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Re526/527/528:いろいろレス
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年01月21日(金) 11時12分
>北村さん
<恐らく「自分自身をも欺いている」のだと思います。
旧社会党の例を考えてください。何十年も「非武装中立」「日米安保絶対反対」を繰り返し、恐らく彼らは主観的には本心からそう思っていたつもりだったはずです。
しかし彼らが政権についた瞬間、それまで口にしていたことの多くは何の総括もなく、あっさり消え去りました。非現実的な空理空論しか頭に無かった彼らは、現実に対して何も出来なかったのです。
要するにその言葉とは裏腹に、旧社会党の主張は現実の肯定と何ら替わりは無かったわけです。
似たようなことは進歩的文化人や戦前戦中の軍部礼賛論者にも言えます。
結局の処、彼らは「そんなことが出来るはずがない」ことを知りながら、自分たちの言葉に酔っていたかっただけと言えるでしょう。
「騙されたい」人間というのは得てして「自分自身を最初に騙す」ものです。田中氏もその一例と言うことです。>
なるほど、その観点は気づきませんでした。私は上記の連中の行動を「信念のない行動である」と規定しておりましたもので。
この「田中芳樹の本音云々」の問題は以前にも話題になったのですが、「では対談やあとがきでの主張は何なの?」という疑問がその時以来離れなかったので、少し主旨からズレると思いつつ質問してみたのですが、非常に納得できる解答を得る事ができました。どうもありがとうございます。
ところで、勝手ながら銀英伝に話を移しますが、ヤンの「信念否定論」に従うと、上記の連中の行動は当然ながら礼賛の対象になるのでしょうが、いくら「信念」に対して批判的だからと言っても、「転向主義者」というものがそれほどまでにスバラシイものなのでしょうか? ヤンは「信念」を否定するあまり、「転向主義者」を歓迎しているようにしか見えないのですが。
>ふみさとけいたさん
<ラインハルトは果たして「No」と答えるでしょうか。というのは、確かにラインハルトはこの謀略を不快に思っていました。しかし、ラインハルトほどの男がそういった状況で素直に「NO」と答えるかは少し疑問です。ここでの返答で事態がどうなるか、ラインハルトには予測がつくのではないでしょうか。それがみえれば、「YES」と答えたときと、「NO」と答えたとき、どちらがより国家にとって不利益であり、また不名誉であるかは明白になり、ラインハルトとしては、「YES」と答えざるをえないのではないでしょうか。このようなことを言いだすと水掛け論になりそうですが。>
その辺りも全くぬかりはありません。実はむしろ「YES」と答えた時の方が弊害が大きいのです。
No.511でも主張したように、「YES」と答えた場合は「オーベルシュタインの草刈り」に対する最終責任を、ラインハルトが負わなければなりません。するとどうなるか?
まず、オーベルシュタインがラインハルトに代わって泥をかぶる、という図式が完全に崩壊し、「オーベルシュタインの草刈り」に対する非難が「内外問わず」ラインハルトに向けられます。オーベルシュタインに反感を抱くビッテンフェルトやワーレンといった将軍たちは、「なぜカイザーはオーベルシュタインごときの策謀を肯定するのか」とか「カイザーはいつからそんな卑怯者になったのだ」といった怒りや非難をラインハルトに向けて展開するでしょうし、一般の兵士達にもラインハルトに対する疑問が生じる事でしょう。最悪の場合、そのような反感を動機とした叛乱が発生するかもしれません。ラインハルトとしてもそれは避けたいでしょうから、仮に「YES」と認めたとしても、その直後に「アレは間違っていた」として、やはり人質の解放を命じざるをえなくなります。
また、自ら「汚れ役」を自認しているであろうオーベルシュタインも、ラインハルトに自分の策謀の責任をかぶせるなどという行為は自らの思想信条から言っても避けたいところでしょう。エゴイストであれば責任転嫁に躊躇する事はないでしょうが、皮肉な事にオーベルシュタインが「無私な人間」であるがために、彼はその矛盾に散々悩まされたあげく、ラインハルトが返答するよりも先に「あれは自分の独断専行である」と認めて人質を自発的に解放せざるをえなくなるのです。
つまり、オーベルシュタインとラインハルトの意思疎通・相互理解が完全にできていない限り、あの発信にどのように帝国側が反応しようとも、結局彼らは自発的に人質の解放を認めなければならなくなるのです。オーベルシュタインとラインハルトの相互信頼関係は非常に悪いですからね。そこにつけ入る隙は大きいのですよ。
<謀略が民衆の反乱によって敗れたという例は歴史上ないのでしょうか?
