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- board4 - No.3972
覇王の卵
- 投稿者:KAN
- 2003年04月24日(木) 15時04分
「ラインハルト様ー」
・・・・・・・・
そう
何千の味方
何万の敵のなかで
唯一人お前だけが
唯一人、、、キルヒアイス、、、お前だけが
おれに野望(ゆめ)を忘れさせた、、、
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・ ・・・・・・
・・・・・・・・
だいぶ前のネタですが
いかがなもんでしょ
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3974
ファンタジー論(長文)
- 投稿者:本ページ管理人
- 2003年04月24日(木) 16時01分
>何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。
まあ、よりによって山本氏がこんなことを言うとはね。言うに事欠いて、とはこのことですね。
せっかくなんで、いつか推敲して発表しようと思っていた文章を出してしまおうかと思います。
基本的には高校生の時に書いた文章なので、影響を受けた文が背後に透けていたり、いろいろ荒いですが、ご容赦を。今見ても結構そのまま通じるかな、と思います。未熟な部分も多く、恥を忍んで…と言うのが正直なところですけれども(笑)
ファンタジー【fantasy】
1、空想。幻想。夢。
2、形式にとらわれず作者の自由な幻想によって作り上げられた曲。幻想曲。
3、幻想的・夢幻的な文学作品。
(大辞林)
ファンタジーとはなんであろうか?という問いに対して、辞書を用いて答えると、こうなる。
そう、ただこれだけのことでしかないのだ。
この問いを向けられたとき、多くの人が剣だか魔法だかが出てくる西洋中世的な世界を思い浮かべるに違いない。その傾向は特に青少年で顕著であろう。
だが、もう一度繰り返す。
ただそれだけのことでしかないのだ。
○
空想や幻想といった『ありえざるもの』を描いてきたがために、ファンタジーは、「現実を直視せず、空想へ逃避する退廃的なもの」として、長いこと扱われてきた。『逃避文学』とさえ、呼ばれていた時代があった。
空想や幻想を取り扱ってはいるが、ファンタジーは現実を直視しないわけではない。
それどころか、直視する手助けになる手法であるとも言える。
元来、多くのファンタジーが、現実に対する諷刺として描かれてきた。
スウィフトの『ガリバー旅行記』には、小人の国リリパットが描かれている。この小人達は、タマゴの割り方という、実にくだらない理由で戦争をしている。だが、肌の色や主義主張、信仰や利益のために争いをしている現代人が、はたしてそれをくだらないと言えるだろうか。
ミヒャエル・エンデの『モモ』や、古典的な所ではアンデルセンの『裸の王様』など、同様に諷刺しているファンタジーは無数にある。
現実を舞台にすると複雑になりがちな出来事を、ファンタジーという形を取ることで簡略化して表現できるからだ。
戦争や社会の歪みなどは、現実で描いていると、どんどん暗く悲しくなってしまう。これをファンタジーに置き換えることによって、暗い側面にとらわれずに、テーマを捉えることが出来るのだ。
○
さて、冒頭でも述べたとおり、ファンタジーと聞いて『モモ』や『不思議な国のアリス』を思い浮かべる人は少数派になってしまっている。
トールキンの『指輪物語』やハワードの『コナン』シリーズ、ムアコックの『エルリック・サーガ』シリーズなどの先達が作り上げた、いわゆる『剣と魔法(ソーズ・アンド・ソーサリー)』『ヒロイック・ファンタジー』の系統を組むものがほとんどだからだろう。
なにも、それが悪いというわけではない。
誤解されそうなのであらかじめ断っておくが、私はこのようなファンタジーが嫌いではない。むしろ、好きである。ムアコックなどは、独特の世界を造りあげた偉人として、尊敬すらしている。
私が気にくわないのは、それに群がる『ライトファンタジー』というジャンルである。
ライトファンタジーの特徴は、トールキンやハワード、ムアコック、ラブクラフトなどの先達が、自らのアイデンティティを賭けて造りあげた世界を、すでに共通認識としているところだ。
例えば、いま中学生にもっとも読まれている小説『ロードス島戦記』(管理人注 1995年当時。ちなみに山本氏は『ロードス島戦記』と同じ世界を舞台にした『ソードワールド』の小説を書いている)において、魔法やドワーフ、エルフなど、(トールキンの築き上げた)幻想の産物が出ていても、驚きはない。
ライトファンタジーの多くでは、魔法使いがいて、常人には理解できないものの魔法が使われているのが当たり前であり、ドラゴンがいることさえ前提無しで理解されている世界が舞台になっているのだ。その世界は、『アーサー王物語』のような世界をベースにしていると、判を押したように決まっている。
○
確かに、ライトファンタジーは空想から造られてはいるが、それは先達の造った空想を先達の造ったファンタジー世界の常識に従って、並べたものでしかない。
こんなものがファンタジーと呼べるだろうか?
