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board2 - No.717

私の創竜伝考察28

投稿者:冒険風ライダー
2000年03月14日(火) 17時00分

 創竜伝に限った事ではありませんが、田中芳樹が現代日本を語るとき、なぜアレほどまでに非現実的な主張を繰り返すのでしょうか? 銀英伝やアルスラーン戦記などにおける、比較的現実に立脚した主張との乖離があまりにも凄まじいため、「本当に同じ作者が書いたのか?」という疑念すらわいてきますね。本当にそうであったならどれだけ嬉しい事である事か(-_-;)。
 それでは、創竜伝9巻の批評の続きです。


P135上段~下段
<始が続に話しかける口調は怒りに満ちている。
「南京大虐殺などなかった、と主張する日本人の本は何冊もあるが、その中で現地におもむいて被害者である南京市民に取材した本は一冊もない。理由はただひとつ、取材したら自分たちにつごうが悪いからだ」
「南京大虐殺の真相はいまだにわからない、と主張する新聞社や出版社もありますね」
「そういう新聞社や出版社は、現地に調査団を派遣し、現地の人に取材して真相を明らかにすればいい。現地取材がジャーナリズムの最低条件じゃないか。真相がわからない、が聞いてあきれる。いままで五〇年以上も何をしていたんだ」
「自分たちにつごうの悪い真相を隠しつづけてきたんですよ。何しろ被害者に取材せずに、事件はなかった、と強弁しているんですからね。恥を知っていればとうていできないことです」>


 「いままで五〇年以上も何をしていたんだ」って、「南京大虐殺」について最も否定的な見解を示している産経新聞などは、つい最近まで中国への入国自体が全く許可されていなかったのですから「中国での現地取材」なんてできるわけがないでしょう。それに1960年代に日本のマスコミが中国から次々と国外追放処分を受け、唯一「現地取材」が可能であったはずの朝日新聞があの異常なまでの中国礼賛報道を行っていたという事実から見ても、「現地取材」が事実を正確に伝えるとは限らない事は明白ではありませんか。第一、中国に言論と報道の自由がないという事は、彼ら自身が言明していた事でしょうに。彼らはかつて自分達が主張していた事さえも忘れてしまったのでしょうか(笑)。
 そもそも「現地取材による情報提供」に信憑性を与えるためには、言論の自由と現地における報道の自由が完全に保障されていることが絶対条件として必要であり、それがない国でいくら「現地取材」を行ったところで、その国にとって都合の良い情報だけしか提供されないであろう事は目に見えています。そして中国や北朝鮮などは最もその手の情報統制を行っている国です。相手側の国が指定した場所でしか報道活動が許されず、インタビューされた相手に言論の自由が一切保障されていないのでは「事実を正しく伝える報道」など不可能です。また、報道する側も国外追放処分などを受ければマスメディア間の情報競争に乗り遅れる事になってしまいますから、自ら報道を自主規制するようになってしまうのです。この環境でどうやって「現地取材」から事実の探求が行えるというのでしょうか。
 それに日本側が「日中共同で南京大虐殺についての調査を行おう」と中国側に申し出ても、中国政府がそれを拒否するために全く「現地取材」ができないという事情もあります。「現地取材」を拒絶しているのは常に中国側の方なのです。これから言っても「自分たちにつごうの悪い真相を隠しつづけてきた」というのは、むしろ中国側のほうに当てはまりますな(笑)。自分たちの主張に理があるのであれば、積極的に取材を行わせるはずですからね~。
 このような弊害がある以上、当時の南京の実状については、当時の日本軍や外国の資料、それに今現在公開されている中国側の資料などを使って把握するしか手がありません。そしてそれらからでもかなりの事実をつかむ事ができます。たとえば当時の南京の人口が軍人と民間人を合わせても最大25万人しかおらず、しかも占領後却って人口が増えた事、当時の日本軍の弾薬・補給事情の貧弱であるために物理的に30万大虐殺とそれに伴う死体処理が不可能である事、当時の新聞や国際社会で「南京大虐殺」が全く話題になっていなかった事、そして「シンガポールの華僑虐殺」の場合と同じく便衣隊が跳梁跋扈していた事情などが書かれている資料に基づいて、「南京大虐殺」を否定する人達は「虐殺説」を否定しているわけです。彼らの主張を否定したいのであれば、それを覆す資料を提示すれば良いだけの話ではありませんか。言論の自由と報道の自由のない中国で、相手の指示されるがままに「現地取材」を行うよりも、その方がはるかに確実ですし信憑性もあります。
 それにしても、自分達が社会評論を論じる際に、その現象が起こった理由や原因や歴史的背景を何ら検証せず、表層的な結果だけを見て「悪」と断定するような連中が、よくもまあ中国の実情も把握せずに「現地取材がジャーナリズムの最低条件」などと論じる事ができますね。恥を知っていれば到底できないことです(笑)。

