- 親記事No.92スレッドの返信投稿
- board4 - No.95
具体的事例を挙げてください
- 投稿者:魂のよしりん
- 2001年05月03日(木) 23時16分
> 更に、彼の作品においてたちが悪いのは、無産階級市民に対し、侮辱とも思える、思い上がりとも言える扱いである。
> 田中の作品を読んで、政治云々を語る、芳樹信者には、到底、救いがいの無い感情を抱くのである。
田中芳樹作品中から具体的な事例を挙げてください。前提なしに結論
だけ書かれても否定も肯定もできません。
- 親記事No.81スレッドの返信投稿
- board4 - No.98
トリューニヒトってそんなに悪人だったんでしょうか?
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月04日(金) 03時07分
> 後に「華麗なる詭弁家」と言われた銀河一の(?)煽動政治家ヨブ・
> トリューニヒト。
トリューニヒトってそんなに悪人だったのでしょうか?
少なくとも、国防委員長のときは国防委員長として優れていたんじゃないでしょうか。
当時の同盟は帝国と戦争していたのだから、舌先三寸で戦争のために挙国一致体制を築くことは国防委員長に求められていたはずです。
そのために憂国騎士団を飼うのはやりすぎではありますが、歴史に残るほどの悪事ではありません。(第2次世界大戦の日本にも特高警察がありましたし。)
ラインハルトにアスターテ星域会戦でいいようにやられたのは多分シトレがへたれだった(戦略を採択したのが誰かお話では述べられていないから統合作戦本部長だと推定する)せいだし、帝国領侵攻作戦には反対しました。
但し、最高評議会議長になってからの彼はエルウィン・ヨーゼフ2世と手を組んだり帝国に無条件降伏をするなど、歴史に残る悪事を働きました。
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.99
Re:非常に素朴な疑問
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月04日(金) 03時19分
> 同感。グリューネワルトは惑星名じゃないかと思います。
グリューネワルト伯爵家の当主は流石にグリューネワルト伯国の領主という意味じゃないと思いますよ。
(それじゃあ某星界の戦旗です。)
フリードリヒ4世は愛人のアンネローゼにグリューネワルト伯爵家(名誉)とグリューネワルト伯爵家の財産(金)を賜ったというだけの話でしょう。
- 親記事No.91スレッドの返信投稿
- board4 - No.101
多分
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月04日(金) 03時34分
多分、銀英伝が易姓革命を肯定しているからじゃないですか。
ゴールデンバウム王朝とローエングラム王朝のどこが違うのかといえば、実は皇帝本人以外はあまり違わないんじゃないかと思います。
そういえば、結局銀英伝には市民革命がありませんでしたね。
同盟の建国は帝国の国家権力に虐げられた人が「逃亡した」だけの話です。
仮に同盟が勝ったとしたら、この長い戦争は革命だったことになるんだろうか?
しかし、このことをもって作者を政治音痴というのはなんのこっちゃ?
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.102
まったく関係ないですが
- 投稿者:Merkatz
- 2001年05月04日(金) 19時21分
> (それじゃあ某星界の戦旗です。)
>
この前初めて『星界の紋章』(OVA)を見たんですが、
この作者、星雲賞を貰っているんですって。
そう、あの田中芳樹が銀英伝で貰った賞です。
同じスペース・オペラで同じ賞を貰って、しかもどちらもOVA化されて新たなファンを獲得している。
偶然とはいえ面白いものです。
さらに言えば作中の主役、ジントとラフィールの関係が、キルヒアイスとラインハルトのそれにダブって見えます。
(ジントは「この身が砕けるまで君の傍にいるよ」みたいなことを言う)
あとスポール提督=女ビッテンフェルトだし、
その艦隊が「フトゥーネ」と言って攻勢の際、
まるで踊るようなその様から「舞の女神フトゥーネ」の名を冠せられたそうな。
そういえば、この星界シリーズの作者も遅筆らしいが、ほんと?
