- 親記事No.130スレッドの返信投稿
- board2 - No.177
>140まあ、なんですわ
- 投稿者:真の日本人
- 1999年10月22日(金) 11時18分
芳樹なんぞ法律が無ければ
ただの強姦魔ですわ。
僕もあなたも強姦魔。
文句があるヤツは尖閣に乗り込んで見ろ!
日の丸掲揚せんヤツはあほですわ。
そういう輩とは議論の余地無し!
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.178
Re175:補足と質問
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月22日(金) 15時02分
<この点に関してはカール・シュミット「独裁」が興味深いと思います。彼は、例外状況(簡単に言えば有事)で政治の本質が現れるとし、そこでの議会制民主主義の脆弱さを批判し、強力な独裁制民主主義(!)を提唱します。つまり、独裁とは悪の代名詞ではなく、政治の本質的な一形態に過ぎないということであり、レールを外れてしまった(有事の)場合の議会制の脆さともども考えさせられます。阪神大震災という例外状況の際に求められたものも「首相のリーダーシップ」という独裁の要素であり、議会制の手続きではありませんでした。逆に法律を遵守して災害救助犬に検疫検査の待機を要求した極めて議会民主的な厚生省は散々批判を浴びました>
古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。有事の際に任命され、強大な権力を振るうのだそうです。
平時はともかく、有事の際にはやはりそれが一番の形態であると判断しての事だったのでしょう。「任期一年」という制限がついているところが、今の有事法制に当てはまります。
いざという時に強大な権力がなければ民主制を維持できない、というのは一種のパラドックスでしょうな。
<中国礼賛ならまだしも、ダライ・ラマを揶揄しているところがあったでしょう。しかも、なんでここで?ってところで。あれなんかチベット「解放」を正当化してるのかと思いましたよ。>
中国礼賛記述は腐るほど見てきましたが、なぜかここの部分だけは何度読んでもどこにも見当たらないんですよね。できればその記述が載っている巻数とページを教えていただけないでしょうか?
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.179
さらに補足
- 投稿者:Merkatz
- 1999年10月22日(金) 17時00分
>これらの事を忠実に実行していけば、世代交代が4~5回ほど行われた頃には「民族問題」は>すくなくとも「統一国家」を揺るがすような大きな問題ではなくなっている事でしょう。
例えるなら、民族意識を県人意識程度に引き下げてしまおうってことですかね。
大阪人は東京人を悪く言いますが、だからといって「東京人を皆殺しにせよ!」なんて考えているわけじゃない。民族意識もその程度のものになってしまえば、民族紛争なるものも無くせるのではと思います。
>古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。
あれは半年だったような・・・。私が知っているのはカルタゴのハンニバルとローマの戦いでの絡みなんで、詳しくは知らないんですが、ローマは任期一年の「執政官(コンスル)」二名によって運営されており、そのため軍が二分されてハンニバルになかなか勝てませんでした。そこで緊急時の役職として定められていた「独裁官」(任期は半年だが、国家のほぼ全権を一手に握る強力な役職)によって、やっとハンニバルをやっつけたとか。また、のちにカエサルが「終身独裁官」になり、ローマ共和制に幕を引いています。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.180
Re179:もうひとつ補足、訂正
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月23日(土) 06時45分
<例えるなら、民族意識を県人意識程度に引き下げてしまおうってことですかね。
大阪人は東京人を悪く言いますが、だからといって「東京人を皆殺しにせよ!」なんて考えているわけじゃない。民族意識もその程度のものになってしまえば、民族紛争なるものも無くせるのではと思います。>
例えはその通りですね。そしてアメリカの「西部開拓時代」の再現ともなるであろう「宇宙開拓時代」を利用して民族間の混血・移民政策を奨励し、またオリンピックのような「一大イベント」を多数開催する事によって民族間の相互理解を深めていく方法などとも併用していけば、次第に「確固たる民族意識」それ自体も薄らいでいくのではないかと思います。ただ、異星人のいない銀英伝ならともかく、それがいるであろう他の作品で「宇宙開拓時代」というものが実現できるかは疑問ですが。
銀英伝などのSF世界では「民族意識」などなくなってしまっていますからね。自分でもずいぶん都合の良い解釈ではないかと思うのですが(^^;;)、まあこれで説明できないこともないのではないかと。
しかし時間もかかるし(何しろ数十年~100年単位で行う政策ですから)、解決の過程で非常に多くの問題を抱える事も確かです。「ローマは一日にして成らず」を合言葉にやって行かないと実現できないでしょうね。
<あれは半年だったような・・・。私が知っているのはカルタゴのハンニバルとローマの戦いでの絡みなんで、詳しくは知らないんですが、ローマは任期一年の「執政官(コンスル)」二名によって運営されており、そのため軍が二分されてハンニバルになかなか勝てませんでした。そこで緊急時の役職として定められていた「独裁官」(任期は半年だが、国家のほぼ全権を一手に握る強力な役職)によって、やっとハンニバルをやっつけたとか。また、のちにカエサルが「終身独裁官」になり、ローマ共和制に幕を引いています。>
