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投稿ログ84 (No.1346 - No.1359)

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board2 - No.1346

Re: 創竜伝のファンなのですが、、、

投稿者:モトラ
2000年09月03日(日) 13時32分

はじめまして。

>「喧嘩が弱かったので、悪を弁舌で倒すシーンにあこがれた
> (これらの科白は小学校時代にいちゃもんをつけられたとき、
>  ここぞとばかりに愛用していました。)」
>というものです。
>はっきりいって、ずいぶん危険なことをしていたのかなあ
>とおもいました。

確かにあの毒舌は、実生活で使うと非常に危険なシロモノです。あれは4兄弟が不死身の肉体を持っているからこそ可能なんです。普通ならああいう言辞を叩きつけたが最後、時に相手に殴り倒され、時に友人を失い続ける毎日でしょう。以前指摘されていましたが、田中芳樹は暴漢に襲われたら「そこをおどき、恥知らず!」とおっしゃるのかもしれませんが。

>で、石井由助さま及びこの掲示板に出入りする方への質問
>(と、いうか意見をもとめるといったほうが適切でしょうか)
>なのですが、中学生が創竜伝を読むにあたって、
>なにか気をつけておくべきことや、こんなことも考えたほうがいい
>ということはありますでしょうか。
>なにせ、ココの記事を読んでいたら心配になってしまって。
>(でも新しい事実に気づかせてくださったことには感謝しています)

中学3年生で、そこまで「わかって」いらっしゃるなら、なにも心配することはないでしょう(わが身を振りかえると…恥)

そうそう、昨日買ったオートバイ雑誌「ビッグマシン」9月号、コーナリング上達法特集巻頭の辞(柏秀樹・文)が、ことバイクに限らず、田中芳樹に限らず、読書にあたっての心得、またファンの方々の、このページとの接し方の参考にもなりそうですので、抜粋して紹介します。

さて、本編を読み進めるにあたり、注意していただきたいことがある。これまで自分でやってきたことと異なることが書かれてあったとしても否定的に解釈しないことだ。もちろん私も他を否定しない。肝心なことは「素」の自分に戻り、すべてを率直に受け入れ、実践し、楽に出来て、栄養になりそうなものを優先すればいい。

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board2 - No.1347

Re: 艦艇数

投稿者:とっしー
2000年09月03日(日) 14時39分

松緒耕治さんは書きました
> 佐原十郎さんは書きました

> ただこの理屈では一隻の損失は一兵卒の戦死に等しいわけですから、司令官は一隻単位の損失まで把握する必要はないし出来もしないと思うのです。しかし実際は「戦艦○○通信不能」「巡航艦○○破壊されました」というオペレーターの報告もあるので、そこらへんが食い違ってしまいます。

 この辺り、私も以前気になったんです。
 ですが国民軍登場以前の軍事システムを田中芳樹がモデルにしたのならば、納得できます。
 確か駆逐艇の個艦単位での喪失や動向が艦隊司令部まで報告されたことは無かったと思うんです。これを前提にしますと(つまり例があると崩壊する程度の仮説です)

 戦艦/空母/巡航艦 → 侍大将、騎士
 駆逐艇      → 足軽、雑兵

 でイメージすれば雰囲気は理解できます。もともと士官が貴族の寡占下にあった設定の帝国軍はともかく、同盟軍がこれでは考証上ちょっと拙いだろうとは思いますけど(^^;
 (ちなみに、これだと軍艦の格付けがまるきり帝国海軍です)


> またもう一つの難点として「階級」のことがあげられます。例えばユリシーズのニルソン艦長は中佐で彼の部下は200人に満たなかったと思いますが、少なくとも准将になると数百隻の艦を率いることになりますよね。(査問会からイゼルローンに向かうヤンへの援軍としてそれくらいの数の艦隊を率いる准将が二人いたと思います。)すると佐官と将官との間には統率する兵力に数百倍という著しい差があるわけですがこれは軍隊としては問題ですよね。さらに艦長クラスから司令クラスへの昇進はかなり困難でしょうから士気の点からみてもあまり宜しくないでしょう。ニルソン中佐なんてあれだけ頑張って昇進なしですからねえ。
> このへんに関しての説明・意見など是非お聞かせ下さい。

 同盟全体の総人口は130億だそうです。 で、このうち軍隊が確保している人的資源はどれくらいでしょうか?
 アムリッツァ戦役時、同盟軍は3000万の将兵を動員しています。8個艦隊を動員し(他の傍証から推察するに推定兵力1200万強)、その支援要員として2000万弱が必要になったとします。軍隊における後方要員の全体に占める割合は増大の一途を辿っていますので、まぁ同盟軍の組織としての構成もこんなものでしょう。
 この仮定ですと、同盟は12個艦隊の兵力を維持していましたので同盟軍全体でおよそ4800万。各星系固有の警備隊(陸戦要員含む)、星間巡視隊など全て含めても、同盟軍の確保している人的資源は最大限に見積もってもせいぜい1億弱というのが妥当なところでしょう。
 これは総人口の1%にも満たない数字です。
 いつの時代でも軍隊は若い兵、精気あふれる士官を欲しますし、この程度の規模の組織ならば人的供給面で困難にあるとは思えません。
 前置きが長くなりましたが、兵や士官の現役は案外短いのではないのでしょうか?
 イスラエル軍のように上級士官以外は30代~50代程度で退役し、一般社会で第二の人生を送るというシステムになっていると考えれば、佐官級と将官級の員数における極端な違いは説明できるものと思います。
 おそらく准将にも(自衛隊の将クラスが大将級と中将級の二階級に分けられているように)何段階かあって、クラスが低いと十数隻程度の小部隊しか与えられず、高クラスの准将の指揮下に入るとかあるんじゃないでしょうか?

