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- board4 - No.257
Re:勧善懲悪の理由と解釈について
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月16日(土) 20時49分
> 発言者の真意とは全く違った解釈をされることがどれほどまでに恐ろしいことであるかについては、森前総理の「神の国」発言や石原都知事の「三国人」発言をマスコミがどのように解釈し、報道したかを挙げれば分かるでしょう。彼らは彼らなりに問題意識を抱き、それを国民に問いかけたかったにもかかわらず、あの当時のマスコミ(特に朝日系列)は、彼らの発言の一部を自分達の都合が良いように意図的に抜き取り、あたかも彼らの発言が「差別主義者的」「右翼的」であるかのようなレッテル貼りの報道を行いました。おかげで彼らは自らの真意とは全く関係のないところでいちいち釈明を行わなければならなくなってしまい、肝心の問題提起をマトモに行うことすらできなくなったのです。
> 彼らのケースではマスコミの意図的かつ確信犯的な報道が原因でしたが、そこまで悪意に満ちたものでなくても、ちょっとした解釈の違いや言葉のすれ違いが相手の誤解を招き、発言者が思いもよらない事態を招くことはよくあることです。だからこそ、何かの文章を論評する際には、引用は慎重に行い、相手の発言の意図をきちんと汲み取らなければならないのです。
それを言ったら、「田中芳樹氏がなぜ批評を小説に書いているか」がわかっていないのに、かってに決めつけて話を進めている「ここ」もおかしいことになるな。
他人の真意などわかるはずもないのだから、受け手が勝手に解釈してしまうのはしょうがないだろう。それが嫌な人たちは、ねじ曲がった解釈をされないための術を学べばいいのだ。森前総理や石原都知事などは、学ばなければいけないことを学んでいなかったのだから、真意と違う解釈をされても当然のことだ。
> ランゼルさんが個人的に「創竜伝=勧善懲悪物」「社会評論=フィクション」と考えるのは自由ですが、ランゼルさんはその「感想」を元にしてこのタナウツページや掲示板の方針に「娯楽小説と言う視点が抜け落ちているのでは?と思いました」などと異議を唱えたのでしょう? ならばその「感想」とは全く意見を異にするタナウツ掲示板常連と議論になるのは当然ですし、その際にはその自分が主張する「感想」なるものがいかに普遍的な正当性を持つものであるかを、論争相手や掲示板をROMしている人達に訴えていかなければならないはずです。
> ましてや、この掲示板においては「創竜伝=勧善懲悪物」という評価自体が成立しておりませんし、社会評論に対しても「フィクションではなく現実世界に対する評論で、しかもストーリーの流れとは全く関係なしに挿入されており、さらにそれによってストーリーが矛盾・破綻をきたしている」という考え方が主流なのです。そこにわざわざやってきて異論を唱えておきながら、いざ反論されたら「あれは私個人の感想でして」ではあまりにも御都合主義なのではありませんか? しかもランゼルさんに反論する人達は皆その「感想」自体に対して疑問を持っているのですから、その「感想」の正当性を主張することなしに「私がそう楽しんだからそう言う前提で話を進めて」はイケマセン。
勧善懲悪は、善事をすすめ悪事をこらしめることだ。そこで、竜堂兄弟と牛種の物語中の位置づけを考えてもらいたい。
これは自分の勝手な解釈(なるべく作者の真意は汲んだつも)だが、竜堂兄弟はヒーロー(正義)で、牛種は敵(悪)として書かれている。そして、竜堂兄弟が悪をこらしめている。さらに悪をこらしめるのは善事。善事もすすめている。勧善懲悪の物語だ。
現実的な話はどうでもいい。竜堂兄弟が自分たちを正義だと称してなくても、法律違反でも、人殺しでも。四姉妹が経済的に世界にどう影響しようとも、だ。大切なのは物語中でどう描かれているかに限る。時代劇だって、敵役には敵役の正義があり、賄賂にだってそれなりの正しさはある。だが、それが物語中で善事としては描かれていない。むしろ悪事として描かれている。こう見れば、創竜伝は勧善懲悪の物語なのだ。
> 確かにこの辺りは双方に認識の差があって、私は「勧善懲悪物は、作品のストーリーやキャラクターの自己主張がきちんと構築されていなければならない」と考えているんですよね。作品を客観的に論評する時に、主観的な見解である「読者の解釈」がどれほどの役に立つと言うのでしょうか?
