- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3587
詭弁では
- 投稿者:パンツァー
- 2003年02月06日(木) 13時37分
> 「直角三角形の直角を挾む二辺の二乗和は、斜辺の二乗と等しい」
>
> このことを「証明せよ」と言われたとき、冒険風ライダーさんは、いろいろな直角三角形を持ってきて、それらのすべてに上記の事実が成立することを示し、もって「証明」とされるのではありませんか?
これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが、これを使っては駄目だということでしょうか。
そうすると、銀英伝の小説中において、Kenさんの主張する「証明」を有する信頼に値する「内容」っていうものが、どの程度存在するのでしょうか?
例えば、戦艦の航行に関しても、その移動原理が読者一般に実現可能と実証できる程度まで「証明」しなければ、ならなくなるのではありますまいか。
例えば、何かひとつでも、Kenさんの主張する「証明」をクリアしている「小説中の内容」について、まずは教えていただきたいものです。
つまるところ、冒険風ライダーさんに反論するために、銀英伝世界そのものを破壊しようとしているように思えるのですが。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3588
Re:素朴な疑問
- 投稿者:IK
- 2003年02月06日(木) 13時56分
> IKさん、こんばんは。
>
> しばらくぶりに、お名前をおみかけして、安心しました。
うるさいくらいに書き込んでいる方だと思いますけど(^^)
ただ年末にかけて顰蹙をかうくらい書き込んでしまったので、少し休んでいたということはあります。Kenさんと対話できることは私にとっても大きな喜びです。今回もよろしくお願いします。
> >否定派の方々は「ラインハルトは天才である」という前提を擁護するために、
> >「そのために」議論を展開されているように思われます。何もここで党派根
> >性をむき出しにするつもりはないのですが(^^)、天才=全能と捉えるのが間
> >違いではないでしょうか。
>
> 「否定派」が誰を指すのか具体的に書いておられませんが、この数日は、「質」はともかく「量」の面では私の発言が多いので、「一応」私のことであると仮定して回答をさせていただきます。
えーと、具体的に誰と言うことはないんです。話の流れを見ていてそうではないかなーと思っただけで。でも確かにKenさんが一番精力的に発言されていますね(^^)
> はじめに、「ラインハルトとヤン・ウェンリーの英雄としての名声を守りたい」という感情が私の中にあり、それが私に議論を続ける気力を与えていることは否定しません。この点、私に関してはIKさんが言われるとおりです。
>
> ただ、否定派の背後にあるのは「それだけ」と言われるのであれば、その部分は訂正をお願いしたく思います。
刺激的な表現でしたでしょうか(^^)
このスレッドは過去にかなり荒れた経緯がありますのでなるべく言葉遣いには気を配っていたのですが、野良の本性が出てしまったかも知れません(^^) 訂正し、伏してお詫びいたします。
ただ、「荒れる」というのもこのスレッドがそれだけ重要だからだと思いますね。ここに着目した冒険風ライダーさんはさすがだと思います。
> 簡単に言いますと、私はここの掲示板は「シンポジウム」的な性格が非常に強いと思っています。もちろん、その時々に議論されるテーマによりますが、移動要塞の現実性を論じる今回の議論は、私の認識ではまさしくシンポジウムです。
>
> そして、「移動要塞の高い実現性を忘れた二人の銀河英雄は、実は愚か者である」という提言をされた冒険風ライダーさんは、いわばシンポジウムでの発表者です。これに対して、私はそのセッションで発表を聞いている参加者の一人です。
>
> そして、シンポジウムの参加者には、発表内容を厳しく冷酷に吟味し、僅かな瑕瑾があれば容赦なくそこを攻める「責任」があります。これに対して発表者には、どんな批判や疑問にも、自説が答えうることを証明する責任があります。議論は「厳しく」「冷たく」そしてなによりも「しつこく」あるべきで、そうでなければシンポジウムとはいえません。
>
> 私は、このような認識のもとに議論をおこなっています。前述のように、ヤンやラインハルトを弁護したい「感情」はありますが、議論の中には、「彼らは英雄だから、批判をひかえるべきだ」などという要素を混入させたつもりはありません。
