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- board2 - No.205
Re: Re191:中国人口論と前世論
- 投稿者:ケッk
- 1999年10月29日(金) 05時52分
まあまあ、この人バカなんですよ。
ただの因縁付けです。(笑)をしょっちゅう
いれてることからも、寒さがわかりますでしょ?ゆるしてやってください。低能なんです。
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- board2 - No.206
Re204:前世自慢について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月29日(金) 08時50分
<確かに、彼らは「もしかして自分の前世、何か竜堂兄弟と関係あるかも」と推測することは可能ですよね。でも、それって結局は「もしかして」止まりじゃないですか。水地、虹川、深海の三人は名前が竜に関係しているっていうつながりはあるけど、特に超能力を持っているわけではない。茉理ちゃんは、ピンチの時に鳥が助けに来てくれるってことがあったけど、それは竜には何の関係もないし、鳥が助けに来てくれるってだけなら、誰か鳥を操る能力を持った人が茉理ちゃんを見守ってて、助けてくれたって可能性も考えられる。いきなり「これは前世のおかげ」と結論出すのは結構厳しいと思いますが。特に前世を信じてない人にとっては。>
私に言わせれば、「自分が特殊な人間である」というあれだけの物的証拠があるのですから、「聡明な毒舌家」であるのならば「自分の前世」に気づけと言いたいところなのですけどね。あの状況と鳥羽茉理の境遇から、「自分自身の特殊な力が前世と何らかの関係がある」という思考もできないとしたら、やはり「低能」と断定しても不当ではないのではないでしょうか。
まあそのような断定をしなくとも、創竜伝における記述が「鳥羽茉理が自分の前世をおぼろげながら認識していた」ということを証明しています。それらの記述を引用してみましょう。
創竜伝4 P211下段~P212上段
<「いったい何ごとがおこったんだ」
「見てのとおりさ、鳥が助けてくれたらしい」
「おれたちを?」
「いや、おれたちはついでだな。助けたのは……たぶん、お姫さまだ」
3人の男は、六本の視線を鳥羽茉理に向けた。茉理は松永君を抱いたまま、やや呆然とたたずんでいたが、われに帰ったように、子犬を地面におろした。三人の男は彼女のもとに歩みよった。
「鳥羽君、君はいったい何者なんだ」
どう質問したらよいものか判断がつかず、ごく平凡に蜃海が尋ねると、茉理は、答えるに先だって前髪を指でかきあげた。
「さあ、昨日ぐらいまではわかっていたつもりだけど、ちょっと自信がなくなっちゃいました。わたしって、うーん、何者なのかしらね」
笑ったが、笑いをおさめると、茉理は、自分の姓について、ふと思いをめぐらした。彼女の姓は鳥羽で、いま彼女と仲間を救ってくれたのは羽族(鳥)の群だったのだ。ほんとうに、自分は何者なのだろう。>
この文章から鳥羽茉理が、彼女を救ってくれた「鳥」について「誰か鳥を操る能力を持った人が茉理ちゃんを見守ってて、助けてくれたって可能性」というものを何ら考慮していないというのが読み取れるでしょう。そして「自分は何者なのだろう」という問いかけすら行っていますし、例の三人組も鳥羽茉理に疑問を抱いています。ストーリーの流れから言っても、これは極めて自然な考え方だと思いますよ。
そして創竜伝6に決定的な描写があります。
創竜伝6 P62上段~下段
<「だめよ、あなたたち、手を出さないで!」
茉理の言葉は、鳥と人間と、どちらに向けられたのか、とっさに誰にも判断がつかなかった。意識的にそうしたのだ。最初、ウェストバージニア州の山中で鳥の大群に救われただけなら、一〇〇万回にひとつの偶然であったかもしれない。だが、いまこのような状況を見ると、けっして偶然ではありえなかった。鳥たちは茉理と仲間を守りに来たのだ。「自分は何者だろう」という疑問が、茉理の胸奥で強さと濃さを増した。>
これを見ても、鳥羽茉理はあくまで「鳥を呼び寄せる力は自分の力」であると認識しているのであり、それ以外の何者でもありません。もし仮に「鳥達が自らの意思で自分を助けてくれているのだ」などと鳥羽茉理が考えていたのならば、それこそ「低能」と断定されても不思議ではないでしょう。あまりにも御都合主義的すぎますから。ちなみに問題の評論はこのすぐ後に展開されています。
したがって、あの評論を語った際に鳥羽茉理が自分を顧みる事は充分に可能だったのであり、自分自身に対してあの評論が跳ね返ってくることを認識しないで自己否定的な評論をかました鳥羽茉理は「低能」であると断定せざるをえないのです。
