- 親記事No.383スレッドの返信投稿
- board2 - No.401
Re: 小林よしのりと田中芳樹
- 投稿者:ドロ改
- 1999年12月08日(水) 14時30分
不沈戦艦さんは書きました
> >ドロ改さんへ
>
> >(脚本だけ引用して映画を批評しても、それは「映画」の批評には成らないでしょうし)それを
> >止めさせようとする彼の態度は、確かに「反対意見の封殺」と取られて仕方ない面もあると思
> >います
>
> ちょっと違いませんか?判決の論理からすると、「映画の批評については、画面を好きに何枚でも引用してよろしい」となる筈です。何だったら、ビデオにして動画を使ってもいい筈です。映画の批評なら、文章で内容を記せばいいのではないかと思いますけど。普通映画の画面を引用しまくって批評していましたっけ?あまり見た記憶がないのですが。それに「反対意見の封殺」まで行ってしまうのは、論理が飛躍しすぎていると思います。小林批判本など、いくらでもあるのですから。
ええと、ちょっと誤解を招いたようなので補足します。例えば、映画の批評文だと普通画面写真を欄外に何枚か載せますよね?そう言う事を言いたかったんです。具体的に例をあげると、クロード・ランズマンの「SHOAH」について、「彼の検察官のような、断罪的な態度が説得力を減らしている」と言う評があります。これは、ドキュメンタリー等で実際に映像を流した上でなければ、ちゃんと引用したことに成りませんよね?同様に小林よしのりのマンガについて、「彼は敵と味方を明確に書き分けてイメージ操作を行っている」と言う批判があります。これは、幾ら文章で言っても百聞は一見にしかず、マンガのコマを抜き出して来ないと評論したとは言えません。
で、彼がコマを引用するのは著作権の侵害だ、と言うならばすなわちそのような批判が不可能になるのでは無いか、と言いたかったのです。そう言う意味で、「批判の封殺と取られても仕方が無い面があると思います」と書いたのですが、解って頂けたでしょうか?
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.402
Re381:目的と手段
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月10日(金) 14時37分
> 匿名希望さん
ところで先の投稿は、どの作品についての仮定か書いてませんでしたが、基本的に「創竜伝」についてですよね。こっちはその前提で書いてましたが(^^;
>「種明かし」についてエンターテイメントに徹するという部分では確かにそのとおりです。
> ただ、他の点、
・徹底した市場主義
・エンターテイメントの手段としての暴力描写重視
・その実現のための思想使用
については言及してないように読めますけど、どうでしょうか?
そこまでは言及していませんね。その意味では匿名希望さんの表現は正しいです。ただ私的にはこの部分を違う意味での「受け流し」と感じました。つまり「これは、あくまでフィクションだから」という言い訳の意味で。
> 後者については、もちろん田中氏が己の思想の破綻に気付いていない可能性もありえます。
>でも、気付いてないと思いますか?
