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- board3 - No.770
訂正
- 投稿者:宣和堂
- 2001年03月04日(日) 01時25分
間違えました…。
>宋金両国承認の上で、金は黄河以南に軍を移動し
→宋金両軍承認の上で、金は黄河以南の軍を移動し
デスね。コレじゃ意味が通じませんでした。
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- board3 - No.771
Re^3: メシと兵隊
- 投稿者:宣和堂
- 2001年03月04日(日) 02時09分
ども、懲りずに投降です。
とっしーさま曰く…
> 金軍ですが、明末清初を鑑みれば、長江以南の政治的統一が維持されていない場合、勢力を盛り返して渡河できていた可能性もありますね。この意味では軍閥の強大化を防いだ秦檜の功績はありそうです。
お初です。宜しくお願い致します。
金と清は同じ民族なのにどうしてああも違うんですかねぇ…。清は明のことを徹底的に研究していた節があるので、詭弁も明の人々が好んで騙されるネタを考えることが出来たんでしょうねぇ…。天命が明を去ったというのはあの時代の共通認識だったわけですから…。
金はそう言った詭弁を弄すことなく攻め込んだワケです。軍閥割拠の南宋でも、金に対しては一致団結して当たりますから、やっぱり難しいですね。金は武将には恵まれましたが、政治家には恵まれませんでしたし…。
> なにしろ岳飛王朝が成立した場合、良くてたがの緩んだ軍閥連合政権と化し、下手すれば金国を前にして内戦発生。とても統制の取れた戦争指導が行われたとは思えませんので。
>
岳飛王朝はナカナカ面白い考察ですよね。単なる兵変で終わったか、軍閥連合政権の親玉で終わったか、宋の政権を丸々乗っ取ったか、北伐を完了して統一王朝の始祖となったか?いずれも可能性がありますが、間違いがないのが岳飛王朝成立は大規模な戦乱が引き続くコトを意味するだろうというコトだけ。やっぱり、手段に問題があったとしても、秦檜に依る和平の方が良かったんでしょうかねぇ…。でも、岳飛王朝があったとしても、軍閥連合政権になる可能性は皇帝権の伸張から考えてなさそうですね…。五代のように、反対勢力が僻地で金に通じる…くらいが関の山ではないかと…。宋の太祖の時がそうでしたし…。
> 宋が中華思想を抜け出したというのはちょっと納得できません。ああ、宣和堂さんに中国史関連で反論するという無謀な私(笑)
> なにしろ中華思想の権化とも言うべき朱子学はこの時代に成立したわけですから。中華思想を堅持しつつ、現実に敗北を重ね続けたコンプレックスの時代だったと私は思っています。
あ、コレは言葉が足りませんでした。宋は北宋と南宋を通じて、自分の政権以外の政治団体も対等と認めました。コレは統一王朝では唯一です。外交的に対等な国の存在を認めたのは、脆弱な軍事態勢の招いた結果であるにせよ、外交上の飛躍的な進歩であったと思います。契丹との外交で問題になったのは燕雲十六州の返却であって、対等な外交が問題とされたことはありませんし、金との外交上でも主に問題となったのは、首都である開封のあった河南の地であって、ココでも相手を対等と認めることは特に問題とはされなかったのです。外交上では実務的に動き、下らない名目のために外交上の不利益を生むことはなかった、と言う意味で、自分は“中華思想から脱却した”と書いたのです。
宋学も北宋の頃は哲学的な太極図の解釈が主なモノでしたが、宋の南選を経験した朱熹から、にわかに宋学は排他的な面を強調するのだと理解してます。ですから、生理的にこういう敵国を対等と認める外交に嫌悪感を感じる人たちがいたことは確かでしょうけど、実際の政治の場でそれを声高に叫ぶ人もいなかったと云うことです。それに、宋代では宋学はあまり勢力を持ちませんしね…。
> これは同意です。ただ広義のモンゴル帝国の範疇には入るかもしれません。 元朝は一応モンゴル諸汗国の宗家という立場だったように思います。
モンゴル帝国と大元ウルスの違いはそれまで形式的には一枚板だった帝国が、各ウルス毎に内戦状態に入るようになったことでもあります。宗主国と言うのも間違いではないですが、それまでのハーンとは明らかに権限の上で違います。そもそも、クビライがクーデターを起こして、クリルタイの意向を正面から否定して樹立した政権が大元ウルスなので、宗主国と言っても他のウルスは事後承諾と言う形で認めているに過ぎませんからねぇ…(この辺のことは大河ドラマではやるんでしょうか?)。
まあ、でも、大元ウルスはその寿命が短いという理由で宋と比較されて劣等だとされる論理は納得がいかないですね。
でも、創竜伝はフィクションなので、多分、作中に登場する宋や元は自分らが知っている宋や元とはまた違う、田中芳樹マインドの中にだけある王朝なのでしょう。史書中の太宗や趙普や耶律休哥もあんなに格好の悪い人ではないので、架空の人物です。よく似ているので、みなさん、勘違いされるのでしょうけど…(この趣旨で文章書こうとして元の小説がつまらないので挫折しました)。
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- board3 - No.772
女性の活躍=女性読者向け、ですか?
