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- board2 - No.190
自慢はしてないと思うけど……
- 投稿者:izumi
- 1999年10月25日(月) 14時10分
それにしても鳥羽茉理の「名言」である、
> 「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
> というのは、そっくりそのまま彼女と竜堂兄弟に返してやりたいセリフですね(笑)。彼らはストーリー設定上、「四海竜王」と「太真王夫人」の生まれ変わりなんですから。それに虹川・蜃海・水地の3人、さらにはペットの犬にいたるまで「何らかの前世」を持っているというのですから、全く自分の身を顧みる事のない低能はいけませんね(笑)。
> そこまで彼らは現在の自分自身に自信がないのでしょうか(笑)。
これってなんか違うような気がします。
茉理ちゃんも竜堂兄弟も、自分の前世を
自慢したりしてないですよね?
茉理ちゃんは、前世の自分はすごい人だった
んだぞ、と自慢してるような人に対して
「現在の自分に自身がないのかしら」と
言ってるんであって、それと実際の自分の
前世がどうであるかは関係ないと思います。
そもそも、うろ覚えですけど、この時点で
彼女は自分が太真王夫人の生まれ代りって
知らなかったような気がするけど。
そしたら自分の身を顧みようがないでしょ。
それから、「私の創竜伝考察」てたくさん
書いてらっしゃるみたいですけど、こんなに
沢山書くことあるなら掲示板に書き込みより
それについてのページを作った方がいいのでは?
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- board2 - No.191
Re 186 : 例によって若干の弁護
- 投稿者:ドロ改
- 1999年10月25日(月) 14時36分
例によって、幾点かに絞って弁護をさせて頂きます。
1、王朝交代期の人口減少
中国における「人口」は戸籍に表される人口です。そして、この戸籍と言う奴は今と違って単に「納税」の目安の為に存在しました。(基本的に、歴代王朝はこれ以外の局面でも税金さえ予定通り入り、戦乱すら起こらなければ、あからさまな反体制(ex「反清復明」)を唱える団体でも放っておきましたし)当然、戦乱が終結した時には前の戸籍は役に立たず、作ろうにも「中国」の版図自体が縮小している上、作りなおす作業は一朝一夕では終らない為、戦乱直後の統計では見かけ上の人口は激減します。確かに人口は減少したでしょうが、5~9割と言うのは無いかと思います。その意味で、中国を西洋と比べる時は注意が必要では無いかと思います。
つまり、田中芳樹が言うように、「中国は凄い」というのはこの点では完璧に誤りでしょうが、「中国は酷い」というのも違うかと思います。
2、前世論
これなんですが、「作者の意図」について別のアプローチが可能だと思います。
何かと言いますと、「僕の地球を守って」に倣ったのでは無いか、と言う事です。ずっと前に田中芳樹との比較で名前が出た事もありましたが、詳しく説明しますと、白泉社から出たこの作品は「母星のプロジェクトで地球を観察していた異星人が、ある事情で死亡した後地球に転生し、自分達の前世で何があったのかを紐解いていく」という内容です。これだけ書くとナンですが、別に行っちゃってる内容ではありません。しかし、問題なのは読者の受け取り方で、作者の元に「私も彼等と同じ夢を見ました。私もきっと彼等と同じ、云々」と言う手紙が殺到してしまったのです。恐らく、彼等が作中で「仲間」を捜す為に「○ー」を使うような事をしたのが一因でしょう。(私は作者の悪ふざけ、と感じましたが)これに驚いた作者は、白泉社の単行本にある1/4スペース(普通雑誌掲載時には広告が入ってるところ)を使い、「これはフィックションだ」と宣言したのです。(ま、マンガの場合後書きはありませんし)思うに、田中芳樹もこの作者と同じ事を経験したのではないでしょうか?(と、いうか必然とも思えるが)しかし、「後書き」は好評を受けてああ言う形になっている以上、まさかそれを無くして「後書き」を入れることも、四兄弟に「これはフィックション。我々は単なる作者の想像の産物で…」と語らせるわけには行かないでしょう。そりゃ、彼等は「父ちゃん」がどうこう、だの「出演者会議」でどうこう、だの言っていますが、それとまじめに読者にこれはフィックションで、と語りかけるのは違うでしょう。で、苦肉の策としてああなったのでは無いでしょうか?作者は少女マンガのファンの様ですし、有名作である「僕の地球を守って」にまつわる事を知っていても不思議ではありません。あのセリフにしても、茉理に要するに「前世はともかく今の私は私」と言う明快且つお約束な決別宣言への布石と見れば、不自然ではないでしょうから、「上手く組み込めた」と見ても良いのではないかと思います。
ただ、私はもしやるのなら、後書きを追加する形でも明快に「これはフィックションで…」と言うべきであったと思います。恐らく、それを言ってしまうと「社会評論」の痛快さ(実際私はそう感じていましたし)が無くなってしまう、と感じたのでしょうし、それは多くのファンにとって事実でしょうから、出版側の意向もあったでしょう。まあ、自業自得と言えばそれまでですが。
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- board2 - No.192
Re190: たしかに、自慢はしてないと思うけど……
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月25日(月) 15時42分
>茉理ちゃんも竜堂兄弟も、自分の前世を自慢したりしてないですよね?
