- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1118
対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(3)
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年11月09日(金) 10時11分
イギリス病のすすめ・文庫版 P180~P184
<――:
イギリスでは今回(引用者注:1997年)の選挙で政権が交代しましたよね。現在のイギリスの国民はどう受け止めているんでしょうか。
土屋:
まあ、保守党政権が一八年……一八年はやっぱり長いんじゃないかと思う。彼らのバランス感覚だとぼくは思うね。
田中:
健全な感覚ですよ。(笑)
――:
「飽きちゃった」と。(笑)
土屋:
まあ、はっきり言うと飽きちゃったんだろうけども……いや、そうは言わないけどもね。(笑)サッチャーさんにはイギリス病を克服したという功績が確かにあると思う。ただ、行き過ぎた面というのもある。さっきも言ったように、「預金通帳の残高で人間の価値を測る」みたいなこととか。あるいは「自助努力」という言葉を彼女は使ったんだけど、「弱者というのは要するに自分で何とかする気がない。そんなやつに国は金を出せないよ、自分でなんとかやれ」ということで弱者切り捨てをやったんですよ。一八年間イギリス国民もそれを選択してきたんだけども。それがある程度のとこまでいったんでしょう。経済もだいぶ回復したところで、「まあ、もういいかな」と。
――:
「このへんで、手を打って」と。
土屋:
まあ、ブレアもかっこいいしね。(笑)メージャーよりいいよね。
田中:
うん、あれはメージャーよりずっとかっこいい。(笑)
土屋:
それと保守党の議員とか閣僚のスキャンダルが相次いだしね。イギリス人というのは、ああいうスキャンダルに対して非常に厳しい国民でね。イギリスの特に政治家って、賄賂を受け取ったことが分かったら、政治生命はおしまいなんですよ。
日本はなんだかわかんないけど、「みそぎ」とかいって、いくらでも賄賂を受け取ってるやつがいまだに長老然として政治家やってるでしょ? それこそ何千万とか一億とか、ふざけた金もらってるけども、あんなことイギリスじゃ考えられないですよ。
田中:
それで政治資金には税金がかからない。それどころか税金の中から政党助成金なんかもらってる。
――:
納得できないですね。
田中:
これで納得するほど、ぼくは心が広くありませんので。(笑)
土屋:
うん、それは納得できないと思うよね。政治家になると金がもうかる。今の日本はそうなってて、政治家で貧乏したやつっていないわけでしょ? 「政治家になってあれだけ資産が増えるというのは絶対おかしい」っていうふうにみんな思わなくちゃいけない。
イギリスは日本と同じ二院制だけど、貴族院には給料がないわけですよ。地位の高い者の社会的な義務であって、それが当然。戦前の日本の政治家の中にはそういう人もいてね。政治で自分の身上を全部食いつぶしたとか、無一文になるとか。
田中:
貴族院の報酬がただ、というのはやっぱり階級社会の正の面でしょう。身分ある人は義務を負わなきゃならない、という。これが日本だとオレンジ共済組合事件になるわけでね。(笑)残念なことですが、日本の政治的な民度というものをよく表してると思います。
土屋:
日本の民度は世界最低のレベルじゃないかとぼくは思うんだけどね。
――:
民主主義が根づいてない、国民に主権意識がない国だと言われてますね。
土屋:
イギリス人は日本の政治のことなんか誰も関心を持ってないからいいけども、もしイギリス人に、ああいう友部の話だとかを親切ていねいに説明したら、イギリス人は開いた口がふさがらないやね。「どうしてそんなことが起きるのか」って。とても考えられないと思う。それがやっぱり世界の常識で、日本だけが非常識なんだとぼくは思うね。>
いや、あなた方2人のイギリスに対する愛はイヤと言うほどに理解させられましたけど(笑)、お願いですから、たかだか「イギリスに旅行してきた」という程度のウキウキ観光気分だけで、こんなわけの分からないイギリスと日本の比較政治論など語らないで下さい。イギリス人はこんな不様な3流対談本などに誰も興味も関心も持ちはしないでしょうが、もしこの対談本の内容を詳細かつ親切丁寧に説明してあげたら、イギリス人は開いた口がふさがらなくなると思いますので(笑)。
それにしても、日本の政治家や「日本の政治的な民度」とやらをこき下ろすために、よりによってイギリスの貴族院を持ち出してくるとは、日本憎しのあまり、とうとう田中芳樹は「貴族」という言葉の意味や概念をマトモに理解できるだけの想像力も思考能力すらも失ってしまったというのでしょうか(笑)。今更言うまでもなく「貴族」というのは「社会的・政治的な特権を持つ上流階級」であり、イギリスの貴族院とはその「貴族」階級のみによって構成されている議院なのです。その貴族院に所属している議員の任期は「不定」(死ぬまで議員を務めることも可)であり、しかも議員の選抜にあたっては、国民による直接・間接な選挙で選ばれるのではなく、イギリス国王によって直接任命される制度を採用しています。そのため貴族院議員の大半は代々の「世襲貴族」で構成されており、この点では日本の政治家など足元にも及ばないほどに「民意」が働いていないのです。普通選挙が実施されているイギリスの下院(庶民院)ならまだしも、これほどまでに「排他的」かつ「非民主主義」的な貴族院のどこをどう見れば、「イギリス国民の政治的民度」とやらを語ることができると言うのでしょうか?
そもそも田中芳樹は以前、日本における「保守系政治家」とやらをこのように評価していたのではなかったのですかね↓
創竜伝5巻 P130上段~下段
<もともと保守政界というものは、イデオロギーや政策と無縁の利権分配グループである。現在の社会制度下で、政治権力を最大限に活用してどれほど多くの利権をあさり、富をむさぼるか、それが職業であり、生きがいなのだ。
「政治には金がかかる。有権者が政治家にたかるからいかんのだ。政治家は費うだけで、手もとには一円も残りはしない」
彼らはそう弁解する。信用する者もいるであろうが、結論部分はまっかな嘘である。自分の資産を費いはたした政治家はめったにいない。生活に困窮して生活保護を受けるようになった政治家など、ひとりもいない。その逆に、政治に費用がかかることを口実に政治資金をかき集め、豪壮な邸宅と別荘をかまえる政治家は無数にいるのだ。
この国では、政治は、個人の利益を追求する事業として成立するのだ。だからこそ、よほどに見識のある一部の人を除いて、引退する保守党政治家は、息子や娘婿を後継者にする。政治家としての権力を世襲させるだけでなく、これまで築きあげてきた利権あさりの組織や人脈をも受けつがせるのだ。権力と利権を、個人の財産と思うからこそ、他人に渡したくないのである。>
これほどまでに日本の国会議員の世襲化を批判しておきながら、日本よりもはるかに「議員の世襲化」の歴史が長いイギリスの貴族院をあれほどまでに絶賛する理由は一体何なのでしょうか。田中芳樹の論法を使えば、イギリスの貴族院議員もまた「権力と利権を、個人の財産と思うからこそ、他人に渡したくないのである」と言えるのではないのですか?