<でも自分の身を顧みた発言てどんなのでしょう。彼女は「前世自慢をする人」をくだらないといってるのであって、その発言に自分の前世がどうとかいうのは全く関係してこないと思うのですが。>
この場合、自分たちが「四海竜王」だの「太真王夫人」だのといった「前世」を持っていると公言することが、赤の他人に「前世自慢」と取られるのではないか、という「自己相対化の視点から見た発言」でしょうね。だからああいうことをいうのならばせめて次のような「注意書き」があれば、もうすこし何とかなったかもしれないのですけど↓
≪当然「特殊な力を持ち、それが前世とかかわりがある」自分たちも、他人が見た目からは「前世自慢」と見られても仕方がないかもしれないが……≫
<これ、自然な解釈ですか??めっちゃ無理があると思いますけど。「前世が四海竜王というだけで偉そうにしやがって」という論理、ですか? そういう風に考えますかね?「ちょっとすごい力持ってるからっていい気になりやがって。そんなもん所詮は前世の力だろ」ならわかるんですけどね。それって「自分の力を自慢している」という風に解釈しているのであって「前世の自慢」ということにはならないですよね。>
すいません、うまい文章が思い浮かばなかったのでああいう文章になってしまったのですが、うまく伝わらなかったようですね。
私が「竜堂兄弟が前世自慢をしている」という根拠は、竜堂兄弟の意思の問題ではなく、他人が「俺達の前世は四海竜王」と言った話を聞いた時にどのような印象を受けるか、ということなのです。巷の前世自慢だって、当人は全く自慢していないかもしれないのに、そう他人に言いふらすことによって「前世自慢をしている」というふうに解釈されるという一面があるのです。「前世自慢」をしている当人がどう考えているかは実際のところ、赤の他人には全くわからないものですから、外見と行動で他人はそう判断しているのでしょう? 「前世自慢」の実態なんてそんなものですよ。「前世自慢」をしている全員が同じ考えなわけがないのですから。もちろん、実際に前世自慢をしている人もいるかもしれませんが、それを含めて、他人に対して「自分の前世を語る」という行為それ自体が、「あれは前世自慢である」と他人に印象づけられるであろうという考えから、私は「竜堂兄弟一派は前世自慢をしている」と解釈したのです。
ましてや竜堂兄弟や鳥羽茉理は、単なる前世自慢とちがって「特殊な力」まで付与されているのですから、その力を振るう際の他人から見た感想は「連中は特殊な力を誇示している」というものになるでしょうし、その力が「前世」によってもたらされたものと知れば、やはり「前世自慢をしている」と思うではないでしょうか。その他人相手に、竜堂兄弟や鳥羽茉理が「自分たちは前世自慢をしていない」などと口で言ってみても、そんな主張を誰が信じるでしょうか。自分達にない「特殊な力」を保有している竜堂兄弟を見、しかも竜堂兄弟や鳥羽茉理の内心を読む術などない赤の他人の立場から考えてみれば、嫉妬と羨望、それに敗北感から「前世自慢」と受け取るのは極めて自然な事ではないでしょうか。世の中の人間は「敗北した事がない」竜堂兄弟ほどには物分かりがよくありませんので(笑)。
この手の「自慢話」は「自分の意思」よりも「他人がどのように解釈するか」が重要なのです。その観点から見ても鳥羽茉理の批判は見当はずれなものであり、やはり「低能」と断定せざるをえないものでしかありません。
<なんだかこの文章を読むと、「竜堂兄弟とその仲間たち」が「前世が立派な地位にあった人」を否定したみたいですけど、実際には、「茉理ちゃん」が「前世自慢をする人」を否定してるんじゃないですか? 彼女の台詞から私はそうとりましたけど。>
鳥羽茉理の「前世自慢批判」の前提として「前世が立派な地位にあったことを誇示している」というものがあり、彼女はそれをも皮肉っています。それが自分にそっくりそのまま当てはまる事も認識せずに。
それにこと竜堂兄弟と鳥羽茉理の思想は、創竜伝をどう読んでもほとんど同じものであると思いますよ。竜堂兄弟一派はあまりにも画一的な思想を共有していますし(笑)。だから「鳥羽茉理の思考=竜堂兄弟の思考」と考えても、それほどの違和感も不自然さもありませんし、万が一これが鳥羽茉理個人の思考であったとしても、彼女が竜堂兄弟や自分自身を自己批判するような個所がどこにも見られないのは不思議な限りですね。他人を批判しながら自分を顧みないというのでは、やはり「自己相対化ができない」ということで「低能」よばわりはやむをえないと思います。
<どうでもいいですが、この場面の茉理ちゃんの台詞って「社会評論」なんですか?茉理ちゃんの一意見であって、こういうものに対する考えって個人個人で持ってるものだと思うんですが。敵であるランバート・クラークの前で敢えていってるのは喧嘩売るためだと思ったし。私はこの場面が田中芳樹の評論とは思えませんでした。>
