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投稿ログ170 (No.3033 - No.3046)

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board4 - No.3033

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:Ken
2002年10月10日(木) 15時32分

SAIさま、

レスありがとうございます。議論が、人口論議の時のように、冷静なものになってきて喜んでおります。(と、いうか、私一人が感情的になっていたのかも・・・)

今回は、SAIさんのご意見を踏まえた上で、あらためて愚見も述べてみたいと思います。

>その少数の人間に王をやってもらうしかないのでは。
>つまり政治的には王制、ただし経済的には極端な格差が生じないようにする

これは面白い意見ですね。なんだか「堯舜の世」とか「周公の治世」を連想させます。ひょっとしてSAIさんは孔子ファン?(皮肉を言っているのではありません。中国ほどの偉大な文明が、二千年も奉じてきた思想に、真理を突いた部分がないはずはない、と思います。)

ただ、問題は、その王をどうやって選ぶか、という点にあります。民衆が寄り合って決める。意見が合わない場合は、多数決で・・・ということでは、結局アメリカ式のデモクラシーになります。

>次の時代にならねばわかりません

といってことを済ませ、代案がないままにデモクラシーを否定し、結果的に封建制や絶対王政やファシズムやコミュニズムの復活に道を開くわけにもゆかないでしょう。

>50、60年代のアメリカ、70年代80年代のドイツ・日本

これも私には、面白い意見です。50年代、60年代のアメリカといえば、私の印象は、黒人解放前(SAIさんに言わせれば、「あんなのは解放ではない」のかもしれませんが、要するに選挙で投票でき、ともかく初等教育を受け、白人と同じ学校へ行き、なによりもキング牧師のような、多くの白人にさえ支持・尊敬される人物が登場する時代の前)、女性解放前、有色人種の移民解禁前の「暗い時代」というものです。それこそ、SAIさんの言われる

>一番下が400万ぐらいで、一番上が1600万、で大多くが800万から1000万ぐらい

が事実だったとしても、それは白人男性に限った話で、黒人やアジア系の状況は今よりずっと悪かったのではありませんか?

私はドイツの状況は分かりません。日本については、70年代までは、徳川時代以来の伝統がまだ非常に強く、自由競争が起きないように「身分秩序」を大切にした時代だと思っています。もちろん封建的身分秩序はなくなっていましたが、「18歳でどの大学に入ったか」「22歳でどこに就職したか」で、社会の強者になるか弱者になるかが決まり、一度決まると固定して動かない、という点では「身分」でしょう。(もちろん例外があったことは認めます。要するに、現在と比べて、そういう傾向が非常に強かった、という意味です。)

結局、50年代のアメリカにも、70年代までの日本にも共通しているのは、今よりずっと個人レベルの競争が少なかったということではありませんか?それ自体は悪いことではないかもしれませんが、そのような体制を維持するために、一旦決まった「身分」を死ぬまで固定し、一方では高級官僚や大企業の社員に根拠のないプライドをもたせ、一方では中小零細企業に「下請け」としての地位を強制し、息が詰まるような社会にしてしまった、と思っています。(なんだか益々孔子に似てきましたね。孔子は君臣の別や長幼の序を訴え続けましたが、私は、彼がただ権力におもねっただけの人間とは思いません。おそらく彼の目標は、「人間を野蛮人に変える自由競争を排除する」ということにあり、そのためには、凡庸な君主に統治される程度のことは、我慢しよう、と言ったのでしょう。)そんな身分秩序を破壊したのは、中国や日本の戦国時代もそうだったように、自由競争だと思います。

私は、SAIさんの言われるような、富の偏在が少ない社会が、身分秩序の固定なしに実現できるなら、それに越したことはないと思います。しかし、人間の能力と運に差がある以上、大勝者も惨敗者も出さないためには、自由競争を抑制するよりなく、競争を抑制しようとすれば、各人に「分をわきまえさせる」、孔子・徳川幕府式しかないではないか、と考えます。そのような社会には、賛成できませんので、いまの私たちに思いつく中で最善の体制は、アメリカ式の競争社会ではないか、と思います。

>黒人が引っ越してくれば回りの白人は次々と引っ越していなくなり、地価は下がり、貧しい黒人たちしかすまなくなる
>豊かな白人は常に与える側、貧しい黒人は常に与えられる側