今更ながら田中芳樹にひとつ忠告しておきたいのですが、自分の主義主張に他人を納得させられるだけの一貫性と説得力を持たせたいと考えるのであれば、何の理由も明言することなしに、批判対象次第でコロコロ内容が変わるその愚劣なダブルスタンダード評論を吐き散らすのは止めた方が良いですよ。作家・評論家としてだけでなく、人間としても信用されなくなりますから。
まあ、その忠告はもう手遅れだと言われればそれまでですがね(笑)。
それからあの2人は貴族院議員の「無報酬」という部分を指して「地位の高い者の社会的な義務であって、それが当然」などとタワゴトをほざいた挙句、全く事情が異なる日本の政治家の台所事情を比較して何やら愚劣な主張を展開しているようですが、そもそもイギリスの貴族院議員が本当に何の見返りもなしに議員を務めていると考える方がどうかしているのではありませんか?
確かにあの2人が絶賛しているイギリス貴族には、「高貴なる地位にある者には、それに伴う責任を果たさなければならない」という「ノブレス・オブリッジ」の精神があるのですが、これまた今更言うまでもなく、「ノブレス・オブリッジ」の発想はあくまでも「高貴なる貴族階級」としての自覚と特権があるからこそ出てくるものなのであって、イギリスの貴族階級には莫大な資産や領地、それに貴族としての特権を保有することが認められています。そんな彼らが、貴族院議員としての国からの給料など必要とするはずがないでしょう。イギリスの貴族が貴族院議員を務めるのは、貴族としての責務を果たすことによって、貴族階級としての矜持を保つことと、自分達の身分・財産・特権を保全することが大きいのです。
それに対し、日本の政治家は「国会議員としての収入(これには政治資金・政党助成金も含まれる)」以外に自分の身分と財産を保証してくれるものがありません。それどころか、財産に関してはむしろ政治活動の過程でどんどん目減りしてしまっているのが実情でしょう。何しろ、日本の政治にかかるコストと合法的な収入との間には大きなギャップがあり、合法的な収入だけでは日常の政治活動すら行うことができないのですから。
故・田中角栄の元秘書を努めていた早坂茂三氏の著書「宰相の器」(クレスト社)によると、ある自民党4年生議員の毎月の活動費が約1000万円なのに対し、出費は230万円が15人のスタッフの給与として支払われ、結婚式その他のパーディのご祝儀代が約80万円、事務所の費用が200万円ほどもかかり、さらに残りのカネは、お客を贅沢に接待し、政治家としての個人的な人脈を作るための費用として使われるため、手元にはほとんどカネが残らないと書かれています。さらに選挙資金に関しては、国から交付される選挙費用の上限が約1500万円であるのに対して、実際の出費はポスター代から地元の選挙運動員の飲み食い代まで含め、すくなくとも2億~3億円ほどもかかるのだそうです。これでは大まじめに法律を守ってなどいたら、まず間違いなく日本の政治家は破産しますね。
政治の仕事を全うするためにこの深刻なギャップを埋める必要のあることが、日本の政治で汚職が多発する最大の原因となっており、そのために日本の政治家は様々な法律の抜け穴を探し、カネを調達しようとするのです。この構造的な汚職発生の土台を何とかしない限り、日本で汚職事件が発生するのは避けられないことなのです。本当にこの「構造汚職」をなくしたいと考えるのであれば、政治家のカネの流れをより透明化した上で、政治家が自由に資金調達できる環境を整備していくべきでしょう。そもそも「政治家は清貧であらねばならない」という発想自体が間違いの元です。
本当に日本の政治家の汚職問題に対して何か考えるところがあるのであれば、なぜそれが何度も起きるのかという理由について詳細に検証し、自分が調べた結果を読者に説明する手間くらい行ってみたらどうなのでしょうか。どうもあの2人は、日本の政治家の汚職事件をただネタにするだけして、面白おかしくこき下ろしているだけであるようにしか見えないのですけど。
イギリス病のすすめ・文庫版 P185~P186
<田中:
政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
うん、ぼくもそうだから。(笑)
田中:
でもまあ、アメリカ人の政治感覚というのもひところけっこうバランスが取れてるって言われてたんだ。共和党の大統領に二期八年やらせたら次は民主党に八年、というのがずーっと続いて……それが崩れたのが、あのレーガン、ブッシュと続いたころからでね。とりあえず二期八年、ここらへんが政治のバイタリティを維持する限界だ、というような知恵がやっぱりあるんだと思うんですよ。
土屋:
まさにその通りだとぼくも思う。政治のバイタリティって、政治家にも言えるし、国民がその政治に対して関心を持てる限界にも言えるんじゃないかな。日本みたいに戦後、一党がずーっとやってきてたら、政治には誰も関心をもてなくて当然だと思う。>
この2人のおバカな対談を読んでいてつくづく思うのですが、「民主主義国家では政権交代が常に行われなければならない」という考え方って一体どこから出てきたものなのでしょうか? 国民が長期政権を望み、それが選挙に反映されれば、それもまた民主主義の成果であると言えるのではないかと私などは考えるのですけど。
そもそも戦後の日本における政治の世界に「健全な野党」なるものが存在したためしがありません。かつての55年体制で自民党と2大政党を構成した旧社会党は、何につけても自民党の政策に反対するばかりで何ら代案を提言することもなく、たまに口を開けば日本弾劾・共産圏擁護の発言ばかり繰り返していたからこそ「これは信用ならない政党だ」ということで国民からそっぽを向かれたのでしょう。日本の国益や国民の利益について何ら考えもせず、「反対のための反対」ばかり繰り返す政党などに、誰が日本の政治を委ねようとするものですか。
