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投稿ログ46 (No.826 - No.835)

board2 - No.826

カラトヴァ風雲録の評価

投稿者:かっつ
2000年04月14日(金) 19時51分

 皆さんこんにちわ、かっつです。【自転地球儀世界シリーズ】についてです。

 以前1巻を読んだ際の感想は、田中氏独自の教育論と創竜伝ふうの社会批判を混ぜて、3で割ったような、薄甘い作品だということでした。その為、続刊が出たのは知っていたのですが、ちょっと手を出す気になりませんでした。
 でも、このサイトで「シリーズ1巻は散々2巻はまあまあ」という感じのご意見が多かったため、「そんなひどくもないのかな」と思い、2巻【カラトヴァ風雲録】を購入して読んでみました(このサイトは田中作品の販促にも役立ってますね!!)。

 まあ、面白かったです。もっとも、アルスラーンやマヴァールの初期のような濃密な迫力は、感じられませんでしたが。それでも、最近の創竜伝や薬師寺シリーズよりは、読める作品だと思いました。


 ただこれって、戦国美濃の斎藤道三による国盗りとそっくりですよね。

 だって、司馬遼太郎版の『国盗物語』(1,2巻のみ斎藤道三が主人公。後半は信長と光秀が主人公になる)のあらすじって、

《生まれは卑しいが野望にみち、文武双方に優れた若者(法蓮坊)が、今まで自分をとらえていた拘束(寺)を脱し(還俗)、名門の子になりすます(松浪家<系図上>。以後松浪庄九郎)。
 彼は、諸国を回遊して情勢を探った結果、無能な国主(守護土岐氏)を戴き国内が乱れている土地(美濃)に狙いを定める。そのなりすました高貴な身分を利用して、国主の近親(守護の弟土岐頼芸)に取り入る。功績を立てた機会を利用して、利用した元の名前(松浪)を捨て、主人から新たな名前、当地の名門の家名を賜る(西村。後に長井→斎藤)。
 彼は、主人から、その寵姫(深芳野)を貰い受け妻にするが、その妻は既に前夫の胤を孕んでいた。
 そして、国主の近親たる主人を担いで、国主を追放し、自家薬ろう中の近親を新たな国主の座に付け、国政を欲しいままにする。
 彼は、隣国の有能な国主(織田信秀)等と戦いながら、国内に勢力を浸透させた後、無用になった主人を追放し、名実共に国主の座に着く(斉藤道三)。
 しかし、最後には自分の子(実は元の主人の子=斎藤義龍)に、裏切られ敗死する。》

 ちょっと長くなりましたが、こんな感じですよね。で、『カラトヴァ』の方は、

《生まれは卑しいが野望にみち、文武双方に優れた若者(ギフレット)が、今まで自分をとらえていた拘束(アルジラ王国及びミロン王子)を脱し(=殺し)、名門の子に(ミロン王子に)なりすます。
 彼は、諸国を回遊して情勢を探った結果、無能な国主(国王アスオルフォ4世)を戴き国内が乱れている土地(カラトヴァ)に狙いを定める。そのなりすました高貴な身分や主人の好む女性を利用して、国主の近親(娘婿のオリーブル)に取り入る。功績を立てた機会を利用して、利用した元の名前(ミロン王子)を捨て、国主から新たな名前、当地の名門の家名を賜る(グントラム)。
 その後彼は、国主を殺し、自家薬ろう中の国主の近親(オリーブル)を新たな国主(正しくは夫君殿下)の座に付け、国政を欲しいままにする。
 彼は、隣国の有能な国主(パドラオン大公国のカンタレス大公)等と戦いながら、国内に勢力を浸透させ、主人の死を奇貨として、名実共に統治者(摂政)の座に着く。
 彼は、元の主人(オリーブル)から、その寵姫(ペリセーヌ)を奪い妻にするが、その妻は既に前夫の胤を孕んでいた(後のライムンド王子)》

 こんな具合です。ちょっと順序などに異同はありますが、かなり筋が似ていて、固有名詞を変えれば、ほとんど当てはまっちゃいます。「似てる似てる」と思いつつ読み進んでいましたが、「奪った元の君主の妻(ペリセーヌ)が、既に前夫の子を孕んでいた」という箇所を見たときには、「そこまで一緒か」と思わず笑っちゃいました。

 ここまでくると、このサイトでも議論になっていた「パクリ」の問題が発生しそうですが(斉藤道三の事績には不明な点が多く、司馬による創作が一般化している傾向が強い)、『カラトヴァ』はまあまあ面白かったし、それに「パクリ」であっても、元ネタを超えれば立派な作品と言えるので、3巻以降に期待したいと思います。
 問題は、元ネタを超えられるかですが、田中氏のストーリーテラーとしての実力(ちから)が落ちていなければ、面白いものになり得るんじゃないでしょうか。
 なぜなら、かなり元ネタに忠実という印象がありますが、元ネタにない色んな要素が、伏線として登場しています。例えば、ライバル(オトリック)の存在、正体が露見した場合の危険度の高さ、文明度が全く違う異世界からの侵略者の存在、近代世界でなければ全く役立たなさそうな周一郎や多夢をどう使うか(この二人も主人公のはずだ)などです。これは、処理がとても難しいはずですが、1巻と2巻の二つのストーリーを矛盾無く繋ぎ、これらの新たな要素をストーリーの中で際立たせることが出来れば、傑作になりうると思います。