僕の拙い知識ではあるともないとも言えません。クーデターを起こしたけれど、民衆の反乱にあってあえなく・・・という話もありそうなのですが。>
例え謀略をめぐらしても、失敗したり、政治的結果がズタズタであったりすれば、民衆の反乱が発生する事もあるでしょうね。また謀略が稚拙なものであればすぐに見破られ、逆に痛い報復をくらう事になります。
だからこそ、謀略にもまた様々な才覚や情報・防衛措置などを必要とされるのですし、あくまでも政治的結果のみが評価されるのです。そのあたり、政治や戦略・戦術などとほとんど差がないのですけどね。
<ラインハルトとヤンの違いは、信念というよりも、軍人や権力に対する価値観というか、見方の違いだと思います。
ラインハルトは常に権力への渇望があった。そして、それと平行として戦いに対する渇望もあった。
しかし、ヤンは一市民でありたかった。思想的にも態度的にも軍人になんかなりたくなかったのでしょうし、謀略などに手を染めて、自分が変わってしまうのも怖かったのではないでしょうか。
断固として気持ちで軍隊を辞め、一市民になりきることも出来なかったのは、信念のなさにその原因があるのではないでしょうか?
一市民でありたかったのに信念が足りなかったために、軍人を辞めることも出来ず、状況に流される結果になってしまった。
僕はそう考えます。>
ヤンには信念がなかったのか? これは否ですね。ヤンには「民主主義擁護」や「軍人は政治に関与すべきではない」などといった「立派な信念」があります。彼は一生涯を通じてそれに忠実でありつづけました。また、ヤンは謀略を否定し、それを忠実に守りつづけましたが、この行為だって「信念の行動」そのものでしょう。一市民の夢を持ちつづけながらそれがかなわなかったのは、むしろ「強固な信念」を無自覚・無意識に持ちつづけていた結果であると思います。
ヤンは「信念」を否定しているがために、「他でもない自分自身が信念によって行動しているという現実」を直視できなかったのではないか。そしてそれがあれほどまでの思想的・行動的矛盾につながったのではないか。ヤンの「信念否定論」こそがヤンの最大の矛盾であると私が考える理由はそこにあるのです。
>Merkatzさん
前回のMerkatzさんの投稿につけた題名のレス番号が間違ってましたね。「Re523」ではなく「Re522」でした。くだらん凡ミスをやってしまった(>_<)。
<しかし一方でむざむざ「ラインハルトの来襲を待っているだけ」だったかといえば、そうではないのでは?
