- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1006
Re:『岳飛伝』が出てます
- 投稿者:宣和堂
- 2001年10月16日(火) 11時46分
> そうでしか。これは勉強不足で失礼いたしました。でも、岳飛伝は中央公論が讀売に乗っ取られる前の契約にしたがって発刊されているんじゃありませんでしたっけ? つまり、新社に変わってからは発刊契約結んでないと記憶していますが。間違えでしたらおわびします。
中央公論新社からは、初期短編集の文庫もでていますし、来年にはあの稀代の迷訳『隋唐演義』も文庫化されるようです(噂では本人自体、あの本の不出来を恥じて、再版を許諾しなかったと聞いているんですが…)。また、どこまで本気か知りませんが、『楊家将』も中央公論新社から出すようです。これらは時期的に見て、何れも中央公論新社に移ってからのことだと思います。
折角、歴史作家扱いしてくれる出版社をナベツネ如きのために袖に出来るほど、田中芳樹はガッツがあるとも思えません。まあ、精々が中公の本ではネベツネ批判しないだけでしょう。東京書籍から本出すのと同じです。ビジネスはビジネス、主張は主張…と言うことでしょう。
- 親記事No.997スレッドの返信投稿
- board4 - No.1008
Re:こういう条件で最適なのは誰?
- 投稿者:佐々木公彦
- 2001年10月16日(火) 14時03分
ウランフ提督はでているようだし、小説のシーンとして格好いいのは、ミッターマイヤーが行こうとするのを、睡眠薬入りの酒飲ませて、後退させ、自分がいくロイエンタールでしょうか。
そして、一言
「あいつには、泣く女がいる。」
どうでしょう。
ちなみに、ラインハルトの性格考えれば、全速前進、朝倉軍を叩きつぶした後で決戦金ヶ崎、姉川と違ってお市の方からは見えないでしょうし。
手順を踏むのは大切です、浅井長政に話を通してから動けば、中立ぐらいは望めたでしょうに。
長政の方も織田と朝倉の伝統的な不仲知らないわけがないのに、信長の妹と結婚するから、孫があんな死に方する。可哀想に秀頼公、でも家光は将軍になったから良いか(笑)
- 親記事No.985スレッドの返信投稿
- board4 - No.1009
Re:フェザーン自治領ってあるいみいいんじゃない
- 投稿者:佐々木公彦
- 2001年10月16日(火) 14時09分
> フェザーン回廊とイゼルローン回廊で戦争していたら
> 帝国や同盟にとっても戦線拡大で不利でしょ
> だからフェーザンに自治領を作って中立国家にすればイゼルローン回廊だけで戦争できて結構財政面ではよかったのではないのでしょうか
> レベロかホワンが「帝国同盟は財政面でかろうじて戦争をできる状態にしてきた」といってるじゃないですか
> だから戦線を二つにすることはだめだったのではないのでしょうか
ふぇざーんが無ければ、二つの戦線の防衛体制を整えるので精一杯の両国がどちらも攻勢にでることなく、奇妙な平和。が保たれたかもしれません。
その場合は、究極的な持久戦において弱いのは(本来なら)定刻軍の方です。
定刻から同盟への亡命者が逆より多いのが証拠
- 親記事No.972スレッドの返信投稿
- board4 - No.1010
Re:最近のタナウツに思うこと。
- 投稿者:傍観者
- 2001年10月16日(火) 14時16分
と、まあいろいろなご意見が出てますが、常連の皆様の意見はどうなんでしょうか?
1111
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1011
宣和堂さんへ
- 投稿者:駆け出し
- 2001年10月16日(火) 15時15分
はじめまして。駆け出しともうします。
>コレはどうでしょう?『長江落日賦』一冊を読んで他の小説も批判できるんでしょうか?
これは私の書きかたまずかったと反省しております。他にも紅塵や隋唐演義なども読みましたが、私が問題にしていたのは「長江落日賦」の内容ではなく、後書きのことです。説明不足をおわびいたします。
>まして3頁で評価を下すと言うのはどうでしょう?何だか傲岸を通り越して無礼とも取れますが…。
これについては、借問いたしますが、すべての出版社では、書き出しの2~3枚で、作品の善し悪しを判断しています。たとえどんな大家の作品についても、これは変わるところではありません。つまり、多くの編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?