気付いてない部分、気付いている部分、途中で気付いた部分(笑)があるでしょう。
ですが、たとえエンターテイメントを目的として破綻を理解した上で書いていることであっても、当人の本音と全く反対のことは書かないでしょう。
本論5の批判対象などは「その実現のための思想使用」にもなってません。もし、そうだとしても、田中氏は本当は教科書検定が正しいと思っているのに、作品の売れ行きのためにあえて文部省を批判した、そんなことはないわけで(笑)
本論7の部分など見ると、つまりは思想の破綻以前に、まともに推考していない、というのが真相じゃないですか。
「売れている」という前提を重視するあまり、すべてを田中氏の策略とする「陰謀史観」に陥ってるような気が(笑)
とはいえ、匿名希望の言わんとすることもわかるつもりです。
つまりはこういうことでしょうか。あくまで「目的」は「商売」であり、批評はその「手段」にすぎないので、その部分を批判しても当人はこたえない。ゆえに「「田中氏」の意識に楔を打ち込むとすればそれは大幅な売り上げ減による年収の減少だけ」であり「理」では困難だと。私もちょっと本ページの主旨から離れて(オイオイ)「田中氏」の意識に楔を打ち込むことを考えてみたい・・・のですが、
> うまく説明できなくてごめんなさい。m(_ _)m
また後日にでも。
ということで、私もまるっきり誤解しているかもしれないので、また後日に。
後半部分についてはちょっと反論など。
> 見解が180度違いました。私はこれが典型的な受け流しと理解しました。
受け流すのならば、後半のあんなハズカシイ言葉は言う必要はないのでは?ハズカシイ言葉も販売戦略の一つなのかな(笑)
> もし、田中氏が学校教育と向き合ってその改革を指向していたら、こんなことは言わないと思うんですよ。少なくとも代案を語るでしょうし、そもそも小説を手段にはしないはずです。
自分の理想の教育論を体系化して書籍として出版するもよし、著書で得た印税で学校法人を買収するもよし、予備校や塾を開くのもいいでしょう。
一教師としてどこかの高校で教鞭をふるうのもいいかもしれません。
まさかこれが「本気」だとはいってませんよ。でも「本音」だと思いますよ。上でいったような意味で。
ただ、これを「学校教育と向き合ってその改革を指向」しているがゆえに、とはいいません。
田中氏の良心の咎めについては大いに疑問ですね。
> 主人公がいかに上手に暴力をふるうかというちょっと低俗なテーマで書いているという一文芸愛好家としての良心です。
一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
ちなみにこれはネット上の情報ですけど、現在田中氏が執筆中なのは「薬師寺涼子」で次は「創竜伝」だそうです。そんなに良心が咎めそうなものばかり書かなくても(^^;;
> 「こんなの書いて食ってていいのだろうか? たとえ売れなくても… 大多数の読者がつまらないと言っても… 本当に好きな物をやった方が。」
と思っても不思議ではありません。
「大多数の読者がつまらないと言う、本当に好きな物」はもう書いてるじゃないですか(笑)ヤマザキパンこと中国歴史ものを。
・・・佐藤話についてもまた後日に(笑)
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.403
Re:目的と手段
- 投稿者:匿名希望
- 1999年12月12日(日) 03時01分
> ところで先の投稿は、どの作品についての仮定か書いてませんでしたが、基本的に「創竜伝」についてですよね。こっちはその前提で書いてましたが(^^;
あ、そうですね。えーと、「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」も含みます。
誤解の無いように申し上げますが、前述の仮定で作られたからその作品は悪いという意味ではありません。むしろ、ろくに市場調査もせず作者の内部で終結してしまった作品や、思想に凝り固まって自縄自縛になったもの方がよほど他者からは理解されにくい(できない)ケースもあります。
ではその種の作品は鑑賞する価値がないのかというと、そうとも限りません。
その時代の市場の評価を受けなくても後世に評価される場合もありえると思います。
私には「創竜伝」と”「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」”の明確な作者のスタンスの違いは分かりません。後者の方がより破綻が少なく、小説にとって重要である嘘のつきかたがうまいと言うこと、それと何より、後者の方が個人的におもしろいぐらいですね。
疑問点
氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ
思想体系が混沌としているのか?
