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- board4 - No.290
Re:小説「掲示板伝」の感想とか
- 投稿者:モトラ
- 2001年06月19日(火) 19時14分
田中芳樹の小説における悪役のような描き方をされたあなた自身が、その記述に立腹されたという事実が、創竜伝の問題点を物語っていますね。他人のときには痛痒を感じることなく、いざ自分のこととなると反発する、あなたの心の狭さです。もっとも、すべてを自己に都合が良いようにしか解釈できないあなたには、理解不能かもしれませんが。人生&社会勉強をして、出直してきなさい。
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- board4 - No.291
Re:小説の感想
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月19日(火) 21時13分
これと田中芳樹氏の小説だと、かなり違う気がしますね。これは、読む人を楽しませるための文じゃない、と。
読んでいて痛快な勧善懲悪になってれば問題なかったが、これでは、つまらない陰謀を見せられてるだけ、肝心要の殺陣の部分がない。
ここは一つ、ヌンチャクを振り回しながら殴り込んだのだから、「ランデル」と「へびいすのっぶ」のスタッフを倒す場面をしっかり入れたらいいと思う。
陰謀と殺陣は二つで一つ。陰謀で読者のストレスを高めておき、殺陣でそのストレスを解消する。この繰り返しが面白さの一つだと思うんですが、どうでしょう?
-
- board4 - No.292
ランゼルさんへ。最後にこれを読んでいただければ幸いです☆
- 投稿者:恵
- 2001年06月20日(水) 05時44分
恵です☆
ランゼルさん、議論打ち切りの件、了解しました。
結論の出ない中途半端な形になってしまって残念ですけど、あなたなりに納得されたなら、それはそれで結構なことだと思いますので、無理に続きを書いて下さいとは言いません。ただ、あなたの最後の書き込みが気になったので、ちょっとだけ最後の意見を言いますね。
新Q太郎さん作の小説「掲示板」を読まれて、
「なんだ、結局ここの人間も、自分たちの批判してる田中芳樹氏と同じことをしてるじゃん。それを誰も批判しないし、ここは「田中芳樹氏限定」批判っていう、底の浅いサイトか。正体わかったから、もうや~めたっと」
という趣旨の結論を出され、ランゼルさんは身を退く覚悟をなさったようですね。(わたしの勝手な解釈です。違ってたら遠慮なく言ってください)
確かに、はじめて小説「掲示板」を読んだとき、わたしも最初は「ちょっとやりすぎじゃないかなぁ?」と思いました。でも、私事で忙しいという理由もありましたけど、あえてわたしはそれを指摘しませんでした。
なぜなら、やりすぎの観があるとはいえ、あの創作はあなたの主張の本質をついた上での、(田中氏のやり方をあえて模倣した)確信犯としての強烈なカウンターパンチが目的だったからです。そして、もっと思ったのは、
「なぜ、新Q太郎さんはあのようなグロテスクな創作を書かねばならなかったのか?」
の意味を考えれば、あれはランゼルさんへの
「あなたが主張していること(勧善懲悪物、フィクションだから・小説には書いてはいけないというルールがなければ問題ない)は、こういうことなんですよ」
という、極端ではありながらも、一番効果的な手法による教示に他ならないことです。たぶん、「もし~みたいに書かれたら嫌でしょう?」とifの話を数行で書かれても、ランゼルさんもピンとこなかったのではないでしょうか?そして、ものすごく言い難いことで申し訳ないんですけれども(でも、これを一番言いたいんです)、
わたしは新Q太郎さんにあそこまでさせたあなたの主張そのものに、ものすごい「業の深さ」を感じてしまいます。
(注:この言い方、過去ログで誰かが田中氏に対して使っておられましたね。とても気に入っている表現なので、ここで活用させていただきますf(^_^)
ですから、あの創作に対して観懲懲悪物としてのストーリーの正当性が云々という問題は枝葉の問題で、もっと新Q太郎さんの真意を汲んで、ご自分の主張の問題点と本質を理解していただきたかったと思います。
それが、
「自分たちの批判してる田中芳樹氏と同じことをして」、
「それを誰も批判しなかった」
理由なんです。
ランゼルさんがこの考えを相容れないものだと思われたのなら、「今までの議論、お疲れ様でした。もう、わたしからは何も言うことはありません」という言葉でしめくくらせていただきます。よろしくご了解お願いしますね。
ではでは☆
- 親記事No.259スレッドの返信投稿
- board4 - No.293
Re287:「機会の不平等」の問題
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年06月20日(水) 12時30分
<するような環境を作り上げてしまうという管理者側の責任問題に言及するなら、それは大きな問題ですね。ただ、「カンニングの横行」とおっしゃいますが、事前の問題の提示とノートの持込可というのが前提条件となっている以上、それはカンニングにはあたらないと思います。試験前のノート丸写しなどは、賞揚される行為ではありえませんが、不正行為とも言えないと思いますが。>
あの~、竜堂始が取っている教育方針は、その「事前の問題の提示とノートの持込可という前提条件」が、いかに「試験前のノート丸写し」のような不正行為を構造的に容易なものにしてしまうかが問題なのではないのですか? しかもそのような不正行為が「教育方針」の名の元にカンニングとして認定されないとしたら、法的な制約がなくなって不正行為がやりたい放題になるわけですから、竜堂始の教育方針はそれこそ「カンニング容認論」以外の何物でもないということになってしまうではありませんか。
それに竜堂始が選択科目のひとつとして担当している世界史だけでこのような不正行為が横行するというのは、他の選択科目のバランスという観点から見ても問題なのではありませんか?