P135下段~P136下段
<一九九四年、日本の首相がマレーシアを訪問し、第二次大戦中の日本軍の侵略行為について謝罪した。するとマレーシア首相は「なぜ日本が五○年も昔のことを謝罪するのか理解できない」といった。日本のマスコミは騒ぎ、 一部の新聞や雑誌は「それ見ろ、謝罪などする必要はないのだ」と放言した。
 だが、このマレーシア首相は、「国家に害を与える」という理由で、平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける非民主的な権力者である。為政者がテロを禁止するのは当然だが、平和的なデモまで禁じるというのは、民意を代表していない証拠であろう。そして、マレーシアの野党や新聞、台湾やフイリビンや香港などの、マレーシア首相発言を批判する声は、日本ではほとんど報道されなかった。そもそも、その発言の直後、マレーシア副首相が日本を訪れ、「首相の発言の真意は、日本の罪を赦すものでも認めるものでもない。日本の指導者と国民が、侵略を受けたアジア人民に心から謝罪し、過ちを認めれば、日本の首相は外遊のたびに謝罪しなくてもすむはずだ」という発言をした。副首相の発言は、アジア各国では広く報道されたが、日本の新聞はこれをまったく無視して、 一行の報道もしなかった。そのことをシンガボールの学者が指摘している。日本の新聞の体質がよくあらわれた話だ。まともで常識的な意見は無視し、特異な意見だけ取りあげて大さわぎするのだ。>


 私は創竜伝や銀英伝を批判する際にいつも「政治の場に感情を持ち込むな」と主張しているものですが、この謝罪外交の事例などはまさに「政治に感情を持ち込んだ最悪の事例」であるといえるでしょう。外交の場というものは本来、どれほどまでの屁理屈をつけてでも自国の国益を主張するための場なのであって、そこで近隣諸国の顔色をうかがってばかりいるのは日本ぐらいなものなのですけどね~。
 そもそも国家間の公式の外交の場で首相が「過去の戦争責任」について謝罪するという事が一体どういう事を意味するのか、田中芳樹は少しは考えた事があるのでしょうか? 謝罪して罪が清算されるというのは日本人以外には全く通用しない発想で、外国では謝罪などしたらそこから責任が発生するという考え方が常識なのです。「謝罪したら終わり」ではなく、そこから「責任追及が始まる」のです。そして国家間の外交における「責任の取り方」というのは大抵「賠償金の支払い」であると相場は決まっています。政治の場で本気で「心からの謝罪」とやらを実行しようとするのならば、そのように具体的に形にする以外に誠意の示しようがありません。すくなくとも、いくら口だけで「心からの謝罪」とやらを主張したところで相手国は全く信用してはくれない事でしょうね。
 しかも仮にそうやって賠償金を支払ったところで、どのくらいの賠償金を支払えば「心からの謝罪」であると認めてもらえるかという明確な基準がない限り、日本は相手側が認めるまで永遠に賠償金を支払いつづけなければならないのです。こんな事態を招きかねない、世界外交史上最悪と言ってもよいほどの愚行を行った当時の社会党政権は一体何を考えているのかと私は言いたいぐらいなのですけど。
 そもそも第二次世界大戦における戦後処理・戦後賠償の問題は、すでにサンフランシスコ平和条約、日韓基本条約、日中平和友好条約などですでに決着がついており、今更謝罪を要求されるような筋合いのものではありません。過去に結ばれた条約を無視してまで、すでに決着のついた問題を蒸し返して謝罪する事は明白な国際法違反です。人サマに法治主義についてアレほどまでに説教する人が国際法違反を推奨してはイケマセン(笑)。
 それにマレーシアのマハティール首相を「非民主的な権力者」などと弾劾するのもいかがなものか。「平和的な街頭デモでさえ禁止し、野党や新聞社への弾圧をつづける」って言っても、東南アジアの国情から考えると「弾圧対象」が華僑中心であるというのは容易に想像がつきますし、彼らが経済的に相当な力を持ち、東南アジアの国々と対立しているというのは以前の評論で説明した通りです。すくなくとも、弾圧される側が一方的な弱者などではなく、本当に「国家に害を与える」危険性があるという事情くらいは考慮されて然るべきでしょう。そして現地の国家と対立している彼ら華僑が現地のマスメディアを握って反日報道を積極的に行っているという事実もまた、考慮されて然るべきものでしょうね。つまり彼ら華僑の反日報道は、現地の国民感情を忠実に表現したものなどではないということです。
 マハティール首相は、欧米ではなく日本を模範にした「ルックイースト政策」を提言し、また大分県の平松知事から「一村一品運動」について学ぶなど、日本に対して最も好意的な政治家ともいえる人物です。日本の謝罪外交に対する発言も、日本の事を心から考えた上での忠告だったのですし、さらにその後「日本に対して今更戦後賠償を求めるような事は、わがマレーシア国民にはさせない」という主旨のことまで言ってくれたのですけど、日本にとって大変貴重であるそのような親日的な外国の政治家を「非民主的な政治家」というただ一言で斬り捨てるような発言は、それこそ竜堂兄弟や「仙界の連中」が主張していた「友達をなくす行為」(By瑤姫)だと思うのですけど(笑)。
 この社会評論は田中芳樹の評論を語る際の体質がよくあらわれた話ですね。まともで常識的な意見を何ら検証せず、しかも主張と何ら関係ない事を持ち出してまで「絶対悪」のレッテルを貼り、夢想的で特異な意見だけをあたかも「絶対善」であるかのように取りあげて大さわぎするのですから(笑)。

