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- board2 - No.451
Re:補足など
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月22日(水) 18時08分
> レッドサン・ブラッククロス
一応補足しますと、この世界でも「反ユダヤ主義」そのものが無いわけではありません。「結果として」パレスチナ強制移住から、イスラエル建国を許すことになってしまった、という設定です。それからこの作品では日露戦争から歴史改変を行っていますから、40年代のこの世界は史実とは大分状況が違います。
こちらも説明不足で申し訳有りませんが、作品名を挙げて批判する以上は、とりあえず読んでからにしたほうがよいと思いますが。
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- board2 - No.452
人類の罪
- 投稿者:北村 賢志
- 1999年12月23日(木) 05時14分
冒険風ライダーさんは書きました
>だいたい自分たちがこれまで何百種類の動物を
>絶滅させてきたと思っとるのかな。それで自分
>たちは絶滅するのがいやというわけじゃ、ふ
>ん!、リョコウバトやニホンオオカミが絶滅し
>たがっていたとでもいうのかね
アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。
しかし個人的にこれについては疑問があります。何故なら人類が人類である以上「原罪」を無くすことはできないため、多くの場合で話が破綻するか、ご都合主義を採らねばならなくなるからです。
一応、作品で示されるラストとしては
1.人類を滅亡させる
実例 「デビルマン(原作)」、「マーズ」、「メギドの火」等
「原罪」をストーリーの根幹に据えれば必然的な結果です。ストーリー自体は破綻しませんが、一般受けするものではありません。
ちなみに実例としてあげた三作品はどれも連載を始めた時点で、作者(永井豪、横山光輝、つのだじろう)はラストまで考えておらず、「原罪」を描いている内に達した結論が「人類滅亡」になったそうです。
巨匠ならではということでしょうか。
2.主人公に全てを背負わせ犠牲にする
実例 「宇宙の騎士テッカマン」「無敵超人ザンボット3」等
「原罪」そのものは全く解決しませんが、安直な救いがないので個人的には好きな結果です。特にテッカマンの
「環境破壊で滅亡寸前の地球から、仲間達が第二の地球に向けて旅立つ時間を稼ぐため、敵の総攻撃に対し、テックセットが解けた瞬間に確実な死が待っていることを承知で突撃する」
というラストシーンは名作です。
ただこのタイプは最近、滅多に見かけません。
3.何はともあれめでたしめでたし
実例 「高速戦隊ターボレンジャー」、「ビーファイターカブト」等
「環境破壊」等のテーマに対する具体的な解決策は何ら示されず、敵を倒して話がハッピーエンドで終わるというやり方です。
子供向け番組では致し方ないかとも思いますが、安直な感は否めません。
4.全く無意味
実例 「幽々白書 仙水編」、「仮面ライダーBLACK RX」等
「原罪」を出した、ただそれだけ。解決策はおろか、何の救いも示さない。
まあ要するに「作り手は何も考えてなかった」ということです。
特にRXはひどかったのを覚えてます。
最終回「輝ける明日」にて、いきなりクライシス皇帝の口から「怪魔界が滅びつつあるのは地球の環境破壊のため。つまり真の被害者は怪魔界の方である」という事実が示されつつ、それに対しRXは問答無用で皇帝を倒し(!)、怪魔界を50億の民(反クライシス帝国派も大勢おり、RXも何度か助けられたことがありました)もろとも消滅させ(!!)、それで地球に帰って大団円(!!!)というとんでもないものでした。
これでは一体、何のために「環境破壊」など出してきたんでしょう?