大学入試センター試験などでも毎年問題になるのが、社会科の選択科目間の総合平均点数格差です。センター試験などでは日本史も世界史も地理も同じ「社会科」として扱われ、異なる選択科目で同じ点数争いが行われるのですが、選択科目によって難易度に差があったり、4択問題のような選択問題の数が選択科目によって異なったりすると、例えば日本史と世界史との間で20点近くも点数格差が開いたりする事があるのです。つまり、試験に不利な選択科目を選んだ人は、その科目を選択する時点で大きなハンディキャップを背負わなければならないという「機会の不平等」が存在するわけです。
竜堂始の教育方針はこの選択科目間のバランスを大きく突き崩す要素を多分に孕んでいます。あのカンニング行為が横行することになれば、世界史だけが異常なまでに総合平均点が上昇し、他の選択科目との間に大きな平均点数格差(最低20~30点以上)が生じる事はまず間違いありません。しかもこれが実力の結果ならばまだしも、世界史選択者の大半が、他の選択科目を選んだ生徒達には決して許されることのないカンニング行為によってバブル的にのし上がるだけでしかないのですから、世界史以外を選択した生徒達にとってこれほどまでに不当極まりない話もないでしょう。
これでは世界史以外の選択科目を選んだ生徒達の不満を蓄積させ、彼らの勉強意欲をも削いでしまう結果を生じさせてしまうのではありませんか?
<始の試験方法について不備があるという指摘は否めないということは納得しました。この方法だと、生徒側のある一定以上の倫理的規範が前提になければ成り立たないかもしれません。入学時の選抜を厳しくする事によって、ある程度はカバーできると思いますが根本的な解決ではありませんね。ただし、この件を持って直ちに「バカな教育方」とはやはり断じられないと思います。その実行において不備があっても方針それ自体が全否定されるたぐいのものではないように思えます。>
まああの御仁が主張している「歴史が好きになる生徒をひとりでも多く作る」という主張に関しては私も賛同する点もあるのですが、いかんせんその手法があのような穴だらけの試験方式というのではねえ……。まあ竜堂始の教育方針から「事前の問題の提示とノートの持込可」を抜いてしまったら、今度は成績優秀者以外誰もついてこれないような高難易度の試験方式になってしまうのでしょうが。
本当に「歴史が好きになる生徒をひとりでも多く作」りたいのであれば、試験方法ではなく教え方をこそ工夫すべきだと思うのですけどね。例えば授業時間の一部を割いて、歴史授業とは関係のない歴史的人物の話や歴史上における有名なエピソード話を披露してみるとか。
まあ東郷平八郎を指して「一局地戦の指揮官」などと平気でほざくような奴に、そのような芸当を期待するのは無理というものですが(笑)。
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- board4 - No.294
Re:あいや待たれよ、お帰りになる前に
- 投稿者:dp
- 2001年06月20日(水) 16時54分
すみません、通りすがりのものなんですけどちょっと気になったんで。
> 刳り返しますが、私は新Q太郎作の「掲示板伝」を
>
> 「現実のタナウツ掲示板について語りたいなら、
> その事について語ればいいだろう」
> 「小説という形にするのは卑怯」だ。
> 「今時このような物言いをする人物が居るのだろうか」
>
> だと思います、完璧に(笑)。しかし最後に「創竜伝と同様に」と付け加えたいのです。そのへんは如何??
他にやってるやつがいるから自分もやってもいいということですか?
相手と同じ手法をもって批判とするのも、繰り返しになればただの中傷では? 管理人さんが「小説だったら許される?」でもうやってるんですから、あえて繰り返す必要もないんじゃないですか?