実際、自民党の政治スキャンダルに乗じて旧社会党が自民党から政権を奪う機会は何度もあったのですが、そのチャンスを全部逸してきた最大の理由は、全てこの旧社会党の「共産圏擁護に基づく反対のための反対」方針が祟っていたからです。もし旧社会党が自民党から政権を奪った場合、彼らはアメリカと手を切り、旧ソ連をはじめとする共産圏に接近する政策を取ることは確実でしたから、国民多数の意思と全く合致しない政策を行いかねない政党に政権を担わせなかった日本の国民は極めて健全な政治感覚を持っていたと言えます。
そして冷戦終了後の93年に発足した細川連立政権、および94年以降の自社さ連立政権の様々な失政や節操のない変節行為によって、日本の野党は思想信条・政治手腕においても全く信用できないという評価が国民から下されてしまいました。結局「日本においてとにもかくにも政治を運営できるのは自民党だけ」という状況こそが、戦後の日本で政権交代がほとんど起こらない最大の理由であるわけですから、「政権交代が起こらないから日本の民度は低い」などという愚論にはほとんど何の意味もありません。
「インディペンデンス・ディに代表されるアメリカ人の政治感覚」とやらを笑いのネタにする前に、田中芳樹と土屋守の両名は、自分達の非現実的な政治的センスに基づく主張こそが笑いのネタになっていないのかどうか、少しは振り返って考えてみてはどうなのでしょうか。まあイギリス礼賛・日本罵倒で頭が凝り固まっているようにしか見えないあの2人に、そんなことを期待するのもどうかと思いますけど(笑)。
さて、田中芳樹と土屋守の漫才対談はまだまだ続きますが、それらについてはまた次の機会に論評したいと思います。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1119
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(3)
- 投稿者:優馬
- 2001年11月10日(土) 16時43分
ちょっと思い出したことがあるのでコメントを。
昔、イギリスで「チャーチルの家」を訪ねたことがあります。もちろん、ウインストン・チャーチル、第二次大戦を指導した葉巻のおっさんです。記念館でチャーチルの事績が見れるんだろうと思っていくと立派な門があって高い入場料を取られます。それから車で5分、途中で競馬場があるのを横目に見て、着いたところはそれはそれは立派なお城。バッキンガム宮殿なんて目じゃありません。「チャーチルの家」はマールボロ公爵家という、イギリス有数の貴族の家だったのでした。(チャーチル本人は次男か三男で党首ではない。)お城から見えるところはすべて、マールボロ家の領地であるのだとか。広さで言うと千代田区を超えるとか。敷地の中に競馬場もゴルフ場も牧場も森もあります。あまりのどはずれた規模と「富」に、ただただひたすら感心して帰って来ました。
そして、ホームステイ先のご主人(市役所の職員)にその話をしたら、「ここ(イギリス)は、そういう国なんだ!」と思いっきり不愉快な顔をされました。ふだんはすごく温厚な人だったんですが。あーそーかー、と思ったような次第。
イギリスの階級社会というものにちょっとだけ触れた経験でした。
-
- board4 - No.1120
社会評論、小説家、といえば・・・・・
- 投稿者:Mills
- 2001年11月11日(日) 15時19分
はじめまして。
最近このサイトの存在を知り、一週間ほどかけて過去ログに目を通しました。サイトが長く続いてるから当然でしょうけど、過去ログは莫大な量ですね! 不沈戦艦さんや冒険風ライダーさんの機知豊かな連載(?)は掲示板というものの上だけでなく、一冊の本にしたとしても充分読み応えがあると感じました。スゴイです。
田中芳樹氏の作品は「アルスラーン」から読み始め、「銀英伝」「創竜伝」「マヴァール戦記」「その他の一冊完結物、短編集」という具合に読んでいました。創竜伝だけは八巻辺りで「なんかつまらないんだよな・・・・・・不愉快なんだよな・・・・・・・・・」と読むのを止めてしまい、それ以来触れていません。
このサイトの過去ログを読むうちに、自分がなぜ創竜伝を読むのを止めたのかわかった気がしました。私の場合、「でたらめな社会評論に嫌気が差した」というより「訳知り顔でものを言う(ように受け取れる)作者の執筆姿勢」がイヤだったのだと思います。夜見返してみると銀英伝にもそういう姿勢は垣間見えるのですが、小説としての完成度が(というとうさんくさいけど、要は私をのめり込ませてくれたかどうか)それを帳消しにしていたのかもしれません。とすると、私にとって創竜伝は単に「ヘタな小説」とも言えます。
ところで、過去ログをざっと見た後に私がふと思いついたことについて書かせていただきます。田中芳樹氏のキーワードであるところの「作中に盛り込まれる社会評論」、「日本人蔑視」、「最近寡作の小説家」、というキーワードから、私はすかさず島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか? 単に私が島田氏のファンでもあるから結び付けただけかもしれませんが(+_+)。島田氏の場合、「社会評論が盛り込まれることにより小説がつまらなくなった」というわけではなく、むやみやたらと同人誌界にすりよろうとする最近の姿勢をいかがなものか、と感じてしまうのですが。それはともかく、両者を比較して論じたら面白そうだなあ、と思いました。「じゃあやってみて!」と言われたら色々悩んで知恵熱でそうですが(^_^)。考察、検証の類は苦手なんです。その点からも常連の方々はスゴイ、と思います。本当に。
長々と書いてしまいました。
これからもちょくちょく覗かせていただきます。よろしくお願いします。
-
- board4 - No.1121
なぜルドルフはクローンに跡を継がせなかったのか?
- 投稿者:バスク大佐
- 2001年11月14日(水) 04時49分
ルドルフは遺伝子主義者なわけですよね。
貴族とはいえ、自分以下の遺伝子と代々平均化されていくよりは、常に自分のクローンが跡を継いでいくほうを選ぶのでは?
