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投稿ログ184 (No.3246 - No.3253)

board4 - No.3246

「社会の膿を撃つ」について

投稿者:honoo
2002年11月07日(木) 16時37分

あたしの書き込みに返事してくれて、どうもありがとう!


さて、ご質問に答えてあげよう。

あたしの読んだ訳本からみると、「創竜伝」で描かれた政治家、警察などの人物は発展途上国の中国の上海でもモデルがいる!!
もちろん、上海でも、東京でも、そんな政治家しかないわけでもないとしてるけど、やっぱりそのような人の数はすくないとはいえないでしょ?「創竜伝」では、この状況を倍に拡張して表現したけど、なんか「警世」の意味があるじゃないか?これは出すぎじゃないと思う。あたしたちが見たのはただの外皮で、本当の情況はどうかわからない。さらされたの不祥事はただの「氷山の一角」かもしれない。これらは「社会の膿」じゃない?そのぐらいの皮肉で「言い過ぎ」といったら、ほんとうにいいのか?

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board4 - No.3247

Re:「社会の膿を撃つ」について

投稿者:Ken
2002年11月07日(木) 16時50分

honooさん、

>わたしが読んだ「創竜伝」は日本語で書いたものじゃない、中国語の訳本です。(残念ですね!)

そうでしたか。でもまあ、だいじょうぶですよ。私は、以前に、田中先生の作品は、英語に訳すのは難しい、と言ったことがありますが、中国語なら漢字を共有しているし、なんとかいけるでしょう。

>そして値段はとっても受け入れない・・・クレジット・カードなどももってないですが・・・でも、本当に田中先生の原典が読みたい。

先の発言で書いたように、私にメールをくれたら、喜んで送ってあげます。お金のことは心配しないでください。私は、アメリカ人の友達から、キリスト教の本をたくさんもらいました。「これを読め。こっちも読め」と、次々にくれるのです。おかげで、キリスト教の本で、自分で買ったのはバイブルくらいです。私の友達は、そういう本を外国人――とくに日本のように、キリスト教が弱い国からきた外国人――が読むこと自体がうれしいのです。私も同じです。田中先生の本を、中国の人が読みたいと思うなら、協力します。電子メールをください。

さて、先に書いたように、私は創竜伝を読んでいないので、細かい話になったら、honooさんの相手ができないな、と思っていたのですが、不沈戦艦さんが回答をくれましたね。(ところで「不沈戦艦」というハンドル名を見て、「やっぱり日本は軍国主義」なんて、思わないでくださいね。「なんとなくかっこいい」から、こんな名前を使われているだけだと思います。)

不沈戦艦さんが書いたように、田中先生には「銀河英雄伝説」という、たいへんにすばらしい作品があります。とくに「ヤン・ウェンリー」という、すばらしい中国人がでてきます。ここの掲示板に来ている人の多くも、銀英伝は大好きで、それに比べて創竜伝がつまらないから、残念に思っているのだと思います。(自分が読んでいないので、想像するしかありませんが。)


>でも、「田中作品が小説のルール破り」ということにどしてもうけとれない!これはただ作品に対しての感想じゃない、小説そのものの意味が認識できないのではないか?そして、田中先生の創作自由に手を出したい意味もあるまいか?

honooさんがいう「ルール破り」をやっている小説家は、日本のような国には、田中先生だけでなく、ものすごくたくさんいます。ここの掲示板にくる人たちが、「ルール破り」を理由に小説家をつぶそうとしたら、田中芳樹だけに、こんなに時間と労力をかけられません。また、私などは、田中芳樹さんを擁護することが多いので、今頃はこうして掲示板に書き込めないほど、ひどい目にあっているでしょう。でも、私に対して「だまれ」とか「でていけ」という人はいません。

>ここでたがいに攻撃するのは不祥じゃないか?「蝿」と呼び合えるなんて・・・「尻の穴が狭い」なんて・・・

うーむ。いたいところをつかれました。(ところで「不詳」という中国語は「悪意がある」という意味なのでしょうね?)そういう言い方をする人は、たしかにいますし、そういう言い方をする人には、いなくなってほしいと、私も思います。ただ、インターネットの掲示板のように、互いの顔を見えないところで、相手を「蝿」と呼んだからといって、それが「実社会」での相手の立場を傷つけるわけではありません。相手を「蝿」と呼ぶ人は、そのことに安心しているから、半分はおもしろがって、わる口を言っているのです。

