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投稿ログ47 (No.940 - No.951)

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board4 - No.940

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:見学者
2001年10月02日(火) 03時38分

>  作者が、自身を作家というよりデザイナーと思っており、作品の世界観の接合性より、自身のデザインを世に作品の形で発表することを優先するスタイルは、田中芳樹の創竜伝における社会批評と作品の接合性に似たものがあるように思えます。でも、私個人としては、創竜伝の続巻より、ファイブスターの連載のほうがはるかに待ち望んでいるわけです。作者に振り回される点ではかわりませんですが、創竜伝や田中芳樹の作品に対するより、ファイブスターに対するその種の批判(書くのが遅いとか、直ぐ休載するとか、設定を破綻させてるとかいう類の)が少ないのは、作品としての魅力が、その他の欠点より勝っているからなのかなと思いました。
>
>  批判できる点では似ている、田中作品とファイブスターに対するこのサイトの人達の意見を聞いてみたいものです。
>
 残念ながら反応がありませんでした。ここの人達は、あまり星界だの、ファイブスターだののSFには興味がないのだろうか。やはり、書き方が良くなかったのだろうか。

 ちなみに、完全なアンチ田中ファンでなく、創竜伝やアルスラーンを面白いと思える私としては、優馬氏と不沈戦艦氏のお話は、不沈戦艦氏に完全なる正義があるとおもうわけでもないですが(そんなことはめったにないですが)、不沈戦艦氏の方が正しいと思います。ハンドル名何たらはどうみても優馬氏の屁理屈以外には、最低でも私には取れませんでした。ネットのマナーなる大上段に構えるものとの関係があるようには私には思えません。当事者の方々にはもう終わった話だと思いますので余計な書き込みかもしれませんが、一応常連でなく、ほぼROMのものの一人として意見です。

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board4 - No.941

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:駆け出し
2001年10月02日(火) 11時49分

見学者さんへ。

星界やファイブスターがSFか否か、という議論はひとまず置いておくとしまして、田中氏と永野氏に共通しているのは、プロとしての職業意識(倫理観と言い換えてもいいでしょうけど)欠如ではないでしょうか。マンガを描けるからプロの漫画家なのではなく、小説が書けるからプロの作家ではない、と考えます。
私は永野氏と面識がありませんが、もし、見学者さんがお書きになっているように「作者が、自身を作家というよりデザイナーと思っており、作品の世界観の接合性より、自身のデザインを世に作品の形で発表することを優先するスタイル」ということを永野氏が本気で考えていらっしゃるとしたら、マンガという表現方法を取るのはやめていただきたいです。
それは、真剣に――つまり、描けても描けなくても、締め切りを守るために、産みの苦しみにさいなまされ、ペンの持ち過ぎによる腱鞘炎のため利き手が上にあげられなくなるほど、それほど真剣にマンガに取り組んでいる多くの漫画家のかたたちに失礼だとおもうのですが。
デザイナーならデザイナーらしく、その分を守るべきでしょうし、マンガが描きたいならば、真剣に取り組んでいただきたいです。

同様のことは田中氏にも言えると思います。

一度手をつけた作品は書き続け、きちんと完成させる。
これはおよそ作家といわれ、それによって収入を得ているものにとって、最低限守らなければならないことではないでしょうか。

田中氏が敬愛してやまない陳瞬臣さんは、脳溢血で倒れられ、右半身の自由を失いながらも、「チンギスハーンの一族」を完成させました。
そのことについて、田中氏自身、どう考えていらっしゃるのでしょう。

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board4 - No.942

割とゴミレス

投稿者:クロイツェル
2001年10月02日(火) 16時02分

> 星界やファイブスターがSFか否か、という議論はひとまず置いておくとしまして、田中氏と永野氏に共通しているのは、プロとしての職業意識(倫理観と言い換えてもいいでしょうけど)欠如ではないでしょうか。マンガを描けるからプロの漫画家なのではなく、小説が書けるからプロの作家ではない、と考えます。
> 私は永野氏と面識がありませんが、もし、見学者さんがお書きになっているように「作者が、自身を作家というよりデザイナーと思っており、作品の世界観の接合性より、自身のデザインを世に作品の形で発表することを優先するスタイル」ということを永野氏が本気で考えていらっしゃるとしたら、マンガという表現方法を取るのはやめていただきたいです。
> それは、真剣に――つまり、描けても描けなくても、締め切りを守るために、産みの苦しみにさいなまされ、ペンの持ち過ぎによる腱鞘炎のため利き手が上にあげられなくなるほど、それほど真剣にマンガに取り組んでいる多くの漫画家のかたたちに失礼だとおもうのですが。
> デザイナーならデザイナーらしく、その分を守るべきでしょうし、マンガが描きたいならば、真剣に取り組んでいただきたいです。

 ただ、永野氏の場合、その作品が面白いのが難点なんですよねえ。プロ意識が欠如しているから失格、で切り捨てたくない面白さ・美しさがある(同類項:火浦功)。まったく、プロ意識の欠如した天才ほど始末の悪いものは、この世にそうはありませんな(笑)。