- 親記事No.91スレッドの返信投稿
- board4 - No.103
Re:多分
- 投稿者:魂のよしりん
- 2001年05月04日(金) 22時42分
> 多分、銀英伝が易姓革命を肯定しているからじゃないですか。
> ゴールデンバウム王朝とローエングラム王朝のどこが違うのかといえば、実は皇帝本人以外はあまり違わないんじゃないかと思います。
> そういえば、結局銀英伝には市民革命がありませんでしたね。
> 同盟の建国は帝国の国家権力に虐げられた人が「逃亡した」だけの話です。
> 仮に同盟が勝ったとしたら、この長い戦争は革命だったことになるんだろうか?
>
> しかし、このことをもって作者を政治音痴というのはなんのこっちゃ?
フランス革命がロベスピエールの粛清の嵐からナポレオン独裁になり
ロシア革命がスターリン独裁になった、市民(及び労働者)革命の結果
が必ずしもバラ色でないことがわかった後の歴史観ではないでしょう
か。
易姓革命は実質トップの交代であり、制度はそんなに変わりません。
宦官制も中華民国まで存続しました。ラインハルトは様々な制度改革を
実行してましたから「賢明な君主による幸福な『上からの変革』」では
ないでしょうか。
「逃亡しただけ」と言うのでしたらアメリカ合衆国の建国もイギリス
の専制政治からの逃亡に過ぎないのでしょうか?
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.104
Re:まったく関係ないですが
- 投稿者:太郎
- 2001年05月05日(土) 10時19分
> そういえば、この星界シリーズの作者も遅筆らしいが、ほんと?
どうもMerkatzさん、初めまして。太郎と申します。
一応あのシリーズの刊行ペースは奥付けで確認したところ、
「紋章」シリーズは1ヶ月ごとの3ヶ月連続。(1996/3,4,5)
「戦旗」シリーズは2年から2年半。(1996/12,1998/8,2001/3)
でした。
まあ他にどんな仕事してるのかフォローしてないのでわかりませんが、これで判断の一応の材料にはなるのでは。
なお戦旗Ⅰのあとがきでは、
「さほどひどい遅筆とは思いませんが、私は断じて手の早いほうではないので。」
と述べております。でもⅡ,Ⅲ巻のあとがきを見ると、田中芳樹化しつつあるのではと思わせる箇所もあり、やや不安…
以上、脱線のレスでした。(笑)
- 親記事No.91スレッドの返信投稿
- board4 - No.105
Re:多分
- 投稿者:てんてんdwp
- 2001年05月05日(土) 12時30分
> 「逃亡しただけ」と言うのでしたらアメリカ合衆国の建国もイギリス
> の専制政治からの逃亡に過ぎないのでしょうか?
アメリカへの移住者は別に亡命者じゃないです。
- 親記事No.91スレッドの返信投稿
- board4 - No.106
本文で
- 投稿者:あいばまこと
- 2001年05月05日(土) 12時38分
(ラインハルトがやったことは)「上からの革命」だという記述を読んでいないのではないでしょうか。カール・ブラッケたちを(活躍の場面がまったくないのに)なぜ登場させたか考えたこともないのでしょう。
-
- board4 - No.107
小言が多すぎ
- 投稿者:tera
- 2001年05月05日(土) 20時34分
たしかなんかの小説の後書きで、作品は完結して始めて小説で、完結するまでは、小言だとしゃれっぽく言っていた覚えがあるのですが、完結していない小言が数年放置されっぱなしです。 田中芳樹の政治的主張がどうのこうのよりも、一旦小言を購入してしまった我々に、早く小説としての批評をさせる権利を与えてほしいものです。それが作家を生業にしている人の勤めだと思います。
- 親記事No.91スレッドの返信投稿
- board4 - No.108
忘れていました
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月06日(日) 07時41分
> (ラインハルトがやったことは)「上からの革命」だという記述を読んでいないのではないでしょうか。
こちらについてはラインハルトが名君だったからといって、ローエングラム王朝に暗君が全然出ない理由にはなりません。
世襲制である限り、名君も出れば暗君も出ます。
> カール・ブラッケたちを(活躍の場面がまったくないのに)なぜ登場させたか考えたこともないのでしょう。
こちらのことを失念しておりました。
但し、改革がどのような成果を生んだかについてはやはりお話には述べられていませんね。
(主役であるラインハルトが死んでお話はおしまい)
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.109
拙者もゴミ蒔き
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月06日(日) 07時44分
> あとスポール提督=女ビッテンフェルトだし、
ビッテンフェルト役ににふさわしいのはトライフ!
