2代目掲示板過去ログ

mixiチェック

投稿ログ4 (No.115 - No.131)

親記事No.28スレッドの返信投稿
board2 - No.115

作家としての正道、職業倫理

投稿者:石井由助
1999年10月12日(火) 16時54分

> >  田中芳樹の正道は彼が自分の筆で明らかにしているでしょ。
> へー、いつ、どの本で?
> 教えてくんない?
>一度ならず二度以上「田中芳樹の正道」について言及したんだから単に言葉の綾じゃなくて何か「こーだ」ちゅーもんがあるんじゃねーかと

 とりあえず新Q太郎さんと重複するところは避けておきますが。

 まずは言葉を売って食っている以上は、自分の商品である言葉に責任を持って欲しいと言うこと。> へー、いつ、どの本で?については田中芳樹の本全部、と答えたいところだが、とりあえずは銀英伝10巻のあとがきを挙げておく。
 それと、作家である以上はプロの売文業者としての職業倫理を踏まえるべきだと言うこと。
アルスラーンの締め切り落としておいて、公式の場で「小説は書けないときは書けない。書けるときは書かない」「世の中に小説家がもっと増えてくれれば良いのに。そうしたら自分が仕事しなくてもすむ」と発言するのは作家として責任ある態度ではない。

親記事No.28スレッドの返信投稿
board2 - No.116

わはははははは

投稿者:西遊記
1999年10月12日(火) 18時03分

なんだぁ田中芳樹が続編を書かないことを批判したいわけ?
「1.田中芳樹の本が、、、~10.あえて言う、田中芳樹と、、、」とのどこにそんなこと書いてあんの?
それともその行間から「はよアルスラーン書け」って読みとれないといけないの?


このサイトの緒言から引用するよーん

創竜伝の評論に反論した場合「いや、これは小説の世界のことだから」と逃げをうてるからだ。
石井由助の田中芳樹批判に反論した場合「いや、やつは締め切りを守んないから」と逃げをうてるからだ。

親記事No.113スレッドの返信投稿
board2 - No.117

Re: 田中芳樹の明らかな嘘

投稿者:おきなわ
1999年10月12日(火) 20時24分

どうも、はじめまして。
初めてここを読んで、少しだけ気になったので不慣れながら書かせて頂きます。
失礼な発言であればすみません。
(削除パス  SS)

平成の一軍人さんは書きました
>2,3の事例だけであって、こ
>  れは「例外」と称するべきです。(いく
 略
>  他はガダルカナル、サイパン、ニューギニア、フィリピン、沖縄等何処の戦
>  場でも、指揮官は責任を全うしています。

 他の戦場に関しては無知なのですが、沖縄戦に関しては、相当に異論があります。責任を全うするのは(将官)個人ですが、この時巻き込まれた民間人は、そうは思わないでしょう。米軍の策を読みきれず、相次ぐ連戦連敗で敗走を続けた沖縄戦。しかも、国が決めた(当時の軍部?)沖縄戦敗戦日のあとも、住民が逃げなければならなかったという事実。当時の玉砕戦法命令を残して自決(だったと思う)した牛島軍司令官の指令は、まぁ、どだいまともとは言えない思考形態の産物であるから、いずれにせよ誉められたものではないと考えます。つまり、将官としての仕事を全うされる方が、民間人をより多く殺す結果を生み出したという例でしょう。将官一人が個人の美学に酔うのは良いとしても、巻き添えにされた人々は残された現実があります。「いらんもん残しやがって(怒)」とか。

話がそれまくっていますが、つまり、田中芳樹氏が語られることが沖縄戦においては成立しなくても、「戦争の中では、こう言う事だってありえる」とのニュアンスから首肯できるのではないでしょうか?
本当はむしろ、まじめな軍人の方が恐ろしいですよね?
小説からはそういった部分だけを取り入れることの方が重要ではないでしょうか?

> ps 「戦場に行かない者が、戦争を煽っている」という田中哲学は、非常に
>   危険です。第1に、それなら実際に戦争に行った者であればどれほど無茶
>   苦茶な政治も「俺は戦場に行ったんだ」という理屈で正当化できます。
>    第2に、人には各個人毎に果たすべき役割があって、それを無視してい
>   たら戦争に勝てません。先のペルーにおける日本大使館占拠事件において
>   フジモリ大統領も、軍の首脳も別に現場で突入作戦に参加したわけではあ
>   りませんが、だからといって田中式に彼等を「自分は安全な所にいて、他
>   人を死地に追いたてている」と避難できる者がいれば、それは馬鹿の証明
>   です。政治家には政治家の、将軍には将軍の役割・責務があって、恥ずべ
>   きは、現場に出ないことではなく本来の責務を果たさない事です。
>    フジモリ大統領は、やるべきこと、つまり決断を下した。だから、例え
>   他人を死地に向かわせたところで、全く恥ずべき事はないのです。

そこは同感です。しかし、自ら考えることなくなんとなく戦争を喧伝する人間の意見に乗る事の危険を説いているだけで、別に過去の事象や現代の事件に即して書いているものとは思えませんが…? それ以前の部分(自ら考えるう)を説いているだけでしょう。
そうしている人からなら、「何を言っているんだ?」と思われるかもしれませんが。

         乱文失礼しました。(謝)

追記:兵士は何も考えない方が(戦術以外)
   扱いやすいのは事実で、その意味で
   世界の軍人は危険とも言えます。
   国防である以上、本当は色々な事を
   考えられる人のほうが好ましいと思
   いますが・・・。


 管理人さまへ

このようなホームページがあることを初めてしりました。一小説家についての考察は面白く、個人的には異論も多いのですが、『田中信者』とここで言われている人たちには、良い影響になるかもしれませんね。(しかし、そんな人がいるとは・…)
 それにしても、事実を部分的に利用して、デフォルメする手法という意味では某小林氏の漫画に似ているのだなぁと、ここを読んでいて感じました。最近は、正反対のことを書いている小説家と漫画家ですが、多くの人に良い影響を与えて、もう少し歴史や政治に関心を持って欲しいものです。(←偉そう(汗))

 月並みですが、ホームページの発展を祈っています。

親記事No.28スレッドの返信投稿
board2 - No.118

参考

投稿者:本ページ管理人
1999年10月13日(水) 06時29分

田中芳樹とは関係ないですが、作家とファンと編集の関係についての記述が興味深いです。

ttp://member.nifty.ne.jp/~hosoda/memonifty/memo199910.html#memo19991006

10/6日分です。

board2 - No.119

はじめまして。ちょっと感想

投稿者:帰属
1999年10月13日(水) 07時54分

はじめて書き込みさせてもらいます。
なんか創竜伝の記述批判ばっかですね。
あと田中はサヨクだとか。
もっと田中の作家としての本質に
きりこんだりしてほしいですね。

