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投稿ログ356 (No.6185 - No.6196)

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board4 - No.6185

ダブルスタンダードに対する懸念

投稿者:パンツァー
2005年01月10日(月) 13時49分

>  ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間かもしれない。
>  そのように言われたとしても、日常生活では一笑に付して終わりにします。しかし、科学の世界はそうではありません。可能性はあるのではないか、とひとまずは疑ってみることこそ、科学の基本です。
>  作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。そのように考えていけば、ラインハルトやヤンを人造人間とする判断材料は全くと言っていいほどなく、逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。よって、ここまで検討して初めて、『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』という結論を出す事になります。

>  お分かりでしょうか。
>  科学的に考える、とはこういうことです。
(以下略)

上の考え方って、「科学的に考える」ということになるのですか?
論理の前提部分は、以下ですよね。

「作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」

私が散々言っている質量とエンジン出力との関係も同様ですよ。
「作中に、質量とエンジン出力の関係が異なる質量の大きさ一般で成り立たないとは、書かれていません。もし、ガイエスブルグ要塞のワープが、特別な質量で成立ものであるとするなら、そのような重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」

こういう手法を「科学的に考える」というのなら、私が展開している論も、「科学的に考える」ことになりますよ。

それから、上で、
「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
などと書いていますが、
ヤンやラインハルトの日常(および非常)生活の描写などから、「通常の人間」と確定する根拠が見つかるとでも思っているのですか?
例えば、オリンピック選手が筋肉増強剤の使用者か否かを、尿検査等の特定検査を行うことなく、一般の我々が判別することなど、まずできませんよ。違いがどこにあるかなど、分かるものですか!

>  私は、『そういう質量帯があるのだ、皆はそれを認めろ』などという馬鹿馬鹿しいことを言いたいのではありません。これは科学の手法につながる話です。

この部分ですが、
よく考えてください。私は、Nightさんの意見が、『そういう質量帯があるのだ、皆はそれを認めろ』である、と主張しているわけではありません。
「『そういう質量帯があるのだ』という可能性を否定しきれないだろう」とする結論に対して、反対しているのです。
例えば、Nightさんは、
「『そういう質量帯があるのだ』という可能性を否定しきれないだろう」という論理で、
イゼルローン要塞のワープが確実ではない、という結論を導いていたわけでしょう。

だから私は、同様の論理を用いて、
上のヤンやラインハルトの例で言えば、
「ひょっとしたらラインハルトやヤンが人造人間であるという可能性」を否定しきれない以上、
ラインハルトやヤンが通常の人間であるとは言い切れない、という結論になるのではないか、と言ったのです。

いかがですか?
私の意図するところを、理解していただけたでしょうか。

>  最後に、パンツァーさんに確認したい事があります。
>  パンツァーさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。

Nightさんの言う、「科学的に考える」とか、「客観的かつ科学的な説の表明」というのを、もう少し、詳しく説明してください。
もし、Nightさんの言う、「科学的に考える」とか、「客観的かつ科学的な説の表明」とかが、
Nightさんが行った証明
『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』
程度の論理であるならば、
私も同様の論理で話をしている、ということです。

どうか、くれぐれも、ダブルスタンダードは用いないで頂きたいです。

今回は他の部分の回答は見送ります。
Nightさんの論理にダブルスタンダードの恐れがありそうなので、ここでまず、決着をつけておかないと、他の点についても、同じことを延々繰り返さざるを得ず、ちょっと対応し切れません。


と言いつつ、次の点については、もう一度回答しておきましょう。

>  ですから、『質量の大きさに比例する』とか、『数倍程度で大きく響くわけがない』ということの具体的な根拠は一体何なのですか。私は、ずっとそれを聞いているつもりなのですが。

これについては、基本的に、
No6169 質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである
に書いているんですがね。

1.
「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」
より、質量に応じたエンジン出力を用意すれば、基本的にワープが可能である。

