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- board2 - No.231
田中芳樹の中国物は売れているのか?
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年11月04日(木) 12時10分
宮城谷昌光の『楽毅』が完結し、最終巻もベストセラー入りしてますが、ふと思ったのが、
「田中芳樹の中国物は実際の所どの程度売れているんだろう?」
ということ。
『海嘯』、『奔流』あたりがベストセラー入りしたという話は寡聞にして知らないのですが、ある程度の重版はかかったのか?
『隋唐演義』がコケた為に“中国歴史ロマンシリーズ”(だったっけ?)は頓挫した、という話も聞きましたが実際どうなのか。
以下私見
① 登場人物の大半が髭面のおやぢの為女性読者が引いてしまう(笑)。
② かといって中高年層の間で話題になっている様子も無い。
③ そもそも小説としてつまらない(爆)
ので、売行きの方も段々と先細りになっていってるのでは、と思いますね。
なぜつまらないのか?
これも私見ですが、やはり国家の興亡と多数の人物の群像・大規模な戦闘を克明に描く型の作品にはある程度の分量が必要なんではないでせうか。
200ページちょいの単行本1冊では、中軸になる視点を定めずに多くのキャラクターを均等に描写しようというのはそもそも無理な気がします。
個人の運命をストーリーの中核に据えた『風よ、万里を翔けよ』がある程度まとまっていたのに対し、『紅塵』、『海嘯』、『奔流』が、なんとなくすっとばし気味で非常に食い足りない印象が拭えないのもそこに原因があるのではないかと。(『運命』は未読ですが)
まあ、出版社がなかなか承知しないってのはあるでしょうけどね。
やっぱり出版社と大多数の読者が望むのは既存のシリーズの続きでしょうから、それをほっぽって
「全10巻の大河歴史ロマン」!!
なんてのをぶち上げる訳にもいかないのかな(^^;;)。
「書きたいもの」と「読者のニーズ(=売れるもの)」との乖離が進む一方で、正に『現代のコナン・ドイル』と化した田中芳樹の明日はどっちだ!?。
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- board2 - No.232
はじめまして
- 投稿者:m since k
- 1999年11月04日(木) 13時57分
どうもはじめまして。
面白いサイトですね。創竜伝なんてストーリー自体忘れてましたぜ。ザ・ベストとか読んでて「ああ、そういうキャラいたな」って(笑)。銀英伝の登場人物なら五十人以上フルネームで覚えてるのに。銀英伝の外伝の残りについて話題になってましたけど(みなさんにとっては古い話かもしれませんが)、ぼくは読みたいけど書いてほしくない、ってとこです。今の氏が銀英伝を書くなんて……。せっかくうち立てた金字塔を炎上させた挙げ句ソニックビームで撃ち抜くようなものでしょう。それに愛蔵版なんてモノも出たようですし。氏にとって唯一、正伝の完結したシリーズなのに、最近は商売道具と化したような気がします。氏にとって、かつての「作品」は「商品」へと変わってしまったのでしょうか?
創竜伝は面白くない、には同感です。突飛ですが、ぼくは「北斗の拳」を思いだしました。「北斗の拳」なんて最初から通して読んだら「はぁあ?」ってとこ、けっこうあります。時代背景や血縁関係とか。それでも読み終わったとき、それらの矛盾を補って余りある満足感みたいなものがあります。「創竜伝」にはそういった要素が欠けているんじゃないでしょうか?まあ、比較することじたいおかしいだろ、と言われればそれまでですが。
理論的なツッこみはみなさんお任せして、ぼくはただ単純にこの場を楽しまさせていただこうと思っています。
それでは。
- 親記事No.230スレッドの返信投稿
- board2 - No.233
Re: はじめまして
- 投稿者:えむびーまん
- 1999年11月04日(木) 14時21分
山本隆雄はIQ132をほこってます。
日コン連の会長です。
- 親記事No.230スレッドの返信投稿
- board2 - No.234
Re: はじめまして
- 投稿者:空気が疲れてきているんだな
- 1999年11月04日(木) 14時47分
空気が疲れてきているんだな
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.235
私が呼ばれてきた部分だけ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年11月04日(木) 18時26分
どうも、呼ばれて出てきました管理人です。izumiさんはじめまして。
私が噛んでいる部分に付いて一言。
