- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6206
自縄自縛
- 投稿者:パンツァー
- 2005年01月21日(金) 13時03分
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明に対しては、
Nightさんも言い尽くしたようなので、
それについて、どういう論理なのかを分析してみることにしましょう。
私が、
No6174「作品の解釈について」で述べているような基準を示してくれると、
分かりやすいのですが、そういう要点を述べてくれてないので、このような分析が必要です。
No.6185のNightさんの記載
> ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間かもしれない。
> そのように言われたとしても、日常生活では一笑に付して終わりにします。しかし、科学の世界はそうではありません。可能性はあるのではないか、とひとまずは疑ってみることこそ、科学の基本です。
> 作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。そのように考えていけば、ラインハルトやヤンを人造人間とする判断材料は全くと言っていいほどなく、逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。よって、ここまで検討して初めて、『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』という結論を出す事になります。
> お分かりでしょうか。
> 科学的に考える、とはこういうことです。
(以下略)
No.6185やNo.6188で、Nightさんは、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明を、やったと主張しているわけです。
Nightさんの場合、
(1)作品設定との整合性
(2)作品中の参考になる直接的記載
を、どうも、判断材料にしているようですね。
(1)に対応する部分は、上記において、
「作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
のあたりでしょう。
(2)に対応する部分は、上記において、
「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
のあたりですね。
No.6188では、もっと詳細に書いてますね。
次いで、No.6197で、
作品中で、名前だけしか出てこないような「名だけの人物」について、
「この名だけの人物は、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明を、やったと主張しているわけです。
ここでは、
(1)に対応する部分しかありません。
では、これから、
(1)(2)がどのような判断基準であるのかを、
検討してみることにしましょう。
(1)については、
これは、明らかに作品設定との整合性を損なわない限り、作品設定を重視するべきではないでしょう。
というのも、Nightさんは、No.6182で、
「この議論では、できうる限り現実世界の科学の手法を議論に取り込むべきであると私は考えています。」
と文章を始め、
「(以下、『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』第2章P43より)
<そして、新しいアイディアが出れば、それがどんなに奇妙なものであっても心を開いて受け止める一方で、新しいアイディアであれ定評ある学説であれ、とことん疑ってみるよう強く迫るのである。こうした思考法は、めまぐるしく変化する時代の民主社会にとっても欠かせない道具になってくれるだろう。>」
と述べて、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張しています。
また、No.6197でも、
「ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。」
と述べており、同じく、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張しています。
このような見方をしたい理由は、
もちろん、
「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」
といったことを、
素直に認めないで済むためでしょう。
私がダブルスタンダード(二重基準)の可能性があると主張しているのは、
「イゼルローン要塞のワープ」に関することと、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」といったような作品の他の内容とで、
Nightさんが、異なる判断基準を用いているのではないか、と
疑っているためです。
Nightさんが、どちらにも同様の基準を適用しているのであれば、
ダブルスタンダードではないでしょう。
で、(1)の検討に戻りますが、
Nightさんは、上のように、「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張している以上、
「作品設定との整合性」は、明らかに反する場合を除いては、すべて検討する必要がある、ということなのです。
例えば、作品中に明らかに記載のある「劣悪遺伝子排除法」が実は存在しなかった、とか主張するのであれば、「作品設定との整合性」に明らかに反するでしょうが、そうでないかぎり、どのような想像も可能なのです。
つまり、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明において、
「ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然」とか、そんなことは、なんの証明の材料にもならないのです。
別な解釈の可能性を制限するものでは、全然ありません。
Nightさんが自分で、「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張している以上、
(1)「作品設定との整合性」などは、論理的に明らかに反する場合(「劣悪遺伝子排除法」が実は存在しない等)を除いて、全然、違反しても問題ないのですよ。
(「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という素直な解釈をせずに、「ワープできない質量帯が存在するかもしれない」と主張するのですから。)
次に、(2)の検討に入ります。
「(ヤンやラインハルトは)逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
を、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明の有力な根拠としていますが、これは間違いでしょう。
ヤンやラインハルトの人間らしい素振りや天才的な思考力を示す作品中の記載は、あくまで、彼らが人間であること、を示す程度のものでしょう。
その人間が、自然の人間か、遺伝子工学的加工を受けた人間か、を特定する材料ではありえません。
私は、No.6185では、既に以下のように述べております。
「それから、上で、
「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
などと書いていますが、
ヤンやラインハルトの日常(および非常)生活の描写などから、「通常の人間」と確定する根拠が見つかるとでも思っているのですか?
例えば、オリンピック選手が筋肉増強剤の使用者か否かを、尿検査等の特定検査を行うことなく、一般の我々が判別することなど、まずできませんよ。違いがどこにあるかなど、分かるものですか!」
繰り返しますが、
作品中の記載に、ヤンやラインハルトが、「人間か非人間か」、を判定する材料はあるとしても、「人間であって、自然の人間か、遺伝子工学的加工を受けた人間か」を特定する材料は、ありません。
カラスの例でいえば、シルエットだけはカラスと分かるが、その羽根の色が黒か白かを特定する材料は何一つない、といったところですね。
したがって、
(1)作品設定との整合性
(2)作品中の参考になる直接的記載
のみを用いて、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明は、できません。
「ラインハルトやヤンは、自然の人間とは言い切れず、遺伝子工学で作り出された人造人間かも知れない」
という結論にならざるを得ないでしょう。
再び、ダブルスタンダードの話に戻りますが、
(A)「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」という命題と、
(B)「異なる質量一般において、質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである、が正しい」という命題とで、
Nightさんは、同じ判断基準を用いているのでしょうか?
