- 親記事No.737スレッドの返信投稿
- board2 - No.746
Re: 739 霧島那智のHPを見て
- 投稿者:不沈戦艦
- 2000年03月25日(土) 15時40分
田中芳樹とは直に関係ない話題ですけど、面白そうなので。
件のHP、私も見てきました。何かすごいですな。それに自分が「架空戦記小説」背負っている気になっているってのも。ちょっと信じられません。
正直言って、大量生産され続ける霧島那智作品は、何が面白いのかさっぱり理解できなかったので、一冊も買ったことがありません。だいたい本屋で手にとってパラパラめくり、「何コレ。つまらんのぉ」でおしまい。最近は手に取りもしませんね。「霧島那智」ってだけで「要らんわ」ってことで。架空戦記分野の霧島那智作品は、存在しなくてもいいんじゃないの、としか思っていませんので。そうなっても誰も困らないでしょうし。彼が架空戦記止めたって、影響なんかほとんど無いのではないかと思いますわ。
ああいうのを相手にするのも大変ですな。適当なところで切り上げられた方が良いのではないでしょうか。
- 親記事No.737スレッドの返信投稿
- board2 - No.748
Re: 746 架空戦記ファンの神経
- 投稿者:速水右近
- 2000年03月25日(土) 19時15分
不沈戦艦さんは書きました
> 田中芳樹とは直に関係ない話題ですけど、面白そうなので。
>
わぁーっ。「面白い」って、みんな薄情な(笑)。
>
> 件のHP、私も見てきました。何かすごいですな。それに自分が「架空戦記小説」背負っている気になっているってのも。ちょっと信じられません。
>
> ああいうのを相手にするのも大変ですな。適当なところで切り上げられた方が良いのではないでしょうか。
>
あ、もう手を引きます。
しっかしこの件に関して、架空戦記ファンの掲示板を見てきたのですが……連中の感性も、どっか変ですわ。
実は小生、彼らがよく参考資料に使っている雑誌で、原稿書いているんですよ。彼らの言う「架空戦記=戦記のパロディ」という意味はよくわかります。 しかし大半の専門家がみんな「笑えない」(笑っても、軽蔑な意味で)と言っているのに、何故彼らはその現実を見ようともしないのかが不思議ですね。「笑える」から、自分たちは「エライ、賢い」とでも、言いたいのでしょうか?
小生も馬鹿話、与太話をやらせれば環八沿線では五本の指に入ると自負しています。ただ「シミュレーション」というパッケージングで売られている本に、「悪ふざけ」はやって貰いたくないんですよ。それこそ「悪ふさげ戦記」、あるいは堂々と「パロディ戦記」で売ればいいし、読者も楽しめばいいだけではありませんか? そこまで確信犯ならば、あたしゃ、止めません。
架空戦記ファンが好きという『モンティ・パイソン』(そんなもん、全巻持ってます)にしたところで確信犯の馬鹿だから楽しいんであって、制作者は姑息な逃げは売ってないんですからね。
まぁ結局、「シミュレーション」の名称だけ、彼らは欲しいということなんでしょうが。でもそれなら、根性が曲がっているというか、下劣な品性だなぁ。
追伸 ちょっと宣伝。
近日発売の某誌グラビアに、小生が「日本人で初めて撮影に成功した」ものを載せます。詳細は書きませんが、まめに探して下さい。
それがどれぐらい凄いかというと……。位置を知っているのは、日本で小生しかいないってぐらい、とんでもない場所にあるものです。
しかし……どうせこの写真が出ると、一番喜ぶのが件の架空戦記ファンたちなんだろうな……(しみじみ)。
- 親記事No.737スレッドの返信投稿
- board2 - No.749
Re: 746 むむむ
- 投稿者:不沈戦艦
- 2000年03月26日(日) 03時57分
速水右近さんは書きました
> しっかしこの件に関して、架空戦記ファンの掲示板を見てきたのですが……連中の感性も、どっか変ですわ。
> 実は小生、彼らがよく参考資料に使っている雑誌で、原稿書いているんですよ。彼らの言う「架空戦記=戦記のパロディ」という意味はよくわかります。 しかし大半の専門家がみんな「笑えない」(笑っても、軽蔑な意味で)と言っているのに、何故彼らはその現実を見ようともしないのかが不思議ですね。「笑える」から、自分たちは「エライ、賢い」とでも、言いたいのでしょうか?