 ま、プロ意識の欠如した凡人には、弁護する言葉もありませんが。

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board4 - No.943

Re:割とゴミレス

投稿者:駆け出し
2001年10月02日(火) 16時24分

クロイツェルさんへ。

>ただ、永野氏の場合、その作品が面白いのが難点なんですよねえ。プロ意識が欠如しているから失格、で切り捨てたくない面白さ・美しさがある。

受け手(読者の立場)からですと、私も同意見です。
ファイブスターの世界観がエルガイムのパロディ(おふざけという意味ではなく)である点を差し引いても、十分に読ませる作品だと思います。

>まったく、プロ意識の欠如した天才ほど始末の悪いものは、この世にそうはありませんな。

永野氏がストーリーテラーとして天才とは考えませんが、一般論として上のご意見には賛成です。ウォルフガングの例を見るまでもなく、才能と謹直さは正比例しない場合もありますね。

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board4 - No.944

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:見学者
2001年10月03日(水) 03時34分

> 見学者さんへ。
>
> 星界やファイブスターがSFか否か、という議論はひとまず置いておくとしまして、田中氏と永野氏に共通しているのは、プロとしての職業意識(倫理観と言い換えてもいいでしょうけど)欠如ではないでしょうか。マンガを描けるからプロの漫画家なのではなく、小説が書けるからプロの作家ではない、と考えます。
> 私は永野氏と面識がありませんが、もし、見学者さんがお書きになっているように「作者が、自身を作家というよりデザイナーと思っており、作品の世界観の接合性より、自身のデザインを世に作品の形で発表することを優先するスタイル」ということを永野氏が本気で考えていらっしゃるとしたら、マンガという表現方法を取るのはやめていただきたいです。
> それは、真剣に――つまり、描けても描けなくても、締め切りを守るために、産みの苦しみにさいなまされ、ペンの持ち過ぎによる腱鞘炎のため利き手が上にあげられなくなるほど、それほど真剣にマンガに取り組んでいる多くの漫画家のかたたちに失礼だとおもうのですが。

 駆け出しさん。お返事ありがとうございます。しかし、少し疑問というか引っかかりのようなものを感じるので少し書かせていただきます。
 プロ作家という表現を、駆け出しさんが、ただ、商業レベルにおいてその作品が評価され作品そのものに商品価値がつくこととは考えてはいらっしゃらないことはわかります。商業ベースでは、出版サイドにしてみれば、水野氏や田中氏のような刊行が不定期にかつ刊行速度が通常では考えられないほど遅い作家と組むのはかなりストレスでしょうし、いやでしょう。
 普通の作家であれば直ちにプロ失格といわれ首になるのが落ちでしょう。しかし、それにもかかわらず、今のところにせよ田中氏や水野氏、またはバスタードの萩尾氏は職業作家としての地位を保持しており、将来は知りませんが淘汰されることなく残っています。それは、出版社サイドのメリットとデメリットの均衡の結果、メリットのほうが上回るという判断によるものです。デメリットが上回るならば、出版社は手のひら返して田中氏らを切るでしょう。
 ではなぜ彼らが特権的なそのような地位を許されるのでしょうか。他の人たちは、締め切りというあくまで出版社側の都合に合わせて自身の家庭なり健康なりを犠牲にしなければならないのに。
 それは、その他の作家に比べ彼らが、作品の質などは知りませんが購買力を有するファン層に支えられ、作家としての商業価値を保持しているからです。それを彼らがかさにかかって無茶を言っている点もあるでしょうが、プロ野球の全体の年棒が一部の一流選手によってあげられるように、出版社に対する作家の立場の向上という側面も持っているかもしれませんとは考えられませんか。もちろん、一部の選手の年棒高騰のため、ファームの選手が解雇されたり、他の選手の待遇が悪くなるように、他の作家にそのしわ寄せが行くという側面もありますが、それはどの世界でもあることでしょう。
 また、水野氏が表現者である以上、どんな表現形態(この場合、漫画)を利用して作品を発表しようと自由と思います。水野氏はデザイナーであり、漫画家でもあるわけで、それを、漫画家のみを商売にする人が、「あいつは漫画を片手間にやっている」というのは僻みでしかないようにおもえますが。

> デザイナーならデザイナーらしく、その分を守るべきでしょうし、マンガが描きたいならば、真剣に取り組んでいただきたいです。

 というわけで、デザイナーの分というのは私には分からない表現です。漫画家だって、登場人物の作画を最初にするときはデザイナーとしてのセンスを要求される側面もあるわけですし。真剣に取り組むということが、必ずしも、締め切り守るため腱鞘炎になるまで頑張ることでもないと思うのですが。

>
> 同様のことは田中氏にも言えると思います。
>
> 一度手をつけた作品は書き続け、きちんと完成させる。
> これはおよそ作家といわれ、それによって収入を得ているものにとって、最低限守らなければならないことではないでしょうか。

