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- board4 - No.241
Re:田中氏の一番の問題点
- 投稿者:ランゼル
- 2001年06月14日(木) 22時05分
はじめまして、S.Kさん。よろしくお願いします。
> おっしゃる事は全くもってその通り、「完結して始めて作品なのが
> 小説」なのですが、私この「作品を完結させる」という点において田中
> 氏のいかなる誠意や熱意の存在も信じません。
> 「創竜伝」の全十巻予定との予告(何巻目かの後書き参照)は百歩譲って「当初の構想外の外伝が入ったから」で仕方なしとしますが、「アル
> スラーン戦記」や「タイタニア」の1巻刊行から何年経過して今どんな
> 状況かはご存知ですよね。
> まあ「大デュマは何年かけた」とか「マルセル・プルーストは何十年
> かけた」とか反論もおありでしょうが、『明文化されたルール』なんぞ
> なくてもシリーズ物の刊行を始めたら完結に全力をつくすのが1巻の初
> 版から金出して付き合ってる読者への最低限のマナーでしょう。
> とうの昔にこちらのHPでは出されてる話の蒸し返しですけど、健康
> を害した訳ではない、シリーズ中止の詫びの一つも入るでない、そのくせ今ご当人が一番興味があるのだろう中国ものは精力的に刊行されてる
> では、「どのツラ下げて“作家センセー”とおっしゃるやら」程度は
> 言われて当然ではありますまいか。
そうですね、待たされている愛読者としては、皮肉の一つも言いたくなるのも解ります。
そう言う気持ちは、田中芳樹氏の小説の愛読者なら皆さん持っていると思います。
ただ、小説を書かせることを強制は出来ないですし、書く順番も田中芳樹氏次第ですし、
何より、気持ちの乗っていない時に書いた小説は詰まらないと思うのです。
従って私は続刊には複雑な心境です。7年ぶりのアルスラーン戦記を読んで、少々違和感を感じたので。
私が待っているのは、あくまで当時に出したのと同じ面白さの続刊ですから。
ですので、できれば今の気持ちのまま、創竜伝を完結して欲しいです。
そして、中国歴史物でカンを取り戻してからアルスラーン戦記等を再開してくれれば、
言うことはないですね。
そもそも、田中芳樹氏の小説を面白いと思った地点で、読者の負けなのですから。
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- board4 - No.242
Re:Re221/222/226: 「考察シリーズ」作者からの解答
- 投稿者:ランゼル
- 2001年06月14日(木) 22時14分
はじめまして冒険風ライダーさん、よろしくお願いします。
> 結論から言いますと、これは恵さんの解釈の方が正しいですね。私は創竜伝の社会評論の全てを「フィクション」としてではなく「ノンフィクション」、すなわち「創竜伝世界ではなく現実世界に対する社会評論」とみなした上でアンチ評論を展開しています。何しろ、あの社会評論のほとんど全てが前後のストーリーの流れや文脈とは何の関係もなしに登場していますし、どう考えても「現実世界における事件・出来事」をそのまま取ってきているとしか思えないような内容ばかりですからね。
> そしてあれらの愚劣な社会評論を現実と照らし合わせて検証した時、それがいかに間違っているか、そしてそのような社会評論を創竜伝のストーリーに関係なく挿入することが、いかに創竜伝のストーリー設定を矛盾だらけにし、小説としての破綻を引き起こしているかを立証するために、私はあれだけ膨大な考察シリーズを書いたのです。
> お分かりいただけましたか? ランゼルさん。
ご指摘ありがとうございます。
まずは、冒険風ライダーさんの考察シリーズで楽しませていただいた一読者として、お礼を言います。ありがとうございました。それと、長文を書いていただいて申し訳ないのですが、期待に添えるような答えにはならないと思います。
では、本題です。冒険風ライダーさんがそう言うお考えで書いたのは解りました。でも、私が冒険風ライダーさんの考察の前文を読んだ地点でそう解釈しなかったからと言って、別に問題ないですよね?
