- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3374
Re:お騒がせしております(^^)
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月19日(木) 14時49分
> 疲れたなどと泣き言を言っている間に皆さんがそれぞれのご意見を述べられ、また、ロード・レオンさんが再びレスをして下さったので、老骨に鞭打って書き込みます(中年ですけど)。
IKさん、余り無理をしない方がイイですよ。
> 自分では客観的であると思っている、と言明しております。失礼ですが誤読のしようがない部分だと思いますが。
なるほど、「客観的でないと主張されていますが(事実、私もそれには同意しますが)」という文章の対象はIKさんご自身の意見ではない、ということですね。
> だからこそ一方の主観で他方の主観を抹殺してはならないと申し上げているのですが、これはそんなに難しい内容ですか?
言論の場において妥当性のない主張が(反論されることなどによって)淘汰されていくのは当然のことではないでしょうか? もっとも発言するな、とまでは言えませんけどね。
> いえ、少し分からないでもありません。おそらくきっと貴殿は「書くな」ということこそ「抹殺」ではないかと仰りたいのではないでしょうか(違っていたら訂正して下さい)。これについてもこれは何ら物理的強制力を持たないので抹殺には当たらないとの見解を私は示しています。全否定うんぬんはそれぞれの心の中のことですから、討議するに値しません。田中さんは無視すればいいだけのことですよ。
相手がどう対応したとしても、文章自体の意味することに、そう変りがあるとは思えません。もちろん、心の中だけで思っているのであれば、何も言いませんよ。その考えを公表したからこそ問題にしています。それに相手が無視すればそれで済むというのは「甘え」ではありませんか?
> ある対象を全否定することの危険性は別の問題でしょう。しかし、その種の全否定を全否定されている。まるで冗談のようなこの事実をどうお考えなのでしょうか。
全否定であろうと何であろうと、僕は根拠・妥当性のない意見に対しては批判いたします。ただ、全否定ということだけで批判している訳ではありません。
> ついでに言えば「~した方が良い」というのは貴殿個人の主観なのですから何も他人がひれ伏す義務もないのです。ひれ伏さなければ気がすまないということの方が「偉そう」ではないですか。
> 私の考えでは、私に出来るのは私個人の基準で批判することまでであり、その上で他人がどういう選択をなそうが、私のあずかり知らぬことです。神様でもないし専制君主でもないんですからね。
おっしゃる通り、批判されている側がどう応じるかは、批判されている側の自由です。
> 「がんばってくださいね」という言葉で彼が筆を折るかも知れません。そんなことまで誰が責任を取れますか。取れるというならば思い上がりも甚だしい。田中芳樹さんという一個の人格に対して失礼です。
「がんばってくださいね」という言葉に対してまで責任を取れなんて言いませんよ。しかし「がんばってくださいね」という言葉と、「書くな」という言葉ではイコールではないのです。
> ひとつの人格がひとつの作家としての個人を全否定した。そこに何の問題があるでしょう。人はみな違うのです。人それぞれなのですよ。田中芳樹さんは問題が多い作家ではありますが、文章を書く上でそこまで自立していない人だとはまったく思えません。未成年者に言っているのではないのですよ。書くことによって生計を立てているプロフェッショナルに対して言っているのです。
> 敢えて忠告をさせていただければ、貴殿はプロフェッショナルに対してもっと敬意を払うべきだと思いますね。
ひとつの人格がひとつの作家としての個人を全否定した。その妥当性を問題にしています。相手がプロであれ、アマであれ、妥当性のない否定は単なる言いがかりでしかありません。それとも、プロフェッショナルである以上、いかなる言いがかりであろうとも甘受すべきだとおっしゃるのでしょうか?
