- 親記事No.157スレッドの返信投稿
- board2 - No.162
Re: 「あめぞう」でこんなモノがあるそうです
- 投稿者:ひよ子の大将・コジラ
- 1999年10月19日(火) 16時33分
お久しぶりです。
自由主義史観に対する陰口はあめぞうだけではなく旧あやしいわーるどでも見られます。
この手のアングラ系には不思議なことに左派への悪口はあまり見られませんが。一体…
- 親記事No.157スレッドの返信投稿
- board2 - No.163
一応公式に宣言しておきますが
- 投稿者:本ページ管理人(石井由助)
- 1999年10月19日(火) 20時30分
157で不沈戦艦さんが説明されているあめぞうの書き込みに関して、当サイトには一切関係がありません。
まあ、あめぞうは良くも悪くもあめぞうで東スポ(関西だと大スポ)の見出しみたいなものですから、真に受ける人はほとんどいないとは思いますが。
- 親記事No.113スレッドの返信投稿
- board2 - No.164
Re: どうかと思います>どこですか?
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月19日(火) 20時37分
> 余計な御世話でしょうし、多分当時の日本の視点に立って使ってるだけだと思うんですが…
>
> > 大東亜戦争時の連合艦隊にタイの軍艦が参加していることなども知らないんでしょうね。ああいう人たちは。
>
> ↑あまり、過激な単語を使うのは街宣車で走り回ってる方々と同一視される危険性があるので、管理人さんがやるのはどうかと思います。
> ただでさえ、「右翼が言ってる」的な単純な反発だけで、終ってしまう危険性があるサイトなんですから。
「過激な表現」ではなく「過激な単語」と書かれたところを見ると、「大東亜戦争」の事でしょうか?
だとすると、これが「過激」「右翼」と結びつけるのはちょっと乱暴だと思うのですが。事実を見えなくする言葉狩りだと思いますので。
違ったら申し訳ありませんが。
- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.166
Re160:そろそろまとめかな?
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月20日(水) 11時18分
<話がおかしくなっていませんか?「政治になんか興味が無い」おじさんは選挙に行かないでしょう。時間の無駄です。「政治の事はわかりませーん」と言う女子高生は、そもそも選挙権がありません。明らかに、田中芳樹が言及しているのは、「政治に関心を持たず」、「選挙に行かない」人間です。>
それはあまりにも無茶な論理の飛躍ではないでしょうか。「政治には興味がないけど選挙日になったら投票しに行く」人だっていますし、そもそも選挙について言及するのならば、選挙権のない女子高生を例に取り上げるのは明らかに不適切なたとえではありませんか。選挙で投票したくても投票できない人間の考え方をあげつらって選挙問題を批判するのはお門違いというものです。
あの社会評論の文章構成を言えば、前半の方で「政治に無関心」な人間をことさら仰々しく取り上げ、後半の部分「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」で、彼らのような「まだそんな反応しか示さない」人間が積極・消極を問わず「首相の権力をささえてくれる」連中であり、けしからん奴らだとレッテルを貼っている、というのが普通に文章解釈をしたらはじき出せる結論でしょう。特に「首相の権力をささえてくれるのである」という文言が、積極・消極を問わず彼らが与党ないしは首相支持者であることをきちんと指しています。あの評論で最も重要なところは前半部分ではなく後半部分です。
第一、あの社会評論で田中芳樹は「選挙」ないしは「投票率」については一言半句も言及していないのですから、選挙論を論じているという解釈にはかなりの無理がありますよ。
それに田中芳樹は、選挙と有権者の関係については別の所でこう語っています↓
創竜伝5 P223下段~P224上段
<「東ヨーロッパでは、一党独裁の全体主義体制がつぎつぎと崩壊しています。腐敗した権力者たちもどんどん追放されていますが、日本の政治は、今度のことですこしは変わるのでしょうかね」
「さあ、そいつはどうかな。東ヨーロッパの諸国民は、これまで政治の腐敗を追及する権利を持っていなかった。日本人はずっと前からその権利を持っていたはずなんだがな」
始の片手には、丸めた朝刊が握られている。その朝刊の社会面には、OLの代表という女性の発言が掲載されていた。
「わたしたちは選挙で投票するとき、内容より顔で選ぶ。候補者はもっとファッションや美容に気を使ってほしい」
日本は自由の国だ。政治家を顔で選ぶのも、腐敗した貪欲な政治業者に権力を与えつづけるのも、日本人の自由である。ただ、自由に何ごとかをおこなえば、その結果には責任が生じるというだけのことだ。世界一、知能指数が高いと自慢する日本人は、そのことを充分にわきまえているだろう……たぶん。>
これはドロ改さんが仰っている「田中芳樹は、政治に関心がなく投票に行かない人達を批判対象にしている」と大きく矛盾しますが、どうでしょう。ここでも、投票率については言及しておりません。
2つの文章を照らし合わせると、田中芳樹は「選挙に行かないこと」を批判しているのではなく、自分の大好きな「万年野党」が政権を取る事を邪魔している与党支持者を否定し、しかも「日本の政治は圧政と暴政」という架空の前提の元に、与党を選んでいる彼らの思考水準が低レベルなものであるとレッテルを貼っているとしか解釈できません。人には十人十色でいろいろな考え方があるというのに、これほど模範的な「牛種の尻尾」の事例はありませんね。創竜伝8の最初の社会評論で語った↓