イゼルローン回廊の地形と要塞をもって少しでも有利な条件で戦う、というのがヤンの構想であったはずです。つまり向こうからやって来て初めて戦いになるわけで、この場合、ラインハルトの来襲を待つ「しかない」のでは?>
イゼルローン要塞に立てこもる事自体はそれでよいのですが、しかしそれだけではダメです。それだけでは結局のところ、封鎖なり直接攻撃なりで自分達が不利になることに変わりはないのですから。
私が言いたいのは戦術上・戦略上における構想ではなく、政治・外交・謀略関係における構想と「外交を有利にするための政治的効果を使う事」なのですよ。イゼルローン要塞に立てこもり、当時手薄だった帝国領をいつでも攻撃できるという態勢を見せつけた上で外交交渉を提言すれば、まだ「政治的な勝機」は見えてきたはずなのです。
というのも、ラインハルトの「大親征」当時、帝国領にはメックリンガー艦隊以外にまとまった戦力が存在しなかった上、ヤン側の戦力の全貌が帝国側には分からなかったので、「いつでも帝国領を荒らす事ができる」という「脅し」がかなり有効だったのです。そしてその事をヤンは知っていました(銀英伝8巻 P60)。もちろん、ただの「脅し」であり、実際に行う必要はないのですが、こういう「脅し」が政治的には甚大な効果があります。ラインハルトには効かなくても、帝国政府と帝国軍には有効でしょう。これによって、いきなり攻めこむのはもちろん、封鎖も容易ではないと帝国上層部に思いこませ、外交交渉に持っていく事が可能になるのです。
いくら「イゼルローン回廊の地形と要塞をもって少しでも有利な条件で戦う」といったところで、ラインハルトが攻めてくるなりイゼルローン封鎖に訴えられるなりされれば、どれほどヤンが戦術レベルで天才的な才覚を振るったところで、最終的に敗北するのは目に見えています。ラインハルトを見る前に、まずヤンはイゼルローンへの軍事的制裁を封じこめるための方法を優先的に考えるべきだったのです。
<ヤンの構想からは最初から謀略が全く無視・否定されています。
そうである以上、その方針は「戦場で戦う」以外はあり得ません。戦うからには有利な条件下で勝利を得やすくする必要があります。そのためのイゼルローン要塞であり、「こちらの懐に誘い込んで戦う」が基本となるわけです。
ですがこれは相手がむざむざこちらに飛び込んでくれてこそ意味がある。下手にリアリストになられて回廊を封鎖されてしまっては、何の意味もなくなる。
だがその危険性は少ない。なぜならラインハルトは必ず自分との決着を付けに、罠があるのを承知で飛び込んで来るであろう、というのがヤンの読みでしょう。だから「その意味でラインハルトの気質を熟知した上で相手をしているとは言えるわけです」。>
私だったら、いくら少ないからと言って「危険性」を無視する事はしませんね。そもそもヤンの考えは、ラインハルトが他者の意見を全く受けいれず、自分の考えのみで行動する事を前提として考えられたものではありませんか。あの当時、ラインハルトを除くほとんど全ての帝国上層部の人間がイゼルローン遠征に反対していました。彼らの進言が受け入れられた場合の事も、ヤンとしては考慮しなければならなかったはずです。臣下の進言を受けいれたラインハルトが、イゼルローン封鎖に訴えるという事態も考えられるのですし、政治的・戦略的に考えてもそちらの方が自然なのですから。
結局、ヤンの読み通り、ラインハルトが部下の進言を全く受けいれない狭量な人間になってしまっていたので助かりましたが(いや、助かってないか(^_^;))、ヤンはラインハルトだけを見過ぎですね。民主主義擁護の観点から見ても、彼が相手にすべきだったのは「皇帝を中心とした帝国政府と帝国軍」であって「ラインハルト個人」ではなかったはずなのに。
あくまでも「ラインハルトの気質」を利用しようとするのならば、むしろラインハルトに、ヤンの絶望的な政治的命題である「戦う事で民主主義をラインハルトに認めさせるために、ラインハルトを殺す事ができない」ということを教えてやれば良かったのかもしれません。ラインハルトの気勢は大いに削がれ、外交交渉に応じてくれるかもしれませんから。あまりにも非現実的ですが、ヤンが置かれた絶望的な状況に比べればはるかにマシだと思いますけどね。
<もっともヤンは「軍人は政治に口出ししてはならない」という固い信念を持っていましたから、責められるべきは、外交交渉という有効な政治手段を取らなかったエル・ファシル革命政府の方ですかね。(そういえば銀英伝の中で戦場での白熱した駆け引きはあっても外交での白熱した駆け引きはなかったような・・・ラインハルトの外交手腕に相手が手玉に取られるというパターンだけだったような気が・・・)>
まあエル・ファシル独立政府の御歴々に、ラインハルトに対抗できるような外交手腕を要求するのは酷というものでしょう。しかしそれならばなおの事、ヤンは政治に口を出すべきでしたね。要は「形式的には、ヤンが政治に口を出していない」ということをアピールしておきさえすればそれで良いのです。
