- 親記事No.7884スレッドの返信投稿
- board4 - No.7978
応用例1:7946の適用
- 投稿者:ぐるぐる
- 2008年04月13日(日) 02時50分
7891 Re:虫は擬態に騙されるほど誤解しやすい生き物のようだ(ジャポニカ学習長)
↑の応用
> 別に書き込み禁止や排除をしているわけではないので(私が返答する気がなくなっただけ)、ご意見はお好きなように。
> (まぁ、他の人の議論の邪魔にならない範囲だったら、ご自由に)
お前とお仲間の虫(常連の一部、もしくは全部)だけだ、馬鹿。
何度も言うのもウザいモンだが、ま、害虫の本領ってトコですかァ?
害虫は群れるのかねえ。
いや、まともな反論をしない段階で貴方馬鹿じゃないですか。
「車は当たっている」んですよ、ぐるぐるサンの全過失でね。
人にくだらん手間をかける前にもう一度言い直す、父親のケツの穴から生まれなおせ、知的障害者。
もしくはこくごのドリルを小一からやり直すか医者に行け。
☆☆☆
まあ、順次アレンジしていきましょう。
- 親記事No.7884スレッドの返信投稿
- board4 - No.7979
そっくりお返しします→Re:理解する力がないのかな
- 投稿者:ぐるぐる
- 2008年04月13日(日) 03時47分
> というか、まだ分からないんですかね?「S.Kが中傷を行っている」と主張しているのは、貴方一人なんですよ。他の全員が「S.K氏は罵倒は相当やっているけど、中傷はやっていない」と判断しているのですから。
その答えを、是非とも聞きたかった!
S.Kの言動は、『まったく』中傷にはあたらない、ということですな。
あとから、その部分は例外だとか、その部分は判別がつかないとか、自分たちは「S.Kが中傷をやっていない」とは明言していない、とか言い出すんじゃないかと思っていたんでね。
とはいえ、他の者からも、「S.K氏は罵倒は相当やっているけど、中傷はやっていない」ということでよいのか、言質をとっておく必要がありますな。
> 「自分は馬鹿ではない!」と主張するのなら、早く「S.K氏による中傷」について、具体的かつ論理的に指摘して下さいな。貴方以外の全員が「S.K氏は罵倒はやっていても中傷はやっていない」と判断していることを、間違いだと言いたいのなら、貴方が先ず「S.Kは中傷野郎である」と証明しなきゃ話にならんでしょ。いい加減、手抜きは止めて下さいな。
まあ、理解能力のない方に対しては、丁寧に説明する必要も確かにありそうです。
「7884 誤解を招きやすい点→管理人氏 ぐるぐる」のスレッドで、筆頭に位置するS.Kの投稿を例にあげてみましょう。
「7885 Re:誤解するほど馬鹿は多くないよ 」
7885には、S.Kによる次の(1)~(4)の4つのコメントがあります。
(1)そういう「正しさ」じゃないだろ、「言いがかりに対する反論」としての正しさだろ、ミスリード野郎。
「「言いがかりに対する反論」としての正しさ」というのが何を指すのか(言いがかりに対して反論することは正しい、といいたいのか)不明ですが、こちらが論じている話(管理人氏の希望通りに運営されるのが正しい)とは、全然関係ない話を、突然持ち出しています。
その上で、「ミスリード野郎」と罵っている。
私が、「正しさ」についてミスリードしているのが事実なら、「ミスリード野郎」と罵られても、根拠のある批判にあたりましょうが、ミスリードしている事実はありません。
つまり、「中傷」にあたるというものです。
(2)栞さんが書いたのは「田中芳樹擁護」ではなく「当HP応援」だと思うがね。
たまたまエールに手を振らない角度があったら何だというんだよ、おい。
これも、(1)と同じですね。
まず、私は、栞という方の主張が、「田中芳樹擁護」なのか「当HP応援」であるのかを、論じたりしていません。これも、私の主張とは何の関係もない話です。
また、。「たまたまエールに手を振らない角度があったら何だというんだよ、おい。」というS.Kの主張は、「栞さんの投稿に対して管理人が回答しないことが悪い」わけがないだろう、という主張でしょう。しかし、私は、栞さんの投稿に対して管理人が回答しないことが悪い」などとは言っていません。
これについても、S.Kの主張は、まったく根拠のない批判です。
(3)お前並みの馬鹿に馬鹿と教えてやったら罵詈雑言な訳がねえだろ、馬鹿なりに正直と親切の価値を心得るこった。
これについては、まったく根拠が挙げられていませんね。
あきらかに中傷ですね。
(4)イソップ童話が冒頭に無い規範の道徳律がわからない知的障害者は、父親のケツの穴から生まれなおすと良いと思うね、俺は。
わかりやすいだろ?とっとやれやカス。
これについても、まったく根拠が挙げられていない。
明らかに中傷に該当。
がんばって、反論してくださいよ、「腐チン腺患」さん。
ちなみに、相手のハンドルネームに悪戯をする点は、S.K氏のやっていることを応用したに過ぎません。「S.K氏は罵倒は相当やっているけど、中傷はやっていない」ので、問題ないんでしたよね。
7891 Re:虫は擬態に騙されるほど誤解しやすい生き物のようだ(ジャポニカ学習長)
「大体ぐるぐるパーサンの頭が悪い所為で私が「中傷」されていらん手間をかけているのは「ろくでん=投稿野郎Aチーム」さんのスレで明白なんだがね。」
> 「罵倒」「罵詈雑言」はほぼ同じ意味ですが、「中傷」とは明らかに意味が違います。「主観的要素」などではありません。言葉の意味が違うのです。
あのねえ、「主観的要素」という用語で私が指摘している点を誤解しています。
7921 分かっていないようだから具体例
(A)「○○」なる者は、小説家・田中芳樹氏の評判が落ちるのを食い止める為、田中芳樹氏の版権管理会社に依頼され、インターネット掲示板上での田中芳樹批判をあらゆる手段を使って封じ込めようとしている、ネット工作員である!