>あたしの読んだ訳本からみると、「創竜伝」で描かれた政治家、警察などの人物は発展途上国の中国の上海でもモデルがいる!!
>もちろん、上海でも、東京でも、そんな政治家しかないわけでもないとしてるけど、やっぱりそのような人の数はすくないとはいえないでしょ?「創竜伝」では、この状況を倍に拡張して表現したけど、なんか「警世」の意味があるじゃないか?これは出すぎじゃないと思う。あたしたちが見たのはただの外皮で、本当の情況はどうかわからない。さらされたの不祥事はただの「氷山の一角」かもしれない。これらは「社会の膿」じゃない?

そういう回答がくるだろうな、と思っていました。政府や権力者が悪いことをしているのを、痛烈にやっつける部分を言っているのですね?たしかに中国には、そういう小説はあまりないかもしれませんね。でも、そういうことをやっている小説家は、田中先生以外にも、ほんとうにたくさんいるのですよ。インターネットの掲示板で批判する程度で、そういう意見を封じることができるなどと、まじめに考える人はいません。

小説だけでなく、新聞の論説などでも、政府や権力への批判はあります。朝日新聞(www.asahi.com)の社説を読んだらおもしろいかもしれません。また、honooさんは英語は読めますか?もし読めるなら、アメリカのニューヨークタイムズ紙(www.nytimes.com)とか、ニューズウィーク誌(ttp://www.msnbc.com/news/NW-front_Front.asp)とかの記事を読んでみてはどうでしょうか?アメリカ政府のやり方を、「こてんぱん」にやっつけている記事がいくらでもみつかりますから。「ブッシュ大統領が、なにがなんでもイラクをやっつけようとするのは、父親がやり残した仕事を息子が仕上げたいという、個人的な感情だろう」とかね。(いくらなんでも、これはいいすぎだと、私は思いますが。)

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board4 - No.3248

Re:「社会の膿を撃つ」について

投稿者:honoo
2002年11月07日(木) 17時48分

> honooさん、
>
> >わたしが読んだ「創竜伝」は日本語で書いたものじゃない、中国語の訳本です。(残念ですね!)
>
> そうでしたか。でもまあ、だいじょうぶですよ。私は、以前に、田中先生の作品は、英語に訳すのは難しい、と言ったことがありますが、中国語なら漢字を共有しているし、なんとかいけるでしょう。
>
> >そして値段はとっても受け入れない・・・クレジット・カードなどももってないですが・・・でも、本当に田中先生の原典が読みたい。
>
> 先の発言で書いたように、私にメールをくれたら、喜んで送ってあげます。お金のことは心配しないでください。私は、アメリカ人の友達から、キリスト教の本をたくさんもらいました。「これを読め。こっちも読め」と、次々にくれるのです。おかげで、キリスト教の本で、自分で買ったのはバイブルくらいです。私の友達は、そういう本を外国人――とくに日本のように、キリスト教が弱い国からきた外国人――が読むこと自体がうれしいのです。私も同じです。田中先生の本を、中国の人が読みたいと思うなら、協力します。電子メールをください。
>

>ありがとう!今、あたしは「薬師寺涼子の事件簿」によっぱらているから、どうしてもそれが一番読みたい!そして、ストーリの構成と内容もより簡単ですし、原典のよみはじめるところにふさわしいと思う。
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> さて、先に書いたように、私は創竜伝を読んでいないので、細かい話になったら、honooさんの相手ができないな、と思っていたのですが、不沈戦艦さんが回答をくれましたね。(ところで「不沈戦艦」というハンドル名を見て、「やっぱり日本は軍国主義」なんて、思わないでくださいね。「なんとなくかっこいい」から、こんな名前を使われているだけだと思います。)


