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Re: はじめまして と Re:ヤンと岳飛の共通項
- 投稿者:平松重之
- 2000年05月26日(金) 02時34分
しんごさんは書きました
> みなさん
> どうも初めまして。
初めまして。
> それと「ヤンと岳飛の共通項」ですが、私は岳飛をあんまり知らないのでなんとも言えませんが、
>
> ヤン=岳飛 ではなく ヤン⊃岳飛
>
> すなわち、モデルの一人でしょうから、このまま、イコールかノットイコールかの流れではしんどいのではないかと思います。
確かにそうですね。ですが、自分としては別に○×形式で答えを出しているつもりはありません。ただ気質や理念的にはヤンと岳飛は重ならないと思えると主張しているだけで、冒険風ライダーさんのヤンと岳飛の政治的立場などの共通項の主張にも、なるほどと思う所があります。ですが、モデルの一人ではあるでしょうが、あまり大きい比重を占めていないだろうというのが自分の考えです。
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Re927/928:ヤンと岳飛の相違点と共通点
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年05月26日(金) 06時37分
>平松さん
<ヤンと岳飛の共通項に付いてですが、敵対勢力への対応についての主張はまったくの正反対であると思います。ヤンが同盟の国力低下を危惧し、民力休養の為に銀河帝国との和平と共存を考えていたのに対し、岳飛はあくまで金との和平に反対し、主戦派としての態度を一貫して保っていました。同盟滅亡後もヤンは銀河帝国との共存を前提とした政戦両略しか立てていません。
また、ヤンが批判しつつも自分の上位にいる同盟政府に従ったのに対して、岳飛は上位にいる秦檜の主張する和平に真っ向から異論を唱えています。いわばヤンに比較して、岳飛の方が強硬である様に思え、理念や気質的にはヤンの面影は感じられないと思うのですが…>
これは「攻める」と「守る」の差から出てきた相違点でしょう。
岳飛の理想は「宋の国土回復」「金の討伐」であり、金に攻めこまなければ理想が実現できなかったのに対して、ヤンの理想は「民主主義の擁護」で、これは別にどこかに攻めこまなければならないものではなく、守れれば良いものなのです。つまり岳飛の理想は攻撃的であり、ヤンの理想は防御的なのです。岳飛は常に対外強硬路線を主張し、ヤンは平和共存路線を選ぶという行動路線の違いはこの違いから生まれたものでしょう。
また、ヤンも岳飛も共に「利権あさりの政治家」を蔑視していましたが、岳飛の「宋の国土回復」は単純明快にそれのみに熱中する事ができ、それを妨害している(と岳飛の目に映っている)秦檜やその他の文官たちを、別に制度のしがらみなどを特に考える必要もなしに罵る事ができたのに対して、ヤンの「民主主義の擁護」の場合はシビリアン・コントロールのヤン的解釈である「軍人は政治に口を出さない」という理念まで守らなければならず、ヤンは自らの「信念」である「民主主義の擁護」からいっても、政治の場では常に政治家を立てなければならなかったのです。だからこそヤンは、岳飛と違って内心で政治家をどれほどまでに蔑視し、愚劣な思考法に閉口していても、あくまで政治家に従おうとしていたわけです。それが実は本来の「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」から言っても間違った考え方であるとも知らずに。
岳飛が追い求めたものは「宋の国土完全回復」という「政治的結果」であり、ヤンが守ろうとしたのは「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」などといった「制度の理念」です。この違いからある程度ヤンと岳飛の行動の乖離が出てくるわけです。
