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- board4 - No.6323
試験問題の事前告知について
- 投稿者:Yawgmoth
- 2005年03月03日(木) 15時00分
初めて書き込ませて頂きます。
皆さんの議論の中では、「試験前に、どういう問題が出るか、生徒に教えるのである」の解釈を、問題文そのものを公開しているように考えられているように見られ、自分はその点に疑問を抱きました。
仮に試験問題を「宋代における芸術家・芸術作品(これには詩や文学・音楽・焼き物なども含めます)を一つ挙げ、それについて知っていることを記述せよ」とすると、この問題について、①どこまで教えるか、②いつ教えるか、によって大きく状況が異なります。
①では、宋代だけを指定すれば、あらかじめ調べなくてはならない範囲は政治・経済からありとあらゆる分野に及びます。宋代の芸術家・芸術作品として指定しても、この時点で予想される問題のパターンは多数あり、代表的な人物や作品を調べるだけでも大変です。
②の条件は試験についてどれだけ自分で調べられるかの時間的な余裕を決めるもので、①の指定範囲を決める際の指標としても重要です。
この条件は竜堂始の授業スタイルを評価する上で重要だと考えられますが、皆さんの考えをお聞かせください。
拙文失礼しました。
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- board4 - No.6324
Re6315:「現実」を元に「理想」は成り立つ
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2005年03月03日(木) 15時25分
<私はあなたとけんかしたかったわけじゃないし、論破してやろうとしたわけでもない。
あなたが現実に立脚して、竜堂始の教育方針を批判なさったのを読んで、現実はそうだけども、教育の本来の目的を考えると、歴史嫌いを増やしてばかりだった従来のやり方より、竜堂始のやり方のほうが、歴史を好きになる生徒を増やす可能性が高くて、望ましいあり方なんじゃないかな。と、述べたに過ぎません。>
<私は事実や現実を無視しているのではありませんよ
それは問題が大きいから、変えた方がいいと思っている。と述べたのです
試験をクリアするための、直前の暗記、それがいかに残らないかはあなたも知っているはずです。
そしてそれが試験以外にはたいして役に立たないことも。
現実への対応を至上の課題とし、試験に合格しさえすればいいんだから、そのための訓練さえすればいい。
そんなことしか考えられないなら、あなたと話をしても何の意義もありません。
現実は神聖不可侵ででもあるかのようですね、あなたにとっては。
現実に対応するだけで、問題意識も持たず、理想も持たず、、、それでふんぞり返ってるのだからたいしたものですよ。
あなたは現実を崇拝しておられるようですが、私はその現実は歪んでいてよろしくない、できれば変えていく方がいいと思っているわけで、話がかみあうわけがない。>
何度も何度も言っていますがね、「理念や理想を謳う際には、まず【現実の問題】から片付けなければならない」というのはごくごく当たり前の話でしかないのですよ。目の前の「現実の問題」をひとつひとつ片付けていかなければ、いくら高邁な理念や理想を謳いあげたところで実現達成には至らないし、下手をすれば【現実の問題】よりもはるかに大きな弊害が発生することだってあるのです。そのおバカな実例は、このスレッドでもしばしば論じられている「ゆとり教育」の失敗や、創竜伝における竜堂兄弟の言動の数々にイヤというほど示されているでしょう。
理念や理想が先なのではありません。現実こそが最優先なのであり、それを満たした上で初めて理想を目指す、これこそが本当に「理想を最も確実に実現できる」正しいやり方なのです。逆に、「現実の問題」にも満足に対処どころか処方箋の提示すらもできない人間が理想を実現できるはずもないのですよ。だからこそ、私は現実を第一に考えるのですし、それを無視して「理想という名の妄想」を唱えまくる連中に対しては、徹底的に「現実の問題」を突きつけてやるわけです。
そして、あなたの「カンニング容認論」を含めた一連の発言全てに当てはまる最大の問題は、「現実の問題」すら満足に解決できない、それどころか場所によっては「望ましいこと」とむしろ肯定すらしているにもかかわらず、一方で「実現できない理想」をもって「現実」を叩くその姿勢にあるのです。はっきり言いますけど、これは「あの」竜堂兄弟のバカ連中が根底に抱えている「負の要素」と全く同じシロモノです。私が一番嫌い、しかも醜悪だと考えているそのやり方を、よりによって私の眼前で派手に披露され、さらにそれが私の論の正当性に関わるものであったからこそ、私としても徹底的に反撃に出ざるをえなかったのですがね。
現実を無視して理想ばかり唱えたところで何も問題は解決しないし、他人を説得することもできないのですよ。世の中、そんなに甘くはないものでしてね。
<いいですか?試験直前に他人の作ったノートをコピーしたプリントから、試験に出そうなを暗記し、もちろんこんな暗記は試験が終われば殆ど忘れてしまうものですよ、それで赤点を免れてよしとする程度のものよりも、よくまとめられたノートを2度書き写す方がよほど勉強になる、と言っているのです。