> そんなことはない。不沈戦艦さんも田中先生がすき、こちらははっきりわかている。どちらともしりたい、kenさんと不沈戦艦さん、そしてこの掲示板で発表したみなさんも。論文にいれたいのは田中作品に対して、自分の意見や自分がこれから受けた影響など。ただ「創竜伝」その本を読んだあとの感想文じゃないから、「創竜伝」を読んでも、読んでいないでも、kenさんの意見が聞きたい。田中作品をどう思ってるとか、どうして田中先生を尊敬するとか。
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> 不沈戦艦さんが書いたように、田中先生には「銀河英雄伝説」という、たいへんにすばらしい作品があります。とくに「ヤン・ウェンリー」という、すばらしい中国人がでてきます。ここの掲示板に来ている人の多くも、銀英伝は大好きで、それに比べて創竜伝がつまらないから、残念に思っているのだと思います。(自分が読んでいないので、想像するしかありませんが。)
>
>
> >でも、「田中作品が小説のルール破り」ということにどしてもうけとれない!これはただ作品に対しての感想じゃない、小説そのものの意味が認識できないのではないか?そして、田中先生の創作自由に手を出したい意味もあるまいか?
>
> honooさんがいう「ルール破り」をやっている小説家は、日本のような国には、田中先生だけでなく、ものすごくたくさんいます。ここの掲示板にくる人たちが、「ルール破り」を理由に小説家をつぶそうとしたら、田中芳樹だけに、こんなに時間と労力をかけられません。また、私などは、田中芳樹さんを擁護することが多いので、今頃はこうして掲示板に書き込めないほど、ひどい目にあっているでしょう。でも、私に対して「だまれ」とか「でていけ」という人はいません。
>
> >ここでたがいに攻撃するのは不祥じゃないか?「蝿」と呼び合えるなんて・・・「尻の穴が狭い」なんて・・・
>
> うーむ。いたいところをつかれました。(ところで「不詳」という中国語は「悪意がある」という意味なのでしょうね?)そういう言い方をする人は、たしかにいますし、そういう言い方をする人には、いなくなってほしいと、私も思います。ただ、インターネットの掲示板のように、互いの顔を見えないところで、相手を「蝿」と呼んだからといって、それが「実社会」での相手の立場を傷つけるわけではありません。相手を「蝿」と呼ぶ人は、そのことに安心しているから、半分はおもしろがって、わる口を言っているのです。
>
> >あたしの読んだ訳本からみると、「創竜伝」で描かれた政治家、警察などの人物は発展途上国の中国の上海でもモデルがいる!!
> >もちろん、上海でも、東京でも、そんな政治家しかないわけでもないとしてるけど、やっぱりそのような人の数はすくないとはいえないでしょ?「創竜伝」では、この状況を倍に拡張して表現したけど、なんか「警世」の意味があるじゃないか?これは出すぎじゃないと思う。あたしたちが見たのはただの外皮で、本当の情況はどうかわからない。さらされたの不祥事はただの「氷山の一角」かもしれない。これらは「社会の膿」じゃない?
>
> そういう回答がくるだろうな、と思っていました。政府や権力者が悪いことをしているのを、痛烈にやっつける部分を言っているのですね?たしかに中国には、そういう小説はあまりないかもしれませんね。でも、そういうことをやっている小説家は、田中先生以外にも、ほんとうにたくさんいるのですよ。インターネットの掲示板で批判する程度で、そういう意見を封じることができるなどと、まじめに考える人はいません。
>
> 小説だけでなく、新聞の論説などでも、政府や権力への批判はあります。朝日新聞(www.asahi.com)の社説を読んだらおもしろいかもしれません。また、honooさんは英語は読めますか?もし読めるなら、アメリカのニューヨークタイムズ紙(www.nytimes.com)とか、ニューズウィーク誌(ttp://www.msnbc.com/news/NW-front_Front.asp)とかの記事を読んでみてはどうでしょうか?アメリカ政府のやり方を、「こてんぱん」にやっつけている記事がいくらでもみつかりますから。「ブッシュ大統領が、なにがなんでもイラクをやっつけようとするのは、父親がやり残した仕事を息子が仕上げたいという、個人的な感情だろう」とかね。(いくらなんでも、これはいいすぎだと、私は思いますが。)


>そうですね。やっと気がついた。わが中国は日本とアメリカと違って、「言論自由」がまだ手に入れない国なんですよ!そんな「自由」に論争する場面になれないから、なんとか違和感がある。「互いの顔を見えない」インターネットの掲示板でも、誰かに「蝿」などと呼ばれると、必ず腹立つ、反撃するなんだが、新聞で大統領の悪口をいうなんて、想像でもできない!!中国では、そんあことのおこりはけっしてない!誰かが書いても、発刊前に逮捕されて、ひそかに「処理された」かもしれない。



PS:もねじゃだめ!明日また授業があるから。kenさんたちとここで知り合いできて、ほんとうによっかた! 今後もどうぞよろしくお願いします!!