>
> なお、言うまでもありませんが、シンポジウムでの発表者として今回の主張を掲げられた冒険風ライダーさんは、「一般参加者」である私などよりも、はるかに「たいした仕事」をされています。
うーん、ここは前提が違うような気が…。
以前述べたかも知れませんが、私は議論と言うのはディベート、つまり勝ち負けではなくて、より合理的な共通認識へと到る共同作業だと考えているのですね。
もちろん厳しくされるのも結構なんですが、厳しくするのが目的の厳しさというのは、ちょっと違うような気がします。
この辺りはちょうど冒険風ライダーさんとの議論でも焦点になっているようなので、そちらで議論して下さい。
興味深くROMしておりますので。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3589
Re:素朴な疑問
- 投稿者:IK
- 2003年02月06日(木) 13時58分
RAMさん、こんにちは。
> 移動要塞を肯定した先の何かの主張は無いということですね。了解しました。
> しかし、肯定派の方にそのつもりが無くても、お手軽ポンに
> 移動要塞が出来るという事実からヤンとラインハルトが無能・
> 凡才・愚者であるという事実を演繹できることを忘れないでく
> ださい。それは1万光年の彼方の事実では無く手の届く範囲で
> 演繹できる事実です。
>
> 「移動要塞」と「天才」のどちらの設定を大切にするかと考えた
> 場合、「天才」の設定を取ったのが移動要塞否定論派だと思います。
これは私には性質の違うふたつのものを無理に二者択一にしているように見えます。
移動要塞が現に存在するのは事実(笑)ですから、ここは動かせません。少なくとも「作品論的」に正否を論じること自体、無意味です。そういう作品なんですから。
一方、ラインハルトが天才であるというのは「解釈」ですよね。ここは動く余地が充分にある訳ですし、後世の歴史家とやらが否定的な見方をしていた場面もあったと思うのですが。少なくとも、事実と解釈がぶつかった時、譲るべきは解釈であるように私には思えるのですが。
お手軽だろうが何だろうが、事実として移動要塞は存在してしまった。そこから議論を始めるべきだと思いますが。その上で、ラインハルトの天才性を救出する合理的な論理を構築すること、その方がよほど建設的に私には思えます。
ただし、その論理が構築できないならば、移動要塞が実際に「お手軽に」作られてしまった事実は動かせない以上、RAMさんが述べておられる通り、ラインハルトはこの点においては「愚者」だったと結論づけることもあり得ますよね。その結論が不愉快だと言って、事実は動かせないのです。それは移動要塞肯定派にしてもどうにもならないことですよ。
こういう結論が出てきて、私はいささか悲しい気分でいます。要塞対要塞は場面を諳んじれるほど、「お気に入り」のエピソードですから。「見たか、奇跡のヤンの力を!」。ほれぼれするようなヤン提督の智謀です。出来れば合理的に現象と理論を統合できればいいと思っているのですが…。
> 私個人の考えとしては移動要塞の実現の困難度を特に考えなけ
> れば肯定派です。移動要塞を実現できる可能性を踏まえた上で
> 移動要塞否定論派の立場をとります。少なくとも技術・予算・
> 人員・燃費・政治・キャラクタの性格の何らかの理由により
> 作品上で目立った不整合を作らないような設定を考えたいと
> 思います。
上記のような理由で期待しております(^^)
> ラインハルトとヤンが全能であるとは誰も考えていないと思います。しかし、軍事面に限っては全能に近いとは考えています。
> そして、移動要塞は軍事面に直結しています。
>
> そんなにお手軽に出来る物を見逃すほどの愚者では無い設定で
> あると思っています。
未来から過去を見れば「見逃す」ということになるでしょうが、その時点時点ではそれは「存在していない」のだから見逃すということは必ずしもあたらないかも知れません。誰ぞの歌ではないですが「人々を変えるものに人々は気づかない」ものですから。もちろん気づいても不思議ではないですが、評価と言うのはまた別のものがありますからね。
第2次ポエニ戦争で軍事思想の転換の鍵となったのは、騎兵の突撃力ではなく、機動力に着目するという点でした。これを具体化したハンニバル・バルカは軍事的天才のひとりだと私は思いますが、その彼にして騎兵の供給が絶えた時、それを立て直すことが出来ず、結果としてザマの戦いでは象の突撃力を活かすという奇策に走らざるを得なかったのですが、スキピオ・アフリカヌスに封じられ、敗れたのでした。勝利の上に勝利を重ねた上で最後の一戦に敗れたハンニバルは愚将でしょうか。その敗因の根源が、未熟な騎手をも騎兵として活用できる「あぶみ」という道具に思い至らなかったということが、ハンニバルの愚かさの証明となるでしょうか。