2.
帝国でも同盟でも、艦船級の質量体には多々実績がある。

3.
帝国軍は、ガイエスブルグ要塞級の質量体のワープに成功した。
この達成の困難度を単位量(つまり1)としよう。


質量の増大におけるワープの困難度は、どのように算定したらよいか?
質量の増加量に応じて一次比例なのか、二次比例なのか、対数関数的なのか?
しかし、質量の増加によらず困難度が増加しなかったり、質量の増加に応じて逆比例する(困難度が減少する)、などということは、まさかあるまい。
そこで、質量の増加に応じて困難度が増加すると言うことで、例えば一次比例と仮定しよう。


銀英伝世界で一般的な艦船級から、いきなりガイエスブルグ要塞級の質量体のワープに成功するのに要する困難度を、1としよう。
一方、艦船級から、いきなりイゼルローン要塞級の質量体のワープに成功するのに要する困難度は、果たしていくつになるか?
ガイエスブルグ要塞級と艦船級との質量比は、4000万倍であった。
イゼルローン要塞級とガイエスブルグ要塞級との質量比は、2,3倍程度であった。

つまり、4000万倍の質量増大に対する困難度の増大を、1の困難度とみている。
さらに、4000万倍すれば、困難度が1だけさらに増加して、2の困難度となる。

イゼルローン要塞のワープに際しては、
第一に艦船級からガイエスブルグ要塞級の質量体に飛躍するワープの困難度を経て、
第二にガイエスブルグ要塞級の質量体からイゼルローン要塞級の質量体に飛躍するワープの困難度を経ることになる。

第一の困難度は、1と見積もっていた。
第二の困難度は、(2,3倍/4000万倍)≒10のマイナス7乗(=10のマイナス5条%)と見積もれる。
つまり、合計すると、1.0000001程度の困難度であろう。

繰り返すが、2の困難度となる場合は、4000万倍×4000万倍の質量増大の場合である。
1.5の困難度となる場合は、4000万倍×(6.5×1000倍)「4000万の平方根」の質量増大の場合であろう。

質量増大と、困難度との対応を、対数で捉えてます。
4000万倍の質量増大を、困難度の基準として考えたこと(困難度の単位量1に設定)から、上の論が始まってますね。

言いたいのは、質量増大に比して困難度が増加するのなら、上のような具体的な数字はともかく、一般的に、ガイエスブルグ要塞級の質量体からイゼルローン要塞級の質量体に飛躍する場合の困難度は、無視できる程度に小さいだろう、ということです。
これは、質量増大に比して困難度が減少するとかいう逆の場合以外には成り立つという意味で、具体的な数字はともかくとして、この傾向は、一般的に成り立つと言っているのです。

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board4 - No.6186

Re:静止状態の質量と、加速状態の質量との質的相違

投稿者:パンツァー
2005年01月10日(月) 13時57分

論を取り下げる場合は、取り下げてさえ下さればそれで結構です。別に、謝罪されるようなことではありません。かえって恐縮します。私も意見を取り下げたからと言って、謝罪などするつもりは毛頭ありませんので。

>  それから、『ベースは質量とエンジン出力の関係ですよ』とありますが、質量とエンジン出力の関係と一口に言っても、色々あるでしょう。ワープ力学(仮名)では、必ずしも質量に対して比例となるかは不明です。ワープにおける質量とエンジン出力の関係が、ニュートン力学や航空力学のそれと同一視できると言うことの根拠は何ですか。

これは、No6174「作品の解釈について」で述べたように、
ワープ理論について作品に記載の無い部分を、現代の物理学を準用して考えた結果です。シャフトの言の解析でも、そのように読み取れるからです。

>  先の例に戻りましょう。模型飛行機しか知らない人々が見せられた実用機と言うものが、現代技術で作ることができる最大級の飛行機だったとしたらどうですか(そうでないという保証は全くないでしょう?)。
>  その時も、パンツァーさんは、『3倍程度の実用機が飛べない確率は0.0001%です』と主張されますか。

「現代技術で作ることができる最大級の飛行機」だと分かっていれば、もちろん、そのような主張は致しません。
作品中に、ガイエスブルグ要塞が質量的に、ワープの限界であることを示唆する記載でもあれば、もちろん、このような主張はしない、ということです。