そして、こんなものが本当のファンタジーを駆逐しているのである。
ファンタジー(と言っても、ライトファンタジーだが)は、今度こそ本当に『逃避文学』に堕してしまった。
○
私が、ライトファンタジーを『逃避文学』と断ずる理由は、それだけではない。
まず挙げられるのは、常識の無さである。
「常識がないのがファンタジー」とは言うが、この常識とは「現実世界」での「決まりごと」の事であり、ファンタジー中の常識ではないのだ。
ライトファンタジーでよくあるシーンを思い浮かべてみよう。
鋼鉄で全身を覆うような鎧を着て、「冒険者」という名のゴロツキが街を歩いているシーンである。
そう、こいつらは馬にも乗らず、数十キロはあろうかという鎧を着込んで、街を歩いているのである。ドン・キホーテも真っ青だ。
しかも、その鎧は考証なんぞ全くなく、アニメ的かっこよさを追求したあまりに、動くかどうかも怪しいシロモノだ。
その鋼鉄の鎧を着た人間が、細身の剣(たいていレイピアと呼ばれる)を持った人間なんかと闘うと、愚は骨頂に達する。
そして、ほとんどの場合、「細身の剣で鎧の隙間を突く」等という大バカな説明がつくのだ。
歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
以上の例は、ヨーロッパの中世風な風景を想像するからいまいちパッとしないが、これを日本に直してみると、そのバカさ加減がよくわかる。
武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。
アメリカ人の描く、ミスティックなジャパンに似ている。
日本人は、もうアメリカ人を笑えない。
○
先程のシーンで出てきた「冒険者」。一体どういう職業なのか?という質問を、思わずしたくなる。
こんな職業は、世界中のどこにもない。
なんでも、宿無しの「他人の面倒事を解決したり、古代遺跡を探索したりするいわゆる何でも屋」ということらしい。
無職をフリーターと呼ぶのに似ている。
所詮はゴロツキ、それもチンピラなのだ。
ライトファンタジーの世界では、こんなヤクザくずれのような連中が、英雄として祭り上げられている。
まあ、それはそれでいい。その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描けば、それはむしろ立派な文学といえる。
だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。
生活に苦しんで仕方なく出稼ぎ、生活すら出来ないでホームレス…という人間が、この現代日本にすらいるのに、その百万分の一の悲壮感すらない。
世の中を舐めているとしか言いようがない。
ライトファンタジーには、まったく生活の匂いがしない。脱臭化した除菌製品に囲まれているような世界が、そこにある。 このようなライトファンタジーを書いている人間や、読んでいる人間から、もし現実にいるとしたら乞食同然に臭い冒険者が排除されるのは当然といえよう。
このような人間に、「実際の冒険者はクサいんだよ。ゴロツキなんだよ」と説いて回っても、無駄である。彼らはこう反論するだろう。
「ファンタジーだからいいじゃん」、と。
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- board4 - No.3975
黒旗軍について
- 投稿者:北海道在住佐藤
- 2003年04月24日(木) 16時27分
以前、「創竜伝」の中で竜堂始が日本軍より前に西洋の軍隊に勝った軍隊でかつての清朝の軍隊について語る場面と、「銀英伝」のブラックフラッグフォース、「アルスラーン戦記」のゾットの黒旗があったのを覚えている人はいると思います。
私が読んだ本で「傭兵の二千年史」の中で、インドシナで稀代の悪女「西太后」に操られた匪賊部隊「黒旗軍」とゆう文章があり、もし田中芳樹氏がこの「黒旗軍」をモデルにしたのでしょうか?
