- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1157
Re:では反論しますか。
- 投稿者:ヨウ
- 2001年11月19日(月) 16時14分
始めまして。怒らせるつもりは無かったのですが、そういう考え方もある、ということで多めに見てくれると嬉しいのですが。
> 地方の保守支持の有権者をその程度のレベルだと認識されていらっしゃるのだとしたら、えらく馬鹿にされたものですね。正直腹立たしさを覚えます。地方では逆に、上っ面の耳障りの良い言辞に踊らされる、中央の進歩的な有権者を苦々しく思っている人が多いですよ。
そうでしょうね。別に都市の代表者になったなんてつもりはないので、馬鹿にしてるつもりは無いのですが、「中央の進歩的有権者」に関してもその通りでしょう。個人的には両方ですね。
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1159
クローンのお家乗っ取り?
- 投稿者:TotalMoled
- 2001年11月19日(月) 16時24分
>備前さん
始めまして。
私は「未来ロボ ダルタニアス」のファンなのでHPで取り上げたりしています。
ちなみに製作は銀英伝のちょっと前(1979年~1980年製作・放映)です。
ストーリーは銀河各地を支配するエリオス帝国をエリオス皇帝のクローンが築いたザール星間帝国が
滅ぼし、エリオスの残党が再興の為に戦うと言うものです。
ダルタニアスの作中では主人公の父のクローンが父と摩り替わっても主人公が気づかない話があります。
ルドルフは自分のクローンに摩り替わられるのを恐れていたのかも。
- 親記事No.1153スレッドの返信投稿
- board4 - No.1160
Re:ヨウさんの「タナウツ批判部分」について
- 投稿者:ヨウ
- 2001年11月19日(月) 16時41分
始めまして、こんばんわ。
仰る事、その通りです。何でも一くくりにするのはよくないですね。すいません。ただ、前述したような傾向、全く無いのでしょうか?HPという形を取っている以上しようが無いのかもしれませんが、常連さんとそれ以外に壁がありすぎる様な気がしまして。
常連さん同士で議論する事はあっても「新参者」が入ってくると途端に協力して・・・と言う風に見えてしまうのです。そのつもりはないのでしょうし、「新参者」がひどい時もあると、重々承知の上です。
これこそ根拠の無い、中傷だ、といわれると苦しいです。でも、今までここに来て、二度と現れなかった人たちはそういう気持ちだったのではないかと思うんですよね。
以前、Umasikaさんがらみのトピで最後に、どなたかが「常連さんの意見を伺いたい」と書き込んだときもどなたも反応なさらず見ていて寂しかったです。反応する義務なんてない!と言われるとその通りですが。
「新参者」の変な文章です。ケンカする気なんてさらさらないです。すいません。
- 親記事No.1120スレッドの返信投稿
- board4 - No.1161
Millsさんへ・・・長いです(^-^;)
- 投稿者:あけみ
- 2001年11月19日(月) 21時47分
Millsさん、レスありがとうございます。
<あと、ほぽ同世代で、中国指向ということで宮城谷正光氏との比較も興味深いです。>
<うっ、名前も初耳です(T_T)。ここの皆さんのログを読むと、私の小説の嗜好って狭すぎるよな、としみじみ痛感します。もっと本を読もう!私!>
宮城谷正光作品は「王家の風日」(わたしが持っているのは文春文庫版)なら、わたし読みました。
これは殷周革命を題材にした話です。
もし週間少年ジャンプに連載していた藤崎竜氏の「封神演義」をご存じなら、「王家の風日」もより楽しめると思います。(「おっ!元ネタは、ここからか!?」といったエピソードが色々あるので・・・)
そして現在、図書館で借りてきた「太公望」全三巻を読んでる真っ最中なわたし(*^o^*)