- 投稿者:恵
- 2001年03月04日(日) 07時54分
> これを言ったのは私ですよ。Merkatzさんは私の主張を引用していただけです。
あ、そうだったんですか?では、冒険風ライダー様にご質問を。
> この「文体の変化」というのは、私が田中作品を読んでいく過程で、だんだん女性キャラクターの重要性や活躍の描写が増えていったことに漠然と感じていたものです。田中作品を時代順に追ってみれば、年を追うに従って女性描写が増えてきているのが分かります。
> 実は女性キャラクターや女性描写が増えることで喜ぶのは男性読者ではなく女性読者なんですよね。女性読者にしてみれば、自分達が感情移入できるキャラクターが増えるわけですし、極楽大作戦のパクリである「薬師寺シリーズ」を読んだ時には特に感じざるをえませんでしたね。「明らかに女性読者に迎合している」と。元ネタを知っていただけになおさらそう思いましたよ。
まず、「極楽大作戦」って本当に女女の子に人気があるんですか?その確証がないと、パクリとはいえ田中氏が女性読者受けを狙っているかどうかは断言できないんじゃないでしょうか?わたしの周りで、読んだことあるって子は一人もいないみたいですけど…(^-^;;)
それと、女性の活躍が増えたら女の子が感情移入できるという発想は間違っていませんが、田中作品の場合ってちょっと違うと思います。女の子が感情移入できる作品は、自分と登場人物(主人公)を重ね合わせて、憧れたり応援したりすることできる物語です。少女漫画のヒット作の定番もだいたいこれに当てはまります。でも、薬師寺涼子の活躍というのは男性が感じる魅力はあるかもしれませんが、女の子が共感できるような言動やライフスタイルではありません。十代の、そして普通の女の子とは目線がまったく違いますから(笑)。わたしとしては、ストーリーにもっと恋愛が大きく関わってくるようになったら、田中氏が女性読者を意識しはじめたとのご意見に賛同できるのですが、青龍王と大真王夫人の小学生的なお付き合いを見ていると(笑)、全然女の子を意識してないなぁと思います(というか、田中氏には根本的に無理なのでは?(T-T)。
> 「文体の変化」としては、他にも昔の作品と比べて「文章中に妙なカタカナ言葉を使った個所が多い」(「薬師寺シリーズ」全般)や「キャラクターのしゃべる口調が『だなあ』とか『だよなあ』とか『だったんだあ』などと言った『語尾を伸ばす表現』になっている描写が多い」(創竜伝12巻・アルスラーン戦記10巻)などといった細かい点も挙げられます。
カタカナ言葉の多用は薬師寺シリーズの特徴ですけど、あれって使う対象をおちょくるための表現技法じゃないんですか?女の子がカタカナ言葉を使うから、という意味合いでしたら、もっと「イケメン」とか今時の言葉に対してになると思います。薬師寺シリーズではたいがい、「オコガマシイ」というような、難しい単語をわざとカタカナにしてるだけなので、女性受けとは関係ないんじゃないでしょうか?
文体に関しては、冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、微妙なマイナーチェンジはしているとは思います。でも、わたしなんかはほとんど気づきませんでしたから、これだけで女性読者を意識しているとは言い難いと思います。
もっと作風そのものが変わらないと、女性を意識しているとは言えないんじゃないでしょうか?