このあたりは両者の思想の根本自体が全く違う事から起こる相違点ですから、むしろ違って当たり前でしょう。しかしそれらが影響しない性格や行動原理においては、前回述べたように両者には結構共通項があるというわけです。
それともうひとつ言っておくと、ヤンは確かに岳飛に比べれば敵対勢力との共存を考えた上で戦略を立てていますが、帝国との共存を考えているからといってヤンの戦略が現実的であるという証明にはなりません。
これは以前の「銀英伝考察 ヤン・ウェンリーの思想的矛盾」でも言った事なのですが、ヤンが本当に民主主義を守ろうとするのであれば、それを実現するための有効な政治的方法論は他にいくらでもあったにもかかわらず、ヤンはまるでそれが唯一絶対の方法であると言わんばかりにラインハルトの感情に訴えるような戦略(「戦略」と言えるのかどうかすら疑わしいですが)ばかり考えています。特に銀英伝7巻以降はそれが顕著で、戦いを通じて民主主義の価値をラインハルトに分からせるなどという非常に愚劣な戦略に固執しているのです。
この方法ではバーミリオン会戦のような「ラインハルトを殺す事によって活路を見出す」という戦法が使えませんし、しかも「どこまで戦ったらラインハルトが民主主義の価値を理解し、和平に応じてくれるか」という明確な基準があるわけではないのですから、戦いを通じてラインハルトが本当に民主主義の価値を理解してくれるかどうかも怪しいものです。
しかも仮に万が一その戦略でラインハルトが民主主義の価値を理解してくれたとしても、それによってラインハルトが和平を結んでくれると考えるのは、ヤンが全否定しているはずの一種の希望的観測ないしは精神論とでも言うべきものでしょう。ラインハルトにしてみれば、和平を結ばずにイゼルローンを陥落させればラインハルトの悲願である銀河統一が達成されるのであり、たかが「民主主義の価値を理解した」などという理由程度でその利益を放棄してヤンと和平を結ぶとはとても考えられません。私がラインハルトの立場にいたら絶対に和平には応じませんね。第一、そのような「皇帝の慈悲」などにすがって存続しなければならないような弱小な政治体制では、いつ皇帝の気まぐれで滅ぼされるやら分かったものではありません。自分たちの命運が敵の胸先三寸にあるなど、愚劣極まる話ではないですか。
ラインハルトが和平に応じざるをえないような政治的状況を自ら積極的につくり、ラインハルトが実力行使を断念せざるをえないほどの実力を備え、それらを最大限に政治の場に生かす事によって、はじめてヤンの最終目的たる「民主主義の擁護」は実現するのです。それがどうもヤンは分かっていなかったとしか思えませんね。まああの間違ったシビリアン・コントロールの考え方もヤンを束縛してはいたのでしょうけど。
岳飛も宋と金の絶望的な軍事力格差を全く直視することなく強硬論を唱えていましたが、このあたりの政治に関する現実感覚の欠如もまた、ヤンと岳飛には共通項があると言えるでしょう。
>しんごさん
どうも、はじめまして。
<「ヤンと岳飛の共通項」ですが、私は岳飛をあんまり知らないのでなんとも言えませんが、
ヤン=岳飛 ではなく ヤン⊃岳飛
すなわち、モデルの一人でしょうから、このまま、イコールかノットイコールかの流れではしんどいのではないかと思います。>
もちろん私も、ヤンと岳飛の何から何までが全て同一であると考えているわけではありません。しかしながら両者の行動原理などには結構共通項が多く、それを分かりやすく説明するためにあえて「=」を使っていたわけです。ま、厳密なものではないという事ですよ。
<どのあたりが似ていて、どのあたりが決定的に違うのか、をまとめて教えていただければ分かり良いのですが・・・(贅沢な奴や)
なにしろ、田中芳樹 中国もの 読んでません・・・。>
まあこれについては自分で調べてくださいと言うしかありませんね。議論をするにしても、ある程度の知識は必要不可欠ですから。
岳飛について調べたいのであれば、ネット検索を使ってみたらどうでしょうか? まあ当たり外れの格差は非常に大きいですけど(^_^;)。
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- board2 - No.932