> 「書くな」という意見は何度も申していますが私個人の意見ではないので、その妥当性を示すことは出来ません。ただしそういうことを言う人は、過去にも何人かおりましたし、彼らなりの「妥当性」を示しています。
その「妥当性」とはどのようなものでしょう? 実例を挙げていただけませんか? その「妥当性」に納得がいけば、僕もこれまでの主張を撤回するにやぶさかではありません。
ちなみに『そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います(3340)』という文章の中の「こんな商品を作るな」というのはIKさんご自身の意見ではなかった、ということですね。僕はてっきりIKさん自身の意見だと思ってましたよ。ただ、そうであったとしても、なぜ当然だと思ったのかが、気になるところではありますが(「その程度の作品」とは、どの程度の作品なのか?)。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3375
Re:「客観的事実」に基づいた「フィクションという免罪符」の問題
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月19日(木) 22時35分
> 言っている事が矛盾しているのではありませんか? その「間違った内容などについて批判する」当然の行為を創竜伝に対して行ったら、内容の如何を問わず「これはフィクション小説であり、その主張は必ずしも田中氏の意見そのものとは言い切れません」といった「赤錆のついた反論」の類を田中芳樹側が返すことが「構造的に見て」可能であるからこそ、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」が、小説中の評論に対して「『フィクションだから許されるという免罪符』を【構造的に】与える【客観的事実が存在する】から問題である」として非難されるのですけど。
> これこそが「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」が抱える「客観的事実に基づいた構造的問題」なのですから、「そのような問題を抱える表現方法はやめるべきである」という批判は充分に「客観的根拠」を伴っているでしょう。田中芳樹が「主観的に」どう考えていようが、この「客観的事実に基づいた構造的問題」は完全に成立するわけなのですから、何でこの「客観的事実に基づいた構造的問題」というテーマに対して、特に関係があるとも思えない「田中芳樹個人の主観」などをベースにして議論しなければならないのでしょうかね?
> はからずもロード・レオンさんのNo.3368での私に対する反論自体が、この「客観的事実に基づいた構造的問題」を非常に分かりやすく目に見える形で浮き彫りにしているではありませんか。自分で書いていて気づきませんでしたか?
残念ですが、『内容の如何を問わず「これはフィクション小説であり、その主張は必ずしも田中氏の意見そのものとは言い切れません」といった「赤錆のついた反論」の類を田中芳樹側が返すことが「構造的に見て」可能である』からと言って、その表現方法自体が 否定される必然性はないと考えます。批判すべきは、あくまでもその内容についてではありませんか?
> それとですね、「田中作品中に挿入されている社会・政治評論の類」が小説中のストーリー&作品設定とは何ら関わることなく展開されているばかりか、むしろそれらを崩壊させる弊害すら生じさせていることは、それこそ今までタナウツで何度も繰り返し議論されていますし、また田中芳樹関連の対談本やエッセイ本などを見ると、そこには田中芳樹自身がそれらの評論を「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」として書いていることを自ら告白している箇所や、小説中の評論と同趣旨ないしは同じ内容で述べられている主張内容が少なからず存在しています。
「評論」がストーリー&作品設定を崩壊させているとしたら、それは田中氏の不手際であり、その田中氏の不手際を批判するのは当然のことです。しかし、「評論」が必然的にストーリー&作品設定を崩壊させるということが明確に示されない限り、「評論」を挿入する表現方法自体を批判するのは行き過ぎだと考えています。
なお、『田中芳樹自身がそれらの評論を「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」として書いていることを自ら告白している箇所』については、興味がありますので、よろしかったら出展とその文章自体を紹介していただけませんか?