なるほど、ようやくSAIさんの考えが分かりました。分かりましたが、ここで言われているのが「差別」だとすれば、なんだか随分穏やかというか、甘ったるい差別ですね。人類史上に数限りなく発生した正真正銘の差別とは、強者が弱者を追い出して土地を奪い、強者があらゆる機会を設けて弱者の富を奪うことだったはずです。私はなにもアメリカが理想の社会と言っているのではありませんが、ただ60年代以降、少しでも差別を減らす方向へ向かって努力してきたことを認めようではないか、と言っているのです。白人が黒人に町を明け渡して去ったり、法外な賠償金を渡してもめごとを済まそうとするのは、かつての(まさしく50、60年代までの)状況に比べれば進歩だと思っています。

いろいろ批判をしましたが、SAIさんが理想とされるような社会に、私は諸手を上げて賛成はできないまでも、そういう社会は存在するべきではない、というほど強い敵対心も抱いてはいません。そのような社会は息苦しいし、実力による競争がない以上、賄賂や汚職が横行すると思いますが、

>安定しているため未来を心配する必要はない

のは確かだと思います。

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board4 - No.3034

私なら論争をします

投稿者:佐々木公彦
2002年10月10日(木) 17時07分

> しかし、中期田中作品が一番いいと考えている人々は当然ながら不満を感じます。
> (今のあなた方の様に)
> それで、彼らの中には田中芳樹に もとの作風(中期)にもどってほしくて
> 後期田中作品および現在の田中芳樹の思想を批判するサイトを立ち上げて
> それが一定の支持を集めるほどの能力を持っているとしましょう。
> そのサイトをなんらかの理由で発見した場合、あなた方はどういう対処を行うのか
> 昔を懐かしんで支援するのか、田中芳樹にまた変節されてはかなわんと攻撃するのか
> ぜひ、教えて欲しいです。

創竜伝が作品としていい物だという人は無視しますが、創竜伝が思想的にいい物だと考える人物には論争を挑むでしょう。
すでにやってるし。


>
>  ちなみに私にとっては田中芳樹は過去の人で、
> 彼の現在の作品にはまったくといっていいほど興味はありません。

アルスラーンを完結させて、タイタニアと灼熱の竜騎兵から手を引いて他の人に譲ってくれれば私にとっても過去の人物にできるのですが・・・

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board4 - No.3035

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:古典SFファン
2002年10月11日(金) 01時46分

横レス:
(・・申し訳有りません、見ていてどうしても書きたくなってしまって・・)
>
> >その少数の人間に王をやってもらうしかないのでは。
> >つまり政治的には王制、ただし経済的には極端な格差が生じないようにする
>
> これは面白い意見ですね。なんだか「堯舜の世」とか「周公の治世」を連想させます。ひょっとしてSAIさんは孔子ファン?(皮肉を言っているのではありません。中国ほどの偉大な文明が、二千年も奉じてきた思想に、真理を突いた部分がないはずはない、と思います。)
>
> ただ、問題は、その王をどうやって選ぶか、という点にあります。民衆が寄り合って決める。意見が合わない場合は、多数決で・・・ということでは、結局アメリカ式のデモクラシーになります。
>
Kenさん:
一旦その種の体制が成立したら、王制である以上、移行期を除いて
民衆によって王が選ばれる事はないでしょう。
ローマ皇帝たちがこの課程を模式的になぞっています。
執政官から終身執政官へ、そして事実上の皇帝へ。
皇帝が次の皇帝を選ぶか、貴族院のような「帝室の藩屏」の賛成を
取り付けるかする仕組みを使用している限り、権力の交替に民衆が
第一人者として関わる事(選挙)はなくなるか、あっても重要では
なくなります。

SAIさん:
この種の仕組みが廃れたのは、「愚かな皇帝」「腐敗した貴族」「既得権益に群がる特権階級」を必ず発生させる事と、
市民が経済力をつけると、必ず自らの利益代表を政治の場に送る事を
望むからです。
・・ごく単純に、それにより利益を得るか拡大するためであるにせよ。

権力を市民が選ぶ人間にではなく「公益に奉仕する有能な個人」に委ねるシステムは、
衆愚政治に絶望した人間がローマ時代から夢想してきたシステムです。
それは、知られる限りでは何千年も書物に現れつづけ・・・
そして実現に失敗しつづけています。
直接民主制や代議制民主制の方は、同じくその時代から原型があり、
その長所も欠点もかなり良く知られています。