Re:930/931:ヤンと岳飛の相違点と共通点
- 投稿者:しんご
- 2000年05月26日(金) 07時11分
冒険風ライダーさんは書きました
> まあこれについては自分で調べてくださいと言うしかありませんね。議論をするにしても、ある程度の知識は必要不可欠ですから。
> 岳飛について調べたいのであれば、ネット検索を使ってみたらどうでしょうか? まあ当たり外れの格差は非常に大きいですけど(^_^;)。
どうもすんません。それはそうですね。がんばります。
でも、今回のは共通項について納得しました。ありがとうございます。
平松重之さん
> ですが、モデルの一人ではあるでしょうが、あまり大きい比重を占>ていないだろうというのが自分の考えです。
理解しました。しかし、銀英伝の主人公の一人「ヤン」は、矛盾は抱えているものの深みのある人物ですね(矛盾があるから深いのか?)。それに比べて最近の現代物の涼子さんや竜堂兄弟、その敵キャラなど、薄ぺらく感じますね。そのあたりが、最近の田中芳樹作品に私が思い入れがない原因かも・・・。
また、ROMにもどりますが、頑張ってください。機会があれば、また出てくるかも(笑)
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- board2 - No.934
Re921:軍隊蔑視思想と民主的統制
- 投稿者:優馬
- 2000年05月27日(土) 05時48分
宣和堂さん、コメントありがとうございます。
> 清以降、民国、共和国では決して軍人は蔑視の対象にはならなかったと思います。
そうですね、ただ改革解放後の「商売をする人民解放軍」という実態を見るにつけ、共和国に至っても中国に「近代兵制」が成立しているのかどうか、大いに疑問なのですが(笑)。
ここで言う「近代兵制」とは、高度な訓練を受けた専門家集団としての「軍」という意味であり、軍務に専念するかわりに政府から身分と生活の保障を受けるという近代官僚制の中での軍隊のことです。大中華三千年の歴史の中で、近代官僚制はついに成立しなかった。
> 諫官と言う制度は唐代からありますから(太宗と魏徴はその理想として書かれる)、日本に比べれば政治の暴走をチェックする機関は発達しています。
ホント、偉大なるかな、隋唐の黄金時代! 中国を「中華」と呼んで何人も依存のない黄金時代・・・。実際、諫官といい、科挙の制といい、中国史はその時代においては隔絶して進んだ制度を生み出しています。でも、それを千年後もそのまんま使っているってのはどんなもんかと・・・。偉大な先祖の遺産を食いつぶすドラ息子?
諫官と言う制度も、皇帝の官吏の一部でしかないのですから、民主的統制の手段としては非常に限界があります。新潟県警に対する管区警察局長の監察が「雪見酒」になってしまっていたように。
三権分立のように、権力を担う部門を分け、かつ相互に監視・牽制しあうという「チェック・アンド・バランス」のシステムは、権力の暴走を防ぎ民主主義を制度的に担保する、すぐれた知恵です。
日本は、明治維新のときに近代兵制を含む近代官僚制を導入しましたが、権力の分立によるチェック・アンド・バランスはついに導入しませんでした。後発途上国の余裕の乏しさで、「分立と均衡」という、一見ムダっぽく見えるシステムを持つという選択ができませんでした。そのため、献身的で能率的なすぐれた官僚制度(軍を含む)を持つことができたものの、その暴走を止めることができず、破局にまで突っ走ってしまいました。
銀英伝の「同盟」の政治状況って、実は一番戦前の日本に似ています。近代的な軍隊があっても立法府の影が薄く、感情的な政治論理が横行するという点で・・・。作者もかなり意識して書いていると思う。
とすれば、ヤンのイルゼローン攻略は満州事変ですな。僥倖により思わぬ大魚を得て、のちの冒険主義的作戦から亡国につながっていくという点で。そうすると、ヤン・ウエンリーは、同盟の石原莞爾?
それともイルゼローン攻略=真珠湾攻撃で、ヤン=山本五十六でしょうか?
