- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3354
覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月14日(土) 18時32分
IKさん、こんにちは。3349のレスでは、どうも失礼いたしました。
> 批評者と読者と一個人であるIKの意見をごっちゃにしたのは私の書き方が悪かったですね。自分の中では当たり前のこととして峻別されて、わざわざ言うこともないと無意識に感じていたので、言明しなかったのですが、はっきり区別をつけておくべきでした。
確かにこうしていただければ、分かりやすかったでしょうね。
> しかしそれを「批評ともいえぬ」とか「つまらない意見」だという理由で封殺するのは、間違いに思えるということです。それをするのは別の個性をかくあるべきという形に封じ込めることになりませんか。
> もし批評者たらんとすれば、それでも能力の限界の中で主観を客観化する努力は必要ですが、一読者がなぜそこまでしなければならないのです?
特定の意見を封殺するようなことはしませんよ。ただ、このサイトの主要な目的の一つは、田中作品を批判して、田中氏の執筆スタイルが改まるように働きかける、というものですよね。他人に働きかけたいのであれば、たとえ一読者の意見といえども可能な限り客観性のある(=説得力のある)意見を心がけるのは、当然のことではないでしょうか? 目的に沿った意見でないと意味がないのです(逆効果の場合さえある)。
もちろんこのサイトの趣旨とは全く無関係な単なる独白に過ぎないということであれば、それでもかまわないのですが、IKさんの意見はこのサイトにおける主要な論点に関する僕との対話の中で出てきたものです。単なる一読者の独白とは受け取りにくい状況にありました。
> 書き手は、誤読されたり、理不尽なことを言われるリスクは作品を発表した時点で、折込済みと覚悟しなければなりません。言っておきますが一読者はその主観の中では自分の意見は決して理不尽だとは思っていないませんね。
でも、IKさんはご自身の意見のおかげで「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されかねないと認識しているんですよね。とすると、上記の事例には当てはまらないのではありませんか?
> 判例を変える一要因となすために、ここはやはり「名誉毀損にあたるのではないか」という意見もあると提示したいと思います。
一つの意見として承っておきますが、とすると(くどいようですが)IKさんは創竜伝が発禁になる可能性も否定できないとお考えの訳ですね?
> 上で書いているように読者としては別に批評者である義務はないというのが私見です。作者―読者の関係の中で(第三者は関係ありません)その「意見」を表明するのは自由ではないか、という考えです。それが批評に値するかどうかは別の問題ですね。
一読者の単なる独白(他人に対する働きかけの要素を含まない)であるならおっしゃる通りでしょうね。しかし、その意見が「こんな商品を作るな」である場合、明らかに作者に対する働きかけの意味を持っており、単なる独白とは言えません。上にも書きましたが、他人に対して何らかの要求をする場合、ある程度の客観性を必要とするのは当然のことだと思います。
あー、しかし、IKさんはそんなことは百も承知で、「自分勝手な人」「独りよがりな人」などと呼ばれるリスクを覚悟の上で、自分の意見をあくまでも押し通している、ということなんでしょうね。なんとなく分かってきたかな?(まだ誤解があるような気もしますが)。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3355
読者は神様?
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月14日(土) 18時40分
S.Kさん、レスありがとうございます。
> 意見は「かも知れない」ではなく自由ですよ。
> 既出ですが田中氏が政治思想を批判する自由があるように読者には田中氏の批評眼を肯定しない自由があるんですから
確かに自由には違いないのですが、「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてしまいかねない意見とのことですので、それでイイのかな?と思い、「かも知れない」という曖昧な表現にいたしました。
なお、僕は田中氏の批評眼についての批判を問題にしている訳ではありません。一つの表現方法自体を完全に否定することを問題としております。
> ロードレオンさんの仰りたい事は発言の自己責任の否定ではないですよね?