たしかに、自慢してるわけでもないでしょう。
また、あの台詞自体も間違ってること言っているとは思いませんよ。
ただねぇ、こういう台詞、明白に「敵」だと判ってる人物の前で開陳するようなことでもないでしょう。
「四人姉妹」の重要人物の前で「現在の自分に自身がないのかしら」っていうことになんの意味があるのでしょう。しかも、ダライ・ラマの話の後で。
つまりは、この台詞は茉理ちゃんの台詞ではなくて、田中芳樹が、読者に向かって、評論かましているだけなんですよ。
こんな台詞を言わされてる茉理ちゃんこそいい面の皮です。「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」、いかな毒舌の持ち主でも、亡命生活を余儀なくされている人に対してこれはないでしょう。
私は創竜伝は嫌いですけど、同じ日本ものでも「夏の魔術」シリーズは好きなんです。あの主人公二人にくらべて、創竜伝のキャラクターに対する作者の扱いはひどいと思いませんか?作者のくだらない評論を代わりに言わされてるような、無駄な台詞が多すぎます。
>それから、「私の創竜伝考察」てたくさん書いてらっしゃるみたいですけど、こんなに沢山書くことあるなら掲示板に書き込みよりそれについてのページを作った方がいいのでは?
この掲示板に書き込んである方が、つっこみ甲斐もあるってものですよ。
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- board2 - No.193
Re191: 前世のはなし
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月25日(月) 17時07分
うーん、あやしげなタイトル。それはさておき、
>「僕の地球を守って」に倣ったのでは無いか、と言う事です。
あの後半部分の台詞は、当時の前世ブーム(?)に対してじゃないですか?
田中芳樹の読者にあっち系の人は少ないと思いますけど。
第6巻が出た当時って、前世占い、とかテレビでやってませんでしたっけ。タモリの前世は河童だ、とか。それで、自分の前世は戦国武将だったとか、天草四郎だったとか(こいつは今もいるな)いう人がいて。
たしかにくだらないことですけど、それを、ダライ・ラマの話の後で持ってきたのはどういうわけでしょう。
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- board2 - No.194
Re: 私の創竜伝考察25 仙界の矛盾・前編
- 投稿者:ラインバック
- 1999年10月25日(月) 20時21分
>つぎに、歴史文化を破壊する硬直した画>一性が好きになれない。東ヨーロッパ
>の美しい古都市の、歴史ある地名が、「>レーニン広場」だの「スターリン街」だ>のに変えられたのを知ると、なさけなく>なる。その点、中国は文化大革命の最中>でも北京を毛沢東市なんぞと改称した
>しなかった。さすが文字の国だ、と、始>は感心したりするのだが、まあこれはよ>けいなことである。
ここは私が創竜伝を読んでて一番笑わせてもらったところです。
西洋では個人名が地名などに使われてることぐらい知ってるだろうに。
田中芳樹はアレクサンドリやコンスタンチノープルも気に入らないんでしょうな。
中国に限らず東洋では名前というのは神聖な物。地名などに使うわけがありません。
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- board2 - No.195
余談
- 投稿者:米田隆雄
- 1999年10月26日(火) 08時44分
はじめまして。米田と申します。
最初の書き込みで、いきなりですが、枝葉にレスなど(^^;
> フィンランドでは、日露戦争の日本海海戦を完全勝利に導いた東郷平八郎を記念した「アドミラル・ビール」が現在でも販売されているとか。
フィンランドで出ていたのですが、ビール会社が買収されてオランダになってしまいました。
日本でも、三笠公園の売店で売られています。
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- board2 - No.196
Re:ダブルスタンダード
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年10月26日(火) 10時49分
久々の投稿です。
畑違いの部署に異動になりまして毎日死んでいるもので…。
冒険風ライダーさんは書きました
> ―――創竜伝における「仙界」とは中国礼賛の集大成である―――
>
