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- board4 - No.8262
薬師寺シリーズ考察10-3
- 投稿者:冒険風ライダー(管理人)
- 2009年11月02日(月) 15時04分
薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P130下段~P131下段
<「で、その後、地球は寒冷化して氷河期が来る、といってまた騒ぎになったな」
「え、温暖化じゃなくてですかあ」
「逆だよ、寒冷化」
「それじゃ、ほんの二、三十年で、逆になったわけですか」
「うん、まったく逆になったね。科学の進歩だか、環境の変化だか、シロウトにはよくわからんが……」
丸岡警部は指先で左の頬をかいた。
「ただ奇妙なことがあるんだな。昔から気になってるんだが」
「何ですか」
若い聴衆が興味をしめしたので、初老の語り手は気分を良くしたようだ。
「いやね、石油がなくなるとか、氷河期が来るとか、いや温暖化とか、世界的に大騒ぎして、環境保護が大声で叫ばれる……で、ふと気づいてみると、かならず石油が値上がりして、原子力発電所の数が大幅に増えてるんだな、これが」
「ほんとですかあ!?」
「憶えてるかぎりじゃ、かならずそうだな」
「そういえば、アメリカでも原子力発電所をいっぺんに何十も建設するらしいですね。スリーマイル島だったかな、大事故のあと建設を全面停止していたのに……あれ?」>
そしてこれまた一昔前の社会評論の蒸し返しですね。
上記の地球温暖化問題と原子力発電所云々の社会評論は、創竜伝4巻にも同主旨の記述が存在します↓
創竜伝4巻 P37上段~P39上段
<一九八八年の末あたりになると、「温室効果」という言葉は、すっかり一般化してしまった。つまり、工場や自動車や火力発電所から排出される二酸化炭素が地球をすっぽり包んでしまい、太陽からの熱を吸収する一方で、地上の熱は外に逃がさない。かくして日本国の気象庁の気候問題懇談会によれば、「地球の気温は三・五度C上昇し、南北両極の氷が溶けて海面は一・一メートル上昇する」とある。事実ならたいへんなことだ。
ところが、ここに奇妙な符合がある。一九八八年という年は、日本をふくむ世界各地で、原子力発電に反対する運動が、急激に盛りあがった年であった。これは何といっても、一九八六年四月にソ連のチェルノブイリで発生した原子力発電所の大事故が、しだいに実態を明らかにされていき、人々の危機感が高まっていったからだ。
そのころから、つぎのような意見が目だちはじめた。
「原子力発電は石油や石炭のような化石燃料とちがって二酸化炭素を放出しない。だから温室効果をおこさないためには、原子力エネルギーを使うべきである。その原子力発電に反対するのは、温室効果を促進し、地球の環境破壊に荷担する行為である」
つまり、
「原子力発電に反対する者は、環境の敵、地球の敵である!」
ということになる。この論法は正しいだろうか。
(中略)
現在の人類、ことに先進国民と自称する人々が、石油を乱費し、森林を破壊し、水と大気を汚染し、地球の環境を荒廃させつつあることは事実であり、当然、反省すべきであろう。その結果、エネルギーのむだづかいをへらし、むやみに樹木を伐採することをやめ、自動車の排気ガスをへらすことができれば、けっこうなことだ。一九八九年、「ハーグ宣言」などによりフロンガスの使用が全面禁止にむかったのは、人類の理性が確かに存在することを示すものであった。ところが、原生林を切り開いて自動車道路をつくり、珊瑚礁をたたきつぶして空港を建設するような計画を強引に進めておいて、「環境を守るために原子力を使おう」というのは、すこしおかしいのではないだろうか。
一九八九年、日本の科学技術庁は、「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」として、10億円という巨額の予算を獲得した。これは前年度予算の五倍である。つまり、「原子力発電は安全である」ということを新聞、雑誌、TVで宣伝するわけで、協力してくれる文化人には多額の報酬が支払われる。一部の文化人にとって、原発賛成はいい商売になるのだ。
なお、電力会社によっては、女子社員を原子炉近くの管理区域まで行かせて、原子力発電の安全性をPRすることがある。こういうのを、昔からの日本語で「猿芝居」という。上役の命令にさからえない弱い立場の社員に、そんなことをさせるのは卑劣というものだ。電力会社の社員が、原子力発電所の敷地内に社宅を建てて、家族といっしょにそこに住みついたら、「原子力発電所は危険だ」などという者は、ひとりもいなくなるだろう。何億円も宣伝費をかけるよりも、よほど説得力があるというものである。できないのは不思議だ。彼らは「日本の原子力発電所は絶対に安全だ」と主張しているのだから、そのていどのことができないはずはない。もっと辛辣に、「東京の都心部に原発をたてたらどうだ、絶対安全なのなら」と主張する人もいるのだから。>