この疑問点に対し、私は「違うのではないか。」と言う仮定をたてました。
理由は氏の文章構成能力や引用から察せられる原典の読書量から氏の知性や知識がそれほど低いものとは思えなかったからです。
もちろん、その部分についてのミスが存在している事も過去ログにより承知していますが、作品全般的に見ればかなり高いレベルと考えてよいのではないかと思います。
では何故、氏がちょっと考えれば誰でも指摘できるほど稚拙な思想的矛盾を内包する作品を世に送り出しているのか? と言う疑問に突き当たります。
で、出てきたのが前回の”仮定”です。
しかし、”heinkelさん”ご指摘の如く結論を急ぎすぎてしまっている感はあります。実は私自身あの結論には十全の自信はなかったのです。
ですから”仮定”にしたのです。
誤解を招く表現であったことをお詫びいたします。m(_ _)m
他に導き出せる結論としては
実は田中氏の作品は複数合作だから。
表面に見えるものと全く別の意図があるから。
思想部分の破綻だけを許容する精神構造だから。
某国の陰謀で無理矢理書かされている。
などもあったのですが、一番可能性が高いと思われるものとして”市場主義のため思想的合理性は敢えて切り捨てているから”と言うものを残しました。
実はその他に全く別の意図をもって書いているのかもしれないと思いあたったのですがこれはまた後日。
> 受け流すのならば、後半のあんなハズカシイ言葉は言う必要はないのでは?ハズカシイ言葉も販売戦略の一つなのかな(笑)
販売戦略の一つなのでしょう。 ”仮定”が正しいとするとですけど。なるべくセンセーショナルで目立つ発言をした方が宣伝になり、目的には合致しますから。
> 本論5の批判対象などは「その実現のための思想使用」にもなってません。もし、そうだとしても、田中氏は本当は教科書検定が正しいと思っているのに、作品の売れ行きのためにあえて文部省を批判した、そんなことはないわけで(笑)
うーんどうでしょう。市場調査の結果メインの読者を学生(中高生)に絞ったとすれば、
敵役にして無難、かつ部数が望めるのは、政治家や教師、学校、いわゆる官僚等と考えられるのではないでしょうか?
特に校則を押しつける学校とそれを統括している文部省を叩くのはメインの読者のニーズに答えた見事な選択ではないかと。
> 一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
いやぁ、だって矛盾を少なくする努力がない方が書く方は楽ですから、当然刊行ペースはよくなるでしょ。
> 本論7の部分など見ると、つまりは思想の破綻以前に、まともに推考していない、というのが真相じゃないですか
このへんも早い理由かな。
> 「大多数の読者がつまらないと言う、本当に好きな物」はもう書いてるじゃないですか(笑)ヤマザキパンこと中国歴史ものを。
これは読んでいないので前回言及しませんでしたが、この作品が本当に好きなものだとしたら氏は満足でしょう。たとえ売れなくてもです。
来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
>私もちょっと本ページの主旨から離れて
最後に、私の一連の書き込みは本ページの設立当初の目的とは若干ずれがあることは自覚しております。しかしその趣旨からはずれているとは思っていません。
とりあえず、ログNo.308本ページ管理人さん”目的”に対する意見提示ということで
ご理解ください。m(_ _)m
長文の書き込みをお許しください。
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.404
歴史読本 昭和63年9月号
- 投稿者:90210
- 1999年12月12日(日) 12時33分
杜甫に「曹将軍覇に贈る」という題名の作品がある。「杜工部集」十三に収められているが、
玄宗皇帝の世に、画家として名声をはせた曹覇という人に贈られたものだ。この人は、馬を描いて天下一と称されたが、左武衛将軍、つまり近衛軍団の高官でもあったので、「曹将軍」と呼ばれていたわけである。
この詩の冒頭に、「将軍は魏武の子孫」という語句がある。魏武とは「魏の武帝」を省略した語で、漢の高祖を漢高、唐の太宗を唐宗と呼ぶ呼ぶ類のものだが、魏の武帝とはすなわち曹操のことである。
この詩は、いくつものことを私たちに教えてくれる。唐の玄宗の世に活躍した曹操の子孫がいたことが、けっして非難の対象となるものではなかったことなどを。つまり、この時代、曹操が不当に悪役あつかいされてはいなかったのだ。