どんな体制を取ろうと、所詮人間が為政者である限り、「失政は政治の本質」です。
現在の所、失政における害を相対的に少なくする事が出来るのは、
王制や専制よりも民主制であるという事は、広く認知された事実であると思います。

どのような賢者も人であり、絶対に判断のミスから逃れる事は出来ません。
むしろ公益に奉仕する意思そのものが、かれを盲目とし、自らの能力の
限界に対する判断を誤らせる根源となりえる。
そう、かのジョアン・レベロのように。

私が知る限り(そして確信する限り)王制の悪は失政のみにあるのではない。
一個の人間を当人の意思によらず、玉座に縛り付けられた奴隷とする制度でもあることです。
公益に奉仕する心など、自分が奴隷であり、民衆を食わせ快適に生活させるために召し使われる存在でしかなく、
彼らの機嫌を損ねた途端抹殺され、交換されてしまいかねない存在で
しかない事に気付いた途端、消し飛んでしまうでしょう。
(ローマ時代から、何人の賢帝が暴君となって来たことか)
・・これまた皮肉な事ですが、「第一市民」ラウドルップを射殺した
途端、さっさとその代わりとなる事を期待された青年の事を、田中芳樹は文字通りに描いていましたが。

結局のところ、大統領にせよ王にせよ、一個の人間に権力を集約する
手法であると云う事には違いがない。
民主制の方がよりましであるのは、権力の分立と交替システムがあり、
無能な為政者を交換し、失政を衆知を政治に反映して是正する事が
制度的に可能であるからです。

「アメリカ的」民主制が終着点であるわけではない。
あの国は新しく大きく、人工的な国家である分、建国者たちによる
実験の余地があったという事だと、私は考えています。
民主制にはまだ手法的改良の余地が数多くある。
(議会の構成、権力の分立手法、大統領のような最高決定機関のあり方など)
王制のような劇薬に頼るよりも、民主制に於いてより多くの実験を
施す方が、短期的にはともかく長期的にリスクが少なく、最大多数の
幸福を達成しえる可能性が高いと、私は考えているのですが。
(例によってアメリカは日本よりずっと体制内改革が容易な体質を
持っている。悪い方に振れた時にはあっという間に戦時体制になって
しまったりしますが、権力機構の改革をするような潮流が生じたとき、
彼らの対応は意外なほど速いのではないでしょうか?)

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board4 - No.3036

Re:Re3005/3009:一応の目途

投稿者:ケスラセラ
2002年10月11日(金) 04時37分

>
>  その「皮肉」とやらを言うだけのために、ストーリーとの整合性を全く考慮せずに非現実的な空論を述べないでくれ、というのが私の主張内容なのですけどね。創竜伝3巻で90式戦車を縦横無尽に走らせるストーリーを展開しておきながら、創竜伝6巻でその90式戦車を「道路が走れない欠陥戦車」などと評価することが、どれほどまでにストーリーの整合性を破壊するかということなど、いちいち考えるまでもなく理解できる話ではないかと思うのですけど。
>  ストーリーの流れから言っても無用の長物でしかない「趣味の」評論を挿入するだけのために、仮にもプロの作家が作品中でこんな設定破綻を作ってしまって良いと思うのですか?
>
 うーん、なるほど。
よくわかりました。
なんか私は昔から議論されていることをまた蒸し返しただけだったようですね。
わざわざレスくださってありがとうございました。
今回の冒険風ライダーさんのレスで確認できたのですが、
田中作品をどのように受け止めているかで、感じ方が変わるようですね。つまり漫画であれば誰もご都合主義をそれほど非難しないでしょう?ドラえもんの道具についてストーリーの破綻などとおっしゃる方はほぼいないと考えます。だから田中作品を漫画とは言いませんがそれクラスのエンタータイメントと受け止めている私にはそれほどストーリーの破綻が気にならないのだと思います。おそらくこのように感じる方はほかにも大勢いらっしゃるのでは?(たとえばバトルロワイヤルとかロードス島戦記などのヒロイックファンタジーものと同じような感じ)ちなみに私はこれはこれで結構好きです。さらさらっと読めてそれなりに楽しめる。このような小説もあってもいいとは思うのですが。

board4 - No.3037

違うかな?