すいません、こちらは完全にうろ覚えでした<m(__)m>。調べてみたら、「独裁官」の制度があったのはローマのみでしたし、任期もMerkatzさんが仰る半年が正解です。いかんいかん(>_<)。
ローマの「独裁官」は「執政官(コンスル)」から元老院によって選出され、任期半年・再任は不可という制度です。当時の民主制としてはかなりうまく機能していたのではないかと思われます。カエサルによって民主制が覆されたのも、その前のマリウスの兵制改革(将軍によって運営される傭兵制度が採用された)によって、カエサルが自分の意のままに動く独自の軍隊をもって強大になった事が大きな原因と考えられます。もっとも、マリウスの兵制改革がなければローマ軍自体が弱体化していたでしょうから、その一事だけで「悪」とは断定できないのが、歴史の面白い所なのでしょうが。
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- board2 - No.181
Re178:ダライ・ラマ
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月23日(土) 14時19分
>>中国礼賛ならまだしも、ダライ・ラマを揶揄しているところがあったでしょう。しかも、なんでここで?ってところで。あれなんかチベット「解放」を正当化してるのかと思いましたよ。
>中国礼賛記述は腐るほど見てきましたが、なぜかここの部分だけは何度読んでもどこにも見当たらないんですよね。できればその記述が載っている巻数とページを教えていただけないでしょうか?
創竜伝6<染血の夢> P109
「前世というやつを信じるかい、ミス・トバ」
「いいえ」
「輪廻転生というやつは?」
「ばかばかしいと思うわ」
厳しい口調で茉理が断言すると、クラークは異議ありげな表情をした。
「だがチベット仏教の法王たるダライ・ラマは代々、輪廻転生をくりかえし、不死の人としてチベット人に厚く尊崇されている。君だって知ってるだろう」
「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
「うん、まあね、知ってはいるが・・・」
クラークが口をにごす。それと対照的に、茉理の口調は明快だった。
「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
「東洋人である君が輪廻転生を信じず、西洋人であるぼくのほうが信じているとはね。皮肉だな。だが魂の不滅については、別にぼくがいまさらいいだす必要もなく、古代から多くの賢者がね・・・」
・・・この会話、前後のストーリーとなんの関係もありません。
なぜ、こんなところで、亡国のチベット人指導者ダライ・ラマを貶めるような記述をする必要があるのか。
あの中国礼賛記述と組み合わせると、上記の感想しか出てきません。今の人民解放軍は「堕落した」ということは田中芳樹にとってチベットを「解放」した頃の人民解放軍は正義の軍隊だったのでしょう。
- 親記事No.174スレッドの返信投稿
- board2 - No.183
RE.174わはははは
- 投稿者:石井由助
- 1999年10月23日(土) 17時17分
こりゃおもしろいっす。
欲を言えば、「芳樹」というのがベタかなぁ。あえてナマで書いているのかも知れませんが。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.184
Re178 余談ながら
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月23日(土) 17時40分
> 古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。有事の際に任命され、強大な権力を振るうのだそうです。
> 平時はともかく、有事の際にはやはりそれが一番の形態であると判断しての事だったのでしょう。「任期一年」という制限がついているところが、今の有事法制に当てはまります。
> いざという時に強大な権力がなければ民主制を維持できない、というのは一種のパラドックスでしょうな。
古代ギリシャ・ローマの民主制(と言っていいか。共和制)と近代民主制は全く別のものと捉えるべきでしょうね。
奴隷制を前提にしたギリシャ・ローマ共和制と、人権がア・プリオリに付与される近代民主制は、似ていますが方向性が全く違います。
アメリカにも奴隷制がありましたが、近代民主主義を押し進めていくと必然的にこれは消滅する運命にありました。ifで南軍が勝とうとも、歴史の流れの大勢は変わらなかったでしょう(現代の病的平等志向はその流れの行きすぎですが)。
しかし、古代共和制は、ifあのまま共和大勢が続いたとしても、奴隷制度が無くなることはなかったでしょう。
もちろん、冒険風ライダーさんの文脈に影響を与えるものではないのですが、ここらあたりで民主制と共和制の区別をはっきり表しておこうと思いました。
━‐せい【共和制】 国家の意思が複数の人々によって決定される政治形態。直接民主制、貴族制、寡頭制(かとうせい)などがあるが、一般には間接民主制をいい、最高機関は大統領制あるいは合議体制をとる。共和制度。
━‐しゅぎ【民主主義】 人民が権力を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。権力が単独の人間に属する君主政治や少数者に属する貴族政治と区別される。狭義には、フランス革命以後に私有財産制を前提とした上で、個人の自由と万人の平等を法的に確定した政治原理をさす。現代では、政治の原理や形態についてだけでなく、社会集団の諸活動のあり方や人間の生活態度についてもいう。デモクラシー。
国語大辞典(新装版)小学館 1988.