> 読者の解釈と言っても、その解釈基準は人によって千差万別なのですから、それをもって作品を「勧善懲悪である」と評価してしまうと、この世のあらゆる作品が「勧善懲悪物」になってしまうのではありませんか? ランゼルさんの仰る判定法では、極端な話、快楽的に幼児を何人も殺害している人物を主人公にした小説を読んだ人が「主人公の正当性を信じ」「殺される相手が悪である」と見たら「それは勧善懲悪小説である」ということになってしまうのですから(笑)。
> 読者の解釈に絶対的なものなんてありませんよ。ランゼルさんと、私を含むタナウツ掲示板常連とが議論していること自体がそのことを証明しているのはないのですか? したがって、そのような千差万別の解釈法をもって、客観的に「創竜伝=勧善懲悪物」と評価するのは無理があります。だからこそ私は、誰でも理解できるように客観的かつ理論的に説明できる創竜伝のストーリーやキャラクター設定を検証することで「創竜伝は勧善懲悪物などではない」と主張するわけです。
> もちろん、個人的・主観的に見るだけであれば、個人個人それぞれの解釈で何の問題もないでしょうが、それで自分とは全く違った認識を持つ他人を説得できるかどうかはまた別の問題でしょう。
物事を解釈しないで何か語れるのか?
検証したと言っているが、それは自分なりの解釈した上での検証だ。なぜなら「正義ではない」と語る時点で、自分の「正義というものは何か」の視点がそこに入ってしまっているのだから。
「勧善懲悪ではない」と真に客観的に述べることは不可能。
だから、正義の価値観が違う相手からすれば、まったく通じない理屈になってしまうわけだ。
自分は、物語中での位置づけを検証し、牛種を悪、竜堂兄弟が悪事をこらしめている物語として勧善懲悪だと主張している。
-
- board4 - No.259
私の創竜伝考察を読んで
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月16日(土) 22時27分
P22下段
<古田重平というその男は、保守党に所属する代議士で、右翼団体や暴力団との関係が深く、極端に国家主義的な主張と暴力的な言動は、党内からさえうとんじられていた。第2次世界大戦の終結によって死滅したはずの、粗大で独善的で反理性的な価値観を体内にかかえこみ、暴力によって外交問題を解決できない日本の現状を悔しがっている。背はそれほど高くないが、全身の肉づきが厚く、巨大な顔は脂ぎって肉食獣めいていた。>
>いきなりこの記述です。「古田重平というその男」は思いっきり悪党として書かれていますし、現にそうふるまっていますが、「保守党に所属」とかいて自民党にこのような政治家がいると間接的に攻撃しています。「第2次世界大戦の終結によって死滅したはずの、粗大で独善的で反理性的な価値観」というのは、いくらなんでも戦前の時代を侮辱しすぎていませんか? この言葉はそっくりそのまま田中芳樹に当てはまりますね。それから「暴力によって外交問題を解決できない日本の現状を悔しがっている」などと考える思考能力が超低レベルな政治家など当時も今も日本にはいませんよ。そもそも「暴力」ってなんです? 最初から悪い事として扱い、読者に悪いイメージを植え付けようとしているのが見え見えです。容姿まで非常に悪く書いているし。
冒険風ライダーさんは、古田重平が「悪党として書かれている」という解釈をしていますね。その通りだと思います。
まずはじめに断っておきたいのが、自分も自分なりの解釈で話をすすめるということ。それだと価値観が違う、という意見がでてくるが、それについては仕方のないことだと思ってあきらめてくれ。
暴力とは「乱暴な力」であり「無法な力」のこと。どの国も他国が戦争を仕掛けてくるのをよしとしてない以上は、戦争は暴力だ。
さて、外交問題ではないが、経済問題を暴力(戦争)で解決しようとした政治家はいた。征韓論なんてその典型だ。だとすると、外交問題を暴力で解決しようと考えていた政治家がいたとしてもおかしくない。実際のところはわからんが。
あと、悪役はたいてい醜くかかれるものだ。これは創竜伝や田中芳樹に限ったことではない。悪を最初は正義のように書いたり、悪役の方が主人公より魅力的では、小説として問題があるからだ。「悪としてみせたいこと」は最初から悪いこととして書く必要がある。
P44下段
<始は、世界史の教師としては――あるいは、しても――型破りだった。試験前にどういう問題が出るか、生徒に教えるのである。全部、記述式の問題で、自筆のノートを持参してもいいのだ。>
>竜堂始氏は高校の先生でしょ? 大学じゃあるまいし、こんな教え方をしてどうするのでしょうか。一番下の生徒の水準に合わせて授業をしていますね。これでは生徒の学習能力は育ちませんし、テストの結果がみんな同じようになってしまうではありませんか。私だったらこんな教師に得意な歴史を教わりたくありませんね。
一番下にあわせていない。これは既存の暗記式より、そうとう難しい問題だ。
例えば、「なぜ江戸幕府は倒れたか?」という問題に、満点の答えがだせるか。少なくとも教科書を読んだだけではだせまい。教科書をよく読んだ上で、起きた事象を自分なりに解釈し、検証しなくては答えは出ない。
P53上段
<「私利私欲のために悪事をはたらく人間なんていないさ。ヒットラーがユダヤ人やスラブ人を4000万人も殺したのは、ゲルマン民族の千年王国を地上に建設するためだ。世の中に悪人なんてひとりもいない。正義の味方で満ちあふれているから、こういう素晴らしい世界ができあがったのさ。余を誘拐しようとしていた連中も、多分、正義感に燃えているんだろうぜ」
始は目に見えない敵にむかって毒づいてみせた。>
>正論ですね。そして自分達に対してもあてはまる事に気づいていませんね、この主張は。後、ヒットラーがユダヤ人を600万人ほど虐殺した事は知っていますが、スラブ人を(4000万-600万=)3400万人も殺害したとは聞いた事がありませんね。それってソ連の犯行なのでは? 誰かこの辺の事実について知っている人はいませんか?
