4代目掲示板過去ログ

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投稿ログ57 (No.1094 - No.1117)

親記事No.1025スレッドの返信投稿
board4 - No.1094

Re:いかに帝国を乗っ取るか

投稿者:lulu
2001年10月29日(月) 04時08分

> そうそう何度も繰り返されるとは思ってなかったんじゃない
> でしょうか。どう見てもヤンが生き延びたのはラインハルト
> が病気で撤退したっていう運がカギですし。

このことでもだいぶ一般兵から皇帝への信頼感が薄れたでしょうね。
皇帝への信頼感というのは、未だラインハルト個人の武勇によって
支えられた、危なっかしいものですから。

> そういえば、シルヴァーベルヒに代表されるテクノクラート
> たちは、カール・ブラッケのような開明派の政治家とあわせて
> トリューニヒトにとっては上手く利用できそうですね。
> 初期の帝国は明らかに軍部中心型の政治ですから、それに
> 対する反発が↑の発言なのでしょうし。実は軍以外はすでに
> ある程度の人脈を作っていた?

旧地球教勢力が影響力を持っていたのは旧支配層です。
ラインハルトが権力を握り、新進の人間が多く登用される中、
それは力を失い、それらを基盤とした政治力を振るうことは
難しくなっていったでしょう。とるべき手段として、
新規の人間の中に多くの部下を引き入れることがあります。
作品中にトリューニヒトが帝国内に人脈を作り始めていたことが
示唆されていましたので、そう言った新旧支配層にまたがる
人脈がすでにある程度存在していたのではないかと考えられます。


> さすがにミッターマイヤーあたりが政治家に転身してきたら、
> トリューニヒトにとっては強力な政敵になりますね。
> しかもトリューニヒトより15歳は若いですし。先に立憲君主制
> の行政最高位に就かれたら、相手が死ぬのを待つのすら無理っぽい。
> 同盟時代にしただろう、「ヤンが政治家に転身したら」という予測
> を思い出すだけで、トリューニヒトには十分過ぎるくらいその危険
> はわかるでしょうし。

トップの人間が十分若く、しばらく引退することがないのならば、
その下で働く人間のモチベーションは大幅に低下するものと
考えられます。出世の望みが薄いのですから。
それはトリューニヒト一人に限ったことではありません。
彼らをその地位から引き摺り下ろしたいという陰謀を企んだり
それを心情的に望む声は次第に大きくなるものと考えられます。
それを自らの勢力伸張の土壌に使えるかもしれませんね。

> そこまで予想して有能な司令官たちを全員軍隊内で飼い殺しに
> するためにわざとヤンを生かしておいたのだとしたら、
> トリューニヒトの政略への見識は言葉が出ない程の凄さです。

いやこれは偶然の結果でトリューニヒトの演出ではないでしょう。

> すでにテクノクラートやカール・ブラッケのような文官と、
> 七元帥を筆頭にする武官の軋みが聞こえてきそうです。
> 文官派の最高実力者シルヴァーベルヒは暗殺されましたが、
> 逆にいえば自分たちの期待の星を失った事で文官たちの
> 武官への対立感情は強まるかもしれません。
> 併合したフェザーンや同盟の反帝国感情もありますし。
> 立憲君主制というアイディアに賛同した帝国のトリューニヒト
> 閥メンバーや、経済支配を目指したルビンスキー閥の中から、
> 次の野心家が生まれてくるかも。

上で書いたように、武官の時代が終わって文官の時代が来ると
思っていた人間にとって、ミッターマイヤーの政治家への
転身はかなりの反発をもたらすと考えられます。

> 急速に膨張した大帝国の2代目というのは、たいていは先代が
> 未整備のまま放置した内政システムを構築するのに忙殺され
> ますが、アレク皇太子やヒルダはそれができるかなぁ…

考えてみればトリューニヒトもルビンスキーもいないですが、
ラインハルトの旧臣側にもそれに匹敵する人間がいません。
唯一対抗できそうなオーベルシュタインも死んでしまいましたし、
リヒターやブラッケでは少々役者不足です。
所詮は開明派貴族と言うだけで、経済専門家というわけでは
ないでしょう。ルビンスキー以外のフェザーンの専門家に
好い様にされてしまうだけのような気がしてきました。

> やはり、複雑怪奇なパワーポリティックスを操って様々な
> 利益集団を纏め上げる事が出来るトリューニヒトの能力が
> 失われたのは、かなり痛かったかもしれませんね。



ここで帝国の金融制度に関しての疑問が出てきます。
まず、帝国の基本的な経済システムがフェザーン成立前に
確立していたことに留意する必要があります。
そして経済のシステムチェンジは帝国の根幹を揺るがしかねません。
従って、フェザーン成立以後も大幅な変更はなかったでしょう。

まず帝国が近代的な金融制度の整った国家であったとします。
幾ら、後にフェザーンが経済分野において大きな力を持つことに
なったにせよ、 帝国独自の金融政策がなかったはずがありません。
帝国中央銀行が銀行券を発行し、市中銀行への融資を行い、
通貨、および経済市場の安定を図っていたはずです。
フェザーン成立以後でもユーロ、円、ドルの3通貨しかないような
世界ですが、 現実に交易が行われている以上、為替取引きや
株式の売買は 両国にまたがって行われていたことでしょう。
しかしその場合、貴族が多くの資産を独占し、経済界の発言力が皆無
という帝国の貴族政治の状況が説明できなくなります。

次に帝国が実際の中世の国家のごとく、主要な惑星以外は
農奴制がしかれているとしたらどうでしょう。
これもまたありえない話です。まず経済活動のできる市場が
発展しません。植民地をどんどん広げて「拡大するパイ」の上に
成立していた中期からの中世経済へは、銀河帝国には海外の豊かな
市場 が存在しないために、その段階へと進むことができません。
中世初期の収奪経済を続ける限り、同盟との戦争などという
巨大な消費活動を行えば、早急に経済が破綻します。
農奴の統制では、銀河帝国の星間国家であるという特殊性を考えても、
惑星から脱走は 難しいかもしれませんが、各惑星内に隠れ里を作り
隠れる、又は隠し田を作り生産を過小に報告するなどの余裕は
あるでしょうし、地方領主の中央への不服従も進むことでしょう。
この結果中央集権態勢の確立は難しくなります。
交易による富の独占、地方領主の勢力の衰退、これが絶対王政の
成立の条件です。銀河帝国が連邦の遺産を基に作られた点を加味して
元々の連邦にここまで強い中央集権態勢があったかどうかも疑問です。だいたいこの制度では通貨が意味を持ちません。それを使う人間が
いないですから。

ルドルフの作った経済システムとは一体どのようなものだったので
しょうか。貴族制であり、共和制へと進むことなく、巨大国家を
維持することのできる経済システム。

ナポレオン時代のごとく、金融制度の整った中世国家が、
拡大するパイの上以外に成立する可能性、しかもそれが近代的な
発展を妨げられたままで、というのはとても思いつきません。
銀河帝国成立から100年もしないうちに革命が起きて
再び連邦復活と言ったことになりそうな気がするのですが。

