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投稿ログ82 (No.1316 - No.1327)

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1316

Re: なんだみなさんわかっているじゃないですか

投稿者:芥郎
2000年08月26日(土) 17時04分

仮想田中芳樹さんは書きました

> でも売れてますからね。面白くなければ売れないでしょ。

面白くなくても売れることはありますよ。

過去にベストセラーを書かれた作家の作品なら
読者は「こんどはどんな面白い作品なんだろう」という
期待をもって購入します。(確信、断定ではありません)
最近はその期待が裏切られることが多いので、私自身は
図書館で順番を待つか、古本屋で購入しています。


>私は面白い作品を書くために努力しています。

締め切りと作品の賞味期限を守る努力もしてください。

先生の遅筆とそれに対する言い訳にウンザリしている読者
もいることをお忘れなく。


矛盾したままの放置したほうがよいか、矛盾を修正したほうが読者がついてくるのかで前者を取った。今のところのその判断は正しいと考えています。

何を根拠に正しいと?
結果的に売れたのだから万事OKですか?
だとすれば醜聞記事で成り立つ週刊誌と同レベルの著作ですね。
(記事の内容が何であれ雑誌自体が売れればOK)

それよりお答え頂きたいのは、
1、「最初から読者に粗捜しを楽しんでもらうために書いた」

2、「書きなぐっていくうちに矛盾が生じた」

3、その他特殊な事情

どれなんでしょう?

これ以降のご意見にも異論はありますが、一方的な決めつけと
居直り発言に対するこちらの意見は眠いのでまたの機会にします。
どうか三大欲求優先主義をご理解ください。

では失礼いたします。

芥郎

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1317

Re: なんだみなさんわかっているじゃないですか

投稿者:モトラ
2000年08月26日(土) 18時33分

眠いから読むだけと思っていたら、またあなたですか。

私は田中芳樹本人の意見が聞きたいのです。田中芳樹の名を詐称して、意図的に氏を貶めている方の妄言を信じられるわけがないでしょう。第一、あなたが以前現れた「仮想田中芳樹」氏と同一人物だという手がかり(メアドすらない)もありません。
もし同一人物ならば、いい加減、場を荒らすのはやめなさい。

※補足。プロバイダ移行につき、メアドを変更しました。

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1318

私、分かってないので質問します

投稿者:新Q太郎
2000年08月26日(土) 20時15分

仮想田中芳樹さんは書きました

そちらが、本気で「田中氏の考え」をシュミレートしているつもりなのか、それとも言われているように、『敢えてろくでもない答えを書くことで田中氏を貶めている』のかがわからないですが、善意に解釈して仮想田中氏に聞いてみましょう。


**************************
> 後書もねたですよ。受けをとるための、
> 第一、あとがきで「受けるために書いているだけでぼくは思想には何の関心もありません 。」なんて書けるわけないでしょう。
*****************************

しかし、創竜伝文庫の「後書き」というのは架空世界の架空登場人物ではなく、現実世界の田中芳樹氏(生身)が生身の人間と対談しているのです。
そこでの発言は、田中氏本人の意見、発言と考えるのが自然だと思いますがどうでしょうか。
もし仮に、それがねただとしたら、その「ネタ」をもとに批判されるし「本心は違う」ならば、実在の田中氏の名前でそのネタを語ってしまった責任を追及されるのではないでしょうか。

また、そもそも実名で対談した田中氏の発言がねたである、という根拠を、仮想田中氏は示しておられません。
それが本心ではないという根拠を、まずお示しください。

*****************************
> ですから、作中の言動と私の思想は一致してないんですってば。
> 中高生はいずれ大人になり選挙権を持つころには気付きますよ。実害はほとんどありません。教師に私の著書を盾に逆らった石井さんのような例はかなり珍しいんじゃないですか?それともそんな例、ほかに聞いたことあります?
***********************************

例でしたら、「SFアドベンチャー」昭和63年別冊に、学校教師がヤンの思想をそのまま生徒に伝えていた、という話や就職試験の面接で銀英伝の一節を講じたという話が載っていますが。


**********************************
> >要するに、この人の作品を読んで作者の思想ウンヌンを真面目に論じるのは、時間の無駄だと思います。
>
>  はい、またまたそのとおり。とくに石井さんにおかれましてはこれ以上私にかかわって青春の無駄遣いをするのはどうかなぁ。
************************************

「一日中ずっと釣りしてる暇人をみたよ、参ったね。
いや、ほんとにいたんだよ。あたしゃずっと後ろで
見てたんだから」という小話を思い出しました。

わざわざ「仮想」で他人さまになりきって、そのHPに反論しようというご奇特なかたの心の慰めになっているだけでも、価値があるのでは(笑)?
それともそうやって「仮想○○」で反論レスをされるかたの青春は有益?無駄遣い?(笑)

*** *****************************
> しかし、みなさんけっこうわかっていらっしゃるようですね。
>  ならば、みなさん。トップページのほうの記述、私が左翼だのロリコンなど(現実の私が)思想的に矛盾しているだのは理性的ではない間違った批判だと知ってるってことですよね。

> だったら石井さんに教えて上げるのが、理性的で石井さんにとって誠実な態度ってものだと思いますよ。ここよりもはるかに目立ちますから、石井さんの恥になってしまいます。
*************************************

では、仮に石井氏の批判が間違っているとしましょう。
その場合、こういう理屈は成り立ちますか?