<御手洗潔については私も文句ないです。御手洗潔の口を借りて天下国家をこき下ろすようなことは、島田氏はしていません。「田中氏との比較」という観点で御手洗シリーズを読み返していたのですが、なんというか、違うのです(我ながら語彙に乏しい…)。島田氏の作品は、「社会評論」の具体例をつまみ出すことが出来ない。社会評論が作品の核になっていて、小説の中にしっかり根を張っている感じ。「僕がこう言いたいから書いちゃうよ」という印象の(要するに行き当たりばったりな)田中氏のそれとはぜんぜん違う。>
<例えば島田氏の「ら抜き言葉殺人事件」という作品がありますが、この内容はタイトルそのままです。ら抜き言葉についてちまたで賛否両論溢れていた頃に書かれたもので、「ら抜き言葉は是か非か」という問題に対する(おそらくは)作者の見解が作品中に含まれています。さらに、「ら抜き言葉」というキーワードから発展し、何をもって善悪を判断するのかが曖昧な日本人社会を描き出しています。いわゆる「社会派」と呼ばれる作品ですが、この作品から仮に「ら抜き言葉という社会評論キーワード」を取ると、小説としてはまったく成り立たなくなります。>
はい~島田氏が御手洗潔に言わせる事が多いのは「社会評論」というより「日本人批判」ですね。
Millsさんが上記で例に挙げている「ら抜き言葉殺人事件」のように、「これ」を取ったらストーリーもテーマも成り立たない、というものに関しては何も言うことはないのですが・・・
これのように↓・・・
引用「眩暈」講談社ノベルズ版99ページ上段より
(横浜にある御手洗潔と石岡和己の住まいを、東京大学の理学部化学課の古井教授が訪問してきた時の雑談、というか長い前振りの一節・・・(^-^;))
(石岡が)紅茶茶碗を持って戻ってくると、二人は、こんどは私にもいくぶん理解できるような話をしていた。
「御手洗さん、君はなかなか先見の明があった。今や自然科学の最先端は、分子生物学になった観があるよ。物理学や遺伝学はもはや過去の学問だといわんばかりの状況だ。もう物理学者がノーベル賞を取れる時代じゃないね」
「そういうことですね。でも日本では未だに遺伝学に生物科学でしょう?」
すると古井教授は苦笑した。
「すべて君の言う通りになった。日本に分子生物学なんか置いてる大学はないよ」
「日米の米問題が起こって、専業農家がほとんどなくなった現在においても、農学部をなくす大学などどこにもない」
「それだけじゃないよ。ポスドクなんて制度は日本にはないしね、私もアメリカの学者や研究家の現状をつぶさに見てきてね、衝撃を受けたよ。研究家の鍛えられ方が、日本とアメリカとではまるで違っている。日本のはねえ、徒弟職人の制度とまったく同じだね。大学院で、院生に系統だった知識と技術を冷静に授け、鍛えるということがほとんどないんだね。みんななんとなく教授の下についてね、バイブリダイゼーションのやり方とか、アイソトソープを使ったラヴェリングのやり方なんかを、見よう見まねで憶えるんだね」
「そう、タルベッコの研究室から、第一線の情報が電話で入ってくるなんてこともないしね」
「まあだからね、日本からノーベル賞学者がなかなか出ないわけだと思うね。こりゃまるで違ってる。学生の鍛えられ方が違うよ、日本とアメリカじゃね」
「高校まではね、アメリカより日本の学生が大きくリードしています。でも大学に入ったら、日本の圧倒的リードはあっという間に逆転するんです。日本の場合、大学にはいることが目的なんです。大学内で何を勉強し、どんな研究成果をあげるか、なんてことは問題ではない」
「そういうことだね」
古井教授は、私の淹れた紅茶をすすりながら言う。
「すへてが徒弟制度的枠組の中で、教授になって偉くなることが目的ですから、農学部でも理学部でも、なんだっていいんですよ。田舎に帰れば、そんなこと誰にも判りはしませんから。だからここ何十年かの科学の前進の速度を見ると、日本の知的期間の遅れぶりは強烈なものがありますね。アメリカでは古い学部を潰して、新しい学部を作っていますよ。そうやって、学問の先端の要求に対応しているんです。日本の知的将来は暗澹としたものがありますね」
「この国では、学者は学問の最先端じゃなく、後ろの方ばっかり見て、偉くなって威張ることを第一に考えるからね。しかし今、おまえんところの学部は潰して分子生物学教室にして、利根川さんを教授に持ってくるからおまえはクビだと言われてもね、私は路頭に迷ってしまうからね。あんまり賛成はできないというのが正直なところだね」