親記事No.1093スレッドの返信投稿
board4 - No.1095

Re1093:銀英伝外伝の完結巻数について

投稿者:冒険風ライダー
2001年10月29日(月) 12時14分

<「田中作品タイムカウント」の中で、『銀河英雄伝説外伝』の最終予定巻数が6巻となっていました。しかし、私の記憶では4巻完結で、すでに終わっていると思っていました。
筑摩書房あたりから出版された『銀河英雄伝説読本』というところに本人談として載っていたと思ったのですが…。記憶が不確かです。>


 銀英伝外伝に関しては、田中芳樹自身が銀英伝10巻のあとがきで「長編4冊と短編をいくつか、合わせて全6冊分出す」と明言しています。現在のところ、長編4冊は全て刊行されていますが(少し調べてみましたが「銀河英雄伝説読本」に書かれていたという巻数情報というのは長編についてのものです)、短編の出版に関してはファンや出版社の間で様々な解釈が乱れ飛んでいるため(これに関してはザ・ベスト「職業倫理の問題2」参照)、正確な情報がほとんど分からないというのが正直なところです。何しろ、巻末に書かれている銀英伝外伝の巻数情報自体が、出版されている版によって「全4巻」と「全6巻」に別れているくらいですから。
まあ短編自体は件の「銀河英雄伝説読本」(「ダゴン星域会戦記」「白銀の谷」「朝の夢、夜の歌」「汚名」)と、田中芳樹の短編集「夜への旅立ち」(「黄金の翼」のみ)で読むことはできるのですけどね。「銀河英雄伝説読本」の方は現在絶版になっているかもしれませんけど。
そのような事情から、とりあえずタイムカウントの方でも銀英伝外伝は「6巻完結」としているわけです。現実問題として、銀英伝外伝の短編は1つの単行本ないしはノベルズ本としてまとめられていないですしね。いくらあの御大でも、まさか上記2つの本の出版をもって「外伝完結」などという詭弁を弄するようなことはないと思いたいのですが……。

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board4 - No.1096

涼さんへ

投稿者:lulu
2001年10月29日(月) 13時09分

すみません、調子に乗って段々暴走気味になってきましたし、
これじゃファンサイトの様のような話題の進め方ですので
もうそろそろ止めることにします。
他の皆さんも引いていらっしゃる様ですし。

結論としては
1.同盟は民主主義の名を冠した共産主義国家らしい。
2.ホワンがトップになっても、その後の筋が変わることは考えにくい

ということにしておいてよろしいでしょうか。

board4 - No.1097

ヒルダの能力についての疑問

投稿者:ビンス・マクマホン三世
2001年10月29日(月) 13時34分

初めまして、このサイトは、随分前から見ていましたが
今回初めて書きこみます。
ベストの田中芳樹の女性描写の件を見て思ったのですが、
ヒルダってどれ位の能力の持ち主だったのでしょうか?
作中には聡明だの「その知略は一個艦隊に匹敵する」
などと書かれているのですが、どう見てもそうは思えません。
評価できるのは、リップシュタット戦役前に
ラインハルト陣営につくよう進言したくらいです。
(ちなみにこの時のやり取り、官渡の戦いの前に
曹操につくよう進言した。カクと張繍にそっくりですね)

「こんな時代に生んでくれて感謝します」
なんて台詞を言うのだからもっと野心家であってもいいと思うのに
そんな印象を受けないし
なんだかキルヒアイスの死後新しい相談役
にするためだけに作ったキャラがあるのですが。

親記事No.1025スレッドの返信投稿
board4 - No.1098

Re:涼さんへ

投稿者:
2001年10月29日(月) 14時13分

> すみません、調子に乗って段々暴走気味になってきましたし、
> これじゃファンサイトの様のような話題の進め方ですので
> もうそろそろ止めることにします。
> 他の皆さんも引いていらっしゃる様ですし。

そうですね(^-^;;
こちらこそ、いささか暴走気味でした。1094の帝国の経済システム
とか興味あるので、宜しければメールでもしてください。

掲示板をご覧になってるほかの皆様も申し訳ありませんでした。

> 結論としては
> 1.同盟は民主主義の名を冠した共産主義国家らしい。
> 2.ホワンがトップになっても、その後の筋が変わることは考えにくい
>
> ということにしておいてよろしいでしょうか。

そうですね。1は完全にそうというわけではなくて、システム的に
かなり共産主義国家に近いというのが妥当な所なのでしょうけど。

親記事No.1025スレッドの返信投稿
board4 - No.1099

ヤンを弁護…だいぶ苦しくなってきた

投稿者:クロイツェル
2001年10月29日(月) 17時37分

> 「権力を握る事で自分が変わるかもしれない」という恐れを
> 持っており、しかも「君子は危うきに近寄りたくない」と
> 思ってる人が、なぜそのくらいの「権力を持たされる危険性」
> に気づかなかったか理解不能ですよ。

 これはもう、ヤンが「お馬鹿さん」だったとしか思えませんね(苦笑)。先にも書いた通り、ヤンは軍組織を甘く見すぎていたのでしょう。同盟内部に関しては、ヤンは異常な程の理念主義者ですから、自身の「職業選択の自由」が無視されるなどとは考えなかったのかもしれません。ま、どちらにしても、彼は自分の甘さのつけを支払う羽目になった訳です。

> 「これで平和になる」と期待してたなら、
> > > 計画立案してシトレにイゼルローン奪取をやらせる
>
> これで良かったはずです。

 まあ、あの場合はイゼルローン攻略の命を受けたのはヤンな訳ですから、それをシトレに返すのは不可能だったでしょう。その前に計画立案しなかったのは、彼の愚かさゆえでしょうね。やらせればなんでもやれるけど、自分からはやろうとしない。全く、困った御仁です。

> ですので、責任は周囲ではなく、大人になれないモラトリアム
> 青年ヤンの方にあります。彼は同盟軍部に多かった無能の人材
> でもなく、フォークのように精神に病があったわけでもありません。

 しかし、「大人になれないモラトリアム青年」というのは、十分指揮官失格の判断材料になると思いますけどねえ。指揮官なんて要職は、才能だけでできるような甘い物じゃありませんし。
 ヤンが責任を果さなかったのは事実ですし、それについて弁護する気は毛頭ありません。が、責任を果たせない人間をそうと判断できずに高級指揮官にしてしまった同盟高官の責任も、やはりある様な気もしますね。
 イゼルローンからアムリッツァまでの彼を見てそう判断するのが難しくとも、クーデター時のいいかげんさを見れば、適性不足は明らかです。少なくとも、彼を参謀部に配置転換するぐらいの事なら、アムリッツァ以降でも不可能じゃない筈でしたが。

 もっとも、あのアンドリュー・フォークを事前に排斥できなかった彼等にそれを期待する方が、間違っているのかもしれませんが。

> さらに、どうしても変わる気が無いなら、
> そもそも、「民主主義の擁護」なんて分不相応なことをする
> のが間違っており、無責任の極みでしょう。しかも、これは
> ヤンが自ら選んだ滅私奉公です。私心では一日中ゴロゴロ
> していたいのですから。

 まあ、この辺についてはおっしゃられる通りですね。ただ、ヤン自身が変わる必要性を認識していなかった以上、「変わろうともせず」なのは当然だと思うのですが。むしろ、いつまでたっても変わろうとしないヤンに対し、シェーンコップやキャゼルヌがなぜついていったか、の方が不思議なくらいです。

> それなのに、その「民主主義の擁護」のために有効な策は取らず、
> 犠牲を無意味に増やしているのでは、そんなヤンに巻きこまれた
> ヤン艦隊や旧同盟や帝国の人々こそいい迷惑で、「疫病神」と
> 思われても仕方ないと思いますが?