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board4 - No.6187

困難度の説明の補足

投稿者:パンツァー
2005年01月10日(月) 15時12分

> >  ですから、『質量の大きさに比例する』とか、『数倍程度で大きく響くわけがない』ということの具体的な根拠は一体何なのですか。私は、ずっとそれを聞いているつもりなのですが。
>
> これについては、基本的に、
> No6169 質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである
> に書いているんですがね。

> 4
> 質量の増大におけるワープの困難度は、どのように算定したらよいか?
> 質量の増加量に応じて一次比例なのか、二次比例なのか、対数関数的なのか?
> しかし、質量の増加によらず困難度が増加しなかったり、質量の増加に応じて逆比例する(困難度が減少する)、などということは、まさかあるまい。
> そこで、質量の増加に応じて困難度が増加すると言うことで、例えば一次比例と仮定しよう。

質量の増大による困難度というのは、
具体的には、例えば、
質量の増大に応じた大出力のワープエンジンの製造に要する技術上の困難の度合い、といったことになります。
その他、飛行機であれば、機体の強度をどうするかとか、多々実際上、発生するような問題を総合しています。

ここでは、質量以外に、参考になる数値が無いので、
質量の大きさに応じて困難度が増大するとしているのです。
少なくとも、それに要するエンジン出力を確保するための困難、
大出力ワープエンジン製造の困難
もしくは、
従来エンジンによる通常使わない大出力発揮における困難、
といったものはあるでしょうから。

また、質量に応じて困難度が増大すると言うのは、
現実の飛行機であれ、自動車であれ、
成り立つ原則でしょうし。
(現代物理学の準用です)

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board4 - No.6188

Re:ダブルスタンダードに対する懸念

投稿者:Night
2005年01月12日(水) 15時25分

> 「作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
>
> 私が散々言っている質量とエンジン出力との関係も同様ですよ。
> 「作中に、質量とエンジン出力の関係が異なる質量の大きさ一般で成り立たないとは、書かれていません。もし、ガイエスブルグ要塞のワープが、特別な質量で成立ものであるとするなら、そのような重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
>
> こういう手法を「科学的に考える」というのなら、私が展開している論も、「科学的に考える」ことになりますよ。

 では、人造人間と移動要塞化について、もう一度検討してみましょう。前回は省略した細かい所まで検討するので、非常に長くなります。

 まず、『ヤンとラインハルトは人造人間である』という命題の真偽について検討します。
 遺伝子工学で人造人間を作る技術、の定義が良く分からないのですが、前回同様、『遺伝子操作を行うことで、優秀な子供を作る技術』と考えることにします。
 まず、そのような技術の存在について、作中では一切触れられていません。
 ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。
 あるとして、それは社会に広く公開された技術なのでしょうか。それとも、社会からは隠蔽された技術なのでしょうか。
 社会に広く公開された技術だとします。すると、このような技術の存在は、社会の在り方を大きく変える要因になります。人間を通常の人間と人造人間に区別して考える文化が生まれ、子供を持とうとする親は全員、子供を自然な状態なまま産むか、遺伝子操作を行うかという選択を迫られることになります。
 まして、銀英伝の世界には、劣悪遺伝子排除法が存在します。帝国では、子供が劣悪な遺伝子を持たないために遺伝子操作を行うべきであるという社会的な風潮が出来上がるはずです。特に、皇族や貴族の家系では、遺伝子操作を行うのは必然となるでしょう(それを公然と認めるか否かは話が別ですが)。ですが、本編の記述を見れば分かるように、社会にそのような風潮は一切見られず、皇族にも貴族にも正常な遺伝子を持たない人間がいます。これは、不自然です。
 次に、これが社会から隠蔽された技術だったとしましょう。しかし、ラインハルトの両親は貧乏貴族で、ヤンの両親は商人です。別に特権階級でもない彼らが、そのような隠蔽された技術に接触できる機会があるとも思えません。仮にあったとしても、そのような隠蔽された技術を使うのには、相応の金銭がかかったはずです。ですが、ラインハルトの両親にそのような経済力があったとは思えず、ヤンの父親は、『息子は無料だったから』という趣旨の発言をしています。これは、不自然です。
 それでも、彼らが人造人間であったとしましょう。彼らが人造人間であったことを、周囲の人間は知っていたでしょうか。彼ら自身や本編の記述者(=作者)は知っていたでしょうか。
 周囲の人間が知っていたなら、彼らが常人にはない才能を発揮した時、その才能の根源が遺伝子工学という人為的な技術にあることに関して、何らかの感慨を抱かないはずがありません(やはり人造人間は通常人とは違う、など)。それは彼ら自身も、あるいは作者に関しても同じことです。このような背景は当然、銀英伝全編の記述に、多大な影響を与えずにはいられないはずです。しかし、そのような傾向は一切見られません。これは、不自然です。
 上記のような検討を経てもなお、彼らが人造人間である可能性はあります。
 例えば、ヤンの父親は実は嘘をついていて、こっそり、息子に遺伝子操作を行ったのかも知れません。あるいは、異星人が両親も本人達も知らぬ間に、未知の技術で彼らの遺伝子操作を行ったのかもしれません。こういった可能性を排除することは不可能です。よって、判断結果に絶対性を持たせることはできません。(ただし、これらの材料はあまりに不確かなので天秤には乗せないことにします)
 この辺りで止めますが、ここまでで天秤の真の側の皿には、何も乗っていません。逆に、偽の側の皿には、上に『不自然です』と書いた所が全て乗ることになります。これらは、彼らを通常の人間とする直接的な証拠ではありません。しかし、彼らが人造人間だったとすれば必然的に生じるはずの多くの不整合が生じていないということは、彼らが通常の人間であるということの間接的な証拠として考えられるからです。
 以上より、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽と判定されます。

