- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1211
Re:Re1194/1199/1208:まとめレス
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年12月01日(土) 04時02分
いや、当然責任があるのはマスコミに決まっていますよ。また、前にも書いたとおり現在は民主主義社会で大衆が制度のご主人様である以上、その大衆を扇動できる力を持つマスコミが力をもつのは当然のことです。トクヴィルなんかはマスコミのことを第四の権力ではなく第一の権力といっています。
ただ、格好の餌食になってしまうあたりを、責任があるのではなく、無能といっているのです。
冒険風ライダーさんが「森元総理の「神の国」発言・石原都知事の「三国人」発言」をあげておられますが、マスコミから同じような愚劣な攻撃を受けながら、二人に対する支持率・ダメージがまったく違うあたり(首相と都知事の違いを考慮しても)、この二人の政治家としての能力の違いが歴然としていると思いませんか?
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1213
Re1211:政治家の支持基盤と資質の問題について
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2001年12月01日(土) 09時04分
<ただ、格好の餌食になってしまうあたりを、責任があるのではなく、無能といっているのです。
冒険風ライダーさんが「森元総理の「神の国」発言・石原都知事の「三国人」発言」をあげておられますが、マスコミから同じような愚劣な攻撃を受けながら、二人に対する支持率・ダメージがまったく違うあたり(首相と都知事の違いを考慮しても)、この二人の政治家としての能力の違いが歴然としていると思いませんか?>
それは「能力の違い」ではなく「支持基盤の違い」の問題でしょう。
そもそも単純に考えてみても、かつて芸能界で名を馳せた故・石原裕次郎の兄で、かつ、自身も元ベストセラー作家としての名声を持つ立場を背景にして知事選という直接選挙を勝ち抜いてきた石原慎太郎東京都知事と、30年近くも一貫して国会の場における政治家としての地位にあり、故・小渕恵三元総理の昏倒後のゴタゴタで首相の地位についた森喜朗元総理とでは、最初から自らが拠って立つ支持基盤の土台に絶望的なまでの格差が存在します。だからこそ、選挙民からの支持基盤が強固な石原都知事と弱小な森元総理とでは、同じマスコミからの攻撃に遭っても支持率とダメージが全く異なってくるわけです。これは「能力の違い」によって生じるものではなく、これまでの自らの経歴によって左右される問題でしょう。
また、石原都知事はテレビを通じて自分の意見を都民や国民に対して堂々と述べることができる比較的自由な立場にあるのに対して、日本の首相はマスメディアへの出演がマスメディア自身によって規制されている状態にあります。たとえば首相がテレビに出演する時は、全てのテレビ局に公平に出演しなければならないし、外国のテレビに出ることは禁止するなどといった愚かしい規制が実際に存在するのです。このマスメディアによる余計な報道規制が存在するために、日本の首相は自らの主張を国民に対して訴えることが最初からできない状態にされてしまっており、これが日本の首相の支持基盤形成を妨害する要素のひとつともなっているのです。日本の首相がこのようなハンディキャップを背負わされて自らの主義主張を国民に訴えることができないでいるのも「政治家としての能力云々」のレベルで評価できる問題ではないのです。
立場的にも環境的にも、石原慎太郎氏のような政治家としての好条件に恵まれた人は非常に稀な存在です。確かにそれは「政治家の資質」としては大変貴重なものではありますが、だからと言って、そのような「運のよさ」に恵まれなかった政治家を「ツキがなかった」と評するのであればともかく「能力的に無能」と判定するのはあまりにも酷な評価であると思いますね。政治家としてスタートする位置に最初から圧倒的な格差が存在するのですから。
それから前の投稿で管理人さんが仰っていた「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質についてですけど、これって政治の場ではむしろ却って「害悪」にすらなることもありえるのではないですか?
小泉総理の政権下で外務大臣を務めている田中真紀子などはまさにその典型例でしょう。マスコミの報道などで伝え聞かれる外務省内でのゴタゴタや、外交の場における食言・放言の乱発、さらには目先しか見えないオバサン感覚レベルの行動などは、明らかに政治手腕を振るうべき政治家としては無能であることを曝け出していますが、過去に「反権力発言」でマスコミに持ち上げられた経歴から国民の支持基盤は絶大なものがあり、小泉総理も彼女の政治手腕の無能ぶりを承知していながら、国民の反発とそれに伴う支持率低下を恐れてなかなか更迭することができずにいます。では田中真紀子はこの「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という政治的資質をもってして「民主主義国家の政治家としては有能」と評することができるわけなのですか?