 それはそうだと思います。困ったものですし、この点に田中氏を批判するのは当然のことです。


> 田中氏が敬愛してやまない陳瞬臣さんは、脳溢血で倒れられ、右半身の自由を失いながらも、「チンギスハーンの一族」を完成させました。
> そのことについて、田中氏自身、どう考えていらっしゃるのでしょう。

 脳溢血になられたのは、元々のお年ということもあるのでしょうが、陳瞬臣さんという有能な作家を失いかねない執筆作業速度を要求する出版社の責任も少しはあるのではないでしょうか。職業としての作家の労働環境という面において。
 医学的に言えば、脳溢血の原因は、年齢というファクターが第一ですが、ストレスや過労を忘れられません。


 簡単に言うと、皆大変なんだからあなた達だけ特別扱いは行けないという議論になっていないかと私は思うわけです。あくまで締め切りは出版社の都合で、腱鞘炎とかなるのはやはり過密過ぎると思うのです。もちろん、世の中の人が、いま不況で頑張らされているということもあるのでしょうが。

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board4 - No.945

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:駆け出し
2001年10月03日(水) 09時41分

見学者さんへ

拝読いたしました。

見学者さんは、学生でしょうか? それとも社会人でしょうか?
すみません。文面からではお歳が判然としないものですから。
それで、社会に出ていらっしゃる方としてお話をさせていただきます。

ご存知のように、仕事というものは、すべからく納期というものがるあわけです。
いついつまでに、どれだけのものを納める。というやつです。
作家や漫画家の場合、これが締め切りですね。この締め切りは、見学者さんがおっしゃるような発注者(出版社)の都合だけで決められるものではありません。私のような駆け出しの場合はともかく、田中氏や永野氏のように、相応の足場を築いていれば、出版社側は最大限作家の都合に合わせてくれます。といっても、書き下ろしならば、半年以内でしょう。すくなくとも、何年にもわたることはないはずです。

作家側もそれで出来ると判断して、仕事を引き受けるわけです。
つまり、ここに発注者と受注者の間で納期が決まるわけです。
その納期が守れなかった、ということになれば、明らかな契約違反です。信義は、出版業界だけでなく、ひろく日本の社会がよって立つところではないでしょうか。

私が田中氏に対して、いささかの抵抗を感じてしまうのは、約束を守るという、人間として最低限度のことすら出来ない人が、何を居丈高に批判を繰り返していらっしゃるのでしょう、ということです。

作品がよければ、つまり、仕事が出来れば、約束はやぶってもよいものでしょうか。私は違うと思います。まして、その締め切りはご自分が決めたもののはずですから。

>陳瞬臣さんという有能な作家を失いかねない執筆作業速度を要求する出版社の責任も少しはあるのではないでしょうか。職業としての作家の労働環境という面において。

「チンギスハーンの一族」は新聞連載小説でした。出版社が過度な締め切りを設定したのでなく、陳さんご自身が出来ると判断なさり、書き始めたものです。ご病気は不測の事態だったでしょうが、陳さんは、職業人の、そして何より人間としての信義によって、納期を守ったのだと思います。出版社側の連載休止の申し出を拒絶なさってまで。

作品がよければ、人間性なんか、どうでもいい。そういう考えもあるかもしれません。しかし、私はやはり作者の人となりがもっとも大切だと思いますし、それは作品にあらわれてくるものだと思います。
逆に言いますと、作品の質や職業意識を見れば、その作者の人間性がある程度はわかるのではないでしょうか。

永野氏にかんしても、氏はかつて「Zガンダム」「エルガイム」「バイファム」などのデザインをなさっていますが、その当時納期を守らなかったという話は、寡聞にして知りません。つまり、やれば出来るということではないのでしょうか。そもそも、あのかたが真にデザイナーとして禄を食んでいらっしゃるならば、納期の大切さというのもは、他のどんな職種よりもわきまえていらっしゃるはずだと思うのですが。納期を守らないデザイナーなどまたたくまに失職するはずですから。

しかし、ファイブスターにおいて、納期を守りつづけないということは、やはり、漫画を描くという仕事を甘く――少なくともデザインの仕事より甘く見ていると考えざるをえませんし、それは専業漫画家たちにとって、ひがみではなく、非常にプライドを傷つけられることになると考えます。

バスタードがジャンプ本紙でああいあことになったとき、他の連載作家から、すさまじいブーイングが出ました。
「あいつがいいなら、おれにも認めろ」
つまり、そういうことです。週刊連載はそれほどにきつかったわけです。
仕方なく、本紙は「バスタード」を切り、執筆の楽な月刊に移しました。連載をつづけさけたのは、契約が残っていたからです。人気の基準はそれぞれですが、私は少年漫画において、初版が五桁にいかないものを人気があるとは思いません。