と、思いました。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1122
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(3)
- 投稿者:倉本
- 2001年11月14日(水) 06時21分
そういえばこの本の中でエリザベスとメアリーについて触れているところがあってそこで興味あるというと書いてくれと言われるからいえないと田中芳樹は言っていました。
田中芳樹はどうも頼まれた仕事を断れないようですね。
田中芳樹はもう仕事を選べる立場にいるというのにそれがわかっていないようですね。
というか誰でも基本的に仕事を選ぶ権利はあるんですが。
ましてやそれが自由業に近い作家ならなお一般人よりその権利が強いはずです。
ひょっとするとヤンもこういう頼まれると断れない性格だったのでは。
だから断れないうちにずるずると深みにはまってああいうことになったのでは。
そうだとすると田中芳樹本人が否定的でもやはりヤンは田中芳樹本人の分身ですね。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1123
英国貴族についての余談
- 投稿者:あけみ
- 2001年11月14日(水) 13時29分
はじめまして。私はあけみと申します。
半月ほど前に、こちらのサイトを偶然知り、一日三~四時間のペースでザ・ベストや過去ログetcを楽しく拝見させていただいています。
特に冒険風ライダーさんの歴史、政治、経済など幅広いジャンルの様々なお話には、すっかり圧倒されてしまいました。
今回の「イギリス病のすすめ」の後編も楽しみにしております。
大して知識や見識がない私でも、こちらの掲示板のお仲間に加えていただけますでしょうか?
よろしくお願いしますm(_ _)m
<昔、イギリスで「チャーチルの家」を訪ねたことがあります。
立派な門があって高い入場料を取られます。それから車で5分、途中で競馬場があるのを横目に見て、着いた ところはそれはそれは立派なお城。バッキンガム宮殿なんて目じゃありません。「チャーチルの家」はマールボロ公爵家という、イギリス有数の貴族の家だったのでした。>
この優馬さんのお話を拝読して、私は川原泉氏の「笑うミカエル・オペラ座の怪人」を思い出してしまいました。
ご存じない方のために簡単に説明を。
「聖ミカエル学園」という幼稚園から短大まである日本有数のミッション系の超お嬢様学校に通う高等部の司城史緒、斎木和音、更料柚子という、どうしても聖ミカエル学園の校風になじめずに、巨大なネコをかぶっての学校生活を送る三人の女の子たちが主人公です。
そして、彼女たちのクラス担任で国語教師のロレンス先生が、イギリスの貴族階級の出身です。
三年生の冬休みに、ロレンス先生(彼いわくの『僕んち』)のイギリスの家に柚子が遊びにいくことになったのですが(その後から史緒と和音もやってきます)、その広大で豪華な「まるでお城のような屋敷」に、彼女はあっけに取られて開いた口がふさがらないとゆー・・・
「『僕んち』ってゆーのは、普通もっと控えめで慎みのある建物につける言葉だろうが」と、柚子は胸の内でツッコミを入れるのでした・・・(柚子の家も裕福で、なかなかの豪邸なのですがケタが違います)
そしてこの話には、ロレンス先生の親友でドイツ出身のオペラ歌手「ラインハルト・フォン・ベルンシュタイン」というキャラと、ラインハルトの宝物で彼に愛情を注がれて魂が宿ったテディベア「ルドルフ・シュミット」の名前に、当時銀英伝に熱狂的にハマッてた私は大ウケしました~
その上、このラインハルトは柚子に「自分のことを『ハル』と呼んで欲しい」と言うのですが、柚子は「年上の人を『ハル』と呼び捨てにするのに抵抗がある」と思い、『お』と『さん』も一緒にして、『おハルさん』とラインハルトを呼んだ時には、わたし笑い死にするかと思いましたわ~♪
おかげでしばらく『銀英伝のラインハルト』まで『おハルさん』呼ばわりしてました(笑)
ちなみに作者の川原泉氏は、「笑うミカエル・オペラ座の怪人」を描いた当時は「銀河英雄伝説」をご存じなかったようです。
(後で「面白くてあーっとゆー間に読んでしまいました~」とコミックスの余白エッセイに書いていましたが)
突然乱入しての駄文失礼しましたm(_ _)m
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1124
Re:英国貴族についての余談
- 投稿者:優馬
- 2001年11月14日(水) 15時59分
優馬です。
あけみさん、いらつしゃい。
> この優馬さんのお話を拝読して、私は川原泉氏の「笑うミカエル・オペラ座の怪人」を思い出してしまいました。
> その上、このラインハルトは柚子に「自分のことを『ハル』と呼んで欲しい」と言うのですが、柚子は「年上の人を『ハル』と呼び捨てにするのに抵抗がある」と思い、『お』と『さん』も一緒にして、『おハルさん』とラインハルトを呼んだ時には、わたし笑い死にするかと思いましたわ~♪
おや、ここにも川原泉で死にかけた方が。
私も、腹の皮よじらせ過ぎると人間は死ぬのではないかと本気で思いました。
しかし、あれは銀英伝のパロではなかったのですか。何というすごい偶然!
川原泉さんは、今でも描いておられるのでしょうか?
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1125
Re:なぜルドルフはクローンに跡を継がせなかったのか?
- 投稿者:クロイツェル
- 2001年11月14日(水) 16時00分
> ルドルフは遺伝子主義者なわけですよね。
> 貴族とはいえ、自分以下の遺伝子と代々平均化されていくよりは、常に自分のクローンが跡を継いでいくほうを選ぶのでは?
> と、思いました。
なかなか面白い着眼点ですね。理由としては、
1.当時の倫理感として人間のクローン作成が異常なものとして認識されており、ルドルフもその感性で行動したから
2.そもそもルドルフは、遺伝子を操作してどうこう…という発想自体が嫌いだったから。この場合、遺伝子治療を不可能とする劣悪遺伝子排除法も、ここに大元があったのかも。
3.自分の遺伝子の無謬性を信じていたから。つまり、自分の遺伝子を引き継いだ者は全て優れた者になると思いこんでいた(実際には奇形児も生まれているらしいが、狂信者がそんな事ぐらいで考えを曲げる訳がない(笑))
てなところでしょうかねえ?個人的には、3番が一番可能性ありそうかな?と思います。
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1126
Re:英国貴族についての余談
- 投稿者:あけみ
- 2001年11月14日(水) 16時57分
優馬さん。レスをありがとうございます♪
> しかし、あれは銀英伝のパロではなかったのですか。何というすごい偶然!
「銀英伝を読んだ」と描いてたのは「笑うミカエル」よりずっと後に出たコミックスですから。
「もし川原氏が銀英伝をご存じだったら、クマの名前は『ルドルフ』ではなく『ジークフリード』だったに違いない!」とは、ファン仲間の友人談(笑)。
> 川原泉さんは、今でも描いておられるのでしょうか?