あくまでも客観性に配慮しない意見を主張される、ということでしたので、ホントにそれでいいのか確認したまでです。
> このHPの存在と内容は田中氏の知るところなので、仰る道理に従えば抗議や苦情が掲示板会社にさえ来ていないであろう現状は田中氏本人がこのHPでの否定的意見を許容しているという事ではないでしょうか。
そう見なしてかまわないと思います(相手にしてない、というのが実際のところでしょうけど)。しかし、それと僕がこのサイトにおける表現方法を制限する主張に対して異議を唱えることとは別のことです。
> 「もっと素晴らしい作品がかける筈だからこんな作品は書くな」というのは期待でしょう。
> IKさんは田中氏の才能に期待しているのであって、だからこそ夜郎自大にも見える現在の作品に批判的なのではないですかね。
確かに期待しているのかも知れませんが、ホントにそうであるならもう少し表現を考えられませんか? たとえば教師が生徒に言うのであればかまわないかも知れませんが、読者ってそんなに偉かったんでしょうか? 作家が偉いとも思いませんけど、あくまでも対等の関係なのではないでしょうか? そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、~した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3356
Re:覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:IK
- 2002年12月14日(土) 23時49分
> 特定の意見を封殺するようなことはしませんよ。ただ、このサイトの主要な目的の一つは、田中作品を批判して、田中氏の執筆スタイルが改まるように働きかける、というものですよね。他人に働きかけたいのであれば、たとえ一読者の意見といえども可能な限り客観性のある(=説得力のある)意見を心がけるのは、当然のことではないでしょうか? 目的に沿った意見でないと意味がないのです(逆効果の場合さえある)。
> もちろんこのサイトの趣旨とは全く無関係な単なる独白に過ぎないということであれば、それでもかまわないのですが、IKさんの意見はこのサイトにおける主要な論点に関する僕との対話の中で出てきたものです。単なる一読者の独白とは受け取りにくい状況にありました。
なるほど、少し分かりました。このサイトの目的と関連付けられているんですね。私は取り敢えずそれを横においておいて、一般論としての作者と読者の関係として申しております。「書くな」ということについてですね。
ところで「書かない方がいい」と言うのと「書くな」ということにどれだけの違いがあるのでしょう? 結局、言い方が失礼だ、ということですか。一読者が頭の中で浮かんだ言葉がどちらであろうとも、いかほどの違いがあるのかよく分かりませんが。
これはS.Kさん宛てのレスに書かれていたことですが、「書くな」ということがそのまま読者が偉いということにつながるというのもよく分かりません。偉いとか偉くないとか、関係ないことではないですか。
「書くな」と言うならば、「言うな」と言われることもありえるし、それはその中で処理すればいいことではないですか。
> > 書き手は、誤読されたり、理不尽なことを言われるリスクは作品を発表した時点で、折込済みと覚悟しなければなりません。言っておきますが一読者はその主観の中では自分の意見は決して理不尽だとは思っていないませんね。
>
> でも、IKさんはご自身の意見のおかげで「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されかねないと認識しているんですよね。とすると、上記の事例には当てはまらないのではありませんか?
うーん、「書くなという権利を保持」するというのは抽象的な話で、実際に私が田中さんに物言う時、そういう言い方をする訳ではありません。だからロード・レオンさんのおっしゃることも満更分からないのでもないですよ。ただ、そう思っている人ならばそう言うのも(言いたいのならば)仕方がないですね、という話です。「狭量な人だと見られる」というのは一般的な危険性を示しただけのことで、そう見られるから駄目だとは決して思いません。私は自分の性格を考えて短気なのは間違いないですが、なるべく寛容でありたいとは思っています。しかしある種のこと、ええ、安全地帯に下がって他人を揶揄するようなことについては寛容ではないですし、狭量ですね。ニュートラルな思考をしようともしない人に対しては狭量ですし、党派的立場から言論を組み立てる人に対しても狭量です。だから狭量であることが全然駄目だとは思いません。
> > 判例を変える一要因となすために、ここはやはり「名誉毀損にあたるのではないか」という意見もあると提示したいと思います。
>
> 一つの意見として承っておきますが、とすると(くどいようですが)IKさんは創竜伝が発禁になる可能性も否定できないとお考えの訳ですね?