<地球上には六〇億の人間がいる。その全員が同じ顔をしているというありさまを想像すると、誰でも気味悪くなるだろう。また、「全員を同じ顔にしてやれ」とたくらむ者はいないだろう。ところが、こと思想や信仰や価値観ということになると、「全員を同じにしてやれ」と考える者が、けっこういるのだ。自分と違う考えを持つ者がこの世に存在することが、彼らは許せないのである。>
とのたまってみせた自分自身の主張は、一体どこに言ってしまったのでしょうか(笑)。
<ちなみに、田中芳樹はレッド・ホット・ドラグーンの6年前に出た「最新刊」後書きで、細川政権の発足を、「新政権の功罪を言う段階では無いが、政権交代自体は良い事に決まっている」、「今まで38年間政権交代が無かった事は異常」と言っています。恐らく、こう言った長期政権の硬直性への批判的スタンスがバックボーンでしょう。>
それならば有権者を批判するよりも先に「なぜ自民党の長期政権が38年間も続いたのか」という命題を、もう少し真剣に検証する労ぐらい払ってもよさそうなものなのですけど。あの社会評論を語っている姿勢を見るに、とてもそんな労を払ったようには思えません。何の検証もなしに「全部有権者が悪い」と決めつけるのは、さぞかし楽な行為なのでしょうね。そのような断定こそ、田中芳樹の嫌う「陰謀史観」と全く同じものであるというのに。
ちなみに「なぜ」というのは「私の創竜伝考察24」で論証している通りです。あの事情を無視して有権者の姿勢を問うても仕方がないと思うのですが。
>牛種の脅威と「仙界」の対応
実際に「仙界」にとって牛種が「脅威」であるのかどうかも疑問ですが、仮にドロ改さんの仰る通り脅威であるとしましょう。
しかしそれに対する「仙界」の反応を見てください。どう考えても牛種に対して脅威を覚えているようには見えませんよ。漢鐘離に至っては「人界で何が起ころうが、仙界には関係のないこと」とまで言いきっています。こんな状態でドロ改さんが仰る通りに「仙界」が動くものでしょうか?
目の前に脅威があることと、その脅威を「脅威と認識すること」は全く違います。この場合、「仙界」が牛種を「脅威」と認識しなければ、「仙界」は牛種に対して何の対策を練ることもありません。冷戦時代の社会党が「ソ連や中国・北朝鮮は絶対に攻めてこないのだから自衛隊を全廃しろ」と、目の前の脅威を「脅威」と認識していなかったという例もあるではありませんか(まあ彼らは確信犯的にウソを言ってもいたのでしょうが、昨今の軍事問題でも似たような論調があります)。だからこそ竜堂続は「仙界」の「干渉反対派」を説得しなければならないのです。
しかし、目の前に「脅威」があるのならば、「仙界の連中」が牛種を「脅威」と認識していないというのもかなりおかしいんですよね。いくら何でも「仙界の連中」がそこまで無能・低能であるとも……考えられるところが怖いのですが(笑)、実際、創竜伝をいくら読んでも牛種が「仙界」に対する脅威であるとはどうしても読めないんですよね~。瑤姫や神仙たちも「暇つぶしで人助けをする」みたいな事を言っていますし(創竜伝8 P163)。
まあ本題である「続の態度」が低能なものであるという主張は納得していただけたようですし、「仙界の矛盾」についてはこの先の「私の創竜伝考察シリーズ」で論じていきますので、それまで「仙界」についての議論は保留していただいてもよろしいでしょうか?
<恐らくその辺りは、社会評論で地上のどうしようも無さを喧伝しておいて、瑤姫に喝破させると言う形になっているのでしょう。あの社会評論を純粋に「世界設定」として見た場合、瑤姫の発言中の過ちは、「根拠の無い責任の全体化=言い掛かり」のみになります。確かに、この考え方は、突き詰めるとボリシェビキまで行ってしまう危険性を持っていますが、そもそも田中芳樹が犯している過ちに薄皮一枚上塗りしただけでしょう。何が言いたい可と言うと、取りたててこのキャラクターを論う意味は見出せないのですが。創竜伝中の一スポ―クスマンに過ぎないと思います>
そういう反論がこないようにと、キャラクター評論を始める前と後に「注意書き」を書いておいたはずなのですけど。
確かに創竜伝のキャラクターが愚劣な社会評論を語りまくっている責任は「とうちゃん」にあるでしょう。しかしそれとは別に「キャラクターが愚劣な社会評論を語る事によるストーリー破綻」というものは言及しておく必要があるのです。そうでないと「確かに社会評論はひどいかもしれないが、ストーリーとは何の関係もないじゃないか。ストーリーは非常に良くできている」などと言いだす人が出てくるのですから。その反論を封じるためにも「社会評論がストーリーを破綻させている」事例を挙げておかなければなりません。
今回論じたストーリー破綻とは、「聡明な毒舌家であるはずのキャラクターがマヌケな主張を展開している」ことによる「ストーリーとキャラクター性の破壊」なのですから、その結果として竜堂続や瑤姫を「低能」と断定してみせたのです。彼らに限らず、創竜伝の「聡明な毒舌家」なるものの実態はどいつもこいつも似たり寄ったりです。だから論評対象は別に瑤姫でなくとも「創竜伝における聡明な毒舌家」ならば誰でも良かったのですが、瑤姫の社会評論が今回のストーリー破綻を証明するのにとても理解しやすいものであったので、あえて取り上げたのですよ。「聡明な毒舌家」という設定にもなっていましたしね(^-^)。
だから別に私は瑤姫ひとりを「低能」と断定して快哉を叫んでいたのではなく、上記のストーリー破綻の一構成要素として、竜堂続とともに「あえて」論じたのです。そこは御理解いただきたいですね。
PS.