花とゆめ本誌や別冊では見かけませんが、白泉社から出ている文芸雑誌(雑誌名忘れちゃいました…)に短めのものを忘れた頃に時々発表していたようですが、最近はそれも怪しいですね…
ちなみに一番最近発売された著作は2000年春に出た「ブレーメンV(ファイブ)」(白泉社ジェッツコミックス)だと思われます。
それにしてもどーして私が好きな小説家&マンガ家は、我らが御大といい、こうも遅筆&寡作な人が多いのか…(泣)
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1128
Re:なぜルドルフはクローンに跡を継がせなかったのか?
- 投稿者:Merkatz
- 2001年11月15日(木) 02時49分
執筆当時は今ほどクローンに関する技術は進んでなかったから・・・というお約束は置いておいて(笑)。
「宇宙の摂理は弱肉強食であり、適者生存、優勝劣敗である。人類社会もまた、
その例外ではありえない」と演説したほどのお人ですから、
クローン技術は「宇宙の摂理」に反する許しがたいことだと考えていたのかもしれません。
また、進化論的考えですから、やはり優秀な自分から無能な子孫が生まれるはずはないと信じていたんでしょう。
まあ蛇足ながら、もし今のテクノロジー情報をもとに銀英伝を書き直したら、
小説内の諸設定がどのように変わるのか、非常に面白そうですね。
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1129
Re:なぜルドルフはクローンに跡を継がせなかったのか?
- 投稿者:lulu
- 2001年11月15日(木) 05時42分
> まあ蛇足ながら、もし今のテクノロジー情報をもとに銀英伝を書き直したら、
> 小説内の諸設定がどのように変わるのか、非常に面白そうですね。
「だいじょうぶ、死んでも生きられます。」byおきぬちゃん
状態になるだけのような気がしますが…
ラ「キルヒアイスの身体の再生まであとどのくらいかかる?」
シ「身体の成長には3年はかかるでしょう。処置が早かったので、
記憶の破損は最低限です。」
ラ「そうか…キルヒアイス、3年間のお別れだな。
また会うときまでにはおまえとの約束を果たしておくぞ。」
ミュ「陛下のご容態は?」
ミ「藪医者達が言うにはよくはないそうだ。だがこんな時のために
オーベルシュタインが作らせておいた陛下のコピー体がある。
早急に記憶の移植を行うことになるだろう。」
ユ「よかった…提督、生きかえってくれたんですね」
フ「こんなに人を心配させて…でも今回だけは許してあげる」
ヤ「やれやれ、たとえ死んでも簡単に休ませてはくれないようだな」
- 親記事No.1120スレッドの返信投稿
- board4 - No.1130
Re:社会評論、小説家、といえば・・・・・
- 投稿者:駆け出し
- 2001年11月15日(木) 09時52分
初めまして。駆け出しでございます。
>島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか?
島田氏との比較考証はなかなかに興味深いですね。
私は以前より、ともに衒学的であり、漫画・アニメ好きであり、ヒット作が講談社より発行されているという理由で、田中氏と京極夏彦氏を比較すると面白いのでは、と思っていました。
あと、ほぽ同世代で、中国指向ということで宮城谷正光氏との比較も興味深いです。
もうひとつ、作品の世界観や執筆態度が、田中氏とは対極にあるという理由で宮部みゆきさんとの比較はいかがですか。
どなか詳しい方はいらっしゃらないでしょうか。
- 親記事No.1120スレッドの返信投稿
- board4 - No.1131
具体例を挙げてみてはいかがでしょうか?
- 投稿者:あけみ
- 2001年11月15日(木) 11時11分
はじめまして、Millsさん。
島田荘司氏が話題に挙がってますので、遅ればせながらですが参加させてくださいね。
<「作中に盛り込まれる社会評論」、「日本人蔑視」、「最近寡作の小説家」、というキーワードから、私はすかさず島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか?>
ご指摘されるまで気づきませんでしたが、言われてみると「結構近いものはあるかも…」と思います。
ただ、島田荘司氏の著作は「御手洗潔(ご存じない方のための注「みたらいきよし」と読みます)シリーズ」以外は二、三作品しか私は読んでいませんので、それを先にお断りしておきますね。
確かに、御手洗潔のメンタリティーは竜堂兄弟の、特に年長組に似ているとは感じました。
他人を小馬鹿にした言動、特に社会的地位が高い人や有名人に対してする事が多いとか、妙に反骨精神が旺盛なところとか。
でも私の場合、御手洗潔はまだ許容範囲内に収まってます。
「占星術殺人事件」や「異邦の騎士」「数字錠」などでの彼は好きですから。
<田中芳樹氏と比較して論じたら面白そうだなあ、と思いました。「じゃあやってみて!」と言われたら色々悩んで知恵熱でそうですが(^_^)。考察、検証の類は苦手なんです。>
自分から話もふらず、人様の話の尻馬に乗っかってる私が言うのも何ですが、具体的な例、つまり根拠を述べる事から始めないと、比較する事すらできないと思うのですが、いかがでしょう?
まず、Millsさんから見た島田荘司氏の「作中に盛り込まれる社会評論」「日本人蔑視」についてお話していただけませんでしょうか。
そこから、田中芳樹作品との比較、考察、検証と展開させられると思うのですが。
それでは、また。
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1132
Re:なぜルドルフはクローンに跡を継がせなかったのか?