(後略)
*注意:この話は1992年9月に講談社から出たハードカバー本が初出です。
よって島田荘司氏が執筆したのは、それより以前ですから、現在の日本の大学・研究機関事情とはそぐわないとことも考えられます。
上記の文では「タルベッコの研究室から、第一線の情報が電話で入ってくるなんてこともないしね」とありますが、現在ならインターネットも発達してますし、あちこちの研究機関同士で頻繁な情報交換が行われているかも知れませんし。
(引用文の最後に名前が出た利根川進教授はノーベル医学生理学賞を先日授賞したから~って思ってたら、利根川氏は現在マサチューセッツ工科大学の教授で、日本の大学教育の現状について辛辣な批判をしてましたわ~)
上記の文は「眩暈」のストーリーにも、設定、謎解きにもまったく関係ないシロモノです。
「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」を延々とされたときには「おいっっ!待てやコラ!」(-_-#)となってしまいました・・・
ちなみに、ストーリーの主軸である「ある青年の手記」を古井教授から御手洗と石岡に知らされたのは、この「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」から、更に4ページも後のことです。
「ある青年の手記」に御手洗たちが関わり、その手記に書かれた惨劇に秘められた真相を御手洗が嗅ぎつけるまでの道程に「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」やら、その他の省略なり簡略なりしても差し支えないような文章がやたらと長くてこれには参りました~
ただ、それでも「創竜伝」のように、ストーリーや作品世界設定を崩壊させてしまうような(ソビエト連邦崩壊にまつわる様々な矛盾や歪みなど)「評論を小説に入れる」ことはないだけ島田作品の方がマシなのでしょうか・・・
<(色々引用した方が説明しやすいのですが、推理小説なのでうかつに引用してはマズイのかな…)>
これは悩みますよねぇ~
わたしの場合、犯人やトリック、事件の謎を解くキーに相当するもの、は書き込まないようにしています。
だから前回、なぜ「占星術殺人事件」「異邦の騎士」「数字錠」での、御手洗潔が好きなのか書き込めませんでした。(思いっきり3つのどれかに引っかかってしまうので)
<例えば島田氏の前述の作品を「小説なのに、無意味な社会評論読まされてうんざりだよ」と言う人はいないでしょう。>
たとえ、しっかり調査を行い、深く考察し、正鵠を射た評論や批判であっても、上の「眩暈」の例のような、ストーリーにも、作品世界設定にもまったく関係ないような話は「もうちょっとどうにかならんか~」とは正直な感想ですね~。
<田中氏が作中に盛り込む社会評論は、「的外れ」以前に「作中で有機的に機能していない」ことによる空々しさが問題だと思います。創竜伝が手元にないのでびしっと指摘は出来ませんが、あの作品中の社会評論はたいてい「脈絡もなく」「登場人物の理屈っぽい思考回路の中で」「大なり小なり独善的に」展開されていませんか?>
はい、Millsさんのおっしゃる通りだと思います。
未来の宇宙空間でもなく、異世界でもない、今わたしたちが暮らしている「現世界」にしろ「田中氏の独善的な現世界に似て非なるパラレルワールド」にしろ、読者であるわたしを上手に騙してくれたら何も言うことはないのですが・・・
<うーん、自分の思うことを他者にきちんと説明するのって難しいです。知恵熱出ます。
今度からはもっと上手に論じられるように勉強します。>
本当にそうですね。
自分の考えや思いを相手に伝えるって難しいですけど、わたしもこの掲示板に書き込まれる常連の方々のご意見の意味や趣旨をよく考えて理解した上で、上手に論じられるように・・・なれるといいなあ・・・←願望かいっっ!って、こればっかりは甘えてないで精進あるのみ、ですね。
わたしも修行に励みます!