>
> 小生も馬鹿話、与太話をやらせれば環八沿線では五本の指に入ると自負しています。ただ「シミュレーション」というパッケージングで売られている本に、「悪ふざけ」はやって貰いたくないんですよ。それこそ「悪ふさげ戦記」、あるいは堂々と「パロディ戦記」で売ればいいし、読者も楽しめばいいだけではありませんか? そこまで確信犯ならば、あたしゃ、止めません。
> 架空戦記ファンが好きという『モンティ・パイソン』(そんなもん、全巻持ってます)にしたところで確信犯の馬鹿だから楽しいんであって、制作者は姑息な逃げは売ってないんですからね。
> まぁ結局、「シミュレーション」の名称だけ、彼らは欲しいということなんでしょうが。でもそれなら、根性が曲がっているというか、下劣な品性だなぁ。
>
> 追伸 ちょっと宣伝。
> 近日発売の某誌グラビアに、小生が「日本人で初めて撮影に成功した」ものを載せます。詳細は書きませんが、まめに探して下さい。
> それがどれぐらい凄いかというと……。位置を知っているのは、日本で小生しかいないってぐらい、とんでもない場所にあるものです。
> しかし……どうせこの写真が出ると、一番喜ぶのが件の架空戦記ファンたちなんだろうな……(しみじみ)。
>「悪ふざけ戦記」
こういう用語を出しているってーことは、私が某板で「悪ふざけ架空戦記」を連載している事ご存じで言っておられます?ついでにHPも作って纏めていますけど。
まあ一応言っておくと、「日本ちゃちゃちゃクラブ」とその関連板の常連連中をパロディキャラにして登場させ、架空世界で大笑いするようなシチュエーションを作ってしまおう、ってコンセプトの代物です。現実の世界に関しては関連しそうなエピソードを出すだけで、まるで関係ありませんけど。内輪受け用なので、余所の人が見てもよく解らんでしょうし。内輪には受けたようですけどね。さすがに「シミュレーション」とほざくようなものではないので、そういう事は最初から言ってはいませんが。最初から最後(まだ終わっていませんが)までふざけまくっていますし。
霧島那智作品に関しては、「トンデモ」として笑う、と言っている人もいるようですけど、私はそれ以前に面白くも何ともないので、見向きもしない、といったところですね。
- 親記事No.737スレッドの返信投稿
- board2 - No.750
Re: 749 確信犯なら……
- 投稿者:速水右近
- 2000年03月26日(日) 15時33分
不沈戦艦さんは書きました
>
> >「悪ふざけ戦記」
>
> こういう用語を出しているってーことは、私が某板で「悪ふざけ架空戦記」を連載している事ご存じで言っておられます?ついでにHPも作って纏めていますけど。
>
あっ、そうだったんですか。まだ存じ上げません。
ですが御自分から確信犯で「悪ふざけ」と言っているのですから、よろしいのではないでしょうか?
ひどい「シミュレーション」の極北といえば、カバーに「海戦シミュレーション」。著者の言葉では真っ当ことを言い、あらすじには「技術者たちの熱き戦い」としている某作品なのですが。
主要登場人物が、クレージーキャッツの面々。目次が、彼らの歌のパロディ。なかではおさだまりのギャグをやって、 最後に出てくる新兵器の名前が「鵞鳥」(ガチョン!)。そのくせ、肝心の兵器の解説は間違えているし……。
「お前ら、それのどこが楽しい」って言いたいですね!
専門家は読まない。一般人も見向きもしないということは、パロディとしても「三流」ということが証明されているようなものです。そういうヨタの、どこが『モンティ・パイソン』だっての。
しかもそれを「シミュレーション」というのは……、クレージーにも失礼ですよ。
このあたり、田中芳樹ファンとも共通した「スノッブ」臭さを感じますけどね。
どうせなら、小生が普段やっている馬鹿ぐらい書いて欲しいものです。
・徹底討論 バルタン星の数学は「二進法」か「四進法」か
・仏教的見地から見た『仮面ライダー』(ショッカーの教えは、親鸞だった!)