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.295
Re:あいや待たれよ、お帰りになる前に
- 投稿者:通りすがり人γ
- 2001年06月20日(水) 18時35分
> 他にやってるやつがいるから自分もやってもいいということですか?
> 相手と同じ手法をもって批判とするのも、繰り返しになればただの中傷では? 管理人さんが「小説だったら許される?」でもうやってるんですから、あえて繰り返す必要もないんじゃないですか?
しかし、それが『小説』だ、とするのが争点だったんじゃないでしょうか?
あるいは、それが『小説』であっても許されない、とする立場か。
何故繰り返したのか、の答えはそこにあるように思われます。あえて強調するとすれば、管理人さんの例を、対象を本人に置き換えてもまだ許容範囲なのかを判断する為の投稿と言う点ではありませんか。
ただ気になるのは、対象者に対して正当か不当かを判断させる為の例であったにもかかわらず、どちらかというとランデルさんに場違いであることを示すだけに終わっている気がする点です。そもそも『田中芳樹を撃つ! 掲示板』はアンチ田中芳樹派・田中芳樹派の立場に関わらず議論をするためにあるのだと思っていましたが、今回の論議を見る限りでは、
「もともとアンチ田中芳樹派の拠点として『タナウツ』があるのであり、『タナウツ』に不快な人はお断りです、他のファンページの方に行ってください」
と言った感じを受けました。田中芳樹派(あるいは非タナウツ派)の人にとっては、『タナウツ』はアウェイに当たるわけですから、例え不当ではないにしても挑発行為はできるだけ控えるべきではないでしょうか。今回の場合で言えば、例えその例に対して反論を持っていたとしても、「ここでは所詮、聞く耳を持たないのだな」と判断してしまえばせっかくの反論が聞けないように思えます。
今回の「掲示板伝」では、不当な中傷だったとは思いませんし、正当な例示だったと思いますし、有効な説明だったとも思います。しかし、それでも適切な方法だったとは思いません。なぜなら、『タナウツ』は田中芳樹派(非タナウツ派)には居づらい場所だからです。
結果として、「掲示板伝」は辛抱して説明することができなくなった方(方々)が、ランデルさんを閉め出したように見えます。ランデルさんに精神的体力が足りなかったとも言えますが、議論をするのに精神力を要求するのはいかがなものでしょうか。感情を配慮した議論などあり得ないのかもしれませんが、堂々と『田中芳樹を撃つ!』と看板を掲げた店で、中立性が保たれているようには見えません。
まぁ、そう言うわけで、私は必要性はあったと思いますし、中傷でもないと思います。しかし、やっぱりベストな選択だったとも思いませんね。
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.296
Re:あいや待たれよ、お帰りになる前に
- 投稿者:モトラ
- 2001年06月20日(水) 19時09分
とりあえず、292番の、恵さんの書き込みをごらんください。そこにあなたへの返答が書かれておりますので。ランゼル氏にほんの僅かでも自省心と想像力があれば、あのようなSSも必要はなかったでしょう。
それから、一見同じように見えても、安全圏にこもったままの罵詈雑言の限りを尽くす田中芳樹と、同じ掲示板上で、相手の反発を覚悟の上で書き込み、なおかつそれを真正面から受け止めた新Q太郎氏とは、雲泥の差があります。
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.298
Re:あいや待たれよ、お帰りになる前に
- 投稿者:dp
- 2001年06月20日(水) 20時06分
すいません、[297]、モトラさんの発言聞かないで書き込んじゃったんで不適切かと思って削除させてもらいました、本当にごめんなさい。
通りすがり人γさん、モトラさん、言葉足らずの戯言に返信どうもありがと。小説と言う体裁を取って、これはフィクションですってつければ何を言っても許されるわけじゃない、という趣旨の意見を「田中芳樹を撃つ!」に賛意を示す人は持ってるんだと思うし、僕もそれは同感なんですよ。で、それを示す最も効果的な方法として、管理人さんはあえてタブーに触れる形で「小説だったら許される?」を書いたんだと思うんです。そこまでは理解できるんですけど、今回の掲示板での件のように、自分たちが否定した手法を用いて相手に反論するというのは、どれほど論議の上で有効な反論だったとしても控えるべきだったんじゃないかと思ったんです。特に今回のランゼルさんがらみの論議では、どう見てもランゼルさんの方に理がなかったことが明らかだっただけに、あえて「掲示板伝」などを書く必要があったのかと思ったんです。だってここの常連さんたちこそ、フィクションの陰に隠した批判の有害性をいちばん良く知ってるはずじゃないですか。もっとも、正当な理由があればこんな方法もアリって皆さん考えてるんだったら、何にも言えませんけどね。目には目を、歯には歯を?
