2代目掲示板過去ログ

mixiチェック

投稿ログ87 (No.1370 - No.1386)

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1370

残念ながら違うんです

投稿者:仮想田中芳樹
2000年09月08日(金) 14時06分

>眠いから読むだけと思っていたら、

? すみません。この部分本当に意味が分かりません。どういう意味ですか?
後段に関してはこの下にあります。

> そちらが、本気で「田中氏の考え」をシュミレートしているつもりなのか、それとも言われているように、『敢えてろくでもない答えを書くことで田中氏を貶めている』のかがわからないですが、善意に解釈して仮想田中氏に聞いてみましょう。

 仮想田中芳樹を名乗っているのはその方が田中芳樹の考え方を説明しやすいからです。以前小林さんに聞かれ、そのように答えたはずなんですけど? 田中芳樹を名乗って悪さ云々という指摘はその返答を読んでいない方の指摘なのでしょうか? 本気で騙るつもりならば”仮想”なんてつけませんよ。

> しかし、創竜伝文庫の「後書き」というのは架空世界の架空登場人物ではなく、現実世界の田中芳樹氏(生身)が生身の人間と対談しているのです。
> そこでの発言は、田中氏本人の意見、発言と考えるのが自然だと思いますがどうでしょうか。
> もし仮に、それがねただとしたら、その「ネタ」をもとに批判されるし「本心は違う」ならば、実在の田中氏の名前でそのネタを語ってしまった責任を追及されるのではないでしょうか。

 たとえばある女性若手アイドルが「あなたに恋人がいるの?」と対談で聞かれたとします。そのときいるのに「いない」と答えるのは
まぁ、お約束というものです。それについて責任を追及しますか?

> また、そもそも実名で対談した田中氏の発言がねたである、という根拠を、仮想田中氏は示しておられません。
> それが本心ではないという根拠を、まずお示しください。

 これについては確認しない私も悪かったです。対談のどの部分をもって私が左翼と断じられたのでしょうか?それをご指摘いただければ返答できると思います。

> 例でしたら、「SFアドベンチャー」昭和63年別冊に、学校教師がヤンの思想をそのまま生徒に伝えていた、という話や就職試験の面接で銀英伝の一節を講じたという話が載っていますが。

それもすごくまれな例じゃないですか? 一般的にどうかということです。
そんなレアケースしかないならばむしろ中高生への影響はほとんどないと貴方が立証したようなものです。

> > 「一日中ずっと釣りしてる暇人をみたよ、参ったね。
> いや、ほんとにいたんだよ。あたしゃずっと後ろで
> 見てたんだから」という小話を思い出しました。

 釣りというのはいつか何かが釣れるのではないかという目的があってのことかと思います。一度石井さんは私にだまされたと残念に思ったとのことです。しかし、まだ誤解されているのではないかと思います。 最初の釣りを石井さんは後悔しているといっておられる。なにも釣れなかった、あるいはつれたが中身がなかったということで。二度目の釣りはどうなのでしょうか?

> では、仮に石井氏の批判が間違っているとしましょう。
> その場合、こういう理屈は成り立ちますか?
>
> =================
> > でも「HPへのヒット数が多いです」からね。面白くなければ「HPを読みに来ない」でしょ。その辺の矛盾を勘案しても「このHPは」面白いんですよ。「石井氏」は面白い[HPを作る]ために努力しています。「(仮想田中氏がいうところの)間違いを」放置したほうがよいか、「間違い」を修正したほうが「HP閲覧者」がついてくるのかで前者を取った。今のところのその判断は正しいと考えています。
> (変更部分は「 」内、それ以外は誰かの文章を借りました)
> ================-
> 仮想田中氏の態度が肯定されるのなら、仮に石井氏の態度が「間違って」いても、このような理屈によって肯定されると思いますがどうですか。

はい、成り立ちます。ただそれには、うしろに

「この討論はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておきます。」

といれ

理性的な討論などと言わず

”これはエンターテイメントです。ある売れっ子作家をネタに、たのしもうとするページです。”

と書いて

田中芳樹を伏せ字にする(O中O樹とかですね。)

まですれば

です。

以前、楽しいから間違ったことを承知でやっているならばかまわないと申し上げたのですが、訂正しましょう。最低限上記のことをやってください。

> また「でも売れてますからね。面白くなければ売れないでしょ。」
> について質問があります。
>
> そうだとするなら、村上春樹「ノルウェイの森」は百万部を超えた大ベストセラーですが、(現実世界の)田中氏はこの作品の中の「~といった」という描写をわざわざ数え、『文章を練っていない、純文学の作家って、もっと表現に腐心するもんだと思ってた』と批判しています(梶尾真治氏との対談)。

