- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.541
Re: ノベルズの存在意義&RE間ね。
- 投稿者:heinkel
- 2000年01月25日(火) 16時01分
なんだか、おひさです。
> ノベルズ
論旨には賛成ですけど、創竜伝がよくやり玉にあがるのは単に「無駄」だとかの問題ではないからであって、銀英伝と同列に論ずるのは、ちょっと乱暴ではないかと。
あえて、そうしてるのでしょうけどもね。
> ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
ご希望ですけど、24時間限定だと見てない可能性もあるなぁ・・・っていうか、いったいなにを書くつもりだったんですか(^^;;
やっぱ、やめとこうという場合も私信ででも見たいです。
あと、全く別の話。
先日発売された佐藤大輔「地球連邦の興亡4」巻末のトクマノベルズの紹介、佐藤大輔と田中芳樹の名前しかない・・・ううっ、お二人で頑張って徳間書店を支えてあげてね(悲)
それから、メガドライブFAN以来10年の歴史を誇るセガ系雑誌、徳間書店「ドリームキャストFAN」が2月号で休刊となりました。ゲーム雑誌のレビューを考えるコーナーなど、有終の美を飾る企画が郷愁を誘います。ゲーマーな方はその最後を看取ってあげてください(泣)
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.542
どうも久方ぶりのレスですが
- 投稿者:本ページ管理人
- 2000年01月25日(火) 18時39分
> 正論や歴史的事実などは、休日あるいは暇な時間に金を出してまでは読みたくない。ノベルズ作家の一時隆盛の原因はこれではないでしょうか……
> 「そんなものは無駄だから読むな。」
> というのは酷ではないかと思います。起こってしまった歴史や今目の前の現実から目を背けるのは卑怯かもしれません。でも、かまわないんじゃないんでしょうか。受験勉強で疲れた頭を休めるため、爽快な宇宙艦隊決戦を読む。アルバイト先で上司に怒られて帰ってきた夜、代償行為として竜堂兄弟がいやなやつを理屈抜きでぼこぼこにしてくれる。そして明日からはまたがんばれる。そんな方々のためのストレス解消道具の制作者として氏は必要とされ、また、そんな方々に氏は優しく寛容であり、そのニーズをとらえそれに答えるという点では誠実なのではないでしょうか。
確かに娯楽まで堅苦しい思いをすることはないでしょう。アニメやゲームで顕著なように、剣と魔法でチャンチャンバラバラとか巨乳ねーちゃんのおっぱいボヨヨンとか、そういう思考ゼロ路線のものが、小説におけるノベルスかも知れません。
ならば、徹頭徹尾娯楽で筋を通すべきなのです。
中途半端に社会評論を入れたりするべきではない。たしかに反抗期少年の憂さ晴らしにはなるかも知れませんが、「思考」するものである以上は、自分の売り物に責任を持つべきなのです。
> というよりですね。この前、下書きしたものなどはもっとすごかったんですよ。(^^) ちょっと別の話題ですけど。ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
ぜひ見てみたいですね。よろしかったら一度お願いします。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.543
再度、ノベルズの存在意義とは?