> それから、一見同じように見えても、安全圏にこもったままの罵詈雑言の限りを尽くす田中芳樹と、同じ掲示板上で、相手の反発を覚悟の上で書き込み、なおかつそれを真正面から受け止めた新Q太郎氏とは、雲泥の差があります。
僕は心構えの事を問題にしてるんじゃないです。乱暴な言い方になりますけど、「殴られたらおまえだって痛いだろ」と言って、痛みを相手に教えるために、同じように相手を殴るのはOKと思ってるのかと聞きたかったわけで。それはOKだ、と言うんだったら僕はそれで納得します。それと、安全圏と言っても、田中芳樹は自分の名前を出して小説を発表しているわけなんだから、批判しようと思えば「小説だと言えば何を書いても許されるわけじゃない」って出版社に書面で送る事もできるし、こうやって皆で話し合って批判をする場所だってできてるじゃないですか。田中芳樹にどれほどの覚悟があるのかないのかしらないけど、条件は同じじゃないですか?
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.299
Re:あいや待たれよ、お帰りになる前に
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月20日(水) 20時27分
> 他にやってるやつがいるから自分もやってもいいということですか?
新Q太郎さんは、このことを「やってはいけないこと」だと思いながらやっているように見受けられる。これにランゼルさんがどのような反応をかえすかで、ランゼルさんの勧善懲悪云々の議論がすすむ(もしくは終わる)からだと思いますよ。
> 相手と同じ手法をもって批判とするのも、繰り返しになればただの中傷では? 管理人さんが「小説だったら許される?」でもうやってるんですから、あえて繰り返す必要もないんじゃないですか?
これは、いくら言ってもわからないなら「自分の身でやられてみろ」ということだと思いますよ。
実際、ランゼルさんは不快に思われたようですし。これをもって、ランゼルさんの「勧善懲悪なら許される」という説に終止符をうったわけです。
しかし、相手は(こういってはなんだが)たかがフィクション。その中で自分に役立つものだけ取り込み、それ以外は気にしなければいいのに……。「たかがフィクション」この気持ちがあるかないかで随分と見方がかわると思うよ。
-
- board4 - No.300
フィクション小説の中に批評・思想
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月20日(水) 21時52分
これはフィクション小説の中に、批評・思想を書くことに対しての考察であり、田中芳樹氏の書いている批評・思想の善し悪しではないことを先に断っておきたい。
小説の中に批評・思想をいれて何が問題なのかと考えてみた。
ここでは大きく分けて三つのことがのべられている(他にあったら指摘して欲しい)。
壱、批評・思想を入れると、物語の構成が乱れる。
弐、批評・思想が事実と違ったことを言っている。
参、批評・思想を不愉快に思う人がいる。
まず壱。これは作者の筆力不足。小説の中に批評を入れても面白くなるモノは面白くなる。これがフィクション小説の中には批評・思想をいれてはならないの理由にはならない。
次に弐。これは作者の調査不足。きちんと調べていれば、事実と違ったことを(間違って)書くことはなくなるわ。わざと物語を面白くするために、事実と違うことを書く人もいるだろうが……。
いわばこれらは、特定の作者に対する理由であって、フィクション小説全体としての理由にはなりえない。最後の参こそが一番大きい理由に思われる。
すなわち、その批評・思想で不愉快に思う人がいる、ということである。しかも、それにたいして抗議しようにも、相手がフィクションだと言っているのでそれができない。
もっと言うならば、誰も不愉快にしない批評はありえない。娯楽小説であるはずなのに、読んでいて不愉快になる者がいる。これでは娯楽小説失格だ。
たぶん、こういうことを言いたいのではないのだろうか。
参に対する明確な反論は難しい。
例えば「暴力シーン」を不愉快に思う人もいるわけで。ドラゴンボールを読んで、「この漫画の暴力シーンは嫌だ」と言われたら「じゃあ、読むなよ」としか答えようがない。
ドラゴンボールの暴力シーンは必要だが、娯楽小説の批評・思想シーンは不要だ、というのは個人的な見解にすぎない。
それに娯楽というのは難しいもので、「過度の暴力」を面白いと感じる人もいるわけで、「過度の批評・思想」も面白く感じる人もいる。
以上のことをふまえて、フィクション小説や娯楽小説で批評・思想を書くのは問題ない、という結論に達したのだがどうだろうか?