 ヤン艦隊の兵士にとって、ヤンが疫病神か?と言われるとちょっと違う様な気がします。
 作戦などにタッチできない兵士にしてみれば、自分が参加しなければならない戦闘で生き延びる確率をもっとも高めてくれる指揮官として、ヤンは理想だった筈ですから。確かにヤンが真面目にやっていれば、彼らが参加しなければならない戦闘の数は減ったでしょうが、そんなことは一回の兵士にわかる筈もありませんし。
 むしろ彼を疫病神と思わなければいけなかったのは、彼の無責任さのせいで仕事が増える羽目になった軍高官達ですからね。嗜好の方向が違ったとはいえ、彼を厄介物として諮問会まで行った政府高官のほうが、この点では正しかったとさえいえましょう(笑)。

 結論としては、「ヤンは高級指揮官として不適当な人物であり、彼が末期の同盟の軍事、及びぞの後の同盟残党の指揮をとっていたがゆえに、銀河には不要な血が流れる結果となった。しかし、これは彼のみの責任ではなく、彼を重用した軍幹部や、彼を制することのなかった側近達にも大いに責任がある所である。同盟は、自らの愚かさによって敗れたのだ」てなところでしょうか。

親記事No.1093スレッドの返信投稿
board4 - No.1100

Re.1095 ナルホド!

投稿者:時任
2001年10月29日(月) 23時56分

はなはだ曖昧な疑問に応えてくださって、ありがとうございます。
とてもよくわかりました。

『外伝』完結巻については、当初6巻で改訂を重ねてから4巻に修正されたと記憶しています。
終わったのか終わらないのかはっきりしていないようですが、後から巻数を少なく修正したということは、本人はもう書く気がないということではないでしょうか。
銀英伝のファンとしては残念なことです。
もっとも、このところの田中芳樹の作品を見ていると、『銀英伝』の世界を使って新刊を出したとしても、面白いモノになるかどうかは疑問だとは思います。
ともあれ、冒険風ライダーさんホントにありがとうございました。

親記事No.1055スレッドの返信投稿
board4 - No.1102

Re:KLANⅡについて

投稿者:平松重之
2001年10月30日(火) 06時35分

<田中芳樹が最近オカシイ
KLAN2が出てるのでかおうと思ったらデカデカと原案田中芳樹となっているじゃあ-りませんか。いつからあんたは自分の作品を自分で書かなくなったんじゃ-!!って感じです。>


 昨日本屋で確認したのですが、25日にスーパーダッシュ文庫(集英社)からKLANⅡ-逃亡編-が出ていました。で、原案・田中芳樹、文・霜越かほるとなっていました(イラストもいのまたむつみに変わっている)。で、後書きとかでの田中氏からのコメントはなし(小説の内容自体は確認する気になれなかったので未読)。
 …何と言うか、田中氏本人が健在で、しかも一旦完結もしていない作品を他人に委ねてしまうというのは確かにどうかと思います…。
 まあ、こうなってしまった以上はKLANは田中作品タイムカウントから外してもいいのではないでしょうか?そうでないと野望円舞曲とかもタイムカウントの中に加えなくてはならなくなりますし。

board4 - No.1103

過去ログ更新のお知らせ

投稿者:冒険風ライダー
2001年10月30日(火) 11時54分

HP「過去ログ資料館」に、
「田中芳樹を撃つ!」4代目掲示板の投稿701~1100番
「ノイエ・ラント light board掲示板」の投稿871~940番
までをアップデート致しました。
 過去ログをまとめて閲覧したい方は上記URLリンクからどうぞ。

board4 - No.1104

いっそのこと社会風刺専門の本一冊書けばいいのにね。

投稿者:大橋小泉
2001年11月03日(土) 08時29分

テロ防止への協力は当然としても、
わざわざ押しかけて忠勤を押し売りする必要はまったくありませんよ。
ジャイアンのご機嫌とりに必死なスネ夫じゃあるまいし、みっともないから
やめてください。
歴史上初めて在任中に自分の写真集を出し、息子を芸能界にデビューさせた首相さま。
現実世界のことですから、キレイゴトだけではすまない、というのはもっともです。
でも「日本人も血を流すのが当然、批判するやつは平和ボケ」という一部マスコミの
論調に賛同するのはちょっと待ちましょう。
マスコミの経営者、重役が自分自身の血を流すを待ってからも遅くありません。
これまでに最前線や過去の責任をとって自殺したマスコミの経営者、重役さんが
いれば教えてください。
  講談社文庫 田中芳樹・土屋守「イギリス病」のすすめ
  文庫版あとがきより

創竜伝13巻は期待できないっぽい。

親記事No.1104スレッドの返信投稿
board4 - No.1105

Re:いっそのこと社会風刺専門の本一冊書けばいいのにね。

投稿者:モトラ
2001年11月03日(土) 16時10分

このHPが、その最終目標「存続理由の消滅による自己否定」をなし遂げる日はまだまだ遠い…てか、田中芳樹の将来はプチ大江健三郎化?

board4 - No.1106

小泉首相

投稿者:スタードくん
2001年11月06日(火) 05時01分

ども、スタードです。

さて今回は創竜伝のコトなんですが、
現在の現実の首相は小泉さんですが、
彼が創竜伝に登場することはあるんでしょうか。
作中では日本の政治家は銀英伝の貴族のように(それ以下?)無能者です。
しかもいかにも嫌ってくれといわんばかりの性格です。
そこにあのさわやか系の小泉さんが登場することは可能なのでしょうか?

1、とりあえず登場せず
あの世界にそんないい政治家なんていません。
したがってそんなキャラ登場しません。

2、登場するけど性格改変
世の中にそんな政治家いるわけありません。
さわやかに見えるが実は極悪政治家である。
裏ではとんでもなく醜悪です。

3、性格そのままだが・・・
偉いとか何とか言われてるが、やってることは普通のこと。
特別褒める事ではないし、そもそもその当然の事が凄く見えてしまう
今の日本の状況が間違ってる。(以下日本罵倒文が三ページくらい)

と、こんなトコでしょうか。
皆さんはどうお考えでしょうか。

board4 - No.1107

どうもはじめまして。

投稿者:ひかる
2001年11月06日(火) 07時29分

なににたいしてかけばよいのか解らないながら、徒然なるままに書かせていただきます。私がこのペ-ジをみてみたいとおもったのは、私に、強く影響を及ぼした田中さんを、別な目で見てみたいと思ったからです。私は、(熱狂的)ファンであるからこそ、なにかしら盲目的になりがちなので、あ-、こういう見方もあるのかという程度で楽しませていただきたいと思っています。