P142上段~P143上段
<「私どもが考えだした消費税は魔法の杖です。振ればいくらでも金銭が沸いて出る。いずれ二〇パーセントまで上げるべきですな」
「そう簡単にいわんでほしいなあ。君たち官僚とちがって、私らには選挙というものがあるんだ。あんまり国民感情にさからうわけにもいかんよ」
 官僚の特徴は、極端なエリート主義である。自分たちだけが優秀で公正で国家を憂えている、と信じこんでいるのだ。彼らにとって国民とは衆愚にすぎないし、衆愚に選ばれた政治家も無能だと思っている。彼らは行政改革もせず、税金の浪費もやめず、大企業や財団への天下りもやめない。そんな必要はないのだ。御用文化人やマスコミを動員して国民を洗脳した結果、「消費税が上がるのは福祉のためにしかたがない」とみんな思うようになった。だが消費税がほんとうに福祉のために費われているという証拠はどこにもない。資料の提出を国民が求めても、「守秘義務」と称して拒絶する。官僚は自分たちを「公僕」だなどとは思っていない。愚かな国民を支配し指導するエリートだと思いこんでいる。いまや消費税という無限の財源を、彼らは手にいれた。三パーセントが五パーセントになり、七パーセントから十パーセントへ、今後は上がる一方である。「西ヨーロッパ諸国のほうがもっと税率は高い」という声もあるが、もともと西ヨーロッパ諸国は日本に較べて物価が安いのだ。>