(B)「○○」なる者は、中傷と罵倒の区別もつかない愚か者である!
7921で上記(A)(B)の2例をあげてくださいましたね。
(A)についてですが、「ネット工作員」であるかどうかなど、通常、証明できないでしょう。警察が介入して本人に自白させたとか、メールや電話の通話記録を入手して確実な証拠をつかんだとか、できれば別でしょうが、そんなことは通常考えられない。
つまり、根拠を提示できるわけがないのだから、根拠のない批判に当たる。したがって、中傷である。といえるのです。
(B)についても、「中傷と罵倒の区別もつかない」と主張しているのは、批判者本人だけでしょう。「中傷と罵倒の区別もつかない」ことが明白に言えるような根拠が不明じゃありませんか。「ネット工作員」であるかどうかが証明できないのと同様に、。「中傷と罵倒の区別もつかない」という指摘も、なんら証明されていないのですよ。なにも、科学実験のような証明をしろといっているのではありませんよ。「中傷と罵倒の区別もつかない」という場合であれば、そう結論付けた根拠となる文章等があって、その文章中の該当箇所を指摘すれば、一応の証明が可能です。
ちなみに、批判者本人のみが、なんの根拠も示すことなく、「中傷と罵倒の区別もつかない」と主張しているから「主観的」といったのです。
悪いけど、本気で読解力を疑いますよ。
まあ、S.Kの誤読の多さに比べれば、全然かわいいものですが。
- 親記事No.7884スレッドの返信投稿
- board4 - No.7980
7961平松重之及び7959northwestについて
- 投稿者:ぐるぐる
- 2008年04月13日(日) 04時15分
7963 Re:理解する力がないのかな 不沈戦艦
「貴方以外の全員が「S.K氏は罵倒はやっていても中傷はやっていない」と判断していることを、間違いだと言いたいのなら、貴方が先ず「S.Kは中傷野郎である」と証明しなきゃ話にならんでしょ。いい加減、手抜きは止めて下さいな。」
上記のような投稿において、
「貴方以外の全員が「S.K氏は罵倒はやっていても中傷はやっていない」と判断している」とあります。
7961の平松重之さん、7959northwestさん、
あなたがたの主要な主張も、
「S.K氏は罵倒はやっていても中傷はやっていない」と判断している」ということで、よろしいですかね。
まず、このポイントを明らかにしておいていただきたい。
> ぐるぐるさんにおかれましては、「アウェー」である事を考慮しても、現時点において他にろくに賛同者を得られず、一身に多くの方々から反論を寄せられているという事実を今少し考えられた方がよろしいかと思います(数が多い方が正しいとは限りませんが、目安の一つにはなると思いますので)。
いやいや、それだけ、この掲示板が閉鎖的集団であることを証明しているのでしょう。
特定の宗教団体や、個人のファンページ、ネットワークビジネスなどのHPに行って、その掲示板の運営者に対して批判的な主張をして、掲示板の常連から賛同を得られると思いますか?