- 投稿者:備前宰相
- 2001年11月15日(木) 11時49分
正式タイトルは忘れましたが
「未来ロボダルタニアス」というロボットアニメでは
クローンは人間として認められていませんでした
影武者や歩く提供用臓器などとして単なる生体部品扱いです
指導的立場に立つなど考えられないことでした
あえてこじつければ
銀英伝の世界も似たところがあるのでしょう
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1133
毎度のゴミ
- 投稿者:モトラ
- 2001年11月15日(木) 14時45分
「地球防衛軍テラホークス」に登場する、ナインスタイン隊長を思い出してしまいましたよ私ゃ(^^;
クローンだの記憶も含めた肉体再生技術が存在した日には、「銀河英雄伝説」ワールドにおける「死」の重みがゼロになってしまいますなぁ。個人的には却下。
クローンの話題から外れてしまいますが、執筆当時(一般向けに)存在しなかった技術といえば、やはり筆頭はインターネット。これに類する、全銀河を結ぶ超光速コンピュータネットワーク網が存在していれば、戦闘・政治・経済状況に大きな影響を与えたように思います。
- 親記事No.1121スレッドの返信投稿
- board4 - No.1134
Re:毎度のゴミ
- 投稿者:lulu
- 2001年11月15日(木) 18時39分
> 「地球防衛軍テラホークス」に登場する、ナインスタイン隊長を思い出してしまいましたよ私ゃ(^^;
私のイメージはファイブスターのF・U・ログナーですけどね。世代の違い…
> クローンだの記憶も含めた肉体再生技術が存在した日には、「銀河英雄伝説」ワールドにおける「死」の重みがゼロになってしまいますなぁ。個人的には却下。
死体が新鮮な内に回収されなければ記憶は戻らないということでどうでしょうか。戦死したら普通回収はできませんね。記憶のバックアップは不可ということで…
> クローンの話題から外れてしまいますが、執筆当時(一般向けに)存在しなかった技術といえば、やはり筆頭はインターネット。これに類する、全銀河を結ぶ超光速コンピュータネットワーク網が存在していれば、戦闘・政治・経済状況に大きな影響を与えたように思います。
そんなものが発明されたら、ルドルフの専制主義国家なんて成立するわけ無いと思うのですが(汗)。
私としては技術革新だけでなく、今日のようなイデオロギー対決ではなく、民族主義的な考え方の流行が気になりますね。宗教問題や民族対立のある銀英伝…なんだかな~
- 親記事No.1116スレッドの返信投稿
- board4 - No.1136
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編(3)
- 投稿者:ヨウ
- 2001年11月16日(金) 07時26分
はじめまして。
えーと、誰かか突っ込むだろうと思って待っていたのですが誰もつっこまないのでできるところだけつっこみたいと思います。
> 創竜伝7巻 P128下段~P129上段
> <本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>
> ちょっとちょっと田中センセイ、アンタ自分が「自説の補強」としてわざわざ示唆した評論内容をすら読んでも覚えてもいないのですか(笑)。問題の評論で確か田中芳樹はこうも言っていましたよね。「現代日本の富は文化を育まなかった」って。
> 田中芳樹が(イギリスの)熱心なアニメファンが日本に憧れを抱いていると絶賛している日本アニメは、まさに現代日本の富が生み出した世界に誇るべき文化のひとつではありませんか。田中芳樹の問題評論を私は全面的に否定しますけど、田中芳樹自身はその問題評論に対して「発言者としての責任」を負わなければならないはずです。その田中芳樹が、かの問題評論の訂正も撤回も総括も反省も行わないで、現代日本の富が生み出した文化のひとつである日本アニメを絶賛するなど到底許されることではないでしょう。
> 自分の主張に一貫性のある説得力を持たせたいと思うのであれば、あの問題評論と日本アニメ絶賛論との整合性を考えるか、それができないのであればどちらかの主張を「公式の場で」撤回すべきでしょう。何の説明もなしに自らの主義主張を転向するなど、自らの言動に対する責任を放棄する、人として最低の所業であると認識すべきです。
そもそも日本のマンガやアニメを文化の名に値しないと考えていたとも読めます。自分自身はその考えには反対ですが、世の中にはそういう風潮も確かにありますので田中芳樹がそういう風に考えている可能性も否定できないかと。
もうひとつ、言っておきたいのは日本のアニメ・マンガ文化は日本の富によって育まれたのではなく、自発的に(言うなれば勝手に)育ってきた、文化のほうが富を利用しただけ、ということです。別に日本で芸術品を買いあさっていた人々がメディチや足利義満のようにこれらを育んだ訳ではまったくありません。手塚治虫の作品を買い上げたわけでもありません。政府がパトロンになったわけでもありません。日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もないでしょう。田中芳樹の発言にはそういった一貫性が見て取れるのですが。少なくとも「醜悪」とまで言われなければいけない筋合いはどこにもないでしょう。
> この2人は何か重大な勘違いをしているようなのですが、アヘン戦争に限らず、またイギリスのみならず日本以外の外国の歴史教育で「侵略戦争の罪悪」について教えられることなどあるわけないでしょう。これはイギリスの教育制度の問題などではなく、第一に国家間における歴史認識の相違の問題であり、第二に歴史教育の存在意義の問題なのです。
> そもそもここで取り上げられているアヘン戦争というのはイギリスと当時の清王朝との戦争です。それぞれの主義主張と利益をかけて互いに対立し、戦った戦争に対して、戦争当事国たる両国が同じ歴史認識を共有することなどありえません。アヘン戦争は中国にとっては確かにイギリスに一方的にいたぶられた、被害者意識をつのらせるような戦争だったという認識なのでしょうが、当のイギリスでは、アヘン戦争を「中国を開国させた意義があった」と評価しているのですし、また実際イギリスにとって多大な恩恵をもたらした戦争でもあるのです。そんなイギリスが、自国の歴史教育でアヘン戦争に対して否定的評価を下すわけがないでしょう。アヘン戦争に関して、イギリスが中国と同じ歴史認識を共有しなければならない理由が一体どこに存在するというのですか?