それに、別に冒険風ライダーさんの考察を持って、自分の感想を補強しているわけではないので、解釈を変えても私的には問題なしです。
> ところでランゼルさんは「創竜伝=勧善懲悪物」という主張に拘っておられるようですが、そもそも創竜伝のあのストーリーのどこをどう読んでそのような感想を抱くに至ったのでしょうか?
> そもそも竜堂兄弟自身、次のような主張で自らの正義を否定しているはずなのですけど↓
>
> 創竜伝2巻 P18下段~P19上段
> <もともと、始は、自分が正義の味方だとは思っていない。正義の味方というものは、しばしば、自分が全能であるように思いこむ。あらゆる悪を防ぎとめ、すべての人を救うのが自分の責任であり、自分にはその力が具わっていると信じているようである。あいにくと、始は、他人の悪辣さや卑劣さを、自分の罪として背負いこむ気は、まったくなかった。>
>
> このセリフに代表されるように、竜堂兄弟は自分達が「絶対的な正義」であるなどとは全く考えてはおりません。むしろ連中は「救世主」とか「絶対神」とかいった考え方を全否定しているくらいですしね。
> それに連中の思考パターンや行動原理は、私が考察シリーズで何度も言及しているように、ただひたすら衝動的・突発的でかつ一貫性のない「個人的感情と病的なプライド意識」をベースにしているだけでしかないですし、勧善懲悪の見せ場であるはずの「悪」に立ち向かう時でさえも「あいつが気に入らない」だの「権力者に殺されるのは可哀想」だのといった感情的な理由以外の明確な主義主張がまったくありませんからね~。創竜伝ではむしろ主要な悪役側であるはずの船津忠義や四人姉妹・牛種の方が「正義の味方」を自称していたり、(内容はともかく)明確な目標方針や主義主張を持っているぐらいです。
> 「創竜伝=勧善懲悪物」という評価を成立させるには、主人公である竜堂兄弟が「自分達が正義である」ことを自覚し、「善」の定義と「悪」の定義を明確に定め、その定義に基づいた「説得力のある理論的な主義主張」(これは単純なものでもかまわない)を持たなければ話になりませんが、竜堂兄弟にはその全ての条件が完全に欠如しているのです。これで「創竜伝=勧善懲悪物」と定義するのは不可能です。
> それから「創竜伝の勧善懲悪性」に関しては、過去にこの掲示板でも議論されたことがありましてね(ザ・ベスト「小説としてのエンターテイメント性2」参照)。ランゼルさんが好きな水戸黄門も比較対象として取り上げていますから、そちらも閲覧してみてはいかがでしょうか。
> それでもあくまで「創竜伝は勧善懲悪物である」と言い張るのであれば、私の主張やザ・ベストでの議論内容を全て否定できるだけの理論的根拠を挙げてください。イキナリ「創竜伝=勧善懲悪物」という前提で話を進められても困ってしまうのですよ。
あの~、私の最初の感想を読んでいただけましたか?私は創竜伝を勧善懲悪物として楽しんでいると。
私がそう楽しんだからそう言う前提で話を進めているのが、問題でしょうか?
それに、作中正義という物について私とは認識に差があるようですね。私にとっては別に主人公が正義を名乗る必要など有りません。と言うか、例えば、水戸黄門が正義を自称したことがありますか?無いと思います。
要は読者が、主人公の正当性を信じれば良いだけのことです。倒す相手よりも。
水戸黄門がなぜ正義で、悪代官が悪なのか。それはそう言う筋書きだからです。物語中で、悪代官に肩入れさせるような話はまず入らないし、逆に悪事を働いている場面は、視聴者の前にわざわざ見せつけます。それによって、視聴者の中で悪代官は悪、それを倒す水戸黄門は善と言うことになります。
ただし水戸黄門が悪代官を倒すには、両者を接触させねばならず、その為に哀れな農民など、悪代官に虐げられている人が出てきます。そして、それを助けて悪代官を倒すのは水戸黄門の個人的な感情です。
本来は諸国観察の義務と言う法的責任がない(設定では有るかも知れないけど、視聴者で気にする人は居ないと思う)はずの先の副将軍は、気ままな諸国漫遊をしながら、困っている人々を助けているわけです。
と言うか、江戸幕府の命令で、諸国偵察の密命を帯びた水戸光圀は、立ち寄る先々で情報収集をし、ただのじじいと油断している間に代官の悪事を調べ上げ、その現場を押さえて江戸幕府の威光を示し諸国の規律を正す。水戸黄門が人助けをするのが義務とか仕事のついでとか。そう言う水戸黄門が視聴者に受けるのでしょうか?