5.実は人類は悪くなかった
実例 「モスラ対ゴジラ(平成版)」、「ウルトラマンガイア」
環境破壊などを採り上げつつ、最後に「真相は違った」として人類を免責するやり方。
非常にご都合主義で「原罪を描きつつ人類を免罪する」ための「苦肉の策」という気がします。
6.環境破壊を行うのは一部の「悪い人間(大企業や悪徳政治家が一般的)」であって、大部分の人間は被害者である
実例 「宇宙猿人ゴリ」、市民団体の主張は大概これです
昔の作品では仕方ないでしょうが、東京湾の汚染の最大原因が民間の生活排水だという現実からすれば、最近の作品で取り上げられると正直いやな気がします。
7.自然に帰れ
実例 「ヴァンパイア(手塚治虫)」、「機動武闘伝Gガンダム」におけるマスターアジア等
これをやるには世界人口を激減させばなりませんから、アニメなどで取り上げられるのは、基本的に悪役側の主張です。
8.「原罪」があるからこそ生きる価値がある
実例 「勇者警察Jデッカー」、「戦国魔人ゴーショーグン小説版『はるか海原の源へ』、『狂気の檻』」、「大と大」等
私利私欲や環境破壊も全て「人間が生きる」ことの一環である。
そう言ったモノを全て無くしてしまえば、それはもはや「人間」ではない。従ってそれらを背負いながら人間は生き続けねばならない、というものです。
前向きな結論なので個人的には好きです。
9.主人公を決定的に挫折させる
実例 「太陽の牙ダグラム」
理想社会を目指した主人公達を現実が情け容赦なく踏みつぶし、結局「理想は現実に砕け散る無力な存在」に過ぎないというもの。
人間ドラマのリアルさを追求するとそうならざるを得ない、とも言えます。
まるきり前向きではないのですが、これも好きです。
結局の処、「人類の罪」というものは所詮「人類の価値観」に過ぎません。
つまり「原罪をもって人類を否定する」のは「人類の価値観で人類を否定する」わけであり、自家撞着は避けられません。
作り手がそこを理解していないと話が破綻してしまいかねないにも関わらず、最近はエコロジーブームに乗ってか安直な話を量産するので、かなり以前に取り上げた「ファンタジー世界で民主主義」同様、うんざりすることが少なくありません。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.453
RE451 そこが、駄目なんです
- 投稿者:速水右近
- 1999年12月23日(木) 12時50分
「この作品は日露戦争から……」そこが、駄目なんですよ。まず肝心の、弄っていく過程がほとんど欠落しているではありませんか。
そして正しいとか間違いではなく、「そこまで歴史を弄って書かねばならない作品か」というのが最初に感じてしまうんです。
結局、史実を上手いこと弄って、日本とドイツを(安心して?)戦わしたいというのが、見え見えなのです。あれだけ弄れば、「この作品世界では豚が空を飛んでも……」不思議ではありませんね。
それに彼の大陸書房から出した「シミュレーション」には、同様な御都合主義満載で、読んでいて失笑を禁じ得なかったですよ(これは断じて、「小説」ではありませんね)。
小生には、佐藤やファンのそういう甘ったれた考えこそが、歴史を冒涜していると思えるんですよ。
もっとも小生が「レッドサン」を例としてあげたのは「売れ行き」に関してであって、「内容」は個人的な感想を纏めただけだったはずですが。
むしろheinkel氏。「内容」について以上に、どうして途中で文庫(書き下ろし)からノベルズになったのかという小生の考察への感想のほうを伺いたかったですけどね。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.454
Re: 横レス(SF設定など)
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年12月23日(木) 13時56分
毎度、仕立て屋です。
お二人の議論に横は入りしますが、お許しを。
まず最初に、タイムトラベルの設定に関するわたくしの考えを述
べておきます。わたくし的には次元トラベルと言いたいところです
が。
歴史円環ということで、例えば、正常な科学の発展によってある
科学者Aがタイムマシンを発明したとします。それ以降、タイムマ
シンによるタイムトラベルは一般市民のごくありふれた娯楽となり
ます。ある一般市民のタイムトラベラーCがいつものように過去へ
のタイムトラベルを楽しんでいたところ、タイムマシンが故障して
しまい、ある次元の地球に不時着してしまいます。そこでCは、偶
然、タイムマシン原理を考案する20年前の科学者Aに出会います。一計を案じたCは壊れたタイムマシンをその時代の科学者Aに診て
もらい、修理してもらうことにしました。こうしてタイムマシンの
実用は20年早まることになりました。
上記例を問題の創竜伝の場合に当てはめてみると、タイムトラベラ
ーCが竜堂兄弟、科学者Aが黄帝、タイムマシンを故障させてタイ
ムトラベラーCと科学者Aを出会うように仕向けたのが漢鐘離とい
うことになるでしょうか。タイムマシン発明の時期は、タイムトラ
ベラーCが科学者Aと遭遇した結果20年早まり、それがタイムト
ラベラーCの一般的な歴史世界においてはタイムマシンの正式な発