アルスラーン戦記でも、ルシタニアの王弟ギスカールは「実質的な最高指揮官」でしたが、同時に「形式的な国王の臣下」でもありました。しかし「政治的に」どちらがより重んじられるかと言えば、当然後者になります。だからヤンも「政治の表舞台ではロムスキーを尊重するフリをしておき、裏で政治的助言をする」という形でもとっておけば、ヤンの「信念」や「民主主義の意義」はすくなくとも「政治的には」完全成就されますし、ヤンの最終目標も達成する事ができるのです。何も「信念」をバカ正直に守る必要はないのです。このあたり、ヤンの政治的センスはゼロ以下ですね。
どうせエル・ファシル独立政府はヤンの個人的名声と手腕によってのみ成り立っていたのですし、誰からもそのように見られていたのですから、ヤンはただひたすら「民主主義擁護のための形式」のみを重要視して「実質的な権限」を「影で」振るっておけば良かったのです。実際問題としても、それ以外にヤンの陣営が勝利する方法はなかったでしょうに。
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- board2 - No.530
Re: Re526/527/528:いろいろレス
- 投稿者:ふみさとけいた
- 2000年01月21日(金) 17時02分
冒険風ライダーさんは書きました
> その辺りも全くぬかりはありません。実はむしろ「YES」と答えた時の方が弊害が大きいのです。
> No.511でも主張したように、「YES」と答えた場合は「オーベルシュタインの草刈り」に対する最終責任を、ラインハルトが負わなければなりません。するとどうなるか?
> まず、オーベルシュタインがラインハルトに代わって泥をかぶる、という図式が完全に崩壊し、「オーベルシュタインの草刈り」に対する非難が「内外問わず」ラインハルトに向けられます。オーベルシュタインに反感を抱くビッテンフェルトやワーレンといった将軍たちは、「なぜカイザーはオーベルシュタインごときの策謀を肯定するのか」とか「カイザーはいつからそんな卑怯者になったのだ」といった怒りや非難をラインハルトに向けて展開するでしょうし、一般の兵士達にもラインハルトに対する疑問が生じる事でしょう。最悪の場合、そのような反感を動機とした叛乱が発生するかもしれません。ラインハルトとしてもそれは避けたいでしょうから、仮に「YES」と認めたとしても、その直後に「アレは間違っていた」として、やはり人質の解放を命じざるをえなくなります。
> また、自ら「汚れ役」を自認しているであろうオーベルシュタインも、ラインハルトに自分の策謀の責任をかぶせるなどという行為は自らの思想信条から言っても避けたいところでしょう。エゴイストであれば責任転嫁に躊躇する事はないでしょうが、皮肉な事にオーベルシュタインが「無私な人間」であるがために、彼はその矛盾に散々悩まされたあげく、ラインハルトが返答するよりも先に「あれは自分の独断専行である」と認めて人質を自発的に解放せざるをえなくなるのです。
> つまり、オーベルシュタインとラインハルトの意思疎通・相互理解が完全にできていない限り、あの発信にどのように帝国側が反応しようとも、結局彼らは自発的に人質の解放を認めなければならなくなるのです。オーベルシュタインとラインハルトの相互信頼関係は非常に悪いですからね。そこにつけ入る隙は大きいのですよ。
僕はラインハルトが「YES」と答えたときに「外」はともかく、「内」ではそれほど不満は起きないのではないかと考えます。ビッテンフェルトやワーレンなど、オーベルシュタイン以外の将は、ある程度の事情を知っているわけですから、「陛下は仕方なく『YES』といった」とすぐにわかるでしょう。兵士たちにしても、ラインハルトの名声が絶大である以上、「陛下はオーベルシュタインの尻拭いをさせられた」と自分たちに都合の良いようにとるのではないかと思います(人は信じたいものを信じるってヤツですね)。また、いったん宣告されたものをすぐに撤回して帝国の威信はどうなるか、という問題もあるでしょうし、オーベルシュタインがラインハルトに泥をかぶせないようにしても、ラインハルトの性格からして、自ら泥をかぶりに行くように思います。最終的な責任がラインハルトにある以上、彼がオーベルシュタインに責任を押しつけるとは考えられないので。
とすれば、後は外の不満ですが…実はここで悩みました。
まあ結局は、ユリアンたちを処刑(おそらくそうなるであろう)したあとは、反乱の芽を一つずつ摘んでいき、それと平行して内政を充実させるといういわゆる「飴と鞭」が無難であろうという結論になりました。
なんだかんだ言っても新帝国の方が圧倒的に有利なので、多少の問題はいくらでも挽回がきくんですよね。ユリアンたちはここで多少なりとも挽回しても運が良くない限りは結局は…ということになるのでしょう。
ちなみに、僕自身の「草刈り」に対する案は、「昂然と胸を張って処刑される」でした。旧同盟の民衆の心にきっちりと「民主主義の芽を植え、今後(十年、百年先)に備える。ラインハルトの心象も良くなるでしょうから(オーベルシュタインはおそらく旧同盟を離れることになるでしょう)、隠れ共和主義者たちも活動しやすくなるだろう、と考えてのものでしたが、ちょっと信頼性に欠けますね。
>
> <謀略が民衆の反乱によって敗れたという例は歴史上ないのでしょうか?