> 私が創竜伝の「仙界」について抱いた感想がこれですね。創竜伝6・7の社会評論で派手に中国礼賛を行い、創竜伝8で「仙界」を登場させ、西洋・日本批判と対比させる形で中国を称揚する。これが創竜伝における田中芳樹の作戦だと思われます。机上の上では完璧な作戦ですね(笑)。まあ中国を礼賛するのは勝手ですし、中国の文物や文化を紹介したいという熱意も大いに結構な事ですが、日本やアメリカをほとんど言いがかりに近い社会評論で散々罵倒しておきながら、中国については何ら批判を展開しないどころか「黒を白と言いくるめてでも」礼賛するというその姿勢は、いくら中国好きだとはいえ、ダブルスタンダードのそしりを免れないでしょうな。
>日本の政治についてはあれほどメチャクチャな理由で罵倒しているというのに、中国に対してはこんな詭弁を弄するのですから、田中芳樹の中国評価がいかにダブルスタンダードであるかは一目瞭然でしょう。
田中氏の中国に関するダブルスタンダードぶりが一番如実に出てる本と言えば「中国版・壇ノ浦の戦い」こと崖山の戦いと南宋の滅亡を描いた『海嘯』という作品でしょう。
銀英伝その他であれだけ否定していたはずの「忠君愛国」、「滅びの美学」、「国家&誇りの為に死ぬ」を全面的に礼賛した内容です(爆死)。
銀英伝や創竜伝を読んだ後に読むと目が点になること請け合いで、違った意味で「同じ作者が書いた物とは思えない」です。
漢民族同士の戦いならここまで極端ではなかったかもしれませんが、何せ敵がモンゴルですからもう遠慮会釈なしという感じで。
宋朝および文天祥、張世傑らそれに殉じた人達への礼賛の一方、モンゴルに対する悪意に満ちた記述が続き、しまいには戦闘中に元軍に降伏した人(寝返った訳ではない)まで悪し様に書かれる始末…。
暇な方はご一読を。
>・ 「侵略と戦慄・中国4000年の真実」……(杉山徹宗著 祥伝社)
えー、この本は私もちょっと立ち読みしましたが、殆どためにする言いがかりというか、何か韓国あたりで出版されている反日本と同レベルって感じのトンデモな印象を受けました。
人口に関する件はドロ改さんの言うとおりですし、秦軍の40万人虐殺や項羽の20万人虐殺は有名ですが、どう見ても誇大な数字で、「南京虐殺30万人」と同次元の話だと思いますが…。
> 田中芳樹の西洋・日本批判や中国礼賛があまりにもいかがわしいのは、前者の論調を展開する事によって後者を正当化しようとしているとしか思えない記述にあります。西洋・日本批判も中国礼賛も大いに結構な事ですが、西洋・日本批判を展開するのならば、せめてもうすこし中国に対しても両論併記的な見方をしなければ「ダブルスタンダード」のそしりは免れないでしょう。ましてや、まともな検証も行わずに西洋・日本を罵倒し、逆に「黒を白と言いくるめてまで」中国を礼賛するとはどういう神経をしているのでしょうか。これで中国に敬意を払っているなどと考えているのならば、却って中国に対して失礼というものです。
> もちろん私とて、中国に良い部分があればそれを評価したいと思いますし、あまりメジャーではない中国の文物を日本に広めようとする田中芳樹の姿勢そのものは賞賛に値すると考えていますが、こんな「犯罪行為を無理矢理正当化する」ような礼賛評価しかできないのでは、田中芳樹がいくら喚いたところで日本人の中国に対する理解など深まるはずもありません。それどころか却って逆効果でしょう。
> 本当に中国を理解してもらいたいのならば、もうすこし中国の実態にも目を向け、その上で「本当の長所」を評価すべきなのではないでしょうか。
これは基本的に同感です。
「日本人の興味が偏っている」ことへの苛立ちは分らなくもないですが、西洋文明や近代日本への無意味な罵倒の一方で中国の事物にはやたらと「世界最初」「世界最大」「世界最高」をつけまくる現在の氏の手法はどう考えても“布教”には逆効果としか思えません。
ファンの人でも引いちゃう人や「中国物は読んでない」という人が多いのは、そもそも最初の姿勢の段階で読者の興味をかき立てるのに失敗してるのでは。
この辺はイエズス会の狡猾さを見習った方が良いのでは(笑)。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.197
Re191:中国人口論と前世論
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月26日(火) 12時15分
>王朝交代期の人口減少
これについては理由を3つばかり述べたはずですが? 徴兵に伴う農業生産力の低下、黄河や長江などの水害などによる自然災害、大義思想に基づく苛烈な殺し合い。これらはどう考えても西洋以上のものがあるでしょう。西洋でもドイツ三十年戦争(1618~48)では当時のドイツ全体で2000万の人口が700万にまで減っているという歴史がありますし、黒死病による人口激減もありますよね。それらから考えてみても、上記の理由による人口激減は不自然なものではないと思いますが。