- 親記事No.105スレッドの返信投稿
- board2 - No.185
Re:125 削除しておきました
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月23日(土) 18時42分
更新と言うほどではありませんが、件の部分を削除しておきましたのでお知らせします。
-
- board2 - No.186
私の創竜伝考察25 仙界の矛盾・前編
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月25日(月) 13時14分
―――創竜伝における「仙界」とは中国礼賛の集大成である―――
私が創竜伝の「仙界」について抱いた感想がこれですね。創竜伝6・7の社会評論で派手に中国礼賛を行い、創竜伝8で「仙界」を登場させ、西洋・日本批判と対比させる形で中国を称揚する。これが創竜伝における田中芳樹の作戦だと思われます。机上の上では完璧な作戦ですね(笑)。まあ中国を礼賛するのは勝手ですし、中国の文物や文化を紹介したいという熱意も大いに結構な事ですが、日本やアメリカをほとんど言いがかりに近い社会評論で散々罵倒しておきながら、中国については何ら批判を展開しないどころか「黒を白と言いくるめてでも」礼賛するというその姿勢は、いくら中国好きだとはいえ、ダブルスタンダードのそしりを免れないでしょうな。
さすがに田中芳樹も、軍事関連特集の時とは違って中国の実態を知らないという事はないでしょうが、中国神話の話はまあいいとしても、中国の政治・歴史についての社会評論はどう考えても不可解な記述が多すぎます。ストーリーと社会評論による中国礼賛に邪魔になりそうな事実を意図的に隠蔽しているようにしか見えません。
そんなわけで、今回と次回の2回にわたって展開する「仙界の矛盾編」。その前編はこの「仙界の理論を支える中国礼賛の実態」にスポットを当ててみたいと思います。この中国礼賛の実態を暴く事が、同時に「仙界の矛盾」を暴く第一歩にもなります。「仙界」の理論を支えているのは「中国の政治・歴史」が中心ですから、それを中心に論じていく事にしましょう。
それではまず、これについて論じてみる事にしましょうか↓
創竜伝6 P188下段~P189上段
<「中国の歴史は圧政と暴政の歴史だ、だから中国はきらいだ、という日本人もおるそうだが、君たちはどうだね」
「ばかばかしいですね、そんな考えは」
あっさりと始はいってのけた。
「たしかに圧政と暴政の歴史という一面も中国の歴史にはあります。ですが、それは同時に、勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史でもあるでしょう。天安門虐殺事件のとき、素手で戦車の前に立ちはだかってその前進をとめた若者がいました。中国の未来は、戦車の出動を命じた独裁者なんかの上にではなく、そういう若者たちの上にある、と、おれは信じてますから」>
この社会評論を読むたびに、田中芳樹の中国への一方的偏愛と、その愛情の犠牲になっている竜堂始君の低能ぶりを哀れむばかりです。そこまで強弁しなければ中国を礼賛できないというのでは、却って中国という国のマイナス面を強調するようなものです。「中国をもっと理解してもらいたい」という考えからこの社会評論を展開したのならば、全くの逆効果であったと申さなければなりません。
さて、中国では度々「易姓革命」が起こって王朝の交代が行われてきましたが、実は中国では、これら「成功した革命」以外にも、多くの「未遂の革命」つまり「易姓革命を口実とした叛乱」や「宗教的秘密結社が起こした叛乱」が多数頻発しており、そのために中国は4000年に至るその歴史の間に、毎年必ず国内のどこかで戦争があったというほど戦乱が絶えない歴史を持っています。
そしてそのような中国の歴史の特徴として、王朝滅亡期になると人口が激減するというスタンスがあります。それも半端なレベルではなく、王朝最盛期当時の人口の3割~9割までが消滅するというほどの激減ぶりです。表にまとめて見ましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
中国の人口変遷(年は全て西暦)
・ 前漢―→後漢(西暦2年―→57年)………………5959万人―→2100万人
(約3850万人減)
・ 後漢―→三国時代(157年―→220年)………5649万人―→ 763万人