曹操が悪役として完成されたのは、やはり「三国志演義」からということになるのだろう。この膨大でエネルギッシュな作品の世界観は、きわめて明快なものであるように思われる。蜀は善、魏は悪。呉は蜀に味方するときは善で、蜀に敵対するときは悪。というわけだ。蜀の人間が死ぬときは、ほんの端役でも、その死をいたむ詩が記されるが、魏の場合、めったにそんな待遇にはあずからせてもらえない。夏侯惇とか張遼とかいった最高幹部が死去しても、詩など書いてもらえない。これが蜀だと、ふ習とか程畿とか、はて、そんなキャラクターがいたっけ、と思うような人でも、きちんと詩を書いてもらっている。
「三国志演義」はほんとうにえこひいきのはっきりした本だなあ、と、私は思っていた。中学生のころ岩波文庫で全巻を読んで以来、そう思っていたのだが、じつは数年前から、いや簡単にそう言いきれないかもしれないぞ、という気がしている。その原因が、作品中の各所にあらわれる、死者をいたむ詩なのである。
曹操が死去した場面で、さすがに彼の死をいたむ詩が、短いながら記されている。その最後の二行が、無視できないものを私に感じさせた。
書生、軽しく塚中の人を議せば
塚中、爾が書生の気を笑わん
むろん私は、この詩句の文学的な価値などを問題にしているわけではない。はっきりいって稚拙な詩である。塚中とか書生とか、同一の語句を使っているというだけでも、漢詩としてはよくない。この詩句を意訳してみると、つぎのようになる「青臭い書生が、かるがるしく死者について論じたりすれば、その青臭さを死者に笑われるだろう」塚中の人、つまり墓の中に眠る人とは、この場合、むろん曹操のことである。硬直した儒教イデオロギーからすれば、曹操とは、天子をないがしろにした簒奪者であり、極悪人である。NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を無批判にひきずっていた。
この詩は、そういった頑迷な曹操悪人説を皮肉っているとしか思えない。それいがいに解釈のしようがないではないか。どういうつもりで、こんな詩を「三国志演義」の作者(とされる)羅貫中は記載したのだろうか。私は不思議でしかたなかった。「三国志演義」のレーゾンデートルを自ら否定しているようなものではないか。
もしかしたら、「三国志演義」は、かなり辛辣な罠が読者に対してしかけられている、そういう作品であるかもしれない。現在、私はそう考えている。そう思って「三国志演義」を読みなおすと、いろいろと発見がある。「三国志演義」には「ひいきの引き倒し」的な記述がいくらでもあるが、もしかしたら、これらは周密な計算のもとに読者の心理を操作するための記述ではないだろうか。
たとえば、諸葛孔明が司馬仲達を谷間におびきよせて焼き殺そうとする場面がある。これは史実にないフィクションだが、このとき孔明は、あつかいにくい味方の魏延おも仲達といっしょに焼き殺そうとするのだ。豪雨のためその計画が失敗し、生命をとりとめた魏延が孔明を難詰すると、孔明は責任を部下の馬岱にかぶせ、馬岱を鞭打ったあげく降等処分にするのである。いくら何でも、孔明のこのやりくちは卑劣ではないか。孔明びいきとしても逆効果ではないか。そう思ってきたのだが、べつの方角から光をあてると、ちがう光景がみえてくるかもしれない。
まあ単に私の深読みかもしれないのだが「三国志演義」という小説は、なかなかに奥も深く幅も広い。三国志を書いてみたらどうか、と奨めてくださる方が多くいらっしゃるが、まだまだ、弱輩者には勉強が必要なようである。書生論ならまだしも、不勉強なだけの書生小説など、誰もよんでくれないであろうから。
書正論、三国志雑感 より。
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.405
というわけで
- 投稿者:90210
- 1999年12月12日(日) 12時38分
三国志には興味ない俺は、漢字が読めなくて
苦労しちゃいました。えへ。
「三国志演義」には「ひいきの引き倒し」的な記述がいくらでもあるが、もしかしたら、これらは周密な計算のもとに読者の心理を操作するための記述ではないだろうか。
「創竜伝」も?
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.406
Re: Re:目的と手段
- 投稿者:Merkatz
- 1999年12月12日(日) 20時22分
匿名希望さんは書きました
>
> 疑問点
>
> 氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ
> 思想体系が混沌としているのか?