- 投稿者:速水右近
- 2000年01月26日(水) 15時05分
どうも、久しぶりです。再度同趣旨の内容を投稿します。
古くからノベルズを読んできた人間にとって、現在のノベルズは、それまでの小説とはあり方が異なっているように写ります。
もともと小説=とくにエンターティメント系とは、不特定多数の読者を相手に書かれていたはずです。ですが今日のノベルズでは、「特定多数の読者」向きに書かれている作品のほうが多いといっても過言ではないでしょう。
そのようなものを「小説」と呼ぶかどうか、これは各自が決めればいいことですから深く追求しません。ただ特定多数の読者が高く評価しているから、それが「いい小説である」とは言えないはずです(それこそエンターティメントにおいては)。
私見ですが、現在のノベルズ作家のファンは、「自分が評価している=いい小説である」という思い込みが、他の小説の読者よりも強いように感じられます。作品世界に過剰に没頭しているから、そう考えてしまうのでしょうか? そんな読者を多く持つ作家は、果報者ですね。
また作家も特定の読者を相手にしているから、「好き勝手なこと」が書けると言えるのではないでしょうか。それこそ『創竜伝』や『紺碧の艦隊』における政治思想ホニャララというのも、作家が「読者に甘えている」から許される行為ではないか、とも考えられます。
こう見ると、ノベルズ作家と読者との相互依存が強すぎるのではないでしょうか。これは「いいOR悪い」以前に、どこか不自然だと感じるのですが。
小生は、どれほどくだらない小説であれ、「読むな」とは言いません。ただノベルズが現状のままであるなら、「あまり読んで貰いたくない」としか言えません。
ドリームキャストFAN廃刊について
ゲーマーじゃありませんが、なにか感慨深げですねぇ。徳間の雑誌(どのジャンルでも)はことさら評判が悪い(売れた雑誌の二番、三番煎じをやるため)んですが、これは編集者の問題ではなく、上層部の体質ですけども。
ともかく、徳間の経営が危ないというのは、単なる噂ではないかもしれないですね。
- 親記事No.482スレッドの返信投稿
- board2 - No.545
Re540:これが解答です
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年01月26日(水) 16時12分
<では(質問ばかりですいません)「客観的根拠」から行動方針を定めた場合、それはなんと呼ばれるのでしょうか?たとえば、ヤンは民主主義制が専制君主制に勝っている点として、「責任の所在が民衆それ自体にある」というようなことを言っています。
この主張が実際正しいかどうかはおくとして、仮に正しかった場合、「民主主義擁護」は信念と呼べるのでしょうか>
その「客観的な正しさ」なるものを誰が定義するのかという問題がありますが、そんなものとは関係なしに、ヤンの「民主主義擁護」は充分に「信念」であると断定できます。
そもそも「信念」というのは、「自分の考え方が、すくなくとも別の考え方よりは正しいものである」と信じた上で行動方針や最終目的を立てるものですからね。その「自分の考え方」の根拠が「客観的に正しいか否か」は全く関係ありません。ラインハルトとルドルフを比べて見れば分かるように、「信念」も政治と同じようにあくまでも結果のみで評価されるのです。
第一、ヤンが本当に自分の行動に「客観的根拠」を求めたかったのならば、さっさとラインハルトに降伏して戦争を終わらせる事の方がよほど「客観的根拠に基づいた正しい行動であった」と思いますね。戦争犠牲者が完全に消滅するのが「統計的な数字となって」表れてくるのですから、政治的にも統計的にも、またヤンの戦争否定思想から言っても、これこそが「客観的に正しい」のです。
「客観的根拠」もまた「信念」と同じように多数あるものでして、どれが「絶対的に正しい」のかは結局、その陣営のイデオロギーなり「信念」なりで決められるものなのです。この観点から見ても「信念」を論じる時に「客観的根拠」など全く問題ではないと考えて良いでしょうね。
これで納得いきましたか?
- 親記事No.482スレッドの返信投稿
- board2 - No.546
Re: これが解答です
- 投稿者:ふみさとけいた
- 2000年01月27日(木) 14時47分
冒険風ライダーさんは書きました
>
> その「客観的な正しさ」なるものを誰が定義するのかという問題がありますが、そんなものとは関係なしに、ヤンの「民主主義擁護」は充分に「信念」であると断定できます。
> そもそも「信念」というのは、「自分の考え方が、すくなくとも別の考え方よりは正しいものである」と信じた上で行動方針や最終目的を立てるものですからね。その「自分の考え方」の根拠が「客観的に正しいか否か」は全く関係ありません。ラインハルトとルドルフを比べて見れば分かるように、「信念」も政治と同じようにあくまでも結果のみで評価されるのです。
> 第一、ヤンが本当に自分の行動に「客観的根拠」を求めたかったのならば、さっさとラインハルトに降伏して戦争を終わらせる事の方がよほど「客観的根拠に基づいた正しい行動であった」と思いますね。戦争犠牲者が完全に消滅するのが「統計的な数字となって」表れてくるのですから、政治的にも統計的にも、またヤンの戦争否定思想から言っても、これこそが「客観的に正しい」のです。
> 「客観的根拠」もまた「信念」と同じように多数あるものでして、どれが「絶対的に正しい」のかは結局、その陣営のイデオロギーなり「信念」なりで決められるものなのです。この観点から見ても「信念」を論じる時に「客観的根拠」など全く問題ではないと考えて良いでしょうね。
> これで納得いきましたか?