自筆ノートの持込を認めているのですから、それはもう不正ではない、記憶力なんか試したいと思ってないんですから、そんなルールは必要ない。ルールを守らない不公正な競争だなどと何度あなたがわめいたところで、そんな言い分はまったくもって筋違いなんですよ。定期試験では認められていたんだから、センター試験でもノートを持ち込んでいいはずだ、なんて誰も言わないんですから。いちいち言うまでもないほどに自明なことなんですがね。>
「センター試験でもノートを持ち込んでいいはずだ」などという論理が通用しない「からこそ」、学内の定期試験でカンニングが常習化していると、センター試験や全国模試に臨む際に壊滅的な結果を招くことになる、と私は何度も述べてきたはずなのですがね。いつまで経ってもその事実を理解して頂けないとは悲しい限りです。
それに教師が「自筆ノートの持込を認めているのですから、それはもう不正ではない」なんて、そんなことがよくもまあ言えたものですね。あなたの論理だと、たとえば教師が生徒に対してタバコや酒や乱交パーティーを容認さえすれば、「それはもう不正ではない」し、「ルールを守らない犯罪行為だなどと何度あなたがわめいたところで、そんな言い分はまったくもって筋違いなんですよ」ということになってしまうのですか? 生徒の不正行為を己の権力によって正当化しようと考える教師など、それこそ「最低の教師」にして「最低の人間」以外の何物でもないでしょうに。
自分がいかにバカげたタワゴトを並べているのか、あなたは少し頭を冷やして考え直した方が良いのではないですかね。
<確かに、私立の進学校などは、あなたの言うような営業努力もあって、受験対策、そのための技術を叩き込むことに注力しているでしょう。しかしそんな学校ばかりではない、スポーツに力を入れている学校もあるし、商業や工業のようにスキルを身に付けさせることを重視する学校もある、そして最も多いのは普通の公立校で、進学する生徒もいるだろうし、専門学校に進むもの、就職するもの、さまざま生徒がともに学んでいる場ですね。
進学指導だけが至高の目的で、他のものはくだらない理想論だと一蹴なさりますか?
作中の共和学院はどんな学校でしたっけ?
少なくとも創設者が求めていた姿は、あなたのいうような現実への対応を旨とするものではなかったはずです。
その精神からみれば、始のようなやり方は望ましいもの、完璧ではないにせよ、だったはずです。>
こういうのを論理のスリカエというのですよ。いつ話が「試験方法の是非」から「進学指導だけが至高の目的」だの「くだらない理想論だと一蹴」だのといったものに変わったのですか? 自分から話を持ち出してきたくせに、話をどんどん拡大&スリカエないで頂きたいものですね。
それと、上の話でもそうですが、「教師の権力」だの「創設者の精神」だのといった「虎の威」を借りてこなければ、とうとうあなたは自説を正当化することさえもできなくなってしまったのですか? 第一、「作中に存在する事実を【事実として】認めること」と「その事実をどのように評価するか」は全く別のカテゴリーに属する問題であって、両者は必ずしも対立する概念ではないのですがね。
≪こんなことが言えるのであれば、私だって「あなたの意見は、学校の授業において、また試験において、1点を争うようなことはすべきでない、という立場から言えばもっともですが、それは間違っていると考える視点から見れば、肯えるものではないのです」とかいえてしまうわけなのですけど≫
<そうですよ?私があなたの意見を理解はしても同意はしないのと同様、あなたはあなたの視点から、それは肯えない、でいいではないですか。一つの価値観に合意しなければならない必要はないんで、あなたが穏やかな論調を通してくだされば、もう少しましな話になったと思いますがね。たとえ、あなたにとって、私の意見が顧慮に値しなくても、ですよ。>
相手の意図を捻じ曲げた中途半端な引用は自分の信用を落とすだけですよ。私の元の文章は以下の通り↓
<こんなことが言えるのであれば、私だって「あなたの意見は、学校の授業において、また試験において、1点を争うようなことはすべきでない、という立場から言えばもっともですが、それは間違っていると考える視点から見れば、肯えるものではないのです」とかいえてしまうわけなのですけど、【それが反論になるとまさか本気でお考えで?】>(【】部分は省略された箇所)
で、この省略された部分こそが実は一番大事だったのですけど、私はあなたに対して、「私があなたの意見を理解はしても同意はしないのと同様、あなたはあなたの視点から、それは肯えない」という「当たり前の主張」などを、何故わざわざ「私への反論」として展開するのか、ということを問うていたはずなのですがね。
それに対してわざわざ文意を曲げてまで上のような回答をしたということは、No.6300におけるあなたの元発言「あなたの意見は、高等学校は大学進学のための訓練機関である、という立場から言えばもっともですが、それは間違っていると考える視点から見れば、肯えるものではないのです」は、実は何の意味もない主張であった、と解釈してよろしいのですね? 私はてっきり、何か私に対する反論のつもりで書いた文章だったとばかり思っていたのですが。
「一知半解な理解力の持ち主」に「確信犯的に相手の主張を捻じ曲げる人間」という評価が今更加わっても、他人の目を気にしないあなたは何の痛痒も感じないのかもしれませんが、それが社会的には損をする評価であるということを、この機会に学ばれるとよろしいのではないでしょうか。
<私がいつ「人が変わったように」ドーピングを糾弾しましたか?学内の試験において人のノートを写すこととは性質が違う、決まりを破ったという点だけを見れば、入試でのカンニングと同じ枠組みにする理屈は理解できる、そう申し上げたに過ぎませんね。