 でも、早く続編を出すのが、一番の難題かもしれません(既に5年立ってるしなー)。

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board2 - No.827

斎藤道三

投稿者:小村損三郎
2000年04月15日(土) 01時29分

かっつさんは書きました
>  ただこれって、戦国美濃の斎藤道三による国盗りとそっくりですよね。
>
>  ここまでくると、このサイトでも議論になっていた「パクリ」の問題が発生しそうですが(斉藤道三の事績には不明な点が多く、司馬による創作が一般化している傾向が強い)

最近では斎藤道三の国盗りは親子二代がかりの事業だった、という説が有力になってきているようです。

>  でも、早く続編を出すのが、一番の難題かもしれません(既に5年立ってるしなー)。

例のニフティの「らいとすたっふフォーラム」によると、『夏の魔術』、『タイタニア』、『灼熱の竜騎兵』の内のどれか(^^::)が来年か再来年に再開の「予定」だそうです。

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board2 - No.828

来年か再来年?

投稿者:新Q太郎
2000年04月15日(土) 20時37分

> 例のニフティの「らいとすたっふフォーラム」によると、『夏の魔術』、『タイタニア』、『灼熱の竜騎兵』の内のどれか(^^::)が来年か再来年に再開の「予定」だそうです。

おいおい、21世紀かい。鬼がスマイル。

ところで斎藤道三だが、椎名高志の新作「MISTERジパング」はなかなか好調。もともと何でもかける人だが、純正ギャグでは描ききれない「少年向けヒーロー」像を思う存分書くつもりだな。

そういうつもりになれば、彼の友人の藤田和日郎にだってたぶん負けないからね。でも、一度成功を収めたのちもこうやって新しいことにチャレンジしているクリエイターがいるのに…

……ジトッ(-- )。

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board2 - No.829

失礼!

投稿者:小村損三郎
2000年04月16日(日) 01時29分

新Q太郎さんは書きました
> おいおい、21世紀かい。鬼がスマイル。

おっと、今確認したら「今年か来年」でした(^^;)。
皆さん失礼。

>
> ところで斎藤道三だが、椎名高志の新作「MISTERジパング」はなかなか好調。もともと何でもかける人だが、純正ギャグでは描ききれない「少年向けヒーロー」像を思う存分書くつもりだな。
>

この作品読んでないんですけど道三の話なんでしょうか。
あと、本宮ひろ志もなんか書いてましたね。

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board2 - No.830

Re: 斎藤道三

投稿者:Merkatz
2000年04月16日(日) 18時39分

小村損三郎さんは書きました

> 最近では斎藤道三の国盗りは親子二代がかりの事業だった、という説が有力になってきているようです。

有力というほどではなくて、そういう説もあるという程度です。
なにせ道三の生涯を証明する確実な資料というものがなく、
ほとんどが江戸時代に書かれたものであるため、
そのような説も出ているのです。
しかしごく近い時代の資料(信長公記など)では、
圧倒的に道三は一人とするものが多いです。

ところで椎名高志の「MISTERジパング」、
飛び飛びながら読んでいますが、
なかなか面白いですね。
旗指物に「夜呂死苦」って、なんじゃそりゃ(笑)。

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board2 - No.831

Re: 薬師寺涼子の破綻言動 などへのレス

投稿者:本ページ管理人
2000年04月17日(月) 15時27分

>Re824:薬師寺涼子の破綻言動

 この「薬師寺涼子の破綻言動」というのは、実際にあのシリーズを読んでみれば瞭然とわかるんですが、逆に読まないとわかりづらいかも知れません。
 主人公は傲慢でやりたい放題の警察キャリア、それで「サリン云々」と言うなんて、先入観を取っ払って見たら、「田中芳樹転向したんか?」ともとれますから(笑)


 それにしても、田中芳樹は女性の描写が下手だと、ここでは良く言われますが、薬師寺なんかモロ一種の田中芳樹的アニマなんじゃないでしょうかね。
 どうせなら、小早川奈津子を主人公にした方がオリジナリティがあって面白いと思うのですが(^^;)。
 まあ、マジな話、営業上の理由から美形じゃないとマズいにしても、「性悪女」ならなっちゃんの性格にしておけばいいのに。これが、薬師寺になってしまうのは、優等生にありがちな「理想のワル」への憧れ、みたいなものなんでしょうか?


NNGさんは書きました
> 設定で1つ。
> GS美神にはオカルトGメンっていう組織がありますよね。
> これに相当する組織が薬師寺涼子に存在しないのが納得できません。
> あれだけ怪物が出てきているならあってしかるべきだと
> 思うのですが。

 随分昔の書き込みですが、「極楽」読み返したので再びレス。
 オカルトGメンといえば、西条が心霊捜査の必要性を政府に認めさせて市民権を得ようというシーンがありましたが、田中芳樹ではこんな事はキャラに言えさせられんでしょう。こんなコトする政府はおかしな悪政政府で(作品は違うけど、創竜伝5巻で竜脈に対しての反論参照)、税金の無駄だから(笑)
 じつはこの場合、唯物論が非科学的なんですよね~。

