2代目掲示板過去ログ

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投稿ログ32 (No.574 - No.595)

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board2 - No.574

Re: スクウェア

投稿者:heinkel
2000年02月05日(土) 16時29分

NNGさんは書きました
> ファイナルファンタジーという優良作品を作ったスクウェアが
> 趣味で作ったクソゲー(あるいはサガシリーズといった完成度の
> 低いゲーム)がよりふさわしいのでは?

 FF8について、売れていること、批判者も多いが評価している人もいること等の現象面から、この例えにしました。たしかに完成度の面から言えば、不適切きわまりないですね。

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board2 - No.575

W涼子

投稿者:heinkel
2000年02月05日(土) 16時43分

 参考までに、都内某書店の週間ベストセラーです。

 1:「巴里・妖都変」田中芳樹
 2:「撃つ薔薇」大沢在昌
 3:「長崎ぶらぶら節」なかにし礼
 4:「人生の目的」五木寛之
 5:「国民の歴史」西尾幹二
 以下、伊藤家のナントカ、新・旭日のカントカなど。

 ・・・発売週に1位になるくらいは売れているようです。
 2位の「撃つ薔薇」も同じくカッパ・ノベルズで、主人公もなぜか同じ「警視庁」の「涼子」さんというわけで、W涼子で売れています。って、まさかこのための「出向」だったりして。

> 発行元の方は光文社への「出向」と書いてあったので、基本は
> これからも講談社から出るのでしょう。

 「出向」って、てっきりリストラの言い換えかと思ってました(^^;

> ところで邪推なんですけど、もしかしたら田中芳樹は創竜伝よりも
> 薬師寺涼子のほうを今では気に入っているのではないでしょうか?
> 染血の夢や富士山の噴火やらで大好きな社会批判がやり難くなった
> のに対し、薬師寺涼子の世界はまだ現実世界が舞台になっています
> から。

 創竜伝はもう収拾がつかなくなっているので、早々に切り上げてしまいたいんじゃないかと思いますね。ちょっと見ただけですけど、薬師寺涼子のほうは嬉々として書いている感じがします。

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board2 - No.576

Re: 発禁のカクゴ

投稿者:heinkel
2000年02月05日(土) 17時16分

> 「世の中には信じられない偽善者どもがいてさ、大量殺人犯の心情を理解してやらねばならない、なんていうのよね。そいつらが自分の正しさを確信しているなら、アウシュビッツで殺されたユダヤ人の遺族にお説教してやればいい。『お前たちはアドルフ・ヒトラーの心情を理解してやるべきだ』ってね。できたとしたら、えらいものだけど」

 「巴里・妖都変」でも、悪役に「愛国者」という言葉を喋らせて、それをヒトラーになぞらえて罵倒するという、相変わらずの描写がありましたが、この絶対の「悪」として認知されているヒトラーや、絶対の「被害者」として認知されているユダヤ人ってのは、ある意味これ以上ないほどの「権威」ですね。「権威」に寄りかかった論法なんて、田中氏がもっとも嫌うハズなんだけど。


> 五十嵐助教授

 「悪魔の詩」事件について、五十嵐氏は、ホメイニ師の死刑判決に対する西洋や日本の「基本的人権」を盲信した浅薄な議論に疑義をとなえ、イスラム諸国が「世界人権宣言」の草案に反対した理由を紹介することによってイスラムの知恵を提示し、また基本的人権の基本たる所以についても反省を求めておられました。このイスラムのよき理解者に対して、犯人は全く持って無意味な行いをしたとしか思えません。
 その五十嵐氏の解説の中に、コーランの一節を引用して、堂々と向かってくるのならともかく、英語の小説などという手段でイスラム批判をコソコソするのは卑怯だ、という倫理観があることも説明されていました。
 相手が日本政府では死刑判決どころか発禁にされることもあり得ませんが、一般論で言えば、このような小説の手法だってアリでしょう。ただ、自分のやっていることに少しでも自覚があるのならば、あの創竜伝6巻の座談会は書けるはずもありません。

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board2 - No.578

とても権威に甘えていますね

投稿者:本ページ管理人
2000年02月05日(土) 18時15分

>  「巴里・妖都変」でも、悪役に「愛国者」という言葉を喋らせて、それをヒトラーになぞらえて罵倒するという、相変わらずの描写がありましたが、この絶対の「悪」として認知されているヒトラーや、絶対の「被害者」として認知されているユダヤ人ってのは、ある意味これ以上ないほどの「権威」ですね。「権威」に寄りかかった論法なんて、田中氏がもっとも嫌うハズなんだけど。

 田中芳樹が大好きで大好きでもうしょうがないみたいなこのヒトラーとユダヤ人論法なんとかならんのかと毎回思います。
 田中芳樹に『お前はアドルフ・ヒトラーの心情を理解してやるべきだ』と言いたい!(笑)。
 さらに真面目に言うと、「理解することと肯定することは違う」んですけどね。理解して否定することが大事だと思います。創竜伝風のイヤミで言えば「理解することと肯定することの区別が出来ない輩がいる」ってところですか。
 そもそもアンタが自分の論理と小説のためにホロコーストのユダヤ人を食い物にしているんじゃないのか? やはり田中芳樹の小説でよく使われる「被害者に『今のお気持ちは』とマイクを突きつける想像力の欠如したレポーター」と何が違うんだか。