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- board3 - No.773
Re772: 女性読者受けについて
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年03月04日(日) 12時52分
> まず、「極楽大作戦」って本当に女の子に人気があるんですか?その確証がないと、パクリとはいえ田中氏が女性読者受けを狙っているかどうかは断言できないんじゃないでしょうか?わたしの周りで、読んだことあるって子は一人もいないみたいですけど…(^-^;;)
すいません、説明不足でした。「薬師寺シリーズ」が女性受けするというのは、むしろ逆に、極楽大作戦が「男性受け」するものであることから思いついた発想でして。「パクリ」であるがゆえに、却って「両作品の特徴の違い」がより一層際立って見えたと言えば分かりやすいでしょうか。
と言っても、これに関してはどちらかというと理屈ではなく感覚的に感じているものなので、説明するのが非常に難しいのですが(^^;;)。
> それと、女性の活躍が増えたら女の子が感情移入できるという発想は間違っていませんが、田中作品の場合ってちょっと違うと思います。女の子が感情移入できる作品は、自分と登場人物(主人公)を重ね合わせて、憧れたり応援したりすることできる物語です。少女漫画のヒット作の定番もだいたいこれに当てはまります。でも、薬師寺涼子の活躍というのは男性が感じる魅力はあるかもしれませんが、女の子が共感できるような言動やライフスタイルではありません。十代の、そして普通の女の子とは目線がまったく違いますから(笑)。
いや、薬師寺涼子に男性読者を惹きつけるような魅力などないでしょう。私などは薬師寺涼子を見ても不快感しか覚えなかったものでして(笑)。なまじパクリ元の極楽大作戦の雰囲気を詳細に知っていただけに、私は薬師寺涼子のあの性格破綻にウンザリしたわけなのですが。
実は薬師寺涼子、ひいては「薬師寺シリーズ」全体の魅力というのは基本的に創竜伝とほとんど同じものなんです。つまり、主人公たちが権力者や資産家に対して偉そうに説教を垂れていきながら、自分達の基準で勝手に敵とみなした相手を無慈悲に叩き潰していく、という構図が読者受けしているわけです。「薬師寺シリーズ」はそれを竜堂兄弟ではなく、極楽大作戦的な女主人公とその下僕(笑)が行っているというのが特徴です。
「薬師寺シリーズ」の本家たる極楽大作戦にもある程度そういった要素がないわけではないのですが、極楽大作戦にはそれ以外にも物語を面白くする要素がたくさん存在するのに対し、「薬師寺シリーズ」はほとんどこれだけでストーリーが成立していると言えます。早い話、「薬師寺シリーズ」という作品は「創竜伝的な発想と思想形態に基づいて行動する美神令子」がストーリーを引っ張っていると言っても過言ではないシロモノなのです(笑)。この辺りに私は女性読者受けの要素があるのではないかと感じたわけです。
つまり、創竜伝とあまり(というかほとんど)違和感のない主義主張や単純明快かつ痛快(?)なストーリー原理、そして一連のストーリーを主導するのが男性ではなく女性であるという事実自体が女性読者受けしやすいものになっており、さらに従来の田中芳樹ファンや中・高校生なども作品に入りこみやすいようになっているというわけです。これだと「性格」も女性的ではなく、むしろ竜堂兄弟的かつ非現実的なものであった方が却って女性読者に受けるように思います。
うろ覚えなのですが、以前「薬師寺シリーズには女性読者が多い」という話を聞いた事があるので、こんな推測を立ててみたのですが、どうでしょうか。
> わたしとしては、ストーリーにもっと恋愛が大きく関わってくるようになったら、田中氏が女性読者を意識しはじめたとのご意見に賛同できるのですが、青龍王と大真王夫人の小学生的なお付き合いを見ていると(笑)、全然女の子を意識してないなぁと思います(というか、田中氏には根本的に無理なのでは?(T-T)。
いや、執筆者本人の主観的には充分に意識して書いている「つもり」になっているのではないかと思いますよ。ただそれがあまりにも小学生的であると言うだけで(笑)。
でないと、年を追うに従って女性描写が妙に増えてきたことに対する説明がつかないんですよね~。最近の田中作品にある女性描写を見るたびに、私は頭が痛くなってくるのですが(笑)。
> カタカナ言葉の多用は薬師寺シリーズの特徴ですけど、あれって使う対象をおちょくるための表現技法じゃないんですか?女の子がカタカナ言葉を使うから、という意味合いでしたら、もっと「イケメン」とか今時の言葉に対してになると思います。薬師寺シリーズではたいがい、「オコガマシイ」というような、難しい単語をわざとカタカナにしてるだけなので、女性受けとは関係ないんじゃないでしょうか?
> 文体に関しては、冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、微妙なマイナーチェンジはしているとは思います。でも、わたしなんかはほとんど気づきませんでしたから、これだけで女性読者を意識しているとは言い難いと思います。
> もっと作風そのものが変わらないと、女性を意識しているとは言えないんじゃないでしょうか?
まあ確かにあの「カタカナ言葉の多用」に関しては、創竜伝にも似たような使い方があるみたいですし、これは女性受けとは関係なかったかもしれません。
ただ「昔だったらこんな文体は絶対に書かなかっただろうな」と思ったので、少しは参考になるかと考えてちょっと提示してみたのですけど。
「女性を意識した作風の変化」となると、私が知っている限りでは女性キャラクターの活躍が増えたことと、「薬師寺シリーズ」に代表されるような「気丈な女性が男性相手に偉そうな説教を始め、それに相手が対抗できずに屈服する」といった描写が目障りなぐらいに増えたこと(特に「カラトヴァ風雲録」以降の作品)などがこれに当たるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
- 親記事No.748スレッドの返信投稿
- board3 - No.774
Re767/768: 中国関連いろいろ
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年03月04日(日) 12時54分
う~む、さすがは宣和堂さん、中国知識に関してはお見事としか言いようがないですね(@_@)。正直に言いますと、私は中国知識全般に関してはせいぜい高校世界史教科書に毛が生えた程度のレベルしかないものですから、宣和堂さんの博学ぶりにはただただ脱帽するばかりです。
> そう言えば、冒険風ライダーさまは、どのような戦争が局地的、大局的とお考えでしょうか?宋金戦が局地的となると大局的な戦争とはどういうモノなんでしょうか?