はい。やっと納得できました。いろいろお手数をかけさせてしまってすいませんでした。
-
- board2 - No.547
バーミリオン会戦の謎
- 投稿者:不沈戦艦
- 2000年01月27日(木) 16時26分
「ラインハルトこそが『目前の敵と戦わないのは卑怯だと考える近視眼の低能』ではないか?」と書きましたけど、それと同趣旨で一言。
さて、ラインハルトの「戦争の天才」ぶりは、「自分で構想した戦略デザインに相手を引きずり込んで、有無を言わさず自分が有利な条件での戦闘を強いる」点にあった筈です。
ところが、バーミリオンに至るラインハルトの戦いぶりは何なのでしょうね。全然「戦争の天才」らしくないです。逆にヤンの戦争のデザインにまんまと引き込まれてしまっているのですから。しかも、戦術的にはヤンが勝ったと言えるような苦境に陥ってしまった訳ですし。ラインハルトは突然「低能」になっちゃったの?とでも言うしかないですわ。
さて、銀英伝5巻のように、ヤンの挑発に乗って自分の艦隊だけでヤンと戦わずとも、ラインハルトの「自分で前線に立ちたい」という希望を叶えつつヤンを引きずり出し、大兵力で袋叩きにして楽勝する方法はあります。実に簡単。ウルヴァシー守備の兵力(2個艦隊もあれば充分、不安なら3個艦隊)を残して、全軍でバーラト星系に向かえばいいだけ。しかもなるべく派手に、公然とゆっくり進撃して。電波を発信しまくって、敵の通信の妨害もしない方がいいでしょう。その場合、ヤンは負けを覚悟で隠れ場所から出てきて、ラインハルト艦隊につっかからずにはいられません。「帝国軍の大艦隊、バーラト星系に侵攻中」との報を受け取ったら、同盟政府が悲鳴をあげ、ヤン元帥に迎撃を命令するでしょうから。いくら「元帥の好きなように戦ってくれ」とアイランズ国防委員長以下が言っていても、首都が脅かされる場合はそうもいかんでしょう。政府が首都から退去できる訳ではないでしょうし。「同盟からの離脱を叫ぶ中立星系が乱立する」という悪夢があります(その場合は同盟が瓦解する)から、同盟政府は政治的にハイネセンを死守せざるを得ません。それを知っているヤンは、帝国軍のバーラト星系侵攻を見過ごすことはできないでしょう。
「バーラト星系に侵攻して一旦同盟政府を降伏させても、帝国軍が立ち去った後、ヤンが出てきてハイネセンを奪還し、再度同盟を復活させるだろう」というのは、馬鹿げた予想でしょう。バーラト星系に帝国軍が攻め込んでも、ヤンが出てこないというのはあり得ないでしょう。「戦わずして敗れる」という事にもなってしまいますので。
本来、ラインハルトの「戦争の天才」ぶりから言ったら、バーラト星系侵攻を殊更大げさに見せつける事で否応なくヤンを隠れ場所から引きずり出し、大兵力で袋叩きにするのが当然ではないでしょうか。何で「自分に有利な条件を整えて、相手に不利な条件での決戦を強いる」のを得意にしているラインハルトが、ノコノコ逆の立場にはまってしまうんでしょうかね。実に不思議ですわ。「ヤン相手に戦術的に勝つこと」に異常にこだわっているようですし。
「戦いを格好良く勝とうなどとは、例え彼我の兵力差が1対10の圧倒的に有利な場合でも、絶対にやってはいけないことだ」
という言葉を、バーミリオンのラインハルト・フォン・ローエングラム公爵に捧げたいと思います。
戦争の天才である筈のラインハルトが、何でバーミリオンの時だけこうなっちゃったんでしょうか。この辺の話の組立ては杜撰ですね。「ヤンはラインハルトしか見ていない」と冒険風ライダーさんが言ってますけど、「ラインハルト以下の帝国軍の将帥たちも、ヤンしか見ていない」と言えると思いました。
- 親記事No.547スレッドの返信投稿
- board2 - No.548
Re547: 帝国軍の将帥がヤンしか見なかった理由
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年01月28日(金) 08時33分
不沈戦艦さん、お久しぶりです。いつも酉板で「悪ふざけ架空戦記」を楽しく拝見させていただいております。
ところで「バーミリオン会戦の謎」についてですが、