> この考え方私は違うと思うんですよね。冒険風ライダーさんだけじゃなくて、管理人さんも前に「民主主義をさけぶ主人公の前世が王様だなんて笑止」と書いてましたが、何でそれがいけないんだか私にはわかりません。なんでそうやって登場人物の思考を物語に縛り付けようとするんですか。別にいいじゃないですか。前世話に出てくる人はみんなオカルト肯定派で民主主義素晴らしいという人は必ず一般市民なんてそんなワンパターンな設定しか許されないなんてつまらないです。
> それが世界観ぶっ壊してるって言うなら、使い方が下手なんですよ、単に。
まず、小説である以上は「使い方が下手」だということは作家への批判として最も正統的かつ有効だと思います。創竜伝が小説であるならばこの部分が最も重要なのです。
民主主義の正論家の前世が実は王様というシチュエーションは、極端な話共産主義の指導者が実は皇族というシチュエーションと同質なのて、料理の仕方によっては面白い思想的・文学的テーマだと思うのですが、創竜伝は料理以前の問題ですね。だって、何も考えていないんだもん。
ちなみに、これを小説ではなく評論として見た場合、彼らの民主主義の説教が正論であればあるほど、また、本気であればあるほど、彼らは不誠実だということになります。
余談ですが、かつての極左の「自己否定」は愚劣そのものでしたが、しかし竜堂兄弟に比べてはるかに誠実であることは評価に値します。
まあ、「批判と否定は違う(by虹川)」ということで。
- 親記事No.231スレッドの返信投稿
- board2 - No.236
意外と
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年11月04日(木) 18時36分
> 正に『現代のコナン・ドイル』と化した田中芳樹の明日はどっちだ!?。
「中島梓=栗本薫」みたいに別名義でやった方が良いかも知れないですね。少なくとも、読者としてオヤジ層を無視できない分野である以上は、「田中芳樹」名義はマイナスにしか働かないと思います(創竜伝読んでいるオヤジはいないと思うんだけど)。
オヤジ向け小説の方針で行くと『「書きたいもの」と「読者のニーズ(=売れるもの)」との乖離が進む』という矛盾がまた出て来てしまいますが、プロとして書いている以上は、客を無視していること自体が無理なんですよ。
そろそろお客さんのことを考えて書いてみましょうよ。もう。
- 親記事No.232スレッドの返信投稿
- board2 - No.237
Re: はじめまして
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年11月04日(木) 18時57分
> どうもはじめまして。
どうもよろしくお願いします。
>ぼくは読みたいけど書いてほしくない、ってとこです。今の氏が銀英伝を書くなんて……。せっかくうち立てた金字塔を炎上させた挙げ句ソニックビームで撃ち抜くようなものでしょう。それに愛蔵版なんてモノも出たようですし。氏にとって唯一、正伝の完結したシリーズなのに、最近は商売道具と化したような気がします。氏にとって、かつての「作品」は「商品」へと変わってしまったのでしょうか?
これだけ年月が経ってなお商品(しかも田中氏の主力商品)として通用していることは、銀英伝に対する作品としての評価が端的に表われていると思います。
- 親記事No.230スレッドの返信投稿
- board2 - No.238
どっさり紙
- 投稿者:どっさり紙
- 1999年11月04日(木) 22時42分
おはようございます~
今日も寒いですね。いよいよ冬も
近いです、、、(^^;
風をひかないようにしましょう~
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- board2 - No.239
はじめまして
- 投稿者:90210
- 1999年11月05日(金) 14時40分
はじめまして。どうやってここに辿り着いたのか・・・。
三日間読みまくりましたが、目がつぶれそうになったので、中断してカキコします。本当は全部読み終わってからにしようと思っていたんですけど。
田中氏の本は、銀英伝で惚れ、創竜伝で別れました。
ここは、たまに(よく?)議論が高度すぎで理解不可能になりますが、活発でいいですねえ。
ところで、その昔SFアドベンチャーの「日々快感 銀英伝番外度激怒篇 正月から日々不快感」という田中氏のエッセイについて触れられた所はあるんでしょうか?いえ、田中氏のエッセイのなかで、一番印象深いものなんで、皆さんどういった感想を持ったのかなーと・・・。
ではでは、また寄らせていただきます。ふふ。
- 親記事No.239スレッドの返信投稿
- board2 - No.240
どのようなものでしょうか?