 田中芳樹よ、消費税と官僚を無理矢理にくくって偉そうに批判するより先に、もう少し税制と経済の基礎ぐらいは学んでおいた方が良いんじゃないですかね。毎年半分近くの税収が自営業者に脱税されてしまう消費税を「無限の財源」などと言っているようでは、税制に対する無知を自白しているようなものですな(笑)。あの消費税には構造的な欠陥があって、自営業者が脱税しやすくなっているという事実を田中芳樹は全く知らないのでしょうね。
 それに消費税が上がることがまるで絶対悪であるかのように言っていますけど、消費税率が上がる分、特別減税措置がなされたり所得税や法人税の最高税率が下がっているという事実は全く無視されていますね。所得税をはじめとする直接税は「収益」に課税されるために税収が不安定であるという特徴があり、経済の高度成長時には多くの税収が見込めますが、安定成長時ないし不景気では税収が下がってしまいます。しかも今後の高齢化社会による労働人口の減少により、ますます直接税による税収は下がると見られているのです。それに対して消費税のような間接税には「消費活動」に課税されるために安定した税収が見込めるという利点があり、長期的な国家の財政運営の観点から見れば間接税の重視こそが望ましく、そのために消費税が導入されたのです。したがって「直間税率の見直し」という観点から見れば、消費税率が上がっていくことはむしろ望ましい事なのです。
 もっとも、橋本政権の消費税5%政策の場合は、日本の不況をさらに拡大してしまうという破滅的な効果をもたらしてしまいましたが、これは税率を上げた時期が悪かったからであって「景気対策」「経済政策」などと一緒に論じられるべき問題でしょう。不景気の真っ只中で増税などをすれば、そりゃ景気は一気に冷え込みますわな。消費税の税率引き上げは、その時期を見計らう事こそが重要であるというわけです。
 これだけでも消費税引き上げに対する反論としては充分であると思いますが、さらに笑ってしまうのが「西ヨーロッパ諸国は日本に較べて物価が安い」から消費税率の引き上げは不当であるという論法ですね。こんなのは反論にもなっていません。「物価が高い」という事は「消費税の収入額が多い」と同時に「国家財政の支出の額も高くなる」という事になるわけで、完全にバランスが取れてしまうのですけど(笑)。税率の問題で西ヨーロッパ諸国との物価比較など何の意味もありません。まさか日本で収集された税金を西ヨーロッパ諸国で使用するわけではあるまいに(笑)。これは田中芳樹が経済における収入と支出の関係がまるで分かっていない証拠ですね。これで消費税を批判されてもな~。
 で、ひとつ思うのですけど、私が取り上げたような消費税問題と、官僚のエリート意識や天下りといった問題とに、一体何の相関関係があるというのでしょうか? 私には全く無関係な事を無理矢理つなぎ合わせているようにしか見えないのですが。

P147下段~P148上段
<靖一郎がいま苦労しているのは、文部省とのさまざまな折衝だった。富士山が大噴火して多くの死者が出ても、日本の社会システムにたいした変化はない。文部省がつぶれたわけでもなく、翌年にもきちんと大学入試はあるのだ。文部省は財界などにつつかれて、このところ「学生の理科系離れを防がねば、日本はテクノロジーで諸外国に立ちおくれてしまう」と騒ぎたて、補助金を理科系優先にする、などといいだしているのだった。靖一郎としては共和学院をもっと大規模な学校にして補助金もより多くもらいたいところなのである。
 だが近代日本の歴史を見ると、つねに理科系は優遇され、文科系は冷遇されてきた。筑波研究学園都市は政府が巨額の資金を投入して建設されたものだが、そこにあるのは理科系の施設ばかりで、文科系の施設などはほとんどない。大企業も、理科系の学部や大学院には資金援助をするが、文科系に対して寄付などめったにしない。>