(もっと強烈だが。)
- 親記事No.107スレッドの返信投稿
- board4 - No.110
ゴミ蒔き
- 投稿者:S.Inoue
- 2001年05月06日(日) 07時55分
> 早く小説としての批評をさせる権利を与えてほしいものです。それが作家を生業にしている人の勤めだと思います。
田中さんの小説は銀英伝と薬師寺涼子シリーズしか読んでいません(創竜伝は人に薦められて1巻と2巻を買ったが、1巻の途中まで読んであまりのつまらなさに読むのをやめた。)が、銀英伝は一応完結はしています。
(残っているのは外伝だけだから。)
ゴミ蒔きでした。
- 親記事No.81スレッドの返信投稿
- board4 - No.111
Re:「トリューニヒト賞」ノミネートお願いします
- 投稿者:オズマ
- 2001年05月06日(日) 17時16分
どうも、お久しぶりです。
> 日本の現在に「華麗なる」詭弁家はいないと思います。詭弁家なら幾らでもいますが。
> 過去にさかのぼるとしたらやはり、「華麗なる」といえる詭弁家はキリスト、ブッダ、マホメットの三人でしょう。
日本に「華麗なる」詭弁家はいないという点は同感です。
しかし、キリスト、ブッダ、マホメットというのはどうでしょう。宗教とはそもそも論理上の整合性を超越したものではないかと私は考えています。つまり、言っている内容が正しかろうがそうでなかろうが、宗教上の教義という点において詭弁という定義からは外れるのではないでしょうか。もちろん宗教全体をして詭弁とするのもひとつの見方ではありますが。まあ、「何をもって詭弁とするか」なんていう議論はこの掲示板の趣旨からは大きくはずれ、議論しても仕方の無いことですので、聞き流してください。
ちなみに、上に述べたことを度外視して、あくまでも彼らの発言を詭弁だと仮定して、そのうえで、彼らの発言の論理的矛盾にもかかわらずそれが広く受け入れられていることをして「華麗なる」とするのは、その影響力から言って至極妥当ですね。
ちなみに、哲学者としてならブッダは詭弁家に入る余地はあると思います。
そこで私が挙げるとすれば、哲学者としての龍樹です。
この掲示板に関係の無いことを長々とすいませんでした。
ではまた。
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.112
Re:拙者もゴミ蒔き
- 投稿者:魂のよしりん
- 2001年05月06日(日) 20時51分
> > あとスポール提督=女ビッテンフェルトだし、
>
> ビッテンフェルト役ににふさわしいのはトライフ!
> (もっと強烈だが。)
ヤン・ウェンリーが富山敬最期の役であるように、ラフィールの親父
さん(アーヴの次期皇帝)が塩沢兼人最期の役。娘に「お前は猫の子
だ。」というユニークな人。
-
- board4 - No.114
君はなぜベストをつくさないのか?
- 投稿者:倉本
- 2001年05月07日(月) 06時01分
七都市物語でエゴン・ラウドルップの自伝として、
『君はなぜベストをつくさないのか?』
という本が出てきますよね。
初めて読んだ時はこのエピソードなんとも思わなかったんですが、
最近になってアメリカのカーター元大統領が就任直後に、
『なぜベストをつくさないのか?』
という本を書いていたことを知ったんです。
これっていくらなんでもそのまんますぎますよね。
そんなにあの人はアメリカが嫌いなんでしょうか。
この本が出てくるシーンだってよく考えればなくてもいいし。
あって悪いシーンじゃないけどなくてもかまわない。
このためだけに入れたっていうのがみえみえですよね。
- 親記事No.46スレッドの返信投稿
- board4 - No.115
Re:拙者もゴミ蒔き
- 投稿者:はりーQえる
- 2001年05月08日(火) 04時19分
> > > あとスポール提督=女ビッテンフェルトだし、
> >
> > ビッテンフェルト役ににふさわしいのはトライフ!