 その辺を気をつければもっといい(評価が高く、売れる)作品になるでしょう。というていどの意味です。トップページにあるように年齢を時間軸にあわせた方がおもしろくなる(より売れる)と思います? いや、あなたにとってではなく一般的に。

> さらに、読売新聞は日本で一番発行部数の多い新聞ですが、これについて様々な批判が寄せられています。
> 仮想田中氏は、読売に対するそれらの批判と『日本一売れている』という事実を勘案し、どのような感想をお持ちですか。

 まず、小説と新聞では土俵が違います。小説はつまらなければ少なくとも12巻も出版はできません。
読売新聞に対する批判点はいろいろあると思いますが、それを一つ一つあげて検証するのはここでの私の目的ではありません。
よって回答いたしかねます。

> ここで、私は「仮想田中氏」は(その努力はともかく)実際の田中氏の考え方にそって、石井氏他に反論する…というのには役不足、いや役者不足ではないかと考えますが、ご自分ではどうお考えですか。

 私がこのたびの貴方、および、石井さんの質問に詰まって答えられないのでしたならば確かにそうです。しかし、残念ながら一応の返答はできてしまいました。そういうことです。

>仮想田中芳樹さんが田中ファンなのか、本当はアンチ田中で田中芳樹を貶めたい偽装信者なのか(もしもファンだったら何故こういう風に言われているか考えてください)、あるいは万が一ホンモノなのか私には判りませんけれど…

 お菓子を食べ過ぎれば、太るし、ニキビがでるかもしれません。それでお菓子を作っている職人を”栄養学のイロハもしらない”とか””きっと本人が太っているので他の人を太らせようと陰謀を練っている”などと論拠のない批判されても困ります。
知らないわけではないんですよ。

なぜ甘くするの? なぜ栄養学上なんの意味もないキラキラしたものをつけるの?と聞かれればおそらく子供には本当のことは言わないでしょう。子供の目に付くとこでも言いません。


大人(石井さん)に聞かれれば答えますよ。

その方が子供に人気がでるから、おいしいと言ってくれるから、売れるから

>こういう、ケレン味たっぷりの子供の言い訳のような反論をするということが、自分で墓穴を掘っていることだと判りませんか?

そうでしょうか? ケレン味といえばトップページも相当だと思いますよ。あなたの説によれば私は

 あえて言えばヒトラーまがいの、左翼だが大資本と提携し、ロリコンかもしれなくて、娯楽小説で社会を変えようと志し、10年以上執筆を続けているが成果が上がらずしかしその執筆方針をなぜか変えない、矛盾しきった思想家。

ですね?

 一生懸命売れるための娯楽小説を書いている。子供が嫌うもの(現実・理論性)はあえて取り除いて、ただひたすらに読者に受けるために知恵を絞って、当然ながら文壇の評価は低く作品中に一貫した論理性・思想性はなくなってしまったが、その成果は着実に実を結び、かなりの固定読者を得ることに成功している物語作家。

というのと

石井さんはどちらがケレン味があり非難めいて聞こえますか?
 また社会人になった今、前者であると本当に信じておられるのですか?

親記事No.1305スレッドの返信投稿
board2 - No.1372

Re: 残念ながら違うんです

投稿者:モトラ
2000年09月08日(金) 14時25分

> >眠いから読むだけと思っていたら、
>
> ? すみません。この部分本当に意味が分かりません。どういう意味ですか?

こんなことも理解できない輩に、仮想田中芳樹を名乗ってほしくありませんね。以後無視。私はもうあなたの書き込みには二度と反応しません。存分に言論の自由を行使してくださいませ。

親記事No.1245スレッドの返信投稿
board2 - No.1373

Re: そもそも名称の定義とは何ぞや?

投稿者:Merkatz
2000年09月08日(金) 23時19分

タイトル間違えました。
名称(誤)→名将(正)です。

親記事No.1352スレッドの返信投稿
board2 - No.1375

「自由な感性」を「教える」ことこそファシズムである

投稿者:本ページ管理人
2000年09月10日(日) 07時55分

No.1352
>しかし、詩とは独善的な世界が許されるものです。星を見て「あれは星だ」と教えることも重要でしょう。しかし詩に限って言えば「あれは宝石だ」と言ってもいい、それは自分の感じたままの表現だから、許されなければならないはずです。詩は、別して擬音語や感嘆詞に心のありのままの言葉を許した形式である以上、表現によって却下されるなどということはありえないはずです。
No.1356
>一人の教師の私情によって、表現の是非が峻別されるのは人間が機械でない以上やむを得ないことです。

まず矛盾していますが、どっちが正しいのでしょうか?