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年11月05日(金) 15時12分
はじめまして。よろしくお願いします。
> 三日間読みまくりましたが、目がつぶれそうになったので、中断してカキコします。本当は全部読み終わってからにしようと思っていたんですけど。
掲示板のログにまで目を通していただきありがとうございます。
> ところで、その昔SFアドベンチャーの「日々快感 銀英伝番外度激怒篇 正月から日々不快感」という田中氏のエッセイについて触れられた所はあるんでしょうか?いえ、田中氏のエッセイのなかで、一番印象深いものなんで、皆さんどういった感想を持ったのかなーと・・・。
掲示板でいままでこのエッセイについての話は出ていないと思います。少なくとも、私はこの題名のエッセイは読んだことがありません。題名は出ないで内容が紹介されている可能性もありますが、いったいどのような内容なのでしょうか?
お教えいただければ幸いです。
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- board2 - No.241
お久しぶりです
- 投稿者:速水右近
- 1999年11月05日(金) 15時50分
一ヶ月半ぶりの御無沙汰です。国内国外国内と
出張で飛び回ってました。貧乏なんとかです。
実はまだ仕事が押してるんですけどね。
ところで何週間か本すら、というか日本語さえ通じない場所にいながら、私もいろいろ考えてたんですが、私なりにちょっと問題提起をしたいんですがよろしいでしょうか? また変な御願いですが、指名というわけではありませんが、石井、風ライダーの御両氏には御返事していただければ有り難いです。
私自身、田中芳樹にはそれほど「ハマッタ」という意識はなかったです。それはここで討議されている『創竜伝』はもちろん、『銀英伝』、『アルスラーン』にしてもですが。「流行っているんだから読んどこうか」って感じでしたね。だからすぐに辞められたんでしょうが(笑)。
ともかく読むのを辞めたのは、『創竜伝』で「プラスチックのレターケース」の部分がきっかけですね。「同じネタを、同じ小説で二度も使うなよ」で激怒しまして。
『創竜伝』のひどさは、ここで私なんかが指摘する必要もないでしょう。しかし私に理解できないのは、田中芳樹の創作姿勢(のひどさではなく)の「原点」なんですよ。
やはり『銀英伝』は、日本スペオペのなかでも上位に位置づけなければならないでしょう。それだけの作家が、いったいなにに対してコンプレックスを抱いているのか、私には理解できません。
ちょうど『ノルウェーの森』に関して書いた文が波紋になってますけど、私はそれを読んでかなり失望しましたよ。内容の貧弱さではなく、「田中芳樹ともあろう作家が、どうして純文学に対してこうも攻撃的なのか」って。
正直失望というか、悲しかったですね。「ワシの書いてるんは超大河ロマンじゃけん、関係ねーわ」くらい開き直ってくれると、それなりに感動したんでしょうけど。
いや、日頃読者をアジっている田中芳樹ならそのくらい書いてくれるんじゃないかと私なりに期待してたんですよ、好きじゃないなりに。悪い意味で裏切られたのが、ショックでしたね。
まぁ前振りが長くなりましたけど、田中芳樹の個々のミスを指摘するだけではなくて、ミスの原点というか、彼の創作姿勢を形成した内面であり、生い立ちとかまで踏み込んだ意見を聞きたいなぁと思いまして。そんなわけで、常々舌鋒には感心している御両氏を特に指名した次第です。もちろん批判的立場ではない、田中信者と言われているファンの考えも伺いたいですけどね。
そーゆーことで、また。
追伸 一応一二月中旬までは自宅。でも年末にまた長期出張なので、予断は許しません。今年こそは「倒れたくない」ですよ。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.242
呼ばれてはいませんが
- 投稿者:heinkel
- 1999年11月05日(金) 16時54分
> 輪廻転生の否定にも肯定にもなっていないし、前世自慢に対する批判もストーリーの本筋とは全く関係のないことです。
この部分は、私も言ってましたので。
> クラーク「ダライ・ラマが何度も転生を繰り返し、(それによって)チベット人に深く崇高されている(輪廻転生があるという証拠じゃないか?)」
茉理ちゃん「歴代のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるの、ご存じ?(もしチベット人が本当に輪廻転生を信じてそのことでダライ・ラマを崇高してるなら殺したりするわけないでしょ。意味ないじゃない。転生するなら)」
> ()内が、私があの場面を読んだときその台詞から読みとった彼らの心情です。めっちゃ否定になってると思いますけど。あと、前世自慢に対するあの批判は、前世信仰派(つまりランバート・クラーク)にはすっごい打撃だと思いますよ。前にも書いたとおり、私はあの場面で茉理ちゃんがランバート・クラークを言い負かす、というのが必要だったと思ってますから。その部分読みませんでした?