>
私もこの点については疑問を感じていたんですよね。
あんまりにも「銀英伝」と「創竜伝」の落差が激しすぎるもんで、これは意図的にやっているんじゃないかと。
私は田中作品はこの二つしか読んでません。田中芳樹ファンではなく、銀英伝ファンですから。
だから検証するようなこともできないんで、あくまで疑問の域を出ないものだったんですが。
うーん、でもやっぱりよくわからん。
- 親記事No.302スレッドの返信投稿
- board2 - No.407
Re: 歴史読本 昭和63年9月号
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年12月14日(火) 14時37分
「歴史読本」のこの号は私も読みました。
で、実はこの文章、平成3、4年頃に出た『長江落日賦』という単行本にも収録されてるんですが、こちらのバージョンでは元の「歴史読本」のから一部改稿されてるんですよ。
>NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を無批判にひきずっていた。
→NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を更にどぎつい形で拡大再生産していた。
と変わっています。
『人形劇』への悪意を「更にどぎつい形で拡大再生産」してるのはオマエだああ~~っ(爆)。
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.408
市場重視?
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月15日(水) 15時16分
> Merkatzさん
> > 疑問点
> > 氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ思想体系が混沌としているのか?
> 私もこの点については疑問を感じていたんですよね。
あんまりにも「銀英伝」と「創竜伝」の落差が激しすぎるもんで、これは意図的にやっているんじゃないかと。
私は田中作品はこの二つしか読んでません。田中芳樹ファンではなく、銀英伝ファンですから。
だから検証するようなこともできないんで、あくまで疑問の域を出ないものだったんですが。
「創竜伝」の場合は主人公がなみいる敵をバッタバッタと倒していく勧善懲悪物語ですから、「銀英伝」のような「後世の歴史家」の視点による抑制された筆致はまったく必要ないわけで、「敵」も主人公と同レベルの知能と道義心を持ち合わせている必要もなく、上から下へと悪の階層構造を成していて、下っ端の「日本の権力者」は悲しいほど極端に卑小化されて描かれています。さらに、あろうことか現実の人物や出来事に対する評論を、この「創竜伝」に登場する卑小な悪役になぞらえて行っていますが、この辺も匿名希望さんの言われるように、暴力を正当化するため、そして読者(中高生)の共感を得るために意図的に挿入している部分かもしれません。
ただ、それだけに留まっていないのもまた事実で、作者の評論それ自体が目的の部分もまま見受けられて、それが物語の設定をぶちこわしているのですけれども、この辺は意図したこと、と言うよりは意図した物語と作者の思想が齟齬をきたしていると感じます。
むしろ匿名希望さんの言われるような「徹底した市場主義」のみで書いていればここまでめちゃくちゃな作品にはならなかったであろうと思われます。
> 匿名希望さん
> 誤解を招く表現であったことをお詫びいたします。m(_ _)m
こちらこそ、ちょっとあげ足取りみたいなレスで申し訳ないです。でも、もう一つだけご勘弁を。
> > 一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
> いやぁ、だって矛盾を少なくする努力がない方が書く方は楽ですから、当然刊行ペースはよくなるでしょ。
つまり、「良心が咎めるために遅筆。」という仮定は誤りであることに、同意していただけたわけですね(笑)
それから、匿名希望さんの仮定をした場合に疑問なのは、田中氏は一方で「いつまでも子供相手のノベルズ作家じゃいられないぜ」「もっと権威のあるハードカバー作家になりたいぜ」と思っているのではないか、という話が以前でてましたけど、その場合に「市場重視」で書いたこの作品が大きな仇になるのではないかと(笑)。まあ、こんな作品を書いてる人ですから「名誉」よりは「市場」を重んじる人なんでしょうけどね。