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board2 - No.832

MISTERジパング

投稿者:新Q太郎
2000年04月17日(月) 21時34分

>この作品読んでないんですけど
>道三の話なんでしょうか

失礼、これは若き日の信長および秀吉が主役なんです。しかし道三は、自分の愛娘をヨメにやる信長を強く意識する重要な脇役として出ています。

ちなみにこの作品、呉智英氏いうところのいわゆる「借景マンガ」ですね。つまり「登場人物のセンス、思考様式、行動がすべて現代と同じで、舞台が昔なだけ」なのです。

椎名氏の場合、それを逆に徹底的にやることで、史実との異同や考証なんてことを二義的な問題にしてしまう、という手法をとっています(史実は都合のいいときだけ使う)

暴走族のリーダーのような信長、
マジメな二枚目のゆえに、信長にかなわない明智光秀
「俺も昔は…」と信長の暴れっぶりに目を細める道三、
ませた少年の竹千代(家康)
そして気が弱いいじめられッこだが、いざとなると彼らを超える知恵と勇気をだす日吉(秀吉)つうわけです。

ま、とにかくフツーの歴史物とは違うっすね、いいも悪いも。

しかし、椎名氏のファンサイトで、この「涼子シリーズ」って話題にならないのかね。もともと少ないけどさ。


> ところで椎名高志の「MISTERジパング」、
> 飛び飛びながら読んでいますが、
> なかなか面白いですね。
> 旗指物に「夜呂死苦」って、なんじゃそりゃ(笑)。

board2 - No.833

浦島太郎・・・

投稿者:hiro
2000年04月19日(水) 02時49分

この掲示板をはじめてみました。
「田中芳樹」なんていう名前を久々に見ましたもので、ちょっと覗こうかなと思った次第です。
ところで、この人、前に書いた本も完結していないにも関わらず次々、本が出ていたんですねえ。ここのところ、めっきり本を読んでいなかったもので話が全く分からないものが多い、浦島太郎です。
この人のダイナミックな展開と、空間の広がりが特に気に入っていたんですが近頃はそうでもないんでしょうか。少し、残念な気もします。
「お前、それは不埒だぞ!!これだけは読んどけっ」っていう本があったらぜひ、教えてください。本屋さんに行く機会が少ないので(おまけに小さい本屋しかない・・・)出版社とか教えてくれるとうれしいのですが。
皆さんみたいな思想的なことは書けないと思いますが、ちょくちょく覗きに来ますのでよろしくお願いします。

board2 - No.834

私の創竜伝考察30

投稿者:冒険風ライダー
2000年04月19日(水) 08時31分

 「私の創竜伝考察シリーズ」も、とうとう30回目を迎えることになりました。正直このシリーズを始めた頃には、時間的にも内容的にもここまで長くなるとは思ってもいませんでしたね(^^;)。当初の予定よりも大幅に長くなってしまったし。
 まあそれによって田中芳樹に対する批評内容が充実したものになっているのであればそれでも良いのですが、さて現実はどんなものか、少し不安なところです。
 今回で創竜伝9巻の批評は終わりです、それでは始めましょうか。



P201上段~下段
<バルーフ・ゴールドシュタインというユダヤ人がいた。ニューヨークに生まれ、イスラエルに移住した。彼は医師だったが、イスラム教徒の治療を拒否していた。一九九四年二月、彼は多額の生命保険に加入した上で、イスラム教の礼拝堂にはいっていった。そこでは多くのイスラム教徒たちが頭を床につけて神に祈っていた。むろん丸腰である。ゴールドシュタインは自動小銃を取り出し、祈っている人々の背中に銃弾をあびせた。四〇人以上の人々が殺された。「ヘブロンの虐殺」である。
 銃弾がつきたところで、ゴールドシュタインは激怒したイスラム教徒に包囲され、乱打をあびて死んだ。彼は「死を恐れず、生命がけで」、神に祈っている人々を一方的に虐殺したのである。これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。やることの意味を考えずに生命を軽んじるような者は、異なる価値観を持つ者に利用されるのが落ちである。>