毎度好例になったような気もしますが、管理人さん、70000ヒットおめでとうございます。
ところで「鉄鍋のジャン」について教えていただけないでしょうか? ちょっと気になりますもので(^^;;)。
- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.167
Re 166:そうですね<まとめ
- 投稿者:ドロ改
- 1999年10月20日(水) 14時41分
取り敢えず、下二つに付いては解りました。
ですが、これに関しては、どうも議論が噛み合っていないようなので
> <話がおかしくなっていませんか?「政治になんか興味が無い」おじさんは選挙に行かないでしょう。時間の無駄です。「政治の事はわかりませーん」と言う女子高生は、そもそも選挙権がありません。明らかに、田中芳樹が言及しているのは、「政治に関心を持たず」、「選挙に行かない」人間です。>
>
> それはあまりにも無茶な論理の飛躍ではないでしょうか。「政治には興味がないけど選挙日になったら投票しに行く」人だっていますし、そもそも選挙について言及するのならば、選挙権のない女子高生を例に取り上げるのは明らかに不適切なたとえではありませんか。選挙で投票したくても投票できない人間の考え方をあげつらって選挙問題を批判するのはお門違いというものです。
> あの社会評論の文章構成を言えば、前半の方で「政治に無関心」な人間をことさら仰々しく取り上げ、後半の部分「まだそんな反応しか示さない人たちこそが、首相の権力をささえてくれるのである」で、彼らのような「まだそんな反応しか示さない」人間が積極・消極を問わず「首相の権力をささえてくれる」連中であり、けしからん奴らだとレッテルを貼っている、というのが普通に文章解釈をしたらはじき出せる結論でしょう。特に「首相の権力をささえてくれるのである」という文言が、積極・消極を問わず彼らが与党ないしは首相支持者であることをきちんと指しています。あの評論で最も重要なところは前半部分ではなく後半部分です。
> 第一、あの社会評論で田中芳樹は「選挙」ないしは「投票率」については一言半句も言及していないのですから、選挙論を論じているという解釈にはかなりの無理がありますよ。
ええと、私の書き方が悪かったのかもしれませんが、私は田中芳樹が選挙論をぶっているとは言っていません。構造として、
1、作品中の前提
政治に関心を持たない人間が愚かな首相の権力を支えている
2、WHY?(あくまで作品中での設定、すなわち田中芳樹の考え(?))
(1)冒険風ライダーさんの解釈
政治に関心を持たない人間が、何も考えずに投票しているから
(2)私の考え
政治に関心を持たない人間が多数を占めているので、いくら首相がアホでもそれを引き摺り下ろそうとしない。結果、首相の(政党の)政権は長期安定。
と言う事では無いでしょうか?そして、私が選挙での投票率云々を言い続けたのは、これをミクロな視点で見た時に発生する現象面を論証しようとしていたからです。
ですから、最初に
>野党に関する評価はその通りでしょうが、有権者に関するこういった田中芳樹の主張は、一面では真実です。それは、「投票率が上がると自民党が負ける」という現実と、投票率の上昇を忌諱するような発言をする議員の存在を上げれば十分では無いかと思います。実際、自民等の主な支持基盤は地縁血縁で結果の決まる農村部ですし。
と書いたのです。解っていただけたでしょうか?
> それに田中芳樹は、選挙と有権者の関係については別の所でこう語っています↓
私は、あの場面における論点を見ているつもりなので、他の場面での田中芳樹の主張は置いておきます
- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.168
レス
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月20日(水) 19時00分
> 毎度好例になったような気もしますが、管理人さん、70000ヒットおめでとうございます。
ありがとうございます。もうすぐ一周年ですが、一年間続けられたのも皆さんのおかげであると思います。本当にありがとうございます。
ただ、複雑なのは、本来このようなサイトは短命であったほうが望ましいのですよね。撃つことが無くなることが本旨なんですから。
しかし、最近の田中芳樹の態度を見る限り、このサイトの必要性はまだまだ無くならないようです。
…なんだか、誰かが大好きな万年野党みたいだよなぁ、このサイト。
> ところで「鉄鍋のジャン」について教えていただけないでしょうか? ちょっと気になりますもので(^^;;)。
週刊少年チャンピオンに連載されている異色料理マンガです。本来、こういう料理マンガは審査員のことを考えて料理をするものですが、このマンガの主人公の秋山醤(ジャン)は、審査員に散々悪態をつきまくり、勝つためにマジックマッシュルーム料理を食わせて審査員をラリらせたり、勝たなければいけないのにミミズを食わせたりするような態度が、件の続くんに似ているなぁ、と感じたのです(^^;)
- 親記事No.113スレッドの返信投稿
- board2 - No.169
そうです
- 投稿者:ドロ改
- 1999年10月21日(木) 03時10分
> 「過激な表現」ではなく「過激な単語」と書かれたところを見ると、「大東亜戦争」の事でしょうか?