> 出版社サイドのメリットとデメリットの均衡の結果、メリットのほうが上回るという判断によるものです。

おっしゃるとおりです。出版契約がありますから、すぐに切ってしまうわけにはいかないのです。その点では、出版社のほうが信義を守ってますね。

>それは、その他の作家に比べ彼らが、作品の質などは知りませんが購買力を有するファン層に支えられ、作家としての商業価値を保持しているからです。

購買力=発行部数、というように考えてもよろしいですか?
だとしたら、田中氏も永野氏もけっして購買力が高いとは言えません。
他の作家、というのも、具体的にはだれを指すのでしょうか?
同時期にデビューしたという点で比べても、田中氏は宮城谷正光さんや浅田次郎さんとは比べものになりませんし、「ファイブスター」と「バガボンド」の発行部数の差は大きいです。

>プロ野球の全体の年棒が一部の一流選手によってあげられるように、出版社に対する作家の立場の向上という側面も持っているかもしれませんとは考えられませんか。

残念ながら、それには賛成できません。作家にとって、締め切りを守ることは、作品が創れるとか創れないとか、それ以前の問題ですから。
田中氏がデビュー同時から締め切りをやぶりつづけていた、というならべつですが。
私は権威主義者ではありませんが、直木賞作家で、現在も活躍していらっしゃる作家のなかに、田中氏のような執筆態度のかたは、ひとりとしていらっしゃいません。

> また、永野氏が表現者である以上、どんな表現形態(この場合、漫画)を利用して作品を発表しようと自由と思います。

それも同感です。宮崎駿さんも、一時期「ナウシカ」の漫画をアニメ雑誌に連載していましたし。
ですが、表現形態を選ぶ自由の中には、締め切りを守らなくてもよい、という項目は入っていないと思います。

> デザイナーの分というのは私には分からない表現です。

失礼いたしました。書き方が悪かったです。むしろ、デザイナーであるならば納期の大切さはわかっているはずのだから、ぜひ締め切りを守ってほしい、こう書くべきでした。

長々と失礼いたしました。

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board4 - No.946

横レス

投稿者:Merkatz
2001年10月03日(水) 14時02分

バスタードを買い続けている人たちって、意外と創竜伝を買いつづける田中芳樹ファンと同じ心理なのかもしれません。
かくいう私もバスタードのファンでして、
もはや破綻したストーリーとまともに締め切り守らない萩原氏の態度に愛想を尽かしているんですが、
とりあえずこの話のけりをどう付けるのかそれだけは見届けたいと、
単行本を買い続けています。
ま、発刊ペースが異常に遅いから経済的負担も知れているし(笑)。

集英社が彼を切らないのは、一種の飼い殺しかもしれません。
切れば何かと厄介だが、置いておけばそれなりに利益を出す。

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board4 - No.947

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:本ページ管理人
2001年10月03日(水) 16時19分

こんにちは。

まずは、ちょっとつまらないことから。
> ご存知のように、仕事というものは、すべからく納期というものがるあわけです。

すべからくというのは「~すべし」のク語法であって、「すべて」という意味はありません。
たとえば、「すべからく納期を守れ」だったら正しい用法です。


> 私が田中氏に対して、いささかの抵抗を感じてしまうのは、約束を守るという、人間として最低限度のことすら出来ない人が、何を居丈高に批判を繰り返していらっしゃるのでしょう、ということです。

同感ですね。私は「作家」の側面からではなく、言論人としての側面から、田中氏の態度は非難されるべきだと思います。


> 作品がよければ、つまり、仕事が出来れば、約束はやぶってもよいものでしょうか。私は違うと思います。まして、その締め切りはご自分が決めたもののはずですから。
> 作品がよければ、人間性なんか、どうでもいい。そういう考えもあるかもしれません。しかし、私はやはり作者の人となりがもっとも大切だと思いますし、それは作品にあらわれてくるものだと思います。
> 逆に言いますと、作品の質や職業意識を見れば、その作者の人間性がある程度はわかるのではないでしょうか。

俗論ですが、やはり真面目なサリエリよりは破綻者のモーツァルトのほうが評価されるべきだと私は思います。
もっとも、これはモーツァルトが人類最大級の天才だからこそ許されるわけで、逆に言えば、モーツァルトじゃない十把一絡げの才能は職業倫理に依らなければろくな事にはならないんですよ。
私も何回か言っていますが、あの評論が物語の完成度を劇的に高めているんだったらルール違反だろうと非難はしませんよ。あのふざけた執筆態度も何かの肥やしになっていてその成果を見せてくれれば横紙破りとして評価します。
ただ、田中芳樹に、そこまでの劇的な才能が無く、結果として、ただルールを守っていないだけの、愚劣な作品になっているから、批判しているわけです。
劇的な才能こそなくても、一般人にはとても無いくらいの才能があるんですから、その分に応じて節度のある仕事をすればいいと思うんですけれどねぇ…