同じ判断基準を用いているのであれば、
結論は、(A)(B)のどちらも「正しいとは言い切れない」という結論にならざるを得ないと思いますね。
ここで、(A)(B)のどちらも「正しいとは言い切れない」と分かっていながら、あえて、
(B)が証明してみろ!、などと上の判断基準を用いて、主張していたのであれば、これは、ダブルスタンダードですね。
銀英伝の記載内容だけは確からしいことはいえそうにないという結論を隠しながら、自分にとって都合の悪いifである(B)のみを、証明できないものである、と主張していたのですから。
もちろん、(A)は正しいと証明できるが、(B)は正しいと証明できない、
と、説得力のある論拠に基づいて説明できるのであれば、
ダブルスタンダードは発生しません。
しかし、
果たしてそれができますかな。
No.6185やNo.6188、No.6197でのNightさん主張の矛盾を、
上に示しているので、これを打ち破るだけのうまい論を探し出してみてください。
上の内容に対する回答を、私の方より強く要求します。
これで、Nightさんが、私が抱くダブルスタンダードの懸念を打ち破ることもできるのですから。
これ以上、上の質問から逃げないで頂きたい。
この質問こそが、ダブルスタンダードの懸念に対する核心部分なのですから。
No.6204では、下のように書いて、まったくまともな回答をしていないではありませんか。
> 上で検討したような、Nightさんの主観がありありとあらわれるような判断基準((1)(2)(3)の解説文など)を用いて、「客観的かつ科学的」だといえるとでも思っているのですか?
> まず、自分の説が、主観の拘束を離れた客観的な議論であることを、明確に説明するのが筋ではありませんか。
これについては、上を御覧下さい。
なお、客観的とは『普遍妥当性を持っている』ということですから、最終的には、このように二人だけで議論をしている状態では何も解決しないと思われます。おそらく、もっと大勢の議論の場の中で多数決を採るような方法でもない限り、それを実感したり、納得したりすることはお互いにできないと思います。
ですから、今回の議論の結果については、これを現在読んでいらっしゃる方、もしくは、将来、過去ログの形で読むことになられる方(両方とも、もしいればですが)に判断をゆだねたいと思います。それ以上のことはできません。
「科学的」とか主張している人が、多数決が妥当、だと考えるのですか?
科学的な思考が一般的になったのは、精々近代以降の話ですよ。
中世の暗黒時代とか、多数決で決定したら、どうなると思うのです。
再度繰り返しますが、
Nightさんの説が「客観的かつ科学的」であることを、是非とも説明してください。
(A)「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」という証明を、上のような判断材料を元に、どういう論理に従えば、行なうことができるのか、説明してください。
ここで、ダブルスタンダードの懸念に対する決着がつけられるでしょう。
ちなみに、タイトルの「自縄自縛」とは、
「できうる限り現実世界の科学の手法を議論に取り込むべき」として、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張したことに、
そもそもNightさんの論を破綻させている、
ということを意味するものです。
これがディペートだとしても、Night側の立場には立ちたくありませんね。勝ち目がなさそうですから。
****
それから、私に是非に回答を要求したい点については、
別に列挙しておいてください。
また、後ほど回答していきましょう。
- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6207
お手伝いありがとう!
- 投稿者:パンツァー
- 2005年01月21日(金) 13時27分
> 少なくとも、ムーアの法則(半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する)に関しては、『ベースの達成目標が大きくなるにつれて格差の重みは軽くなる』という主張は成り立っていません。性能が1倍→2倍→4倍→8倍→16倍→32倍と推移していく時、各推移に必要な開発時間は等しい(つまり、ベースの達成目標がどのような値であっても、そこからさらに2倍にするのにかかる時間は同じ)ということをこの法則は言っているわけですから、『格差の重みは変化しない』ということになります。
No.6195を読み返していただきたいですが、
私の言っているベースの達成目標とは、
艦船級(100万トンクラス)のワープからガイエスブルグ要塞(40兆トン)のワープを達成する帝国軍と、
100万トンクラスからイゼルローン要塞のワープを達成する同盟軍との比較において、
ガイエスブルグ要塞(40兆トン)のワープの達成のことを言っているんですよ。
上であげてる「ムーアの法則」の例であれば、
A社:1倍→16倍と、
B社:1→32倍との比較で、
A社の達成目標のことを、ベースの達成目標である、といっているのです。
ここで、
1倍→2倍
2倍→4倍
4倍→8倍
8倍→16倍
16倍→32倍
上の5つの場合で、各推移に必要な開発時間は等しい、といっているのですよね。
この開発時間を、1単位の開発時間としましょう。
A社:1倍→16倍には、4単位の開発時間を要するとすれば、
B社:1→32倍には、5単位の開発時間ですね。
B社は、1.25(5/4)倍の時間が掛かるというわけです。
A社:1→2倍に、1単位の開発時間を要し、
B社:2→4倍に、2単位の開発時間を要するとすれば、
B社は、2(2/1)倍の時間が掛かるというわけです。
ベースとなる達成目標が大きくなれば、
格差の重みは、同じ2倍の推移の達成であっても、徐々に軽くなっていくのです。
おお、上のモデルは、
まさに、私が主張している一般論を説明するものです。
論拠の提示、ご支援、ありがとう!!!