・バイキンマン死後の生態系の考察
・究極の二時間ワイド 片平なぎさ、名取裕子、鷲尾いさこ 三“大”女優総進撃
-
- board2 - No.751
私の創竜伝考察29
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年03月26日(日) 17時20分
今回の投稿より、今まで使用していたメールアドレスを変更する事に致しました。新たなメールアドレスは、
frontier@wonder.ocn.ne.jp
です。これまでのメールアドレスは今後一切使用できなくなりますのでご注意下さい。まあ私にメールを送ってくるような人は今までほとんどいませんでしたけど(笑)。
それでは批評の続きです。今回は法律関係の話題が多くなっています。
P150下段~P151下段
<「申しわけございませんが、私どもではお役に立てません」
冴子の言葉を、南村警視正は、なさけない思いで受けとめた。
「警察を信用してはいただけんのでしょうか」
「信用したいのは山々です。でも、特に公安警察を信用する気にはなれません。法律を破り、裁判を侮辱するような組織が権力を持っていることに恐怖と困惑を感じます」
冴子がいったのは神奈川県警がおこした有名な盗聴事件のことだ。裁判所の出頭命令を警察は拒否し、ついに裁判所に姿を見せなかった。ようやく出廷した警察OBは判事の指示をことごとく拒絶して書類に名前も書かなかった。法律と裁判所に対して、あからさまに挑戦したのである。
警察の仕事は何か。市民に法律を守らせることである。だが公安警察が組織ぐるみで法律を破り、裁判を侮辱しているという事実が明らかになったいま、警察はどうやって市民に法律を守らせるつもりだろうか。公安警察の無法きわまる暴走で、もっとも迷惑をこうむっているのは、他の部局のまじめな警察官である。南村はそう思うのだが、他の部局でもこのところ失敗や不祥事があいついで、批判の的になっている。警察を市民が信頼しないのは、市民が疑い深いからではない。警察が市民の信頼を裏切ったからだ。
有名な盗聴事件で、警察側はいっさいの反省と謝罪を拒否した。これからも態度を変えないことまで明言した。有言実行というわけで、今後も違法行為をつづけるつもりであろう。南村は絶望的な心情になっていた。街のおまわりさん、田舎の駐在さん、それこそが警察の原点だ、と彼は思っている。それを忘れ、スパイまがいの盗聴などにうつつをぬかしていてどうするのか。>
「神奈川県警がおこした有名な盗聴事件」というのは共産党宅盗聴事件の事でしょうけど、確かにこの事件で警察側は盗聴の事実を一切認めず、曖昧な態度を貫き通しています。ですから、この事件で裁判所や政府が盗聴の事実を認めているにもかかわらず、それを無視しつづけている警察側の態度は批判されて然るべきでしょう。しかしこの問題、田中芳樹が主張するような「警察の組織ぐるみの犯罪行為」であるといえるのでしょうか?
実はこの問題を詳しく検証してみると、「警察の組織ぐるみの犯罪行為」などというシロモノよりもはるかに深刻な問題が浮かび上がってきます。それは警察のみに限定できるものではない「日本の官僚機構の無謬性の問題」です。
これは日露戦争辺りからすでに見られた傾向ですけど、日本の官僚機構は決して間違いを認めず、必至で取り繕おうとし、それでもごまかせない時には隠蔽してまで「間違い」を隠そうとします。その傾向の最も有名なものが、自国の敗北を徹底的に隠蔽して勝利報道を行いつづけた戦前の「大本営発表」です。なぜこんな事が行われたかと言うと、戦前の日本軍が「絶対に間違いを犯さない」という建前があったからです。その「絶対に間違いを犯さない」はずの日本軍が間違いを犯してしまったらどうなるか? 当然国民からの非難が殺到し、その「間違いを犯した」責任者がつるし上げをくらう事はほぼ間違いないでしょう。「絶対に間違わない」という建前に反して少しでも間違いを犯し、それを認めてしまったら責任問題に発展し、つるし上げをくらってしまう。これが日本の官僚機構を取りまく「無謬性の問題」です。
実はかの共産党宅盗聴事件でも同じ事が言えるのでして、警察側が「盗聴の事実」を認めたくても認める事ができない「無謬性の問題」があるわけです。認めてしまったが最後、責任者が一言の弁明も認められずにつるし上げをくらう事は目に見えています。「警察による盗聴行為」がすくなくとも当時の法制下では違法であった事は間違いないでしょうけど、この問題で本来国民が要求すべき事は、少数の責任者にただひたすら過重なまでの厳罰を与える事ではなく、なぜそのような違法行為に走らなければならなかったのかを問い、違法行為の原因を解明し、その原因の状況考慮の上で相応の責任を問う事であるはずです。
違法行為はあくまでも違法行為として考えるとしても、その違法行為を行った背景には、犯罪捜査に必要不可欠な何か重大な理由があるのかもしれないのです。場合によっては、その行為を違法行為として妨げている現行法の方が間違っているという事すらあるのかもしれません。そのような背景を全く無視して責任者のみを厳罰に処分するだけでは、警察現場の士気を著しく減殺してしまう上に、いつかまた同じような事件が発生してしまう事は目に見えているではありませんか。そのような事態をさけるためにも、原因追及は徹底的に行い、状況改善に努めなければならないはずです。それこそが政治というものでしょう。
実際、オウム事件などのような組織犯罪に警察が対応する必要性に迫られ、1998年に「組織犯罪対策三法」が国会に提出されましたが、その中に「通信傍受法」も入っているのです。「組織犯罪対策三法」が国会を通れば、犯罪捜査の際に「盗聴」を行う事が条件つきながら合法化されるわけです。これもやはり現行法制下では組織犯罪が横行する現状に警察が対応できないがゆえの法律制定でしょう。