> > (もっと強烈だが。)
> ヤン・ウェンリーが富山敬最期の役であるように、ラフィールの親父
> さん(アーヴの次期皇帝)が塩沢兼人最期の役。娘に「お前は猫の子
> だ。」というユニークな人。
初カキコで失礼ですが、ラフィールの祖母は皇帝ですが、彼女の親父は次期皇帝ではありません。別の王家から次期皇帝は擁立されるはずです。細かいことですがスイマセン。
私も塩沢兼人氏は好きでした。2枚目、3枚目、2.5枚目をこなせるサッカーオランダ代表のコクーの様な、ユーティリティな名優でした。
-
- board4 - No.116
個人的意見
- 投稿者:ウシマル
- 2001年05月09日(水) 03時34分
どうも。以前質問致しましたウシマルです。
さて、昔の話をむしかえす様で恐縮ですが、前回答えをいただいた後、自分でも調べものをして(と言っても大したものではないけど)、自分なりに考えをまとめてみました。
最初に言っておきますが、これはあくまでも僕個人の考えでしかありません。だから管理人さんに僕の意見を認めてもらおうとか、ましてや考えを訂正してもらおうなどとおこがましいことは思っていません。それどころか、僕は他の皆さんに比べ浅学の身ですので(知識量も読んだ本の量も格段に違うのが感じられる)、僕自身の間違いが多々あるやも知れません。また、場当たり的な発言を時々してしまうのでそんなことがあるかもしれません。また、僕が解っていないことが多くて、手前勝手な意見になっているかもしれません。そのときはやさしく諭すか、戯言と聞き流してください。
さて、例の「田中芳樹は中国を本当に知っているか?」ですが、僕がこれをを最初に読んだとき、ちょっと違和感を抱きました。諸所に見られる断定口調、なのにそれを裏付ける情報が提示されていないことなどです。例えば、前半部で
なにやら、知らぬ間に田中芳樹が中国文学の代表者の一人のような事になっている。
田中芳樹が書く現代物に多く見られる、「作者が色濃く投影された主人公(当然、美化されている)と、それに付き随う副主人公である中学生前後の少女」のパターンである。
この物語の主人公、白川周一郎は、いわゆる読書型の知識人である。田中芳樹が現代物で一貫してとっているスタンスだ。「高次元の正論家」(「地球儀の秘密」本文より引用)なのも一貫している。
田中芳樹が中国古典(特に老荘思想)を溺愛しているのは周知の事実であるが、例にもれなく、この白川周一郎も事あるごとに中国格言を引用する。
などですが、「中国文学の代表者の一人のような事」というのはそう言えるだけの資料があるのでしょうか。「作者が色濃く投影された主人公」とはどんな根拠に基づくものなのでしょうか。「中国古典(特に老荘思想)を溺愛しているのは周知の事実」と言うのは何に拠っているのでしょうか。断定する以上根拠はあるはずです(本人が明言しているとか)。田中氏のことを知らない人にもわかるように根拠を示して欲しい(単に僕が知らないだけで管理人さんには基本的なことかもしれませんが、一般常識じゃないのでご容赦を)。それに、「例にもれなく」とは何の例なのでしょう(田中氏の作品に、ということでしょうか)。
また、現代ものに多く見られるパターン、現代物で一貫しているとっているスタンス、事あるごとに中国格言を引用、という部分。
いま、僕の手元に平成11年6月15日講談社発行の『田中芳樹公式ガイドブック』があります。田中氏の作品の概略がすぐわかるものです。
これによると、現代物(現代を舞台にしているもの)といえる長編作品は10作品(1シリーズは1作品とする)。そのうち20代後半から30代前半の主人公に中学生前後の少女が付き随うのは3作品。3割じゃとても「多く見られる」とはいえないのではないでしょうか(野球の打率なら充分でしょうが)。仮に中学生前後の少女が主人公とセットになっているものとしても4作品。たいして変わりはないでしょう。短編も数えればもっと低い率になります。