発禁とまではいかなくても書き換えられる可能性はあるでしょう。
> > 上で書いているように読者としては別に批評者である義務はないというのが私見です。作者―読者の関係の中で(第三者は関係ありません)その「意見」を表明するのは自由ではないか、という考えです。それが批評に値するかどうかは別の問題ですね。
>
> 一読者の単なる独白(他人に対する働きかけの要素を含まない)であるならおっしゃる通りでしょうね。しかし、その意見が「こんな商品を作るな」である場合、明らかに作者に対する働きかけの意味を持っており、単なる独白とは言えません。上にも書きましたが、他人に対して何らかの要求をする場合、ある程度の客観性を必要とするのは当然のことだと思います。
> あー、しかし、IKさんはそんなことは百も承知で、「自分勝手な人」「独りよがりな人」などと呼ばれるリスクを覚悟の上で、自分の意見をあくまでも押し通している、ということなんでしょうね。なんとなく分かってきたかな?(まだ誤解があるような気もしますが)。
ここのところは何を仰りたいのかよく分からないのですが…。ちょっと迂回しましょうか。
よくよく考えてみて、一連の書き込みを私は読者というよりは、物を書く人間として言っているように感じます。書く方の心構えを言っているのかも知れないですね。
独白と言いますか、これも何度も言っていますが、作者と読者の関係性の中で読者は作品について何を言おうが絶対的なフリーハンドを与えられていると思います。
そしてそれを聞くかどうか、どう取捨選択するかの権利は作者に絶対的に与えられている。
どうもロード・レオンさんは「書くな」という言葉を命令形と受け止めているようですね。作者はそれに従う必要があるのだと。
私はまったくそうは思いません。「すばらしい作品でした」というのも意見、「こんなのは資源の無駄遣いだ、もう書くな」というのも意見です。
批評云々は本来関係ない話でしょう? 相手に伝わるかどうかも関係ないではないですか。ただの意見なんだから。
その人が作品を読んでひとつの意見を持ったという事実を他人がどうこう言うこと自体がおかしいんではないか、と言いたいのです。
そりゃあ、意見のすべてが「まとも」とは限らないですね。私が批評を受ける場合(こんなことを言うと障りがありますけど)、どんな意見にでも一応は礼儀として「なるほどそのような考え方もありますね。貴重なご意見ありがとうございました」と言いながら、(ケッッ、なーんもわかっとらん低脳めが)と思うこともあります。でも言った本人にしてみれば「まともなこと」を言っているのですよ。たとえただの「つもり」であっても。その程度のことは書き手として受容しなければならないのではないですか。
相手に伝えようとする云々は方法論の問題ですね。でもそういう方法論を選ぶかどうかも当人の自由でしょう。そもそも読者には作者を向上させる義務はないのですし。
私としては無理を承知で自説を突き通している訳ではありません。勝ち負けに拘っているつもりもないですね。
これは書き手としての私の信念に関わる問題です。仮にこの問題でロード・レオンさんと合意に至らなくても、負けるのが嫌で譲らない訳ではないですよ。それだけは分かって欲しいですね。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3357
Re:客観的には?
- 投稿者:S.K
- 2002年12月15日(日) 01時39分
> S.Kさん、レスありがとうございます。
いえいえ、IKさんとのお話と同話題なのでお嫌でしょうがちょっととだけ。
> > 意見は「かも知れない」ではなく自由ですよ。
> > 既出ですが田中氏が政治思想を批判する自由があるように読者には田中氏の批評眼を肯定しない自由があるんですから
>
> なお、僕は田中氏の批評眼についての批判を問題にしている訳ではありません。一つの表現方法自体を完全に否定することを問題としております。
>
「一つの表現方法自体の完全な否定」とは田中氏の言われる「発禁処分」ないしは「焚書」です。
寡聞にしてわたしは政治的強制だの「ちびくろサンボ」裁判だのといった面倒事に田中氏が巻き込まれているとは聞いておりません。
ロードレオンさんは何か裏事情めいた事実でも御存知なのでしょうか?
田中氏が不当な言論弾圧を受けているならその弾圧の排除の為の協力は惜しみませんよ。
> > ロードレオンさんの仰りたい事は発言の自己責任の否定ではないですよね?
>
> あくまでも客観性に配慮しない意見を主張される、ということでしたので、ホントにそれでいいのか確認したまでです。
>
……確かにIKさんは貴方の評価を覚悟の上で発言しているだろうと思いますが、翻ってロードレオンさんはIKさんの意見に「主観のみに基づいた狭量な発言と決め付け公言する」事をどれほどの客観性で認識なさってますか?
> > このHPの存在と内容は田中氏の知るところなので、仰る道理に従えば抗議や苦情が掲示板会社にさえ来ていないであろう現状は田中氏本人がこのHPでの否定的意見を許容しているという事ではないでしょうか。
>
> そう見なしてかまわないと思います(相手にしてない、というのが実際のところでしょうけど)。しかし、それと僕がこのサイトにおける表現方法を制限する主張に対して異議を唱えることとは別のことです。
>
政治家が田中氏に対する時は「相手にしてない」とは見なしてもらえない訳ですね。
「国民の選良」とは実に楽ではない仕事です。
気を取り直して、ロードレオンさんの異議は尊重されて然るべき物です。
ただ上でも挙げましたが「表現方法の制限」なんてそんな簡単に出来る物ではなく、であればロードレオンさんは「偏狭な視点から狭量な誤解で発言している」と評価されるリスクをどの程度「客観的に」御承知ですか?