=================
> でも「HPへのヒット数が多いです」からね。面白くなければ「HPを読みに来ない」でしょ。その辺の矛盾を勘案しても「このHPは」面白いんですよ。「石井氏」は面白い[HPを作る]ために努力しています。「(仮想田中氏がいうところの)間違いを」放置したほうがよいか、「間違い」を修正したほうが「HP閲覧者」がついてくるのかで前者を取った。今のところのその判断は正しいと考えています。
(変更部分は「 」内、それ以外は誰かの文章を借りました)
================-
仮想田中氏の態度が肯定されるのなら、仮に石井氏の態度が「間違って」いても、このような理屈によって肯定されると思いますがどうですか。


また「でも売れてますからね。面白くなければ売れないでしょ。」
について質問があります。

そうだとするなら、村上春樹「ノルウェイの森」は百万部を超えた大ベストセラーですが、(現実世界の)田中氏はこの作品の中の「~といった」という描写をわざわざ数え、『文章を練っていない、純文学の作家って、もっと表現に腐心するもんだと思ってた』と批判しています(梶尾真治氏との対談)。
また、塩野七生氏の文章は事実と違う!と怒っていましたが、あれも売れています。

さらに、読売新聞は日本で一番発行部数の多い新聞ですが、これについて様々な批判が寄せられています。
仮想田中氏は、読売に対するそれらの批判と『日本一売れている』という事実を勘案し、どのような感想をお持ちですか。


ともあれ、田中氏が本の価値と売上について、もし仮想田中氏と一致した意見を持っているなら、100万部突破した本などをそのように批判することはないと思われます。


ここで、私は「仮想田中氏」は(その努力はともかく)実際の田中氏の考え方にそって、石井氏他に反論する…というのには役不足、いや役者不足ではないかと考えますが、ご自分ではどうお考えですか。

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board2 - No.1321

ロイエンタールは名将か

投稿者:celetaro
2000年08月26日(土) 22時03分

 私が読んだ時の印象として残っているのは、『ロイエンタールって本当に強いの?』というものでした。
 ロイエンタールって、旧貴族との戦いでメルカッツがでてくると、すごすごと逃げ帰ったり、反乱のときもそれまでまったく格下に見ていたビッテンフェルトにあっさりと陣形をくずされたりと、実際の戦績だけで判断すると、どうも強敵相手にはかんばしい結果を残していない。
 剣術とかなら、一度も実戦で剣を抜かなかった名人とかはありですが、普段どんなすばらしいうんちくを述べていても、実戦で実績をあげなかった名将というのはまずありえないかと。これだったら、ヤンのような強敵相手に、勝てはしないまでも立派な戦いをしたミュラーあたりのほうがよっぽどすぐれた指揮官ではないでしょうか。
 本文中では、ミッターマイヤーと並べられて、くどいくらいに双璧だとか、帝国の他の指揮官たちよりも能力が上なんだという表現がありますが、この部分がどうも浮いているとおもった記憶が残っています。
 小説として読むのなら、作品中において全知全能の神に匹敵する作者の評価というのは絶対ですが、銀英伝を戦記物として読むとまた違った側面が見えてくるかと。
 反乱のときに私が受けた印象も、『えらくあっさりと負けたな』というもので、ロイエンタールが無能の指揮官とは決して思いませんが、まわりの評価ほどには実力がともなってないと思ったものです。

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board2 - No.1322

Re:ちょいっと矛盾があるのでは

投稿者:不沈戦艦
2000年08月27日(日) 14時20分

冒険風ライダーさんは書きました

>  確かにその危険性は充分過ぎるほどありますし、オーベルシュタインもロイエンタールも簡単に察知する事ができるものでしょう。しかし、もしロイエンタールが人質にしたラインハルトが本物ではなく、影武者による偽者であったとしたらどうなるでしょうか?
>  つまりロイエンタールの招請状を受け取ったオーベルシュタインは、この機会にロイエンタールを不意打ちによって処断するためにあえてラインハルトに招請に応じさせ、その上でラインハルトをどこか安全な場所に隠蔽し、自分がでっち上げた影武者を従えてハイネセンに向かうのです。もちろん外部にはその事を一切秘密にした上で。
>  これならば万が一ロイエンタールが強行手段に訴えたとしてもオーベルシュタインにとっては痛くも痒くもありませんし、それを口実にしてロイエンタールを処断する事さえ可能になります。ロイエンタールが影武者に気づかずに黙って従えば、その時こそオーベルシュタインによって一方的に処断される運命が待っているだけです。ラインハルトをあえて囮にして油断と誘惑を誘った上で、ロイエンタールがラインハルトを操る危険性を完全に排除するために影武者を使い、邪魔者を始末する。これはむしろオーベルシュタインだからこそ却ってやりかねないような謀略でしょう。
>  そしてロイエンタールもまたそのようなオーベルシュタインの手段を選ばない謀略家ぶりと、自分自身すらも犠牲にする事に躊躇しない性格志向を知り尽くしているからこそ、却って「オーベルシュタインは何をするか分からない」と考えて必要以上にオーベルシュタインの動向に注意せざるをえなくなったため、ハイネセンでラインハルトと会見することによって流言の是非を確認する必要性を感じていたのではないでしょうか。
>