これが私の考える、水戸黄門の「善」の定義と「悪」の定義(視聴者が決める)その定義に基づいた「説得力のある理論的な主義主張(個人的感情)」です。
創竜伝に当てはめて、問題はないと思いますが?読者が感覚的に竜堂兄弟の方が正当性があると感じれば、それで勧善懲悪ものとして成立です。
でも、
> ただひたすら衝動的・突発的でかつ一貫性のない「個人的感情と病的なプライド意識」をベースにしているだけでしかないですし、勧善懲悪の見せ場であるはずの「悪」に立ち向かう時でさえも「あいつが気に入らない」だの「権力者に殺されるのは可哀想」だのといった感情的な理由以外の明確な主義主張がまったくありませんからね~。
と、個人的感情を否定し、明確な主義主張がなければ物語の主人公は悪を倒してはいけない、と主張されているようにも思える冒険風ライダーさんには、相容れない見解であるとは思います。
私の勧善懲悪物というジャンル分けが、本来の勧善懲悪物と違うのなら、より単純なスーパーヒーロー物でも良いです。それなら、読者にすら関係なく、主人公が個人的感情だけで相手をこの世から抹殺しても、納得していただけると思いますので。
> PS.
> それと私が挙げた創竜伝最大の破綻要素に関してずいぶん面白い意見を述べてくれたようですが、仮に上記の主張を置いておいたとしても、あれらの破綻要素はむしろ「勧善懲悪物」として見ると却ってますます致命的になってしまうのではありませんか? 何しろ「正義」側であるはずの竜堂兄弟がアレほどまでに自らの独善的感情や思想的破綻をさらけ出し、「悪」であるはずの四人姉妹や牛種の主義主張に対して、万人の共感を呼ぶだけの理論的説得力を持つ代案をマトモに提示することすらできないのですから。
面白いですか?ありがとうございます。
と言うわけで上記の通りと、設定に関しては架空世界の出来事と言うことで、ほとんど私的には問題なしです。
一例を挙げれば、
> 私の創竜伝考察33
> 創竜伝最大の破綻・中編
> 1. 四人姉妹を支えるアメリカ基盤産業の実態
に対して、創竜伝世界では四人姉妹はアメリカを支える産業のほぼ全てを掌握しているという設定です。
現実のアメリカの経済は全く関係有りません。
以上です。
従って、架空世界の前提設定に、現実の世界の状況を持ち込む冒険風ライダーさんの考察は、
私にとって賛同する物ではありません。
勿論完全に問題なしと言えないのは、Merkatzさんに対するレスで書いた通りですが。万人の共感を持つ代案云々は、取り敢えず完結してみないことには、言えないと思います。
> あのようなストーリーとして致命的な破綻要素を「お約束」で終わらせている勧善懲悪物など、私は聞いたことがないのですけど。
それは、同じ作品をどう見るかなので。聞いたことが無くてもおかしくないと思いますが。
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.243
『中途半端』が一番悪いと思います
- 投稿者:S.K
- 2001年06月15日(金) 02時20分
> そうですね、待たされている愛読者としては、皮肉の一つも言いたくなるのも解ります。
>
> そう言う気持ちは、田中芳樹氏の小説の愛読者なら皆さん持っていると思います。
ランゼルさん、ご理解感謝いたします。
ただ、
> ただ、小説を書かせることを強制は出来ないですし、書く順番も田中芳樹氏次第ですし、
> 何より、気持ちの乗っていない時に書いた小説は詰まらないと思うのです。
につきましては、古代蓮さんと「プロ」談義をさせていただいている折
にも思うのですが
「熱意を技量で補うのがプロ作家の読者への誠意」
ではないでしょうか。
加えて、
「終わらせる為に全力を注いで終われない」
ならともかく
「他にやりたい事ができたから(継続中の作品とその読者は)放置
する」
ではやはり『皮肉』ではすませられないプロ作家としての精神的資質
の欠落がないかと思わざるを得ません。
> 従って私は続刊には複雑な心境です。7年ぶりのアルスラーン戦記を読んで、少々違和感を感じたので。
> 私が待っているのは、あくまで当時に出したのと同じ面白さの続刊ですから。
> ですので、できれば今の気持ちのまま、創竜伝を完結して欲しいです。
> そして、中国歴史物でカンを取り戻してからアルスラーン戦記等を再開してくれれば、
> 言うことはないですね。