いまやドーピングは個人の問題ではありませんので、入試でのカンニングと同一視するのも、私としては採らざるところですがね。
かなり性質の違うものを一面だけ見て同列に扱うあなたの神経を疑いますがね。>
<ドーピングの規定は、競技の公平さを保つこと以上に、選手を守ることが目的です。そのために体調が悪くても市販の薬を飲めないなどという問題点も聞きますがね。ま、余談ですが。>
だからですね、学内の定期試験だろうがセンター試験・全国模試だろうが、「カンニングは個人の問題ではありません」し、「試験の公平さを保つこと以上に、学校・教師・生徒全てを守ることが目的」でもあるのですよ。この場合、「守る」対象は社会的評価・将来性・学力水準・学校運営などといったものになりますがね。これもすでに何度も繰り返し述べてきたことですが。
ドーピングを否定すればするほど、その論理はそっくりそのままカンニングにも跳ね返ってしまうのに、その事実を無視してひたすらダブルスタンダードを正当化しようとするから、「人が変わったように」ドーピングを糾弾しているなどと言われるわけですよ。これだけ言われて「置き換え」が全くできないというのもある意味すごいことなのですが。
<あなたの信奉なさる現実は「努力」を客観的かつ公正に評価してなどおりませんよ。「結果」を公正に評価しているだけです。
そして努力はイコール結果ではありませんね。
結果だけで判断することは、ばれさえしなければルールを破ってもいいということになりかねないんですよ。だから不正が根絶できないでしょうが。
あなたの大嫌いなルール違反の摘発は、教師や監督官の手腕や判断力によっているわけですね。冤罪で涙を呑む生徒がでないことを切に願いますよ。>
あなたの信奉なさる理想は「結果」を客観的かつ公正に評価してなどおりませんよ。「努力」を教師の主観で評価しているだけです。
そして主観はイコール公正ではありませんね。
主観だけで判断することは、教師の容認さえあればルールを破ってもいいということになりかねないんですよ。だから不正が横行するんでしょうが。
あなたの大好きな努力の評価は、教師や監督官の手腕や判断力によっているわけですね。冤罪と不当評価で涙を呑む生徒がでないことを切に願いますよ。
……普通ならば、こういう「置き換え」をやって見せれば、自分の主張がおかしいことにイヤでも気づけるはずなのですがね。
<もう苦痛をこらえてお返事なんてなさらなくて結構ですよ?
あなたの傲慢で頑迷な言い分を読むのは私にとっても苦痛なのでね。>
初めて意見が一致しましたね。一連の議論における最大の収穫と言えましょう。
もう苦痛をこらえてお返事なんてなさらなくて結構ですよ?
あなたの傲慢で頑迷な言い分を読むのは私にとっても苦痛なのでね。
- 親記事No.6268スレッドの返信投稿
- board4 - No.6325
Re:ご自身の問題提起の内容を把握してます?
- 投稿者:黒崎
- 2005年03月04日(金) 04時58分
> どうして、
> 1が論述式で、4が選択式、に限定されてしまうのですか?
> (選択式って、ここでは、多肢択一選択や、年号の解答など短答式を総称した意味ですよね。)
> 都合の良い状況設定を行っていませんか?
論述問題の採点には採点者の主観が入るのが問題で、公正さが損なわれる、との指摘があったので、選択式中心、という主旨で用いました、「それのみ」という意味ではありませんよ。
> 「論述式」と「選択式」の優劣を、問題提起しているわけでは、ないでしょう?
もちろん
> 従来の試験方法にも論述式がある以上、
> 上の三点セットである竜堂始の試験方式と比較すべきは、
> 従来における「論述式」の試験方法、になるのですよ。
これは、どうも、しっくりきませんね
センター試験における得点競争に備える必要性(全て記号選択ですね)や、詰め込み、暗記力、そういうものに直結するのは選択問題のほうです。
また、あなたとほぼ同じ立場であろうと思われるあの方は「論述」を客観性や公正さを欠くものだと批判なさってるのですが?
その点から対比としては(殆どが)記号選択のものになるのではないでしょうか?
もちろん、2次試験への対応のために論述も含まれますので、総合して、ということならわかりますが、従来式の論述問題のみとの比較、になるのは納得しかねます。
また、私は、授業内容が試験内容と無関係とは思えませんので、それと切り離すのこともできません。
あなたにとっては無関係なようですが、私はそのようには考えられませんので、択一せよという問いは意味を成しません。
> しかし、1の場合は、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」すら、しないわけですよ。ただ、書き写すだけなんですから。それとも、2度筆写すれば、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」よりも深く、脳裏に刻み込まれるとでも言うのですか?
そうですよ
> 大体、ここでも、すべての生徒が歴史に興味を十分持っていると言う前提で話をしていませんか?
していませんね
興味を持っていない生徒について話している部分ですし。
その前提において、いい加減な暗記よりも、あなたのいう「単なる書き写し作業」のほうがましだと思います。
> ***********
>
> いいかげん、自分が、どういう前提で、問題提起を始めてしまったか、ということにお気づきになったでしょうか、黒崎さん?
