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- board4 - No.4077
Re4075:商品を選択する「お客」は誰なのか?
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2003年05月14日(水) 12時42分
<で、ここで言われているオリジナリティとは、『他からのアイデア(例えばワープとか超光速通信とか)を混入することは一切許さない。これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』というような意味だと思いますか。>
「オリジナリティ」の一般的な意味や解釈としてはともかく、山本弘的理論から判断するならば「全くその通り」としか言いようがないでしょう。No.4071でも述べているように、山本弘は「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」と自分で定めた定義を元に、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い」だの「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格」だのといった主張を恥ずかしげもなく堂々と展開しているのですから。
山本弘にとっては、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーン」といった類の「テンプレート的作品描写」を使用すること【自体】が「自分では何も考えてない」ことの証なのであり、「創作者として失格」「頭の悪いバカ」という烙印を押されるべき「忌まわしき所業」でしかないのです。とてもプロのエンターテイメント創作家から出た発言とは思えないほどに「頭の悪いバカ」としか言いようのない主張ですが、これは本人がはっきり明言していることなのですからどうしようもありません。
したがって、
<山本氏がアルマゲドンを叩いているのは、他からの借り物が多すぎる上、それに自分なりの工夫やオリジナリティを上乗せする姿勢が見受けられないということを問題にしているからだと思いますが。>
といった「好意的解釈」の類は到底導き出せませんし、あのような発言を行っている山本弘が、もし他の作品を評価する際に「テンプレート的作品描写」を少しでも無視したり絶賛したりするようなことがあろうものなら、それこそ「ダブルスタンダードに陥っている」と評価されるしかないのです。
いかに山本弘が愚かなことを口走っているか、これだけでも一目瞭然なのではありませんか?
<単純な話、「時限爆弾に赤と青のリード線」とか、「遅刻しそうな少女がパンをくわえて全力疾走していると、運命の相手と衝突」のような手垢の付いた場面と展開をまるまるコピーで多用した作品を出版社なり映画会社なりに持ち込んだとしたら、『どこかで見たような場面と展開が多すぎる。あなたなりの工夫やオリジナリティはどこにあるのか』というような評価が返されるのはほぼ必至と思いますよ。
そこで今回、冒険風ライダーさんが展開されているような主張(テンプレート作品にはテンプレート作品なりのエンターテイメント性や創造性といったものが存在するとか、テンプレート作品を読んで増えるファンもいるはずだとか)をしたとして、それでその評価者は納得すると思いますか。
罵声の一つも浴びせられた上で、原稿を突っ返されるのがオチでしょうし、また、それが健全な姿だと思いますが。>
これはこじつけもいいところですね。私はあくまで「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」の話をしているのであって、「出版社や映画会社などに持ち込まれる作品向けの作品評論」はそれとは全く正反対の性質を持っているのですけど。
出版社や映画会社は、外から持ち込まれた作品の採用を決定する権利を持つと同時に、採用した作品を制作した人に対してお金を支払う義務があります。それに対して、外から作品を持ち込む側は、出版社や映画会社に対して自分の作品を提示し、採用してもらうよう「相手に頼み込む」立場です。分かりやすく言えば、この場合、外から作品を持ち込む側は「商品を売り込むセールスマン」であり、持ち込まれる側は「商品購入を決定するお客」の立場にあるわけです。ならば持ち込まれた作品に対して「お客」としての権利を行使し、また義務を果たすべき立場にある出版社や映画会社が、自社の「専門的な」基準に基づいた作品評価を行うのは当然のことです。
しかも、出版社や映画会社にとって、作品は「商売道具」であり、作品評価は「商売道具の質を見極めるための仕事」です。そして出版社や映画会社の社員は、日々の生活の生計を立てるためにも、会社としての事業展開のためにも、また将来有望な作家や脚本家などを育て上げるためにも、外から持ち込まれた作品に対して厳しい水準の「専門的な」作品評価を行わなければならない立場にあるのですし、それこそが会社から任された「仕事」でもあるのですから、作品評価が専門的になり、批評が厳しくなるのも当たり前でしょう。
もちろん、作品を持ち込む側もまた、自分の作品が出版社や映画会社などによる「専門的な作品評価」に晒されることを最初から承知の上で持ち込みに臨むわけです。だから、このようなケースで「専門的な作品評価」が行われる事は何ら不思議なことではありません。
しかしそれに対して、「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」というのは、上記の持ち込み作品の事例とは立場が完全に逆転するのです。つまり、作品を論評する「専門家」側が「商品を売り込むセールスマン」になり、それを読む「素人」側が「商品購入を決定するお客」となるわけです。そして「お客」の大多数が「素人」であり、かつ彼らの選択が「セールスマン」側の評価や生活を左右することになる以上、「素人」にも分かりやすく、また受け入れられやすい作品評論を提示する義務が「専門家」側の方に発生するのもこれまた当然のことではありませんか。