私も文章を書くことで生活を立てている者のひとりとして、3ページ読んで面白くないものは、面白くない、と判断しています。逆を返せば、私自身3ページ読んだだけで面白い、と思われるものを書こううと、常々、気をつけています。
これは私の主観ですので、むろん他の方に押し付けるつもりはありません。
> ココの掲示板風に云うと、それなら、駆け出し様はこの掲示板で書き込みしている文章だけで、他人から、ご自分の作品を否定されても文句言えないコトになりませんか?
>(EX:掲示板の文章を読むだけで、文章の稚拙さが滲み出ているので小説もおよそそうだろう)
はい。おっしゃるとおりです。
書物やネットという公共性の高い媒体をとおして自己の思想なり意志なりを表明するかぎり、どのような批判もあまんじて受けなければならないと考えています。
私が最初に担当編集者から言われたことは、読者の悪口にも謙虚に耳を傾けよ、ということでした。担当はそのあと、こうも言いました。読者には、どのような批判でも好きに口にする権利がある。それは、身銭をきって本を買っているから。
業界に足を突っ込み、多くの先達と知りあい、驚かされたことは、売れている作家さんほど、読者の意見(それはほとんどの場合ファンレターという形ですが)に対して謙虚だということです。
ですから、たとえば、私の書き込みをお読みになった宣和堂さんに、文章の稚拙さを指摘されたならば、心して拝聴いたします。自分の文章を成長させる、またとない機会だと考えています。
>自分のスタンスとしては、読んでもいないモノについて語ることは出来ないと思いますし、まして人目に触れるところで批判するのであれば、礼儀としても購入、通読は基本だと思っています。
この辺は自分個人のスタンスなので、人に押しつける気は毛頭ございませんが…。
私のスタンスは上のほうに書いたとおりです。ただし、他のご意見があって当然だとおもいます。
> 勉強しているように見えて、宮城谷昌光や北方謙三は中国史、中国文学に詳しい方からはケチョンケチョンに貶されているのも又事実です(田中芳樹ほどではないにしても)。
はい。存じております。そして、なにより、宮城谷さんにしろ、北方さんにしろ、ご自身の勉強不足をお認めになり、まだまだ勉強の途中という発言を、公の場でしていらっしゃいます。あれほどの地歩を築かれながら、立派だと思います。
>中国モノでも本当に軟派なネタしか書かず、中国語を読めないことを誇るような人もいますから、それに比べれば、田中芳樹は些かマシ…というのも事実だと思います。
それも、おっしゃるとおりかと。業界ではゴミ揃いのジュニア作家してはいくらかまし、というのが田中氏の評価ですし。
魏延については、別に書き込みをしました。
これも、個人の見解ですので、たしかに武将列伝に入っていないからと、不平を言うのは、すじがちがうかもしれません。
ときに裏ファクターとは、何を指すのでしょうか?
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1012
Re:宣和堂さんへ
- 投稿者:宣和堂
- 2001年10月16日(火) 16時31分
どもです。ご丁寧なご返答、痛み入ります。
> これについては、借問いたしますが、すべての出版社では、書き出しの2~3枚で、作品の善し悪しを
>判断しています。たとえどんな大家の作品についても、これは変わるところではありません。つまり、多く
>の編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?