いや、あれは私の本来の主張ではなく、田中芳樹がかつて創竜伝でがなりたてていた社会評論に対する皮肉として書いたものなのですよ。この社会評論のね↓
創竜伝4巻 P168上段~P169上段
<「あんたたちは、この前の戦争でアメリカと戦ったことを、悪かったなんて思ってないんだろ。いつか復讐してやるぞ、と決心してんだろ。だからこそ文部省は、教科書から『日本が戦争をおこして悪かった』というような記述を消すよう強制してるんじゃないのかい」
日本国の文部省の初等中等教育局といえば、右翼思想派の巣窟といってよい。特定企業から賄賂を受けとり、責任を妻や秘書に押しつけるような手合が、「日の丸と君が代を神聖なものとしてあつかえ。でないと処罰するぞ」と、学校を脅迫するのである。歴史の教科書に東郷平八郎という海軍軍人を登場させるよう義務づけたのも彼らだ。当時の文部大臣でさえ、その時代錯誤にあきれ、「ひとつの局地戦の司令官で戦争全体は語れない。戦争を開始し、終結したときの日本政府の対応と、その後の社会を教えることで、正しい歴史観が身につく」といって反対した。だが、大臣の反対意見さえ無視して、文部官僚は、復古教育を強引に推進しつつある。「ただ一度戦争に負けたからといって、民族の誇りを失うな。われわれは世界一優秀な民族だ。その自覚をもって祖国に献身せよ」これはアドルフ・ヒットラーという男がもっとも好んだ台詞だった。>
田中芳樹は上記の社会評論で、日露戦争の趨勢と日本の命運を左右した日本海海戦を「一局地戦」とまで貶め、その日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎を、出典も定かではない文部大臣とやらの言葉を借りて「一局地戦の指揮官」とまで冷笑したのです。この田中芳樹の主張に従えば、どんなに世界史史上に多大な影響を与えた英雄や会戦でも、それを歴史教科書に取り上げたり、高く評価したりすることは「右翼の軍国主義的な教育」であり、「正しい歴史観」とやらを身につけるには無用であるばかりか有害なことですらあるということになるはずでしょう。
しかし創竜伝4巻でそこまで明言していたはずの田中芳樹が、創竜伝9巻の劉永福や上記のような岳飛関連に関しては、自分が口を極めて罵っていたはずの「右翼思想派の巣窟」と全く同じ、いや、歴史的貢献度から言えば東郷平八郎よりもさらに取り上げる必要性がないであろう歴史的人物を堂々と絶賛するようなことをやっているわけです。この態度の違いはどう考えても明々白々なダブルスタンダードそのものでしかありません。だからこそ、それに対する皮肉として私はあえて岳飛や韓世忠をあそこまでこき下ろし、さらにそれが田中芳樹に対する当てつけであると誰の目にも分かるように、わざわざ語尾に田中芳樹に同意を得るような表現まで付加しておいたわけです。
自らの主張を一貫させ、自らの言動に対する責任を取るためにも、英雄崇拝と英雄否定というこの相反する主張を、田中芳樹は何らかの形で総括しなければなりません。そうしない限り、私は田中芳樹がどんなに偉大な英雄を絶賛しても「一局地戦の指揮官」の名の元に切り捨てますし、その卑怯な態度を批判し続けるでしょう。それが自らの過去の言動に責任を取らない人間に対する正当な評価というものです。
それにしても今回は皮肉が「皮肉」と理解してもらえないことが多いですね。一応文章表現にはそれなりに注意して書いているつもりなのですが(T_T)。
ちなみに私自身は戦争そのものを「大局的」「局地的」という視点で見るようなことはしません。国家の存亡と国益を賭ける戦争をそんな判定基準で見るのも妙なものでしょう。戦術レベルの会戦や国境での小競り合いなどを「局地的な戦い」と評価することならありますが。
何をもって「局地的な戦い」であるかと問われれば「戦いの結果」がどのような戦略的・政治的影響を与えたかによって判定すると答えますね。単に「一方の陣営による戦術的な勝利」に終わっただけであると言うのであれば間違いなく「局地的な戦い」でしょうし、何らかの戦略的意義を持った戦いや、国家の命運を左右するような戦いであれば「歴史上に残る重要な会戦」であると評価します。
ただし、田中芳樹の英雄崇拝に関しては、この件に関する田中芳樹自身の総括がない限り、その内容如何を問わず、上で述べた通りの評価を叩きつけます。
> どうでしょうねぇ?確かに宋自体は秦檜がいなければ滅んでいたかも知れませんねぇ…。放っておけば岳飛王朝が築かれたかも知れませんし…。まあ、金軍が江南を抑えるのはやはり無理でしょうが…(やはり、金には淮水の線がギリギリだったのだと思います)。