そしてこれについても「私の創竜伝考察9」ですでに言及済みだったりするのですが、どうも田中芳樹は、作品執筆におけるストレス解消に磨きをかけるあまり、作品を構成するストーリーばかりか、そのストレス解消の要となるはずの社会評論ですら手抜きトレースを躊躇わなくなってしまっているようで(>_<)。
日本で原子力発電が推進されている最大の理由はいくつかありますが、中でも経済コストとエネルギー安全保障の問題は無視できるものではありません。原子力発電は少量のウラン燃料を長期に使用できる上にリサイクルも可能なため、膨大な購入・輸送コストがかかる石油に比べて原価を大幅に抑えることができ、結果として火力発電に比べ発電量当りの単価を安くできるという利点があります。資源小国の日本にとって、これが大きな死活問題であることは論を待たないでしょう。
また、戦前の石油禁輸や1970年代のオイルショックを例に挙げるまでもなく、石油は石油産出諸国の政情や世界各国の政治的思惑、さらには発展途上国の飛躍的な需要増加などで価格の変動が激しく、場合によっては安定供給すら満足に行えないリスクも背負っています。日本の国情およびエネルギー安全保障の観点から見れば、石油に頼らないエネルギー供給体制の確立は、国家の安全のみならず国民生活の維持・保護のためにも必要不可欠なことなのであって、決して3流陰謀論で罵られなければならないものなどではないのです。
さらに問題提起すれば、火力発電は地球温暖化の原因とされる二酸化炭素のみならず、窒素酸化物(NOx)・硫黄酸化物(SOx)・浮遊粒子状物質(SPM)などといった有害化学汚染物質も排出し、大気汚染の原因にもなっているわけなのですから、公害対策の観点から言っても何らかの対策ないしは代替システムの必要に迫られるのは至極当然のことでしょう。戦後の日本で、あれだけ大気汚染や水質汚濁などの公害問題が喧伝されていた歴史的事実を、まさか知らないわけではないでしょうに。
そして、地形条件に束縛される水力や地熱発電、バードストライクや低周波問題を引き起こす風力発電、そして発電量が少なく(現時点では)設置コストやメンテナンス費用も高い太陽熱発電といった他の様々な発電システムを鑑みても、コストパフォーマンスに優れ、エネルギーの安定供給にも寄与し、かつ公害対策にもなるという総合評価で原子力発電の絶対的優位は現時点では到底覆りようがなく、それ故に原子力発電は支持される、といった構図があるわけです。田中芳樹の脳内にしか存在しない5流右翼な仮想人間と違って私は別に「原子力発電に反対する者は、環境の敵、地球の敵である!」などと言うつもりはありませんが、この構図を直視せずして原子力発電の危険性を云々したところで、日本の電力の3割以上を原子力発電でまかなっている現実の前では問題の解決になど全くならないでしょうに、とは言いたいところでしてね(苦笑)。
まあ、サブ的な位置付けでしかない小説中のストーリーどころか、メインのストレス解消であるはずの社会評論の開陳ですら過去の作品や偏向マスコミ新聞から何ら加工ひとつ施さずにトレースするだけの手抜き作業に終始する田中芳樹などに、環境問題やエネルギー問題についてマトモに語ることを要求することがそもそも無理な相談であると言われれば全くその通りなのでしょうけど(爆)。
さて、薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」に関する考察もいよいよ最終場面にさしかかってきたわけですが、またしても田中芳樹はド派手にやらかして下さいました(>_<)。
ゴユダという半人半鰐(ワニ)の怪物であるサリー・ユリカなる存在が警視庁に直接乗り込み、その超常的な力を行使して散々なまでに暴れ回るシーンなのですが……↓
薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P176下段~P177上段
<しなやかな女性の形をしたロケット弾が、男たちの群れに飛びこんだかのようだった。鈍い音がひびき、怒号と叫喚がかさなりあった。
「な、何だ、あれは、人間の力か!?」
公安部長の声は、九割がた悲鳴である。
半魚姫サリーよりはるかに筋骨たくましい男たちの身体が宙を乱舞した。天井に激突し、床にたたきつけられ、壁へ吹きとばされる。
必死の形相でサリー・ユリカに組みついた制服警官が、かるく振りほどかれ、天井に放り上げられる。照明に激突し、床に落下すると、割れくだけたガラスの雨が降りそそぐ。さらにその上に別の人体がたたきつけられる。
「あ、あの女、薬物でも使ってるんだな。覚醒剤か、筋肉増強剤か、いや、もっと強力な麻薬だ。そうにちがいない!」
公安部長は必死に自分を納得させようとしている。残念だが、私には、このエリート官僚を安心させてやることはできなかった。真実を語ってやっても、どうせ信用してはもらえない。>
あの~、あれだけ「非科学的」な怪物が何度も跳梁跋扈している薬師寺シリーズの世界で、しかも1巻ならまだしも8巻もシリーズが続いている上に怪物の存在そのものが大々的に誇示されているにもかかわらず、肝心の怪物に対する世間一般の認識が未だにこの程度のレベルでしかないというのはいくら何でも不可解極まりないのではありませんかね?