コレについては自分の認識不足だったのかも知れません。それで判断出来る方も居られるわけですね…。
まあ、小説の何を以て重要とするか?によっても、判断の基準は異なりますしね…。
でも、読み始めから面白かった小説って自分は経験がないものですから…。
最初、お、コレは!等と思って後に行くほどだれる小説は掃いて捨てるほどありましたし…。
> 私も文章を書くことで生活を立てている者のひとりとして、3ページ読んで面白くないものは、面白くな
>い、と判断しています。逆を返せば、私自身3ページ読んだだけで面白い、と思われるものを書こううと、
>常々、気をつけています。
益々御作を拝見したくなりました。
> これは私の主観ですので、むろん他の方に押し付けるつもりはありません。
大変感銘を受けました。確かに、映画でもイイ映画はワンシーンだけでわかるとか言う人もいますしね…。
自分のアンテナがさび付いてるのを拡大解釈しちゃイカンですな…。
> 書物やネットという公共性の高い媒体をとおして自己の思想なり意志なりを表明するかぎり、どのよう
>な批判もあまんじて受けなければならないと考えています。
意外にそう思われて居られない物書きの方が多いように自分では感じていたので、安心しました。
まあ、自分が安心したところで何がどうなるわけでもないのですが、自分にとっては喜ばしいことです。
>担当はそのあと、こうも言いました。読者には、どのような批判でも好きに口にする権利がある。それは、
>身銭をきって本を買っているから。
うう、自分の主張である、本代の中には貶し代も当然含まれる…と同義ですね…。
以前、作家センセに漢字の読みについて質問したら逆ギレのようなレスいただいたことがありありと…。
>売れている作家さんほど、読者の意
>見(それはほとんどの場合ファンレターという形ですが)に対して謙虚だということです。
コレで、答えは次の作品の中で生かすようなタイプであられるなら、大層男前だと思います。
> ですから、たとえば、私の書き込みをお読みになった宣和堂さんに、文章の稚拙さを指摘されたならば
>、心して拝聴いたします。自分の文章を成長させる、またとない機会だと考えています。
あくまでも例なので、自分は人に文章の稚拙さを指摘できるほどの知識無いです。
例の出し方悪かったですね…。今度機会があったら設問を練ります。済みません。
> 私のスタンスは上のほうに書いたとおりです。ただし、他のご意見があって当然だとおもいます。
自分のスタンスはスタンスとして、駆け出し様のスタンスは理解いたしました。
> はい。存じております。そして、なにより、宮城谷さんにしろ、北方さんにしろ、ご自身の勉強不足をお
>認めになり、まだまだ勉強の途中という発言を、公の場でしていらっしゃいます。あれほどの地歩を築か
>れながら、立派だと思います。
寡聞にしてお二方の噂を聞いていないのですが、ナカナカご立派なようですね。
でも、やっぱり……いえ、これ以上はやめときます。田中芳樹みたいに開き直らないだけマシでしょうし…。
>業界ではゴミ揃いのジュニア作家してはいくらかまし、というのが田中氏の評価ですし。
他が酷すぎマスからねぇ…。相対的に立場は上がります。
> ときに裏ファクターとは、何を指すのでしょうか?
自分が『中国武将列伝』のリストに上がっている武将、漏れた武将を一個一個見ていくウチに
文中には書かれてはいないモノの、こういう基準で選んだに違いない…という法則を何個かミツケタので
総称して裏ファクターと称してました。
ちなみに魏延が選に入れないのは、かたちとしては最後に叛旗を翻したことからです。
彼の場合は君主に背いた自覚が無かったにしろ、後世そう言うイメージで見られてます(演義などで)。
君主に反旗を翻した人が選から漏れるパターンは多いです(ex:侯景)。
個人的には魏延が勝利した合戦自体思い浮かばないですから、選に入れませんが、
諸葛亮と対立する価値観としては、司馬懿よりも魏延の方が切り口としては面白いでしょうね。
君主に背いたという点では、項羽もそうなのですけど、義帝自体が傀儡ですし、
田中芳樹がそのことを理解してるかどうか…。
なにせ、焚書坑儒以上の破壊と殺戮を断行した項羽ですからねぇ…(田中芳樹が表明してる
条件にすらこの人は合わないので、田中芳樹の云う名将とは懸け離れているハズなんですがねぇ…)。
- 親記事No.997スレッドの返信投稿
- board4 - No.1013
Re:こういう条件で最適なのは誰?
- 投稿者:倉本
- 2001年10月16日(火) 23時20分
> ところで『銀河英雄伝説』に出てくる将の中で「撤退せざるおえない
> 状況の中で、味方の撤退を完了させるために敵の進撃を少しでも遅らせ
> る。」という任務に最適なのは誰なのだろうか(当然敵側が優勢)?