> > 「もっと素晴らしい作品がかける筈だからこんな作品は書くな」というのは期待でしょう。
> > IKさんは田中氏の才能に期待しているのであって、だからこそ夜郎自大にも見える現在の作品に批判的なのではないですかね。
>
> 確かに期待しているのかも知れませんが、ホントにそうであるならもう少し表現を考えられませんか? たとえば教師が生徒に言うのであればかまわないかも知れませんが、読者ってそんなに偉かったんでしょうか? 作家が偉いとも思いませんけど、あくまでも対等の関係なのではないでしょうか? そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、~した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?
>
作家が「愚民どもめ、俺様が悠久なる中国四千年の歴史の崇高さと毛主席の偉大さを教育してやるのだ」とコッソリでもブチ上げるほどエラい「俺様」でない事だけは確かでしょうね。
以外と「『先生』と呼ばれる程の馬鹿」にまで耄碌し果てたのかも知れませんが。
いい加減クドくて申し訳ないんですが、それでロードレオンさんは娯楽小説である事をアリバイに不当評価とレッテル貼りを行う作家の主張を全面的に認めて、そうした執筆姿勢や主張を好まない・見たくないとする批判的主張を「狭量な言論弾圧」扱いする御自身の主張を「客観的」にどう見ておられるのですか。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3358
Re:覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月15日(日) 02時58分
> なるほど、少し分かりました。このサイトの目的と関連付けられているんですね。私は取り敢えずそれを横においておいて、一般論としての作者と読者の関係として申しております。「書くな」ということについてですね。
そりゃ、「田中芳樹を撃つ! 掲示版」ですからね。まあ、「一般論としての作者と読者の関係」にも共通する内容かも知れませんが。
> ところで「書かない方がいい」と言うのと「書くな」ということにどれだけの違いがあるのでしょう? 結局、言い方が失礼だ、ということですか。一読者が頭の中で浮かんだ言葉がどちらであろうとも、いかほどの違いがあるのかよく分かりませんが。
「書かない方がいい」と「書くな」の違いがお分かりにならないとのことですが、おっしゃる通り「頭の中で浮かんだ言葉」にとどまっているならばどちらでもイイのです。しかし、こういう場所であれ、その言葉を公表したのですから、語義に従って違いが生じるのは当然のことでしょう。なお、言うまでもないことですが、「書かない方がいい」は単なる意見の表明、「書くな」は意見の押し付け(禁止)となります(この2つが同じであるなら、違う言葉・表現の存在する意味がありません)。
> これはS.Kさん宛てのレスに書かれていたことですが、「書くな」ということがそのまま読者が偉いということにつながるというのもよく分かりません。偉いとか偉くないとか、関係ないことではないですか。
> 「書くな」と言うならば、「言うな」と言われることもありえるし、それはその中で処理すればいいことではないですか。
明確・客観的で妥当性のある理由があるのなら、「書くな」と言ってもかまわないこともあるでしょうが、そういう理由がない場合、普通一方的に「書くな」なんて言いますか? 明白な根拠もないのに、自分の意見を押し付ける表現をしてもかまわないと思っているのですから、それだけ自らの立場が強いと自認しているのだろう、ということで「偉い」と表現しました。
それに、「言うな」と言われることもあるから「書くな」と言ってもイイ、というのは変じゃありませんか?