>そこでは強制も打擲も先生の裁量のうちにあるわけですから、枝葉末節にいちいち文句を付けていられない。今後そのクソガキは詩を書く時に、始先生が怒るところを想像して、有り余る表現の中から辞書に載っている表現だけを使って、つまらない詩を書くでしょう。でもそれは一人の犠牲で終わる。ところが全国の教育者を代表して文部省は『それは嘘だ』と言った。

 これについてはNo.1361に書いたとおりです。
 別に文部省は「それは嘘だ」なんて言っていません。
 それに、「自由な感性で詩を書こう」と言っている始先生は自らの主張が矛盾していることになります。つまり、始や司(=田中芳樹)の言う「自由な感性」というのは、彼らが許した範囲内で限定された「自由な感性」なのであって、存在自体がいかがわしいと言えます。ソ連や中国にだって、共産党が認めている範囲内でなら「思想の自由」はありますけど、これが本当の「思想の自由」だとは誰も思わないでしょう。同様に、始先生の教える「自由な感性」などというものは、「自由な感性」などというものではありません。
 「自由な感性」と「教育」というものは本質的に矛盾するのであって、教えられるものではないのです。

 田中芳樹は日本の教育制度・文部省の「思想圧殺性」を非難している自分自身が思想圧殺しているのです。
 それを自覚しているのなら別に構わないのです(内実の矛盾はしているが)。問題なのは、そのことにあまりに無自覚なことでしょう。



さらさらⅠ 〔副〕
1物が軽く触れあってたてる音などを表す語。また、風や雨、雪、波などの音、水の浅く流れる音などを表す語。*蜻蛉‐中「海のおもていとさわがしう、さらさらとさわぎたり」
2 物事がすみやかに進むさま、物事がつかえないで、よどみなく行なわれるさまを表す語。すらすら。*平家‐四「橋の行桁をさらさらさらと走りわたる」
3 さっぱりとしたさま、いやみのないさまを表す語。
4 物にしめり気やねばり気がなく、さっぱりしているさま、かわいていて、べとべとしていないさまを表す語。「さらさらした洗髪」

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988.

さて辞書を見てみると、こうなっています。
学校で教えるべきことは、「表音」ではなく「定型」です。「表音」を総括し、もっとも多くの人に伝わる「定型」として教えることに意味があるのです。
辞書にあるように、蜻蛉日記(ちなみに「とんぼにっき」ではない。念為(^^;))の昔から、日本人が水の擬音として「さらさら」を使ってきた以上、「さらさら」を水の「表音の定型」であることを教えることは、竜堂兄弟がさんざんあげつらう「正しい日本語」を教えるために充分意義のあることでしょう。
あんえいさんがおっしゃっているように、表音は教えなくてもある程度何とかなるものです。
国語の教えるべきは「表音」ではなく「表音の定型」です。


 もう一度言います。以上で説明したように、「自由な表現の抑圧」を非難している、その批判自体が「自由な表現の抑圧」であって矛盾しているのですし、その「自由な表現」とやらが様々なところで使われる「定型」と化していること自体が論理の破綻なのです。

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1376

竜堂兄弟の戦闘動機の欠如

投稿者:ビュコック
2000年09月10日(日) 08時39分

ついに出ました!創竜伝で最も俗悪な部分。

> 2. 敵対理由が全くない、四人姉妹と竜堂兄弟との対立
>
>  創竜伝において最大の謎のひとつとして挙げられるのが、四人姉妹と竜堂兄弟とが敵対しなければならない理由の欠如です。いくら創竜伝を読み返してみてもこの理由を挙げる事ができません。

巷の2流、3流小説でも、主人公達のレーゾンデートル(存在理由)や戦闘動機ぐらい設定されているるのが普通なんですが。それさえないままに戦っているとは、ずいぶんと刹那的ですね(^^;;

一応この手の主人公の戦闘動機や行動の理由には次のようなものがあります。
①イデオロギー:「地球のため」「世界の平和のため」「人類のため」といった主義主張(イデオロギー)のために戦うというパターン。「国のため」というナショナリズムもこの中に入ります。小説の黄金パターンですね。