 ちょっとちょっと田中センセイ、この「ヘブロンの虐殺」とやらのたとえ話と、社会評論の結論である「やることの意味を考えずに生命を軽んじるような者は、異なる価値観を持つ者に利用されるのが落ちである」という文言に、一体どういう相関関係があるのですか? 上記の社会評論を読んだ限りでは、「ヘブロンの虐殺」を起こしたゴールドシュタインの行動は、誰に命令によるものでもない自発的なものであるとしか読めないのですけど。
 そもそもユダヤとイスラムとの関係を論じるのであれば、ユダヤ人が他民族から差別・迫害されてきた歴史的背景と、イスラエル建国以来のアラブ諸国との対立の歴史も同時に論じなければ意味がありません。ユダヤ人は歴史的にあらゆる国々と民族から迫害を受けつづけ、第2次世界大戦後になってようやく自分達の国家の建国を認められたという事情があるため、対外的に常に強行路線をとるようになっています。4回にわたる中東戦争はその外交方針の典型例でしょう。
 また、イスラエルが領有しているエルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つの宗教の聖地であり、ここの領有をめぐってイスラエルとアラブ諸国は宗教的に対立しているのです。
 この歴史的背景を無視してユダヤとイスラムとの関係を取り上げ、まるでイスラム教側が一方的な被害者であると言わんばかりの社会評論を展開しては、事件の背後関係が不透明なものになってしまい、読者に偏ったイメージを与えてしまう事になってしまうではありませんか。確かにゴールドシュタインの行った所業は誉められたものではないでしょうが、やられた側のイスラム教国家であるアラブ諸国の方だって、1972年のイスラエル・テルアビブの空港で銃を乱射し、多数のユダヤ人を殺害した日本赤軍の岡本公三を「英雄」などと賞賛していますし、「ヘブロンの虐殺」の際にはアラブ過激派がイスラエルに対して報復爆破事件を起こしています。ユダヤとイスラムとの関係は「どっちもどっちな関係」であって「一方的な加害者と被害者の関係」とはとても言えたものではありません。
 また虐殺行為それ自体を弾劾するというのであれば、すくなくともイスラエル側だけでなく上記のようなアラブ側の事例も取り上げ、その上で中東地帯における政治的・宗教的対立にも言及しなければ不公平でしょう。虐殺行為を行ったのがイスラエル側だけであるというのであればともかく、現実はそうではないのですから。
 「ヘブロンの虐殺」の事例は、イスラエルとアラブ諸国との政治的・宗教的対立がいかに深刻なものであるかを示している例であって、田中芳樹が主張しているような「綺麗事」で片づけられるようなシロモノではないのです。そのような背景を全く無視して自分の勝手な価値観を当てはめ、一方的に裁くような行為は、「やることの意味を考えずに生命を軽んじる」行為と同じくらいに醜悪なものなのではないでしょうか?


P209下段~P210上段
<続と終の後ろの座席では、始と余が天気予報について話している。「到着地ロンドンの天気は晴れ」と機内放送が告げたことから、そういう話題になった。
「第二次世界大戦中、日本には天気予報がなかったんだよ」
「どうしてなの?」
「気象情報は軍事機密だからさ。明日の夜、東京は晴れる、というニュースを敵に知られたら、爆撃されてしまうだろ」
「ああ、そうか。でもそれだと普通の人はすごく迷惑だよねえ」
 余は眉をひそめる。
「天気予報どころか、一九四四年におこった濃尾大地震についてもまったく報道されなかった。戦争に勝つため、という理由で、どんなことでもできる時代だったんだ」
「そうか、いやだなあ。あたらない天気予報でも、自由に聴けるほうがいいよね」>


 この竜堂兄弟のあまりにも能天気な会話には呆れ果てますね。彼らは「国家総力戦」という言葉を知らないのではないでしょうか(笑)。相変わらず政治と軍事に関する無知が露呈している会話でしかありませんね。一体何が彼らの無知を支えているのでしょうか(笑)。
 第一次世界大戦以降、それまでの戦争の質が全く変わってしまいました。植民地や権益を求めるための「限定・局地戦争」が、相手を完全に叩き潰すまで国の総力をかけて戦争を続けるという「国家総力戦」へと変わっていったのです。そしてこの「国家総力戦」において勝利するために、国家は様々な統制を国民に対して行わなければならなくなったのです。具体的には軍需工場への戦時徴用や徴兵制の導入などがそうですが、国家による情報操作・情報統制なども戦争遂行に対して非常に重要な役割を果たしています。これは何も日本だけでなく、アメリカも含めた当時の列強諸国全てに共通したものであり、当時の政治情勢や戦時・非常事態体制の常識から考えればそれほどまでに非難されなければならない筋のものではありません。
 そもそもこの竜堂余に対する竜堂始の「講義」の中には、平時体制と戦時・非常事態体制とがそれぞれ異なる規範や常識によって動いているという事に対する説明が全く含まれておりません。昨今の有事法制問題でもよく見られる事なのですが、戦時・非常事態体制の際に平時の常識で動いていたら、却って被害が拡大し、国民生活が大いに損なわれてしまいます。阪神大震災の際の自衛隊の出動の遅れ(これは当時の無能な某首相にも責任があるが)や、救助活動の際に発生した様々な法律上の弊害などはまさにその典型例でしょう。ましてや、何が何でも戦争に勝たなければならない戦時体制においては、阪神大震災時以上の統制が国民に対して要求される事はむしろ当然です。そしてそれは善悪の価値基準によって裁定できるものなどではなく、社会をとりまく情勢が違うというだけの話でしかないのです。
 戦時・非常事態体制は、平和な平時体制と状況が違い、それにともない求められるものもまた違ってくるからこそ、平時と違った規範や常識や統制などが存在するのです。その事を無視して「平時の常識」という観点からあの当時の政治情勢や戦時体制を否定的に語ったところで、戦争を感情的・反射的に否定するだけの「戦争アレルギー」を醸成してしまうだけで、なぜそのような統制が行われたかという理由や、戦争や非常事態時における国家統制の重要性などが本当に理解できるわけがありません。医者が病気を治すためには病気の事を詳しく知らなければならないように、平和が大事なのであれば、むしろ政治や戦争に関する詳しい知識がなければ、戦争を防ぐ事などできないでしょう。「天気予報云々」で訳の分からない感情論を振りまわす前に、もう少し当時の政治状況や戦時と平時との差異がなぜ生まれるのかについての言及があっても良かったと思うのですけどね~。まあ竜堂始のような低レベルな偏向教師に、そのようなものを求めるのは無理と言うものなのでしょうが(笑)。
 小説中で竜堂始は共和学院の教師だったそうですが、このようなレベルの低い歴史授業を受けていた竜堂始の担当クラスの生徒が実に哀れでなりませんね(T_T)。