heinkelさんも仰っていましたが、あの部分は前後のストーリーと何の関係もありません。あの評論における「ダライ・ラマ」も「前世論」も、ストーリー本編の中では不要なものです。したがって、あれは「田中芳樹の評論」とみなすのが自然であろうと思います。
また仮に「あれは鳥羽茉理個人の意見である」としても、その鳥羽茉理を低能に描写している田中芳樹の責任は免れないでしょう。それとも「低能な社会評論を語っている」責任を全部鳥羽茉理に押しつけますか? 私はそれでもかまいませんけど。好きなだけキャラクターを「低能」呼ばわりできますし(^-^)。
<前世を題材にした物語に出てくる人がみんな前世肯定派じゃなきゃいけないってことはないんじゃないでしょうか。>
確かにその通りですけど、「前世を主張する陣営」があのような自己否定論を語れば、キャラクターやストーリーの世界観にどういう悪影響を与えるのか、というのはいまさら言うまでもないかと思いますが。「敵の陣営が前世を語った上で」自分の陣営がああいう批判を行うのならば、それなりにつじつまが合うのですけど。
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- board2 - No.207
Re184/202:民主制と本論10について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月29日(金) 08時53分
>184 管理人さん
<古代ギリシャ・ローマの民主制(と言っていいか。共和制)と近代民主制は全く別のものと捉えるべきでしょうね。
奴隷制を前提にしたギリシャ・ローマ共和制と、人権がア・プリオリに付与される近代民主制は、似ていますが方向性が全く違います。
アメリカにも奴隷制がありましたが、近代民主主義を押し進めていくと必然的にこれは消滅する運命にありました。ifで南軍が勝とうとも、歴史の流れの大勢は変わらなかったでしょう(現代の病的平等志向はその流れの行きすぎですが)。
しかし、古代共和制は、ifあのまま共和大勢が続いたとしても、奴隷制度が無くなることはなかったでしょう。>
私は田中芳樹が民主主義論を語るとき、古代ギリシア・ローマを念頭においているのではないかと思いますね。何しろこの2つはキリスト教と何の関係もありませんし(笑)、案外、民主主義の起源をここに求めているのかもしれません。
それに古代ギリシア・ローマの「民主主義」ならば、民主主義の平等思想と竜堂兄弟の特殊な力の矛盾も説明できますし、あの「有権者」を貶める姿勢も「奴隷を見た主人の視点から論じている」と解釈する事で説明ができます。
まあ、あまりにも自虐的な論理ですが(笑)。
>202 heinkelさん
<このように口先だけならどんな国家も言っていることです。それが実態をともなっているか判断し、評価を下せるのは、我々が「外国人」であるからではないでしょうか。>
アメリカの公民権運動では、黒人も白人も「自分達自身の問題」と受け止めていましたし、民主主義国家であるならば様々な主張や意見交換などを通じて、自分達の問題に評価を下す事ができるのではないでしょうか? そしてそれこそが「他力本願に陥らない」民主主義の理想形態であると思うのですが。
それに中華人民共和国憲法前文とやらの文言には問題がありますね。
「民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない」
これは民族弾圧を正当化している文言です。これでは却って民族独立運動を煽るようなものです。
アメリカも中国も共に多民族国家ではありますが、国民意識があるか否かで、民族問題の格差は歴然たるものでしょう。これだけでも、アメリカから学ぶべきものは多いのではないでしょうか。
<アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。>
う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
<田中芳樹には全体主義の要素の一つ「過度な平等主義」といったものは感じられません。「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか。「夏の魔術」に登場する北本氏は典型的な不労所得者ですし、「晴れた空から突然に…」に登場する飛行船会社社長の有本泰造氏は「汚い手段で金を稼いだ」人物ではあっても好意的に描かれています。
竜堂兄弟の「懲らしめ」の発想の危険性、には同意しますが、結論部分はいかがなものでしょうか。>