 次に、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽について検討します。
 まず、この命題に関しては、判断材料が非常に乏しいことが挙げられます。人造人間の方の判断材料が本編の記述のほぼ全域に渡るのに対し、こちらの判断材料は、本編中で大質量ワープに触れられた箇所だけです。
 イゼルローンが移動要塞化可能だったとしましょう。これまでの議論で分かる通り、この場合、本編の記述との間に不整合は生じず、不自然ではありません。
 イゼルローンが移動要塞化不可能だったとしましょう。本編の記述との間に不整合は生じるでしょうか?
 ラインハルトとシャフトの発言について考えてみましょう。もし仮に、イゼルローンが移動要塞化不可能だったとして、彼らの発言内容に変化は生じるでしょうか。彼らはガイエスブルク移動要塞化計画の中で発言していました。彼らの関心の焦点は、ガイエスブルクを本当に移動要塞化できるか否かです。もし仮に、(理論的にか技術的にかは分かりませんが)同じ方法でイゼルローンを移動要塞化できないような事情があったとしても、彼らが発言の中で『イゼルローンをこの方法で移動要塞化できないとは、残念なことだ』などといちいち言う意味も必要もありません。むしろ、いきなりそんなことを言い出す方がかえって不自然です。よって、イゼルローンが移動要塞化不可能であっても、彼らの発言との間に格別な不整合は生じず、不自然ではありません。
 本編の他の記述との整合性はどうでしょう? 大質量ワープに関する記述は、雌伏篇(3巻)の一部にしかありません。それらの記述は、集約すれば『ガイエスブルクを大質量ワープさせることはできる』というものです。それを上回る質量に関して、大質量ワープが可能であるとも不可能であるとも書かれていません。よって、イゼルローンが移動要塞化不可能であっても、これらの記述との間に不整合は生じず、不自然ではありません。
 ここまでで天秤の真の側の皿には、ガイエスブルクが乗ることになります。ただし、質量その他の条件が異なるため、これはあくまで参考材料に過ぎません。偽の側の皿には、『一般的に、技術的な難易度は扱う対象の規模に従って増大する』という推論が乗ることになりますが、どちらの皿の材料も絶対量が少なく、この問題に関する確からしさも曖昧であるため、最終的な判定は不能となります。