また、主人公が読書型の知識人であるのが現代物で一貫してとっているスタンス、と言いますが、まだまだ半人前の大学生であったり、傭兵であったり、警察官であったり、一貫しているとは思えません。さらに「高次元の正論家」なのも一貫していると言いますが、引用している『地球儀の秘密』の中でも姪の多夢のこととなると、と限定されており、どんな時もそうであるとはされていません。むしろ自分のことになるととたんにレベルが下がる、とまで書かれています。他の作品においては何をかいわんや、でしょう。
さらに、白川周一郎が「事あるごと」に故事成語など使うとありますが、『地球儀の秘密』で故事成語を使っている場面は、
「やれやれ気の毒に。狡兎死せざるにすでにして走狗は煮られたり、か。(後略)」P64
「いわく、渇しても盗泉の水を飲まず。餓えても周の粟を喰らわず、だったかな」P64
「(前略)おれは自信家だが、シグマが三顧の礼をつくして求めてくるとまでうぬぼれちゃいない。(後略)」P68
ぐらいしか有りません。次点として、
「(前略)倉橋浩之介氏は偉大だと思うけど、シグマの粟を食らう気にはなれないな」P103
というところでしょう。ほかにも故事成語を使っている場面はありますが、それは別の人物で、白川周一郎のものとしては上記のものだけです。
これだけで果たして「事あるごと」と言えるでしょうか。
これらは、ある情報を明示せず自分の意見だけを言うことにより、読み手を自分の意見に引き込もうとしているように思えます。つまり、僕が違和感を抱いたのは、虚実織り交ぜ若しくは虚のみを、それが事実であるかのように言うこと、または都合のいい部分だけを取り上げることによって読み手をミスリードしているのではないか、ということです。論旨とあまり関係のない部分でさえ、書き手の考える田中芳樹像を読み手にイメージさせようとしているように思えます。
田中氏は中国を本当に知っているのだろうか、と言う命題にさまざまな証拠を出し、論理的に検証していくというより、すでに行きつくべき結論があり、ただそこへ読み手を誘導している、という感じがするのです。
その上、こうも言っています。
どうしてかなぁ? なぜかなぁ? 作者が投影される主人公だと一緒にいるのがいつも中学生の少女なのは? 実に不思議だ。
しかし、まあ、今回話題にしたいのはこんなことではない。こんな謎の答えは誰にでも分かることだから。
ここで言われているのは、先程の10作中の3作品のことですね。この3作品は『自転地球儀世界シリーズ』、『晴れた空から突然に・・・』、『夢幻都市』です。
それぞれ、白川周一郎・多夢、梧桐俊介・日記、相馬邦夫・葉月のカップリングになっています。二人の関係はと言うと、前の2つが「叔父・姪」で後の1つが「父・娘」です。主人公は、立場的にも社会的にも弱い少女を守る保護者です。田中氏は肉親の情に厚い、面倒見のいい人なんですね。(笑)
それはともかく、これも実像とは言い難いある種のイメージを、不要に読み手に喚起していると思います。田中氏に対する負のイメージを植え付けていると言うか、そんな感じです。
さて、本題の部分ですが「田中芳樹は本当に中国を知っているか?」と言う疑問に対しその理由を挙げて結論を出している形ですが、田中氏を「中国好きはうわべだけのインチキ」、「論語はおろか孔子解説本すらも読んだことがない」と結論を出すために挙げている理由がたった1つだけで、こんなにも断定的な結論を出していいのだろうか、出せるものなのか,と言うのが正直な感想です。これについては最初の質問でもしていますが、その答えとなるものは他の議論にもなかったように思います。
ここで問題にされているのは「渇しても盗泉の水を飲まず」ですが、これの正誤についてはかなり意見が出ています。そこに出た意見や、僕が知りえたことを簡単に整理すると、
○これは、晋代の陸機が詩の中で使った句である。
○陸機は孔子の故事を元にこの句を創作した。
○孔子には、盗泉という名を嫌いその水を飲まなかった故事がある。
○曾子にも、盗泉を飲まなかった故事がある。
○孔子がこのような言葉を言ったかのかわからない。
といったところでしょうか。