> 結局の所、そういう詳細が良く分からないのです。モデルが何を受け取り、それをどう解釈して、いかなる結果を出すか、というロジックが。
別に関係ないでしょう。
例えば、上のムーアの法則の話では、
Nightさん自身が、開発時間を、「困難度」の相当物と見ていたわけですから。
この点については、Nightさんが開発時間を「困難度」の相当物と見ている感覚に、私も一致しています。
- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6208
Re:作品解釈論:ワープエンジンの場合
- 投稿者:パンツァー
- 2005年01月21日(金) 23時58分
どうも、私が回答していないことは、
私の弱点のように勘違いしているようなので、
下の問いにも一応答えて起きましょう。
ちなみに、私が回答していない部分と言うのは、
他の部分のNightさんの回答が終了すれば自然解決する部分なので、
あえて今すぐ論じる必要を認めていないに過ぎません。
何もかも、答えているほど、
時間的余裕もないのですよ。
話の流れの全体像の把握を、Nightさんにお願いしたいところです。
> 以前に述べましたが、およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンスです。『疑義が生じるから、他の可能性については考えないようにしよう』というのは、そのスタンスに真っ向から反することになります。
> 我々が知らないだけで、ワープエンジンには何らかの指向性があるのかもしれない。動作できない質量があるのかもしれない。本編の記述から得られる判断材料だけでは、結局、それらの詳細については良く分からないのです。ですから、『ワープエンジンに指向性は無い』『いかなる質量でも動作できる』という説には、『未検証、確実でない』というラベルをきちんと貼っておかなければならないのです。
上のは、ワープエンジンなるものをどう解釈するか、と言う話でした。
私は、普通、作品を読む際は、誰であっても、我々が知っている常識の範囲で先入観を設定して、それを作品の直接的記載に基づいて修正していく、という作業を行っているはずだ、と述べているに過ぎないのです。
ワープエンジンなるものも、我々が知っている「ジェットエンジン」などの同等物だと、とりあえず、考えるに違いない、と言っているのです。
おそらく、小さな艦艇に積んでいるエンジンと、戦艦等の大型艦に積んでいるエンジンとでは、戦艦等のエンジンの方が大型で出力も大きい、くらいのことは自然、当然だと思って、作品を読み進んでいるでしょう。それは、ニュートン力学的解釈をしていることになるでしょう。
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」である、結構でしょう。
であるならば、
そのスタンスにしたがって、ワープエンジンなるものを解釈してみたらよいのです。
> ワープに関する命題の真偽については、これまで説明してきた真偽判定を行うしかありません。もう一々繰り返しませんが、同盟艦船がフェザーンに行けることを真とする判断材料は多く、偽とする判断材料はほとんど無い。そのような検討を経た結果、『同盟艦船がフェザーンに行ける』という命題はほぼ確実に真と言えるのであって、『疑義が生じるから、他の可能性については考えない』というような理由で、考えるのをやめるべきではありません。
だから、
No.6196で私が提示した内容
「この解釈に従うからこそ、我々が知っているエンジンに指向性(特別な方位だけにしか作用しないとか)などないから、例えば私が例示している同盟軍艦船によるフェザーンへの航行可能性なども、問題なく、可能である、と言う結論になります。
逆に、このような解釈をしなければ、ワープエンジンには実は指向性があるのではないか、とか、特定の質量では作動しないのではないか、とかいろいろな疑義を生じることになるでしょう。このような問題を組み合わせれば、帝国軍の艦船がフェザーンを通過したからと言って、同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できるとは、いい得ない、という問題も発生するのです。」
に、
答えてみてください。
上の記載にも書いていますが、
Nightさんの方で、
「帝国軍の艦船がフェザーンを通過した」からと言って、
「同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できる」
とする根拠は一体なんですか?
帝国軍の艦船のエンジンと、同盟軍の艦船のエンジンとについて、
なにか関係を示すような記載がありましたか?
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」だというわけですからね。
例えば、
帝国軍の艦艇が、すべての方位に向けてワープできるのかどうかすら、
はっきり言って、わからないのではありませんかね。
作品中に記載されている、ワープの実行された方位については、可能だといいえても、
ひょっとしたら、作品中に記載のない方位へのワープは不可能かもしれませんよ。
特定の質量帯でワープができないかもしれないことも、疑わざるを得ないのですから。
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」を採用するとなると、
この種の疑問にすべて尽く、回答する必要があるわけですよ。
そんなことが果たしてできますかね。
いくらでも、意地悪な質問を考えてみますよ。私は。
はっきり言ってね、
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」を実のところ、
Nightさんは、採用していないように見えますね。
-
- board4 - No.6209
ああっ、過ぎ去り日!!