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board4 - No.948

Re:作品の質と刊行期間に考えることとおまけ

投稿者:駆け出し
2001年10月03日(水) 17時22分

管理人様へ

>すべからくというのは「~すべし」のク語法であって、「すべて」という意味はありません。たとえば、「すべからく納期を守れ」だったら正しい用法です。

ご指摘ありがとうございます。おしなべて、と書くところをまちがえました。ほかにも何ヶ所か誤字などがありました。
ちゃんと推敲しなければいけませんね。お恥ずかしいかぎりです。

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board4 - No.949

Re:作品の質と刊行期間に考えること

投稿者:見学者
2001年10月04日(木) 02時50分

お返事ありがとうございます。いろいろ考えることがありました。前回の文を書いて、これは出版社サイドの苦労をあまり考えてない文だなと反省していたのですが。

> ご存知のように、仕事というものは、すべからく納期というものがるあわけです。
> いついつまでに、どれだけのものを納める。というやつです。
> 作家や漫画家の場合、これが締め切りですね。この締め切りは、見学者さんがおっしゃるような発注者(出版社)の都合だけで決められるものではありません。私のような駆け出しの場合はともかく、田中氏や永野氏のように、相応の足場を築いていれば、出版社側は最大限作家の都合に合わせてくれます。といっても、書き下ろしならば、半年以内でしょう。すくなくとも、何年にもわたることはないはずです。

 そうですね。ある期限までにある程度以上の品質のものを仕上げるのは、社会の常識です。それができないときペナルティーを課せられることになります。

> 作家側もそれで出来ると判断して、仕事を引き受けるわけです。
> つまり、ここに発注者と受注者の間で納期が決まるわけです。
> その納期が守れなかった、ということになれば、明らかな契約違反です。信義は、出版業界だけでなく、ひろく日本の社会がよって立つところではないでしょうか。

 そうですね。私は、広く日本社会のみならず資本主義の根本だと思いますが、文筆業というものはその性質から少し外れると思っていた部分があるわけです。せっかく焼いた焼き物を陶芸家が割るみたいなものとして。

> 私が田中氏に対して、いささかの抵抗を感じてしまうのは、約束を守るという、人間として最低限度のことすら出来ない人が、何を居丈高に批判を繰り返していらっしゃるのでしょう、ということです。
>
> 作品がよければ、つまり、仕事が出来れば、約束はやぶってもよいものでしょうか。私は違うと思います。まして、その締め切りはご自分が決めたもののはずですから。
>

 ここは、私が、出版社と作家の作品執筆契約がどう言うものかを知らなかった不明にあります。田中氏の作品発表形態が、駆け出しさんのおっしゃるものなら田中氏は困ったものです。しかし、本当の書き下ろし、つまり、彼が書いたらそれにより出版社が販売の計画を立ち上げるというもの(ひどい特権だ)として渡しは考えていましたが、駆け出しさんがおっしゃるようならこのような形態は存在し得ないようですね。

> >陳瞬臣さんという有能な作家を失いかねない執筆作業速度を要求する出版社の責任も少しはあるのではないでしょうか。職業としての作家の労働環境という面において。
>
> 「チンギスハーンの一族」は新聞連載小説でした。出版社が過度な締め切りを設定したのでなく、陳さんご自身が出来ると判断なさり、書き始めたものです。ご病気は不測の事態だったでしょうが、陳さんは、職業人の、そして何より人間としての信義によって、納期を守ったのだと思います。出版社側の連載休止の申し出を拒絶なさってまで。

 出版社側が連載休止の申し出をして、それを陳氏が本当に自身の意思で拒絶したならそれは陳氏の決断によるもので、私のどうこういうことではありません。


>
> 作品がよければ、人間性なんか、どうでもいい。そういう考えもあるかもしれません。しかし、私はやはり作者の人となりがもっとも大切だと思いますし、それは作品にあらわれてくるものだと思います。
> 逆に言いますと、作品の質や職業意識を見れば、その作者の人間性がある程度はわかるのではないでしょうか。
>
 それもどうかと思います。作家なり個人の業績とその人の人間性を比較して俎上にあげることは無意味だと思います。じゃあ、島崎藤村だったとおもうのですが、不倫なりにたいする批判ののひどい時代に、確か自分の姪かなんかと不倫して、それを小説にした人の人間性は最低ですが、その作品を批判するのは的外れですし。


> 永野氏にかんしても、氏はかつて「Zガンダム」「エルガイム」「バイファム」などのデザインをなさっていますが、その当時納期を守らなかったという話は、寡聞にして知りません。つまり、やれば出来るということではないのでしょうか。そもそも、あのかたが真にデザイナーとして禄を食んでいらっしゃるならば、納期の大切さというのもは、他のどんな職種よりもわきまえていらっしゃるはずだと思うのですが。納期を守らないデザイナーなどまたたくまに失職するはずですから。
>
> しかし、ファイブスターにおいて、納期を守りつづけないということは、やはり、漫画を描くという仕事を甘く――少なくともデザインの仕事より甘く見ていると考えざるをえませんし、それは専業漫画家たちにとって、ひがみではなく、非常にプライドを傷つけられることになると考えます。
>