しかも、実はこれこそが一番重要なことなのですが、「素人」の間では「オリジナリティのある作品」と同等か、あるいはそれ以上に「テンプレート作品」が大いに受け入れられているのです。山本弘が口を極めて罵っている「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」が大ヒットしているのもその一例ですし、また「水戸黄門」や「遠山の金さん」のような時代劇や、「サザエさん」や「ドラえもん」のような「テンプレート作品」が長期にわたってTV放送されているのもそうでしょう。その他、マンガやゲームなどにも、一時期のみヒットしたバブル的なものも含めれば、「素人」に受け入れられた「テンプレート作品」はたくさん存在するのです。
そして、大多数の「素人」がそのような「テンプレート作品」を欲しているからこそ、出版社や映画会社もまた当然のように「テンプレート作品」を「お客」に対して提供しているのです。特に出版社では、編集者が実力のある作家やマンガ家などに対して「型に嵌ったテンプレート路線」に沿った作品を書くことを要望するという話も決して珍しいことではありません。出版社側にしてみれば、多くの読者に受け入れられないかもしれない「オリジナリティ溢れる作品」で危険な賭けに打って出るよりも、分かりやすく単純であるが故に読者に受け入れられやすい「テンプレート作品」の方が安心できるのですから当然のことです。もっとも、それに対して作者側がどのようなリアクションを返すかについては、あくまで作者自身の自由意思に委ねられることになるでしょうけど。
「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」というのは、自分自身の「専門家」としての知識や作品評価基準をベースにしつつ、今まで述べてきたような「素人の価値観」や「素人向けの分かりやすさ」をも前提かつ考慮に入れた上で、それでも万人に受け入れられる内容で構成されているものを提示するべきものなのです。そして一方、巷の作品評論に「お客」の立場として閲覧する「素人」側が、無条件かつ無批判に「専門家」とやらの作品評論を常に受け入れなければならない理由や義務など、どこにも存在しないのです。作品評論という名の「商品」を選ぶ権利は「素人」側にあるのですから当然でしょう。
こんな「素人」側の事情や「専門家」としての自分の立場を黙殺して、あくまで「自分個人の主観的価値観」のみをベースにした支離滅裂かつダブルスタンダードだらけの作品評価基準に基づいた作品評論で、作品も製作者もファンも一切合財糞味噌に罵るしか能のない山本弘は、「【お客に奉仕するべき】作品評価の専門家」として完全に失格なのではないかと私は思うのですがね。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4078
Re:だからいい加減にしなっての
- 投稿者:不沈戦艦
- 2003年05月14日(水) 14時59分
> >遅くなりました
>
> とんでもありません。お忙しい中、回答をいただき、ありがとうございます。
>
> >ちなみに載せないと言っている訳ではありませんし、逆に載せると確約するわけでもありません。
> >要は内容次第です。
>
> 管理人さんは、冒険風ライダー氏が送ってきた「銀英伝考察3」の内容をチェックし、是非を考慮した上で「是」と判断して掲載されたわけですね。そのような判断をされた管理人さんですので、ぜひ以下の疑問にお答えいただけませんでしょうか。
>
> 管理人さんが「是」とされた銀英伝考察3に、私はある切り口をもって、編集内容に疑問を呈しました。その疑問を妥当と思われますか?思われませんか?(論点を簡潔にするため、再編集の話は後回しにしましょう。)
>
> 私の疑問を再度まとめさせていただきます。
>
> 銀英伝考察3に関連した投稿の一部が、銀英伝考察3に収録されておりません。このことが、この論争や論争参加者への評価にバイアスをかけるのではないか、というものです。
>
> 具体例を挙げた方が分かりやすいでしょう。
>
> 今回の論争の中で、激論となった論点の一つに「銀英伝世界の艦船は無補給航行ができるか」というものがあります。非常に大きな位置を占めた論点の一つで、侃々諤々の論争になり、論争相手への個人攻撃も行われました。
>
> ところが、銀英伝には、この論争に重要な影響を与える資料が存在するのです。「奪還者」というエピソードです。
>
> そして、この資料の存在を指摘した投稿が、そっくり抜け落ちているのです。将来、この論争をログで読む人は、この資料の存在を知ることなく、今回の論争を評価することになるでしょう。
>
> また、この問題は「無補給航行」よりもさらに大きな問題に影響を与えるのです。今回の論争の中では、論争相手の姿勢や人格を攻撃する表現が多用されました。(注:使った人と使わなかった人がいますが。)攻撃の中には「反対のための反対をしている」というものもありました。
>
> そして私は、抜け落ちている投稿の中には、この面でも読む人の判断に影響を与えるものが含まれると思うのです。その投稿を読めば、「無補給航行」を否定する人が根拠をもって否定していると判断できるが、読まなければ、反対のための反対をしていると判断されることもあるでしょう。その逆だってありえます。抜け落ちている投稿を読むことで、投稿者が(例えばKenが)反対のための反対をしていると、確信を深める人がいるかもしれません。
>
> その判断をするのは、掲示板を見ている一人一人です。ただ私が言いたいのは、その判断材料となる個々の投稿は、平等に扱うべきではないか、ということなのです。すべての投稿を読んだ上で、ある人が反対のための反対をしていると判断されるのなら、それはその人と判断する人との間の問題です。しかし掲示板が投稿をふるいにかければ、当事者同士の問題では済まなくなります。
>
> こう考えれば、あるテーマに関して行われた論争をログにまとめるに際して、どの投稿を収録するかを決める材料は一つしかないのではありませんか?それは、その投稿がその論争と関連しているか、関連していないか、です。
>
> ですから、私は何度か質問をしたのです。私が指摘した投稿は銀英伝考察3と関連していると思われますか、と。そして、管理人さんご自身を含め、私へのレスを下さった方で、この問いかけに正面から回答した人は、これまでのところおられません。
>
> と、いうのが私の問題提議です。
>
管理人さんはすでにこう(↓)回答してますよね。
>別に冒険風ライダーさんは本サイトの編集担当でもなんでもありません。立場的にはKenさんと同じです。
>実際、前には新Q太郎さんに編集したザ・ベストを送ってもらったこともあります。
>どのような事をすればよろしいか、ご理解されましたでしょうか?