- 投稿者:もう社会人
- 2005年01月22日(土) 03時47分
久しぶりに懐かしく拝見しました。昔、このページに来て、今いらっしゃるかは分かりませんが、恵さんや不沈戦艦さんとお話したのが懐かしく思いだされます。皆様お元気のようですね。小説内での明らかに実話に元をおいた事象による社会評論は許容できるのかというやつでしたか、ほとんど内容は覚えていませんが。ちなみに、今でもできるんでないかなと思ってはいますけども。
当時、もう田中作品への興味は失せつつありましたが、やっぱり、なんか田中氏がこのページで批判されているといやな気になり、反論してみてなかなかうまく言葉が出なかったのを思い出します。今は、アル戦とタイタニアの新刊が出たら立ち読み位はするかもしれません。
今、やや田中氏に挑発的に書かれているこのページの一部分を見ても、まったく心の揺れを感じません。小林よしのり氏や塩野七生氏に対するように、本は読むけどその思考の偏りを理解して、敬して距離を置けるようになれたということは自分が成長したんだなと思います。(当方、切り上げで30歳です。)
なつかしいです。しみじみ。
- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6210
個別に回答
- 投稿者:パンツァー
- 2005年01月22日(土) 14時24分
面倒ですが、No.6204の内容にも個別に回答を与えておきましょう。
言葉尻を捕らえるのも結構ですが、
No.6204でも私が述べているように、証明の対象としているは、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということですね。
これが証明できない場合は、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間であるとは言い切れない」
となるわけです。
> 一つの命題を確実に判定する直接的な証拠は、得られないことが多いのです。そのような場合は、間接的な証拠を一つづつ積み上げていくことで、確からしさを上げていくしかありません。
> それは白いカラスを探す作業に似ています。我々の周囲にいるカラスは全て黒い。しかし、だからと言って『カラスは黒い』という命題は真と言えるでしょうか。
まだ、こういう話であれば説得力がありますが、
No.6204でも私が述べているように、
ヤンやラインハルト、さらには、「名だけの人物」に関して、
「自然の人間か、遺伝子工学等の改造を受けた人間か」を判定する材料はありません。
「自然の人間」であることを明らかに示すような記載は、見当たらないわけです。
あるのは、「非人間ではなく人間」であることを示す記載であって、
人間であるならば、「自然の人間か、遺伝子工学等の改造を受けた人間か」を問わないような記載ばかりです。
> 私の出した判定結果をきちんと読んでいないとしか思えません。
> 私が出した結果は、『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』という命題は『おそらく偽』です。
> その前に『以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しないか、いたとしてもごくわずか』ともきちんと書いてあります。
あの、一人でも「人造人間」がいれば、
『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』の逆、
『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』が偽である場合の命題
『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいない』
は、いえませんよ。
だいたい、『おそらく偽』って、なんですか?
そんな便利な言葉があるなら、私も使いますよ。
『「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」が質量一般で成り立つ』
これは「おそらく真だ」、と。
『おそらく偽』なんて言ったら、なんの証明にもなっていないでしょう。
それとも、「おそらく偽」を「偽」と認定する上で、
なにか境界線でも、客観的根拠に基づいて引くことができますか?
ある条件を満たす「おそらく偽」は、「偽」と認定することができる。
しかしこの条件を満たさない「おそらく偽」は「偽」と認定することができない、とか。
例えば、判断材料の数で、上のような「おそらく偽」を「偽」と認定するような考え方もありえるかもしれません。
Nightさんが引用している1000匹のカラスの話であれば、
1000匹も判断材料があるなら、まあ、
「カラスは黒い」を「おそらく真」のレベルから「真」と認定しても良いのではないか、と。
しかし、判断材料の数で決めるとするなら、
No.6194やNo.6200で既に私が述べているように、
「ヤンやラインハルト」の場合には都合が良くても、「名だけの人物」の場合には、
致命的な問題を引き起こすことになるでしょうね。
しかも、上でも、No.6206でも述べているように、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」と証明するような材料は何一つ無い現状では、
結局、Nightさんの自由な想像力の発揮による主観的な作品設定の解釈、しか、判断材料はないわけですよ。
そんないいかげんな判断材料によって、
「おそらく真」とか「おそらく偽」とか勝手に認定したり、
さらには、
「おそらく真」のレベルから「真」と認定したり、
「おそらく偽」のレベルから「偽」と認定したり、
してもらっては、困りますね。
> その前に『以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しないか、いたとしてもごくわずか』ともきちんと書いてあります。
繰り返しますが、
「ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。」(No.6197)
とか、
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンスです。『疑義が生じるから、他の可能性については考えないようにしよう』というのは、そのスタンスに真っ向から反することになります。」(No.6199)
とか言っている当の本人が、
『以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しないか、いたとしてもごくわずか』
なんていう結論を、簡単に出さないで頂きたいですね。
「作品の設定」は、この場合、素直に読み取れる解釈以外に疑わないのですか?
また、Nightさん流の解釈の「作品の設定」が、絶対的根拠になりうるのですか?
私がNo.6200で提示したような「作品の設定」を全否定できる客観的根拠が、Nightさんの主観的結論の他にありますか?
つまり、なんらかの作品中の記載から、Nightさん流の解釈を絶対化するような、一義的に導けるような内容がありますか?