親記事No.23スレッドの返信投稿
board2 - No.120

だいぶ間があきましたが。

投稿者:くらり
1999年10月13日(水) 09時47分

>本文4の「小説だったら許される?」でしたら、確信犯で悪口以外のナニモノでもないことを書いています。まあ、フィクションなんですけど(>確信部分)。

まぁ、フィクションと言われちゃお終いなんですけどねぇ(^^;)。
ただですね、書いた文章・作品・発言には責任をとることは出来る(むしろするべき)ですが、容姿には責任をとることは出来ないので、ああいうことを書くのはなんだかなぁ……と思ったんです。
ま、色々と発言等に責任をとらないのは田中氏本人なんですけどね。(新刊予告を出したらちゃんと予告通りに出せよな……むかむか)

board2 - No.121

常々考える事ですが

投稿者:平成の一軍人
1999年10月13日(水) 11時28分

 佐藤大輔の『銀河連邦の興亡』シリーズをお読みの方も多いと思いますが、あの作品の中では恒星間文明の時代だと言うのに、民族国家が存続しています。日本人ばかりが住んでいる惑星群は「N-1星系」で星系自衛隊まであるんですな。おまけに、各星系には一家族づつ皇族(天皇家の分家)まである。
 きっと佐藤大輔は、国家を粗大ゴミ扱いする田中芳樹に対して「国家や民族がなくなるわけないやんけ」と、皮肉に満ちたせせら笑いを向けたくてこういう世界を構築したのだとしか思えません。

親記事No.113スレッドの返信投稿
board2 - No.122

最悪の軍隊って

投稿者:不沈戦艦
1999年10月13日(水) 16時04分

 掲示板新装開店おめでとうございます。

 先ずは一応宣言。

「私は掲示板荒らし右翼とかいう、『不沈戦艦』と名乗っている人ではないです。荒らしはやった事がありません。間違えないで下さいね。どうやら『不沈戦艦』はネット界には二人いるようですので」

 とある人が某アングラ掲示板で「もう一人の不沈戦艦氏」を見つけてURLを教えてくれましたので、そういう人がいるのを確認できました。ここで前勘違いしていた人がいるので、一応見ている人にお知らせします。


(以下本題)

 普通に考えりゃどうやってもソ連軍になると思いますけど。略奪暴行やりたい放題どころかスターリンがけしかけていたし、味方を監視する政治将校なんぞがいて、何かあって摘発されたら運が良くてシベリア行き。懲罰部隊に組み入れられて地雷踏み(ソ連流の地雷掃討。歩兵に踏ませて爆発させ、地雷を除去する。当然踏んだ兵士は死ぬ)をやらされるかも、と味方すら信用できない状況で戦わなければならない、というソ連軍の方が最低最悪でしょう。イデオロギー抜きに見れば。

 ちなみに、ベルリン陥落の時、住んでいる女性の50%はソ連兵に強姦されたそうです。

親記事No.121スレッドの返信投稿
board2 - No.123

Re: 常々考える事ですが

投稿者:heinkel
1999年10月13日(水) 16時09分

>平成の一軍人さん

> 佐藤大輔の『銀河連邦の興亡』シリーズをお読みの方も多いと思いますが、あの作品の中では恒星間文明の時代だと言うのに、民族国家が存続しています。日本人ばかりが住んでいる惑星群は「N-1星系」で星系自衛隊まであるんですな。おまけに、各星系には一家族づつ皇族(天皇家の分家)まである。
 きっと佐藤大輔は、国家を粗大ゴミ扱いする田中芳樹に対して「国家や民族がなくなるわけないやんけ」と、皮肉に満ちたせせら笑いを向けたくてこういう世界を構築したのだとしか思えません。



 「銀河」連邦ではなく、「地球」連邦ですね(笑)私も読者ですが。

 これは、銀英伝に限らず、過去のSF作品では未来においては国家や民族が消え去るのは自明のこととされている、それに対するアンチテーゼだと思いますね。
 銀英伝世界では帝国公用語のことを考えると、ドイツ語系民族とその言語が保存されていたようですが。

 いずれにせよ、銀英伝を見て感じるのは、銀河帝国なる専制国家の誕生の原因は、そもそも銀河連邦なる人類統一政府などというものを作ったからじゃないか、ということ。専制を防止する最大の手だては権力を分散すること、ならばいっそのこと統一政府などなければいいじゃん、専制政治の弊害に比べればちょっとやそっとの民族紛争など・・・と思うわけです。

 田中氏自身もその辺はふまえてると思いますけどね。「夏の魔術シリーズ」の悪役(の娘)の台詞で、「逃亡先としての外国」が有るがゆえ「人類統一政府でなくてよかった」という皮肉な表現してましたし。
 田中氏は一定の留保付きで国民国家を認めてると思いますよ。少なくとも「地球市民」などと恥ずかしげもなく語るサヨクさんとは違いますよ。「国家は道具に過ぎない」って言葉は国家を自明のこととしている人へ向けた言葉であって、道具としての有用性は認識していると思います。だから「粗大ゴミ扱いする」はちょっと言い過じゃないかと・・・うーん思わず擁護しちまった。創竜伝見ると自信がなくなりますが。


 ただ、「地球連邦の興亡」はその他いろんな意味で田中作品のアンチになってますね。
なにしろ、大増殖した日本人の恒星系N-1~3の通称は「Nシスターズ」
そして、「染血の夢」が実行に移されていて、中国人の数が激減しています(^^;

親記事No.105スレッドの返信投稿
board2 - No.124

Re:近藤崇仁さん 管理人さん

投稿者:キャヴェンディッシュ
1999年10月13日(水) 16時15分

まずはレスありがとうございました。
こちらのレスが遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。

……ところで、まったく関係ありませんが、
一人称を『私』から『俺』に改めさせて頂きます。
やはり地のほうが書きやすいもので。


>近藤さん

>>中には氏に対する的を射た批判もあるもの
>の、一部の言われの無い批判、意見等のため、全体の価値ばかりではなく、
>品位まで

>という文章からすると、「中には~あるもの
>の」程度しか存在しない的を得た批評と、
>「一部の」意見を除いた部分が、管理人さん批評部分の大部分ということにな
>ると思います。
> 日本語的に見ると、その「大部分」は、「的を射ていない批判」と見ている、と
>解釈するのが自然と思われます。

近藤さんは、言葉というものをここまでシビアに
捉えていらっしゃるのでしょうか?
俺は多分に慣用表現的な意味をこめて
上の文章を書いた積もりだったのですが。
もしこの文章が気になるのでしたら『中には』の部分を外して読んで下さい^^;
それが不誠実とか軽はずみとかいう批判を下さるなら、
まったく反論の余地はありませんが。

もちろん、『的外れ』に思えるところがないわけではありません。
たとえば、タイトルが『田中芳樹を撃つ!』である割には創竜伝の批判に
終始する書き込みが多すぎるところですとか。
または、本論の2、『田中芳樹は本当に中国を知っているか』の中で、
小説の登場人物の
『孔子が好きじゃない。だけど感心している名言がたった一つある』
発言に対して、
『人類屈指の思想家を捕まえて「たったひとつ」しか学ぶことがないとは、
よく言った!』
とお書きになっているところですとか。
(『たったとつしか好きなところがない』と言っているのは田中氏ではなくて、
あくまで白川周一郎氏です)