ストーリーの本筋とは関係ないってよく言いますけど、ストーリーの本筋に直接関係してこないエピソードなんて、創竜伝に限らず他の物語にもたくさんありますよ。
まず、人間が死後、輪廻転生するのか、天国か地獄にいくのか、無に帰るのかは、死んでみなけりゃ判らないので、存在自体を否定したり肯定したりしても埒があかない。つまるところ輪廻転生を信仰することの是非を問うしかない。
そして、茉理ちゃんの台詞なんですけど、結局のところ「チベット人の中にもダライ・ラマ(または輪廻転生)を信じない奴がいた」って事を示しているだけじゃないですか?これが一般のチベット人の信仰、ましてや第14世ダライ・ラマに対するチベット人の尊崇を否定することには、全くならないと思うのですが・・・。
「共和制というやつを信じるかい、ミス・トバ」
「いいえ」
「民主主義というやつは?」
「ばかばかしいと思うわ」
厳しい口調で茉理が断言すると、クラークは異議ありげな表情をした。
「だがアメリカ合衆国の元首たる大統領は代々、民主的な選挙で選出され、人民の代表としてアメリカ人に厚く尊敬されている。君だって知ってるだろう」
「代々の大統領のうち、アメリカ人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
これ、大統領の暗殺が、民主主義を全否定することにつながるとも思えない(創竜伝のように、すべて「陰の支配者」によって暗殺された、という陰謀史観に立つのなら別ですけど)。
それからストーリーの本筋に関係のないエピソードはいくら入ってもかまわないのですが、それが作品そのものをぶちこわすことになってはどうしようもないでしょう。といっても、私がいっているのは前世自慢の事ではありませんよ。
創竜伝の登場人物たちの「辛辣な台詞」だとか作者自身の評論なども、それが日本や欧米の権力者に向いている分にはまだ、弱者に肩入れする田中芳樹の心情故ともいえるし、創竜伝も「警句の書」として見なすことも可能でしょう。しかしあの引用部分(明らかにダライ・ラマに対する負の表現になっている)や、気色悪い中国賛美記述などを見るにつけ、もう私などは創竜伝をある種のプロパガンダ小説としてしか見なせなくなってしまうのですよ。
だから、「茉理ちゃんがランバート・クラークを言い負かす」というシーンを演出するために、わざわざダライ・ラマを持ってきた田中芳樹の感覚が判らないのです。
…この辺、中国がチベットに対して行った侵略やダライ・ラマの受難についてご存じであろうとの前提で書いていますが、よろしいですか?
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- board2 - No.243
掲示板傍観者のファンレター
- 投稿者:落石注意
- 1999年11月05日(金) 17時03分
えー、掲示板のまとめを通読し、これは銀河英雄伝説に匹敵するほど面白いと感激して以来、田中芳樹がどうのこうの以外のところでこのHP(て言うか掲示板)を支持しがちな傍観者です。ハイ。
というものの一年前のコメントを最近読んだせいかもしれないけど、ココ最近のはやや停滞気味のような気もします。他と比べてつまらないワケじゃないが、開設1~2ヶ月のコメントを見てしまうと引きずり込まれる何かが薄くなっているのは否めません。このままでは「田中芳樹批判が読めるのはタナウツだけ」なんて分かりやすい認知をされて、朝までTVの大島カントクとか愛する二人のデヴィ夫人のような存在になっちゃうんじゃないかと心配でなりません。
原因は一年間位の批評や論評に値しない田中芳樹樹の存在にあるというのはあらし的な言い方としても、田中芳樹という恒星があってこそこのサイトも輝くとメックリンガーが言っていたように、幾ら切り口を開拓しても、本尊がしっかりしない限り、ジリ貧なのはしょうがないのかもしれません。
とは言いながらも、ファンサイトに乱入したり、実証的な揶揄小説を発表してみたり
、小林よしのりを引っ張り出してライトな左右論争を展開させてたりして、つねに新しい仕掛けてきた管理人さんですから、次なるプロデュースに期待してしまうのも事実で、これからもスーパーヒロインAV研究所のあとには寄り続けます。
ところで失礼ながらもこの掲示板は全10巻としたら、今何巻くらいなのでしょうか?