補記で紹介されているように、もともと「孔子は盗泉の水を飲まなかった。清廉であるべき孔子がその名を嫌ったからだ」と言う故事があり、それは『文選』や『水経注』に記されているようです。『水経注』のことは補記に書かれてますし、『文選』は陸機の詩が載っているのだから、解説にそのようなことが書かれているのは疑いないと思います。しかしまた、この故事は孔子の弟子の曾子のものという話もあります。『淮南子』には「曾子廉に立つ。盗泉を飲まず」という文があるそうです。ですから、今この段階では本当に孔子の故事であるのかはわかりません。はっきりしているのは孔子の故事といわれているものを元に陸機が詩の句を作った、ということでしょう。ただし、『淮南子』の文章もあるように完全に陸機の創作といえるかどうか。もしかしたら、知らないだけで元からそのような言い回しがあったかもしれません。まあ、そういった資料が見つからない以上は陸機の創作であることは間違いないと思います。だから管理人さんの主張が正しいのだとは思いますが、田中氏の表現でもいいのではないかという気持ちもまだちょっと捨てきれません。不合理ですが。
なんにせよ、このただ一例をもって田中氏を「インチキ」「孔子を知らない」と決め付けるのは乱暴だと思います。第一、「孔子を好きじゃない」と言っているのはあくまでも白川周一郎で、田中氏ではありません。実際『論語』から引いた言葉を他の登場人物に言わせていることもあり、田中氏のことを本論中でのように結論を出すのには無理があるでしょう。ですから当然その後にある、結論を前提とした管理人さんの意見も根拠に欠けるものになっていると思います。あ、それから「渇しても・・・」の意味について管理人さんは「一般的な意味でとれば、困っているときでも紛らわしいことはしない、という意味になるのだ。」と言ってますし、補記でも同じことを言っていますが、一般的でも、孔子の用法でも不正(というか、不正を感じさせるもの)を嫌う意味なのだと思いますが・・・。いかがでしょう。
後半部では、本論で導き出された結論を前提に田中氏の批判をしていますが、先に書いたように結論自体が根拠に欠けるものであるため、田中氏に対する決め付けにやはり違和感があります。特に田中氏の思考回路は簡単だというところは、ただひとつの事柄から、ああまで言い切ってしまうのはどうかと思います。あまつさえ、田中氏の動機まで勝手に決めてしまうのはいかがなものでしょうか。しかもこの書き方はもう単なる中傷にしか見えません。
中国史を語るうえで儒教ははずせない、と言う管理人さんの意見には全く賛成です。漢代には国教にもなっているくらいで、それだけ密接なものであるといえましょう。ですがこれまで見たように田中氏が「儒教を知らない」または「儒教を無視している」とはいえない以上「どう考えても田中芳樹はインチキ」とすることはできません。従って、ここで出されている結論にはその有効性が非常に薄いと言わざるを得ません。
余談では儒教について言及されていますが、僕は儒教について勉強したことがないので正直わからないことだらけです。儒教が体制にとって危険思想というのは本当なんでしょうか。『論語』陽貨篇の一章を引いているからこれがその証拠と言うのでしょうけど、『史記』によれば公山氏は、主人である、魯国の重臣季桓子との仲がよくなくて叛いているようだし、反体制的な意図があったのかどうか。孔子にしてもなかなか政治にかかわれない時期であせっていたようだし、公山氏が仮に反体制的な意図を持っていたとしても、孔子はその考えに賛同していたのかどうか。実際に孔子は公山氏の下に行かなかったし、それどころか魯国の司空から大司冠にまでなっています。後年、公山氏が魯の都を襲ったときには魯公を守って公山氏を退けてもいます。とても公山氏が叛いたことに共感を持っていたとはいえないでしょう。似たような話が同じ陽貨篇にもう一章ありますが、こちらも子路が反対して結果的に行かなかったわけですが、二度とも子路が反対したのは、普段の孔子からは考えられないことだったからではないでしょうか。『史記』の仲尼弟子列伝には、宰予が斉国で田氏とともに反乱を起こして刑死した時、それを恥としたとあります。これらを見ると儒教が反体制的な危険思想というのにはちょっと疑問が湧きます。
最後には『論語』の一章を引いて田中氏の送る言葉としています。
「子曰わく、郷原は徳の賊なり」(陽貨篇)
《俗耳に入りやすい評論や批判を口にするものは、社会を堕落させる徳の賊である》