> これらの「客観的事実」を無視して「創竜伝はフィクション小説であり、作中の評論は必ずしも田中氏の意見そのものとは言い切れません」などと述べたところで、そんなものはロード・レオンさんお好みの「客観性を尊重した主張」とは到底言えたものではないでしょうね。あなたの主張を成立させるためには、すくなくとも私が挙げた「客観的事実」を覆すだけの理論的根拠と説得力を持つ「別の客観的事実」を出す必要があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
「評論」が「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」であるならおっしゃる通りです。ただ、田中氏がそういうことを明言しているのであれば、「赤錆のついた反論」などを心配する必要は初めから全くなくなりますよね。
> それからついでに言いますけど、あなたの主張する「他人を批判するような意見を表明する場合には客観性を尊重すべきである」に関しては、「田中芳樹を撃つ!FAQ」の設問9&12に同趣旨の回答が存在しますし、「批判する側が批判される側と同じようなことをしているのはおかしい」という疑問についても、趣旨は少し違うかもしれませんが、同FAQの設問10によく似た質問に対する回答が存在します。そして、これも繰り返し主張しますが、今までのIKさんの投稿内容を見る限りでは、IKさんはあなたのそのような主張に対して、特に大きく隔たった異論は存在しないように私には見えるのですけどね。
> ロード・レオンさんは「田中芳樹を撃つ!FAQ」の設問5をベースに議論しているようですが、そればかりでなく、「田中芳樹を撃つ!FAQ」に設置されている設問全部、および設問中にリンクされている「管理人からのメッセージ」の諸ページなども参照してみるべきなのではないでしょうか。すくなくともそれらには、あなたが期待する一定の回答が書かれているように思われるのですが。
設問9についてですが、「イレギュラーな評論の内容、及びその評論内容の根幹を支えている田中芳樹の個人的な思想的傾向や主義主張等にまで踏み込んだ批判」については僕も許容されると考えています。ただし、「これは、あくまでもフィクションである」という反論は承知の上で、ということになりますけどね。
そして、設問12についてですが、僕は自分自身の書き込みが「威力的な荒らし行為、まったく関係ない話題の連続、(事実と関係ない)極度な罵倒や誹謗行為」だとは思っていません。
また、設問10については、IKさんが賛同する「書くな」という主張に「論理的」な根拠があれば、僕もその主張を尊重したいと思います。しかし、残念ながらそうではありません。
という訳で、いずれのFAQについても、僕の疑問に対する回答になっているとは思いません。なお、「管理人からのメッセージ」の諸ページなどに適切な内容があるのでしたら、紹介していただけると助かります。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3376
Re3375:もう一度同じ事を言いますが…
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2002年12月20日(金) 11時21分
<残念ですが、『内容の如何を問わず「これはフィクション小説であり、その主張は必ずしも田中氏の意見そのものとは言い切れません」といった「赤錆のついた反論」の類を田中芳樹側が返すことが「構造的に見て」可能である』からと言って、その表現方法自体が否定される必然性はないと考えます。批判すべきは、あくまでもその内容についてではありませんか?>
これは反論になっていません。それこそあなたの忌み嫌う「言論の場における妥当性のない主張」の典型でしかありませんね。
今まで述べてきたように、あなたの言う「内容」とやらを批判しようとしたら、内容の如何を問わず「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」によって田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」が存在するわけなのですから、むしろ「内容」を批判するためにこそ、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」を排除する必要性があるのです。そのような「表現方法」の問題を放置して「内容」とやらを批判したところで、「客観的事実に基づいた構造的問題」に基づいて田中芳樹に逃げられてしまうだけではないですか。
それに前の投稿でも言いましたが、あなた自身がNo.3368で、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』が抱える『客観的事実に基づいた構造的問題』で田中芳樹を免罪する」というテーマを自ら実践してしまっていることを無視して「その表現方法自体が否定される必然性はない」と述べたところで、そんなものは矛盾に満ちた自爆発言以外の何物でもないでしょうね。自分の投稿No.3368で展開されている「客観的事実」くらい、きちんと尊重してはいかがですか?