得られたら驚異ですよ。
逆に、常連外の人々には、まだしも通常の感覚を持った方がおられることがわかります。
7705 Re:バカにつける薬 海淵
7888 Re:誤解を招きやすい点→管理人氏 kaito
など。
ちなみに、kaitoさん。私は、あなたを掲示板の常連たちと対立させようとしているわけではありません。
しかし、7888の投稿内容は、通常の感覚を持つものならば、当然持ちうる感覚だと、言いたかっただけです。
私に同調する者が居たとしても、管理人及び常連から袋叩きにあわされるのがわかっていれば、なかなか私に賛成できるものではありませんよ。
- 親記事No.7884スレッドの返信投稿
- board4 - No.7981
卑怯かつ狡猾な運営:Re:語るに落ちた
- 投稿者:ぐるぐる
- 2008年04月13日(日) 04時42分
7923 Re:自覚がないようですが 盗塁王赤星
「また「言論の墓場」についてはその運営者の方が責任の所在を明らかにし、この掲示板の管理人は編集に関わっていないと明記している以上、まずはご本人に意見するのが先でしょう。
閉鎖させていない以上、全ての判断について同意見のはず、というのは誠に粗雑な考えと言わざるを得ません。」
7963 Re:理解する力がないのかな 不沈戦艦
「「言論の墓場に文句があるのなら、冒険風ライダー氏本人に言え」と言っているんですが、まだ分からないんですかね。無関係な管理人氏に粘着するのは何故でしょうねぇ。実に不思議に思います。」
荒らし展示会「言論の墓場」に関する反応が、意外に多いですね。
「中傷」の問題を先に片付けたかったのですが、まあ、同時並行と行きましょうか。
当サイトの運営は、「田中芳樹を撃つ!掲示板」の常連である「冒険風ライダー」によって行われており、「田中芳樹を撃つ!」管理人である石井由助氏は一切関わっておりません。
> ちなみに、極端な言い方をすれば、この掲示板の過去ログを冒険風ライダーさんが読んで、どう感じたか、私は知ったこっちゃありません。
> 同じ投稿を読んで、冒険風ライダーさんが公平と思い、ぐるぐるさんが中傷と思う事もあるでしょう(当然その逆も)。
> その両方を「抹殺」という手段で否定しないという意味で、この掲示板は公平さを保証しています。
ここですがね、
第三者から見れば、「田中芳樹を撃つ」と「奇説珍説博物館」とは「相応の協力関係」にある、としか思えないのですよ。
「田中芳樹を撃つ」では、「削除」という手段は原則行使しない、しかし、「奇説珍説博物館」では「さらす」という方法で、不適切投稿に対処する、わけです。
こういう役割分担が行われている。
「奇説珍説博物館」のトップには、次のような記載があります。
「当サイトの運営は、「田中芳樹を撃つ!掲示板」の常連である「冒険風ライダー」によって行われており、「田中芳樹を撃つ!」管理人である石井由助氏は一切関わっておりません。」
なぜ、このような記載が必要なのでしょうか。
それは、通常の感覚を持つ者ならば、「田中芳樹を撃つ」と「奇説珍説博物館」とが同一管理人により運営されている、という誤解が発生するからでしょう。
そして、そのことを、冒険風ライダーという方自身も、自覚しているからでしょう。
私は、上述したように、、「田中芳樹を撃つ」と「奇説珍説博物館」とは「相応の協力関係」にあると考えています。
また、冒険風ライダーという方自身も、そういう誤解を受けることを、当然承知しているわけです。
このような印象を第三者に与えるのは、
「掲示板の趣旨から離れた議論の継続は『場外乱闘掲示板』へ」
というリンクの張り方が原因でしょうね。
リンクの張り方にもいろいろあって、まったく誤解を招かないような方法も当然ありますが、本掲示板については、誤解を招く針方となっています。
> その両方を「抹殺」という手段で否定しないという意味で、この掲示板は公平さを保証しています。
いやいや、ご高説、まことに結構ですね。
自分は手を汚さないが、手下にやらせている、とこういうわけですか。
政治家や官僚の一部が、自分は献金、賄賂を受け取っていない。受け取ったのは、妻である、秘書である、自分とは関係がない、自分は与り知らない、などと主張することがあるのに似ていますね。そんな言い訳が通ると思っているのですか。
本当に、やり口が汚いですよね。
> ちなみに、極端な言い方をすれば、この掲示板の過去ログを冒険風ライダーさんが読んで、どう感じたか、私は知ったこっちゃありません。
冒険風ライダーという方の解説しているHPを、
本「田中芳樹を撃つ」HPの支援、協力、面倒処理(?)ページとしての位置づけをしている以上、
「私は知ったこっちゃありません」
なんて、いう言い訳は通らないんですよ。