(約4800万人減)
・ 三国時代―→隋(280年―→580年)…………1616万人―→ 900万人
(約700万人減)
・ 隋―→唐(606年―→626年)…………………4601万人―→1650万人
(約3000万人減)
・ 唐―→北宋(755年―→976年)………………5292万人―→1800万人
(約3500万人減)
・ 北宋―→南宋(1101年―→1160年)………4673万人―→1923万人
(約2700万人減)
・ 南宋―→元(1223年―→1264年)…………2832万人―→1302万人
(約1500万人減)
・ 元―→明…………………………………………………資料不明
・ 明―→清(1504年―→1644年)……………6010万人―→1063万人
(約5000万人減)
・ 太平天国の乱(1851年―→1861年)
4億3216万人――→2億6688万人(約1億6500万人減)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これらの大幅な人口減の原因は王朝末期の戦乱にあります。
まず、中国で戦乱が勃発すると、政府軍・叛乱軍ともに兵力を充実させようと大量の農民を駆り出します。しかも中国の軍勢は数十万~百万ほどで構成されるために農業人口が激減してしまい、当然ながら農業生産力もそれに伴って減少します。しかもそれによって自然界のバランスが崩れると、イナゴなどの昆虫の大群が移動しながら作物を食い荒らしていくために、ますます農業収穫量が減少します。つまり食糧が不足することによって大量の餓死者が発生するのが第一の理由です。
第二に自然災害による被害があります。戦乱によって黄河や長江の堤防が破壊されたり、そこに長期間大雨がつづいたりすることによる大水害が発生する事によって、数十万~数百万の人たちが命を失います。今のように災害対策が科学技術も発展してはいませんから、これだけの死者が出ても不自然ではありません。
そして第三の理由として、中国では「大義思想」という考え方があり、これが敵との殺し合いを一層苛烈なものにしているというのがあります。「大義思想」とは要するに「滅私奉公」とでも言うべき考え方で、一度君主に対して忠誠を誓ったら、最後まで忠誠を守らなければならないという思想です。この思想のために、中国では政府軍・叛乱軍を問わず、自軍がほとんど絶望的な状況になっても最後まで抵抗を続けてしまい、また相手側もこの思想に基づいて徹底的に敵を殺戮してしまうという歴史が2000年以上にもわたって続いてきました。そのため、戦乱自体によって命を落とす人の数も数百万~千万単位の規模にまで跳ね上がります。
さらには中国には「屠城」という考え方があります。文字通り「城を屠る」です。これは「城に篭城している人間は全部抹殺してしまう」というもので、この考え方にしたがって城塞戦の場合、敵だけでなく一般市民までが「敵に協力した」という理由で殺戮の対象になってしまうのです。攻城戦が終結した時、城内の人間が皆殺しにされたという例も珍しくなかったようです。
また中国の会戦では、敵味方合わせて数十万~数百万もの軍勢が激突するために、会戦における死傷者がかなりの数に上ること、また降伏しても、敵側の方に食糧の余裕がなかったり、釈放すると危険と判断された時には、捕虜を全部生き埋めにしてしまうという事も行われました。「長平の戦い」で降伏した趙軍40万に対する秦側の処置や、項羽による秦軍20万の生き埋めなどはその好例でしょう。
中国における人口激減のこれらの理由を踏まえて改めて中国の歴史を見れば、中国の歴史を指して「勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史」などと判定するのがいかに詭弁に満ちたものであるかが御分かりいただけるでしょう。「善政の基本とは人民を餓えさせないこと(銀英伝10巻 P41)」「数十年の平和は、数年間の戦争状態よりも幾万倍の価値がある(銀英伝1巻 P123)」という銀英伝における名言はどこに行ってしまったのでしょうか(笑)。そもそも「圧政と暴政ゆえに叛逆しなければならない」などというのは本来は不名誉なことではありませんか。政治が民衆に認められていないという事なのですから。日本の政治についてはあれほどメチャクチャな理由で罵倒しているというのに、中国に対してはこんな詭弁を弄するのですから、田中芳樹の中国評価がいかにダブルスタンダードであるかは一目瞭然でしょう。