P210下段~P211上段
<「崑崙にいたとき辰コウで見たけど、そのころはアジアの軍隊は強かったんだね。その後は日露戦争で日本がロシアに勝つまでアジアの軍隊はヨーロッパに勝てなかったんでしょ。本に書いてあった」
「とんでもない、その本はまちがいだね」
 手きびしく始は断定した。
 一九世紀後半、フランスはベトナムを侵略し、植民地にしようとしていた。ところがこのときベトナムには「黒旗軍」という中国人の傭兵部隊がおり、それがおどろくほど強かった。司令官は劉永福といい、この人物が指揮して、二度にわたってフランス軍を撃滅している。二度ともフランス軍の総司令官が戦死し、部隊は死体の山を遺して敗走した。これが一八七三年から一八八三年にかけてのことで、「近代になって、アジアの軍隊がヨーロッパの軍隊にはじめて勝った」と大評判になった。日本でも明治一六年七月四日の東京日日新聞が、「劉永福とは諸葛孔明と楠木正成をあわせたような戦術の天才だ」という記事を載せて絶賛している。それまで日本は幕末に鹿児島や下関でヨーロッパの軍隊と戦い、一度も勝ったことがなかったので、すなおに劉永福を賞めたたえたのだ。その後フランスはベトナムにさまざまな圧力をかけ、劉永福を追い出させることに成功する。劉永福は不敗のままベトナムを去らねばならなかったが、彼の名声は衰えなかった。
 ところが一九〇五年に日本は日露戦争でロシア帝国に勝利してしまった。たちまち日本人はのぼせあがり、歴史事実を無視して神話をでっちあげる。
「ヨーロッパの軍隊にはじめて勝ったアジアの軍隊は日本軍だ!」>


 いやはや驚きました。創竜伝や中国小説において中国の歴史を語る時にアレほどまでに「歴史事実を無視して神話をでっちあげる」人間が、日露戦争の歴史的評価についてあれこれ言う事ができるとは(笑)。それに田中芳樹よ、アンタかつて自分で書いた作品の中で「戦略と戦術とは全く別物である」とヤン・ウェンリーあたりに言わせていませんでしたっけ? それとも単なる戦術レベルでの勝利がそれほどまでに誇るべき事だとでも言いたいのですか? もしそうであると言うのであれば、ヤン・ウェンリーもさぞかし泣いている事でしょうね(笑)。
 そもそも劉永福とやらがどれほどまでに奮闘してフランス軍を全滅させ、勝利の快哉を叫んだところで、それは単なる局地的な戦術的勝利であるにすぎず、政治的・戦略的に何らかの利益をベトナムに対してもたらしたものではありません。彼の評価については、田中芳樹の社会評論としては珍しいほど妙に具体的な資料である「明治一六年七月四日の東京日日新聞」が主張しているようにあくまでも「戦術の天才」であって、政治的・戦略的に彼の活躍度は全くのゼロであったと言っても過言ではないでしょう。それはフランスが結局ベトナムを植民地にしてしまった事によって証明されています。そのような「歴史事実を無視して」戦術的勝利をことさら礼賛するという「神話をでっちあげ」て恥ずかしくないのですかね? 確か田中芳樹は「紅塵」の秦檜評価論の時にも全く同じことをやっていたような気がしますが(笑)。
 そしてなぜ日本がヨーロッパに勝ったアジアで最初の国であると言われるかと言えば、当然の事ながらロシアの侵攻に対して日本が「戦略的・政治的勝利」をおさめ、当時の有色人種としては初めて国家・民族の独立を保つ事に成功したからです。日露戦争における日本の勝利は、劉永福の単なる個人プレイなどとは訳が違うのです。どちらがより多く歴史に影響を与え、高く評価されるべきであるか、答えは一目瞭然ではありませんか。
 しかし田中芳樹はどうやら日露戦争で日本が勝利した事自体がご不満であるようで、下のように文章を続けるんですね↓


P211上段~下段
<小さな日本が大きなロシアに勝っただけでもたいしたことなのだから、事実を事実として誇ればそれでよいのに、それだけでは気がすまないのだ。これから日本の病気がはじまり、「日本はアジアで一番すぐれている。日本以外のアジアはだめだ。アジアは日本のものだ」という妄想がふくらんでいく。日露戦争の開戦の理由として「ロシアに圧迫されている韓国の独立を守る」と世界中に宣言したのに、その六年後には韓国の独立を奪って日本の植民地にしてしまうのだ。>