中国では、新王朝が誕生するたびに必ず戸籍調査を行い、同時に前王朝が残した記録保管庫を真っ先に取り押さえ、これらを正史として記録に残すのだそうです。だから人口の変遷についてはかなり信頼性のある資料が残されています。確かに記録の不備もあるかもしれませんが、「大規模な人口減はなかった」ということはないでしょう。
それにあの批評における私の論旨の根本は、「中国の歴史上における大人口激減を隠蔽して「勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史」と主張するのはおかしいだろう」というものです。私が挙げた理由だけで、田中芳樹の「中国はスバラシイ」がいかに事実を覆い隠したものであるか、そして田中芳樹の「常日頃の主張」からしてもいかにひどいシロモノであるかが御分かりいただけると思いますが。
>前世論
これについてはizumiさんの分もこちらでまとめて解答することにしましょう。
>izumiさんの分
まず、あの社会評論を唱える前に前世の事を知っていたか、ということについては「おぼろげながら知っていた」というのが答えです。確かに鳥羽茉理自身が自分の前世を正式に知ったのは創竜伝9巻においてですが、竜堂兄弟の前世が判明したのは創竜伝1巻ですし、創竜伝4巻P211で、彼女は鳥を操る特殊な力によって悪党を撃退していますし、またランバード・クラークとの会見の前にも同じ力を発揮しています(創竜伝6 P61~62)。
また虹川・蜃海・水地の3人も、創竜伝4巻にて次のような会話を交わしています。
創竜伝4 P177上段~下段
<「ところで虹川さんよ、お前さんがいつか言ったことがあったな、おれたちの姓について、虹も蜃も竜の手下だと」
「ああ」
「あのとき口にしたことに、またお前さん、引っかかるものを感じてるかね」
すぐには蜃海は返答せず、先日知りあったばかりの、奇妙な同士を見やって、メモ帳とペンをとりだした。
「水地さんよ、お前さんのもともとの姓は、こう書くんじゃないかね」
メモ帳に書かれた「蛟」という字を見て、脱走自衛官は、あっさりと顔を上下に振った。
「江戸時代の末まではそう書かれてたらしいがね」
「ふむ……」
蛟は、やはり竜の一種である。虹川が童顔をかるくしかめた。
「すると何千年かの関係、前世からの縁、てな具合になるのかい。ちょっとばかし神がかってきたぜ、こいつは」
「悪魔がかってきた、といったほうが正確じゃないか」>
これらの記述から検証すると、彼らは創竜伝4巻の時点ですでに自分たちが何らかの前世を持っていることに気づいていたということになります。実際、彼らは自分達の前世についていろいろな推測をしていますし、竜堂兄弟の前世話からも「自分たちの前世も、竜堂兄弟と何らかの関係があるのでは」という結論に至るのは容易な事です。したがって、あの社会評論を語っていた時点で「自分たちを顧みる」ことは充分にできたと言えます。ここまで状況証拠がそろっているにもかかわらず、もし仮にそういう考えが頭に浮かばなかったとしたら、彼らの思考パターンには相当な異常があるとしか思えませんので、やはり「低能」呼ばわりはやむをえないと思います(-_-;;)。
そして彼らが「前世を自慢している」という点に関しては、確かに口では言ってはいないでしょうが、彼らが「前世の力」とやらを存分に振るって悪党をサディスティックにいたぶっている光景を挙げればそれだけで充分すぎるであろうと思います。特に敵側の方から見れば、彼らのパワーの源が「前世」であるということを知っていた場合、彼らが「前世の力」を大いに誇示していれば、竜堂兄弟一派にその自覚がなくとも「前世自慢」と受け取るのは自然な解釈であると言えます。「前世が四海竜王というだけで偉そうにしやがって」という論理でね。第一「四海竜王」だの「太真王夫人」だのといった称号自体、彼らが否定しているはずの「前世における地位が英雄とかお姫様である」というシロモノではありませんか(笑)。
あのように前世話に対する非難をしておきながら、自分たちはその否定しているはずの「前世の力」を何のためらいもなく使いまくり、しかもその矛盾に対する自覚も悩みも何ら感じているように見えない態度、そしてそのような自分たちが周りからどのように見えているかという視点のなさこそ、「連中は前世を自慢している」「自己を相対化する視点がない」ということで私が「低能」呼ばわりした理由です。鳥羽茉理も作者に粗末に扱われて、哀れなものですが(T_T)。
>ドロ改さんの分
そもそも私に言わせれば、「四海竜王」だの「太真王夫人」だのといった「前世話」をストーリーに組み込んでいるというのに、どう考えても自己否定に繋がるような社会評論をキャラクターに語らせるという神経は理解に苦しむのですけどね~。私は「僕の地球を守って」については何も知らないのでなんとも言えませんが、仮にドロ改さんの擁護論が正しかったとしても、それによってストーリーに悪影響を与えるのでは本末転倒もはなはだしいと言わなければなりません。まさに田中芳樹の「自業自得」です。敵側が前世を主張しているのならば、あの批判もまだ理解できるのですが。