 偽物のラインハルトですか?少なくとも、本物らしくする為には、小道具としてブリュンヒルトは必要ですよね。新領土に巡幸する時に。果てさて、そんなこと本物のラインハルトが許しますかね?仮にその時、本物は病臥していて、オーベルシュタインが好き放題できたとしても、「ロイエンタールを引っ掛ける為に、偽者のラインハルトをブリュンヒルトに乗せ、新領土へ行かせるのに勝手に使った」と後で回復した本物にバレたら、オーベルシュタインがただで済むと思います?何か知りませんけど、話の設定では、ラインハルトは異常なまでにブリュンヒルトが気に入っている、ってことだったと思いましたが。そのお気に入りのブリュンヒルトを、オーベルシュタインの勝手な謀略に使われて(しかも、ラインハルトとしてはその謀略に必要性は感じていない。「「これは必要なことだった」と、オーベルシュタインがラインハルトを説得できるとも思えません)、許すラインハルトでしょうか。いくら何でも、その場合は厳罰が待っているだけではと思いますけどね。

 また、現場レベルでも、ブリュンヒルトの艦長が素直にオーベルシュタインの指示を聞くかどうか。「皇帝の偽物を乗せて、新領土へ行け。総督のロイエンタール元帥を引っ掛ける為に」なんて言ったら、「皇帝陛下の勅命がなければやらない」と抵抗するのでは、と思いますが。また、偽物のラインハルトを「これが本物の皇帝陛下だ」と言って出したとしても、皇帝が常用している旗艦の艦長あたりが簡単に騙されるかどうか。

 それと、冒険風ライダーさんの意見では、「ロイエンタールは謀略に疎い」のではなかったのですか?その謀略に疎いロイエンタールが、「オーベルシュタインが皇帝の偽物を使用するかも」と思いつく、ってのはおかしな話だと思います。

 以上を踏まえて、この冒険風ライダーさんの意見には無理があると思いました。



>
>  う~ん、私が考えた情報・通信システムを使えば、常にミッターマイヤー軍に関する情報がリアルタイムにロイエンタールにもたらされ、それに基づいて分散させた諸部隊に対して命令や合図を臨機応変に出すことも可能になるわけですし、前線の諸部隊も「一」「二」「三」でそれぞれやる事がひとつに決められているのですから、それほど複雑な兵力運用を行うわけではないと思うのですが。諸部隊によって集められた情報に基づいてロイエンタールが全体的な戦局から見た戦略目標を決定して各部隊に命令を下し、現場はそれに基づいた戦術指揮と移動をのみ行えば良いのですから。
>  第二次世界大戦時における日本軍やアメリカ軍の場合は、与えられた複数の任務の優先順位を「現場で」判断せざるをえなかったわけですから、ロイエンタールの作戦とは若干ケースが違うのではないでしょうか。
>
>  別に駐留期間に関係なく、ロイエンタール側には次のような有利な条件が付加されます。
>
> 1. ミッターマイヤー軍が「攻撃側」であるのに対し、
>   ロイエンタール軍は「迎撃側」の立場にある
> 2. ロイエンタール軍は旧同盟領に点在している補給・通信基地を使用できる
> 3. 「1」と「2」の条件から、ミッターマイヤー軍が行軍する進路を事前に特定する
>   ことができ、要路に監視・ゲリラ戦のための兵力を配置する事ができる
> 4. 旧同盟領そのものを使用した情報・通信ネットワークが使用できる。
> 5. 「3」と「4」から、ロイエンタール軍は情報戦略においてミッターマイヤー軍
> に対して圧倒的優位に立つことができ、かつ、ミッターマイヤー軍を同盟領奥深く
> に誘い込む事によって後方の補給線と連絡を遮断する事が容易にできる
>
>  それからミッターマイヤー軍と後方の連絡を絶つことは実は非常に簡単です。超光速通信が絶対に使用できないように、ミッターマイヤー軍を妨害電波の網で包囲してしまえば良いのです。最初からミッターマイヤー軍の位置は補足する事が容易なのですから、要所要所を抑えて通信を封鎖する事もまた容易なことです。長期戦に持ちこめば、この「情報封鎖」がボディーブローのように効いてきますし、ニセ情報を流してミッターマイヤー軍を混乱させる事もできです。
>  それとロイエンタール軍が短期間しか旧同盟領に駐留していなかったといっても、すくなくとも「旧同盟領における航路の安全確保」と「補給・通信基地の掌握」ぐらいは、統治の観点から言っても、帝国との連絡線を確保するためにも「最優先事項」として行っていたでしょうから、航路図を掌握している事と合わせて、さしあたって上記の5条件における戦略的優位を確保する事ぐらいは充分に可能だったのではないでしょうか。政治的優位を確立する事はさすがに難しいでしょうけど。
>  ちなみにロイエンタールが新領土総督に就任してから叛乱に追いやられるまでの期間はだいたい3~4ヶ月前後です。1年どころか、半年にも満たない短期間ですね。
>

 あのー、この中ですら矛盾している、って気付いています?ロイエンタール軍はミッターマイヤー軍の通信を好きに妨害出来るのに、何でロイエンタール軍はフリーパスで通信できるんでしょうか?どっちかと言うと、銀英伝の艦隊戦では、「互いに妨害波を放つから、下手をすると戦場で下級指揮官に連絡するにも、通信が使えずシャトルを使用することもある」のが一般的だったのでは。冒険風ライダーさんの案では、交戦するまでは超光速通信で何とか連絡は付くでしょうけど、一旦交戦に入ったら、その後は通信途絶になる筈でしょう。その場合、後方からの指揮統制は不可能です。結果、兵力の少ない方が順当に負ける、という結果になると思いますね。