卑怯かつ、狡猾な方ですね、あなたは。
> その両方を「抹殺」という手段で否定しないという意味で、この掲示板は公平さを保証しています。
自分が「公平」だと思っているんだから、質が悪い。
ま、自分自身が見えていれば、当然問題を起こさないんでしょうけどね。
- 親記事No.7910スレッドの返信投稿
- board4 - No.7982
穴があったら入りたい・・・
- 投稿者:たかし
- 2008年04月13日(日) 06時15分
> 確か皇帝は「苦しい、死ぬ」と仮病を言い張り、
> 侍医・近侍は疑念を挟むだけで粛清されるような
> 皇帝と知っていたのでその通り戦場のカルマーン
> に伝えたものと記憶しています。
> 皇帝も、戻ってきたカルマーンに「仮病とは誰にも
> 知らせとらんからの、『ああもう死ぬのか』
> 「臣下も息子も信じない貴方は死ぬべきだ」と事に及び、
> 「父は皇帝病が悪化して崩御なされた」と周囲に
> 言えていたかと。
> ただ一人、状況証拠としての凶器の枕と皇帝の人為
> を知っていたヴェンツェルが「ああ、皇帝の病的猜疑
> についにカルマーンがキレたな」と気付いた次第と
> 記憶しております。」
医者自体存在しないのでは、と言いましたがどうも医者はいるようですね。
一巻の48項でヴェンツェルが刺客を撃退した後「情けない従者どもの為に医師を呼んでやらねば」と言ってました。
今度からちゃんと読むまでは出しゃばらないようにせねば・・・
以後気をつけます。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7983
Re:薬師寺シリーズ考察
- 投稿者:たかし
- 2008年04月13日(日) 06時41分
冒険者風ライダーさん、初めまして。
いつも興味をもって拝見しております。
薬師寺シリーズに関して自分なりの意見を述べたいと思います。
>ドラよけお涼の妥当性
残念ながら私もないと思います。
涼子が関わると奇妙な事が起こるという意味ではむしろ「ドラよせお涼」の方が良いんじゃないかと思った事もあります。
「魔女王」という呼び方もされてますし、こちらの方が妥当性がまだあるのではないかと。
あまりの性格の悪さにインキュバスも逃げ出す「インにげお涼」が一番だと思ってますが(笑)。
>泉田警部補
この人、自分基準での「善良な納税者」に危害が及ばないならば知らん顔決め込んでるのではないかと。
最近では改悪されつつある気がしますけど。
>世界観
呪いや幽霊の類は存在しないけれど怪物は存在するんでしょう。
怪物を倒すのに超常的な力が必要ならオカルト、違うので問題なしというのが作者の考えではないかと推測しています。
>怪物と幽霊・占いの間に明確な区別をつけた上で、作中で相応の説明文を挿入する必要があるのではないでしょうか。たとえば「怪物の存在および特殊能力は科学的・合理的に説明できるが、幽霊や占いはそれができない」とか。
しかし、実際には「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」と薬師寺涼子自らが明言しているように、薬師寺シリーズにおける怪物は幽霊や占いと全く同じカテゴリーで扱われています。また、作中で怪物が駆使していた「壁や床をすり抜けられる能力」についても、科学的・合理的な説明は作中でも何ら付加されておりません。こういう状態で、怪物と幽霊・占いの間に一体どのような区別をつければ良いというのでしょうか?
また、薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」には、陰陽師の子孫を名乗るラスボスが登場しますが、陰陽道には風水関係の占術もあれば、対怨霊対策としての呪術も存在します。そして彼は作中で、陰陽道に海外留学で学んだという黒魔術をブレンドして怪物を作り出していたりしたわけですが、その陰陽道と怪物との間に明確な区別をつけることはできるのでしょうか? ここで陰陽道が否定されると、それを元に創られた怪物の存在自体もまた否定されてしまうことになるのですが。
薬師寺シリーズも、その世界観を作成した田中芳樹自身も、オカルトの中に明確な区別などつけていないと思いますけどね。
これはその通りだと思います。
実在する怪物をペット感覚で使役していたならまだしも、自ら怪物を生み出すのは科学の範疇ではないと思います。
>怪物の存在を認めない警察
これは仕方ないかと思います。
興味本位で探してみたり、作り出そうとしてみたりする輩が必ず現れるでしょう。
対処はしやすくなるかもしれませんが、いつ・誰が・どこで・どんな怪物を作り出すか分かりませんよね。
どうせ分からないなら作ったり使役したりする人間が少ない方がマシではないでしょうか?