 ところで、田中芳樹が「権威が嫌い」ってことはないと思います。いや、本人はそのつもりかも知れませんが、「反権威」っていう「権威」が大好きなんですよね。
 これも別の掲示板(日本茶掲示板)で指摘したことなんですが、船津老人の大きなモデルになったであろう笹川良一氏が、マスコミの「反権威」の連中に反論をバックれられて言論弾圧されているんですよね(自費でのCM拒否。「一日一善」っていうアレです)。
 結局笹川氏という権威・権力よりもマスコミ革新派の反権威・反権力のほうが強かったのだし(ちなみに権力と反権力の関係は物理の力・反力の関係と同じ)、そういう状況を考えると、田中氏は戦後日本における主流、つまり「権威」の側だと言えます。
 まあ、田中芳樹流に言えば「まるで笑劇(ファルス)のような悲劇」というところでしょうか。


>  相手が日本政府では死刑判決どころか発禁にされることもあり得ませんが、一般論で言えば、このような小説の手法だってアリでしょう。ただ、自分のやっていることに少しでも自覚があるのならば、あの創竜伝6巻の座談会は書けるはずもありません。

 これは多少暴論気味であることを自覚しているんですが、田中芳樹の、執拗なキリスト教批判によって一神教を否定するサマは卑怯だと思いますね。
 「キリスト教が現在ではとても穏健かつ寛容である」という、自説と正反対の前提がない限り、とても(氏では)書けないだろう説だと思いますので。

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board2 - No.579

Re: W涼子

投稿者:本ページ管理人
2000年02月05日(土) 18時23分

>  1:「巴里・妖都変」田中芳樹
>  2:「撃つ薔薇」大沢在昌
>  3:「長崎ぶらぶら節」なかにし礼
>  4:「人生の目的」五木寛之
>  5:「国民の歴史」西尾幹二
>  以下、伊藤家のナントカ、新・旭日のカントカなど。
>
>  ・・・発売週に1位になるくらいは売れているようです。

 いや「くらい」って、充分凄いことだと思います(^^;)
 本当に、どんな人が買っているんだ!? この薬師寺シリーズの続きが読みたいって人がそんなにいるって事!?
 物語の好き嫌いにあれこれ言うのは野暮だとは思うが…いやはや。


 それにしても、私も喜んで書いていると思います。このシリーズ。

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board2 - No.580

戦争のモデルとか

投稿者:本ページ管理人
2000年02月05日(土) 18時39分

>  そうですね。7巻以降はラインハルトだけが「予は戦いたい」とばかり言っている「戦争キチガイ」みたいで、他はマトモです。「陛下がお出ましにならなくても、我々が戦います」ってみんな言っていますから。その方が近代国家としては普通ですよ。君主が自分で前線に出る、だなんてナポレオン時代じゃあるまいし。あ、そのあたりがラインハルトのモデルでしたっけ?前に論争していて言われたような。

 ナポレオンやそれ以上昔の戦争をモデルにしていると思います。
 銀英伝のボードシミュレーションゲームのデザイナーが「ナポレオニックをモデルにした」とも言っていましたし、アレクサンドルの焦土戦術や三帝会戦をモデルにしたフシも見られますね。
 ついでに言えば、疾風ウォルフのモデルは韋駄天ハインツのように思われますから、あのあたりはいいトコ取りなんでしょうね。
 まあ、銀英伝の戦争に「近代戦争」を当てはめるのは、ドラえもんを揶揄するようなものだと思います。


>  でもこれ、田中芳樹は意図的に「ラインハルトが、蔑視していた筈の門閥貴族と同様に精神を腐蝕させていく歴史の皮肉」を書いたのでしょうか?どうもそうは思えないんですよ。最後まで「ラインハルトは政戦両略の天才」と位置づけているだけのようで。「政戦両略の天才」と「不敗の名将だが民主主義に殉じた(不本意ながらやっている)軍人」を書きたかっただけで。田中芳樹は、ラインハルトの理念が腐敗していくのが、全然解っていないで書いているような気がするんですけど。

 まず「意図的」ではないと私も思います。

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board2 - No.581

Re: ノベルズなんかいらない!

投稿者:匿名希望
2000年02月05日(土) 23時53分

>小生は、どれほどくだらない小説であれ、「読むな」とは言いません。ただノベルズが現状のままであるなら、「あまり読んで貰いたくない」としか言えません。

>読者が「面白い小説を読みたい」という権利を守るために、私はこういう意見を声を大にして言いたいものです。
「(少なくとも現在の)ノベルズなんかいらない!」

 ?

 前者ではノベルズを読むなとは言わない(読んでもらいたくないが)と言っているのに後者では”いらない”なんですか? ”いらない”から無くなってしまったら読みたい人が読めなくなってしまいますよね。それとも”いらない”けどあってもいいってことなんですか?

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board2 - No.582

矛盾点のない小説ってあるの?

投稿者:匿名希望
2000年02月05日(土) 23時56分

>タナカ・デイリーストアの販売戦略について論じている

ええ、田中氏の執筆方針(戦略)に大幅な変更があったから代表的なこの二つの作品に差異が生じたのだろうか。もしそうであるならば、その原因の究明と対策を論ずることも可能かと考えたもので。まぁ、私は違うと思い(田中氏はずっと市場重視主義と仮定しました。)そう書いたんですが。そうか、お二人にも同意されてしまったか。(^^;)ということはそっち方面からのアプローチは望み薄ですかね。

> ならば、徹頭徹尾娯楽で筋を通すべきなのです。中途半端に社会評論を入れたりするべきではない。たしかに反抗期少年の憂さ晴らしにはなるかも知れませんが、「思考」するものである以上は、自分の売り物に責任を持つべきなのです。