- 親記事No.929スレッドの返信投稿
- board2 - No.935
Re: はじめまして
- 投稿者:小村損三郎
- 2000年05月27日(土) 12時28分
Magariさんは書きました
> しかし、私にとって田中芳樹最悪の小説といえば何と言っても隋唐演義です。なにしろ高い。しかもつまらない。金庸の武侠小説を差し置いて買っただけに怒りも倍増です(それはヤツアタリだ(^^;)。
ただ、アレはカバーのイラスト、デザイン等装丁は良い仕事してますので、5巻揃えるとお部屋のインテリアとしては結構イイ感じになります(笑)。
中身は他の本と取り替えたくなるけど。
- 親記事No.671スレッドの返信投稿
- board2 - No.936
Re: Xファイル
- 投稿者:小村損三郎
- 2000年05月27日(土) 12時29分
バタネンさんは書きました
>
> あにめ源氏物語でヒカル源氏やったはず。
あったあった。
たしか大原麗子が藤壷だった(笑)。
- 親記事No.906スレッドの返信投稿
- board2 - No.937
些末なことですが
- 投稿者:本ページ管理人
- 2000年05月27日(土) 19時17分
> 日本の場合は殺生行為や動物の皮を剥ぐ仕事などを異端視し、排除しようとする「穢れ」という考え方が軍隊蔑視思想の元になっていて、これは神道に基づいてできたものです。この伝統的な考え方に基づく偏見によって日本では軍隊が蔑視されているので、その軍隊の実態が公明正大であろうが何だろうが関係ないわけです。自衛隊に対する非難なども、その大半は偏見と誤解に基づくものです。
>
これはちょっと違うのではないでしょうか。
もしこの通りだったら、超時代的に日本では軍隊蔑視が無ければありませんが、本格的に軍隊蔑視なのはせいぜい平安時代と現代くらいなものでしょう。
元寇の北畠親房の件は、例えるなら貧乏なドイツ人が金持ちのユダヤ人に「ちくしょー寄生虫のクセに~」と言っているようなものではないでしょうか。
- 親記事No.906スレッドの返信投稿
- board2 - No.938
ヤンの人物像への岳飛の影響度は?
- 投稿者:平松重之
- 2000年05月27日(土) 19時28分
冒険風ライダーさんへ
> これは「攻める」と「守る」の差から出てきた相違点でしょう。
> 岳飛の理想は「宋の国土回復」「金の討伐」であり、金に攻めこまなければ理想が実現できなかったのに対して、ヤンの理想は「民主主義の擁護」で、これは別にどこかに攻めこまなければならないものではなく、守れれば良いものなのです。つまり岳飛の理想は攻撃的であり、ヤンの理想は防御的なのです。岳飛は常に対外強硬路線を主張し、ヤンは平和共存路線を選ぶという行動路線の違いはこの違いから生まれたものでしょう。
> また、ヤンも岳飛も共に「利権あさりの政治家」を蔑視していましたが、岳飛の「宋の国土回復」は単純明快にそれのみに熱中する事ができ、それを妨害している(と岳飛の目に映っている)秦檜やその他の文官たちを、別に制度のしがらみなどを特に考える必要もなしに罵る事ができたのに対して、ヤンの「民主主義の擁護」の場合はシビリアン・コントロールのヤン的解釈である「軍人は政治に口を出さない」という理念まで守らなければならず、ヤンは自らの「信念」である「民主主義の擁護」からいっても、政治の場では常に政治家を立てなければならなかったのです。だからこそヤンは、岳飛と違って内心で政治家をどれほどまでに蔑視し、愚劣な思考法に閉口していても、あくまで政治家に従おうとしていたわけです。それが実は本来の「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」から言っても間違った考え方であるとも知らずに。
> 岳飛が追い求めたものは「宋の国土完全回復」という「政治的結果」であり、ヤンが守ろうとしたのは「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」などといった「制度の理念」です。この違いからある程度ヤンと岳飛の行動の乖離が出てくるわけです。
> このあたりは両者の思想の根本自体が全く違う事から起こる相違点ですから、むしろ違って当たり前でしょう。しかしそれらが影響しない性格や行動原理においては、前回述べたように両者には結構共通項があるというわけです。