随分と、日本軍と比較して誉めていた様ですが(間違っていたらすみません)。
以前、「田中芳樹は中国を本当に知っているか?」とゆうのを読ませていただいたので。
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- board4 - No.3977
ブレイク英雄伝説
- 投稿者:KAN
- 2003年04月25日(金) 15時27分
また むかしのネタのパロディをだします。
「夏の終わりのバラ」
酔っ払っているラインハルト
様子を見に来たヒルダを後ろから抱きしめて、
「フロイライン抱っこして寝る。」
「えっ!」
するといきなりミッターマイヤーとシュトライトが現れ、
「よくぞおっしゃいましたぞ、陛下ー。」
「御立派です、陛下」
「ええっ?」
クラッカーまで鳴らし、ラインハルトを応援する2人
ヒルダをお姫様だっこするラインハルト
「さあ、寝所へ行こう寝所へ」
「あの、陛下、下ろしてください、、」
さすがにちょっとイヤンなヒルダ、そこへ
「陛下!」
オーベルシュタイン登場
ぱっと顔の明るくなるヒルダ、
ああ、よかったこれで私の貞操の危機は回避され、、、
「避妊の方法は心得てますね?」
ませんでした(笑)
「あ~、、うむ、解ると思う」
「結構!」
ヒルダもこれにはビックリ
「オーベルシュタイン元帥!あなたがそういう人だとは思わなかったわ!」
「私は陛下がかわいいですから」
「フロイライン、暴れると危ないヨー」
「イヤー!おろしてー!!」
寝室に入る2人
この後、ナニがあったかは原作どうりということで。
モトネタはブレイク-エイジというマンガです。
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3978
Re:ファンタジー論(長文)
- 投稿者:Night
- 2003年04月25日(金) 17時04分
> >何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。
> まあ、よりによって山本氏がこんなことを言うとはね。言うに事欠いて、とはこのことですね。
この後、管理人氏のファンタジー論が続きます。内容を私なりに解釈しましたが、今回の議論との関連からすると、『ライトファンタジーの世界観そのものが、判で押したようなテンプレートではないか。それもひどく出来の悪い』というようなことを仰りたいのだと思います。
ただ、どうも私はこの主張に納得できないのです。論点がずれているような気がしてしかたがない。それについて、思うところを述べたいと思います。
(1) テンプレートという言葉の意味
山本氏の発言をもう一度引用したいと思います。
<どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。
だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。>
ここで山本氏はテンプレートという言葉を、"「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーン"という意味で使っていることは明らかです。山本氏が批判しているのは、それに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことでしょう。
山本氏は、そのような所で創意工夫を付加することが、自分自身も含めた創作者の能力の見せ所であり、使命と考えているのでしょう。だから、何も考えていない(ように山本氏には見える)アルマゲドンの脚本家を失格呼ばわりした。
本当にアルマゲドンの脚本家が何も考えていないのかは分かりません。「頭が悪い」「創作者として失格」という表現が適切なものかどうかも意見が分かれるでしょう。
しかし、山本氏が上のような発言をした背景(=職業倫理?)は分かります。そして、それはそれほど間違ったものとは思えません。
ソードワールドと言うシェアード・ワールドものの仕事をしているのですから、山本氏は料理の素材(例えばライトファンタジー世界)がテンプレートであることには、それほど否定的ではないと思うのです。その素材の調理法(プロットやシーンの構成)に創意工夫があるか否かにこだわって、上のような発言をしているように見える。どうもこの辺りで論点がずれているように思えるのです。
(2) 細かい論理がよく分からない
言うに事欠いて、という管理人氏の書き込みからすると、管理人氏は山本氏の著作の内容を把握した上で、上の『創作者失格』発言との間に、ダブルスタンダードとの結論を下したのだと思います。
しかし、それはその結論に至った詳細を論じていただけないと、読んでいる側としてはその結論について是とも非とも言えないわけです。今回のファンタジー論のような一般論を出されても、山本氏との関連が大づかみすぎてよく分からない。
もっとはっきり言ってしまえば、今回の管理人氏の書き込みは、
『ライトファンタジー作家風情が創作論を云々するなどおこがましい』
と言っているようにすら取れるということです。
確かに、山本氏はいわゆるライトファンタジー作家に分類される作家だと思います。しかし、著作からではなく、肩書きから評価を下されたのでは、不本意極まりないでしょう。
ですから、『山本氏に創作者失格発言をする資格などない』という主張がしたいのであれば、『ここがこうだから山本氏には資格がない』というような細かい議論が必要だと思うのです。
(3) ファンタジー論について
管理人氏のファンタジー論にはうなずけるところも多々あるのですが、今回の山本氏関連の議論の流れで出てくるものにしては、関連性が薄いように思えます。
> 歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
> 銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
> この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
> 重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