先日、スペースシャトルの悲劇的な事故がありましたが、宇宙開発で用いられている技術は、それが可能ならば、必ずしも最先端ではない、信用性の高い技術です。冒険よりは確実性をとるというのは立派な見識です。
ラインハルトは戦略の根幹に信頼性の薄い技術を据えるのを忌避したという可能性もあります。ただしこれでは、どうして継続して移動要塞の研究を続けなかったかという疑問も生じますが、書かれていないだけでやっていたのかも知れないですよ。ただ、彼の銀河制覇の速度がそれを上回ったということかも知れません。これはひとつの推測ですね。
> 「ハード~」の格言をもって新ハード全てを否定している立場を
> 明言しているとは思えません。ハード「だけ」に頼っても勝てな
> い、最後は人間力だという事がヤンの真意だと考えます。
ああ、ここはそうかも知れないですね。
ただしハードウェアをもう少し高く評価してもいいような気もしますが。爆撃機に竹槍で抵抗しようとしたような例もありますしね。
> 兵器の運用の違いにより勝敗の差が出ることはままあります。
> 私は軍事的天才には(少なくとも設定的には)兵器の目利きも
> 含まれているのではないかと思っています。
そうですねえ、ここは難しいところですね。「改良」と言うことならばその通りでしょうが、何せ移動要塞は戦略の根源から覆す可能性があった訳ですから、全体として優位に立っているならば戦略を根源からいじりたくないという考えもあるでしょうね。
リトルボーイを完成させてから、ソ連が原爆を開発するまでのアメリカの軍事・外交政策などが参考になるかもしれませんが、本論からずれますので、きょうのところは止しておきます。
> 移動要塞否定論派の多くは肯定論派の出す結論の先を見て論議を
> しているように思います。議論をしているフェーズが違うので
> こんなに荒れるのではないでしょうか?少なくとも私がそうでした。
>
> まず第一段階としての移動要塞の実現性が落ち着くまでは静観
> しようと思います。その後、そこから演繹されるヤンとラインハルト
> の凡才問題についての議論があるかはわかりませんが。
肯定派もその先を見ていますよ。ただ「解釈」よりは事実を優先させているだけだと思います。
また、移動要塞の可能性とラインハルトとヤンの凡才問題(?)は密接にリンクしているのでなかなか分けるのが難しいように思います。
なるべく荒れることなくスレッドが盛り上がって欲しいと私は思っています(^^)
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3590
Re:素朴な疑問
- 投稿者:RAM
- 2003年02月06日(木) 16時10分
> RAMさん、こんにちは。
>
IKさん、こんばんは。また、よろしくお願いします。
> これは私には性質の違うふたつのものを無理に二者択一にしているように見えます。
> 移動要塞が現に存在するのは事実(笑)ですから、ここは動かせません。少なくとも
> 「作品論的」に正否を論じること自体、無意味です。そういう作品なんですから。
> 一方、ラインハルトが天才であるというのは「解釈」ですよね。ここは動く余地が
> 充分にある訳ですし、後世の歴史家とやらが否定的な見方をしていた場面もあったと
> 思うのですが。少なくとも、事実と解釈がぶつかった時、譲るべきは解釈であるよう
> に私には思えるのですが。お手軽だろうが何だろうが、事実として移動要塞は存在
> してしまった。そこから議論を始めるべきだと思いますが。その上で、ラインハルト
> の天才性を救出する合理的な論理を構築すること、その方がよほど建設的に私には思
> えます。
>
少なくとも私は2者択一とは考えていません。両立できたら良いと考えています。
ガイエがある以上、移動要塞が出来る事は既定の事実です。ですが、お手軽かどうかは
「明記」はされていないと思います。あくまで書かれている日時、数量等からの推測
です。しかし、書かれていない所に何がしかの裏設定を入れて「移動要塞」と「天才」
が両立する事ができるでしょ、と言うのが私の考えです。
今の肯定派の論調から行くと両立は出来ない所にまで追い込んでいるように読めました。
そこまでする事は皆さんにとっても不毛では無いでしょうか?