いかに彼らが前世話を否定したところで、彼らの安全を守っているのは、彼らが否定しているはずの「前世の力」ではありませんか。単に「前世自慢」をしている連中とは訳が違います。前世を否定するのならば、当然その「前世」によってもたらされた力も否定すべきです。まさか彼らも、あの力を「自分たちのみに備わった先天的な能力であり、前世とは何の関係もない」と考えているわけではありますまい。鳥羽茉理の態度には「前世を否定しつつ、前世の力を使っている」というパラドックスに対する自覚があるとはとても言えません。せめてその辺りの自覚や葛藤でも描かれていれば、もうすこし事情は変わったのでしょうが、それがない以上、あの鳥羽茉理の主張は「自己否定の妄言」と判定するしかありませんね。
もし私があの場のランバート・クラークの立場にいたら、鳥羽茉理の前世話に対応してこう言ったでしょうね。
「じゃあドラゴン・ブラザーズの超人的な力や、君の鳥を操る特殊能力は前世の力というやつではないのかい、ミス・トバ」
とね。
低レベルな反論ですが、この程度の反論も思い浮かばないランバート・クラークもかなりの低能と言わざるをえませんね。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.198
Re190/192:レス
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月26日(火) 12時18分
<「私の創竜伝考察」てたくさん書いてらっしゃるみたいですけど、こんなに沢山書くことあるなら掲示板に書き込みよりそれについてのページを作った方がいいのでは?>
これに関する私の持論は「一点集中」ですので、田中芳樹批判がここに集中していた方がよいと考えていますし、それに今更私が田中芳樹批判「だけ」のページをつくったところで「二番煎じ」にしかなりませんしね。そもそもホームページの作り方はまだ勉強中でして、すぐ作れるという状況にないんですわ(T_T)。
もちろん私もいつかは自分のHPをもつつもりですし、そのときは田中芳樹も扱う事になるでしょうが、さしあたってそれは今ではない、ということです。
<私は創竜伝は嫌いですけど、同じ日本ものでも「夏の魔術」シリーズは好きなんです。あの主人公二人にくらべて、創竜伝のキャラクターに対する作者の扱いはひどいと思いませんか?作者のくだらない評論を代わりに言わされてるような、無駄な台詞が多すぎます。>
これは私も同じ意見です。まあ「白い迷宮」で妙な満州中国領土論と関東軍の描写を展開していたのにはさすがに呆れましたが、まああのシリーズはまだストーリーとキャラクターがまともな方なので許容範囲ですね。
それに比べて創竜伝とあの体たらくときたら………。
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- board2 - No.199
前世、家柄、ダライラマ
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年10月26日(火) 16時53分
> 「だがチベット仏教の法王たるダライ・ラマは代々、輪廻転生をくりかえし、不死の人としてチベット人に厚く尊崇されている。君だって知ってるだろう」
> 「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
> なぜ、こんなところで、亡国のチベット人指導者ダライ・ラマを貶めるような記述をする必要があるのか。
> 今の人民解放軍は「堕落した」ということは田中芳樹にとってチベットを「解放」した頃の人民解放軍は正義の軍隊だったのでしょう。
>いかな毒舌の持ち主でも、亡命生活を余儀なくされている人に対してこれはないでしょう。
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これについては私は、いささか違った感想を持っています。
現ダライ・ラマ14世(だったか?)が、尊敬すべき人格であり、またチベット国およびチベット国民が不当な侵略を受けたことは私は全面的に認めるが、しかしそれでもダライ・ラマの輪廻転生は信じない、チベット仏教は信じない、というスタンスは有ってよし、です。というか私もそうだから。
大体、欧米やアメリカでのチベット観は現在、多少「ポジティブ・オリエンタリズム(造語)」が過ぎている感がある。ある種のアメリカ原住民やアイヌ、「パパラギ」に通じるような、「高貴な野蛮人」観。
どんな国のどんな国民だって、野蛮も残酷も権力闘争もあるし、ないほうがおかしいってものだ.歴代ダライ・ラマを巡って権力闘争がないはずがないし、残酷な拷問もあったらしい。極論を言えば、それが文化だ!それが歴史だ!