しんごさんにもお答えした通り、自分も岳飛がヤンのモデルの一人であるという考えは否定していません。ただモデルだとしても大きな比重は占めていないだろうと考えています。冒険風ライダーさんはヤンと岳飛の両者の政治的、歴史的立場を抜きにして性格や行動原理の共通項について言及されていますが、自分も両者の政治的・歴史的立場を考慮に入れずに二人の人物像について単純に比較を行い、「主戦派の岳飛」「和平派のヤン」という二人のイメージが重ならなかったので、前の通りに書いたのですけど、岳飛の人物像がヤンのキャラクターにどれほどの影響を与えているかと言うのは意見の分かれるところでしょうね。また、両者の政治家や官僚に対しての態度ですが、ヤンにとって自らのシビリアン・コントロールに対しての認識が足かせになっていたのは確かですね。この点については、ヤンと岳飛の立場の違いを考えなければならなかったでしょう。迂闊でした。
> それともうひとつ言っておくと、ヤンは確かに岳飛に比べれば敵対勢力との共存を考えた上で戦略を立てていますが、帝国との共存を考えているからといってヤンの戦略が現実的であるという証明にはなりません。
自分もヤンの帝国との共存を前提とした戦略が必ずしも現実的であるとは思っていません。冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、ラインハルトの好悪の念に訴えて民主主義を存続させようという考えには、危なっかしいものを感じますが、ただ岳飛に比べてヤンは(良きにしろ悪しきにしろ)妥協する事が出来るという点において大きな違いがあると思います。
それにしてもヤンのシビリアン・コントロールの認識についての議論だったはずが、いつの間にかヤンと岳飛の共通項についての議論になってしまっていますね。(原因は自分にもありますが(^^;))そろそろまとめに入った方がいいかも…。
- 親記事No.906スレッドの返信投稿
- board2 - No.941
ケガレ思想
- 投稿者:小村損三郎
- 2000年05月28日(日) 02時01分
本ページ管理人さんは書きました
> > 日本の場合は殺生行為や動物の皮を剥ぐ仕事などを異端視し、排除しようとする「穢れ」という考え方が軍隊蔑視思想の元になっていて、これは神道に基づいてできたものです。この伝統的な考え方に基づく偏見によって日本では軍隊が蔑視されているので、その軍隊の実態が公明正大であろうが何だろうが関係ないわけです。自衛隊に対する非難なども、その大半は偏見と誤解に基づくものです。
> >
>
> これはちょっと違うのではないでしょうか。
冒険風ライダーさんが紹介した思想は井沢元彦氏が日本人の思考・行動を規定する
「ケガレ思想」
の典型例として主張しているものですが、確かにやや強引な理屈でおいそれとは賛同できません。
“「軍人蔑視」は部落差別と同根のもの”
というのが井沢氏の主張の大元なんですが、やはり少々飛躍し過ぎという気がします。
> もしこの通りだったら、超時代的に日本では軍隊蔑視が無ければありませんが、本格的に軍隊蔑視なのはせいぜい平安時代と現代くらいなものでしょう。
そもそも
「超時代的に日本では軍隊蔑視があった」
のなら、昭和の初めには何故あんなに軍人が威張っていたのだろう、という素朴な疑問があるのですが、これについては井沢氏は『逆説の日本史』の昭和編で書くそうですので、楽しみにしたいと思います。
(何時になるか分からないけど(^^;))。
現代の極端な「軍隊蔑視思想」の理由も単純に
「戦前・戦中の軍部の横暴の記憶に対する過剰なアレルギー反応」
で十分説明できると思うんですがね。
> 元寇の北畠親房の件は、例えるなら貧乏なドイツ人が金持ちのユダヤ人に「ちくしょー寄生虫のクセに~」と言っているようなものではないでしょうか。
北畠親房は後醍醐天皇の腹心で、南北朝時代の人です。(「大日本は神国なり」の『神皇正統記』の著者)
貴族の間に武士(軍人)蔑視が厳然と存在することは間違いないでしょうが、元々武士は貴族の「番犬」だった訳だから、この時代の公家の差別感覚は
「元は使用人のくせに大きな顔をしやがって」
という歴史的な経緯に基づく理由の方が大きいのではないでしょうか。
勿論「武士(サムライ=侍う)」の誕生自体にケガレ思想の影響が無いとは言えないでしょうが、他国の宗教的タブーのように行動の一切を縛り付ける程の物とも思えません。
現に北畠親房は息子の顕家に甲冑を着せ、馬に乗せて戦争をさせています。