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board2 - No.1348

Re: 創竜伝のファンなのですが、、、

投稿者:ビュコック
2000年09月03日(日) 14時49分

若大将さんは書きました

> ちなみに当時(今も)愛読していた理由は、
> 「単純に娯楽小説としてオモシロイと感じた。」
> 「三国志(この際田中氏のそれに関する考えはぬきで)が好きだったので、中国風の味付けが気に入った」
はっきり言ってあの中国賛美は「贔屓の引き倒し」に近い代物です。しかも歴史的事実を相当曲げています。(「宦官は中国の生んだ偉大な文化だ」とか)個人的にはあれで中国を知ることはお勧めできません。

> 「喧嘩が弱かったので、悪を弁舌で倒すシーンにあこがれた
>  (これらの科白は小学校時代にいちゃもんをつけられたとき、
>   ここぞとばかりに愛用していました。)」
> というものです。
> はっきりいって、ずいぶん危険なことをしていたのかなあ
> とおもいました。
これは危ないです。「創竜伝」の場合は敵が馬鹿な竜堂兄弟よりも輪をかけて馬鹿だから論破されているように見えるだけです。小・中学生程度ならともかく、ある程度経験を積んだ大人(大学生以上)に毒舌を言ったって、あっという間にカウンター食らっておしまいです。
竜堂続よろしく「日本は先進国で唯一民衆が革命を起こして支配者を打倒しなかった先進国だ」と毒舌をかましたって「スウェーデンやノルウェーは先進国じゃねえのか?」と反撃されるのがオチでしょう。

> で、石井由助さま及びこの掲示板に出入りする方への質問
> (と、いうか意見をもとめるといったほうが適切でしょうか)
> なのですが、中学生が創竜伝を読むにあたって、
> なにか気をつけておくべきことや、こんなことも考えたほうがいい
> ということはありますでしょうか。
田中芳樹氏が書いている社会批評は全部が全部間違ってるって訳じゃないんです。2~3割は本当のことも書いてます。しかし「創竜伝」の恐ろしい所は、その2~3割の真実で残りの7~8割のウソ・誇張・偏見・左翼偏向史観を説明しちゃうという所です。全部ウソじゃないので、大上段に「これは間違いだ」と切り捨てられないんです。
読むべきときは「創竜伝」に書かれている事がすべて事実だと信じずに、他の本なども見て比較していくといいでしょう。

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board2 - No.1349

ちょっと複雑な自戒ですが

投稿者:本ページ管理人
2000年09月03日(日) 16時19分

はじめまして。このサイトを読んでいただいて、嬉しく思います。

> で、石井由助さま及びこの掲示板に出入りする方への質問
> (と、いうか意見をもとめるといったほうが適切でしょうか)
> なのですが、中学生が創竜伝を読むにあたって、
> なにか気をつけておくべきことや、こんなことも考えたほうがいい
> ということはありますでしょうか。
> なにせ、ココの記事を読んでいたら心配になってしまって。
> (でも新しい事実に気づかせてくださったことには感謝しています)

 このサイトは基本的には田中芳樹の「作家としてのありかた」についての批判です。だから、もし創竜伝の思想が右翼的保守的、または中道であろうと関係なく(たまたま左翼・革新的なだけ)、創竜伝の「作風」が同じであるならば、批判に値するものです。

 ただし、あくまでも実質「評論」の部分がある以上は、言説に責任をとらせるべきだと思うので、その批判も行います。
 田中芳樹が依拠しているのは戦後の革新思想です。ソビエト崩壊が最も端的に表しているように、戦後の思想状況は劇的に変化しています。その時代の変化に学ぶことなしに、十年一日の持論を展開しがちな革新思想(全然革新ではないですけど)を展開していれば、それは当然批判されることになります。田中芳樹が思想的に批判されている核は、その部分です(あとは論じる態度やルール破りの問題ですね)。

 創竜伝も、そのまま鵜呑みにせず、自分で噛み砕いて読めば、適度な初級論破実験台になると思います(笑) まあ、これは半分冗談ですが、本の読み方の練習としては妥当だと私は考えています。
 創竜伝だろうと、ゴーマニズム宣言だろうと、自分で噛み砕いて、必要なところだけ自分の身にするべきです。毒の部分は捨てればいいし、あるいは自分に力量があれば毒を薬に転じることを考えても良し。
(創竜伝にしろゴー宣にしろ、鵜呑みにさせようとしているのに「噛んでいる」と錯覚させようとしている部分があるのがちょっといやらしいと、私は思います。ただ、本当に噛む訓練が出来ていれば、それが判るはずです)
 それには、主義主張やジャンルにとらわれず様々な本を読むこと、なるだけ原典を読むこと、ではないでしょうか。

 まあ、本来は余計なことは考えずに「楽しむ読書」をするべき小説なのに、いろいろ余計なことを考えてしまうのが創竜伝らしいかも知れません。

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board2 - No.1350

毒舌悪口

投稿者:本ページ管理人
2000年09月03日(日) 16時29分

> 「喧嘩が弱かったので、悪を弁舌で倒すシーンにあこがれた
>  (これらの科白は小学校時代にいちゃもんをつけられたとき、
>   ここぞとばかりに愛用していました。)」
> というものです。
> はっきりいって、ずいぶん危険なことをしていたのかなあ
> とおもいました。

 もう他の方が散々書かれていることですが、田中芳樹の毒舌は「本人は毒舌のつもりでも、傍から見ると単なるギャグ(またはアブない人)」というパターンがほとんどですので、やはりお勧めできませんね。
 創竜伝みたいに下劣ではない銀英伝であっても、ジョークや悪口は演劇風(もしくは翻訳小説風)であり、現実とは乖離しています(それはそれでいいんですけど)。
 根本的に書き言葉と話し言葉は違いますからね。悪口を学ぶのならテレビでも見た方が速いと思います(身も蓋もなくてスミマセン)。