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.301
感想の自己解説+個別レス
- 投稿者:ランゼル
- 2001年06月21日(木) 04時12分
こんにちわ、ランゼルです。
え~と、なんだか私の感想が変な風に解釈されてるみたいですね。解説した方が良さそうなので、その点だけ。
最初に書いておきますが、別に私、立腹なんてしてませんよ(笑)
以下、解説しておきますと
> 掲示板評論として現実のタナウツ掲示板について語りたいなら、その事について語ればいいだろうに、小説という形にするのは卑怯だ。
は、オズマさん他風
> 今時このような物言いをする人物が居るのだろうか?
は、管理人さん風
> 人を倒す理由が「面倒くさくなった」とは何を考えているのか?この新Q太郎氏は偏っている。
は、冒険風ライダーさん風の想像批判だったのですが、新Q太郎さんが同意されたことから、私のイメージしたこのHPの特徴は、そう間違っていなかったと言うことでしょう。
で、これがこのHPの特徴なら少なくとも掲示板に書き込まれた小説なら、(誰でも読めるのだから)批判の対象になるのが普通でしょうに、それをしないのは、田中芳樹氏以外の作者には批判の意欲が、或いは批判が書き込まれた時に同意の感情が湧かないからだと思ったわけです。
従って、私自身の小説に対する感想とは別物ですよ。
私が上記の事を考えながら小説を読む、つまり、フィクション小説を現実に対する批判と考えて読む人間なら、そもそも「ランデル」が悪役の小説の感想なんて書けないですよ。
どうやら、読みとってもらえなかったようですが(笑)
ランゼルをキャラクター名に使うのなら人物同定の問題が出てきますが、ランデルなら悪くはないのでは?
ちなみに、私があの小説をフィクションだから問題なしと明記しなかった理由は二つ。
一つは、田中芳樹氏風小説としては問題なくても、一掲示板の参加者が、一掲示板の参加者を元ネタに小説を作る。良くあることですが、小説風という方法自体は、個人攻撃の正当化に繋がりかねないので、一参加者が一参加者に対してやる場合は、十分な注意と掲示板参加者の了解(特に元ネタにされる相手の信頼)が必要だと思ったからです。今まで議論に参加すらしていなかった人が唐突にやるのは、かなり問題でしょう。
もう一つは、私が管理人さんの小説と違い、小説として楽しめませんでしたので。やはり、楽しめないのは問題でしょう。それが私だけの意見でないのは、皆さんの書き込みを見ている限り、あの小説を楽しんだと書かれている人が居ないのが証拠になるかと。
解説すれば、以上のようになります。
そんな感じなので、やはり私は場違いですね。
個別レス。
新Q太郎さん
私は最初からB)ですよ。もちろんそれだけではない人もいるでしょうが、世の中にはエンターテインメントと割り切って読んでる人間もいると言う事で、納得していただけると、嬉しいですね。
恵さん
「業の深さ」を感じてしまわれましたか、それは申し訳有りませんでした。ですが、自分の主張の問題点と本質を理解するのは無理のようです。私にとってはフィクションと見れば基本的に問題なしですので。議論、お疲れさまでした。
モトラさん
初めまして。立腹しているという前提が違うのだから、発言撤回よろしくお願いしますね。特に私と違って「人生&社会勉強をした」お人なのでしょうから。
それでは皆さん、短い間ながらもお付き合いいただき、ありがとうございました。
-
- board4 - No.302
中立性について☆
- 投稿者:恵
- 2001年06月21日(木) 04時43分
恵です☆
今回はちょっとだけ。
<通りすがり人γさん
<感情を配慮した議論などあり得ないのかもしれませんが、堂々と『田中芳樹を撃つ!』と看板を掲げた店で、中立性が保たれているようには見えません。
あの~、これはサイトの管理側の立場の人間が一方に肩入れしたときでないと使用できない言葉だと思うんですけど。
参加者の発言だけでもってサイトの中立性を語るのは良くないと思います。
-
- board4 - No.303
悩み
- 投稿者:モアイ
- 2001年06月21日(木) 07時10分
初めまして、はじめてこのホームページを読んで面白かったです。