- 親記事No.7977スレッドの返信投稿
- board4 - No.7984
Re:なつかしいです
- 投稿者:盗塁王赤星
- 2008年04月13日(日) 12時04分
こんばんは、碧野さん。
私は論理的にはジェシカ・エドワーズ女史の「あなたはどこにいるの?」という問いかけは無茶苦茶だと思います。思いますが…どっかのテキサスの2代目やその手下のような連中にはそう言いたくなる気持ちもすごく分かります。
実際閣僚の従軍経験者の割合が少ない政権ほど容易に開戦に踏み切る、なんていうデータもあるそうですし。
で、ひとつ画期的な提案。
名づけて「開戦指導者切腹義務法」。
開戦に踏み切る決断をした最高指導者は、戦争の勝敗に関わらず、戦後処理が一段落した段階で自ら腹を切らねばならない、という法律です。
開戦を決めるというのは国民に「敵を殺せ、さもなくば死ね」と命じるということですから、指導者にもそれくらいの覚悟がなくては困ります。
かつて江戸時代の農民一揆の指導者は、たとえその要求が認められても刑死を免れることはできなかったといいます。
「それでは本当に必要な時に開戦を決断できる指導者はいなくなってしまう」というなら、現代の政治指導者は農民一揆の指導者ほどにも大義をわきまえていない、ということになってしまうでしょう。
…ま、これは極論ですが。
論理的な正しさと政治的な妥当さ、というのは必ずしも一致しないものですね。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7985
Re7983:同じ主張の繰り返しになりますが
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2008年04月13日(日) 13時04分
たかしさん、はじめまして。
<呪いや幽霊の類は存在しないけれど怪物は存在するんでしょう。
怪物を倒すのに超常的な力が必要ならオカルト、違うので問題なしというのが作者の考えではないかと推測しています。>
ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。普通に考えれば「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの世界にあっても不思議ではない」という流れになるのは自然なことですし、前の投稿でも挙げていた陰陽道や黒魔術のように、怪物を作る能力と占術・呪術を全て兼ね備えているものも存在するのですから。
第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
<これは仕方ないかと思います。
興味本位で探してみたり、作り出そうとしてみたりする輩が必ず現れるでしょう。
対処はしやすくなるかもしれませんが、いつ・誰が・どこで・どんな怪物を作り出すか分かりませんよね。
どうせ分からないなら作ったり使役したりする人間が少ない方がマシではないでしょうか?>
別にオカルトがらみの事件に限らず、ひとつの犯罪は常に模倣犯を生み出す危険があるものですし、「いつ・誰が・どこで・どんな」形で起こすか分からないものなのですが、オカルトがらみの事件に対してのみ特例を認めなければならない理由がどこにあるのでしょうか?
地下鉄サリン事件などは前代未聞のカルト事件として大々的に報道され、社会的にも大きな影響を与えましたが、ではこれは模倣犯を生み出す危険性があるから存在自体を隠蔽すべき事件だったのでしょうか? また、少年犯罪や猟奇的大量殺人事件などは起こるたびに大々的に報道され、そのセンセーショナルな報道による模倣犯の懸念が囁かれることも珍しくないのですが、これらの事件も全て隠蔽すべきなのでしょうか?
しかも薬師寺シリーズの場合、巻毎に毎回オカルトな事件が勃発していますし、全国TVに放送されるような騒動にまで発展している事件すら発生しています。そんな環境で「事件の隠蔽による模倣犯の抑止」などというシロモノが、一体どれほどの効果を上げることができるというのでしょうか?
模倣犯を生むから事件を公開すべきではない、などという考え方は、警察にとっても国民にとっても、自分で自分の首を絞める結果に繋がりかねないと思いますけどね。
それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7986
Re:Re7975:オカルト内での区別の必要性
- 投稿者:ダボ
- 2008年04月13日(日) 13時15分
早速のレスありがとうございます。
<ですので、こと「魔天楼」に関しては、文庫版の方でノベルズ版の訂正が発生する、ということはありえません。>
すみません。ノベルズ版にした時、文庫版から加筆訂正があったのではという話でした。
私の力不足でうまく説明できませんが、「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】に類するものとすることに違和感を感じます。
副題が「怪奇事件簿」とあるように(ちなみにノベル版の裏表紙の紹介には「警察ホラー」とあります)私はむしろ昔の『仮面ライダー』のような単純な怪物退治の話だと思うのですが。
まず「書物の森でつまずいて……」の対談についてですが、
<薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。>
とありますが、【ミステリー小説】というより「屈託しない主人公」の方が重要なのではないでしょうか。
着想段階では「犯人と探偵」の関係になっていますが、「屈託しない主人公」をメインに考えれば何も【ミステリー小説】に限定される話ではないと思います。