>「我々がひたすら天に祈ったおかげで神風が吹いて元寇が防げたのだから、武士に恩賞をくれてやる必要はない」などと主張していた公卿
については寡聞にして知らないのですが、この時期(承久の乱・得宗専制体制確立以後)の朝廷と鎌倉幕府の関係はつかず離れずの並立状態のようなもので、一方が一方に恩賞を与える、という種類のものではなかったでしょう。(直接戦った御家人達への恩賞については言うまでもない。むしろ朝廷の手で勝手に武士達への恩賞など与えられては幕府の方が困ってしまう。幕府のアイデンティティそのものの否定ですから。
源頼朝が義経を断固排除したのを見れば分かる)
- 親記事No.906スレッドの返信投稿
- board2 - No.942
Re937/938/941:岳飛の影響とケガレ思想
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年05月28日(日) 08時22分
>平松さん
<自分もヤンの帝国との共存を前提とした戦略が必ずしも現実的であるとは思っていません。冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、ラインハルトの好悪の念に訴えて民主主義を存続させようという考えには、危なっかしいものを感じますが、ただ岳飛に比べてヤンは(良きにしろ悪しきにしろ)妥協する事が出来るという点において大きな違いがあると思います。>
ヤンの思想のひとつに「信念否定論」「価値相対主義」というのがあります。だから岳飛のように「敵を全否定して殲滅する」という考え方を嫌悪していた形跡があります。それにヤンはラインハルトを「理想的君主」として尊敬していましたし、その政治の成果を高く評価していました。だからこそヤンは帝国との共存を望んだのでしょう。これがルドルフだったらどうなっていた事か……。
一方の岳飛は自分の「信念」である「宋の国土回復」が絶対に正しいと確信していた上、金王朝を「討伐すべき夷狄蛮戎」としか見ていなかったのですから、敵と妥協をする気など全くなかったわけです。だからこそ金との和平を望んだ秦檜と徹底的に対立した挙句、罪をでっち上げられて殺されてしまうのですが。
「モデル」だの「パクリ」だのといっても、別に全てを模倣する必要もないわけで(「モデル」がたったひとりだった場合でも)、共通点もあれば相違点もあるのは当然なのではないでしょうか。私もそれに基づいて「ヤンと岳飛には共通項が多い」と主張しているのですが。
<それにしてもヤンのシビリアン・コントロールの認識についての議論だったはずが、いつの間にかヤンと岳飛の共通項についての議論になってしまっていますね。(原因は自分にもありますが(^^;))そろそろまとめに入った方がいいかも…。>
というよりも、ヤンのシビリアン・コントロールについての認識が間違っていて、ヤンは民主主義下における軍人の義務を全く果たしていないという私の主張に対して誰一人として反対意見を出してこないので、現状では「ヤンのシビリアン・コントロールの認識」についての議論は成立しようもないのです(T_T)。
私としては反対意見を楽しみにしているのですが、誰かヤン擁護の立場に立って反論してくれないものやら。
>ケガレ思想
これは井沢元彦氏も主張している事ですが、「穢れ」というものには殺生行為などだけではなく「汚い(と見られる)手段での金儲けや政治手法」などもその範疇に入ります。典型的なものが「政治家の汚職行為」や「政治的マキャベリズム」に対する蔑視感と嫌悪感ですね。
昭和における日本で軍人が威張るようになった理由は、もちろん大日本帝国憲法における構造的欠陥である「統帥権の独立」が字面通りに解釈され、抑えが効かなくなってしまった事が第一の理由ですが、それ以外にも当時の軍人が政治家に比べて「清潔」であると見られていたからであるという事情があります。
大正時代に日本が次第に議会制民主主義に近づいていき、普通選挙権が成人男子全てに与えられるようになると、それにともなって多額の選挙資金が必要となり、財閥などから資金提供を受ける政治家が多く出てきたのですが、それを「汚職」「政治家の腐敗」などと見なして「清潔な政治を実現しよう」という考え方が民衆や軍人の間で支持されるようになったのです。そして当時の軍隊は「清廉潔白」だの「品行方正」だのと見られていましたから、それに伴って軍人の方が政治家よりも国民から支持されるに至ったわけです。