 田中芳樹よ、いくら現実と虚構の区別がつかないとはいえ、現実世界の政治を「政治家の選挙公約」だの「市井の倫理観」のレベルで語ってはイケマセン(笑)。お人好しじゃあるまいし、日清・日露戦争時における「韓国の独立を守る」という宣言(宣戦の大詔)が日本にとって何の国益もなしになされた訳がないでしょう。「韓国の独立を守る」という事が日本の国益に反する事があれば、当時の政治情勢からすれば併合されて当たり前なのです。
 そもそも日本が朝鮮半島をめぐって日清・日露戦争を戦ってきた最大の理由は、朝鮮半島が日本の国防上重要な位置にあり、朝鮮半島の安定こそが日本の安定につながったからです(これは今でも同じです)。だからこそ日本は朝鮮半島に安定した親日政権ができる事を期待して「韓国(朝鮮)の独立を守る」という「宣戦の大詔」を挙げて日清・日露戦争を戦ったのです。朝鮮問題を論じるのであれば、まずこの「日本の国防上の問題」を中心に見なければ話が前に進みません。
 そして実際、この「宣戦の大詔」にしたがって日本が朝鮮を独立させていこうとしていたのも事実です。それを最もよく表しているのが、日清戦争後に李氏朝鮮の国号が「大韓帝国」となり、李王朝の「王」が「皇帝」になったことです。これは名実共に清王朝の属国でなくなったことを意味します。朝鮮半島の歴史上、朝鮮で「皇帝」が誕生したのはこの時が最初で最後です。この事例だけを見ても日本が「宣戦の大詔」に基づいて行動していたことは明白です。ただしあくまでも日本の国益・国防上の利益を損なわないという条件がありましたが。
 ではそれがなぜ「日韓併合」にまで繋がっていったのか? それは安重根というテロリストが、韓国統監府の初代総督であった伊藤博文を暗殺してしまったからです。実は伊藤博文は朝鮮独立論者で、日露戦争後に国防上の観点から日本の保護下におかれていた「大韓帝国」の主権(外交権)をいずれは回復させるつもりだったのですが、それを暗殺してしまったがために日本の世論が一気に硬化してしまい、日韓併合へと話が進んでいったというのが真相です。またこの事件をうけて、当時「大韓帝国」の政党の中で最も大きな力を持っていた一進会からも「日韓併合論」があがっています。
 そして1910年、当時の欧米列強と清王朝の了承を受けた上で、日本政府と「大韓帝国」との間に日韓併合条約が結ばれ、「大韓帝国」の王族や両班の地位が保全され、日本の華族として遇されることになった上で日韓併合が実現したのです。そしてその後の日本の朝鮮経営はインフラ整備や朝鮮駐留軍の負担などによって常に慢性的な大赤字で、日本は経済的には一切の利益を上げておらず、ことに大正初期の朝鮮駐留軍の2個師団増設問題では、首相が何回も交代するほどの政治問題にすらなっています。
 このようにして行われた日韓併合とその後の朝鮮経営が「日本の病気」だの「妄想」だのに基づいたものであるというのであれば、当時の日本は一体どうすれば良かったと言うのでしょうか。まさか当時の欧米列強の植民地支配と同じように、積極的にジェノサイドを展開し、徹底的な搾取を行うべきだったとは言わないでしょうね(笑)。


P211下段
<そしてそれは長い目で見れば、おとなりの国々を暴力で支配しようという狂気と妄想が、自国の破滅を招く、その第一歩であった。一九二八年にはパリ不戦条約が結ばれ、武力による侵略が国際法において禁じられたのに、南米以外では、ドイツ、イタリア、ソ連、日本の四ヶ国だけがその条約に違反するのだ。したがって、「日本は侵略戦争をやっていない」という主張は、明らかにまちがいである。そもそも自国の領土でもない場所に軍隊を送って占領する事を侵略というのである。>

 パリ不戦条約違反? そりゃまたずいぶんひどいザル法で日本を裁いたものですね。相変わらず国際法についての理解がないままに「国際法違反」という文言だけを振りまわしているのが見え見えですな(笑)。知ったかぶりで法律論を振りまわしているその姿は、まさに「性悪説」を誤用した鳥羽靖一郎そのものではありませんか。
 このパリ不戦条約ことケロッグ・ブリアン協定は日本国憲法第9条のモデルにもなった条約ですが、実はこの条約は国際法として正常に機能するには肝心なものが欠如しているのです。それは「侵略についての定義」です。
 これは国際法に限らず日常で使用される法律にも言える事なのですが、法律を制定する際にはその法の中に記載されている事象に対する定義を定めなければなりません。一例を挙げると、「他人の財物を窃取したる者を窃盗罪とする」という法律を犯した者に対してこの法律を適用するには、法律条文の文言である「他人」「財物」「窃取」の定義をそれぞれ細かく定め、これらの定義に当てはまる犯罪構成要件を被告が満たしていなければなりません。この3つの定義の何かひとつでも欠けていた場合は、法律上、犯罪を構成することにはならないのです。
 窃盗罪の場合は「財物の定義」というのがよく法律上問題になっていて、一昔前には電気窃盗の際の「電気」が「財物」と定義できないために「電気窃盗が犯罪にならない」という事が問題になりましたし、最近ではコンピュータのデータ盗難の際の「コンピュータのデータ」がこの「財物の定義」に引っかかりました。このように、法律を適用する際には、法律の条文内容についてひとつひとつ「定義」を定めておかなければならないのです。
 この事を踏まえた上でケロッグ・ブリアン協定に話を戻すと、ケロッグ・ブリアン協定がまともに機能するためには、当然の事ながら条文の中で禁止している「侵略」についての定義が必要になります。ところが「侵略」という文言ほど、よく悪しきイメージで使われるにもかかわらず、完全な定義ができないシロモノはありません。
 「侵略の定義」については、一応1974年の第29回国連総会によって次のように定義されはしましたが……。