薬師寺シリーズは1巻目から「非科学的」な怪物が登場し、多くの人間がその暴れ回る様を目の当たりにしているばかりか、その実態について報道規制が敷かれている形跡もなく、それどころか4巻「クレオパトラの葬送」に至っては全世界的規模で展開する報道機関によってその存在が大々的にアピールされてすらいます。しかも、薬師寺シリーズにおける怪物騒動は全て日本警察の動向が直接間接に関係していますし、そのうち8巻を含む5回は日本警察自体も巻き込まれています。あれだけ何度も同種の怪物騒動が頻発し、他ならぬ自分達自身の目で騒動を目撃&体験しているにもかかわらず、警察の反応が「怪物の存在が認知されていなかった」1巻の頃と全く同じ、というのはそれこそ「科学的に」どころか「オカルト的に」考えても到底ありえない話ではありませんか。
さらに言えば、6巻「夜光曲」で発生した怪物騒動では公安自身も捜査に乗り出しており、また一連の騒動はTVで生中継までされているので、8巻の時点でこの公安部長が怪物の存在すら認知していないなどという事態はますますもってありえないことなんですよね。警察内部のセクト主義や薬師寺涼子の秘密主義で怪物関係の情報が公安部にまで行き届かなかったとしても、TVで大々的に報道された上に自分達自身もまた当事者である以上、公安部自身の調査で「科学では説明できない異常事態が発生している」「正体不明の生物の存在が確認される」程度のことくらい把握できないわけがないのですし。
「あの」創竜伝ですら、たびたび登場したドラゴンの存在はTVその他のマスコミ報道が大々的になされると共に一般人にも認知されていきましたし、それを利用した「ドラゴンは人類の敵」と一方的にレッテルを貼る情報操作が四人姉妹や日本の政治家達を中心に行われたりもしたものなのですが、薬師寺シリーズの世界ではいくら大々的な報道がなされても、また多数の目撃者がいても、怪物および超常現象の存在は、薬師寺涼子一派と敵陣営以外の一般人どころか事件の被害者・関係者達にさえ認知はおろか記憶すらも全くされることがないときているわけです。こんな奇妙奇天烈な事態に比べれば、怪物や超常現象の存在の方がまだはるかに万人に受け入れられ、理解されるものですらありえるでしょう。
田中芳樹は妖怪・怪物の存在を「非科学的」として全否定するあまり、そんなものとは比べ物にならないほどに「非科学的」かつ「非オカルト的」で前人未到な超異常怪奇現象を、しかも作中で何ら設定を付加することすらもなく、あたかも説明するまでもない常識であるかのように出現させてしまっているわけです。私が薬師寺シリーズ考察で何度も指摘している「オカルトに依存しながらオカルトを否定する」という愚行をそこまでして貫くことに、作品として一体如何なる意味と意義があるというのでしょうか?
そしてこれにさらに追い討ちの仇花を添えるのが、支離滅裂ながらもとにかく対策を考えついた公安部長に対する薬師寺涼子の発言です↓
薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P179下段~P180上段
<「バ、バ、バケモノだ……」
泣き出しそうな声は公安部長だ。雄弁きわまる事実を目撃した警官たちも声が出ない。なす術もなく立ちつくすばかりだ。
涼子は小さく舌打ちし、指を引金にかけたまま、くるくる拳銃を回転させた。
「やっぱりねえ、拳銃ていどじゃ通用しないか」
涼子の美しい脚にしがみついたまま、公安部長があえいだ。
「じ、自衛隊を呼ぼう、そうだ、自衛隊だ」
「おだまり!」
涼子が叱咤する。
「自衛隊を呼ぶなんて、あたしが許さない」
「ゆ、許さないって、こうなったら、戦車かミサイルでも持ってこないかぎり……」
「自衛隊内で犯罪が起こって、警察が踏みこむことはある。だけど、自衛隊が警視庁に踏みこむなんてことはありえない、許されない。それが日本警察の矜持ってもんよ。部長だろうと総監だろうと、その矜持がないやつは、警察から出ておいき!」>
…………駄目だこいつ…。早くなんとかしないと…(>_<)。
この場面では、拳銃を所持し発砲した複数の警察官が、半人半鰐の怪物サリー・ユリカにあっけなく返り討ちにされ、さらに追い詰められようとしている状況にあります。サリー・ユリカに返り討ちにされた警察官は戦闘不能にされた上負傷もしていますし、サリー・ユリカをここまま放置すれば更なる犠牲者が出ることも避けられないという事態では、「自分達の戦力だけでは犠牲が増えるばかりだから、他所から応援を頼もう」という判断自体は極めて妥当なものですし、法的手続きの煩雑さや指揮命令系統上の問題等を抜きにして純粋に当てにできる戦力として自衛隊が挙げられるのもまた、拳銃が通用しない敵を目の前にしている状況では有力な選択肢のひとつとして当然考慮されるべきものでしょう。一般的な犯罪捜査や軍事クーデターとはわけが違うのです。