この辺りのシミュレーションはやってみたら面白そうには思うのですが、私もどちらかと言えばとっしーさんと同意見ですね。岳飛には他の同僚から嫌われていたようですから、他の軍閥を取りこむのは容易ではなさそうですし。
どうにか軍閥を統合して金に戦いを挑んだところで、宋と金との軍事的格差で、しかも岳飛王朝が金に侵攻するとなると、地の利がないのも加わって泥沼の戦いに陥りそうですし、常に内部分裂の兆候に怯えていなければならない状態ではマトモに戦うこと自体難しいでしょう。しかも岳飛の性格では金との戦いを自発的に止めるようなこともしそうにありませんから、結局、最終的には国力および軍事力が著しく弱体化した挙句、金に武力併合もしくは史実以上に屈辱的な境遇に置かれた属国にされてしまうのがオチだったのではないでしょうか。何しろ、岳飛ががなりたてていた主張は、旧日本軍の陸軍青年将校あたりの主張と全く同じようにしか見えないので(笑)。
岳飛を殺して軍閥の強大化を防ぎ、南宋に平和と経済的繁栄をもたらした秦檜の功績は充分に評価されて然るべきだと思いますね、私は。
> 細かいことですが、元とモンゴル帝国は似て異なるモノです。モンゴル帝国はご存じの通りチンギス・ハンがクリルタイでハンに推挙された1206年から成立しています。コレがモンゴル帝国。至元8(1271)年にクビライ・ハーンが大元ウルスの国号を定めましたが、ここからが元朝の成立です。元の北帰は至正28(1368)年ですから、97年ですね(大元ウルスは滅亡はしていないので…)。何故、モンゴル帝国と区別するかと云えば、官制などが全く異なり、モンゴル帝国の政治と大元ウルスの政治が全く異なっていたからに他なりません。中国王朝の一つとして考えられる大元ウルスとモンゴル帝国は似て異なるモノです。だから、コレは詭弁です。
しかしねえ、そもそも最初に元王朝とモンゴル帝国を区別せずに「宋はモンゴル帝国に滅ぼされた」などと言っているのは、あの評論の大元となっているバカ竜王連中の方なのですし、連中は一度たりとも「元王朝」などという言葉を使っていないのですから、あの評論に関しては別にモンゴル帝国成立からの年数計算を行ってもかまわなかったと思いますけどね。どうせあの連中は、病的な中華思想に基づいて「元」の存在など認めたくなかったがために「モンゴル帝国」などと呼称していたのでしょうが。
どうせ元王朝成立とガイ山の戦いの間なんて8年しか離れていないのですから、素直に「元王朝成立からモンゴル帝国滅亡(北帰)までの時間」を計算しておけば良かったものを(笑)。そうしなかった(もしくは「考えつかなかった」)ということは、連中自身こそがモンゴル帝国と元王朝とを同一視していた何よりの証拠でしょう。あの記述からは「モンゴル帝国の歴史162年」なんて年数が算出されたらマズイと思ったからこそ、わざわざ「宋王朝の滅亡」から計算していたとしか読めないのですけど。
> モンゴル人自身は何か作ることによって評価される民族ではなく、受容性があり、なんでも有益なモノは貪欲に取り入れた点が評価されるべきでしょう。パスパ文字や《元朝秘史》を出されるのも、詭弁のような…。何せ、《元朝秘史》に関しては、モンゴル語で書かれたであろう原書が散逸して、漢字で書かれたモノしか残っていないわけですから…。
う~む、手厳しい(T_T)。パスパ文字と元朝秘史に関しては「モンゴルは宋をほろぼしたあと九十一年で滅亡し、後世に何ものこさなかった」という連中の主張に対する反証を何かひとつでも示せば良かったので出したものなのですが。「元朝秘史」のモンゴル語版が残っていないというのは知りませんでした。
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- board3 - No.775
宦官といえば
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年03月04日(日) 14時30分
> 宦官について、
「あんなやつらは人間のクズだ。宦官のためにどれだけ中国の歴史がゆがめられたか知れない」
と非難する人もいる。たしかに地位や特権を悪用して世に害毒を流した宦官もたくさんいた。だが、いっぽうでは、歴史と文化に対して大きな貢献をなしとげた宦官も多い。
普通は(日本では)「宦官だからクズだ」ではなく、「(病気でもないのに去勢する)宦官という存在自体が害悪だ」だと思うんですけどね(もちろん、纏足や人肉食と同様一概に文化として否定するわけにはいかないですけれどね)。
田中芳樹の弁護論は職業としての宦官の弁護にはなっていますが、存在としての宦官については触れていませんね。