> 僕の拙い知識ではあるともないとも言えません。クーデターを起こしたけれど、民衆の反乱にあってあえなく・・・という話もありそうなのですが。>
>
> 例え謀略をめぐらしても、失敗したり、政治的結果がズタズタであったりすれば、民衆の反乱が発生する事もあるでしょうね。また謀略が稚拙なものであればすぐに見破られ、逆に痛い報復をくらう事になります。
> だからこそ、謀略にもまた様々な才覚や情報・防衛措置などを必要とされるのですし、あくまでも政治的結果のみが評価されるのです。そのあたり、政治や戦略・戦術などとほとんど差がないのですけどね。
よく考えると当たり前のことですが、そのときの政治状況をしっかりと把握しないと成功しようがないんですよね。なんだか変なところで突っかかっていたみたいです。
>
> <ラインハルトとヤンの違いは、信念というよりも、軍人や権力に対する価値観というか、見方の違いだと思います。
> ラインハルトは常に権力への渇望があった。そして、それと平行として戦いに対する渇望もあった。
> しかし、ヤンは一市民でありたかった。思想的にも態度的にも軍人になんかなりたくなかったのでしょうし、謀略などに手を染めて、自分が変わってしまうのも怖かったのではないでしょうか。
> 断固として気持ちで軍隊を辞め、一市民になりきることも出来なかったのは、信念のなさにその原因があるのではないでしょうか?
> 一市民でありたかったのに信念が足りなかったために、軍人を辞めることも出来ず、状況に流される結果になってしまった。
> 僕はそう考えます。>
>
> ヤンには信念がなかったのか? これは否ですね。ヤンには「民主主義擁護」や「軍人は政治に関与すべきではない」などといった「立派な信念」があります。彼は一生涯を通じてそれに忠実でありつづけました。また、ヤンは謀略を否定し、それを忠実に守りつづけましたが、この行為だって「信念の行動」そのものでしょう。一市民の夢を持ちつづけながらそれがかなわなかったのは、むしろ「強固な信念」を無自覚・無意識に持ちつづけていた結果であると思います。
> ヤンは「信念」を否定しているがために、「他でもない自分自身が信念によって行動しているという現実」を直視できなかったのではないか。そしてそれがあれほどまでの思想的・行動的矛盾につながったのではないか。ヤンの「信念否定論」こそがヤンの最大の矛盾であると私が考える理由はそこにあるのです。
ヤンは「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、どちらを優先するのか、といえば前者なんですよね。バーミリオンなどを見ればそれは明らかだと思います。では、後者が信念なのかというと、「動くシャーウッドの森」辺りが矛盾になりますし、例えば彼の信念が「軍事は市井の倫理観を持つべき」だとするならば、彼は同盟のクーデターのときにラインハルトを誉めたりはしないでしょう。僕には彼の信念がなになのか、イマイチわからないのです。彼の人生はどう言う視点から見れば一貫性を持ちうるのでしょうか?