> 最も不向きなのはビッテンフェルトだろうが、「鉄壁」ミュラーと奇跡
> の大脱出をやったヤン・ウェンリーとではどっちが向いているのだろう
> か。
いや意外とビッテンフェルトは向いているかもしれませんよ。
殿は逃げるだけじゃなくて追いつかれたら攻撃に転じないといけないんですから。
ビッテンフェルトの攻撃力なら追いついた敵を追い返せます。
金ヶ崎の撤退戦でも秀吉と家康は何度も攻撃に転じてますからね。
そういったことを考えるとビッテンフェルトもいい線いくんじゃないでしょうか。
- 親記事No.987スレッドの返信投稿
- board4 - No.1014
Re:Re987:七都市物語はシリーズ物小説です。
- 投稿者:倉本
- 2001年10月16日(火) 23時30分
> あのページは私が作成したので、私の方から一言。
> これは以前に読んだ「田中芳樹読本」(七都市物語の販促本)における七都市物語の外伝小説「帰還者亭」事件の田中芳樹自身によるあとがきを元にしています。
> この中で、田中芳樹自身が「七都市物語は、オリンポス・システムが終わるまで続く話です」といった主旨のことを述べていたので「シリーズ物小説」と定義しました。
> ただし「続きが出る」という根拠に関しては私の方が知りたいぐらいなのですけど(笑)。
私はあれは失敗した銀英伝、創竜伝だと思っていました。
銀英伝や創竜伝は一巻目が売れたら続きを書くということで書かれたのは有名ですよね。
ですからどちらもノベルズ版の初版は数字が入っていないんです。
それと同じで売れたら続きを書く予定だったのが売れなかったからなしになったと思っていました。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1015
あら
- 投稿者:道聴塗説
- 2001年10月17日(水) 00時19分
『中国武将列伝』を読み直していたら、
「おわりに」に諸葛亮が魏延を焼き殺そうした話は、
弘治本にあって毛宗崗本にはない、とちゃんと
言及しておられました(中公文庫版下巻p.276)。
ので、これは私の早とちりですね(爆)。
でも、弘治本じゃなくて嘉靖本だあ(悪あがき)。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1016
Re:槍さんへ
- 投稿者:槍
- 2001年10月17日(水) 01時47分
>
> > いや、これに関しては、田中さんは歴史小説とは実像を暴くのではなく魅力的を作る物であると、司馬遼太郎さんの『関が原』を引き合いにだして言っていました。
> たしかに、それは、歴史小説を書こうとする者として、正しい姿勢だと思います。
> ただ、私がひっかかったのは、件のあとがきに「この詩を作ったすこし前に、息子(曹熊)を失っている」という主旨の記述があったことなのです。
> 作ったすこし前? 田中氏はなにを根拠に「短歌行」の作られた年代を特定し、息子の死んだ年を特定したのでしょうか。演義において、赤壁の戦いの前に曹操が歌ったから、史実もそうだと考えた、というほかに合理的な説明がつかないように思うのですが。これは、史実を暴くとか、史実検証は二の次というレヴェルの問題ではないと考えます。だいたい史実検証をおざなりにしていては、まともな歴史小説は書けないんじゃないでしょうか。
まあ、確かに出来る限りの史実検証をした上で虚像もしくは嘘を書かないと。
因みに私が今まで読んだ中で一番いい意味で嘘を書くのが上手かったのはやはり司馬遼太郎さんですね。
項羽と劉邦の中で紀信の辺りは事実を知らなければそれを真実を勘違いしてしまうくらい凄いものでした。
これは司馬さんの作品全般に言える事ですが。
> 続の口を使ってムー大陸について、けちょんけちょんにけなすのならば、ご自身も特定した根拠なり、資料なり、文献なりを示すのが、人としての道だと思います。
>
> たとえば、司馬さんの「関ヶ原」です。石田三成が島左近を召し抱えるとき、兄としてそばに居てほしい、と言ったことは、史実かどうかわかりません。しかし、三成の性格(行状から推測されると言う意味で)やその後の左近と三成のかかわりかたを見れば、あり得ないことではないと思います。むしろ、この挿話により三成の人間性が明確になっていると思います。
> 小説のキャラが大切であって史実検証は二の次とは、あるいは、こういうことを言うと思うのです。
全くその通りだと思います。
特に石田三成と島左近について語ってくれてありがとう御座います。