親記事No.1106スレッドの返信投稿
board4 - No.1108

Re:小泉首相

投稿者:
2001年11月06日(火) 17時53分

> ども、スタードです。
>
> さて今回は創竜伝のコトなんですが、
> 現在の現実の首相は小泉さんですが、
> 彼が創竜伝に登場することはあるんでしょうか。
> 作中では日本の政治家は銀英伝の貴族のように(それ以下?)無能者です。
> しかもいかにも嫌ってくれといわんばかりの性格です。
> そこにあのさわやか系の小泉さんが登場することは可能なのでしょうか?
>
> 1、とりあえず登場せず
> あの世界にそんないい政治家なんていません。
> したがってそんなキャラ登場しません。
>
> 2、登場するけど性格改変
> 世の中にそんな政治家いるわけありません。
> さわやかに見えるが実は極悪政治家である。
> 裏ではとんでもなく醜悪です。
>
> 3、性格そのままだが・・・
> 偉いとか何とか言われてるが、やってることは普通のこと。
> 特別褒める事ではないし、そもそもその当然の事が凄く見えてしまう
> 今の日本の状況が間違ってる。(以下日本罵倒文が三ページくらい)
>
> と、こんなトコでしょうか。
> 皆さんはどうお考えでしょうか。

どうも槍です。

4最高の政治家として・・・・・
一番笑えるのが流星の如く参上して、アメリカの陰謀(12巻の最後にでた政権交代劇)打ち崩すヒーローとして登場(爆笑)。
そして竜堂兄弟の良き理解者となる。

と言うかこうならない事を祈りますが・・・。
先ず無いでしょうけど・・・。

親記事No.1106スレッドの返信投稿
board4 - No.1109

Re:小泉首相

投稿者:備前宰相
2001年11月07日(水) 13時42分

> あのさわやか系の小泉さんが登場することは可能なのでしょうか?

週刊ポスト連載の某マンガでは
改革を連呼するが実行が伴わない
国民の人気優先のパフォーマンス宰相とこき下ろされていますが・・・
創竜伝においても似たような設定になるのではないでしょうか

個人的なことを言うと何故あの方が大人気なのか、よくわからないのですが

親記事No.1106スレッドの返信投稿
board4 - No.1110

Re:小泉首相=

投稿者:優馬
2001年11月07日(水) 15時00分

> > あのさわやか系の小泉さんが登場することは可能なのでしょうか?
>
> 週刊ポスト連載の某マンガでは
> 改革を連呼するが実行が伴わない
> 国民の人気優先のパフォーマンス宰相とこき下ろされていますが・・・
> 創竜伝においても似たような設定になるのではないでしょうか
>
> 個人的なことを言うと何故あの方が大人気なのか、よくわからないのですが
>
>

親記事No.1106スレッドの返信投稿
board4 - No.1111

Re:小泉首相=トリューニヒト

投稿者:優馬
2001年11月07日(水) 15時06分

優馬です。お久しぶりです。
久しぶりに書き込みしたらミスりました。
1110は内容を書き込む前にリターンキーを押してしまうお粗末。
失礼いたしました。

> > あのさわやか系の小泉さんが登場することは可能なのでしょうか?
>
> 週刊ポスト連載の某マンガでは
> 改革を連呼するが実行が伴わない
> 国民の人気優先のパフォーマンス宰相とこき下ろされていますが・・・
> 創竜伝においても似たような設定になるのではないでしょうか
>
> 個人的なことを言うと何故あの方が大人気なのか、よくわからないのですが

「改革を叫ぶ見栄えの良い愛国者」という点では、小泉さんはトリューニヒトにそっくりです。今、銀英伝を書けば、トリューニヒトがなぜ人気があるのかもう少し説得力ある描写ができたかも?

現実の小泉さんがトリューニヒトなのか本物なのか、そろそろ判明する時期かもしれんと思う昨今です。

board4 - No.1112

更新のお知らせ、その他

投稿者:本ページ管理人
2001年11月07日(水) 15時47分

サイトの更新を行いました。

#現在私の環境がADSL切り替えで混乱しているため、メールでの連絡が途絶えている可能性があります。
私との連絡の経過が怪しいと思われる方はご一報ください。

board4 - No.1113

冬木涼平

投稿者:lulu
2001年11月08日(木) 06時07分

1980年ごろのSFアドベンチャーに李家豊氏が連載されていた
短編連載「炎の記憶」・「夜への旅立ち」とはどのようなものか
ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。
創竜伝の原型だという話しなのですが、この頃からすでに
社会評論の嵐だったのでしょうか。
ちょっと気になりましたので…

結局完結しなかった様で、この頃から田中氏の無責任ぶりは
培われていたのかな?

親記事No.1113スレッドの返信投稿
board4 - No.1114

Re:冬木涼平

投稿者:
2001年11月08日(木) 08時25分

こんにちわ、皆様お久しぶりです☆

> 1980年ごろのSFアドベンチャーに李家豊氏が連載されていた
> 短編連載「炎の記憶」・「夜への旅立ち」とはどのようなものか
> ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。

luluさん、はじめまして。
ご質問の短編は、1995年に徳間ノベルズから「夜への旅立ち」というタイトルの短編集の中に収録されています。収録内容は、「冬木涼平シリーズ」、「黄金の翼」(銀英伝外伝)、「トラブル・トライアングルシリーズ」他、単独の短編が2つです。
ご質問の「炎の記憶」と「夜への旅立ち」は、「冬木涼平シリーズ」の一話目と二話目にあたるものですね。確か内容は、幼い頃に大火傷を負った大学院生の主人公が、謎の皮膚を移植されたおかげで超常的な力を手に入れ、その秘密を知った日本政治の影の黒幕(笑)に狙われることになり、同志の少女と一緒に戦うようになる…、といったものだったと思います。今と較べると、ちょっと文体や雰囲気作りがまだ若いかな?という気もしますけど、創竜伝とは違い、社会評論がほとんどないおかげで、とても作品に瑞々しい空気を感じたことを記憶しています。ただ、学生運動の気配が作品のあちらこちらに残っていて、全体的に70年代チックに感じるのも、今となっては逆に新鮮に感じられる作品かもしれませんね(笑)

> 創竜伝の原型だという話しなのですが、この頃からすでに
> 社会評論の嵐だったのでしょうか。
> ちょっと気になりましたので…

前述の通り、社会評論はほとんどなかったと思います。ジュニア小説としては、まだ田中氏が荒削りな時期に書かれたものではありますが、特定人物を極端に卑小化したりとか、偏向した社会評論もないので、ジュニア小説と銀英伝が大好きな人にはおすすめできる一冊だとわたしは思います。

> 結局完結しなかった様で、この頃から田中氏の無責任ぶりは
> 培われていたのかな?

これに関しては、田中氏ご自身が理由として「主人公(冬木涼平)が真面目すぎて書きづらい」と、こぼしていたそうです…f(^-^;)。
書き止めた動機はともかく、この頃の田中氏は「連載作家予備軍」のような存在だったはずです。「冬木涼平シリーズ」もシリーズ物の読み切りを何話かSFアドベンチャー誌に掲載してもらった(もしくは、途中で打ち切られた?)という感じだったのではないでしょうか?デビュー前後の読み切り作品にいろんな要素をプラスして、後に連載化されるというのは、漫画などではよくある話ですし、個人的にはこれはOKじゃないかな~、と思います(^-^)
ちょっとこの頃の連載の経緯がはっきりとわからないので、公約破りのはしりかどうか判断するのは難しいかもしれませんね。原型作品が徳間で、創竜伝が講談社であることを考えると、いろいろ憶測したくなるところですけど(笑)。この作品に関しては、「やっぱり創竜伝に社会評論は必要ない!」ことを再認識させてもらういい材料だったということで、わたしは納得していますけど、他の皆さんはどうでしょうか?