このような事情を全く無視して警察の責任のみをあげつらってみせた所で、それは批判としては全く無為無力であり、状況改善には何ら寄与しないという事ぐらい、すこしは考えた上で社会評論を展開してくださいよ、田中センセイ。
それから田中芳樹が法治主義云々について何やら知ったかぶりなことを主張しているようですので、そちらの方も徹底的に破砕しておく事にしましょうか(笑)。
田中芳樹は警察の仕事を「市民に法律を守らせること」と無邪気に規定しているようですが、実は「市民に法律を守らせること=市民の生活を守る」とは限りません。それどころか、法律次第では「市民に法律を守らせること」がむしろ「市民の生活を害する」などという事態になってしまう事もありえますし、その逆も充分に起こりえる事なのです。
たとえば治安維持法下で動いていた特高警察などは、田中芳樹の規定によれば当然ながら「市民に法律を守らせる」仕事に極めて忠実であったと言えますが、そのために治安維持法の本来の補足対象であった共産主義者だけでなく、自由主義者や反戦主義者など様々な思想犯が投獄されました。
また最近のオウム騒動では、オウムがやってきた街や村などで地元住民のオウム追放運動が展開されていますが、オウムは合法的な手続きによって街や村に居座っているのであって、それを追放しようというのは立派な法律違反です。田中芳樹の論法では、オウム追放運動は非合法的な行為なのですから、警察は地元住民のオウム追放運動をやめさせるべきであるという事になります。
さらに言えば、世間一般的に見れば誰が見ても明白な犯罪行為であると断定できるにもかかわらず、法律にそのことが明記されていないために法的には完全なる無罪になってしまうという事だってありえます(罪刑法定主義)。以前に会社のコンピュータのデータが盗まれたという事件がありましたが、コンピュータのデータは物ではないので窃盗罪が適用できず、仕方ないので「データをコピーする際にその会社の紙を盗んだ」などという、極めてバカバカしい微罪によって警察はデータを盗んだ犯人を逮捕したという、全く笑えない話がありました。
このように、いくら法律を守ろうとしても肝心の法律そのものに不備があれば、法律をひたすら忠実に守る事が却って国民の生活を阻害し、捕まえるべき犯罪者を逃してしまったり、逆に無実の人間を逮捕してしまうという事もありえるわけです。これほどまでに危険極まりない「法治主義」を「市民の生活を守るための法治主義」として機能させるには、常に法律のチェックと現状に合わせた法律の撤廃・改正が必要不可欠であるのであって、それを無視して現行法を神聖視し、ただ闇雲に「法治主義万歳」を唱えていた所で、現実の問題に対処できるわけがないでしょう。田中芳樹は法治主義の一断面、それも極めて危ない一面を無邪気に礼賛しているにすぎず、法治主義に対する理解があるとはとても言えたものではありません。
それにしても法治主義の難しさに比べたら、自分達の法律違反行為を「悪法は法ではない」などと自己正当化できる竜堂兄弟や、自らが制定したはずの法をすら自分達の都合でいともたやすく破る事ができる「仙界の連中」の考え方の、何と能天気かつ御都合主義である事か(笑)。いくら何でも、このような連中に「法治主義」を云々されなければならないほど、日本の警察は堕ちてはいないと思いますけどね~。
P160上段~下段
<安楽椅子に身を沈めた男が笑った。小森と同年輩で、銀髪に黒縁眼鏡をかけ、りっぱな顔だちをしている。だがその立派な顔が身体に較べて大きすぎるので、全体のバランスはとれていなかった。彼は発行部数一〇〇〇万部を誇る国民新聞の社長で、稲垣という名だった。国民テレビの会長でもあり、プロ野球とプロサッカーのチームを持ち、「マスコミの帝王」とか「プロ・スポーツ界の首領」とか呼ばれている。保守党の政治家や巨大な宗教団体の教祖などと親しく、つねに超タカ派の論陣を張り、保守党の宣伝機関をつとめていた。汚職政治家が無罪になって、他の新聞社が判決を批判したときも、国民新聞だけは無罪判決を支持したのだ。
(中略)
国民新聞はいまや公然と憲法改正を主張し、日本を「軍事貢献をすすんでおこなう大国」の方向に引きずっていこうとしていた。
(中略)
稲垣社長たちの努力で日本もめでたく「普通の国」になれそうである。野心的な官僚、無責任なマスコミ、不定見な政治家がトリオを組んで、兵士達を死地へ送りこむ「普通の国」に。>
おいおい田中芳樹よ。アンタかつて自分が主張していた社会評論まで忘れてしまったのですか? 下の社会評論はかつて自分自身で主張していた事ではありませんか↓
創竜伝5 P128下段
<いろいろ批判はあるにせよ、複数のジャーナリズムが存在していることはそれ自体いいことだ。ジャーナリズムが単一でしか存在しないと、情報は権力者によって独占され、統制されてしまう。北京の天安門事件で軍隊による虐殺事件が発生したとき、外国人はそれを知ることができたのに、中国の地方在住の人々は何も知らされなかった、というようなことがおきるのだ。>
この考えからいくと、国民新聞こと読売新聞(以下読売新聞に統一)が「新聞社の中でただ1社だけ無罪判決を支持」したり「公然と憲法改正を主張」したりする事は、民主主義の複数のマスメディアにおける意見のひとつとして許容されなければならないはずではありませんか。全ての新聞社がひとつの意見に統一されるなど、それこそ田中芳樹が批判しているはずのファシズムの第一歩でしょう。ゲッペルス宣伝大臣が泣いて喜ぶような話ですね(笑)。それに読売新聞が主張している事ってそれほどまでに暴論なのですか?