いやあ、田中さんの石田三成論にかなりむかついてので(苦笑)
> > ところで呂蒙はともかく魏延はどう言うことでしょか。
> > 魏延をいれたら、蜀の五虎将や、孫策、張遼、甘寧なども入れなくてはならくなりどうしようもなくると思うのですが。
>
> 私は魏延という人物は、演義をとおして不当におとしめられた、悲劇の武将だと思っています。諸葛亮を善玉にするためには、魏延に損な役どころを割り振るしかなかったのでしょうけど。
>
> 槍さんのご指摘にある八人のうち、甘寧をのぞく七人は野戦の指揮官としてはたしかに優秀な人物でしょうが、極論してしまえば、戦闘屋です。しかし、魏延という人は、曹魏の張コウとならんで、見識の高い名将だったと思います。
いや、その七人の内孫策をただの野戦指揮官と論じるのはどんなものかと。
孫策は父孫堅の急死後没落した孫家を建て直し群雄として、楊州に確固たる地位を築きました。
周ユを義兄弟とし、江東の二張を幕下に加えるなど人間的に魅力のある人物である事は間違いありません。
将才だけでは間違いなく弟孫権はもちろん、父孫堅よりも優れていたでしょう。
彼がただの武将でない最大の証明は死に際に自分の後継者と定めた孫権への遺言でしょう。
また、ここで孫策は孫権の資質をよく見抜いた事言っております。
> それは、子午道を通って長安を攻略する献策をしたあたりに表れているのではないでしょうか。
> もし、魏延の策を採用していれば、当時の状況からしても、長安は蜀漢の手に落ちていたはずです。あるいは勢力地図も変わっていたかもしれません。
確かに人を見る目が優れていた劉備(それが最も良く現れていたのが馬ショクについてですね)が漢中の太守を決める際に大方予想を裏切って魏延を抜擢した辺りにそこが出てるのかもしれませんね。
何しろ漢中は魏との最前線の一つだから並みに武将には任せられないでしょう。
> 魏延の真の悲劇は、自身が優秀な武将でありながら、上官の諸葛亮があまりにも政治家でありすぎたことではないでしょうか?
>
> これは私の想像ですが、魏延から献策されたとき、諸葛亮も、これはいけるのでは、と考えたと思うのです。しかし、北伐は成功させるわけにはいかなかったのです。当時の蜀漢を支えている益州の豪族たちは、だれも北伐など望んでいなかったからです。彼らにしてみれば、重い軍役をしてまで、他国へ攻め入るなど、まっぴらだと考えていたはずです。
>
> 既成の権益を守ろうとする益州の豪族と劉備の遺志(打倒曹魏、復興漢王室)を奉ずる古参の家臣(彼らの多くは徐州、荊州時代に劉備の人柄にひかれて配下になりました。そのため、大まじめに北伐を考えていたのでしょう。魏延もそのひとりです)との板挟みあった諸葛亮は、ポーズとしての北伐を繰り返しています。当然、成功の見込みが高い魏延の策を採用するわけにはいきません。
>
> 北伐が最終的に成功しなかったので、諸葛亮は軍人としい無能だという評価を聞きますが、それは不当な評価でしょう。諸葛亮ははなから成功させるつもりなどなかったのですから。
>
> 魏延には、それがわからなかった。いや、わかっていて、その諸葛亮の態度が許せなかったのかもしれません。
> 劉備が存命していたならば、魏延の策は採用されたと思います。
>
その辺りの事は宝島新書から出てる大澤良貴さんの本でよく知っています。
ただ、魏延には具体的な実績(史書に残るような実績)が無いのがいかがなものかと。
確かに魏延の策は成功率の高いモノでしょうが実行されなかったので判断が苦しいです。
私は歴史の人物の評価は実績を以って計るべきだと考えているので。
そう言う意味で宋の秦檜を私は高く評価しています。
まあ、これは私個人評価方法なので。
では長いレスありがとうございます。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1017
Re:田中氏の中国ものは
- 投稿者:ヨウ
- 2001年10月17日(水) 13時23分
色々な意見、興味深く拝見させていただきました。その上でもう少し質問をさせていただきます。
「長江~」のあとがきの曹操の詩の話はためになりました。多分田中芳樹の知識不足でしょう。異論も出てないみたいですし。