それから、
「いたとしてもごくわずか」
この部分は、致命的ですよ。
一人でもいたら、破綻するんですよ。
いいですか、
「以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しない」というのと、
「以上の全ての(中略)いたとしてもごくわずか」というのは、
意味がまったく異なるのですよ。
「以上の全ての(中略)いたとしてもごくわずか」というのは、
言い換えれば、「いるかもしれない」と明言しているわけですよ。
自ら、『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』が真であるとは証明できなかった、と主張していることになるのですよ。
だいたい、
『「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」が質量一般で成り立つ』
において、
「ワープできない質量帯はまったく存在しないか、あるとしてもごくわずか」
とか言えば、それは
『「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」が質量一般で成り立つ』
を「ほとんど真」と認定してよいことになるのですか?
相互比較をしっかりして、自らの論を展開することですね。
> 何度も書いていますが、一読者として作品をどう解釈するかは、個人の自由です。
> 私自身は、『もし、銀河英雄伝説という物語が、作られた天才達の物語だとしたら、作者は主題を明確にするためにも、最初からそのような重大な事実については明記し、彼らの出生についても必ずや明らかにしただろう』と思いますし、この推論は多くの方に納得していただける強力な間接的証拠と思いますが、どうあってもこのような推論を証拠としては認めない、という方もいると思います。
これって、もろに、作品設定を素直に解釈すべし、という主張に見えますが、違うのでしょうか?
「ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。」(No.6197)
とか、
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンスです。『疑義が生じるから、他の可能性については考えないようにしよう』というのは、そのスタンスに真っ向から反することになります。」(No.6199)
とか言っている人のご意見とは、とても思えませんね。
作品設定を素直に解釈したいのですか?
それとも、「科学のスタンスとやら」で、あくまで判断したいのですか?
一体どっちです?
「科学のスタンスとやら」を判断基準にして、
作品を詳細に検討した結果、
作品設定を素直に解釈することになった、
と言いたいのでしょうが、
そもそもこんなことは原理的に不可能なのですよ。
「作品設定を素直に解釈」するなら、思索の範囲がそれによって制限されてしまうのです。疑うべき範囲がなくなってしまうのです。逆に、「科学のスタンスとやら」を判断基準にして、何もかも疑うなら、「作品設定を素直に解釈」することはできなくなるのです。
そういえば、
異性人がヤンやラインハルトを改造した可能性ってのは、
どういう理由で否決したのでしたっけ?
別に異性人の存在が否定される記載があったわけでもないのに、作品設定にそぐわない、とか、そんな理由でしたね。
要は、この段階で、Nightさんの主張する「科学のスタンスとやら」が、すでに制限されてしまっているんですよね。
あと、ワープエンジンの話は、No.6208に書いたので、
ここでは省略します。
> なお、前回、申し上げましたように、ダブルスタンダード疑惑については、きちんと決着を付けたいと私は思っています。ですから、パンツァーさんは、私がダブルスタンダードであることをきちんと証明されるか、自らの発言を撤回されるかを選んでください。
楽しみにしていますよ。
いよいよ、ほぼ決着がつきそうですからね。
それというのも、Nightさんの説が分かりにくいのが原因ですよ。
Nightさん自身も、こんな矛盾を引き起こすくらいだから、全然自説の全体像をつかみきれてないのではないかと思いますがね。
- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6213
Re:個別に回答
- 投稿者:Night
- 2005年01月23日(日) 02時40分
何と言って良いか分かりません。
同じ日本語を話しているのに、何故、話が通じていないのか。正直、絶望的な気持ちです。これまで話し合ってきたことも、全て無駄に思えてきました。収穫としては、話の通じない人と議論をするのは、言葉の通じない人と議論をするよりはるかに困難だということが分かったことです。
ですから、この投稿には真偽判定に関するまとめを書いておくつもりですが、おそらく、パンツァーさんには理解できないでしょう。これはどちらかと言えば、私自身のけじめの為に書いておくものです。
なお、他のスレッドにもいくつかの投稿がついているようですが、それらに対して返答をするつもりはもうありません。これ以上、パンツァーさんと議論する事は全く時間の無駄だからです。
> No.6185やNo.6188で、Nightさんは、
> 「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
> ということに対する証明を、やったと主張しているわけです。
ただ、ため息をつくばかりです。
私が出した判定結果は『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』ということです。
彼らを自然の人間だと言い切る(=証明する)ことはできません。それはこの命題に関して詳細に検討した時にも、白いカラスの時にも、おりに触れて何度も何度も繰り返し説明してきたことです。なのに、まるっきり話が通じていない。分かっていない。
私が絶望的な気持ちになる、というのはつまりそういうことです。ひょっとしたら分かっているのに分からないふりをしているのではないかとさえ思いましたが、No.6210で同じようなことを言っているところを見ると、本当に分かっていないらしい。あまりに理解力不足と言うしかない。
いずれにしても、時間の無駄、と途中で感じたのは全くの正解でした。今となっては、徒労感でいっぱいです。
私がしてきたことは、ある命題(主張)の真偽を証明することではありません。その主張がどれだけ『確からしいか』を判定することです。
世の中の主張は、ほとんどがはっきりと白黒をつけることのできないものばかりです(例えば、『宇宙の始まりはビッグバンである』とか、『電磁波は人体に有害である』とか)。言うなれば、それらの主張は、黒(偽)が様々な濃度の灰色の段階を経て白(真)に至ると言う灰色の帯のどこかに位置する駒です。私がしてきたことは、色々な主張を『白か、黒か』に分類する定性的な作業ではなく、『どのレベルの灰色か』として判定する定量的な作業です。