宦官に対する嫌悪感というのは、どう考えても職業ではなく存在(去勢を制度化したもの)に対してのものです。
そりゃあ、宦官でも立派な人はいますが、彼らはチンポを切られたから立派になったというわけではないでしょう。
にしても、偉大な宦官に司馬遷が上がっていないのは個人的に納得いかないなぁ。
- 親記事No.748スレッドの返信投稿
- board3 - No.776
Re: 宦官といえば
- 投稿者:日傘
- 2001年03月04日(日) 14時59分
>
> にしても、偉大な宦官に司馬遷が上がっていないのは個人的に納得いかないなぁ。
司馬遷に関しては、「史記」執筆当初はまだ宦官で無かったからじゃないでしょうか。宦官になった大本の動機が「史記」を完成させるためですし。それこそ、チンポ切ったから立派になった人ではないです。
- 親記事No.715スレッドの返信投稿
- board3 - No.777
参考 文庫版創竜伝9巻あとがき対談より
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年03月04日(日) 15時16分
文庫版9巻巻末の田中氏と垣野内成美氏対談から、参考になりそうな部分を抜粋しました。
田中 僕自身は男性だから、女性読者に贔屓にしてもらえる女性キャラをつくねのは一つの理想なんですけれど、さいわい薬師寺涼子は読者の方の反応が非常にいいんです。
垣野内 私も読んでいて楽しかったし、アシスタント陣もすごく喜んでいました。
…………
田中 女性の読者のお手紙で、「お涼を尊敬してます」(笑)というのが何通もありまして。尊敬までされるとちょっとまずいかもしれません(笑)婦人警官の方からもお手紙をいただいたんです。「泉田警部補のご心中をお察しします」って(笑)(後略)
…………
垣野内 薬師寺涼子は最初、みんながよけちゃうような厳しい女だと聞いたので、キツネっぽいイメージを抱いていたんですけれど、読んでいくうちに「女性からとても好かれる女性だ」と思いました。働く女性にとって「がんばってください!」って感じがするキャラクター。(後略)
…………
垣野内 田中先生の文章は優しい感じがします。女性が読みやすいですね。
田中 そのへん自分ではよくわからないのですが、「伝奇ものは女性が暴力を加えられる描写が多いので読まなかったのですが、『創竜伝』は違いますね」
と女性読者に言われたことがあります。『魔天楼』では女性が男性に蹴りを入れます(笑)
垣野内 それがいいんだと思います。
- 親記事No.748スレッドの返信投稿
- board3 - No.778
Re^2: 宦官といえば
- 投稿者:宣和堂
- 2001年03月04日(日) 15時38分
日傘様曰く…
> 司馬遷に関しては、「史記」執筆当初はまだ宦官で無かったからじゃないでしょうか。宦官になった大本の動機が「史記」を完成させるためですし。それこそ、チンポ切ったから立派になった人ではないです。
でも、チンポ斬っても立派だった人として記憶されるべきでしょう。
やっぱり偉大だと思います。で、田中芳樹が何故、宦官として彼の名を上げていないかというと…。何だか、知らないか忘れているか宮刑の意味が分からなかったか、太史公という役職と宦官のイメージがダブらなかったか…どれかだと思います。
でも、チンポ斬られてもあの立派な小説書き上げたんですから、立派です。
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- board3 - No.779
『北条時宗』
- 投稿者:小村損三郎
- 2001年03月04日(日) 15時41分
> > これは同意です。ただ広義のモンゴル帝国の範疇には入るかもしれません。 元朝は一応モンゴル諸汗国の宗家という立場だったように思います。
> モンゴル帝国と大元ウルスの違いはそれまで形式的には一枚板だった帝国が、各ウルス毎に内戦状態に入るようになったことでもあります。宗主国と言うのも間違いではないですが、それまでのハーンとは明らかに権限の上で違います。そもそも、クビライがクーデターを起こして、クリルタイの意向を正面から否定して樹立した政権が大元ウルスなので、宗主国と言っても他のウルスは事後承諾と言う形で認めているに過ぎませんからねぇ…(この辺のことは大河ドラマではやるんでしょうか?)。
現時点ではアリクブカすら登場してないので萎えるな~、と思っていたらナント今日の放送では『海嘯』にも出ていた蒲寿庚が突如登場してビックリ。
松浦水軍頭領の藤竜也と会談してました。
この分だと文天祥もチョイ役で登場か!?