逆にこの点についてはランブルさんのお気持ちを理解します。
ただ、これは人それぞれでかまわない範囲での私の感想なのですが、
「つまらなくて構わない、終われ」
「書けないなら書けないでいい、そう言ってシリーズを止めろ」
と言うのが正直なところです。
何せ書けないんですから
「事実を事実として言わないのはいかがわしい事さ(ヤン・ウェンリー)」
ではないですか。
それに、負けるときはキッチリ負けてその上で評価を請うのは作家に
限らず社会人として当たり前でしょう。
別に田中氏に「全作名作、完全勝利」などと紙一重寸前の超人技まで
要求はしていないんですから。
> そもそも、田中芳樹氏の小説を面白いと思った地点で、読者の負けなのですから。
このHPで管理人様を筆頭に数え切れない方が言われた言葉ですが
私も言います。
「スッパリ負かして(面白いと思わせて)くれればそれで本望」
なのですよ。
-
- board4 - No.244
同病相憐
- 投稿者:優馬
- 2001年06月15日(金) 09時12分
優馬です。
某2ちゃんねるにて「グイン・サーガ」の壊れっぷりに血涙(T.T)のもとファンたちのスレがあります。代を重ねて既にver.25。
「他所へこのスレッドのリンクを貼らない。」というのが「スレの掟」なので、直リンはしませんが、見つけるのは難しくないと思います。
我々には「銀英伝」という「美しい思い出」があってシアワセだなぁと思ってしまいました。<なんとも非生産的ですが。
(実は「グイン」もずーっと読んでいるのは内緒だ!!)
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.245
Re:少しだけ訂正です
- 投稿者:恵
- 2001年06月15日(金) 10時28分
> > その一点だけでも、田中芳樹氏は素晴らしい作家だ。
>
> その一点だけでも、素晴らしいプロ作家だ。
> の間違いでした。すいません。
質問にお答えいただき、ありがとうございます。
おかげ様で、古代さんの主張の趣旨はだいたい理解できました。
一応、わたしもクリエイティブの仕事をしているので、古代さんのプロとアマチュアの定義はもっともだと思います。ただ、その上で、田中氏は
「その一点だけでも、素晴らしい商業作家(エンターテイナー)だ」
だとわたしは思います。クリエイティブの世界では、「売る」ための商業的価値を求めるのか、あくまで自分の理想を追求する芸術的価値を求めるかで、評価の基準が違ってきます。最初の古代さんの主張では田中氏の位置づけがわかり難かったので、あのように質問させてもらったんです。彼がエンターテイナーとして評価されるというのはよくわかります、文学的(芸術的)に素晴らしいかどうかは別として、ね。
- 親記事No.244スレッドの返信投稿
- board4 - No.246
Re:同病相憐
- 投稿者:S.K
- 2001年06月15日(金) 10時36分
優馬さん、失礼します。
まあ一応公正を期すために申し上げますが(いや、「内緒で」ずっと
グイン読んでおられた優馬さんには不要でしょうが)あれであの方間違
いなく「天才」作家だった時期があるのですよ。
「心中天浦島」「メディア9」「レダ」の地球居住者と宇宙飛行士な
どの宇宙生活者の間の葛藤と苦悩を描いた連作などは本気で名作だと思
いますし「時の石」や「ゲルニカ1984年」なども実にいい作品ですよ。
「伊集院大介」シリーズも初期3編は評価に値するミステリだと思い
ますし。
あのお人の頭痛い点は本気で「天才」だったせいで、才能(この場合
は主にインスピレーションの類でしょうか)の枯渇と同時に「ありきたりの作家」にならずに「『元天才の経験値とスキル』を持ったヤオイ
同人オバチャン」になってしまった事ではないかと思います。
とはいえ天下の早川書房がアレになってしまった全百巻シリーズを
継続させてくれるだけの『同好の士』を吸引してるんですから、「元
天才のスキル」にせよヤオイ人気にせよ馬鹿にできたものではないですが。
- 親記事No.244スレッドの返信投稿
- board4 - No.247
Re:同病相憐
- 投稿者:デスザウラーⅡ改
- 2001年06月15日(金) 14時23分
> 我々には「銀英伝」という「美しい思い出」があってシアワセだなぁと思ってしまいました。<なんとも非生産的ですが。
> (実は「グイン」もずーっと読んでいるのは内緒だ!!)