ついでに言えば中国の「解放」によって、チベット国の前近代的な弊害(農奴など)が払拭されたこともあるだろう。それは、中国の支配原理が遠く遠く離れた先祖に「(近代的)啓蒙主義」を持っている以上、善悪を超えて行われることである。
それを認識しないのも、それを以って「解放」とするのもおかしいことだ。そういう近代的システムのもと支配されるのと、前近代的弊害を持ちつつ(あるいは漸進的改革を自らしつつ)独立を保つのと、どう善悪を比較せよというのか。これは、日本の朝鮮半島支配とかなりパラレルである。
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「前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
ドロ改さんのレスにも出てきますが、「前世系」の話でまじになるファンへの解毒剤、という面はあったかもしれません(彼女らの生態については浅羽通明「天使の王国」幻冬舎文庫参照のこと)。前世なんてくっだらねえ、と思いつつ竜の子孫の物語を書く、というのはアリとは思う…が、ここでのセリフが「創竜伝」の世界観を崩しているのも事実(笑)。それくらい分かるだろうに、何故この文章を挿入したのか…やはり腹に据えかねたのか。
> 「輪廻転生というやつは?」
> 「ばかばかしいと思うわ」
ただ、前世を信じないのも家柄を否定するのも結構だが、それがある種の「異文化否定」に成りかねないということは押さえておいてほしいものだ。三跪九叩頭という麻雀の役のような儀礼(cみなもと太郎)も、郷に入れば郷に従えであるのと同様、韓国人の本貫への誇り、チベット・タイ・ベトナム等の輪廻信仰も同様に尊重する必要があるということである。
しかしなかなかこの辺は微妙でして…。極端な例で言うと、私の叔父と仲がとても良かった外国人は、昭和天皇が亡くなったとき本当に沈痛な表情でお悔やみを述べ、嘆いたそうです。「なぜ貴方はそんなに悲しむのか」と叔父が尋ねると、なんと
「天皇はキリスト教を最後まで信じなかったから、地獄へいく」
(…オイオイオイオイ)
マジメなキリスト・ユダヤ教徒のどんな穏健派と異教徒が友人になっても、「最後の審判ではインフェルノに落ちる人達」と思うのが彼らの論理的帰結ですわな。しかしそう思いつつも、神社にも仏閣にも敬意を払う。
同様に前世・血統を否定しつつもダライ・ラマ(信仰)や本貫・族譜などへの朝鮮人の思いを貶さない。
そのへんの微妙な綱渡りを過っているか、というところからこの類の「信仰・オカルト否定論を見ていきたいと思う。
だいぶ創竜伝から離れたが。
追伸、ベストの変更、お手数お掛けしました。
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- board2 - No.200
最も単純にして大きな破綻
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月26日(火) 20時34分
> 「僕の地球を守って」
私は1/4スペースを楽しみにするというヤな読み方をしましたね(^^;) 文庫版ではこの部分が無くなっているようでガッカリですが。
ともあれ、今更指摘するまでもないくらい明白なことですが、創竜伝の説教が決定的なまでにストーリーを破綻させている典型的な例ですよね。
民主主義を説教する当の本人が、それとは最も縁遠い存在である「王」であるというのが笑止です。プロット作っていて何か思わなかったのでしょうか。
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- board2 - No.201
Re: 余談
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月26日(火) 20時37分
> はじめまして。米田と申します。
はじめまして。よろしくお願いします。
> 最初の書き込みで、いきなりですが、枝葉にレスなど(^^;
> フィンランドで出ていたのですが、ビール会社が買収されてオランダになってしまいました。
> 日本でも、三笠公園の売店で売られています。
このビールの出自説に連合国オランダが混ざっていることが疑問だったのですが、氷解しました。
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- board2 - No.202
連邦制、田中氏の政治認識(短め)
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月28日(木) 15時25分
連邦制についてのレスを書こうとしたのですが、あまりにも長文になってしまい、また田中芳樹からもどんどん離れていってしまったので、ここでは一点だけ指摘するにとどめておきます。