> うーん、「書くなという権利を保持」するというのは抽象的な話で、実際に私が田中さんに物言う時、そういう言い方をする訳ではありません。だからロード・レオンさんのおっしゃることも満更分からないのでもないですよ。
そうであるならば、当然、別の言い方も出来るのでしょうから、(少なくとも第三者が見るような場では)最初からそうしておけばイイ、というのが僕の意見です。
> 「狭量な人だと見られる」というのは一般的な危険性を示しただけのことで、そう見られるから駄目だとは決して思いません。私は自分の性格を考えて短気なのは間違いないですが、なるべく寛容でありたいとは思っています。しかしある種のこと、ええ、安全地帯に下がって他人を揶揄するようなことについては寛容ではないですし、狭量ですね。ニュートラルな思考をしようともしない人に対しては狭量ですし、党派的立場から言論を組み立てる人に対しても狭量です。だから狭量であることが全然駄目だとは思いません。
でも、「狭量な人だと見られる」というのは、論議をするにあたっては不利というか、議論が成立しない恐れすらありますよ。ちなみに「狭量:一つの考えにとらわれ、異なる考えを受け入れられない・こと(さま)」です。
> よくよく考えてみて、一連の書き込みを私は読者というよりは、物を書く人間として言っているように感じます。書く方の心構えを言っているのかも知れないですね。
うーん。IKさんが、どのようなお仕事をしているかは関係ありません。ただ、このような掲示板に書く場合の心構え・前提(=客観性を尊重する、ということ)について言っている、というのはあるかも知れませんね。つまり、どんな内容であれ書くことは出来るが、客観性のない意見については批判されることもある、ということです。
> 独白と言いますか、これも何度も言っていますが、作者と読者の関係性の中で読者は作品について何を言おうが絶対的なフリーハンドを与えられていると思います。
> そしてそれを聞くかどうか、どう取捨選択するかの権利は作者に絶対的に与えられている。
私信でのやり取りならばおっしゃる通りでしょうが、ここは不特定多数の人の見れる掲示板です。第三者に与える印象も考慮した方がよくはありませんか?
> どうもロード・レオンさんは「書くな」という言葉を命令形と受け止めているようですね。作者はそれに従う必要があるのだと。
> 私はまったくそうは思いません。「すばらしい作品でした」というのも意見、「こんなのは資源の無駄遣いだ、もう書くな」というのも意見です。
「書くな」という言葉は、相手がそれに従う/従わないに関わらず、紛れもなく命令形でしょう?(少なくとも日本語では)。そして命令形というのは、自分の意見の表明としては最も強い表現です(言論に限れば、ですけど)。そのような強い表現を用いている以上、それなりの根拠が必要ではありませんか?というのが僕の基本的な考えです。
> 批評云々は本来関係ない話でしょう? 相手に伝わるかどうかも関係ないではないですか。ただの意見なんだから。
> その人が作品を読んでひとつの意見を持ったという事実を他人がどうこう言うこと自体がおかしいんではないか、と言いたいのです。
「ただの意見なんだから、相手に伝わるかどうかも関係ない」とおっしゃるところに、いささか甘えがあるように思えますね(自分の書いた文章についての責任という点で)。
「その人が作品を読んでひとつの意見を持ったという事実」についてだけならば他人がどうこう言うのはおかしいかも知れませんが、その意見を公表した以上、その意見に対してどうこう言われることは仕方ないでしょう?(もちろん、どうこう言う側も節度を守る必要がありますけど)。
また、どんな不当な罵詈雑言であろうと、意見の表明は自由ということも出来ますよ。しかし、第三者がその意見に対して自分の意見を述べることもできるのです。
> 私としては無理を承知で自説を突き通している訳ではありません。勝ち負けに拘っているつもりもないですね。
> これは書き手としての私の信念に関わる問題です。仮にこの問題でロード・レオンさんと合意に至らなくても、負けるのが嫌で譲らない訳ではないですよ。それだけは分かって欲しいですね。
僕としては「ケッッ、なーんもわかっとらん低脳めが」と思われかも知れないリスクを承知の上で自分の意見を変えないという点で、無理(それとも甘えかな?)があるように思うんですけどね(十分、別の表現も出来るのですから)。
なお、「勝ち負け」についてですが、自分の意見の客観的な妥当性、という点に関しては常に心がけたいと思っています。もちろん、場合によっては合意に至らないとしても、それは仕方のないことでしょう。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3359
Re:客観的には?
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月15日(日) 03時38分
> 「一つの表現方法自体の完全な否定」とは田中氏の言われる「発禁処分」ないしは「焚書」です。
> 寡聞にしてわたしは政治的強制だの「ちびくろサンボ」裁判だのといった面倒事に田中氏が巻き込まれているとは聞いておりません。
> ロードレオンさんは何か裏事情めいた事実でも御存知なのでしょうか?
いえ、言論の場において「こんな商品を作るな」という表現は、全否定だと認識しています。「発禁処分」ないしは「焚書」というのは、全否定が行動に及んでからの話ですよね。
> ……確かにIKさんは貴方の評価を覚悟の上で発言しているだろうと思いますが、翻ってロードレオンさんはIKさんの意見に「主観のみに基づいた狭量な発言と決め付け公言する」事をどれほどの客観性で認識なさってますか?