その手の資産家は「夢幻都市」の東堂伸彦、「地球儀シリーズ」の倉橋浩之介などがいますが、実は彼らには共通点があるのです。それは「彼らは常に資産家としては異端者として描かれている」というものです。
北本氏はバブル期に不正な土地ころがしをせず、しかも銀行家を嫌っているという設定ですし、有本泰造は財界の嫌われ者、東堂伸彦は文化を保護したり強権的な父親に反発している理想主義者、倉橋浩之介は偉人であるといったように、とにかく「他の資産家とは違う」という事をくどいまでに強調しています。そして彼らを相対化するかのように、常に「卑俗に描かれた本来の資産家」なるものが登場します。
つまり田中芳樹に言わせれば、比較的良心的に描かれている彼らは資産家としてはあくまでも例外的な存在であり、基本路線はやはり創竜伝に見られるような「資産家=悪」であるというものでしょう。そしてそちらが本音であるという事は、創竜伝のあのしつこいまでの社会評論や文庫本での対談・あとがきを見れば一目瞭然です。この点で管理人さんの主張は間違ってはいないと思います。
<それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします。>
「民主主義を錦の御旗にしている」というのは、田中芳樹が日本を批判する際にやたらと「民主主義的ではない」という文言を持ち出す事に対する皮肉なのではないでしょうか。民主主義の概念も理解せずに「民主主義的ではないからあれはイカン、これはイカン」とのたまっている田中芳樹の態度を指していると私は解釈しましたが。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.208
Re: Re204:前世自慢について
- 投稿者:くらり
- 1999年10月29日(金) 12時21分
冒険風ライダーさんは書きました
<好きなだけキャラクターを「低能」呼ばわりできますし(^-^)。>
ここだけ取り上げて言うのも卑怯かもしれませんが、『「低脳」呼ばわり』するのが目的なんですか? その言い方、凄く釈然としません。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.209
Re: Re204:前世自慢について
- 投稿者:ケッk
- 1999年10月29日(金) 13時59分
だから、このひと低能の厨房なんですよ。
読んでる本からも、無教養で、頭がいいと
勘違いしている、思春期クンみたいなレベル
がうかがえます。ゆるしてやってください。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.210
Re208:挑発
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月29日(金) 14時44分
<ここだけ取り上げて言うのも卑怯かもしれませんが、『「低脳」呼ばわり』するのが目的なんですか? その言い方、凄く釈然としません。>
そうでしょうねえ、確かに。
しかしizumi さんが言う 「キャラクターが語る評論が田中芳樹のものではなく、あくまでキャラクターのものである」という考えが成り立つのならば、当然低レベルな社会評論を語るキャラクターが自らの言動の責任を取らなければならない、という意味で、あえて挑発的に書いてみたのです。
この理論は創竜伝擁護にも田中芳樹擁護にもなっていないのですよ。結局のところ、下らない小説を書く田中芳樹の責任を小説中のキャラクターに押し付けるというものでしかないのですから。むしろ私は「フィクションだから許される」と同様に、創竜伝を貶めるものでしかないと考えています。
キャラクターを「低能」と断定することについては、「私の創竜伝考察24」におけるドロ改さんとの論争で詳しく論じていますので、そちらをごらんいただければ良いかと思います。
それとNo.205と209の投稿者へ。
下らんイッチョカミ投稿をしている暇があるのなら、私に対して理論的に反論してはいかがかな? 単なる追従投稿は正直うんざりするのだが。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.211
芳樹の民主主義(補足)
- 投稿者:heinkel
- 1999年10月29日(金) 15時03分
>「民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない」
これは民族弾圧を正当化している文言です。
・・・私も引用していて、思いましたよ。中国憲法の前文はかなり笑えるので、御一読をおすすめします(やたら長いけど)。
> う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