 批判すべき主要な部分は本来エンターテイメントであるはずの小説に田中氏が評論もどきを入れているという点ということですね。となると管理人さんに一つ確認したいことがあります。氏以外の作品中でもみられる、ある程度の矛盾点(作中の論理や思想、設定等)についてです。これはこのホームページ(BBS)の本来の批判対象ではないということでよいでしょうか?いや、小説一般に見られるような問題点を批判していくと広くなりすぎちゃうかなと思いまして。さらに、ファンの方から
 「その程度のことは**氏も××氏もやっている。田中氏のみをその点をもって批判するのはおかしい。」
と言われたときになんと反論して良いのか私にはわからないのです。

> なんだか、おひさです。

いやぁ、実はですね。途中で横槍を入れては失礼だと思ったので終わるのを待ってたんですよ。なにがって、その…
 限定公開しようかどうか迷っていたものの内容は田中氏の想定した購買層(読者像)というやつです。作品中に感情移入するであろう登場人物の設定から導いてみた想定でした。機械的に一項ずつ挙げていったつもりだったのですが、気付いたら田中氏ファンに対する人格攻撃に取られかねない内容になってしまいました。(^^;)具体的な内容は一つだけでご勘弁を。登場人物から才能部分を取り払えばだいたいわかるかと思います。書き込まないで各自でのご想像をお願いします。

1. 文系、読書好き。

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board2 - No.583

Re: スクウェア

投稿者:NNG
2000年02月06日(日) 15時43分

heinkelさんは書きました
>  FF8について、売れていること、批判者も多いが評価している人もいること等の現象面から、この例えにしました。たしかに完成度の面から言えば、不適切きわまりないですね。

なるほど、売れているという視点がありましたね。
俺のは製作者とシリーズ作品の完成度でしかなかったですね。

そういえば田中芳樹の作品ってどれだけ売れているかって分かるので
しょうか?シリーズトータルでなく、各巻毎に分かるといいのに。
銀英伝と創竜伝ってどっちが売れているんでしょうか?
創竜伝は巻が進むたびに発行部数減っているんだろうなあ。

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board2 - No.584

Re: スクウェア

投稿者:坊主
2000年02月06日(日) 16時50分

 ゲームのBBSじゃないですが。

 FFがビジュアルばっかり重視になってきて、肝心のストーリーがお粗末になったダメさ加減と、表面的な爽快感(美形キャラとか勧善懲悪とか)ばっかりが売りになってきた田中芳樹。
 どっちも売れてる割には空洞化してるし、評価してる人もいるにはいる(わかる人にはそれが歯がゆい)点もといい、やっぱFFを例えに出したのは面白いと思いますよ。

 これで、「イヤ、FFはまだイケてるってば!」なんて反論までくれば、まるっきり同じになってしまいますが。

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board2 - No.585

Re: Re567:小説に対する責任論

投稿者:坊主
2000年02月06日(日) 17時28分

 あなたの書きこみを読んで、「なんか田中芳樹も随分な憎まれようだなあ」と可哀想になりました。

 過去ログを読んだ限りでは、かなり批判というか、ツッコミの厳しすぎる人だと思いましたが「面白い小説を書きさえすればいいんだが・・・」という考え自体には文句の付けようが無いと思っていたのですが、今回の書きこみはちょっとあんまりではないでしょうか。

 なんだか「機会さえあれば俺が田中芳樹を廃業させてやる!」かのような意気込みを読ませられても、正直どのような読後感を望まれているのかわかりかねます。

> いくら田中芳樹が作家として堕落したとしても、ここまで愚劣な対応をするほどまでに「人間として堕ちた」とは思いたくないところですが、仮に田中芳樹がこのような対応をしたとしても私は一向に構わないと思っていますよ。その愚劣な対応も田中芳樹批判のために使用させていただきますので(笑)。
 むしろ作家批判という観点から言えば、作家側のこのような対応によって完全に作家側のメッキを剥ぐ事ができます。自らの作品に対して何の責任感も持たず、間違いを指摘されて居直るような作家を、それほど狂信的ではない普通のファンが見たら一体どう思うことでしょうね。第一このような対応は、作家自身が「自分の小説はどうしようもない駄作である」と明言しているようなものではありませんか。自分を支持しているファンに対してこれほど失礼な態度はないでしょう。
 私だったら、そのやり取りの一部始終を全て記録した上でホームページ上で公開し、積極的にCMして回りますね。そして自分はあくまでもファンに対して冷静に対応し、ファンないし作家と自分との差を第3者に見せつけてやれば、まずそれほど熱狂的でもないファンが作家から離れはじめ、熱狂的なファン達も次第に自らの過ちに気づく事でしょう。あくまでも気づかないというのであれば放っておけば良いのです。ファンがどんどん減少していくために、彼らは自滅への道を歩まざるをえなくなりますので。そこまで都合良く進まないとしても、すくなくとも作家やファンの信頼性に大きな傷をつけることは充分に可能でしょう。
 何しろ作家自身の行動なのですからね。これほどまでに作家を直接攻撃できる絶好の材料はめったにないでしょう。なまじ小説を通じて作家を批判するよりもはるかに確実かもしれません。速水さんが引用されたような事情は、むしろ私としては望むところですよ。田中芳樹やファンがそこまで堕ちるとは思いたくないところではありますが。

 この部分は、完全に「自分に都合の良い未来」を仮定しているようにしか見えません。「一向に構わない。愚劣な対応も批判に使わせてもらうだけ」と言った後に「田中芳樹がそこまで堕ちるとは思いたくないところではありますが」と白々しい一文を付け加えるのもいかがなものかと思いますが。

 このサイトで言うところの「批判」とはあくまで「現在の田中芳樹の姿勢に疑問を投げかけ」、「正道に立ち返る」のを促すためのものであって、「堕落した田中芳樹が羞恥心にいたたまれなくなり、自らペンを折る」まで非難し続ける、という意味では無いと思いますが。