親記事No.1113スレッドの返信投稿
board4 - No.1115

Re:冬木涼平

投稿者:lulu
2001年11月08日(木) 09時07分

恵様、お答えありがとうございます。
かつて「ウォーロック」誌に連載されていた神月摩由璃のSF&FTガイド
の中の創竜伝紹介の中に出てきたので気になったものです。

摩由璃嬢が87年のSF大会の銀英伝の部屋にて、この作品の続きを
書いてくれませんかと頼んだところ、
「今のところ銀英伝他の予定が一杯で…、再来年以降にならないと、
書けそうにありませんね…」と答えられたそうです。

ちなみに摩由璃嬢の創竜伝の紹介は
「コミカルで破天荒なストーリーと、時には辛辣な刺をも含む
テンポのよい筆致。権謀術渦巻く銀英伝執筆でたまったストレスを
一気に解消させているんじゃないかと思えるほど、竜堂兄弟を
取り巻く人々や社会に対する作者のスタンスは過激で容赦が無い。
けれど、それでいて突き放したような冷たさが感じられないのは、
やはり作者である田中芳樹氏の優しい人柄がにじみ出ている
せいなのでしょうか」とか。

この人の紹介した作品は正統なSFやFTが多く、私も影響されて
魔法の国ザンスからあしべゆうほのクリスタルドラゴンまで
紹介された本を次々と購入して読んだのですが、
この創竜伝だけはなんとなく違和感があって、二巻以後は
読みませんでした。(7巻まで一気に買ったのに抛りっぱなし)

今にしてみるとその他の紹介された作品と比べるのも
おこがましいような気がします。

board4 - No.1116

対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(1)

投稿者:冒険風ライダー
2001年11月09日(金) 10時08分

 少し前に面白いネタになる田中芳樹関連のタネ本を入手しました。本のタイトル名は「イギリス病のすすめ」。
 この本を知らない人のために簡単に説明しますと、この本は小説ではなく、学習院大学時代の田中芳樹の同期生にしてウイスキー評論家の土屋守と田中芳樹との対談本で、2人でイギリスの魅力について色々な観点から語るというコンセプトで構成されています。何でもこの本、元々1997年11月に社会思想社という出版社より刊行されたにもかかわらず、田中芳樹関連の本としては記録的に売れなかったと言われている、いわくつきの本であり、すでに元本は絶版されているとのことです。田中芳樹ファンでも、この本について知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。
 実は私、田中芳樹のイギリス関連の評論や認識に関しては、かつて「私の創竜伝考察32」で、創竜伝10巻における愚劣なイギリス礼賛論を徹底的に叩き潰した時からずっと気になっていたんですよね。あのいつもの犯罪正当化論的な評論内容のバカバカしさとは別に、中国を礼賛し欧米の価値観を否定しているであろう田中芳樹がなぜそれほどまでにイギリスに好意を持っているのか全く理解できなかったですし、またどんな理由でイギリスが好きになったのかについても興味をそそられたものでしたから。
 そんな折、かの対談本「イギリス病のすすめ」が2001年10月12日に講談社文庫より再販されるという情報を聞きつけ、「あの愚劣なイギリス礼賛論の原点が分かるかもしれない」と考え、わざわざ田中芳樹に再販本の印税を恵んでやったわけです(笑)。そしてその「ケナシ代」を回収するためにも、件の対談本の内容について簡単な予測を立てながら一通り閲読してみたのですが……。
 いやはや、この本における田中芳樹と土屋守の対談内容にはさすがの私も思わず絶句してしまいましたね。何しろ、対談内容に関して私はかなり悪い予測を立てていたにもかかわらず、この2人はそんなものを遥かに凌ぐ愚劣な主張ばかり展開していたのですから(笑)。全く、私ごときがいくら頭の中で田中芳樹の主張内容を予測してみても、現実の田中芳樹の愚行ぶりにはとてもかないませんね(笑)。
 そんなわけで、今回から3回に分けて、対談本「イギリス病のすすめ」における田中芳樹と土屋守の愚劣な主張内容の数々、及びこの本の題名にして主要テーマでもある「イギリス病のすすめ」の正体と実態について検証してみたいと思います。
 では始めましょうか。



イギリス病のすすめ・文庫版 P20~P23
<土屋:
 戦後の日本って、五〇年間ずっと経済至上主義で、「金がすべて」みたいにやってきたでしょ。
 グレンダ・ジャクソンっていう、オスカーを二度とった有名な女優が、六、七年前に労働党から立候補して国会議員になったんだけど、彼女はサッチャーに対する批判として「サッチャーはイギリスにミニ・アメリカを導入した」っていう言い方をしたんだよね。サッチャーの性格に見える「人間の価値を測るのは銀行の預金通帳の残高である」みたいなところは非常にアメリカ的だ、ということで、すごく批判をしたんだ。
 要するに、ここ五〇年から六〇年ぐらいのイギリスは経済至上主義じゃないところにあったと思うんだよね。もちろん一〇〇年前の「大英帝国」は、バブルに浮かれてた日本人といっしょで、世界中のありとあらゆる富を全部一手に集めてしまって、世界一の金持ちだったわけですよ。でもそんなことが続くわけない。ひとりが勝ちつづけることはありえない。地球ってのは有限なものだから、誰かが勝っても誰かが負けるわけですよ。それに気づいて、イギリスはこの一〇〇年でうまく身を引いてきてるんじゃないかという気がするのね。その一〇〇年後に、日本はわずか一〇年くらいで同じことを一気にやってしまったわけだから、反動は当然大きいよね。
 「東京の土地を担保にしたら世界が買える」なんてバカな話を、日本人だけがマジに言ってて、世界中の人間はそれを聞いて「なんてバカな国民だろう」と腹の中では思ってたわけです。そういうことを本気で考える発想が、これはもう、どうしようもなく貧しい、と。だけどバブルがはじけて「大切な物は何か」っていうところに、日本人は今気づきはじめている。まあ、手遅れにならなきゃいいな、と思うけどね。
――:
 身を引いた後の様子もまねできればいいですね。
土屋:
 まねできるかどうかはわかんないけど、とりあえず、日本がこれから進むべき道のモデルがどこかにあるとするならば、ぼくはやっぱりイギリスなんじゃないかな、と思う。アメリカじゃありえないし、ヨーロッパのほかの国をみてもありえないんじゃないかなと。イギリスと日本は共通点がいくつかあるし、メンタリティの部分でもかなり似ているところがあるんでね。
田中:
 二〇世紀に入ってからのイギリスの歴史ってのは、結局のところ「大英帝国の遺産の負の部分からいかにうまく撤退していくか」だったんじゃないかな、と思うのです。第二次大戦後は、実にうまく、ほとんど流血なく植民地から引きあげていってる。非常に象徴的なのが、今回の香港引きあげですけど。(笑)たとえばフランスなんかが、ベトナムとかアルジェリアでずいぶんむだな血を流したことに比べると、すごく上手に「落ちぶれて」いってるように見えますね。イギリスは
土屋:
 そうそうそう。
田中:
 だから、土屋君が言ったように、これからの日本の課題は、ためこんだ金を、どうやって有効に減らしていくかという、そこにあるんじゃないかと思う。とにかくイギリスは、かき集めた金をすごく有効に使ってると思うのですよ。大英博物館ひとつとってもね。日本にもそれができるかどうか……ぼくは自分の作品中に書いたことあるけど、日本の政財界の一番だめなところは、文化芸術に対して、もうまるっきり認識が低いことでしょうね。たとえば日本の銀行屋なんて人たちは、文化とは市場価格一〇億円の絵を五〇億円で買って、地下の金庫に隠しておくことだと思ってるから、もうこれはどうしようもないわけです。(笑)やっぱりイギリスに学ぶべきものがあるとしたら、上手な退場のしかただと思うんですけどね。>