また、公安部長には単に目の前の敵に対処しなければならないだけでなく、自分の部下である警察官の生命と安全を守る義務もあります。拳銃が通用しない敵を相手に、しかも戦闘不能にされた部下達を目の当たりにしてなお、自分の部下達に勝算も成果も皆無な特攻を命じるような人間は、公安部長どころか人間としてすら間違いなく失格の烙印を押されることでしょう。圧倒的な敵を目の当たりにした場合、むやみに突撃を敢行するのは勇気ではなく蛮勇と無能の証でしかなく、自分と相手の力の格差を正確に見切った上で撤退ないしは援軍要請の決断を下すこともまた、指揮官として必要とされる資質なのです。
にもかかわらず薬師寺涼子は、まるで自軍の撤退を許さず部下に特攻を強いた戦前の右翼軍人のごときタワゴトを、しかも越権行為を平然とやらかす参謀将校のような態度で公安部長に叩きつけたわけです。誰が信奉しているかも不明なばかりかそもそも存在すら疑わしい「日本警察の矜持」とやらを振り回して「自衛隊を呼ぶなんて、あたしが許さない」などとほざく薬師寺涼子は、国粋主義を絶叫して特攻を煽った戦前の右翼軍人とどこが違うと言うのでしょうか。
創竜伝でも、かつてこんなことが言われていたはずなのですがね↓
創竜伝6巻 P90上段~P91上段
<「三十六計逃ぐるにしかず、さ」
そのていどの故事成句は、終でも知っているのだった。
西暦五世紀の中国、南北朝時代。宋という国があった。これは唐の後に天下を統一した宋とは別の国である。宋の名将檀道済は北の国境を守って強大な北魏軍と戦いつづけた。彼の戦術は巧妙をきわめ、北魏軍をさんざんに撃ち破った。ときには敵の前から逃げまわってその戦力を削ぐという手段にも出た。どうしても檀道済に勝てない北魏軍は、くやしまぎれに「逃げじょうずの檀将軍、三十六策中、走るが上策なり」とののしった。ののしっても勝てないのだから、どうしようもない。檀道済が健在なかぎり宋は安泰であるはずだった。
ところが、時の宋の皇帝は、檀道済の名声と実力をおそれ、無実の罪を着せて彼を死刑にしてしまった。強敵の死を知った北魏軍は狂喜し、おりからの酷寒で凍結していた河を騎馬隊で突破して一挙に宋の国都を衝いた。城外を埋めつくす北魏の軍旗を見て、困惑した皇帝は、「檀将軍はどこにおる」と叫んだという……。
まったく、逃げることも必要なのだ。日本史上、もっとも「逃げじょうず」といわれたのは織田信長で、「こいつはいかん」と思うと、むだな体裁などつくろわずに逃げまくった。徳川家康も大坂夏の陣で真田幸村に追われて逃げまわった。これは幸村の名誉であるが、べつに家康の恥ではない。
第二次世界大戦で、日本軍を狂気と妄想が支配するようになると、逃走や退却は恥だということになった。兵士たちに退却を許さず、戦死や自殺を強要しておいて、将軍や参謀たちは自分たちだけさっさと飛行機で脱出したという例はいくらでもある。>
この論理から考えると、素直に「自分達ではかなわない」と悟り、援軍要請を決断しようとした公安部長を恫喝した薬師寺涼子は「逃走や退却は恥だ」と考える「狂気と妄想が支配する」キチガイそのものである、ということになってしまいますね(笑)。まあ、これまでの支離滅裂かつ開き直りな発言&犯罪行為&犯罪隠蔽の数々からしても、薬師寺涼子に対するその評価は至極妥当なものだと言わざるをえませんが(爆)。
それに、日本の警察がこうまで「非科学的」な怪物になす術もなく一方的に振り回される原因のひとつは他ならぬ薬師寺涼子自身にあるではありませんか。薬師寺涼子は1巻の頃から「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの」などというタワゴトな要求を日本警察に押しつけた上、その後の事件でも積極的な犯罪隠蔽工作を行ってオカルト事件を勝手に迷宮入りにした挙句、今後の犯罪捜査に役立つであろうオカルト関連の情報を日本警察に提供しようとすらしなかったわけです。自分から積極的に日本警察を自縄自縛の状態に追いやったことを棚に上げて今回の発言では、日本警察としてもたまったものではありますまい。
もし薬師寺涼子が自分で収集したオカルト情報をきちんと警察に提供し、対オカルト犯罪捜査のマニュアルでも作成して全警察官に周知徹底させるよう働きかければ、警察だってより効果的かつ事前準備を整えた上での対処が充分に可能だったでしょう。何も知らないで奇襲を受けるのと、事前に知識があるのとでは、当然対処だって変わってくるのですから。また薬師寺涼子にはそれだけのことが実行しえる地位も発言権も備わっているのですし、どうしても自分の主張が通らない時はそれこそJACESのバックアップを利用することだってできるわけです。そんな恵まれた環境にありながら「地位と権力に見合った責任を取らない」「やるべきことをやらない」薬師寺涼子が、どのツラ下げて公安部長を恫喝することができるのか、その責任転嫁と厚顔無恥ぶりには本当に呆れるばかりです。