> だとすると、これが「過激」「右翼」と結びつけるのはちょっと乱暴だと思うのですが。事実を見えなくする言葉狩りだと思いますので。
> 違ったら申し訳ありませんが。
いえ、その通りです。勿論管理人さんが、当時のタイの立場から「参加」したのが「大東亜戦争」である、と言う意味で使っているのはわかっています。けれど、その単語は「アジア開放を目指した正義の戦争」と言う意味合いの単語であり、右翼によってセンセーショナルな使い方をされるのがほとんどである以上、説明なく不用意に使うと誤解を受けるのではないか、と考えたのです。別に中立的な「アジア・太平洋戦争」でも文脈が変わることはないと思ったので。
まあ、余計なお世話と思ったら無視してしまってください。私も、まさか管理人さんがその単語に代表される歴史観を持っていると思っているわけではないですから。(もしそうだったら二重に大きなお世話でしょうが)そう言ったつまらない誤解から来る反発で、このサイトを一見して帰ってしまう人が居たら勿体無い、と思った次第です。
- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.170
Re167:本当のまとめ
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月21日(木) 11時37分
う~ん、やはりあの評論が残ってしまいましたか(^^;;)。たぶんあれはもう一回反論がくると思っていましたので、以下に本当のまとめを。
<政治に関心を持たない人間が多数を占めているので、いくら首相がアホでもそれを引き摺り下ろそうとしない。結果、首相の(政党の)政権は長期安定。>
仮にあの社会評論の上記解釈が正しかったとしても、現実世界の評論としてはどう考えても大間違いでしょう。実際、毎日のように政治批判が展開されていますし、それによって辞任に追いやられる政治家も多いのですから。首相の辞任としては、故・田中角栄元首相が文藝春秋の記事と世論の盛り上がりによって辞任に追いやられた例があります。田中芳樹が思うほど国民はバカじゃありませんし、自民党に盲従しているわけでもありませんよ。
それに「政治に関心がない人たち」について論じるのならば、やはり「野党が頼りにならない」という「根本の原因」を論じなければ意味がありません。これこそが「国民を政治的無関心に走らせている」そして「有権者が自民党を支持せざるをえない」原因のひとつなのですから。
<私が選挙での投票率云々を言い続けたのは、これをミクロな視点で見た時に発生する現象面を論証しようとしていたからです。>
「現象面だけを見れば確かに正しいかもしれない」という類の評論は、確かに創竜伝の社会評論にもいくつかあるのですけどね~。投票率が低いというのも確かに事実ではあるのですが。
しかしあの評論に限ったことではないのですが、評論を語る際に「現象面だけを見て批判」し、しかも「悪のレッテルを貼る」というのはいかがなものでしょうか。軍事関連特集で検証した「日本の戦車は道路を走れない」や「日本の軍事費は世界第三位」なども、確かに「現象面だけを見れば」正しいものだったでしょうが、それであの社会評論の日本批判は「正論」と言えるものだったでしょうか?
批判を行うために評論を書くというのならば、当然そこにはルールというものがあるのではないでしょうか。あの社会評論で言うならば、「なぜここまで政治に無関心な人間が多いのか」あるいは「なぜ自民党はここまで長期政権を維持できるのか」という事を徹底的に検証し、その上で「本当の問題点」を炙り出さなければ、何ら「建設的批判」にはなりえませんし、ましてや「現象面だけを見て批判する」に至っては大マヌケもいいところです。あの社会評論は何ら「本当の問題点」を指摘していないし、まともな検証を行った形跡すらもありません。ただ「自分の考えに合わない有権者」を罵倒しているだけです。
「小説なんだからそこまで徹底検証をやらなくとも」と言うかもしれませんが、本気で日本批判の社会評論をやりたいのならば、小説部分を完全に潰してでもそこまでやるべきですし、できないのであれば社会評論を語るべきではないですね。評論には「検証」と「原因究明」が絶対的に必要なのですから。そもそも日本の有権者の政治意識を語る事が、創竜伝のストーリーの本筋と何の関係があるというのでしょうか。それを無視し、ストーリーを破壊してまで評論を語ると言うのですから、当然その評論にはもっと力をいれてもらっても良いと思うのですが、現実にはあの出来でしかありませんからな~(>_<)。
ついでに言えば、あの社会評論の「政治の無関心はけしからん」という論調は、明らかに他人の「思想の自由」に干渉しているわけで、田中芳樹が創竜伝8の最初の社会評論で論じた「牛種の尻尾」の論理そのものだと思うのですが。
創竜伝の社会評論は、社会評論同士の相互矛盾まで引き起こしているのですから、これを理論的に弁護するのは至難の技です。だから私も、とっくの昔に弁護については投げ出してしまったんですけどね(笑)。
「創竜伝のシャーロキアン」というのは恐ろしく難易度の高いものです。何しろ、あのデタラメなストーリーや社会評論をうまくつじつま合わせなければならないのですから。しかし創竜伝を本気で擁護するのならばこのレベルにまで行かなければなりませんからね。
前途多難だとは思いますが、シャーロキアン的な創竜伝擁護、期待しております。
>「鉄鍋のジャン」