- 親記事No.748スレッドの返信投稿
- board3 - No.780
Re: Re767/768: 中国関連いろいろ
- 投稿者:宣和堂
- 2001年03月04日(日) 16時22分
何だか寝ながら書いたので、頓珍漢な指摘してましたね。申し訳なかったです>冒険風ライダーさま。
> う~む、さすがは宣和堂さん、中国知識に関してはお見事としか言いようがないですね(@_@)。正直に言いますと、私は中国知識全般に関してはせいぜい高校世界史教科書に毛が生えた程度のレベルしかないものですから、宣和堂さんの博学ぶりにはただただ脱帽するばかりです。
自分も研究者ではない上、最近一次史料にも目を通していないので、相当いい加減だと思ってください。よく間違えるので、人知れず冷や汗ばかりです。
> いや、あれは私の本来の主張ではなく、田中芳樹がかつて創竜伝でがなりたてていた社会評論に対する皮肉として書いたものなのですよ。この社会評論のね↓
あ…なんだか読みが浅かったですね…。この辺は申し訳ないです。確かに、東郷元帥のアレを局地的と評するのはどうしたモノかと自分も思いました。何も先人の快挙を貶めなくてもねぇ…。
>
> 創竜伝4巻 P168上段~P169上段
> <「あんたたちは、この前の戦争でアメリカと戦ったことを、悪かったなんて思ってないんだろ。いつか復讐してやるぞ、と決心してんだろ。だからこそ文部省は、教科書から『日本が戦争をおこして悪かった』というような記述を消すよう強制してるんじゃないのかい」
> 日本国の文部省の初等中等教育局といえば、右翼思想派の巣窟といってよい。特定企業から賄賂を受けとり、責任を妻や秘書に押しつけるような手合が、「日の丸と君が代を神聖なものとしてあつかえ。でないと処罰するぞ」と、学校を脅迫するのである。歴史の教科書に東郷平八郎という海軍軍人を登場させるよう義務づけたのも彼らだ。当時の文部大臣でさえ、その時代錯誤にあきれ、「ひとつの局地戦の司令官で戦争全体は語れない。戦争を開始し、終結したときの日本政府の対応と、その後の社会を教えることで、正しい歴史観が身につく」といって反対した。だが、大臣の反対意見さえ無視して、文部官僚は、復古教育を強引に推進しつつある。「ただ一度戦争に負けたからといって、民族の誇りを失うな。われわれは世界一優秀な民族だ。その自覚をもって祖国に献身せよ」これはアドルフ・ヒットラーという男がもっとも好んだ台詞だった。>
「ただ一度戦争に負けたからといって、民族の誇りを失うな。われわれは世界一優秀な民族だ。その自覚をもって祖国に献身せよ」って、何だか『三国志演義』で関羽が劉備を励ますシーンに似てますよねぇ…(吉川英治だけかなぁ…)。民族の誇り持って何か悪いのかなぁ…。悪いとしたら、詭弁を用いて誇りに変な意味を持たせることだと思うんですけど…。
(中略)
> それにしても今回は皮肉が「皮肉」と理解してもらえないことが多いですね。一応文章表現にはそれなりに注意して書いているつもりなのですが(T_T)。
コレは読みが足りませんでした。何だかコントで「今の何処が面白いの?」と聞いている人のよう…。済みません!言わずもがなのことを…。
(中略)
> 何をもって「局地的な戦い」であるかと問われれば「戦いの結果」がどのような戦略的・政治的影響を与えたかによって判定すると答えますね。単に「一方の陣営による戦術的な勝利」に終わっただけであると言うのであれば間違いなく「局地的な戦い」でしょうし、何らかの戦略的意義を持った戦いや、国家の命運を左右するような戦いであれば「歴史上に残る重要な会戦」であると評価します。
自分もそう考えるのですけど、一つ一つの会戦を局地的か大局的か?と見ていくと大変ですよね…。
『奔流』に出てくる鍾離の戦いなんて、田中芳樹は“赤壁に匹敵する合戦”みたいに書いてますが、どの概説書にも鍾離の戦いって触れられてないんですよね…。やや詳しい専門書でも無視されてますから、そんな戦いを赤壁と比較すること自体がこの人の凄いところだ!と感心しました。この時代は戦乱の時代ですから、コレぐらいの合戦はそこら中でやってたみたいナンですよね…。
> この辺りのシミュレーションはやってみたら面白そうには思うのですが、私もどちらかと言えばとっしーさんと同意見ですね。岳飛には他の同僚から嫌われていたようですから、他の軍閥を取りこむのは容易ではなさそうですし。
嫌われていた…と言うよりも煙たがられていた…と言う感じだと思います。
同僚としてはイヤですよね…。上司としたら、コレは結構働きがいのある人かも知れませんが…。と言うわけで、岳飛は30代で死んでますので、簒奪なり禅譲が50代くらいに起きていれば、或いは老獪な岳飛による、円滑な政権交代が…って皇帝権が確立した宋代では難しいんですけどね…。
> どうにか軍閥を統合して金に戦いを挑んだところで、宋と金との軍事的格差で、しかも岳飛王朝が金に侵攻するとなると、地の利がないのも加わって泥沼の戦いに陥りそうですし、常に内部分裂の兆候に怯えていなければならない状態ではマトモに戦うこと自体難しいでしょう。しかも岳飛の性格では金との戦いを自発的に止めるようなこともしそうにありませんから、結局、最終的には国力および軍事力が著しく弱体化した挙句、金に武力併合もしくは史実以上に屈辱的な境遇に置かれた属国にされてしまうのがオチだったのではないでしょうか。何しろ、岳飛ががなりたてていた主張は、旧日本軍の陸軍青年将校あたりの主張と全く同じようにしか見えないので(笑)。