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board4 - No.3249

Re:銀英伝世界で人工知能はどれ位発達しているか?

投稿者:古典SFファン
2002年11月07日(木) 20時22分

IKさん:
>ダロウについてはハワイでの人種差別事件の裁判に関わっていたというおぼろげな記憶しかなかったのですが、今回、ネットで検索したところ進化論にも関わっていたとのこと。おそらくその関係のことでしょうが、お手数ですが解説をいただければ幸いに存じます。

ちょっとこの辺は面倒なんですが・・・
ダロウのこの「言葉」は、単一の発言を指しての事ではありません。
彼の活動期間の前期に当たる、労働組合運動の弁護を行っていた時期に
出た著書や、裁判中の断片的な発言の集積を俯瞰しての感想です。

ダロウは50年程も法廷活動をしていて、最初は出身地のアシュタブラ、
続いて大都会シカゴで鉄道関連の大企業に雇われ、次に敵に回って(笑)
労働組合運動に関わり、そして組合と袂を別った後、特に傾向なく
色々な弁護を行ったようです。

仰る「ハワイでの人種差別裁判」は「マッシー事件」です。
が、「ダロウ最後の事件」とも呼ばれるこの事件では(彼はもう相当な高齢でした)、
法廷外の和解に近い形で事件が処理され、彼は弁護士というより調停者として働いた
ようです。

彼が関わった事件で現在有名なのは、(これをネットで発見されたようですが)
デイトンにおける「スコープス事件」(進化論裁判)です。

ダロウは(自称)不可知論者で、進化論・唯物論にも通じていたようです。
彼や、いわゆる進歩的な市民層に支えられた弁護団は被告スコープスに付き、
そしてウィリアム・ジェニングス・ブライアン率いるファンダメンタリストたちが
彼らの敵に回りました。
(ブライアンは「聴衆を催眠術にかける」と言われた演説の名手で、大統領選で
活躍し、国務長官まで勤めた、かなりの大物です)

ちなみにデイトンにおける両者の対決は、何かというと聖句を引用するブライアンと、
皮肉で塗り固められたような弁論を駆使するダロウの舌戦で、なかなかの大論争だった
のですが、意外にも裁判自体はスコープス有罪と言う事になりました。
進化論そのものの正否はともかく、それを学校で教える事を禁じた州法に違反した
事はどうにもならなかったという事で・・・。
・・・が、論戦の旗色が悪すぎたせいではないと思いますが、ブライアンは裁判後に
急死。
裁判はともかく論争には進化論派が勝ったとして記憶されているようです。

これらの事件はダロウの活動の比較的後期に起きた事です。
ダロウは元々大企業の弁護士でしたが、当時あまりにも露骨に組合を弾圧した
経営側のやり口に嫌気がさし、30代の頃に労働組合側につきました。

以下はその時の、上司であったマーヴィン・ヒューイットとダロウの会話です。

ヒューイット:
 「暑そうだな、クラレンス。明日は独立記念日(7月4日)だ。仕事を休んで涼めるぞ」
ダロウ:
 「明日、シカゴで休んでいようなどと云う人間は一人もいません」
ダロウ:
 「今朝、連邦巡回裁判所がストライキ参加者に発令した禁止命令の記事を
  読みました。ストライキに参加する事が刑法に触れると云うだけでなく、
  他人に参加をほのめかすだけで拘留される、とまで命じているのです」
 ヒューイット:
 「その命令は、流血騒ぎと破壊略奪行為を防ぐ事になるだろう」
ダロウ:
 「少なくともここは、自由の国だと思っていたのですが。人は、労働条件
  が満足できないと判れば、働く事を中止する権利があるのではないかと。
  彼ら自身が選んだ政府がストライキは不法だと宣言し、雇用者が妥当と
  認めるいかなる条件下においても従業員が就労せねばならないとしたら、
  彼らは奴隷以下と云う事ではありませんか。
  われわれがもしほんとうに民主主義の社会に住んでいるのだとしたら、
  あの禁止命令こそ違法だと云うべきです」