> それに歴史教育に限らず、外国における初等教育は元々「自国への忠誠と敬愛」を教え、その国に属している国民としての誇りを持たせることを最優先事項として位置づけています。そしてその目的のために、毎日の朝礼の際に生徒に対して自国の国旗と国家に対して忠誠を宣誓させたり、国歌を斉唱することを教えるなどといった、日本の右傾化教育とやらを憂えていらっしゃる田中芳樹が目を剥くような「極右教育」が公然と行われているほどです(笑)。実のところ、日本以外の外国における歴史教育において「歴史の真実を教える」ことなど二義的な問題でしかないのです。むしろ「歴史の真実」とやらを教えることが、初等教育の目的と相反することだってありえるのですから、これはむしろ当然のことでしょう。
これは歴史教育における単なる見解の相違ですね。「歴史の真実を教える」ことが二義的な問題でしかない、というのは今までの外国で、また、戦前の日本でそうであっただけでこれからもそうでなくてはならない理由にはなりません。愛国心を植え付けるのは確かに諸外国ではそうですし、ひとつの目的ではあるでしょうけどそうではいけないと考えるのがひとつの日本の潮流ですね。そしてそれは間違ってはいないでしょう。
個人的な考えを言わせてもらうと別に今の教科書がすべて良いとは思いませんが、かといって他国並みの宣伝教科書も最低ですね。いろいろな教科書が出てくればいいのです。その中でバランスがとれた、宣伝文書にならずに健全な愛国心を育成する教科書が出てくるのがこれからの歴史教育に最も望ましいことでしょう。いつまでも中国みたいな共産党の宣伝文書で教育する時代でもないはずですし、イギリスの態度は宣伝文書の延長上にある、という意味での批判でしょう。(田中芳樹は中国教科書の批判はしないでしょうね。そこは十分批判の対象になります)初等教育の目的とやらを考える時代にきている、ということです。
再度言いますが、「自国への忠誠と敬愛」を植え付けることは現在の世界の歴史教育の流れですが、これが絶対に正しいということは絶対にありえませんし、田中芳樹はその流れを批判したに過ぎません。別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう。もともとそうだったがこれからはこうあってもいいんじゃないか、ということだと思います。「それが当然なんだからそれに反論するやつはおかしい」という考えはおかしいです。
>そんな千差万別の生徒の価値観を全く無視して「全ての生徒は歴史に関心を持つだろうし、持つべきである」などと主張するのは一種の独善であり、個人的嗜好の一方的な押しつけでしかありません。
そのとおりです。そして、田中芳樹はどこでそんなことを言っていますか?自分にはわからないので教えてください。
> そしてそのような「歴史に興味も関心も持たない生徒」に対しても必要最低限の歴史知識を理解させ、歴史的思考力を身につけさせ、国民としての自覚と資質と養うことこそが、歴史教育の本当の意義であり目的なのです。そしてそのような基礎知識を初等教育において身につけることによって、将来何らかのきっかけで歴史に興味と関心を抱いた時に役に立つことだってあるでしょう。歴史教育が果たす役割としてはそれで良いのではありませんか?
これも本当にそのとおりです。そのためには宣伝教科書を用いるべきではありません。ほかの人がどう考えてるかはわかりませんが
> ところで上記の引用対談文についてですが、1996年頃に発生した歴史教科書問題に対して田中芳樹が自分の見解を発言したという事例というのは、私が調べた限りでは実はこれが初めてです。創竜伝の記述の中で、個人的な被害妄想に基づいた、ありもしない日本の右傾化教育とやらに対する批判を行っていた個所ならいくつか存在するのですけど(笑)。
> で、せっかく面白い見解を述べていただいたのですけど、当時の歴史教科諸問題を受けて発足した「新しい歴史教科書をつくる会」を批判するのに「教科書は強制されるから面白くない」云々の話を持ち出している辺りは、残念ながら批判のピントが根本的にズレているとしか評しようがないですね。「新しい歴史教科書をつくる会」は、何も歴史教科書を表面的に面白おかしくするために、歴史教科書を新規に作成しようと考えていたわけではないのですから。
表面的にかどうかは知りませんが、彼らは、「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」ということを盛んに主張していますよ。普通に彼らの発言を読めばわかることだと思うのですが。そういえば、「国民の歴史」のキャッチコピーは「歴史とはこんなにも面白いものだったのか」でしたっけ。あれは出版社が考えたんでしょうけど。
> 「新しい歴史教科書をつくる会」の主張・目的は以下の文に代表されるものです↓
>
> 新しい歴史教科書をつくる会・平成9年1月30日設立総会<趣意書>
> <私たちは、二十一世紀に生きる日本の子どもたちのために、新しい歴史教科書をつくり、歴史教育を根本的に立て直すことを決意しました。
> 世界のどの国民も、それぞれ固有の歴史を持っているように、日本にもみずからの固有の歴史があります。
> 日本の国土は古くから文明をはぐくみ、独自の伝統を育てました。
> 日本はどの時代においても世界の先進文明に歩調を合わせ、着実に歴史を歩んできました。
> 日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探り出し、近代国家の建設とその独立の維持に努力しました。
> しかし、それは諸外国との緊張と摩擦をともなう厳しい歴史でもありました。
> 私たちの父母、そして先祖の、こうしたたゆまぬ努力の上に、世界で最も安全で豊かな今の日本があるのです。
> ところが戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。
> 特に近現代史において、日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれています。
> 冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています。
> 世界にこのような歴史教育を行っている国はありません。
> 私たちのつくる教科書は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写します。
> 私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。
> 教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。
> 子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書です。
> 私たちはこのような教科書をつくり、普及するために必要な一切の活動を力強く推進します。
> 私たちの事業に、皆様のご理解とご参加を心からお願い申し上げます。>
>
> この主張のどこをどう読めば「新しい歴史教科書をつくる会」が「おもしろい教科書」なるものを作成しようとしているように解釈できるのでしょうか(笑)。そりゃ読んでて不快感を覚える既存の自虐とウソまみれの歴史教科書に比べれば「内容的に面白い」ということはあるかもしれませんけど、それはあくまでも結果論の話です。
> そもそも「教科書の強制力」について述べるのであれば、それまでの歴史教科書の方こそが「強制力」を盾に強大な影響力を行使し、国民に自虐史観に基づく原罪意識を刷り込んできたのではないですか。それが教育現場を狂わせ、少年犯罪を激増させる要因のひとつとなったからこそ、日本の歴史教育を正常に戻すことを目的として「新しい歴史教科書をつくる会」は発足されたのです。