投稿者:鹿角
2002年10月11日(金) 04時51分

どなたかもうネタにされてて
私が知らないだけかもしれませんが
トライゼノンのデュランは
絶対ラインハルト(アニメ版)を元にしてると思う・・

アンネローゼやキルヒアイスみたいな
キャラも出てたし・・・
(銀英伝のスタッフ達はどう思ったかなあ)

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board4 - No.3038

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:IK
2002年10月11日(金) 05時38分

私だけかも知れませんが、KenさんとSAIさんの論争は様々な問題に飛び火しながら錯綜し、理解しにくくなっていると思います。
人口問題、経済体制の問題、差別の問題、民主主義の問題。このあたりで論点を整理されてはいかがでしょうか。

私個人の印象を言わせて貰えば、民主主義と共和主義をおふたりとも混同されているように感じます。
私はファシズムと共産主義は民主主義の対立概念ではなく、むしろその究極の姿であると考えていますので、どうにも分かりにくいなと感じています。

ローマ史で言えば、民衆の困窮を救うため護民官の権限を拡大しようとしたグラックス兄弟が、元老院守旧派から共和主義を破壊する者と見られて虐殺された例、その元老院守旧派が共和主義の名のもとに既得階級化し、それを打破するためグラックス兄弟以来の民衆派の流れを汲むカエサルが結局、帝政への扉を開いた例などが民主主義と共和主義の対立として見出せるかと思います。

board4 - No.3039

士官学校の科について

投稿者:骨
2002年10月11日(金) 08時55分

<士官学校の科の過去ログを拝見しました。
古い話題で失礼します。

防衛大学でも専攻だったらあると思います。
理系の専攻や文系の専攻などをさして、科といっているのでは
ないかと思います。
 また、専攻に分かれている現在の総合大学でも
卒業式に学長から卒業証書を受取る役目の人はいるわけで
首席を選ぶのにさほど困難はないかと思います。

親記事No.2986スレッドの返信投稿
board4 - No.3040

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:Ken
2002年10月11日(金) 12時32分

初めに倉本様、

失礼しました!!火曜日にレスをいただいていたのを見落としてしまって!!

同盟軍がそんなに大量の人員を必要とするはずがない、というご意見ですね。たしかに、シトレやビュコックなどが「兵員が足りない」と言っている場面は、私も覚えていません。ただ、アムリッツァ前の最高評議会で、トリューニヒトとホワン・ルイが人的資源の「取り合い」演じ、「軍が人を取りすぎるため民間部門に重大な影響が出ている」という主旨のことをホワンが言っていますので、よほど大量の人間が軍に入っているに違いないと思った次第です。もっともトリューニヒトのことですから、自己の勢力拡大のために、必要以上の人数を徴兵していた可能性はありますね。でも、動機がなんであれ、徴兵して軍籍に入れる以上、市民権を与えるしかないのでは?

市民とそうでない者が同じ権利を持てないのは分かります。私も滞米中は、税金を払っているのに、選挙権はないという、彼の国の建国理念と矛盾する状態に置かれていました。倉本さんが指摘された発言をした時は、SAIさんと准提督さんの議論の中で、「古くからの同盟市民達が安楽で見返りの多いいわば日のあたる仕事を独占します」とか「アルジェリア人をフランス人が殺しても無罪になる」とかいう、すごい話が出てましたので、そんな差別が許されるわけがない、という意味の発言をしたつもりでした。どうやら、倉本さんが考えておられた内容とは違ったようですね。

古典SFファン様、

ご無沙汰しております!最近、お名前を見かけず、同じ趣味の友人を無くした寂しさを味わっておりました。

>一旦その種の体制が成立したら、王制である以上、移行期を除いて
>民衆によって王が選ばれる事はないでしょう。
>ローマ皇帝たちがこの課程を模式的になぞっています。

私は、SAIさんの意見を読んで、真っ先に中国の伝説にいう「堯舜の世」を連想しました。思うに、この種の伝説は、全くの絵空事というよりも、太古、農耕が始まる前の、人間の作る集団がまだ十人か二十人程度だった頃の様子を伝えているのではないでしょうか?そんな状況下なら、「民主的な王制」が可能かもしれないし、経済的な貧しさを気にしなければ、全人類がそのような極少集団に分かれ、太古の時代に戻るのも選択肢の一つかもしれません。もちろんローマクラスの大集団ではだめです。ローマ帝国どころか、ローマ市でもだめでしょう。また、本当に堯舜の時代に戻ろうとすると、そのような小集団同士が、互いに干渉せずに棲息できる空間的な広がりが必要で、この点を考えれば、夢物語です。ただ、大胆な発想をするなら、情報技術がますます発達し、やがて人間が、実空間よりもサイバー空間で過ごすことが多くなると、逆に可能になるかもしれません。