出だしの頃の銀伝のあちこちには、グイン・サーガに対する皮肉や批判が散りばめられていると感じているのは、私だけでしょうか?
一々運命の非常さに泣くリンダに対して、運命の方を従わせるラインハルトの言動は、「やっぱそうだろな」と思っていました。「正統の王家」を売り物に、王国の復活を目指して流浪する悲劇の王子様お姫様と言う話って、ラインハルトなら鼻で笑い飛ばすでしょうね。なんか、レムスとエルウィン・ヨーゼフが重なる……
でも、今では誰かが小説でドラゴン・ブラザーズを笑い者にしてくれることを期待しています。人間社会を馬鹿にしつつ、それに執着するご都合ドラゴン達を。
- 親記事No.7スレッドの返信投稿
- board4 - No.248
反銀英伝 大逆転! リップシュタット戦役(64)
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年06月15日(金) 17時25分
同日、オーディンのタンネンベルク侯のもとからも、それぞれ昇進を果たしたシュヴァルツェンベルク中将、レープ少将、マッケンゼン少将のガイエスブルグ合流組が進発している。シュヴァルツェンベルクの旗艦は「ウィーン」、レープの旗艦は「フェルディナント・フォン・ツェッペリン」、マッケンゼンの旗艦は「マクシミリアン・ホフマン」、それぞれ少数の艦を引き連れ、別個にガイエスブルグを目指すのだ。途中でローエングラム軍に捕捉されないよう、迂回路を通ってガイエスブルグに向かうことになるので、到着まで三週間ほどの時間が必要な航程であった。その間に、事態が激しく動くことも、当然あり得る。しかし、タンネンベルク侯爵が確保している「連絡線」を経由するので、適宜通信を行うことにより、「情報鎖国」に追いやられる可能性は先ずない。柔軟な姿勢で、事態の変化に対処することは充分に考慮されている移動である。
「早速だが、救出作戦の検討に移ろう。フェルナー大佐、卿には腹案があると思うのだが・・・・」
ここはオーディンの下町、シュワルツェンの館からもそう遠くはない邸宅の一室。ロイエンタールが率いる、グリューネワルト伯爵夫人救出部隊の司令部として、早速稼働を開始している。しかし、あくまで隠密裏での行動が求められており、大人数が出入りするなどの動きは禁物だった。実際、ロイエンタールたちは途中で車を乗り換え作業服も着替え、通常の乗用車で少人数ずつ分散して集結してきたわけである。
しかし、このロイエンタールたちの動きは、とうの昔に社会秩序維持局のフルマークに遭っているのだが、ロイエンタールやフェルナーはその事態を認識していない、と状況としては極めて悪い。
「それでは、ご説明申し上げます。グリューネワルト伯爵夫人救出作戦は、第一段階の伯爵夫人の救出と、第二段階の我々のオーディン脱出、この二つの行動からなっています。いずれも、まともに行えば、困難極まりないものでしょう。しかし、全く手がないわけではありません。先ずは、第一段階からですが、伯爵夫人が軟禁されているシュワルツェンの館は、多数の警備兵が配備されており、正面から突破しようと思えばそれ以上の兵力が必要になります。別の方法を採らなければなりません」
フェルナーの説明を、頷きながら聞いている一同である。すでに、フェルナーはオーディン潜入までの道中で、ロイエンタールには基本計画を説明していた。しかし、それはこの場にいる全員の認識ではない。改めて周知させる必要はあるのである。
「その方法は、結局は地下からしかあり得ません。トンネルをシュワルツェンの館の地下まで掘り、そこから館の中に突入する、という方法です。その際、陽動の攻撃や爆破なども同時に行い、敵を混乱に陥れられれば重畳というものでしょう」
「ところで、トンネルを掘ると簡単に言うが、実際はかなり困難なのではないか。あまり時間も掛けられないしな」