<「評論」がストーリー&作品設定を崩壊させているとしたら、それは田中氏の不手際であり、その田中氏の不手際を批判するのは当然のことです。しかし、「評論」が必然的にストーリー&作品設定を崩壊させるということが明確に示されない限り、「評論」を挿入する表現方法自体を批判するのは行き過ぎだと考えています。>
「管理人の本論3 作品理論をぶち壊す創竜伝の時間構成」や「管理人の本論7 トンデモ本の世界」などでは証拠になりませんか? あと、創竜伝10巻で竜堂兄弟が「敵方である牛種の本拠地である」イギリスおよびイギリスの民主主義体制を手放しで絶賛し、日本を罵る評論を唱えまくる展開も、ストーリー&作中設定と大きく矛盾した行為としか言いようがないですね。他にも色々あったように思いますが、大きなところと言えばこんなところでしょうか。
掲示板でこの手のことを議論する前に、せめて「管理人の本論」くらいは閲覧していただけませんかね? リンクも目立つ所に置いてあるのですし。
<「評論」が「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」であるならおっしゃる通りです。ただ、田中氏がそういうことを明言しているのであれば、「赤錆のついた反論」などを心配する必要は初めから全くなくなりますよね。>
残念ながら、田中芳樹自身が作中の評論についてそのような基本スタンスを表明したところで、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」によって田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」は相も変わらず存在し続けますので、田中芳樹がいつでも責任逃れできる構造は何も変わらず、したがって「そのような表現方法は止めるべき」という主張を撤回する必然性は全く認められません。
むしろ、そのような表明は「田中芳樹が例の表現方法の『客観的事実に基づいた構造的問題』など百も承知の上で、読者を自分の論調でミスリードするため、『意図的かつ確信犯的に』あのような表現方法を行っていた可能性が高い」ことを示唆するものですらありえるため、道義的・倫理的な責任は却って重くなります。加えて田中芳樹は、タナウツだけでなく、自分の元に届く手紙にファンレターでも展開されているであろう自らの作中評論に対する反論に対して、誠実な回答・反論といったリアクションをマトモに行う気など全くないようにしか見えないのですからなおのことでしょう。
しかも対談本やエッセイ本に書かれている内容なんて、田中芳樹ファンでさえ知っている人があまり多くありませんから、仮に田中芳樹自身が「フィクションという免罪符」を駆使しなかったとしても、田中芳樹を擁護するファンがそれを使うことは充分にありえることなのですよ。現に例の「表現方法」を盾にして田中作品を擁護しようとするファンはタナウツ設立以来途絶えた事がありませんし、No.3368でロード・レオンさん自身もまたそれを実践していましたからね~。何も知らないファンのそのような作品を貶める愚劣な行動を是正するためにも、田中芳樹は例の「表現方法」を止めるべきだと私は思うのですけど。
せめて創竜伝最新刊の巻末座談会辺りで「作中の評論は私の主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判です。フィクションという要素など気にせずにどしどし反論してきてください」とでも田中芳樹自身が明言するのであれば、あなたの主張もある程度は成立するのでしょうが……。
それから、田中芳樹自身が小説中の評論を「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」として書いていることを自ら告白している文章に関しては、1987年の週刊現代9月26日号のインタビュー記事↓
ttp://tanautsu.duu.jp/the-best03_03_04_a.html
や、対談本「イギリス病のすすめ」、エッセイ集「書物の森でつまずいて……」などで参照することができます。
<そして、設問12についてですが、僕は自分自身の書き込みが「威力的な荒らし行為、まったく関係ない話題の連続、(事実と関係ない)極度な罵倒や誹謗行為」だとは思っていません。
また、設問10については、IKさんが賛同する「書くな」という主張に「論理的」な根拠があれば、僕もその主張を尊重したいと思います。しかし、残念ながらそうではありません。>
すいませんが、これに関しては誤読もはなはだしいと言わざるをえませんね。
まず、設問12に関しては、別に私はあなたの書き込みを「荒らし」の類とみなしていたわけではなく、「当掲示板に投稿する際には、それなりの責任を持って投稿してください」というテーマを見せるつもりで紹介したのであって、こちらは別にあなたの主張とそうかけ離れているわけではないのですけど。
それからもう一度言いますけど、IKさん関連に関しても、IKさんはあなたがNo.3335で最初に主張していた「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」という内容について反論しているだけであって、途中からあなたがIKさんにさえも無断かつ勝手にスライドさせた論点「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」に関しては、何度も言うようにIKさんも特に異論はないように見えるのですがね。何でIKさんの主張を意図的に誤読(としか思えない読み方を)してまでIKさんに変なレッテル貼りを行おうとするのか、私には全く理解できません。
あなたの最初に発言していた本来の主張内容が、「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」であった(すくなくともそう解釈されかねない文章であった)ということは、あなたの一連の投稿を見れば分かりますよ。
No.3335