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- board2 - No.531
Re: 銀英伝考察 ~ヤン・ウェンリーの思想的矛盾~
- 投稿者:yoss
- 2000年01月21日(金) 21時46分
はじめてカキコします。以前からこの掲示板は、細々とROMさせて頂かせていたのですが、久しぶりに見に来たところ、あまりにも面白い話題が出ていたので、僭越ながらカキコさせて頂こうと思いました。
なんかもう、だいぶ日にちが過ぎてしまってるようで恐縮なのですが、冒険風ライダーさんが最初におっしゃってる事に対する意見を、二、三書いてみたいと思います。
1、ヤンの国家的謀略に関する対する認識について
ヤンが謀略を否定していたのは、その通りだとは思いますが、私には、この場合、ヤンは戦争と同じように謀略を否定しているのであって、戦争以上に謀略を否定しているとは考えられません。
銀英伝1巻 246ページ
<(前略)そのとき光明に情勢を読んで介入する-たとえば、ブラウンシュヴァイクらと組んでローエングラム侯ラインハルトを挟撃して倒し、返す一撃でブラウンシュヴァイクらを屠る。銀河帝国は滅亡するだろう。
あるいは、ブラウンシュヴァイクに策を授けてラインハルトと五分に戦わせ、両軍が疲弊の極みに達したところを撃つ……自分になら多分できる。ヤン自身はむしろ嫌悪感さえ抱く、彼の用兵家としての頭脳がそう自負するのだ。誘惑を感じる、とヤンが呟いたのはそのことである。
もし自分が独裁者だったらそうする。だが彼は民主国家の一軍人にすぎないはずだ。行動はおのずと制約される。その制約を超えれば、彼はルドルフの後継者になってしまう……。(後略)>
この部分からは、ヤンが戦争はするけど、謀略(この場合は、厳密には謀略ではないかもしれないが)を用いないのは、一軍人である自分の処理範囲外だと考えていたから、ということが分かります。なので、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えるのは、少々的外れのように思いました。
それでは、次に、エル・ファシルに移った後のヤンが、なぜ謀略を効果的に用いなかったのかという事です。
私的には、これも、ヤンが、政府主席ロムスキーの下にいる一軍人に過ぎなかったから……と言いたいところですが、いやしくも、軍の司令官を「一軍人」とは言えないような気がするので、ちょっと苦しいのですが、下の文章から解釈してみました。
銀英伝7巻 87ページ
<(前略、チュン・ウー・チェンの発言)「ヤン・ウェンリーは何かと欠点の多い男ですが、何者も非難し得ない美点をひとつ持っています。それは、民主国家の軍隊が存在する意義は民間人の生命を守る事にある、という建前を本気で信じこんでいて、しかもそれを一度ならず実行しているということです」
「そう、貴官の言うとおりだ」
ビュコックの老いた顔に、微笑が残照めいたひろがりを見せた。
「エル・ファシルでもそうだった。イゼルローン要塞を放棄するときもそうだった。ひとりとして民間人に犠牲を出しておらん」(後略)>
ようするに、ヤンは帝国の民間人に犠牲を出しかねないような謀略を行なうよりは、帝国の軍人を相手に戦争することを選んだのではないでしょうか。ようするに、ヤンはあくまで自分は一軍人だと考えており、軍人としての大義名分にこだわったのではないかと。
ただ、これは「謀略とは民間人に迷惑を掛けるようなものばかりではない」というつっこみが入ったら終わりです。てゆうか、既にありますね。あはは。
2、信念否定論について
これは、ヤンが「信念」という言葉を全否定するような発言が多いので、ちょっと反論が難しいのですが、それでも、あえて反論するなら、
「ヤンが否定しているのは、あくまで『確固たる不動の信念』だけであり、たぶん『信念』という単語の意味を、すこし狭く取りすぎていて、しかもそれを曲解している。あとラインハルトに肯定的で、トリューニヒトに否定的なのは、単に好き嫌いの問題(笑)」
ということになるでしょうか。
もともと信念という単語の意味は、辞書には「かたく信じて疑わない心、自信の念」とあります。なので、実は「信念」という単語には「絶対的信仰」という意味が、既に半分ほど含まれてはいるのです。多分、ヤンは「信念=かたく信じて疑わない心」の意で使っており、そこから「信念は願望の強力なもの~」と曲解したのではないかと思います。(かなり苦しい)