それから、俺は『このサイトの全体的な感想』として上の発言を
書いたのであって、『管理人さん批評の』大部分が的を射ていない、
などと書いた覚えはありませんが。悪しからず。


>>(逃げることができる、と言っているのであって、管理人さんが逃げ道を残す
>ためにこのような書き方をなさったのだろう、と言っているのでは有りません)
>>次に、仮に一人の人間がロリコンであろうがサディストであろうが、そんなも
>のは批判の対象になりははしない、ということです。

>この部分が気になりました。日本語の意味あいを詰めていった場合にどういう
>意味になるか分析すると長くなりすぎるのでひとまず措きますが、キャヴェン
>ディッシュ氏の文章解釈およびその方法論が私と違っているだけだ、とするに
>は大きすぎる問題があるような気がします。管理人さんの文意を考える上で。

……え~、この文章のどこが問題なのでしょうか?
まず一つ目の文章ですが、本論の中で管理人さんが田中氏をあたかも
少女偏愛癖の持ち主であるかのように書いておられたにも関わらず、
それを直接的に表現する言葉(ロリコン、ですとか)を使っておられなかった
ことを指摘させていただいたものです。
俺は、このような婉曲的な表現を
人格攻撃のために使用するのは卑怯で下品である
(『私は田中芳樹がロリコンだなんて一言も書いてない』
と言えてしまうわけですから)
と思ったのでそれを批判したのです。
ですが、『逃げることができる』のと『逃げるためにそういう書きかたをした』
というのとではまったく別のことです。
ご指摘を頂いたカッコの中の文章は、
そういう意味のことを書いた積もりだったのですが。

二つ目の文章ですが……まさか、近藤さんはロリコンとかショタコンとか
サドとかマゾであるということは、それだけで批判の対象になりうる、
とお考えなのでしょうか?^^;
そういう考えかたもあるかもしれませんが、少なくとも俺はそれ『だけ』で
批判の対象にはできない、と考えています。
それらを批判できるのは、そう言った、いわゆる『異常性愛』の気がまったく
ない人間だけでしょうが……。いませんしね、そんな人間は。
もちろん、実際に行動に移してしまった場合はこの限りではありませんが。



>管理人さん

>ご質問の返答については、「ザ・ベスト」収録の「管理人から」13番をお読みく
>ださい。また、合わせてこの周辺の過去ログを読んでいただければなおよろし
>いかと思います。

なるほど。過失を指摘されても敢えてそれを隠さず、批判を受け止める、
というのはご立派な態度だと思います。
過去ログを熟読せず、
軽はずみな書きこみをしたことをお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

ですが、俺は
『どのようなお考えでこの文を書かれたのか』
をお聞かせ願いたいと書いたはずなのですが。
ご指定頂いたログにもその周辺にも、それは書かれておられませんでしたが、
改めてお聞かせ願いますでしょうか。
もし田中氏への人格攻撃を目的に書かれたのなら、このサイト全体の品位を
貶めるものであると、俺は考えます。

管理人さんが目的となさるのは、
『田中芳樹の行動・言動の批判』なのでしょうか?
或いは、
『田中芳樹という人間・人格そのものへの批判/攻撃』なのでしょうか?
もし後者であるのなら、それは不毛であるばかりでなく、管理人さんご本人の
人格をも貶めることになるのでは、と思うのですが。

過去ログを7割かた拝見させていただいたのですが、田中芳樹、
という人格そのものへの攻撃が少なくないように思われます。
中には読むに堪えないようなひどい文章もあります(おもに初期ですが)。
また、田中氏の肉体的特徴(つまり、頭髪のことですが)
をあげつらった文章もあります。
確かに氏は創竜伝等の作品中で、特定の個人の戯画化としかとれない
描写をされています。俺もあれが原因で創竜伝に関しては『トンデモ本』としてしか
読めなくなってしまいました。あれは最低です。
今でも『一応ファン』の俺でさえ、そうです。

ですが、なにも、氏の批判をされる方々が創竜伝の手法に走ることはないでしょう?
(本論の4、『小説だったら許される?』は別です。あれには大きな意義があると思います。ある意味、確信犯なのでしょうし)
氏への人格攻撃・肉体的特徴に対する茶々に走れば、
『田中信者』、また、田中氏ご自身にもこのサイトへの反論、(もしくは無視)の
絶好の口実を与えてしまうことにもなるのでは、と思うのですが、
いかがでしょうか。

俺も氏に『正道』に立ちかえって欲しいと思っています。
『アルスラーン戦記』を、『タイタニア』を、『灼熱の竜騎兵』を、
執筆して欲しいと思っています。

建設的な批判は正道によってこそなされる、というのは大袈裟でしょうか。
言われのない人格攻撃や肉体的特徴の茶々に走った時点で、
建設的批判は成り立ち得なくなる、と思うのは俺だけでしょうか。


P.S.
関係ありませんが、この掲示板、書きこみ欄の幅が狭すぎるのでは?
慣れれば平気なのかもしれませんが、書きにくいです。
今もワードパッドを立ち上げて書いていますし……。

親記事No.105スレッドの返信投稿
board2 - No.125

Re: Re:近藤崇仁さん 管理人さん

投稿者:新Q太郎
1999年10月13日(水) 19時09分

> また、田中氏の肉体的特徴(つまり、頭髪のことですが)
> をあげつらった文章もあります。

> 言われのない人格攻撃や肉体的特徴の茶々に走った時点で、
> 建設的批判は成り立ち得なくなる、と思うのは俺だけでしょうか。

-----------------
あのですね、私の文章にもそれあります。
ザ・ベスト「こーひーぶれいく」の”惑星ハエナイゼンとア○ランスの首飾り”の話ですね。

それが肉体的”欠陥”の揶揄でありけしからんことは重々ご尤も、正論であると思います。
もともと「まじな批判サイトとするならマイナスだなあ」とは考えつつも、思いついた「面白さ」でつい書いて、保存してしまいました。

が、批判もあったゆえ、あのネタにはかなりの愛着があるのですが、やむを得ないので削除をお願いしたい。

必要なら田中氏へのお詫びも書きますよ。

ただねえ、その上の、或る人が書いた「著者近影ごとに云々、キャラクターが死ぬ前にそっちが…」というのは「遅筆」という行動への風刺としてありうると思うので残してほしい。

親記事No.105スレッドの返信投稿
board2 - No.126

それについては

投稿者:本ページ管理人
1999年10月13日(水) 20時11分

> ですが、俺は
> 『どのようなお考えでこの文を書かれたのか』
> をお聞かせ願いたいと書いたはずなのですが。
> ご指定頂いたログにもその周辺にも、それは書かれておられませんでしたが、
> 改めてお聞かせ願いますでしょうか。
> もし田中氏への人格攻撃を目的に書かれたのなら、このサイト全体の品位を
> 貶めるものであると、俺は考えます。

 私もそう思いますね。ただ、このサイトの方針が明確に定まったのは立ち上げてしばらくしてからであって、掲示板以前から存在している緒言と本論1.2は、いわばデビュー第一弾と言えるものです。方針について明確に定まっていない段階のものですから、現在とは違うスタイルが見られます(気負って挑発も含まれていた)。
 もちろん、だからといって良いと言っているわけではないのは、過去に述べたとおりです。


> P.S.
> 関係ありませんが、この掲示板、書きこみ欄の幅が狭すぎるのでは?