どうも「~武将列伝」がよく引き合いに出されているようですが、これについては批判が難しいのではないでしょうか。本人も言ってたと思うのですが、この手の選考には本人の好みが混じる事が避けられません。魏延の話もそうなのですが、項羽についても好きだから、という理由がかなり大きい気もしますし、御自分で「発見」した法則に当てはまっていないからといって不満に思うのはいかがなものかと・・・ 魏延が入っていなくて項羽が入ってるのはまず妥当な選択だと思うのですがどうなのでしょう。逸話の内容ならともかく、選考を批判するのはよほどの証拠を提示しないと難しいと思うのですが・・・無論、これはない!というのがあればお教えいただけると嬉しいです。
> 北周→隋の韋孝寛が最たるモノでしょうかね…(コレは単に知らないだけ)。
> ほとんど日本語文献を使って田中芳樹の勘違いや間違い、曲解、意図を指摘したことがありましたが、
> 各時代まんべんなく勘違いも間違いも曲解もされてます(非常に良い勉強になりました)。
> 田中芳樹の歴史認識が浅いのは周知の事実ですが、正直、妙な形ではあるモノの勉強熱心であることは
> 否定できません。
そんなわけでこれらの具体的な内容を挙げていただければ嬉しいです。ひょっとしてベストに載っているのでしょうか?だとしたらお恥ずかしい限りです。
ただ、読んでいて思ったのですが批判されているのは殆どがあとがきや武将列伝のような口語体のところなので、どうしても、知っているいない、ではなく歴史認識や解釈の話になりがちではないでしょうか。正直、自分の知りたいところと少しずれていたので、できれば作品の中に勉強不足が現れているところなんかが知りたいです。田中芳樹が知っているけど皆さんと意見が違うだけ(魏延とか、石田三成の話ですかね)というのは議論にはなるかもしれないけど批判にはならない気がします。100人いれば100通りの石田三成観があるんじゃないかな、と思います。
自分は「風よ、万里を駆けよ」がすきなんで、花木蘭を描いた田中芳樹の虚像の構築能力は高いと思っています。あんな駄作を好きだなんて・・・と言われるかもしれないと、ドキドキしていますが、あの作品を好きだという自分は変わりません。だからこそ、ああいった中国作品群にどのような間違いがあるのかが気になるのです。
もうひとつ、失礼な事を言うかもしれないんですけど、駆け出しさんは「業界」を信仰しきっていませんか?「業界」が3ページしか読まないでその本の判断をするから、それを否定できない、とか、「業界」が歴史作家を不勉強だと否定する事を肯定していたり。出版業界の全てが3ページしか読まないで作品を否定するならそんな業界、正しいとは思いませんし(無論、3ページで絶望するような本もあるかもしれませんが)日本の学会は「専門バカ」ばかりで物事が見えない人、自己満足に終始してる人が多い気がします(これも、自分の知ってる限りなんで、断定なんて出来ませんけど)。3ページで全てが分かる熟練した編集者なんてどれ位いるのでしょう?皆一様にそれだけの手腕を持ってるなんて、ちょっと信じられません。
最後に、一つだけ書きたいんですけど、
>これだけオタク的熱狂のもと、細かいことを調べ上げる御仁は他にいないでしょう。
どういう知識が「オタク的」でどういうのが違うのでしょう。細かすぎる事を指すのでしょうか。それとも田中芳樹が物を調べているところを直に見たのでしょうか。こういう書き方は単なる中傷にしかならないと思うんですけど。
まとまらないし、失礼な書き方かもしれないし、で、間違いなく駄文になってしまいました。すいません。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1018
Re:横レスです
- 投稿者:平松重之
- 2001年10月17日(水) 17時37分
<さらに言うならば、正史において曹熊は早世したとあるだけで、いつ死んだかということは、どこにも書かれていないのです。
とすると、息子の死を悼む、という解釈はどこから出てきたのでしょう?私には、うろ覚えとまた聞きで、いい加減なことを言ったとしか思えません。これを勉強不足というと思うのですが。>
田中氏は「長江落日賦」の後書きでは『短歌行』で悼んだ息子は曹熊(四男)ではなく曹冲(七男)だと書いています。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1019
ヨウさんへ
- 投稿者:駆け出し
- 2001年10月17日(水) 18時04分
駆け出しでございます。
他の方へのレスもあるようなので、私に関係するところだけ、答えさせていただきます。
>もうひとつ、失礼な事を言うかもしれないんですけど、駆け出しさんは「業界」を信仰しきっていませんか?