ですが、ふつうは「自信のある強い意志」程度の意味で使われるように思われます。だから、ここでは「信念=自信のある意志」と勝手に決めつけてしまい、話を進めたいと思います。
さて、ご存知とは思いますが、ヤンの思想の特徴の一つに「絶対というものは絶対にない(笑)」という趣旨のものがあります。これは、色々なところで出てくるのですが、代表的なところでは、ヤンとラインハルトの会話があります。
銀英伝 5巻 239ページ
<(前略、ヤンの発言)「……私は、あなたの主張に対してアンチ・テーゼを提出しているにすぎません。ひとつの正義に対して、逆の方角に等量等質の正義が必ず存在するのではないかと私は思っていますので、それを申し上げてみただけのことです」
「正義は絶対ではなく、ひとつでさえないというのだな。それが卿の信念というわけか」
信念という言葉がきらいなヤンは、補足した。
「これは私がそう思っているだけで、あるいは宇宙には唯一無二の真理が存在し、それを解明する連立方程式があるのかもしれませんが、それにとどくほど私の手は長くないのです」(後略)>
さらに、ヤンは「よりベターなものを選ぶ」という考え方もしています。
銀英伝 6巻 124ページ
<(前略)自分のたとえの極端さを、ヤンは承知している。しかし、ものごとの価値観、正邪の判断の基準がすぐれて相対的なものであるということは、いくら強調しておいてもよいだろう。人間のなしうる最良の選択は、視野に映る多くの事象を比較対照して、よりましと思われるほうに身をおくことしかない。完全な善の存在を信じる人は、「平和のために戦う」という表現にふくまれる矛盾の巨大さをどう説明しうるのか。(後略)>
以上の二つのヤンの思想から考えると、仮にヤンの「民主主義形態を守る」という考え方が「信念」と呼ばれるものであったとしても、その信念は、ヤン自身の完全な自信のもとにある「確固たる信念」だったというわけではなく、あくまでも反対方向に等量等質の正義がある、相対的で「よりましな選択」でしかなかったと考えられます。
ここからは、少し推測が強いのですが、ようするに、ヤンが大胆な行動にでなかったのは、結局、上のような考え方から来る一種の消極的な姿勢、つまりは自分の行動に対する自信の不足、さらには、1でも述べたような、自分の信念による行動によって民間人の犠牲を増加させることを忌避し躊躇する心情によるように思われます。なんかちょっと弱いような気もしますが、いかがでしょうか。
あと、それだと「軍人なら犠牲にしてもいいのか」というつっこみを入れたくなるように思います。というか、私が入れたいです(笑)。この矛盾に対してはヤンの答えはありませんが、理解はしていて、結構苦しんでいるっぽいです(銀英伝1巻232ページなど)
ただ、たぶんヤンは「民主主義の理想」すらも、絶対視してはいなかったと思います。
ちなみに、以下はまったくの印象に過ぎないのですが、ヤンが、ラインハルト好きで、トリューニヒト嫌いなのは、おそらく、多分に、もしかすればほとんど感情的なものなんじゃないかと、私には思われます。
でも、あくまで印象です、これは。
3、シビリアン・コントロールの矛盾について
何も言うこと無いです。というか、私は全く気づいてませんでした。なんか悔しいかも(謎)
冒険風ライダーさんがおっしゃってることは、基本的に大筋で正しいことが多いと私は思います。たしかにヤンは理想主義者であり、にもかかわらず自分の理想に殉じるまでには、自信もやる気も持っていません。たぶん。
あと、ヤンは好き嫌いが激しいという性質を持っており、そのなかの一つに「めんどうなことはきらい」というのがあるように思います。なので、謀略を積極的にしなかったのは、実は、単に「謀略をするのがめんどうだからやだ」、もしくは「謀略は嫌い」という理由だけかもしれないとも、私は思っています。要するに、純粋に嫌いなだけだったと(笑)。
ヤンは、おそらくそういった点(好き嫌いが多く、しかもそれを少なからず公務に反映させている点)も含めて「公人」として失格なんだろうとは思いますが、ただ、そのへんもヤンという人物の魅力の一つになっているのではないかとも思います。
ずいぶんと大急ぎで書いたので(それでも結構かかったけど)、穴などは無数にあると思いますので、誤りなどをご指摘頂ければ嬉しく思います。てゆうか、ただ読んで「馬鹿なこと書いてる奴がいるぜ、ケッ」ぐらいのことでも思ってくださるだけでも、ちょっと嬉しいです。