作品の中に矛盾点がある事は了解しています。銀英伝に限らず他の作品でもあります。
ホームズには多くの矛盾点がありますが、それをもってホームズは予知が出来るだの
平行世界の出来事だのとは言っていないと思います。それは作品コンセプトがそうな
っていないからです。それと同様に銀英伝のコンセプトもバカとバカの伝説がコン
セプトではないでしょ?と言いたいです。
> ただし、その論理が構築できないならば、移動要塞が実際に「お手軽に」作られてし
> まった事実は動かせない以上、RAMさんが述べておられる通り、ラインハルトはこの
> 点においては「愚者」だったと結論づけることもあり得ますよね。その結論が不愉快
> だと言って、事実は動かせないのです。それは移動要塞肯定派にしてもどうにもなら
> ないことですよ。
>
> こういう結論が出てきて、私はいささか悲しい気分でいます。要塞対要塞は場面を
> 諳んじれるほど、「お気に入り」のエピソードですから。「見たか、奇跡のヤンの力
> を!」。ほれぼれするようなヤン提督の智謀です。出来れば合理的に現象と理論を
> 統合できればいいと思っているのですが…。
>
「お手軽に」と言う部分には頷けませんが、書いてある事実からの「推定」で
作品コンセプト自体を潰すのならそれは不毛では無いのですか?
上記でホームズの例えを出しましたが、ホームズには多くの日付の間違いがあります。
だからこれは偽証であり、全くの虚偽の発言でホームズの世迷言だと言っているのと
移動要塞が出来るのにも気付かない大バカの低能な争いと言っているのは作品コンセ
プトを潰すという観点からは同義に見えます。
ですので、そんな事を言わずに両立出来る方法を考える方が有意義ではないですか?
ちなみに、シャーロキアンの中では日付違いはワトスンの記述ミスという結論になって
いるようです。
> 未来から過去を見れば「見逃す」ということになるでしょうが、その時点時点では
> それは「存在していない」のだから見逃すということは必ずしもあたらないかも知れ
> ません。誰ぞの歌ではないですが「人々を変えるものに人々は気づかない」ものです
> から。もちろん気づいても不思議ではないですが、評価と言うのはまた別のものがあ
> りますからね。
>
銀英伝の世界の当時において完全な盲点な発想であるという解釈(裏設定)でしたら
私は何も言いません。天才といえども気付かない部分があるというだけで収まります。
しかし、これまでの論調では全く盲点では無く、気付かない方が愚かという主張に読め
ましたが…
> ああ、ここはそうかも知れないですね。
> ただしハードウェアをもう少し高く評価してもいいような気もしますが。爆撃機に竹槍> で抵抗しようとしたような例もありますしね。
>
それは言えますね。
> そうですねえ、ここは難しいところですね。「改良」と言うことならばその通りで
> しょうが、何せ移動要塞は戦略の根源から覆す可能性があった訳ですから、全体とし
> て優位に立っているならば戦略を根源からいじりたくないという考えもあるでしょうね。
>
上に書きましたが、肯定論派の論調では盲点では無く、気付かない方が愚かという主張
に読めました。
> 肯定派もその先を見ていますよ。ただ「解釈」よりは事実を優先させているだけだと
> 思います。
> また、移動要塞の可能性とラインハルトとヤンの凡才問題(?)は密接にリンクして
> いるのでなかなか分けるのが難しいように思います。
>
私は事実より作品コンセプトを大切にしたいと思います。創竜伝のように悪質な問題
にも見えないのでなるべく作者の意を汲みたいと考えています。
> なるべく荒れることなくスレッドが盛り上がって欲しいと私は思っています(^^)
>
私も同意です。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3591
Re:Re3576/3579/3584:立証責任と移動要塞
- 投稿者:Ken
- 2003年02月06日(木) 19時56分
>「作者が描く作品の世界観や、作品世界における常識などについても考え、それらの存在とも矛盾する
>ことなく完璧に合致する」とか「その裏設定を使って何らかのシミュレートを行っても、ストーリーや
>キャラクターの言動や行動、それに作品テーマなどの全てに全く矛盾が発生しない」とかいった要素も
>必要不可欠です。
あるいは、私たちはずいぶんと低次元の争いをしているのかもしれませんね。
私が、いろいろと持ち出した「隠れ設定」
と
銀河「英雄」伝説を代表する二人の英雄が、実は愚か者であったという設定
の、どちらが作品世界や、作品テーマからより大きく乖離しているのか、という。