<ちなみに創竜伝の政治・社会批評の存在自体が小説としての面白さを損なっている、というご意見には一理あると思いますが、それはあくまでも個々人が判断することであり、客観的に正否・善悪を決めることは不可能だと思います(もちろん個人の意見として主張する分にはかまわないのですが)。そして、作者自身が面白さを犠牲にする危険を犯してでもそれが必要だと思っているのであれば、あくまでも表現方法は作者の裁量の内にあり(明らかに違法な場合を除く)、第三者が『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』というのは、さすがに言い過ぎでしょうね(「やめた方がいい」ならまだしも、ですが)。>
No.3342
<そうですね。その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう。しかし、それは『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』と同じことではありませんよね。それとも作品中の「評論」部分の全てが「他人をこき下ろす」だけのものなんでしょうか?>
No.3349
<果たして「こんな商品を作るな」という言葉は「批評」の範疇に入るんでしょうか?(それこそ完全否定ですよね)。>
No.3355
<確かに期待しているのかも知れませんが、ホントにそうであるならもう少し表現を考えられませんか? たとえば教師が生徒に言うのであればかまわないかも知れませんが、読者ってそんなに偉かったんでしょうか? 作家が偉いとも思いませんけど、あくまでも対等の関係なのではないでしょうか? そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、~した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?>
そして、「明確・客観的で妥当性のある理由があるのなら、「書くな」と言ってもかまわないこともあるでしょうが」と、「書くな」という言葉を作家に対して使う事を条件つきながら初めて認めたのはNo.3358以降になってからのことです。
そして、それまでのロード・レオンさんは、あくまでも「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」という意見のように私には見えましたし、実際、IKさんもそのように解釈したからこそ、それに対する反論として「読者側もまた『主観的に作家に対して意見を述べること【自体】』は『言論の自由の範囲内』にある」という「原則の問題」を強調した上で、作家側・読者側共に「自分の発言には責任を取らなければならないし、意見の開陳によって自分が他者から反論されたり、場合によっては断罪されたりすることもまた当然である」という「個人の見解」をIKさんは述べておられたわけです。したがって、一連の議論で双方の解釈が合わずに混乱をきたしている原因は、論争相手にすらも無断かつ勝手に論点を変えてしまったロード・レオンさんの方にこそ非があるのではないかと思われます。
ですので、もしロード・レオンさんが本来主張したかった意見があくまでも「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」であれば、それはすでにあなた自身が無効を宣言しているも同然なのですし、「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」だったのであれば、それはIKさんも充分に認められていることでもありますし、前半の書き込み不足な投稿でIKさんやROMにあらぬ誤解を与えてしまったことを公式に認めた上で、和解なり謝罪なり、いずれにしても何らかの対処を行うべきなのではないでしょうか。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3377
Re:遅レス恐縮です
- 投稿者:S.K
- 2002年12月20日(金) 12時55分
ロードレオンさん、間を空けて失礼しました。
IKさん、冒険風ライダーさんとのやり取りも進んでおられる様で今更なのですが、一応責任分の解説なり回答など
>
> いえ、言論の場において「こんな商品を作るな」という表現は、全否定だと認識しています。「発禁処分」ないしは「焚書」というのは、全否定が行動に及んでからの話ですよね。
>
“「こんな商品を作るな」という表現”は精々「悪評」止まりです。
「悪評」の効能を過小評価はしませんが、「全否定」には程遠いですね。
何故なら作品の発表そのものに実効はないのですし、発表に障るほどの「悪評」ならはっきり申し上げて作家の自己責任です。
商業作家なのですから「受け」の見切りくらいはしてくれると期待しない方がその作家を馬鹿にしているでしょう。
加えて「表現」は「作家の権利」ですが「評価」は「読者の権利」です。
どちらか一方のみが否定される状況を「片手落ち」と呼びます。
>
> よく分かんなかったんですが、「狭量な発言」というのはIKさんご自身がおっしゃったことなんですけど。
>
「『それでいい』と言われたから『狭量』と評価します」と言う事だと解釈します。
ロードレオンさんは「謙遜」という物に斟酌なさらない方で、京都で留守の知人宅に上がってお茶漬けを食べながらその知人の帰りを待てる配慮をお持ちと理解します。
いや、論理的には貴方は正しいですよ。
>
> いや、実際は「相手にしてない」かも知れませんが、表面上は否定的意見を許容していると見なすしかない、ということです。これは、この掲示板と田中氏との関係と同じですよ。
>
しかしロードレオンさんは上記の定義を最初からはこの掲示板での論議に当てはめて評価する気はなかったのですよね、そうは仰っておられなかったのですから。
「ダブルスタンダード」とまでの失礼を申し上げる気はありませんが、意識的か無意識かに関わらず「不正直」であったことは御留意ありますよう。
> > 気を取り直して、ロードレオンさんの異議は尊重されて然るべき物です。
>
> でも、このサイトは「表現方法の制限」を一つの目的としている訳ですよね(その実現性は別として)。
>
「価値判断・価値基準における意見交換」も確かにそう表現できる一面はありますね。
ただしその一面を全面に押し出すが如くは
>なお、『「偏狭な視点から狭量な誤解で発言している」と評価されるリスク』というのは、どういう発言のことを言っているんでしょうか?