ある主張が『ほぼ確実に偽』であるとは、その主張が黒のほぼ近くに位置することを指します。これは、その主張が真であることはほとんどありえない、ということを指します。つまり、ラインハルトやヤンが人造人間であることは、非常に特殊な一部の状況を除いて、ありえないということです。
ある主張が『おそらく偽』であるとは、その主張が上の場合よりは白に寄った位置にあることを指します。これは、その主張が真であることは期待できないが、ある程度の可能性はある、ということを指します。つまり、銀英伝の登場人物の中に人造人間は全く存在しないか、いたとしてもごくわずかということです。『いたとしてもごくわずか』の部分が、『ある程度の可能性はある』の部分に相当しているということです。
私が言いたいことは、上に書いた通りであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
パンツァーさんがNo.6206やNo.6210のようなことを言い出すのは、私のこれまでの作業を定量的なもの(どのレベルの灰色か調べる)でなく、定性的なもの(白か、黒かを証明する)だと勘違いしているからです。
以上の説明でまだ納得できないのであれば、一度、統計や検定について勉強してみることをお勧めします。そこでは、ある実験結果から、仮説がどの程度の確からしさ(確率)で言えるかを計算する手法が説明されています。
> 例えば、作品中に明らかに記載のある「劣悪遺伝子排除法」が実は存在しなかった、とか主張するのであれば、「作品設定との整合性」に明らかに反するでしょうが、そうでないかぎり、どのような想像も可能なのです。
>
> つまり、
> 「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明において、
> 「ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然」とか、そんなことは、なんの証明の材料にもならないのです。
> 別な解釈の可能性を制限するものでは、全然ありません。
想像するだけならどのような想像も可能です。そんなことは当たり前です。
私がこれまでの判定でずっと問題にしていたのは、『その想像が現実である可能性はどれくらいか』ということです。
『実は、作者は、二人が人造人間だということを良く知っていたが、単にそれを書き忘れた』
『実は、人造人間技術は銀英伝世界で一般的に公開されており、人造人間も珍しい存在ではないのだが、偶然、銀英伝の描写の中からはそれに関することが完全に欠落してしまったのだ』
『実は、ヤンの父親は嘘をついていて、知り合いの研究者に大金を積んで、ひそかに実験段階の人造人間技術を息子に施してもらっていた』
以上のように想像することは可能です。しかし、これらの想像が意味するところは非常に不自然であり、現実である可能性があまりに少ないため、これらの解釈を現実的な解釈として認めることは非常に困難です。そういうことを私はずっと説明してきたのです。『別な解釈の可能性を制限するものでは、全然ありません』というのは、そういったこれまでの説明を全く無視した(もしくは全く理解できないでいる)発言です。
> 次に、(2)の検討に入ります。
> 「(ヤンやラインハルトは)逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
> を、
> 「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明の有力な根拠としていますが、これは間違いでしょう。
> ヤンやラインハルトの人間らしい素振りや天才的な思考力を示す作品中の記載は、あくまで、彼らが人間であること、を示す程度のものでしょう。
> その人間が、自然の人間か、遺伝子工学的加工を受けた人間か、を特定する材料ではありえません。
>
> 私は、No.6185では、既に以下のように述べております。
> 「それから、上で、
> 「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
> などと書いていますが、
> ヤンやラインハルトの日常(および非常)生活の描写などから、「通常の人間」と確定する根拠が見つかるとでも思っているのですか?
> 例えば、オリンピック選手が筋肉増強剤の使用者か否かを、尿検査等の特定検査を行うことなく、一般の我々が判別することなど、まずできませんよ。違いがどこにあるかなど、分かるものですか!」
再度、ため息をつきます。
結局、上でパンツァーさんが書かれているようなこと、つまり『ヤンやラインハルトの思考力はあくまで通常の人間の範疇である』とか、『ある人間が通常の人間であるか否かは、尿検査等の特定検査を行わなければ判別できない』というような考え方は、上で説明した定性的な考え方(白か、黒かを証明する)です。
私が説明してきたのは、定量的な考え方(どのレベルの灰色か調べる)です。彼らが人造人間であるとすれば必然的に生じるはずの不整合が生じていないと言うことが、彼らが通常の人間であることの間接的証拠です。
彼らが人造人間であるが故に優れた思考力を発揮できるのだとすれば、その思考力があくまで『通常の人間として優れた部類』であったとしても、彼らのことを人造人間と知っている人々は(本人達も作者も含めて)、そのことに対して『やはり、人造人間は通常人とは違う』というような感慨を抱かずにはいられないでしょう。しかし、そのようにはなっていない。つまり、彼らはそもそも人造人間でないか、あるいは彼らが人造人間であることを誰も知らないかのいずれかです。後者であることはとても現実的な解釈ではないので、これは前者を支持する間接的証拠となります。
これらの間接的証拠は『彼らは人造人間である』という主張を黒(偽)とする直接的証拠ではありませんが、この主張の位置を黒(偽)の側にシフトさせる材料にはなります。私は、それらの累計をとって、この主張はほぼ確実に偽である、としているのです。
> 「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明は、できません。
> 「ラインハルトやヤンは、自然の人間とは言い切れず、遺伝子工学で作り出された人造人間かも知れない」
> という結論にならざるを得ないでしょう。
その通りです。そうだとこれまでに何度も何度も繰り返し説明しています。
パンツァーさんを相手にしていて徒労感に襲われるというのは、つまりこういうことです。パンツァーさんが「反論」だと思い込んでいることは全部、既に私の結論の中に組み込まれていることばかりです。結局、私の出した結論の意味するところが分かっていないのです。
> 再び、ダブルスタンダードの話に戻りますが、
> (A)「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」という命題と、
> (B)「異なる質量一般において、質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである、が正しい」という命題とで、
> Nightさんは、同じ判断基準を用いているのでしょうか?