あと、最期に、この掲示板では田中芳樹がぼこぼこにたたかれてますが、とりあえず、私は「銀英伝を書いた」という一事だけで、めちゃめちゃ感謝してます。だから、べつに田中芳樹がこれからなにを書こうが構いません。(この掲示板で田中芳樹をたたくことで、もう一度銀英伝なみのものを書いてくれるというなら、私も喜んで参加しますが、そんなことは無理でしょう、たぶん)
でも、この掲示板見てると、じつは結構楽しかったりします。
乱文失礼いたしました。では。
(ちくしょう、朝になっちまった)
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- board2 - No.532
ノベルズの存在意義&RE間ね。
- 投稿者:匿名希望
- 2000年01月22日(土) 01時13分
正論や歴史的事実などは、休日あるいは暇な時間に金を出してまでは読みたくない。ノベルズ作家の一時隆盛の原因はこれではないでしょうか意図して書いておられたのかどうか、私には分かりませんがこの昨今の風潮は
>「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。私は、あの顔が嫌いだ」
まさしくこの言葉に集約されているように思います。ただ、その態度はそれほど悪いものとも私は思いません。特に実生活では真面目にやっている方の趣味がそうであった場合はとくにそうです。そんな方に
「そんなものは無駄だから読むな。」
というのは酷ではないかと思います。起こってしまった歴史や今目の前の現実から目を背けるのは卑怯かもしれません。でも、かまわないんじゃないんでしょうか。受験勉強で疲れた頭を休めるため、爽快な宇宙艦隊決戦を読む。アルバイト先で上司に怒られて帰ってきた夜、代償行為として竜堂兄弟がいやなやつを理屈抜きでぼこぼこにしてくれる。そして明日からはまたがんばれる。そんな方々のためのストレス解消道具の制作者として氏は必要とされ、また、そんな方々に氏は優しく寛容であり、そのニーズをとらえそれに答えるという点では誠実なのではないでしょうか。
>それにしても「現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なり」、・・・ロコツですねー(*^^*;
私も銀河英雄伝説のファンサイトであれば、上段の事も含めこんな事は書きません。また、このHPは暇つぶし、議論のための議論に堕しないことを標榜しておられるので敢えて書かせていただきました。
というよりですね。この前、下書きしたものなどはもっとすごかったんですよ。(^^) ちょっと別の話題ですけど。ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
- 親記事No.482スレッドの返信投稿
- board2 - No.533
訂正、補足
- 投稿者:ふみさとけいた
- 2000年01月22日(土) 10時54分
> ヤンは「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、どちらを優先するのか、といえば前者なんですよね。バーミリオンなどを見ればそれは明らかだと思います。では、後者が信念なのかというと、「動くシャーウッドの森」辺りが矛盾になりますし、例えば彼の信念が「軍事は市井の倫理観を持つべき」だとするならば、彼は同盟のクーデターのときにラインハルトを誉めたりはしないでしょう。僕には彼の信念がなになのか、イマイチわからないのです。彼の人生はどう言う視点から見れば一貫性を持ちうるのでしょうか?
すいません。ここの部分なんだかおかしいですね。
言いなおします。
「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、ヤンは「動くシャーウッドの森」の件では、前者を優先し、その前のトリューニヒトの停戦命令では、後者を優先しました。よって先の二つはいずれも「信念」であるとは言い難いと思います。
また、「謀略」を否定しながらも、彼は同盟のクーデターの時のラインハルトの謀略に賞賛を送っています。いかに、自分の「信念」を人に押し付けないといっても普通、賞賛は送らないのではないでしょうか。
彼の行動は全てにおいて矛盾をはらんでいるように思います。僕がヤンに「信念」は存在しないというのは、そういうわけです。一体どのような視点から見れば彼の人生は一貫性を持ちうるのでしょうか?
すごく支離滅裂な文章ですいません。
もう少しうまく書けるといいのですが・・・。