週刊少年チャンピオンですか。それは守備範囲外でしたね。「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」は読んでいるのですが、「チャンピオン」だけがなぜか読んでいないんですよね。どうもとっつきにくいと言うか。
それにしてもその主人公、よくまあ竜堂続のような態度で料理勝負をやっていけますね。「審査員に散々悪態をつきまくり」とか「勝たなければいけないのにミミズを食わせた」とかやっているのに、それで料理勝負に勝っていっているとしたらある意味ギャグマンガですね(^^;;)。
興味を覚えましたので、今度立ち読みしてみますわ。
- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.171
了解しました。
- 投稿者:ドロ改
- 1999年10月21日(木) 14時18分
おおむね理解しました。
創竜伝のこの部分の社会評論は、銀英伝の
「『政治なんて俺達には関係無いよ』と言う一言は、それを発した者に対する権利剥奪の宣告である。政治は、それを蔑視した物に対して、必ず復讐するのだ。ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに」(銀英伝10巻P234下段)
と言う評論(?)と言っていること自体は変わらないんですよね。ただ、場面設定が間違っているだけで。これが例えば対象を七都市物語の一都市にでもしていれば、突っ込みどころも無かったでしょうに。ひょっとして、田中芳樹は自分が罵倒している相手が、「同盟の愚かな市民」や「帝国の無能な貴族」でなくなっている事を忘れてしまったのでしょうか……?
でも、そうだとしたら、現代を舞台に物を書かなければ希望があるって事になったりして^^;
あ、それとこれは余談
日本の野党は、実は完璧に目的を果たしてますよ。だって、政権についた後のビジョンは無いので、政権を取る必要は無く、一番強く主張している護憲・平和路線の堅持を、常に1/3以上、1/2未満(笑)の議席確保によって達成しているんですから^/^
勿論冗談ですが。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.172
Re: 連邦制
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月21日(木) 14時46分
> 「平和第一ならば統一国家、複数の価値観の共有をめざすならば複数の国家」ということになるのでしょうが、実現できるのならば私は前者を選びたいですね。現状ではよほどの事がない限りまず無理だと思いますから、いやでも後者の世界の対処を考えなければならないのでしょうけど。
私も今のまま、複数の主権国家がただ並立している状態のままでいい、とは思いません。何らかの形の世界政府が必要だと思いますよ。でもこれは、必ずしも二者択一とはならないと思います。先にも書いたように、現在の国家はそのままで、主権の一部を世界政府に譲渡した形での世界連邦っていうのもアリ、っていうかこちらの方が自然だと思いますけど。具体的なイメージはこのスレッドの頭で紹介されている「地球連邦の興亡」みたく天皇家も英国王室も植民惑星政府も強力な連邦政府も併存している状態。
> こんな事態を避けるためにも、政府ないしは首相・大統領がある程度の強い権限を持つことはやはり重要なのではないかと私は思うのです。やはり民主主義以前に、安全に食っていかなければなりませんからね(笑)。
戦争など対外的な危機への対応は強い権限をもった指導者の方が有利。ただし独裁の危険もあり。この辺は難しいところですが、ここでモンテスキュー「法の精神」から引用。
<もし、人間が、共和政体の持つ対内的な利点のすべてと君主政体の持つ対外的な力とを兼ね備えているようなある種の国制を考えつかなかったならば、人間は、結局、あるひとりの人物の統治のもとに常に生きざるをえないでいたということは十分に考えられる。わたしがのべているのは、連合共和国のことである。>
というわけで、再び連邦制の話です。
> だからこそSF世界の統一国家は、まず自らの統一を維持するためにも民族問題に着手しなければなりません。その際一番確実な方法は、やはり「民族統合」でしょう。争いの元を根元から断つわけです。もちろん簡単にいくわけではなく、何十年・下手すると100年単位の年月が必要でしょう。
しかし「統一国家」の場合は、「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育とがあるのですから、時間をかけていけばうまくいくのではないかと考えるのは、少し楽観的すぎますかね(^^;;)。
楽観的というか危険ではないですか。<「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育>これって、中国がチベットでやってることと同じじゃないですか(ちょっと挑発気味)。
EUという実例がありますが、まず各民族が確固たる主権国家を確立した上で、主権の一部を上位の連邦に委譲する、という形か一番平穏だと思いますし、それ以上の「民族の統合」は自然に進むのならともかく、「教育」などという積極的な政策はとるべきでないと思います。
しかし「現実の民族問題はどうするの?」といわれれば弱い。「対処療法」でやるしかない、というのが今のところの結論です。
(前述の「地球連邦の興亡」は異星人との戦争のために統合を保ってきた人類が、戦争終結にともないおなじみの同族争いを始める、という話です。だから、民族を全肯定しているものではありません)
・・・やっぱ、「完全な解答」は出せません。