> 鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
ライトファンタジーの世界は、我々の世界の過去とは異なる世界なのですから、あまりこの辺りの武具の歴史について詳細を云々しても意味がないのではと思います。少なくとも、我々の世界の中世には、魔法も怪物もなかったのですから。
鎧の重量についても、我々の世界とは金属の性質が異なると言われてしまえば、それまでです。(強引と思いますか? しかし、銀英伝世界では我々の世界と異なる物理法則が働いているのでは、という議論だって似たようなものです)
なお、鎧については、山本氏自身が「ジェライラの鎧」というソードワールドの短編を書いています。鎧職人の話ですが、板金鎧の構造や軽量化の問題について、山本氏が色々と考えて書いたことが分かります。
> 先程のシーンで出てきた「冒険者」。一体どういう職業なのか?という質問を、思わずしたくなる。
> こんな職業は、世界中のどこにもない。
> なんでも、宿無しの「他人の面倒事を解決したり、古代遺跡を探索したりするいわゆる何でも屋」ということらしい。
> 無職をフリーターと呼ぶのに似ている。
> 所詮はゴロツキ、それもチンピラなのだ。
> ライトファンタジーの世界では、こんなヤクザくずれのような連中が、英雄として祭り上げられている。
> まあ、それはそれでいい。その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描けば、それはむしろ立派な文学といえる。
> だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。
> 生活に苦しんで仕方なく出稼ぎ、生活すら出来ないでホームレス…という人間が、この現代日本にすらいるのに、その百万分の一の悲壮感すらない。
> 世の中を舐めているとしか言いようがない。
山本氏が短編を書いているソードワールドで、冒険者に関して書かれた記述を引用したいと思います。(ソードワールドRPG完全版P308)
<(略)主に、古代王国の遺跡の探索をなりわいとして、宝物を見つけだして生活をしている者たちをさします。(略)トラブルを解決するための何でも屋として使われることもよくあります。(略)
場所や地方によっては、ならず者と同一視されている場合もありますし、実際には(好むと好まざるとにかかわらず)犯罪に手を染めているものも決して少なくはありません。>
「こんな職業は、世界中のどこにもない」のは当たり前です。我々の世界には古代王国の遺跡などないのですから。(我々の世界の遺跡とは比較しないでください。量も性質も全く異なります)
その仕事の性質から言って、冒険者の社会的地位は低いです。英雄として祭り上げられる人間はいるかもしれませんが、全体から見ればわずかにすぎません。ですが、不安定である代わりに一攫千金も望めますし、自由が利く仕事ですから、志望者もいるわけです。(むしろ、山本氏の書く小説で多く取り上げられているのは、世界的な英雄ではなく、身近な等身大の冒険者達の方です)
また、冒険者に、ならず者と同一視されている連中も多いことは、上のように世界観の中できちんと説明されています。よって、
> このような人間に、「実際の冒険者はクサいんだよ。ゴロツキなんだよ」と説いて回っても、無駄である。彼らはこう反論するだろう。
> 「ファンタジーだからいいじゃん」、と。
上の質問を山本氏に尋ねたら、「ええ、そういう輩も多いでしょうね」と答えて終わり、という気がしてならないのです。
要するに、管理人氏がこのファンタジー論で取り上げている問題は、山本氏関連では解決されていることが多いのです。これも、論点がずれているように感じる原因の一つです。
以上です。
-
- board4 - No.3979
ホットメールのアカ情報を調べる
- 投稿者:太郎
- 2003年04月25日(金) 17時04分
ホットメールアカハック方法発見。
本来自分が忘れたパスワード探すのが目的だったそうですが、他人のアカでもハッキングできてしまいます。
ttp://snurl.com/18cc
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3980
1)2)が重要 3)はおまけ
- 投稿者:本ページ管理人
- 2003年04月27日(日) 01時33分
もともとが今回の為に書かれた文章ではないので、補記が必要だったかも知れません。
1)2)について
> ソードワールドと言うシェアード・ワールドものの仕事をしているのですから、山本氏は料理の素材(例えばライトファンタジー世界)がテンプレートであることには、それほど否定的ではないと思うのです。その素材の調理法(プロットやシーンの構成)に創意工夫があるか否かにこだわって、上のような発言をしているように見える。どうもこの辺りで論点がずれているように思えるのです。
> 確かに、山本氏はいわゆるライトファンタジー作家に分類される作家だと思います。しかし、著作からではなく、肩書きから評価を下されたのでは、不本意極まりないでしょう。
そもそも創作者としての山本氏には、「小説家」「評論家(と学会)」「ゲームデザイナー(グループSNE)」という多数の側面があります。
そして、彼はグループSNEというゲームデザイナーの側面から、ソードワールドの制作に一枚どころか二枚も三枚も噛んでいます(中心人物の一人ですし)。
ただの小説家であれば私の言うことは酷な部分もありましょうが、俎上に乗せたのはそうではないからです。
Nightさんの例で言うなら、彼は料理人であるだけではなく、素材の制作者でもあるのです。
「テンプレートにはテンプレートの意味がある」という認識があって初めてライトファンタジーというジャンルに価値が見いだせる訳ですが、それを本人が否定している以上、自分で自分の首を絞めているに過ぎません。
3)について
> ライトファンタジーの世界は、我々の世界の過去とは異なる世界なのですから、あまりこの辺りの武具の歴史について詳細を云々しても意味がないのではと思います。少なくとも、我々の世界の中世には、魔法も怪物もなかったのですから。