そもそも「汚職」という言葉自体が「ケガレ思想」の表れでしょう。何しろ「汚い職権行為」と書くくらいなのですから。しかし政治の世界において「清廉潔白」がどれほどまでに危険なシロモノであるのかは、戦前の日本や、銀英伝における同盟の救国軍事会議クーデターなどの事例を見れば一目瞭然です。「ケガレ思想」はこれが全く見えなくなるから困ったものなのですが。
ちなみに明治・大正においても、やはり軍隊はどちらかと言えば蔑視されていました。何しろ当時の大日本帝国議会における民党(自由民権運動の政党)は、当時の国際情勢を全く顧みる事なしに常に軍縮を唱えていましたし、大正デモクラシーも自分達が主張していた軍縮を実現させるために行ったものです。しかし普通選挙制を実現した結果、まさか彼ら自身が「穢れ」と見なされる事になってしまうとは思わなかった事でしょう(笑)。これは「歴史のパラドックス」とでもいうべき話ですね。
>小村さん
<北畠親房は後醍醐天皇の腹心で、南北朝時代の人です。(「大日本は神国なり」の『神皇正統記』の著者)
貴族の間に武士(軍人)蔑視が厳然と存在することは間違いないでしょうが、元々武士は貴族の「番犬」だった訳だから、この時代の公家の差別感覚は
「元は使用人のくせに大きな顔をしやがって」
という歴史的な経緯に基づく理由の方が大きいのではないでしょうか。
勿論「武士(サムライ=侍う)」の誕生自体にケガレ思想の影響が無いとは言えないでしょうが、他国の宗教的タブーのように行動の一切を縛り付ける程の物とも思えません。
現に北畠親房は息子の顕家に甲冑を着せ、馬に乗せて戦争をさせています。>
正確には「貴族は軍隊蔑視と現実との必要性との二律背反に常に悩まされていた」というものでしょうか。
軍隊蔑視思想は常に現実との妥協を迫られるものです。いくら理念や思想に基づいて軍隊を蔑視・否定したところで、現実問題として軍隊は必要不可欠です。だから「しかたないからしぶしぶ軍隊の存在は認めてやるが、最終的には否定する」という考えだったのではないでしょうか。
これはヤンにも全く同じものが見られまして、いくら「民主主義の理念」にヤンが忠実であったとしても、現実問題として「民主共和政体」が滅んでは困るから、しぶしぶながら「民主共和政体の存続」のために戦う、といったものと構造的に同じものなのではないでしょうか。
-
- board2 - No.943
一つ質問
- 投稿者:デスクリムゾン
- 2000年05月28日(日) 18時59分
優馬さんのを見ていて一つ思い出したんですが、昔聞いた話で、中国軍は膨大な兵力を持っているけど、輸送能力がほとんどないので朝鮮戦争みたいな陸続きの時は強いんだけど、日本みたいな島国には攻め込めないんだよ、と言うのを思い出しました。コレってほんとなんですかねー。どなたか知っている人がいたら教えていただきたいんですが。
- 親記事No.943スレッドの返信投稿
- board2 - No.944
はじめまして
- 投稿者:佐原十郎
- 2000年05月29日(月) 03時21分
いつもROMしております。投稿は過去ログ読み終わって
からと思ってましたが(実は読み始めたばっか)
いっこだけ。
デスクリムゾンさんは書きました。
>昔聞いた話で、中国軍は膨大な兵力を持っているけど、
輸送能力がほとんどないので朝鮮戦争みたいな陸続きの
時は強いんだけど、日本みたいな島国には攻め込めない
んだよ、と言うのを思いだしました。
10年前にくらべると格段に向上しているでしょうが
基本的にはホントです。
中国から日本に攻めてくる場合、兵員・装備をのっける
艦艇と補給物資を運ぶ船が必要で、補給物資は継続的に
送らねばならず(歩兵1個師団で一ヶ月4・5000t
必要との計算があります。10個師団で4~5万tですね)
それだけで大量の船舶を必要としますし。
何といっても問題は、海軍力の貧弱さでしょう。兵員にしろ
物資にしろ海を渡るわけですから輸送船の護衛をしなければ
なりませんが対潜能力・対空能力が貧弱で航洋性にとぼしい
中国海軍では輸送中にかなりの船が沈められる事でしょう。
(相手がフィリピン海軍ではいざしらず。海上自衛隊はかなり
の能力を持ってますし。)
制空権にしても一部のロシア製新鋭機を除けば、性能的に
いまいちでなんといっても航続距離が短い(滞空時間が短い)
と言う欠点があり制空権を握るのは難しいでしょう。
結果的にはたとえ上陸してきても補給物資が途絶えて立ち枯れ