>
> 同じ判断基準を用いているのであれば、
> 結論は、(A)(B)のどちらも「正しいとは言い切れない」という結論にならざるを得ないと思いますね。
細かいようですが、(B)は少し違います。私がNo.6188で説明したのは、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題です。
そもそも、私がこれらの命題に対して用いた判断基準は、これらについて詳細に検討した時(No.6188)に全て列挙してあります。それらに対して具体的に異議があるならまだ分かりますが、『結果が、両方とも正しいとは言い切れないになってない』という反論は、要するに何も分かっていないという証拠です。
同じ灰色であっても、白に近い灰色と、中間の灰色と、黒に近い灰色があります。これらを同じように扱うことはできないのです。私がしていることは、一つの主張がどのレベルの灰色に位置するかを調べる事です。
(A)(B)の二つの命題に対して同様の基準を適用した結果、(A)は『ほぼ確実に真』(白に非常に近い位置にあるが、白とは言い切れない)となり、(B)は『判定不能』(どこに位置させるべきか良く分からない。強いて言えば中間)となった。どちらも「正しい(白)とは言い切れない」という結論になっていますが、何か問題がありますか。
> 「科学的」とか主張している人が、多数決が妥当、だと考えるのですか?
> 科学的な思考が一般的になったのは、精々近代以降の話ですよ。
> 中世の暗黒時代とか、多数決で決定したら、どうなると思うのです。
科学的な理論の真偽は多数決で決定できるものではありません。それを定めるのは実験であり、観察です。分かりきったことです。
しかし、実験や観察の結果が信頼できるものであれば、それらの結果を説明できる理論を信じる人間の数は増え、いずれは多数決にもその結果が反映されることになります。それが近代以降の世の流れであり、現代はまさにその時代です。
私が言いたかったのは、二人で議論していて互いに自分の方こそ正しい、と言い合っていても、何も解決しないということです。ならば、客観的とは『普遍妥当性を持っている』ということですから、第三者となる多くの他者の意見を参考にすることは一つの指針になるであろう、ということです。
最後にまとめましょう。
私がこれまで説明してきた事がパンツァーさんにはまるで理解できていない、ということは良く分かりました。ですから、ダブルスタンダードの件についてはもういいです。それを理解せよと言っても、おそらくそれはパンツァーさんの知識や能力を超えていることなのでしょうから。
パンツァーさんの論に関する私の最終評価は、No.6197に書いた通りです。それは科学的に確かなものとは言えず、第三者の客観的な検証に耐えうるだけの強固さを持っていません。論文発表の場に出せば、すぐに粉々にされてしまうようなものです。
いい加減なことを言うな、と思われるのであれば、科学に関する話題を議論しているきちんとした掲示板なり、あるいは学術的な集まりの場などで、多くの人に自分の論を検証してもらって下さい。そこで返される評価も、おそらく私の評価と似たり寄ったりのものになるでしょう。
なお、一番最初に申し上げた通り、これ以上、パンツァーさんと議論する事は全く時間の無駄なので、この件に関して私の方から何かを申し上げることはおそらく無いと思われます。あるとしたら、何らかの見過ごせない事態が生じるか、この件に関して別の方が議論を始めた時になるでしょう。
- 親記事No.6105スレッドの返信投稿
- board4 - No.6214
Re:個別に回答
- 投稿者:議論系掲示板マニア
- 2005年01月23日(日) 08時01分
初めまして。
> 何と言って良いか分かりません。
> 同じ日本語を話しているのに、何故、話が通じていないのか。正直、絶望的な気持ちです。これまで話し合ってきたことも、全て無駄に思えてきました。収穫としては、話の通じない人と議論をするのは、言葉の通じない人と議論をするよりはるかに困難だということが分かったことです。
> ですから、この投稿には真偽判定に関するまとめを書いておくつもりですが、おそらく、パンツァーさんには理解できないでしょう。
確実に、パンツァーさんも同じことを思っているでしょう。
何しろ、ROMっているだけの私でも、同じことを(もちろんNightさんに対して)思いましたから(笑)
> 私がしてきたことは、ある命題(主張)の真偽を証明することではありません。その主張がどれだけ『確からしいか』を判定することです。
> 世の中の主張は、ほとんどがはっきりと白黒をつけることのできないものばかりです(例えば、『宇宙の始まりはビッグバンである』とか、『電磁波は人体に有害である』とか)。言うなれば、それらの主張は、黒(偽)が様々な濃度の灰色の段階を経て白(真)に至ると言う灰色の帯のどこかに位置する駒です。私がしてきたことは、色々な主張を『白か、黒か』に分類する定性的な作業ではなく、『どのレベルの灰色か』として判定する定量的な作業です。