もちろん思想内容を問うているのですよ。「貧困は犯罪を生む大きな原因である。」として、ヒトラーを生むことになった当時の経済状況を無視すべきでない、というのなら、ベストセラー作家の田中芳樹がなんでヒトラーのようなメンタリティを持ったりするの?という意味。まあ、ここは本筋ではありませんが。
> つまり田中芳樹に言わせれば、比較的良心的に描かれている彼らは資産家としてはあくまでも例外的な存在であり、基本路線はやはり創竜伝に見られるような「資産家=悪」であるというものでしょう。そしてそちらが本音であるという事は、創竜伝のあのしつこいまでの社会評論や文庫本での対談・あとがきを見れば一目瞭然です。この点で管理人さんの主張は間違ってはいないと思います。
創竜伝のことを言われるとつらいのですが(こればっかだな)。とにかく、好悪の区別を付けているのだから、「金持ちならすべて悪」というひがみ根性の持ち主ではなかろう、ということです。
> 「民主主義を錦の御旗にしている」というのは、田中芳樹が日本を批判する際にやたらと「民主主義的ではない」という文言を持ち出す事に対する皮肉なのではないでしょうか。民主主義の概念も理解せずに「民主主義的ではないからあれはイカン、これはイカン」とのたまっている田中芳樹の態度を指していると私は解釈しましたが。
そういう解釈ならば納得しますけどね。創竜伝の「民主主義」なんて、日本罵倒の手段にしか使われてないから。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.213
Re: Re204:他人の目
- 投稿者:Merkatz
- 1999年10月29日(金) 19時39分
>この手の「自慢話」は「自分の意思」よりも「他人がどのように解釈するか」が重要なのです。
「君はときどき、鈍感になるな。ライバルとは他の誰でもない、君のことだ」
「私が、ですか?」
「そう、君だ」
(銀英伝一巻より)
上記はシトレ元帥とヤンの会話です。フォークがライバル意識を持って自分に対抗していることを知らされて、困惑するヤンという場面ですが、まさに「他人がどのように解釈するか」が重要なわけですね。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.215
Re:211
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年10月29日(金) 21時04分
heinkelさんは書きました
> > う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
>
> もちろん思想内容を問うているのですよ。「貧困は犯罪を生む大きな原因である。」として、ヒトラーを生むことになった当時の経済状況を無視すべきでない、というのなら、ベストセラー作家の田中芳樹がなんでヒトラーのようなメンタリティを持ったりするの?という意味。まあ、ここは本筋ではありませんが。
はじめまして、仕立て屋と申します。
まず、はっきりさせておくべきは、田中氏自身が自らを、その作中で登場させるようなステロタイプな悪の資本家であるとは認識していない点であろう。彼は、まっとうな手段でお金を稼ぐこと自体には特に嫌悪感を示さないはずである。当然、自らの創作活動を、才能を生かした生業と規定し、まっとうな職業だと思っているはずだ。つまりベストセラー作家になったというのはまっとうな生業の結果に過ぎないということだ。
ヒトラーと田中氏のメンタリティー面における類似性の指摘に関しては、以下述べたい。
当時の貧困が対ユダヤ国際主義殲滅の思想を標榜するナチスを台頭させたように、環境がある種の思想、メンタリティーを増長させるというのはありえない話ではない。しかし、ナチスの政策的支柱である反国際ユダヤ主義が単に当時の貧困という社会状況を背景にして台頭してきた、と見るだけでは不充分であり、本質を捉えているとは言いがたい。普遍性にかけるからだ。貧者が富者を排除したいと望むのは、つきつめてみれば、貧者が富者に搾取されているというように、「自己保存」に対する脅威がその精神性の根底にあるのである。この自己保存、自存自衛という感情は人間の本能であり、それは状況を選ばず、発動される。ナチスの台頭をゆるした当時のドイツやオーストリアでは、ユダヤは自存自衛に対する挑戦者であるという一般的アーリア系ドイツ人、オーストリア人が無意識のうちに抱いていた反国際ユダヤ主義の思想をナチスが纏め上げ、「自存自衛」の名のもとに制限無く拡大していった結果があの忌まわしいホロコーストへとつながってしまった。一方、創竜伝における竜堂兄弟を例にあげれば、「自存自衛」を理由に権力者およびその関係者を過剰なほど無制限に打ちのめしていくという場面が繰り返される。ナチスも竜堂兄弟もおかれている状況こそ違えど、その根底には「自存自衛」の名の元であれば一切の行為は際限無く正当化され得る、という誰もが普遍的に持っている行動理念が働いている。そして、共にその過剰さを剥き出しにしているという共通点を踏まえた上で、そうした行動理念の理論的バックボーンとなる田中氏やヒトラーの精神性における類似性を管理人さんは指摘しているのだと思う。