 それと1.ですが、単純に「攻撃側」「防御側」と切り分けているようですけど、この場合「攻撃3倍の原則」が当てはまると思いますか?宇宙空間に隠蔽された防御陣地があるでもなし、地雷原がある訳でもなし、鉄条網もない。要塞だったらイゼルローンのようなものはありますが、同盟領内にはありませんよね。銀英伝の艦隊戦は「歩兵がお互いの姿を認めつつ、無防備で撃ち合うだけ。但しその歩兵の防御甲冑の厚さと火器の威力、移動力に差があるもの」と捉えた方がいいと思いますよ。その場合、「攻撃3倍の原則」は通用しないと思いますけどどうでしょう。2.については、まあ有利な条件でしょうけど、補給基地の場所は、帝国軍も承知していると思われますので、ミッターマイヤー軍も同じように使用できますよね。優位なのは通信基地使用だけでしょう。3・4.は前に言った条件(一旦戦闘が始まったら、通信不能になる)であまり意味がありません。とすると、5.も実質不可能で、結局有利な条件はほとんどなくなると思いますわ。

 と、言うことで、順当にミッターマイヤー以下の勝利になりそうですね。それはロイエンタールも容易に予想できることだと思いますわ。



>
>  このあたりはやはり「追い詰められた挙句、準備不足の状態で叛乱を起こさざるをえなかった」というのが大きかったでしょうし、ハイネセンを占領される事が政治的・戦略的にロイエンタールにとって致命的なマイナス効果(兵士の離反など)をもたらすという事情もあったでしょう。ハイネセンの弱点をクリアするには、それこそロイエンタールに時間がなさ過ぎましたし。
>  また、ロイエンタールはイキナリ自分でも想定していなかった叛乱に追いやられたため、初期の戦略決定に際して、やや決断と精彩を欠いていたという事情もあったのかもしれません。


 その「自分でも想定していなかった叛乱」をロイエンタールのような男が行ってしまう、というのにストーリー的に無理があるんですよ。実質は追い詰められてもいなかったし、焦る必要もなかった。どうしてもロイエンタールに叛乱を起こさせる(作者の意志として)のなら、もうちょっとマシな条件で、ロイエンタール自身の意志(←ここ、ポイントです)で計画的に行わせるべきでしょう、と言っているのですが。他人が書いた杜撰なシナリオに考え浅く乗ってしまい、結果順当に負けて死んでしまう、ってのはいくら何でもあんまりなのでは。

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board2 - No.1323

Re: 「名将の迷走」について

投稿者:不沈戦艦
2000年08月27日(日) 14時32分

平松重之さんは書きました
>
> 自分はそもそも「名将=最終的な成功者・常に理知的」とは限らないと言いたかっただけなのです。特定の対象に対する憎悪や反感及び自身のプライドにより戦略的判断を誤らせた名将という一点こそがロイエンタールとナポレオンの最大の共通点であり、そこが自分の主張したかった所なのですが。


 私の言いたいのは、「『名将ナポレオンが、特定の対象に対する憎悪や反感及び自身のプライドにより戦略的判断を誤らせた』のは、各条件を並べてみれば充分あり得た話だし、その失敗をやらかしても納得できる」が、「『名将ロイエンタールが、特定の対象に対する憎悪や反感及び自身のプライドにより戦略的判断を誤らせた』のは、銀英伝の記述通りだとすると、ロイエンタールというのは単なる阿呆であって、思考能力が無いのではないか。これのどこが名将だ。本当に名将なら、こんな馬鹿はやらかさない」ということですね。名将の筈のキャラクターがいきなり単なる阿呆になった、というのはストーリーとしては無理があると思いますわ。

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board2 - No.1324

Re: それほどひどくもないのでは

投稿者:不沈戦艦
2000年08月27日(日) 14時40分

celetaroさんは書きました
>  私が読んだ時の印象として残っているのは、『ロイエンタールって本当に強いの?』というものでした。
>  ロイエンタールって、旧貴族との戦いでメルカッツがでてくると、すごすごと逃げ帰ったり、反乱のときもそれまでまったく格下に見ていたビッテンフェルトにあっさりと陣形をくずされたりと、実際の戦績だけで判断すると、どうも強敵相手にはかんばしい結果を残していない。
>  剣術とかなら、一度も実戦で剣を抜かなかった名人とかはありですが、普段どんなすばらしいうんちくを述べていても、実戦で実績をあげなかった名将というのはまずありえないかと。これだったら、ヤンのような強敵相手に、勝てはしないまでも立派な戦いをしたミュラーあたりのほうがよっぽどすぐれた指揮官ではないでしょうか。
>  本文中では、ミッターマイヤーと並べられて、くどいくらいに双璧だとか、帝国の他の指揮官たちよりも能力が上なんだという表現がありますが、この部分がどうも浮いているとおもった記憶が残っています。
>  小説として読むのなら、作品中において全知全能の神に匹敵する作者の評価というのは絶対ですが、銀英伝を戦記物として読むとまた違った側面が見えてくるかと。
>  反乱のときに私が受けた印象も、『えらくあっさりと負けたな』というもので、ロイエンタールが無能の指揮官とは決して思いませんが、まわりの評価ほどには実力がともなってないと思ったものです。