よく分かんなかったんですが、「狭量な発言」というのはIKさんご自身がおっしゃったことなんですけど。
> 政治家が田中氏に対する時は「相手にしてない」とは見なしてもらえない訳ですね。
> 「国民の選良」とは実に楽ではない仕事です。
いや、実際は「相手にしてない」かも知れませんが、表面上は否定的意見を許容していると見なすしかない、ということです。これは、この掲示板と田中氏との関係と同じですよ。
> 気を取り直して、ロードレオンさんの異議は尊重されて然るべき物です。
> ただ上でも挙げましたが「表現方法の制限」なんてそんな簡単に出来る物ではなく、であればロードレオンさんは「偏狭な視点から狭量な誤解で発言している」と評価されるリスクをどの程度「客観的に」御承知ですか?
でも、このサイトは「表現方法の制限」を一つの目的としている訳ですよね(その実現性は別として)。なお、『「偏狭な視点から狭量な誤解で発言している」と評価されるリスク』というのは、どういう発言のことを言っているんでしょうか?
> 作家が「愚民どもめ、俺様が悠久なる中国四千年の歴史の崇高さと毛主席の偉大さを教育してやるのだ」とコッソリでもブチ上げるほどエラい「俺様」でない事だけは確かでしょうね。
田中氏が、どこかで「愚民どもめ、俺様が悠久なる中国四千年の歴史の崇高さと毛主席の偉大さを教育してやるのだ」なんて言ったんですか?
> いい加減クドくて申し訳ないんですが、それでロードレオンさんは娯楽小説である事をアリバイに不当評価とレッテル貼りを行う作家の主張を全面的に認めて、そうした執筆姿勢や主張を好まない・見たくないとする批判的主張を「狭量な言論弾圧」扱いする御自身の主張を「客観的」にどう見ておられるのですか。
僕は「不当評価とレッテル貼りを行う作家の主張を全面的に認め」るようなことはしてませんけど。執筆姿勢や主張内容についての妥当性のある批判については尊重したいと思っています。そして、僕がIKさんさんとの対話の中で繰り返し言っていることは、可能な限り客観性を尊重した方が良くはありませんか?ということです。批判的主張に客観的な根拠があるのであれば、尊重しますよ。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3360
Re:覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:IK
- 2002年12月15日(日) 09時11分
こんにちは、ロード・レオンさん。
> 僕としては「ケッッ、なーんもわかっとらん低脳めが」と思われかも知れないリスクを承知の上で自分の意見を変えないという点で、無理(それとも甘えかな?)があるように思うんですけどね(十分、別の表現も出来るのですから)。
> なお、「勝ち負け」についてですが、自分の意見の客観的な妥当性、という点に関しては常に心がけたいと思っています。もちろん、場合によっては合意に至らないとしても、それは仕方のないことでしょう。
さて…何と申せばよいでしょう。私は貴殿がすべて正しいと前提なしで思っている訳ではないので、貴殿の見方に沿って意見を変える必要は感じておりません。
上の貴殿の表現は実を申せば少々不快ではありますが、「意見」としては受容します。ただ、「無理(それとも甘えかな?)」のどこに客観性があるのか、とは思いますね。
どうも話が錯綜しているようですね。別の次元の話をごっちゃにされているようです。貴殿に言わせれば、それは私(IK)こそそうではないか、と言うでしょうが、結局、どちらに重点をおくのかということに尽きようかと思います。読者と批評者と。
作品について意見を表明するならば、その表明する人に対して言うならば、批評であった方がいいし、相手に通じた方がいいのは当然です。
「~した方がいい」と「~でなければならない」というのは違うと思うだけです。
作品に限らずこうした書き込みについても、そうした「つぶやき」に対して、客観的であれ、と反論して来たのは他ならぬこのIKです。過去ログをごらんいただければお分かりいただけると思いますが。
しかしそうしたつぶやきが言論の自由の範囲を越えて、他者の人権を著しく侵害しない限り、言論そのものは自由です。私が現在、貴殿に反論を受けているように、その行為の中で修正されればいいことではないですか。
IK個人としての行動基準はまた別のものですし、ここでそれを言ってもごく個人的なことですから仕方がないでしょう。原則の問題と私個人の行動基準をごっちゃにしないで下さい。
特に作品については、どう感じようが自由だ、というのはまあ、これは合意に達したと見ていいですね。それをそのまま表明するか、(それなりに)加工するかで意見が分かれていると考えますが、いいでしょうか?