> 佐藤話
> 軽いオマージュでアンチテーゼを提示し田中氏のシェアを奪おうとしているという意味です。
オマージュ。そう、パクリでも、パロディでもなくオマージュですね。田中芳樹を意識しているのではないか、と感じる部分もままあります。
実際シェアは奪えてるのでしょうか。人気度で言えば、参考に
ttp://omnistory.com/index.shtml
↑ここの「ファンタジー・幻想・異世界」ランキングなど見ると「創竜伝」「アル戦」の上位に「十二国記」「デルフィニア戦記」がきてますね。読んだことないので、内容的にも「奪って」いるのか比較できませんが。
・・・この辺に「皇国の守護者」が入れば楽しいですけど(あれファンタジーなのか?)。
> 佐藤氏の作品もよく見れば思想的な矛盾がありますけどね。
佐藤氏の作品のそういう部分を読む人は少ないでしょう。兵器の性能などには、容赦なくつっこみが入りますけどね(^^;
> 来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
田中氏との比較検討ならばここのほうが適当だと思われますが、それ以外なら・・・いきなり別の掲示板におじゃまするのも何ですし・・・こんど無料掲示板でも借りたらお知らせします。趣旨違いをやりがちなのは私の方なので(^^;
でも、多少の脱線はこのサイトにも資するものと思われますが(オイオイ)。
> 管理人さん
↑上で勝手なこと言ってますが、ご容赦くださいませ(^^;;
- 親記事No.302スレッドの返信投稿
- board2 - No.409
Re: 歴史読本 昭和63年9月号
- 投稿者:heinkel
- 1999年12月15日(水) 16時09分
中国には、「現代日本人」の目から見れば、なんでこれが立派な行いとして記されているの?というようなエピソードは他にもたくさんありますよね。
「紅塵」文庫版の解説に、中国文学研究家の土屋文子氏という方の興味深い話がありましたので紹介します。
<この『説岳』で有名な挿話に、陸文龍の故事がある。朱仙鎮で金軍と対峙した岳家軍は、双槍の勇将・陸文龍に悩まされていた。ところが、じつはこの陸文龍、金軍に敗れて死んだ宋将の遺児で、その意気に感じた兀朮が、養子として育てていたのである。潜入した岳家軍の参謀と、親代わりの乳母の口から、おのれの出自を知った陸文龍は、岳家軍への内通を約し、金軍を大敗に導いて宋に帰順する。育ての親より生みの親、漢人の本分を忘れぬ行動が、愛国的と称賛されるのだが、いくら親の仇とはいえ、養育の思ある義父と、共に育った仲間を、そうあっさりと裏切れるものであろうか。「血は水よりも濃し」という見方もあるが、むしろ漢人に絶対の理ありとする、問答無用の中華思想の匂いを嗅ぎ取ってしまうのは、やはり異邦人である身のひが目だろうか。>
「問答無用の中華思想」。田中氏はこのエピソードを見た上でもなーんも感じなかったのかな。・・・続けます。
<思うに、このあたりの感覚が、岳飛故事が従来、我が国にそれほど膾炙しなかった理由ではあるまいか。島国日本は外敵の侵略に苦しんだ経験が乏しく、中国で大向こう受けする抗戦愛国は、さして実感を伴うテーマではなかったと考えられる。むしろ、漢人どうしの内戦である三国故事などの方が、武家の国取り物語にも通じて、受け入れやすかったことだろう。>
・・・こんな解説を書いて、このお方。田中氏の中国もの以外の作品を読んだことがないのに違いない(^^;。
「抗戦愛国」。この説が正しければ、日本人が岳飛故事に親しまずに三国故事ばかり好むのは、田中氏にとってむしろ喜ばしいことではないのか?・・・さらに続けます。
<ただし、「民族英雄」なる概念が、全く共感されないわけではないことは、著者の近作『海嘯』の主要人物でもある、南宋の滅亡に殉じた硬骨の宰相・文天祥に、江戸の儒者たちが心酔したことからも見て取れる。岳飛故事が我が国で受容されるには、おそらく、中国人向けのメディアとは異なる「語り」の形態が必要だったのだろう。>
そうですね。陳舜臣氏によると江戸時代の朱子学者浅見ケイ斎の「靖献遺言」にも文天祥の評伝があって、この本は幕末の尊皇思想鼓吹に大きな役割を演じ、また忠臣義士の鏡として、戦前、日本の国語の教科書にも文天祥の物語が載せられていたそうです。
・・・「教科書の教えない歴史」いや「戦後教科書から消された人々」ですか・・・あれ?