②私怨・敵討ち:自分の主君、上司、友人、親などの知人を殺されたり危害を加えられたりしたした主人公が、復讐できない知人に代わって敵を討つというパターン。日本ではよく見られますが、これは国によって格差があるらしく、太平洋戦争中に米軍が日本研究の為に忠臣蔵のビデオを見たところ「何でこんな主君の為に部下が暗殺に走るんだ?」といぶかしんだといいます。

③野心:主人公が自分個人の野心、目標を達成するためにために敵と戦うというものです。

④惰性・命令:主人公が上からの命令などで否応無く敵と戦わされていくというパターン。普通、主人公が「何で自分は戦うんだろう?」と自問自答したりします。

⑤生活のため:要するに「自分が食うために敵と戦う」というものです。

⑥自分の愛する人・物を守るため:主人公達が自分の守るべき人や守るべきものを守るために敵と戦うというもの。最近多いパターンです。

⑦宗教的動機:信仰が主人公の行動の動機になっているというものです。日本ではほとんど見られませんが、西洋では結構あるらしいです。うろ覚えですが、世界名作劇場「アルプス物語 わたしのアンネット」がこのパターンだったと思います。
これらの動機は複合型もあります。アンネローゼを助け出すためにゴールデンバウム王朝を打倒し、銀河統一を目指すラインハルトは2と3、民主主義と自分の年金のために戦うヤンは1と5の複合型です。

こうしてみると竜堂兄弟の戦闘動機ってほんとに無いんですよね。彼らの動機っていうのは「『鮮血の夢』で50億人も殺されるのは可哀相」という刹那的なものと「権力者が気に食わない」という八つ当たり的な感情しかないですし、まだ四人姉妹の「染血の夢」の方が(たとえ方向性が間違っていても)目的意識やイデオロギーが確立されている分まだマシに見えてきます。
はっきり言って「竜堂四兄弟は先頭をしないと話が進まないから、とうちゃん(作者)の都合でストーリーの進行の為に戦闘をしている」という気がします。目的と手段が混同してるんですね。
本当に竜堂四兄弟って、何のために戦ったり社会評論をカマしたりしてるんでしょうかしら?

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1377

ひょっとしてこれも「ストーリー破綻」というやつか?

投稿者:Merkatz
2000年09月10日(日) 21時43分

ところで創竜伝では旧ソ連は牛種の陣営でしたっけ?それとも竜種の陣営でしたっけ?
一応、あの世界設定では牛種=民主主義=西欧という図式でしたよね。
民主主義というまやかしで人間を支配するという。
じゃあ旧ソ連の共産主義(全体主義)はどっちなんでしょうか。
牛種と竜種が世界の覇権を懸けて戦っているのですから、西欧と対抗していた旧ソ連は竜種陣営なのでしょうか?
お膝元の中国が共産主義だし。
この辺、何か説明ありましたっけ?
(借りて読んだきりだからサッパリ覚えてない)

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1378

Re1376/1377:創竜伝のストーリー破綻あれこれ

投稿者:冒険風ライダー
2000年09月11日(月) 07時00分

>ビュコックさん
<こうしてみると竜堂兄弟の戦闘動機ってほんとに無いんですよね。彼らの動機っていうのは「『鮮血の夢』で50億人も殺されるのは可哀相」という刹那的なものと「権力者が気に食わない」という八つ当たり的な感情しかないですし、まだ四人姉妹の「染血の夢」の方が(たとえ方向性が間違っていても)目的意識やイデオロギーが確立されている分まだマシに見えてきます。>

 実は私が創竜伝を最終的に見捨てる最大のきっかけとなったのがこのストーリー破綻なんですよね。「何で四人姉妹に対抗できる具体的なプランもアンチテーゼもなしに『染血の夢』計画に反対するのだろう?」と疑問に思ったものですから。
 アルスラーン戦記2巻では、ただ「可哀想だから」という理由で、パルス王国の諸侯のひとり・ホディールが所有していた奴隷をその場で解放しようとしたアルスラーンが、逆にホディールを慕っていた奴隷に殺されかけるという描写があり、感情任せの単純な解決策が却って事態を悪化させる事について考えさせられたものなのですが、それに比べて竜堂兄弟の思考と行動原理の何と杜撰かつ支離滅裂であることか(笑)。
 上記の奴隷解放に失敗したアルスラーンは、色々と悩んだ末に「奴隷制度の根本原因を解決しなければならない」と考え、明確な奴隷解放政策を打ち出していく事になるのですが、「染血の夢」計画阻止に対する自己責任の放棄を他力本願で正当化した挙句、他力本願的に頼っている対象をひたすら罵倒しているだけの竜堂兄弟が、アルスラーンのような自己反省的な行動が取れるわけがないでしょうしね~。
 竜堂兄弟の「染血の夢」に対する阻止行動は、一言で言えば「代案なき反対のための反対」としか評価しようがないのですけど、連中はそれがいかに醜悪な行動であるかということを全く自覚してなどいないのでしょうな。少しでもまともな思考法を持っているのであれば、あんな支離滅裂な行動など取れるはずがないのですが。