ということは、竜堂兄弟は正義感に燃えていると。もしくは正義の味方だと自分たちを思っているということになる。その解釈の根拠となる部分は? 彼らは自分たちを「正義の味方」だとは思っていないのではなかったのか。
P93上段~P94下段
<日本の政治ジャーナリズムは、収賄の事実を知っていても書かないことを自慢しているほど腐敗しているが、例外だってあるし、(中略)>
戦後一貫したマスコミの過剰な政治批判や政治家への責任追及から見ると、これはウソ八百もいいところですね。いつも朝日新聞が「批判材料」をいろいろ見つけてきては政府を叩き、政治家の汚職を見つけては激しく罵倒していたという「功績」を彼は知らないのではないでしょうか。ところでこの創竜伝を見ていて気づいたのですが、この創竜伝世界には朝日新聞という存在がありません。ある意味では幸せな世界ですね。
本多勝一の著書によれば、マスコミは腐っているらしい。としか言いようがない。どの政治家が贈賄し、その情報を新聞社が握り潰しているかはわからないからだ。
これはないだろうという例えだが、マスコミは上納金をおさめない政治家を叩いているだけかもしれない。この業界に詳しい人でないと真相はわからない。わからないのに嘘八百ときめつけているのは問題だろう。
P151下段
<「わし同様、きみも日本に生まれ育ったはずだ。厳しさを加える世界情勢のなかで、日本が滅びないよう最大限の努力をするのは当然だと思うのだが」
「人類が滅びるのは一大事だが、日本が滅びるのは世界にとってたいした損失でもないでしょうよ」
辛辣きわまる始のことばだった。>
>始は何を世迷言を言っているのでしょうか。「人類が滅びるのは一大事だが、日本が滅びるのは世界にとってたいした損失でもないでしょうよ」という論法を使うなら、中国やアメリカが、いや全ての国が滅んでも、人類が残っていたら「世界にとってたいした損失でもないでしょうよ」と主張できるではありませんか。だいたいなんで「世界の損失」などという非常に抽象的なもので国家を論じるのです? 世界的な環境問題を論じるというのならまだ分かりますが。これは、世界がひとつであるという空想的な統一世界政府的発想が根にあるとしか思えません。この問答では船津忠厳の方が正論を主張しているのではないでしょうか。
これについては解釈の仕方の違いだろう。
始は「日本がアメリカになってもいいし、中国になってしまってもいい」という意味で言ったと考えられないだろうか。つまり「日本という国にはとらわれない」という宣言ではないだろうか。
P154下段
<「そりゃ日本は世界に冠たる先進民主国家ですからね。身寄りのない老人の年金から税金をとりたてて、一度のパーティーで何十億も集める政治家の政治資金は一円も課税しない、公平な社会を実現してる。あなたが半世紀にわたって努力なさった結果だ」
老人は動じなかった。
「若さゆえに、そうも皮肉を言いたくもなるのだろうが、これほど富みかつ栄えた国が歴史上にまれであることは疑えんことだ」
始はゆっくりと首をふってみせた。>
>始さん、論争で負けたからといって逃げてはいけませんよ(笑)。竜堂始氏は日本より貧しく、しかもより腐敗に満ちた国がこの当時存在していたという事実を知らないのでしょうか。それに比べれば日本はまだましではありませんか。船津忠厳の言っている「これほど富みかつ栄えた国が歴史上にまれであること」はまず間違いありませんから、少しはプラス面も評価したらどうですか?