そして、このような支離滅裂なタワゴトを吐き散らす低能キチガイ女に対し、忠実な下僕兼腰巾着を自認している泉田準一郎はと言えば……↓
薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P214上段
<またしてもアカンベエをするオトナゲない上司に、私は声をかけた。
「カッコよかったですよ」
「何が?」
「公安部長に向かってタンカを切ったときです」
半魚人サリーの破壊力に動転した公安部長が、自衛隊を呼ぼうと主張したとき、涼子は応えた――矜持のないやつは警視庁から出ていけ、と。そのときの涼子は、ほんとうにカッコよかったのだ。>
などと無条件かつ盲目的な礼賛すら率先して行う始末。薬師寺涼子の精神的奴隷にして狂信者であるところの泉田準一郎は、「下手な礼賛・擁護は上手な批判以上に対象を却って貶める」という言葉をまさに地で行く存在としか言いようがありませんね。あれほどまでに薬師寺涼子の性格および全行動を詳細に知りうる立場にありながら、薬師寺涼子が抱える真の問題点から目を背けつつ表層的な礼賛をやらかすしか能のない泉田準一郎は、常人には到底理解に苦しむシロモノでしかないのですが。
まあ、生まれながらにスレイヤーズと極楽大作戦の出来損ないな超劣化クローン人形という素質を持ち、周囲をとにかくひたすら罵りまくることが「強さ」であると勘違いしている超低能キチガイ女のケバケバしさを飾り立てる御粗末な添え物としては、泉田準一郎がこれ以上ない打って付けの人材であることはまず間違いないのですけどね(苦笑)。
さて、今回の考察の投稿により、薬師寺涼子の怪奇事件簿についての考察シリーズは、2009年11月現在における薬師寺シリーズの最新刊まで追いつくこととなりました。
今後も新刊が刊行され次第、薬師寺シリーズ考察もまた続けていくことになりますが、議論は別として、それまではひとまず、薬師寺シリーズ考察本体そのものは一時休息とさせて頂きたいと思います。
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- board4 - No.8263
第三回タナウツオフ会開催のお知らせ
- 投稿者:冒険風ライダー(管理人)
- 2009年11月05日(木) 11時14分
突然ですが、今年の年末に、三回目となるタナウツオフ会の開催を計画しております。
つきましては、第三回タナウツオフ会の参加者を募りたいと思います。
今回のタナウツオフ会の主要目標はコミックマーケット77の一般参加。よって前回のオフ会と異なり、開催期間はコミックマーケット77開催時期に合わせ12月29日~31日の間、場所は東京で最初から確定となります。
第三回タナウツオフ会における当面の大方針としては「コミックマーケット77の2日目と3日目は午前中から一般参加する」がすでに確定済みとなっています。タナウツ独自のサークル出展等の予定は一切ありません。
それ以外のスケジュールについては、参加者の人数や個々人の都合/動向などを元にこれから見切り発車的に作成していくこととなりますが、詳細は随時更新・連絡していきます。
参加希望をはじめとするタナウツオフ会に関する書き込みは、田中芳樹を撃つ!掲示板、場外乱闘掲示板、田中芳樹を撃つ!mixi商館のいずれで行ってもかまいません。
また、12月20日頃にはスケジュールをある程度まとめ、メールでの連絡に移行したいと考えております。その際、参加希望の方でメールアドレスを他者に公開したくないという方がいらっしゃいましたら、管理人までメールでご連絡下さい。
オフ会開催期間内で都合がつく方はもちろん、コミケで出展される方で顔合わせをしたいという方も大歓迎です。
それでは、よろしくお願い致します。
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- board4 - No.8264
ヒルメス新生
- 投稿者:JIN
- 2009年11月05日(木) 13時38分
> 確かに、ヒルメスが好きな方にとって今の扱いは・・・
> ヒルメスなどに対してもそれなりに納得できる結論が出ることを期待したいですね。
はじめまして。最近になって第二部を読み始めている者です。
自分的に、ヒルメスについては、むしろよくぞここまで成長したという感じですね。