さらに田中芳樹はチベットがよほど憎いのか、次のような社会評論を展開しております。
創竜伝6 P108下段~P109下段
<クラークは彼にしかできない笑いかたをした。笑いを半分おさめ、彼はあらためて茉理見やった。そして発せられた質問は、かなり風変わりなものだった。
「前世というやつを信じるかい、ミス・トバ」
「いいえ」
「輪廻転生というやつは?」
「ばかばかしいと思うわ」
厳しい口調で茉理が断言すると、クラークは異議ありげな表情をした。
「だがチベット仏教の法王たるダライ・ラマは代々、輪廻転生をくりかえし、不死の人としてチベット人に厚く尊崇されている。君だって知ってるだろう」
「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
「うん、まあね、知ってはいるが・・・」
クラークが口をにごす。それと対照的に、茉理の口調は明快だった。
「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
「東洋人である君が輪廻転生を信じず、西洋人であるぼくのほうが信じているとはね。皮肉だな。だが魂の不滅については、別にぼくがいまさらいいだす必要もなく、古代から多くの賢者がね・・・」>
また例によって「聡明な毒舌家」という設定であるはずの鳥羽茉理が低能ぶりを発揮しております。創竜伝における「聡明な毒舌家」とやらは、いつでもどこでも低能ぶりをさらけ出してくれるものですから、笑いとこき下ろしの材料には事欠きませんね(笑)。しかも「とうちゃん」と同様に「自分が低能である」という自覚症状もないというのですから、その知的退廃はどのくらいのレベルなのやら。
「前世自慢云々」の話については「それはお前ら竜堂兄弟一派の事だろ」という軽いツッコミでも入れておくとして(笑)、とりあえず本題に戻すと、チベット民族は「唐」時代に「吐蕃」という王朝を形成していました。この「吐蕃」が763年、当時の唐王朝の首都・長安を陥落させ、14日間占領していたという歴史があり、このことは現代のチベット民族の誇りともなっています。そして現代のチベットでは民族独立運動がさかんになっており、中国政府の弾圧を受けています。中華思想を重んじ、中国大好きである田中芳樹にしてみれば、たかが「夷狄蛮戎」ごときに中華帝国の首都が落城させられた事実が許せなかったのでしょう。しかしだからと言って、わざわざ現在の中国のチベット支配を正当化してやる事もなかろうに………。
中国には漢民族以外にも現在55もの少数民族がいるのですが、その大半が現在の中国の支配に何らかの反発を抱いており、その原因に中国政府の民族弾圧と漢民族への同化政策が挙げられています。田中芳樹にはぜひとも「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画でも見ていただき、中国のチベット支配の実態というものを勉強してもらいたいところですが…………まあ無理でしょうね(笑)。
田中芳樹の中国に対する偏執的な愛情と異民族蔑視に満ちた態度は次の文章によく表れています。その論調たるや、創竜伝で批判しているはずの「右翼の軍国主義者」そのものなんですけど(笑)↓
創竜伝7 P116下段~P117下段
<西暦一一二七年、中国を統治する宋王朝は北方の金国の侵攻を受けた。そのような事態が生じるには、さまざまな外交上・戦略上の経緯があるが、とにかく腐敗した無能な宋王朝は、新興の金に対抗できず、敗北をかさね、滅亡寸前のありさまとなった。
このとき黄河の南岸に布陣して金軍の来襲を防いだのが宗沢である。彼はもともと文官であったが、軍を率いてしばしば金軍を破り、また公正さと剛直さによって知られていた。信義にあつく、約束を必ず守り、私欲がなかった。彼は亡国の混乱のただなかで最前線に踏みとどまり、戦場から民衆を救い、さらに義勇軍を集めて金軍と戦おうとした。岳飛、韓世忠をはじめとする若い将軍や兵士が馳せ参じ、その兵力は一〇万をこした、この軍をひきいて宗沢がまさに黄河を渡り、金軍と決戦しようとしたとき、朝廷から使者が駆けつけ、戦いを禁じた。朝廷の重臣たちは、宗沢が大功をたてることを恐れたのである。宗沢が金軍を破って国土を回復すれば、重臣たちの地位が揺らぐであろう。彼らにとっては国土や民衆より、自分たちの権力の方がはるかにたいせつであった。>