貴殿はしきりに「議論の場」であるこの掲示板での発言とおっしゃっていますが、それについて言えば、貴殿のおっしゃるようなやり方の方が「好ましい」とは言えるでしょう。
私の前提はそれとは違っています。作者と読者の関係性において、とくどいほど言っておりますが、仮にその関係性を離れて、それをそのままこうした掲示板に書き込んだとしても、それ自体は自由ではありませんか。この辺りは管理人さんの運営方針とも関わってくる話ですが、ただ、それは当然、反論もされ、断罪されることもあり得ますよと言っているのです。
神学論争になるのでこれまで言わなかったのですが、何が客観かというのは難しい問題です。それは多数の合意し得る主観に過ぎないのではないかと思うこともあります。
そうした中で一方の「主観における客観」を持ち出して、発言に制限を加えるのは難しいのではないでしょうか。こういうのを多数決で決めるという考えにはどうにもなじめません。
その発言が「不当」だと思う人が個別に反論すべきだろう、と思います。貴殿が今、なさっているように。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3361
Re:覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月16日(月) 21時35分
IKさん、こんにちは。IKさんのこれまでの発言を読んで気になったのがダブルスタンダードとでも言うべき姿勢です。
たとえば、どんな客観性に乏しい主観だけに基づく意見であっても確かに「他者の人権を著しく侵害しない限り、言論そのものは自由」でしょう。ただそれは、皆さんが批判している田中氏の恣意的で根拠のはっきりしない(とされる)「社会評論」と似たようなものです。他人を批判するくらいであれば、その批判する当人にはより一層の自律性が求められるのではないでしょうか?
一読者であるから許されるとおっしゃるかも知れませんが、もしそうであるなら、それはフィクションを隠れ蓑にしている(ということで批判されている)田中氏とどれだけの違いがあるんでしょう? 他人を批判する割には、自分もその批判の対象と似たようなことをしている。そういう点で、僕はIKさんのお考えには矛盾があると思うし、ダブルスタンダードだとも感じるのです。
また、『作品に限らずこうした書き込みについても、そうした「つぶやき」に対して、客観的であれ、と反論して来たのは他ならぬこのIKです』ということであれば、何故その判断基準を自分自身のご発言には適用されないのでしょうか?
それに、「原則の問題と私個人の行動基準をごっちゃにしないで下さい」というIKさんの発言自体がダブルスタンダードを容認する告白のようにも思えますね。
>その発言が「不当」だと思う人が個別に反論すべきだろう、と思います。貴殿が今、なさっているように。
はい、おっしゃる通りで個別に反論させていただいております。ただ、どうやら議論する意味がなかったということを再確認するだけに終わりそうですね。どんな内容であれ(他者の人権を著しく侵害しない限り)発言することは自由であり、どんな妥当性のある内容の反論であっても聞き入れない自由もある、ということのようですから。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3362
Re:横レス失礼します
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月17日(火) 00時43分
もともと私の立てたスレッドがちょっとずれた方向ですごい議論になってしまい、それを静観するしかなくなってしまいました。ロードレオン様もIK様もしっかりとした自分の主張をなさっておられ、「ふんふん」と頷くことしきりです。私がでしゃばるのはどうかとは思いますが、どうも読んでいて感情的になりすぎているきらいがあり、よくわからなくなってきてしまったので申し訳ありませんが横レスをさせてください。
>>> はい、おっしゃる通りで個別に反論させていただいております。ただ、どうやら議論する意味がなかったということを再確認するだけに終わりそうですね。どんな内容であれ(他者の人権を著しく侵害しない限り)発言することは自由であり、どんな妥当性のある内容の反論であっても聞き入れない自由もある、ということのようですから。
攻撃的ですねぇ(笑)。私は田中芳樹様の小説が好きです。漫画程度の小説と認識していますが、それなりにとても面白く呼んでいます。だからその作家に対して「書くな」という意見を見ると、「何であんたがそこまでいうんだ?」と少々不快にはなります。しかしこれはものの言い方であり、人それぞれの表現ということにはなりませんか?こういう場であれば、その表現方法に気をつけろということでしょうが、人による線引きはいろいろですからねぇ。だから私はできるだけ穏当な表現を心がけるべきだと思います。私の感覚からでは「書くな」という表現も良くないし、「あんたとの議論は結局意味が無い」という表現もどうかと思いますが。
なんかとってもえらそうなことを書いてしまい申し訳ありません。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3363
Re:覚悟の上、ですか・・・
- 投稿者:IK
- 2002年12月17日(火) 02時00分
> IKさん、こんにちは。IKさんのこれまでの発言を読んで気になったのがダブルスタンダードとでも言うべき姿勢です。
>
> たとえば、どんな客観性に乏しい主観だけに基づく意見であっても確かに「他者の人権を著しく侵害しない限り、言論そのものは自由」でしょう。ただそれは、皆さんが批判している田中氏の恣意的で根拠のはっきりしない(とされる)「社会評論」と似たようなものです。他人を批判するくらいであれば、その批判する当人にはより一層の自律性が求められるのではないでしょうか?
