- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8030
Re:「世界観」とは何か
- 投稿者:ダボ
- 2008年05月07日(水) 15時55分
ん~、どうやら上手く説明できなかったようですね。
私と冒険風ライダーさんで「世界観」の考え方が違うのが原因でしょうが。
私は「世界観」とは「その作品世界における基本的な設定」のようなものだと考えています。
ですからその「世界観」が私達の現実世界と比べてどれだけ支離滅裂で不条理なものであろうとも、その作品世界の中で矛盾がなければ「崩壊」はしていないと考えます。
しかし冒険風ライダーさんの場合は論理的に設定した「かくあるべし」という「世界観」があって、それと整合しないものを(程度問題はあるでしょうが)「崩壊」しているとする、という感じでしょうか。
なので、
> 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻が明白になっている概念
といわれても私の場合は全く破綻していない訳です。
>警察にそのような考え方を「無理矢理に」押しつけた張本人こそが薬師寺涼子そのものではありませんか。
<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
に総監を付け加えても良いですね。そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。
>作品の世界観というのはその中身の理論や正当性が問われるものなのであって、作中キャラクターが受け入れているから免罪される、などというものではないのです。
「その中身の理論や正当性」というのはあくまで「作品の中の世界」で見るべきであり、あくまで作品世界とは別の外部の世界である現実の世界を基準にすれば良いと言うものでもないでしょう。
>「そうしなければならない【合理的な理由】」すらも全く語られてなどいない
<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
と言っているようにそれがその理由に当たると考えています。
【合理的な理由】ではないと言われるかもしれませんが、私は例え不合理であってもそれが作中において矛盾しなければそれが「世界観」という考え方ですので。
逆に言えば、冒険風ライダーさんの「怪物の存在を認める」という考え方は「作中では」全く触れられていない現実世界に基づいた(言い方は悪いですが)「勝手な思い込み」なだけなんですよね。
>創竜伝の「輪廻転生で成り立っているキャラクターが輪廻転生を否定する」という描写だって、作中でそれを否定するキャラクターは存在しないわけですから、「それが創竜伝の世界観である」などという支離滅裂な結論が導かれることになってしまいます。
『創竜伝』の場合は「輪廻転生の否定」説が当の本人である主人公達の存在により否定されてしまうという矛盾を起こしていますが、今回の場合は矛盾は起きていません。
私は<「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える行為」を【行った時点】で崩壊している>という考え方には否定的です。
「冤罪」については例えそうであったとしても「冤罪」を描かず作品を成立させることは可能であることからあくまで別の問題として批判すべきだと考えています。
また「怪物の存在を認める」についても今回は「オカルト否定」と「世界観の崩壊」との関係で述べていますが、作品自体の構造についての疑問・批判として別に述べることについては否定いたしません。
「怪物の存在を認め」なくても「世界観は崩壊」しませんが、それについて言及していないことを構造上の欠陥として追求することは問題ないということです。
どちらにしてもあくまで「冤罪」とは分けて考えるべきでしょう。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8031
Re8030:理由と過程を経て成立する「世界観」
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2008年05月08日(木) 13時52分
<私は「世界観」とは「その作品世界における基本的な設定」のようなものだと考えています。
ですからその「世界観」が私達の現実世界と比べてどれだけ支離滅裂で不条理なものであろうとも、その作品世界の中で矛盾がなければ「崩壊」はしていないと考えます。>
世界観というのは、「その作品世界における基本的な設定」が、作品世界においていかなる理由と過程を経て誕生したのか、というものも含めた総体で論じるものです。作品内の世界設定がどれだけ支離滅裂で不条理なものであっても、というよりもむしろそうであればそうであるほど、「何故」「いかなる過程を経て」そのような設定が誕生したのかが作中で描写されたり語られたりすることで、作品世界における「合理的な理由付け」が行われるものなのです。