 二つの命題が作品全体に持つ意味の重要性について考えてみましょう。
 人造人間の方の重要性ですが、言うまでもなく、銀英伝という作品は二人の天才についての物語です。しかし、彼らの才能が人為的な技術の産物であったとしたら、天才とは歴史の流れの中から偶然現れるのではなく、人工的に作ることができるものなのだということになりますから、それは作品全体の主題すら変えかねません。よって、彼らが人造人間であるか否かは本編にとって非常に重要な問題だと言えるでしょう。
 移動要塞の方の重要性ですが、それは基本的に乱離編(8巻)の時点でヤンが移動要塞戦略を採用できるか否かの一要素に過ぎません。また、理論的、技術的に移動要塞化が可能であっても、経済的、時間的、人材的といった他の多くの問題をクリアしなければそれは完成しません。結局、完成できないような問題が残ってしまうなら、それは画に描いた餅に過ぎず、ヤンの選択に影響を及ぼすことはできません。よって、イゼルローンが移動要塞化可能であるか否かは、本編にとってあまり重要ではない問題だと言わざるを得ません。

 簡単にまとめましょう。
 ラインハルトやヤンが通常の人間だったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、人造人間であったとすると、非常に多くの不整合が生じる事になります。判断材料は多く、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽であると言えます。
 イゼルローンを移動要塞化可能であったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、移動要塞化不可能だったとしても、特に不整合は生じません。判断材料は乏しく、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽は判定不能となります。

 以上です。私から見れば、この二つの問題は、全く性質の違う問題としか見えません。作品内での重要度も、判断材料の量も確かさも、判断結果も全て異なります。
 むしろ、これらに対して『同じだ、ダブルスタンダードだ』と言い出してしまうパンツァーさんの判断の方こそ、不可解です。きちんと検討をしていないか、あるいはこのような思考法に全く慣れていないか、どちらかとしか思えません。


> だから私は、同様の論理を用いて、
> 上のヤンやラインハルトの例で言えば、
> 「ひょっとしたらラインハルトやヤンが人造人間であるという可能性」を否定しきれない以上、
> ラインハルトやヤンが通常の人間であるとは言い切れない、という結論になるのではないか、と言ったのです。

 はい、その通りです。ラインハルトやヤンは通常の人間であるとは言い切れません。
 詳しくは上の検討を御覧ください。

> Nightさんが行った証明
> 『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』
> 程度の論理であるならば、
> 私も同様の論理で話をしている、ということです。

 同様の論理ではありません。同様の論理だったら、そもそも人造人間問題と移動要塞問題を同一視することなどできるわけがありません。
 パンツァーさんは、自分自身の論をきちんと疑っていますか? 証拠の確からしさを検討に入れていますか? 『そう思う』というだけの仮定や願望を確かな証拠として採用していませんか? 不確実な推論の結果を確実なものとして採用していませんか? 判断結果を絶対のものと思い込んでいませんか?
 そういうことがお分かりでないのでしたら、そもそも科学的な議論をすべきではありません。

 この後、難易度見積もりの具体的な根拠についての話がでてきますが、この見積もりモデルのようなものを、通常は『机上の空論』と呼びます。
 ここに出てくる話は全部、自分は頭の中でこう考えたというだけのことです。現実の事例との比較が全く無い。モデルを作る際に最も重要な、『何故、このモデルならば現実をうまく説明できると言えるのか』に関する考察が完全に抜け落ちています。

 『質量増大と、困難度との対応を、対数で捉えてます』とありますが、通常の比例でなく対数を採用する根拠は、何ですか? 例えば、『ワープ技術の発展の歴史を最初から追いかけると、ワープ可能な質量の増大と、それを達成するための困難度(例えば、開発期間)との間には、対数関数的な関係が見られる』というようなワープの実情との比較があれば、そのような仮定にはまだしも妥当性があると思われますが、何もない所からいきなり仮定を出しても、それで正しい答が得られる保証は全くありません。
 一番肝心な所で適当にお茶を濁しておいて、結果だけは正しいものが得られると信じ込んでいる。現実との比較は一切無い。それは楽観的を通り越して無謀、無茶の類です。これが学術論文だとしたら、このような曖昧なものを良しとする指導教官もレフリーもいるわけがありません。

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board4 - No.6191

Re:静止状態の質量と、加速状態の質量との質的相違

投稿者:Night
2005年01月12日(水) 15時54分

> >  それから、『ベースは質量とエンジン出力の関係ですよ』とありますが、質量とエンジン出力の関係と一口に言っても、色々あるでしょう。ワープ力学(仮名)では、必ずしも質量に対して比例となるかは不明です。ワープにおける質量とエンジン出力の関係が、ニュートン力学や航空力学のそれと同一視できると言うことの根拠は何ですか。
>
> これは、No6174「作品の解釈について」で述べたように、
> ワープ理論について作品に記載の無い部分を、現代の物理学を準用して考えた結果です。シャフトの言の解析でも、そのように読み取れるからです。