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board2 - No.1351

追記

投稿者:本ページ管理人
2000年09月03日(日) 16時44分

しつこいようですが、田中芳樹の「毒舌」やら「正論」で相手が沈黙するのは幻想です。
ほら、生きた証拠に田嶋センセがいるでしょ(笑)?
あれだけ論理丸無視、屁理屈へったくれオンリーでも、あのように勢いよくまくしたて、断定し、決めつければ、口での議論は強いんです。
もし、あれが文章での論争だったら誰も相手にしません。
朝まで生テレビで、結局何がなんだか判らないまま番組が終わってしまうのも同様ですね。
口語の世界と文語の世界は、同じ言葉でも別物だと考えるべきだと思います。

board2 - No.1352

面白そうなのでちょっと書き込み

投稿者:あんえい
2000年09月03日(日) 17時57分

自己崩壊する田中芳樹の思想 について感想を書きます。

>以前、国語の教科書に小学生の詩が掲載されようとしたことがある。これは小川の流れる水音を、「ぴるる」と表現したもので、その感性と表現性が高く評価されたのだが、文部省は掲載を許さなかった。

「びるる」という表現が詩の中での表現だということがポイントであると思います。確かに詩以外で「びるる」を使えば、日本語教育という面から、いたずらに小学生を混乱させるような表現はだめだと、却下されると思います。
しかし、詩とは独善的な世界が許されるものです。星を見て「あれは星だ」と教えることも重要でしょう。しかし詩に限って言えば「あれは宝石だ」と言ってもいい、それは自分の感じたままの表現だから、許されなければならないはずです。詩は、別して擬音語や感嘆詞に心のありのままの言葉を許した形式である以上、表現によって却下されるなどということはありえないはずです。田中芳樹はそこを批判しているのだと思います。

それと管理人さんは、「自由な表現の抑圧を非難する田中芳樹はパクリばっかりしているから論理が破綻している」とおっしゃいますが、そもそも自由な表現の抑圧とパクリとの間にはなんの相関性もありません。田中芳樹は「自由な表現を抑圧するのはいかん」と言っているのであって、「パクリはいかん」と言っているわけではありません。

>しかし、田中芳樹ほど引用や応用の多い作家が、皆と違う表現をすることを誉めるってのもねぇ

ですから、これも管理人さんの早合点です。皆と違う表現をすることを誉めているわけではなく、皆と違う表現をすることを抑圧するのを責めているのです。恐らくは田中芳樹はパクリも自由な表現も肯定すると思います。論理の破綻以前に論理自体が存在しなかったわけですね。

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board2 - No.1353

参考になります。ありがとうございます。

投稿者:佐原十郎
2000年09月03日(日) 22時57分

松緒さん、とっし-さんありがとうございます。
参考になります。

銀英伝での艦隊戦はやはり陸戦のイメ-ジなんですねえ。
やはり我々の考える海軍のイメ-ジだと混乱してしまうの
でしょうか。
書き忘れてたんですが、(バ-ミリオン会戦の時帝国軍の
記述だったと思いますが)敵の通信妨害対策の為にボ-ト
(だったかな)を多数用意した話なんかを読むと、複数艦隊
を即時指揮して迅速な艦隊戦と言うより、
第一次大戦以前の陸軍(今でもある程度そうなのかな)のよ
うに事前に時間を決めといて時間が来たら一斉攻撃みたいな
雰囲気がします。

階級については私も少ないんではないかと思ってました。
とっし-さんのおっしやる「准将にも何段階かあって」と言う
のが合理的なのかなと思います。

(関係ないんですが思い出しました、いしいひさいち氏の
鏡の国の戦争と言うマンガで、元帥をたくさん任命した国
の話なんですが、
・将軍「なんでこんなに元帥を作ったんだややこしくてしょうがない」
・副官「それについては対策を考えてありますです、ハイ」
数日後高級士官室にて。
・元帥1「○○1等元帥殿、△△二等元帥はかわやにいってまいります。」
・元帥2「オウ」
・元帥1(敬礼して)「失礼します」
・将軍「だめだこりゃ」
失礼しました。)

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board2 - No.1354

やはり自己崩壊している田中芳樹の思想

投稿者:本ページ管理人
2000年09月04日(月) 12時18分

はじめまして。

>「びるる」という表現が詩の中での表現だということがポイントであると思います。確かに詩以外で「びるる」を使えば、日本語教育という面から、いたずらに小学生を混乱させるような表現はだめだと、却下されると思います。
>しかし、詩とは独善的な世界が許されるものです。星を見て「あれは星だ」と教えることも重要でしょう。しかし詩に限って言えば「あれは宝石だ」と言ってもいい、それは自分の感じたままの表現だから、許されなければならないはずです。詩は、別して擬音語や感嘆詞に心のありのままの言葉を許した形式である以上、表現によって却下されるなどということはありえないはずです。田中芳樹はそこを批判しているのだと思います。

 教育というものは、本質的に強制(矯正)です。どんなに自由な教師の自由な教育であっても、全くの非矯正と言うことはありえません。
 「感じたままの自由な表現」を教えると言うことは、「教師にとって容認できる形での自由」の枠内でしかないのです。
 例えば、水の流れる音が

「さらさら」である。OKですね。
「ぴるる」である。OKですね。
「う、あ、あ」である。OK…ですね…?
「前蛾"摩・痼・逐楳÷」である。私にはもはや何がなんなのか判らないですが、OKなのでしょう??

 ここまで認めて、「はじめて表現によって却下されるべきではない」と言えるのです。
 さらに、小学校のどのクラスにも居そうなクソガキがこんな風に言ったとしましょう。
「竜堂先生! 俺には水の流れる音が『中国人は○○(ヤバい用語)』って聞こえます!」
 テレパシーでも持っていない限り、これが『自分の感じたままの表現』であるかないかは誰にも判りません。本当ならここでもOKしなければならないのですが、十中八九、ここで竜堂先生は物わかりのいいリベラル派という仮面をかなぐり捨ててクソガキを叱るでしょう。
 ちなみに、私はここでクソガキを叱ることに賛成です。なぜならば、叱るという「矯正」や、そんな水の流れる音はないという「強制」こそが、教育であると思うからです。しかし、自由な表現を謳う教師が、ここで叱ることは、自己矛盾の卑劣で恥ずかしい行為だと知るべきです。
 リベラル派の「自由な表現」なんてお題目は、クソガキ前衛詩人の挑発にも耐えられないような整合性しかないわけです。