政治家の大衆人気と政治手腕は全く異なるカテゴリーに属するものであるばかりか、むしろ完全に相反していることすら珍しいことではないのです。もしあくまでも政治家が「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」にこだわるのであれば、政治家は自分で何も考えることなく、マスコミの報道にただひたすら迎合さえしていれば良いのです。そうすればマスコミの方が、田中真紀子のように政治家をもち上げた報道を頼まれもせずに自ら積極的に行ってくれますし、多少の不祥事にも目をつぶって黙認してくれることでしょう。そしていざ自らの政治責任が問われた時は「私はただマスコミの論調に従っていただけですから」とでも弁明すれば良いのです。しかしこのような政治家は普通「大衆迎合の無能政治家」としか評価されることはまずないでしょう。
政治家にとって本当に重要な資質というのは、マスコミの攻撃にも臆することなく、国民にとって耳が痛い正論でも堂々と主張することができる気概と実行力であり、またそれに基づいた決断力で卓越した政治手腕を振るえることにあるわけでしょう。そしてそれこそが、マスコミの扇情報道からは決して見えてくることのない、国民が本当に望む政治家としての理想像でもあるのです。「大衆にどれだけ好かれるか」という要素は、政治家としての識見と政治手腕が備わって初めて「重要な資質である」と評することができるのであって、それが全くない政治家が「大衆にどれだけ好かれ」ようが、そんなものは政治の場では極めて有害無益なシロモノでしかないわけです。
これから考えると、「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質があるか否かは、民主主義国家における政治家という職種にとって「も」二義的な問題でしかないと私は考えるのですが、いかがでしょうか。
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- board4 - No.1214
Re:Re1211:政治家の支持基盤と資質の問題について
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年12月01日(土) 10時08分
> それから前の投稿で管理人さんが仰っていた「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質についてですけど、これって政治の場ではむしろ却って「害悪」にすらなることもありえるのではないですか?
これはそのとおりですね。
前の投稿に「民主主義の脆弱性」と書いたように、この評価基準のゆがみは大衆に依拠する民主制の問題点であり、行政ではなく政治の観点からみたら馬鹿馬鹿しい評価基準といえるでしょう。
冒険風ライダーさんのおっしゃることは、単純に力学として捉えた政治の面からみたら、まったくの正論です。実際のところ、私もぜんぜん異論はありません。
しかし、民主主義制度である現在日本では、政治の面からだけではなく民主制度の行政を前提として、こういう馬鹿馬鹿しい基準も含んだ上で、政治家の能力を測らなければならないのではないでしょうか?
>政治家にとって本当に重要な資質というのは、マスコミの攻撃にも臆することなく、国民にとって耳が痛い正論でも堂々と主張することができる気概と実行力であり、またそれに基づいた決断力で卓越した政治手腕を振るえることにあるわけでしょう
というのはそのとおりですし、それができないゆえに宇野氏は評価されないわけです。
田中芳樹の評論は愚劣のきわみですが、だからといって宇野氏を無能ではないとの評価はできないですね。
民主主義を支持するということは、こういうデメリットも含んだうえで行われるものであると私は思いますし、銀英伝にはその作中実験が垣間見えたものですが(このサイトではトリューニヒトは偉大な政治家ですけど(笑))、現在の田中氏にはそのあたりがぜんぜん感じられませんねぇ。
「民度」なんて言葉を口にすることは、民主主義者として自己破産するに等しいことだと私は思いますが、土屋氏との対談で嬉々としてしゃべっているあたり、イギリスで牛の脳料理でも食べ過ぎてるんじゃないかと懸念します。
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1215
ちなみに
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年12月01日(土) 10時27分
田中真紀子に関しては政治家として間違いなく無能だが、客いじり(笑)に関しては高い資質を持っているというのが私の評価ですね。1
たとえばスポーツで評価するべきは当然上手いかどうかなんですが、プロスポーツの場合、下手でも客受けする選手にはプロとしての価値があるわけです。