一応借り物の掲示板ということで、ご了承ください。

親記事No.105スレッドの返信投稿
board2 - No.127

Re: 125

投稿者:本ページ管理人
1999年10月13日(水) 20時15分

> あのですね、私の文章にもそれあります。
> ザ・ベスト「こーひーぶれいく」の”惑星ハエナイゼンとア○ランスの首飾り”の話ですね。
>
> それが肉体的”欠陥”の揶揄でありけしからんことは重々ご尤も、正論であると思います。
> もともと「まじな批判サイトとするならマイナスだなあ」とは考えつつも、思いついた「面白さ」でつい書いて、保存してしまいました。
> が、批判もあったゆえ、あのネタにはかなりの愛着があるのですが、やむを得ないので削除をお願いしたい。

了解しました。近々ベストから削除しておきます。

親記事No.100スレッドの返信投稿
board2 - No.128

ありがとうございます

投稿者:無名の歴史学者
1999年10月14日(木) 02時12分

管理人様、わざわざお返事有り難うございます。
> ありがとうございます。量が膨大でとりとめがないので手を出しにくい掲示板のログですが、このサイトの本領は掲示板のログにあると思っています。
>
何度読むのをやめようかと思ったことか・・。
でも、ちゃんと読んでよかったなと、思います。
>
こういう例を見ると、「ハードカバー・ノベルス→文庫」という流れ自体は有意義だと思いますね。ところで、銀英伝の文庫本って、創竜伝みたいに売り上げランキングに顔を出すくらい売れていたんでしょうか?
>
 確かに、銀英伝は文庫で出なければ図書館で借りて済ましていたと思うので、その点については管理人さんの意見には同感です。
ただ、その逆の流れで出た作品については理解できなかったのですが(^^::
>銀英伝の文庫本
少なくとも発売された週のオリコンのランキングには出ていたようですが、ちょっとその辺のところはわかりません。
ただ、ノベルスの場合は双方とも一定量は出ていたはずだと考えたので上のような書き込みをしたわけです。
長々と作品内容とは関係ない話ばかりで失礼いたしました。

board2 - No.130

私の創竜伝考察24

投稿者:冒険風ライダー
1999年10月14日(木) 07時25分

 今回より、創竜伝8の批評に入ります。
 創竜伝8は社会評論がほとんどありませんが、代わりに仙界の連中と西王母による西洋・日本弾劾と中国礼賛講座(笑)が、ページの4分の1ほどを占めています。ストーリーを徹底破壊してまで展開する常識はずれな中国礼賛も、あそこまでいけば一種の天才的才能とさえいえるかもしれません(笑)。
 その常識はずれな中国礼賛に基づく「仙界の矛盾」についてはまた次の機会に述べることにして、今回は社会評論を中心にスポットを当てて見る事にしましょう。

創竜伝8「仙境のドラゴン」
1992年4月10日 初版発行


P68上段~P69下段
<「全人類を救う」などとインチキ宗教の教祖のようなことを、始は考えているわけではない。崑崙の神仙たちが外界に対する干渉を避けようとする、そのありようを否定するわけでもない。第一、始自身、弟たちや茉理と平和に暮らしていければいいと思っているのだから、竜泉郷やひいては崑崙のありようを羨望こそすれ、けしからぬなどとは思わないのである。何百万冊もの古書にかこまれ、歴史や考古学や人類学などを研究して日を送れれば、いうことはない。
 だが、理想の生活にそのまま没入してしまえるような始の現実ではなかった。世の中には信じられないほどおせっかいな連中がいて、呼ばれもしないのに他人の家にはいりこみ、寝ている人をたたき起こしてナイフをつきつけ、「お前の性根をたたきなおしてやる」というのだ。
 この種の狂人は、権力の内にも外にもいる。権力を持たないときは、自分とちがう考えを持つ人に脅迫状を送ったり、いやがらせ電話をかけたりする。権力を持つと、言論を弾圧し、本を焼き、反対派を無実の罪で処刑し、新聞や雑誌を廃刊させる。
「そういったやりくちが牛種の文明の毒だとすると、それに染まった人間はいくらでもいるな……」
 考えると、いやな気分である。
 地球上には六〇億の人間がいる。その全員が同じ顔をしているというありさまを想像すると、誰でも気味悪くなるだろう。また、「全員を同じ顔にしてやれ」とたくらむ者はいないだろう。ところが、こと思想や信仰や価値観ということになると、「全員を同じにしてやれ」と考える者が、けっこういるのだ。自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである。
 このような「牛種の尻尾」たちが、一冊の本を読んだとする。内容が気にいらなければ、読むのをやめればいいのだが、彼らはそうしない。彼らは著者に、書くのをやめさせようとする。あるいは出版社に、本を刊行するのをやめさせようとする。自分の「読まない自由」を守るのではなく、他人の「書く自由」を侵害する。そして当人は、それを正義だと信じこんでいる。「正義病」の患者であり、狂信的・反社会的な宗教団体の信者にしばしば見出される。むろん、盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない。>


「盗作したり他人の著作権を侵害したりするのは言論の自由ではありえない」
 っておいおい田中芳樹よ、他人サマに偉そうな説教を垂れる前に、すこしはご自分の所業を見つめ直す必要があるのではないのですか? 中国ものを書くときに中国の文物を片っ端から「盗作」しているのはどこのどいつでしょうか(笑)。私は「パクリ=模倣」と定義していますから、パクリ元もパクリネタもそれなりに評価するようにしていますけど、田中芳樹が書いている「三宝太監西洋記→鄭和伝」や「説岳全伝→岳飛伝」などは「パクリ」ではなく立派な「盗作」であり、一種の著作権侵害ではありませんか。また、「隋唐演義」や「中国帝王図」などは、元ネタになった参考文献や著者名を全く挙げておらず、まるで自分のオリジナル作品であるかのように書いていますので、これも「盗作」と言われても仕方がないようなシロモノです(以下、宣和堂さんのHP「田中芳樹・7つの大罪」より)。これでは押し入り強盗が「人の物を盗んではイケナイ」と説教しているみたいではないですか。
 だいたい田中芳樹は、上記の社会評論がことごとく自分自身にあてはまるのではないかと、すこしでも考えた事はあるのでしょうか。「反権力」という名の「権力」の後ろ盾を頼りにして、フィクション小説内で愚劣で一方的な社会評論を展開したり、「日本人はみんな愚劣」とか「中国人はみんな優秀」とか言ったセリフをキャラクターに言わせたりと、これらはアンタが評する「牛種の尻尾の所業」なのではないのですか? 他人に偉そうに説教するそのすぐ足元で、自分自身が「牛種の尻尾」になっているのでは、せっかくの正論も説得力ゼロですね。しかも「自覚症状」もないというのでは救いようがありません。
「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである」
 確かに許せないのでしょうねえ(笑)。他ならぬ田中芳樹自身が、「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在すること」に我慢ならない事を、創竜伝の社会評論やストーリーで自白しているのですから。身をもって反面教師になっている田中芳樹は自己犠牲の精神に富んでいる、とでも褒め称えるべきなのでしょうか(笑)。