自分は9巻の初め位のところでこれから常連の双璧が相撃ったり、管理人さんが田中芳樹に辿り着いたり、最後に崩御したりするシーンが残っていると勝手に思っています。(あとベストから派生した外伝的な掲示板が立ち上るのかも。)
もちろん、「地球教徒がヘンなレスつけるけどまだ、2巻も終わってナイ!」と今後の予告編つきで否定してください。
追伸
他人のケンカが大好きな傍観者としましては、最近盛り上がったのは、やはりココとか言う人が乱入していた頃だと思います。単なる乱暴者でないのがミソで嫌な言い方すれば、高校の生徒会室みたいな雰囲気を破るのに成功していたと思います。(ああ蛇足ながら、当時のコメント内容についてはここでは言及していません。)
異分子的な論客VS常連VS管理人さんが盛り上がって、傍観者がどんどん乱入して、脱線して、学級委員的な人が「ここは田中サイトです!」なんて収拾するパターンがだんだん規模を広げて繰り返されればいいなぁなんて思うそんな11月はじめのセブンデイズでした。
- 親記事No.230スレッドの返信投稿
- board2 - No.244
どっさり紙
- 投稿者:どっさり紙
- 1999年11月05日(金) 21時57分
おはようございます~
今日も天気がいいといいですね、、、(^^;
今日も仕事です~
- 親記事No.230スレッドの返信投稿
- board2 - No.245
Re: 掲示板傍観者のファンレター
- 投稿者:えむびーまん
- 1999年11月06日(土) 01時59分
山本孝雄です。
今日から明日にかけて、京都近辺で
大きな地震が起こりそうな気がします。
日コン連の人は、避難してください。
私は近いうちに、大スターです。
- 親記事No.239スレッドの返信投稿
- board2 - No.246
Re: どのようなものでしょうか?
- 投稿者:90210
- 1999年11月06日(土) 02時52分
早速のレス、ありがとうございます。返事があると嬉しいもんです。
ところで、日々不快感とエッセイは、おそらく銀英伝の10巻が出たあたりにSFAで書かれたものです(エッセイ部分しか残してないんで、何月号かは不明)
見開き2pのエッセイなんですが、前半は作者近況と10巻のミスについてのお詫びで、後半部分が・・・どうやら田中氏に同人誌(?)の対談本を贈った方が居た様で、その内容についての激怒文でした。
田中芳樹は、「ばーか」で「大ボケ」で「発想が大笑い」で「人間的成長がなければ悲劇」で「精神構造に欠陥がある」だって?だったら、そんな奴の書いた本を読むんじゃないよッ!
・・・から始まり、最後は
さようなら。せいぜい今後の幸運を祈る。
そうそう、最後に、君達の一番好きな言葉を、はなむけとして贈ろう。
「すべて愛ゆえです。笑って許して下さい」
でしめくくられてます。前文引用したい!
けど、HP上の掲示板でそんなことしていいんだろーかと思いましたので、ちょっとだけ。こんな内容ですが、紹介されてますか?もし許されるんなら、掲示板上でも、管理人サンのメールにでも、送りますです。ではでは~。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.247
Re229:前世問題に関するまとめ投稿
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年11月06日(土) 06時18分
この「前世問題」では、双方の問題意識や価値観があまりにも違う上にやたらと話が拡散しつつあるため、このまま問答を繰り返しても議論は平行線をたどるだけでしょうから、一応この問題に関するこちらからの返事はこれで終わりにします。
最後という事で、少しばかり私の考えをまとめてみます。
>前世認識
鳥羽茉理が「自分の前世を認識する事ができた」という根拠は次の4つです。
1. 竜堂兄弟の「超人的な力」が「前世」に由来する事(創竜伝1巻で判明)
2. 鳥羽茉理がその事を知っている事(創竜伝3巻の横田基地で判明)
3. 鳥羽茉理が「自分自身の特殊な力」に気づき、自分に疑問を投げかける事(創竜伝4巻・6巻)
4. ランバート・クラークの突拍子な質問が何を意味するのか充分に考えられた事(問題の評論の最初の質問)。
1・2・3で自分の前世に対する認識を持つことは、「推測」ではあっても限りなく「確信」に近い形で考える事ができると私は思いますが(まあそれでも確定情報ではないから「推測」としたのですが)、一番致命的な問題なのは4ですね。今まで出しませんでしたけど。
