4代目掲示板過去ログ

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投稿ログ429 (No.8011 - No.8029)

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board4 - No.8011

Re:マヴァール年代記

投稿者:碧野
2008年04月26日(土) 05時11分

> まずはごめんなさい、シミオンとストゥルザを取り違えて
> ました(汗)。

なるほど、なんか話の内容が妙だなと思ったら……
それにしてもあの時の国公ってヴェンツェル以外みんなダメダメですね。


>  いや、ドラゴシュを国公にするのは「邪魔なドラゴシュの兄を
> 始末して首尾よくカルマーンがマヴァール国王になったら」の
> 約束ですから、任命時にはその権限はあるかと思います。
>  ドラゴシュも「約束を果たせ」とカルマーンに請求してますし。

すいません、そういえばそうでしたね。

board4 - No.8012

あんたら進歩ないね

投稿者:森井康仁
2008年04月26日(土) 11時52分

相変わらず議論のための議論になっているようですね。
そんなものに1ミリグラムの価値もありません。
しかも田中芳樹がほぼ実名で勝負して、顔写真まで掲載しているのに
対し、匿名でねちねちといたぶっている。
あなたたちの辞書には羞恥心という言葉はなさそうですね。
官能小説家の立場から言わせれば、ぐだぐだ言ってないで、
短編一本でも書いてみろと言いたい。
評論家ぶるなら小学生でも出来ます。以上。

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board4 - No.8013

Re:それはあんたのことですな

投稿者:不沈戦艦
2008年04月26日(土) 12時28分

> 相変わらず議論のための議論になっているようですね。
> そんなものに1ミリグラムの価値もありません。
> しかも田中芳樹がほぼ実名で勝負して、顔写真まで掲載しているのに
> 対し、匿名でねちねちといたぶっている。
> あなたたちの辞書には羞恥心という言葉はなさそうですね。
> 官能小説家の立場から言わせれば、ぐだぐだ言ってないで、
> 短編一本でも書いてみろと言いたい。
> 評論家ぶるなら小学生でも出来ます。以上。

「商業出版もできやしないエロ売文家」さん、お久しぶりですね。

 また、笑われる為に、自爆しに来たんですか?懲りない人ですねぇ。

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board4 - No.8014

Re:そういや折る筆を本当にお持ちで?

投稿者:S.K
2008年04月26日(土) 13時16分

> あなたたちの辞書には羞恥心という言葉はなさそうですね。

 自称「官能小説家」の割には羞恥心をくすぐるのがお下手の
様で。
 そもそも自称「官能小説家」で羞恥心を語るというのは
お笑い種もいい所と一瞬でも思いませんでしたか?

> 評論家ぶるなら小学生でも出来ます。以上。

 でも自称:森井康仁には無理でしょうから「私は小学生
以下だ、頭もチンコも」と申し出にいらしたので?
 お呼びじゃないんですがそれはご丁寧に。

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board4 - No.8015

Re:マヴァール年代記

投稿者:S.K
2008年04月26日(土) 13時32分

> それにしてもあの時の国公ってヴェンツェル以外みんなダメダメですね。
>
 舞台が動乱の中世という事もあってヴェンツェルとかラザール
とか、「マヴァール年代記」は田中作品には珍しい「野心家を
貶めず描写した作品」でしたね。
「カルマーンに不足は覚えない、友も家族も部下も国も愛したい、
しかし俺は王になりたくてかつ至尊の地位にふさわしい男なのだ」
というヴェンツェルの複雑かつ切実な思いは、正直失敗した感の
ある「ロイエンタールの叛乱」を補って余りある説得力がありま
したし、ラザールも「乱世に知勇で身を立てる」と言えば「その
意気や良し」というべき覇気ある人物として魅力的ですし。

 他の田中作品にあんまり反映されないのが残念な所です。
「タイタニア」のイドリスとか「七都市物語」とかはもう野心家
と言えば笑いものみたいな酷い扱いで。
 まあ田中先生が嫌いな人物像の一つなのは確かなんでしょうが。

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board4 - No.8016

Re:あんたら進歩ないね

投稿者:ROM
2008年04月26日(土) 15時28分

で、この人誰ですか?