>ちなみに載せないと言っている訳ではありませんし、逆に載せると確約するわけでもありません。
>要は内容次第です。
いつまで子供みたいに、同じことを繰り返すんですか。貴方がやるべきことは、自分で納得の行くようにこの掲示板の内容を編集して、管理人さんに送って、「これをHPに載せて下さい」とお願いすることでしょ。いつまでも、まるっきり荒らしのように、「だってだって、私が正しいんですぅ~」と、ここで繰り返すことではないでしょうに。こんなザマだから、管理人さんに、
>既に「歪曲している」ということが前提条件になっているのですね。
>冒険風ライダーさんに失礼というよりも、今までKenさんが自分で言っていたことが実は慇懃無礼な言説に過ぎなかったと言うことになりませんか?
とまで言われてしまうんでしょうねぇ。「歪曲している」なんてのは、貴方一人だけの極めて特殊な意見に過ぎない、ということをいい加減理解したらどうですか。
- 親記事No.3997スレッドの返信投稿
- board4 - No.4079
Re:創作論を騙る原理主義者へ
- 投稿者:八木あつし
- 2003年05月15日(木) 13時56分
> 冒険王ライダーさん、およびこの板の住人の皆様へ。
> 山本信者の定義によると、
>
> 1.内容の如何に関わらず、表現の無礼な書き込みは荒らしである。
>
> 2.反論されたにもかかわらず、しつこく再反論を書き込むヤツは荒らしである。
>
> 3.長文の書き込みは荒らしである。
>
> だそうです。
> ゆえに信者ルールにより、デストローン氏は荒らしであると認定されました。
> だからもうこいつの相手にしなくていいですよ~!
議論が白熱した時のタナウツ掲示板では、1~3のどれかしらが当てはまる気がしないでもないですが・・・。第一、3の「長文の書き込みは荒らしである」なんかあまりに短絡的で、先日の移動要塞論争の当事者のほとんどが荒らしになってしまいますがねぇ。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4080
Re:だからいい加減にしなっての
- 投稿者:IK
- 2003年05月15日(木) 14時58分
うーん、取り敢えず「編集」「採用権」「誤読の危険性」は別の話ではないでしょうか。何も悪意を絡めずに話せば本来ここまでこじれる話ではないと思いますが。
いちいちおのれの立場を絶対視して説教したがる人が多いようで困りものですね。聞く耳を持つって事は出来ないのでしょうか。ま、これを書いて、どれだけ反発がくるか分かりませんが、当事者にはまた別の見方があって当然でしょう。
ものの言い方などどうでもいいというのでは、それこそ子供じみた態度ですね。あれほど罵詈雑言を浴びせかけさせながら、他方を慇懃無礼呼ばわりするのも、どういうことでしょうかね。
当該スレッドで、私は「これは移動要塞論とは別と言うことでよろしいですか」と言っておりますので、冒険風ライダーさんはそこを汲み取っていただいたものと思います。
もちろん流れ的にはつながっていますので、Kenさんがおっしゃるのことも分かりますので、取り敢えず管理人氏の言うようになされたらどうですか。
管理人氏の「責務」ということについて、私は石井氏とはかなり考えが違いますが、それも含めて氏の裁量権でしょうから、それについてはとやかく言いますまい。
ただしHNとは言え、個人が名前を出している訳ですから、大きく誤読されると当人が思うならば、それについて意見をいうのは当然だと思いますが、これさえ否定するかのような(軒先を貸してもらっているからと)考えは、さて、「嫌なら読まなければいい」という田中芳樹擁護派にありがちな論理展開とどれだけ違うのかよく分かりませんね。
ま、それだけです。「だからいい加減にしな」ってのは私も感じますよ。Kenさんに対してではないですがね。
- 親記事No.3997スレッドの返信投稿
- board4 - No.4081
Re:Re4075:商品を選択する「お客」は誰なのか?