明時期であるならば、当然、原因となったタイムマシンの故障が発
生しなければ歴史が変わってしまうのですから、偶然にせよ誰かの
意図にせよタイムマシンの故障は必然事項となります。従って、創
竜伝の場合、漢鐘離の行為は正当と言えるかもしれません。
しかし、以上の論理には問題があります。最初に上でわたくしは
「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明し
たとします」と述べました。つまり、タイムマシンによってタイム
トラベラーCと科学者Aは過去において接触を持たなかったと最初
に仮定しているのです。この場合、当然本来ならば、タイムマシン
の発明は史実よりも20年後でなければなりませんが、これは
「タイムマシン発明の時期は、タイムトラベラーCが科学者Aと遭
遇した結果20年早まり、それがタイムトラベラーCの一般的な歴
史世界においてはタイムマシンの正式な発明時期である」という事
項と矛盾することになります。よって辻褄をあわせるには「正常な
科学の発展によってある科学者Aがタイムマシンを発明したとしま
す」という最初の仮定を変更する必要があります。タイムマシンの
発明は正常な科学の進歩をもとにしたものではない、というように
変更しなければなりません。しかし、論理的に「タイムマシンの発
明は正常な科学の進歩をもとにしたものではない」というのがおか
しいのは言うまでもありません。原因が結果であり、結果が原因で
あるというのは論理的にありえないからです。通常の感覚では、時
間的に原因があってその後に結果が生じるというのが普通の順番で
しょうが、時間遡求という概念によってこの常識を覆し、結果、一
見して歴史円環というパラドックスができあがったかに見えます。
しかし、純粋に結果は原因から生じるものであると考えれば、いく
ら時間を遡求してみせても、結果を生じさせるには必ず原因という
”起点”が必要であり、上の場合では「正常な科学の発展によって
ある科学者Aがタイムマシンを発明したとします」という基準がな
ければ、結果、タイムマシンの発明が20年早まる、という事象も
生じ得ないはずです。従って、そもそも歴史の円環なるパラドック
ス自体成立しえないというのがわたくしの考えです。わたくしの考
えでは、「正常な科学の発展によってある科学者Aがタイムマシン
を発明したとします」の世界のトラベラーCと、「タイムマシン発
明の時期は、タイムトラベラーCが科学者Aと遭遇した結果20年
早まり、それがタイムトラベラーCの一般的な歴史世界においては
タイムマシンの正式な発明時期である」の世界のトラベラーCは別
人(パラレルワールドにおける同一人物)であり、前者が後者の世
界の円環(実は円環になっていないのだが)に入り込むことは不可
能です。逆に後者が予定調和的に歴史を全うしようと、勇んで過去
にタイムトラベルする必要はなく、それは前者のCがやってくれる
ことなので、後者のCは泰然とかまえておればよいのです。また、
この際前者のCは、過去への干渉によって自らが立つ世界の歴史が
変わってしまうのを恐れる必要はなく、ただ後者のCの存在する世
界が新しく生まれるだけの話です。
話がだいぶ逸れましたが、創竜伝の場合、わざわざ作中世界の竜堂
兄弟が予定調和を完成させるべく時を遡る必要はなく、別次元の竜
堂兄弟が作中世界の竜堂兄弟に替わってやってくれるはずです。
仙界が人界と別次元でその干渉を受けない世界だとすると、作中の
人界(作中の竜堂兄弟が存在する世界)を生み出すために、漢鐘離
はどこか別次元の人界に存在する竜堂兄弟を使ってその人界の過去
に干渉したはずです。つまり、この行為は作中の人界に対しては必
然ではあるけれども、結果を生み出した基準となる別次元の人界に
対しては、立派な”干渉”と言えるでしょう。これはある世界(次
元)が存在するか否かの問題であり、歴史が変わるか否かの問題で
はありませんが、仙界による人界への”干渉”であることは間違い
ないでしょう。
以上はわたくしの考えを踏まえて述べましたが、歴史円環の考え
方の是非を別としても、田中センセによる歴史円環パラドクスの採
用の仕方には問題あり、と考えます。だって”干渉”は干渉ですも
ん。そういう意味で冒険風ライダーさんの仰ることにも一理ありと
思います。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.455
Sukoshi Fushigiな設定の解説
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年12月23日(木) 17時20分
仕立て屋さん・ドロ改さんの時間SFパラドックスの説明は素晴らしいのだが、それでもビギナー中のビギナーは「理解出来ない」という人がいるかもしれない。
そういう場合は本屋で「ドラえもん」3巻と5巻を買い、「あやうし!ライオン仮面」「ドラえもんだらけ」の回を読むか、或いは「キテレツ大百科」の2巻、航時機のエピソードをお読みになっていただきたい。
ドラえもん生誕30周年にちなみ、無理に絡めました(笑)。
でも、マジに分かりやすいタイムパラドックス説明になってるよ!