<「バーラト星系に侵攻して一旦同盟政府を降伏させても、帝国軍が立ち去った後、ヤンが出てきてハイネセンを奪還し、再度同盟を復活させるだろう」というのは、馬鹿げた予想でしょう。バーラト星系に帝国軍が攻め込んでも、ヤンが出てこないというのはあり得ないでしょう。「戦わずして敗れる」という事にもなってしまいますので。>
これを主張したのはミッターマイヤーですが、実はこの主張、すくなくとも当時の帝国軍が持っていた「ヤンについての知識」からはじき出された考え方としてはそれほど「馬鹿げた予想」ではありません。
というのもこの当時、ヤンが「民主主義擁護」の観点から同盟を必死になって死守するであろうことを、帝国側は知らなかったのです。したがって、ミッターマイヤーを始めとする帝国軍の将帥たちは、たとえ同盟が降伏してもヤンが同盟政府から独立して帝国と戦いつづけると考えていたため、このような考え方が出てきたのではないでしょうか。
銀英伝本編にもそのことを裏付けている個所があります。
銀英伝5巻 P154上段~下段
<このとき、帝国軍の領袖たちの目が、同盟の首都や政府よりヤン・ウェンリー艦隊に向けられていたのを、固定観念としてしりぞけることはできないであろう。同盟政府よりヤン・ウェンリーの武力こそが、彼らにとっては現実の脅威だった。政府なき軍隊が自立化したとき、征服者たちの権力と権威はたもてようがないのである。>
この考えからいけば、ヤンを無視して同盟政府を倒す事はむしろ愚策です。ヤンを同盟政府という呪縛から解き放つ事になってしまい、帝国にとってはかなり厄介な事態となるのですから。ヤンの今までの「奇跡」から「彼を完全に自由にさせてしまっては今まで以上に厄介になる」とラインハルトや帝国軍の将軍達が考えるのも無理はありません。何しろ「ヤンが同盟を見捨てられない」という事実を彼らは知らないのですから。
バーミリオン会戦の時点でヤンの性格をある程度見破っていたのは、帝国軍の中ではヒルダただ一人しかいませんでした。しかもそのヒルダですら、絶対の自信があったわけではありません。したがって、あの時点でヤンをおびき出そうとしたラインハルトの意図は、限られた情報からはじき出された結果から考えてみれば、それほど間違ったことではなかったと思います。大兵力でまとまっているとヤンが出てこない可能性がありますから。
そしてバーミリオン会戦以降は、帝国側にもヤンの性格は完全に分かっているのですから、むしろ参謀や将軍達の方がラインハルトよりもまともな考えを打ち出すようになり、実際、ラインハルトに対して一度ならず諫言も行っています。したがって、
<「ラインハルト以下の帝国軍の将帥たちも、ヤンしか見ていない」と言えると思いました。>
というのはバーミリオン会戦時はともかく、すくなくとも銀英伝7巻以降には当てはまらないのではないでしょうか。
もっとも、レンネンカンプに対しては立派に当てはまりますが(^^;)
しかしそれとは別に、バーミリオン会戦時におけるラインハルトの作戦は、構想はともかく、実行過程においては破綻しているとしか言いようがありません。
わざとラインハルトの戦力を手薄にしてヤンを誘い出す、という作戦自体は良いのですが、問題なのはその際に「同盟の補給基地攻撃」という名目で分散していった帝国軍の将軍達が、名目通り本当に同盟の補給基地を攻撃しに行ってしまった事です。兵力を分散するフリをヤンに見せておきさえすれば良かったはずなのに。
そもそも最初の作戦案では「ヤンを誘い出して時間稼ぎをし、帰ってきた帝国軍と挟み撃ちにして最終的に包囲殲滅する」という考えであったのですから、同盟の補給基地がどうであろうと、ラインハルトが攻撃された時点で引き返してこなければならなかったはずです。したがって、本当なら彼らはあまり遠くに行ってはいけないはずなのですが、ミッターマイヤーやロイエンタールでさえ、本当に同盟の補給基地を攻撃・占領している始末ですからね。そんな事をすればラインハルトの意図が完全破綻するであろうことは目に見えているというのに、彼らはラインハルトの意図が全く読めなかったのでしょうか?