 そうなんだろうか。あのような自由な表現ができる場を獲得できた水野氏の立場は、純粋にうらやましいし、締め切りに追われる専業漫画家には希望の星のような気がしますが。日常に追いまくられるサラリーマンが、一週間で二三日しか働いてなくとも不自由なく暮らせる自由業の人をみるように。

> バスタードがジャンプ本紙でああいあことになったとき、他の連載作家から、すさまじいブーイングが出ました。
> 「あいつがいいなら、おれにも認めろ」
> つまり、そういうことです。週刊連載はそれほどにきつかったわけです。
> 仕方なく、本紙は「バスタード」を切り、執筆の楽な月刊に移しました。連載をつづけさけたのは、契約が残っていたからです。人気の基準はそれぞれですが、私は少年漫画において、初版が五桁にいかないものを人気があるとは思いません。
>
> > 出版社サイドのメリットとデメリットの均衡の結果、メリットのほうが上回るという判断によるものです。
>
> おっしゃるとおりです。出版契約がありますから、すぐに切ってしまうわけにはいかないのです。その点では、出版社のほうが信義を守ってますね。
>
> >それは、その他の作家に比べ彼らが、作品の質などは知りませんが購買力を有するファン層に支えられ、作家としての商業価値を保持しているからです。
>
> 購買力=発行部数、というように考えてもよろしいですか?
> だとしたら、田中氏も永野氏もけっして購買力が高いとは言えません。
> 他の作家、というのも、具体的にはだれを指すのでしょうか?
> 同時期にデビューしたという点で比べても、田中氏は宮城谷正光さんや浅田次郎さんとは比べものになりませんし、「ファイブスター」と「バガボンド」の発行部数の差は大きいです。
>
 上の比較は意味がありません。私の言った他の作家とは、本を出して数万部売れればまあ良かったといえる作家全体の9割近い人たちで、宮城谷正光さんや浅田次郎さんのような人気作家のことではありません。
 「バガボンド」を基準に言ったら、ほとんどの漫画家は売れてないということになりますので。




> >プロ野球の全体の年棒が一部の一流選手によってあげられるように、出版社に対する作家の立場の向上という側面も持っているかもしれませんとは考えられませんか。
>
> 残念ながら、それには賛成できません。作家にとって、締め切りを守ることは、作品が創れるとか創れないとか、それ以前の問題ですから。
> 田中氏がデビュー同時から締め切りをやぶりつづけていた、というならべつですが。
> 私は権威主義者ではありませんが、直木賞作家で、現在も活躍していらっしゃる作家のなかに、田中氏のような執筆態度のかたは、ひとりとしていらっしゃいません。
>
 それは、田中氏も銀英伝とかもっと前の売れないときは、出版社の目を気にして、締め切りをちゃんと守ったに違いありません。どう考えても、彼は星の数ほどいる作家志望のひとりでしかなく、出版社にとってはいつでも切れる存在でしかないのですから。それが出版社に対して力関係が対等以上になれるのも、例えば小林よしのり氏のゴーマニズム宣言の版権のようなものをもてるからでしょう。それを行使するしないは本人の意思であり、しないことが必ずしも美徳とも言えないような気がします。もちろん田中氏は、やりすぎですが、一応中国ものの方は結構ちゃんと出していますし。自分で抱える連作を作りすぎということで、何年も待たせる連作を出さないため、一度にやる連作のコントロールをしろという気はとてもしますが。


> > また、永野氏が表現者である以上、どんな表現形態(この場合、漫画)を利用して作品を発表しようと自由と思います。
>
> それも同感です。宮崎駿さんも、一時期「ナウシカ」の漫画をアニメ雑誌に連載していましたし。
> ですが、表現形態を選ぶ自由の中には、締め切りを守らなくてもよい、という項目は入っていないと思います。

 永野氏と角川書店の契約内容を知りませんが、べつに彼は締め切りを守っていないわけではありません。ただ、月刊のくせに、1年単位の休載をするだけで、連載期間は時々ページが減りますが、一応出してますし。

 どうも長々まとまらぬ意見をしました。失礼します。

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board4 - No.950

Re:作品の質と刊行期間に考えること

投稿者:駆け出し
2001年10月04日(木) 05時25分

見学者さんへ

>つまり、彼が書いたらそれにより出版社が販売の計画を立ち上げるというもの(ひどい特権だ)として渡しは考えていましたが、駆け出しさんがおっしゃるようならこのような形態は存在し得ないようですね。

出版社の出版計画というのは、私の知るかぎりでは、一年計画です。四月には何を出し、十月には何が発刊される、と、一年分がおおよそ決まっています。
ですから、たとえば新人が原稿を持ち込み、その作品が良かったとしても、特殊な場合をのぞいては、すぐには発刊されません。

>陳氏が本当に自身の意思で拒絶したなら

ご自身の意志だと思います。
ただ、この件については、私の師匠にあたる作家のかたに話してみたところ、
「それは、信義ということもあるけれど、何よりも陳先生はつづきを書きたかったんだろう」
と言われました。