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board4 - No.8017

Re:言葉の定義

投稿者:ダボ
2008年04月26日(土) 15時52分

どうも私の文章力が無いせいで余計な手間を取らせて申し訳ございません。


冒険風ライダーさんの言う、ホラーアクションの場合の「オカルトの否定」の定義というのがよく分からないのですが、「それを【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ものということで良いのでしょうか?
その行為→「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」→「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミ→「作品の世界観を崩壊させる」
という流れですね?

そもそもなぜミステリーの場合と変わってしまうのかが分からないのですが。

> <一概には言えないのではないでしょうか。
> 例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。>

> <はたしてそうでしょうか?
> 『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
> 「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。>

>
>  薬師寺涼子は、自分の電波な妖怪犯人推理を警視総監や室町由紀子に自慢気に語り倒していましたし、泉田準一郎と二人きりの場面でも「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと堂々と主張していたわけですが、これらの行為のどこに「自分の正体を隠す」「オカルトを隠蔽する」などといった意図が存在するのですか?もちろん、薬師寺涼子は冗談やギャグを企図しているわけでもなく大真面目に語っているのですから、素でオカルトを(その存在が確認されているにもかかわらず)全否定する行為以外の何物でもないのですが。
>  また、薬師寺シリーズの世界におけるオカルト事件は今回が初めてだったわけでもなければ、薬師寺涼子が自分のオカルト退治等の経歴を隠している形跡もありません。あのスレイヤーズのパクリな「ドラよけお涼」のネーミングの存在自体がそれを証明していますし、2巻の「東京ナイトメア」には、薬師寺涼子が所属している警視庁内の部署が、他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32~P33)。今回の事件だけをことさら隠蔽することに、一体何の意味があるというのでしょうか?
>  それに、この場合の「認められない」というスタンスを貫こうとすると、すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけですし、オカルトの存在が確認されている上に大事件にまで発展しているのに「受け入れられない」も何もないでしょう。何度も言っていますが、そういう状況でさえ「認められない」という態度を取るというのであれば、そういう考えを持つに至った理由とメリットを「作中で」きちんと説明するべきです。それがないから意味不明かつ支離滅裂だと私は評価するわけですし。

<『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
というのは、「オカルト否定を【唱える行為】」をしたからと言って「作品の世界観を崩壊させる」とは限らない(「ケースバイケースで見る必要はある」)という例であげたものですので薬師寺涼子とは関係無いのですが、
「オカルト否定を【唱える行為】」をすると『必ず』「作品の世界観を崩壊させる」のでしょうか?

あと、「オカルトを全否定する」の「全否定」の意味がよく分かりません。

<すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけです>

とありますが、対内的にはどうなんです?
対外的には「冤罪」のでっち上げによりオカルトの関与は否定されていますが、涼子も泉田も由紀子も警視総監も「事件の真相(怪物が犯人)」ということは認識していて単に口を噤んでいるだけでしょう。
この状態を指して「その存在を隠蔽」と言っているのですが、何かおかしいでしょうか?
ましてや
<他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32~P33)>
こんな状態のどこが「全否定」されているのでしょうか?本当に「全否定」されているのでしたらそもそもこんな認識など出てくる訳ないと思いますが。

> <今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
> 例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
> これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。>

> <少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。>
>
>  その「何らかの理由」なるものが作中で何も説明されていないからこそ、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」云々の言動は字面通りに解釈するしかない上に、意味不明かつ支離滅裂な自爆行為であるとしか見做しようがないのですけどね。
>  ましてや、薬師寺涼子は作中でオカルト(=妖怪・怪物)と最も深く関わっていた人間です。にもかかわらず、作中世界では完全に破綻したことになる上、自己否定にもなりかねないオカルト否定をことさら「素」で語らなければならない理由が一体どこにあるというのでしょうか。もちろん、こちらについても作中には明確な説明など存在しません。
>  これで世界観が維持できることの方が驚異以外の何物でもないのですが。

「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのを解釈したら、「オカルトというのは人の理(ことわり)から外れたもの(人外のもの)であり、だから警察や科学者はその対象外である(関わっちゃいけない)」ぐらいの意味でしょうか。科学者はどうか知りませんが、警察というのは法律とか人の犯罪というまさに「人の理(ことわり)」の中で動くものですから「管轄外」という意味ではあながち間違っていないと思います。(だからと言って「冤罪」をでっちあげるのは無茶苦茶ですが)