 なぜだか知りませんが、この対談本「イギリス病のすすめ」の中で何度も目の敵のように出てくるのが、上記の文に見られる1980年代の日本におけるバブル景気批判です。しかしこの2人のバブル景気批判は、その発想の出発点自体が完全に間違っているため、批判としても全く見当ハズレなシロモノと化しているところが何とも言えないところなのですけど。
 そもそもあの2人はバブル景気の本質がまるで分かっていません。実はバブル景気というのは、あの2人が散々バカにしている「いつまでも永遠に儲かる」という発想から出発するもので、たとえどんなに投機対象が下らない物であっても「ここに投機すれば永遠に大儲けできる」と信じて投機することこそが最も重要なのです。
 世界的に有名なバブル景気を見てみると、そのいずれもが後世から見るといかにもバカバカしいものに投機が集中することによって始まっていることが分かります。たとえば17世紀に起こったオランダのチューリップ・バブルでは、当時オランダで起こったチューリップの新種作成ブームによって、チューリップの珍品種や完成前の新種に対して投機が集中し、最盛期にはチューリップの球根1つが当時の大邸宅よりも高い値段で取引されるという狂乱状態が出現しました。
 また、以前に「私の創竜伝考察32」で語ったように、イギリスにも「バブル景気」という名前の元となった「南海泡沫会社事件」というバブル景気がありましたし、フランスもアメリカもかつてバブル景気を経験しています。そしてこれらのバブル景気の出発点は全て「ここに投機すれば永遠に大儲けできる」と多くの資産家や投機家が考えて莫大な投機を行ったことにあり、それが投機対象の急激な価格上昇を生み出し、さらにそれが新たな資産家や投機家の参入を促す、という一種の良循環によってバブル景気は支えられたのです。
 しかし、このような動機から生じたバブル景気によって国が衰退したかといえば決してそんなことはありません。バブル景気は国の経済を飛躍的に発展させることによって、投機対象以外の産業発展をも促し、結果的に国民生活水準を著しく上昇させます。そして国民生活水準の向上は、新たな産業や文化を生み出す土壌ともなりえますし、国家としての政治的・社会的安定をももたらすのです。それはバブル景気が発生した国のその後の歴史を見れば一目瞭然でしょう。
 そういうバブル景気の発生事情を全く無視して、日本のバブル景気における土地投機事情を、あたかも日本特有の現象であるかのような印象操作を行って論じるあの2人のバカさ加減には嘲笑を禁じえませんね。

 それと田中芳樹よ、イギリスがカネを有効に使っている例として、以前に私が検証した大英博物館の入館料無料の件を挙げるいつもの無知ぶりもさることながら、よりによってフィクション小説であるはずの創竜伝に書かれた社会評論を「自説の補強材料」として引用してくるとは、アンタも相当にヤキが回りましたな(笑)。これでは創竜伝を擁護するために「創竜伝はフィクション小説なのだから、社会評論も田中芳樹が小説を面白くするために作成した創作である」などと涙ぐましい弁護論を展開していたファンの立場が全くないではありませんか(笑)。
 ちなみに田中芳樹が創竜伝から引用していた社会評論は以下の内容です↓

創竜伝7巻 P128下段~P129上段
<本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>

 実は私が今回「イギリス病のすすめ」の論評を行うことを考えた最大の動機は、この本の中で創竜伝の記述を田中芳樹自身が積極的に引用している個所がかなりの数存在することに着目したからです。このことがいったい何を意味するのか?
 最初に説明したように、今回論評している「イギリス病のすすめ」はフィクション小説ではなく対談本です。そのジャンルの本の中で、フィクション小説である創竜伝の記述を「自説の補強」として利用するということは、創竜伝の社会評論が田中芳樹の本心であり、しかも本人はその内容を「正しい」と信じて疑っていないこと、そして創竜伝における社会評論の方向性が「エンターテイメントとしての創作」ではなく「現実世界に対する批判」を志向していたことを、他でもない田中芳樹自身が暴露していることを意味するのです。
 まあ私自身は、アレらの内容が仮に万が一「エンターテイメントとしての創作」を志向したものであったとしても、事実誤認・事実改竄・意図的な歪曲解釈に基づいた見当ハズレの罵倒や誹謗中傷だらけで構成され、かつ創竜伝のストーリー・作品設定を無意味に破壊しているあの支離滅裂な偏向評論群を許すつもりなど毛頭ありませんでしたけど、あれを「エンターテイメントとしての創作」という前提で創竜伝擁護を行おうと考えている人にとっては、「イギリス病のすすめ」における田中芳樹の自白行為はまさに衝撃的な話でしょうね~(笑)。何しろ、あの自白行為のおかげで、創竜伝の有力な擁護論の前提条件のひとつが完全に崩壊してしまったのですから。
 しかもそれだけではなく、田中芳樹は「自説の補強」としてあの創竜伝7巻の評論を示唆した後に、次のような論評をほざく始末です↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P26
<田中:
 熱心なアニメファンは日本にあこがれてるよ。日本アニメ専門の雑誌がスコットランドでも売られているし、「OTAKU」も知られつつある。(笑)すごく日本アニメにくわしい人を「SUPER OTAKU」というんです。(笑)。>


 ちょっとちょっと田中センセイ、アンタ自分が「自説の補強」としてわざわざ示唆した評論内容をすら読んでも覚えてもいないのですか(笑)。問題の評論で確か田中芳樹はこうも言っていましたよね。「現代日本の富は文化を育まなかった」って。
 田中芳樹が(イギリスの)熱心なアニメファンが日本に憧れを抱いていると絶賛している日本アニメは、まさに現代日本の富が生み出した世界に誇るべき文化のひとつではありませんか。田中芳樹の問題評論を私は全面的に否定しますけど、田中芳樹自身はその問題評論に対して「発言者としての責任」を負わなければならないはずです。その田中芳樹が、かの問題評論の訂正も撤回も総括も反省も行わないで、現代日本の富が生み出した文化のひとつである日本アニメを絶賛するなど到底許されることではないでしょう。
 自分の主張に一貫性のある説得力を持たせたいと思うのであれば、あの問題評論と日本アニメ絶賛論との整合性を考えるか、それができないのであればどちらかの主張を「公式の場で」撤回すべきでしょう。何の説明もなしに自らの主義主張を転向するなど、自らの言動に対する責任を放棄する、人として最低の所業であると認識すべきです。
 「現実世界に対する批判」を目的として、フィクション小説の中にストーリーとは何ら関係のない評論を挿入し、本筋のストーリー・作品設定を破壊しておきながら、その評論に対して責任を負うことすらもなく勝手に自らの主張を変更する。田中芳樹が創竜伝で行っている所業がそのような醜悪な行為であることを、他でもない自分自身で自白していては世話はないですね(笑)。