<はっきり言って「竜堂四兄弟は先頭をしないと話が進まないから、とうちゃん(作者)の都合でストーリーの進行の為に戦闘をしている」という気がします。目的と手段が混同してるんですね。>

 社会評論もまた似たようなものでしょうね。仙界と華僑の説得で見られるような、ストーリー要求にすら明らかに反した社会評論を展開しているのには呆れ果てるものがありましたが、これなどはまさに「社会評論を語るという手段」を優先して「ストーリー展開という目的」を破綻させた最悪の典型例でしょう。
 「戦闘をやりたいためだけの戦闘」「反対のための反対」「社会評論をやりたいためだけの社会評論」、こんな理由では竜堂兄弟の行動に正当性を見出す事など絶対に不可能としか言いようがないのですが。


>Merkatzさん
<ところで創竜伝では旧ソ連は牛種の陣営でしたっけ?それとも竜種の陣営でしたっけ?
一応、あの世界設定では牛種=民主主義=西欧という図式でしたよね。
民主主義というまやかしで人間を支配するという。
じゃあ旧ソ連の共産主義(全体主義)はどっちなんでしょうか。
牛種と竜種が世界の覇権を懸けて戦っているのですから、西欧と対抗していた旧ソ連は竜種陣営なのでしょうか?
お膝元の中国が共産主義だし。
この辺、何か説明ありましたっけ?>


 正確に言うと、牛種は民主主義を信奉してなどいません。民主主義の概念を振りまわして世界支配を行っているのは牛種の下僕たる四人姉妹であって、牛種自身は全体主義思想を世界に広める事を理想としています。このあたりが四人姉妹と牛種の自己破綻的な矛盾関係でして、何度考えても理解に苦しむところがあるのですけどね。
 四人姉妹と牛種はヒトラーの台頭にも力を貸した事があるそうなのですが、ヒトラーが私腹を肥やしたからという非常に些細な理由によって見捨ててしまうんですよね。牛種の全体主義思想確立という目的から言えば、ヒトラーに全世界を支配させた方が余程牛種の目的にかなったというのに。
 ソ連に関しては、一応創竜伝において次のように規定されています。

創竜伝7巻 P10下段~P11上段
<「ソビエト連邦はいまや統一国家としての体裁をなしておりません、哀れなるかな、レーニンの夢もスターリンの野心も、滅びを待つのみです」
 熱っぽい悪意をこめてメイヒューは笑い、それに対してタウンゼントは無言でうなずいただけである。タウンゼントが若いころ、ソビエト連邦は「世界征服をたくらむ強大な悪の帝国」だと思われていた。だが共産主義と反共主義と、二重のカーテンがはずされると、ソ連の正体は身体ばかり大きな草食性恐竜であることが判明してしまった。非能率的な社会システム、腐敗した無能な特権階級、憎悪し殺しあう諸民族、時代遅れの兵器。なぜこんな国が世界の半分を支配することができたのか。現在にして思えば不思議なことだが、タウンゼントは理由を知っている。強大な悪役としてのソビエトの存在を、四人姉妹が欲したからである……。>


 また創竜伝4巻では、アメリカ大統領補佐官のヴィンセントが「モスクワなど地方的勢力の中心でしかない」と言っていて(創竜伝4巻 P189)、これらから推測すると、ソ連という国は、
「四人姉妹が直接支配しているわけではないが、四人姉妹の世界支配体制を支えるための格好の仮想敵国として使われた道具である」
と考えられます。中国もだいたい同じような立場に置かれていると思います。
 創竜伝における国家関係を「四人姉妹が支配しているか否か」ならともかく「牛種か竜種か」で計ることは全く無意味な作業でしょう。牛種というのはどう考えても後付けの設定ですし、四人姉妹との関係に見られるような設定破綻も引き起こしていますからね。作家である田中芳樹自身が何も考えずに設定しているものを読み手が理解できるわけがないのです(笑)。創竜伝3巻のこの記述のように、