ただ、私は今、冒険風ライダーさんと私の間で、本当にこのような形で議論を続けていってもよいのだろうか、と思っているのです。私たち二人は、このような議論をする前に、そもそも議論のやりかた、検証のやりかた、証明のやりかたについて合意することが必要では、と思うのです。
私たち二人の、これまでの議論を振り返ると、つまるところ下に記述したものと、同種の論争をしているように思われてなりません。
ライダー「私は、直角三角形の二つの短辺の2乗和が、長辺の2乗に等しくなることを、証明しました」
Ken「どのように証明されたのですか?」
ライダー「形も大きさも異なる直角三角形千個を測定し、そのすべてに上の条件が成立することを確かめました」
Ken「でも、それはあなたが測定した千個の話でしょう?千一個目がそうはならないとどうしていえるのです?」
ライダー「それは揚げ足とりです」
一ヵ月後・・・
ライダー「先に提唱した法則が正しいことを、今度こそ完全に証明しました」
Ken「どのように証明されたのですか?」
ライダー「一万個の直角三角形を測定しました。大きさも形も同じ組み合わせは、一つもありません。そしてその一万個の中にひとつの例外もなく--いいですかひとつの例外もなくですよ--先の法則が成り立つことを確認しました」
Ken「でもそれは、その一万個についてはそうだった、ということでしょう。その次の一個が別の結果にならないと、どうやって証明するのですか?」
ライダー「いい加減にしてください。だいたい、そこまで言うのなら、私が提唱する条件に合わない直角三角形を、一つぐらい自分で見つけてきたらどうですか。私の証明を否定するなら、それくらいはやるべきでしょう」
Ken「・・・できません。だいたい、なぜ私がそんなことをやらないといけないんですか」
さて、上の議論を見て、冒険風ライダーさんは、あるいはこの掲示板を見ている皆さんは、どう思われるでしょうか?
私の想像ですが、大部分の人はライダーさん(もちろん私が作った「架空」のライダーさんですが)の主張に理があり、Kenの方が無理難題を言っていると思われるのではないでしょうか。それが人間の感情としては自然なものだと思います。
でも、私は言わねばなりません。上の議論で、科学的に正しいことをいっているのは、Kenの方なのだ、と。「架空」ライダーさんが言っていることでは科学的な証明にはなっていないのです。だからこそピタゴラスは、私たちが中学で教わった証明法を考案せねばならなかったのです。上の論争で「架空」ライダーさんが述べている直角三角形の性質は、ピタゴラスの時代よりもはるかに昔から知られており、測量などに利用されていました。ピタゴラスの「証明」を聞いた当時の人の多くは「なにをいまさら、あたりまえのことを」と思ったかもしれません。
しかし、この法則はいま「ピタゴラスの定理」として知られています。なぜ彼だけが、彼の業績だけが、特別な評価を受け、後世に不朽の名を残したのでしょうか?
それは、ピタゴラスより前の知識は「科学」ではなかったからです。科学へといたる重要なステップではありました。ピタゴラス以前の人々が行った観察の積み重ねがあったからこそ、ピタゴラスは「この法則はきっと証明できる」と信じて、知恵を絞り執念をもって命題に取り組めたのでしょう。それはたしかです。しかしそれでも、科学でなかったものを、科学に変えたのはピタゴラスでした。
私は、以前の発言で、科学の本質とは、
観察→考察→普遍化→予測
だと書きました。
事実を観察し、
なぜそうなるのかという理由を考察し、
そこから、既に観察された対象も、観察されていない対象も包括する、普遍則を構築し、
最後に、観察より前に予測し、観察結果がそのとおりであることを確認する。
そして、この「考察」と「普遍化」をより完全なものにするため、科学議論は、しばしば、多くの人には「揚げ足とり」としか聞こえないような発言を含みます。
「私が発明した超合金Zは、最強の金属です。直径1ミリのワイヤが100トンの重量を吊り上げます。新しい正義のロボットに、ぜひ採用してください」
「実験で確かめたのですか?」
「もちろんです」
「その時の環境は?」
「環境ですか?気温摂氏20度、1気圧でした」
「では、気温30度、1.5気圧の時にも、1ミリが100トンを吊り上げるとどうして言えるのですか?」
「・・・・・」
「100トンの重量は、どれくらいの時間、吊り上げたのですか?」
「100時間です」
「では100時間ではなく、1000時間を経過しても大丈夫だとどうしていえますか?」
この「超合金Z」の発明者は、自分の製品を採用してもらうために、何をすればよいのでしょうか?ありとあらゆる条件を、すべての温度で、すべての気圧で、すべての実験時間で、すべての実験者で、すべての計測機器で、実験を行うのでしょうか?