すごいですね。ここまで正確に(ですよね?)「つくる会」の建前の主張を持ってこれるとは。まぁ、でもこんなものは建前ですからね。これを読んですべてがOKだと思ったらほかのインタビュー記事なんて売れるわけがないし「それは公式主張を読んでください」で終わってしまうでしょう。まさかこんな建前に「歴史教科書を面白おかしくしたい」なんて書く人もいないでしょうし。
それと自虐教科書が少年犯罪につながる、との信念をお持ちのようですが何か根拠でもあるのですか?右翼の家には少年犯罪がなく、左翼には多い、とか。正直言って意味がわかりません。この論は一部の論者の間で盛んに言われてますが、根拠はないんですよね。はっきり言って。少年犯罪凶悪化についてはいろいろな原因があるでしょうが、一番説得力をもった意見は「共働きの増加」によるところが一番ではないかと思います。それでも本当のところはわかりませんし、少年による殺人事件の件数自体はむしろ減少傾向にあります。
犯罪白書平成11年版による統計データでは、以下の通り。
未成年者による殺人事件発生件数の経年変化。
1945~1967年では、1961年の年間448件をピークにして、ほぼ、年間300~400件の間で推移している。
1967年以降、発生件数は激減し、1974年以降では年間70~100件程度でほぼ横這い状態である。
短期間の傾向で見るなら、1996年99件、1997年74件、1998年114件である
さらに、あれほど愛国的な国、アメリカでも少年の銃乱射事件などもありましたよね?こういったことを考えるととても自虐教育のせい、とはいえない気がするのですが。
まぁ、この件に関しては確信的な発言をしないほうがいいかもしれませんね。
>故・田中角栄の元秘書を努めていた早坂茂三氏の著書「宰相の器」(クレスト社)によると、ある自民党4年生議員の毎月の活動費が約1000万円なのに対し、出費は230万円が15人のスタッフの給与として支払われ、結婚式その他のパーディのご祝儀代が約80万円、事務所の費用が200万円ほどもかかり、さらに残りのカネは、お客を贅沢に接待し、政治家としての個人的な人脈を作るための費用として使われるため、手元にはほとんどカネが残らないと書かれています。さらに選挙資金に関しては、国から交付される選挙費用の上限が約1500万円であるのに対して、実際の出費はポスター代から地元の選挙運動員の飲み食い代まで含め、すくなくとも2億~3億円ほどもかかるのだそうです。これでは大まじめに法律を守ってなどいたら、まず間違いなく日本の政治家は破産しますね。
> 政治の仕事を全うするためにこの深刻なギャップを埋める必要のあることが、日本の政治で汚職が多発する最大の原因となっており、そのために日本の政治家は様々な法律の抜け穴を探し、カネを調達しようとするのです。この構造的な汚職発生の土台を何とかしない限り、日本で汚職事件が発生するのは避けられないことなのです。本当にこの「構造汚職」をなくしたいと考えるのであれば、政治家のカネの流れをより透明化した上で、政治家が自由に資金調達できる環境を整備していくべきでしょう。そもそも「政治家は清貧であらねばならない」という発想自体が間違いの元です。
別に間違いじゃないと思いますが。ヴェネツィア共和国では賄賂は死刑、でしたが?あそこは間違っていた、ということでしょうか?まぁ、歴史上の、極端な例ですけども、あそこは国家として成功してますから。
問題なのは賄賂をとらねばやっていけない構造ですよね。「清貧~」の発想自体は別に間違いじゃないでしょう。要するに見つからなければ清貧なんですから、見つかるやつは無能なだけで最低の政治家であることに変わりはありません。構造は変えなければなりませんが賄賂を取ること自体は批判されるべきでしょう。批判されない国家になんて住みたくないですね。大体にして、今の政治家が必要な分だけしか賄賂をもらっていない、なんありえませんからね。
> 本当に日本の政治家の汚職問題に対して何か考えるところがあるのであれば、なぜそれが何度も起きるのかという理由について詳細に検証し、自分が調べた結果を読者に説明する手間くらい行ってみたらどうなのでしょうか。どうもあの2人は、日本の政治家の汚職事件をただネタにするだけして、面白おかしくこき下ろしているだけであるようにしか見えないのですけど。
おもしろおかしくこき下ろしてます。それでいいのでは?議論ではなく、対談ですし。面白おかしくこき下ろすことは品性下劣の証明ではなく日本の民主制の健全さの証明でしょう。この場合、特定の個人を中傷しているのではないですから。田中芳樹は常に高邁でなければならない、なんて信じてるわけではないですよね?
> この2人のおバカな対談を読んでいてつくづく思うのですが、「民主主義国家では政権交代が常に行われなければならない」という考え方って一体どこから出てきたものなのでしょうか? 国民が長期政権を望み、それが選挙に反映されれば、それもまた民主主義の成果であると言えるのではないかと私などは考えるのですけど。
> そもそも戦後の日本における政治の世界に「健全な野党」なるものが存在したためしがありません。かつての55年体制で自民党と2大政党を構成した旧社会党は、何につけても自民党の政策に反対するばかりで何ら代案を提言することもなく、たまに口を開けば日本弾劾・共産圏擁護の発言ばかり繰り返していたからこそ「これは信用ならない政党だ」ということで国民からそっぽを向かれたのでしょう。日本の国益や国民の利益について何ら考えもせず、「反対のための反対」ばかり繰り返す政党などに、誰が日本の政治を委ねようとするものですか。
> 実際、自民党の政治スキャンダルに乗じて旧社会党が自民党から政権を奪う機会は何度もあったのですが、そのチャンスを全部逸してきた最大の理由は、全てこの旧社会党の「共産圏擁護に基づく反対のための反対」方針が祟っていたからです。もし旧社会党が自民党から政権を奪った場合、彼らはアメリカと手を切り、旧ソ連をはじめとする共産圏に接近する政策を取ることは確実でしたから、国民多数の意思と全く合致しない政策を行いかねない政党に政権を担わせなかった日本の国民は極めて健全な政治感覚を持っていたと言えます。
> そして冷戦終了後の93年に発足した細川連立政権、および94年以降の自社さ連立政権の様々な失政や節操のない変節行為によって、日本の野党は思想信条・政治手腕においても全く信用できないという評価が国民から下されてしまいました。結局「日本においてとにもかくにも政治を運営できるのは自民党だけ」という状況こそが、戦後の日本で政権交代がほとんど起こらない最大の理由であるわけですから、「政権交代が起こらないから日本の民度は低い」などという愚論にはほとんど何の意味もありません。
ここで問題なのは、社会党に代わり第二党に成り得る野党が生まれなかったことでしょう。「健全な野党」が存在し得なかったことそのものが重要なのですし、批判の種になるのです。別に社会党に政権をとらせればよかった、なんて趣旨の対談ではないと思います。自民党は派閥争いをしてるのに党を割らなかった、安保で国論がゆれてるときもそういう民意を反映する党が出来なかった。(社会党や共産党はほかの面で反映してませんよね)日本は民度が低い、といわれるのはそれほど的外れでしょうか。個人的にはそう短絡的に考えるべきではないと考えますが反対の意見も愚論だとは思いません。
長々と書きました。冒険風ライダーさんの意見に全て反対なわけではありませんが、気になるところ(それでもかなり長いかもしれませんが)を述べさせてもらいました。どうも、タナウツ批判では根拠をかなり正確に述べないと一斉攻撃を受けるのに、田中芳樹批判では根拠がない(明示されていない)ものも受け入れられている、そんな状態に見えましたのでつい、書いてしまいました。無論、自分の意見もまだまだなところが多いのですが・・・