「薬師寺シリーズ」は【ミステリー小説】ではないですが、「屈託しない主人公」の物語ではあると思いますが。
次に「幽霊・占いの否定」についても、前の私のレスにあるようにオカルトを肯定している記述が先にある以上、それをもって
<薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。>
とは言えないと思います。
また、
<その場合、怪物と幽霊・占いの間に明確な区別をつけた上で、作中で相応の説明文を挿入する必要があるのではないでしょうか。>
とありますが、確かに「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】とするならそこまで気を配らないとアンフェアかもしれませんが、単純な怪物退治の話ならそこまで気を使う話でもないと思います。(「東京ナイトメア」にしても次作の話ですし)
あの場面で言えば、涼子は単純に「幽霊や占いを信じていなかった」ともとれますし、逆に例え涼子自身は存在を知っていたとしても公的にはオカルトは否定されている世界観からみれば「あえて罵倒する為に否定した」という可能性もあるでしょう。
つまり冒険風ライダーさんは【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが、その前提をなくせば許容できる描写であり、また【ミステリー小説】ではないと解釈することは可能ではということです。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7987
う、うーむ
- 投稿者:たかし
- 2008年04月14日(月) 11時59分
見事に一刀両断されてしまいました。
このシリーズを冒険者風ライダーさん相手に擁護するというのはやっぱり無謀だったかなぁ・・・
> <呪いや幽霊の類は存在しないけれど怪物は存在するんでしょう。
> 怪物を倒すのに超常的な力が必要ならオカルト、違うので問題なしというのが作者の考えではないかと推測しています。>
>
> ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。普通に考えれば「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの世界にあっても不思議ではない」という流れになるのは自然なことですし、前の投稿でも挙げていた陰陽道や黒魔術のように、怪物を作る能力と占術・呪術を全て兼ね備えているものも存在するのですから。
> 第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
その通りなんですよね。
読者への説明がないというのが問題です。
これは擁護のしようがありません。
> <これは仕方ないかと思います。
> 興味本位で探してみたり、作り出そうとしてみたりする輩が必ず現れるでしょう。
> 対処はしやすくなるかもしれませんが、いつ・誰が・どこで・どんな怪物を作り出すか分かりませんよね。
> どうせ分からないなら作ったり使役したりする人間が少ない方がマシではないでしょうか?>
>
> 別にオカルトがらみの事件に限らず、ひとつの犯罪は常に模倣犯を生み出す危険があるものですし、「いつ・誰が・どこで・どんな」形で起こすか分からないものなのですが、オカルトがらみの事件に対してのみ特例を認めなければならない理由がどこにあるのでしょうか?
> 地下鉄サリン事件などは前代未聞のカルト事件として大々的に報道され、社会的にも大きな影響を与えましたが、ではこれは模倣犯を生み出す危険性があるから存在自体を隠蔽すべき事件だったのでしょうか? また、少年犯罪や猟奇的大量殺人事件などは起こるたびに大々的に報道され、そのセンセーショナルな報道による模倣犯の懸念が囁かれることも珍しくないのですが、これらの事件も全て隠蔽すべきなのでしょうか?
> しかも薬師寺シリーズの場合、巻毎に毎回オカルトな事件が勃発していますし、全国TVに放送されるような騒動にまで発展している事件すら発生しています。そんな環境で「事件の隠蔽による模倣犯の抑止」などというシロモノが、一体どれほどの効果を上げることができるというのでしょうか?
> 模倣犯を生むから事件を公開すべきではない、などという考え方は、警察にとっても国民にとっても、自分で自分の首を絞める結果に繋がりかねないと思いますけどね。
確かに事件を隠蔽すればいいというものではありませんね。
仰るとおりです。
怪物とは運次第で遭遇できるから・・・ならなおさら情報を公開すべきだとなりますよね。
ダメだ、自分で突っ込むような考えしか浮かんできません。
素直に兜を脱ぎます。
> それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
法的証拠って何一つあがったませんでしたっけ?
・・・見事に術中にはまってますね、私。
もう一度きちんと読み直します。
議論と言うより指摘されただけでしたね。
どうもありがとうございました。
- 親記事No.7977スレッドの返信投稿
- board4 - No.7988
Re:なつかしいです
- 投稿者:碧野
- 2008年04月14日(月) 12時05分
>盗塁王赤星さん
こんばんは。
> で、ひとつ画期的な提案。
> 名づけて「開戦指導者切腹義務法」。
それはきっついですねー。
本物の「悪徳政治家(?)」なら捨て駒を最高指導者に祭り上げたり、相手国が仕掛けてくるように仕向けるかもしれませんが。
(一方的に仕掛けられた場合でも切腹なら、「うちが戦争を仕掛ければ勝敗はともあれ貴様も道連れだ」って脅されちゃいますし。ある意味究極の瀬戸際外交……?)