 さて、対談本の冒頭近くにあった上記の日本評論があまりにもうるさかったのでそちらの論評を優先させてしまいましたが(^^;;)、このへんで少し「イギリス病のすすめ」の評論部分以外の構成と内容について簡単な説明を行うことにしましょうか。いくら対談内容に問題がありすぎるとはいえ、批判ばかりというのも何ですし。
 対談本「イギリス病のすすめ」は6章と対談者2人のあとがきによって構成されており、内容を簡略に並べてみると、

1章 ―― 田中芳樹と土屋守の出会いと、2人がイギリスに興味を持ったきっかけの話
2章 ―― イギリスの食べ物および食生活についての話
3章 ―― イギリスの教育制度や階級制度についての話
4章 ―― イギリスの国内問題についての話
5章 ―― イギリスの歴史と文学についての話
6章 ―― イギリスと日本を対比した政治評論集
「イギリス病のすすめ」あとがき
「イギリス病のすすめ」文庫版あとがき

となっています(ちなみに上記で論評した対談内容は1章に属している)。
 このうち、2章と5章に関しては、日本が全く引き合いに出されないこともあってか、内容的にそれほど大きな問題はありません。むしろ、この辺りは田中作品の作品設定がいかにイギリスから多くの元ネタを採集しているかが垣間見られて興味深かったですね。
 たとえば銀英伝でヤンが紅茶好きだという設定がイギリスの紅茶嗜好を元にしているらしいことや、銀英伝にも登場していたフィッシュ&チップスがイギリスの名物であることなどがこの本の対談で分かりましたし、夏の魔術シリーズで使われている単語のいくつかも出てきていました(例えば「トゥミントール」「アニー・ローリー」など)。田中作品のストーリーを構成するエピソードの元ネタと推測される本が色々と紹介されていたのも興味深かったです。
 1章・3章・4章は、多少日本が引き合いに出されて妙な評論が展開されているところもありますが、内容はともかく量的にはそれほど多いものではありませんでしたし、全体的には本筋のイギリス紹介やエピソード紹介に徹していますから、それほど問題にするほどのものでもないでしょう。個人的にはイギリス紹介もさることながら、田中芳樹がイギリス好きになった理由が「子供の頃にシャーロック・ホームズを読んだから」ということが分かったことが最大の収穫でした。
 で、最大の問題は何と言っても6章とあとがきですね。これらは終始イギリスと日本の対比の観点から論じた評論ばかりで対談が構成されており、日本ばかり論評している評論も少なからず存在します。正直、この6章とあとがきで余計な政治評論などかまさなければ、この対談本もイギリス紹介本としてかなりマシな出来になっていたのではないかと思うのですけどね~。今回論評する問題評論のほとんどが6章とあとがき部分からの抜粋ですし。
 では、いよいよその問題の対談・評論内容について検証してみることにしますか。

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board4 - No.1117

対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(2)

投稿者:冒険風ライダー
2001年11月09日(金) 10時09分

イギリス病のすすめ・文庫版 P166~P169
<――:
 香港か中国の人が、香港の返還について話をしてて、「でもイギリスの教科書にはアヘン戦争についてのことは載ってない」って言っていましたが。
土屋:
 よく分かんないけど、イギリスの教科書にはだいたい日本のこともほとんど載ってないんじゃないかと思うんだよね。(笑)
 アヘン戦争の映画ももちろんイギリスで上映すると思うし、アイルランドの独立の頃の映画もいくつも立て続けに作られたりとかね、それからスコットランドについても「ブレイブハート」もそうだし「ロブ・ロイ」もそうだし、だいたいあの手の映画が作られると、ほとんどイングランド人がよく描かれることってないですよね。でも……今のイングランド人を見てると、非常に寛容な国民だと思う。この寛容さってのはおそらくこの一〇〇年くらいで身につけたもので、ヴィクトリア時代にアヘン戦争を仕掛けてたころのイギリスにはない気質なのかもしれないけど、ああいうものが上映されても、きちんと受け止めて見られるんだよね。
 アヘン戦争のことが教科書に出てないっていうのは、これはイギリスの教育制度の問題であってね。そもそもイギリスの歴史教育って、いつも言われていることなんだけども、レベルがかなり低いんだよね。中学生レベルの人に日本でいうところの歴史常識問題なんかやらせても、ほとんどできない。
田中:
 それと対照的に、日本で習う世界史の教科書で、イギリス中世の土地制度なんてものをえんえんとやってるでしょ。イギリスの学校で日本の鎌倉時代の土地制度なんてやらないよね。(笑)
土屋:
 やったってわかんないよ。(笑)
田中:
分からないよ。生徒から「そういうことをやるのにどんな意味がある?」と問われたら答えられないだろうし。(笑)
土屋:
 アヘン戦争はともかく、イギリスがやった侵略戦争について、イギリスの学校はきっちり教えてないじゃないか、という批判は、ぼくも当たっているとは思う。だけど、それとはまた別の意味で、そういう細かい歴史を教えることが、社会でどうしてもすべてに必要なのかな、って……いやいや、必要だとは思うんだけど。(笑)興味がある人はね、道はいくらでもあるわけですよ。
――:
 隠されているわけじゃないですもんね。
土屋:
 うん、全部公開されているわけだから。隠されているわけじゃないし、そういうことやるなら大学行ってやればいいし。そうなればなったで、ものすごい学問をするわけだから。>


 この2人は何か重大な勘違いをしているようなのですが、アヘン戦争に限らず、またイギリスのみならず日本以外の外国の歴史教育で「侵略戦争の罪悪」について教えられることなどあるわけないでしょう。これはイギリスの教育制度の問題などではなく、第一に国家間における歴史認識の相違の問題であり、第二に歴史教育の存在意義の問題なのです。
 そもそもここで取り上げられているアヘン戦争というのはイギリスと当時の清王朝との戦争です。それぞれの主義主張と利益をかけて互いに対立し、戦った戦争に対して、戦争当事国たる両国が同じ歴史認識を共有することなどありえません。アヘン戦争は中国にとっては確かにイギリスに一方的にいたぶられた、被害者意識をつのらせるような戦争だったという認識なのでしょうが、当のイギリスでは、アヘン戦争を「中国を開国させた意義があった」と評価しているのですし、また実際イギリスにとって多大な恩恵をもたらした戦争でもあるのです。そんなイギリスが、自国の歴史教育でアヘン戦争に対して否定的評価を下すわけがないでしょう。アヘン戦争に関して、イギリスが中国と同じ歴史認識を共有しなければならない理由が一体どこに存在するというのですか?
 それに歴史教育に限らず、外国における初等教育は元々「自国への忠誠と敬愛」を教え、その国に属している国民としての誇りを持たせることを最優先事項として位置づけています。そしてその目的のために、毎日の朝礼の際に生徒に対して自国の国旗と国家に対して忠誠を宣誓させたり、国歌を斉唱することを教えるなどといった、日本の右傾化教育とやらを憂えていらっしゃる田中芳樹が目を剥くような「極右教育」が公然と行われているほどです(笑)。実のところ、日本以外の外国における歴史教育において「歴史の真実を教える」ことなど二義的な問題でしかないのです。むしろ「歴史の真実」とやらを教えることが、初等教育の目的と相反することだってありえるのですから、これはむしろ当然のことでしょう。
 ではなぜ歴史教育というものは必要なのか? どうもこれに関しても田中芳樹と土屋守は、下の対談文で想像力が完全に欠落しているとしか思えない主張を展開しているんですよね~↓