P69下段~P70上段
<フォードもライト兄弟も、人の世を進歩させるという高い目標を持ち、努力をかさね、工夫をこらし、血と汗と涙の末に、自動車を走らせ、飛行機を完成させた。偉大な仕事をなしとげたのだ。
 そしてその結果はどうだろう。自動車による事故で、日本だけでも一年間に一万人以上の人が死亡している。飛行機は軍事に転用され、「戦略爆撃」という名で非武装市民を爆殺することが正当化された。多くの科学者が無限エネルギーの夢を追った原子力は、まず兵器として使用され、多くの人命を奪った。平和利用されるようになってからも、事故によって大気と大地を汚染し、放射能のゴミを生みだし、完全処理する方法は発見されていない。
 機械技術文明には最初から罠が仕掛けられていたのではないか、始はこのごろ思うのだ。努力、創意工夫、向上心、勤勉さ、知識欲、それら美点のすべてが、いま人類自身の生存をおびやかしつつあるようだ。それと気づいても、やめることができない。自動車も電気もない生活にもどることはできないのだ。ではどうすればよいか……。>


 このような問題提起を「どうすればよいか……」などという結論で終わらせるくらいなら、いっそ何も語らない方がはるかにマシなのではないかと思うのですけどね。「機械技術文明」とやらに懐疑的なのは結構な事ですが、こんな評論を展開するのならば、それに代わる代案ないし「将来性のあるビジョン」というものを挙げなければ「単なる不平不満」で終わってしまうではありませんか。第一、創竜伝8巻で「タイムマシン」だの「極低周波ミサイル」だのといった超兵器をいろいろと出して「仙界」の文明の優越性を誇示している田中芳樹が何を笑止なことを言っているのでしょうか。
 ロクなビジョンも展開できない田中芳樹に代わって私が先を続けましょう。
 確かに田中芳樹曰く「機械技術文明」とやらは、様々な環境問題や戦争の大規模化をもたらしましたが、それと同時に人類に様々な恩恵をもたらしてきた事も確かです。そして田中芳樹自身が明言しているように、今更過去に戻るわけにもいかず、「滅ぶ」という選択肢が論外である以上、このまま「機械技術文明」を発展させるしかありません。その認識に立ち、暴走しそうな原子力技術などに対する管理を徹底した上で、環境問題対策の技術や原子力に代わる代替エネルギーを開発すれば良いのです。ハイブリッドカーなどは「環境対策技術」の典型例ですし、日本は公害対策の先進国です。
 軍事技術の方はといえば、これは使う人間の問題でしょう。技術が発展してようがしていまいが、戦争は必ず起こるのですし、当事者次第で大規模殺戮は発生するものです。田中芳樹が礼賛している中国の歴代王朝滅亡期に、数百万~数千万単位の人口が消滅しているのは別に「機械技術文明」のせいではありませんし、西欧の植民地支配の大虐殺や、毛沢東の「文化大革命」だって「機械技術文明」の弊害ではありません。これらはイデオロギーや民族対立などといった、人間の問題ではないですか。技術の発展とともに軍事技術が発展するのは止めようがないし、止めるべきものでもありません。「技術の発展」自体は「悪」ではありませんし、軍事問題では「技術」も一種の抑止力たりえるのですから。第一、田中芳樹自身、銀英伝で「人類が宇宙に進出できるほどの高度な機械技術文明」を描いているでしょうに。あれは一体何なのですか? まさか「魔法文明」というのではないでしょうね(笑)。
 「機械技術文明」なるものに全く問題がないとは言いませんが、「全否定して代案も出さない」というのでは事態は全く変わらないことぐらいはきちんと認識していて欲しいものなのですけどね。

P135上段
<鷹揚に首相は笑ってみせた。彼はこのごろTVのニュースショーを見ることが多い。街頭レポートで、「政治なんかに関心はないね」と答えるおじさんや、「政治のことはわかりませーん」と身をくねらせる女子高生が登場すると、首相はTV画面にむかって手をあわせ、思わずおがんでしまう。日本に議会制度が導入されてからもう一〇〇年以上もたつのに、まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである。恩人にむかって手をあわせるのは当然のことだ、と、首相は思っている。>

 田中芳樹よ、日本に議会制度が導入されてからもう100年以上もたつのに、まだこんな単眼な視点で有権者を見下す事しかできないのですか(>_<)。これで民主主義を崇拝していると言うのですから、何かブラックジョークを聞かされているような気がするのですけど。
 上記の社会評論のように、「首相の権力をささえて」いるのが「まだそんな反応しか示さない人たち」だけで構成されているというのは、よほど有権者と読者の双方を見下していないと言えることではありません。田中芳樹は「首相の権力をささえて」いる「自分と違う考えを持つ」人達を「愚か者」と断定しているのです。最初の社会評論で偉そうに「自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである」と「牛種の尻尾」を批判した、その舌の根も乾かぬうちに、自分自身が「牛種の尻尾の所業」を展開するとは、田中芳樹は自分の社会評論さえもまともに読んでいないのでしょうか(笑)。
 そもそも田中芳樹は、自民党政権がなぜあそこまで長期政権を維持できているのかという理由を、すこしは真剣に考えてみた事があるのでしょうか。上記の「機械技術文明」とやらについての問題提起と似たり寄ったりな理由ですが、日本の野党が、与党の政策に代わる現実的な代案を提言できない事こそが、日本の野党が政権を奪えない最大の理由だという事に気づいていないのでしょうか。ようやく政権を奪取した細川政権も村山政権も結局のところ、自民党にとってかわれるだけの現実的な代案というものを提言できなかったし、自民党以上の政策実行力もなかったではありませんか。ましてや、往年の旧社会党のように「反対のための反対」などをやっていては話になりませんし、挙句の果てには旧ソ連や中国・北朝鮮のエージェントのように行動していたのでは、「こんな連中に政権を任せても良いのか?」という一般国民の不信を買うのは当たり前です。彼らは「現実の日本政治」というものを真剣に考えてはいないということなのですから。
 このような事実を無視して、「首相ないしは与党を支持している連中はみんな愚か者だ」などと言ってみたところで、それは「負け犬の遠吠え」というやつですし、第一、与党支持者に対する不当なレッテル貼りであると断言せざるをえません。与党支持者だっていろいろな事情や思想・利害関係などによって与党を支持しているという認識を持つ事は、政治を論じる以前の基本ではありませんか。田中芳樹の思想に合わないからといって、何故にそこまで与党支持者が貶められなければならないのでしょうか。それこそ、御自分の評された「牛種の尻尾」ではありませんか。
 民主主義を崇拝しているくせに、物事を考える時には上記のような画一的発想と一方的断罪論しか浮かばないというのでは、結局のところ、田中芳樹にとって民主主義とは「日本断罪」のための道具でしかない、と断定されても仕方がないでしょうな。民主主義に不可欠な「多様な価値観との共有」という視点がまったくないのですから。これで他人サマに民主主義について説教を垂れることこそ、民主主義に対する冒涜ではないかと私は思うのですけど。