1.他国の領域の攻撃、侵入、軍事占領、全部又は一部の併合。
2.他国の領域への砲撃や兵器の使用。
3.港や沿岸の封鎖。
4.他国の陸海空軍、商船隊、航空隊への攻撃。
5.他国領域にある軍隊を受入国との協定に反して使用し、又は協定期限を越えて
  その領域における駐屯を延長すること。
6.第三国侵略のため他国が自国領域を使用するのを容認する行為。

 ちなみにここで決められた「侵略の定義」は、国際連合の安全保障理事会が侵略行為の是非を決め、武力行使を含めた制裁を発動することができるため、どうしても「侵略の定義」が必要になってきたがために制定されたものです。安保理に勝手に「侵略」を裁定されてはたまったものではありませんから。
 しかしこの定義では、実際問題として全く「侵略」と判定できない事態が多く発生します。たとえば北朝鮮の日本海へのミサイル発射は「2」に該当しますし、日本が在日米軍に対して施設提供や「思いやり予算」などを計上しているのは「6」に抵触します。極めつけは、旧ユーゴスラビアことセルビア共和国に対するNATO軍の空爆は、安保理の決議が行われないまま始められたので、ユーゴ空爆を行ったNATO諸国は「1」から「6」全てに違反している事になります。しかしこれらの行為は本当に「侵略」と定義できるものなのでしょうか? すくなくとも、これらの「侵略行為」に基づいて安保理が何らかの制裁を決議したという話は聞いた事がありません。
 このように、法律制定の過程で「侵略の定義」を定め、それに基づいて「侵略の罪」を裁くなど、現実問題として絶望的に困難であると言わなければなりません。「侵略」という判定は元々が自国を攻撃された国の、侵攻してきた相手国に対する主観的・相対的な評価でしかなく、しかもその時点での価値観・政治情勢・国家関係・大義名分・占領行政の評価などによってひとりひとりの評価も全く違ってくるものなのですから、確固たる法律で「これが侵略の定義である」と規定するなどほとんど不可能なのです。
 ケロッグ・ブリアン協定にはこの肝心要の「侵略の定義」が全く定められておらず、しかも自衛戦争などの戦争は「合法」として認められたため、法律的には完全なる「死に法」であると言っても過言ではなかったのです。こんなシロモノで「日本の侵略の罪」なるシロモノが勝手に裁かれてはたまったものではありません。田中芳樹も意味不明な「侵略の定義」を振りまわす前に、もう少し法律的知識を勉強した方が良いんじゃないですかね。
 ちなみに国際法を蹂躙して行われた「勝者の私刑」と言われる東京裁判において「日本が侵略国家である」と勝手に裁定させたマッカーサーでさえ、朝鮮戦争後の上院の委員会において
「日本が戦争を始めたのは自衛のための戦争であり、東京裁判は間違いであった」
と証言しているのですけど、これでも日本は「侵略国家である」と裁定されなければならないというのでしょうか?


P211下段~P212下段
<とにかくアジアを軽視する日本の態度にはおどろかされる。つい最近も、始は高名な女流作家がモンゴル帝国について書いた文章を読んであきれてしまったことがある。「モンゴル軍を撃退した民族は世界で日本人だけである」という文章である。とんでもないまちがいだ。
 モンゴル帝国の軍隊はヨーロッパでは連戦連勝だったが、アフリカではバイバルス将軍ひきいるエジプト軍に完敗した。ベトナムでは陳興道将軍のために三度にわたって惨敗した。ジャワでも一時的に首都を占領したが、結局は撃退されている。宋を滅ぼして中国全土を占領するのには成功したが、「世界最強のモンゴル」が「世界最弱の宋」を滅ぼすのに四十五年もかかっている。宋の人々は四十五年にもわたって侵略に抵抗しつづけたのだ。このような歴史事実を無視して、「モンゴルに勝ったのは日本人だけ」と主張するのは、単なる無知からではない。アジア人やアフリカ人が日本人以上のことができるはずがない、という思いあがりのためである。
「世界は日本と欧米だけで成り立っている」などという態度をそろそろあらためたほうがよいのではないだろうか。その意味で、「三国志」や「風水学」などのブームは、行きすぎはあってもけっして悪いものではなく、そういったものに親しむ若い世代に期待してよいかもしれない。>