 それと、本文の焼き直しですが、もう一つ。
 例えば、アメリカ人のランバートさんが留学生として日本にやってきました。
 彼は日本語の詞を書きたいと思い、日本人の先生に「日本では水のはねる音はどのように表現されるのですカ?」と聞きました。
 「詩は自分の思うままに書けばいいんだ。形式にとらわれる必要なんか無いんだよ」
 かくして、ランバートさんは日本語で水が流れる擬音が「さらさら」であると言うことを知ることは出来ませんでした。
 いいんでしょうか、これで?
 詩は別に無秩序な言葉の羅列ではないハズなんですけどね。
 確かに、「さらさら」に表現を固定化することはつまらないことです。感じるままの表現はあってもいい。
 しかし、それは「さらさら」という定型を身につけてからすればいいことですし、そもそも、「感じるままの表現」なんてものは、人が教えられる類のモノでもないでしょう。
 「感じるままの表現」を教えられるという発想自体が、第一にいかがわしいのです。なぜなら、繰り返しますが、そんな「感じるままの表現」は、教える側が認めた「感じるままの表現」でしかないからです。


>それと管理人さんは、「自由な表現の抑圧を非難する田中芳樹はパクリばっかりしているから論理が破綻している」とおっしゃいますが、そもそも自由な表現の抑圧とパクリとの間にはなんの相関性もありません。田中芳樹は「自由な表現を抑圧するのはいかん」と言っているのであって、「パクリはいかん」と言っているわけではありません。
>>しかし、田中芳樹ほど引用や応用の多い作家が、皆と違う表現をすることを誉めるってのもねぇ
>ですから、これも管理人さんの早合点です。皆と違う表現をすることを誉めているわけではなく、皆と違う表現をすることを抑圧するのを責めているのです。恐らくは田中芳樹はパクリも自由な表現も肯定すると思います。論理の破綻以前に論理自体が存在しなかったわけですね。


 以上で説明したように、「自由な表現の抑圧」を非難している、その批判自体が「自由な表現の抑圧」なのですし、その「自由な表現」とやらが様々なところで使われる「定型」と化していること自体が論理の破綻なのです。

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board2 - No.1355

Re: 反銀英伝 「大逆転! リップシュタット戦役」(35)

投稿者:不沈戦艦
2000年09月04日(月) 16時01分

 更に続き。

------------------------------------------------------------------------------

 もっともこれは、ロイエンタールと似たような形質を持っているオーベルシュタインに対し、感覚的に反発している面がかなりあることは否めない。


「しかしどうすべきでしょうな。グリューネワルト伯爵夫人をお救い申し上げなければなりませぬが、具体的にはどうすべきか。密かにオーディンに救出部隊を潜入させて奪回作戦を実施するにしても、相当な困難が予想されます。また、仮に奪回したところで、脱出の路があるかどうかという問題も」

 ケンプは、グリューネワルト伯爵夫人奪回作戦の可能性について危惧した。実際、これをやろうにも、実行することはあまりに困難である。

「しかし、それはやらねばならぬ。そうでないと、我らは手足を縛られたまま、全員で敗北の歌を奏でることになろう。その為には、誰かが帝都へ潜入し、直接現場で指揮を執る必要があるな」

 ロイエンタールは、諸提督たちを見渡した。困難な任務だが、もちろんグリューネワルト伯爵夫人奪回を命じられて、躊躇するような人間はここにはいない。問題は、誰がその任務に適しているか、ということであろう。

「この作戦は、潜入の方法、拠点の設置、奪回計画自体、脱出方法、と段階を踏んで解決せねばなりませぬ。先ずは潜入ですが、オーディンにて、手引きする者が欲しいところですな。誰か味方の人間で、敵に捕まらずに逃げ隠れしている者はいないのでしょうか?あるいは拠点にできる場所に、心当たりがある者などは」

 ミュラーの問いかけに、メックリンガーが答えた。

「確か、あの男がオーベルシュタインの幕僚にいたな。フェルナー大佐だったか。ブラウンシュヴァイク公の麾下にいたが、ローエングラム閣下の暗殺を勝手に行おうとして公爵の不興を買い、しばらく逃げ隠れした後、しゃあしゃあとローエングラム閣下に自分を売り込んだ」

「あやつか・・・・ローエングラム侯の前に出頭するまでの間は、下町に逃げ隠れしていたのだったな。奴なら拠点にできる隠れ場所も、知っているかもしれぬ。もちろん、簡単に寄る陣営を変えたような奴だから、いつ何時裏切るか解ったものではないが、さすがにもう一度裏切って、貴族連合軍に付く訳にもいくまい」

 フェルナー大佐は、グリューネワルト伯爵夫人奪回作戦を行う場合、かなり役に立つことは間違いないだろう。しかし、本当にもう一度裏切ることがないかどうか、ちゃんと見極めてからでないと、大佐を起用することは危険極まりない。しかし、この場合、フェルナーを使うのがもっとも妥当な方法だった。