 なるほど。
 しかし、「作品の解釈について」で述べられていた解釈のルールは、以下のようなものだったはずです。

<(1)SFであっても、基本的には現実の我々と同じ世界の物語である。人間の性質や物理法則一般に関してもそのとおり。
(2)作品中で設定されている内容は、(1)の適用の例外事項であって、この例外事項に関しては、当然作品の設定が優先される。>


 (1)のルールを適用すると、以下のような形になると思われます。

『銀英伝世界の物体運動も、現実世界の物体運動も、同じニュートン力学が支配する』

 しかし、このルールをワープに適用するなら、その結果は以下の形以外考えられません。

『銀英伝世界のワープも、現実世界のワープも、同じワープ理論が支配する』

 現実世界に、銀英伝世界のワープとほぼ同様のワープを実現できる理論があるなら、それを解釈に利用することに、あまり異論はありません。しかし、現実世界にそのような理論はありません。よって、この時点で『解釈に使えるものは現実世界には無い』という結論を得て、(1)の適用は終了です。
 そこで、(2)を適用してシャフトの「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉を引用することになります。(2)は、作中設定を引用することしかできませんから、この時点で終了です。

 よって、以後は、上のルールに基づかないパンツァーさん独自の解釈になります。パンツァーさんはニュートン力学も「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という類似点に着目し、ワープ理論とニュートン力学を同様のものとみなすことにしました。
 しかし、「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉は、別に、ニュートン力学のF=maのような一次関数的関係にだけ成り立つものではありません。二次関数的であっても、指数級数的であっても、あるいはもっと複雑な関数であっても、「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉は成り立ちます。というか、この言葉自体がそもそも大した情報量を持っていないのです。そのような曖昧さが出てくるのは当然のことです。
 仮説の段階ならば、これらの関数の中からニュートン力学の一次比例を持ってくることに、特に問題はありません。むしろ、通常空間も亜空間も類似の法則で記述できるのではないか? と期待するのは当然のことです。自然科学の方向性は、できる限り少数の法則で宇宙を記述することですから。
 しかし、それが許されるのはあくまで仮説の段階までです。それを確かな理論として周囲に認めさせるには、実験や観察で裏付ける必要があります。
 パンツァーさんの論は、そのような裏付けを持っていません。よって、それは『未検証の仮説』に過ぎず、具体的な見積もりや主張に使えるだけの確からしさを持っていません。

> >  先の例に戻りましょう。模型飛行機しか知らない人々が見せられた実用機と言うものが、現代技術で作ることができる最大級の飛行機だったとしたらどうですか(そうでないという保証は全くないでしょう?)。
> >  その時も、パンツァーさんは、『3倍程度の実用機が飛べない確率は0.0001%です』と主張されますか。
>
> 「現代技術で作ることができる最大級の飛行機」だと分かっていれば、もちろん、そのような主張は致しません。
> 作品中に、ガイエスブルグ要塞が質量的に、ワープの限界であることを示唆する記載でもあれば、もちろん、このような主張はしない、ということです。
>

 なるほど。
 しかし、イゼルローンはガイエスブルクの2~3倍の体積(おそらく質量も)を持っています。別に、ガイエスブルク自身は限界に近くなくとも、それを2~3倍にすれば限界を超えてしまう、ということはさほどおかしくもない話です。(通常、限界ラインの半分以下にあるものは、『限界に近い』とは言わないでしょう)
 ガイエスブルクがそのような位置にはない、ということはどのように保証されますか。

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board4 - No.6193

Re:90式戦車の渡河能力

投稿者:SUGOIDO
2005年01月13日(木) 01時18分

> しかし、いくら何でも劇中に書かれているほど、
> 下面装甲は薄くない・・・エアコンを馬鹿にした記述があるが、
> 炎天下の戦車内のことには全く無知らしい。銀英伝ではあれほど
> 「士気」にこだわっていたのに・・・