日本より腐敗に満ちた国があるからといって、始の台詞の持つ意味はかわらない。日本も腐っていることにはかわらないのだから。
そして、この国がどんなに富んで栄えても、やはり始の台詞の持つ意味はかわらない。身よりのない老人は、決して富んでいないのだから。
始が言いたいことは「貧乏人からも税金を巻き上げるのに、金持ちの政治家には課税しない。これのどこが〈公平な社会〉だ」であるから、「〈日本は富み栄えた国〉だ。これも我々の努力のおかげだ」というような意味の船津忠厳の言葉は見当違いもいところだ。
それと、石井由助さんのレスが、その下についているのでこれも。
>>P154下段
>>身寄りのない老人の年金から税金をとりたてて、一度のパーティーで何十億も集める政治家の政治資金は一円も課税しない
>つねづね思うのですが、これ、どこまで本当なんでしょうね。
政治資金に税金がかからないことは事実だ。
だが、何十億も集めているパーティーがあるかどうかは疑問だ。これは田中芳樹氏が誇張したものではないかと思っている。
>「そりゃ日本は世界に冠たる先進民主国家ですからね。真面目に書いている新進作家の売れ行きなどは雀の涙なのに、一度のノベルズで何十億も集める作家の小説は手抜きのクソ小説だという、公平な社会を実現してる。あなたが半世紀にわたって努力なさった結果だ」
>某作家は動じなかった。
>「若さゆえに、そうも皮肉を言いたくもなるのだろうが、これほど富みかつ売れた作家が出版界にまれであることは疑えんことだ」
これは、見当違いの批判だ。
政治資金に税金がかかっていないのは事実だが、某小説家が手抜きかどうかは事実ではないし、クソ小説かどうかは個人の価値観によるからだ。
疲れるから考察1だけ。
- 親記事No.259スレッドの返信投稿
- board4 - No.260
Re:私の創竜伝考察を読んで
- 投稿者:S.K
- 2001年06月17日(日) 04時19分
> まずはじめに断っておきたいのが、自分も自分なりの解釈で話をすすめるということ。それだと価値観が違う、という意見がでてくるが、それについては仕方のないことだと思ってあきらめてくれ。
>
古代さん、失礼します。
いずれ冒険風ライダーさんからのレスがあるでしょうが、それまで
の間少々ご意見への「価値観の相違」では納得いかない疑問点にお付き
合い下されば幸いです。
>
> さて、外交問題ではないが、経済問題を暴力(戦争)で解決しようとした政治家はいた。征韓論なんてその典型だ。
>
史実の理解としてこれは如何なものでしょう。
「征韓論」問題は明治政府設立後の、「士族的価値観感から脱却出来なかった元勲」と「先を見据え近代国家設立を目指す政治家」との通過
儀礼的抗争の一面があります。
この折の「士族的価値観から脱却できなかった元勲」の主張、言動
で「政治家」を語るのは間違いでしょう。
彼らはついに「政治家」になれず政府を辞去、後に政府に反旗を翻し
「士族」として果てるのですから。
> 悪を最初は正義のように書いたり、悪役の方が主人公より魅力的では、小説として問題があるからだ。
>
この文の前段のご主張はともかく、この部分は明確に間違いです。
素晴らしい理想を持ちたゆまぬ努力を続けながら、あるいは現実の
汚さに負け、あるいは己の狂気や激情に負けて暗黒面に屈服する元正義
の悪などいくらでもいます。
例えばとおっしゃるなら「スターウォーズ・サーガ」全9本を1編の
作品として見た時のアナキン・スカイウォーカー君や「ベルゼルグ」の
グリフィスなどですか。
「それは小説ではあるまい」と反論されるなら、ちと屁理屈がすぎない
かと思いつつ次回にご紹介しますよ。
今少々度忘れしてるだけで実在に事欠かいておりませんから。
さらに、「主人公より魅力的な悪役」に何の問題があるものですか。
そういう敵に一敗地にまみれ、それでも挫ける事無く努力し前進し
2度3度と負けを重ねつつ遂に勝つ。
これぞ「王道」という物でしょう、何を持って「王道」に問題ありと
おっしゃるのですか。
>
> 本多勝一の著書によれば、マスコミは腐っているらしい。としか言いようがない。どの政治家が贈賄し、その情報を新聞社が握り潰しているかはわからないからだ。
> これはないだろうという例えだが、マスコミは上納金をおさめない政治家を叩いているだけかもしれない。この業界に詳しい人でないと真相はわからない。わからないのに嘘八百ときめつけているのは問題だろう。
>
これについては事によると「価値観の相違」で済ませざるを得ないのですが、「マスコミは腐っているらしい」の判断元とお見受けする本の著者本多勝一氏について、いくつかの著書で虐殺・粛清(文化大革命、クメール・ルージュの暴虐)に目をつぶった中華人民共和国礼賛やポル・ポト礼賛を行い、後日これらの事実が明らかになっても自著の問題部分を増刷分より一言の訂正もなく削除、頬かむりしてやり過ごしたとの話も存在します。
これを事実とした場合、嘘ではないにせよかなり御自分(本多氏)に
都合のいい話として改変されている危険性はありませんか。
> これは、見当違いの批判だ。
> 政治資金に税金がかかっていないのは事実だが、某小説家が手抜きかどうかは事実ではないし、クソ小説かどうかは個人の価値観によるからだ。
>
「価値観の相違」とのお言葉により後段は一つのご意見としてうかがい
ますが、逆に前段「これは、見当違いの批判だ」はご自身でおっしゃられた「価値観の相違」を裏切っておられませんか?