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board2 - No.586

Re: Re567:小説に対する責任論

投稿者:速水右近
2000年02月07日(月) 11時37分

冒険風ライダーさんは書きました

>> いくら田中芳樹が作家として堕落したとしても、ここまで愚劣な対応をするほどまでに「人間として堕ちた」とは思いたくないところですが、仮に田中芳樹がこのような対応をしたとしても私は一向に構わないと思っていますよ。その愚劣な対応も田中芳樹批判のために使用させていただきますので(笑)。
>  むしろ作家批判という観点から言えば、作家側のこのような対応によって完全に作家側のメッキを剥ぐ事ができます。自らの作品に対して何の責任感も持たず、間違いを指摘されて居直るような作家を、それほど狂信的ではない普通のファンが見たら一体どう思うことでしょうね。第一このような対応は、作家自身が「自分の小説はどうしようもない駄作である」と明言しているようなものではありませんか。自分を支持しているファンに対してこれほど失礼な態度はないでしょう。
>
>
> <大上段を振りかぶったような「ラインハルトのミス」から攻めるより、「そのミスをうまく小説上で反映できなかった田中芳樹のミス」という方向性で批判されたほうが、彼らは「ぐうの音」(死語ですか)も出ないと思うのですがね?
>  それこそ私がやられたような、「私は戦略なんか知らない」と居直られることもないでしょうし……。「ラインハルトのミス」から批判すると、トカゲの尻尾的に逃げられる可能性もあると思いますよ。彼らにとって、「ラインハルトのミス」はその程度の価値しかない問題なのですから。
>  つまり「戦略を批判する」ことは、「批判する側の戦略」も問われていることと同じだと思いますよ。また批判自体が適切であるが故に、氏の批判方法では意味をなさないと、一文入れた次第です。>

>
>  私もかつては熱狂的な田中芳樹ファンでしたからね。その経験が今の戦略につながっているのですよ。かなり有効な戦略だと思うのですがね。
>
>  それと私自身も架空歴史系に限定してはいますが、ときどき田中芳樹作品の擁護や矛盾の解読をしています。作品の擁護とはこのようにやるものだという範を示しているつもりです。実はこの戦法も、狂信的なファンの愚劣な擁護論を封じるには結構有効な戦略であると考えているのですが。
>
 もうここまで確信犯なら、私にはどんな言葉もありません。
 ただ経験論から言えば、

1 ある程度、相手の撤退路を残してやる。
2 同時に自分も深入りしない

の、二点が重要でしょうか。
 そして目的は、田中芳樹(別に彼に限らず)という作家を「完全撃滅」ではなく、狂信的なファンですら彼の作品に接するときに、適度な距離を置かせることだと思われます。
 それこそファンとしてひどい作家と心中するのもいやですが、それ以上にひどい作家を批判するために自分の時間を潰す(もっと面白い小説を読める!)のも馬鹿馬鹿しいでしょう。
>
> <昨年、冒険風ライダー氏と「田中芳樹と●巻●雄の対談があったら面白い」ということで少々盛り上がりましたけど……。
>  その時は書きませんでしたが、田中芳樹より荒●義●のほうが、数倍エグイ人物です。直接書簡でやりあっただけに、そう断言できますね(笑)。>

>
>  だとしたらますます見てみたいですね(笑)。罵倒合戦に終始するか、逆に意気投合するか、はたまた心理的な駆け引きが行われるか、いずれにしても相当な見物であると思いますけど(笑)。

 いや、まぁ見物なんですが……。
 まずどちらも作品にやましい部分があるから、本音は出さないでしょうな。それを駆け引きというかは、別として。
 だからはじめは互いの作品を絶賛しあって、作風の話題に入り、次が「社会問題を小説にどう活かしているか、またその手法の今後」という方向性から、最後にエール交換でしょう。
 面白いと言えば面白いし、つまらないと言えばつまらない。その程度に過ぎませんよ。むしろ行われる前に散々推測して、その後発表されたものと対比させるほうが、数倍面白い(こっちのほうが趣味が悪いか?)。
 でもどうせ対談をやるなら、雑誌ではなく、ちゃんと単行本で出して欲しいものです。
 出版社? そりゃ『幻冬舎アウトロー文庫』に決まりですよ(笑)。

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board2 - No.587

Re: W涼子

投稿者:くらり
2000年02月07日(月) 14時49分

少なくとも、私のまわりでは好評です。
何がって、泉田クンとお涼のラブラブカップルぶりが(…………)。
ま、楽しみ方はそれぞれですし。
知人たちの中では、政治についてどーだこーだ書いてあるのは、無かったかのようになってますし。
政治のアレ等。そんなこと書かれても、ほとんど誰も気にしてないんじゃないでしょうかねー。
私としては、感想はまあまあ。
あのマンネリ化を何とかすれば、の話ですがね。

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board2 - No.588

Re: ノベルズなんかいらない!

投稿者:速水右近
2000年02月07日(月) 23時03分

>  前者ではノベルズを読むなとは言わない(読んでもらいたくないが)と言っているのに後者では”いらない”なんですか? ”いらない”から無くなってしまったら読みたい人が読めなくなってしまいますよね。それとも”いらない”けどあってもいいってことなんですか?