長文失礼しました&お付き合いありがとうございます。
- 親記事No.1153スレッドの返信投稿
- board4 - No.1162
Re:ヨウさんへ
- 投稿者:恵
- 2001年11月20日(火) 02時53分
>
> 始めまして、こんばんわ。
こちらこそ、はじめましてです☆
> 仰る事、その通りです。何でも一くくりにするのはよくないですね。すいません。ただ、前述したような傾向、全く無いのでしょうか?HPという形を取っている以上しようが無いのかもしれませんが、常連さんとそれ以外に壁がありすぎる様な気がしまして。
>
> 常連さん同士で議論する事はあっても「新参者」が入ってくると途端に協力して・・・と言う風に見えてしまうのです。そのつもりはないのでしょうし、「新参者」がひどい時もあると、重々承知の上です。
>
> これこそ根拠の無い、中傷だ、といわれると苦しいです。でも、今までここに来て、二度と現れなかった人たちはそういう気持ちだったのではないかと思うんですよね。
>
> 以前、Umasikaさんがらみのトピで最後に、どなたかが「常連さんの意見を伺いたい」と書き込んだときもどなたも反応なさらず見ていて寂しかったです。反応する義務なんてない!と言われるとその通りですが。
>
> 「新参者」の変な文章です。ケンカする気なんてさらさらないです。すいません。
>
ヨウさんのおっしゃること、今ならよくわかります。
特にUmasikaさんのときは、わたしも一方的に常連さんに味方してしまったという経緯がありますから、あのときのことを言われると返す言葉もございません。ご指摘されたような傾向があったのは事実だと思います。ただ、今は常連さん(もちろんわたしも)もそれぞれがあの出来事を反省の糧にし、いろいろ自らの振るまいに襟を正しているところだと思うのです。わたしが言っても説得力がないかもしれませんけど、今回あなたが冒険風ライダーさんの意見に納得ができずに論争なされていることと、他の方が口を挟んだり意見を言わないことは「話題が特殊であるだけに仕方のないことでは?」と思い、つい生意気な意見を言ってしまいました。自分でも、この手の話題に敏感なんだなぁと、つくづくお恥ずかしい限りです…(^-^*)。
ヨウさんのこと、決して「新参者」だなんて失礼なことは思っていませんし、わたしもケンカする意思なんてありません。
「イギリス病のすすめ」議論とは直接関係ありませんけど、ヨウさんが田中芳樹氏とその作品をどうのように思っているか、また機会があったら教えてくださると興味深いです☆
では、失礼いたしました。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1163
ご案内
- 投稿者:Merkatz
- 2001年11月20日(火) 11時12分
> さすがに最初から「面白さ」を目的としていたとは思えません。ただ、「つくる会」は教科書の売り込みのために面白さを強調しすぎて「手段の目的化」を起こしているように見えます。つくる会に対する批判として面白さを取り上げるのがそう的外れだとは思えなかったのですよ。
はじめまして。
つくる会への批判なら
ttp://bbs1.kidd.jp/?0105/hou
こちらへお越しください。
つくる会が歴史を面白おかしくすることが目的かどうか質問してくだされば、
多士済々な面々からの意見が聞けますよ。
(私も一言言いたいのですが、タナウツの趣旨とは外れますので
ここでの反論は控えさせていただきます。)
- 親記事No.1154スレッドの返信投稿
- board4 - No.1164
Re:わかる人はいるのだろうか。
- 投稿者:詩聖杜甫
- 2001年11月20日(火) 13時48分
> 餓狼伝やバキもあるのでこんなネタもオッケーかな?