> 鎧の重量についても、我々の世界とは金属の性質が異なると言われてしまえば、それまでです。(強引と思いますか? しかし、銀英伝世界では我々の世界と異なる物理法則が働いているのでは、という議論だって似たようなものです)
> なお、鎧については、山本氏自身が「ジェライラの鎧」というソードワールドの短編を書いています。鎧職人の話ですが、板金鎧の構造や軽量化の問題について、山本氏が色々と考えて書いたことが分かります。
確かにあの世界にはミスリルやら魔力付与やらあることは十二分に承知しています。それと同時に、何の細工をしていない鉄板鎧がごろごろしているのも。
前の投稿にある通り、その妙ちくりんな装備に至った「論理」があれば、別にそれはそれでいいんですよ。もしかして後付けで創作されているかも知れませんが、あの文章を書いた時点ではそのような設定は無かったと思いますが(ちなみに当時私はソードワールド関係のものは全部揃えて一通りプレイしています)。
そんなことを考えないで、ただ漫然と現実世界の武器を導入したから、あんなていたらくになっているんでしょう。
> 山本氏が短編を書いているソードワールドで、冒険者に関して書かれた記述を引用したいと思います。(ソードワールドRPG完全版P308)
一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。
>身近な等身大の冒険者達の方です
現代人に「身近」な「等身大」で、その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描いているとは思えませんでした。まあ、元がTRPGの場合が多いんで、そうなるんでしょうけど。
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3981
Re:ファンタジー論(長文)
- 投稿者:倉本
- 2003年04月27日(日) 06時53分
> 私が、ライトファンタジーを『逃避文学』と断ずる理由は、それだけではない。
> まず挙げられるのは、常識の無さである。
> 「常識がないのがファンタジー」とは言うが、この常識とは「現実世界」での「決まりごと」の事であり、ファンタジー中の常識ではないのだ。
> ライトファンタジーでよくあるシーンを思い浮かべてみよう。
> 鋼鉄で全身を覆うような鎧を着て、「冒険者」という名のゴロツキが街を歩いているシーンである。
> そう、こいつらは馬にも乗らず、数十キロはあろうかという鎧を着込んで、街を歩いているのである。ドン・キホーテも真っ青だ。
> しかも、その鎧は考証なんぞ全くなく、アニメ的かっこよさを追求したあまりに、動くかどうかも怪しいシロモノだ。
> その鋼鉄の鎧を着た人間が、細身の剣(たいていレイピアと呼ばれる)を持った人間なんかと闘うと、愚は骨頂に達する。
> そして、ほとんどの場合、「細身の剣で鎧の隙間を突く」等という大バカな説明がつくのだ。
> 歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
> 銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
> この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
> 重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
> 鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
> 以上の例は、ヨーロッパの中世風な風景を想像するからいまいちパッとしないが、これを日本に直してみると、そのバカさ加減がよくわかる。
> 武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
> この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。
> アメリカ人の描く、ミスティックなジャパンに似ている。
> 日本人は、もうアメリカ人を笑えない。
私はTRPGをプレイするときはたいてい鎧はチェインメイルにしてます。
それは置いといてここは少しおかしいと思います。
冒険者が着ている金属製の全身鎧はプレートメイルです。
ですが管理人さんが言ってるのはスーツアーマーのことです。
この二つはまったくの別物です。
プレートメイルはその名の通りプレートで重要な部位の防御力を強化したチェインメイルです。
つまりプレートメイルはチェインメイルの強化型です。
それに対してスーツアーマーは完全に金属板だけを使って作られた鎧です。
当然のことながら重量も違います。
プレートメイルは基本がチェインメイルですから鍛えた人間なら何とか徒歩で使用することも可能です。
さらに管理人さんが言ってる細身の剣とはレイピアのことだと思いますが。
普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
普通にファンタジーのテンプレートに従えばプレートメイルを着るような重戦士の武器は同じようにそれなりの重量の武器を両手で持つかまたは片手で持って楯を持つということになります。
レイピアを装備するような人間は防具らしい防具は装備せず装備しても軽い皮鎧程度というのがテンプレートに従った装備ということになります。
したがってそんなテンプレートに従えばありえないようなことをあげて批判するのは的外れです。
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3982
Re:ファンタジー論(長文)
- 投稿者:本ページ管理人
- 2003年04月27日(日) 09時39分
私があれを書いたときに念頭に置いたのは、たとえばこんな奴です。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~oniki/urusiharasonota04.html
まあ、今にして思えばうるし原氏の暴走を持って全体とするのは可哀想だとは思いますが。
>さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
そんな装備は私は挙げていませんが?