まさか、そんなことはできません。
結論を言えば、ここにこそ「物理法則」が、「数学の法則」が、「科学理論」が入ってくるのです。有限個の実験結果から、その背後にある「理由」を考察し、その理由が正しければ次の実験で出るはずの結果を予測し、そして実験結果がそのとおりであることを確認するのです。
例えば、あらゆる温度・気圧条件で実験をするのではなく、温度・気圧と金属材料の間に、どのような関係があるのかを考えます。大気中に含むことができる水分の量は、温度と気圧で変化します。そして、湿度とは大気中に含むことのできる水分と、実際に含まれる水分の比率です。湿度が高いほど、その中の金属は水分に濡れ、水分中の酸素によって腐蝕が進行します。腐蝕速度は、「超合金Z」のイオン化しやすさ、超合金Zの原子何個と酸素原子何個が結合して酸化「超合金Z」を作るかによって支配されます。
このような理論があるおかげで、私たちは温度と気圧と金属材料の「強さ」の間に、普遍的な関係があることを予測し、やみ雲な実験ではなく、ポイントを絞り込んだ実験で、人を納得させる結論へといたることができるのです。
私にとっては残念なことに、私たちの議論に「物理法則」を持ち込むことは、冒険風ライダーさんによって否定されています。そのことは仕方がありません。銀英伝は、田中芳樹氏が作り出した「架空の世界」ですから、その世界に現実世界の物理法則を強制するのは誤りだ、と主張されたら、私には強力な反論材料がありません。
しかし、物理法則を使うことを否定されたら、「超合金Z」の発明者は、無限の多様さを持つ条件を、すべて一つ一つ実験して、結果を確認せねばなりません。摂氏1度から100度まで、1度ずつ区切りながら、100とおりの条件で実験をしても、「20.5度での結果は確認してないだろう」といわれたら、反論ができません。「ある温度で、強度が突発的に変化することはない」というのは、いわゆる「常識」ではありません。そもそも科学の世界に「常識」というものはないのです。理科や数学の教科書の中に、この言葉を使って、何かを証明しているのを見たことがありますか?
材料強度の突発的な変化を否定するのは、常識ではなく物理理論です。これを否定すれば、1度から100度までを100万個に分割してもまだ十分ではありません。
この議論は非常に厳しく、というよりも意地悪く聞こえるかもしれません。しかし、科学とは、科学的検証とは、そういうものなのだ、と容認していただくしかないのです。
冒険風ライダーさんは、恐ろしく困難な(ライダーさんの言葉を借りれば、「苛烈なまでに厳しい超高難度」の)証明を自らに課しておられる、私が言うのは、このような事情に言及したものです。
私自身も、「物理法則」を禁じられたことで、この議論を通じて何かを証明することはできなくなってしまいました。できるのは、冒険風ライダーさんが「証明」と呼んでおられるものが、実は証明になっていないことを指摘するという、ネガティブな所業だけです。「一万と一個目の三角形は、違う結果になるかもしれないだろう」という類の発言です。私も、物理法則の否定に同意したとき、そのことで、ここまで議論が不毛になるとは、正直予想していませんでした。
先の投稿で、いろいろ述べた「隠れ設定」は、半ば以上は、物理法則の適用を否定する冒険風ライダーさんに、できればスタンスを変えて、現実世界の物理法則を認めてほしいという気持ちが混入していました。そうすれば、議論がはるかに冷静で、建設的で、「すっきり」したものになると思うからです。ワープ航法のような、現実世界にないものが実現しているのは、あくまでも我々と同じ物理法則の中で、それを利用した未来技術であると考えればよいのです。そして(完全な証明はできませんが)、作者である田中氏の意図もそこにあったのではないかと、思います。