<『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
は、「オカルトは存在するがそれを隠蔽するために冤罪のでっち上げをした」と言い換えても良いのですが、これで不都合あります?
オカルト実在の話は(噂レベルであっても)警察内に残り、涼子達は「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されている。
という状況を特に問題なく説明できると思いますが。

むしろどのように「自己否定」や「世界観の崩壊」がされているのかがよく分かりません。

> <「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
> ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。>

>
>  「傍若無人で理不尽な性格」でありさえすれば、自分で自分の足を撃つようなおバカな言動をやっても許されると? そういう「罵倒最優先で自分を顧みることができない惨状」も含めて、薬師寺涼子は救いようのない低能であると私は主張しているのですがね。「傍若無人で理不尽な性格」などというシロモノは、薬師寺涼子の言動を正当化できる理由にはなりえません。
>  そして、薬師寺涼子がバカだということになれば、それは薬師寺シリーズという作品が定義する「薬師寺涼子は(傍若無人で理不尽な性格ではあるが)聡明な女性である」という設定の大黒柱が倒れることになり、ひいては作品世界にも大きなダメージが与えられることになるのです。私が再三問題にしている「オカルト否定」も、最終的にはここに行き着くわけで、充分に問題にする価値のあることだと思うのですけどね。

私はあの発言は涼子の性格からみて意図的な発言だと思っているのですが、冒険風ライダーさんは素の発言だと思っているのでしょうか?
それだと話が噛み合わない理由が分かるのですが。

「自分で自分の足を撃つ」と言われますが、あの場面の涼子は不自然に話題を変えようとした支配人に対して「本当にオカルトが存在する」という事実を知らないことをいいことに嘘をついて嫌味(罵倒)を言っただけでしょう。
あの時点では「オカルトは存在しない」というのが世間での常識であり、涼子の発言はそれに則っただけなんですから、例え支配人が事実を知っていたとしても「そうなの?それは知らなかったわ」で終わりだと思いますが?

それに当該の部分を読み直すと、

<「おそれいります。地の涯と申しますと、第二次大戦のころ、日本軍の秘密研究所で捕虜を人体実験に使って、敗戦のとき死体を東京湾に沈めた。その上に埋立てをしたんで、湾岸副都心には最初から呪いがかかってる、なんて話もございましてね」
「信じてるの?」
(中略)
「ばかばかしい」
 東洋の叡智とやらを、涼子は一刀両断してのけた。
「風水学がすべて正しいなら、古来、滅びる王朝なんて存在しないわよ。血液型や星座占いよりはもっともらしいけど、茶飲み話の種以上のものじゃないわね」>


呪い(幽霊)については特に言質をとられるような否定の仕方をしていませんし、風水(占い)についても「大したことない」という内容ではありますが否定自体はしていません。
これを「字面通りに解釈」すれば「東京ナイトメア」の陰陽師の子孫を名乗るラスボスが出てきても、「あんたのことは言ってない」で終りそうです。
「幽霊を信じるものはUFOも超能力もネッシーも血液型占いも全て信じなければならない」というのも乱暴の論理だと思いますが、それぐらいじゃないと「自分の足を撃」ったことにはならないと思いますが。

もちろん無意味にあのような場面を挿入した作者に対する批判は正当だと思います。

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board4 - No.8018

Re:参考までに

投稿者:不沈戦艦
2008年04月26日(土) 16時45分

> で、この人誰ですか?

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/5814/the-worst2007_02_a.html

こちらをどうぞ。過去ログ掘り起こすのは面倒ですから。

board4 - No.8019

懲りないねえ

投稿者:森井康仁
2008年04月27日(日) 02時57分

田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?

俺も同じだよ。少しでも根性があるなら本名で勝負しな。

それが出来たら認めてやるよ。ヘタレ諸君(笑)。

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board4 - No.8020

へぇ~。

投稿者:普段はROM専。
2008年04月27日(日) 03時06分

> 田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?
>
> 俺も同じだよ。少しでも根性があるなら本名で勝負しな。
>
> それが出来たら認めてやるよ。ヘタレ諸君(笑)。

その理屈で言うなら元「李家豊」、現在は「田中芳樹」というペンネームを使って創作活動している商業作家の、本名「田中美樹」さんもヘタレってことですなw

で、「森井康仁」なる名前が本名という証拠は?
戸籍謄本のコピーでも貼りつけないと、それが本名だなんて証明できないと思いますけどね。

ついでにインターネットにおける「匿名性」はあくまで「匿名性」であって「匿名」と違うことはご存知ですか? でなきゃ、匿名掲示板に犯罪予告して逮捕されるようなアホがいるのは説明できないんですが。