>普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
>したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
>管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
結構あると思いますが、現在では手元にライトファンタジーの小説がないためあえて反論はしません。
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- board4 - No.3983
移動要塞論争のログ
- 投稿者:Ken
- 2003年04月27日(日) 14時22分
移動要塞論争を扱った銀英伝考察シリーズ3のログに「収録もれ」があることを、私が#3958で指摘してから二週間たちますが、何の回答もないし、ログの内容にも変更がありません。
もちろん、編集者の方にも事情があるでしょうから、「早くしてください」とせかすつもりはありません。
ただ、人間は忘れやすい動物です。このまま時間が経過して移動要塞論争が人々の記憶から薄れ、「だれがどういう発言をしたのか」が忘れられてゆくことも考えられますので(だからこそログを残すわけですね)、できるだけ定期的に、この収録もれを指摘してゆこうと思います。まあ、掲示板の場を借りた公共の備忘録だと思ってください。
過去ログは大切です。冒険風ライダー氏は、今回の論争の中で何度も、「銀英伝考察3」を読むことをうながされました。具体的には2002年に行われた第一次の移動要塞論争のログをです。将来、第三次、第四次の移動要塞論争があれば、当然同じことを言われるでしょう。そのようなとき、将来の論争参加者が読むログに収録もれがあったら、読む人の判断に影響を与えます。
また「考察シリーズFAQ」のA4の中では、
<言論・思想の問題に限らず、自由や権利にはそれに伴う義務や責任が必ず発生するものです。自らの作品を世に公開した田中芳樹は、当然のことながら自らの作品および思想信条に対する責任を負わなければなりません。言論の責任というものは「発表すればそれで終わり」的なシロモノなどでは決してないのです。>
と述べられています。ここでいわれる言論の自由に伴う責任とは、なにもプロの作家が発表する作品に限ったものではなく、掲示板での発言にも適用されるべきものでしょう。私たちは、私たちの発言内容に責任をもたねばなりません。
ただし、言論に責任をとるには前提条件があります。それは発言内容が正確に伝えられ残されることです。ある論争の中で行われた発言の一部が何の理由もなく抹消されたのでは、発言者は責任をもちようがありません。「過去ログを読むように」と繰り返し言われた冒険風ライダー氏の言葉が空しくなります。
再度指摘しますが、私が#3958で挙げた23件の投稿は、今回の移動要塞論争と明確に関連しています。ログから排除するべきではありません。
- 親記事No.3966スレッドの返信投稿
- board4 - No.3984
Re:同盟の歴史学とフェザーン
- 投稿者:Ken
- 2003年04月27日(日) 15時35分
八木あつしさん、
>お久しぶりです。直接のレスは久々ですねぇ(^^;)
移動要塞論争では、成り行きで二人とも「否定派」にされてしまいましたからね。直接発言を交わすのは、たしかに数ヶ月ぶりですね。
>奴隷として身体1つでアルタイル星系に強制的に送り込まれた場合は、さすがに光ディスクやチップを隠し持ってはいけないでしょう。
>どの時代でも奴隷達に歴史の勉強はさせないでしょう。
たしかに可能性としては、亡命者が隠し持つよりもずっと難しいですね。それだけに実現したら、話としてはずっと面白いですが。
Herman Woukの原作でTVシリーズになった「War and Remembrance(戦争と思い出)」は第二次世界大戦を描いた大河ドラマ(フィクション)ですが、ナチの収容所に入れられたユダヤ人がカメラを隠し持っていて、収容所で行われることを密かに撮影し、仲間がフィルムをもって脱走する話が出てきます。銀英伝にもこの種の裏話があってもよいのでは、と思いました。
なによりも、八木さんが言われるとおり、ドライアイスを宇宙船にする程度の「自由」を持っていた奴隷たちなら、光ディスクを隠すくらいできるだろうと思います。
美術品のたぐいははるかに難しいですね。ヤン・タイロンが、
エトルリアの壺とやらも、ロココ様式の肖像画とやらも、漢帝国の銅馬とやら(黎明篇第一章-4)
の贋作を買わされたのも、そもそも同盟には本物がないから、タイロンほどの収集家にも判別できなかった、というのが妥当な解釈かもしれません。
自由惑星同盟に渡った「本物」の美術品の出所は、帝国の没落貴族というのが、最もありそうな話ではないかと思います。ロイエンタールの母親の実家の伯爵家に関する記述がありましたね。
銀河帝国において名門貴族は政治的にも経済的にも手厚く保護されているが、それでも落ちこぼれが出るのは避けられない。マールバッハ家は二代つづきで放蕩家の主人が出ており、広大な荘園と別邸のことごとくを手放したばかりか、ゴールデンバウム帝室から下賜された生活安定のための高利率の債券まで売りはらうありさまだった。
(雌伏篇第二章-4)
その挙句に娘を身分違いのロイエンタール家にやったわけですが、そこまでやる前に荘園や別邸だけでなく、秘蔵の美術品などもすべて売り払っていたでしょう。
ところで資本のないフェザーンがどうやって経済力を蓄えたかという話ですが、アニメ銀英伝では、シリウス戦役の時に隠された地球の資産が使用された、という設定になっていなかったでしょうか?