最悪の解釈をすると「自分の意見は“人それぞれ”なんだから言わせといてもらおう。だが、お前の意見は明確な間違いだ」などと言う他人
を誹謗しておいて自分だけは安全圏に逃れて反論さえ許さないという、
最低の議論姿勢に見えてしまいます。
言葉一つの事ですので問題の前段部分だけ「自分の見解は違う」などに訂正される事をお勧めします。
誤解されるのはつまらない事ですよ。
では、失礼します。
- 親記事No.259スレッドの返信投稿
- board4 - No.261
Re:私の創竜伝考察を読んで
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月17日(日) 09時24分
> 古代さん、失礼します。
> いずれ冒険風ライダーさんからのレスがあるでしょうが、それまで
> の間少々ご意見への「価値観の相違」では納得いかない疑問点にお付き
> 合い下されば幸いです。
>
> 史実の理解としてこれは如何なものでしょう。
> 「征韓論」問題は明治政府設立後の、「士族的価値観感から脱却出来なかった元勲」と「先を見据え近代国家設立を目指す政治家」との通過
> 儀礼的抗争の一面があります。
> この折の「士族的価値観から脱却できなかった元勲」の主張、言動
> で「政治家」を語るのは間違いでしょう。
> 彼らはついに「政治家」になれず政府を辞去、後に政府に反旗を翻し
> 「士族」として果てるのですから。
ここで語っているのは、あくまでも「問題を暴力で解決しようとした政治家」という部分だけです。彼らが征韓論を語ったときは政治家だったのに違いはない。
> この文の前段のご主張はともかく、この部分は明確に間違いです。
> 素晴らしい理想を持ちたゆまぬ努力を続けながら、あるいは現実の
> 汚さに負け、あるいは己の狂気や激情に負けて暗黒面に屈服する元正義
> の悪などいくらでもいます。
> 例えばとおっしゃるなら「スターウォーズ・サーガ」全9本を1編の
> 作品として見た時のアナキン・スカイウォーカー君や「ベルゼルグ」の
> グリフィスなどですか。
> 「それは小説ではあるまい」と反論されるなら、ちと屁理屈がすぎない
> かと思いつつ次回にご紹介しますよ。
> 今少々度忘れしてるだけで実在に事欠かいておりませんから。
> さらに、「主人公より魅力的な悪役」に何の問題があるものですか。
> そういう敵に一敗地にまみれ、それでも挫ける事無く努力し前進し
> 2度3度と負けを重ねつつ遂に勝つ。
> これぞ「王道」という物でしょう、何を持って「王道」に問題ありと
> おっしゃるのですか。
>
ああ、そう意味ではない。言葉足らずですまなかった。
ここで言いたかったことは。最初のうち万引きを悪ではないといいながら、途中から盗みはいけないよ、なんて語る小説はおかしくないか?ということです。
最初に正義として定義しておきながら、後でそれは悪だと定義しては、読者も混乱するでしょ? キャラクターではなく、その世界での善悪の価値基準のことです。
悪役が魅力的ではいけない。これは悪のボスではなく、小悪党(ストーリーを通しての敵ではなく、その場限りの敵)のことです。
こちらも小説ではない例えだが、仮面ライダーブラックのシャドームーンは魅力的だった。だが、ただの怪人たちは仮面ライダーブラックよりも魅力的ではいけない。そう思いませんか?
> これについては事によると「価値観の相違」で済ませざるを得ないのですが、「マスコミは腐っているらしい」の判断元とお見受けする本の著者本多勝一氏について、いくつかの著書で虐殺・粛清(文化大革命、クメール・ルージュの暴虐)に目をつぶった中華人民共和国礼賛やポル・ポト礼賛を行い、後日これらの事実が明らかになっても自著の問題部分を増刷分より一言の訂正もなく削除、頬かむりしてやり過ごしたとの話も存在します。
> これを事実とした場合、嘘ではないにせよかなり御自分(本多氏)に
> 都合のいい話として改変されている危険性はありませんか。
まあ、当時ポル・ポトを支持していたのは日本のマスコミも同様ですからね。信用できないと言えば、どこもあまり大差ない気がしますが。
どこを信じて良いのかわからない。
> 「価値観の相違」とのお言葉により後段は一つのご意見としてうかがい
> ますが、逆に前段「これは、見当違いの批判だ」はご自身でおっしゃられた「価値観の相違」を裏切っておられませんか?