田中芳樹によると、「戦いを禁じる」ことが「国土や民衆を大切にしていない」という事になるそうです。こういうのを「右翼の軍国主義」というのではないでしょうかね(笑)。第一、南北の宋王朝は中国歴代王朝中最弱といわれているほどですから、下手に金と戦いを始めたら敗北する確率の方が高いのですけどね~。
この問題を論じるには、当時の宋王朝がなぜ弱かったのか、そして当時の漢民族の認識を論じなければ意味がないでしょう。宋王朝の軍事力が弱かった最大の理由は、当時の軍馬の補給地帯であった北方と西方の領土を宋が領有していなかったため、歩兵中心の軍隊を構成せざるをえなかったことが一番の原因です。それに対して北方の遼や金は騎馬中心の軍隊だったのですから、軍事的に圧倒的な格差があり、とてもじゃありませんが宋が金に勝ち、領土を回復した可能性は限りなくゼロといえたでしょう。そりゃ権力欲や保身が全くなかったとは言いませんけど、勝算ゼロの、しかも多くの犠牲者が出るであろう戦いを止めた当時の宋王朝の判断のどこが「国土や民衆を大切にしていない」のでしょうか? むしろ金と和平を結ぶ事の方がよほど「国土や民衆を大切に」しているのではないかと思うのですけど。
そして以前に論じた秦檜評価論とも関連してくるのですが、なぜ秦檜が唱えるような和平論が否定されたのかといえば、それはまさに中華思想の観点から言えばたかが「夷狄蛮戎」でしかない女真族の金が、こともあろうに漢民族の王朝に対して反抗し、あまつさえ北半分の領土を奪ったことが許せなかったからです。その屈辱のフィルターにかけられた目で見れば、秦檜の和平論による平和共存と経済的繁栄など唾棄すべきものでしかなく、岳飛や宗沢のように軍事的格差を無視して「領土回復」を唱える事が正義であるというわけです。これこそが秦檜の和平論などが今なお悪し様に評価されている真の理由なのですけどね~。しかも当時の朱子を中心とする宋の学者たちは、この鬱憤を晴らす理論づけの手段として「尊皇攘夷論」や「大義名分論」までぶっている始末です。そんなことをしたところで「金の軍事的優越」という現実に対抗できるわけでもないというのに。
宋と金の和平から850年以上もたった今なお、秦檜がまともに評価されず、岳飛や宗沢が絶賛されるのは、異民族蔑視の中華思想が根底にあるという事実を、田中芳樹は意図的に隠蔽しているとしか思えませんね。いくら中国好きだとはいえ、そこまでして中国を誉めたいのでしょうか。却って逆効果ではないかと思うのですが。
ではその異民族蔑視の行きつく先がどういうものであったか、それを見てみることにしましょう。
創竜伝10 P115上段
<むろん中国やインカが地上の楽園だったわけではない。それぞれの社会には矛盾も欠点もあった。だが、すくなくとも、中国の軍艦が英国まで大挙して押しよせ、麻薬を密輸し、ロンドンを砲撃し、バッキンガム宮殿に火を放って炎上させ、財宝を掠奪した、という史実はない。インカ人がスペインを侵略して国王をとらえ、むりやり改宗させたあげく殺害し、全スペイン人を奴隷にした、という史実はない。よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ、力ずくで屈服させ、殺し、姦し、奪い、破壊せずにいられない西洋文明の兇暴さとはいったい何だろう。歴史を学んで、始はそう思わずにはいられない。>
またしても中国の史実隠蔽を行っていますね。確かにイギリスやスペインの「植民地支配における虐殺」はかなり残虐なものでしたし、言っている事に間違いはないのですが、だからといって中国が全くの無実と言わんばかりの結論はいったい何なのでしょうか。中国の歴史上、数多くの侵略が行われ、しかもその過程で異民族を絶滅に追いやってきた歴史を、まさか知らないわけではないでしょうに。
中国では人口が増大すると既存の耕作地だけでは農業生産が追いつかなくなり、新しい耕地を求めて周辺の異民族領土へ拡大していこうとするために、春秋戦国時代の昔から領土拡張に熱心でしたが、その侵略の過程で多くの異民族が漢民族に同化・絶滅させられていきました。特に遊牧民族の耕作地を農耕地に次から次へと変えていくために、遊牧民族はなす術もなくその住処を追われていくしかありませんでした。そのような漢民族の侵略行為に対抗して出現したのが「匈奴」のような戦闘的騎馬遊牧民族であり、以後2000年以上にもわたって漢民族王朝と遊牧民族は対立することになります。そしてそれは何が原因かといえば、やはり「よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ」ていった漢民族の侵略行為にあると言えるでしょう。この問題で漢民族は、被害者ではなく加害者とみなさなければなりません。