<「戦いを格好良く勝とうなどとは、例え彼我の兵力差が1対10の圧倒的に有利な場合でも、絶対にやってはいけないことだ」
という言葉を、バーミリオンのラインハルト・フォン・ローエングラム公爵に捧げたいと思います。>
上記の言葉は銀英伝5巻以降のラインハルトの行動全てにあてはまりますね。マル・アデッタ会戦やイゼルローン遠征などはバーミリオン会戦以上に全く必然性がありません。どちらもわざわざ戦う必要はないのですし、戦うなら戦うでラインハルトが出てくる必要は全くありません。しかも敵側に戦場を指定させ、わざわざ敵に有利な環境下で戦っていますが、これなどは本来のラインハルトの「戦略デザイン」の観点から言えば愚劣の極みでしょう。そこまでしてラインハルトは「自らの矜持」だの「軍事的ロマン主義」だのを満足させたかったのでしょうか?
しかもラインハルトの主観はどうであれ、傍目から見れば、ラインハルトは自分の戦略的格差をことさら誇示するために、不必要かつ犠牲を伴う「弱いものいじめ」を楽しんでいるようにしか見えません。何しろ戦略的格差から言ってもラインハルトが負けるはずがないのですからね。自分の絶対的な優越を自覚せずに相手に戦いを求めるという姿勢は、かつて彼が蔑視していたであろう門閥貴族と全く同じではありませんか。
はっきり言って銀英伝5巻以降のラインハルトは、「戦争の天才」とはとても呼べたものではありません。何しろ、その時点で一番犠牲を伴う選択肢ばかり選んでいるのですからね。これが政治家としても戦略家としても失格である事は言うまでもないでしょう。
ヤンもラインハルトも、結局お互いを感情的に意識しすぎて道を誤ったとしか思えませんね。政治に感情を持ち込むとロクでもない結果を導く好例です。
-
- board2 - No.549
河童
- 投稿者:NNG
- 2000年01月28日(金) 14時43分
本日書店をのぞいていると光文社カッパノベルズから田中芳樹の
新作が出ていました。しかも薬師寺涼子でした。
立ち読みでぱらぱら見た感じでは今までと全く同じのようでした。
それどころか怪物が人の脳みそをすするという、すでに創竜伝で
でてきたものでした。(姿は違う)
それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたが
あったのですが、これって結構最近の話ですよね?
アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら
恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
- 親記事No.549スレッドの返信投稿
- board2 - No.550
Re: 河童
- 投稿者:本ページ管理人
- 2000年01月28日(金) 19時47分
> 本日書店をのぞいていると光文社カッパノベルズから田中芳樹の
> 新作が出ていました。しかも薬師寺涼子でした。
> 立ち読みでぱらぱら見た感じでは今までと全く同じのようでした。
> それどころか怪物が人の脳みそをすするという、すでに創竜伝で
> でてきたものでした。(姿は違う)
このシリーズって講談社でしたけど、どうしたのでしょうか? 徳間から移籍というのなら納得がいくのですが…
講談社から放逐(もしかして講談社「を」か??)? それとも光文社の引き抜き?
とりあえず実物をみてみなくては…
最近古本屋でこのシリーズを見つけたんで買ったんですけど…
一番良かったのは、アンケートはがきが入っていた事かな(オイ)
小早川奈津子はこのキャラクターを思いついた時点で田中芳樹の価値でしたけど(創竜伝そのもののダメさ加減をさておけば)、薬師寺涼子はこのキャラクターを主人公にしようと思った時点で敗北だと思います。
> それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたが
> あったのですが、これって結構最近の話ですよね?
> アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら
> 恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
> けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
来月あたりのノベルス売り上げに注目ですね。個人的には田中芳樹のブランドでも売るのが辛い作品のように思われるのですが…
- 親記事No.549スレッドの返信投稿
- board2 - No.551
Re: 河童
- 投稿者:m since k
- 2000年01月29日(土) 07時45分
ををうっ、先越された~。
内容は確認しませんでした。が、しかし、一番の収穫は参考文献のページでは?衝撃の一文が~~!!(わら)。
- 親記事No.549スレッドの返信投稿
- board2 - No.552
って気になる~
- 投稿者:本ページ管理人
- 2000年01月29日(土) 09時25分
> 内容は確認しませんでした。が、しかし、一番の収穫は参考文献のページでは?衝撃の一文が~~!!(わら)。
なかなか現物確認の機会が得られませんが、気になります。一体、何??
- 親記事No.549スレッドの返信投稿
- board2 - No.553
Re: もしかして
- 投稿者:NNG
- 2000年01月29日(土) 14時23分
本ページ管理人さんは書きました
> > 内容は確認しませんでした。が、しかし、一番の収穫は参考文献のページでは?衝撃の一文が~~!!(わら)。
>
> なかなか現物確認の機会が得られませんが、気になります。一体、何??
参考文献に
「インターネットで情報を下さった方どうもありがとう」
といったことが書いてありました。このことでしょうか?
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.554
Re: 再度、ノベルズの存在意義とは?
- 投稿者:heinkel
- 2000年01月29日(土) 17時10分
お久しぶりです。
> ノベルズについて
どう評価するかについては意見が分かれるところでしょうが、現状認識においては、あまり差は無いと思いました。
ただ、私が疑問なのは「創竜伝」についてです。
このサイトを見ても分かるとおり、かなりコアなファンからの不評を買っていて、読者との相互依存関係という言葉とはちょっと違うようです。にもかかわらず売れている。しかも文庫化されている。
この点から見ても「創竜伝」の問題は、ノベルズの構造とはまた別であると感じます。むしろ、通常のノベルズ作家の範疇を越えて売れてしまったが故の悲劇といえるのではないでしょうか。
・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
例えて言うならば、一部おたくをねらって制作されたギャルゲーのくだらなさではなくて、大いに売れて、ついに新作で不評を買ってしまったファイナルファンタジーのろくでもなさ、といったところでしょうか。
> ドリームキャストFAN廃刊について
日ごろはソフトバンクの方の読者だったので、徳間の方はライバル誌といった感じだったのですが、いざ無くなるとなると感慨深いです。
「DCマガジン」の前身の前身の前身「Beep」を出していたころのソフトバンクはいくつかのコンピューター専門誌を出しているだけの小さな会社だったように思いますが、それが今や時代の寵児。一方徳間は・・・。
- 親記事No.549スレッドの返信投稿
- board2 - No.555
涼子
- 投稿者:heinkel
- 2000年01月29日(土) 17時29分
> 薬師寺涼子
別の本を買いに行ったら、ちょうど隣に並んでいたのでちょっと見てみました。
> すでに創竜伝ででてきたものでした。(姿は違う)
なんか「日本が世界を支配」などどぬかす悪役や「いったい誰が喜ぶの」という反応など、まるっきり創竜伝パターンで、おもわずいかりや長助の定型句を口にしたくなりました。
> それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたがあったのですが、これって結構最近の話ですよね?
> アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
地域振興券なんてちょっと古めのネタもあったんで同時進行だったのかも。
次は「創竜伝」みたいですよ・・・。
> けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
私が立ち読みしている間に二人の女性がレジに持っていきました。読者は女性の方が多いのかな。
> このシリーズって講談社でしたけど、どうしたのでしょうか? 徳間から移籍というのなら納得がいくのですが…
> 講談社から放逐(もしかして講談社「を」か??)? それとも光文社の引き抜き?
「夏の魔術」が徳間から講談社に移ったらしいので、「から」の方が正解かも。
> > 一番の収穫は参考文献のページでは?衝撃の一文が~~!!(わら)。
>「インターネットで情報を下さった方どうもありがとう」
これは田中氏の秘書の方も書き込みしていた、期間限定掲示板のことでは?それとも!?
・・・関係ないけど、掲示板の書き込みフォームの幅が広がってる気がする。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.556
Re: 554 ファンか? 読者か?