 この社会評論が、この掲示板でも話題になった塩野七生氏を揶揄した個所ですが、自分が散々創竜伝で侵している数えきれないほどの「とんでもないまちがい」について何も釈明しないくせに、他人の過誤についてはこれほどまでに攻撃できる神経は、いつもの事ながら大したものです。第一、他の作家の作品の内容を批判するのであればせめて名前と書籍名と引用ページぐらいはきちんと付記して下さいよ。この社会評論だけでは、誰の、何の作品を批判しているのかがさっぱり分からないではありませんか。
 だいたい「高名な女流作家」こと塩野七生氏が自分の著書の中でミスを犯したからといって、何でありもしない「アジアを軽視する日本の態度」までが言及されなければならないのでしょうか。塩野七生氏と「日本の態度」とは何の関係もありませんし、戦後の日本の外交や経済・文化交流などで「アジアを軽視」する態度を取っていたなどという話は聞いた事がありません。それどころか、朝日新聞や旧社会党の愚劣な主張も含め、むしろ積極的に友好関係を結ぼうとしていたようにしか見えないのですけど。
 それにモンゴル軍の記述についてですけど、モンゴル軍を撃退したアフリカ・ベトナム・ジャワの事例はともかく、何で敗北したはずの宋の事例までが取り上げられているのでしょうか? いくら果敢に抵抗していようが「敗北」は「敗北」です。第一「四十五年にもわたって侵略に抵抗しつづけた」ということは、それだけ多くの負担を当時の宋王朝は自国の民衆にかけていたわけで、これは少しも誉められた事ではないではありませんか。宋が軍事的にかなわなかった金を元は滅ぼしたのですから、宋が元にかなうわけがない事など最初から分かりきっている事です。そうであるならば無駄な抵抗などさっさと止めて、秦檜の時のように「王朝の存続と領土の安堵」を条件にして降伏するか臣従を申しこむかしてしまえば、すくなくとも民衆の犠牲は少なくてすんだと思うのですけどね~。愛国心のために戦うことは、田中芳樹の価値観から言えば愚劣な事なのですし(笑)。
 このような歴史的側面を無視して、田中芳樹が「宋はモンゴル軍の侵略に勇敢に抵抗したのだ」などと主張するのは、単なる無知からくるではなく、偉大なる中華帝国が周辺の蛮族などに屈した歴史を認めたくない、という思いあがりのためなのでしょうな(笑)。人様に非現実的な説教を並べる前に、まず自分の方こそが「世界は偉大なる中国文明でなりたっている」などという態度をそろそろ改めた方が良いんじゃないですか(笑)。その意味で、田中芳樹の中国小説があまり評価されないという現象は、行きすぎはあっても決して悪いものではなく、そういった評価眼をもつ若い世代に「田中芳樹を更正させる事」を期待して良いのかもしれません(爆)。



 さて、次は10巻と11巻の社会評論をまとめて論じてみたいと思います。
あの2つは社会評論の数が少ないので(^^;;)。

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board2 - No.835

Re831/832:薬師寺シリーズと極楽大作戦

投稿者:冒険風ライダー
2000年04月19日(水) 08時33分

>管理人さん
<この「薬師寺涼子の破綻言動」というのは、実際にあのシリーズを読んでみれば瞭然とわかるんですが、逆に読まないとわかりづらいかも知れません。
 主人公は傲慢でやりたい放題の警察キャリア、それで「サリン云々」と言うなんて、先入観を取っ払って見たら、「田中芳樹転向したんか?」ともとれますから(笑)>


 そう言えば以前に「検証!薬師寺シリーズ」を投稿した時にも、小村さんに同じような事を言われましたね(^^;)。
 まあ私が「薬師寺シリーズ」で論評する時は、常に「極楽大作戦」、特に「薬師寺涼子と美神令子との比較検証」という観点からやっていますから、どちらも知らない人には確かに分かりにくいのかもしれません。逆にどちらかでも読んでいたら簡単に分かると思うのですが。
 しかし警察キャリアの方はともかく、「サリン云々」の方は創竜伝の社会評論にも「想像力云々」だの「被害者の心情を思いやれ云々」などの主張がありましたから、それほどかけ離れているとも言えないのでは?

<それにしても、田中芳樹は女性の描写が下手だと、ここでは良く言われますが、薬師寺なんかモロ一種の田中芳樹的アニマなんじゃないでしょうかね。>

 アレはもはや「女性描写が下手」などというレベルの問題ではないのではないでしょうか?
 確かに銀英伝やその他のシリーズにおいても、田中芳樹の女性描写は必ずしも上手と言えるものではなかったかもしれませんが、しかしそれでも「見るに耐えない」などというところまでひどくはありませんでした。しかし「薬師寺シリーズ」の場合は、女性描写以前に、もはやキャラクター描写それ自体の問題であるように思います。何と言うか、作品の中で異常にキャラクター性が浮いているとでもいうような感じでしょうか。
 この女性描写の違和感も以前から感じているのですが、どうもこれは私では説明しきれません(性格についての違和感は社会評論との相関関係で説明できましたが)。誰か「薬師寺シリーズ」の女性描写の問題について上手く説明できる方はいないでしょうか?
 できれば薬師寺涼子と同じような性格設定であるキャラクターとの比較検証という観点から論じてほしいですね。


>新Q太郎さん
<しかし、椎名氏のファンサイトで、この「涼子シリーズ」って話題にならないのかね。もともと少ないけどさ。>

 こちらからCMしに行くのであればともかく、それはちょっと難しいでしょうね。
 何しろ「薬師寺シリーズ」は椎名高志氏のファンサイトどころか、田中芳樹のファンサイトですらまともに取り上げている所が少ないし、しかもそこですら「パクリ」の話となると「スレイヤーズ」中心で取り上げられているくらいですからね。
 この掲示板でだって、私がここにやってくるまでは「スレイヤーズ」中心で語られていたくらいですし。
 これは作品の知名度の問題もあるのでしょうが、はっきり言って「薬師寺シリーズ」と「極楽大作戦」とを絡めて論じてあっているサイトはここしかないのではないでしょうか?

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