もちろんプロスポーツと政治家を同一視する無茶は承知ですが、観客(有権者)に依拠しているという点では、いっしょですね。
まぁ、いくら客受けするといってもド素人がプロ野球にいられないように、田中真紀子もあれではきついでしょうねぇ。
(田中芳樹がどう評価しているのか知りたいもんですね(笑))
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1216
Re:政治家のスキャンダルと言えば
- 投稿者:平松重之
- 2001年12月01日(土) 16時48分
<土屋:
ぼくね、イギリスに五年間いたときに、日本から首相が来るたびに毎回変わってて覚えられないんだよね。「いったい今の首相って誰なんだろう」って。一番ひどかったのは、宇野さんのときね。イギリス人もあの時ばかりはみんな、驚いてたよね。
――:
ああいう原因でやめるような人が首相になった、ということは考えられないでしょうね。
土屋:
考えられない。イギリスだったら国民みんな自殺してますね。(笑)「こんなおそまつな国にいたくない」ってみんな恥じます。>
イギリスでも1963年に当時のプロヒューモ陸軍大臣が売春行為や乱交パーティーに参加した事を関係した女性に暴露され、しかもその女性を通じてソ連に軍事機密が漏れたという憶測まで流れて辞任に追い込まれるという事件が起こっているのですけどね。当時のマクミラン首相も間もなく辞任し、一年後の総選挙ではこの事件が一因で保守党は労働党に敗北して13年間維持していた政権を奪われるという結果に陥っています。
調べた限りでは、この事件を恥じてイギリスで自殺者が続出したという話は見つけられませんでした(^^;)それとも首相じゃなく陸相なら許されるのでしょうか?(笑)
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1217
蛇足ながら
- 投稿者:Merkatz
- 2001年12月02日(日) 15時47分
> イギリスでも1963年に当時のプロヒューモ陸軍大臣が売春行為や乱交パーティーに参加した事を関係した女性に暴露され、しかもその女性を通じてソ連に軍事機密が漏れたという憶測まで流れて辞任に追い込まれるという事件が起こっているのですけどね。当時のマクミラン首相も間もなく辞任し、一年後の総選挙ではこの事件が一因で保守党は労働党に敗北して13年間維持していた政権を奪われるという結果に陥っています。
> 調べた限りでは、この事件を恥じてイギリスで自殺者が続出したという話は見つけられませんでした(^^;)それとも首相じゃなく陸相なら許されるのでしょうか?(笑)
イギリスのお隣、フランスではミッテラン大統領の愛人問題は有名でしたね。
しかし愛人がいたからといってフランスのジャーナリズムがミッテランを批判したなんて聞いたことがありません。
だいたいフランス人はこういう方面には鷹揚で、「やはり」と反応しても、
「まさか」という反応はないようです。
総じてフランス・イタリアのラテン系は政治家の色恋沙汰に寛容で、
イギリス・アメリカなどは清教徒的生真面目さか厳しいようですね。
田中芳樹と土屋氏はこのことを知っていたのか、知らなかったのか。
-
- board4 - No.1218
こんち
- 投稿者:メルカッツ提督
- 2001年12月03日(月) 04時31分
田中芳樹も歴史を相対的に判断することができないで
一方的に過去の日本が悪かったと決めつけた作家として後世の歴史家
に名を残すことになるだろう(銀英風)。
はじめまして田中芳樹ファンっす。
確かに創竜伝は戦前の日本を悪く言いすぎだね、
田中芳樹は中国に対してユートピア感覚だもんね
これからの創竜伝どうなるんだろ?さすがに今までのようには
いかないと思うけど・・。
- 親記事No.1187スレッドの返信投稿
- board4 - No.1219
Re:細かいツッコミですが
- 投稿者:文多
- 2001年12月03日(月) 07時31分
平松さん、クロイツェルさん、レスありがとうございます。
お返事してくださる方が居られて正直ほっとしております。と共に凄く嬉しいです。(^^)
>連隊の隊長は大佐ですから、将官である二人がローゼンリッター連隊に配属される事はないかと。仮にメルカッツの様に二階級落ちたとしてもまだ大佐ですし。
ていうか、ミッターマイヤーはともかく、ロイエンタールがシェーンコップと旨くやっていけるとはちょっと考えにくいかも。(^^;)
> では、改めて考えてみましょう。将官クラスが亡命してきたとなると、これを宣伝に使う可能性があります。つまり、積極的に活用するという考え方ですね。ただし、やはり亡命者ですから、重要な局面にすぐにはすぐには当用されないでしょう。局地戦などでこき使われ、マスコミの出汁にされる日々が続くと思われます。
>