「自存自衛」の無制限な拡大は、時に厄介なものとなる。その考え方の出自からして、「自存自衛」は絶対正義に陥りやすく、歯止めの掛かりにくい代物である。そしてそれは、状況を選ばない、つまりいかなる場面でも適用されやすいという点で、その発動は人類の歴史にたびたび見られる。そして、「自存自衛」は絶対正義であるという考え方は状況を選ばず適用可能であるため、田中氏とヒトラーの類似性を指摘する上で、考慮するには何ら問題ないであろう。
- 親記事No.121スレッドの返信投稿
- board2 - No.216
田中芳樹の正義についてなど
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年10月29日(金) 23時32分
>アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。
すでに冒険風ライダーさんと仕立て屋さんに解説していただいているので、私としては重複しないところを説明したいと思います(冒険風ライダーさんの、田中芳樹が善意に解釈する金持ちの解析は意外な方向からの射撃で感心させていただきました)。
まず、『「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか』に付いては、冒険風ライダーさんが語られたように、彼の作品の中では例外、珍しい存在であることが挙げられます。
しかしながら、その上で言っておきたいのは、本論10にて私が挙げた本意は、「金持ちに対する当時のドイツ人と田中芳樹の反応の類似性」ではないということです。類似性については、当時のドイツ人にとって、金持ちや資本家(特にユダヤ人の)は自らの存在意義を侵害する脅威であったと言うことであり、それが、権力者を武力や資本によって自らの固有性を侵害する脅威だと思った(正確には勝手に思っている、だが…)竜堂兄弟と共通していると言うことです。
>それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします
私は田中芳樹と違って人間には正義が不可欠だと思っていますが、それには正義に対する検証が常に必要だと思います。しかるに、田中芳樹は現代物において、その検証をしているでしょうか? 私には、「民主主義」という言葉を、逆らうことの許されない正義の代名詞として使っているとしか思えません(しかも表面的に俺達は正義ではない、ということでその内容を検証しようなどと思いもしないですし)。その様は彼が嫌っているはずの狂信的キリスト教徒が、神の御名という反論を許さない正義を振りかざしている様と同じではないでしょうか。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.217
Re: Re204:前世自慢について
- 投稿者:織田
- 1999年10月30日(土) 03時16分
以前に一度だけ書き込みさせてもらった織田です。いつもはROMってたんですが、今回は少し気になった事があったもんで。
冒険風ライダーさんが引用しておられる、茉理が前世に気付いてもおかしくないという鳥を操る描写ですが、あれで前世に気付くのって無理がありませんか?
「特殊能力がある」「姓が特別」なら、普通は自分の血筋になにかあると考えると思いますが。例えば「姓が安倍」で「強い霊能力がある」人がいたら(何か陳腐な例ですが)、「俺の先祖ってもしかして安倍晴明」とちょっとくらいかんがえても(普通はそれすら考えない)、いきなり「俺の前世は安倍晴明」とまですっとんだ思考はしないと思います。
また、例の三人の「前世からの因縁云々」も、izumiさんがおっしゃられたように「もしかして」止まりでしかありません。私でも友達に「柴田」「明智」「丹羽」って名前のやつが揃ってたら、「俺達前世からの因縁があるのかも」くらいは言うでしょう。
結局、茉理達が前世に気付いていたと考えるには、あまりにも弱いと思います。
それからもう一つ。