IK様、

>ファシズムと共産主義は民主主義の対立概念ではなく、むしろその究極の姿

「民主主義」の明確な定義が必要だと思います。リンカーンは「人民自身の手による、人民の幸福を目的とした、人民統治」と言いました。(思い切り意訳しています。だって「人民の、人民による、人民のための・・・」では、何のことか分からないじゃないですか。)もっと分かりやすく訳せば、「住民が幸せになるための、住民自治」ということでしょう。

ここで問題です。リンカンは、「住民の幸せ」と「住民自治」を不可分のものと考えたわけですが、自由惑星同盟の「衆愚政治」のように、住民自治が住民の不幸に通じたらどうするか、という問いかけをしているのが銀英伝です。これに対して、「その時は、たとえ住民が不幸になっても、住民自治が優先する」という結論を、苦しみながらも出しているのがヤン・ウェンリーです。

「人民を害する権利は、人民自身にしかないからです」(風雲篇第十章-2)

という、あまりにも有名な言葉です。私は「民主主義」という日本語の正確な意味はこうだと、自信をもって言うことができませんが、「Democracy」の定義なら、かなりの自信をもって、「それは住民自治のことだ」と言えるつもりです。そして「民主主義」が「Democracy」の訳語として使われる限りにおいては、やはり「住民自治」のことだと言うべきではないでしょうか?

>民衆の困窮を救うため護民官の権限を拡大しようとしたグラックス兄弟

は、「住民自治」ではなく「住民の幸せ」を考えたのでしょうね。でも、これは「Democracy」ではないと思います。だから最後はシーザーにつながったのでしょう。

親記事No.3017スレッドの返信投稿
board4 - No.3041

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:匿名希望
2002年10月11日(金) 12時47分

> どうも久しぶりにカキコします。
> 槍です。
> 現在こんなことが起きてます。
>
>
>  福岡市内の小学校のほぼ半数の六十九校が本年度から使っている六年生の通知表に、「国を愛する心情や日本人としての自覚」を三段階で評価する項目が新たに盛り込まれていることが八日、分かった。国の学習指導要領を踏まえたものだが、全国の政令市でも異例の措置で、福岡県内の市民団体が「人権教育上、重大な問題」として同県弁護士会に人権救済を申し立てている。
>
> ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021009-00000026-nnp-kyu
>
> これって田中さんの社会評論のネタになるかも。

シンガポールだったかな
そこの国の首相が「金髪に染めて遊び呆けている」とか、「 韓国の若者に比べ愛国心がない」などと酷評していた
愛国心を否定的に論評する田中氏はこの発言をどう受け止めるのだろう?

親記事No.2986スレッドの返信投稿
board4 - No.3042

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:SAI
2002年10月11日(金) 13時12分

> 意見が合わない場合は、多数決で・
多数決ではだめでしょう。もともと多数決には、数の暴力がまかり通る、票が金で買える、そもそも多数の意見が正しいわけではないと欠点があるので。じゃあどうすればいいのかといえばわかりません。答えてあげたいんですがね。

>といってことを済ませ、代案がないままにデモクラシーを否定し、結果的に封建制や絶対王政やファシズムやコミュニズムの復活に道を開くわけにもゆかないでしょう。

それはもう手遅れです。とっくの昔に封建制は復活し、ファシズムも現れました。そもそもKenさんは実は民主主義が嫌いで、封建制を支持してるのではなかったのですか?極一部の人間にのみ富が集中し、政治はその極一部の人間のためにのみ行われる。この状況のどこが封建制と違うんですか?すくなくとも経済学的にはまったく同じですが。多国籍企業と労働者の戦いは、封建領主と農夫の戦いと何が違うんです?
そもそも民主主義の理想は極一部の大金持ちと大多数の貧民を作りだすことだったんでしょうか?
さらにいえばファシズムはどのような状況で生まれるかは知っているはずです。ファシズムの到来を待っているのではなかったのではないですか?
アメリカのユニテラリズムとは昔ファシズムと呼んだものと同じでは?

>それは白人男性に限った話で、黒人やアジア系の状況は今よりずっと悪かったのではありませんか?