「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されて初めて、「非合理的な作品設定」は作品世界とひとつに統合されて「作品の世界観を構成する一要素」たりえるのです。しかし薬師寺シリーズのオカルト否定にはそれがない。だからこそ私は、件のオカルト否定では「そんな論理がまかり通っている【理由が作中で語られていない】」ということを問題にしているわけです。
<「その中身の理論や正当性」というのはあくまで「作品の中の世界」で見るべきであり、あくまで作品世界とは別の外部の世界である現実の世界を基準にすれば良いと言うものでもないでしょう。>
その「作品の中の世界で見るべき」とやらの実態が、
<そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。>
<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
といったシロモノなのですか? こんなものは「【非合理的な作品設定】が存在することを何の疑問もなく受け入れているだけの【非合理的なキャラクター】」以外の何物でもありませんし、「非合理的な世界設定」が存在する【非合理的な理由付け】にさえもなってなどいないのですけどね。
何度も何度も述べていますが、薬師寺シリーズにおける「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」を作中キャラクター達が「是」とするのであれば、その世界観を明確にするためにも「何故」「どのような論理と思考と過程を経て」是とするのかという「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要があるのです。「作品の中の世界で見るべき」も何も、そもそも「作品の中の世界」に何ひとつ合理的な理由を見出すことができないからこそ、私は今回の件を問題にしているのですが。
そして、これまた前にも言いましたが、現状の薬師寺シリーズは、作中キャラクターがオカルトと直接関わっている描写と、オカルトを全否定している描写が混在しているだけの状態です。その混在している上に矛盾している「非合理的な描写群」を全てまとめてひとつの世界観として統合し、構成するための「合理的な理由」がなければ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」という薬師寺シリーズの構造的欠陥は永遠に解消されることがないのです。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8032
Re:読者にとっての「世界観」
- 投稿者:ダボ
- 2008年05月10日(土) 12時08分
> 世界観というのは、「その作品世界における基本的な設定」が、作品世界においていかなる理由と過程を経て誕生したのか、というものも含めた総体で論じるものです。作品内の世界設定がどれだけ支離滅裂で不条理なものであっても、というよりもむしろそうであればそうであるほど、「何故」「いかなる過程を経て」そのような設定が誕生したのかが作中で描写されたり語られたりすることで、作品世界における「合理的な理由付け」が行われるものなのです。
> 「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されて初めて、「非合理的な作品設定」は作品世界とひとつに統合されて「作品の世界観を構成する一要素」たりえるのです。しかし薬師寺シリーズのオカルト否定にはそれがない。だからこそ私は、件のオカルト否定では「そんな論理がまかり通っている【理由が作中で語られていない】」ということを問題にしているわけです。
確かにそういった【合理的な理由】を多く盛り込むことで作品に厚みや奥深さを持たせることが出来ます。
しかし世界観の説明といっても多岐にわたり、実際問題としてあまりにそういったものが多くなると読者はうるさく感じられるのもまた事実であり、そこで描かれる【合理的な理由】にも有無・多寡・濃淡というのはどうしても出てきます。(いかにスマートにたくさんの情報を盛り込むかということも作者の腕ではありますが)
例え(になっているかは分かりませんが)ば、ドラえもんやその道具のように現代の科学では考えられないようなものがなぜ存在するかについては未来で作られたものであるということが繰り返し出てきています。
では、ドラえもんや道具がのび太はともかくのび太の両親や友達、あるいは世間の一般人に何の疑問も無く受け入れられているのはどうでしょう。このことについては何の説明もなされていませんが、もし現実の世界だったら大騒ぎになっているのは明らかであり、そうならないのは明らかに【非合理的な作品設定】です。
ではドラえもんの『世界観』は崩壊しているのでしょうか?