>
> ラインハルト
> 「諸君、私は戦争が好きだ。
> 諸君、私は戦争が好きだ。
> 諸君、私は戦争が大好きだ。
>
> 殲滅戦が好きだ
> 電撃戦が好きだ
> 打撃戦が好きだ
> 防衛戦が好きだ
> 包囲戦が好きだ
> 突破戦が好きだ
> 退却戦が好きだ
> 掃討戦が好きだ
> 撤退戦が好きだ
>
> 宇宙で、回廊で
> 要塞で、陸上で
> 凍土で、砂漠で
> 海上で、空中で
>
> この宇宙で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ
>
> 戦列をならべた砲艦の一斉発射が轟音と共に敵艦を吹き飛ばすのが好きだ
> 中空高く放り上げられた敵艦が効力射でばらばらになった時など心がおどる
>
> 戦車兵の操るケーニヒスティーゲルの主砲が敵戦艦を撃破するのが好きだ
> 悲鳴を上げて燃えさかる戦艦から飛び出してきた敵兵をトマホークでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
>
> 戦列をそろえた駆逐艦の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ
> 恐慌状態の新兵が既に破壊した敵艦を何度も何度も射撃している様など感動すら覚える
>
> 敗北主義の無能貴族達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
> 泣き叫ぶ敵将達が私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げる主砲斉射にばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
>
> 哀れな抵抗者達が 雑多な戦力で 健気にも立ち上がってきたのを
> 一個艦隊の主砲斉射が 障害ごと木端微塵に粉砕した時など 絶頂すら覚える
>
> 同盟の機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ
> 必死に守るはずだった星々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ
>
> 同盟の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
> 貴族軍攻撃機に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ
>
> 諸君、私は戦争を地獄の様な戦争を望んでいる
> 諸君、私に付き従う大隊戦友諸君
> 君達は一体何を望んでいる?
>
> 更なる戦争を望むか?
> 情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
> 鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?」
>
> ミッターマイヤー達
> 「戦争! 戦争! 戦争!」
>
> ラインハルト
> 「よろしい、ならば戦争だ
>
> 我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
> だがこの暗い闇の底で五世紀もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!
>
> 大戦争を!!
> 一心不乱の大戦争を!!
>
> 我らはわずかに五個大隊 数千人に満たぬ戦力に過ぎない
> だが諸君は 一騎当千の古強者だと 私は信仰している
> ならば我らは諸君と私で 総兵力1000万と1人の軍集団となる
> 我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう
> 髪の毛をつかんで 引きずり下ろし 眼を開けさせ 思い出させよう
>
> 連中に恐怖の味を 思い出させてやる
> 連中に我々の 軍靴の音を思い出させてやる
> 天と地とのはざまには 奴らの哲学では思いもよらぬ事がある事を思い出させてやる
>
> 全エンジン発動開始 旗艦ブリュンヒルド始動
> 離床!! 全ワイヤー 全牽引線 解除
> 「ローエングラム軍 最高指揮官より 全艦隊へ
> 目標 同盟本土 ハイネセン首都上空!!
> 第二次ラグナロク作戦 状況を開始せよ
>
> 征くぞ 諸君!」
>
> ・・・長いし、元ネタはアワーズ連載の「ヘルシング」です。
確かそれは少佐の台詞でしたね。餓狼伝やバキ、どこにありますか。
-
- board4 - No.1165
アニメ版『銀英伝』について
- 投稿者:玉虎
- 2001年11月20日(火) 14時25分
はじめまして、玉虎(ぎょっこ)と申します。