> あるいは、少将クラスですから宣伝効果が低いと判断されるケースもありえるかと思います。この場合は、軍には入れるでしょうが、そこそこの閑職か、良くて参謀程度の地位に押しやられるのが関の山でしょう。
>
> どちらにしても、双璧の本格的な登場はアムリッツァの大敗以降になりそうですね。同盟の人材が払拭された後ならば、彼らにも日のあたる目があろうというものです。
確かに。亡命の将メルカッツ提督が優遇とはいかないまでも冷遇されなかったのはイゼルローンというヤンの影響力最大の空間であったこともさる事ながら、あの控えめな態度によるところが大きいと思うので、そこの点から考えても彼らは当分冷や飯を食わされるんじゃないでしょうか(笑)。メルカッツ提督のようにヤンの客将という形になってくれたほうが話としては面白くなりそうなんですが。確か「ヤン艦隊」の影も形もない時期の話でしたし(私も原作が手元にないまま書き込んでいるのでおぼろげですが・・・)。
同盟のほうは話があんまり面白くならないかな、と思うので双璧不在の帝国はいったいどうなるのかについて考えてみましたが、こちらも話が続かないんですよね。(^^;)あの時双璧が助けに来なかったら、べーネミュンデ候爵夫人(爵位が違ってるかも)の刺客にラインハルトがやられちゃって「星が落ちたよ」で終わりそうです。
しかし、彼女が決定的な刺客を放つ最後の一押しになったのはロイエンタールの策謀でしたので、ひょっとしてそうはならないかな…?私としては、彼女は遅かれ早かれ同じことをするだろうと思うのですが。
ラインハルト亡き後の帝国はどうにもならないでしょうし。オーベルシュタインが軍法会議にかけられて銃殺かな?
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1220
田中・土屋両氏はスーパー日本人?
- 投稿者:恵
- 2001年12月03日(月) 10時14分
> 日本の自然保護運動に関しては、「イギリス病のすすめ」においても、土屋守がイギリスのナショナル・トラスト(イギリス最大の環境保護団体)の事例を延々と説明した後に、それを引き合いに出して「日本の自然保護運動は地域が限定されている」だの「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」だのと好き勝手に喚き散らしてくれていましたし、田中芳樹自身もそれに便乗した政治批判を行っておりましたので(「イギリス病のすすめ」P206~P212)、田中芳樹が日本の自然保護運動について知らないということは考えられません。それどころか、対談の論調を考えると、むしろ何もかも承知の上で「日本の自然保護運動は偉大なるイギリスの足元にも及ばない」とでも言っているようにすら見えますね。
> しかもその挙句に飛び出したあの2人の発言がまたケッサクものでしてね。連中はこんなことを述べていたのですよ↓
>
> イギリス病のすすめ・文庫本 P211
> <田中:
> 「地方の時代」なんてまだまだ額面どおり信じるわけにはいきませんね。「住民投票」と聞いただけでヒステリーをおこす人たちもいるけど、地方議会がまともに機能してたら、そもそも住民投票の必要もないんです。
> ――:
> もう民度の問題なんですね。
> 土屋:
> そうそう、民度なんですよ。
> 田中:
> つまるところ、想像力の問題だと思う。水源地にゴミ処理場を作ってどうする、という、その程度の想像力すらないのではね。
> 土屋:
> そうね。まさに自然保護って、想像力なんだよね。今あることよりも、将来どうなるのか、っていう想像力がないと、自然保護なんて行えないわけで。最も欠乏しているのが、日本のそういう政治家だとかね、あるいは官僚だとか、そういう連中。欠乏してるっていうよりも、はっきり言って犯罪だけどね、あれは。>
は?想像力の問題って…。
だいたい、「日本の山はハゲ山だらけ」なんて言うくらい、地方の自然に対するまともな認識すら持っていない田中氏に「想像力」のお説教されるわたしたち日本人って一体何なんでしょう?いくらなんでもバカにするなって言いたいですね、この対談読んでると。部分的に聞いても、ろくでもないことばかり言ってるみたいですしね。
「日本の自然保護運動は地域が限定されている」
「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」