> それにあれが本音であれ何であれ、自分の発言にはそれなりの責任を取ってもらわなければならないでしょう。
「言論を主張するのは自由だが、同時にそれに対する責任を伴う」
それこそが田中芳樹の大好きな「言論の自由」というものですから。
当然ですね。こんな作品を書いて本人も後悔するかもしれない(それはない?)。
> 今時、朝日新聞だってあそこまで非常識な中国礼賛はしないって(笑)。
中国礼賛ならまだしも、ダライ・ラマを揶揄しているところがあったでしょう。しかも、なんでここで?ってところで。あれなんかチベット「解放」を正当化してるのかと思いましたよ。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.173
Re: 指導者の権限
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月21日(木) 15時09分
> 創竜伝をはじめ、田中芳樹の現代物だと「民主主義」というと何やっても許されてしまう(それこそ戦前における錦の御旗の如く)傾向があるので、結構この議論は重要だと思うのですよ。
・・・「連邦制」の議論はひろーい意味での反銀英伝ってことでご容赦ください(^^;
> C・D・ラミスの本にあったのですが、アメリカ建国の際、「大統領」という制度を作るかどうかで相当揉めたらしいんですよね。つまり、ようやく新世界に来てヨーロッパの封建制のもとから逃れ出て全員が平等な民主社会を作れるはずなのに、ここで再び強大な権力を持つ大統領という名の「王」を作ってしまうのか、と。結局のところ、上記の主張の「民主派」が僅差で破れて大統領制が成立するわけですが、興味深い話であると思います。
建国時の議論の主題は、連邦政府の権限を重視するか、各邦の独立を重視するか、で、平等な民主社会云々の表現は違和感があるのですが、大統領制が選挙による君主政になるのでは、という危惧は持たれていたらしい。いずれにせよ指導者の権限と人民の権利という問題に関わってくるものですね。
> この点に関してはカール・シュミット「独裁」が興味深いと思います。彼は、例外状況(簡単に言えば有事)で政治の本質が現れるとし、そこでの議会制民主主義の脆弱さを批判し、強力な独裁制民主主義(!)を提唱します。つまり、独裁とは悪の代名詞ではなく、政治の本質的な一形態に過ぎないということであり、レールを外れてしまった(有事の)場合の議会制の脆さともども考えさせられます。阪神大震災という例外状況の際に求められたものも「首相のリーダーシップ」という独裁の要素であり、議会制の手続きではありませんでした。逆に法律を遵守して災害救助犬に検疫検査の待機を要求した極めて議会民主的な厚生省は散々批判を浴びました(「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うんですよ! いちばん日本の法律を守らなきゃならない人が超法規ですって! あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきたい(創竜伝4巻P121)」と言った続くんは是非ともこの厚生省の役人を褒めてあげていただきたい。それにしても、泥棒が万引きに道徳について説教しているみたいなものだな、ここのセリフ…)。
ちなみに、シュミットはナチスの独裁に理論的根拠を与えた政治学者なんですよね。世の中、一筋縄ではいかないわ……
イタリアンマフィアに近代の人間がどーのいわれてもねぇ・・・。でも法の支配に例外を設けすぎるのは確かに危険です。
レールをはずれてしまった場合の対応は独裁の要素が必要ってのもある。でもなるべくなら法に則ってやるべし。っていうとこから「有事法制」てなものがでてきますね。議会の対応が間に合わないような非常事態の時の行動も、事後に議会の承認を必要とする、ってことで制約を持たせておけばいい。このへんは「経験者」のドイツの憲法(基本法)がよい見本です。
戦後補償をドイツに見習えって人がドイツ基本法の有事法制や徴兵制を無視してることは、もう定型のようにいわれてるけど、「有事法制」はむしろ権力者の行動を制約し、人民の権利を守るためにこそ制定する、ってことは今一度おさえておきたい。
-
- board2 - No.174
芳樹衰亡の歴史
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月21日(木) 16時01分
前の議論の絡みで、銀英伝の第6巻を読み返してたら、こんなん思いつきました。
まあ、田中氏ばかりをアレするのも何なんで、たまにはこのサイトをパロってみました。・・・とかいいつつ(笑)
芳樹衰亡の歴史
歴史家イシイ・ユースは嘆息する。
「・・・この時期、精神面における芳樹の衰亡は、すでに深いものとなっていた。公正さに背いても権力者を批判したい、と望み、反対者を卑小化することによってその評論を絶対のものにしようとする精神のどこに、向上と進歩への余地が残されているであろうか。」
だが、じつのところ、当の芳樹にとって向上と進歩など意味のないことであったかもしれない。日ごろの不満を、芳樹は小説に名を借りた批評エッセイではらそうとした。権力者の代表であるつらにくい日本国政府が立役者に選ばれた。
奇妙な情報が流れはじめた。
日本国政府がことあるごとに北朝鮮を非難するのは、平和をめざしてなどではなく、収賄事件をごまかすためである。