「いえ、それがすでにある程度は、用意してあるのです。以前、私がブラウンシュヴァイク公の麾下であった時、シュワルツェンの館を襲撃してローエングラム侯を殺害し、戦役勃発を未然に阻止しようとしたことがありました。その際は、時間がなかったので正面からの攻撃しかできませんでしたが、当初は地下にトンネルを掘って爆弾を仕掛け、館ごと吹き飛ばしてしまおう、という計画もあったのですよ。無駄にはなりましたが、その準備はそのままになっていますので、途中まで掘ったそのトンネルを再利用し、館の真下まで掘り進めてから、突入しようと思います」
「しかし、そのトンネルの存在は、敵に気付かれてはいないだろうか?卿が掘らせていたものであれば、貴族連合軍の一員が知っている可能性は高いと思うのだが」
「いえ、これは全く私の部下たちだけで行っていたことでして、ブラウンシュヴァイク公すら与り知らぬ話です。その部下たちも、全員が私と一緒にローエングラム侯の陣営に付いた以上、貴族連合軍で知る者はおりません」
「なるほど。しかし、トンネルの存在を知らなくても、何かの偶然で発見したということもある。それもないのだろうか?」
「可能性は低いでしょう。下水道などとは無関係に掘らせましたし、出入り口も私が用意した拠点の一つで、家屋の中ですので目立つことはありません。発見されている可能性は、考慮に入れずとも良いと思われます」
フェルナーの言うとおり、途中まで掘ったトンネルは、タンネンベルク侯や社会秩序維持局、すなわちハイドリッヒ・ラングには発見されてはいなかった。それを利用する突入作戦は、上手く行けば成功する可能性は高い。しかし、それはロイエンタールの潜入が露見していない場合は、という話である。
「よし、それはまあいいだろう。後は各自の役割を的確に分担し、臨機応変に対応すればよい。ところで、第二段階、オーディンからの脱出についてだが、これはどうやっても強行突破になる。グリューネワルト伯爵夫人を奪還したところで、敵にこちらの作戦は露見するわけだから、気付かれないように逃げるのは不可能だ。スピードがあり、しかもある程度は航続力のある艦で敵を振り切る必要がある。その為には、なるべく型の新しい軽巡航艦を一隻用意せねばならぬな。救出作戦実行直前に呼び寄せてオーディンに降ろし、タイミング良く乗り移れるようにしておかねばならない。なおかつ、敵の艦隊が、帝都の直上にいない時でなければ無理だ。というより、一時的で良いから、オーディンから若干なりとも離れてはくれないものだろうか」
「それは、小官が調べておきましょう。いくら何でも艦隊が永遠に帝都の上空に張り付いているわけはありません。演習などで、帝都星上空の艦船がいなくなることはあり得る話です。隙は必ず発見できるでしょう。その時こそが、決行のタイミングです」
フェルナーの答に、頷くロイエンタールである。
「分かった。情報収集は卿に頼もう。一時的でも良い、敵艦隊に隙があれば、高速の軽巡航艦なら振り切れる可能性が高いからな。我々の支援艦隊も集結させれば、ある程度は交戦も可能だ。キルヒアイス提督とミッターマイヤー提督の艦隊は追い払われてしまったようだが、一旦敵を振り切れれば、あとはレンテンベルクまで一直線になる。いずれにせよ、勝負を掛ける時は一気にことを達成させねばならないだろう」
ロイエンタールは断言するが、彼らを取り巻く状況は最悪である。すでにロイエンタールの潜入は社会秩序維持局に露見しており、この「グリューネワルト伯爵夫人救出作戦司令部」も、すでに社会秩序維持局要員の厳重な監視下にある。それに気付いていないロイエンタールらは、笑劇か狂言の主人公でしかないが、それに気付かされるまでにはまだ時間を要するようであった。
(以下続く)
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.249