恐らくほとんどの読者は【合理的な理由】について詳しい説明が無くても「そういう『世界観』だ」ということで納得しているのではと思いますが。
そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。
では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。
むしろ、
<私は上司に視線を転じた。
「あれでいいんですか?」
「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ、オホホホ」>
のような泉田の疑問という形であっても触れられているだけマシなくらいかもしれません。
> その「作品の中の世界で見るべき」とやらの実態が、
>
> <そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。>
> <そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
>
> といったシロモノなのですか? こんなものは「【非合理的な作品設定】が存在することを何の疑問もなく受け入れているだけの【非合理的なキャラクター】」以外の何物でもありませんし、「非合理的な世界設定」が存在する【非合理的な理由付け】にさえもなってなどいないのですけどね。
それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。
> 何度も何度も述べていますが、薬師寺シリーズにおける「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」を作中キャラクター達が「是」とするのであれば、その世界観を明確にするためにも「何故」「どのような論理と思考と過程を経て」是とするのかという「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要があるのです。「作品の中の世界で見るべき」も何も、そもそも「作品の中の世界」に何ひとつ合理的な理由を見出すことができないからこそ、私は今回の件を問題にしているのですが。
> そして、これまた前にも言いましたが、現状の薬師寺シリーズは、作中キャラクターがオカルトと直接関わっている描写と、オカルトを全否定している描写が混在しているだけの状態です。その混在している上に矛盾している「非合理的な描写群」を全てまとめてひとつの世界観として統合し、構成するための「合理的な理由」がなければ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」という薬師寺シリーズの構造的欠陥は永遠に解消されることがないのです。
私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)
もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8034
Re:誰にとっての「世界観」であれ
- 投稿者:S.K
- 2008年05月11日(日) 04時24分
>
> 確かにそういった【合理的な理由】を多く盛り込むことで作品に厚みや奥深さを持たせることが出来ます。
> しかし世界観の説明といっても多岐にわたり、実際問題としてあまりにそういったものが多くなると読者はうるさく感じられるのもまた事実であり、そこで描かれる【合理的な理由】にも有無・多寡・濃淡というのはどうしても出てきます。(いかにスマートにたくさんの情報を盛り込むかということも作者の腕ではありますが)
>
お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できる
のは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても
実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲
で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」
と言っておけば問題はないんですが。
> 例え(になっているかは分かりませんが)ば、ドラえもんやその道具のように現代の科学では考えられないようなものがなぜ存在するかについては未来で作られたものであるということが繰り返し出てきています。
> では、ドラえもんや道具がのび太はともかくのび太の両親や友達、あるいは世間の一般人に何の疑問も無く受け入れられているのはどうでしょう。このことについては何の説明もなされていませんが、もし現実の世界だったら大騒ぎになっているのは明らかであり、そうならないのは明らかに【非合理的な作品設定】です。
> ではドラえもんの『世界観』は崩壊しているのでしょうか?
> 恐らくほとんどの読者は【合理的な理由】について詳しい説明が無くても「そういう『世界観』だ」ということで納得しているのではと思いますが。
>
ドラえもんはのび太に「どういう道具か」は説明してますよ。
TVが見たい人間にTVのハードギミック解説は必要ないでしょう?
そして大抵の場合ジャイアン達は「何故!?」と便利道具の効能
に驚愕しているではないですか。
「きちんとした世界観の整合」とはこういう事を言うのです。
> そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。
>
「リアル鬼ごっこ」という作品は毀誉褒貶ありますが、ほぼ万民が
「支離滅裂だ」とは評しているでしょう。
ここで問題にされているのは「面白い」の部分ではなく
「支離滅裂」の部分じゃないですか。
> では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
> このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
> つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。
> むしろ、
>
> <私は上司に視線を転じた。
>
> 「あれでいいんですか?」
> 「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ、オホホホ」>
>
> のような泉田の疑問という形であっても触れられているだけマシなくらいかもしれません。
>
上記理由でそれでは「説明不足」なのです。
お涼が「不親切な女」としてキャラ設定したければ、その抜けは
田中先生の地文か泉田君の思考過程で解説する必要はあるでしょう。