 ケンプとミュラーがガイエスブルグを駆ってイゼルローンを攻めて失敗し、ケンプは戦死、ミュラーが敗走した後、ミッターマイヤーと組んでグエン・バン・ヒューとアラルコンの追撃艦隊を手玉に取って全滅させた、というのがありますし、ラグナロック作戦に伴って、イゼルローンに「嫌がらせの攻撃」を掛け続けた(ヒューベリオンを餌に使われて、シェーンコップの揚陸艦の接舷を許してしまいましたが)時の手腕も、それなりにマトモではなかったでしょうか。どうしようもないとは思えませんけど。まあ、それほど「名将」と言えるほど実績があるのか、と言われたらそれはそうかも知れませんけどね。それと、「メルカッツに攻められてすごすご逃げ帰った」のは、「死守する意味はない」と判断しての話ですから、責めるに値しないと思いますけど。無意味な地点を確保する為に、兵力を損耗する方が、阿呆のやることだと思いますし。celetaroさんは、「拠点を無理に確保するよりは、敵兵力を包囲殲滅する方が重要」とお考えだったと思いましたけど、その観点からはこのロイエンタールの行動は、誉めるべき話なのではないか?と思いますが。

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1325

わかっていますか?

投稿者:本ページ管理人
2000年08月27日(日) 16時50分

仮想田中芳樹さんが田中ファンなのか、本当はアンチ田中で田中芳樹を貶めたい偽装信者なのか(もしもファンだったら何故こういう風に言われているか考えてください)、あるいは万が一ホンモノなのか私には判りませんけれど…

> でも売れてますからね。面白くなければ売れないでしょ。その辺の矛盾を勘案しても面白いんですよ。私は面白い作品を書くために努力しています。矛盾したままの放置したほうがよいか、矛盾を修正したほうが読者がついてくるのかで前者を取った。今のところのその判断は正しいと考えています。
> ですから、作中の言動と私の思想は一致してないんですってば。
> 中高生はいずれ大人になり選挙権を持つころには気付きますよ。実害はほとんどありません。教師に私の著書を盾に逆らった石井さんのような例はかなり珍しいんじゃないですか?それともそんな例、ほかに聞いたことあります?

こういう、ケレン味たっぷりの子供の言い訳のような反論をするということが、自分で墓穴を掘っていることだと判りませんか?

…いっそのこと、仮想田中芳樹氏が偽装信者であるというパターンが、一番救いがありますね。

親記事No.1074スレッドの返信投稿
board2 - No.1326

Re:1074)銀雄伝?

投稿者:とっしー
2000年08月27日(日) 23時22分

>  これは主にNo.1180の発言に対するレスです。とても遅くなりましたが、レスすると書いておいたのでここにのせておきます。

 や。すいません。レス見つけるのに時間食いました(^^;)
 メール下さればもう少し早く反応できたんですが。とりあえずごめんなさい
。m(__)m

>  まず、銀英伝はとてもすぐれたエンターテイメントだと思います。
>  作家が一人の人間である以上、すべての分野に精通するのは不可能で、銀英伝の軍事描写は、エンターテイメントとしては及第点であると思います。
>  ただし問題なのは、専門家レベルといわず、軍事について少しばかり興味を持っているだけにすぎない私のようなものが見ても、銀英伝の戦略戦術などの軍事面がリアルっぽいが、じつはかなりおかしい作品であるという点です。(これについては過去ログでも発言がありますね)
>  ちなみに、わたしは『ヤッターマン』もエンターテイメント作品としては、名作だと思っています(^ー^)。

 激しく同意。(2ch風)
 ただ軍事戦略面はある意味仕方ないでしょう。むしろシャーロキアン的な愛あ
る解釈を試みるほうが私の好みではあります。だってSF考証としてもかなり歪
んだ世界観ですからね、銀英伝は。


>  電撃戦と包囲殲滅戦について。
>
>
>  このことではその後自分なりにいろいろと考えるところがありました。まだ暫定的ですが、以下が現在の私の意見です。
>
>  野戦軍の(包囲による)撃滅にたいする反論の事例として、なぜ電撃戦をあげられるのか、私にはよくわかりませんでした。なぜなら、わたしには、電撃戦は野戦軍の包囲殲滅作戦そのものに他ならないと思えるからです。
>
>  最初に包囲殲滅作戦の一番有名で典型的でありわかりやすいものとして、カンネーの戦いを例にあげて説明をします。包囲というのは一般に両翼を広げて敵を三方から包みこみ、機動力のある軍(カンネーの場合は騎兵)が敵の背後に回りこんで完成させます。
>  もちろん敵側でも、騎兵に背後にまわり込まれてはたまりませんから、その機動を止めるために同じように騎兵を対抗させてこの部分で戦闘が始まります。カルタゴ軍はこの騎兵対騎兵の戦いに勝利して、勝利した騎兵隊を敵の背後に回りこませ包囲を完成しました。
>  確かに全体の戦場からみれば部分的であるこの騎兵同士の戦いだけを見ると、包囲戦ではないように見えます。この場合たしかにカルタゴ側の騎兵をとめようとしたローマ軍騎兵は逃げ散っていて、カルタゴ軍のローマ軍主力に対する包囲の輪の中には入っていません。
>  しかし、カンネーの戦いは野戦軍の包囲殲滅戦であると見るのが普通ではないでしょうか。それも多くの戦史研究家が理想的とみなす包囲殲滅戦です。