90式のエアコンはNBC兵器に対するもので、最近の戦車にはほぼ標準装備です。
おそらく名前だけ見て、内容は把握されずにかかれたのでしょう。
冷暖房に関しては、90式はヒーターは付いていますが冷房はないです。
日本の気候では不要とされたのでしょう。北海道での運用前提だという噂もありますけど。
自衛隊の車両で冷房が付いてるのはパジェロだけで、エンジンと一体化
されているため取り外すとかえってコストがかかってしまうからだそうです。

ちなみに中東仕様の戦車は冷房完備だそうです。命に関わるからでしょう。

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board4 - No.6194

さて

投稿者:パンツァー
2005年01月13日(木) 14時20分

>  簡単にまとめましょう。
>  ラインハルトやヤンが通常の人間だったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、人造人間であったとすると、非常に多くの不整合が生じる事になります。判断材料は多く、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽であると言えます。
>  イゼルローンを移動要塞化可能であったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、移動要塞化不可能だったとしても、特に不整合は生じません。判断材料は乏しく、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽は判定不能となります。

このような論理にとって致命的な、簡単な例をあげましょう。
銀英伝には、さすがスペースオペラと謳うだけあって、数々の人物が登場しますね。ヤンやラインハルトのような主人公とは異なり、名前だけしか出てこないような人物もたくさんいるわけです。
このような「名だけの人物」は、つまり、Nightさんのいう判断材料が、イゼルローン要塞化関連よりも乏しいわけです。このような人物が人造人間であるか否か、という問いに対して、どのように答えるのでしょうか?
上の論理に従えば、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題すら判定不能であるならば、判断材料がイゼルローン要塞化関連よりも乏しい「名だけの人物」などは、さらに判定不能であることは自明である、ということになりませんか。

まあ、一つ、うまい言い訳を考えてみてください。

私が正しいと考える作品解釈法は、No6174「作品の解釈について」で述べたとおりですので、再掲する必要は無いですね。
この作品解釈法なら、「名だけの人物」であっても、作品に特別設定がない以上、我々の世界の常識を適用して、当然、通常の人間であることが明らかである、となるわけです。

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board4 - No.6195

格差の重みに関する説明

投稿者:パンツァー
2005年01月13日(木) 14時48分

>  『質量増大と、困難度との対応を、対数で捉えてます』とありますが、通常の比例でなく対数を採用する根拠は、何ですか? 例えば、『ワープ技術の発展の歴史を最初から追いかけると、ワープ可能な質量の増大と、それを達成するための困難度(例えば、開発期間)との間には、対数関数的な関係が見られる』というようなワープの実情との比較があれば、そのような仮定にはまだしも妥当性があると思われますが、何もない所からいきなり仮定を出しても、それで正しい答が得られる保証は全くありません。
>  一番肝心な所で適当にお茶を濁しておいて、結果だけは正しいものが得られると信じ込んでいる。現実との比較は一切無い。それは楽観的を通り越して無謀、無茶の類です。これが学術論文だとしたら、このような曖昧なものを良しとする指導教官もレフリーもいるわけがありません。

結果として、「対数」的な把握になっていたと言うことです。
数学的にうまく説明できれば良いのですが、現時点でどうも、完全に数式でモデルを説明できないので概念で説明します。

質量増大に対して必要な技術レベル(困難度)の向上について考えます。

(1)A:1倍 対 B:10倍
(2)A:10倍 対 B:100倍
(3)A:10000倍(1万倍) 対 B:100000倍(10万倍)
(4)A:100000000(1億倍) 対 B:1000000000(10億倍)

(1)(2)(3)(4)のいずれも、質量差では、10倍の格差です。
しかし、(1)の場合と、(2)の場合、(3)の場合や(4)の場合とでは、格差の重みが違うのですよ。
同じ10倍の格差であったとしても、A側の質量増大量が増加するにつれて、格差の重みが軽くなっていくのです。