今回の「移動要塞」の件について、冒険風ライダーさんと私の間で、これ以上の議論に意味を持たせるとしたら、以上に述べた理由で、物理法則を復権させるしかないのでは、と私は思います。そうでなければ、少なくとも私にできるのは、前回の発言で散々述べたような「隠れ設定」を際限なく持ち出し、ライダーさんを不快にさせるだけのようです。この提案にご賛同いただけないのであれば、今回の投稿をもって、冒険風ライダーさんとの「移動要塞論争」を終了させていただきたく思います。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3592
Re:再度整理しました
- 投稿者:あのー・・・
- 2003年02月07日(金) 03時27分
> > この場合、ドライアイス本体の質量は、当初の塊の2.3%--約5兆トン半になるかと思います。外壁の厚さが50mなら(これでも過大であるように私には思えますが)、さらに1兆トンほど軽くなります。
>
> これは、建築に関する構造強度の点から言ってありえません(我々の知っている物理学を適用すれば)。
> 40mのウルトラマンを支える足を、人間の足と同じ組成では構成できないのと同じことです。もっと分かりやすい例では、豆腐を1mも積むことができるかじゃどうか、考えてみてもらえればよいでしょう。
>
ドライアイスのアイディアの元になったドラ○もんの人の漫画
(宇宙船製造法)では、巨大な氷山を宇宙船に仕立てるのに反重力を使ってます。
重力が掛かってない場合、重力下での構造力学はまるで当てはまりません。
重力下での構造力学の式から自重で生じるパラメータを取り除いたら、
計算はできるはずだけどね。
無重力の宇宙空間では強度的な問題はないって、銀英伝にも書いてなかったっけ?(再確認はしてないけど)
そもそも、まるのままで240兆トンのドライアイスを、ロケットで
脱出速度まで加速しようとしてもまるっきり無理。
それこそ、埋め込んだところから砕けてブッ飛ぶだけでしょ。
豆腐に楔を打ち込むのと同じで、持ち上げようとしたとたんに自重で崩れちゃいますって。
イオン・ファゼカスは反重力使ってるんじゃないですか?
そう書いてあるかどうかは知らないけど。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3593
Re:Re3576/3579/3584:立証責任と移動要塞
- 投稿者:あのー・・・
- 2003年02月07日(金) 05時48分
差し出がましいようですが、この辺にまとまってますよ。
ttp://tanautsu.duu.jp/g-kousatu03_f.html
ttp://tanautsu.duu.jp/g-kousatu03_g.html
冒険風ライダーさん、この辺で、保存則はどうなってるの?の人に、魔法のような無限の自給自足システムがあると結論しておられますから。
気が変わっていないとしたら、同じ事ですよ。
これなら、文章を読むのさえ上手ければ、どんな事だって「証明」できちゃいますね。
「地球は平面だ」ってのを「証明」してる連中の話を聞いたことがないですか?
事実と違うのを百も承知で、上手い証明を組み立てるってゲームをやってる人たちが・・。
これも、そういうルールのゲームなんじゃないですかね。
聖トマス・アクィナス流かな?