でも、岳飛が朱仙鎮まで攻め込んだあたりから、金って急速に弱くなるんですよね…。内部的には皇族同士が泥沼の政争を行ってますし、兵自体も奢侈を覚えて弱体化しますし…。基盤自体も急速に成長した金が何故華北を維持できたのか?非常に不思議ですし…(契丹のように燕雲十六州のような小さな地域ならともかく…)。
> 岳飛を殺して軍閥の強大化を防ぎ、南宋に平和と経済的繁栄をもたらした秦檜の功績は充分に評価されて然るべきだと思いますね、私は。
でも、有力な政敵が何故か?失脚したり、政権を奪取した後は起居注や実録さえも取らせず、私史書の編纂に厳罰で望んだりとイヤな部分が多いんですよね…秦檜は…。歴史を記述することを許さなかった長期安定政権だったので、実状が分からず、褒めも出来なければ貶しも出来ないんですよね…。ただただ、気味が悪い…としか言えない…。まあ、人気ないのも分かります。何を目的にしてたのか、全く見えないんですよねぇ…。
> しかしねえ、そもそも最初に元王朝とモンゴル帝国を区別せずに「宋はモンゴル帝国に滅ぼされた」などと言っているのは、あの評論の大元となっているバカ竜王連中の方なのですし、連中は一度たりとも「元王朝」などという言葉を使っていないのですから、あの評論に関しては別にモンゴル帝国成立からの年数計算を行ってもかまわなかったと思いますけどね。どうせあの連中は、病的な中華思想に基づいて「元」の存在など認めたくなかったがために「モンゴル帝国」などと呼称していたのでしょうが。
ありゃ…気がつかずに創竜伝の方では素通りしてましたね…。
まあ、フィクションだと思って気楽に読んでるから気がつかないんでしょうけど…。コレは申し訳ないです。
> どうせ元王朝成立とガイ山の戦いの間なんて8年しか離れていないのですから、素直に「元王朝成立からモンゴル帝国滅亡(北帰)までの時間」を計算しておけば良かったものを(笑)。そうしなかった(もしくは「考えつかなかった」)ということは、連中自身こそがモンゴル帝国と元王朝とを同一視していた何よりの証拠でしょう。あの記述からは「モンゴル帝国の歴史162年」なんて年数が算出されたらマズイと思ったからこそ、わざわざ「宋王朝の滅亡」から計算していたとしか読めないのですけど。
コレは冒険風ライダーさま仰るとおり、贔屓の引き倒しデスね。まあ、だからモンゴル史の先生方に、宋代の研究者達は「中華主義者どもめ!」と良く分かったような分からないような雑言を浴びせられるんですよね…。
元代の社会生活が後世に及ぼしたプラス面も多く指摘されているわけですから、いつまでも“モンゴルによる破壊”神話にしがみついていては、NHKにすら後れをとると思うのですが…。まあ、田中芳樹は戦前の東洋史研究の幻想にすがりついている部分はかなりあると思うのですが…(戦前でも三田村泰助や田村實造等の満蒙研究の成果すら無視してるし…)。正直、時代遅れも甚だしいですね…。
> う~む、手厳しい(T_T)。パスパ文字と元朝秘史に関しては「モンゴルは宋をほろぼしたあと九十一年で滅亡し、後世に何ものこさなかった」という連中の主張に対する反証を何かひとつでも示せば良かったので出したものなのですが。「元朝秘史」のモンゴル語版が残っていないというのは知りませんでした。
『元朝秘史』に関しては色々ややこしいらしいです。でも、『元朝秘史』の書影を高校時代に資料集で見たような気がしたので、世間でも知られたことだと勘違いしてました。でも、モンゴル史では『元朝秘史』より、ペルシャ文献の『集史』の方が重要視されるというのもあるのですけどね…。
でも、元代の文化としては、やっぱり、元曲は宋代では現出しない類の文学でしたし(文人が文語ではなく口語の文学の担い手になることは考えられない)、科挙のない元朝の治下でなければ章回小説が編まれることはまずなかったでしょう(現物は残ってませんが、原型は元代にあったとされます)。担い手である漢人を褒めるよりは、場を提供したモンゴル人が評価されると思うのですよ…。
まあ、それでも田中芳樹は「でも、やっぱり作り手がいないと文化は育たないから漢人の方がエライ!」と言うんでしょうけど…(トホホ…)。
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Re: 『北条時宗』
- 投稿者:宣和堂
- 2001年03月04日(日) 16時28分
> 現時点ではアリクブカすら登場してないので萎えるな~、と思っていたらナント今日の放送では『海嘯』にも出ていた蒲寿庚が突如登場してビックリ。
> 松浦水軍頭領の藤竜也と会談してました。
アラブ人だとばっかり思っていた蒲寿庚が白人で吃驚しました。子役が不細工なのにも負けずに驚いたのですが…。
でも、一応、蒲寿庚はあの時代では有名人ですから出てきてもおかしくないですね。
> この分だと文天祥もチョイ役で登場か!?
多分出てくるのでしょうねぇ…。木村佳乃に死に水を取って貰うと見ました。