創竜伝3 P161下段
<始は共産主義体制がきらいである。まず一党独裁というのが気に入らない。始は、いつでも少数派の立場を守りたい、野党精神を失わずにいたい、と考えている。ゆえに、野党の存在を認めない共産主義体制に、共感をもつことなどできないのだ。
 つぎに、歴史文化を破壊する硬直した画一性が好きになれない。東ヨーロッパの美しい古都市の、歴史ある地名が、「レーニン広場」だの「スターリン街」だのに変えられたのを知ると、なさけなくなる。その点、中国は文化大革命の最中でも北京を毛沢東市なんぞと改称したりしなかった。さすが文字の国だ、と、始は感心したりするのだが、まあこれはよけいなことである。>


 といったような、ソ連と中国の共産主義は全くの別物だと言わんばかりの社会評論や、創竜伝7巻における毛沢東礼賛論などを見ても、私はそう思わざるをえないのですけど。
 共産主義思想というものが創竜伝においてどのように定義されているのかが、創竜伝を何度読んでも全然見えてこないんですよね~。

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1379

Re:平凡な生活を望む?竜堂兄弟

投稿者:平松重之
2000年09月11日(月) 07時31分

 冒険風ライダーさん

> 2. 敵対理由が全くない、四人姉妹と竜堂兄弟との対立
>
>  創竜伝において最大の謎のひとつとして挙げられるのが、四人姉妹と竜堂兄弟とが敵対しなければならない理由の欠如です。いくら創竜伝を読み返してみてもこの理由を挙げる事ができません。

 うーん、多分竜堂兄弟の基本的なスタンスは「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」という事なのではないでしょうか?だがその生活を四人姉妹が乱すから仕方なく反撃し、ついでに五〇億人抹殺計画も阻止する(笑)という事なのでは?(ちなみにこれは竜堂兄弟を弁護しているわけではありません)読んだ限りではどうもそういう感じがするので…。

 第二巻(講談社ノベルズ)P163

(前略)何かをしたいかということになれば、始はとにかく弟たちを無事に成人させ、自分はこつこつと中国古代神話の研究でもしていたいのだ。(後略)

 他にもこれに類する記述はあるかもしれませんが、探す意欲が今一つ起きないですね(^^;)。まあ、こういったスタンスだからこそ「人間の世界の事は人間が解決すればいい。自分達は批判はするが手助けはしない。だが、自分達の日常生活を乱す連中には反撃し、ときには人助けもする」という事なのでしょう。あまり自慢できる主張とも思えませんがね(^^;)。

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1380

インドは牛種陣営だったはず

投稿者:ビュコック
2000年09月11日(月) 08時41分

旧ソ連は分かりませんが、インドは牛種陣営でした。
『創竜伝』6巻によると、インドのヒンドゥー教の聖典「リグ・ヴェーダ」は牛種の聖典という事になっていました。この時点では作者は「インド=牛種陣営」という図式も考えていたようです。
インド人は牛を神聖視しますし、偉大なる中国さま(笑)と国境紛争を起こしているから牛種の支配下にあることは確実でしょう。

しかしインドが牛種陣営だという設定は、これ以降これっぽっちも登場しません。一体なんだったんだろう、アレ?

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1382

Re1379:自分から敵を作った竜堂兄弟

投稿者:冒険風ライダー
2000年09月11日(月) 14時30分

<うーん、多分竜堂兄弟の基本的なスタンスは「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」という事なのではないでしょうか?だがその生活を四人姉妹が乱すから仕方なく反撃し、ついでに五〇億人抹殺計画も阻止する(笑)という事なのでは?(ちなみにこれは竜堂兄弟を弁護しているわけではありません)読んだ限りではどうもそういう感じがするので…。>

 しかしアレだけの先天的な超能力を持ち、襲いかかってくる権力者集団を一方的に撃退し、その副産物で多くの公共的な建造物を破壊しておいて、今更「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」もないと思うのですけどね(笑)。第一、それだけの強大な力を持っていて権力者集団に狙われないと考える方が間違っていますし、そもそも竜堂兄弟の近所の人間もまた、その強大な力を恐れて竜堂兄弟を敬遠して避けようとするでしょう。
 竜堂兄弟が本当に「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」と考えるのであれば、たとえ如何なる理由があろうとも力を行使してはいけないのです。力を行使した瞬間から竜堂兄弟は「特別な存在である」とみなされ、平穏な生活を送る事などできなくなります。すでに力を行使している創竜伝2巻の段階でまだそのようなタワゴトをのたまっている事自体、竜堂兄弟の鈍感ぶりを示しているとしか思えないのですけど。