イリーナを亡くしてからは、仮面兵団を経て、全く縁も所縁も(恩も恨みも)無い土地で新たな出会いを経てという感じで。
ブルハーンやラヴァンも好きですが、やはり最大はフィトナ。
とにかく「女」と「参謀」に縁の無かったヒルメスにとってまさかそれが一緒になって出てくるところとか。
モデルとしては「マムルーク朝エジプト」という感じですが、果たして彼が再びパルスの土を踏む時が来るのか。
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- board4 - No.8266
読者は変わる 変わらないのは田中芳樹だけ
- 投稿者:モトラ
- 2009年11月16日(月) 03時29分
「仕分け」ニュースについてのまとめブログに、以下のようなコメントが。田中芳樹は喜びのあまり、創竜伝を異例の早さで刊行するかもしれないw
ttp://newtou.info/entry/2289/
"日本の科学研究、ボロボロに" iPS細胞生んだ事業、スパコン、科学未来館など、仕分け人が軒並み「予算削減」「廃止」
180 : 名無しの名投手 : 日本オワタ\(^o^)/ 2009/11/15 02:02:58 ID: 48SKaL79
18 : 賛成 0: 反対
田中芳樹が大喜びだなあ?おい。
シナクソ礼賛、文系最高、理系不要論者だもんなあ?
「一度やらせてみよう、ダメだったらまた交代すればいい」?
その交代までに致命傷を負わされるぞ。
まだ2ヶ月しか経ってないというのに。
181 : 名無しの名投手 : もうどうでもいい 2009/11/15 02:20:13 ID: hatfWIBY
10 : 賛成 0: 反対
>>180
田中芳樹が銀河英雄伝説の中で描いた「狂った右翼の暴走の末路に滅びる民主主義」を
左翼の皆さんがもろ実現してくれているこの皮肉
202 : 名無しの名投手 : 日本オワタ\(^o^)/ 2009/11/15 11:57:16 ID: DIU28XNd
2 : 賛成 0: 反対
>>180
トピずれだが、田中芳樹は酷いな。
「創竜伝」では新宿都庁を破壊、日本国首相を失禁させ中華を礼賛。
保守や愛国思想をとことんけなし、対談では「日本は滅びる」と発言。
十年以上前に読んだのに、今だに覚えてるわ。
売国奴の典型。
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- board4 - No.8267
Re8266:創竜伝よりも薬師寺シリーズでは?
- 投稿者:冒険風ライダー(管理人)
- 2009年11月16日(月) 11時13分
逆に書けないのではないですかね、創竜伝は。
何しろ、最新の13巻では夫婦別姓・外国人参政権の導入といった「民主党が推進している政策」を、京都幕府率いる竜堂兄弟は「東京の政府に対抗する【反体制的な】政策」として掲げているわけですから、今続巻が出てしまうと、「万年反体制」を売りにしているはずの竜堂兄弟一派が逆に「体制派」になってしまうという深刻な矛盾が発生してしまうんですよね。第一、作中の「東京の政府」にしてからが、すでに時代錯誤どころか歴史の一ページと化している感すらある森&小泉政権モドキなシロモノなのですし(苦笑)。
それに今の田中芳樹は、例の創竜伝14巻刊行無期限延期問題に見られるように、創竜伝のシリーズ刊行自体を避けているフシすら垣間見られますし、アレだけ大量の矛盾や破綻を生じさせている創竜伝を続けるのがいかに難しいかはさすがに理解せざるをえないでしょうから、創竜伝の新刊が出る見込みは今後も絶望的なまでに低いと見ても良いのではないかと。
田中芳樹が政権交代の喜びを作品に反映させるとするならば、むしろ「第二の創竜伝」と化している感のある薬師寺シリーズの方でしょうね。こちらはすでに現行の新刊刊行スケジュールの中にも執筆予定が明記されているわけですし、創竜伝に見られるような時事問題の大量挿入に伴う矛盾も(すくなくとも創竜伝ほどには)多くないわけですから。
薬師寺涼子や泉田準一郎が、民主党の政策を絶賛しつつ、自分達が「体制派」であることを隠して「反体制派」ヅラをするサマを見るのは、私としても不愉快極まりない話ではあるのですけどね(>_<)。
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- board4 - No.8268
「らいとすたっふ」ブログにて
- 投稿者:冒険風ライダー(管理人)
- 2009年11月19日(木) 10時33分
民主党の「事業仕分け」について「らいとすたっふ」の社長氏が以下のような記事をアップしていますね。