- 親記事No.3950スレッドの返信投稿
- board4 - No.3985
山本弘ダブルスタンダード弁解論 転載編
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2003年04月27日(日) 15時45分
どうやら山本弘があちらの掲示板で、何やらご自分が犯したダブルスタンダードを正当化するための理論を展開し始めたようです。
私向けの直接レスではないようですが、これは「山本弘のダブルスタンダード性」を主要テーマとする私の論にも直接関わってくることですので、とりあえず問題となっている山本弘の投稿を転載してこちらでも反論を行ってみたいと思います。
ちなみに、問題の山本弘の投稿はあちらで新規に立てられた新スレッドの方に掲載されており、一方、タナウツ掲示板上における私の投稿(No.3969)もまた、再び誰かの手によってあちらの掲示板の旧スレッドに転載されています。
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No.9685 - 2003/04/25(Fri) 13:29
田中芳樹&『アルマゲ』 / 山本弘
>「時限爆弾に赤と青のリード線」や「脱出寸前に車がエンストを起こす」
>と言うシーン…。山本先生。なぜこういったシーンを平然と書く
>脚本家は「頭が悪い」のですか?
他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから。
「名作へのオマージュ」とか、戦隊ものの名乗りのシーンみたいに「絶対に守らなくてはいけないお約束」というならまだしも、そうじゃないでしょ、あれは?
ついでに言うと、シリアスな作品の緊迫したシーンでオマヌケなギャグ(ギャグを意図したものかどうかはともかく)を入れたら雰囲気がぶち壊しになるってことも理解してないし。
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No.9750 - 2003/04/26(Sat) 16:47
Re: 田中芳樹&『アルマゲ』 / 山本弘
マックのハンバーガーって、どうやって造られてるかご存知ですか? 僕は昔、バイトしていたことがあるので知ってます。
あの肉(パテ)はすでに丸く成型された状態で、工場から冷凍で運ばれてきます。店ではそれを解凍して焼くだけです。早い話が「冷凍食品」なんですよ、あれは。
冷凍食品やインスタント食品を「料理」と呼ぶ人はいないでしょ?