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.456
間ね。
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月23日(木) 21時22分
> このへんはちょっとズレがあるようです。私にとってはどちらも本質的な氏のスタンスは同じと考えています。
「銀河英雄伝説」もエスエフ風味冒険小説であり、主人公のかっこよくかつ正当な暴力を表現することにより現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なりと認識しています。
そういう意味では「創竜伝」は「銀河英雄伝説」より出来が悪い(おそらくはより社会をしらない方向けの)社会風刺風味冒険小説であるものの、両者の本質は一緒ではないかと思っています。
本質を突き詰めればそうなるのでしょうが、ここではその「出来の悪さ」について説明しているのですから、重視すべきは外見上の体裁でしょう。その体裁が「出来の悪さ」に関係していると思いますから。
「同じコンビニの海苔弁と鮭弁で、どうしてこんなに味が違うのか」と論じているところに、「両者の本質は弁当であり、客の空腹を満たして代金を得るためのものである」と言われても困ってしまいますよ。
あ、いや、先にタナカ・デイリーストアの販売戦略について論じているところで、弁当の味について語ったこっちが悪いですね。
私も本質は同じだと思います。
それにしても「現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なり」、・・・ロコツですねー(*^^*;
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.457
Re: 最近人気のファンタジーとの比較
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月23日(木) 21時31分
どうも、はじめまして。説明ありがとうございます。
> 「十二国記」について
> これは中国神話をもとにしっかりとした設定のファンタジーでして、ホワイトハートということでジュビナイル小説なんですが、かなりハードですよ。田中作品とはちょっとダブりませんねぇ。
前に例に出されていた方がいたので、多少重なっているのかとも思っていました。
> 「デルフィニア戦記」について
> これはアルスラーンとかなりダブります。西洋っぽい世界を舞台にした架空歴史小説になるかな。テイストとしては、アルスラーンからキャラだけ抜き取った感じ(笑)水滸伝風にどんどん人材が集まってくるところとか、ひねくれたキャラ同士で皮肉のやりとりをするところとか、戦闘が一騎打ちできまるところとか、勧善懲悪なところとか。ちょっと同人誌ノリが強いのでその辺が鼻につきますが。
創竜伝は好きだけどアルスラーンが小難しいという人はこっちに行くと思う。
アンチテーゼの提供ではなくて、同様の趣向を用意するのもまた「奪う」ことにもなりますが、アルスラーンが小難しいと感じた人が行き着いてあの人気ですか・・・。まあ、難しければいいってものでもないんですけどね。
> しかし田中氏の表現方法はいい加減あきます。特に皮肉系キャラは同じ価値観、同じ語彙で喋るから別作品のキャラクターと入れ替わっても気付かないでしょう(笑)
耕平&来夢は希少な例外だと思う。とくに来夢、願わくば、大人になっても「皮肉系キャラ」にはならないでほしい・・・。
佐藤氏の場合、特に最近の作品ではコブシが回りに回って充実していますね。「連邦」のキャラなんかいい味だしてます。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.458
再び、ノベルズについて
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月23日(木) 21時55分
> 「この作品は日露戦争から……」そこが、駄目なんですよ。まず肝心の、弄っていく過程がほとんど欠落しているではありませんか。
そして正しいとか間違いではなく、「そこまで歴史を弄って書かねばならない作品か」というのが最初に感じてしまうんです。
結局、史実を上手いこと弄って、日本とドイツを(安心して?)戦わしたいというのが、見え見えなのです。あれだけ弄れば、「この作品世界では豚が空を飛んでも……」不思議ではありませんね。