>
と評価されるのではないかなと思います。
ロードレオンさんのIKさんへの一連のレスも相当に上記「狭量」関連は最低限私はそういう発言だと評価しております。
>
> 田中氏が、どこかで「愚民どもめ、俺様が悠久なる中国四千年の歴史の崇高さと毛主席の偉大さを教育してやるのだ」なんて言ったんですか?
>
先に最低極まる詭弁を弄しておきますと、どの部分で私が田中芳樹氏の事だと言っているのですか?
まあ上記の低劣な冗談はお詫びいたしますとして、創竜伝7巻「黄土のドラゴン」て如何でした?
主人公側の登場人物の科白で「文化大革命の意義とその実行指導者の正当な評価には五十年の時間が必要」という大意のものがありまして、家族の小市民的幸福のために世界(の実力者)を敵に回している竜堂四兄弟はこれを聞いて発言者の老人の見識に関心するという一幕がありました。
先に述べた小市民の自衛権でお騒がせに拍車をかけている竜堂四兄弟の主張としては「それで紅衛兵に粛清された市民や知識人、大勢の中国人達に今すぐ聞いてこい、爺い」と袋叩きにするくらいが物語の整合性とか一貫性という物だと私は思います。
ある意味これなどは重箱の隅ですが、こういった具体的な作品内容とそれに対するこのHPでの評価に対する反論・別観点の提示などにそろそろ話を移行して下さった方がお互いに有益な論議になるかと考えますが。
>
> 僕は「不当評価とレッテル貼りを行う作家の主張を全面的に認め」るようなことはしてませんけど。
>
しかしロードレオンさんは田中氏の執筆内容・執筆姿勢に特に疑問はなく、翻って田中氏の作品(特に近年)のそうした点を疑問視するこのHPの議論は「全否定であり客観性を欠く」と評価なさる訳です。
ならば貴方がなさるべきは「田中作品を肯定する論拠の開陳」か「説得力ある『客観的』田中作品批評」であるべきでしょう。
>
>執筆姿勢や主張内容についての妥当性のある批判については尊重したいと思っています。そして、僕がIKさんさんとの対話の中で繰り返し言っていることは、可能な限り客観性を尊重した方が良くはありませんか?ということです。批判的主張に客観的な根拠があるのであれば、尊重しますよ。
>
ロードレオンさんは「自分はIKさんに高飛車な言いがかりをつけられている」と「主観的に」解釈なさっておいでですね。
そうでなければ「誠実に異論のすり合わせを行おうとしている相手を小馬鹿にしている」貴方の論調は「客観的に」説得力のかけらもありませんね。
一度御自分が何かを誤解していないか再考察された上でこの議論を続ける事をお勧めします。
-
- board4 - No.3378
少し浅はかかもしれませんが・・・
- 投稿者:さわら
- 2002年12月20日(金) 14時39分
初めて書き込みをさせていただきます。
最近このページを見つけ、田中芳樹氏の作品を愛読している者と
して興味を覚えて、いろいろ拝見いたしました。
(まだ管理人さんの本論と、主だった議論しか読んでいませんが)
そして気づいたこと。そういえば「創竜伝」は1度読んだきり、
読み返していないのです。
何故か考えてみたのですが、「銀英伝」や「アルスラーン」は
設定が異世界もしくははるかな未来であり、現実を感じる余地が少ない
のですが「創竜伝」は、現代の物語であり、それだけにあの単純な
対立の構図がかえって現実感がなく、再読する気になれない、
ということに気が付きました。
管理人さんや皆さんの田中氏批判を読んでいて、なるほど、と思える
こともたくさんありました。確かに小説という形に逃げ込んで
批判をして自己満足をしているという部分はあるのかもしれません。
最近これと対照的な作品を読みました。
村上龍氏の「希望の国エクソダス」です。
小説という形をとりながら現代社会を鋭くえぐり、
おびえる市井の微塵もない批判(政党の実名も挙げています)