あのぅ、私の書いているのは、「出版形態」についてなのですが。それと「作品」とを、勝手に混同しないで欲しいですね。
「作品」なら、どんな「形態」でも出せるでしょうに。

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board2 - No.589

問題は矛盾そのものではなく矛盾の性質

投稿者:本ページ管理人
2000年02月08日(火) 01時07分

>  批判すべき主要な部分は本来エンターテイメントであるはずの小説に田中氏が評論もどきを入れているという点ということですね。となると管理人さんに一つ確認したいことがあります。氏以外の作品中でもみられる、ある程度の矛盾点(作中の論理や思想、設定等)についてです。これはこのホームページ(BBS)の本来の批判対象ではないということでよいでしょうか?いや、小説一般に見られるような問題点を批判していくと広くなりすぎちゃうかなと思いまして。さらに、ファンの方から
>  「その程度のことは**氏も××氏もやっている。田中氏のみをその点をもって批判するのはおかしい。」
> と言われたときになんと反論して良いのか私にはわからないのです。

私の本論3に顕著なように、わざわざ不必要な評論を入れることによって、本来の目的である物語部分が破綻してしまっているので、批判の対象にしています。

 多少論点が外れるかも知れませんが、例えるなら…
 寿司を食べたくて寿司屋に入ったら突然頼んでもいないラーメンが出てきて(しかもまずい)、しかも厨房がラーメン用なっているために寿司が満足に作れなくなっている…みたいな感じだと思います。
 この例えで言えば、寿司屋として頑張って寿司がまずい(小説として矛盾があるなど)のはとても残念だけど、しょうがないと思うのですよ。しかし、そうではなく、余計なラーメン(評論)をしたせいで本業をないがしろにしたら、寿司屋(作家)として職業倫理を問われるべきだと思います。

 まあ、本当は「寿司屋の寿司が不味い」というのは批判されてしかるべきだと思うので(笑)、批判しますが、決定的な違いはそういうところです。

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board2 - No.590

どの辺で楽しむのか

投稿者:popesyu
2000年02月08日(火) 08時53分

くらりさんは書きました
> 少なくとも、私のまわりでは好評です。
> 何がって、泉田クンとお涼のラブラブカップルぶりが(…………)。
> ま、楽しみ方はそれぞれですし。
> 知人たちの中では、政治についてどーだこーだ書いてあるのは、無かったかのようになってますし。
> 政治のアレ等。そんなこと書かれても、ほとんど誰も気にしてないんじゃないでしょうかねー。
> 私としては、感想はまあまあ。
> あのマンネリ化を何とかすれば、の話ですがね。

そうですねぇ。私もよく書きこんでいるyahooの掲示板でも
お涼トピックがありまして、みなさんなごやかに談笑している
のですけど。
思わせぶりな二人の絡みとか
強気な女主人公の胸のすくような活躍ぶりとか
その辺が人気の原因のようです。
でもどう読んでもパクリの部分「しか」楽しまれていないようで
何だか田中氏がかわいそうに思えてきました。

パクリがどうのとか話は出ていないので
その辺でどう思っているのかは分かりませんが
ひょっとしたら読者層はこれっぽっちもたぶってないのですかね。
♯別に私もパクリだからあかんとは思わないですけど
♯設定を丸ごと頂き、形容描写さえそのまんま取る
♯のはどうかと。

もう限界どころか、それを通り越しているとも思えるのですが
アルスラーンの最新刊は再開前と比較しても
遜色はないと感じましたし。

最近ふと思ったのですが、あーなったのは
バブルで大損ぶっこいたからとかですかね。
借金に追われてるからとにかく金が欲しい。
んで売れ線狙いの安直な作品。
さらにはバブルを招いた政治家や資本家ども
(&日本人的体質)にも腹が立つ
んで小説中で憂さ晴らし。

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board2 - No.591

分かってますよ。

投稿者:匿名希望
2000年02月08日(火) 11時33分

 では一般的なノベルズ(内容)は他の出版形態で採算がとれるでしょうか? ご指摘されるように特定多数の読者である以上、文庫ではいかに単価が安かろうと、一定以上の数は難しいでしょうし、祖利益の高いハードカバーでは

>命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。

のようになってしまう公算が高いと思います。ノベルズ(内容)とノベルズ(出版形態)は不可分とは言えませんが(出版社の予想通りに売れるとは限らないため)、大筋同じではないかと考えています。

 確かにノベルズ(内容)をどんな形態でも出すことが出来るという主張は分かりますが、資本主義社会で現実に出版するにはノベルズ(出版形態)を選択するのがベストではないかと。

その辺の前提で書いたことをご理解ください。

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board2 - No.592

Re: 分かってますよ。

投稿者:速水右近
2000年02月08日(火) 13時46分

匿名希望さんは書きました
>  では一般的なノベルズ(内容)は他の出版形態で採算がとれるでしょうか? ご指摘されるように特定多数の読者である以上、文庫ではいかに単価が安かろうと、一定以上の数は難しいでしょうし、祖利益の高いハードカバーでは
>
> >命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
>
> のようになってしまう公算が高いと思います。ノベルズ(内容)とノベルズ(出版形態)は不可分とは言えませんが(出版社の予想通りに売れるとは限らないため)、大筋同じではないかと考えています。
>
>  確かにノベルズ(内容)をどんな形態でも出すことが出来るという主張は分かりますが、資本主義社会で現実に出版するにはノベルズ(出版形態)を選択するのがベストではないかと。
>
> その辺の前提で書いたことをご理解ください。

 あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。出版社が採算をとるためにつまらないものを読まされては、たまったものではありませんぜ。