「我らが参謀長どのにお縋りする、ということになりそうですな。フェルナー大佐を起用するとすると」

 ミュラーの意見を聞いて、ロイエンタールは露骨に嫌そうな顔をした。

「結局はオーベルシュタインか。まったくもって不愉快な話だ。何かといって奴の差配を受けねばならぬ、と言うのはな」

「提督・・・・・」

 ミュラーの言葉が途切れ、息を呑んだのは、そのオーベルシュタインが入室してきたからである。

「さて、卿らの自主的討論会も、何か纏まった意見でも出たところかな?」

「きさま・・・・・・」

 あらかさまに小馬鹿にしたように聞こえるオーベルシュタインの言いように、ビッテンフェルトが激発しかけるが、ロイエンタールはそれを手で制した。

----------------------------------------------------------


<以下続く?>

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board2 - No.1356

Re: やはり自己崩壊している田中芳樹の思想

投稿者:あんえい
2000年09月04日(月) 19時14分

本ページ管理人さんは書きました
> はじめまして。
 教育というものは、本質的に強制(矯正)です。どんなに自由な教師の自由な教育であっても、全くの非矯正と言うことはありえません。
>  「感じたままの自由な表現」を教えると言うことは、「教師にとって容認できる形での自由」の枠内でしかないのです。
>  例えば、水の流れる音が
>
> 「さらさら」である。OKですね。
> 「ぴるる」である。OKですね。
> 「う、あ、あ」である。OK…ですね…?
> 「前蛾"摩・痼・逐楳÷」である。私にはもはや何がなんなのか判らないですが、OKなのでしょう??
>
>  ここまで認めて、「はじめて表現によって却下されるべきではない」と言えるのです。
>  さらに、小学校のどのクラスにも居そうなクソガキがこんな風に言ったとしましょう。
> 「竜堂先生! 俺には水の流れる音が『中国人は○○(ヤバい用語)』って聞こえます!」
>  テレパシーでも持っていない限り、これが『自分の感じたままの表現』であるかないかは誰にも判りません。本当ならここでもOKしなければならないのですが、十中八九、ここで竜堂先生は物わかりのいいリベラル派という仮面をかなぐり捨ててクソガキを叱るでしょう。
>  ちなみに、私はここでクソガキを叱ることに賛成です。なぜならば、叱るという「矯正」や、そんな水の流れる音はないという「強制」こそが、教育であると思うからです。しかし、自由な表現を謳う教師が、ここで叱ることは、自己矛盾の卑劣で恥ずかしい行為だと知るべきです。
>  リベラル派の「自由な表現」なんてお題目は、クソガキ前衛詩人の挑発にも耐えられないような整合性しかないわけです。

一人の教師の私情によって、表現の是非が峻別されるのは人間が機械でない以上やむを得ないことです。クソガキが始先生に「俺には水の流れる音が『中国人は○○(ヤバい用語)』って聞こえます!」と言ったら、やはり始さんは叱るでしょう。でももしその先生が始さんではなく、他の先生だとしたら同じように叱るでしょうか? 中国人に全く関心のない先生だったら、『そう聞こえたのなら仕方がない』と言うことでしょう。少なくとも『それは嘘だ』とは言えないはずです。しかし全国の教育者の範となるべき文部省は、『それは嘘だ、そう聞こえるはずがない』と言ったのです。一人の先生がそう言うのなら分かります。始さんが私情で叱るのは、しょうがない事です。そこでは強制も打擲も先生の裁量のうちにあるわけですから、枝葉末節にいちいち文句を付けていられない。今後そのクソガキは詩を書く時に、始先生が怒るところを想像して、有り余る表現の中から辞書に載っている表現だけを使って、つまらない詩を書くでしょう。でもそれは一人の犠牲で終わる。ところが全国の教育者を代表して文部省は『それは嘘だ』と言った。このことが問題なのです。多くの教育者を始さんのようにしてしまうことになるからです。

>  それと、本文の焼き直しですが、もう一つ。
>  例えば、アメリカ人のランバートさんが留学生として日本にやってきました。
>  彼は日本語の詞を書きたいと思い、日本人の先生に「日本では水のはねる音はどのように表現されるのですカ?」と聞きました。
>  「詩は自分の思うままに書けばいいんだ。形式にとらわれる必要なんか無いんだよ」
>  かくして、ランバートさんは日本語で水が流れる擬音が「さらさら」であると言うことを知ることは出来ませんでした。
>  いいんでしょうか、これで?
>  詩は別に無秩序な言葉の羅列ではないハズなんですけどね。
>  確かに、「さらさら」に表現を固定化することはつまらないことです。感じるままの表現はあってもいい。
>  しかし、それは「さらさら」という定型を身につけてからすればいいことですし、そもそも、「感じるままの表現」なんてものは、人が教えられる類のモノでもないでしょう。

小学生が『さらさら』を知っていたなら、『ぴるる』という水の流れる音で詩の深さを知ることになり、もし『さらさら』を知らずに『ぴるる』を見たなら、『ぴるる』を水の流れる音の定型と思ったかもしれません。漫画世代の今の小学生にそんな思い違いがあるとは思えませんが、どちらにしても水の流れる音だと解るのなら、詩の勉強としてはいい結果を出したと思います。『ぴるる』と書いた小学生の見た風景が教科書を通して伝わることに擬音の存在意義があるのですから、『さらさら』と流れていない水に、『さらさら』という擬音をつけることは嘘になります。
定型とおっしゃいますが、『どっかーん』や『パチっ』や『カシャッ』は辞書にありませんよね…(多分) それでも意味が伝わるのが擬音です。『さらさら』を知らなくても、なんの支障もないと思います。表音自体に意味があるのですから。

>  「感じるままの表現」を教えられるという発想自体が、第一にいかがわしいのです。なぜなら、繰り返しますが、そんな「感じるままの表現」は、教える側が認めた「感じるままの表現」でしかないからです。
>  以上で説明したように、「自由な表現の抑圧」を非難している、その批判自体が「自由な表現の抑圧」なのですし、その「自由な表現」とやらが様々なところで使われる「定型」と化していること自体が論理の破綻なのです。

それは違います。
確かに「自由な表現の抑圧」を非難したのは田中芳樹ですが、その「自由な表現」が定型と化しているのは管理人さんの頭の中であって、田中芳樹もそれを定型と考えていると決まったわけではありません。『ある回数言われると定型と化する』と定義されていれば、それもわかるのですが…
よって自己崩壊はしません。

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board2 - No.1357

関係ないかもしれませんが。

投稿者:スノオ
2000年09月05日(火) 12時06分

論争で相手を論破する、黙らせる知識が書いてある本があります。
『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』遥 洋子著 筑摩書房
興味があったら、読んでみてください。
田中さんの文章を引用するよりは、役に立つように思います。
お邪魔いたしました。