豚が空を飛んでロンドンを爆撃したり、ティーガーに乗ってソ連軍を迎え撃ったりする漫画もありますし。
先にも書いたとおり、「仮想戦記」とは書きたい場面が先にあるものですから、そう見えるのが当然です。結局のところ、足つきジオングを作って喜ぶ心性と変わらないもので、あまり高尚な趣味とも思えませんので、ことさら理を唱えて反論することはしませんが。
> それに彼の大陸書房から出した「シミュレーション」には、同様な御都合主義満載で、読んでいて失笑を禁じ得なかったですよ(これは断じて、「小説」ではありませんね)。
小生には、佐藤やファンのそういう甘ったれた考えこそが、歴史を冒涜していると思えるんですよ。
「藤大輔」名義で構成をしている漫画なども、さらにぶっ飛んでますけど、これらは所詮遊びです。歴史に対する冒涜という点では、むしろまじめな歴史書の体裁をとってろくでもないことを書いている本の方が罪は重いと感じます。
> もっとも小生が「レッドサン」を例としてあげたのは「売れ行き」に関してであって、「内容」は個人的な感想を纏めただけだったはずですが。
むしろheinkel氏。「内容」について以上に、どうして途中で文庫(書き下ろし)からノベルズになったのかという小生の考察への感想のほうを伺いたかったですけどね。
これが本題ですね。私も内容についてではなくて、批判手法について書いたつもりです。
まず、ノベルズに関する考察については、あらかた的確だと思います。そのような出版の状況もあるのでしょう。「レッドサン」もその範疇で語れることだと思います。
では他の形態はどうなのかという疑問もありますが、先の投稿はこの状況分析に対する反論が主題ではありません。
まさにファン論争とも関わってくることだと思いますが、先の投稿で言いたかったことは、つまり「甘えることの出来る状況」と「状況に甘える作家」の問題は、厳密に分けてしかるべき、ということです。
まして「状況に甘える作家」の例を出して「甘えることのできる状況」を批判するには当たらないと考えて、その反証として「銀英伝」や「クズなハードカバー」を持ち出したのですが、実際「銀英伝」は古いにしても、今でもその「甘えることの出来る状況」から作家が育つこともある話でしょう。またそのような状況で真摯に作品を書いている作家もいるでしょう。
鶏と卵の話で言えば、「作家」が始まりであると「考えるべき」です。
その逆として、「甘えることの出来る状況」で具体的な「状況に甘える作家」及び作品を説明するのもまた違うと思います。
前にも書いたような気がしますが、例えば小室サウンド隆盛を、音楽業界においてミリオンヒットといえば、かつて広い世代で支持されたものであったのが、現在では、ある特定層に集中的に売れているものになっている、そのような状況下におけるマーケティング手法で説明することは間違いではない。しかしこれでは結局「小室サウンドとはなにか?」についてはなにも語っていない、と思うのです。
つまり、個別の作品に対する評価を行うのに、背景となる状況を強調しすぎるのは、かえってマイナスであると考えるわけです。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.459
Re452/454/455:まとめレス
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年12月24日(金) 06時01分
>北村さん
<アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。>
ゲームの方にも結構そういったものはありますよ。FF7では「神羅」という大企業が「ミッドガル」という大都市を維持するための環境破壊に対して、主人公達がレジスタンス的な抵抗をするという描写がありますし(北村さんの定義では「6」にあたります)、最近発売されたPSソフト「グローランサー」では、フェザリアンという種族が「仙界」と全く同じような人間批判を行い(さすがにアレほどひどくはありませんが)、それに対して主人公達が反論していくという描写があります(「8」ですね)。
創竜伝の場合、ストーリー設定に従うと「5」ないしは「6」が一番妥当な結論になるはずなのですが、全くそうなっていないし、「仙界」の人間蔑視論に対する対応ないし説得は、当然「8」になって然るべきなのが、これまたそういう流れになっていないんですね。そのくせ、あんな人間批判を展開する「仙界の連中」は、人界に対する「仙界」の文明(超テクノロジー)の優越を誇示しているし、「自分たちの制定した基本方針を無視してまで」タイムマシンを悪用していますしね(笑)。