『銀英伝』は高校時代にハマり、以来年一回は必ず全巻読んでます。
アニメ版も通して五回は見ております。
『銀英伝』以外では『タイタニア』ぐらいしか読んでませんでしたので、
田中氏は「良作をものした小説家」というぐらいの認識だったのですが…
このサイトにであって認識を新たにしました。
とりあえず、近所の図書館へ行って『創竜伝』を借りて読んでます。
ところで、アニメ版『銀英伝』について前から気になっていることがあります。
「ヴェスターラントの虐殺」は小説版では周知のとおり、
派兵して虐殺を止めようとするラインハルトに
オーベルシュタインが放置するよう具申し、
これをラインハルトが是として虐殺が実行されています。
ところがアニメ版ではこれが微妙に異なっているのです。
オーベルシュタインの具申に対し、ラインハルトは決定を保留し、
とりあえず派兵はしておき、止めるか否かの決断を先延ばしします。
そしてラインハルトが知らぬ間に虐殺は実行されてしまい、
オーベルシュタインが主君を出し抜く形で偵察艦のみを先行させていた…と。
なおこの後、キルヒアイスがラインハルトを追及する場面では、
当然ラインハルトはオーベルシュタインのオの字も出さず、
責任を全面的に認めており、ストーリー全体への影響はありません。
とはいえ、このラインハルトの決断は善かれ悪しかれ覇道への大きな一歩であり、
後の「もっとも多く、あの男の進言にしたがってきたような気がする」
という述懐の重みが失われてしまいますので、脚本家の意図を疑いますね。
なおこの後、アンスバッハによるラインハルト暗殺未遂の場面にも
微妙な改変があります。アンスバッハがラインハルトに発砲した際、
オーベルシュタインはラインハルトの前に立ちはだかって盾となっているのです。
結果的にはキルヒアイスの妨害によって凶弾はそれ、
オーベルシュタインは傷ひとつ負っていないのですが、
自らが参画して完成させつつあったローエングラム独裁体制を
身を挺して守る覚悟を描き、原作を補完しています。
原作では死間の犠牲に自らをも擬する発言はあっても、ここまで
直接的に行動で示した例はありませんでした。最期にしても、
計算づくの殉職であったかは謎のままでしたし。
ごく短い描写ですので気づいてない方もわりといるのではないでしょうか。
直後にあのシーンが続いてますし…
- 親記事No.1142スレッドの返信投稿
- board4 - No.1166
Re:創竜伝への疑問
- 投稿者:優馬
- 2001年11月20日(火) 16時52分
駆け出しさん、お久しぶりです。優馬です。
> 田中氏は日本が行ったアジア諸国への侵略について、「創竜伝」のなかにおいて舌鋒するどく糾弾していますが、なぜ、沖縄の問題や北海道の先住民族、または国内の同和問題については書かないんでしょうかね?
単に、それだけの「重い」問題を取り扱って、なおエンタテイメントとするだけの力量がない、ということだと思います。
田中芳樹的日本批判は、国内においては(少なくとも執筆当時は)「安全な」言説でした。朝日新聞的とも進歩的文化人的とも言えるのですが、あのような言説が社会の「良識」としてまかり通っていた時代がありましたし、今なおそれを「良識」信じておられる方もけっこう多いです。田中芳樹という作家は、個人としては政治的安全パイしか振れない人だと思います。どう考えても、非政治的な性格ですよ、あの人。そういう、得意でないことに手を出さなければいいのに・・・。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1167
Re:ご案内
- 投稿者:ヨウ
- 2001年11月21日(水) 03時12分
> はじめまして。
はじめまして。よろしくお願いします。
> つくる会への批判なら
> ttp://bbs1.kidd.jp/?0105/hou
> こちらへお越しください。
> つくる会が歴史を面白おかしくすることが目的かどうか質問してくだされば、
> 多士済々な面々からの意見が聞けますよ。
> (私も一言言いたいのですが、タナウツの趣旨とは外れますので
> ここでの反論は控えさせていただきます。)
すいません。趣旨に外れつつあるのはよく分かってます。
ただ、田中芳樹がつくる会(であろうと思われる)を批判するようなことを言っていて、冒険風ライダーさんがそれに反対されている文章だったようなのでその事について冒険風ライダーさんに疑問を提示すると、どうしてもそうなってしまうのですよ。
つくる会を批判する事自体と、区別して書ければ良いのですが、なかなかそれが自分には難しくて・・・
かといってここではその件には触れていけない、という暗黙のルールがある訳でもないでしょう?(あったらどうか仰ってください。まだ日が浅いので)ここで話している事を急にそちらの掲示板に持ち込むのもどうかと思いますし。