>それもどうかと思います。作家なり個人の業績とその人の人間性を比較して俎上にあげることは無意味だと思います。じゃあ、島崎藤村だったとおもうのですが、不倫なりにたいする批判ののひどい時代に、確か自分の姪かなんかと不倫して、それを小説にした人の人間性は最低ですが、その作品を批判するのは的外れですし。

ここは難しいです。書き方をまちがえると、見学者さんの気分を害してしまいそうですし。ええっと、つまりですね、不倫している=最低の人間ではない、と私は考えるのですが……恋愛というのは、個人の内面の問題ですし、もともと正邪のあることでもありませんから。
ですから藤村が不倫をしていたからとて、最低の人間とは思わない、いえ、思えないんです。

「不倫している作家が最低の作家ではないが、締め切りを守らない作家は最低の作家だ」

といったところですね。

>そうなんだろうか。あのような自由な表現ができる場を獲得できた水野氏の立場は、純粋にうらやましいし、締め切りに追われる専業漫画家には希望の星のような気がしますが。

私はもともと漫画の原作からこの世界に入ったので、漫画家の友人も何人かいます。彼らに訊いてみたところでは、希望の星とは思ってはいないようでした。むしろ
「漫画家じゃないんだから、締め切りを守れなくても仕方ないんじゃないの。あの手塚さんだって締め切りはきついって言ってたんだから」
と言われました。
あと、ストーリーの破綻に関しては、永野氏ではなく、編集者の責任だろう、と。
実際、角川は、いわゆる「作品を見ることのできない編集者」が多いそうです。

> 私の言った他の作家とは、本を出して数万部売れればまあ良かったといえる作家全体の9割近い人たちで、宮城谷正光さんや浅田次郎さんのような人気作家のことではありません。「バガボンド」を基準に言ったら、ほとんどの漫画家は売れてないということになりますので。

はい。ですから、購買力=発行部数と考えてもよろしいですか?とお聞きしたのです。
見学者さんのおっしゃる購買力とは、どのていど規模を指すのかがわからなかったものですから。文庫本の場合、二万~三万部売れれば、もとはとれます。数万部の売れ行きならば、その作家は購買力が高いと言えます。
初版五万部ならば、売れっ子です。

> それを行使するしないは本人の意思であり、しないことが必ずしも美徳とも言えないような気がします。

同感です。むしろ、自己主張はするべきだと考えます。でも、納期を守らないのは、やはり、まずいと思います。

> 永野氏と角川書店の契約内容を知りませんが、べつに彼は締め切りを守っていないわけではありません。ただ、月刊のくせに、1年単位の休載をするだけで、連載期間は時々ページが減りますが、一応出してますし。

休載はともかくも、ページが減るのは、締め切りに間に合わなかったからでは?
連載末期の江口寿司さんや萩原一至さんの作品によく見られたことですね。

長々と書き連ね、失礼いたしました。

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board4 - No.951

Re:作品の質と刊行期間に考えること

投稿者:見学者
2001年10月05日(金) 05時07分

こういう議論をするとき、いつも私が気をつけていてできないのは、反論のための反論にならないことです。駆け出しさんにレスしてもらえているということは、まあそんなにピントは外れていないのかなと思っていますが、本当のところは分かりません。

> 出版社の出版計画というのは、私の知るかぎりでは、一年計画です。四月には何を出し、十月には何が発刊される、と、一年分がおおよそ決まっています。
> ですから、たとえば新人が原稿を持ち込み、その作品が良かったとしても、特殊な場合をのぞいては、すぐには発刊されません。
>
 それは、自動車の生産ラインが、たったひとつの部品の下請けの納入の遅れにより止まってしまうように、すべての元である原稿の遅れによって出版社の業務は止まってしまうのですから、この点における作家の職業意識は、締め切りを守ることにあるのは当然です。出版社も何千人の従業員とそれに倍する家族をもち、それに数倍する関連企業の社員および家族の生活がかかっているですから。それが、極論すれば作家の肩にかかっており、作家は自分の作品を商業ベースで発行してもらえるかわりに、作品の質や締め切りを守る。
 私は、出版業界とは関係ないところで生きているので,作家というと自由業というイメージが強く、その責任を軽視していたところが大きいようです。この件については、自分は作家に対して甘かったようです。駆け出しさんにはよいご教授をいただきありがとうございます。

> ただ、この件については、私の師匠にあたる作家のかたに話してみたところ、
> 「それは、信義ということもあるけれど、何よりも陳先生はつづきを書きたかったんだろう」
> と言われました。
>
 私は、脳溢血の時は十分な休養と治療をしないと本当に命にかかわると考えています。もちろん、昨今の世の中、過労だからといって休養をすすめても、リストラの原因になると本当に倒れるまで休めないのが患者さんの現状とでも言うべきものです。だから、陳さんのファンでもある私としては、連載を一時(何ヶ月でも)休んで休養して欲しかったわけです。その休養期間代筆する新人に機会を与えることになり、また新たな才能が世に出るかもしれませんし。