- 投稿者:Night
- 2003年05月16日(金) 15時30分
始める前に言っておくと、私も、山本氏は創竜伝がダメ小説であることを認めるべきだと思いますよ。
要らぬ社会評論が入りすぎていて、ストーリー進行は滅茶苦茶になってしまっているし、前世論や月世界の話からも判るように、作者自身の主張をしたいがばかりに、基本設定を破壊しかねないことを平気で書いてしまっている。これは明らかにダメ小説です。
プロの、それも同じジャンルの物書きである山本氏がそれに気が付いていないはずがない。だから、この件に関しては、山本氏はダブルスタンダードと言われても仕方ないと思います。
> <で、ここで言われているオリジナリティとは、『他からのアイデア(例えばワープとか超光速通信とか)を混入することは一切許さない。これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』というような意味だと思いますか。>
>
> 「オリジナリティ」の一般的な意味や解釈としてはともかく、山本弘的理論から判断するならば「全くその通り」としか言いようがないでしょう。No.4071でも述べているように、山本弘は「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」と自分で定めた定義を元に、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い」だの「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格」だのといった主張を恥ずかしげもなく堂々と展開しているのですから。
> 山本弘にとっては、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーン」といった類の「テンプレート的作品描写」を使用すること【自体】が「自分では何も考えてない」ことの証なのであり、「創作者として失格」「頭の悪いバカ」という烙印を押されるべき「忌まわしき所業」でしかないのです。とてもプロのエンターテイメント創作家から出た発言とは思えないほどに「頭の悪いバカ」としか言いようのない主張ですが、これは本人がはっきり明言していることなのですからどうしようもありません。
山本氏は、他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている人です。
そういった背景や前後の文脈を常識的に考えれば、山本氏は、既存のシーンを何も考えずに丸ごとコピーする行為を批判しているのであり、『これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』などという極端かつ馬鹿げたことを言いたいのではないことなど、余りに明らかです。
どうして上のような極端な受け取り方をされるのか分かりません。はっきり言えば、故意に曲解しているとしか思えません。
結局、冒険風ライダーさんが【山本弘的理論】と呼んでいるものは、山本氏が本当に言いたかったことからは余りにかけ離れた代物なんです。それは山本氏の言葉尻を捕えては、極端に解釈して醜悪にした虚像でしかない。
『対象をことさらに醜悪かつ矮小な像として歪めて描写する。そして、その像の醜悪さ、矮小さをもって対象を批判し、罵倒する』という手法は、田中氏が創竜伝の中で散々使っているものです。そのことに気づいていらっしゃるんですか。
この後に続く部分も読みましたけど、正直な所、冒険風ライダーさんが何を言いたいのか良く分かりません。様々なメディアに、【大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論】がたくさんありますけど、それこそ『どこかで見たような場面と展開が多すぎる。この作者なりの工夫やオリジナリティはどこにあるのか』というようなことを、厳しい言葉で言っている評論など、山ほどありますよ。そういうことを言う評論家は全て作品評価の専門家として失格である、というようなことを仰りたいのですか。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4082
Re:あのですね
- 投稿者:不沈戦艦
- 2003年05月16日(金) 17時27分
> うーん、取り敢えず「編集」「採用権」「誤読の危険性」は別の話ではないでしょうか。何も悪意を絡めずに話せば本来ここまでこじれる話ではないと思いますが。
> いちいちおのれの立場を絶対視して説教したがる人が多いようで困りものですね。聞く耳を持つって事は出来ないのでしょうか。ま、これを書いて、どれだけ反発がくるか分かりませんが、当事者にはまた別の見方があって当然でしょう。
> ものの言い方などどうでもいいというのでは、それこそ子供じみた態度ですね。あれほど罵詈雑言を浴びせかけさせながら、他方を慇懃無礼呼ばわりするのも、どういうことでしょうかね。
>
> 当該スレッドで、私は「これは移動要塞論とは別と言うことでよろしいですか」と言っておりますので、冒険風ライダーさんはそこを汲み取っていただいたものと思います。
> もちろん流れ的にはつながっていますので、Kenさんがおっしゃるのことも分かりますので、取り敢えず管理人氏の言うようになされたらどうですか。
> 管理人氏の「責務」ということについて、私は石井氏とはかなり考えが違いますが、それも含めて氏の裁量権でしょうから、それについてはとやかく言いますまい。