でもこんなこといったら、このサイトにも跳ね返ってしまうことのような気がするのは僕だけでしょうか。
それより、前の質問でこの訳が誰のものかお聞きしましたら、呉智英氏によるとの回答をいただきました。呉氏が何処でどういうつもりで訳したかは知りませんが、元は郷原は村の謹直な人のことで、そういう人の行いは君子の徳に似ているが、実際はそうではないからかえって徳を損なう人である、というような意味で、社会に影響を与える、というよりは個人的な「堕落」を問題にしている感が強いと思います。
また、田中氏作の『創竜伝』の1シーンを引き合いに出しているところがあります。そこでは、主人公たち(竜堂兄弟)の叔父(鳥羽靖一郎)が『荀子』の性悪説の誤用したことをあげつらって喜んでいる、と書かれています。このところを読めば田中氏にいい印象はもてないでしょう。ですが、本編を実際に読めば印象が変わると思います。鳥羽靖一郎は自分が悪いことをしていると自覚していながら、その自分の行動を正当化するために読んでもいない『荀子』の性悪説を持ち出しているわけで、誤用というような簡単なものではなく、自分の都合のいいように意味を捩じ曲げている、悪用とでもいうものです。本来の意味も知らずに言葉を悪用しているのを、それは違う、一度でも本当の文章を読んだのか、と詰め寄ることをあげつらっていると悪い印象で言われたらどうしようもないように思います。それにこういう批判の文とはいえ、相手をバカ呼ばわりしたら、これは単なる悪口に成り下がってしまうとのではないかと考えます。
あと、1つとても不思議なことがあります。それは先ほどの『創竜伝』のシーンの続きのところ、靖一郎に詰め寄る竜堂続の台詞にこんなものがあります。
「自分の意見に説得力がないから、偉大な先人の権威を借りたくなるという心情はわかりますけどね。それならそれで、もっと正確に引用して下さい。恥の上ぬりになるだけですよ」(文庫版『創竜伝』3巻P95より)
田中氏が「よく知りもしない哲学者や思想家の片言隻句を名言集のたぐいから引用して」いるだけと考えるのなら、格好の口撃材料だと思いますが・・・。自分のことを棚に上げている、と。続きのシーンで同じページにあるのだから気づかないはずがないのに、全く触れていないのは本当に不思議です。なぜでしょう。ついつい要らぬ事を勘繰ってしまいたくなります。
あとこれは全然別のことなのですが、本論の中に掲示板の内容をリンクさせたものがありましたが、ああいうところに自分の質問したことがのってると、なんかそれだけでなんか嬉しくなってきちゃう、じゃなくて、その中で書籍の出版形態を変えたことを憤慨する意見がありました。確かに僕も、それはふざけていると思います。コミックスでもありますからね。単行本が出て、愛蔵版が出て、保存版が出て、あげく総集編だのコミック文庫だの、同じ作品でよくこれだけやるな、と思うことがあります。が、しかしこれは作者のせいでしょうか。これは読者をなめきった出版社の陰謀(出版関係の人スイマセン)ではないでしょうか(ちなみに僕はよくなめられてました)。作者に対し怒りを向けるのは筋違いなのではないのでしょうか。これをもって、田中氏の人柄や考え方をどうこう言うことは、できないと思います。大体ハードカバーの本を文庫におとしたりする事は昔からあることで、殊更田中氏のケースだけを取り上げることはないと思います。それに買うことを強制されているわけではなく、取捨選択の自由は消費者にあるわけだし、買う買わないは個人の自己責任によるもので、買いたくなければ買わなければいいだけのこと、と考えます。
- 親記事No.116スレッドの返信投稿
- board4 - No.117
Re:個人的意見
- 投稿者:恵
- 2001年05月09日(水) 10時52分
恵です。
はじめまして、ウシマルさん(^-^)あなたのご意見、興味深く拝見させていただきました。わたしは管理人さんではないので反論する立場ではないかもしれませんが、とりあえずあなたの疑問に対してわたしが思ったことを少し書かせていただきますね。
♯「中国文学の代表者の一人のような事」というのはそう言えるだけの資料があるのでしょうか?