「銀英伝には、彼らが空気を吸っている描写はあるが、酸素を呼吸しているかどうかは明記していない。拠って、彼らは酸素を呼吸していないのである!!」
嘘ですよ(笑)。どこかに酸素を呼吸している事くらい書いてあるかも知れません。
でも、地球が平面であるという、「議論の余地なく確固たる証明」ができるのと同じく、一流の縦横家(笑)なら、自説に有利な証拠は全て取り上げ、不利な鉦鼓は全て疑義を呈するか無視して、対戦相手を破滅させるでしょう。
・・・で、科学的事実にまったく関係なく、議論の巧拙によって、勝敗は決してしまいます。そういう場合。
どうせ一般人にはわからないじゃないですか、今の科学なんか。
(まして未来の科学など(藁))
他ならぬ田中芳樹自身が、その手法の最大の大家じゃないですか(笑)。
その手法で無責任に傍証もなくばらばらと恣意的な社会評論をちりばめた創竜伝は、社会的問題なら誰でも(浅くは)突っ込めるが故に集中砲火を浴び、ドラ○もんの道具みたいに便利な宇宙戦鑑や要塞をちりばめた銀英伝は、「未来の科学なんて誰もわからん」から、いちいち突っ込まれなかったと。
確か昔管理人さんかどなたかが「科学や技術論にこだわるほど、田中芳樹の掌の中で踊ることになる」とかなんとか言っておられた気が。
ただ、はたで見ている分には、論戦のどちらに属しようと、傲慢であったり嘲弄的であったり、頑迷であったりする論説は、イタいだけで時間をかけて読む気がしないものになりがちですけどね・・。
私自身はこういう厳しい世界にかかわりたくないへたれなので、ぼつぼつ失礼します(以後書き込み予定はありません。あしからず)。
- 親記事No.3468スレッドの返信投稿
- board4 - No.3594
Re:詭弁では
- 投稿者:Ken
- 2003年02月07日(金) 14時25分
パンツァーさま、こんばんは。
>これは、建築に関する構造強度の点から言ってありえません(我々の知っている物理学を適用すれば)。
>40mのウルトラマンを支える足を、人間の足と同じ組成では構成できないのと同じことです。もっと分かりやすい例では、豆腐を1mも積むことができるかどうか、考えてみてもらえればよいでしょう。
これの計算はさして難しくありません。
人間の身長が180センチ、ウルトラマンが40メートルとすると、ウルトラマンが22倍です。ご存知のように、体型と密度が同じで身長が22倍なら、身体各部の断面積は22の2乗倍、体重は22の3乗倍になりますので、単位面積あたりの足の断面が支える荷重は、ウルトラマンの方が、22倍大きくなります。
一方、私の考察では、「くりぬく」前のイオン・ファゼカスは、2.34x10^14トンの重量を4.88x10^9平米の底面積で支えるので、1平米あたりの重量は約48,000トンです。くりぬいた後に最も過酷な荷重にさらされるのは側壁の最下部で、ここが側壁と天井の重量を支えます。計算では、2.3x10^12トンの重量を3.24x10^7平米の断面積が支え、1平米あたりの重量は約7万トン、くりぬく前に比べてほぼ50%の増加です。増加には違いありませんが、22倍に増加したウルトラマンと同列に論じるのは無理ではないでしょうか?
(注:イオン・ファゼカスの重量計算は、1Gの重力を前提にしていますが、くりぬく前とくりぬいた後の比率は、どんな重力下でも同じです)
>もし、この間に、技術的衰退があったとすれば、数多くの星からなる「同盟」の成立そのものが危うくなりませんか。
私たちが、つい忘れがちなのは、星間国家の維持に欠かせないワープ航行は、我々にとっては未来の超技術ですが、銀英伝の作中人物にとっては、1000年以上も前に確立された「古技術」である点です。我々にとって、1000年ほど前に現れた技術といえば、例えば石炭の利用があります。仮に私たちの文明がこれから衰えてゆき、核エネルギーの利用技術などが失われても、石炭を掘り出して燃やす方法まで忘れられるとは、なかなか考えにくいのではないでしょうか?その意味では、銀英伝世界でも、文明の衰退がワープ航法の喪失に直結するという結論へいたるのは慎重であるべきでしょう。
>大体、帝国との間に長期にわたる戦争状態もあるわけで、通例、歴史の教えるところでは、戦時においてこそ、技術は革新するものです
私が、「文明衰退」の歴史上の実例として挙げるのは、3世紀頃から400年ほど続いた前期中世ですが、この時代にも戦争は大量にありました。私は、文明の発展または衰退が、戦争の有無によって決まると考える根拠を持っていません。ただ言えることは、最近の500年のように文明が長足の進歩をとげる場合は、戦争が契機となって技術文明が進むし、中世のように文明が衰退するときは、むしろ戦争によって文明の蓄積が失われてゆくのでは、と考えています。
>いろいろな直角三角形を持ってきて、それらのすべてに上記の事実が成立することを示し
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>これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが、これを使っては駄目だということでしょうか。
いろいろな直角三角形をもってきて測定し、ピタゴラスの定理が普遍的に成立するという推測をするのは、たしかに経験則を重視することで、それ自体は大切なことです。ただ、それだけで終わったら、それは「背後の理論を演繹」したことにはなりません。「経験」と「科学」を分ける、第一の境界はそこにあります。