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board4 - No.8021

Re:自己申告はもういい

投稿者:S.K
2008年04月27日(日) 04時04分

> 田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?
>
> 俺も同じだよ。少しでも根性があるなら本名で勝負しな。
>
> それが出来たら認めてやるよ。ヘタレ諸君(笑)。

だからさ、「メール寄越せよ、リアルでお会いしましょ?」
とこの間も自称:森井康仁君には通告したし、誰であれ然るべき
手順を踏んでいただければ拒むつもりはないと公言してるんだがね、
 読解力がなくても書ける「カンノーショーセツ」とはどういう
物件なんだい?
 取り合って欲しけりゃまず自分の作品の「売り場」くらい
晒しな、短小の森井サン。

追記:売れっ子作家の田中先生と、あくまで「自称:エロ小説家」
の偽名:森井康仁サンを

> 俺も同じだよ。

とか同列に置くなよ、ケガラワシイ(笑)。

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board4 - No.8022

Re:懲りないねえ

投稿者:不沈戦艦
2008年04月27日(日) 04時33分

> 田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?
>
> 俺も同じだよ。少しでも根性があるなら本名で勝負しな。
>
> それが出来たら認めてやるよ。ヘタレ諸君(笑)。


1.「エロ小説家」が「恥ずかしい仕事」であるという「一般常識」を持ちましょう。
2.「作家であると大口叩いているクセに商業出版できておらず、mixiに開いたコミュニティもほとんど誰にも相手にされていない」ということが、とても「恥ずかしいこと」であるという自覚を持ちましょう。
3.「Web上の言論は発言した人物のプロフィールではなく、言論の内容により判断される」という「Web上の一般常識」を持ちましょう。

 このままでは、やればやるほど笑われるだけですな。「自称官能小説家」の森井サンとやら。

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board4 - No.8023

Re8017:作品の世界観と作者の意図について

投稿者:冒険風ライダー
2008年04月27日(日) 05時33分

<そもそもなぜミステリーの場合と変わってしまうのかが分からないのですが。>

 この辺は前にも説明しましたけどね。ミステリーの場合は、そもそも科学的・合理的な説明を不可能にするオカルト的存在自体が全否定されるべきで、そんなものが出てくる時点でアウトです。だからこそ私は、薬師寺涼子の電波な妖怪犯人推理が出てきた時点でもって、「最後に合理的な説明が行われる可能性も全て失われたので、ミステリー系推理小説路線は完全に崩壊した」としたわけです。
 それに対して、ホラーアクション(というよりもオカルトを扱う作品全般)の場合でオカルト否定を行う場合は、作中で登場するオカルトの存在との整合性の問題が出てきます。それを無視してオカルト否定を行うと、作中で登場するオカルトの存在まで同じ論理で否定してしまうことにもなりかねないからこそ、その辺りの厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない、と私は何度も主張しております。


<<『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
というのは、「オカルト否定を【唱える行為】」をしたからと言って「作品の世界観を崩壊させる」とは限らない(「ケースバイケースで見る必要はある」)という例であげたものですので薬師寺涼子とは関係無いのですが、
「オカルト否定を【唱える行為】」をすると『必ず』「作品の世界観を崩壊させる」のでしょうか?>

 何故急に薬師寺シリーズ以外の一般論にまで話が拡大するのか分かりませんが、このオカルト否定については、私はずっと薬師寺シリーズ限定か、せいぜい田中作品の全体的な傾向くらいまでの話しかしていないのですけどね。スレッドの流れからそれが分かりませんでしたか?
 そして、私はこのスレッドで何度も「オカルトを扱う作品でオカルトを否定する場合は明確な基準に基づいた区別が必要」と主張していますし、そもそも「自分の正体を隠す為」という「仮定の」理由にしたところで、本来ならばキャラクターの言動を正当化させるだけでなく、読者に余計な誤解を与えないためにも、読者側で「補完してあげる」のではなく、作者側が「作中で」きちんと明示するべきものでしょう。
 そういうものさえも薬師寺シリーズには一切ありません、と私は主張しているのですけどね。