「それはそうだ、ガンの告知でさえうろたえる人間は多いのに
発生も対処もほぼ予測、対応共に不可能な天災が実在すると公表
してどんな反応があるのか想像したくもない」とでも。
>
> それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。
>
合理不合理で言えばお涼も認める見識だと思いますよ。
「論理的よね、ただ現状、現実に即してないけど」程度は言うかも
知れませんが。
>
> 私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)
それは「作家の手抜き」と言うのであり、ダボさんがそれを
許容するのはご自由ですが一般論として普遍させ万民への納得を
義務付けるのは慎むべきでしょう。
> もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。
問題提起とはスルーされているからこそ行う意義があるとも想い
ます。
ただその問題提起があまりに支離滅裂ならその時こそ「何言って
んだ?」と評価されて当然ですが冒険風ライダーさんのそれは
一度考察されて然るべきではないかと私は思うのですが。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8036
Re:誰にとっての「世界観」であれ
- 投稿者:ダボ
- 2008年05月11日(日) 12時22分
> > 確かにそういった【合理的な理由】を多く盛り込むことで作品に厚みや奥深さを持たせることが出来ます。
> > しかし世界観の説明といっても多岐にわたり、実際問題としてあまりにそういったものが多くなると読者はうるさく感じられるのもまた事実であり、そこで描かれる【合理的な理由】にも有無・多寡・濃淡というのはどうしても出てきます。(いかにスマートにたくさんの情報を盛り込むかということも作者の腕ではありますが)
> >
> お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できる
> のは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても
> 実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲
> で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」
> と言っておけば問題はないんですが。
もちろんそう書いておけば良かったと思いますし、それを書かなかったことについて作者の批判については当然あると思います。
逆に言えばそう書いてあれば「世界観は崩壊しているとはいえない」と冒険風ライダーさんが言われるのであれば、私としては何も言うことはありません。
> > 例え(になっているかは分かりませんが)ば、ドラえもんやその道具のように現代の科学では考えられないようなものがなぜ存在するかについては未来で作られたものであるということが繰り返し出てきています。
> > では、ドラえもんや道具がのび太はともかくのび太の両親や友達、あるいは世間の一般人に何の疑問も無く受け入れられているのはどうでしょう。このことについては何の説明もなされていませんが、もし現実の世界だったら大騒ぎになっているのは明らかであり、そうならないのは明らかに【非合理的な作品設定】です。
> > ではドラえもんの『世界観』は崩壊しているのでしょうか?
> > 恐らくほとんどの読者は【合理的な理由】について詳しい説明が無くても「そういう『世界観』だ」ということで納得しているのではと思いますが。
> >
> ドラえもんはのび太に「どういう道具か」は説明してますよ。
> TVが見たい人間にTVのハードギミック解説は必要ないでしょう?
> そして大抵の場合ジャイアン達は「何故!?」と便利道具の効能
> に驚愕しているではないですか。
> 「きちんとした世界観の整合」とはこういう事を言うのです。
ドラえもんのような奇妙な生き物(?)がもし実際にいたら大騒ぎになるじゃないですか。
でもマスコミが取材に来る様子も見物人が押し寄せる様子も学者が調査に来る様子もありません。
ドラえもんは普通に出歩いて存在が隠されている訳でもないのにそうならないのは【非合理的な作品設定】だと思いますが。
> > そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。
> >
> 「リアル鬼ごっこ」という作品は毀誉褒貶ありますが、ほぼ万民が
> 「支離滅裂だ」とは評しているでしょう。
> ここで問題にされているのは「面白い」の部分ではなく
> 「支離滅裂」の部分じゃないですか。
上でS.Kさんがト書き案を書かれていますが、読者が無意識であってもそんなようなことを考えて納得しているなら、それは「支離滅裂」というか「世界観が崩壊している」とまでは言えないのでは? ということです。
> > では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
> > このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
> > つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。
> > むしろ、
> >
> > <私は上司に視線を転じた。
> >
> > 「あれでいいんですか?」
> > 「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ、オホホホ」>
> >
> > のような泉田の疑問という形であっても触れられているだけマシなくらいかもしれません。
> >
> 上記理由でそれでは「説明不足」なのです。
> お涼が「不親切な女」としてキャラ設定したければ、その抜けは
> 田中先生の地文か泉田君の思考過程で解説する必要はあるでしょう。
> 「それはそうだ、ガンの告知でさえうろたえる人間は多いのに
> 発生も対処もほぼ予測、対応共に不可能な天災が実在すると公表
> してどんな反応があるのか想像したくもない」とでも。
>
> >
> > それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。
> >
> 合理不合理で言えばお涼も認める見識だと思いますよ。
> 「論理的よね、ただ現状、現実に即してないけど」程度は言うかも
> 知れませんが。
>
> >
> > 私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)