 さて、残り3つの社会評論については、主にそれを語っているキャラクターの知識程度について論評してみたいと思います。といっても、今までの社会評論の論調からして、まともな評価は最初から絶望的なのですが(笑)。
 田中芳樹作品の特徴として、ひとつの作品に必ずと言っていいほど「聡明な毒舌家」が最低ひとりはいるんですよね。むろんそれは田中芳樹作品の欠点ではなく、作品を面白くするための重要な要素なのですし、私もあの毒舌の論調が結構好きな方なのですが、こと創竜伝や薬師寺シリーズに関する限り、毒舌を支える知識があまりにも低レベルなものですから、せっかくの毒舌も発言者の低レベルぶりを際立たせるものにしかなっていません。「社会評論によるストーリー破綻」というのは、この辺りにもはっきりと表れているんですね。
 それが最もはっきり表れているのが、下の竜堂続と仙界の漢鐘離の問答です↓

P161下段~P162上段
<「このごろは政治家まで環境保護を守ろうなんていいだしましたからね。利権の種でも見つけたんでしょうよ」
 漢鐘離が口を挟む。
「政治家を信用しとらんようだが、なかには国民のためにつくす政治家もおるじゃろう」
「なかには!?」
 続が冷笑をひびかせた。
「政治家は国民のためにつくすのが当たり前です。公僕なんですからね」
 続の口調は辛辣をきわめた。
「小説を書く作家もいる、とか、試合に出るプロ野球選手もいる、とかいう表現をしますか。しやしませんよ。当然の職業上の義務ですからね。政治家だけがその義務を果たさなくていいわけがありません」
「野党もだめかね」
「日本の野党は与党のおこぼれにあずかりながら、永遠に野党の地位に安住して、政策上の責任をとろうとしないんです。同罪ですね」
「ちときつすぎるのではないかな」
「とんでもない。ぼくは政治家を賞したくてしかたがないんですよ」
 続の毒舌はさらに辛辣さを加えた。
「だからすこしは賞められるようなことをしてほしいと思いますよ。裏金の受け渡しだけはどんどん巧妙になっているようだけど、そんなこと諸外国に自慢できるものでもないでしょう」
 反論があるならいってみろ。そう続は態度にあらわした。漢鐘離はすぐには反応しなかった。仙茶の碗を両手でつつみながら、髯のみごとな神仙は答えた。
「とすると、そういう連中を助けるために、仙界が動く理由などないような気がするな」
 爆発寸前の表情が、続の両目にひらめいた。
「要するに、あなたがたは何をやる気もないし、これまで三〇〇〇年間、なにもしてこなかったことに対して、責任をとる意思もないということですね」
「おい、続」
「失礼はわかっています、兄さん。でも何だってこんな老人のいやみをありがたく拝聴していなきゃならないんですか。ぼくたちが三〇〇〇年間、人類を支配して、まちがったやりかたで彼らを苦しめてしまったとしたら、そりゃあ頭をさげて、悪かった、助けてくれといいますよ。でもそうじゃない。第一、好きこのんでこんな風に生まれてきたわけじゃないんです。もうごめんですよ!」>


 この文章ほど竜堂続の低能ぶりが露骨に滲み出ているところは、ちょっと記憶にありませんね。創竜伝1巻の「短気で粗暴な」の古田義国とどこが違うというのでしょうか。
 まずストーリー上、竜堂兄弟は「仙界」に対して「染血の夢で混乱している人界に対する介入・援助」を乞うている立場にあります。それに対して、創竜伝における「仙界」は「人界」に対して「絶対中立・不干渉主義」を貫いているという設定になっています。そうであるならば、その「仙界」に対して説得する竜堂兄弟の論調は、当然「人界を救う事は仙界にとっても利益になる」か「人界を救う事には意義がある」というものでなくてはなりません。
 ところが竜堂続は何を血迷ったのか、日本の与党も野党も「どうしようもないダメ組織とダメ政治家」と罵り、さらには「そういう連中を助けるために、仙界が動く理由などないような気がするな」と言ってのけた漢鐘離に対して「無責任」と罵るありさまです。ほとんど言いがかりな上に「誰彼かまわず罵っている」わけで、ここだけを見れば竜堂続は「短気で粗暴で低能」と古田義国と同様の評価を下されても当然ではありませんか。
 「絶対中立・不干渉主義」を貫く「仙界」を動かす事は、よほどの理由がないとできません。「仙界」にして見れば、人界がどうなろうと知った事ではないのですから。このストーリー展開から考えられる説得は、
「人間は確かに悪い一面もあるが、その文化と歴史は必ずしも無駄なものではないし、その長い歴史の間に人間は少しずつ進歩してもきた。だから牛種という種族などのために人間が滅ぼされてはたまらない。本来ならば人間自らが牛種を討つべきなのだろうが、残念ながらまだ今の人間では力不足であるから、仙界の力を貸してほしい」
という論調にでもならないと「仙界」は説得できないと思うのですが、竜堂続が行った主張は上記のとおりです。いかに無思慮で低能で、しかも他人の思想や考え方に対する配慮が全くなっていないかが御分かりいただけるでしょう。「仙界」の方針から言えば、竜堂続の言に対する漢鐘離の受け応えは全く当然至極のものであると言わなければなりません。私が漢鐘離の立場にいたとしても同じことか、あるいはそれ以上の反論で返した事でしょう。
 このような「低レベルな怒り罵り屋」でしかない竜堂続が、創竜伝では「聡明な毒舌家」であるというのですから、創竜伝全体の低レベルぶりも推測できようというものです。登場キャラクターに余計な政治批判などさせるから、こんな低能ぶりをさらけ出す事になるのです。結局このような描写が災いしたのか、創竜伝8でもっとも重要なテーマであったと思われる「仙界の協力」についてはほとんど曖昧なままに終わってしまっており、ストーリー的におかしくなっています。これなどは「フィクションだからこそ許されない」ストーリー描写であると言えましょう。ストーリーを破壊することはなはだしいのですから。
 あと余談ですが、
「小説を書く作家もいる」
という文言は、そっくりそのまま「とうちゃん」に返すべき言葉でしょうね(笑)。