<とありますが、対内的にはどうなんです?
対外的には「冤罪」のでっち上げによりオカルトの関与は否定されていますが、涼子も泉田も由紀子も警視総監も「事件の真相(怪物が犯人)」ということは認識していて単に口を噤んでいるだけでしょう。
この状態を指して「その存在を隠蔽」と言っているのですが、何かおかしいでしょうか?
ましてや
<他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32~P33)>

こんな状態のどこが「全否定」されているのでしょうか?本当に「全否定」されているのでしたらそもそもこんな認識など出てくる訳ないと思いますが。>

 それは「オカルトの存在を全否定していない」のではなく「全肯定」と「全否定」の概念が混在しているだけでしかありませんね。まさに私が主張している「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」という構図そのものです。
 構造的に「オカルト描写」と「オカルト否定論」は両立不可能ですし、また両者が混在する合理的な理由(それこそ「自分の正体を隠す為」とか)の説明も「作中に」全く存在しない以上、薬師寺シリーズの世界観は、2つの全く相容れない概念が統合されることなく1つの世界に混在して互いに相手の存在を打ち消しあっている、という状態になっているわけです。それが、作品の世界観を崩壊に至らしめるものである、というのが私の主張です。
 互いに相反する描写が混在し、しかもその理由付けなども全く行われていない場合、それは矛盾というのです。


<「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのを解釈したら、「オカルトというのは人の理(ことわり)から外れたもの(人外のもの)であり、だから警察や科学者はその対象外である(関わっちゃいけない)」ぐらいの意味でしょうか。科学者はどうか知りませんが、警察というのは法律とか人の犯罪というまさに「人の理(ことわり)」の中で動くものですから「管轄外」という意味ではあながち間違っていないと思います。(だからと言って「冤罪」をでっちあげるのは無茶苦茶ですが)>

 実際問題として薬師寺シリーズの世界ではオカルトが存在し、しかもそれによる厄災も発生していることが判明している以上、治安を守るべき警察としては「オカルトの存在を認識【しなければならない】」し「対処法を【考えなければならない】」わけで、この期に及んで「認めちゃいけない」「受け入れられない」「対象外」「関わっちゃいけない」などという言い分が通用するはずもないでしょう。しかも何度も言っているように、何故この時点になってもそういう「オカルト全否定」的な認識を持続しなければならないのか、という理由自体、「作中では」何の説明もされていないわけですし。
 薬師寺涼子の立場であれば、むしろ「今回の事件を契機として、オカルトの存在を世間一般に認めさせよう」といった類のことを主張する方が、薬師寺シリーズの世界でははるかに合理的な判断になりえると思うのですけどね。薬師寺シリーズのパクリ元たる極楽大作戦などはまさにそういう世界になっているわけですし。


<私はあの発言は涼子の性格からみて意図的な発言だと思っているのですが、冒険風ライダーさんは素の発言だと思っているのでしょうか?
それだと話が噛み合わない理由が分かるのですが。>


 ああいう発言は創竜伝にも同じタイプのものがありますし、インタビュー記事等で披露されている作者のオカルト否定思想から考えても、キャラクターに「素」で語らせる意図をもって書いていた、としか考えようがないでしょう。
 たとえば創竜伝にはこんなものがありますし↓

創竜伝5巻 P157上段~下段
<「風水術なんてものがからむなら、おれていどの知識じゃどうにもならんな」
始はひとつ頭を振った。風水術には唯一単独の理論的体系があるわけではなく、いくつもの流派が黄帝起源とか神農以来とか称して競いあっている。同一の現象でも、流派によって解釈や対策が異なってくるのだ。だが、「地気」と称する大地のエネルギーや、「地脈」と称するその通路について研究していることは確かで、歴代の王朝や皇帝が帝都をさだめるにあたってそれを重視したのは歴史的事実である。長安とか洛陽とか北京とかいう故都は、その地脈が集中する場所にあるという。王朝が滅びるのは、その地気が弱まり地脈が乱れたからだという人もいる。ばかばかしい、と、始は思う。王朝は人為によって起こり、人為によって滅びるものだ。地気が衰えることを心配するより、まともな政治をおこなって人望をえるようにするべきではないか。>