はい。そうですね。良くも悪くも、私は業界の人間でして、その世界で生きている以上、その世界の常識をもってしか、世の中を見ることができません。
旋盤工の方は旋盤工として世を渡り、営業マンの方は営業マンとしてのスタンスで世間と接触しています。その常識とは生きるよすが、と言い直してもよろしいかと。それを信仰とおっしゃるなら、そのとおりだと考えます。
ヨウさんは、ご自身、なにとして世の中に棲んでいらっしゃるのでしょうか?
むろん、他の世界があることは知っていますし、自分の常識が常に、だれに対しても通用するとも思っていません。
卑近な例を申しあげれば、作家と編集者、あるいは経営者と労働者、客と店、妻と夫、親と子、などの常識は、おうおうにして対立し、妥協点が見つからないことのほうがはるかに多いです。
ですから、ヨウさんが私の発言をお読みになり、業界に対して信仰しきっているとお考えになったのは、正しい判断です。あなたがご自身の常識をよすがに生きているように、私も自分の生きている世界のきまりごとを基準にものを眺め、判断していますから。
>「業界」が3ページしか読まないでその本の判断をするから、それを否定できない、とか、「業界」が歴史作家を不勉強だと否定する事を肯定していたり。出版業界の全てが3ページしか読まないで作品を否定するならそんな業界、正しいとは思いませんし
正しいかまちがっているかではなく、それが小説という世界の常識なのです。ただ、それに対してさまざまな意見はあって然るべきでしょう。しかしながら、もしヨウさんが作家を志され、投稿なり、応募なりをなされば、やはり、最初の3ページで是非を問われることになり、ときには人間性すら否定されることになります。もちろん、例外はありますけど。
>(無論、3ページで絶望するような本もあるかもしれませんが)日本の学会は「専門バカ」ばかりで物事が見えない人、自己満足に終始してる人が多い気がします(これも、自分の知ってる限りなんで、断定なんて出来ませんけど)。3ページで全てが分かる熟練した編集者なんてどれ位いるのでしょう?皆一様にそれだけの手腕を持ってるなんて、ちょっと信じられません。
たくさんいます。とくに田中氏をまったく相手にしていない文春や新潮(新潮は過去に雑誌に一度だけ短編を書かせて、こりごりしたようですが)には、まさに職人ともいうべき編集者がごろごろしています。私のような駆け出しなど、まさにけちょんけちょんです。しかも、その一言一言が的を射てるだけに、こりゃもうぐぅの音もでないというやつです。
失礼いたしました。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1020
Re:横レスです
- 投稿者:駆け出し
- 2001年10月17日(水) 18時16分
> 田中氏は「長江落日賦」の後書きでは『短歌行』で悼んだ息子は曹熊(四男)ではなく曹冲(七男)だと書いています。
ご指摘ありがとうございます。曹冲ならば、たしかに赤壁の年(208)に死んでいます。
ということは、ますますもってわからない。田中氏は何に拠って「短歌行」が曹冲の死後作られたと断じたのでしょうか?新しい学説でも?
- 親記事No.997スレッドの返信投稿
- board4 - No.1021
Re:こういう条件で最適なのは誰?
- 投稿者:クロイツェル
- 2001年10月17日(水) 18時18分
> いや意外とビッテンフェルトは向いているかもしれませんよ。
> 殿は逃げるだけじゃなくて追いつかれたら攻撃に転じないといけないんですから。
> ビッテンフェルトの攻撃力なら追いついた敵を追い返せます。
> 金ヶ崎の撤退戦でも秀吉と家康は何度も攻撃に転じてますからね。
> そういったことを考えるとビッテンフェルトもいい線いくんじゃないでしょうか。
ビッテンフェルトの場合、引くべき場所と攻めるべき場所を見分けられそうにないのがきつい所ですね。
もっとも、彼は自分の欠点をよく理解している人ですから、そのへんを判断できる副官をつければ、いい線行くかもしれませんね。
- 親記事No.981スレッドの返信投稿
- board4 - No.1022
Re:横レスです
- 投稿者:平松重之
- 2001年10月17日(水) 19時24分
<ご指摘ありがとうございます。曹冲ならば、たしかに赤壁の年(208)に死んでいます。
ということは、ますますもってわからない。田中氏は何に拠って「短歌行」が曹冲の死後作られたと断じたのでしょうか?新しい学説でも?>
うーん、どうなんでしょうか?