『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』という作品自体出たって私自身構いません。また、それを読む読者の自由も認めましょう。
 しかしノベルズという形態が現在のようになってしまった以上、二作のように作者が甘えた作りの作品を産み出した、ということもまた事実です。どこかで悪循環を絶つなら、まずノベルズという形態素のものの見直しくらいしか手を思い付きませんでしたが?
 それこそ「『創竜伝』が最初からハードカバーだったら」、著者もああいう無茶な展開も書けなかったでしょうし、ファンも軽々しく買えない=もっと評価を厳しくしたでしょう。無論そんな「IF」を仮定したところで、どうなることでもありませんけどね。
 ともかく「まず(不特定多数の)読者(が読める作品)ありき」を最優先すれば、ノベルズという形態がなくなっても、別に構わないのではありませんか? 本当のファン、また「面白い作品を読みたい」という読者なら、価格が倍ぐらいになっても買いますよ。現実にハードカバーのベストセラーだってあるのですから。
 それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。

board2 - No.593

辰吉ファンの気持ち

投稿者:snow
2000年02月08日(火) 19時52分

初めて書き込みます,というよりも今日初めてこのページに来ました.ほとんどのページを読んでみて(掲示板の過去ログだけは全部読んでません<ちょっと量が多すぎデス(^_^;))いくつか感想を持ったので,この場を借りて少し書いてみようと思った次第です.この掲示板は討論的なので,感想などは場違いかもしれませんが・・・.

以前ヤフーの掲示板にボクサー辰吉丈一郎を論題にしたのがありました.私は辰吉が大嫌いだったので(すぐに引退を口に出すようなところ),やっと引退してくれたと思いうれしかったのですが,そこにもやはり辰吉教の信者(に私からは見える)がいてせっせと擁護するんです.まったくウザったらしく思ってたんですが,このページでの田中芳樹批判を読んで,今現在の自分が田中教の信者だということに気づかされました(だからといって悔い改めるつもりはないんですが).

何なんでしょうねえ,このファン心理.このページを読んでいて,なるほどと思う部分,そんなに揚げ足とらないでよと思う部分,さまざまに感じました.それでも私の場合まだ田中芳樹が好きなので,3:7くらいで記事には批判的というか,不快な気持ちになったのは事実です.ただ,「なぜ私は不快なのか」という所で立ち止まりました.

そこで思うのは,その気持ちを理性で言い表そうとする試みが必要なのだろうかということ.私は様々な意見・思想は結局は好き嫌いからしか発しないと思ってます.そしてその好悪の感情の出所はやはりその人の生き方(生きてきた道程)そのものではないかと考えます.

うーん,こんなことを書いてしまうと議論という価値を破棄してるかも(^_^;)でも,本当にいろいろなことと考えさせてくれたページでした.書きながらも考えてましたし(書き始めてから早1時間).

もうそろそろ終わりにしますが,ここで少し私自身のことを.私はやはり「サヨク的」なものが好きなんです.批判されていた『創龍伝』の政治評論モドキもけっこう好きで,その部分を読むと「ああ,これで衰退気味のサヨクもまだ大丈夫」などと思ってしまいます(^_^;)これはマインドコントロールなのかも知れませんが,マインドコントロールの支配を解く難しさはやはり自らの生き方を見つめなおす困難さと通じているのでしょう.それは自分の過去の否定と同義語ですから.

最後に,何かの書き込みとだぶっていたら申し訳ありません.ホントに量が多すぎて読みきれないですよ(^_^;)

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board2 - No.595

Re572:イゼルローン放棄とバーミリオン会戦の裏事情

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月09日(水) 09時00分

>不沈戦艦さん
 最近ちょっと忙しくなっていて、まともな長文投稿ができない状態になっています。丁寧な返答を返していただいたにもかかわらず、レスが大変遅くなって申しわけありませんでした<m(__)m>。
 今後しばらくはレスがかなり遅れるかと思いますので、私に対するレスへの返答はどうか気長にお待ちくださいますようお願い申しあげます。
 そんなわけで、遅ればせながら「バーミリオン関連」についてのレスです。

<「ヤンが同盟政府を見捨てられない」って本当に帝国軍の将帥たちには解らんのでしょうかね?いや、だとすると何でヤンがイゼルローンを放棄したのかさっぱり解らなくなるような。「同盟政府などどうでもよい」とヤンが考えたのなら、イゼルローンに籠もっている方が得でしょう。それこそシェーンコップの言うように「イゼルローン共和国という考え方も悪くない」のですから。後で、実際イゼルローンのハードウェアに頼らなければならない事態を作ってしまっていますし。>