> ただしHNとは言え、個人が名前を出している訳ですから、大きく誤読されると当人が思うならば、それについて意見をいうのは当然だと思いますが、これさえ否定するかのような(軒先を貸してもらっているからと)考えは、さて、「嫌なら読まなければいい」という田中芳樹擁護派にありがちな論理展開とどれだけ違うのかよく分かりませんね。
>
> ま、それだけです。「だからいい加減にしな」ってのは私も感じますよ。Kenさんに対してではないですがね。
管理人さんは「自分の考えるようなコンテンツをHPに載せて欲しいのなら、編集して送って下さい。内容によって、載せるか載せないかを判断します」と、ちゃんと返事しているんですよね。すなわちそれは、すでに掲載されている冒険風ライダー氏の作ったコンテンツは、妥当であると管理人さんが判断していることに、他ならんでしょうに。
それを理解できずにグダグダと、「私が正しいんですよね。ねえ、そうでしょ?答えて下さい!」と何度も鬱陶しい粘着ぶりを見せつける人間には、少々きつい言葉を浴びせたところで、構わんと思いますがいかがですか。
>「嫌なら読まなければいい」という田中芳樹擁護派にありがちな論理展開とどれだけ違うのかよく分かりませんね。
あのね、ここは「田中芳樹批判公式サイト」とかじゃないんですよ。個人が趣味でやってるHP以外の何でもないんですから。金を取っている訳でもないし。それに、田中芳樹批判がやりたきゃ、自分でHPを作ってやっても別に構わんでしょう。誰も「田中芳樹批判はタナウツ以外ではやってはいけない」なんて言ってないんですし。「田中芳樹批判公式サイトで論者としてのメンツを保ちたい」なんて粘着質の人物は、迷惑なだけです。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4083
Re:あのですね
- 投稿者:IK
- 2003年05月17日(土) 01時56分
ま、難しいですよ。何かを言えば誰かへの批判になりますから。ただ、傍から見ていて、不沈戦艦さんとは別の見方をする人もおそらくいる訳で、
> それを理解できずにグダグダと、「私が正しいんですよね。ねえ、そうでしょ?答えて下さい!」と何度も鬱陶しい粘着ぶりを見せつける人間には、少々きつい言葉を浴びせたところで、構わんと思いますがいかがですか。
同じ現象を見てもこうは見ない者もいるということです。ご当人はもちろんそうでしょうけどね。だから「対話」が生じる余地のある物言いをしたらどうですか、と言ってるんですけどね。
そもそも問題になっている私とKenさんの間で交わされた書き込みにしても、「表現」がネックになってあの論争で対話が成立していない、にも拘らず延々と終わりそうにもない不毛なものに成り果てていたので、別のアプローチをしてみたのでした。
サイトで何らかの問題があると、個人のHPだからで済ませる人も多いですね。金を貰っていようがなんだろうがオオヤケに開いているものは「批判」の対象ですよ。いやならそれこそフリーアクセスではなく、仲良しクラブでどうぞ、ってことになりますわな。
個人のHPだから、時間がないからというだけで、批判をするサイトが他者からの批判(批判とさえ言えない意見ですが、現実には)を受け入れないのは醜悪だとは思いませんか。
もちろん究極的にはそれもまた管理人氏の裁量権ですよ。そこで相容れなければ去るだけです。その前段階の意見交換も不可だと?
さてさて甘えているのはどちらでしょうかね。
ま、別にタナウツを良くしようという気もないし、私が言うことが全部正しいというつもりもないです。だから本当であれば放置するんですけどね、あんまりね、罵詈雑言がひどいように見えたものですからね。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4084
Re:あのですね
- 投稿者:不沈戦艦
- 2003年05月17日(土) 11時26分
> ま、難しいですよ。何かを言えば誰かへの批判になりますから。ただ、傍から見ていて、不沈戦艦さんとは別の見方をする人もおそらくいる訳で、
>
> > それを理解できずにグダグダと、「私が正しいんですよね。ねえ、そうでしょ?答えて下さい!」と何度も鬱陶しい粘着ぶりを見せつける人間には、少々きつい言葉を浴びせたところで、構わんと思いますがいかがですか。
>
> 同じ現象を見てもこうは見ない者もいるということです。ご当人はもちろんそうでしょうけどね。だから「対話」が生じる余地のある物言いをしたらどうですか、と言ってるんですけどね。
> そもそも問題になっている私とKenさんの間で交わされた書き込みにしても、「表現」がネックになってあの論争で対話が成立していない、にも拘らず延々と終わりそうにもない不毛なものに成り果てていたので、別のアプローチをしてみたのでした。
>
> サイトで何らかの問題があると、個人のHPだからで済ませる人も多いですね。金を貰っていようがなんだろうがオオヤケに開いているものは「批判」の対象ですよ。いやならそれこそフリーアクセスではなく、仲良しクラブでどうぞ、ってことになりますわな。
> 個人のHPだから、時間がないからというだけで、批判をするサイトが他者からの批判(批判とさえ言えない意見ですが、現実には)を受け入れないのは醜悪だとは思いませんか。
> もちろん究極的にはそれもまた管理人氏の裁量権ですよ。そこで相容れなければ去るだけです。その前段階の意見交換も不可だと?