首都圏で大々的に自然保護運動をやれば「民度が高い」とご満足するんでしょうか?(でもホント気持ち悪い単語ですね、この「民度」って(^.^;))でも、近代に限らず、もともと日本に限らず、都会は人間が大昔から「原風景」=「原生林」のような森が今でも残っているのは(根元的な人間の営みを否定するつもりがないなら)どう考えても人里離れた「限定された地方」だけです。そういうところで村の財政(前出の新聞の例では、河上村はトータルで10億円の支出で原生林を買い取る予定だそうです)を大きく割いて保護活動を行ったりするのは想像以上に大変なことでしょうし、たとえ自然保護運動が盛んなイギリスと比べたとしても、そういう決して小さくない努力の積み重ねを「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」なんて結論づけるなんてどうかしてるとしか思えません。日本の事情を知っていてこんなことを言っているなら、実際の田中氏は、もうどうしようもないくらい「傲慢で独り善がりな人格」と断言できちゃいそうですね。
それと、わたしがどうしても一番気になるのは、この二人の、「日本は民度が低い」とか「日本の想像力が欠乏している連中」という、まるで自分たちは違う国の民族であるかのような口調です。確か、管理人さんも創竜伝の記述を評して「じゃあ、これ書いてるお前は何人だよ?」とおっしゃっていた覚えがありますけど、ホントに何様のつもりなんでしょうか?自分たちは普通の日本人より一段高いところに腰を下ろして偉そうに批判し、間違いなくその一員である自分たちを省みて恥じるわけでもなく、そして現実的な未来の展望や提言もなく、言うにことかいて「日本人はイギリスに行ってこい」だなんて…。イギリス人に言われるならともかく、この二人にだけは絶対言われたくないですね。何考えてるんでしょうか?それとも、シャレで言ってるつもりなのかな?(e_e;)ま、たぶん本気で言ってるからこそ、それが滑稽なんですけど(苦笑)。
>想像力や現実感覚が欠乏していると言うよりも、はっきり言って犯罪行為でしょう、このような愚かしい対談本を使って読者からカネを巻き上げるというのは(笑)。
「無事に」売れなかったのですから、犯罪被害が少なくて何よりです(笑)。冒険風ライダーさんのおっしゃっる通り、エンターテイメントでない田中芳樹氏は、ファンにとっても「お呼びでない」ことの良い証拠でしょうね。ちなみに、今回のような批判目的でなかったら、わたしもまったく興味を示さなかったと思います。手法は対談でもエッセイでも何でもいいから、せめてわたしの好きな村山由佳のエッセイ「小説家ぶー子イギリスに行く」くらいの面白さでイギリスを語ってもらいたいものですf(^.^)。わたしはこれを読んで、ごく自然にイギリスに興味を持ちましたが、「イギリス病のすすめ」を直接読んだら逆のことを思ってしまいそうです(^.^;;)。
- 親記事No.1189スレッドの返信投稿
- board4 - No.1221
田中芳樹の自己矛盾
- 投稿者:TotalMoled
- 2001年12月03日(月) 12時38分
江戸時代以来父方も母方も都市に住み続け、故郷といえば都市である私にとっては彼の言う郷愁など異次元の話ですな。
なんせ先祖の墓が都市の中のウサギ小屋寺(笑)と戦後の都市計画で出来た墓地公園にあるので墓参りの際でも「ウサギ追いし~」なんて感じません。
ついでに言うと父方は件の大和川付け替えと言う「環境破壊」で海が埋まると言う「公害」をうけ、
主要産業の貿易に大打撃をこうむった堺の出身です。
私にとっては子供がウサギ追うよりファミコンに興じる光景のほうが遥かに郷愁感じるものです、
そもそも田中氏の言う「昔はあったはずの原風景」や「日本が世界に誇るものは美しい自然」は
田中氏の批判するかつての封建的かつ専制的な歴代日本政府が「自由」も「権利」も「個」も抑圧して作ったものなんですがね。
おそらく田中氏にはそういうことを想像する力がないのでしょう。
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- board4 - No.1222
いいっすね
- 投稿者:あぱれる
- 2001年12月04日(火) 08時34分
ハジメマシテあぱれるです。いいですね、この掲示板。自分も考えていたことが何ぼか書いてあったし。これからたまに来さしてもらいます。
ところで以前、檜山良昭氏の小説のスタンスについてのお話があったようですが、私は横山信義の「八八艦隊物語」も読んだあとの感覚・味わいは似ていると思います。読まれた事のない人のために端折って説明しますと、日露戦争で最後に暴走した陸軍のせいで日本海海戦の勝利を無にしてしまいます。相対的に発言力の強まった海軍は現実世界では実現しなかった「八八艦隊」を実現させます。その後、現実と似た歴史をたどりながら日米戦争に突入するわけですが、緒戦で歴史的大勝利、あとはジリ貧になりながら敗北していきます。現実世界でのミッドウェーや捷一号作戦や菊水作戦などの戦闘になぞらえて日本の八八艦隊はしだいに壊滅していきます。そして1945・8・6に広島、同年8・9に長崎が原爆攻撃を受け、日本中を焦土となり8・15に無条件降伏というふうに、どうあがいても日本は同じ末路になるというシュミレーション小説です。横山氏の他の小説は嫌いですが「八八艦隊物語」は好きです。皆さんも一度どうですか?