Re:レスです
- 投稿者:オズマ
- 2001年06月15日(金) 20時45分
こんにちはオズマです。
> 情報ありがとうございます。
> え~と、と言うのがオズマさんの見解というのは解りました。つまり、田中外相を応援し、森前首相を支持しなかった国民は、マスコミに踊らされた存在と言っても良いと言うことでしょうか?公正な報道ではないから、国民はオズマさんと違って判断できないから、極端な支持率になっていると。だから、国民は踊らされやすい、マスコミはヤバイ、同様に公正ではない創竜伝もヤバイと。
>
> 評論って難しいですね。少しでも語ろうとすると、自分は別格だとしなければ、とても書けないので。
> 上記の文章だけを読んでいると、なんだかオズマさんが日本国民を馬鹿にしているようにも受け取れます。
> オズマさんは踊らされていないのだから、他の国民も踊らされていないと思って大丈夫ではないでしょうか?
> 国民や読者をもっと信頼してはどうでしょうか?
>
> > それが人々の自主的な判断とするなら、それはそれで問題ないのかもしれませんが
>
> ですよ。
そういわれるのは耳(じゃあ無くて目ですけど)に痛いですね。少なからずランゼルさんがおっしゃられたように考えていた部分はあります。まあ、私の場合は自戒も含めて、ですけどね。かくいう私もマスコミに踊らされている自分に気づきながら、努めてそうならないように心がけているんですけど。例えば、ドラマなどで主人公を追いかけるワイドショーに憤慨したりする自分がいるかと思えば、実在のワイドショーを面白がっている自分もいるという矛盾に気づいた時とかね(笑)。まじめな話、踊らされていないという根拠もないというところが私があのように述べた理由のひとつです、と答えるしかないですね。そこのところは後でも少し触れていますが。
> お答えありがとうございます。
> 両方が問題でしたか。
> 中国至上主義や、偏重左翼思想、自分勝手な教育論などが田中芳樹氏の本当の思想だから問題なら、それがそうであるか否かだけが問題ですし、
> 田中芳樹氏の本当の思想であろうが、作られた思想であっても、小説中に過剰に入れてはいけないだけなら、最適な量を捜せば良いのですが、
> 両方となると、やはりオズマさんの最初からの主張の通り、評論の形で思想を小説内に入れることそのものの是非になるので、やはり小説のルールですね。自分の言葉(多分思想のこと)を語っていけないルールが有るのか。
まあ、そこのところは個人の見解ですので。例えば売れる為に新しい手法を生み出すことを評価する古代蓮さんのような意見もあることですから。私の意見は一通り延べさせてもらいましたし、一連の投稿も読ませてもらいました。真に価値観の違う人々は最終的に相容れることはないでしょうから、ここはお互い(この件に関しては主に古代蓮さんの意見ですが)の意見の確認ができたところでよしとするしかないでしょうね。
> >田中作品における社会評論の徹底検証5
> >田中芳樹の図書館学
>
> ですよね?なるほど、これがオズマさんの示す田中芳樹氏の自分勝手な教育論の一例ですね。
> (他の方とオズマさんの考えが同じなのかは解らないので。)
> 前とは違った感覚で読ませていただきました。
> でも、これだけで田中芳樹氏の本当の教育論というのは、飛躍しすぎだと思います。
> 田中芳樹氏10文字しか書いていないし。
>
> ただ、オズマさんがベストセラー作家、田中芳樹氏の影響力の大きさを、本当に評価されているのが解りました。
> 私などは、小説はどんなに売れていても、所詮は作家と読者の一対一の関係だと思っているのですが、
> (売れているのが購入動機にはなっても、内容は自分で読んで決める物。)
> やはり、ベストセラーと言うだけで評価が変わったりする物なのでしょうか?