- 投稿者:速水右近
- 2000年01月31日(月) 15時46分
heinkelさんは書きました
> > ノベルズについて
>
> どう評価するかについては意見が分かれるところでしょうが、現状認識においては、あまり差は無いと思いました。
ただ、私が疑問なのは「創竜伝」についてです。
> このサイトを見ても分かるとおり、かなりコアなファンからの不評を買っていて、読者との相互依存関係という言葉とはちょっと違うようです。にもかかわらず売れている。しかも文庫化されている。
ほぼ認識は同一だと思われます。
しかし氏の述べられる「このサイトのコアなファン」と、いわゆる「田中信者」と言われるファンの差は、小さいようで大きいものではないでしょうか?
ここのファン=自分の好きな作品を、批判的に考えられるファンは、まずファンであるよりも、「一読者」であることを重要視していると思われます。他方、狂信的なファンは、自分が「一読者」であること以上に、ファンとして求めるものを優先していると感じられますが。
極端な話、後者のファンは、「自分だけが楽しめばよく」、他の読者はおろか、その作家の持つポテンシャルまで否定しかねないのでは?
しかし、「それでも売れればいいや」と考える作家も、今日では増えている、というのもまた事実です。それが一部読者と作家の悪しき相互依存なのですが。
たしかにそういう状況は、メディアミックスの行き過ぎた某文庫やハードカバーでもありることです。ですがその比率が、ノベルズというジャンルのなかで多いような気がするのですよ。値段的にも部数的にも中途半端な出版形態にとって、「確実に読者をゲットする」(ポケモンか?)のは重要なことなのですから……。
> 「創竜伝」の問題は、ノベルズの構造とはまた別であると感じます。むしろ、通常のノベルズ作家の範疇を越えて売れてしまったが故の悲劇といえるのではないでしょうか。
この部分は、若干認識が異なります。少なくとも私は、「田中芳樹はもっと書ける(書けた)作家だ」と思っています(いました?)から。というか、(ここで指摘されているミスを見逃したとしても)『銀英伝』を書ける作家なら、充分ハードカバーでも勝負できると思っている(これも過去形かな)のですが。
> ・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
いや、一番の悲劇は、自分の悲劇を自覚していないことでしょうけど(田中芳樹の好きそうな書き方だなぁ)。
捕捉
ドリフターズ的なおふざけ 『銀英伝』出版シミュレーション
命題1 「もしも『銀英伝』が、最初からハードカバーだったら」
小生の見解 初版は四〇〇〇くらいが御の字でしょう。でも徐々に人気が出て……早めに文庫化されていたかも? 個人的には、こっちのほうが有り難かったな。
命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
初版刷りきりで済むか。いやいや、それこそ私が編集長だったら、ぜーったい(強調!)出版の許可は出さんよ。
それか反対に、もっと洗練した作品になっていたという可能性も、ないことはないでしょうけどね(一割ぐらいか?)。
- 親記事No.547スレッドの返信投稿
- board2 - No.557
Re548 戦略云々以前に
- 投稿者:速水右近
- 2000年01月31日(月) 16時21分
不沈戦艦、冒険風ライダー両氏の“ガチ”なやりとりには、いつも感服させられております。
さて、そこに軍事戦略について門外漢の小生がわざわざ乱入することはないのですが、ただ一点において述べたいことがあります。
> マル・アデッタ会戦やイゼルローン遠征などはバーミリオン会戦以上に全く必然性がありません。どちらもわざわざ戦う必要はないのですし、戦うなら戦うでラインハルトが出てくる必要は全くありません。しかも敵側に戦場を指定させ、わざわざ敵に有利な環境下で戦っていますが、これなどは本来のラインハルトの「戦略デザイン」の観点から言えば愚劣の極みでしょう。そこまでしてラインハルトは「自らの矜持」だの「軍事的ロマン主義」だのを満足させたかったのでしょうか?