> 一読者であるから許されるとおっしゃるかも知れませんが、もしそうであるなら、それはフィクションを隠れ蓑にしている(ということで批判されている)田中氏とどれだけの違いがあるんでしょう? 他人を批判する割には、自分もその批判の対象と似たようなことをしている。そういう点で、僕はIKさんのお考えには矛盾があると思うし、ダブルスタンダードだとも感じるのです。
> また、『作品に限らずこうした書き込みについても、そうした「つぶやき」に対して、客観的であれ、と反論して来たのは他ならぬこのIKです』ということであれば、何故その判断基準を自分自身のご発言には適用されないのでしょうか?
> それに、「原則の問題と私個人の行動基準をごっちゃにしないで下さい」というIKさんの発言自体がダブルスタンダードを容認する告白のようにも思えますね。
「~と思う」のもまた主観ではないですか(苦笑)。つまるところ私の言っているのは、こういうことを指して言っているんですがねえ。もちろん貴殿は貴殿の中でご自分の意見は客観であると認識されているのでしょうが、そうは思わない人もあり得るのですね。私も自分の意見は自分なりに客観であると思っていますが、貴殿はそれを主観と認識されている訳ですよね。
例えば貴殿が「書くな」ということについて幾つかの説明を加えて客観的でないと主張されていますが(事実、私もそれには同意しますが)、その主張の根底も理屈化された主観であるのかも知れないですよ。
忘れないで下さい、カール・マルクスが自らの思想を「科学的社会主義」と呼んだことを。
そもそも何の前提もなく、自明の理として私たちが議論の根底においている基本的人権でさえ、別に物理的な法則という訳ではありません。せいぜいが「これはこういうものがあることにしておこう」という主観的な合意であるに過ぎません。もしそれが絶対不可侵の「法則」であるならば人類史上、人権を侵害された人などただひとりもいなかったでしょう。
私の言っていることは、主観を断罪する客観というのは経験則に基づいた主観であるのだから、それを限界がある中で客観化するべきだと思うが、主観であることをもってしてその意見そのものを封殺するのは異論を封じることにつながるということです。ええ、表明されないことにはその意見は存在しないことも同じことですから。
これはダブルスタンダードだとは思えません。
私個人の意見と見解を異にする人の発言権を擁護することのどこがダブルスタンダードでしょうか。もちろん、意見が違うのですから、それが表明されれば私は反論します。実際にしてまいりました。それが時に面倒でもありました。ただ、今私が述べているような見解を保持する以上、避けがたいことですね。
田中芳樹さんの著作の一部に私は痛烈に反発していますし、そういうのは止めてもらいたいと思っているのも事実です。しかし彼の執筆権そのものは擁護します。
「書くな」と言ったところで何の強制力もないですね。その限りにおいて私はこれは実質的に命令ではないし、ただの意見に過ぎないと考えています。ゆえにそう発言する権利そのものは擁護するのです。
> はい、おっしゃる通りで個別に反論させていただいております。ただ、どうやら議論する意味がなかったということを再確認するだけに終わりそうですね。どんな内容であれ(他者の人権を著しく侵害しない限り)発言することは自由であり、どんな妥当性のある内容の反論であっても聞き入れない自由もある、ということのようですから。
妥当性のあるという判断も主観ではないですか、と言っているのですが、そうですね、これ以上続けても堂々巡りになるだけですからご異存がなければこれで終了としましょう。
少々、疲れましたし(笑)