> 最悪の解釈をすると「自分の意見は“人それぞれ”なんだから言わせといてもらおう。だが、お前の意見は明確な間違いだ」などと言う他人
> を誹謗しておいて自分だけは安全圏に逃れて反論さえ許さないという、
> 最低の議論姿勢に見えてしまいます。
> 言葉一つの事ですので問題の前段部分だけ「自分の見解は違う」などに訂正される事をお勧めします。
> 誤解されるのはつまらない事ですよ。
> では、失礼します。
あ、違うんだ。これまた拙い書き方で失礼した。
田中芳樹氏のやりかたをまねて、批判している文にたいして、そのやりかたはおかしい、と言っているのだ。
田中芳樹氏は、事実に基づいて書いたのだ。
それに対して、石井由助さんの批判は事実に基づいていない。感情にまかせて書いている(「手抜き」とか「クソ小説」というのは個人の感情によるものでしかない)。
その「感情にまかせて書いている」批判の仕方が、見当違いということであって、「某作家が手抜きではない」とか「クソ小説じゃない」という意味での見当違いではない。
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.263
Re:フェアじゃない?
- 投稿者:オズマ
- 2001年06月17日(日) 15時56分
こんにちはオズマです。
いくつか返答すると共に反論したいと思います。
> その「フェア」じゃない根拠をきかせてもらいたい。
> 逃げ道とか云々ではなく、「反論の余地がない方法で思想を広める」ことのどこがアンフェアかを。
「反論の余地がない」、すなわち自分の言ったことに責任を取らないでいいこと、それ自体が既にアンフェアです。犯罪者が罰を受けなくていいというのはアンフェアじゃありませんか(少々極端な例ですが)。
> 思想を広めるさいのルールなどあったか?
> 自分たちの内で勝手にルールをつくりだしてないか?
>
> もしも、仮に、田中芳樹氏が自分の思想を広めるために小説を書いてるとしたら、その頭の良さに感心どころか寒心するぞ。
> 若者に広く浸透し、それでいて反論の余地がないのだからな。
思想家としてはその態度が問題なのはわかっているようで。それならこれ以上は言いません。
すべて小説の為だけに作られたものという極小の可能性を除けば(その可能性も否定しませんが)、普通にみればあれは思想ですから(それ以外の見方が無いでしょう)。その危険性がわかるというものです。
> あの批評の部分は、竜堂兄弟の基本的な思考の仕方をあらわしていると受け取れないだろうか?
> つまり、竜堂兄弟の価値観をあらわすものだと。
>
> 大国のおごり→アメリカがどうたらこうたら
> 民族主義国の云々→日本はなんたらかんたら
>
> と、難しい思想をわかりやすく例をだして説明している。
> それに日本やアメリカが多いのは、たんに知名度が高いからだろう。
>
> まあ、実際のところはどうだか知らないが。
> こういう受け取り方もある、と。
>
> それと、創竜伝はキャラの掛け合いを読んでいて、全体としてのストーリーの流れは気にして読んでいない。
> こういう読み方だと、ストーリーが破綻しているらしいが、気にもとまらないし、批評の部分が邪魔だと感じることもない。むしろ批評の部分も含めて、キャラの掛け合いは成立しているように感じる。
>
> つまりは読み方からして違うので、批評が邪魔かどうかは意見がかみ合うことはないだろう。
あのねえ、ストーリーが破綻している時点で売れる売れない以前に、小説家としての最低限の能力すら危ういということになりませんか(ちなみに私は揚げ足取りはしたくないのでそのことについて追求はしていませんが)。
まあそれはおいといて、ストーリーと思想どちらが大事かと聞かれて「そういう読み方をしていないから気にとめない」というのは何も解決になっていないんではないでしょうか。
それと貴方は批評は小説の為に作ったものと前提においているようですが、その根拠が何も無い以上、その批評をメインに読んでいる時点で、創竜伝を思想書として読んでいることになりませんか。確か貴方自身以前
> 田中芳樹氏も自分の思想を小説という媒体をとおして、より広くに伝えたいのだろう。(220より)
と述べていたではありませんか。それを今になってあれは小説の為に竜堂兄弟の思考法や価値観として作った思想だといわれても説得力がありませんよ。
> もしも、仮に、田中芳樹氏が自分の思想を広めるために小説を書いてるとしたら、その頭の良さに感心どころか寒心するぞ。
「もしも、仮に」ですか。220で言ったことと矛盾してますね。
そうすれば、貴方自身がそれを思想と認めているということになり、しかも貴方がその思想の方をメインにしているなら、田中芳樹が「売れる小説家」としてはともかく、それ以前に「思想家として」問題ありということを自ら認めていることになりますね。
> 田中芳樹氏を思想家として見たならたいしたことはない。
> だが、思想を宣伝する者として見たら一流だ。