国民は芳樹をゆえなく非難すべきではない。それは芳樹の滅亡につながるのではなく、まさに、国民が権力者に隷属し、現在の自由と未来の可能性を喪失することにこそつながるのだ。日本国政府こそ、芳樹と国民の共通の敵であり、アジアをおびやかす存在なのである。日本国政府は、誰も知らない間に着々と国力をたくわえ、軍備を増強し、スパイ網を完成させつつある。日本国政府に注意せよ・・・。
最初、芳樹は悪意に満ちた喜びをもって、日本国政府の虚像が拡大し、蜃気楼に彩色がほどこされる情景を見まもっていた。ファンが日本国政府を憎み、小説を買ってくれれば、めでたしめでたしであったのだ。だが、皮肉な観察眼の所有者は必ずいるもので、ボウケンフィオという記者が冷笑まじりの記事を書いた。
「・・・以前、海岸でひとりの少女が拉致された。きっと日本国政府のしわざであろう。今年、不審な船が領海を侵犯し、北朝鮮に逃げ去った。日本国政府から潜入したスパイに洗脳されてことに及んだのだろう。イヴに禁断のみを食べさせたのも、アメリカ大陸の原住民を虐殺したのも、バミューダ海域で客船を沈没させたのも、すべて日本国政府の陰謀の一端であるにちがいない。ああ、日本国政府よ、汝は万能の悪なる者として、歴史上に屹立せん」
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Re172/173:民族問題のシミュレーションと有事法制
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月22日(金) 09時59分
<私も今のまま、複数の主権国家がただ並立している状態のままでいい、とは思いません。何らかの形の世界政府が必要だと思いますよ。でもこれは、必ずしも二者択一とはならないと思います。先にも書いたように、現在の国家はそのままで、主権の一部を世界政府に譲渡した形での世界連邦っていうのもアリ、っていうかこちらの方が自然だと思いますけど。>
国際連合成立の構想の中にそういう「世界連邦」的なものがあったらしいのですが(確か軍隊の拠出による国連軍を創設する、という構想でした)、結局実現しなかったんですよね。東西冷戦が始まってしまいましたし。
現在実現できそうな構想がEUのような「連合」なのですけど、これも結構民族主義的な色彩がかなりありまして、文化や歴史で比較的共通したものがあったヨーロッパ諸国だからこそああいう「連合形態」ができたといえます。逆に共通項がほとんどないアジア諸国やアフリカではEUのような構想はほとんど出てきません。様々な諸問題で対立していますしね。
アジアの方では「中国の脅威」という共通項がないこともないのですが、ASEAN諸国間の内部対立もかなりのものがあるようですから、軍事同盟を締結する事も容易ではないでしょう。ましてやEUのような「連合形態」は、何らかの利害調整が行われない限りまず無理ですね。
連邦形態にせよ、統一国家にせよ、その国家の構成員の利害調整がうまくいかないかぎり、統一の維持は難しいですからね。この観点から見ると、統一国家に「内部の主権国家」とか「民族意識」などはかなり邪魔になるのではないでしょうか。現に民族問題で崩壊したユーゴスラビアやオーストリア・ハンガリー二重帝国の例もあるのですから。
その前提で民族問題を述べますが
<楽観的というか危険ではないですか。<「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育>これって、中国がチベットでやってることと同じじゃないですか(ちょっと挑発気味)。
EUという実例がありますが、まず各民族が確固たる主権国家を確立した上で、主権の一部を上位の連邦に委譲する、という形か一番平穏だと思いますし、それ以上の「民族の統合」は自然に進むのならともかく、「教育」などという積極的な政策はとるべきでないと思います。>
私は一応多民族国家であるアメリカを例にとって説明したつもりだったのですが。まあそのアメリカにしても「白人が力で支配していった」という歴史がありますから、経緯は似たり寄ったりかもしれませんが(^^;;)、最初から「多民族国家」として出発したアメリカについては、この点で学ぶ点が多いと思いますよ。どのような形で成立するにせよ、「統一国家」もまた「多民族国家」となるのですから。
まず私が言った「全員同じ国家の一員」という意識と、民族意識とは全く矛盾しません。両者は両立可能です。「全員同じ国家の一員」というのは「同じ国籍を持つ」ということであり、民族意識を消滅させる事ではありません。アメリカでは「プエルトリコ系」とか「華僑系」とか言った異なる民族の「アメリカ国民」がいますが、独自の民族意識を持っていながら、同じ国籍を持つ事で「全員同じ国家の一員」という意識をもっています。この「共存」を100年単位で続けていれば、民族間の違和感もなくなって「民族意識」も自然消滅するというわけです。もちろんその過程で様々な問題も発生するでしょうし、容易な道ではないという前提は承知の上ですが。
そして「統一された教育」というのは、主に上記の「国籍意識」を持たせる事と、統一言語を教える事に重点が置かれます。
前者は「国旗・国歌を敬い、国家に対して忠誠を誓う」という「愛国心教育」で「国籍意識」を植えつけます。現に日本を除くほとんど全ての国ではこのような教育が行われており、特別異常な教育というわけではありません(田中芳樹作品ではほとんど異常あつかいですが)。アメリカで公民権運動が行われた時、「同じアメリカ国民である黒人を差別してはならない」というのがスローガンとして挙げられていましたが、これが理想形態です。