> >それもどうかと思います。作家なり個人の業績とその人の人間性を比較して俎上にあげることは無意味だと思います。じゃあ、島崎藤村だったとおもうのですが、不倫なりにたいする批判ののひどい時代に、確か自分の姪かなんかと不倫して、それを小説にした人の人間性は最低ですが、その作品を批判するのは的外れですし。
>
> ここは難しいです。書き方をまちがえると、見学者さんの気分を害してしまいそうですし。ええっと、つまりですね、不倫している=最低の人間ではない、と私は考えるのですが……恋愛というのは、個人の内面の問題ですし、もともと正邪のあることでもありませんから。
> ですから藤村が不倫をしていたからとて、最低の人間とは思わない、いえ、思えないんです。
>
 別に私は不倫を責めているわけではありません。私には到底理解できませんが、好きになったならしょうがないのですから。不倫だろうが、近親相姦だろうが、男色だろうが、少年愛だろうが、好きにしてください。
 私が問題にしているのは、それを題材に作品を書いたことです。しかも、出展が分かるように。彼の姪は、周囲からの非難にさらされ、藤村も彼女を守ることをせず、彼女は世捨人のように生きるしかなかったのですから。もちろん、彼女の心情を他の作家が、作品にするのは知りませんが。藤村の自作自演だったことを問題にしています。

 もちろん、作家は自身の体験すべてを小説の肥やしにするのだからという観点で言えば、彼を非難することはできませんし、確かに一理あります。この件は話し合っても、所詮個人の見解の相違であまり意味のあることではないでしょう。

> 「不倫している作家が最低の作家ではないが、締め切りを守らない作家は最低の作家だ」
>
> といったところですね。

 これは、駆け出しさんの「締め切りを守らない作家は、人間性すべてに問題があるといわんばかりの言いかた(そうでないかもしれませんが私にはこうとれました)に、私が反論したかったのですが、私の例もわるかったようです。
 確かに締め切りを守らないのは職業意識に反するが、人間性の善悪にまで至ることの問題でもないでしょう。というところでしょうか。
>

> > 私の言った他の作家とは、本を出して数万部売れればまあ良かったといえる作家全体の9割近い人たちで、宮城谷正光さんや浅田次郎さんのような人気作家のことではありません。「バガボンド」を基準に言ったら、ほとんどの漫画家は売れてないということになりますので。
>
> はい。ですから、購買力=発行部数と考えてもよろしいですか?とお聞きしたのです。
> 見学者さんのおっしゃる購買力とは、どのていど規模を指すのかがわからなかったものですから。文庫本の場合、二万~三万部売れれば、もとはとれます。数万部の売れ行きならば、その作家は購買力が高いと言えます。
> 初版五万部ならば、売れっ子です。
>

 一概、購買力=出版部数でもないですが、単純化すればそうでしょう。水野氏のコミックスの売上げ総数は十分売れっ子漫画家の地位に値するでしょうが、あのインチキくさい副読本の売上、また関連商品のロイヤイテイも馬鹿にならないでしょう。漫画で言えばアニメ化による収入も忘れてはいけません。出版部数のみならず、その作家の作品そのものおよびそれに付随する様々なファクターを含めた商業的価値という意味で、私は購買力と言いました。批評家の作品論や作家論の本の売上も、その作品の商業価値に入るのですから。水野氏が買いてられるのも、あの高い副読本をせっせと買ってくれるありがたい人たちがいて、あの遅いコミックスの発刊ペースを、収入面で支えてくれていることも確かでしょう。


> > それを行使するしないは本人の意思であり、しないことが必ずしも美徳とも言えないような気がします。
>
> 同感です。むしろ、自己主張はするべきだと考えます。でも、納期を守らないのは、やはり、まずいと思います。
>
 つまり、出版社と作家の契約の社会常識なりによる妥当性があれば、その契約を双方がある程度の信義により守るべきだというのは私も同感ですが、その均衡がどの辺かというのが争点のようです。

> > 永野氏と角川書店の契約内容を知りませんが、べつに彼は締め切りを守っていないわけではありません。ただ、月刊のくせに、1年単位の休載をするだけで、連載期間は時々ページが減りますが、一応出してますし。
>
> 休載はともかくも、ページが減るのは、締め切りに間に合わなかったからでは?
> 連載末期の江口寿司さんや萩原一至さんの作品によく見られたことですね。

 たぶんそうでしょう。いきなり投げ出して数ヶ月ほっぽり出すのは論外ですが、ページを減らしてでも書いてるのだからいいじゃないかというのが私の考えで、一ヶ月15ページと契約しているのだからそれを守れ(ときどき減らして言いという特約があるかもしれませんが)というのが駆け出しさんです。私は、全部落としたわけでないのでいいんじゃないという感じですが、そういう気にはなれませんか。

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