 それと、これは批評本編でも言及した事なのですが、創竜伝2巻の竜堂続とレディLの交渉以前に、竜堂兄弟が四人姉妹から何か危害を受けたことがありましたっけ? 日本の権力者集団が竜堂兄弟にやたらと攻撃を仕掛けていたというのはありましたけど、四人姉妹はむしろ竜堂兄弟に対して、日本の権力者集団を倒すために共に共闘しようと持ちかけてさえいます。その申し出を何の理由もなく一方的に拒絶し、四人姉妹を敵に回してしまったのは竜堂兄弟の方ではありませんか。すくなくとも最初の段階では四人姉妹が竜堂兄弟の生活を阻害したのではなく、逆に竜堂兄弟の方が自分から積極的に「平穏な生活」を捨てる選択肢を選んでいたわけです。
 さらに「染血の夢」について言及すると、そもそも「染血の夢」計画が発動されても、それによって別に竜堂兄弟が被害を受けるわけではないですよね? 「染血の夢」計画において日本は救われる事になっていますし、「染血の夢」計画自体に竜堂兄弟を攻撃するプログラムが組み込まれているわけでもありません。したがって、竜堂兄弟が常日頃から主張している「自己防衛本能」から言っても、竜堂兄弟が「染血の夢」計画に反対する理由は全くないのです。
 これでは竜堂兄弟の行動にマトモな理由をつけることなど、まず不可能ですよ。四人姉妹の支配方針に反対するのであれば、それなりの理由を必要とするはずなのですが。

親記事No.1275スレッドの返信投稿
board2 - No.1383

初めまして

投稿者:ゆーり
2000年09月11日(月) 16時24分

本ページ管理人さんは書きました
> 日本はつくづく甘いというか、幸せというか…
> まあ、何を望むのも勝手ですけどね。
> ttp://ns.31rsm.ne.jp/~doragon/ryusenkyo/tanomi.htm

初めまして、ここは1週間前くらいに見つけて、ずっと過去ログを読んでいたのですが、銀英伝関係と創竜伝関係はほぼ読み終わったのでこちらの掲示板を覗かせて頂いたら、見なれたリンクがあったのでつい(^^;
ハッキリ言って私は創竜伝のファンなのですが、自分では気付かなかった事がきっぱりハッキリたくさん書いてあって、結構熱中してみなさんの書き込みを読ませていただきました。
そしたら普段私が行ってるファンサイトのリンクがあったので、ちょっとだけ言いたい事があります。
一応この漫画はCLAMPさんが考えたオリジナルであって、基本的なとこ(キャラとか)は小説からだとしても、話し自体は田中芳樹の考えたものではないので「発禁どころか」って言われるとちょっと悲しいのですが(^^;CLAMPさんの絵から創竜伝を買って、そして銀英伝を読むまでにいたったものですから、CLAMPさんが描いている以上欲しいと思ってしまうんですよ。確かに何を望むのも勝手なんですけど・・・。
感情的な書き込みで申し訳ないですが、これだけはちょっと言いたかったものですから・・・。
表現が下手でごめんなさい、それでは失礼します。

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1384

実は白人嫌いなだけ!?

投稿者:Total Moled
2000年09月11日(月) 17時19分

インドも牛種側…
田中よしきって案外表題みたいな考えで分けていたのかも。(インドも白人が多い)

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1385

Re: 流動兄弟…もとい竜堂兄弟

投稿者:平松重之
2000年09月12日(火) 03時55分

冒険風ライダーさん

>  しかしアレだけの先天的な超能力を持ち、襲いかかってくる権力者集団を一方的に撃退し、その副産物で多くの公共的な建造物を破壊しておいて、今更「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」もないと思うのですけどね(笑)。第一、それだけの強大な力を持っていて権力者集団に狙われないと考える方が間違っていますし、そもそも竜堂兄弟の近所の人間もまた、その強大な力を恐れて竜堂兄弟を敬遠して避けようとするでしょう。
>  竜堂兄弟が本当に「自分達は市井の一市民としてごく平凡な一生をおくりたい」と考えるのであれば、たとえ如何なる理由があろうとも力を行使してはいけないのです。力を行使した瞬間から竜堂兄弟は「特別な存在である」とみなされ、平穏な生活を送る事などできなくなります。すでに力を行使している創竜伝2巻の段階でまだそのようなタワゴトをのたまっている事自体、竜堂兄弟の鈍感ぶりを示しているとしか思えないのですけど。