 上記の文章は、まず社会評論を語るための前提が破綻していますね。「富士山が大噴火して多くの死者が出」、さらに東京の首都機能がマヒ状態になっているというのに、なぜ鳥羽靖一郎に「文部省と折衝」するような余裕があるのでしょうか。その前に学校と生徒と今後の学校運営の事を心配しなさいよ(笑)。文部省の側も、たかだか「私立の共和学院」などにかまっている余裕があるのならば、首都機能がマヒしている東京の学校指導対策でも行えば良いものを。第一、被害を受けていない他県の大学はともかく、東京近辺に存在する大学は富士山の大噴火でほぼ壊滅状態になっている上、受験する側も大部分が被災しているのですから、翌年にきちんと大学入試ができるかどうかもはなはだ疑問なのですけど。
 とまあストーリー設定におけるツッコミはこのくらいにしておいて、本編の社会評論批判にいくとしますか(笑)。
 この社会評論から滲み出ているのは、学校の教育問題全般に対する田中芳樹の無知ですね。まあ創竜伝の社会評論における田中芳樹の無知は今に始まった事ではありませんが(笑)、例によって例のごとく、批判対象である理科系の存在意義や大企業との関係などについて全く考えた形跡がありません。文部省の「学生の理科系離れを防がねば、日本はテクノロジーで諸外国に立ちおくれてしまう」という危機感は完全なる事実です。戦後の日本の奇跡的な経済発展や最先端テクノロジー技術などは、まさに理科系の充実によって支えられてきたのであり、しかも今後コンピュータ関連技術やバイオテクノロジーの開発などでますます理科系が重要になると予想されるため、学生の理科系離れは企業にとっても文部省にとっても深刻な問題として受け止められているのです。これについては下の批評で後述します。
 それに「補助金」ってねえ……。この「補助金」こそが、学校の自由な運営を阻害している最大の要素で、学校間の自由競争を妨げ、学校全体の教育水準を著しく低下させている元凶であるという事も田中芳樹は知らないのでしょうね。国から補助金を受けている限り、余程バカな学校経営者でもない限り学校が潰れることがまずないために惰性的な経営に安住してしまうことが、学校教育を画一化させてつまらないものにしてしまい、ひいては学生の教育水準を引き下げてしまっている大きな原因なのです。学生の理系離れの問題も、補助金制度による「教育の画一化」こそが大きな原因のひとつであるといえるでしょう。教育問題を問うのであれば、むしろ文部省の補助金制度自体のあり方について考えなければならないはずなのに、「補助金が理系偏重」などと見当違いなことを主張してどうするのでしょうか。
 第一、田中芳樹の常日頃からの主張から言っても、「国家権力」であり「右翼の巣窟」でもある文部省の補助金なんぞは無用の長物であると断言する事こそが、この部分における本来の田中芳樹の社会評論の論調であるはずでしょうに(笑)。現実問題として見ても、実際に文部省の補助金制度は文部省の学校統制という一面もありますし、それに孔子サマのことわざで「渇しても盗泉の水を飲まず」と言いますからな(爆)。
 あと余談ですけど、日本国憲法には国公立学校以外の学校に対する私学助成金を禁止する条項(日本国憲法第89条)があり、これからいくと私立学校の共和学院が文部省からの補助金をもらう事は憲法違反に問われることになるのですけど、社会評論を語る時にあれほどまでに法治主義にうるさい田中芳樹がなぜこの事実に対して怒らないのか、私にはホントに不思議でなりませんね。

P148上段~下段
<第二次大戦のころ日本では「学徒動員」がおこなわれた。「大学生も銃をとって戦場にいき、お国のために死ね」というわけである。ところがこのとき戦場へ駆りたてられたのは文科系の学生で、理科系の学生は動員を免除されたのだ。「文学部や法学部の学生など死んでかまわん。だが医学部、理学部、工学部の学生は役に立つから生かしておこう」というのが日本軍の考えだった。そういう傾向は戦後になっても変わらなかった。高校には理数科というものがつくられて、そこで学ぶ生徒は学校側によってエリートあつかいされ、別に医者になりたくないのに大学の医学部に合格するのが成功とされた。理科系科目を、教科でも学問でもなく、生徒をエリートと非エリートとに差別する手段として使っていたのだから、生徒たちが嫌気がさすのは当然である。
「生徒たちの国語力が低下している、自分たちの国の歴史を知らない」と指摘されても、国も大企業も平然としていた。「自分でものを考える社員などいらない」と放言した財界人もいる。それが「理科系離れが進んでいる」といわれると、大さわぎで対策を練り、資金を出す。学問を自分たちに都合のいい道具としてしか見ていないからだ。>