 カンネー会戦は古代戦史上もっとも成功した包囲殲滅戦術の実例として名高い
ですね。独軍は帝政期もナチス政権時代もこの会戦に興味を抱いており、シュリー
フェンプランなどもモチーフはこの戦いから来ていると言われています。

 で、ですね。私には

>  野戦軍の(包囲による)撃滅にたいする反論の事例として、なぜ電撃戦をあげられるのか、私にはよくわかりませんでした。

 にこのように突っ込みたいのですが良いですか?
 史上稀に見るほどの大成功を収めた包囲殲滅戦で敵野戦軍主力を撃滅したカル
タゴはこの戦争に勝てましたか? と。
 なぜよりによってこの戦いを例に出してきたのか理解できないです。私は古代
戦の戦例だからなぁと遠慮してたんですが(^^;)
>
>  WW2では戦いがカンネーとはくらべようもないほど大規模になっているので、この騎兵対騎兵の部分の戦いだけでも、極めて大規模な戦闘になってます。しかし、この騎兵の機動をじゃましようとする目の前の敵を逃げ散らせる(電撃戦の場合は、敵の指揮系統をずたずたに寸断する)ことは、作戦の主目的ではありません。電撃戦とカンネーの包囲の違いは、この敵の背後へ回りこむ騎兵の役割を戦車を主軸とする機械化部隊が担当しているというだけのことです。

 まぁ電撃戦のポイントはもう2つあって部隊通信の円滑な運用と航空部隊によ
る強力な直協支援が必須なのです。(これが無いからWW1の独軍の浸透戦術は
失敗したわけですが、本題とずれ過ぎるので一旦やめておきましょう。ご希望と
あれば続けます)


>  典型的な独軍の電撃戦といえば、ポーランドとフランスに対するそれでしょう。

 ゴミネタですが、レン・デイトンあたりに言わせると真の(至高の?)電撃戦
はフランス戦しかないそうです。
>
>  まさか、ドイツ軍のポーランドに対する攻撃が野戦軍の殲滅を目的とした包囲殲滅戦でなかったとはおっしゃらないでしょう。ポーランドの戦いは、包囲殲滅、包囲殲滅、包囲殲滅の連続です。
>  ブズラ川の戦いなどは、有名な包囲作戦です。明らかに包囲殲滅戦が戦争の帰趨を決しており、このポーランドでの戦いは、シェリーフェン計画の焼き直しとまで言われているほどです。

 対ポーランド戦の帰趨を決したのは明らかにソ連の参戦です。これにより前線
の部隊が奮闘したところで滅亡は間違いないものとなりました。またポーランド
軍の最後の士気を崩壊させたのは首都ワルシャワの陥落です。
 首都陥落を知ったポーランド軍諸部隊はほとんどが降伏し、一部の部隊のみが
近隣諸国にかろうじて逃げ延びました。ワルシャワ陥落まではポーランド軍は進
撃してくる独軍に対してかなりの抵抗を示しています。
 またポーランド戦の意義自体もワルシャワの早期陥落により東部戦線を片付け、
対英仏の西部戦線に戦力を集中しようというものでした。けしてポーランド軍野
戦部隊を撃滅/無力化すれば良いというものではありませんでした。


>  次にフランスに対するものですが、電撃戦によりグーデリアンの部隊などは敵軍の背後まで回りこむことに成功します。ドイツは包囲の輪を縮めて、ダンケルクに英仏軍を追いつめています。(ドイツ軍がベルギーから進んでくると予測していたためそこに英仏軍の主力はそのあたりに配置されていました)
>  この一連の戦いでドイツ軍は勝利します。が、この作戦は一面ではドイツ軍の失敗とされています。それは、包囲が不徹底で、ダンケルクの出口を完全に閉塞できず、英仏軍に逃げられてしまったからです。

 包囲が不徹底と言われても、空いてるのは海だけです。陸上の戦線の切れ目を
突破されたわけではありません。

>  つまり、この戦いは敵野戦軍の撃滅主義への反証となるのではなく、包囲が不徹底であったために将来に大いなる禍根を残してしまったという、包囲による敵野戦軍完全撃滅の重要性をさらに例証するような事例にはいるのではないでしょうか。
> (なぜドイツ軍に停止命令がでたのかは、さまざまなことが言われていて、私にはどれが真実なのかよくわかりません)

 低地諸国制圧という対仏戦の第一段階が終了し、第二段作戦でのパリ攻略の睨
んでいたからだというのがかなり有力です。
 当時の独軍にとって貴重極まりない装甲兵力が、英仏軍の一戦部隊が立て篭も
るダンケルクに突入させることによって消耗してしまうことをヒトラーが嫌い、
またゲーリングの政治的横槍が働いたと言うのが私の判断です。
 ヒトラーが対英戦略上妥協の余地を残すために突進をためらったという意見も
ありますが、私はこれは副次的なものだと思っています。
 なお、対仏戦はパリを防御できないことが明らかになった時点でフランス側の
抗戦意思が決定的に萎えたことにより勝敗が決しています。
 独の国家戦略においてまず対仏戦の決着が何より優先されていた以上、ダンケルク突入を行わなかったのはベストではないにしろベターな判
断ではあったのではないでしょうか。
 もし装甲部隊がここで損害を受けて第二段作戦で苦戦する羽目になっていたら
独の国家戦略は非常に苦しくなります。某小説にあるようにソ連軍が介入してく
る可能性だってゼロではありませんし。
 ダンケルク突進論は見るべきものはあるものの、ある意味史実のフランスの早
期降伏を前提にした論であるわけで、一種の博打といえるでしょう。