これもおかしいですね。あれを作ったものとするなら、自分自身の思想でもない思想を宣伝する意味がわかりません。やはりあれは田中芳樹自身の思想なんですね。
> > もし、田中芳樹が彼自身の思想云々はおいといて、「右翼いじめしとけば売れる」というだけで、貴方やランゼルさんが言うようにそういう思想を道具として(装って)小説を書いているとすれば、そのノンポリぶりは逆に売れることに徹したプロ魂として賞賛してもいいですね、今までの批判は置いといて(笑)。いやマジな話。まあ、彼自身にしかわかりませんが。
>
> ここからがまた小説家としての田中芳樹だな。
>
> 「そういうこともありえる」と考えているだけで「必ずその通りだ」とは考えていないことを断っておきたい。
そう断られても、貴方が自分で「そういうことはありえない」と考えていることを示してくれましたしね。ですからあれを田中芳樹の思想だとして話すのですが、貴方が田中芳樹の、思想を若者に広く浸透させ、それでいて反論の余地がないやり方に寒心(肝をひやすこと。心に恐れを抱いて、ぞっとすること。『広辞苑』より)するなら、貴方自身が田中芳樹のやり方を危うく思っているということになります。
もう幾ら話し合ってもいいかげんらちがあかないし、これ以上続けても同じ主張のくり返しになるんじゃないですか。前も言いましたが、私の意見は一通り述べさせてもらいましたし、貴方の意見もわかりました。その確認ができたことをもって一定の進展としてこのへんで私は抜けさせてもらいます。真に勝手なのですが、私のほうは少し私事で忙しくなってきたのでしばらく時間が取れなさそうなので。反論や質問などして頂いてもよろしいですが、返答はかなり遅れるかもしれません。もっともそのころになるとこの話題も風化してしまうかもしれませんが(笑)。
ではこのへんで。
- 親記事No.202スレッドの返信投稿
- board4 - No.264
Re:フェアじゃない?
- 投稿者:古代蓮
- 2001年06月17日(日) 19時43分
> 「反論の余地がない」、すなわち自分の言ったことに責任を取らないでいいこと、それ自体が既にアンフェアです。犯罪者が罰を受けなくていいというのはアンフェアじゃありませんか(少々極端な例ですが)。
ああ、そうそう。これは余計な話だが、フィクションの中で、仮のモデルの誹謗中傷をおこなった場合でも責任はあるぞ。名誉毀損だが。
あと、この話って、田中芳樹氏が思想家だった場合だよな? 思想家なら自分の思想に責任とらなきゃだが、小説家なら話は別になるからな。思想家と小説家をごちゃごちゃに考えてるから問題に思えてくる。
> 思想家としてはその態度が問題なのはわかっているようで。それならこれ以上は言いません。
> すべて小説の為だけに作られたものという極小の可能性を除けば(その可能性も否定しませんが)、普通にみればあれは思想ですから(それ以外の見方が無いでしょう)。その危険性がわかるというものです。
そう。思想家として田中芳樹氏を見ると問題なんだ。偏った思想に、広く浸透する(しかも、若い世代に)宣伝、恐いね。
> あのねえ、ストーリーが破綻している時点で売れる売れない以前に、小説家としての最低限の能力すら危ういということになりませんか(ちなみに私は揚げ足取りはしたくないのでそのことについて追求はしていませんが)。
ん、別に問題じゃないんじゃないの。より良い作品をだすためなら、過去の設定やらストーリーなどばっさり切って捨ててしまっても。
創竜伝全体の完成度よりも、次の巻が楽しくなるならそちらを優先してもらいたいものだ。
> まあそれはおいといて、ストーリーと思想どちらが大事かと聞かれて「そういう読み方をしていないから気にとめない」というのは何も解決になっていないんではないでしょうか。
ああ、これね。
今までの意見は「こういう可能性もあるのでは?」ということであって、自分は今まで一度も深く考えたことはない。
この質問の答え。ストーリーと思想どちらが大事かときかれればストーリーだ。だが、創竜伝に限ってはどちらも大事、というのが答えだ。二律背反、相容れないものではないからな。
> それと貴方は批評は小説の為に作ったものと前提においているようですが、その根拠が何も無い以上、その批評をメインに読んでいる時点で、創竜伝を思想書として読んでいることになりませんか。確か貴方自身以前
> > 田中芳樹氏も自分の思想を小説という媒体をとおして、より広くに伝えたいのだろう。(220より)
>
> と述べていたではありませんか。それを今になってあれは小説の為に竜堂兄弟の思考法や価値観として作った思想だといわれても説得力がありませんよ。
う~ん、自分としては「可能性」をしめしただけですので。あれは「仮に田中芳樹氏が思想家だったとしたら」の答えです。
ここの人たちは、田中芳樹氏に思想家と小説家を同時にやらせようと考えているようなので。
根拠がないというなら、思想家だという根拠もない。
田中芳樹氏を小説家だと考えた場合は、あの批評部分というのは「竜堂兄弟」の基本的な思考や価値観をあらわしているのではないか? ということです。自分はそう読んでいます。