まず裁判の方からいきますけど、そもそも田中芳樹は近代国家における裁判の機能それ自体が全く分かっていないとしか思えませんね。近代国家における刑事裁判は被告を裁くことが目的なのではありません。むしろ全く逆で、行政権力である検事から被告の権利を守る事が目的であり、裁かれるのは検事の方なのです。
これはどういう事かというと、刑事裁判における検事は被告を有罪に持っていくために、様々な証拠を持ち出して被告が有罪である事を立証しなければなりませんが、検事が裁判に持ち出す証拠は、ただ単に「被告の犯罪を立証する証拠」でありさえすればよいというわけではありません。刑事裁判では、検察側の出すその「証拠」が合法的に得られたものであるか否かがまず問われる事になり、もしも非合法的な手段で証拠を得ていた場合は「証拠」として採用される事はありません。たとえば検察側が被告の殺人容疑を完璧に立証できる証拠(例:殺人に使用した指紋つきの凶器など)を裁判で提出したとしても、その証拠が拷問による自白などの非合法的手段によって得られたものであった場合は、刑事裁判において「被告の犯罪を立証する証拠」として認められる事は絶対にないのです。つまり、近代国家における刑事裁判というのは、検事が提出していく証拠をチェックし、得られた証拠全てが合法的に得られたものであると証明され、しかもそれらの証拠によって被告の有罪を完全に立証できた時に始めて被告に有罪が下るものなのであり、もしも検事が提出した証拠にほんの少しでも不明な点があれば、被告を無罪放免にしなければなりません。これが「刑事裁判において裁かれるのは検事である」という事です。
それに司法裁判においては、被告が有罪であるか無罪であるかなどという「結果」など実はどうでもよいのです。近代国家における裁判では「適法な手続き」こそが重要なのであって、結果によって正義が実現するか否かなど裁判の関知するところではありません。この点、「結果が全てである」政治責任とは全く正反対です。「裁判は過程こそが全て」とでもいえば分かりやすいでしょうか。
これを適用すると、上記の社会評論において汚職政治家とやらに無罪判決が下ったのは別に裁判官のせいでも被告のせいでもなく、被告の有罪を立証できなかった検察側に責任があるのです。それを無視して「無罪判決」を批判しても仕方がないでしょうに。これから考えると、ただ1社の新聞社の無罪判決支持は実に正しいものであったと言えるでしょう。
そして後半の「公然と憲法改正を主張」と「普通の国」云々は、もうあまりにもバカバカしくてまともに論評する気にもなれませんね(笑)。憲法の方はすでにその条文が時代に対応できなくなっているから改正を主張しているのですし(世論調査でも憲法改正賛成が7割近くあります)、「普通の国」云々に至っては「田中芳樹の誇大妄想」で簡単に片づけられてしまうものですね。以前に私が軍事関連特集で検証したような様々な諸問題を抱え込んでいる自衛隊を使って、日本を「軍事貢献をすすんでおこなう大国」にまで発展させていく事ができる具体的な方法があるというのならば、ぜひともそれを教えてもらいたいくらいなのですが(笑)。
読売新聞を誇大妄想的に過大評価する前に、もう少し小説のストーリーのバランスと現実とのギャップを埋めた上で説得力のある評論を展開してほしいものなのですけどね。まあ無理だと思いますけど(笑)。
P182上段~P183上段
<「合法的な献金などありえません。企業の政治献金はすべて違法なんです」
「何だと」
「もし企業の経営者が、政治家や官僚からの見返りを期待して献金すれば、むろんこれは完全な賄賂です。また、もし見返りを期待せずに献金したら、企業の経費を企業の利益にならないことに費うことになり、背任行為ということになります」
中熊はうめいた。続はさらにいう。