>もともと前線の成立理由さえ、お互いが包囲するために回りこもう、包囲され
ないために敵を止めよう、という意図の翼長運動にあるのですから。

 ゴミな突っ込みですが、成立したのは『史上初の切れ目の無い戦線』ですね。
 前線のほうは人類が集団戦闘を発明した瞬間には存在していた可能性がありま
す。


>  たしかに、包囲殲滅というのはいつも行えるというわけではありません。
>  基本的に、敵よりも多くの戦力が必要ですし(実際には劣性の戦力で敵を包囲した事例もあります)、敵の背後に回りこむという機動力や全軍が包囲という意図にあわせて柔軟動くだけの能力が必要になります。
>  戦略を類型化単純化することは、過去の戦史から理論を抽出して今後に役立てようとする一つの方向性ではあるものの、同時にひどい誤謬に陥る危険性をもはらんでいるのはわかります。その後、自分なりに考えてみて、なによりも包囲殲滅をするというのは私の書きすぎだったと思います。
>  ただ、包囲殲滅ができる状況ならそれをするのが理想であると私には思えます。

 それはそうでしょう。包囲殲滅が可能でそれによるデメリットが無いか、それ
を補って余りある価値をもたらしてくれるならそうすべきです。常識ですね。私
は何も包囲殲滅が無益だとは申しておりません。
 『近代軍隊はなにより包囲撃滅を目指すものだ』という貴方の意見に反論して
いるだけです。


>  次に首都攻撃と野戦軍の撃滅のどちらを優先するかについてです。
>
>  ドイツがモスクワ攻撃しなかったことを批判するのなら、成功した作戦である、ポーランドやフランスでも敵の主力の野戦軍の殲滅よりも、首都を優先しなかったのがなぜかという議論があるべきではないでしょうか。

 以上の私の主張によっても明らかですが、私の両戦役に対する評価はこれとは
違います。よって同意できません。

>  近代改革後のプロイセン軍の対ナポレオン戦争でも、大モルトケの一連の戦争でも、第一次世界大戦のシェリーフェン計画でも、ポーランドやフランスへの電撃戦でも、野戦軍の撃滅が優先で、首都攻撃への優先度はそれ以下だったのに、対ソ戦だけ首都攻撃をしなかったから負けたという論評はどうでしょう?(シェリーフェン計画については実行面でも同じような批判があります。パリを包囲網に入れなかったのが決定的に悪かったというのです。独ソ戦とシェリーフェン計画の実行面で共通することは、この二つの戦いが結局は失敗した戦いであるということです。

 え? プロイセン参謀本部の立案した作戦こそ『ナポレオン率いる主力野戦軍
との決戦を回避しつつ首都パリを奪取する』という作戦そのものではないか、と
思うのですが・・・

 また大モルトケの戦争計画は両方とも敵首都攻略を目標にしています。
 で、普墺戦争でウィーンが攻略されなかったのは、それがビスマルクの戦争だっ
たからです。実際、普墺戦争が独の戦略的勝利に帰結したのはビスマルクの巧み
な政治手腕によるもので、独軍参謀本部の暴走を許していた場合は独の国際的地
位は酷く悪化し、悲願であったドイツ統一が遠のいていた可能性があります。
 よってあの戦争の勝因は優秀な独の軍隊以上にビスマルクの存在そのものにあっ
たといったほうが良いでしょう。


>  ただし、元のシェリーフェン計画は、パリが陥落しても野戦軍への包囲が途中で停止するなどというプランではありませんでした。それだけ、首都陥落よりも野戦軍の殲滅が重視されているということです)

 シュリーフェンプランは実際には実行が非常に困難な観念的な作戦計画である
と思います。まずあんな大胆な戦力配置は真の名将にしか出来ません。
 またあんな大規模な機動を支える兵站システムも機動力もありません。
 WW1の骨抜きになったシュリーフェンプランはなるべくしてなったと言える
面があるでしょう。第一、作戦上の要請によりベルギー侵攻が必要となり、その
ため当時世界最強の英の参戦を招いているのです。手段と目的が倒置していると
批判されて然るべき出鱈目な作戦案だと思いますね。


>  無視できるような弱体戦力ではなく十分強力な野戦軍の主力を放っておいて、首都陥落を優先させ、それで戦いが一気に終局に近づいたという実例なら別です。しかし、ドイツ軍のモスクワ攻撃集中のような実際に行われず、議論が現在でも続いているようなことを反論の例証とされるのは弱いと思います。

 ということでシュリーフェンプランのような

> 実際に行われず、議論が現在でも続いているようなこと

 を反論に出してくるのは弱いと思います。


>  野戦軍を撃滅できなかったために、首都陥落が全体の戦局としてはあまり影響がなかったものとして実際にあった例としては、繰り返しになりますが、日本軍の南京陥落があります。