>
> それは「作家の手抜き」と言うのであり、ダボさんがそれを
> 許容するのはご自由ですが一般論として普遍させ万民への納得を
> 義務付けるのは慎むべきでしょう。
正確には『全ての「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示「しなければならない」とは考えていません。』とすべきでした。お詫びして訂正いたします。
なお冒険風ライダーさんは「オカルト否定」による「世界観の崩壊」を問題にしているのであって「作家の手抜き」を問題にしているのではないと思うのですが。
> > もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。
>
> 問題提起とはスルーされているからこそ行う意義があるとも想い
> ます。
> ただその問題提起があまりに支離滅裂ならその時こそ「何言って
> んだ?」と評価されて当然ですが冒険風ライダーさんのそれは
> 一度考察されて然るべきではないかと私は思うのですが。
私は冒険風ライダーさんがそのように考えていることについては何も文句は言っていません。
ただ「そう考えないとダメ」となっているところに疑問があるというだけです。
私自身はあれが「世界観が崩壊」する程の傷になっているとは思っていませんが、そういう見方もあるとした上での問題提起でしたら特に反論するものではありません。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8037
Re:とりあえず一点
- 投稿者:S.K
- 2008年05月11日(日) 14時23分
> > >
> > ドラえもんはのび太に「どういう道具か」は説明してますよ。
> > TVが見たい人間にTVのハードギミック解説は必要ないでしょう?
> > そして大抵の場合ジャイアン達は「何故!?」と便利道具の効能
> > に驚愕しているではないですか。
> > 「きちんとした世界観の整合」とはこういう事を言うのです。
>
> ドラえもんのような奇妙な生き物(?)がもし実際にいたら大騒ぎになるじゃないですか。
> でもマスコミが取材に来る様子も見物人が押し寄せる様子も学者が調査に来る様子もありません。
> ドラえもんは普通に出歩いて存在が隠されている訳でもないのにそうならないのは【非合理的な作品設定】だと思いますが。
>
ドラえもんが「ウワサ75」とでもいう機械を引っ張り出せば
「何だ、ただの未来から来たネコ型ロボットじゃないか」
で決着するでしょう。
そこまで考えられているドラえもんより「薬師寺涼子の事件簿」
が場当たり設定でないと断言するのは難しいんじゃないでしょうか。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8038
Re:とりあえず一点
- 投稿者:ダボ
- 2008年05月12日(月) 13時47分
> ドラえもんが「ウワサ75」とでもいう機械を引っ張り出せば
> 「何だ、ただの未来から来たネコ型ロボットじゃないか」
> で決着するでしょう。
> そこまで考えられているドラえもんより「薬師寺涼子の事件簿」
> が場当たり設定でないと断言するのは難しいんじゃないでしょうか。
え~と、「ウワサ75」というのはS.Kさんが考えられた道具ということで良かったでしょうか?
もし本編でそういう道具が使われて説明していたら申し訳ありません。「オバQ」にでも訂正させて下さい。
冒険風ライダーさんは、<「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要がある>と言われているように「明示してないとダメ」ということなので、逆に【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が「明示されていない」と私が思い、かつ世界観が崩壊していない例としてドラえもんを挙げました。
なので、「明示されていない」時点で冒険風ライダーさん的には両方ダメとなるはずで、どちらが場当たり的かは関係無いと思うのですが。
A.作中の描写に矛盾が無ければ【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が無くても許容される(場合もある)。
B.読者が【合理的】でなくても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を補完出来れば良い。
C.読者が【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を補完出来れば良い。
D.【非合理】であっても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を作中できちんと明示しなければならない。
E.【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を作中できちんと明示しなければならない。
冒険風ライダーさんはEでないとダメ。
私はEであるに越したことは無いがAでも良いのではないかということになると思います。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8039
Re8032/8036:読者の認識と作品の欠陥は別問題
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2008年05月12日(月) 14時13分
<では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。>
<もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。>
一体何を言っているのですかあなたは? 「作品内にこういう欠陥がある」ということと「読者がそれを問題にしていない」は全く別のカテゴリーに属する問題であって、「読者がそれを問題にしていない」から欠陥が免罪される、などということはありえないのですが。
それに作品の欠陥を読者が問題にしていない、というのであれば、それをあえて指摘して問題提起し、読者に考える機会を与えるのが、作品論の存在意義であり真骨頂というものでしょう。そもそも私は、今回の薬師寺シリーズ考察の冒頭で「薬師寺シリーズが抱える様々な問題点を明確にし、田中芳樹およびファンに対して何らかの楔を打ち込むことができれば幸いです」と述べているのですから、その辺りのことは最初から折り込み済みなわけなのですけど、それが何か問題だとでも言うのですかね?