もしていると思います。
浅はかかもしれませんが、こういう部分での田中芳樹批判が
この場では展開されているのかなぁと感じました。
私は「アルスラーン」の続編を首を長くして待っている
田中ファンではありますが、(それはこのページを読んだ今も
変わりませんが)このページの意義は感じることができました。
無学なゆえ、議論に入っていけないとは思いますが、
これからも拝見していきたいと思っています。
長ったらしい拙文で失礼いたしました。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3379
掲示板伝2
- 投稿者:不沈戦艦
- 2002年12月20日(金) 16時33分
堂竜4兄弟の戦いは続く。今日も、「五人姉妹」の手先に成り下がっている、自衛隊の攻撃ヘリが堂竜兄弟を追いかけ回しているのだ。それだけではなく、警察も動員され、あちこちの道をパトカーが封鎖していた。町中でロケット弾や機関砲を撃ちまくっているので、外れ弾による被害が続出している。しかし、肝心の堂竜兄弟には、何のダメージも与えていないので、意味は全くない攻撃であった。
「この町も、国民の税金で養われている警官や自衛隊に破壊されて大変だな」
「権利の上に無関心で眠る人々は、そのうちに代償を払うということでしょうか」
「なんでもいいから、腹へったよー」
「『五人姉妹』はまだ僕たちをあきらめないのかなあ?」
などと言いつつ、逃げ回っている堂竜兄弟である。とはいっても、逃げるばかりではなく、甘く見て突っかかってくる自衛隊員や警官の膝を叩き折り、したたかな教訓を与えてやることも、しばしばであった。
「い、偉大な表現者である中先生に、小説を書くななんて暴言は許せないんだな。な、中先生の書いているものは、フィクションでしかないんだから、それを中先生の意見を表現した評論と決めつけるのは良くないんだな。中先生の『表現』は、僕が完全に客観的と認める者以外には、批判する資格なんかないんだな、ハァハァ」
ラード・リオンは、外の大騒ぎには全く気付くこともなく、パソコンのモニターの前で、キーボードを叩きながら、生臭い息を吐いていた。四畳半の部屋は、散らかりっ放しで埃とゴミに埋もれている。いわゆる「引きこもり」状態で、親にも見放されているのが、彼の現状であった。唯一、ネット世界のみに自分の生きがいを見い出した彼は、一日中パソコンをネットに接続して、キーボードと格闘している。彼にとって、偉大な表現者である中禿樹先生が、インターネットサイトの「中禿樹を撃つ!」で批判の嵐に晒されているのは、断じて許せることではなかったのだ。
「ククククク、YKとかいうやつは、大分おかしくなっているんだな。もう一押しで、叩きつぶせるんだな」
書き上げた文章を投稿しようと、リターンキーを押そうとしたその時だった。突然、窓ガラスが粉砕され、強烈な爆風が部屋の中に吹き込んできたのである。もちろん、ラード・リオンはひとたまりもなく、爆風に吹き飛ばされて部屋の壁に打ち付けられ、気を失ってしまった。
「あ~あ、またとばっちりだ。本当に自衛隊のやることは酷いな」
「まあ、これも五人姉妹の言いなりになっている日本政府の責任ですからね。僕らが気に病む必要はありません」
「でもさあ、この部屋の主、こんな真っ昼間からパソコンに向かい合って、何していたんだろ?こういうのとは、あまり友達にはなりたくないなぁ」
「また来たよ、早く逃げないと」
堂竜兄弟は、部屋ごと吹っ飛ばされ、気を失って倒れているラード・リオンに一遍の同情も示すこともなく、自衛隊のヘリから逃れる為に走り出した。
自分でこれ(↑)を書いておいて言うのも酷い話ですけど、こんな「フィクションの表現方法」は、ロクなもんじゃないですねぇ。「書くな」と言われても、仕方ないと思いますよ。本当にね。