さらに秦や前漢・後漢、隋・唐なども積極的な侵略行為を行って異民族を服属・滅亡させていますし、三国時代に至っては、後漢最盛期の一割強にまで落ち込んだ人口を補うために、遊牧民族の強制連行という手段にまで訴えています。第一、同じ民族同士で王朝交代のたびに何百万~何千万単位で人口を激減させる民族など、私は漢民族以外に知らないのですけど。
「そうではない。一神教思想による大虐殺をこそ批判したいのだ」というのならば、中国にだって洪秀全の「上帝会」という宗教的秘密結社が起こした「太平天国の乱」という例があるではありませんか。何しろ洪秀全は「自分がキリストの弟である」などという誇大妄想的な確信をもっていたぐらいなのですから。これは「仙界」が管轄しているはずの「東方領土」で起こったのですから「牛種の陰謀」と強弁はできないでしょう(笑)。そしてこの乱による人口減は上記のように約1億6500万人にも及びます。一神教を批判するのならば、これも取り上げるべきであると思うのですけどね~。
全く「よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ、力ずくで屈服させ、殺し、姦し、奪い、破壊せずにいられない」中国文明の兇暴さとはいったい何なのでしょうね(笑)。
さらに田中芳樹は、中国歴代王朝が文化というものをどう遇してきたのかも意図的に隠蔽しているようですね。創竜伝3巻の文化大革命の記述にも、それがはっきりと表れています。
創竜伝3 P161下段
<始は共産主義体制がきらいである。まず一党独裁というのが気に入らない。始は、いつでも少数派の立場を守りたい、野党精神を失わずにいたい、と考えている。ゆえに、野党の存在を認めない共産主義体制に、共感をもつことなどできないのだ。
つぎに、歴史文化を破壊する硬直した画一性が好きになれない。東ヨーロッパの美しい古都市の、歴史ある地名が、「レーニン広場」だの「スターリン街」だのに変えられたのを知ると、なさけなくなる。その点、中国は文化大革命の最中でも北京を毛沢東市なんぞと改称したりしなかった。さすが文字の国だ、と、始は感心したりするのだが、まあこれはよけいなことである。>
文革についてのこの記述がいかにいいかげんなものであるかは周知の通りでしょう。文化大革命によって多くの文化遺産が破壊され、政治的にも経済的にも大きく停滞してしまい、数千万単位の犠牲者を出すという害悪を中国にもたらしました。そして「都市の改名」については、以前に新Q太郎さんが論じているとおりです。
そして何よりも「歴史文化を破壊する硬直した画一性」というのは、中国歴代王朝のほとんど全てに当てはまるものです。中国歴代王朝は、自分たちが滅ぼした前王朝の保護を受けていた文化・文物・建造物などを、自分の王朝の正統性を主張するという理由で徹底的に破壊してしまうため、前王朝の遺品がほとんど何も残らないのです。前王朝の遺産で残っているものと言えば石の建造物ぐらいのものでしかありません。例えば普通どこの国でも昔から伝わる多くの民謡というものがあるのですが、漢民族の場合、田植え歌の「秧歌(ヤンコ)」しか残っていません。前王朝の楽士や歌い手まで徹底的に殺戮の対象にされてしまうためで、これなどは前王朝に対する弾圧がいかに苛烈であったかという好例です。さらに中国では秦の始皇帝の「焚書」以来、大規模な思想的弾圧や本の処分・改竄が11回も行われており、この点でもいかに文化を破壊しているかが一目瞭然です。
「歴史文化を破壊する硬直した画一性」を論じるのならば、中国歴代王朝の破壊ぶりをこそ論じるべきですね。これでいかに多くの「中国文化」が破壊されたか、計り知れないのですから。
さて、これらの事実を「仙界」に当てはめてみたらどうなるでしょうか。「仙界」は「絶対中立・不干渉主義」を貫いているという設定になっていますから、当然ながら自分の領土で行われているとんでもない政治を黙認しているということになります。殺戮や言論・文化に対する弾圧の規模も、牛種が管轄している西洋と似たり寄ったりか、もしくはそれ以上のものがあるではありませんか。はっきり言って「仙界の連中」に牛種を非難する資格はありません。その前にまず、自分達の所業を直視しなければならないでしょうね(笑)。