ですから、試験の方法と、授業で扱う内容は、密接に結びついています。
竜堂始の試験方式の方が、授業の内容を、より学生に歴史の面白さや魅力を伝える方向で構成できる、と申し上げてます。
歴史や地理が嫌われる最大の要因は暗記が苦痛だからです。
その点を大きく緩和できることが、始のやり方の利点です。
はじめからずっとそう述べているのです。
点数競争であるセンター試験への対応に結びつかないこと、受験に備えたい現実のニーズに応えていないということ、それはその通りです、そして一人の教師が見る生徒の数も極力すくなくすることが望ましいですし、現場や教育行政を鑑みても、実現は難しいことでしょう、ですが、学校教育の本来の目的というのは、さまざまな知識や文物などの魅力を伝え、子どもに多くの可能性を示すことです。
ですから、社会科嫌いを増やす従来のやり方よりも、竜堂始のやり方のほうがいい、と申し上げたのです。
多分に理想主義であることは、自覚しておりますので、理念としては、と繰り返し申し上げました。現実に無理やりあてはめて、全ての学校でこのやり方を徹底せよ、などと言っているのでもありません。
いくらかでも取り入れて、歴史や地理の魅力を伝えられる授業内容に変えていけたらいい、と思っているのです。
授業の内容を変えるということは、試験のやり方や評価方法も変化するということです。
私の文章で、私の意図が伝わらないのは、私の責任が大きいわけですが、あなたは誤解なさっておられます。
6231へのレスも兼ねさせていただきますが
人のノートを写すにしても、自分の手を使って書くわけですから、同時に、読み、頭を通すわけです、そして設定されたテーマについて整理するわけで、これは立派に学習行為です。
私自身も、人のノートの丸写しが増え、答案にも人の答えを写すだけの生徒が増える・・・と、思ってしまっておりましたが、やや考えが変わりました。
それほどに(回答まで含めた)丸写しが横行するとは思えなくなったからです。
その理由は、学生の試験に臨む目的が、あなたをはじめとする方々の仰るように、1点でも多くの得点確保、周りの人間より少しでも上の順位、であるならば、人と同じ答えではだめ、ということになるではありませんか。同じ答えでは同じ点数になってしまいます。そして平均点の上昇は自分の優位を崩しますし、そもそも、ノートを貸すとき、仮に、既に解答案を作成していたとしても、「答えまでは写すなよ」と釘を刺すでしょう?人に差をつけて上に上がりたいのに、自分と同じ点数を取らせてあげるんですか?同じで済めばまだいいでしょうが、その友人が自分で何か加えたら、超えられてしまうかもしれませんね。貸す側としては許容できることではないですね。
50字前後、せいぜい100字、以下の語句を含めよ、など一般的な試験に用いられる短い論述なら、殆ど同じ文章でも通りますが、始のそれは自由度が高い論述ですから、丸写しではあまりにも不自然で、「どっちが写したの?」ということになり、ノートを確認したり問いただされたりすれば、処罰はともかく、その友人にノートを見せてもらえなくなりますね。また、「素晴らしいノート」の作者が作った解答プランでも、それが何点に値するのかはわからないわけです。
消極的な理由で選択した場合や、教師とそりが合わないなどでやる気が失せていても、通常はノートくらい取るでしょうし、資料にも目を通すでしょう、授業参加は望めませんが。それなりに「自分のノート」があり、それを予告されたテーマによって、友人の援助で補完する、というものが、最も多いケースになるのではないでしょうか。
そして上の理由から、丸写しはリスクが高いですし、誰もが、いくらかでも人より上に行きたいわけですから、自分なりの答えを考える、ということになります。
普段から全くノートを取らず、睡眠か内職に時間を費やしてしまった、という学生の場合、ノートは友人の丸写しになるでしょう、しかし解答まで共有するでしょうか?クラスメート・友人とはいえ、潜在的に、あるいは露骨に、競争相手なわけですよね。
自分が最下位でもかまわない、というのでなければ、直前まで修正するでしょうし、友人同士でも全く同じものにはしない、と考える方が自然なのではないでしょうか。
それでも、もし殆どの解答が全く同じ文章であったならば、それは組織された抗議、として生徒と話し合う必要があるかもしれませんね。
アメリカが「詰め込み教育」を取り入れることにした実情は、労働者の約2割が実質的な「文盲」、仕事に必要な読み書きの能力がない、また現役の高校生のやはり約2割が十分な読み書きの能力を持っていないという調査結果です。その状態が詰め込み教育の導入で改善された、ということで、「低下」と「向上」という言葉の対比はあまり適切でないかと思います。
また、ゆとり教育というのは、1978年に始まったもので、もう30年近くになるわけです、近年特に問題視されている教育水準の低下の原因を「ゆとり教育」に求めるのは適当とは思えません。少子化や家庭・地域社会の変質によって学校で授業が成立しにくくなっている現象など、考慮しなければならない問題は多岐にわたり、あなたの厭われる問題の拡散になってしまいますね。
<6322
立場が異なると「暗記する」ということの意味が、全く異なってきます。
「暗記する」という積極的作業を殆ど評価できませんので、意義の相対的格差は縮まらないという見解にも同意できません。
あなたに納得していただく必要があるのでしょうか?