ちなみに自分はつくる会が「面白おかしくする事」を本当に目的としているとは思っていません。しかし、そう思われても仕方の無いような活動をしていると思っています。これが伝わりにくいのかもしれません。
正直、この話題に深く踏み込むのは避けたいのでそちらの掲示板へはご遠慮させてください。もうここではその話に触れるなと言われるのでしたらやめますので。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1168
Re:Re1141:いろいろレス
- 投稿者:ヨウ
- 2001年11月21日(水) 04時04分
すいませんが私事が立て込んでおりまして明日以降しばらくレスが出来ないかもしれません。読むことは出来るかもしれませんが、ここで議論をするのは自分にとってなかなか労力と時間を必要とする事なのです。
こちらから話題を持ちかけながら非礼極まりないと思います。申し訳ありません。決して放棄するわけではありませんので。
そこで、今のうちにこちらのスタンスをはっきりさせておきたいと思います。
まず、冒険風ライダーさんは田中芳樹を批判する時、この文章はこうとしか読めない、明らかにこう読める、ということを多く前提にしていますよね。ところが、本当にそうとしか読めないのか、という疑問をぶつけてみたのです。多くの場合すれ違ってますが、自分としては普通にそう読めた部分が多いので、そうでない読み方をしてる冒険風ライダーさんに、それを唯一の解釈とするのはちょっと待って欲しい、と思うのです。そしてその根拠も述べてきました。冒険風ライダーさんは納得されないかもしれませんがそういう見方もあるんだということを知って欲しかったのです。
次に、主にここでは55年体制についての部分だと思うのですが、歴史的にさまざまな見方がある、評価が確定していない事を冒険風ライダーさんの考えがあたかも歴史的事実のようにして田中芳樹を批判していたのが気になりました。
国民が積極的に展望を持って自民を支持していたのか、諦観と共に支持していたのかは評価が難しいところです。きっとこれからも議論は百出すると思います。そして、田中芳樹は諦観の意見を元に論を展開していたので、ああいう考えになったのでしょう。そして諦観の意見が前提にあればあの考えは普通の考えでしょう。
歴史解釈の統一化は不可能です。「国民が展望を持っていた」として、田中芳樹に、何故そう考えない、考えない奴はおかしい、と非難するのではヒステリックに歴史解釈の統一を求める某国民の一部と変わらないのではないでしょうか。
これは単に田中芳樹と意見が違うだけなのだな、と思ったのででしゃばりました。
それでは、失礼します。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1169
Re:アニメ・マンガ関連への雑感
- 投稿者:平松重之
- 2001年11月21日(水) 16時20分
> 創竜伝7巻 P128下段~P129上段
> <本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>
この文章は「現代日本の富」という言葉が曲者ですね。これを冒険風ライダーさんは「全ての日本人の全体的な富」、ヨウさんは「企業・資産家・日本政府が有している偏在的な富」と各々解釈なさっている訳ですが、前の文章にメディチ一族や足利義満と言った栄華を誇った王侯貴族を引き合いに出し、後の文章で「金ずくで他国の文化を買いあさっている」などと書いている以上、田中芳樹氏の意図としてはヨウさんの解釈の方が正しいのではないかと思います。「庶民は犠牲者、企業・政府は悪党」というのは創竜伝における基本的な論調ですし(例としては、「日本の庶民は世界で二十位以下の貧しい購買力しか持っていない」「日本の庶民が欲しがっているのは六畳間をもう一つだけ」「日本製のカメラはアメリカでは安いのに日本では高い。日本の企業は日本の消費者を馬鹿にしている」など)。
まあ、この場合は「現代日本の富」という語をそのまま読めば「全ての日本人の全体的な富」と解釈してしまうのは当然だと思います。「現代日本の富」という様な誤解を招く創竜伝の言い回し自体に問題があるのではないかと。
>ヨウさん
<もうひとつ、言っておきたいのは日本のアニメ・マンガ文化は日本の富によって育まれたのではなく、自発的に(言うなれば勝手に)育ってきた、文化のほうが富を利用しただけ、ということです。別に日本で芸術品を買いあさっていた人々がメディチや足利義満のようにこれらを育んだ訳ではまったくありません。手塚治虫の作品を買い上げたわけでもありません。政府がパトロンになったわけでもありません。日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もないでしょう。田中芳樹の発言にはそういった一貫性が見て取れるのですが。少なくとも「醜悪」とまで言われなければいけない筋合いはどこにもないでしょう。>