なーるほど、「創竜伝」には「ひいきの引き倒し」的な記述がいくらでもあるが、もしかしたら、これらは周密な計算のもとに読者の心理を操作するための記述ではないだろうか(爆)
- 親記事No.302スレッドの返信投稿
- board2 - No.410
中国の忠臣から日本の忠臣へ
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年12月15日(水) 20時30分
heinkelさんは書きました
> <南宋の滅亡に殉じた硬骨の宰相・文天祥に、江戸の儒者たちが心酔
>
> そうですね。陳舜臣氏によると江戸時代の朱子学者浅見ケイ斎の「靖献遺言」にも文天祥の評伝があって、この本は幕末の尊皇思想鼓吹に大きな役割を演じ、
-----------------
この辺の、日本人が文天祥、また『運命』の方コウジュらをどのように受容し、またどのように日本的忠君愛国の思想に変形させていったかは山本七平『現人神の創作者たち』に詳しいです。
この前彼らの名前がでたとき、これで何かスレッド書こうと思っていたが忘れちゃった(笑)。
思い出したら続けます(笑)。
-
- board2 - No.411
神聖モテモテ王国外伝(2)
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年12月15日(水) 20時39分
>でも、多少の脱線はこのサイトにも資するものと思われますが(オイオイ)。
甘い甘い、私なんか何度も脱線どころか転覆させているぞ(笑)。
では、脱線のお手本をお見せしよう。
「神聖モテモテ王国(少年サンデー連載)
外伝その2」だ。(「1」はザ・ベスト、コーヒーブレイク参照)
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「軍師じゃよオンナスキー。軍師が扇を一振りすれば、一晩で一万人のナオンを用意してご覧にいれましょうぞ」
「また訳のわからんことを。」
「ホッホホ、燕雀いずくんぞ皇国の興廃此一戦に有り。だから、全てを見通しスプーンも曲げる天才軍師の妖術に引かれ、元気な少女が押しかけ女房を気取ってマスコット的人気を稼いだり、一見ボーッとした戦略家をサポートする優秀な美人副官が寄ってくるのじゃよ」
「そう上手くいくかあ…?しかし、美人副官は魅力だな」
「この副官は才色兼備だが料理が下手なのがタマに傷、うっかりカレーで何十人か殺したりする所がまたお茶目で人気が出るのじゃよ」
「やめんか!」
-本日の扮装---------「魔術師 ヤン坊」
(解説)ヤン坊こそ、その神のごとき洞察力で敵軍の動きから明日の天気まで全てを見通す天才軍略家である。かつては親友(とも)の、赤毛のマー坊とニ人三脚だったが、その友はお天気情報の森田さんのテロによって還らぬ人となり、胸のペンダントに永遠に生きている。
----例によって、街を歩くナオンがいる。
いきなりその通り道に、でかい机を置いてそこに座っているヤン坊ことファーザー。
半開きの口に紅茶を流し込んでいる。
「くうーっ、たまらん!紅茶や紅茶、はよ紅茶持ってこんかい、ユリ庵!!」
「おい、ユリ庵って僕か。黒い学ラン来てるから、黒騎士やる予定だったろ?」
「ふっ、甘いな、臨機応変に水の如く作戦を変えることこそ、天才軍師のゆえんよ。よおし、右主力は波動胞一斉発射、左翼はベアークロー装着!!
陽動のため、偽のおとり部隊をあめぞう方面に送り込むのじゃよ!もちろんこの部隊は、頭が悪くても大丈夫なのじゃよ!だって場所が場所じゃし。」
オンナスキー「何のことだ?」
ファーザー「いいから、お前には別の使命を与えるのじゃよ。机の引出しからタイムマシンに乗って、白亜紀のピー助を助けてくるのじゃよ!!」
そういって引き出しに、オンナスキーの頭をぶつけるファーザー。オンナスキー、見事に失神。
振り向いてニタリと笑うファーザー。
「嬢ちゃん、今こそ貴方のような新戦力を投入しないといけないのじゃよ。嬢ちゃん一人、関にあたれば万夫も開く無し。万夫は男だからどうでもいいのじゃよ。」
「な…何よこれ!???」
「『君がいてくれないと困るんだ』。そうすれば、ジオンはあと十年は戦える」
「ちょっとお!!」
「デヘヘヘ、無条件降伏はまだかニャー」
さて、そろそろオチである、おなじみの。
「わしの妹に、なんか用かのう」パンチパーマが恐い(▼▼メ)。
「ギャワー、”牡丹の騎士”ことヤクザンリッター!それは火の7日間以降、タブーのはずですよー!!だれかわしのかわりに、スタジアムで思う存分虐殺してー!!」
「ブロージット!!」と叫んで地面にファーザーを叩きつける(▼▼メ)さん。
―――かくして伝説が終わり、歴史が始まる――
(終)
- 親記事No.411スレッドの返信投稿
- board2 - No.412
最高ですかー?!