実はあのランバート・クラークの問いかけは、ストーリーの流れから言えば、鳥羽茉理に「自分の前世」を認識させるためと、その秘密をちらつかせることによって鳥羽茉理に何らかの要求ないしは取引をするために出したものである、と考えるのが、ストーリーの流れやその後のストーリーから考えても妥当なところでしょう。現に創竜伝7巻で、ランバート・クラークは「西王母」についても何か知っていたようなことを主張していますし、鳥羽茉理が「西王母」という名を出した時に奇異な視線で茉理を見た、という記述もあります(創竜伝7巻 P141)。あそこでランバート・クラークが「前後のストーリーと一見何の関係もない」と思われる「前世についての問いかけ」を行ったこと自体は、ストーリー的に見れば一種の伏線であったと言えます。
しかしそのようなランバート・クラークの意図にもかかわらず、鳥羽茉理はランバート・クラークの質問の意図を何ら理解せずに即答してしまい、ランバート・クラークはランバート・クラークで「ダライ・ラマ」の件を持ち出し、そのあげく「前世自慢」にまで話が脱線してしまったわけですから、せっかくの伏線が「本当にストーリーと何の関係もなくなってしまった」のですよ。だからあれは充分にストーリー構成を破壊している評論であると断言しても良いでしょう。あそこで鳥羽茉理がランバート・クラークを論争で打ち負かすのは、鳥羽茉理が賢明であったからではなく、単にランバート・クラークが自分の余計な評論で自爆したからにすぎません(ダライ・ラマの話を出したのはランバート・クラークの方です)。
そもそも鳥羽茉理はランバート・クラークの、話の前後と一見全く関係のない問いかけを少しは奇異に感じなかったのでしょうか? あの手の論争で、相手がいきなり今までと違う話題を出したら、すこしは「その意図は何なのだろう?」と考えてみても良いのではないですか? 下手にその話題に対して返答しようものなら相手の術中にはまってしまう事もあるのですから。そして鳥羽茉理が自分の前世を認識する事ができるのは、まさにこの「相手の意図を考える時」です。竜堂兄弟が前世を持っていることを知っており、かつランバート・クラークの目の前で「特殊な力」を披露し、トドメに論争相手から「前世話」を持ち出されたならば、「自分や竜堂兄弟の前世」について考えられる条件は充分にそろっているでしょう。ストーリーから言っても、ここである程度「自分の前世」を認識しないとおかしいんですよ。伏線は充分に整っているのですから。
鳥羽茉理がストーリー設定で「聡明な毒舌家」と規定されているのならば、そう考える事は充分に可能な事です。しかし実際には全くそうなっていないからこそ、鳥羽茉理は「自己相対化の視点がない」と私は評価するのです。鳥羽茉理は「ランバート・クラークの問いかけが自分達に関係があるものであるかもしれない」という考えも思い浮かばないというのですから。
>前世自慢
正確には「言」の方もやっているように思える記述があるのですけど、
創竜伝3 P192上段
<「余、いや、北海黒竜王敖炎。東海青竜王敖広が竜王の長として命じる。西海白竜王敖閏を正気にもどし、その矯激をおさえ、もって乱を治に返せ。よいな」
その厳格な命令を受けて、余のほうも首筋を伸ばした。まっすぐ兄を見あげる。
「はい、ご命令どおりにいたします」
意識してか否か、言葉づかいまであらためている。うなづいて、始は末弟の前に両ひざをつき、その額に掌をあてた。
「茉理ちゃん、家長の命令は絶対です。ぼくだって兄さんに命令されれば、どんなことだってしますよ。竜に命令できるのは竜だけなんです」
茉理の肩に手をおいて、続は、おだやかだが確乎たる声でいった。>
常日頃から民主主義を説教している連中がこんな何百年以上も前の封建体制の君臣関係のような問答をやっているのも笑止な限りなのですが、それはともかく、ここではっきり竜堂兄弟は鳥羽茉理の目の前で思いっきり「自分達の前世」を誇示していますよね(ちなみに鳥羽茉理が竜堂兄弟の前世を知ったのはここの描写です)。あの評論を展開するときにこの事が思い浮かばなかったのかな、と思うのですけどね。あの評論を上記の竜堂兄弟に適用しないというのならば、鳥羽茉理の「前世自慢」に対する評論は明らかにダブルスタンダードです。「前世の誇示」という点で両者は変わることがないのですし、この時点で鳥羽茉理は竜堂兄弟の内心を知らないのですから。