創竜伝13巻座談会 P249
<終 (中略)ところでさ、このごろ、第一〇惑星が地球にぶつかるとかいう話がメディアに出てるけど、あれどうなの?
始  また妙なことに興味を……。
続  第一〇惑星が地球に接近するか衝突して人類が滅亡する、なんてエセ予言、オカルトの世界ではめずらしくも何ともありませんよ。
始  年月日を指定して「人類滅亡」を主張する予言が的中したことは、むろん歴史上に一度もないんだが、信じる人がやっぱりいるんだなあ。>


 また、No.7924で引用しているアルスラーン戦記読本のインタビュー記事でも、魔術に否定的であるという見解を披露しています。これらのことから考えれば、作者である田中芳樹が、作中キャラクターに「素」で語らせる意図をもって薬師寺涼子にあのセリフを吐かせていたのは明白でしょう。
 それに田中芳樹は、自分と異なる思想や意見を卑小にデフォルメしたり、低能に見せるための冗談やギャグとして描写をしたりするのは得意であっても、自分の本心を同じように偽ることができる特性など持ち合わせていませんからね~。そういう「器用」なことができない作家であるというのも「素」で書いているという根拠のひとつです。
 作者の傾向と意図から考えれば、その作者の意向に従属せざるをえない作中キャラクターこと薬師寺涼子が、「素」で、それもオカルト否定を意図してあのセリフを語っていたと考える方がはるかに自然な話でしょう。あのセリフ部分だけはゴーストライターが書いていた、という新事実でも出てこない限りは。

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board4 - No.8024

Re:懲りないねえ

投稿者:たかし
2008年04月29日(火) 04時47分

田中芳樹氏は少なくとも写真を公開してますよね。
で、貴方は本名であるという事と官能小説家である証拠は?
証拠や素顔も見せず田中芳樹氏と同じのつもりなんですか?
私は「職に貴賤なし」という言葉の信奉者ですので貴方がどんな職業であろうと馬鹿にする気はありませんけど。

>議論の為の議論

常連さんや管理人さんは貴方の同類にまず人としての常識を教える事から始めてますからね。
私には真似出来ない事です。

>田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?

作者に手紙を書くなら実名で出すに決まってるでしょう。
それが最低限のマナーとでもいうべき事です。
ネット上と手紙の違いから説明しないといけないのでしょうか?

board4 - No.8025

読破しました

投稿者:たかし
2008年04月29日(火) 05時02分

マヴァール年代記、無事読破しました。

リドワーンがヒモ呼ばわりされる訳が理解出来ました。
あそこは責任感に目覚める場面だよ、奥さんに泣きつく場面じゃないよ(苦笑)。
一応リドワーンが栄達にありついたのは自分の実力なんで厳密にはヒモとは違うんでしょうが。
シオミンもリドワーンの人となりはよく分かってた筈なのに・・・。
ゲルトルートへの執着が全てを狂わせてしまったんでしょうね。
イムレもそうですが。
マーリアはきっと草葉の陰で呆れてるでしょう。

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board4 - No.8026

手紙とメールやネットでの発言の違い

投稿者:普段はROM専。
2008年04月30日(水) 04時24分

電○大賞に(自称)官能小説で応募しても、意味ないよね。

閑話休題。
匿名の手紙の場合、投函者に犯罪の前歴でもない限り、
その手紙そのものから直接分かるのは、それが郵送であった
場合であっても、精々『どのエリアから投函したか』
ということだけ。直接ポストに投げ込んでいったとすれば
目撃者でもいない限りは、投函者の身元を調べる情報など
まず皆無です。

それに比べて、ネットでの発言やメールというのはシステム上、
(手紙の例に例えるなら)『どの筆記具(PC)を使って
書いたか』、までは一発で分かるようになっているのですよ。
先のコメントにも書きましたが、だからこそ匿名掲示板で
犯罪予告したガキンチョどもの補導・逮捕が相次いで起きてるのですよ。

ネットの匿名性なんてものは、単に画面上の表示にのみ、
発言者本人の任意で名前を書くか書かないかの選択が許されて
いるだけの、言ってみれば見せかけだけのものです。
そもそも論として、ネットには発言者個人を特定するための
情報がきちんと残るような仕組みが存在するのです。
つまり、mixiであろうと匿名掲示板であろうと発言にかかる
リスクは同じであり、ネットで発言をする場合、まずはその
リスクを理解しておかなければならないというのは
大人としての常識です。『匿名』を卑怯だの何だのと罵る
行為は、実は件の犯罪予告で逮捕されたバカガキどもと、同じ
程度の認識しかないと告白してるようなもんです。
止めといた方がよろしいでしょう。

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board4 - No.8027

とりあえず

投稿者:初めての人
2008年05月02日(金) 11時59分

> 田中芳樹が匿名の手紙を読まないのは知ってるだろ?
>
> 俺も同じだよ。少しでも根性があるなら本名で勝負しな。
>
> それが出来たら認めてやるよ。ヘタレ諸君(笑)。

このツッコミ所満載の文章については他の方々のコメントがすべて物語っていると思うので、質問を一つ

恥ずかしくないんですか?