当時はそう云う時代でした。
離職者や組合員はブラックリストに載せられ、スト破りのために軍隊が動員され、
大統領さえも資本家の意向により沈黙する時代です。

彼は(この時期より前になりますが)共産主義者と疑われて、でっちあげに近い
形で告発された何人かの労働者の弁護に関わっています(ヘイマーケット事件)。
その時に彼が云ったのが、
「私は、共産主義が正しいとは思わない。しかし、資本主義ではわれわれは
決して本当に幸福にはなれない」
という言葉です。
それは、分かち合うべきものを、お互いに奪い合わねばならぬようにする
狂った上掛けに覆われている、と。
しかしヘイマーケット事件では彼は敗れました。

彼はその後、アメリカン鉄道組合のユージーン・デブスを弁護しますが、
その事件でも敗れ、デブスと組合幹部は監獄行きとなります。

彼が地道に小さな勝利を積み上げ、遂に、述べ10万名が関わったといわれる
無煙炭鉱の労働争議で勇名を轟かせるに至るのは、1902~1903年の
事です。
ダロウと彼の同僚たちは、ルーズヴェルト大統領が招集した委員会の席上で、
経営者と、彼らの弁護団を打ち破り、労働時間の短縮と賃金の改善を勝ち取り
ました。
以後、彼は労働者の権利拡大のため、著名な組合弁護士として奔走します。

が、何度も大きな事件を勝ち抜いた後、彼は「マクナマラ兄弟事件」で、
「弁護しようもないほど有罪のテロリスト」(ビル爆破等で相当なムチャ
クチャをやったようです)を弁護する羽目になり、検察側と極秘裏に
取引して、有罪を認めて兄弟の死刑のみは避ける戦術を採用しました。

これが「事件は経営者側のでっちあげ」と謳っていた組合側との決裂を招き、
ダロウは政治的にも個人的にも多くのものを失って労働運動と距離を置く
ようになります。

スコープス事件はその後起きた事です。
マッシー事件はほぼ、彼の晩年に近い時期となります。


大資本や経営者にまつわる彼の見解は、その経歴に相応しく批判的で、
かなり皮肉です。
労働市場の性質を考察して、彼は「オープン・ショップ」と云う随筆調の
文章を残しています。
その中で彼が主張するのは、要するに組合か、それに等しい機能を持つ組織
が労働市場を寡占しない限り(クローズド・ショップを形成しない限り)、
労働協約の破壊(賃金切り下げ)を最終的に阻止する手段はないと云う事です。

経営者が、同じ質なら最もコストの低い者を雇おうとするのは当然ですが、
それを際限なく許すと、賃金は最低水準まで落ちてしまう。
・・結果的にデフレスパイラルが内需を圧縮してしまい、経営者たち自身の
首も締めるのですが、その性質はダロウの時代となんら変わっていない。


ダロウの生涯は毀誉褒貶が激しく、その政治的・個人的主張と同様、左右に
激しく揺れ動きます。
彼は皮肉屋ですが熱血漢で、裁判の最終弁論となると、芸術的とも云える
美しい言葉を駆使して陪審員の心を動かします。
・・ですが、その美しい言葉を以って「正義が勝つ」かと云うと、・・・
彼は重大な節目で何度も敗北し、そこからまた這い上がる羽目になり、
彼の依頼人は監獄行きになったり、はなはだしい場合は死刑に処せられたり
する。

私が、彼の人間的魅力と共に記憶しているのは、金持ちと戦う羽目になる
のが、今も昔も馬鹿馬鹿しく不条理で、不公平な勝負を強いられる事だと
云う事です。
この100年、基本的な所は何も変わっていない。

・・そして、結局のところ、「何も変わっていない」のは、人間の知性や
能力の限界が、まだそんなものでしかないと云うことではないのか。
・・ダロウは彼らしく皮肉に塗り固めた表現で、
「人間はサルである。今もサルだし、昔もサルだった。そして今後も、
おそらくサルでしかない」
とのたまっていますが・・・
彼は、そのサルを見下すような男ではありませんでした。
同時代の弁護士で、彼がしたように黒人を弁護した者は少数です。
彼は娼婦であろうと泥棒であろうと弁護したと、彼の伝記作者は語っています。