長江落日賦(トクマノベルズ)P206
(前略)作中の「子・君」とは、失われた愛児をさしているのではないか、と私が思いはじめて久しい。
という後書きを読んだ限りでは、特に「短歌行」の成立年代に対して疑問を抱いている様子はないので、単に「短歌行」の内容から一定の諦観や後悔が感じ取れる事から、晩年に作ったに違いないと断定しているのではないでしょうか。
まあこの辺りは「ではないか」という具合に疑問・仮説の段階で留まっていますので、それほど追求なさる必要もないのでは?
それと、これは自分の間違いですが曹熊は四男ではなく五男でした(上に曹昂・曹丕・曹彰・曹植)。
- 親記事No.997スレッドの返信投稿
- board4 - No.1023
Re:こういう条件で最適なのは誰?
- 投稿者:倉本
- 2001年10月17日(水) 23時37分
> ビッテンフェルトの場合、引くべき場所と攻めるべき場所を見分けられそうにないのがきつい所ですね。
> もっとも、彼は自分の欠点をよく理解している人ですから、そのへんを判断できる副官をつければ、いい線行くかもしれませんね。
そうですね、金ヶ崎では家康と秀吉どちらが欠けても失敗したでしょう。
ビッテンフェルトは金ヶ崎の家康の役割を果たすことはできると思います。
そうすると秀吉の役割をする人物がいれば成功する可能性もありますね。
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- board4 - No.1024
Re:ヨウさんへ
- 投稿者:ヨウ
- 2001年10月18日(木) 17時22分
何度も失礼しますが、書かせてください。
> たくさんいます。とくに田中氏をまったく相手にしていない文春や新潮(新潮は過去に雑誌に一度だけ短編を書かせて、こりごりしたようですが)には、まさに職人ともいうべき編集者がごろごろしています。私のような駆け出しなど、まさにけちょんけちょんです。しかも、その一言一言が的を射てるだけに、こりゃもうぐぅの音もでないというやつです。
あまりいませんね、少なくとも10人中10人そうだということはないでしょう。失礼な言い方ですが。
妄想的に新兵器を多用して日本軍が勝ちまくる仮想戦記やトンデモ本、ひいては駆け出しさんが批判されるゴミ揃いのジュニア作家とやらは、皆別に個人出版で出してるわけではありません。3ページ以上読まれたからこそ出版できているわけです。何より駆け出しさんがそういう読むに絶えない本を出版物という形で目にしている以上、それは「3ページ」で切り捨てられなかった作家達ばかりなわけですから。「3ページ」で読むのをやめた「長江~」もそうですし、創竜伝もそうです。全ての出版社で行われている「3ぺージ」の切捨てはつまり、これら以下の本当に低い階層しか切り捨てていないという事でしょうか?(極端な話、オトコの本能にすがるだけの某フランス書院だって出版社です)
後、少し論点がずれてしまってるので補足しますと、3ページで切り捨てることが良いか悪いかを聞いてるのではなく、
>つまり、多くの編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?
この、編集者を絶対の権威のように扱い反論を封殺するやり方(少なくとも自分にはそう見えました)を批判しているわけです。ちなみに「3ページで足切り」については確かに必要かもしれない、と思い始めました。ただ、それをやるのは相当に目の肥えた編集者が新人・大家に関わらず行うのが筋でしょう。あまり程度の低いノベルズを大家だからといって野放しにしておくようでは意味はありません。
・・・感情的になってしまったかもしれません。これだから日本人はディベートができない、とかいわれるんですね。この書き込み自体が低レベルであったり致命的な勘違いをしてると思われれば是非とも突っ込んでください。失礼しました。