田中芳樹の西洋・日本批判や中国礼賛があまりにもいかがわしいのは、前者の論調を展開する事によって後者を正当化しようとしているとしか思えない記述にあります。西洋・日本批判も中国礼賛も大いに結構な事ですが、西洋・日本批判を展開するのならば、せめてもうすこし中国に対しても両論併記的な見方をしなければ「ダブルスタンダード」のそしりは免れないでしょう。ましてや、まともな検証も行わずに西洋・日本を罵倒し、逆に「黒を白と言いくるめてまで」中国を礼賛するとはどういう神経をしているのでしょうか。これで中国に敬意を払っているなどと考えているのならば、却って中国に対して失礼というものです。
もちろん私とて、中国に良い部分があればそれを評価したいと思いますし、あまりメジャーではない中国の文物を日本に広めようとする田中芳樹の姿勢そのものは賞賛に値すると考えていますが、こんな「犯罪行為を無理矢理正当化する」ような礼賛評価しかできないのでは、田中芳樹がいくら喚いたところで日本人の中国に対する理解など深まるはずもありません。それどころか却って逆効果でしょう。
本当に中国を理解してもらいたいのならば、もうすこし中国の実態にも目を向け、その上で「本当の長所」を評価すべきなのではないでしょうか。
さて次の後編では、これらの事実を踏まえた上で「仙界のストーリー設定上の矛盾」を論じてみたいと思います。
「仙界の矛盾・前編」参考文献
・ 「侵略と戦慄・中国4000年の真実」……(杉山徹宗著 祥伝社)
・ 「妻も敵なり」…………………………………(岡田英弘著 クレスト社)
・ 「逆説の日本史6」……………………………(井沢元彦著 小学館)
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.188
Re181:紹介どうもありがとうございます
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月25日(月) 13時19分
創竜伝6<染血の夢> P109
<「前世というやつを信じるかい、ミス・トバ」
「いいえ」
「輪廻転生というやつは?」
「ばかばかしいと思うわ」
厳しい口調で茉理が断言すると、クラークは異議ありげな表情をした。
「だがチベット仏教の法王たるダライ・ラマは代々、輪廻転生をくりかえし、不死の人としてチベット人に厚く尊崇されている。君だって知ってるだろう」
「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
「うん、まあね、知ってはいるが・・・」
クラークが口をにごす。それと対照的に、茉理の口調は明快だった。
「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
「東洋人である君が輪廻転生を信じず、西洋人であるぼくのほうが信じているとはね。皮肉だな。だが魂の不滅については、別にぼくがいまさらいいだす必要もなく、古代から多くの賢者がね・・・」>
<・・・この会話、前後のストーリーとなんの関係もありません。
なぜ、こんなところで、亡国のチベット人指導者ダライ・ラマを貶めるような記述をする必要があるのか。
あの中国礼賛記述と組み合わせると、上記の感想しか出てきません。今の人民解放軍は「堕落した」ということは田中芳樹にとってチベットを「解放」した頃の人民解放軍は正義の軍隊だったのでしょう。>
紹介どうもありがとうございます。あまりにもおいしいネタであったので、今回の批評で使わせてもらいました(^^;;)。
それにしても鳥羽茉理の「名言」である、
「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
というのは、そっくりそのまま彼女と竜堂兄弟に返してやりたいセリフですね(笑)。彼らはストーリー設定上、「四海竜王」と「太真王夫人」の生まれ変わりなんですから。それに虹川・蜃海・水地の3人、さらにはペットの犬にいたるまで「何らかの前世」を持っているというのですから、全く自分の身を顧みる事のない低能はいけませんね(笑)。
そこまで彼らは現在の自分自身に自信がないのでしょうか(笑)。