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board4 - No.8028

Re:失礼しました

投稿者:ダボ
2008年05月06日(火) 14時13分

レスが遅くなり申し訳ございませんでした。

私は冒険風ライダーさんとは「世界観の崩壊」や「オカルトの否定」についての考え方がちょっと違うのですが、私の説明が下手なせいで冒険風ライダーさんには何度も同じ説明をさせてしまい申し訳ありませんでした。

何とかもう一度再構築して書いてみましたが、やっぱり訳の分からないものになっているかもしれません。
何とか「そういう考え方もある(した奴もいた)」まで行けると良いのですが、ともかくこれで失礼したいと思います。

最後に次回の『東京ナイトメア』も楽しみにしております。ありがとうございました。


1.「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」(8007)

>「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義です。

とありますので、「オカルト否定」=「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」となり、
『オカルトに何らかの形で関わっている者が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」と【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる』
ということになります。

そしてこの場合の「認められない」の主語は「警察」です。
で、そもそもこの物語というのは「怪奇事件を薬師寺涼子が(警察に属しながらも)『超警察』的な(法律とか警察的な慣習を無視した)行動で解決する」というものではないでしょうか?
つまりこの「認められない」の主体である警察に確かに涼子は属していますが、同時に怪物に関わるヒロインとしての涼子は警察の埒外にいると同じことだと思うのですが、いかがでしょうか?

>オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。

従って、涼子についてはこれは当て嵌まりません。「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミが飛んできても「オカルト」と堂々と言えるでしょう。

>ホラーアクション(というよりもオカルトを扱う作品全般)の場合でオカルト否定を行う場合は、作中で登場するオカルトの存在との整合性の問題が出てきます。それを無視してオカルト否定を行うと、作中で登場するオカルトの存在まで同じ論理で否定してしまうことにもなりかねないからこそ、その辺りの厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない

上に<「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義です。>とありますが、「認められない」というのはそれが現実に存在しようとしまいと関係ないのですよね。目の前にあるのに目と耳を塞ぐ様なことも「認められない」の範疇なんですから。
つまり警察は「オカルトに関わることを拒否して涼子に投げてしまっている」訳です。
そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。
ということで、「作中で登場するオカルトの存在との整合性」はとれていることになります。


2.実際問題として薬師寺シリーズの世界ではオカルトが存在し、しかもそれによる厄災も発生していることが判明している以上、治安を守るべき警察としては「オカルトの存在を認識【しなければならない】」し「対処法を【考えなければならない】」(8023)

要はこれが本来あるべき形であり、こうなっていないことが「世界観が崩壊」していることであり、その原因が「オカルト否定」にある、ということですよね?
確かに冒険風ライダーさんが言われることは一理あるというか正論だと思います。

ただ、この作品の本来の「世界観」はそれ程異常でしょうか?けっこうありがちな設定だと思いますが?
この作品は比較的現実世界と近い「世間一般にオカルトが認識されていない世界」での怪物退治の物語ということでしょう。
「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのはその作品世界を成立させる為の「物語の嘘」だと思いますが?
確かにその使い方が稚拙だという評価であるなら全面的に同意いたしますが、少なくともそれが「作中世界の整合性」を壊していない。つまり「世界観は崩壊していない」と考えます。
<厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない>とありますが、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」が実質その区別や理由の役割になる訳です)

読者が「そうあるべき」と考えるのは自由ですが、作品は「こう」であり、それが物語世界の中で矛盾しない以上、その作品の「世界観は崩壊していない」となります。
その世界観の設定の仕方が稚拙だというのは批判の対象となりえますが、それとこれとは別問題ということですね。