 このような社会評論を見ていると、いかに田中芳樹が近代戦や近代科学における理系の重要性について無知であるかが理解できますね。まさか田中芳樹は「竹槍で航空機が落とせる」などという時代錯誤的な考えの持ち主なのではないでしょうね(笑)。まああれほどまでにひどい現代兵器に関する無知もこの辺りに由来しているのでしょうけど。人サマに偉そうな説教ができるほどに歴史を学んでいるというのならば、もう少し近代における理系の重要性を理解したらいかがです?
 旧日本軍の「文学部や法学部の学生など死んでかまわん。だが医学部、理学部、工学部の学生は役に立つから生かしておこう」という考え方は、前半部分はともかく後半部分は何ら間違った考え方ではありません。医学は戦場における負傷者の救護活動のために、理学・工学は近代兵器を開発・生産するためにそれぞれ必要不可欠なものです。ことに20世紀の戦争では近代兵器の開発が飛躍的に進み、近代兵器の研究・開発・生産なしには到底戦争に勝てないとまで言われているほどです。戦争を抜きにしても、日本のような資源を全く産出しない国家が国際社会で生き残るためには、工業力を発展させるしか方法がなく、そのためにも理系分野を充実させる事が求められたのです。現に戦後日本の奇跡的な高度経済成長と工業技術力の発展は、この理系学生の充実によってもたらされたのですから、戦況不利によってなし崩し的に行われた「学徒動員」の方はともかく、旧日本軍の理系重視政策自体は、政治的結果から見ても妥当な政策であったと言えます。かくのごとく成功した政策を戦後日本が受け継いだのはむしろ当然の事です。ましてや、現代では理系の重要性は昔とは比較にならないほどに高くなっている上、学校運営費用も研究費用などのために文系とは比較にならないほどに高いのですから、国や大企業が人材確保の観点から先行投資をするのは当たり前です。それとも理系学科はどこからも援助を受けてはイケナイとでも言うのでしょうか。
 それから「理数科」についてですけど、これは「成績優秀な生徒に対してさらに高度な学問を教え、高度な専門知識を身につけさせよう」という思想のもとに生まれた学科であって、別に「生徒をエリートと非エリートとに差別する手段として」設立されたわけではありません。成績優秀な生徒と成績劣悪な生徒とが一緒に勉強するとなると、教える側の授業方針としてはどうしても成績劣悪な方に合わせて講義せざるをえず、それでは成績優秀な生徒の学習が足止めされてしまうからこそ、成績優秀な生徒のための授業ができる「理数科」が設立されたのです。その事情が成績劣悪な生徒の視点から見れば「エリート」に見えるのは仕方がないのかもしれませんが、仮にも評論を展開する者がこんな偏見に満ちた目で「理数科」を見てどうするのでしょうか。
 そして「理数科」というのが基本的に理系学科である以上「大学の医学部に合格するのが成功とされ」るのは「理数科設立の目的」からすれば当然の事でしょう。社会通念として「医者になれば成功」というのがあるのですし(最近は違うようですが)、実際医学部に入学するというのは難しいそうですからね。「別に医者になりたくないのに」というのは個人の将来志望の問題であって「理数科という学科の問題」などではありません。将来医者になることに価値を見出す人もいればそうでない人もいるから価値観の押しつけは良くない、ただそれだけの事です。そしてこれは何も「理数科」に限った問題ではないでしょうに。生徒と教師との間で解決すべき問題を、あたかも「理数科特有の問題」にしてしまう3流イカサマトリックは大したものですね。このような偏見に満ちた3流社会評論を堂々と展開するなど、恥を知っていれば到底できないことですから(笑)。
 さらに「生徒たちの国語力が低下している、自分たちの国の歴史を知らない」というのも、何度も言うように自虐史観のような教育方針を積極的に推し進めていった日教組をはじめとする教育組合の方に問題があるのであって、しかも思想にこだわらない大企業はともかく、国の方は平然としているわけではありません。国の教育を担当している文部省の学習指導要領で、いつも歴史教育や国語教育の重要性を説いているではありませんか。にもかかわらずそれを教育組合の側が全く守っていないのです。学生の「国語力の低下」と「歴史の無知」を批判したいのならば、むしろ日教組にこそ批判の矛先を向けるべきでしょう。何でいつもそうなっていないのか、非常に不思議でならないのですが。

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board2 - No.718

Re713: 昇進速度の解答

投稿者:冒険風ライダー
2000年03月14日(火) 17時02分

<あちゃー、やっぱり5分で考えたようなものでは穴だらけですな(笑)。
うーむ、さっぱりお手上げです。>


 う~む、Merkatzさんまで分からないとは。私の感覚では「答え」を書いて投稿したつもりだったのですが。
 どうもこれ以上待っても誰も解答してくれないようですので(T_T)、そろそろ私なりの答えを投稿する事にしましょう。
 私はNo.710で「私の主張の中に、ヤンだけでなく同盟軍士官全員の昇進速度の謎を解く鍵がある」と書きましたが、その鍵とは、

<アスターテ会戦までの戦争では、勝利の帰趨がどちらにあるかが明確であるケースが極めて稀であったこと、そして一回の会戦における戦争犠牲者の平均が常に30~60万前後であったという事実>