二巻で始が語っていたのはあくまで希望に過ぎないのではないでしょうか。まさかあの状態に至ってすんなりと元の生活に戻れるとは思っていなかったでしょうし。それに反撃しなければ船津忠厳を筆頭とする日本の権力者集団や四人姉妹の手下にされるか、ドクター田母沢の手でバラバラの標本にされる(^^;)かのいずれかだったでしょうから、半ば平和な生活を諦めて反撃に出たということなのでしょう。

>  それと、これは批評本編でも言及した事なのですが、創竜伝2巻の竜堂続とレディLの交渉以前に、竜堂兄弟が四人姉妹から何か危害を受けたことがありましたっけ? 日本の権力者集団が竜堂兄弟にやたらと攻撃を仕掛けていたというのはありましたけど、四人姉妹はむしろ竜堂兄弟に対して、日本の権力者集団を倒すために共に共闘しようと持ちかけてさえいます。その申し出を何の理由もなく一方的に拒絶し、四人姉妹を敵に回してしまったのは竜堂兄弟の方ではありませんか。すくなくとも最初の段階では四人姉妹が竜堂兄弟の生活を阻害したのではなく、逆に竜堂兄弟の方が自分から積極的に「平穏な生活」を捨てる選択肢を選んでいたわけです。

 平凡な生活を望んでいた竜堂兄弟にとって、権力者からの「俺たちと手を組もう」などという申し出は迷惑なものだったのでしょう。権力に関わってしまえば平凡な生活など望みうるはずもないですし、竜堂兄弟にとってレディLの申し出は「平凡な生活を乱す」事に変わりはなかったという事なのでは?

>  さらに「染血の夢」について言及すると、そもそも「染血の夢」計画が発動されても、それによって別に竜堂兄弟が被害を受けるわけではないですよね? 「染血の夢」計画において日本は救われる事になっていますし、「染血の夢」計画自体に竜堂兄弟を攻撃するプログラムが組み込まれているわけでもありません。したがって、竜堂兄弟が常日頃から主張している「自己防衛本能」から言っても、竜堂兄弟が「染血の夢」計画に反対する理由は全くないのです。
>  これでは竜堂兄弟の行動にマトモな理由をつけることなど、まず不可能ですよ。四人姉妹の支配方針に反対するのであれば、それなりの理由を必要とするはずなのですが。

 うーむ、これについては確かに竜堂兄弟は「五〇億人を殺すのは傲慢なマキャベリズムだからいかん」という理由のみで動いているように見えますね。まあ、動機としては人間の情にかなってはいますけど、代案もなしに「後の事は世界の国々が解決すべき事だ」とあっさり責任転嫁をしてそ知らぬふりをするのは無責任もいい所でしょう。
 ところで、不意に思ったのですがなぜ竜堂兄弟はわざわざ117代3000年もかけて転生したんでしょうか?一通り読み返してみたのですがその点について言及した文章は見つける事が出来ませんでした。転生ってそんなに時間がかかるんですかね?

親記事No.1368スレッドの返信投稿
board2 - No.1386

牛種はホントに冷酷な連中(笑)

投稿者:平松重之
2000年09月12日(火) 04時16分

 不意に思ったのですが、どうして牛種は自分達の古くからの支配地域であるヨーロッパ・キリスト教世界において人間が牛を家畜とする事を容認したのでしょうか?(笑)牛種は自分達と同じ顔をした(とは限らないかも知れませんが)動物が家畜にされ、乳をしぼられ、労働力としてこき使われ、挙句に肉にされて食われてしまっても何とも思わなかったのでしょうかね?うーむ冷酷だ(^^;)
 さらにはヨーロッパバイソン・アメリカバイソン・ジャコウウシなどの牛の仲間はヨーロッパ人によって絶滅寸前に追いやられていますが、これも牛種はなぜ見過ごしたのでしょうか?
 さすが人間の血の流れない牛種!残忍な奴等ですな(笑)。

 …くだらない事を書いてしまいました。妄文多謝m(__)m

mixiチェック