> ちなみに中国のチベット支配や少数民族の支配は一方的な価値観の押しつけであり、しかも漢民族の人海戦術で少数民族の支配地域を埋め尽くしていこうという政策ですから、アメリカと違って反発を買うのは当たり前ですね。中国で「同じ中国人だから民族差別はやめよう」と言った人の話は聞いた事がありませんが(笑)。
中華人民共和国憲法前文より抜粋
<中華人民共和国は、全国の各民族人民が共同でつくりあげた統一した多民族国家である。平等、団結、相互援助の社会主義的民族関係はすでに確立しており、引き続き強化されるであろう。民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない。国家は、全力をあげて、全国各民族の共同の繁栄を促進する。>
このように口先だけならどんな国家も言っていることです。それが実態をともなっているか判断し、評価を下せるのは、我々が「外国人」であるからではないでしょうか。
・・・また、田中芳樹と民主主義、その政治認識に関連して、管理人さんの本論10への反論、という形で書こうと思っていたのですが(コンテンツについて後で書くって言ってましたね)、創竜伝を読み返していると、田中氏擁護の論陣を張った長文を書くのが苦痛になってきたので、これも短めに。
アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。
田中芳樹には全体主義の要素の一つ「過度な平等主義」といったものは感じられません。「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか。「夏の魔術」に登場する北本氏は典型的な不労所得者ですし、「晴れた空から突然に…」に登場する飛行船会社社長の有本泰造氏は「汚い手段で金を稼いだ」人物ではあっても好意的に描かれています。
竜堂兄弟の「懲らしめ」の発想の危険性、には同意しますが、結論部分はいかがなものでしょうか。
それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.203
チベット関連
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月28日(木) 15時43分
>現ダライ・ラマ14世(だったか?)が、尊敬すべき人格であり、またチベット国およびチベット国民が不当な侵略を受けたことは私は全面的に認めるが、しかしそれでもダライ・ラマの輪廻転生は信じない、チベット仏教は信じない、というスタンスは有ってよし、です。というか私もそうだから。
スタンスは有ってよし、ていうのはそのとおりです。私もそうですし。というかほとんどの日本人がそうでしょう。ただそのスタンスの表明として「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」という台詞が必要でしょうか(そもそもこの台詞は輪廻転生の否定にも肯定にもなっていない)。
> 大体、欧米やアメリカでのチベット観は現在、多少「ポジティブ・オリエンタリズム(造語)」が過ぎている感がある。ある種のアメリカ原住民やアイヌ、「パパラギ」に通じるような、「高貴な野蛮人」観。
この種のオリエンタリズムに対する気色悪さは、私も感じます。
だから、怪しげな東洋趣味の持ち主のランバート・クラークに輪廻転生を語らせてもいいのですが、なぜここで、ダライ・ラマなの?っていうのが私の疑問です。被害と加害の事実があって、被害者を貶め、加害者(しかも独裁政権)の言い分を補強するかのような言説は、田中芳樹のもっとも好むところではない、それが中国に限ってなぜ・・・と思うのですが。
>ついでに言えば中国の「解放」によって、チベット国の前近代的な弊害(農奴など)が払拭されたこともあるだろう。それは、中国の支配原理が遠く遠く離れた先祖に「(近代的)啓蒙主義」を持っている以上、善悪を超えて行われることである。
それを認識しないのも、それを以って「解放」とするのもおかしいことだ。そういう近代的システムのもと支配されるのと、前近代的弊害を持ちつつ(あるいは漸進的改革を自らしつつ)独立を保つのと、どう善悪を比較せよというのか。これは、日本の朝鮮半島支配とかなりパラレルである。
私はこの近代啓蒙主義そのものに大きな疑念を感じざるを得ないのですが(否定はしませんが)、そのことはさておき、中国のチベット支配には対インド防衛の要素もある、という意味でも「日本の朝鮮半島支配とかなりパラレル」であると思います(だったらなおさら、田中芳樹的には否定せざるを得ないでしょうね)。
>ただ、前世を信じないのも家柄を否定するのも結構だが、それがある種の「異文化否定」に成りかねないということは押さえておいてほしいものだ。