田中氏の作品には中国を舞台にした物も多く(翻訳物も含みます)、その完成度の高さ(賛否両論あるでしょうけど)からもご本人に中国の歴史と文学に関する蘊蓄がかなりあることは間違いありません。「代表者の一人」という言い方は「管理人さんが感じる世間一般のイメージ」かもしれませんが、少なくともそう呼ばれてもおかしくないだけの経歴と素養は、田中氏にはあると思います。
♯作者が色濃く投影された主人公?
田中氏はもともと大学院卒で、相応の教養と知識を持った人です。キャラクターたちの性格はともかく、自身を投影した読書型の知識人(泉田警部補でさえ、「大学卒」でクーンツを読んでいる読書人ですし、耕平も「大学生」というそれなりの知識階級の立場です。傭兵というのは田中作品の中でもかなり特殊な例ではないでしょうか?)が主人公の多くを占めているのも確かだと思います。田中氏も幻影城時代の短編ではいろんな作風にチャレンジされていますが、それらは黎明期の試行錯誤でしかなく、昨今の作品ではだいたいパターンが確立されたと言っていいでしょう。これは悪い意味ではなく、作者の性格や経歴が作品に影響してくるのはごく当たり前のことですから、ファンであるわたしも全~然OKなんですけどね(^-^;;)。
♯事あるごとに中国格言を使う?
「やれやれ気の毒に。狡兎死せざるにすでにして走狗は煮られたり、か。(後略)」P64
「いわく、渇しても盗泉の水を飲まず。餓えても周の粟を喰らわず、だったかな」P64
「(前略)おれは自信家だが、シグマが三顧の礼をつくして求めてくるとまでうぬぼれちゃいない。(後略)」P68
ぐらいしか有りません。次点として、
「(前略)倉橋浩之介氏は偉大だと思うけど、シグマの粟を食らう気にはなれないな」P103
というところでしょう。ほかにも故事成語を使っている場面はありますが、それは別の人物で、白川周一郎のものとしては上記のものだけです。
「事あるごとに」というのは、言い過ぎかもしれませんね。でも、普通に生活してたら、わたしたち日本人がそもそも中国の格言を知っていても使う機会はまずないんじゃないでしょうか?小説の中とはいえ、それをあえて何度も使わせているのは、「田中氏は自分の知識を無用に誇示したいのではないか?」と管理人さんは言いたかったんだと思います。わたしも、冗談以外で格言(というか、ことわざ)を使ったことはありませんから(笑)、読んでいて違和感はありましたけど。
♯儒教が体制にとって危険思想というのは本当なんでしょうか?
わたしも儒教にあまり詳しくありませんけど、確か儒教は「革命」を肯定しているから体制にとって危険だ、と聞いたことがあります。体制側は当然、自身の永続的な維持を願うものですから、「革命を肯定する思想などけしからん!」ということではないでしょうか?
♯書籍の出版形態を変えるのは、出版社の陰謀で、田中氏の人柄や考え方をどうこう言うことは、できないと思う
この主張は田中氏の弁護になっていないと思います。再販の企画自体は出版社の意向でも、田中氏は納得できなければ拒否すればいいのですから。もちろん、再販されたものは「田中芳樹」の名前で販売されているわけですから、企画の流れをご本人が知らないわけはありません。過去に掲示板でも議論されましたけど、田中氏と出版社の力関係は、田中氏のほうが圧倒的に強いとの仮説も出ています(わたしも賛成です。ベストセラー作家の田中氏がもう書かないぞッ、とへそを曲げたら困るのは出版社の方でしょうから)。つまり、ご本人は拒否できる立場にあるのにそれをなされないのは、再販にある程度肯定的だからではないでしょうか?もしかすると、人のいい田中氏が出版社に拝み倒された、という読者の知らない事情もあったかもしれません。でも、あこぎな金儲けを批判する(創竜伝の社会評論等)田中氏にとって、それが免罪符になるとはわたしには思えませんけど、どうでしょうか?
☆おまけ
ウシマルさんのご意見に対して否定的なことばかり書きましたが、ご自分なりの根拠を丁寧に提示されている文章に好感が持てたことを、全体の感想として付け加えさせていただきます。