結局のところ、創竜伝の人間批判は「4」に分類されざるをえませんね(それも無責任さという点では北村さんが出したRXの例に近いような気がしますが)。「仙界の人界干渉」の件も結局うやむやのまま終わっていますし、一体アレは何のために出してきたのでしょうか? ストーリー破綻に貢献しているだけだと思うのですが。
<しかし個人的にこれについては疑問があります。何故なら人類が人類である以上「原罪」を無くすことはできないため、多くの場合で話が破綻するか、ご都合主義を採らねばならなくなるからです。>
<結局の処、「人類の罪」というものは所詮「人類の価値観」に過ぎません。
つまり「原罪をもって人類を否定する」のは「人類の価値観で人類を否定する」わけであり、自家撞着は避けられません。
作り手がそこを理解していないと話が破綻してしまいかねないにも関わらず、最近はエコロジーブームに乗ってか安直な話を量産するので、かなり以前に取り上げた「ファンタジー世界で民主主義」同様、うんざりすることが少なくありません。>
そうですね。実は私が創竜伝のストーリーで一番腹を立てた思想のひとつが、この「人間の原罪思想」なんですよ。この思想を突きつめると、結局のところ「1」の人類滅亡のような結論しか導き出せないのですから。
だから私も、この手の問題提起では「8」のような思想が一番好きですね。創竜伝にもこういう描写があったら、もうすこし何とかなったのではないかと思うのですけどね~(-_-;;)。
>仕立て屋さん
<創竜伝の場合、わざわざ作中世界の竜堂兄弟が予定調和を完成させるべく時を遡る必要はなく、別次元の竜堂兄弟が作中世界の竜堂兄弟に替わってやってくれるはずです。>
この部分を読んでふと思ったのですが、そもそもタイムマシンを使った目的が「竜堂兄弟に過去を見せる」というものであったのですから、素直に「当時の竜種に黄帝の手助けをさせ、それを竜堂兄弟がタイムマシンから見ている」という描写にでもしておけば、タイムマシンを使った描写も何ら問題なかったと思うのですけどね~。当時の竜種は一体何をしていたのでしょうか(笑)。
それにしても、つくづく竜堂兄弟って寛大だと思いますよ。かつて創竜伝2巻で、レディLに操られた鳥羽靖一郎に騙された時には、「操り人形にすぎない鳥羽靖一郎」に対してアレほど侮蔑混じりの評価を叩きつけたくせに、タイムマシンの「騙された件」では「騙した張本人である漢鐘離」の行動を全く問題にしていないというのですから。
おそらく彼らの判断基準では「主犯」よりも「従犯」の方が罪が重いのでしょうね(笑)。創竜伝全体でも、下っ端悪役が一番ひどい目にあっていますし(笑)。
>新Q太郎さん
<ドラえもん生誕30周年にちなみ、無理に絡めました(笑)。
でも、マジに分かりやすいタイムパラドックス説明になってるよ!>
「ドラえもん」でいうのならば、映画版「ドラえもん・のび太と竜の騎士」の方が良くはありませんかね? 絶滅寸前の恐竜を地下に避難させる描写が、ドロ改さんと仕立て屋さんのいう「円環時間の概念」に結構近かったような気がするのですが。こちらはレンタルビデオ屋で簡単に借りられますし(笑)。
しかし「ドラえもん」のタイムパラドックスの設定は分かりやすいというのには賛成ですね。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.460
人類の罪を歌った名曲
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年12月24日(金) 12時47分
> アニメや漫画でもこういった環境破壊や私利私欲といった「人類の罪」(以下、便宜上「原罪」と呼びます)を採り上げたものは結構あります。
「♪ウヒヒッ、ウヒヒッ、ウヒヒのヒ
そんなに 嫌うな 俺たちは
欲に狂った 人間どもの
心が生んだ ろくでなし……」
てな歌を歌いながら怪人たちが踊りまくる「コンドールマン」の悪役も、人間の現在を鋭くえぐっていたのかもしれません。
-------------------
「私は毎週毎週、コイツらの中継だけで30分終わってくれないかなって思ってましたよ。もう、コンドールマンが出てくるのがすごくイヤで。」