 ちなみに南京陥落後、蒋介石は軟化し独の仲介による和平交渉を受託する気で
いたのはかなり有名な史実です。図に乗った日本が和平条件を吊り上げたため、
和平交渉は決裂してしまいましたが南京攻略が戦争上無意味だったわけではあり
ません。結果的に無意味なのと最初から無意味なのとは全く違いますよね。


> (東部戦線のドイツ軍の戦力をモスクワ方面だけに集中させすぎると、軍の後方の道路や鉄道一本あたりの補給や補充の負荷が大きくなりすぎ、強力とはいえない兵站がさらにひどいものになるため、もともとからこのような集中によるモスクワ侵攻は不可能だったという専門家の研究もありますが、ここでは主題ではないので深くはつっこみません)

 これに関しては私も懐疑的です。まぁこれまでやり始めるとここが東部戦線サ
イトになってしまうのでやめておきましょうか(^^;)


>  銀英伝中のバーミリオンの戦いで、野戦軍相手に苦戦している味方の軍を助けるために、直接その場に救援にはいかず、敵の首都を攻撃して間接的に味方を救うというのは、孫ピンの囲魏救趙からとってきたものでしょう。もちろん、これが近代戦でないことは言うまでもないことです。

 これは現代戦でもあります。というか軍事理論で言うところの典型的な間接ア
プローチですね。例を挙げればWW2でのインド洋や南太平洋で猛威を振るう日
本の航空戦力を少しでも本土に拘引すべく行われたドーリットル隊爆撃、WW1
で西部戦線で攻勢に出た独軍を牽制するために攻勢を行ったロシア軍。
 首都そのものじゃないという突っ込みがありそうですね。
 だとナポレオン戦争のフランス本土戦役がそのものですね。ナポレオンと対戦
した連合軍の部隊はのきなみ敗退していますが、他の連合軍部隊が首都を脅かし
ているため、追撃が不徹底になってしまっています。このため連合軍はナポレオ
ンに敗れても後方で再編成を終えた後はすぐに進撃を再開できています。

>  首都攻略よりもまず野戦軍の殲滅を優先するという考えは私自身の考えではなく、クラウゼヴィッツの思想です。

 でWW1でこの古典的なクラウゼヴィッツ的思想では国家総力戦には戦い抜け
ないことが判明するわけです。
 『戦争は軍人に任せておくには余りに重大すぎる』というやつですね。


>  実際、WW2の西部の連合軍の攻撃でもベルリンよりもドイツ野戦軍の無力化が優先されています。
>  この場合ソ連軍はベルリンを優先して進軍するのですが、これはもはや純粋な戦略戦術の分野ではなく、停戦後の西側との交渉をみこした政治的な理由といえるでしょう。

 政治要素が絡まない首都攻略戦、いや戦争などというものが存在するのでしょ
うか?
 大局に影響しない局地的戦闘ではないのです。

>  わたしに言わせれば、ドイツ軍の失敗はモスクワ攻撃をしなかったためではなく、結局敵の戦闘態勢にはいっている野戦軍の大部分を殲滅、もしくは無力化できるだけの戦力がドイツ軍になかったことに原因があるというべきではないかと思っています。動員前に動員拠点をつぶして敵の動員を妨害したり、予備軍の集結地点を攻撃したりするのはあたりまえのことですが、同時に予備軍などが集結する前に敵の主力の野戦軍を無力化するのも大モルトケの時代でもその後でも、あたりまえのことではなかったでしょうか。

 私はそれを一切するななどとは言っておりません。
 ドイツの敗因は結局のところ国力がものをいう国家総力戦にしてしまったこと
に尽きるでしょう。これに関しては本題とはもはや著しく離れてしまいますので
ここでは触れないことにします。

以上が当方の反論になります。(管理人さま、この話題は続けてよいものでしょうか?)

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board2 - No.1327

名将の理性と感情の不整合

投稿者:平松重之
2000年08月28日(月) 06時21分

 不沈戦艦さん

>  私の言いたいのは、「『名将ナポレオンが、特定の対象に対する憎悪や反感及び自身のプライドにより戦略的判断を誤らせた』のは、各条件を並べてみれば充分あり得た話だし、その失敗をやらかしても納得できる」が、「『名将ロイエンタールが、特定の対象に対する憎悪や反感及び自身のプライドにより戦略的判断を誤らせた』のは、銀英伝の記述通りだとすると、ロイエンタールというのは単なる阿呆であって、思考能力が無いのではないか。これのどこが名将だ。本当に名将なら、こんな馬鹿はやらかさない」ということですね。名将の筈のキャラクターがいきなり単なる阿呆になった、というのはストーリーとしては無理があると思いますわ。

 ロイエンタールもこの叛逆は無謀であったとは思っていたようです。九巻(ノベルズ版)のP150からP152にはエルスハイマーに彼が叛逆への荷担を拒否した事を明記した書状を手渡していますし、その後に自分でも「度しがたいな、吾ながら……」と言っています。いわば明哲な理性で押さえつけられていた激しい感情が「ウルヴァシー事件」を発端とする一連の事件で一気に開放されたという事であり、この図式は「人間が心の内部に抱え込んでいる矛盾の発露」の表現として受け入れられるのでは?単なる阿呆と決め付けるのはどうかと思いますが。

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