何しろ今まで田中 芳樹氏に好意的なものしか見た事がなかったからです。あるとしたら、作品の発表が遅いという程度ぐらいでしょう。
でも、このページでは批判されていて新鮮です。
ところで、創龍伝ですがあまり主人公が悩みませんよね。ヤンのようには。作者が意図的にあまり悩まないスカッとした主人公にしたかったのかも知れません。
でも、銀英伝のように悩みの部分がでてくると創龍伝も面白かったと思うのですが。
- 親記事No.274スレッドの返信投稿
- board4 - No.304
Re:感想の自己解説+個別レス
- 投稿者:モトラ
- 2001年06月21日(木) 11時00分
…読解力、想像力ともに不足いや欠落した自己正当化の権化である、あなたに語りかける言葉は、既に尽き果てました。お元気で。なお、立腹していようといまいと、私の発言の趣旨がずれるとは思えませんので、撤回はしません。
-
- board4 - No.305
掲示板伝異聞・2001
- 投稿者:0622
- 2001年06月22日(金) 03時06分
掲示板伝について思ったのだが、あのような文章を論議の相手に示すという行為は、結局理屈で相手を納得させられなかったから実力行使に出た、という側面を持っているのではないだろうか。たとえば、私がどんな場合でもあのような事をするべきではなかったという主張をする時に、次のような「小説」を送ったらどのような思いを皆さん抱くだろうか。笑ってくださるのならばそれはそれでいいが、悪質な中傷と取るのなら遠慮なく削除して頂きたい。名前をキーにしておくから。
掲示板伝異聞・2001
呼んだわけでもないのに梅雨という名の訪問者が訪れてから数週間。ひさしぶりに爽やかな青空が街の上空を覆った六月末の日曜日。この三日間の雨で埃も洗い流されて、まさに散歩日和といった気持ちのいい昼下がりであったが、彼の部屋は固く遮光カーテンに覆われていた。
おそらく普段から締め切られているであろう澱んだ空気の中で、散乱する異常な量の書籍やCD、食べかけのジャンクフードや丸められたティッシュペーパー、なにやらぎっしりと走り書きがされたメモ用紙などが散乱していた。それらをかろうじて押しのけるように、隅の方がかすかに黄ばんだ敷布団が顔を出している。彼はそこに寝転がって、一心不乱に本を読んでいた。
彼は一見どこにでもいるような、特徴のない青年に見えた。どちらかといえば整った顔立ちともいえたが、希少価値を主張するほどでもない。黙って微笑んでいれば、あるいはちょっと話しかけてみようかと考える女性もいるかもしれなかった。だが、ぎりぎりまで顔に近づけた新書判に隠された彼の目は、奇妙に歪んだ光を放っていた。思い出したようにぶつぶつと呟きながらも、片時も本から目をはなさず、ずらりとならんだ活字の列を追いつづけている。
彼は孤独だった。異常なまでに頑なで、自己主張ばかり強く、他人と意見が衝突すると、相手を屈服させなければ気がすまないという性格の彼は、当然友人もほとんどいなかった。頭の回転だけは速かったので、論争になると彼は無類の強さを発揮した。もっとも彼は気付いていなかったが、彼のしつこさを知っている者は、本当は納得していなくてもあっさりと彼の言い分を認めて話から降りてしまうということがほとんどだった。彼にとっても周囲の人間にとっても不幸な事に、相手の思いを汲み取る想像力が、彼にはまったくといっていいほど欠如していたのだ。最近では家族すらも腫れ物に触るように彼に接した。
正論を吐いて相手を打ち負かしたい、そんな思いを抱いて日々鬱々としていたが、だいたい、回りには彼の話をまともに聞いてくれる人物がもういなくなっていた。それに正論はしばしば暴力を誘発する。非力な自分は純粋に暴力のぶつかり合いになったら勝ち目はない。なんとか、安全圏から無知な相手を圧倒する方法はないだろうか……。
それがあったのだ。インターネット、あの電子の海の向こう側には無知蒙昧なやからが自分に論破されるためにうようよしている。なぁに、多少相手の神経を逆なでするような事を言っても、あいつらは手を出せないんだ。だいたい、間違った事をいうのが悪い。物の通りの分からない非論理的なバカどもは俺に何を言われても仕方がないんだ。むしろ、間違いを指摘されて、自分の無知を知ることができるんだから俺は感謝されてもいいくらいだ。かしこい俺の理論は世界一ィィィィィ!!