> しかもラインハルトの主観はどうであれ、傍目から見れば、ラインハルトは自分の戦略的格差をことさら誇示するために、不必要かつ犠牲を伴う「弱いものいじめ」を楽しんでいるようにしか見えません。何しろ戦略的格差から言ってもラインハルトが負けるはずがないのですからね。自分の絶対的な優越を自覚せずに相手に戦いを求めるという姿勢は、かつて彼が蔑視していたであろう門閥貴族とまったく同じではありませんか。
> はっきり言って銀英伝5巻以降のラインハルトは、「戦争の天才」とはとても呼べたものではありません。何しろ、その時点で一番犠牲を伴う選択肢ばかり選んでいるのですからね。これが政治家としても戦略家としても失格である事は言うまでもないでしょう。
> ヤンもラインハルトも、結局お互いを感情的に意識しすぎて道を誤ったとしか思えませんね。政治に感情を持ち込むとロクでもない結果を導く好例です。
この主張は、まったくの同感です。
ですがここで本来問われなければならないことは「戦略の妥当性」ではなく、「それをどのようになく品内に活用しているか」ではないでしょうか?
あくまで仮の話ですが、ラインハルトがヤンを意識しすぎたがため、自分の戦略の本質を見失っていく……という展開をしていたなら、彼の「戦略の天才がどう転落していったか」を読者に読ませることになりませんか。結果としてそれが、「政治に感情を持ち込むとロクでもない結果」になり、ラインハルトも実は彼の軽蔑していた門閥と本質的には変わらなかったという、アイロニーを秘めていると思えるのですよ。またこちらのほうこそ、田中芳樹が本来書きたかった話=テーマに合致するとは考えられませんか。
つまり「ラインハルトのミス」自体が問題ではなく、彼のミスをうまく作品に使えなかった「田中芳樹のミス」こそ責められるべきでしょう。言葉を換えれば「軍事戦略上のミス」ではなくて、「小説構成上のミス=“小説という戦略”のミス」ではないでしょうか?
出過ぎた真似をしましたが、今後ともよろしく。
- 親記事No.426スレッドの返信投稿
- board2 - No.558
Re: 554 ファンか? 読者か?
- 投稿者:本ページ管理人
- 2000年01月31日(月) 18時40分
> ここのファン=自分の好きな作品を、批判的に考えられるファンは、まずファンであるよりも、「一読者」であることを重要視していると思われます。他方、狂信的なファンは、自分が「一読者」であること以上に、ファンとして求めるものを優先していると感じられますが。
> 極端な話、後者のファンは、「自分だけが楽しめばよく」、他の読者はおろか、その作家の持つポテンシャルまで否定しかねないのでは?
誤解を恐れずにいえば、狂信的なファンというよりは、極度の利己主義者ではないかと思います。狂信的というには、何を信じているのか見えて来ない(以前のファン論争で「別に田中芳樹の思想はどうでも良くて創竜伝が面白いと思うから読んでいる」という話がありました)。むしろ、狂信という意味では、田中芳樹の思想を田中芳樹に当てはめている私や常連の方のほうが田中原理主義的かもしれません。
なんか逆説的ではありますが…
> > ・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
> いや、一番の悲劇は、自分の悲劇を自覚していないことでしょうけど(田中芳樹の好きそうな書き方だなぁ)。
実は思想がどうのってことをいちいち書くのを止めればその悲劇の度合いは相当に減少するのでしょうけどね(物語が書けなくなったんだな、で済む)
> 捕捉
> ドリフターズ的なおふざけ 『銀英伝』出版シミュレーション
> 命題1 「もしも『銀英伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 小生の見解 初版は四〇〇〇くらいが御の字でしょう。でも徐々に人気が出て……早めに文庫化されていたかも? 個人的には、こっちのほうが有り難かったな。
> 命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
> 初版刷りきりで済むか。いやいや、それこそ私が編集長だったら、ぜーったい(強調!)出版の許可は出さんよ。
> それか反対に、もっと洗練した作品になっていたという可能性も、ないことはないでしょうけどね(一割ぐらいか?)。
これ、おもしろいですね。ハードカバーの権威も解体されたと思っていましたが、なるほど、こう考えるとまだ相応という気もします。確かに「ノベルス界のスーパースター」(by講談社)という称号は言い得て妙ですね。
愛蔵版創竜伝とかあったら笑えるのだろうなぁ。休日一日本屋に張り付いてどんな輩が買うのか観察してもいい!(笑)