- 親記事No.7910スレッドの返信投稿
- board4 - No.7989
Re:マヴァール年代記
- 投稿者:碧野
- 2008年04月14日(月) 12時16分
S.Kさんはじめまして、こんばんは。
>「三雄の中、ヒモ(リドワーン)の一人勝ち」
覇権を争った二人が共倒れして、「権力者なんてもうこりごり、できれば自由に旅して暮らしたいのに国公なんて……」って思ってたリドワーンに権力と旧友同士の大ゲンカの後始末が押し付けれられたので、ある意味リドワーンが一番割りに合わない気も。
シミオンも大人しくしてれば、生き残って公国をそのまま持てたかもしれませんが……リドワーンが本気で権力を持ちたくないなんてとても信じられなかったんでしょうね。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7990
Re:二度手間になっては申し訳ないので
- 投稿者:ダボ
- 2008年04月14日(月) 12時48分
一応、こちらにもレスしておきます。
> ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。
これについては、7986でも書きましたが【ミステリー小説】でなければそこまで厳密に書く必要は無いと思います。
> 第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
おそらく作者は何も考えてなかったでしょうが、とりあえず罵倒する為にあえて言ったのではないかとか理由付けは可能かと。
> それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
別にこれは【ミステリー小説】だからダメという問題ではないですし、私もこれについては全くその通りと思うので言及しませんでした。
あと7904で、
<薬師寺シリーズが「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」との決別を宣言する決定打となります。>
として、
>薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P161~P162
以下の薬師寺涼子が「架空のオカルト本」を探し出すシーンを挙げていますが、この直前に涼子達は実際に化け物の影を目撃しています。
もちろん現実世界の我々がそれを目撃しても理解不能でしょうが、化け物が存在することを知っていてその化け物について知識を持っていれば、そもそも「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」の登場人物『ではない』とすれば涼子の行動としてはそれほど無茶ではないと思いますが。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.7991
Re7986/7990:薬師寺シリーズのオカルト否定について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2008年04月14日(月) 14時27分
<すみません。ノベルズ版にした時、文庫版から加筆訂正があったのではという話でした。>
これは私の早とちりだったようですね。失礼しましたm(__)m。
<つまり冒険風ライダーさんは【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが、その前提をなくせば許容できる描写であり、また【ミステリー小説】ではないと解釈することは可能ではということです。>
これは薬師寺シリーズ考察本編でも書いていることですが、私が薬師寺シリーズを「ミステリー系推理小説」という観点から検証しているのは、薬師寺涼子の突発的な電波推理によって妖怪が犯人であると断定されるところまでです。
そこまでで私は、
<かくして、せっかく当初はミステリー系推理小説を志向し、そのためのお膳立ても整えていたにもかかわらず、作者たる田中芳樹がプロ作家としてはおよそ考えられないほどに安直な解決法に突っ走ってしまったがために、薬師寺シリーズはひとつの可能性を自ら閉ざしてしまうこととなったわけです。>
と主張していますし、それ以降はミステリー系推理小説としての要素を除外した上で作品検証を行っております。そして、むしろその観点で見ているからこそ、作中のオカルト否定描写は大問題になるわけです。
ミステリー系推理小説としての観点から見れば、私が再三問題にしているオカルト否定描写はむしろ作品テーマと合致したものになるのです。「ノックスの十戒」などを持ち出すまでもなく、ミステリー系推理小説では、怪物だろうが風水学だろうが呪いだろうが、科学的・合理的な説明を不可能にするオカルト的要素は全て一緒くたにして全面的に否定されるべきシロモノなのですから。
にもかかわらず、途中でホラーアクションへと路線変更を行った挙句、例のオカルト否定だけは相変わらず保持し続け、その挙句に「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻だらけの支離滅裂なタワゴトをほざきだしたがために、
<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
と私は主張するに至ったわけです。
オカルト否定は、薬師寺シリーズがホラーアクション小説だからこそ問題となるものなのであって、ミステリー系推理小説ならば積極評価することすらできるものである、ということを、まずは理解して頂きたいですね。
<まず「書物の森でつまずいて……」の対談についてですが、
<薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。>
とありますが、【ミステリー小説】というより「屈託しない主人公」の方が重要なのではないでしょうか。
着想段階では「犯人と探偵」の関係になっていますが、「屈託しない主人公」をメインに考えれば何も【ミステリー小説】に限定される話ではないと思います。
「薬師寺シリーズ」は【ミステリー小説】ではないですが、「屈託しない主人公」の物語ではあると思いますが。>
これは薬師寺シリーズ考察本編だけでなく、以前の「検証!薬師寺シリーズ」でも述べていたことなのですが、「魔天楼」の序盤のストーリーだけを見ると、ホラーアクションよりもミステリー系推理小説に近いものがあるんですよね。序盤は推理描写がたくさん存在する上に、妖怪が直裁的に暴れている描写がなかったのですから。
「夏の魔術」や「夢幻都市」などは、薬師寺シリーズと同じく怪物が暴れまわる作品ですが、これらの作品は序盤から怪物の存在を明示し、ホラーアクションであることをアピールしていますが、「魔天楼」では怪物が登場するのは中盤付近になってからですし、それ以前は推理描写モドキな記載が結構存在します。ですので、私は「魔天楼」を最初に読んでいた際、「これは推理物だろう」という第一印象を受けていたものです。突然妖怪が出現して路線が変更されてしまったのには驚かされましたし(苦笑)。
この第一印象に加えて、作中にはオカルト否定があるものですし、例の対談でも「昨今のミステリー作品に対する反発から作った」と本人が明言していたので、すくなくとも「魔天楼」に関して「だけ」は「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」という観点からもあえて検証する必要があるのではないか、と私は考えた次第です。
「屈託しない主人公」については、私は「当初志向していたものの中で唯一残った残骸」であろうと見ています(笑)。まあ、アレだけ強大な権力と財力を振り回すことができるのであれば、誰でも「屈託しない主人公」にはなれるだろう、と私は冷笑的に見ていますけどね。
<次に「幽霊・占いの否定」についても、前の私のレスにあるようにオカルトを肯定している記述が先にある以上、それをもって
<薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。>
とは言えないと思います。>
記載が先にあるか後にあるかで是非を判断するというやり方は、こと田中作品に関する限り有効な手段とは言えません。
田中芳樹はこんなやり方で作品を書いているみたいですので↓
書物の森でつまずいて…… P107
(ぼくら"超能力義兄弟" 対談×連城三紀彦)
<連城:
原稿のところどころを空白に抜いて書き進めていくやり方は今も?