まあ、少々飛躍させすぎたことは認めますが。
もちろん田中芳樹がそのような意図で行ったわけではないという可能性もあるでしょう。もしそう仮定してですよ、それでもしかし、影響力から考えて意図とは別のとられ方をすることの重大さということを言いたかったわけです。私の図書館学の師匠なんかは、それこそ市民に図書館というものにより親しんでもらえるようにさまざまな活動(出版も含めて)をしているわけですが、それでも幾ら図書館学の本を出版しようが、基本的に対象は図書館学を学ぶものだけです。もちろんその本で学んだ図書館人たちが自分の図書館をより良くする為に活動をしていき、いずれは、普段人々が思っている図書館とは違った、親しみやすい図書館を作り上げていくだろう、というふうにその影響力はひろがるでしょうが、ベストセラーの即効性の影響力の前には微々たるものです。田中芳樹のあとがきの何気ないほんの一言が、例えその意図がないとしても、図書館人すべての努力を踏みにじることだってあるわけです。ましてやその意図があってあの発言をしたとしたら・・・。どちらにしろ、少なくとも私はあの一言にそのような危険性を感じました。ですから、田中芳樹にはそれをフォローするだけのもう一言を望みたかったし、それがないというところに彼の自分勝手さ、言い換えれば独善さを感じたわけです(単にリクエストをすれば図書館がそれに応えてくれるということを知らなかっただけかもしれませんが、それならそれで知らないのに書くというのはむしろ自分勝手)。そんな自分勝手な意見を小説(あれはあとがきですが)にしかもベストセラーに書くな、書くなら反論の余地がある論評にしろ、といいたいわけです。
> 影響力についての考えが変わると、全てが変わってしまいます。例えば、最初の田中外相の話も、国民の意志に関係なく、大手マスコミが報道するので、それで何となく田中外相に好意的なのだとしたら、
> 国民が踊らされやすいのではなく、大手マスコミに、そう言う踊らせる力があるのだとしたら、オズマさんの危惧が全面的に正しいことになってしまいます。
田中外相に関して言えば、まず歯切れのいいところが国民にウケているというのはまずあるでしょうし、その点で彼女の人気は作られたものではないのでしょう。しかし、それを助長しているのはマスコミだと私は思っています。何かと「官対民」だと言って、官僚を悪役に仕立て上げようとしていますからね。民代表の田中外相よりの報道をしているんじゃないですか。マスコミは田中外相の資質の方にはあまり触れないようにしているように思えたので。
そこのところはおいといて、マスコミによる世論操作の可能性についてはマス・コミュニケーション論のひとつのテーマですね。問題点というか(そうならないようにしないといけないというのはもちろんありますが)、むしろそういうもの、として定義されている部分があるように思いますけど。専門に勉強したわけではないので(自分勝手にならないように)これ以上の発言は控えますが。興味があれば勉強してみてもいいかもしれませんね。
私がマスコミに求めているのは不偏不党さです。ちなみにわが国ではその不偏不党がマスコミの原則らしいです。んなわけない、というのはどことは言いませんが、特にある特定の新聞やテレビ局を見ればわかると思います(ただ、うちは反自民ですと明確に発言していないだけ。それをもって不偏不党だとするなら茶番ですけど)。
ではこのへんで。
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.250
訂正
- 投稿者:オズマ
- 2001年06月15日(金) 22時41分
すいません249の訂正です。
図書館について述べた箇所をあとがきだと書きましたが、それは間違いで、『アップフェルラント物語』に収録されている「『ルリタニア・テーマ』について」という文章の中においてでした。
これのジャンルは何かは判断しかねますが、小説ではないことは確かです。従ってこの発言を小説の中でしたという非難の部分
> そんな自分勝手な意見を小説(あれはあとがきですが)にしかもベストセラーに書くな、書くなら反論の余地がある論評にしろ、といいたいわけです。
は適当ではありませんでした。すいませんでした。
しかし、ベストセラーによる影響力という観点からの意見についてはそのままあてはまるので、上記以外の部分についてはそのままお読みください。
ここ最近の訂正の多さ、本当に申し訳ありません。以後そういうことがないように気をつけます。