いいえ。今の方がはるかに悪くなっています。あの時代は確かに差別は公然とありました。だが、生活水準や社会的地位は今の方がはるかに悪くなっています。あの時代、黒人は白人よりも一段劣る人種だ、と思われていても、犯罪者だとか、黒人の住んでいる町=スラムというイメージはなかったんです。黒人と白人の生活格差は確かにあったがそれは減少していたんです。また、社会的に一段下の存在だと決められていたから白人は安心して黒人を寛大にあつかってました。差別に従う限りですがね。だが、公民権法ができたころから、アメリカ人の実質賃金が低下していきます。それに従い黒人の生活水準や社会的地位は下がってゆきます。今では黒人=犯罪者、黒人街=スラムという偏見ができてしまいました。さらにいえば今でも黒人が入れない場所というのはあるんです。法的にはありませんが、現実としてある。Kenさん、空港や飛行機の中、スキー場、ゴルフ場、プール、会社の重役室、弁護士事務所には黒人はほとんどいなかった思い出はありませんか?

>結局、50年代のアメリカにも、70年代までの日本にも共通しているのは、今よりずっと個人レベルの競争が少なかったということではありませんか

いえ、違います。個人レベルの競争はむしろ今よりも激しかったです。
差をつけないと努力する気がうせますが、つけすぎてもまた失せるんです。競争を激しくしたいなら、差はつけるべきだ、ただし挽回不可能なほどの大差はつけるな、というのが正しいんです。

>そんな身分秩序を破壊したのは、中国や日本の戦国時代もそうだったように、自由競争だと思います。

その時代は破壊と殺戮が横行しましたが、それがいいことですか?
無論前の時代の矛盾がどうしようもならなくなったからではありますが
だからといってそんなものすべて壊してしまえ、どれほど犠牲がでようともかまわないというのはいきすぎでは?さらにいえば、まずいつでも原因は同じで、貧富の格差がひろがり、金持ちは好き勝手やり、貧乏人はその影で苦しみ、治安は悪化、政治はその苦しみを省みない、そんな
社会の崩壊という状況の後に戦国時代は始まったんです。
一度あるものをすべて叩き壊してまた作り直すというなら莫大な無駄が生じるんですが、それでもかまいませんか?
Kenさんは過激な革命思想を信奉しているんですか?

>アメリカ式の競争社会ではないか、と思います
Kenさんは経済発展は嫌いですか?経済発展にもっとも最適な格差は4倍です。それ以上でもそれ以下でも効率は下がります。アメリカの格差では発展どころか崩壊の一途です。なお、この場合の経済は実体経済の話ですよ。
今の経済は間違っている、崩壊すべきだという過激な経済論を信奉しているのでしょうか?

>50、60年代までの)状況に比べれば進歩だと思っています。
そうでしょうか?むしろ退化しているのでは。その根拠は前述しました。

>そのような社会は息苦しいし、実力による競争がない以上、賄賂や汚職が横行すると思いますが、

私は別に競争は否定しておりません。間違いです。自由100で統制0も統制100で自由0も等しく間違っているといいました。
実力による競争はあるべきだ、ただし、結果の格差はある範囲内以下にすべきだというものです。

賄賂や汚職は自由100で統制0も統制100で自由0の場合も横行します(アメリカでいかに多くの賄賂と汚職がはびこっているか知らないとは言わせませんよ)どっちの極でも弊害がでる、だから状況に合わせて、その中間の最適値をとるべきだというのが私の主張です。

>古典SFファンさん

>「愚かな皇帝」「腐敗した貴族」「既得権益に群がる特権階級」
「愚かな大統領」「腐敗した多国籍企業」「既得権益に群がる特権階級」
とやれば今の状況です。民主制でもでてくるんですよ、同じ物は。

>民主制の方がよりましであるのは、権力の分立と交替システムがあり、無能な為政者を交換し、失政を衆知を政治に反映して是正する事が
制度的に可能であるからです

制度的に可能と、現実に可能は違うんです。もちろんある程度ならできますが、ある閾値を超えてしまえば不可能になる。それがいつでも本当ならば、棄権率があれほど高くはなりませんよ。そんなことは不可能だと今全世界でおもわれているからこそそういう現象がおきるんです。

民主主義ができてからの歴史を紐解けば大きな社会の変革を必要とする場合、それはそうできたらいいなあという理想論で現実は違う方法でおこなわれてきたというのが歴史の真実です。

准提督さん、当分答えられないです。すいません。

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board4 - No.3043

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:KUR
2002年10月11日(金) 13時15分

> シンガポールだったかな
> そこの国の首相が「金髪に染めて遊び呆けている」とか、「 韓国の若者に比べ愛国心がない」などと酷評していた
> 愛国心を否定的に論評する田中氏はこの発言をどう受け止めるのだろう?