田中:
ますますひどくなってます。
連城:
あれは書きにくいところを抜くんですか。それとも書きやすいところ?
田中:
書けるところをとにかく先に書いちゃうんです。あとでストーリーの展開に応じて場面を組みあわせるわけです。
連城:
風景描写や凝りたいところは、あとへ回すということですか。そのときもう少し考えたほうがいいところはあけたまま結末までいくんですね。
田中:
だいたい冒頭部分ができるのは、あとのほうですね。ラストシーンのほうが先にできちゃいます。>
上記にあるように、小説をブロック工法で執筆している田中芳樹ですから、冒頭の記載だからと言って、その記載が一番最初に書かれているという保証はどこにもありません。その記載はミステリー系推理小説からホラーアクションへの路線変更の際に後付けで追加されたものであるかもしれないわけです。
また、薬師寺シリーズのオカルト否定は、後先の是非を問わず矛盾として成立します。どちらが先であろうと、オカルト肯定とオカルト否定の描写は、一方が他方を否定する関係にあるわけですから。両者が本来両立し得ないという考えなど、作品のプロットを作成する段階で簡単に気づけそうなものなのですけどね~。
それに、ミステリー系推理小説で、あえてホラー的な描写を持ってきたり、傍目にはオカルティックにしか見えない殺人描写が展開される、といった手法はそれなりに存在します。もちろん、それらの描写は最終的に名探偵の名推理によって全て合理的に説明されることになるわけですが、「魔天楼」もまた、序盤の時点ではそういう解釈が成立してもおかしくはないのではありませんか?
<確かに「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】とするならそこまで気を配らないとアンフェアかもしれませんが、単純な怪物退治の話ならそこまで気を使う話でもないと思います。(「東京ナイトメア」にしても次作の話ですし)>
上でも言いましたが、ミステリー系推理小説であれば、科学的・合理的な説明を不可能にするオカルトは一律に全否定しても問題ありませんので、逆にオカルトにいちいち区別をつける必要はありません。
しかし、ホラーアクション小説の場合は、「自分で自分のやっていることを否定している」「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの(作品中の)世界にあっても不思議ではない」という印象を読者および作中キャラクターに与えないようにするためにも、オカルトを否定する場合は明確な基準に基づいた区別が必要になるのです。
単純な怪物退治「だからこそ」、その世界でのオカルト否定には慎重に慎重を期すべきなのではありませんか? しかも、そもそもそんなことをしなければならない「作品上の理由」自体が、薬師寺シリーズの場合は全く不明なのですけど。
<以下の薬師寺涼子が「架空のオカルト本」を探し出すシーンを挙げていますが、この直前に涼子達は実際に化け物の影を目撃しています。
もちろん現実世界の我々がそれを目撃しても理解不能でしょうが、化け物が存在することを知っていてその化け物について知識を持っていれば、そもそも「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」の登場人物『ではない』とすれば涼子の行動としてはそれほど無茶ではないと思いますが。>
その時点ではその描写も、最後に何らかの合理的なトリックとして説明することができれば、「まだ」ミステリー系の推理小説としての体裁をかろうじて整えられないこともなかったんですよね。上でも述べたように、ミステリー系推理小説にも、最終的に合理的な説明がつけられるべきホラー的な描写が存在するものもあるわけですし。
その構図を最終的にぶち壊したのは、その合理的な説明を担うべき探偵役が電波な論理で妖怪犯人説をのたまったまさにその瞬間だったのです。だからこそ、私はあの描写を「ミステリー系推理小説路線崩壊の象徴」として持ってくることにしたわけです。
第一、それまでミステリー的な推理描写を撒き散らしながらオカルト否定までのたまっていた薬師寺涼子が、突然得体の知れないオカルト本を持ち出して妖怪犯人説をぶちまける、などというストーリー展開は、あまりに電波で突発的かつ読者を置いてきぼりにするシロモノではありませんか? 例のオカルト本も、それまでのストーリーで伏線として登場してすらいませんし。