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board2 - No.1358

Re: かなり無理があるのでは

投稿者:不沈戦艦
2000年09月05日(火) 16時16分

冒険風ライダーさんは書きました
>
>  これはすくなくともオーベルシュタインにとっては大した障害でもないでしょう。むしろオーベルシュタインの性格と志向から言えば、ラインハルトの処断を承知の上であえてブリュンヒルトを持ち出してでも自分の意見を貫き通し、「全ての責任を自分が負う」という形でロイエンタールを処断しようと謀ってもおかしくありません。オーベルシュタインには「自己保身」の発想がないですし、銀英伝8巻でもヤンを処断するために自ら「死間」の人質役を申し出たような人物です。そのような事例の数々を常に身近で見てきたロイエンタールが必要以上にオーベルシュタインの「特攻精神」を警戒しても不思議ではありません。
>  ましてや、ロイエンタールは元々「オーベルシュタインがラインハルトをないがしろにしているのではないか」と考えてもいましたし、流言によってその考えが補強された形になっています。したがってロイエンタールは、
> 「ラインハルトの意向をあえて無視し、場合によってはラインハルトを拘束・幽閉してでも、オーベルシュタインは自らを犠牲にして自分を葬る策をなりふりかまわず強行してくるのではないか」
> と考えていたのではないでしょうか。
>

 ちょっと論理が強引過ぎますよ。それに、「帝国の存立の為、何がなんでもロイエンタールを処断せねばならない」って、どこにその必然性があるんでしょうか?帝国に敵対しているヤンじゃないんですよ、ロイエンタールは。新領土総督の地位に就けているのですから、皇帝自身はロイエンタールを信頼している、って事はロイエンタールには解るでしょう。例え内心にラインハルトへの不満があるにしても。

「何が何でもロイエンタールを処断する必要があるのだ」と、オーベルシュタインが好き勝手をやった後に、ラインハルトを納得させる事は無理でしょうね。その場合、ラインハルトが回復したら「無用な混乱を起こした」と、オーベルシュタインは処刑されてしまう可能性が高いと思います。逆に考えれば、そんな無謀なことをするほど、オーベルシュタインは阿呆ではないから、する訳もない、ということになります。ロイエンタールも阿呆ではないのなら、その程度のことは解る筈です。「オーベルシュタインなら、我が身を犠牲にしても・・・」といったところで、まだロイエンタールを殺せない内に、皇帝が回復したらどうするのでしょう。その時点でオーベルシュタインは処刑。殺さなければならない筈のロイエンタールは生き残り、「無謀な企てを行ったオーベルシュタインは処刑した。卿の罪は問わぬので帰順せよ」と皇帝が命令したら、ロイエンタールは従うのではありませんか?大嫌いなオーベルシュタインはもういないんですから。この場合、ロイエンタールは殺せずにオーベルシュタインだけが殺されてしまうのですから、何にもなりませんよ。「オーベルシュタインは目的の為には手段を選ばない。自分の命さえも平気で費やそうとする」にしても、肝心の目的が達成できるかどうかが、「皇帝の健康」のみ(不健康な方が望ましい)にかかっているんじゃ、そういう企てをするオーベルシュタインは単に無謀なだけです。今度は「オーベルシュタインは救いようのない阿呆」って話になってしまうと思いますが。

 それと、「オーベルシュタインが皇帝の偽物を使うかも知れないと、ロイエンタールが邪推した」ってのも、根拠は全くない、冒険風ライダーさんの想像だけの話ですよね。オーベルシュタインがその手の謀略を行ったって実例が、銀英伝の中にありましたっけ?記憶にないんですが。「ロイエンタールの叛乱を肯定的に説明する為、無理な話を創作している」ようにしか思えないんですが、どう思います?






>
>  このあたりはやはり「皇帝の権威」と「ハイネセン行幸の勅命」を盾にしてハイネセンまで騙し騙し航行させるしかないでしょうね。特に「勅命」さえあれば、仮にラインハルトを「偽者ではないか」と疑ったとしても、艦長や乗員を黙らせる事は充分に可能でしょうし、そもそも皇帝と軍務尚書相手に、艦長クラスの人間が直接疑問を述べるというのはかなり難しいのではないでしょうか。「納得しないが黙って任務に従う」という結果で落ちつくのではないかと思いますけど。
>  まあこれは影武者の素質によってもある程度左右される問題ではあるのかもしれませんが。
>

 いかに似ている影武者を用意したところで、「獅子」と称されるような皇帝の偽物を、本物と思わせるのは先ず無理ですよ。特に、本人を良く見ている人間には。旗艦の艦長を騙すのは不可能だと思いますね。それに、ローエングラム王朝では、軍人の資質としては「自らの保身より、義務や忠誠の方を尊ぶ」という傾向があると思いますせんか?「皇帝の偽物と知りながら、見て見ぬフリをする」ような人物が、中枢にいるとは思えませんけど。「あれはおかしい。皇帝陛下ではない」と公言する人間ばかりになってしまうのではないでしょうか。オーベルシュタインがそれを解らない筈もありませんし、「偽物を使う」説は、これだけでも無理があると思います。



>
> 銀英伝9巻 P103上段~下段
> <ロイエンタールは、かなり辛辣な政略的観察のできる男ではあったが、ラングがロイエンタールに「知らせる」ため、誇張と捏造をおこなっているとは気づかなかった。彼は本来、武人であって、叛乱が支配者にとってはマイナス要因であるという観念があった。最初から鎮定を条件とした叛乱の誘発――という発想はなじみにくいのである。そもそも、ロイエンタールは用兵には自信があったし、皇帝と自分との信頼関係を損ねようとする動きに平静でいられようもない。さらには、ラングという人物に対する先入観もある。ラングは皇帝を内心で尊敬してもおらず、ロイエンタールに対して害意をいだいている、という先入観である。しかも、その先入観は正しかった。ラングの策に、結果としてロイエンタールが乗せられたゆえんであった。>
>
>  この引用から私は、
> <ロイエンタールには「叛乱が勃発する事は支配者にとってはマイナス要素にしかならない」という考え方があって、そのために「ラングによる『意図的な叛乱の誘発』という陰謀を見抜く事ができなかった」>
>  と述べていたのであって、これは「ロイエンタールが謀略に疎い」という事を意味しているわけではありません。
>  ロイエンタールが危険視していたのは「自分に叛逆を誘発させる謀略」ではなく「自分が『叛逆者』としてのレッテルを貼られて一方的な理由で処断されてしまう」ことなのであって、オーベルシュタインを必要以上に警戒していたのも、そのような事態に陥る事を恐れての事なのです。前者は実際に叛乱が勃発するのに対して、後者は言いがかりによる粛清です。そしてロイエンタールの謀略対策は全て後者の警戒から出発しており、前者については「マイナス要因である」という発想から全く考えてはいないのです。これは「謀略に疎い」のではなく「相手との発想が違う」ことによって生じた問題でしょう。
>  また、この考え方からいくと、ロイエンタールは「実際に叛逆を起こす」という手段を、むしろ「オーベルシュタインの謀略に対する最後の切り札」であるとさえ考えていた可能性もあります。だからこそ、ロイエンタールがマイナスであると考えている「叛乱の誘発」を意図していたラングの策に引っかかってしまったのではないでしょうか。
>