ttp://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2009/11/post-77e2.html
まあ言っていること自体は特に異論はないのですけど、これって己の政策提言が民主党の諸政策と軒並み合致している田中芳樹からすれば絶対に反発しそうな主張ですね(^^;;)。
特にこれなんか田中芳樹の主義主張を真っ向から否定していますし↓
<いま、政府がやっていることは、この理屈を国の予算にも当てはめているのですよね。
でも、政府のやる事業というのは、果たして収益事業なんでしょうか。
収益を上げることの出来る事業は民間に任せ、収益こそ上がらないものの、国民の生活を豊かにすることにつながり、国としての将来を見据えたうえで必要だと判断される事業を行うのが、国の役割なんじゃないでしょうか。
「支出を抑えること」と「収益を上げること」が等価というのは、民間企業でのモノサシでしかないと思うのですけどね。>
イギリス病のすすめ・文庫版 P215~P216
<土屋:
それともう一つ、日本はイギリス病を輸入しないといけないね、イギリス病にかからないといけないんじゃないか、それはやっぱり「美しく老いる」ことなんだよね。その渦中にあったイギリスは、美しいなんて思ってられなかったと思うけどね。覚悟はあったとしてもいきなりのイギリス病だったし。……でも、今になってみると、やっぱりああいうふうに停滞をするということ、停滞をしなくちゃいけないということ……要するに、「進歩し続けることが唯一の道」みたいな考え方を、どこかで転換させなきゃいけないんじゃないか。かといって退化しろというわけじゃないけどさ。(笑)もともとそれは無理だしね。退化するわきゃないし、退化できるわけがないけど。
田中:
永遠に全力疾走できるわけはないのに、そう思って走ってきて、一度でも転ぶともうレースに参加できない、という感じでずっとやってきたから……やっぱりこれは「イギリス病のすすめ」ってのがいいかもしれない。少なくとも歩くとか休むとかっていう選択ができるようにしておきたいですね。
土屋:
だからね、貧乏になろうよ、国を挙げて貧乏になりましょうよ、って。おれは貧乏だけどね。(笑)
田中:
日本全体がもともと貧乏だったんだし。(笑)ちょっときれいごとすぎるけど、「清貧」って言葉もあるくらいだから。日本人自身も、そのほうが気楽かもしれない。
土屋:
金持ちだから世界中で悪いことやるわけで、「貧乏になりゃあいいじゃないか」ってね。>
薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」 講談社ノベルズ版P60上段~P61下段
<「西太平洋」ということばで、私は思わず涼子の顔を見た。涼子がみじかく説明する。
「石油開発公団から融資を受けてる会社よ」
「石油開発公団から資金を借りるのは、いくつかの石油探査会社なんだけど、この会社そのものが、公団からの出資でつくられたものなの。社長以下、役員すべてが天下リ」
そうつけくわえたのはジャッキーさんだ。女ことばそのままだが、きびきびした説明ぶりが、何とも奇妙な感じだった。
「しかも、石油が出なかったら、公団から借りた資金は一円も返さなくていいのよ」
「……まさか」
「あら、ほんとよ。何千億円借りていようと、石油が出なかったら一円も返さなくていいの。法律でもちゃんとそうなってるの」
ジャッキーさんは、むずかしい表情になり、トルコ石らしい指輪をはめた太い指で書類をめくった。
「この西太平洋石油開発とかいう会社は、公団から四〇〇〇億円ほど借りてるのね。でもって、石油は一滴も出てないから、もちろん一円も返さなくていい。まじめに働いて石油が出たら借金を返さなくちゃならないんだから、何もしないで遊んでいるほうが得なわけよね。よくもつごうのいいこと考えたもんね」
「何にいくら費ったと思う?」
「さあね、でも、仮に半分しか本来の目的――油田を発見するために費っていないとすれば、二〇〇〇億円がどこかヤミに消えたってことだわね」
これが先進国のできごとだろうか。私は頭痛がしてきた。国民が支払う税を、役人が好きかってに浪費して、罰せられることがない。そういう国を後進国というのではないだろうか。>
そして田中芳樹的視点から見た「事業仕分け」というのは、創竜伝13巻で掲げられていた「特殊法人の廃止」とある程度合致&創竜伝9巻と薬師寺シリーズ8巻で論っていた理系偏重厚遇問題を消滅させるものなのですから、田中芳樹的には絶賛する理由こそあれ、否定しなければならない動機がどこにも存在しないのですけど。
これまでの傾向から考えれば、創竜伝にせよ薬師寺シリーズにせよ、「事業仕分け」を含めた民主党の諸政策は無条件で絶賛されることになるでしょうし、この手の政治思想の相違が元で社長氏と田中芳樹が喧嘩になりはしないか、と他人事ながら少々心配になってしまいますね(^^;;)。