あなたの論調だと、普通一般の読者が下手すれば問題の存在すらも認識していなかったであろう疑問点の指摘や批判を展開していたであろう創竜伝考察や銀英伝考察、さらには他の論評をも含めた考察シリーズの一切合財全てが「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」ということになって全く無意味なものだった、ということにもなりかねないのですが、「その通り」とはまさか断言しますまい?
<それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。>
「かもしれませんよ」ですか(笑)。何とも逃げ腰なスタンスであると言わざるをえませんが、それはさておくとしても、連中が私を笑いたければ勝手に笑わせておけば良いでしょう。その「現実世界の理論が作品世界において非合理とされる理由」および「自分達の行動が作品世界において合理的とされる理由」を薬師寺涼子や泉田準一郎が披露できない(そして現状間違いなくそうなっている)場合、連中は「作品世界の論理」とやらで動いてさえいないことになるのですから、連中の低能ぶりは私が論じている以上に最悪の惨状を呈しているということになります。
私が「現実世界の理論」に基づいて考えていることを嘲笑するというのであれば、連中はそれこそ私が何度も述べているように「作品世界の論理」を提示し、しかもそれが「現実世界の理論」以上に「作品世界における合理的な考え方」であることをも証明しなければならないのですけどね。「世界観」を成立させるだけでなく、連中自身のメンツとプライドとキャラクター設定を保つためにも。
- 親記事No.7904スレッドの返信投稿
- board4 - No.8040
Re:もう少し御自説の整合を
- 投稿者:S.K
- 2008年05月12日(月) 16時37分
> え~と、「ウワサ75」というのはS.Kさんが考えられた道具ということで良かったでしょうか?
その通りですが、本編には「いかなる虚偽も真実として認定
させる『ウソ800』」「大抵の都合は現実に法定してくれる
『ミニ国会』」がありますよ。
むしろ少し真実の方に自重願ったみたいな物です。
> もし本編でそういう道具が使われて説明していたら申し訳ありません。「オバQ」にでも訂正させて下さい。
それは構いませんがQちゃんは不都合があれば消える上に
前提として「実在オバケ」が容認されている世界なので、
かえってダボさんの越えるべきハードルが高くなるだけじゃ
ないかと思います。
>
> 冒険風ライダーさんは、<「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要がある>と言われているように「明示してないとダメ」ということなので、逆に【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が「明示されていない」と私が思い、かつ世界観が崩壊していない例としてドラえもんを挙げました。
そういう訳でこの2作品はきちんと世界を構築しているのです、
まあ恐ろしい量の話数なので「1話として破綻していない」と
までは言いませんが、基本がゆらぐ事はまずないでしょう。
> なので、「明示されていない」時点で冒険風ライダーさん的には両方ダメとなるはずで、どちらが場当たり的かは関係無いと思うのですが。
>
「薬師寺涼子の事件簿」の破綻しか問題にされておらず、それが
妥当である以上「両方ダメ」「関係ない」は成立しませんね。
>
> A.作中の描写に矛盾が無ければ【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が無くても許容される(場合もある)。
>
> B.読者が【合理的】でなくても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を補完出来れば良い。
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> C.読者が【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を補完出来れば良い。
>
> D.【非合理】であっても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を作中できちんと明示しなければならない。
>
> E.【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を作中できちんと明示しなければならない。
>
> 冒険風ライダーさんはEでないとダメ。
冒険風ライダーさんはEでない事を問題にしていますが、Aに
ついては特段言及していないでしょう。
むしろダボさんが
> 私はEであるに越したことは無いがAでも良いのではないかということになると思います。
>
と言いつつA以外を認めていないのでは?