茉理がクラークに言ったのは、「前世なんて存在しない、もしくはあっても唯の一般人」でしかない人々が、前世は「偉人」であったと自慢する事に対して皮肉っているのであって、竜堂兄弟には当てはまらないと思います。また、茉理の発言の根底にあるのは「今現在別にたいしたことない人が、前世の栄光(があったと信じてる)にすがろうとしてる」事の愚かしさを笑ってるのであって、これも竜堂兄弟には特にあてはまらない。
結局、今回の冒険風ライダーさんの批判って、「前世」というキーワードが同じというだけで、本質は別のものを同一視してるようにしか見えませんでした。
以上駄文でした。別に茉理が低脳だろうがどうでもいいんですが、人を低脳とこき下ろすには論拠が希薄だと思ったもので。
それでは
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.218
Re217:前世認識と前世自慢
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年10月30日(土) 10時20分
>茉理の前世認識
なるほど、確かに「特殊能力がある」「姓が特別」だけであるならば、血筋という説も考えられたかもしれません。しかし基礎中の基礎と思ったのであえて出さなかったのですが、鳥羽茉理の場合、それに加えて「竜堂兄弟が四海竜王である」という「前世話」を知っていたではありませんか。そこにあの2つの要素が加われば、自分の前世に対する認識をもつことは充分に可能であると思いますが。
それに「血筋」の方にもかなりの無理がありますね。ただ「血が繋がっていた」というだけの話と違って彼らには特殊な力が備わっていますし、おまけに彼らの両親や祖父には「特殊な力」が全くありません。あの「特殊な力」はあくまでも彼らのみのものであり、その他の血縁者が全く普通の人間である以上、「血筋」という線にもかなりの無理があります。「特殊な力を持った一族」であるというのならばまだ理解できるのですが、竜堂兄弟が「前世」を持っているという事でそれも否定されています。
それからどうも誤解しているようですが、私もあの時点で「鳥羽茉理の前世の正体が完全に判明した」とは言っておりません。ただ「自分の前世が竜堂兄弟と同じような前世を持っていたかもしれない」という認識を持つことはできるし、そこからあの社会評論が「同じような前世を持っているかもしれない自分達の自己否定に繋がるのではないか」「自分達の前世を聞いた時の他人が同じように解釈するのではないか」と考える事は充分にできる、というのが私の主張なのです。
万が一、鳥羽茉理が自分を顧みることができなくとも、すくなくとも竜堂兄弟を顧みる事ぐらいは充分に可能なように思えるのですが。
>前世自慢
だからこれは前にも言った通り「竜堂兄弟や鳥羽茉理の意思」が問題なのではなく、「前世話を聞かされた時の他人がどのように解釈するか」という問題なのですよ。あのような評論を主張している鳥羽茉理自身が他人の前世話を聞いて勝手に「前世自慢」と受け取ったのがその好例ではないですか。前世話をする人間の内心なんて本人以外にはわかるはずもありません。自分の売りこみが目的かもしれないし、注目を集める事が目的かもしれない。そのような多種多様な考え方を全部ひっくるめて「前世自慢」などと一律に片付ける鳥羽茉理の評論の手法が笑止なんですよ。
そして竜堂兄弟や鳥羽茉理の内心は、確かに創竜伝の読者には一目瞭然でしょう。しかしそれはあくまでも「小説だからこそ」理解できるのであって、普通は竜堂兄弟や鳥羽茉理の「前世自慢をしていない」という内心など、他人には知る術もないのですよ。あの評論を見ていると、竜堂兄弟や鳥羽茉理が「前世話」を展開したり「特殊な力」をひけらかしたりしたら、彼らの内心にかかわらず、彼らを見る他人の目からは「前世自慢」と受け取るのではないか、という視点が、彼らには全くないとしか思えません。
だから私の批判の主要な眼目はあくまでも「あのような評論を語っている自分達自身が他人からどのように写っているか」という視点がないというものであり、それを「前世話」から見てみたというものです。だからこそあえて連中の内心に目をつぶって「あの連中は前世自慢をしている(ように見える)」と「連中の内心が読めない他人の視点」から解釈したのです。
それから私がキャラクターを徹底的に「低能」とこき下ろす件についても、私がドロ改さんとの論争で主張した「キャラクターによるストーリー破綻」という理由を挙げたとしても、その表面だけを見て「やっぱりキャラクターをこき下ろす事自体が目的なのだろう」と解釈する人もいるでしょうね。私の内心は私以外には知る術もない以上、それは当然の事です。私はそれを覚悟の上でやっていますよ。
そのような「他人から見て自分たちがどう写るか、という視点」を、竜堂兄弟や鳥羽茉理だけでなく、創竜伝における「聡明な毒舌家」なる連中が持っているとは到底思えませんね。だからこそ、敵や日本政府を「低能」だの「軍国主義」などとこき下ろす創竜伝の「聡明な毒舌家」に対して全く同じ手法でやり返し、その醜悪さを相対化する事には意義があると思うのです。