私はあなたや、あの人の言っていることに、納得できません。
あなたにはあなたの立場や価値観がおありになって、私の言っていることは到底理解することはもちろん受け入れることもできない、というのであれば、それはそれで結構ではないですか。
あの人の書いた文章を読んで、私の考えを述べました、それはあなたやあの人の考えを変えさせるためではありません。
現実を受け入れることと、理想を放棄することは別物で、私は理想を捨てるつもりはありませんので、あなたがたの言いようは、私には理解は出来ますが、同意はいたしませんし、私の考えを変えさせるほどの普遍性も客観性も説得力もありません。
あなたは私が問題をそらしたり摩り替えたりしているとお責めになりますが、まず、私の主旨を誤解なさっておられるのですし、自分の言ってることが相手に理解されない時や、意図したような答えが返ってこない時に、相手を責めるより、ご自分の使った言葉や方法を検討なさるべきですね。
また、あなたにとって当然の前提や、正しい理屈を、私が共有しないからといって非難されるのも、おかしいです。
私の見解をあなたが共有できないのと同じことです。
私は私なりにではありますが、あなたが問いたいと書かれたことについて、真面目に読み、考えて答えています。
あなたの望む答えにはなっていないようですが、だからといって責められても困ります。
それから、余談ですが、あの人の発言は、「厳しい」というものではありません、「粗暴」なだけです。
親しくしていらっしゃるようなので、好意的なのは理解できますけど。
- 親記事No.6268スレッドの返信投稿
- board4 - No.6326
ご自身の発言への論評にもそのまま当てはまりますね、で、それが何です?TO
- 投稿者:黒崎
- 2005年03月04日(金) 05時09分
- 親記事No.6268スレッドの返信投稿
- board4 - No.6327
Re:ご自身の問題提起の内容を把握してます?
- 投稿者:蜃気楼
- 2005年03月04日(金) 14時42分
また、ゆとり教育というのは、1978年に始まったもので、もう30年近くになるわけです、近年特に問題視されている教育水準の低下の原因を「ゆとり教育」に求めるのは適当とは思えません。
??いわゆる「ゆとり教育」と貴方の言う「ゆとり教育」は別物であり、言葉遊びに過ぎません。
いわゆる「ゆとり教育」が始まったのは1998年であり、近年の教育水準の低下と関連付けるのは自然な結論です。
ところで貴方は「教科の魅力を伝えること」を授業の目的とお考えのようですがなんで、そんなことをする必要があるとお考えですか?
噛み砕いていうと、「なぜ歴史嫌いが増えてはいけないのか?」「何故歴史好きを増やす必要があるのか?」ということです。
私は歴史好きが増えようが減ろうが当人たちの趣味の問題であってどうでもいいと考えます。
歴史好きもアニメ好きもゲーム好きも趣味としては全くの等価です。
何で歴史好きだけ、学校の授業を使ってまで増やす必要があるんでしょうか?
学校で取り上げてもらえるだけありがたいと言うべきでしょう。
学校の授業が歴史嫌いを増やしている?
じゃあ、そんな授業やめればいいじゃないですか。
歴史好きを増やすための授業なのに逆に歴史嫌いを増やしている。
そんな有害無益な授業やめてしまえばいい。
- 親記事No.6268スレッドの返信投稿
- board4 - No.6328
再度、ご自身の問題提起の内容を把握してます?
- 投稿者:パンツァー
- 2005年03月05日(土) 15時56分
> もちろん、2次試験への対応のために論述も含まれますので、総合して、ということならわかりますが、従来式の論述問題のみとの比較、になるのは納得しかねます。
No.6268の黒崎さんの記載
<私は竜堂始の「記述式、自筆ノート持ち込み可」というのは、従来の試験方式よりは、生徒の力を育てる可能性が大きいと考えます。>
上のように書いていますよね。
竜堂始の試験方法が、従来の試験方式のすべての形態よりも優れている、ということでしょう?
だったら、従来の試験方式のすべての形態に対して優位性を証明しないと、駄目じゃありませんか?
黒崎さんのNo.6268の主張を潰すには、従来の試験方式にある一つの形態が、竜堂始の試験方式よりも優位であることが証明できれば、よいのですよ。
だから、「従来の選択式の試験方法」だけでなく、「従来式の論述問題のみとの比較」についても、「竜堂始の試験方式」が優位にあることが証明できなければ、黒崎さんのNo.6268の主張は、成り立ちません。
いいかげん、私が指摘している内容が、お分かりになったでしょうか?
> また、私は、授業内容が試験内容と無関係とは思えませんので、それと切り離すのこともできません。
なぜですか?
教科(歴史)の教育方針を、「授業内容」+「試験方法」とのセットで考えることは全然可能ではありませんか?
同じ「授業内容」であっても、異なるパターンの「試験方法」を適用することは当然可能です。
どういう根拠で、「切り離すができない」のですか?
> > しかし、1の場合は、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」すら、しないわけですよ。ただ、書き写すだけなんですから。それとも、2度筆写すれば、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」よりも深く、脳裏に刻み込まれるとでも言うのですか?
>
> そうですよ
ははは。笑えますね。まったく。
黒崎さんの主張では、面白く興味深く書かれたものであれば、「2度筆写」すれば、何度も復唱したり書き写したりして暗記する場合よりも、深く覚えこむことができる、ということですよね。
こんなことが一般に成立するのであれば、
「2度筆写」すればたちまち覚えられるテキスト、などというものが市場に溢れかえることになりますよ。もちろん、授業の影響も大きいとのことですから、その「2度筆写」用テキスト以外に、分厚い「面白おかしい内容把握用テキスト」が、「面白い授業の相当物」として添付されることになるんでしょうね。
自分で、言ってて、おかしいと思わないのですか?