。そして現地調達して恨みを買った上袋叩き(ん、どっかで
見たような?)と言うところでしょう。
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- board2 - No.945
Re937ケガレ思想と日本人の軍隊観
- 投稿者:優馬
- 2000年05月29日(月) 05時47分
冒険風ライダーさま。
> 昭和における日本で軍人が威張るようになった理由は、もちろん大日本帝国憲法における構造的欠陥である「統帥権の独立」が字面通りに解釈され、抑えが効かなくなってしまった事が第一の理由ですが、それ以外にも当時の軍人が政治家に比べて「清潔」であると見られていたからであるという事情があります。
> 軍隊蔑視思想は常に現実との妥協を迫られるものです。いくら理念や思想に基づいて軍隊を蔑視・否定したところで、現実問題として軍隊は必要不可欠です。だから「しかたないからしぶしぶ軍隊の存在は認めてやるが、最終的には否定する」という考えだったのではないでしょうか。
> これはヤンにも全く同じものが見られまして、いくら「民主主義の理念」にヤンが忠実であったとしても、現実問題として「民主共和政体」が滅んでは困るから、しぶしぶながら「民主共和政体の存続」のために戦う、といったものと構造的に同じものなのではないでしょうか。
そうするとやはり「同盟」は戦前の日本なのかもしれないですね。
ヤン・イレギュラーズなどという非民主的政権に希望をつなぐという倒錯は、二・二六事件の青年将校に対して国民世論の澎湃たる支持があった一件を想起させます。実際、反乱を起こして一国の政府高官を暗殺した連中を、あろうことか陸軍首脳は無罪放免にしようとして昭和天皇を激怒させてしまったくらいです。
軍は政治家より清潔、軍の中でも「純粋な」青年将校はもっと清潔、という、「ケガレ思想」に強固に支えられた発想がなければ、このような狂気の沙汰の振る舞いはありえないわけで、戦前の政治史の骨格には、間違いなく私たちの「隠された宗教意識」=「ケガレ思想」が存在すると思います。
ヤンの振る舞いは、「日本的軍隊忌避思想」と考えるとよく理解できます。「なんの因果で軍人なんてものになっちまったんだろう」というヤンのボヤキは、一見ユーモラスでありますが、一国の興亡を双肩に担った重大人物の発言としては、これほど心寒いものはありません。謹んで「亡国提督・ヤン」と呼んでさしあげましょう。
ところで「同盟」が亡国の戦争を止められないメカニズムには、もう一つの「日本教」である「御霊信仰」が関連していると思いますが、いかがでしょうか?
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- board2 - No.946
Re942/945:ヤンの性格と思想
- 投稿者:平松重之
- 2000年05月30日(火) 03時06分
冒険風ライダーさん
>「モデル」だの「パクリ」だのといっても、別に全てを模倣する必要もないわけで(「モデル」がたったひとりだった場合でも)、共通点もあれば相違点もあるのは当然なのではないでしょうか。私もそれに基づいて「ヤンと岳飛には共通項が多い」と主張しているのですが。
自分にとってヤンの「いやいや軍人なのに不敗の名将」というキャラクターの特異性は結構印象深いものがあったのですから、どうもそのあたりの印象が岳飛と重ならなかったので前回の通り主張していたのですが、冒険風ライダーさんのご主張は理解しました。
優馬さん
>ヤンの振る舞いは、「日本的軍隊忌避思想」と考えるとよく理解できます。「なんの因果で軍人なんてものになっちまったんだろう」というヤンのボヤキは、一見ユーモラスでありますが、一国の興亡を双肩に担った重大人物の発言としては、これほど心寒いものはありません。謹んで「亡国提督・ヤン」と呼んでさしあげましょう。
横レスですいません。ですが、誰でも重い責任を背負い込むはめになれば、この様な愚痴をこぼしたくなるのかもしれません。ヤンの場合はなりたくないのに軍人になって重責を背負ってしまったのですが、自ら志願して軍人や政治家になった人も、私的な場で愚痴をこぼしたりする事があるのではないでしょうか。ヤンもその様なボヤキは、聞かせる対象は身内(ヤン・ファミリー含む)に留めていますし、公的な場では一応の責務を果たしています。ヤンにとっては公私をわきまえての結果としてのボヤキだと思うのですが…。