そうして彼は連日のようにパソコンのモニタに向うのだった。彼にしてみれば水を得た魚といったところだったろう。暴力で彼の口を封じようとするものもおらず、彼の語り口は日々過激なものになっていった。その発言は周囲から疎まれ、反感を買ったが、彼は意に介さなかった。自分は間違っていないのだから……。だが、自分の高度な論理性に裏打ちされた高邁な思想を小人どもが理解できないのも、これまた仕方ない話だ。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやともいうではないか……。
さて、インターネットを始めた彼が、足繁く出入りをしたのは「T・Yに喝!」というサイトであった。このサイトは、もともとは日本で有数の人気作家であるT・Yの著作に関して、作品論・ファン論などを論じ、また彼の執筆態度に苦言を呈するための場所だったが、現在は彼の人間性をあげつらったり、小説内の人物のセリフや行為などの論理的破綻を嘲るためだけの場所と堕していた。微に入り細を穿ち、T・Yの著作の怪しげな個所を書けば書くほど、その掲示板の常連は彼の事を誉めたたえた。他の場所では蛇蠍のごとく嫌われている彼も、この場所でだけは受け入れられたのだ。
彼はわずかでもT・Yに好意的な意見を書きこむ者に対して、徹底してつぶしにかかった。些細な矛盾点を的確に、しかし常軌を逸した激しさで指摘し、自分に都合のいい部分だけを取り出して徹底的に責めたてる。常連たちにもっと認められたかったからだし、それ以上に徹底的に相手を痛めつけることが嬉しくてしかたがなかった。さらにはT・Yの偽善性を散々言い立てたくせに、自分が相手の人間性を否定し傷つける快感は、相手の目を覚まさせるためと称して糊塗していた。
彼や、彼の理解者たる掲示板の常連たちが、ご自慢の膨大な知識と論理性を武器にどれだけ責めたてても相手が屈服しない場合、「もう少し社会というものを勉強されてから出なおされては?」と捨て台詞を投げつけるのもごく日常的な行為であった。また、ここではT・Yに与するとみられる人間は、その考えを改めると明言し、今まで逆らってきた事をわびた文章を提示しない限り、かしこい彼らと同等に口を利くことも許されないのである。
彼が最も好んだ反論の方法は、相手の名前ははっきりと書かず、しかしそれと分かるように中傷して、最後にこれはフィクションである、と締め括るというものであった。実はこの方法は、T・Yが小説の中で度々挿入する社会評論めいた文章が原典なのであった。彼はT・Yがフィクションに名を借りた批評を世に送り出していると異常な激しさで非難しているくせに、そのグロテスクな模倣をもって相手の反論を封じ込めるような行為を是としているのである。
これは恥とか慎みとかいう概念を持っている人間だったら目を覆いたくなるような醜悪な行為のはずなのだが、彼は気にとめる様子もなく、「T・Yと同じ事をやったまでです。腹が立ちましたか? でもこれは小説なんですからね、フィクションですからね。これで怒ったということはあなたのダイスキなT・Y先生を否定する事になりますけどいかが?」「ワタシだってこんな言い方はしたくなかったんですが……。優しいワタシにこんな事を言わせたご自分の発言の業の深さをこそ憎んでくださいネ」などと言ってのけるのだ。
さらにはあまりに理不尽な中傷に居たたまれなくなって、掲示板から去る事を表明する者がいると、「ワタシが親切にあなたの無知を指摘してあげているのにそのことが理解できないとは残念です。ま、あなたの乾燥ワカメなみの想像力では仕方がなかったかもしれません。ご自分のココロの矮小さを自覚なさったら、またオハナシしましょうね」などと畳み掛けるのである。そんな時彼は不毛な勝利感に酔って、げばげばと気色の悪い高笑いをあげるのであった。まことに自分の正しさを信じて疑わない者はたちが悪いのである。
今日も彼はT・Yの本を読んでいる。これまで散々非難してきたのだから、読むのをやめてもよさそうなものなのだが、傲岸不遜なT・Yと、その薄っぺらな思想に洗脳された愚かな信者どもを正道に立ち返らせるためには、それが必要な事だと彼は信じている。T・Yは遅筆なために、彼がT・Y信者を折伏してやる新たな材料がなかなか増えないのは残念で仕方がないのだが、そのことですらかの掲示板では批判の種となるのだから笑いが止まらない。
T・Yの著作の中でも最も人気のあるシリーズのひとつである「興竜伝」はもう何十回も目を通している。しかし努力家の彼は新たな批判のネタを求めて、何度でも血走らせた目で読み込むのであった。ふと、彼の喉からいやらしい含み笑いがこぼれた。どうやら、今いちばん煩いT・Y信者を「諭す」ための、新しい「フィクション」のプロットを得られたらしい。彼は周りにうずたかく積み上げられた有象無象をかきわけて、愛機のFMV-DESKPOWERを起動させるのであった。これでまた掲示板の常連たちのお褒めにあずかることができる。そう思うと彼の含み笑いは徐々に大きくなって、全てがゆっくりと腐っていくようなこの部屋のどろりとした空気を波立てるのであった。
廊下では遅い昼食を知らせに来た彼の母親が、怯えたような顔をして彼の部屋のドアを見つめて佇んでいた。ドアには何かのアニメのキャラクターらしいシールがはってある。レオタード姿の金髪少女が大きすぎる目ではじけるような笑顔を彼の母親に返すのだった。