(2)の場合、Aの困難度を1と見積もると、Bの困難度は、Aの困難度を2回経ることになるのだから、2と見積もれます。
(3)の場合、Aの困難度を1と見積もると、Bの困難度は、Aの困難度を2回は経る必要がなく、1回と、1/10回分(10000/100000)程度、すなわち、1.1と見積もれます。
特に、(1)の場合、Aの困難度は無です。1倍ということは、技術レベルの向上が不要である、ということです。これに対して、Bには、技術レベルの向上が必要です。したがって、Bに要求される困難度は、もし無であるAの困難度を基準とすると、無限大ということになります。

相対的な達成目標の差(上で言えばAとBの達成目標の差)に10倍の差があったとしても、ベースとなる達成目標(上で言えばAの達成目標)が大きくなるにつれ、格差の重みは小さくなっていくのです。

結果が対数的になったと言うのは、上の考えによる推論の結果です。
私の力量不足を認めますが、これ以上のうまい説明は現時点ではできそうにありません。

それでも、上の(1)の場合の問題のように、格差の重みが、ベースとなる達成目標の大きさによって変化する、ということはおぼろげながらでも、理解していただけるのではないか、と期待しています。特に、技術屋とお伺いしましたから、Nightさんは。

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board4 - No.6196

作品解釈論:ワープエンジンの場合

投稿者:パンツァー
2005年01月13日(木) 15時09分

>  (1)のルールを適用すると、以下のような形になると思われます。
>
> 『銀英伝世界の物体運動も、現実世界の物体運動も、同じニュートン力学が支配する』
>
>  しかし、このルールをワープに適用するなら、その結果は以下の形以外考えられません。
>
> 『銀英伝世界のワープも、現実世界のワープも、同じワープ理論が支配する』

そのようには考えません。
ワープエンジンなるものも、我々が知っているエンジンの同等物と考えるが、その出力結果に関しては、ワープと言う超絶的な空間移動を引き起こす作用がある、と考えるのです。逆にいえば、出力結果だけ、作品設定に従うのです。もちろん、他にも、作品で設定されている部位があれば、それに従います。
このように考えることで、ガイエスブルグ要塞のワープや問題となっているイゼルローン要塞のワープだけでなく、一般の艦船のワープに関しても、問題なく理解できます。

この解釈に従うからこそ、我々が知っているエンジンに指向性(特別な方位だけにしか作用しないとか)などないから、例えば私が例示している同盟軍艦船によるフェザーンへの航行可能性なども、問題なく、可能である、と言う結論になります。

逆に、このような解釈をしなければ、ワープエンジンには実は指向性があるのではないか、とか、特定の質量では作動しないのではないか、とかいろいろな疑義を生じることになるでしょう。このような問題を組み合わせれば、帝国軍の艦船がフェザーンを通過したからと言って、同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できるとは、いい得ない、という問題も発生するのです。

まあ、人造人間の話と基本的に同列の話ですので、
こちらの話は、
人造人間の話が解決してからでもよいでしょう。


>  しかし、イゼルローンはガイエスブルクの2~3倍の体積(おそらく質量も)を持っています。別に、ガイエスブルク自身は限界に近くなくとも、それを2~3倍にすれば限界を超えてしまう、ということはさほどおかしくもない話です。(通常、限界ラインの半分以下にあるものは、『限界に近い』とは言わないでしょう)
>  ガイエスブルクがそのような位置にはない、ということはどのように保証されますか。

以前「臨界点」という話がありましたが、これを聞いて私は核反応を思い浮かべましたね。

例えば、原始的な核爆弾(ウラン式)であれば、臨界反応が発生しない質量にウランを分離しておき、起爆させる際に、分離したウランを合体させるわけですね。
で、このような話をしていたらですよ、限界ラインの半分以下だからと言って、気にしないわけにはいかないとおもいますけどね。

蜃気楼さんも、No6178で、
「イゼルローンがワープできないということは、ガイエスブルクのワープが非常にに危険かつ困難ということになると思うのですが。」
と言っていたように、普通、こういう場合、大いに気になるものだと思いますが。

シャフトの言を素直に解釈するのが、妥当な解釈だと思いますがね。
なにか示唆するような内容があってのことならともかく、なんの根拠もなく、「素直な解釈」に対する反対解釈を行おうとするのは、非常に主観的な態度だと思いますがね。

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