「モンスタ―一族にはゴミゴンもスモッグトンもいtるし、ヘドロンガ―もいる。ああ、なにもかもがあの時代の俺の青春だった。って、そこまでいうか、俺は(笑)」
以上、唐沢なをき「怪獣王」より。
しかしわれながら、最近意味ないレスが多いのう。原罪のはなしはどこ行った。
-
- board2 - No.461
ちょっとおじゃま
- 投稿者:sryima
- 1999年12月25日(土) 03時27分
過去ログを読んでの感想です。
「嘆き節」
・・・失礼しました(笑)
氏が大人向けの本を書きたいとおもうのは当然です。50代で若いひと向けの本を書くのはやはり辛いと思うので。同世代の作家さんも方向転換したひとが多いですし。
この方面で還暦を越した作家は本当に稀です。
ただそれが成功するかは?です。ちょっと得手不得手がありすぎますよね。作品としてのバランスが危うくなりがちなのはそれゆえではないか。それを考えると・・・。
あと、いままで出ていない問題として、氏は「SFは絵だねえ」という意味での「絵」を書くのが非常に苦手なのでは?ということです。
散漫になってしまった・・・。
ではまた。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.462
「仙界」は否定されるべきだったのではないでしょうか
- 投稿者:北村 賢志
- 1999年12月25日(土) 04時55分
冒険風ライダーさんは書きました
>「仙界の人界干渉」の件も結局うやむやのまま
>終わっていますし、一体アレは何のために出し
>てきたのでしょうか? ストーリー破綻に貢献
>しているだけだと思うのですが。
件の部分では結局のところ
「竜堂兄弟は『人間』として仙界をソデにせねばならなかった」
と思います。
実は最初に読んだとき、てっきり仙界の連中に対し
「あんたらも人間と同じだ!偉そうに説教されるいわれはない!」
とでも最後に言うのだとばかり思ってたので、首をひねってしまいました。
確かこの巻のラスト近くで「世界は天才よりも凡人が造ったほうがいい」と主張していたはずですし、また銀英伝でも「凡人が天才を待ち望む心理」を何度も述べてたはずなんですが、結局その「凡人が造った世界」をあんなにあっさりと否定してしまうから、話のつじつまがあわなくなるのでしょう。
- 親記事No.433スレッドの返信投稿
- board2 - No.463
Re462:アンチテーゼが示されない事こそが問題
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年12月26日(日) 14時36分
<件の部分では結局のところ
「竜堂兄弟は『人間』として仙界をソデにせねばならなかった」
と思います。
実は最初に読んだとき、てっきり仙界の連中に対し
「あんたらも人間と同じだ!偉そうに説教されるいわれはない!」
とでも最後に言うのだとばかり思ってたので、首をひねってしまいました。>
実のところ、「仙界の連中」と人間って、考え方がそれほど違わないんですよね。人間を「争いを好む種族」と蔑んでいる彼らだって、殷周革命の際には牛種を止められずに「愚かな争い」に荷担していますし、「天界」の特権階級である「仙界」が、よくまあ「選民思想」など批判できるなと感心したものですよ。人間に道徳を説教する割には、彼ら自身が全く道徳的ではないというところが何とも……。第一「超テクノロジー」をひけらかしながら「環境問題」だの「文明批判」だのをやられても全く説得力がないのですが(笑)。
まあ私はストーリーの道筋から言えば、「仙界」が人界に干渉しても良かったと思うのですよ。ただし私の場合、竜堂兄弟が「仙界の人間蔑視論」に対して明確な反論ないしはアンチテーゼを提示し、さらに「仙界の無責任」を批判した上で「仙界」を説得するという描写があることが最低必要条件ですけどね。
しかしいずれにせよ、竜堂兄弟はなぜここで「仙界の人間蔑視論」に対する明確なアンチテーゼを提示しなかったのか、理解に苦しむところですね。それどころか、彼らは「仙界の連中」の尻馬に乗って人間批判を展開するありさまですし。銀英伝で言えば、ヤンがラインハルトに追従して「専制政治万歳!」を叫ぶようなものですよ、これは。
こんな支離滅裂な描写、小説としては論外だと思うのですけどね~。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.464
Re: 458 何か誤解されているのでは?