「意図的」か「素」かについては、私が8017の当該部分の下に書いた解釈は「意図的」か「素」かどうかは関係ないので全面的に撤回いたします。申し訳ありませんでした。

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8029

Re8028:「オカルト否定」は誰によってもたらされたのか

投稿者:冒険風ライダー
2008年05月07日(水) 11時35分

<そしてこの場合の「認められない」の主語は「警察」です。
で、そもそもこの物語というのは「怪奇事件を薬師寺涼子が(警察に属しながらも)『超警察』的な(法律とか警察的な慣習を無視した)行動で解決する」というものではないでしょうか?
つまりこの「認められない」の主体である警察に確かに涼子は属していますが、同時に怪物に関わるヒロインとしての涼子は警察の埒外にいると同じことだと思うのですが、いかがでしょうか?>


 「埒外」どころか、警察にそのような考え方を「無理矢理に」押しつけた張本人こそが薬師寺涼子そのものではありませんか。薬師寺涼子は警視総監に対して「合理的な説明でつじつまをあわせていただきたいんです」などと「お願い」した挙句、高市理事長に無実の罪をかぶせているのですから、そうなるのは当然でしょう。
 これまでの議論で私は何度も主張していますが、今回の事件で警察が怪物の存在を認めていれば、真相究明の観点から言っても、再発防止の視点から見ても、そして何よりも警察自身の官僚機構的な自己保身の発想法から考えてさえも理と利にかなうものであったことは確実なのです。そして一方、薬師寺涼子の警視総監への「お願い」は、警察にとって著しくハイリスクおよびデメリットだらけなシロモノであり、しかもその欠点を享受してまで「そうしなければならない【合理的な理由】」すらも全く語られてなどいないわけです。
 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻が明白になっている概念を、この期に及んで警察に強要しているのが他ならぬ薬師寺涼子自身である以上、薬師寺涼子がオカルトに依存しながらオカルトを全否定していることに変わりはありませんし、またそういう事情を無視して薬師寺涼子が他人面をして警察の「オカルト否定」スタンスを嘲笑しているというのであれば、薬師寺涼子は私が薬師寺シリーズ考察で論じた以上に支離滅裂かつ無責任で厚顔無恥なバカ女でしかない、ということになってしまうと思うのですけどね。


<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>

 それは「【すでに崩壊している】世界観」を作中キャラクターが何の疑問を抱くことすらなく受け入れている、というだけの状態です。そんな論法で世界観が形成できる、というのであれば、創竜伝の「輪廻転生で成り立っているキャラクターが輪廻転生を否定する」という描写だって、作中でそれを否定するキャラクターは存在しないわけですから、「それが創竜伝の世界観である」などという支離滅裂な結論が導かれることになってしまいます。
 作中キャラクターが受け入れようが拒否しようが、作品の世界観はそれ以前の段階、つまり「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える行為」を【行った時点】で崩壊しているのです。そのような崩壊した世界観を、しかも何ら合理的な理由付けすらも行われない状態で作中キャラクターが受け入れたところで、「そのような支離滅裂な世界観に何ら疑問を抱くことすらできない作中キャラクターは頭のイカれた低能である」「作中キャラクターの支離滅裂ぶりは作品の致命的欠陥であり、そんなものを描いてしまった作者の責任は重大である」といった類の結論に到達するだけです。
 作品の世界観というのはその中身の理論や正当性が問われるものなのであって、作中キャラクターが受け入れているから免罪される、などというものではないのです。


<この作品は比較的現実世界と近い「世間一般にオカルトが認識されていない世界」での怪物退治の物語ということでしょう。
「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのはその作品世界を成立させる為の「物語の嘘」だと思いますが?>


 その「物語の嘘」とやらは、これまでの警察が抱いていた硬直しきった常識論や偏見などといった概念ではなく、薬師寺涼子が勝手にでっち上げた挙句、警察の公益を捨てさせてまで強引に警察に押しつけたシロモノなのであり、しかも薬師寺涼子本人はオカルトに直接大いに関わっている以上、「何故そんな(自己否定になりかねない)発言をするのか?」「この状況下で何故現実にも合致しない考え方を警察に保持させなければならないのか?」という理由付けは、物語の整合性および世界観をきちんと整えるために絶対必要なものであるはずでしょう。しかもそのためにわざわざ冤罪までやらかしているのであればなおのこと。
 何度も何度も述べていますが、その理由付けが「作中で」全く行われていないからこそ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」などと薬師寺涼子のみならず薬師寺シリーズ全体が評されることになるわけです。

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