- 親記事No.186スレッドの返信投稿
- board2 - No.219
Re: Re217:前世認識と前世自慢
- 投稿者:ケッk
- 1999年10月30日(土) 16時04分
冒険風ライダーさんは書きました
> >茉理の前世認識
>
> なるほど、確かに「特殊能力がある」「姓が特別」だけであるならば、血筋という説も考えられたかもしれません。しかし基礎中の基礎と思ったのであえて出さなかったのですが、鳥羽茉理の場合、それに加えて「竜堂兄弟が四海竜王である」という「前世話」を知っていたではありませんか。そこにあの2つの要素が加われば、自分の前世に対する認識をもつことは充分に可能であると思いますが。
> それに「血筋」の方にもかなりの無理がありますね。ただ「血が繋がっていた」というだけの話と違って彼らには特殊な力が備わっていますし、おまけに彼らの両親や祖父には「特殊な力」が全くありません。あの「特殊な力」はあくまでも彼らのみのものであり、その他の血縁者が全く普通の人間である以上、「血筋」という線にもかなりの無理があります。「特殊な力を持った一族」であるというのならばまだ理解できるのですが、竜堂兄弟が「前世」を持っているという事でそれも否定されています。
> それからどうも誤解しているようですが、私もあの時点で「鳥羽茉理の前世の正体が完全に判明した」とは言っておりません。ただ「自分の前世が竜堂兄弟と同じような前世を持っていたかもしれない」という認識を持つことはできるし、そこからあの社会評論が「同じような前世を持っているかもしれない自分達の自己否定に繋がるのではないか」「自分達の前世を聞いた時の他人が同じように解釈するのではないか」と考える事は充分にできる、というのが私の主張なのです。
> 万が一、鳥羽茉理が自分を顧みることができなくとも、すくなくとも竜堂兄弟を顧みる事ぐらいは充分に可能なように思えるのですが。
>
>
> >前世自慢
>
> だからこれは前にも言った通り「竜堂兄弟や鳥羽茉理の意思」が問題なのではなく、「前世話を聞かされた時の他人がどのように解釈するか」という問題なのですよ。あのような評論を主張している鳥羽茉理自身が他人の前世話を聞いて勝手に「前世自慢」と受け取ったのがその好例ではないですか。前世話をする人間の内心なんて本人以外にはわかるはずもありません。自分の売りこみが目的かもしれないし、注目を集める事が目的かもしれない。そのような多種多様な考え方を全部ひっくるめて「前世自慢」などと一律に片付ける鳥羽茉理の評論の手法が笑止なんですよ。
> そして竜堂兄弟や鳥羽茉理の内心は、確かに創竜伝の読者には一目瞭然でしょう。しかしそれはあくまでも「小説だからこそ」理解できるのであって、普通は竜堂兄弟や鳥羽茉理の「前世自慢をしていない」という内心など、他人には知る術もないのですよ。あの評論を見ていると、竜堂兄弟や鳥羽茉理が「前世話」を展開したり「特殊な力」をひけらかしたりしたら、彼らの内心にかかわらず、彼らを見る他人の目からは「前世自慢」と受け取るのではないか、という視点が、彼らには全くないとしか思えません。
> だから私の批判の主要な眼目はあくまでも「あのような評論を語っている自分達自身が他人からどのように写っているか」という視点がないというものであり、それを「前世話」から見てみたというものです。だからこそあえて連中の内心に目をつぶって「あの連中は前世自慢をしている(ように見える)」と「連中の内心が読めない他人の視点」から解釈したのです。
>
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> それから私がキャラクターを徹底的に「低能」とこき下ろす件についても、私がドロ改さんとの論争で主張した「キャラクターによるストーリー破綻」という理由を挙げたとしても、その表面だけを見て「やっぱりキャラクターをこき下ろす事自体が目的なのだろう」と解釈する人もいるでしょうね。私の内心は私以外には知る術もない以上、それは当然の事です。私はそれを覚悟の上でやっていますよ。
> そのような「他人から見て自分たちがどう写るか、という視点」を、竜堂兄弟や鳥羽茉理だけでなく、創竜伝における「聡明な毒舌家」なる連中が持っているとは到底思えませんね。だからこそ、敵や日本政府を「低能」だの「軍国主義」などとこき下ろす創竜伝の「聡明な毒舌家」に対して全く同じ手法でやり返し、その醜悪さを相対化する事には意義があると思うのです。
だからさー、おまえは低能な田中にそれ以上
のくだらんいちゃもんつけてる、クソなんだって、みとめようよ、ボクちゃん