そして後者は民族問題を解決するのに特に重要なキーワードです。民族問題の対立原因のひとつに、言語の違いによる意思疎通の問題がありますから、これが解消されれば民族問題における大きな障害のひとつが消滅します。そしてこれは「統一国家」であればこそ可能な教育と言えるでしょう。実際問題としても、「統一国家」を維持するのに言語が乱立しているのでは統治にも支障をきたしますから、「統一言語」の教育は極めて重要な課題であると言えます。
ただ、言語教育の方は「統一言語」を「第1国語」とした上で、それ以外の民族の言葉も「第2国語群」として分類し、同時に教育していく必要があります。つまり「民族自決の原則は認める」というポーズをとっておくのです。こうすれば民族問題はすくなくとも当面の間は沈静化させることができます。「国家公用語」が2つ以上ある例は、カナダの英語とフランス語の例を挙げておけばよいでしょう。「第2国語」は地方・民族によって当然異なります。
そしてその上で、世界に存在する書物や公式文書をほとんど全て「統一言語」に翻訳し、公式の場や商取引などでは主に「統一言語」を使用させるなど、「統一言語」を使う方が便利であるという環境を整えなければなりません。膨大な翻訳作業については、今よりもはるかに発展した翻訳専用のコンピュータでも使用させれば大丈夫でしょう。秦の始皇帝のような「焚書」による文字の統一などする必要はありません。
これらの事を忠実に実行していけば、世代交代が4~5回ほど行われた頃には「民族問題」はすくなくとも「統一国家」を揺るがすような大きな問題ではなくなっている事でしょう。やたらと時間がかかる上に手間暇かかりますし、これ以外にもまだ多くの問題があるとは思いますが、「統一国家」を運営するのならばこれぐらいやらなければまず統一を維持できないでしょうし、「統一国家」における内戦を未然に防ぐためにも、民族問題を問題にならないレベルにまで自然消滅させることはどの道やっていかなければなりません。
そしてその過程で教育というのは絶大な力を発揮する事でしょう。教育というものは使い方によって毒にも薬にもなりますが、まずはその影響力を直視した上でうまく使いこなすことこそ、民族問題を解決する第一歩となりえるのではないでしょうか。
ちなみに中国のチベット支配や少数民族の支配は一方的な価値観の押しつけであり、しかも漢民族の人海戦術で少数民族の支配地域を埋め尽くしていこうという政策ですから、アメリカと違って反発を買うのは当たり前ですね。中国で「同じ中国人だから民族差別はやめよう」と言った人の話は聞いた事がありませんが(笑)。
これが私なりの「解答」です。すこしはましになったかな?
<イタリアンマフィアに近代の人間がどーのいわれてもねぇ・・・。でも法の支配に例外を設けすぎるのは確かに危険です。
レールをはずれてしまった場合の対応は独裁の要素が必要ってのもある。でもなるべくなら法に則ってやるべし。っていうとこから「有事法制」てなものがでてきますね。議会の対応が間に合わないような非常事態の時の行動も、事後に議会の承認を必要とする、ってことで制約を持たせておけばいい。このへんは「経験者」のドイツの憲法(基本法)がよい見本です。
戦後補償をドイツに見習えって人がドイツ基本法の有事法制や徴兵制を無視してることは、もう定型のようにいわれてるけど、「有事法制」はむしろ権力者の行動を制約し、人民の権利を守るためにこそ制定する、ってことは今一度おさえておきたい。>
日本でもようやく今国会で有事法制が議論される事になったそうですが、やはり有事の際に自衛隊の車輌が赤信号で停車しなければならないとか、正当防衛以外では発砲できないとか、「軍国主義」以前にそもそもまともな軍事行動ができないほどの法的制約があるのでは、安全は保障できませんからね。
またシビリアン・コントロールの観点から見ても、有事の際にどう対処するかや、自衛隊がどう行動できるかを規定する事は理にかなったことです。むしろ今のような法体系では却って危険です。今の状況では自衛隊は「法律を守って殉職するか、法律を破って暴発するか」のどちらかを迫られる事になるのですから。
<「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うんですよ! いちばん日本の法律を守らなきゃならない人が超法規ですって! あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきたい(創竜伝4巻P121)」と言った続くんは是非ともこの厚生省の役人を褒めてあげていただきたい。それにしても、泥棒が万引きに道徳について説教しているみたいなものだな、ここのセリフ…>
阪神大震災の時の自衛隊の行動も、法的に言えばかなり問題な部分があったんですよね。神戸の王子運動公園に自衛隊のヘリコプターが着陸許可なしで下り、救助活動を行ったのですが、あれは明らかに航空法79条違反です。また自衛隊は、有事の際でも都道府県知事の要請がないと出動できないという非常識な体制を取っているのですが、阪神大震災の時はほとんど見切り発車で出動していましたからね(一応兵庫県庁の一担当者の電話をもって出動要請としてはいましたが)。
当然ながら竜堂続くんは、神戸で救助活動をおこなった自衛隊に対し「救助活動をするためだからと言って法律を破ってもいいと思っているのですか。とても民主主義国家の軍隊とは思えませんね。恥を知りなさい、恥を」とでも言ったのでしょうね(笑)。私は創竜伝10巻で自衛隊の救助活動を誉めている描写に出会った時、正直非常に面食らったのですが(笑)。
こういうマヌケな事がないように、有事法制は整備しておかなければならないのですがね~。