うーん、「日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もない」というのはどうでしょうか。仮に現在の日本政府が潰れたとして、後に成立した政府がアニメ・マンガを弾圧しないという保証はありませんし、大企業が消えてなくなれば、多くのアニメ会社や出版社はスポンサーや広告主を失ってかなりの打撃を受けるのではないかと。
<何の本かは忘れましたが田中芳樹は手塚治虫の死にあたって彼を「戦後最大のクリエイター」と絶賛し,それに報いなかったとして日本政府を非難していました。>
アルスラーン戦記第五巻(角川文庫)P250
*この文章のゲラを見ているときに、手塚治虫先生の訃報がもたらされました。つつしんで御冥福をお祈りさせていただきます。ほんとうに、ひとつの時代が終わってしまいました。それにしても、この戦後最大の創造家のトータルの業績に何ひとつ公的に報いることのなかった日本という国は、ほんとうに文化国家といえるのでしょうか。もっとも、いまの政府から勲章なんかもらっても、手塚先生が喜ぶとは思えませんけど……。
余談ですが「何ひとつ公的に報いることのなかった」という文章はいささか事実に反しています。と言うのも当時の文化庁は生前の手塚氏を紫綬褒章の候補に挙げていたのですが、当の手塚氏が辞退しているので授与はされませんでした。日本政府は少なくとも名誉的には手塚氏に報いる姿勢を見せていたのです(手塚悦子・著「夫・手塚治虫とともに」(講談社)P241より)。まあ、書いた当時の田中氏はその様な事情など知り様もなかったでしょうけど。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1170
横レスで失礼いたします
- 投稿者:駆け出し
- 2001年11月22日(木) 09時45分
駆け出しでございます。
>うーん、「日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もない」というのはどうでしょうか。仮に現在の日本政府が潰れたとして、後に成立した政府がアニメ・マンガを弾圧しないという保証はありませんし、大企業が消えてなくなれば、多くのアニメ会社や出版社はスポンサーや広告主を失ってかなりの打撃を受けるのではないかと。
僭越ながら、私も同意見でございます。
たとえば、いまや「世界の」という冠詞をつけてもいい宮崎アニメにしても、スタジオジブリという会社がなければ生まれてこなかったのであり、そのジブリ自体、徳間書店の出資によって成立した会社です。辣腕プロデューサーとして名高い鈴木氏は、たしか徳間からの出向だったはずです。
経営が左前どころか沈みかけている徳間書店がジブリを売却して赤字を埋めようとしている、という話もありました。
日本政府がつぶれたり、日本の大企業が消えてなくなったら、マンガ・アニメにもそうとう深刻な影響があるとおもいます。
>まあ、書いた当時の田中氏はその様な事情など知り様もなかったでしょうけど。
知らないことは書かない。書くなら、ちゃんと調べる。作家として基本中の基本中なんですけど。しかし、そのまま発行させた角川の編集者もどうかと思います。
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- board4 - No.1171
ちょっと思ったこと。
- 投稿者:Mills
- 2001年11月22日(木) 15時04分
田中芳樹氏に対して「そんなに日本がイヤならどうして中国に移住しないんでしょうね~」という皮肉をこちらの掲示板で何度か目にしました。
そういえば島田氏はロスに住居を構えています。
田中芳樹氏に対して「実際には何もしていないくせに作中での評論はやたら高飛車」という感じの意見も見たような気がします。
そういえば島田氏は死刑廃止論を熱心に唱え、実在の死刑囚を題材にしたノンフィクションを発行しています。
島田氏がいかに日本人をこきおろそうと、「ちっ、何様のつもりだ」と思えないのは、なんというか「有言実行」のスタンスに敬意を表してしまうからかもしれません。(しかしまぁ「眩暈」をあらためて見返すと、確かに不要な学術論がどっさりありましたね(^^ゞ)<
田氏と比べて、田中芳樹氏って作中で言っていることに自分がどれだけ責任を取れるのか、すごく怪しいと思うんですよね。別に左翼運動家になれってわけじゃないけど、文章から感じられるそこはかとない「無責任感」がイヤですね、私は。