> さてさて甘えているのはどちらでしょうかね。
Ken氏のワガママは、到底「意見交換」などと言えたものではないのではありませんかね。管理人さんからの回答はとっくに出ているが、Ken氏が理解できないだけ、という状態ではありませんか。それにも関わらず何度も何度も同じことを繰り返し書き込むというのは、嫌がらせ以外の何でもないでしょう。そりゃ、いくら何でも迷惑ってもんです。
>
> ま、別にタナウツを良くしようという気もないし、私が言うことが全部正しいというつもりもないです。だから本当であれば放置するんですけどね、あんまりね、罵詈雑言がひどいように見えたものですからね。
私は、罵詈雑言が悪いとは全く考えていませんが。時と場合によっては、罵詈雑言かましても構わんと思いますがね。「罵詈雑言はいついかなる場合でもよろしくない」とお考えなのはあなたの勝手ですが。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4085
Re:あのですね
- 投稿者:IK
- 2003年05月17日(土) 12時54分
> Ken氏のワガママは、到底「意見交換」などと言えたものではないのではありませんかね。管理人さんからの回答はとっくに出ているが、Ken氏が理解できないだけ、という状態ではありませんか。それにも関わらず何度も何度も同じことを繰り返し書き込むというのは、嫌がらせ以外の何でもないでしょう。そりゃ、いくら何でも迷惑ってもんです。
ワガママねえ。
その判断そのものが独善的「かも知れない」とは思わんのですかね。
> 私は、罵詈雑言が悪いとは全く考えていませんが。時と場合によっては、罵詈雑言かましても構わんと思いますがね。「罵詈雑言はいついかなる場合でもよろしくない」とお考えなのはあなたの勝手ですが。
私もいついかなる場合も駄目だとは言ってませんけどね。態度の悪い人には相応の態度で接していますし。
ま、深入りはよしましょう。他人を傷つけることになりそうです。我々互いはともかくね。「あんまりな態度だな」と思えばこれからも言うことはあるでしょうけどね。それは相手が誰であれそうですよ。
一見さんの無礼には厳しく、常連さんのそれには何も言わないのは「礼儀正しい」でもなんでもないですからね。
具体的にはKenさんは不沈戦艦さんがおっしゃるような対応をとるのがよいと思いますよ。ただ、ここに至るまでの経緯があったのですからね、そこをお忘れなく。
- 親記事No.3997スレッドの返信投稿
- board4 - No.4086
Re4081:山本弘問題の本質
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2003年05月18日(日) 11時01分
<山本氏は、他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている人です。
そういった背景や前後の文脈を常識的に考えれば、山本氏は、既存のシーンを何も考えずに丸ごとコピーする行為を批判しているのであり、『これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』などという極端かつ馬鹿げたことを言いたいのではないことなど、余りに明らかです。
どうして上のような極端な受け取り方をされるのか分かりません。はっきり言えば、故意に曲解しているとしか思えません。>
「故意に曲解している」のはそちらの方でしょう。「前後の文脈を常識的に考えれば」山本弘の一連の主張は「杜撰な科学考証」や「テンプレート的作品描写」が存在すること「自体」をもって「このような作品を作った奴は何も考えていない頭の悪いバカである」と断定している以外に解釈のしようがないのですし、「他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている」に至っては、ダブルスタンダードの否定どころか、むしろ反対にダブルスタンダードの立証ないしは補強材料にすらなってしまうシロモノでしかないのですから。
何度も言っているように、山本弘はあちらの掲示板No.9685の投稿で、エンターテイメント作品における「テンプレート的作品描写」の使用を「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」と明確に定義しているのですし、オリジナリティについてもまた、あちらの掲示板No.9795で「今までになかったことを考えつくがオリジナリティというものであり、作家の頭の良さを示すものなのです」などとこれまた明確過ぎるほどの定義を行っています。そして、山本弘はこれらの定義と科学考証理論に基づいて「俺だったらこうする、『今まで誰も見たことのないオリジナリティに溢れた』アルマゲドンの架空映画描写」なるシミュレーションまで行っている始末なのです。これらの山本弘の言動をいくら振り返ってみても、あなたのような「好意的解釈」の類を導くことはほとんど不可能ですよ。
それに前にも言ったでしょう。山本弘が主張する「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」という発言の「何も考えてない」は単なる山本弘個人の主観的感想の類でしかなく、何ら客観的根拠に基づいたものではない、と。映画制作者達は「ストーリー&演出重視路線で【熟考した末に】」あえて「杜撰な科学考証」や「テンプレート的作品描写」を入れることにしたのかもしれないし、それはノンフィクションでもドキュメンタリーでもない「大衆受けするフィクション作品」を製作する手法としては、むしろ当たり前すぎる「常識」の部類にすら属するものです。そして、それで映画がコケたとでもいうのならばともかく、実際には映画は大ヒットしたわけですから、すくなくともその意図に沿って映画を製作した人達が、山本弘曰く「頭の悪いバカ」に該当などするわけがないでしょう。その手の作品制作手法が単に山本弘の個人的趣味には合致しない、ただそれだけのことでしかないのです。
第一、「テンプレート的作品描写を【何も考えずに】使用すること」と「テンプレート的作品描写を【活用して】オリジナリティを出すこと」の区別は、一体どのような判定基準に照らし合わせて行うというのでしょうか? その区別の(ある程度の客観性ないしは普遍性を伴う)判定基準すら全く提示することなく「既存のシーンを何も考えずに丸ごとコピーする行為を批判」などしたところで、そんなものは「山本弘個人の主観的価値観」のみに依存した感情論と、「テンプレート的作品描写の使用=何も考えていない」「オリジナリティ=今までになかったことを考えつく」という誤った前提をベースに語られているとしか解釈のしようがないではありませんか。しかも、前述のように他ならぬ山本弘自身が「テンプレート」と「オリジナリティ」に関する明確な定義の提示まで行っているのですからなおのことです。