- 投稿者:NNG
- 1999年12月16日(木) 14時44分
最高でーす!
キムタク(モテモテ王国)に田中芳樹は似合いますねえ。これもベスト入りでしょう!
次はアルスラーンですね。個人的に凄く希望します。
- 親記事No.241スレッドの返信投稿
- board2 - No.413
Re277その他
- 投稿者:速水右近
- 1999年12月16日(木) 17時49分
・冒険風ライダー氏へ
指名回答、有り難うございます。
最近、些細末端な批判等が多くなっていますが、田中芳樹の過去の発言をできるだけ採録し、批判するのが本筋だと思われます。
・不沈戦艦氏へ
以前北村氏と勘違いしてしまいましたが、確かどこかで出身大学が同じようなことを書かれていましたね。それで小生が早とちりしたようです。まぁ、ミスにはされなりの原因があるということでした。
・小林損三郎氏へ
初めまして。最近では、編集者の大規模移籍は減ってきている(バブル期には、編集部丸々引き抜きなんてありました)みたいです。どうやら出版界再編云々が背景にあったようですね。リストラとはほとんど関係ない(ドル箱の担当者が辞めるなら上司は留めるはず)ようです。
徳間の編集者が一時期大量離脱したのは、経営悪化が原因(給料が少ないのは有名)だったとみるべきでしょうね(中公でも同時期、大量に辞めました)。
しかし彼らが移籍しようが、作家の質が向上したわけでもないことは事実でしょう。「勝手にやってろ」と言いたいですよ。
また、徳間の編集者離脱にはある事情があるのではないかとの邪推もできますが……冗談抜きでこれはちょっとマズイので、ここではヒントだけ。
徳間の会長って、実は○○○なんですよ(これ以上は怖くて書けません)。
あと、少々ぼやき
昨日古書店で情報を仕入れてきましたが、ノベルズは全然回転しないとのこと。問題は、買う読者が限定されているからとのことでした。
本当に一般受けする作品なら、ハードカバーか文庫から出してもいいはずなのに、どうして中途半端なサイズになっているのか。やはりハードや文庫ほどは売れないからだと見るべきでしょう。ノベルズの読者は、極めて限定されているファン層に限られていると、考えても良いようです。
つまり読者が限定されている以上、作家も彼らだけに受ける(売れる)ネタだけを書いていればいい(生活が保障される)。これでは向上欲なんて、出るわけがないでしょう。
極端な話、ノベルズの作家って「プロの同人誌作家」という立場が妥当なんでしょうね。
追伸 なおノベルズでいい値がつくのは、鮎川哲也のアンソロジー(光文社)とか、コナン・ドイル未公開短編集(中公)です。
- 親記事No.293スレッドの返信投稿
- board2 - No.414
Re: 市場重視?
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年12月17日(金) 02時07分
> > 来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
>
> 田中氏との比較検討ならばここのほうが適当だと思われますが、それ以外なら・・・いきなり別の掲示板におじゃまするのも何ですし・・・こんど無料掲示板でも借りたらお知らせします。趣旨違いをやりがちなのは私の方なので(^^;
> でも、多少の脱線はこのサイトにも資するものと思われますが(オイオイ)。
>
>
> > 管理人さん
>
> ↑上で勝手なこと言ってますが、ご容赦くださいませ(^^;;
佐藤大輔との比較などは私も興味がありますね。横山信義との比較も興味がありますが(笑)
あまり極端な脱線でなければ、どんどんお願いします。