まあ、「2度筆写」が「通常の暗記」ほどの効果がでない、ことを認めてしまったら、No.6268の主張が根本的に破綻することには、さすがに気が付いているようなので、これは認められないんでしょうけどね。
無茶な主張を継続すればするほど、傷が深くなりますよ。
なにせ、掲示板と言うものは、他人が見ているものですからね。
> 点数競争であるセンター試験への対応に結びつかないこと、受験に備えたい現実のニーズに応えていないということ、それはその通りです、そして一人の教師が見る生徒の数も極力すくなくすることが望ましいですし、現場や教育行政を鑑みても、実現は難しいことでしょう、ですが、学校教育の本来の目的というのは、さまざまな知識や文物などの魅力を伝え、子どもに多くの可能性を示すことです。
> ですから、社会科嫌いを増やす従来のやり方よりも、竜堂始のやり方のほうがいい、と申し上げたのです。
上の引用部分の下の二行を除く内容に関しては、私自身、それほど異論があるわけではないのですよ。
ただ、「竜堂始のやり方」、
特に「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」
の部分には、致命的な問題があることを認めざるを得ないのです。
「竜堂始の試験方法」が、そもそも何を意図しているものか、理解していますか?
理想的状態において、通常の論述式の試験などより、大きな効果があることを意図したものですよ、この試験方法は。
通常の論述式の試験であっても、1時間とか、せいぜい2時間といった試験時間の拘束がある以上、ちょっとした回り道も許されず、いかに効率的に試験時間内に解答を出すか、という点が、試験での成功につながります。
それでは、かならずしも生徒の全能力を引き出したとはいえない。だから、予め「試験問題を予告し」、週末を利用して、半日でも一日でも時間に拘束されること無く、回り道をしながらでも自分なりの結論を出してみて欲しい、そういう願いから、「竜堂始の試験方法」が意図されているわけでしょう。
だから、非常に意欲的な生徒たちの間で、しかも点数や評価が過剰に絡まない環境下であれば、このような「竜堂始の試験方法」は、他の試験方法に比して、そうとうな優位性を発揮するのではないか、と思いますよ。
しかし、これを、それほど意欲のある生徒でもなく、しかも点数や評価の絡む試験にしてしまっては、「カンニング」が横行してしまって、そもそもの目的が達成されないことになってしまうのですよ。
> アメリカが「詰め込み教育」を取り入れることにした実情は、労働者の約2割が実質的な「文盲」、仕事に必要な読み書きの能力がない、また現役の高校生のやはり約2割が十分な読み書きの能力を持っていないという調査結果です。その状態が詰め込み教育の導入で改善された、ということで、「低下」と「向上」という言葉の対比はあまり適切でないかと思います。
教育水準が低レベルにある場合に、「詰め込み教育」が効果的であることを、黒崎さん自らが、証明してしまっていませんか?
↓の記載のような事実に対する、非常に効果的な説明になっていませんか?
No.6279の黒崎さんの記載
<先頃、現役の高校生・大学生が、朝鮮民主主義人民共和国やイラクの位置を4割もの高い率で間違えていたことがニュースになっていましたが、(3パーセントとはいえ合衆国の位置を間違えた生徒がいたことも驚きましたが(苦笑))、これが、従来の地歴教育・試験方法がもたらした結果ですよね。>
> また、ゆとり教育というのは、1978年に始まったもので、もう30年近くになるわけです、近年特に問題視されている教育水準の低下の原因を「ゆとり教育」に求めるのは適当とは思えません。少子化や家庭・地域社会の変質によって学校で授業が成立しにくくなっている現象など、考慮しなければならない問題は多岐にわたり、あなたの厭われる問題の拡散になってしまいますね。
私が指摘している「ゆとり教育」も、現在採用されている「学習指導要領」(1998年)のことですね。世間的に解釈されて言う用法ですので、文部省の設定した厳密な用語から外れている点は認めましょう。
ただ、黒崎さん自身が意識している「ゆとり教育」も、下の記載のように、現在採用されている「学習指導要領」(学校週5日制導入、教科内容3割減等)に基づくもののように思われますので、この点での認識は一致していた(お互いに誤解を招くことは無かった)と思いますけどね。
要は、揚げ足を取りたかった、だけ、でしょうか?
No.6318の黒崎さんの記載
<ゆとり教育のせい、というよりは、それにともなう教育内容・時間削減のやり方がよくなかったのかな、と思っておりますが、>
それから、私は、「ゆとり教育」がわが国の教育水準低下の100%の決定要因であるとは主張しておりません。大きな寄与をしているだろう、と考えるだけです。
「少子化や家庭・地域社会の変質」というのは、わが国にのみ存在する問題ではなく、先進工業国一般で発生している問題なので、アメリカで「詰め込み教育」によって、教育水準が向上したような例は、非常に示唆に富む現象なのですよ。「少子化や家庭・地域社会の変質」による寄与以上の効果を、「詰め込み教育」や「ゆとり教育」といった教育方針が生み出している、と考えられるのです。
「あなたの厭われる問題の拡散」と、他人事のように言っていますが、
私の主張している趣旨は理解していますか?