他にも細かいことを言い出せば、何十箇所もツッコミどころがあります。
これって、発言している山本弘が何も考えてないことの、まぎれもない証明ではないのですか? これだけの証拠があるにもかかわらず、なおかつ「山本弘の『インディペンデンス・ディ』『アルマゲドン』評価はダブルスタンダードに陥っていない」だの「山本弘は『科学考証無視のフィクション描写』や『テンプレート的作品描写』の存在を全面否定などしていない」だのと主張する人は、現実を見失っているとしか思えないのですが。
そして、一連の愚劣な発言の数々を行っている山本弘が、もし自分の発言内容について何ら総括を行うことなしに、「他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている」という自分の作家履歴について何ら言及しなかったり、他の作品における「杜撰な科学考証」や「テンプレート的作品描写」といった要素を無視したり絶賛したりしているというのであれば、そんなものはそれこそ「ダブルスタンダードの証明」にしかなりえないのですよ。それでは結局のところ「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」などの特定の作品に対して「だけ」、「杜撰な科学考証」だの「テンプレート的作品描写」だのといった「山本弘個人の主観的価値観のみに依存しているだけの」作品評価基準を当てはめ、他の作品には一切適用しないという「ダブルスタンダードの決意表明」にしかなっていないのですから。
そもそも、あなたはあの文章を自分で書いていて気づかなかったのですか? あの文章で提示されている論法をあなたが一番最初に書いていた、
<始める前に言っておくと、私も、山本氏は創竜伝がダメ小説であることを認めるべきだと思いますよ。
要らぬ社会評論が入りすぎていて、ストーリー進行は滅茶苦茶になってしまっているし、前世論や月世界の話からも判るように、作者自身の主張をしたいがばかりに、基本設定を破壊しかねないことを平気で書いてしまっている。これは明らかにダメ小説です。
プロの、それも同じジャンルの物書きである山本氏がそれに気が付いていないはずがない。だから、この件に関しては、山本氏はダブルスタンダードと言われても仕方ないと思います。>
↑に適用すると、こんな文章だって成立しえるということに↓
<山本氏は、いわゆる「トンデモ本」を批判する著書を「と学会会長」の名義でいくつも書いている人です。
そういった背景や前後の文脈を常識的に考えれば、山本氏は、巷に存在するトンデモ本の記述内容を批判しつつ笑い飛ばしているのであり、『どんなトンデモな要素があろうと、俺は絶対に創竜伝をトンデモ認定しない』などという極端かつ馬鹿げたことを言いたいのではないことなど、余りに明らかです。
どうして上のような極端な受け取り方をされるのか分かりません。はっきり言えば、故意に曲解しているとしか思えません。>
今更言うまでもなく、こんな「こじつけ論法」の類など成立しえるはずがないでしょう。山本弘が「『トンデモ本』を批判する著書を『と学会会長』の名義でいくつも書いている人」【だからこそ】、創竜伝を公式の場で「トンデモ本」認定しないことが「ダブルスタンダード」として問題になるのですから。それと同じように、山本弘に「『他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている』という作家履歴」が存在するのであれば【なおのこと】、自分自身の作家履歴について公式の場で言及することなく「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」評価の際に適用している作品評価基準を自分自身の作品や作家履歴に当てはめない「ダブルスタンダード」とのそしりを受けても文句は言えないのです。
もっとも、他ならぬ山本弘自身が「他からのアイデア(例えばクトゥルフ神話やフォーセリアや妖怪)を素材にした作品をいくつも書いている」自分のことをあえて「何も考えていない頭の悪いバカである」と定義し、自分自身がバカにされることをも覚悟した上で「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」評価を行っているとでもいうのであれば話は別でしょうが、そんな余程の例外的事実でも存在しない限り、山本弘の作品評価ダブルスタンダードを擁護するのに、山本弘自身の作家履歴などを持ち出すのは自殺行為以外の何物でもないでしょう。
ひょっとして、Nightさんは一連の山本弘ダブルスタンダード問題の本質が全く理解できていないのではありませんか? こんな「反論にもなっていない反論」を展開してくること自体、その証明であるように思えてならないのですが。
<この後に続く部分も読みましたけど、正直な所、冒険風ライダーさんが何を言いたいのか良く分かりません。様々なメディアに、【大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論】がたくさんありますけど、それこそ『どこかで見たような場面と展開が多すぎる。この作者なりの工夫やオリジナリティはどこにあるのか』というようなことを、厳しい言葉で言っている評論など、山ほどありますよ。そういうことを言う評論家は全て作品評価の専門家として失格である、というようなことを仰りたいのですか。>
どうして前回の私の投稿から「そういうことを言う評論家は全て作品評価の専門家として失格である」などという誤った解釈を導き出すことができるのでしょうかね。決してそうは読み取られないようにと、今回も一応予防線はそれなりに張っておいたはずなのですが↓
<「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」というのは、自分自身の「専門家」としての知識や作品評価基準をベースにしつつ、今まで述べてきたような「素人の価値観」や「素人向けの分かりやすさ」をも前提かつ考慮に入れた上で、それでも万人に受け入れられる内容で構成されているものを提示するべきものなのです。そして一方、巷の作品評論に「お客」の立場として閲覧する「素人」側が、無条件かつ無批判に「専門家」とやらの作品評論を常に受け入れなければならない理由や義務など、どこにも存在しないのです。作品評論という名の「商品」を選ぶ権利は「素人」側にあるのですから当然でしょう。>