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- board4 - No.1223
田中氏の論と狂牛病騒動の共通点(長文)
- 投稿者:クロイツェル
- 2001年12月04日(火) 09時17分
最近、興味があって狂牛病について色々と調べていますが、そこで狂牛病騒動を煽っている人達と田中芳樹の論に共通点を見出しました。割と汎論的な共通項だと思いますので、言うまでも無く気づかれている事かもしれませんが、一応挙げさせて頂こうと思います。
狂牛病騒動を煽っている人達の論には、以下の3つの特徴的な共通項があります。
1.物事の事実の内、一面的な事実のみを記述する
狂牛病騒動の場合、「致死率100%のクロイツェルト・ヤコブ病の原因になる」「イギリスでは、すでに死者が107人」「肉は大丈夫と言われているが、確認されている訳ではない」「すでに狂牛病の牛の肉が市場に流れている可能性がある」といった事は頻繁に挙げられています。これらは全て事実ですが、その一方で、クロイツェルト・ヤコブ病の原因が異常ブリオンのみとは限らないことや、107人の死者が狂牛病が人間に伝染することが発表されてから現在までの5年間の合計だということ、肉が大丈夫といわれる根拠には動物実験の結果がある事などは触れられていません。まれに触れられていても、その事実を否定する書き方をされています(「人間とラットを同一視することは出来ない」など。人体実験をしろと言うのでしょうか?)。
2.事実の分析を行わない
先に挙げたように、107人の死者は狂牛病が人間に伝染することが発表されてから、つまり何の対策もされていなかった時から現在までの5年間の合計です。イギリスの全人口が5300万人ですから、これは全人口の0.0002%に過ぎません。イギリスよりも牛肉消費量・牛飼育量共に低い日本では、より比率は下がるものと思われます。これだけ考えても、狂牛病は大騒ぎしなければいけないようなものではありません。
とまあ、素人が少々ネットをあたるだけでもこの程度の分析が出来るにもかかわらず、彼らはそれすら行おうとしません。
3.一面的な事実のみを材料に推量を行う
狂牛病騒動では、「乳製品も危ない」「肉骨紛を食べた豚や鶏も危ない」「牛コラーゲン配合の化粧品も危険」という話が、まことしやかに罷り通っています。しかし実際には、牛乳の危険性は動物実験で否定されていますし、豚や鶏が牛の異常ブリオンを蓄積していたと言う報告もありません。コラーゲンに至っては、量が少ない上に異常ブリオンは経口感染しかしませんから、論外です。
これらの話は、全て騒動を煽っている論者が、前出の「事実」から推量したものです。確かに可能性だけはありますが、それが実際に起こりうる可能性は極微小です。
さて、以上の特徴を、ザ・ベストの田中氏批判と見比べていただければ一目瞭然でしょう。これらの特徴は、全て田中氏の社会批判にも共通しているのです。こと論の構造に関する限り、田中氏の論と騒動を煽っている人達の論はほぼ同一のものと言っていいと思います。
では、彼らはなぜこのような論を張るのでしょう?意図的に世間を煽ろうとしているのでしょうか?私は違うと思います。彼らは本気で、世間に警告を発しているのです。それが煽りになってしまうのは、彼らがリスクの計算を行わないためです。
彼らが良く使う言葉に、「わずかでも可能性があればそれを放っておくべきではない」と言うものがあります。結論から言うと、これは間違いです。なぜなら、どんなリスクでも、それを0にする事は出来ないからです。リスクの発生率を0に近くする事は可能ですし、それは日々行われています。しかし、それを行うためには時間や経費、労働力といったものが必要になります。そのため、我々はリスクの発生率とそれにかかるエネルギーとを秤にかけ、バランスを取りながら調整を行っているわけです。
ところが(田中氏を含む)煽り論者は、リスクの存在そのものを問題視し、それを0にする様求めます。リスクそのものが問題だと思っているわけですから、リスクの発生率がどれだけ低かろうと彼らは満足しません。勢い、彼等の論にはリスクの危険性を示す証拠のみが挙げられる事になります。そしてそれが嵩じると、今度はリスクの原因そのものを排斥しようとします。動物性タンパク質を採る事をやめるよう薦めたり、日本そのものを否定するようになったりするのです。