人間は今も昔も愚かで、臆病で、保守的で、貪欲で、仲間を平然と殺し、むしりとる。
・・・しかし・・・
どう取り繕おうと、結局われわれはその同類なのです。
少なくとも、私はそう思います。
・・・その中で、むしりとられまいとすると同時に、無用にむしりとるまいとすれば・・
ダロウのように、矛盾を抱えながらあがきつづけるしかないのではないか。
私は、折に触れてそう思う事があります。


追伸:
私はダロウに関する知識の大半を、サイマル出版会の「アメリカは有罪だ」から得ました。
・・この本は1970年代に出版された本なので、とうに市場からは消えているかも知れませんが・・・
写真資料を含め、100年前のアメリカの事情の一端を伝えてくれる、なかなかの本でした。

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board4 - No.3250

Re:銀英伝世界における教育制度

投稿者:倉本
2002年11月08日(金) 02時52分

>  私が「銀英伝」を読んでいて、不可解に思っている点に教育制度があります。誰かご教授していただければ幸いです。
> ①士官学校と幼年学校
>  外伝「白銀の谷」で幼年学校を卒業したラインハルトが准尉として任官されるべきところを少尉に任官されたとあります。幼年学校を卒業して、数年かかって士官学校を卒業しても、1階級しか上がらないのであれば、幼年学校を卒業して、戦場に身を投じたほうが早く出世できるのではないでしょうか?非合理的な制度のように思えます。
>
それは無理だと思います。
准尉は別名兵隊元帥とも呼ばれる士官学校での士官教育を受けていない一兵卒がなれる最高の階級だったはずです。
ここから上の階級に行くには士官学校に入って専門的な教育を受ける必要があるはずです。
下士官上がりの士官も一度はこの教育を受けているはずです。
学校を出てすぐに受けるか戦場を経験してから受けるかの違いだけのはずです。
ラインハルトの場合はよくわかりませんが皇帝の寵妃の弟ということで特別にオミットしてもらったんではないでしょうか。

> ②士官学校の上はないのか?
>  戦前の日本には、陸軍士官学校や海軍兵学校の上に陸軍大学・海軍大学がありましたが、同盟には士官学校の上に軍大学のようなものはないのでしょうか?ユリアンのように士官学校を経ずに将校に任官したものを教育する機関はないのでしょうか?
>
私はヤンの入った士官学校がいくつもの変な科があることからあれが軍大学相当の教育機関なのではないかと思っています。
普通は士官学校の科は砲術科とか航海科とかで作中に出てきたような科は存在しないはずですもの。

> ③同盟に高校はないのか?
>  ヤンが父親に大学進学の相談をしていたのは15歳のときでした。スールズカリッター少佐は中学校を卒業した後、士官学校にすすみました。ユリアンは16歳になる直前に軍曹になりました。同盟には高校はないのでしょうか?

これは私にはわかりませんね。
作中の記述を見る限りではその通りとしか言いようがないと思います。
ただ士官学校は普通は中学卒業後に入学するものなはずです。
戦前中学卒業後に士官学校に入学した人の話を聞いたことがあります。
ただ私の勘違いでなければヤンの話は大学進学じゃなくて高等教育の話だったような気がします。
だとするとこのときの相談内容は高校進学についてだったのかもしれません。

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board4 - No.3251

Re:銀英伝世界における教育制度

投稿者:イッチー
2002年11月08日(金) 15時33分

倉本さま、レスありがとうございます。


> それは無理だと思います。
> 准尉は別名兵隊元帥とも呼ばれる士官学校での士官教育を受けていない一兵卒がなれる最高の階級だったはずです。
> ここから上の階級に行くには士官学校に入って専門的な教育を受ける必要があるはずです。
> 下士官上がりの士官も一度はこの教育を受けているはずです。
> 学校を出てすぐに受けるか戦場を経験してから受けるかの違いだけのはずです。
> ラインハルトの場合はよくわかりませんが皇帝の寵妃の弟ということで特別にオミットしてもらったんではないでしょうか。