だいたい竜堂兄弟は創竜伝1巻で船津忠義の前世話をあざ笑っていたはずなのに、創竜伝3巻ではこの豹変ぶりですからね。別に意識変革が悪いとは言いませんけど、創竜伝1巻で前世をあざ笑い、民主主義を崇拝している手前、すこしは自分の発言や行動の矛盾を考えてみてもよさそうなものなのですが、どこにもそんな記述はありません。
それから「自慢と受け取る」という件に関しては、竜堂兄弟の対立相手が常に「とてつもなく低レベルに描かれた権力者」であった事を考慮していただきたいですね。そして彼らが常に竜堂兄弟の力を欲し、そして徹底的に叩き潰された事で、ちょうど銀英伝のフォークのような被害妄想に陥っているかもしれないということを、これまた常日頃から「人を思いやる想像力」というものを説教しているあの連中は全く思い浮かばなかったというのでしょうか。常日頃からああいう説教をしている「聡明な毒舌家」であるならば、「敵に自分がどう見られるか」という視点を持つ事も非常に重要であると思うのですが。
<あなたは「想像ないし推測できる」程度の可能性についてまで自分の考えを顧みて矛盾しないかどうか確認する必要がある、と言っているわけですね。その必要があるのにしないから茉理ちゃんは低能だ、と言っているのでしょう。私は、確かにそれについて考慮することは「可能」だとは思いますが、「必要」だとは思いません。そんなレベルの可能性までいちいち考慮していたら、この世の辛口発言のほとんどは、つきつめていったら「自己相対化にかけた発言」になってしまうと思います。>
この場合、共に「前世」という共通点がある事で自分を振り返る機会があるのですし、私は何かを批判するときには常に「自己相対化」の視点が必要だと思っています。批判するときに自分を顧みない、というのでは「ダブルスタンダード」のそしりを免れないからです。
創竜伝や中国ものにおける田中芳樹の中国礼賛などはその好例でしょう。自分が常日頃「愛国心はいけない」とか「軍国主義反対」とか言っているというのに、中国に関しては全くそう言った発言を適用しようとしない、というのはどう考えても醜悪ですし、そういう態度が他人からどのように見られるかという視点もないのでは、他人サマを批判する資格などないでしょう。
創竜伝の社会評論が全て「現代世界に対する批判」であり、主人公たちが「聡明な毒舌家」という設定である以上、私は絶対に「自己相対化」の視点は必要であると思うのです。それが持てないのならば、そもそも評論などすべきではないですね。
<あの文章で理解していただけなかったようですが、私は「竜堂兄弟の思想と茉理ちゃんの思想は前世話に関して違う」と言っているわけではありません。竜堂兄弟がはっきり「前世話」に関して話をしない限り、彼らの心うちは彼らにしかわからないのです。茉理ちゃんがそうだから竜堂兄弟もそうだとは言えない、と私は言ったのです。同じように、オカルトを否定してるから、新興宗教を否定してるから前世も否定するとは断言できません。それこそ「推測」しかできないのです。それなのに、なぜその「推測」の範囲でしかない事を根拠に人を低能呼ばわりするのですか?それがおかしいと私は言っているのです。>
あの文章で理解していただけなかったようですが、私はもうひとつ「竜堂兄弟は創竜伝1巻で前世をばかばかしいものであるとみなしている」とも言いましたよ。船津忠義から「前世話」を聞いた時には「タワゴト」扱いしていましたし。
それに「オカルト批判」や「宗教批判」をしている人が「前世」だけは肯定している、というのもはっきりいって眉唾なんですけどね~。普通よほどの考えがない限り、「前世」も「オカルト」の一種であると規定しますよ。それが違うと言うのならば、そちらの方こそ「前世批判とオカルト・宗教批判とは違う」という事を具体的に証明していただきたいですね。ひたすら「根拠を示せ」ばかり主張するのではなく。私の主張を否定する以上、それを証明する挙証責任はそちらにあるのですよ。それを私に押し付けないでいただきたいですね。
<No218もドロ改さんとあなたの論争も読みましたが、言いたいことがいまいちはっきりしません。お手数ですがわかりやすく簡潔に書いてくれないでしょうか。特に、田中信者でも何でもない私に対してあえて誤解を招くような挑発をすることにどんな意義があるのかという所もお願いします。>