あと、もうひとつ気になったこと↓
<以前の自公政権でも同じようなことがありましたが、どうして政府のエライ人たちは、「お金を恵んでやれば、庶民は喜んで政権を支持する」なんて思うんでしょう。
いまの「普通の」日本人は、そんなに卑しくはありませんよ。>
すくなくとも、誰に頼まれもしないのに、自ら率先してパチンコを「警察権力と癒着」「警察利権の温床」云々と批判しておきながら、金目当てで自分達の作品をパチンコに売り飛ばすという、他者から見れば充分に「卑しい」と評価されて然るべき作家と会社は立派に実在するのですから、そういう「下には下がいる」実例を鑑みれば、生活困窮その他の理由から金を欲し、恵んでくれた政府に感謝する人間がいることくらい、別に何ら不思議なことではないのでは(苦笑)。
もちろん、圧倒的大多数の「普通の」日本人はいくら何でもそこまで卑しくはありませんが(爆)。
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- board4 - No.8269
「私の創竜伝考察39」他を読んで思いついた
- 投稿者:イクジス
- 2009年11月22日(日) 06時16分
「すると君は、この世に正義の戦争が存在することを認めないのかね」
「春秋に義戦なし」
続の声はひややかである。
「兄に教わったんですよ。孟子の言葉です。この世に正義の戦争なんて存在しない」
「ふん」
「孟子は紀元前三〇〇年ごろの人ですからね。正義の戦争を呼号するアメリカの大統領や、それを賛美する日本の一部マスコミは、孟子より精神の発達が二三〇〇年ぐらい遅れてるんでしょう」
「君はそういう論法を好むようだな」
男は高く低く、あざけりの声を出した。
「それではお聞かせ願いたいが、孟子は殷周革命についてどう思っているのだろうかね」
「あなたは何をおっしゃっているのですか。否定的な意見を持っているに決っているでしょう」
続の人を侮蔑しきった顔を見て、男は怒りよりも先に憐れみを覚えた。
「君はもう少し本を読んだ方がいい。孟子は当時の彼のパトロンの斉の宣王に、紂という一人の男が武王に殺されたことは聞いていますが、家臣がその主君をあやめたということは聞いたことがありません、と答えたのだよ」
「そ、そんなことが孟子七巻のどこに書かれているというのですか」
「卷第二、梁惠王章句下」
よどみなく答えられ、続はあてが外れた顔で絶句した。難癖をつけようにもうまい切り返しの文句が頭に浮ばない。
男はつづける。
「ついでに言えば燕という国の政変に斉が派兵することについても孟子は是認している。現代的な観点からすればあきらかに侵略なのにな。
要するに春秋に義戦なし、とは正確には、春秋には義戦なし、と解釈すべきものなのだ。周初以前には正義の戦争があったのに春秋時代には一つもなかった、といっているのだな」
「それがどうしたと言うんです。正義の戦争は存在しない、これは絶対の真理なんです」
続の声に熱がこもった。あきらかに暴力を背景にした物言いであったが、男はそれに気づかなかった。
「君はどうやらチャイナの思想家がお好きなようだな。それでは君に孔子の言葉を贈ろう。“道に聴いて途に説くは、徳をこれ棄つるなり”だ。聞きかじりの知識を人に受け売りするのは馬鹿のやることだ、というくらいの意味だな。
孔子は紀元前五〇〇年ごろの人だ。君の論法をかりれば、君は孔子より精神の発達が二五〇〇年ぐらい遅れているわけだごらばや!」
快速列車に正面衝突したような衝撃を男は感じた。一瞬、意識が白濁した。やがて男は地べたに叩き伏せられている自分を発見した。鉛を詰めこまれたように重い頭を上げた。竜堂家の長男が傲然と見おろし、次男が冷酷な笑みを浮べ、三男が快活そうに笑い、末っ子が天使のように笑っているのが見えた。
「渇しても盗泉の水を飲まず、と孔子は言った。四姉妹の汚れた水を飲むような奴はおれたちの制裁を受けて当然だ」
「ぼくに意見できるのは始兄さんだけだということを知らなかったのがあなたの罪です」
「ま、悪者に人権はないってことさ」
「二人がなにを言っていたのかよく分からなかったけど、続兄さんに口答えする人は死ねばいいと思うよ」
盗泉の水うんぬんは陸機の言葉だ、と男は言いかけてやめた。返答として理不尽な暴力がかえって来るのが目に見えていたからだ。男は力尽きて頭を地につけた。竜堂家の者たちのあざけるような笑い声が呪いのように男の頭にひびく。うすれゆく意識の中、竜堂家の長男と次男が口喧嘩無敗を誇っているのは彼らの弁舌が冴えているからではなく彼らの暴力が恐ろしいからであることを男は悟った。