- 投稿者:速水右近
- 1999年12月26日(日) 17時41分
heinkel氏へ
おっしゃらんとすることは承知できますが、何か勘違いされているのでは?
小生は「銀英伝」や「創竜伝」、そして「レッドサン」という個々の作品ではなく、ノベルズ全体のあり方について疑問を提示したのです。帰省の直前で長々とは書けません(書いているやないけ!)が……。
>「甘えることの出来る状況」と「状況に甘える作家」の問題は、厳密に分けてしかるべき、ということです。まして「状況に甘える作家」の例を出して「甘えることのできる状況」を批判するには当たらない……
「状況に甘え」ているのは、作家だけではないでしょう。その「状況」を取り巻いているのは、編集者であり、読者でもあるんですから。
「厳密な区分」など、できるのでしょうか?
その「状況」も、結局は人為的なものだと小生は考えていますがね(もうこうなると、価値観の相違だけになっちゃいますけど)。
ともかく一時の邦画界では「不況にならないと映画が流行らない」から不況を期待した制作者がいたり、中小の出版社では「ウチの本は売れない。つまりいい本を出している」とのトホホな考えをした編集者までいたそうですから。
ろくでもない奴は、どこにでもいると言うことですか。
・佐藤大輔について
佐藤大輔のファンには、本当にユニークな方が多いですね。ここで彼を批判するのは場違いなので止めておきますが、かつて残間里江子女史が浅田彰について語った言葉で締めておきましょうか。
「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。
私は、あの顔が嫌いだ」
本年の小生の書き込みは、これで最後です。
管理人氏、冒険風ライダー氏、不沈戦艦氏、Heinkel氏。そして皆さん、良いお年を。
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- board2 - No.465
ちなみに
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年12月27日(月) 15時53分
> ・佐藤大輔について
> 佐藤大輔のファンには、本当にユニークな方が多いですね。ここで彼を批判するのは場違いなので止めておきますが、かつて残間里江子女史が浅田彰について語った言葉で締めておきましょうか。
> 「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。
> 私は、あの顔が嫌いだ」
>
> 本年の小生の書き込みは、これで最後です。
> 管理人氏、冒険風ライダー氏、不沈戦艦氏、Heinkel氏。そして皆さん、良いお年を。
主題とは関係ないようですが、一応名前出されましたのでお返事です。
速水右近さん、よいお年を。
まあ私個人の事を書くと、佐藤大輔はそんなに好きでもないです。どっちかと言うと横山信義ファンですね、私は。佐藤大輔について論じるページではないとは思いますが、ちょっと脱線ついでに。
「征途」はそこそこ面白かったと思いましたけど、どうも他はクドすぎるのであまり趣味じゃありません。「読んでいて疲れる」が正直な感想です。「レッドサンブラッククロス」も、人道云々別にしても、「戦争に至る日独の対立点」、ってのがあまり実感的じゃないので、「レッドサン」に限らず日独戦ものは「嘘がうまくない」と思ってしまうので、あんまり関心ないですね。ヒトラーはヨーロッパロシアを欲しがっていただけ。仮に戦争に勝っても、アジアまで来るか、って言うとかなり疑問だと思いますので。逆に日本はヨーロッパの戦いに介入するつもりも国力もありませんでしたし。対立点があるとは思えないので。
まあ、佐藤大輔の顔は私にとってはどうでもいいですけどね。
「不沈戦艦」なんて名乗っていますから架空戦記ファンなのは解りきってると思いますけど、架空戦記ファンだからと言って、全部が全部佐藤大輔ファンではない、とは言っておきましょう。別に嫌ってはいませんけどね。