視ということにも現れております。(井沢元彦氏ではないけど。)
例えば作品中にあらわれる宗教にかかわる人々は、「狂信者」か「自分で物を考えようとしない素朴な庶民」か、さもなくば「宗教組織を単に道具として使う者」としか描かれていません。
人間の生きる意味を求めて、あるいは主題として宗教と(あるいは「神」と)対峙しているキャラクターはいないように見受けられます。(私も全部の作品を読んでいるわけではありませんので、見落としてるものもあるかもしれません。また、人生の主題として宗教と対峙することは、自己の確立ということである意味近代的テーマと言えると思いますが、少なくとも田中芳樹氏はそういったテーマでは描いてません。宗教と近代合理主義を切り離して考えていると思います。)
しかし、それはそれでよいのです。まあ「アルスラーン戦記」は舞台が舞台だけにもうちょっと行動原理に宗教が結びついていてもいいかと思うのですが、それはそれで仕方がないと思います。まったく描かれてないわけでもないし。
ただ、そこに「蛇王ザッハーク」が絡んでくると話は違ってくるのです。
例えばヒロイック・ファンタジーに登場する「神」(あるいは「悪魔」)はその世界観と密接な関係があり、その世界を構成する非常に重要な位置を占めております。(私のファンタジー観が偏っているのかもしれませんが。)
しかし「アルスラーン戦記」において「蛇王ザッハーク」がそのような存在だとは、ちょっと思えません。今のところあまり前面に出ていないだけで、後々「蛇王ザッハーク」の存在が、「近代合理主義」の価値観を根底から覆す、あるいは同じような重みを有する別の価値観を提示するような存在になる可能性もあるので、決め付けることはできませんが。ただ「涼子」シリーズ等を読む限り、田中芳樹氏の世界観では、今のままだと単に「強い獣」で終わってしまう可能性が大きいと思います。
もっとも「強い獣」を退治するという「妖怪退治譚」は「妖怪退治譚」で面白いものがあると思いますが、「アルスラーン戦記」のテーマとはちょっと違うのではないかと思います。
結局「蛇王ザッハーク」の存在は「アルスラーン戦記」の世界観からは非常に浮いたものになると私は感じるのですが、どうでしょうか?
まあ、ちょっと「思います」というのが多いので、あまり理論的な批判となっていないことは承知しておりますが、「叩き台」にでもなればどうかと思い書き込んでみることにします。それに耐えられず「叩かれ台」にしかならない可能性も大。(笑)
まあいずれにしろこれに対してご意見を頂ければありがたいと思います。
では。
- 親記事No.969スレッドの返信投稿
- board3 - No.991
ひとつの史観より複数の史観。
- 投稿者:TAKA
- 2001年04月07日(土) 01時16分
> > > 教科書問題
> 私は常々疑問に思っていたのですが、「正しい歴史観」って??
今から言うことは決してお父さんの世代(1935年から1950年生まれ)の方には言わないようにケンカの元になります。(笑)私はなりました。そりゃ怒るわな・。自分の学んだ(信じた)ことをある意味2回も否定されたのだから。(笑)
日本(陸軍)が戦時中に用いていた大東亜戦争という明記ですがGHQによって1945年12月5日に国家神道についての司令を出し、国家公文書から大東亜戦争の明記が消えるのです。が当然かの戦争にかかわる名称をつけなければならないのですが、これはGHQから何の司令も出ていなかったんです。
GHQの呼称の公式禁止令のでる1週間まえによりによって戦争中の開戦記念日12/8に奉天事件からミズーリ号降伏調印までと題した読み物を日刊各新聞が残らず連載しだした。
もちろんGHQの命令によるもので提供は民間情報部。
これが中屋健弐訳 「太平洋戦争史ー奉天事件より無条件降伏まで」の著名で翌年春に刊行される。同署はたちまち10万部を超えたという
その内容はすさまじいの一言につきる・。
戦争は日本軍国主義者たちの共同謀議による一方的な犯罪ときめつける。日米交渉は時間稼ぎ。真珠湾攻撃はだまし討ち。日本軍は残虐な集団であり、南京事件、シンガポール虐殺・・・そしてアメリカと連合国は公平な平和主義者の体現者として終始描かれている。
これが戦争後に10万部のベストセラーになったのである・敗戦がいかに日本人の精神を荒廃させ、自虐的かつ怨念のかたまりと化せしめていたことか・。この荒んだ日本人の精神が知らず知らず採用したのが太平洋戦争の呼称だったようなのである。反面には泣く子と地頭には勝てぬGHQさまのおおせだからというひねた精神も加わっていたかもしれない。
さらに文部省はこの「太平洋戦争史」を国史等の授業停止中の教材として適宜利用するように諸学校に通達した、というのだからいまになると開いた口がふさがらない。
半藤一利 署 PHP文庫「太平洋戦争への道」より抜粋
おそらく戦後1946年から1955年ごろまで義務教育を受けた方(今の第一次ベビーブームの世代)の日本の歴史観は太平洋戦争史をもとに自虐史観として植え付けられておると考えています。20年前までは戦前の方を戦後の方が論議するという構図がありましたし、それなりにバランスが取れていたと思っています。しかし戦前の方が少なくなる今、このまま自虐史観が通説としてまかり通るというのもTAKA的には何とも面白くないとおもうのです。
ひとつ歴史観というのはひとつの方程式であり、複数の方程式によって色々な式が出来上がるというのは5巻のヤンウェンリーの応用ですが・。(笑)
ひとつの史観ではなく複数の史観を鑑みてご自分なりの考えを導き出すのがいいのではないでしょうか・それは大変な労力を要しますし受験勉強で要領よくやってきた方々にはまたつらいことでしょう。
でもここの掲示板にくる方々はある意味余裕のある方ばかりですのでこういう知的な遊びもまた楽しめるのではとおもうのです。では TAKA