 さらにもうひとり、「鳥羽茉理の姉」と自称している瑤姫なる人物もまた、創竜伝の低レベルぶりを象徴している毒舌家です。まあ所詮は「あの」鳥羽茉理の姉でしかないのですから当然といえば当然なのですが(笑)。
 この御仁がまた、下の方で愚劣な社会評論を展開しております↓

P174下段~P175上段
<人界では日本で地震がおこり、死者・行方不明が二万人以上に達したようだという。
「東京は無事だったけどね。あなたがたの知人にも被害はないみたい」
「よかった、というわけにはいかないな。これからどうなるんだろう」
「各国に援助を求めるんでしょうね」
 続の言葉に、始は小首をかしげた。
「援助してくれるかな。どこの国もそんな余裕はないはずだぞ」
「そうね。だいたい日本は評判よくないものね」
 手きびしいことを瑤姫がいう。
「いつだったか、援助を求める国を物乞い呼ばわりしたわよね、日本の政治家が」
「そういうこともあったな」
「日本だって明治維新以来ずっとお金持ちだったわけじゃないでしょ。関東大震災の後とか、第二次大戦で敗れた後とか、ずいぶん他国から援助をもらったんでしょ。それが景気がよくなって援助するがわにまわったら、相手の国を物乞いよばわりだものね」
 いいつのるうち、瑤姫は腹がたってきたようだ。
「すごいわよね。日本人ってそんなにえらいの。いま現在お金持ちなら、そこまで他国をばかにしていいの。日本人の辞書に、恩とか借りとか礼儀とか、そういう言葉はないの? 信じられないわよ、まったく」 >


 瑤姫と竜堂兄弟の皆さん、あんたらの社会評論の辞書には、一貫した論理とか実証的検証とか相手に対する礼儀とか、そういう言葉はないんでしょうかね。信じられませんよ、全く(笑)。何が何でも日本を罵倒しようという意気込みだけは伝わってきますが、評論者の知性がひとかけらも感じられない論評ですね。
 なるほど、瑤姫のいう「日本の政治家」は、確かに「援助を求める国を物乞い呼ばわりした」かもしれません。しかしそれ一事だけをもって「日本人全体が」そのように考えていると持っていく論理のスリカエは大したものですね。しかもいつものごとく「なぜそのような言動を行ったのか」という検証を全くやっていませんから、これだけを見ると、いかにもその政治家が悪党のように見えてきますね。
 私には、その政治家の発言はそれほどの暴言にも思えませんけどね。そもそも日本のODA拠出額は世界1位であるというのに、どこからも御礼のひとつもこないどころか、むしろ当然のような顔でODAをふんたくっていく光景を見ていると、ウップン晴らしに「物乞い」呼ばわりもしたくなろうというものでしょう。特に中国なんて、1978年~1998年までの20年間に日本から三兆円ものODAが拠出されているにもかかわらず、中国は一言半句も礼を述べないばかりか、1998年の江沢民来日の際には「評価する」と、まるで「援助されて当然だ」と言わんばかりの言動をのたまっていましたからね。だから「ODAを廃止しろ」という主張さえあるぐらいです。だいたい、あのODAなるものは決して強制ではないのに、それを承知で日本が発展途上国に援助しているという事実くらい認めてやったらどうなのですかね。
 さらには「日本の政治家の発言」の一事をもって「日本人全体が」そのように考えていると一気に論理を飛躍させるのですから、その論理の破綻ぶりは明らかでしょう。言うまでもなく「日本の政治家」と「日本人」とでは対象も日本語の意味も全く違います。上記の社会評論が「論理のスリカエ」でないのであれば、瑤姫の日本語能力には重大な欠陥があると言わざるをえませんが、まあいくら低能であるとはいえ、そこまで酷評するのも無慈悲に思えますから、とりあえず「悪意に満ちた論理のスリカエ」というラインで評価してあげましょうか(^^)。
 さらに下の方でも、またまたトンデモな社会評論を展開しております↓

P175下段
<瑤姫は呼吸をととのえた。
「それにしたって、食糧も石油も自給できるわけじゃないし、保護貿易をやられても日本はこまるわけでしょ。他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいうのはどういうわけかしらね」
「友だちなんてもともといませんよ」
 そう続はいったが、これはいささか身も蓋もなさすぎる意見だった。
「仙界の住人だって、そうえらそうにお説教できる柄じゃないけどね。日本人って、秀才自慢の割には外交と戦略のセンスがなさすぎるんじゃないかしら」
「いいかえれば向上の余地が大いにあるってことだ。有権者としてはそれに期待するよ。先は長いんだ」
「長ければいいんですけどね」>


 これは一体いつの時代の考え方なのでしょうか。自らの時代認識が60年ばかり遅れていることも自覚せずにこんなタワゴトをいうのですから、低能はいけませんね(笑)。
 「保護貿易をやられても」って、この人は現在の自由貿易体制が成立する歴史的経緯も知らないのでしょうか。1929年の世界恐慌と、その不況対策としてのブロック経済政策(つまり保護貿易政策)こそが第二次世界大戦の遠因であり、戦後その反省から世界的な自由貿易体制が作られたという「歴史的経緯」を知っていれば、その体制下で勝手に「保護貿易をやる」ということがその国にとっていかに命取りになるか、すこし考えてみればすぐに分かるでしょうに。
 仮にそういう事情を抜きにして考えたとしても(そんなことはありえないが)、日本に石油や食糧を輸出している国だって、日本と貿易できなくなったら困ってしまうという事実も知らないのではないのでしょうか。日本という顧客がいなくなってしまったら、彼らの国の収入も重大な打撃を受けること間違いありません。それに日本の技術力で造られた製品は安価で高性能ですから、輸入できなくなったら向こうの国も大いに困るでしょうなあ(^-^)。この2つの事情から、現段階で日本に対して保護貿易を行う国が出てくる可能性は限りなくゼロです。ましてや「ただ嫌っているから」という理由だけで、日本に対して保護貿易を行う国が存在するわけがありません。日本だって、自由貿易体制の重要な一員として組込まれているのですから。
 さらに「他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいう」って、政治や外交を個人的道徳観で語るとはどういう神経をしているのでしょうか。「仲良くしないといけない」とか「友だち」って、軍事同盟や貿易関係にそんなものがあろうがなかろうが関係ないでしょうに。かつての彼らの「とうちゃん」が他の作品で打算的同盟関係というものを見事に描写しているというのに、その「どら息子ども」(By銀英伝)は政治オンチまるだしな発言ばかり展開しているのですから困ったものです(笑)。
 それに戦前の日本はいざ知らず、一体いつ現代の日本が外国に対して高圧的な態度にでたというのでしょうか。「周辺諸国」にいつもペコペコしている姿からは、とてもそんなものは見えてこないのですが。それに「友だちなんてもともといませんよ」と平気で言ってのける彼らは、インドや東南アジア・トルコなどの「親日国家」についてはどう考えているのでしょうね。田中芳樹が9巻で罵倒しているマハティール首相も、3巻で引用しているスハルト前大統領も、それから田中芳樹曰く「中国に帰属する予定の(笑)」台湾の李登輝総統も、それぞれ日本に対しては好意的な人なのですが、彼らの言動はどう説明すると言うのでしょうか。日本がそこまで嫌われていると言うのならば、彼らのような存在はありえないはずなのですが。「彼らは日本に対しておべんちゃらを使っている」とでも強弁するつもりなのですかね(笑)?