通常の人間は、10人が同時に喋ってもその内容を理解したとか言う聖徳太子ではないのですから、物事を理解するには、できるかぎり個別の問題に切り離して考える必要があるのですよ。
お分かりでしょうか?
分かってないから、「あなたの厭われる問題の拡散」などといった表現が出てくるのでしょうが。
> あなたに納得していただく必要があるのでしょうか?
> 私はあなたや、あの人の言っていることに、納得できません。
> あなたにはあなたの立場や価値観がおありになって、私の言っていることは到底理解することはもちろん受け入れることもできない、というのであれば、それはそれで結構ではないですか。
黒崎さんは、何のために、掲示板に自らの意見を書いているのですか?
はっきり言いますが、人に見せるためですよね。
人に見せることで、人を納得させよう、という動機がここに存在しているのですよ。
もし、「人を納得させよう」という動機がまったく存在しないのであれば、そもそも掲示板に自らの意見を書く必要性などないはずです。自分で心の中にしまっておけばよいのですから。
自分のやっていることを棚に上げないでください。
私自身も当然、人を納得させるために書いているわけですが、
納得させる対象は、「黒崎さん」が主であるというよりは、この掲示板の閲覧者が主です。私としては、「黒崎さんの主張に納得できない根拠」を、「この掲示板の閲覧者」に提示したいのです。つまり、黒崎さんの感情的同調者を除き、物事を理性的に判断してくれる人が、「黒崎さんの主張」と「私の反論」とを見て、「黒崎さんの主張」は「間違っている」と結論してくれればよいのです。
私としては、黒崎さん自身が納得してくれなくても一向に構いません。黒崎さんの主張に説得力を感じるような人がいないように、反論を行っているのです。
> 現実を受け入れることと、理想を放棄することは別物で、私は理想を捨てるつもりはありませんので、あなたがたの言いようは、私には理解は出来ますが、同意はいたしませんし、私の考えを変えさせるほどの普遍性も客観性も説得力もありません。
上にも述べたように、私の主眼は、「この掲示板の閲覧者」に「私の反論」を納得させることにあります。
したがって、冒険風ライダーさんと同じく現実を重視すべき、としたり、客観的な根拠を求めるのも、黒崎さんの主観(「私の考えを変えさせるほどの普遍性も客観性」)に合致することよりも、「多くの人にとっての普遍性や客観性」に合致すること、が重要だからです。
> あなたは私が問題をそらしたり摩り替えたりしているとお責めになりますが、まず、私の主旨を誤解なさっておられるのですし、自分の言ってることが相手に理解されない時や、意図したような答えが返ってこない時に、相手を責めるより、ご自分の使った言葉や方法を検討なさるべきですね。
いやいや、質問に対する答えを見れば、相手がどういう考えなのか、予測することができますから、私が「黒崎さんの主張」を理解する上で、まずまず効果が上がっています。
それだけでなく、「この掲示板の閲覧者」にとっても、私の反論によって、「黒崎さんの主張」が一体全体どういうものであるのか、が分かりやすくなっているものだと思いますよ。
> また、あなたにとって当然の前提や、正しい理屈を、私が共有しないからといって非難されるのも、おかしいです。
人それぞれが持っている前提、それが主観というものです。
言葉が足りないと、何を前提に喋られているのか、他人には分からないのですよ。
同じ価値観の持ち主同士が、議論をしているわけではないのですから。
私は、特定の人間の価値観自体を非難しているわけではありません。
何を前提としているのか、それを知りたいのです。
「私は冬でも泳いでいます」とある人が言ったとき、その人間がどこにすんでいるのか、知らなければ、いくらでも誤解を招くでしょう。南国の人間で冬でも水が暖かいのであれば自然ですし、冬は氷つくほど寒いけど地域の慣習としてやっている場合もあるかもしれません。
自分の前提が、何の説明も無く、人に伝わると考えることこそ、恐ろしい傲慢、というものですよ。
> 私は私なりにではありますが、あなたが問いたいと書かれたことについて、真面目に読み、考えて答えています。
> あなたの望む答えにはなっていないようですが、だからといって責められても困ります。
もう少し気楽に考えてはどうですか?
私の目的は、「この掲示板の閲覧者」に「私の反論」を納得させることにあります。
他の人も「おかしいと思うだろうなあ」という部分を、私は指摘しているまでのことです。私の指摘自体が、他の人から見て「おかしいと思う」ような内容だったら、私が恥を書くだけの話です。
ぜんぜん、問題はありません。
- 親記事No.6268スレッドの返信投稿
- board4 - No.6329
魔女裁判の奨励?!