 ↑これの事です。これこそが同盟だけでなく銀英伝全ての軍人の昇進速度の謎を解く鍵なのです。
 帝国と同盟との130年にわたる戦争の中で、実際に帝国と同盟が戦った会戦の数は330回前後にのぼりますが、その中で一方が圧倒的な勝利を収め、他方に壊滅的な被害を与えた例は数えるほどしかありません。これは帝国と同盟の指揮官の能力が拮抗していた事や、双方が一進一退の戦況を繰り返していた事などが原因として挙げられますが、このような環境下で抜群の戦功を立てたり、会戦を圧倒的勝利に導くような軍人は、当然ながら有能であるとみなされ、その分昇進も早いわけです。ブルース・アッシュビーや730年マフィアなどはその典型ですね。
 さらに、このような会戦の大勝利が政治的にも重要になります。会戦の大勝利の事実を大々的に宣伝し、英雄を称揚する事によって、国内の和平派を抑えたり、現政権に対する批判の矛先をかわすことができ、また戦争称揚宣伝も行いやすくなります。ヤンの場合のように「敗戦の事実」を覆い隠すためにも使用されますね。そしてそのような宣伝が行われれば、当然ながら「英雄を昇進させろ」という世論が沸き起こり、その圧力によって「英雄」を昇格させざるをえなくなるわけで、これも昇進速度が速くなる理由のひとつでしょう。ヤンも「エル・ファシルの英雄」として称えられた後、段階的な2階級昇進をしています。

 では特に優れた戦功があったとも思えないアンドリュー・フォークとウィレム・ホーランドの場合はどうか? 彼らの場合は士官学校卒業の際の成績が首席ないしは上位何位かであったこと(ブルース・アッシュビーも士官学校首席卒業です)、そして彼らが軍部内におけるロボス元帥の派閥に所属しており、ロボス元帥が彼らを重用していた事こそが、彼らの昇進速度を速めた最大の理由でしょう。この事情から考えても「士官学校卒業」というのは昇進の際の非常に重要な項目のひとつであるわけです。ビュコックの昇進速度が遅かったのも当然ですね。

 上記の事情と同じような事は帝国側に対しても言えますが、帝国側はそれに加えて、門閥貴族優先の人事と、第二次ティアマト会戦による将官の壊滅的な被害によって、ある程度平民に対しても将官になるチャンスを提供するようになったという事情が大きいですね。平民出身のミッターマイヤーなどが20代で将官になった理由も、これで説明可能でしょう。
 こう考えてみると、第二次ティアマト会戦の政治的意義は極めて大きかったといえるでしょう。ラインハルトの台頭も平民出身の将官を大量登用したことが大きな理由のひとつだったのですから、第二次ティアマト会戦なくしては成立しなかったとすら言えるかもしれません。

 さらにもうひとつ、昇進速度を語る際に無視できない問題があります。それは「同じ艦隊が立て続けに何度も戦うわけではない」という事情です。
 一例を挙げてみましょう。

第三次ティアマト会戦
第5艦隊(ビュコック中将) 第9艦隊(ウランフ中将)  第11艦隊(ホーランド中将)

第四次ティアマト会戦
第9艦隊(ウランフ中将) 第12艦隊(ボロディン中将) 第2艦隊(パエッタ中将)

アスターテ会戦
第2艦隊(パエッタ中将) 第4艦隊(パストーレ中将) 第6艦隊(ムーア中将)

 ↑上記の表を見ると分かるように、3回以上立て続けに会戦で戦っている艦隊は絶無です。銀英伝開始時点で同盟軍は12個の艦隊を持っていますが、一回の会戦で使用される艦隊はせいぜい3~4個の艦隊でしかありません。ここから分かる事は、同盟軍は艦隊をローテーションで使用しているという事です。損害を受けた艦隊の再編成と兵力補充に時間がかかっているという事もあるでしょうし、人事バランスの問題も絡んでいるのでしょう。たったひとりの人間に戦功が集中すると他の軍人の反発を招きますし、何よりも宇宙海賊討伐の功績で名声を上げたルドルフのような軍人が発生してしまう可能性も考えられますから。銀河連邦の崩壊を知っている同盟の事ですから、それは何としてでも避けようと考えた事でしょうね。これから考えると、一回戦ったらその後何年も戦わない艦隊というのも存在するのではないでしょうか。これで軍人の階級の昇進速度をある程度鈍化させるのです。
 ヤン・ファミリーがあれほどまでに昇進速度が速かったのは、アスターテとアムリッツァの大敗北によって、同盟政府にそのような配慮を行う余裕がなくなってしまったこと、そして彼らが常に前線に立てる立場にあった事こそが最大の理由でしょう。ヤンのイゼルローン攻略も、アスターテの大敗北を挽回するためという政治的な理由が大きかったですしね。それにヤンの少佐から准将までの階級昇進はフォークなどと比べてみても実はそれほど速いというわけでもなく、士官学校出身である事と「戦闘に参加すると、2回に1回は奇功をたてた」(銀英伝1巻 P43)で充分に説明できる事です。