 ヤンのイゼルローン放棄については、政治的・戦略的な観点から見る事で充分に説明できるのではないでしょうか?
 もしあの時点でヤンが同盟政府を見捨ててイゼルローン要塞にこもっていた場合、ランテマリオ会戦で同盟軍は完全敗北し、その時点で同盟は降伏せざるをえなくなります。ただし小説中の銀英伝がそうであったように、帝国の内政事情や同盟市民の反発などが考慮されて一応形式的な独立は保つ事ができるでしょう。そしてその際、同盟がその「形式的な独立」を保つための条件のひとつとして「イゼルローン要塞の返還」が挙げられることは確実です。帝国側から提言するかもしれないし、同盟の側から申し出るかもしれませんが、「イゼルローン要塞」が帝国政府と同盟政府との間で政治的取引として使用される事は簡単に想像できます。したがって、どの道イゼルローン要塞は帝国に返還されざるをえないのです。
 もしヤンが仮にその帝国と同盟の和平交渉を無視して「イゼルローン共和国」をでっちあげたところで、帝国と同盟の双方を敵に回すだけで政治的に圧倒的に不利になるばかりですし、最悪の場合「帝国と同盟の連合軍」とヤンとの戦いにまで発展するかもしれません。ヤンは政治的にも軍事的にも完全に孤立し、完全敗北の運命が待っているだけです。それに同盟という「民主主義政体の存続」を無視してまでイゼルローンに立てこもったところで、一体誰がヤンを「民主主義の英雄」とみなしますかね? むしろヤンに対する非難の声が上がるのではないかと思いますけど。
 戦略的な観点の方は言うまでもないでしょう。当時のヤンの戦力でイゼルローンに立てこもったところで、ラインハルトの圧倒的な戦力にかなうわけがないのです。しかもあの時は帝国側出口の方にもロイエンタール率いる3~4万隻前後の大艦隊がいましたから、ヤンは完全に要塞の中に閉じ込められてしまいます。
 つまりヤンがどのように考えていようと、イゼルローンに立てこもるという策は愚策なのです。銀英伝8巻におけるラインハルトのイゼルローン遠征よりもはるかに不利な政治的・戦略的状況下で戦わなければならないのですから、ヤンは「自分の保身」という観点から言ってもイゼルローン要塞を離れなければならなかったのです。
 あの当時の帝国側の将帥やラインハルトも、あの状況下でイゼルローン要塞に立てこもる愚は当然知っていたでしょう。ラインハルトやロイエンタールも、ヤンがイゼルローンに拘泥しない事を予見していましたし、ヤンの方も「どうせ帝国にイゼルローンは返還しなければならない」と主張していましたしね。したがって、
「ヤンの性格がどうであれ、政治的にも戦略的にもヤンはイゼルローン要塞を放棄せざるをえない」
あの状況で帝国の将帥やラインハルトはこういう風に考えたのではないでしょうか。


<7巻以降はラインハルトだけが「予は戦いたい」とばかり言っている「戦争キチガイ」みたいで、他はマトモです。「陛下がお出ましにならなくても、我々が戦います」ってみんな言っていますから。その方が近代国家としては普通ですよ。君主が自分で前線に出る、だなんてナポレオン時代じゃあるまいし。あ、そのあたりがラインハルトのモデルでしたっけ?前に論争していて言われたような。>

 そういえばラインハルトは、銀英伝10巻のシヴァ星域会戦の演説の際に次のような宣言を出しています。

銀英伝10巻 P150上段
<「戦うにあたり、卿らにあらためて言っておこう。ゴールデンバウム王朝の過去はいざ知らず、ローエングラム王朝あるかぎり、銀河帝国の軍隊は、皇帝がかならず陣頭に立つ」
 皇帝の声は、水のように艦橋を満たした。
「予の息子もだ。ローエングラム王朝の皇帝は、兵士たちの背中に隠れて、安全な宮廷から戦争を指揮する事はせぬ。卿らに誓約しよう。卑怯者がローエングラム王朝において至尊の座を占めることは、けっしてない、と……」>


 まもなく平和の時代が到来するという時期にわざわざこんな軍国主義まがいの宣言を出す神経もどうかと思いますけど、それ以上にこの宣言は、政治的にはローエングラム王朝の命運を左右しかねないほどの弊害をもたらす宣言であるといっても過言ではありません。
 というのも、この宣言によって「ローエングラム王朝の皇帝は戦争の際に常に前線に立たなければならない」という事が初代皇帝によって明言された事になるからです。これが皇帝の権力争いの際に利用されるであろうことは容易に想像できますし、「戦争を起こしたら皇帝が陣頭に出てくる」のですから、どんな無謀な反乱でも勝利の可能性が見えてくる訳で、このため「皇帝殺害」を目的とした反乱が多発する恐れが出てきます。そもそもユリアン達イゼルローン勢力を撃滅すれば銀河帝国以外に国家が存在しなくなるにもかかわらず、何でこんな宣言をしなければならないのか理解に苦しみます。まさか「まだ俺は戦争を行うぞ」とでも宣言しているつもりなのでしょうか?
 「ローエングラム王朝初代皇帝」という絶対的な立場にある自分の政治的宣言が後世にどれほどの影響を与えるのか、ラインハルトは全く考えていなかったのではないでしょうか。


<「ヤン艦隊出現!ラインハルト艦隊と戦闘開始!」って連絡が貴下の艦隊司令官たちに行っていたんですかね?どうも銀英伝を読んでいても、そういう記述がないような気が。「ローエングラム公がヤンと戦い始めた!すぐ戻ってこい!」と反転命令がラインハルトから出てこなければ、艦隊司令官たちは「補給基地を攻撃・占領しろ」という最初の命令に従いますよ。これは「直ちに反転してこい!」とタイミング良く伝令を送らなかったラインハルトの問題ではないかと。ヒルダだけが勝手に真っ先に出ていって、ミッターマイヤー艦隊に到達しているのですから、これはラインハルトのミス、というか意固地でしょう。「部下の艦隊は来なくてもいい。自分だけで格好良くヤンに勝ってみせる!」という。>

 ヤンの戦術的な挑発に乗ってしまって以降はともかく、すくなくともバーミリオン会戦初期段階におけるラインハルトはそこまで意固地にはなっておりません。下の文章がそれを証明しています。

銀英伝5巻 P197上段
<この段階において、ラインハルトは何ら能動性をしめさず、ヤンの攻勢を受けとめてその浸透力をそぎとることに専念している。ヤンとの正面からの戦いは、広大きわまる自由惑星同盟の全体を罠とした包囲殲滅戦の一部分にすぎないのだ。諸将が派遣された宙域からから反転してバーミリオン星域へ殺到してきたとき、はじめてこの戦いはクライマックスをむかえるのである。その華麗かつ壮大なクライマックスに先だつ準備が、比較的地味なものになることは、やむをえなかった。>