まず、あの時点でizumiさんの投稿は二通しか私は見ていません。しかもあの時点では、このサイトにおける自分の立場も明言しなかったし、田中芳樹擁護派と全く同じ論理を展開していたから、相対化の手法で対処すれば良いと思ったまでですよ。
それとあの論争や投稿を見ても分からないということは、izumiさんはキャラクターが語る低レベルな社会評論や手法を全く問題視していないということでしょう。それではあのキャラクター評論の手法である「相対化」は全く理解できるものではありませんね。おそらく私の手法を「単にキャラクターを貶めている」と解釈しただけなのでしょう。こういう人もいるのだな、と勉強になりましたよ。
私の手法は、創竜伝における「聡明な毒舌家」とやらの手法をそっくりそのまま連中に返してやったものです。そのひどさに当然「田中芳樹ファン」は怒るでしょうが、それによってその怒りが「聡明な毒舌家」にもそのまま当てはまるという事に気づかせ、創竜伝に対する疑問を考えさせる、というやり方なのですけど。本論4「小説だったら許される?」と似たような手法と言えばわかりやすいでしょうか。
あとは「彼らの言動がいかに創竜伝のストーリー構成を破壊しているか」という証明ですよ。「田中芳樹の小説に対する責任を、小説中のキャラクターに押しつける」という論法がどれだけ創竜伝を貶めるかという結果表示と、このサイトの緒言で言われている「社会評論がストーリーを破壊している」という事例を挙げるためというのも大きな理由ですね。
まああれが分からないというのではこれでも相当分かりにくいと思うのですが、これはもう問題意識の違いですからどうしようもありませんね。あの相対化は、すくなくともizumiさんのように「キャラクターの言動や社会評論に矛盾を感じていない人」に関しては私のやり方は有効ではなかったでしょう。
もちろん、それが悪いといっているわけではなく、価値観と問題意識、そして小説の受け取り方の違いが、お互いにすれ違いになった理由であるということです。
<私があの場面を読んだときその台詞から読みとった彼らの心情です。めっちゃ否定になってると思いますけど。あと、前世自慢に対するあの批判は、前世信仰派(つまりランバート・クラーク)にはすっごい打撃だと思いますよ。前にも書いたとおり、私はあの場面で茉理ちゃんがランバート・クラークを言い負かす、というのが必要だったと思ってますから。その部分読みませんでした?>
別に鳥羽茉理がランバード・クラークを打ち負かすという「小説の描写」がけしからん、と言っているわけではありませんよ。その「打ち負かす」内容がストーリーと全く関係ないし、しかも低レベルぶりを露呈している、と私は言っているのです。しかもストーリーから考えられるであろう本来の伏線を台無しにしてまで論じることではないでしょう。本当に「ストーリーと全く無関係のエピソード」になってしまったのですから。これをやるにしてももっとストーリーに沿った別のやり方があるはずですよ。「現代世界に対する批判を行う」という形でしか「鳥羽茉理がランバード・クラークを打ち負かす」という表現ができない、というのではかなり問題があると思うのですが。
<ストーリーの本筋とは関係ないってよく言いますけど、ストーリーの本筋に直接関係してこないエピソードなんて、創竜伝に限らず他の物語にもたくさんありますよ。>
heinkelさんも仰っていましたが、例えとしてストーリーと関係のないエピソードを持ってくることは確かにあるでしょう。しかし創竜伝の場合はあまりにも数が多すぎますし、ましてやそれに乗じて「現代世界に対する批判」まで普通行いますかね? しかも批判内容も間違いだらけな上にストーリーを破壊してまで。
izumi さんの仰る「他の物語」に「フィクションに乗じた現代世界に対する社会批判」なんてありましたか? しかも創竜伝ほど多く。
最後に一言。
創竜伝のキャラクターの言動や社会評論に対して何の問題意識もないizumiさんには、私の投稿はさぞかし不快なものに見えるかもしれませんが、創竜伝が作品構成上多くの問題をかかえ、私やここの常連一同がそれを問題であると認識して批判しているということは御理解していただきたいものですね。同意しろとはいいませんから。
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- board2 - No.248
どっさり紙
- 投稿者:どっさり紙
- 1999年11月07日(日) 00時28分
おはようございます~
今日はお休みです、、、
ぐっすり眠れました。(^^;
ではまた~