ランバート・クラーク風にいえば「東洋人である君が、西洋人のような異文化否定をするとは。皮肉だな。」
この辺は私自身、身に覚えがあるので、自戒の意味も込めて。
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- board2 - No.204
Re: Re191:中国人口論と前世論
- 投稿者:izumi
- 1999年10月28日(木) 23時11分
何度もすみません。お答えいただいたのがあまり納得できないのでもう一度書かせていただきます。
> これらの記述から検証すると、彼らは創竜伝4巻の時点ですでに自分たちが何らかの前世を持っていることに気づいていたということになります。実際、彼らは自分達の前世についていろいろな推測をしていますし、竜堂兄弟の前世話からも「自分たちの前世も、竜堂兄弟と何らかの関係があるのでは」という結論に至るのは容易な事です。
確かに、彼らは「もしかして自分の前世、何か竜堂兄弟と関係あるかも」と推測することは可能ですよね。でも、それって結局は「もしかして」止まりじゃないですか。水地、虹川、深海の三人は名前が竜に関係しているっていうつながりはあるけど、特に超能力を持っているわけではない。茉理ちゃんは、ピンチの時に鳥が助けに来てくれるってことがあったけど、それは竜には何の関係もないし、鳥が助けに来てくれるってだけなら、誰か鳥を操る能力を持った人が茉理ちゃんを見守ってて、助けてくれたって可能性も考えられる。いきなり「これは前世のおかげ」と結論出すのは結構厳しいと思いますが。特に前世を信じてない人にとっては。
だからやっぱりあの時点で茉理ちゃんが自分の身を顧みなくても、「低能」とは言えないと私は思います。
でも自分の身を顧みた発言てどんなのでしょう。彼女は「前世自慢をする人」をくだらないといってるのであって、その発言に自分の前世がどうとかいうのは全く関係してこないと思うのですが。
>特に敵側の方から見れば、彼らのパワーの源が「前世」であるということを知っていた場合、彼らが「前世の力」を大いに誇示していれば、竜堂兄弟一派にその自覚がなくとも「前世自慢」と受け取るのは自然な解釈であると言えます。「前世が四海竜王というだけで偉そうにしやがって」という論理でね。
これ、自然な解釈ですか??めっちゃ無理があると思いますけど。「前世が四海竜王というだけで偉そうにしやがって」という論理、ですか? そういう風に考えますかね?「ちょっとすごい力持ってるからっていい気になりやがって。そんなもん所詮は前世の力だろ」ならわかるんですけどね。それって「自分の力を自慢している」という風に解釈しているのであって「前世の自慢」ということにはならないですよね。
>第一「四海竜王」だの「太真王夫人」だのといった称号自体、彼らが否定しているはずの「前世における地位が英雄とかお姫様である」というシロモノではありませんか(笑)。
なんだかこの文章を読むと、「竜堂兄弟とその仲間たち」が「前世が立派な地位にあった人」を否定したみたいですけど、実際には、「茉理ちゃん」が「前世自慢をする人」を否定してるんじゃないですか? 彼女の台詞から私はそうとりましたけど。
>あのように前世話に対する非難をしておきながら、自分たちはその否定しているはずの「前世の力」を何のためらいもなく使いまくり、しかもその矛盾に対する自覚も悩みも何ら感じているように見えない態度、そしてそのような自分たちが周りからどのように見えているかという視点のなさこそ、「連中は前世を自慢している」「自己を相対化する視点がない」ということで私が「低能」呼ばわりした理由です。鳥羽茉理も作者に粗末に扱われて、哀れなものですが(T_T)。
何回も書くけど、茉理ちゃんが否定してるのは「前世自慢をする人」であって「前世の力」ではないでしょう。仮に、彼女があの発言で「前世の力」それを否定していたとしても、それは茉理ちゃんの意見であって竜堂兄弟のではありません。だから竜堂兄弟がいくら「前世の力」を使おうと矛盾がおきるはずもなく、自覚も悩みも感じるわけがありません。茉理ちゃんの「前世の力」は彼女が意識的に使いこなしてるわけではなく、しかもこの時点で彼女がはっきりと自分の前世を知っているわけではない以上、やはり矛盾は起きません。「低能」とは言えないと思いますが。
どうでもいいですが、この場面の茉理ちゃんの台詞って「社会評論」なんですか?茉理ちゃんの一意見であって、こういうものに対する考えって個人個人で持ってるものだと思うんですが。敵であるランバート・クラークの前で敢えていってるのは喧嘩売るためだと思ったし。私はこの場面が田中芳樹の評論とは思えませんでした。
前世を題材にした物語に出てくる人がみんな前世肯定派じゃなきゃいけないってことはないんじゃないでしょうか。