というわけで、私は別に「専門家」としての知識や作品評価基準に基づいた評論を否定しているわけでもなければ、作品を酷評したりエンターテイメント創作家をバカにしたりするような評論を展開すること自体を否定しているわけでもなく、作品評価の「専門家」が不特定多数の「お客」を対象に自分の作品評価を開陳する際には、「お客」である「素人」にもすんなり受け入れられるような作品評論を行うように努めるべきである、という、ごくごく当たり前のことを言っているだけでしかないのです。これは逆に言えば、その条件を満たしさえすれば、「専門家」としての知識や作品評価基準に基づいた評論を行ったり、作品を酷評したりエンターテイメント創作家をバカにしたりするような評論を展開しても一向にかまわないし、「素人」の中にも一定の賛同者は現われるだろう、ということでもあるのですがね。
で、一連の議論で本来山本弘がやらなければならなかったのは、前にも述べた通り、
「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』を【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】のみをベースに評価しなければならないのか?」
「なぜ【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】が存在するだけで『このような作品を作った人間は何も考えていない頭の悪いバカである』と評価されなければならないのか?」
「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』と同様の評価基準が田中作品には全く適用されないのか?」
という3つの問題点を解消する説明を、自分個人の主観的価値観のみに依存するだけでなく、それなりの客観的根拠なりある程度の普遍的な価値観なりをベースにした説得力のある理論構築を、「素人にも分かるような形で」行うことだったのです。「素人」が「お客」であることも理解せずに、「専門家の意見は絶対に正しいんだ!」などとただ絶叫したところで、そんなものは嘲笑と哀れみの対象にしかなりません。
あるいは「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」評価と田中作品評価のどちらか一方を撤回し、改めて他方の評価基準に一方を合わせた作品評価をやり直す、という方法でも良かったでしょう。それで結果として田中作品が「杜撰な科学考証」や「テンプレート的作品描写」に基づいて改めて糞味噌に評価されることになったとしても、すくなくとも私が一貫して主張している「山本弘のダブルスタンダード性」は消えることになるわけですから、私個人としてはそれでも納得して矛を収めるつもりではあったのですけどね。
ところが何度も言っているように、一連の問題提起に対する山本弘の主張は、そのほとんど全てが「山本弘個人の主観的価値観」に依存しただけの、客観的根拠や普遍的な価値観といったものを何ら伴っていないものでしかなかった上、せっかく持ち出した「たとえ話」も全く辻褄が合っておらず、最後には「一般観客は泣いたかもしれないけど、映画マニアの多くは『アルマゲドン』をひどい映画だとみなしている。これはまぎれもない事実なんです」(No.9795)だの「いくら世間でヒットしようが、映画に詳しいマニアや、創作を生業としているプロには、あの映画は根本的にダメだってことが一目で分かるんだから」(No.10063)だのといった、「お客」を無視した「虎の威を借る自説の権威付け」まで行う始末。このような一連の議論で垣間見られた山本弘の言動のどこが、「【お客に奉仕するべき】作品評価の専門家」として妥当なものだったというのですかね? 山本弘のあまりの醜態に、私は何度爆笑したか数える気にもなれないのですけど。
こんな「お客」に対する必要最低限の基本すらも全くなっていないような人間が「作品評価の専門家」を名乗るなど、それこそ作品や作品評論というジャンルそのものに対する冒涜でしかないと私は思うのですがね。
で、以上のように山本弘の理論も私の主張も徹底的に誤読と誤解釈を行った挙句、反論にも何にもなっていない見当ハズレな投稿を行っているあなたが、
<結局、冒険風ライダーさんが【山本弘的理論】と呼んでいるものは、山本氏が本当に言いたかったことからは余りにかけ離れた代物なんです。それは山本氏の言葉尻を捕えては、極端に解釈して醜悪にした虚像でしかない。
『対象をことさらに醜悪かつ矮小な像として歪めて描写する。そして、その像の醜悪さ、矮小さをもって対象を批判し、罵倒する』という手法は、田中氏が創竜伝の中で散々使っているものです。そのことに気づいていらっしゃるんですか。>
↑などと私に対してお説教するなど醜悪かつ滑稽な喜劇以外の何物でもないでしょう。
この文章はむしろ、あなたの私に対する反論の方がはるかに当てはまるのではないですかね? 反論すべき私の主張も、擁護すべき山本弘の主張も、その全てがああまで曲解されてしまうのでは、私としても非常に迷惑でしかありませんし、何よりも見当ハズレかつ不当な擁護論によって、結果として山本弘自身を不当に貶めることにも繋がりかねないのですけど。
- 親記事No.3983スレッドの返信投稿
- board4 - No.4087
返答ですが。
- 投稿者:本ページ管理人
- 2003年05月18日(日) 15時15分
4076は私の書き込みをまったく無視する形の書き込みですが、失礼だとは思いませんでしたか??
同じ事は何度も言いません。
こちらからは一応返答を返しておきましょう。
> 管理人さんが「是」とされた銀英伝考察3に、私はある切り口をもって、編集内容に疑問を呈しました。その疑問を妥当と思われますか?思われませんか?(論点を簡潔にするため、再編集の話は後回しにしましょう。)
より良くするための意見としては参考になると思いますし、感謝する部分もあります。
しかし、これが欠如しているからと言ってザ・ベストの大きな瑕疵であるとは思いませんし、「歪曲している」とはまったく持って考えません。
せいぜい次回の更新の際に参照にする、または、編集されたファイルが送られてきたら考慮する。そのレベルですね。