「個人献金ならかまいませんが、企業献金はすべて禁止されるべきです。それがクリーンな政治の第一歩ですよ」
「ふん、クリーンな政治か」
中熊は努力してせせら笑った。
「クリーンなだけの政治家に何ができるものか。ダーティーでも有能な政治家こそが、今の日本には必要なんだ」
続も笑ったが、これは相手の見識の低さに対する憫笑である。
「あなたとか汚職政治家にこびへつらう御用文化人とかは、すぐにそういいますね。クリーンな政治家は無能で、ダーティーな政治家こそが有能なのだ、と。でもそれは程度の低いごまかしです。そもそも、ダーティーだと人に知られること自体、無能の証明なんですよ」
「な、何だと」
「だってそうでしょう。ダーティーだと人に知られれば、失脚してしまうんですからね。隠すのが当然です。それなのにダーティーだということが知られてしまうのは、そのていどのことも隠しきれないほど無能だ、という証拠じゃありませんか」
中熊はむなしく口を開閉させた。反論できなかったのである。冷然として、続は追いうちをかけた。
「汚職がなぜ悪いかというと、国家や政治に対する信頼を失わせるからです。二五〇〇年も往古に孔子がいってますよ。『信なくば立たず』とね。民衆の信頼が失われれば国は成り立たない、という意味です。いまごろ汚職を正当化するような人たちは、精神の発達が孔子より二五〇〇年ばかり遅れているんですよ」>
この竜堂続のタワゴト、どこかで聞いた事があるなと思ったら、何と戦前の右翼の青年将校や日本陸軍の右翼社会主義者たちと全く同じ主張ではありませんか。企業の政治献金を非難するところといい、「クリーンな政治」とやらを推奨するところといい、両者は思想的な双生児かと思ってしまったほどにそっくりです。右翼をアレほどまでに批判している連中が右翼と全く同じ主張を展開してどうする(笑)。
だいたい竜堂続は、民主主義国家における選挙と政治がいかにカネがかかるものであるのか、少しは考えてみた事があるのでしょうか? 選挙に当選するには多くの有権者の票が必要ですが、様々な考え方を持つ多くの有権者を自分支持に回らせるには大規模な選挙キャンペーンを行わなければならず、それには多額の資金を必要とします。また政治を行い、自分が考えた様々な政策や法案を国会で可決させようとするならば、当然ながら色々な思惑を持つ他の政治家の協力や支持も得なければなりませんが、他人の政策提言に無償奉仕で協力しようなどと考える「お人好し」などまずいませんから、その際にも懐柔や買収などをおこなうために、やはり多額の資金が必要になります。その「多額の資金」を手に入れるためには、企業からの大口献金に頼らざるをえないわけです。個人献金では明らかに限界があるのですから。
さて、上記のような選挙と政治の実状を全く無視して竜堂続と全く同じ主張を展開した戦前の日本陸軍の右翼社会主義者たちは一体どういう代案を考えたのか? 選挙の際に推薦を受けた立候補者には選挙資金を交付するということを考えついたのですが(翼賛選挙)、その選挙資金とは一体どこから出てくるものだったかというと、その全てが陸軍の機密資金(臨時軍事費)からばらまかれたものだったのです。この結果、政治家が選挙民や財閥などの顔色を気にする必要はなくなり、「政治家の汚職」も完全に消えてしまいましたが、その代わり「陸軍の言う事なら何でも聞く」という議員が大量に発生してしまったのです。こうなってしまえば議会制民主主義は消滅したも同然です。その後の日本の歴史的経緯は今更説明するまでもないでしょう。
民主主義を維持する事は相当にカネがかかるものなのです。それを完全に無視して「政治献金はダーティーである」などと言っても全く意味がありません。それともまさか竜堂続は、戦前の軍部支配のような「クリーンな政治形態」が理想であるとでも言うのでしょうか?