ラインハルトとキルヒアイスのほかに士官学校を出ずに提督になった人物が帝国にいます。それはトゥルナイゼン中将です。彼は士官学校を中退して、戦争に身を投じたと文庫版第5巻10頁にあります。少尉に任官したのち、再び士官学校にもどされるなら、トゥルナイゼンも士官学校を中退などしなかったでしょう。定刻における士官学校の存在意義って、いったい・・・。


> 私はヤンの入った士官学校がいくつもの変な科があることからあれが軍大学相当の教育機関なのではないかと思っています。
> 普通は士官学校の科は砲術科とか航海科とかで作中に出てきたような科は存在しないはずですもの。
>

①の答えでは、士官に任官したものは下士官あがりでも士官学校で教育を受ける必要があるということでしたが(日本の警察官は巡査からはいあがった者も国家公務員Ⅰ種試験に合格した者も警部補に任官されると、警察大学校で教育を受ける)、ユリアンはなぜ士官学校入学を命じられなかったのでしょうか?

> これは私にはわかりませんね。
> 作中の記述を見る限りではその通りとしか言いようがないと思います。
> ただ士官学校は普通は中学卒業後に入学するものなはずです。
> 戦前中学卒業後に士官学校に入学した人の話を聞いたことがあります。
> ただ私の勘違いでなければヤンの話は大学進学じゃなくて高等教育の話だったような気がします。
> だとするとこのときの相談内容は高校進学についてだったのかもしれません。

文庫版第1巻52頁に「ハイネセン記念大学の歴史学科を受験することに決めて」と書いてあります。やはり、同盟には高校は存在しないのでしょうか。
それと、戦前の中学校(中等学校)と現在の中学校では性格が異なります。戦前の中学校は今日の中学校と高校が合わさったような存在で、5年制でした。ただし、4年修了で上級学校を受験することが出来ました。

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board4 - No.3252

Re:「社会の膿を撃つ」について

投稿者:S.K
2002年11月09日(土) 01時13分

>Kenさん
>honooさん

> > >でも、「田中作品が小説のルール破り」ということにどしてもうけとれない!これはただ作品に対しての感想じゃない、小説そのものの意味が認識できないのではないか?そして、田中先生の創作自由に手を出したい意味もあるまいか?
> >
> > honooさんがいう「ルール破り」をやっている小説家は、日本のような国には、田中先生だけでなく、ものすごくたくさんいます。ここの掲示板にくる人たちが、「ルール破り」を理由に小説家をつぶそうとしたら、田中芳樹だけに、こんなに時間と労力をかけられません。また、私などは、田中芳樹さんを擁護することが多いので、今頃はこうして掲示板に書き込めないほど、ひどい目にあっているでしょう。でも、私に対して「だまれ」とか「でていけ」という人はいません。
> >
「創竜伝」は「『エゴイスト』を『ひねくれた正義漢』に見せたがっている羊頭狗肉な作品なので苦情が多いというだけの話です。
 しかしKenさんは御自分は場の寛容さの恩恵を受けておいて人には
> > >ここでたがいに攻撃するのは不祥じゃないか?「蝿」と呼び合えるなんて・・・「尻の穴が狭い」なんて・・・
> >
> > うーむ。いたいところをつかれました。(ところで「不詳」という中国語は「悪意がある」という意味なのでしょうね?)そういう言い方をする人は、たしかにいますし、そういう言い方をする人には、いなくなってほしいと、私も思います。

「価値観の違い」で「いなくなってほしい」んですねえ、便利便利(苦笑)。

> > ただ、インターネットの掲示板のように、互いの顔を見えないところで、相手を「蝿」と呼んだからといって、それが「実社会」での相手の立場を傷つけるわけではありません。相手を「蝿」と呼ぶ人は、そのことに安心しているから、半分はおもしろがって、わる口を言っているのです。
> >
 他人様はどうだか知りませんが私はいつでも本気ですよ?
 これはhonooさんにお聞きしてみたい事なのですが、私が「創竜伝」を大嫌いになった原因は作中肯定的かつ偉大な仙人的人物として描写されている人物(中国人の老人)が「毛沢東は人間が偉大過ぎた。文化大革命の真の意味はあと50年を経なければわかるまい」というような意味合いの科白を話したのに対し「文化大革命で死んだ人間と追放された人間はその50年を待てないだろうよ」と思った事がきっかけだったのですが、honooさんは文革の犠牲者達が紅衛兵、ひいては「偉大なる指導者」に対しただの一人として「犬畜生」と言わなかった、思わなかったと思いますか?
 私は「侮辱に値する行為、言論」はあると思いますし、そうした物を「正当に評価」する事にためらう必要を感じませんが。