 このように創竜伝の「聡明な毒舌家」とやらは、その毒舌を支えている知識がロクでもないものであるために、すこしも「聡明」ではないんですね。まあ創竜伝の悪役に比べれば「聡明に見えるかもしれない」のですけど(笑)。
 創竜伝7の黄老といい、竜堂兄弟や瑤姫といい、こうも創竜伝の毒舌家のレベルが低いのは、無為無用な社会評論を語らせている「とうちゃん」に責任があるのですが、ストーリーを破綻させている要素としてはかなり重要なもののひとつなので、あえてキャラクターを論評してみました。「とうちゃん」ももう少しキャラクターを大事にしてくれたなら、ここまで酷評されずにすんだものを(T_T)。その意味では、低レベルな思考しかできない創竜伝のキャラクター達も、ある意味では社会評論の被害者であるかもしれませんね。
 ま、たかがフィクション小説の、それも阿呆なキャラクター達に対してこんな哀れみをかけるなど、現実と虚構の混同ですし、感傷もいいところですが(笑)。

 創竜伝8の社会評論はこれだけです。数的にはホントに少ないですわ。評論自体は物凄く長いのですけど、創竜伝の社会評論自体はたった6つしか取り上げていないのですから。
 さて次は「仙界の矛盾」を前後編の2回にわけて論じてみたいと思います

親記事No.121スレッドの返信投稿
board2 - No.131

Re121/123: 田中芳樹の国家認識

投稿者:冒険風ライダー
1999年10月14日(木) 09時00分

<いずれにせよ、銀英伝を見て感じるのは、銀河帝国なる専制国家の誕生の原因は、そもそも銀河連邦なる人類統一政府などというものを作ったからじゃないか、ということ。専制を防止する最大の手だては権力を分散すること、ならばいっそのこと統一政府などなければいいじゃん、専制政治の弊害に比べればちょっとやそっとの民族紛争など・・・と思うわけです。>

 銀英伝で「地球統一政府」や「銀河連邦」が成立した背景に、「国家間紛争による大いなる災厄はうんざりだ」という当時の人々の思惑があったのですから、それを無視して統一国家論を論じても仕方がないのではないかと思いますが……。国家間紛争による大被害にさらされた人達にして見れば、あの統一国家の成立は当然にして唯一の選択であったわけで、「ちょっとやそっとの民族紛争」よりも戦争をなくす事の方が優先されたわけですから。
 それに「権力の分散=民主主義」というのは違うのではないでしょうか。アメリカは大統領がかなり強大な権限を持っていますが、それではアメリカは民主主義国ではないのでしょうか。逆に日本は有事の際に自衛隊に対してまともに命令が出せないほど首相の権限が弱いのですが、これが「理想的な民主主義」なのでしょうか。
 民主主義も国によっていろいろなものがありますが、「権力が弱いから民主主義」という定義は当てはまらないと思います。
 銀英伝の民族問題については、もちろん統一国家成立当初は民族問題や民族紛争も頻発していたでしょうが、互いに統一国家の一員であるという意識を植えつける教育や、アメリカのような「国旗・国歌に忠誠を誓う」というような愛国心教育を数百年単位で行った事、それに長い年月にわたる巧妙な移民政策・民族間の混血などが、民族対立を消していったのではないかと私は考えているのですが。
 まあ、かなり都合の良い解釈ではありますが(^^;;)。


<田中氏自身もその辺はふまえてると思いますけどね。「夏の魔術シリーズ」の悪役(の娘)の台詞で、「逃亡先としての外国」が有るがゆえ「人類統一政府でなくてよかった」という皮肉な表現してましたし。
 田中氏は一定の留保付きで国民国家を認めてると思いますよ。少なくとも「地球市民」などと恥ずかしげもなく語るサヨクさんとは違いますよ。「国家は道具に過ぎない」って言葉は国家を自明のこととしている人へ向けた言葉であって、道具としての有用性は認識していると思います。だから「粗大ゴミ扱いする」はちょっと言い過じゃないかと・・・うーん思わず擁護しちまった。創竜伝見ると自信がなくなりますが。>


七都市物語 P223
<七都市分立の体制は、それほど悪いものでもないようだ、と、ギルフォードは思う。ひとつの都市にいられなくなっても、他都市に逃れて再出発できる。人類社会が単一の政体によって支配され、同一の政治的価値観を全員が共有しなければならないというのも、うっとうしい話である。>

 創竜伝と銀英伝以外では確かにこのような論調になっていますから、まあ田中芳樹も「国家の有用性」については認めてはいるのでしょう。
 しかし創竜伝と銀英伝になると話は別で、

歴史上、多くの国家が常に滅んできた―→国家はいつか必ず滅ぶものだ

という思考になっているのはまあいいのですが、そこから、

国家はいつか必ず滅ぶものだ―→今の国家は滅びるべきだ

という論理の飛躍を展開していますからね。上記の2つの間には無限の距離があるという事に田中芳樹は気づいているのでしょうか。国家は滅ぶものであるからこそ、国家の存続のために努力しなければならないのではないか、と私が田中芳樹を尊敬していた頃でさえ疑問に思ったものです。銀英伝ではさすがにそこまではっきりとは言っていませんが(滅びてもかまわない、という論調ではありますが)、創竜伝では露骨ですからな~(>_<)。アルスラーン戦記やタイタニアなどではちゃんと書いてあるのですが。
この論理が成立するのならば、

人間はいつか死ぬものだ→今の人間は滅びるべきだ

と、このような論理だって成立できるではありませんか。これはオウムのポア思想あたりと全く同じ思考であると思うのですが。そういえば過去ログによると、創竜伝がオウムに何らかの影響を与えているらしいとのことでしたね。
 そんなわけで田中芳樹は、こと日本に対しては明らかに「粗大ゴミ」か「有害な放射性廃棄物」扱いしていると思います。それに比べて、中国のあの愛情に満ちた態度は何なのだろうかと常々思うのですが。


PS
それとheinkelさん、遅くなりましたが「軍事認識編」の援護射撃、ありがとうございます(^^)。

mixiチェック