これはマレーシアのマハティールではないでしょうか?
彼は既にさんざんこき下ろされていたような気が……… (^^;

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board4 - No.3044

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:Ken
2002年10月11日(金) 14時18分

槍さま、

実に興味深い情報をいただき、ありがとうございます。教えていただいたYahooのサイトを、早速見ました。

>「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」

ここでいう、わが国の「歴史」や「伝統」とは、具体的にはどういうものを指しているんでしょうね?「歴史」というと、やっぱり聖徳太子とか、源頼朝とか、徳川家康とか、西郷隆盛とか、吉田茂が出てくる歴史なんでしょうか・・・?でも、ツルネンマルテイやラモスやサントスのような日本人には自分の「歴史」じゃないし、明治維新以前の部分は韓国系や中国系の人には「歴史」じゃないし、秀吉以前の部分は沖縄の人には「歴史」じゃないし、坂上田村麻呂より前の部分は、東北の人には「歴史」じゃないし・・・。(私も、系図上は東北です。)

槍さんに尋ねているのではありません。上の発言をした教育委員会や文部省の人に聞いてみたいと、思っているだけです。

私個人の意見を言えば、自由とデモクラシーを国の理念として掲げ、その理念に賛同してやってくる人なら、誰でも日本人である、という方がよほどすっきりしますけど。

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board4 - No.3045

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:古典SFファン
2002年10月12日(土) 00時49分

SAIさん:
> >「愚かな皇帝」「腐敗した貴族」「既得権益に群がる特権階級」
> 「愚かな大統領」「腐敗した多国籍企業」「既得権益に群がる特権階級」
> とやれば今の状況です。民主制でもでてくるんですよ、同じ物は。
>
> >民主制の方がよりましであるのは、権力の分立と交替システムがあり、無能な為政者を交換し、失政を衆知を政治に反映して是正する事が
> 制度的に可能であるからです
>
> 制度的に可能と、現実に可能は違うんです。もちろんある程度ならできますが、ある閾値を超えてしまえば不可能になる。それがいつでも本当ならば、棄権率があれほど高くはなりませんよ。そんなことは不可能だと今全世界でおもわれているからこそそういう現象がおきるんです。
>
> 民主主義ができてからの歴史を紐解けば大きな社会の変革を必要とする場合、それはそうできたらいいなあという理想論で現実は違う方法でおこなわれてきたというのが歴史の真実です。
>
民主制であろうと他の制度であろうと、有能なものが権力を握るとは
限らず、既得権を握った者がそこに居座って腐るのは何の変わりもない。
「民主制なら腐らない」とは、私も云っておりません。
腐った時直せるように作られている、と云うだけです。

腐りすぎれば直せず、矛盾が限度を越えたら崩壊する、と言うパターンを、
歴史の実例、いわんや銀英伝の読者が言われるまでもないでしょう。

つまり、事がパターンを外れなければ、貴方の仰る発言はいかにも
全体が真実で、一々補強証拠を必要とはしない。
今回もパターン通りに時代がゆっくりと「大衆の生活水準と地位の長期低落」から、
クラッシュに向かうまでの何十年か何世代かを、多少の抵抗はあれど
大半の人間が手をつかねて傍観し、そして事が「歴史の教訓」通りに
なる事を看取る。
既にそのパターンがもう起きかけている、いや、もう起きていると貴方は云う。
(正確には、文脈でそう云っているように、私には見える)
故に今ある権力体制の悪から目をそらしてその長所と見える部分を
礼賛していてもだめだと。

だからと云って・・・
貴方も、私も、結局は権力の委譲とエラー補正の方法論として、
民主制以上の制度についてその構想すら知らない事には何の
変わりもない。

王制や「賢人政府」のようなものは、同じく歴史が教える通りなら、
その長所が生きる時代はもうとっくの昔に終わった無想でしかない。
為政者が選挙される事に「数の暴力」が働くなら、選挙されない為政者
には、「たまたま選挙された傲慢で貪欲な人」にある悪を全て兼ね備
えた上での、「選挙されないが故にその地位を離れない」始末の悪さが
加わるだけです。
・・・もちろんそう云う欠陥は承知しておられるから、「どうしたらいいのかわからない」と仰るのでしょうが。