 まあ、「ロイエンタールが謀略に疎い」は誤解だと解りましたけど、

>「自分が『叛逆者』としてのレッテルを貼られて一方的な理由で処断されてしまう」

 って、何を恐れているのか訳が解りません。何でも漢帝国成立後みたいに、功臣を次々と粛清する、って話になるばかりじゃないと思いますので。このような恐れを抱いているというだけで、ロイエンタールは阿呆としか言いようがないでしょう。何しろ、「実際に叛乱を起こせば、確実に粛清される」んですから。多分「まだ戦って死ぬ方がマシとロイエンタールは考えたのだ」と冒険風ライダーさんは反論するのでしょうけど、「叛逆者としてのレッテルを貼られて、一方的な理由で処断されてしまう」可能性はほとんどないと思われますので(皇帝の偽物があり得ない以上、皇帝が健康であって自主判断で動いているのはロイエンタールには解る)、理由としては無理筋です。



>
>  確かにその通りで、戦場内においてはミッターマイヤー軍も相手軍に対する通信妨害を行う事が可能ですから、ロイエンタールが指揮統制できるのは各部隊に戦闘開始命令を下すところまでで、一旦戦闘が開始されたら、戦っている部隊が安全圏まで撤収を完了したという報告を受諾するまでロイエンタールは何も情報を把握できなくなってしまいます。そのあたりにやや問題がないわけではありません。
>  これを打開する方法としては、あらかじめゲリラ戦を行う諸部隊に本格的な交戦を避けるように徹底的に叩きこんでおく事、連絡用シャトルを大量に用意して部隊間連絡をやり取りする事、ミッターマイヤー軍を監視している別の待機部隊から戦況を報告させる事などが考えられますが、報告にタイム・ラグが生じたりシャトルが撃墜されたりする危険性もありますから、どれも決定打とは言えないのが実状ですね(T_T)。
>  ゲリラ戦に関しては、とりあえず無能ではないであろう戦術指揮官の手腕に期待するしかなさそうな所が、この作戦最大の弱点であると言えますね。部隊間連携が取れるかどうかは非常に微妙な所です。
>

 それと、戦争ってのはなかなか予定通りに行くものではない、ということですね。精密なものであればある程。多数の部隊を、敵の進出予想ライン上に待機させ、次々と襲わせる、なんて精密過ぎる作戦ですよ。しかも指揮統制は遠方から行うのでは。

>部隊間連携が取れるかどうかは非常に微妙な所です。

 どころの話ではなく、ほとんど不可能時を成し遂げようとしているだけと思われます。



>
>  同盟領を掌握している側がある程度有利に立てる例としてはマル・アデッタ会戦の事例があります。いくら航路図を掌握しているとはいえ、迎撃側があらかじめ自分にとって有利なところで待ち構えていたら、地の利は迎撃側に傾くという事をあの会戦は証明しています。特に「待ち伏せ」攻撃などについてはロイエンタール軍の方が先手を打つことができるのではないかと。ミッターマイヤー軍に「待ち伏せ攻撃」を警戒させれば、それだけである程度行軍を遅らせる事も可能ですし。
>  補給基地についても同様で、あらかじめ先に掌握している側の方が補給物資を始めに使う事ができますし、相手側が補給基地を奪取しようとすれば、事前に補給基地を爆破して相手側に補給をさせないという事だってできます。
>  ロイエンタールが行おうと考えていた作戦はゲリラ戦中心で行われるものですから「同盟領内における星系の地形を利用する事ができる」という事が重要なのです。ただ通信に関しては前述の通り「一旦戦闘が開始されたら間接把握までが限界である」という弱点があるのが実状なのですが。
>

 マル・アデッタの件は、出してくるだろうと思ってましたよ。それに対しては「特殊例を一般化してはイケマセン」がお返事ですね。戦略的にも意味がない星系である、ってのは本編でも書かれていたと思いましたが、そうですよね。あの戦いは、ビュコックの命を掛けた挑戦に、ラインハルトが応じただけなんですから。「武人の意地」以外、特に戦う理由はなかったのですし。それに、そんなに「地形」を利用できる星系って、ありましたっけ?他に。ブラックホールをヤンが利用した戦いはあったとは思いましたけど、それ以外はちょっとねぇ・・・・・

 また、「待ち伏せ」に関しては、前方に警戒用の艦艇を配置していない艦隊があると思います?敵の領内で。通信途絶になっただけでも、本隊に警報を発する事ができる訳です。先ず「待ち伏せ」は難しいのではないかと思いますけどね。艦隊を隠す場所でもない限り。宇宙の話ですよ、これは。草むらは建物の中に潜んでいる訳ではなく。