 そもそもバーミリオン会戦時におけるラインハルトの防御戦法は、帝国軍の将帥たちが反転してくる事を前提に立てられたものなのです。まあバーミリオン会戦後半でヤンの挑発にみすみす乗ってしまったラインハルトですから、結果的には「部下の艦隊は来なくてもいい。自分だけで格好良くヤンに勝ってみせる!」と思った事は間違いないでしょうが、すくなくとも計画立案と実行初期の段階では、ラインハルトは感情を排していたのではないでしょうか。

 また「部下に対する命令」についてですが、これは銀英伝によくでてくる「通信妨害電波」で説明できるのではないでしょうか。
 つまりヤンが出てきた時点で連絡しようとしても、通信を妨害されて全く連絡ができない状態になるために、ラインハルトはバーミリオンにおいて命令を出せなかったというわけです。ヤンにしても、戦略的事情から言ってもラインハルトを攻撃したという事実を隠したいでしょうし、戦術的観点から言っても相手の通信・連絡を自由にさせてしまったら自分に著しく不利になってしまいますから、そりゃ通信妨害を積極的にやってくるでしょうね。
 そしてシャトルなどの伝令手段では命令通達に時間がかかりすぎる上に撃墜の危険性も高く、オマケに燃料による航続距離の問題もありそうですから(銀英伝でも、スパルタニアンなどの小型戦闘機は空母などからの補給が必要という設定になっています)、短距離連絡手段としてはともかく、長距離連絡手段としてはあまり実用的ではないでしょう。だからこれも使えません。
 したがって、バーミリオン会戦が始まってからラインハルトが反転命令を出す事はほぼ不可能です。

 ではどうやって帝国軍の将帥たちは「ラインハルトがヤンと接触した」という事実を知る事ができるのか? それは簡単で、上記の通信事情を逆利用してやれば良いのです。
 銀英伝5巻のバーミリオン会戦に入る前に、帝国の輸送船団がヤン艦隊に攻撃されましたが、この時ラインハルトは、輸送船団の護衛に当たっていたゾンバルト少将との定期連絡が不定期になったことから危険を察知し、シュタインメッツ艦隊を送りこんでいます。結局、すでに輸送船団は壊滅していましたが、バーミリオン会戦の際にもこれと同じ方法を使えば良いのです。
 つまりラインハルトと将帥達とが積極的に連絡を行い、それがヤンとの接触で不可能になったときをもって将帥達は反転攻勢に出れば良いのです。これならばラインハルトが自ら反転命令を出す必要はありません。
 それに作戦立案の段階で、ラインハルトはきちんと将帥達に作戦の目的と反転攻勢について説明しているのですよ。

銀英伝5巻 P156下段
<「ロイエンタール!」
「はっ」
「卿は艦隊を率いてリオヴェルデ星域におもむき、そこの敵補給基地を攻略するとともに周辺航路を制圧せよ」
 ロイエンタールが返答をのみこんでラインハルトを見かえすと、若い独裁者は低く笑ってみせた。
「わかるな? これは擬態だ。他の者にも、それぞれ艦隊を率いて私のもとから離れてもらう。私が孤立したと見れば、ヤン・ウェンリーは洞窟から野原へ出てくるだろう。網をはって、そこを撃つのだ」>


 このように、ラインハルトは敵補給基地攻撃命令が擬態であるとはっきり宣言していますし、その目的がヤンを誘い出す罠である事も言明しています。
 さらにラインハルトは次のような命令を下しています。

銀英伝5巻 P158下段
<「そして彼の進撃がとまったとき、卿らは反転した艦隊をもって彼を包囲し、その兵力を殲滅し、私の前に彼をつれてくるのだ。生死は問わぬ。彼の姿を自由惑星同盟の為政者どもにしめし、彼らに城下の盟を誓わせよう」>

 上記の命令では「補給基地を攻撃・占領してから反転してこい」とは全く言っておりません。あくまでもヤンの殲滅こそが目的であり、敵補給基地攻撃など、ヤンに兵力を分散したように見せるための手段であるに過ぎないのです。ここまで自らの作戦意図を明言しているラインハルトの意図を、しかし帝国軍の将帥達は全く理解していなかったとしか言いようがない行動を取っているのですからね。
 私がバーミリオン会戦において「将帥達の方に問題がある」と主張した理由はこれなのですよ。まあ実行過程においてはラインハルトもヤンの挑発に乗ってしまったという非がありますから、どっちもどっちなのかもしれませんが。


<うん、これは面白い視点でしたね。何だかラインハルト自身が、実は軽蔑していた筈の門閥貴族と何ら変わらなくなってしまった、というのは。勝ちたいと思った時に勝てる、わざわざ相手の有利な条件で戦って、流血を楽しんでいるとしか思えないラインハルト。これは確かに加虐趣味なだけでしょう。
 でもこれ、田中芳樹は意図的に「ラインハルトが、蔑視していた筈の門閥貴族と同様に精神を腐蝕させていく歴史の皮肉」を書いたのでしょうか?どうもそうは思えないんですよ。最後まで「ラインハルトは政戦両略の天才」と位置づけているだけのようで。「政戦両略の天才」と「不敗の名将だが民主主義に殉じた(不本意ながらやっている)軍人」を書きたかっただけで。田中芳樹は、ラインハルトの理念が腐敗していくのが、全然解っていないで書いているような気がするんですけど。>


 絶対分かってはいなかったでしょうね。もし理解していたのであればヤンがラインハルトを批判していたはずですから。なぜあそこまで人格的に致命的な欠陥のある人間が全く批判に晒される事がないのか、私は理解に苦しむのですけど。
 銀英伝において、ラインハルトを正面から批判できた人間がオーベルシュタインただひとりだけであった(それも否定的意見に近い形で)というのは奇怪としか言いようがありませんね。

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