私は、危険すぎる王制や、「公益に奉仕する個人」を不明の基準で
選び出さなければ機能しないようなシステムを期待するより、
手近で、幾らか欠陥が少ない民主制をいじった方がまだ、ましだと
思っているだけです。

デモクラシーの根幹は選挙の「数の論理」にあるのではない。
議会で討論が行われる際の過程そのものにある。
議会が飾り物で、密室で行われる意思決定により権力機構が動くと
云うのは、また別の幻想に過ぎない。
代議制で送り出された国民の代表が、議会で討論した事が一定の
力を持ち、どれほど密室の意見調整が行われようと、議会で行われる
討論が影響力を失わない事が、デモクラシーの根幹を支えている。
デモクラシーは、云ってみれば公開された建前の議論を、その裏をも
含めて、代議員を選んだ市民が把握し認識しリアクションする事に
よってしか成り立たない。

それがわが国やアメリカで既に失われているとしたら、そして、
今後も手遅れになるまで戻らぬとしたら、歴史は教訓通りに動く。

過激な革命を、平時に肯定する者など誰も居ないでしょう。
しかし、そうして平時に失われたものが、手遅れになるまで自重を
増して積み重なっていき、遂に爆発するのを止める事はほとんど
不可能であると云う事もまた、歴史の教訓です。
今回がパターンから外れるかどうか、私は自分の手が届く範囲を
触りながら、長い時間を掛けて付き合うハメになると思っているんですが。

親記事No.2986スレッドの返信投稿
board4 - No.3046

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:古典SFファン
2002年10月12日(土) 01時06分

Kenさん:
>
> ご無沙汰しております!最近、お名前を見かけず、同じ趣味の友人を無くした寂しさを味わっておりました。
>
ああ、申し訳ありません・・
こう、テンションが上がった時に集中して投稿するたちなもので。
ずっとスレッドの方は拝見させて頂いておりました。

> 私は、SAIさんの意見を読んで、真っ先に中国の伝説にいう「堯舜の世」を連想しました。思うに、この種の伝説は、全くの絵空事というよりも、太古、農耕が始まる前の、人間の作る集団がまだ十人か二十人程度だった頃の様子を伝えているのではないでしょうか?そんな状況下なら、「民主的な王制」が可能かもしれないし、経済的な貧しさを気にしなければ、全人類がそのような極少集団に分かれ、太古の時代に戻るのも選択肢の一つかもしれません。もちろんローマクラスの大集団ではだめです。ローマ帝国どころか、ローマ市でもだめでしょう。また、本当に堯舜の時代に戻ろうとすると、そのような小集団同士が、互いに干渉せずに棲息できる空間的な広がりが必要で、この点を考えれば、夢物語です。ただ、大胆な発想をするなら、情報技術がますます発達し、やがて人間が、実空間よりもサイバー空間で過ごすことが多くなると、逆に可能になるかもしれません。
>
・・・お二人の議論を拝見していて思ったのですが・・。
過去:歴史的な社会体制・国家の崩壊パターンに関する認識
現在:現状が理想的状況に近いか遠いか
未来:現状の維持と改良で済むか、現状はダメだから別の制度を見つけないとパターン通りにクラッシュするまで進むだけか
に対する観点と判断が全て異なります。

王制や賢人政府のようなものに期待できないのは、仰るとおり、
「人類の頭数はそういうものに頼ると何十億のエゴが爆発してしまう
ほど増えた」
と云う事にもあると思います。
制度的にも、今のところ「選挙なし」や「衆愚政治や利益誘導による
数の暴力を恐れるあまり、選挙制度そのものに批判的」というだけ
では、
他のシステムを採用しようとしてもどうしようもない。
「権力の委譲に適切なシステムの構想無しでは、選挙のある仕組み
よりもっとダメ」と云う事です。
公益に奉仕する有能な人に権力機構を一時お任せし、任期が来たら同様な人に委譲するような、
ほとんど「神の目」を以ってしなければ成り立たないようなシステムを
作らないと、そう云うシステムは民主制より遥かにダメになるのが速く、
ダメになった時の害もひどい(制度として権力を委譲する仕組みが機能しなくなっていたら、体制改革の手段は革命しか残らない。運がよければ無血で済むが)。

当座使える民主制をどうにかする以外に、予測し得る未来に使える
政治的道具はないと云うのが、私の現在の観測です・・。

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