>
>
> >平松さん
> <ロイエンタールもこの叛逆は無謀であったとは思っていたようです。九巻(ノベルズ版)のP150からP152にはエルスハイマーに彼が叛逆への荷担を拒否した事を明記した書状を手渡していますし、その後に自分でも「度しがたいな、吾ながら……」と言っています。いわば明哲な理性で押さえつけられていた激しい感情が「ウルヴァシー事件」を発端とする一連の事件で一気に開放されたという事であり、この図式は「人間が心の内部に抱え込んでいる矛盾の発露」の表現として受け入れられるのでは?単なる阿呆と決め付けるのはどうかと思いますが。>
>
>  それだけではダメなのですよ。不沈戦艦さんがこのスレッドにおいて何度も言っているように、ただ単にロイエンタールが自らの個人的感情だけで周囲の状況を顧みず暴発したという理由だけでは「阿呆」と決めつけられてもやむをえないところです。私自身、ラインハルトの感情に基づく行動原理や、ラインハルトの感情をアテにしたヤンの「不確かな戦略」などを批判しているくらいですから、その点に関してはむしろ不沈戦艦さんと同意見なのです。
>  ただしラインハルトの行動と違って、ロイエンタールの叛乱に関してはそれ以外の要素でもある程度の説明ができるのではないかと考えるからこそ、私と不沈戦艦さんとの間で論争が展開されているわけです。
>  つまり一連の論争は「個人的感情に基づく暴走という動機だけではロイエンタールは阿呆でしかない」という前提のもとに、「それだけが動機ではないし勝算もある程度はあった」という事を論点として争っているわけですから、失礼ながら平松さんの仰っている事は少々見当ハズレなものではないでしょうか。


「ただ単にロイエンタールが自らの個人的感情だけで周囲の状況を顧みず暴発したという理由だけでは「阿呆」と決めつけられてもやむをえないところです。」

 これは冒険風ライダーさんの言う通りです。平松さんの言いようでは、まるでロイエンタールは今どきの「キレル」中学生みたいじゃないですか。突然ナイフを振り回したりするような。「ストレスが溜まってそうなったのだから、理解してあげようよ」と言われても、「しつけと教育がなっていなかったからでしょ。それではタダの阿呆。それこそ戸塚ヨットスクールにでも放り込んで一から叩き直すべき」という以外、正直いって返す言葉がないです。

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board2 - No.1359

Re:ロイエンタールのオーベルシュタインとラングへの認識

投稿者:平松重之
2000年09月06日(水) 05時12分

不沈戦艦さん

> 「ただ単にロイエンタールが自らの個人的感情だけで周囲の状況を顧みず暴発したという理由だけでは「阿呆」と決めつけられてもやむをえないところです。」
>
>  これは冒険風ライダーさんの言う通りです。平松さんの言いようでは、まるでロイエンタールは今どきの「キレル」中学生みたいじゃないですか。突然ナイフを振り回したりするような。「ストレスが溜まってそうなったのだから、理解してあげようよ」と言われても、「しつけと教育がなっていなかったからでしょ。それではタダの阿呆。それこそ戸塚ヨットスクールにでも放り込んで一から叩き直すべき」という以外、正直いって返す言葉がないです。

うーむ、では個人的感情以外の要素について考えてみましょうか。ここでロイエンタールのオーベルシュタインとラングへの認識について少し考えてみましょう。

 ロイエンタールはオーベルシュタインの謀略の能力や行動限界を過大評価していた節があります。
 例えば第八巻(徳間ノベルズ)のP24にフェザーンでの爆弾テロでオーベルシュタインが死ななかった事をミッターマイヤーが皮肉った際に、ロイエンタールはこう答えています。
「単に可能性としての問題として言うのだが、歩く毒薬のオーベルシュタインめが、何らかの魂胆で一件をしくんだのだとしても、おれはおどろかぬ。だとするときっと二幕めがあるぞ」
 また、P168にはヤンが暗殺された事について、
「かの辣腕なる軍務尚書閣下が、遠くフェザーンから目に見えぬ腕を伸ばしてヤン・ウェンリーの心臓にナイフを突き刺したのだとしても、おれは意外には思わぬ。(後略)」
 とも述べています。これは多分に偏見と先入観に満ちた評価でしょうが、ヴェスターラントの虐殺黙認・ラインハルトとキルヒアイスの強固な信頼関係の切り崩し・リヒテンラーデ公の粛清などのオーベルシュタインの冷徹な謀略手腕を知っているロイエンタールが、オーベルシュタインの能力や行動限界を過大に評価したのも無理はなかったかも知れません。この過大評価から、「オーベルシュタインは何をやらかすか分からない」という不信感をロイエンタールは抱いてしまい、「ウルヴァシー事件」の後に皇帝の下に出頭すればオーベルシュタインによって下手をすれば粛清されてしまうかも知れないと必要以上の被害妄想にとらわれてしまったのかも知れません。
 また、一方のラングはロイエンタールを陥れる意思をはっきりと持っていましたし、ロイエンタールもそれを承知していました。オーベルシュタインにはかつてロイエンタールを私怨から陥れようとしているラングの活動を黙認していたと言う前科があります。

 第七巻P210

 ロイエンタールの「叛意」を単なる噂から皇帝自身の審問を生むまでに育てあげたのはハイドリッヒ・ラングである。彼がゆがんだ喜びをもって、無責任な噂に多量の水と肥料をあたえるありさまを、オーベルシュタインは無言のうちに見まもっていた。奨励もしなかったが制止もせず、不肖の弟子の演技をながめているようであった。(後略)

 ロイエンタールはこの時ラングの活動をオーベルシュタインが協力とまでいかなくとも黙認はしていた事を察知していたのではないでしょうか?第九巻のP99には「ミッターマイヤーはラングの実行力や組織力を低く評価していた」とありますので、おそらくはロイエンタールもミッターマイヤーと同じ評価をラングに対して抱いていたでしょうから、「ラングの自分を陥れようとする策略をオーベルシュタインは少なくとも黙認している」という結論をロイエンタールは導き出せたのでは?「ウルヴァシー事件」に端を発する一連の事件の背後にもラングがいる事をロイエンタールは確信していましたし、となればそれはオーベルシュタインが黙認しているという事になり、仮にロイエンタールがラインハルトのもとに出頭すればラングはオーベルシュタインの掣肘を受ける事なく謀略を行使する事が出来るのではないか、とロイエンタールは考えるのでは?そう考えれば最悪の場合(可能性は低いですが)ラインハルトの命令で「よりによって」ラングの手で処刑される可能性すらあり、そうはならなくともボルテックのように獄中で「変死」してしまう可能性は大きいと考えるでしょう。その様な最後を遂げるのはロイエンタールにとって耐えられるものではなく、それこそ「まだ戦って死ぬ方がマシとロイエンタールは考えたのだ」という論理が成り立つのではないでしょうか。

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