- 投稿者:パンツァー
- 2005年03月05日(土) 16時28分
> 私自身も、人のノートの丸写しが増え、答案にも人の答えを写すだけの生徒が増える・・・と、思ってしまっておりましたが、やや考えが変わりました。
> それほどに(回答まで含めた)丸写しが横行するとは思えなくなったからです。
> その理由は、学生の試験に臨む目的が、あなたをはじめとする方々の仰るように、1点でも多くの得点確保、周りの人間より少しでも上の順位、であるならば、人と同じ答えではだめ、ということになるではありませんか。同じ答えでは同じ点数になってしまいます。そして平均点の上昇は自分の優位を崩しますし、そもそも、ノートを貸すとき、仮に、既に解答案を作成していたとしても、「答えまでは写すなよ」と釘を刺すでしょう?人に差をつけて上に上がりたいのに、自分と同じ点数を取らせてあげるんですか?同じで済めばまだいいでしょうが、その友人が自分で何か加えたら、超えられてしまうかもしれませんね。貸す側としては許容できることではないですね。
> 50字前後、せいぜい100字、以下の語句を含めよ、など一般的な試験に用いられる短い論述なら、殆ど同じ文章でも通りますが、始のそれは自由度が高い論述ですから、丸写しではあまりにも不自然で、「どっちが写したの?」ということになり、ノートを確認したり問いただされたりすれば、処罰はともかく、その友人にノートを見せてもらえなくなりますね。また、「素晴らしいノート」の作者が作った解答プランでも、それが何点に値するのかはわからないわけです。
> 消極的な理由で選択した場合や、教師とそりが合わないなどでやる気が失せていても、通常はノートくらい取るでしょうし、資料にも目を通すでしょう、授業参加は望めませんが。それなりに「自分のノート」があり、それを予告されたテーマによって、友人の援助で補完する、というものが、最も多いケースになるのではないでしょうか。
> そして上の理由から、丸写しはリスクが高いですし、誰もが、いくらかでも人より上に行きたいわけですから、自分なりの答えを考える、ということになります。
> 普段から全くノートを取らず、睡眠か内職に時間を費やしてしまった、という学生の場合、ノートは友人の丸写しになるでしょう、しかし解答まで共有するでしょうか?クラスメート・友人とはいえ、潜在的に、あるいは露骨に、競争相手なわけですよね。
> 自分が最下位でもかまわない、というのでなければ、直前まで修正するでしょうし、友人同士でも全く同じものにはしない、と考える方が自然なのではないでしょうか。
>
> それでも、もし殆どの解答が全く同じ文章であったならば、それは組織された抗議、として生徒と話し合う必要があるかもしれませんね。
(1)「素晴らしいノート」の作成者
「素晴らしいノート」の作成者は、同じクラスの優秀な生徒に限られるわけではありません。親兄弟や、家庭教師、さらには熟講師、などという可能性が十分にあるのです。
(2)交友関係の問題
「ノートを貸すとき、仮に、既に解答案を作成していたとしても、「答えまでは写すなよ」と釘を刺す」ことは、当然考えられますね。
そうすると、生徒間の交友関係によって、「丸写しが横行」の程度が代わってくることになります。それは、相互に協力し合う場合もあれば、他のこと(他の教科での協力関係や、別のことで恩返し)で交換することもあれば、金銭の授受など、も行われるかもしれません。かならずしも平和的に行われるとは限らず、腕力に物を言わせて、優秀な生徒が屈服される場合もあるかもしれません。また、仲良しグループから外れている少数の者だけが、「素晴らしいノート」の「丸写し」から外されてしまう、などという場合もあるでしょう。
(3)カンニングを問題視することによる生徒の信用問題の発生
「それでも、もし殆どの解答が全く同じ文章であったならば、それは組織された抗議、として生徒と話し合う必要があるかもしれませんね。」
このようなことを実施すると、非常に問題が複雑化します。
自分のノートを、「友人同士でも全く同じものにはしない」ものにすることは当然考えられますね。しかし教師の目から見て、基本的に同じ内容であった場合、当然一方が他方のノートを写した、と考えてしまうことになるでしょう。これを、教師が「問題」にするのであれば、魔女裁判的な状況を招いてしまうことになります。「あいつが俺のノートを写したんだ(あいつが魔女だ)」といった生徒間の裏切りや、一生懸命自分でノートを作った生徒が「お前がきちんとノートを取るはずが無い」といった誤解を教師から受けることもあるでしょう。教師の側でカンニングを問題視すると、このような生徒間の信用問題を引き起こすことになってしまいます。
上は、私が、No.6325の黒崎さんの記載に限定しての問題点の指摘ですが、
「カンニング」の問題については、当初から冒険風ライダーさんが、重ね重ね指摘しています。
例えば、下の問題です。
No.6287の冒険風ライダーさんの記載
<そもそも、あなたはカンニングという行為が何故「不正行為」呼ばわりされるのかということが全くと言って良いほど分かっていないのではないですか? 上で挙げたスポーツにおけるドーピングもそうですが、試験の際にカンニングが何故いけないかというと、それが本当に真面目に勉強している他の生徒との間で著しい不公正を招くからです。真面目な人間がバカを見るような不公正を招く「不正行為の横行」を許す教師は、その存在自体が学校にとっても保護者にとっても、そして何より生徒にとっても極めて有害なシロモノでしかありません。>
上の問いをまったく忘却しているようですが、
「それほどに(回答まで含めた)丸写しが横行するとは思えなくなった」から、問題がなくなるわけではないのですよ。
たった一人でも、「丸写し」するものがいれば、
「不正行為の横行」を教師が許容する、ということになるのですよ。
そして、それを防止すべく「制裁」を実行しようものなら、学級内で魔女裁判を行うようなものです。
そして、少なくとも、
「論述式」+「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」
の三点セットである竜堂始の試験方式でなければ、
このような問題は、発生しないと言うことです。
ここまでいえば、
「この掲示板の閲覧者」には、十分な判断材料を提供したでしょう。
今後、私の反論がないとしても、それは、反論の必要を認めないせいだと考えてください。