もっとも、彼ら自身がそういう考えを持つこと自体は、何が悪いと言うわけでもありません(私個人としては、不健全な発想だとは思いますが)。問題は、彼らが自分たちの考えを世間に知らしめようとした時に起こります。彼らの論は、先に挙げた理由からリスクの危険性のみを訴え、可能性を無視したものになります。その結果、それを読んだ人間は、そのリスクが起きる可能性を自分で判断せざるを得なくなります。そこに書かれている事実を分析できる人間ならばまだ良いのですが、それだけの知識や時間を持たない人がその可能性を大きく見積もったからといって、誰が責められましょうか?これが広く世間一般で起こると、風評被害やマスヒステリーが発生するというわけです。
では、我々はこれらの論に対して何をすればいいのでしょうか?それは、可能性がはっきりしないリスクは分析すること。自分でそれが出来ない場合は、分析された情報を探し、確認することです。そのためにも、分析した人は、その結果を広く世間に知らしめるべきです。
ところで、田中氏の論が原因でマスヒステリーが起こるリスクは、かなり低いものと思われます。よって、先のリスクのバランスから考えると、多額の金や時間をかけて反田中キャンペーンを張らねばならないほどではないでしょう。しかし、我々が行う議論程度なら、充分採算が合うレベルです。我々が楽しみながら行う議論でマスヒステリーが起きるリスクがわずかでも下がるというのなら、これは喜ばしいことだとは思いませんか?
- 親記事No.1222スレッドの返信投稿
- board4 - No.1224
Re:いいっすね
- 投稿者:lulu
- 2001年12月05日(水) 04時44分
八八艦隊物語は私も好きですよ。
新巻鮭やナチのように日本が勝つ話ではないのがいいです。
このような歴史物というのは、本来センスオブワンダーを
味わうための物であって、妄想するだけならばわざわざ本を読む
必要はないと思います。
日本が勝つ話にしても、タイムスリップ大戦争くらいならば
面白いと思えるのですが。
- 親記事No.1178スレッドの返信投稿
- board4 - No.1225
更に上行く14年
- 投稿者:幽者翁
- 2001年12月06日(木) 08時09分
初書き込みです、どうぞよろしくお願いします。
さて、タイトルは同じく遅筆で名を馳せる(馳せるなって)宮脇某守、もとい火浦功が『未来放浪ガルディーン』の2巻を出してから3巻を出すまでに流れた歳月です。途中外伝が2冊ばかり出ましたから、シリーズとしての空白は槍玉に挙げられている田中作品に比べると短いといえますが、それでも尋常な遅さではありません。
でもどーゆー訳かこの人の場合、叩かれるよりも笑い話のネタとされる事の方が多いようです。本人も悪びれる風はないし。
この差はどっから来るのか、と。“遅筆”が芸風として昇華されているか/いないか、の差だとしたら、この点に関しては田中芳樹も気の毒な気がします。他の要素、例えば人徳の差かといえば、田中芳樹が一方的に転落してるのはまあともかく、火浦功が徳を積んでるわけでなし・・・。
余談ですが、シリーズ再会までのブランクには上には上がいて、二十数年てのがあるそうです。(ガルディーンの単行本のどれかの巻末対談より)
-
- board4 - No.1226
上には上が
- 投稿者:優馬
- 2001年12月06日(木) 15時58分
小松左京の大ベストセラー「日本沈没」は続編が出る予定だったんですよ。というか、著者本人が確かあとがきかなんかで明言していました。
故郷を失って世界に散った日本人の苦闘の物語となるはずだったらしいのですが、爾来二十有余年・・・ついにシリーズ続巻が世に出ることはなさそうです。
こないだまで「日本沈没の続編」というのは「日本SF界最大のタブー」と言われていたそうで。(本人に聞けない、という意味でです。)
-
- board4 - No.1227
故 田中芳樹
- 投稿者:刻水戦士
- 2001年12月09日(日) 07時00分
どうも、皆様はじめまして、
この「田中芳樹を討つ!」は大変面白いですね。
僕は田中芳樹の本は三冊ほど読んだことがあるのですが「SF」と自称する割には単なる「沈黙の艦隊」をつまらなくしたのを宇宙でやってるだけという気がいたします。
僕自身は「創竜伝」なる三文小説には目を通していないのですが、ここの批判を見ますと「買わなくて良かった…」とつくづく思います。