ところでそれとは別に、引用している竜堂続の問答には文章自体にも大きな矛盾が存在します。竜堂続は中熊とやらいう悪役との問答で、
「合法的な献金などありえません。企業の政治献金はすべて違法なんです」
と明言しておきながら、さらに次の問答で、
「個人献金ならかまいませんが、企業献金はすべて禁止されるべきです。それがクリーンな政治の第一歩ですよ」
などと支離滅裂な事をのたまっています。仮に竜堂続が言うように「企業の政治献金はすべて違法」であるということは、別に今更竜堂続などが提言せずとも、すでに法によって明確に「企業の政治献金はすべて禁止され」ているはずではありませんか。法律で「禁止」されている行為を行う事を「違法」というのです。竜堂続は「違法」という言葉の意味が全然分かっていませんね。全く、政治献金について偉そうな事を言う前に、少しは中学生の使う国語辞典ぐらいは開いてみたらどうなのでしょうか(爆)。
それに、私は「企業の政治献金はすべて違法」なんて事自体全く聞いた事すらないのですけどね。政治献金をある程度規制する法律として「政治献金規正法」というものがありますが、この中ですら「企業の政治献金はすべて違法」などとは全く書かれておりません。「政治献金規正法」は年々内容が厳しくなってきているのですが、それでも政党に対する企業献金は完全なる「合法」として認められているのです。したがって、竜堂続の主張である「企業の政治献金はすべて違法」というのは全くのウソです。竜堂続は法に関する知識が致命的なまでに欠如しているのではないでしょうか。まあ法律違反の常習犯である竜堂続に「法に関する知識」を要求をするのは酷であるのかもしれませんが(笑)。
孔子からロクでもない引用をする前に、もう少し自分の文章構成と文章内容に矛盾がないのかどうかを少しは考えてからものを言ってはいかがです? 竜堂続くん。
P193上段
<国連における核軍縮の決議で、一五〇カ国が賛成し、アメリカ一国だけが反対したことがある。このとき日本は世界唯一の被爆国でありながらアメリカに気を使い、ただ一国だけ棄権した。日本が常任理事国になってもアメリカに反対などできるはずもない。「何でアメリカだけが二票持てるんだ」という意地悪な意見が、おそらく正しいだろう。主体的な行動もとれないくせに、外務省の役人が大国の代表面したいばかりに国民の負担を増やし、兵士たちを危険地帯に送りこもうとしているのである。そしてそれを無責任なマスコミがあおりたてる。反対する者は「一国平和主義者」とののしられ、非国民あつかいされるのだ。PKOで兵士たちが死んでも、超タカ派のマスコミや文化人たちはいっこうにかまわない。かえって、「武器を持たせないから悪いのだ、重武装させるべきだ」と騒ぎたて、海外派兵をどんどん拡大させていくつもりなのだから。>
↑ここまで非現実的な社会評論を堂々と語れるというのは、もうある意味天才的な才能とすら言えるのかもしれません。政治と軍事に関する無知と現実感覚のなさが露呈しています。全く、恥を知っていればここまでマヌケな事は書けないでしょうに(笑)。
だいたい小学校の学級会じゃあるまいし、国連のような国際政治の世界で「多数=善」「少数=悪」などという論理が通用するわけがないでしょう。核軍縮に反対した150ヶ国の国々も、それに唯一反対したアメリカも、そして「アメリカに気を使い、ただ一国だけ棄権した」日本も、それぞれが自国の国益を考えて行動したという程度の事くらい、政治を語る際の基礎中の基礎ではありませんか。150ヶ国の国々が核軍縮に賛成した理由はただひとつ、アメリカの軍事力を縮小させる事が自国の利益になるからなのであり、それにアメリカが反対するのはむしろ当然です。そして日本がただ1国だけ棄権したのは、そのアメリカに配慮して恩を売り、日米同盟を強化してアメリカに自国を守ってもらう事が日本の国益にかなう事であったからでしょう。国益を追求する国家がひしめく国際社会において「150ヶ国」という数的優勢があるからといって、その主張が「普遍的に正しい」などということがあるわけないではありませんか。
それにPKO(国連平和維持活動)問題でも言っている事がメチャクチャですね。田中芳樹曰く「無責任なマスコミ」とやらの大半は自衛隊のPKF(国連平和維持軍)参加に「賛成」どころか「反対」していたのですし、賛成する人間に「右翼」だの「軍国主義者」だのといったレッテルを貼っていたのです。そしてPKF参加中に死傷者が出た時に「それ見ろ、無用な自衛隊派遣をするから死傷者が出てしまったではないか」と騒ぎ立てたのもまた、朝日新聞をはじめとする「無責任なマスコミ」でした(笑)。言っている事が現実と全く逆ではありませんか。
さらに言えば、そもそもPKOが展開される地域には、様々な兵器で重武装されたゲリラや武装集団などがおり、そんなところに銃1丁だけを持たせて自衛隊を派遣するなど、派遣される自衛隊員に「死んでこい」と言っているに等しいのです。自衛隊を死なせたくないのであれば、自己防衛のためにもむしろ徹底的に自衛隊に重武装させなければならないはずです。こんな事はちょっと考えればすぐにわかることではありませんか。
政治と軍事を語りたいのであれば、その杜撰すぎるほどにひどい政治認識と軍事知識のレベルを、もう少し上げてからにした方が良いのではないですかね? 田中センセイ。
P193下段~P194上段