もちろん、肉を焼く時間、トマトやピクルスを載せる手順、造ってから廃棄するまでの時間など、すべてはマニュアル化されています。スタッフはそれに従っているだけです。
前にも書きましたが、『アルマゲドン』はハリウッドのアクション大作のマニュアルに忠実に作られている映画です。
「観客の共感を呼ぶためには、主人公はエリートではなく、落ちこぼれかブルーカラーの方がいい」
「科学者は無能であるかのように描け」
「観客を飽きさせないように、途中の行程に無理にでもアクシデントを入れろ」
「泣かせを入れたいなら、クライマックスで主要登場人物の誰かを殺せ」
「観客がよく知っている大都市を破壊せよ」
「逃げる際に自動車はエンストさせろ」
……まあ、そういうのが見え見えなんですよ。
マックのハンバーガーを好きなのはべつにかまわない。しかし、「このハンバーガーを作っているスタッフは料理の腕がいいに違いない」と考えるのは間違いです。スタッフはマニュアル通りに作ってるだけなんだから。
誉めるんだとしたら、長い時間をかけて暗中模索しながら、ヒットする映画のパターンを築き上げてきた、過去の先人たちを誉めるべきでしょうね。
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No.9795 - 2003/04/27(Sun) 11:14
Re: 田中芳樹&『アルマゲ』 / 山本弘
「ジェリー・ブラッカイマー製作のブツを監督の『作品』として論じること自体に無理がある」
「単なる工業製品」
というのは、『映画欠席裁判』(洋泉社)の中に出てくる、ウェイン町山氏とガース柳下氏の言葉です。
この本はぜひ、大勢の人に読んでいただきたい。いろんな映画(世間で大ヒットしたものも含めて)がけなされまくっていますが、決して暴論になっていません。何しろ二人とも映画マニアで、ものすごい量の知識を元に論じてるから。笑いながら映画の知識が身につきます。おすすめ。
僕の好きな映画も何本かけなされてるけど、正論だけに何も言い返せません。「死んだ親父に会いたいなら、恐山のイタコんとこ行け」って、確かにその通りだし(笑)。
別に『アルマゲドン』をけなしてるのは、この二人だけじゃありません。前にも書いたけど、『アルマゲドン』はあの年のラジー賞の作品賞、監督賞、脚本賞などにノミネートされています。受賞を逸したのは『アラン・スミシー・フィルム』というもっと最低な映画があったからです。つまり『アルマゲドン』は『アラン・スミシー・フィルム』よりはまし(笑)。
一般観客は泣いたかもしれないけど、映画マニアの多くは『アルマゲドン』をひどい映画だとみなしている。これはまぎれもない事実なんです。
大勢の人が好んで食べているからといって、マクドナルドのハンバーガーは決して「いい料理」ではありません。
ものを考えるというのはどういうことか。
たとえば映画の冒頭、真空の宇宙空間でメラメラ燃える流星がいっぱい降ってきて、スペースシャトルが破壊されます。「小さな隕石が飛んでくるところを見せたって迫力がないさ。どうせだったら景気よく燃やそうぜ」という安直な発想なんでしょう。
本当に? 隕石が燃えずに飛んでくるのを描いても迫力がないでしょうか?
隕石が地球に降ってくる際の速度は、銃弾よりもはるかに速い。つまり隕石そのものは肉眼では見えず、遠くから銃で乱射されている感覚だと思えばいい。
僕だったらこういう絵にします。
新しい衛星を軌道上に放出しようとしていたシャトル。突然、衛星の太陽電池パネルが(音もなく)砕ける。「何が起こった!?」「分からん」狼狽する飛行士。
その直後、シャトルの翼や胴にぷすぷすと穴があく。空気洩れが起こり、パニックに陥る船内。
「どうなってるんだ!」
船外作業をしていた飛行士が、宇宙を見上げて叫ぶ。その瞬間、フェイスプレートにぴしっと穴があき……。
どうです、これでも充分すぎるほど恐ろしくありませんか?
その昔、ジョン・カーペンターが『要塞警察』で、サイレンサーを多用した「銃声のしない銃撃戦」という画期的な映像を創り上げていました。斬新であるうえ、下手に銃声がするより、はるかにこわい。
こういう、今までになかったことを考えつくがオリジナリティというものであり、作家の頭の良さを示すものなのです。「迫力がないから燃やそう」というのはガキの発想です。
(そう言えばあの監督、『ザ・ロック』の時も、サンフランシスコのケーブルカーを爆発炎上させて失笑されてたんじゃなかったっけ?)
大都市の破壊シーンにしても同じ。前にも書いたことがありますが、「ベーリング海に隕石が落ちて氷の混じった大津波がアラスカの海岸を襲う」とか「カンボジアに隕石が落ちてアンコールの遺跡が倒壊、ジャングルに大火災が発生」という、今まで誰も見たことのない、なおかつ迫力のある映像を創ることだってできたはずなのに、わざわざ(確率を無視してまで)ニューヨーク・パリ・上海に落とすってのは、「頭が悪い」としか言いようがない。
僕が『銀英伝』を評価する理由の一つは、それまで誰も書いたことのないタイプの小説だからです。作者のオリジナリティがあふれている。そのうえキャラクターの造形に深みがあり、ストーリーの展開にしても、熟考されて書かれていることが分かる。もちろん科学的な間違いをはじめ、欠点はいろいろあるけど、それは全体から見れば些細な傷です。
ハンバーガーが好きなのはかまわない。だけど、シェフが精魂こめて造った料理と比較して、「ハンバーガーと同じようなものじゃん」と主張するのは、明らかに暴論です。
同じシェフの一人として、こういう言い方には怒りを覚えてしまうわけですよ。
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山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 「田中芳樹&『アルマゲ』」スレッド
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