田中氏は共産主義が嫌いといいながら言っていることは冷戦が終わった後やソビエト崩壊後に共産主義者が姿を変えた自虐主義者や反日主義者と全く同じではないですか。
創竜伝とは単なる日教組に洗脳されたアホな兄弟達のお話ですか、
小林よしのり氏の言葉で言えば「純粋マッスグ君」とかいう奴です。
創竜伝は田中の自慰小説であり、この小説が売れ続ける限り、この救い難いおっさんは死ぬまで書き続ける事でしょう。
合掌
- 親記事No.1227スレッドの返信投稿
- board4 - No.1228
最低限のルールはお守り下さいな(苦言)
- 投稿者:あけみ
- 2001年12月09日(日) 16時31分
はじめまして、刻水戦士さん。
あなたのご意見で何ヶ所か気になったところがあったので、反論ならびに質問させていただきますね。
<僕は田中芳樹の本は三冊ほど読んだことがあるのですが「SF」と自称する割には単なる「沈黙の艦隊」をつまらなくしたのを宇宙でやってるだけという気がいたします。>
この部分は、「銀英伝は良かった」「つまらなかった」「銀英伝が好きだ」「嫌いだ」etc...については、個人的にそれぞれ思ったり感じたりした結果でしょうから、特に申し上げることはございません。
ただ、わたしは刻水戦士さんとは違い、銀英伝は良かったと思っていますし大好きなもので、感情としては「こいつ、銀英伝や田中芳樹が好きな奴は大バカだ」とでも言いたいワケ???(-_-#)という風に受け取ってしまったのですけれど、刻水戦士さんの真意をお聞かせ願えませんでしょうか。(質問1)
「SF」に関しては、わたしの場合「銀英伝は宇宙空間を舞台に繰り広げられる歴史物語である」と思っておりますので、「SF」として穴だらけでも一向に構わないのです。
逆に、「刻水戦士さんから見てどこが、どんな風につまらなかったか」について具体的に教えていただけませんでしょうか。(質問2)
<僕自身は「創竜伝」なる三文小説には目を通していないのですが、ここの批判を見ますと「買わなくて良かった…」とつくづく思います。
田中氏は共産主義が嫌いといいながら言っていることは冷戦が終わった後やソビエト崩壊後に共産主義者が姿を変えた自虐主義者や反日主義者と全く同じではないですか。
創竜伝とは単なる日教組に洗脳されたアホな兄弟達のお話ですか >
こちらの管理人さんや常連の方々が今までにも散々過去ログなどでおっしゃってるのですが、「批判対象を読みもせずに批判行為は成り立たない」のです。
言い方を変えると「読まない人間に批判する資格は無い」のです。
「批判対象を読みもせずにする批判行為」は「単なる誹謗中傷」です。
少なくとも創竜伝に関しては、刻水戦士さんに語る資格はありません。
どうしても言いたいなら、「本を買え」とまでは言いませんから、図書館を利用するなり知人に借りるなりして読んでからおっしゃってください。
「オリジナル」を知らずに「二次創作(パロディや批判文等)」をちょっと読んだだけで、「オリジナル」を理解したつもりになっているのは笑止です。
「最低限のルールはお守り下さいな」
わたしの投稿文の件名は以上についてです。
<小林よしのり氏の言葉で言えば「純粋マッスグ君」とかいう奴です。>
こんなカタチで引合に出されては、小林よしのり氏も迷惑されるのでは?
それに竜堂兄弟と小林氏の言う「純粋マッスグ君」ではかなり違いますけど。
だって彼ら(特に上の二人)は純粋でもマッスグでも無いし(笑)
<創竜伝は田中の自慰小説であり、この小説が売れ続ける限り、この救い難いおっさんは死ぬまで書き続ける事でしょう。
合掌>
上の文といい、件名の「故 田中芳樹」といい、あまりにも失礼では?
刻水戦士さんのおっしゃりようは、田中氏個人のみならず、本を出す出版関係者やお金を出すファンも侮蔑している、と見なしてよろしいでしょうか?(質問3)
- 親記事No.1227スレッドの返信投稿
- board4 - No.1229
一部に不愉快な表現をおわびします
- 投稿者:あけみ
- 2001年12月10日(月) 01時37分
上のわたしの文章で、下記の部分について不愉快な表現がありますので、おわびします。
<「こいつ、銀英伝や田中芳樹が好きな奴は大バカだ」とでも言いたいワケ???(-_-#)という風に受け取ってしまったのですけれど、>
これは親しい間柄でもないばかりか、初対面の人に対して「こいつ」呼ばわりは、言いすぎでした。
ごめんなさい。以後気をつけます。