イギリス病のすすめ・文庫版 P169~P171
<田中:
 ぼくは昨今の教科書問題について思うんだけど、歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい。(笑)
土屋:
 だからイギリス人がよくジョークで言うんだけども、彼らは歴史の年号を一つだけしか覚えてないんだって。一〇六六年、イギリスが最後に負けた年……。
田中:
 はいはい、以来負けてない、という……百年戦争のことは忘れたふりで。(笑)
土屋:
 「一〇六六年年以来、おれたちは負けてないから、それだけ覚えりゃいいんだ」ってね。まあ、ジョークだけど。確かに田中の言うとおりで、日本の歴史教科書に載ってることを教えることの意義を先生が説明できるか、っていったら……あれをやることによって逆に歴史嫌いになる生徒を大量に生み出してるんじゃないかと……。
田中:
 その方が圧倒的に多いだろうね。
――:
 田中先生も著作の中で、「世界史の教師は世界史に興味のある生徒を何人育てられるか」って書かれてますね。
田中:
 だから土屋君の言った通り、その気になったらいくらでも調べられるということの方が重要です。とくに公文書を公開すること。教科書以外の本は読むな、という社会の方がおかしいんでね。
土屋:
 そうそう、教科書以外の本を読んでる暇がないのが現実でしょ? 日本の教育というのは。
田中:
 国語にしても同じことなんで……だから一部の文化人が財界人なんかと組んで今の教科書をどうこうしよう、というのは、何か変だなあと思うんです。教科書の持つ強制力を利用しようとしているとしたら、えらく間の抜けた話でね。おもしろい教科書などありえない、それは強制されるからだ、という根本的なことがわかってない。(笑)>


 私に言わせれば「歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい」という発想自体が「そもそもとんでもなくずうずうしい」のですよ、田中センセイ。歴史に興味も関心も持たない・社会科選択教科として歴史を選択しない・理系進学で社会科自体を学ぶことがない生徒にとっては、初等教育で学ぶ歴史授業こそがほとんど唯一の歴史教育であり、それ以降歴史と接することなどほとんどないかもしれないという「根本的なことがわかってない」のですから(笑)。
 確かに歴史に興味と関心のある生徒にとっては、現行の歴史教科書など歴史を知るのには不十分なシロモノでしかないですし、教える側にとって「歴史に興味のある生徒を何人育てられるか」という考え方自体は非常に重要なものでしょう。しかし現実問題として、いくら親切丁寧に教えたとしても「歴史に興味も関心もない、そこそこにこなしていれば充分」と考える生徒は確実に存在しますし、また理系関係に進学したいと考える生徒にとっては、基本的に国語・歴史といった文系教科自体「進学や進路・志望に全くかかわってこないうるさいシロモノ」でしかないのです。そんな千差万別の生徒の価値観を全く無視して「全ての生徒は歴史に関心を持つだろうし、持つべきである」などと主張するのは一種の独善であり、個人的嗜好の一方的な押しつけでしかありません。
 そしてそのような「歴史に興味も関心も持たない生徒」に対しても必要最低限の歴史知識を理解させ、歴史的思考力を身につけさせ、国民としての自覚と資質と養うことこそが、歴史教育の本当の意義であり目的なのです。そしてそのような基礎知識を初等教育において身につけることによって、将来何らかのきっかけで歴史に興味と関心を抱いた時に役に立つことだってあるでしょう。歴史教育が果たす役割としてはそれで良いのではありませんか?
 まあ創竜伝におけるあの3流社会評論を読んでいる限りでは、田中芳樹に自分と異なる価値観を理解することができるような器量があるようには到底思えないのですが(笑)。

 ところで上記の引用対談文についてですが、1996年頃に発生した歴史教科書問題に対して田中芳樹が自分の見解を発言したという事例というのは、私が調べた限りでは実はこれが初めてです。創竜伝の記述の中で、個人的な被害妄想に基づいた、ありもしない日本の右傾化教育とやらに対する批判を行っていた個所ならいくつか存在するのですけど(笑)。
 で、せっかく面白い見解を述べていただいたのですけど、当時の歴史教科諸問題を受けて発足した「新しい歴史教科書をつくる会」を批判するのに「教科書は強制されるから面白くない」云々の話を持ち出している辺りは、残念ながら批判のピントが根本的にズレているとしか評しようがないですね。「新しい歴史教科書をつくる会」は、何も歴史教科書を表面的に面白おかしくするために、歴史教科書を新規に作成しようと考えていたわけではないのですから。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の主張・目的は以下の文に代表されるものです↓

新しい歴史教科書をつくる会・平成9年1月30日設立総会<趣意書>
<私たちは、二十一世紀に生きる日本の子どもたちのために、新しい歴史教科書をつくり、歴史教育を根本的に立て直すことを決意しました。
 世界のどの国民も、それぞれ固有の歴史を持っているように、日本にもみずからの固有の歴史があります。
 日本の国土は古くから文明をはぐくみ、独自の伝統を育てました。
 日本はどの時代においても世界の先進文明に歩調を合わせ、着実に歴史を歩んできました。
 日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探り出し、近代国家の建設とその独立の維持に努力しました。
 しかし、それは諸外国との緊張と摩擦をともなう厳しい歴史でもありました。
 私たちの父母、そして先祖の、こうしたたゆまぬ努力の上に、世界で最も安全で豊かな今の日本があるのです。
 ところが戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。
 特に近現代史において、日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれています。
 冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています。
 世界にこのような歴史教育を行っている国はありません。
 私たちのつくる教科書は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写します。
 私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。
 教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。
 子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書です。
 私たちはこのような教科書をつくり、普及するために必要な一切の活動を力強く推進します。
 私たちの事業に、皆様のご理解とご参加を心からお願い申し上げます。>


 この主張のどこをどう読めば「新しい歴史教科書をつくる会」が「おもしろい教科書」なるものを作成しようとしているように解釈できるのでしょうか(笑)。そりゃ読んでて不快感を覚える既存の自虐とウソまみれの歴史教科書に比べれば「内容的に面白い」ということはあるかもしれませんけど、それはあくまでも結果論の話です。
 そもそも「教科書の強制力」について述べるのであれば、それまでの歴史教科書の方こそが「強制力」を盾に強大な影響力を行使し、国民に自虐史観に基づく原罪意識を刷り込んできたのではないですか。それが教育現場を狂わせ、少年犯罪を激増させる要因のひとつとなったからこそ、日本の歴史教育を正常に戻すことを目的として「新しい歴史教科書をつくる会」は発足されたのです。
 その程度のことも理解できず、昨今の歴史教科書問題を「おもしろい教科書の作成云々」のレベルで論じるとは、冗談抜きで田中芳樹の頭の構造を疑わざるをえませんね。今時これほどまでに理解力の欠如した御仁もなかなかいないのではないでしょうか(笑)。

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