> > >あたしの読んだ訳本からみると、「創竜伝」で描かれた政治家、警察などの人物は発展途上国の中国の上海でもモデルがいる!!
> > >もちろん、上海でも、東京でも、そんな政治家しかないわけでもないとしてるけど、やっぱりそのような人の数はすくないとはいえないでしょ?「創竜伝」では、この状況を倍に拡張して表現したけど、なんか「警世」の意味があるじゃないか?これは出すぎじゃないと思う。あたしたちが見たのはただの外皮で、本当の情況はどうかわからない。さらされたの不祥事はただの「氷山の一角」かもしれない。これらは「社会の膿」じゃない?
> >
> > そういう回答がくるだろうな、と思っていました。政府や権力者が悪いことをしているのを、痛烈にやっつける部分を言っているのですね?たしかに中国には、そういう小説はあまりないかもしれませんね。でも、そういうことをやっている小説家は、田中先生以外にも、ほんとうにたくさんいるのですよ。インターネットの掲示板で批判する程度で、そういう意見を封じることができるなどと、まじめに考える人はいません。
> >
 御冗談、honooさんの祖国の「水滸伝」は「創竜伝」と比べるのも憚られる「正義の反逆者」の傑作ではないですか。
 ま、お目汚しだったかも知れませんが「他人を場合によっては『蝿』呼ばわりできる輩の言い草」なんてのもたまには貴重な見物でしょう。

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board4 - No.3253

Re:銀英伝世界で人工知能はどれ位発達しているか?

投稿者:IK
2002年11月09日(土) 02時00分

SF古典ファンさん。
丁寧な解説ありがとうございました。
確かに毀誉褒貶の多い人物だったようですね。その矛盾した生き方そのものが人生というものの厚みなのでしょうか。
私は人種差別というものが大嫌いですので、残念ながら差別する側に立って法廷に関わったダロウにいい印象を抱いておりませんでした。
しかしひとつの事件、ひとつの物差しだけで人間を見てはいけないという典型例のようですね。

> ・・そして、結局のところ、「何も変わっていない」のは、人間の知性や
> 能力の限界が、まだそんなものでしかないと云うことではないのか。
> ・・ダロウは彼らしく皮肉に塗り固めた表現で、
> 「人間はサルである。今もサルだし、昔もサルだった。そして今後も、
> おそらくサルでしかない」
> とのたまっていますが・・・
> 彼は、そのサルを見下すような男ではありませんでした。
> 同時代の弁護士で、彼がしたように黒人を弁護した者は少数です。
> 彼は娼婦であろうと泥棒であろうと弁護したと、彼の伝記作者は語っています。
>
> 人間は今も昔も愚かで、臆病で、保守的で、貪欲で、仲間を平然と殺し、むしりとる。
> ・・・しかし・・・
> どう取り繕おうと、結局われわれはその同類なのです。
> 少なくとも、私はそう思います。
> ・・・その中で、むしりとられまいとすると同時に、無用にむしりとるまいとすれば・・
> ダロウのように、矛盾を抱えながらあがきつづけるしかないのではないか。
> 私は、折に触れてそう思う事があります。

非常に重い言葉だと思います。そしてとても貴重な言葉だとも。

ところでこれは要望なのですが、幾人かの方々の書き込みが時に専門的過ぎて、やや解説が欲しいと思うことがあります。無論、すべての事柄にそうするのは不可能ではあるにせよ、まあ可能な範囲内でそうしていただけると、誰にとっても実りのあるものになるだろうとは感じます。
私なども時に傾斜生産方式のようにいきなり用語を出すことがあるんですが、これもひょっとしたら不親切だったかも知れません。どの辺くらいまでが常識かを判定するのは難しいんですが…。
まあ、出来る範囲、うるさくならない程度の中でご考慮いただければ、嬉しいかな、と。
勝手な言い分で、申し訳ありません。

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