<一九五〇年代の末に日本の首相をつとめた人物は、かつて「満州国」で日本人官僚群のボスとして権力をふるい、多数の中国人を強制労働させて「A級戦争犯罪者」に指定された。それが日本で復活して首相になると、「共産主義者と戦うためには資金が必要だ」と称して、アメリカ中央情報局から巨額の金銭をもらっていた。これは当時の駐日アメリカ大使やCIA幹部が証言したことである。いっぽう左翼政党のほうはソ連政府に資金援助を求めていたといわれる。
ソ連はともかく、CIAの資金とは四人姉妹の工作資金であるから、結局、日本国政府は四人姉妹からおこづかいをもらって「共産主義者と戦」ってきたわけだ。>
ほう、1950年代の日本政府がCIAから資金をもらっていた事は「四人姉妹からおこづかいをもらって」とまでこき下ろすのに、野党側のソ連からの資金援助の方は「ソ連はともかく」でお終いなのですか? どちらも全く同じことをやっているというのに、どうしてそんなに対応が違うのでしょうね~。
日本は当時から今に至るまでアメリカと軍事同盟を結んでおり、互いに協力し合う関係であるのに対して、当時のソ連は日本やアメリカと敵対していた国です。一応味方である国から資金提供を受ける事と、敵国から資金提供を受ける事と、どちらがより国益に反する行為であるかは一目瞭然ではありませんか。それに当時の日本の政治状況も全く考慮せずに当時の日本政府の行為を非難されては困りますね。
1950年~60年代といえば、国会による55年体制がスタートしてまもなかった頃ですが、その頃国会では社会党の方が優勢でしたし、共産党や左翼団体による反政府運動が国内各地で盛んに行われていました。日本がソ連のような社会主義国家になってしまう可能性が全くなかったとは言えなかった時代です。この状況下で野党を制して自民党が国会の主導権を握るためには手段など選んではいられなかったのです。
しかも日本の野党は単にソ連から資金提供を受けていただけでなく、ソ連や中国の忠実なエージェントとして活動していたのです。冷戦時代、彼らは常に反米援ソの立場からものを言っていましたし、共産党に至ってはその元々の名前が「コミンテルン日本支部日本共産党」であったくらいに戦前からソ連盲従で、その名の通りソ連のコミンテルンから送られてくる「テーゼ」という名の指令書を受け取って反政府活動を展開していました。戦前の日本で治安維持法が制定されたのも、本来は共産党の動きを封じこめるのが目的だったくらいです。そのような彼らが政権を主導したら、ソ連よりの政策を行い、アメリカと断交する事は目に見えていました。それを避けるためにもアメリカの援助が必要だったわけです。
もしこの時日本政府が野党の台頭を放置し、「四人姉妹からおこづかいをもらって共産主義者と戦」わなかったら、日本の内部から共産革命が起こり、ソ連のような社会主義国家が成立していたかもしれません。日本が社会主義国家になってしまっていたら、当然今のような経済的繁栄はなかったでしょうし、田中芳樹の大好きな「言論の自由」も大幅に制限されていた事でしょう。まさか田中芳樹はそういう国家を望んでいたとでも言うのでしょうか?
まあこの社会評論の真意は、単に日本がアメリカの属国である事を強調したかっただけでしょうけど、いくら何でもソ連の方は全く無視してアメリカの方「だけ」を非難するというのは、少しおかしいのではないでしょうかね。
- 親記事No.677スレッドの返信投稿
- board2 - No.753
Re745:同盟軍の下士官養成学校
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2000年03月26日(日) 17時53分
<銀英伝の記述が、どうなっているのか忘れましたが
士官学校と言うのは、士官としての基本等を学ぶ学校であって(防大が、それにあたる)専門の砲術科や航法科などは無いはずです
その手の専門の学校は、自衛隊の場合『術科学校』と呼ばれ
陸海空自衛隊それぞれ設置されています>
それで思いだしましましたが、シェーンコップがそんな専門学校出身でした。同盟では「軍専科学校」と言うそうですが。
シェーンコップの経歴はこのようなものです↓
銀英伝外伝3巻 P46下段
<ワルター・フォン・シェーンコップは、一六歳のとき同盟軍士官学校の入学試験に合格したが、入学はしなかった。「別に士官学校がきらいだったわけじゃない。士官学校の校則のほうが、おれをきらったんだ」とは、後年に至っての述懐である。かわって彼は、陸戦部門の「軍専科学校」なるものに入学した。これは二年制で、陸戦、工兵、航宙、飛行、通信、補給、衛生、整備などの各部門で第一線に立つ下士官を養成する学校である。学年中、九番の成績で卒業すると、シェーンコップは一八歳で伍長に任官し、すぐに戦場に出た。十九歳で曹長、二〇歳で准尉と、武勲をかさねて階級を進め、二一歳のとき士官の推薦を受けて第一六幹部候補生養成所にはいり、二二才のとき、そこを終了して少尉に任官した、このとき、下士官から士官への狭い関門をクリアしたわけで、はじめて「薔薇の騎士」連隊に配属され、小隊長として三九名の部下をあずかることになったのである。>
これから考えると、艦隊の士官学校出身者が「通信オペレーター」や「航宙士(航法士ではありませんでした(^^;)」などになることはまずなさそうですね。
そうなると、士官学校出身者は全てエリートという事で片づけてもよさそうですね。昇進速度の速い人間は全て士官学校出身者ですから、彼らは元々の昇進速度がある程度速く、それに戦功や派閥・成績などが絡み合ってあの昇進速度が実現した、ということで昇進速度の問題は完全に解決するのではないでしょうか。