> 「もしも、仮に」ですか。220で言ったことと矛盾してますね。
> そうすれば、貴方自身がそれを思想と認めているということになり、しかも貴方がその思想の方をメインにしているなら、田中芳樹が「売れる小説家」としてはともかく、それ以前に「思想家として」問題ありということを自ら認めていることになりますね。
ああ、これは田中芳樹氏が本当に思想家だったら、と仮定しての自分の感想だ。ちなみに自分は田中芳樹氏は思想家ではなく小説家であると思っている。
> これもおかしいですね。あれを作ったものとするなら、自分自身の思想でもない思想を宣伝する意味がわかりません。やはりあれは田中芳樹自身の思想なんですね。
これも上に同じ。思想家と仮定しての話だ。
> そう断られても、貴方が自分で「そういうことはありえない」と考えていることを示してくれましたしね。ですからあれを田中芳樹の思想だとして話すのですが、貴方が田中芳樹の、思想を若者に広く浸透させ、それでいて反論の余地がないやり方に寒心(肝をひやすこと。心に恐れを抱いて、ぞっとすること。『広辞苑』より)するなら、貴方自身が田中芳樹のやり方を危うく思っているということになります。
ここからは小説家としての話だ、と断っておいたのに……
ただ道具としている可能性もある、というだけの話。
自分は田中芳樹氏にはあったことないので、どんな真意で書いているのかわかりません。だから、様々な「可能性」が考えられるということです。
> もう幾ら話し合ってもいいかげんらちがあかないし、これ以上続けても同じ主張のくり返しになるんじゃないですか。前も言いましたが、私の意見は一通り述べさせてもらいましたし、貴方の意見もわかりました。その確認ができたことをもって一定の進展としてこのへんで私は抜けさせてもらいます。真に勝手なのですが、私のほうは少し私事で忙しくなってきたのでしばらく時間が取れなさそうなので。反論や質問などして頂いてもよろしいですが、返答はかなり遅れるかもしれません。もっともそのころになるとこの話題も風化してしまうかもしれませんが(笑)。
田中芳樹氏を小説家でもあり思想家でもあると見ていると矛盾に思えるのだろうな。どちらか一つ(自分としては小説家)として見るのをおすすめしたい。
そうすれば、文学的にはどうなのか、エンターテイメントとしてはどうなのか、そういった話に持っていけるからな。
まあ、それは次の機会にでも。
では、お疲れさまでした。
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- board4 - No.265
TPOについてのお願いです☆
- 投稿者:恵
- 2001年06月18日(月) 05時25分
恵です☆
古代さんの発言(と、いうより文体が)、かなり気になったので、ちょっと抜き出してみました。
>これは、田中芳樹氏が思想家か、それに近い者としての意見だな。
>思想を広めるさいのルールなどあったか?
自分たちの内で勝手にルールをつくりだしてないか?
>ここも田中芳樹氏を思想家か、それに近い者として書いているな。
>ここからがまた小説家としての田中芳樹だな。
はっきり言わせてもらいますけど、これらの古代さんの文章は、公共の場で他者に対する発言としてはあまりにも非礼です。(せめて丁寧語くらい使ってください)
主義・主張に関しては、田中芳樹氏関連なら別に何を語っていただいても構いませんし、古代さんのお考えについて、わたしからはあえて何も言うことはないです。ただ、よその論壇はともかく、少なくともこちらの掲示板は、不特定多数のいろんな考えの方々が議論を交わすという、極めて公共性の高い場なんです。
過去ログを全部読んでいただければわかると思いますけど、管理人さんも常連の方々も、きちんと最低限の礼儀を守って紳士的に発言されています。ネットという、直接顔が見えない人間同士だからこそ、お互いが守らねばならないモラルやマナーがありますし、「TPO」を考えれば、上記のマナー無視のあなたの文体がここに相応しくないことは一目瞭然です。この場合、古代さんの主観で「自分にはこういうやり方・言い方がある」はまったく関係ありません。他者から見て、あなたの物言いがどうのように聞こえるかが問題なのと、あなたの方からこちらに参加される限りは、こちらで守られているマナーを守らねばならないのは当然のことなんです。(あなたの尊大な物言いに、レス(反論)されている方々のほうは、ちゃんと礼儀を守っていることを覚えておいてくださいね!)
以上、一参加者として、わたしからTPOについてのお願いでした。
古代さんが、あくまでマナーを無視した文体にこだわるなら、主義・主張の内容のためではなく「最低限の礼儀を守れない人」として、ここ以外のよそのサイトに行かれることをお勧めします。今後、改めてくださるなら、今まで通りどんどん意見してください。あなたのご意見が、どこまで説得力を持ち、この掲示板でどこまで共感を勝ち得るのか、わたしは一参加者として興味深く見守っていますので──。
ではでは☆