> ある主張が『ほぼ確実に偽』であるとは、その主張が黒のほぼ近くに位置することを指します。これは、その主張が真であることはほとんどありえない、ということを指します。つまり、ラインハルトやヤンが人造人間であることは、非常に特殊な一部の状況を除いて、ありえないということです。
> ある主張が『おそらく偽』であるとは、その主張が上の場合よりは白に寄った位置にあることを指します。これは、その主張が真であることは期待できないが、ある程度の可能性はある、ということを指します。つまり、銀英伝の登場人物の中に人造人間は全く存在しないか、いたとしてもごくわずかということです。『いたとしてもごくわずか』の部分が、『ある程度の可能性はある』の部分に相当しているということです。
>
> 私が言いたいことは、上に書いた通りであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
> パンツァーさんがNo.6206やNo.6210のようなことを言い出すのは、私のこれまでの作業を定量的なもの(どのレベルの灰色か調べる)でなく、定性的なもの(白か、黒かを証明する)だと勘違いしているからです。
> 以上の説明でまだ納得できないのであれば、一度、統計や検定について勉強してみることをお勧めします。そこでは、ある実験結果から、仮説がどの程度の確からしさ(確率)で言えるかを計算する手法が説明されています。
定量的だとかいったところで、それを「おそらく偽」だの「おそらく真」だの「判定できない」だのと区別した時点で、擬似的にせよ定性的にならざるを得ないじゃないですか。そうでないなら、「銀英伝という作品は、田中芳樹が作ったものである以上、彼以外の者が、銀英伝について何らかの考察をすることは無意味である、以上」ってな結論しか出ないと思いますけど。
いや、さらに言えば、本当に田中芳樹が作ったといいえるのか。そもそも銀英伝という作品は本当に存在するのか、我々の妄想の産物ではないのか・・・という風に際限なく進んでいくと思いますけど。
後者の立場に立つならば、それは哲学であって、もはや科学ではないといえますね。この間、ニュートリノに質量があることが判明して、標準理論の大幅な変更が余儀なくされていますけど、こんな重大な錯誤を含みつつ、標準理論は、理論として成立していた訳ですから。
でまあ、こういった主張に対するNightさんの回答が、
> 世の中の主張は、ほとんどがはっきりと白黒をつけることのできないものばかりです(例えば、『宇宙の始まりはビッグバンである』とか、『電磁波は人体に有害である』とか)。言うなれば、それらの主張は、黒(偽)が様々な濃度の灰色の段階を経て白(真)に至ると言う灰色の帯のどこかに位置する駒です。私がしてきたことは、色々な主張を『白か、黒か』に分類する定性的な作業ではなく、『どのレベルの灰色か』として判定する定量的な作業です。
> ある主張が『ほぼ確実に偽』であるとは、その主張が黒のほぼ近くに位置することを指します。これは、その主張が真であることはほとんどありえない、ということを指します。つまり、ラインハルトやヤンが人造人間であることは、非常に特殊な一部の状況を除いて、ありえないということです。
> ある主張が『おそらく偽』であるとは、その主張が上の場合よりは白に寄った位置にあることを指します。これは、その主張が真であることは期待できないが、ある程度の可能性はある、ということを指します。つまり、銀英伝の登場人物の中に人造人間は全く存在しないか、いたとしてもごくわずかということです。『いたとしてもごくわずか』の部分が、『ある程度の可能性はある』の部分に相当しているということです。
という物なんでしょうけど、その白、黒、灰色への区別の仕方が、非常に恣意的なものになってしまっているように私には見えますね(パンツァーさんが、Nightさんをダブスタだと主張する所以でしょう)。「イゼルローンがワープ可能か否か」、という命題は「灰色」として、理論の構築を阻み、「ヤンやラインハルトが人造人間か否か」という命題は「おそらく偽」として、一応理論の構築を許すわけですから、その両者には何らかの差が明確にあるはずであり、その差は何かという疑問にNightさんは十分に答えていないと思います(御自分では、答えたつもりなのでしょうけど、少なくとも私には、答えとして成立しているようには見えませんでした)。
とまあ、色々と書いてきた訳ですけど、そもそも私は、文学研究(の一種と見なして良いと思います)に科学的なスタンスとやらで向かうこと自体に重大な疑問を感じます(というより、はっきり否定的です)。文学研究はあくまで文学のスタンスで向かうべきです。科学で何もかも解決できないからこそ、学問はさまざまな分野に分かれているわけですから。
長くなりましたが、最後に一言。
> いい加減なことを言うな、と思われるのであれば、科学に関する話題を議論しているきちんとした掲示板なり、あるいは学術的な集まりの場などで、多くの人に自分の論を検証してもらって下さい。そこで返される評価も、おそらく私の評価と似たり寄ったりのものになるでしょう。
こんなこと書いて、恥ずかしくはないですか?
こんな権威に寄りかかった文章を議論系掲示板で書いても、誰も相手にしてくれないと思いますけど。