※この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておきます。
- 親記事No.305スレッドの返信投稿
- board4 - No.306
Re:掲示板伝異聞・2001
- 投稿者:ROMXX
- 2001年06月22日(金) 04時34分
> 掲示板伝について思ったのだが、あのような文章を論議の相手に示すという行為は、結局理屈で相手を納得させられなかったから実力行使に出た、という側面を持っているのではないだろうか。
横槍でもうしわけありませんが、0622さんは『掲示板伝』の書かれた動機をそもそも誤解しておりますまいか。
そもそもランゼル氏の主張である
『創竜伝における悪役の卑小な描写は竜堂兄弟を相対的に偉大な存在にするために必要なもので、そもそも勧善懲悪的な小説において「悪役」が卑小かつ下劣な描写をされることに何の問題があるだろうか』
これは、この掲示板のコモンセンスとして存在する
『悪役のモデルとしてあからさまに実在の人物および事件を想定し、かつこれを一方的な情報の取捨選択によって貶め、しかもフィクションという防壁をつくることで反論を封じるのは誹謗のやり口として相当に卑劣なものだ。小説であるという名目は、実在の人間に対する誹謗中傷に関する絶対の免罪符ではない』
これにあからさまに抵触していたはずです。
また、掲示板の常連たちが数度このコモンセンスを提示したことに対するランゼル氏の反応は一貫して、
『たとえ現実の人間がモデルであったとしても、フィクションであることを明示する限り、卑小な悪役として人格を貶められたところで現実の当人の名誉が傷つけられるわけではない』
というものだったように思います。その結果、
『ではフィクションとしてランゼル氏をモデルに卑小な「悪役」を書いてみたが、貴方の名誉、自尊心はまるで傷つかないだろうか』
このような思考実験として「掲示板伝」が書かれたという経緯だったと記憶していますが、私の理解は間違っているでしょうか。
というか、平行線の意見をもつ相手と議論になった場合、寓話によって相手の理解をうながすのはありふれた手段かと。『五十歩百歩』の故事なんかがその一例ですし、『韓非子』なんかは本自体が例え話の塊でしょう。
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- board4 - No.307
Re:掲示板伝異聞・2001
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月22日(金) 09時31分
> 『悪役のモデルとしてあからさまに実在の人物および事件を想定し、かつこれを一方的な情報の取捨選択によって貶め、しかもフィクションという防壁をつくることで反論を封じるのは誹謗のやり口として相当に卑劣なものだ。小説であるという名目は、実在の人間に対する誹謗中傷に関する絶対の免罪符ではない』
例えば
『その母親は、寝たきりの息子にリンゴをむいてやり、あまつさえすりおろしてやった。これでは息子がまっとうな人間になるはずもない』
という文を読んでどう思うだろうか。
この母親は悪い事をしているように描かれているが、実際に悪だと思う読者は少数でしょう。
逆に、
『その親切な少年は、老人を二つに折り曲げると、ぶんぶん振り回して横断歩道の向こう側まで投げ飛ばしてあげた』
この少年は善い事をおこなっているかのように書かれているが、正しいおこないだと思う読者は少ないでしょう。
だから、特定の人物をモデルに取り上げて、さも悪いように書いている、というようなことが言われているが、実際に読者にとって悪事と感じるような事をしているのです。
取捨選択と言いますが、そのモデルとなった人物が「赤十字に5億寄付している」としても、それが「悪事」の免罪符とはなりえないでしょう。
それに、そんなこと言ったら「悪事をおこなう低俗もしくは卑小な人間」は小説に登場させられないしね(歴史上おこなわれたことのない悪事は数少ないと思う)。
> 『たとえ現実の人間がモデルであったとしても、フィクションであることを明示する限り、卑小な悪役として人格を貶められたところで現実の当人の名誉が傷つけられるわけではない』
田中良樹氏は、現実の人間の「悪事」をモデルとしているだけです。決して人物像をモデルにしているわけではありません。ですから性格も外見も、名前だってまったく違います。
それでも傷つけられたと思う人は、自分の「したこと」に覚えがあるのでしょう。
> 『ではフィクションとしてランゼル氏をモデルに卑小な「悪役」を書いてみたが、貴方の名誉、自尊心はまるで傷つかないだろうか』
>
> このような思考実験として「掲示板伝」が書かれたという経緯だったと記憶していますが、私の理解は間違っているでしょうか。
おそらくそのような経緯と意図によって書かれたものだと思います。
ですが、田中良樹氏が現実におこなわれている「悪事」をもとに書いているのに対して、これは特定の人物をモデルにして書かれています。この差が、醜悪と目に映ってもいたしかたありません。