 これで銀英伝における昇進速度の問題は説明可能だと思いますが。

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board2 - No.719

バサード・ラム・ジェット・エンジン

投稿者:heinkel
2000年03月17日(金) 15時02分

本ページ管理人さんは書きました
>  「ザ・ベスト」再び更新です。
>  今回も新Q太郎さんに編集していただきました。本当にありがとうございます。

 編集ご苦労様です。そこを見ていて、ちょっと気になっていたところを思い出しました。

> 氷爆弾について

 「たかが一星系内で亜光速まで到達」とあったんですが、たしかに銀英伝の記述を見ると「ハイネセンまでの距離は六光時、約六五億キロメートル」となっていました。しかし、バサード・ラム・ジェット・エンジンを利用して、たったこれだけの距離の間に亜光速に達することは可能なんでしょうか。
 計算もしてみたんですけど(ちょっとあやしげなので書きませんが(^^;)、ともかくすごい加速度になりそうです。
 昔読んだ本の記憶では、当初想定された1Gの加速ですら、実際の星間物質の量が予想よりもすくなくて、磁場の大きさが非現実的なくらいに必要になってしまい実現不可能とあったような・・・。
 10億トンの氷を光速の99.999%まで加速するために必要なエネルギーを核融合反応で得るために必要な物質量を六光時を進む間に集めるために必要な「バスケット型の磁場」、ってどのくらいの大きさなのだろう(^^;

 バサード・ラムって「ワープ」よりは現実的な航法で好みですけど、何光年もの彼方へ旅するのならともかくミサイルみたいな使い方は似合わないです。っていうか、きらい。

親記事No.677スレッドの返信投稿
board2 - No.720

Re718: ちょっと考えてみました

投稿者:Merkatz
2000年03月18日(土) 14時20分

ちょっと計算してみました。一般例として考えています。

とりあえず士官学校卒で少尉(20歳)、一年後に中尉へ昇進(これは士官学校卒は自動的にそうなる)、そこからどこかの艦隊に配属されたとして、年平均2~3回の戦いに、艦隊のローテーションも考えると、だいたい1~2年に一回の出撃になります。
そして中将(艦隊司令官)になるまでには7回昇進しなければなりませんから、毎回武勲を立てたとして最速で28歳で中将になります。
ですがヤンほどの人間でも「2回に1回は奇功をたてた」程度ですから、それと同じ程度としても35歳。もっと手こずれば40超えてしまいますね。
もっとも前線での武勲だけではなく、統合作戦本部勤務だとか、管区司令官とかありますから、そこでの昇進も考慮しなければなりません。
しかし、前線での武勲と違って、勤めて一年で昇進はあり得ないでしょう。少なくとも2~3年は勤めないと功績とはならないはずです。

こう考えると、果たして同盟軍は本当に「昇進が速い」のでしょうか?
ヤンやアッシュビーは英雄という政治宣伝のために、意図的に昇進スピードを速める必然がありましたが、フォークやホーランドの場合、そこまで早く昇進させる必然性がありません。
別に30代後半で中将でも、上記概算では十分「速い昇進」になりますから。
また、仮に派閥人事ゆえとしても、役職にそうそう都合よく空きがあるとは限りません。中将になったはいいが、艦隊司令官に空きがなければそれまでです。作戦参謀その他の役職も然り。
同盟全体でこうも速い昇進が当たり前だとすると、次から次へと誕生する将官に対して、役職数が圧倒的に足りなくなるはずです。
したがって、「英雄」が速く昇進するのはよいとしても、他の士官(エリートとか派閥絡みとか)が英雄と「同じような」昇進スピードなのはちょっとおかしいのではと思います。

さらに速く昇進しすぎると、残りの期間はどうするのでしょうか。
例えば35歳で中将になったとします。定年を60歳と仮定すると、あと25年間も勤めるのにこの間の昇進はたったの2回。しかも元帥は滅多になれないのですから、実質一回。
これはそれまでの昇進スピードを考えるとあまりにアンバランスではないでしょうか。

ヤンのような英雄の昇進スピードは説明できても、その他の人間の昇進スピードの速さは無理があるように思います。

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